完全 ジジイ化してしまった僕。
いやいや、 ”コタツでお茶すすって” なんて~のはやるわけ有りませんが、抱っこすると完全に壊れるのが自分でも分かる。
娘や家内から「変なあやし声出さないでよ~!」 何て言われてますが、そうなってしまうのだから仕方ない。
生まれて約二月、良く喋るし(何言っているかわからんが)とにかく良く笑う、キャッ!キャ!まで行かないがそれに近い表情と声を出す。
相変わらずバタバタとうるさい家の中で、誰も音に気を使おうなんてしない我が家では、上に行けば娘の部屋から音楽、息子夫婦の部屋に行くとテレビの音、下に来れば パソコンをテレビに繫いで家内が踊り練習したり、僕が音楽やビデオを見ているのでやかましい。
そんな騒音の中で平然と寝ている孫。
しかも代わりばんこに誰かしら来ては手を触ったり足を触ったり、頬をなでたりするので、これで良く起きない物だ・・・・
と、変なところで感心するが、本人は生まれた瞬間からこの状態が普通になっているらしく、素晴らしい環境適応能力だ (爆笑)
「自分が子育てをしていた時はどんなんだったっけ?」 と思うことは多々有るが、その一つがテレビや音楽で、子供の声に明らかに反応する。 特に?娘が好んでみている リロ&スティッチ になると盛んにそちらを見ようと試みているのが分かる。
毎日でかくなるので、といってもさほどではないが、重いし、「あれこんなに重かったっけ?」 なんて思ったりもして・・・・
そういえば、生まれてすぐに病院から嫁さんの実家で一月、そして家で一月過ごしている訳だけれど、まだ一度も大声出して泣いている姿を見たことがない。
お腹が空くとぐずることはあるが、大声出して泣かない、ただぐずるだけでギャーギャーやらない。
おむつも同じで、気持ち悪くなるとぐずるが泣く事はない。
両方の要求が満たされると、寝ているか、起きてニコニコしているのだけれど、これじゃ育児ノイローゼなどとは全く無縁の世界である (笑) うんうん
さらに、家の息子と娘もそうだったのだけれど、夜に一度か2度は目を覚ますらしいが、泣くこともなくほぼ朝まで寝ているとのことで、
それを少しだけ?(気にする子ではないが) 心配(といっても寝不足の)だけしていた隣部屋の娘は、毎日熟睡出来ているとのことで、どんだけ親孝行?の孫なのかと思ってしまう。
一応教育研究している僕には 「あれ?」 とこうした姿に対し、僅かなりとも脳の異常を疑わないでもないが、僕の知る簡単なテストを時々やっているが反射や五感にまったく問題なく、成長過程も普通で、ただ親が楽なだけのこと。
でもね~、子供の頃に”よい子”というのは、抑圧に対する回避行動なのだけれど、これは思春期になると大変なんだよね~
「れれれれ!?」 これは3才から保育園年長さんくらいまでの話でまだまだ先の話か(笑)
そういえば、叱らない教育が心の成長にいかなる害悪をもたらすかという話はこのBLOGにて何度も書いていますが。
幼い頃の子供は、基本的に自己中心的で、自分の思うままに行動するのが基本。
故に泣きわめいたり、やらなくていい事して痛い目にあったり、地団駄踏んだりする訳だけど、これはそれが可能な親の愛情に包まれているからこそ可能というバックグラウンドがあるからのもので、
同時に親が見せる 困った顔や怒る顔、泣いたり笑ったりを子供は日々見つめながら育っていく。
子は常に親の顔色を見ながらかそ人の心を学んで成長していくように出来ている わけで、
それはなんら歪むこともなき、隠された意図もない素直な人の心そのものであり、それを基にして成長と供に他人の事を考えられるようになっていく。
だからこそ大人になると、自分以外の他人と適切な距離を取りながら社会を生きていけるわけだ。
ところが、叱らない教育とやらは、親のための情操がその基本であり、我が子をいかに自分の都合良い子のするか というのが中心に有る。
故に 褒めて育てる、叱らない教育と言うものが存在するわけだ。
一例をあげるなら、子供が痛い思いをする行動をしそうなときに「お母さん悲しいな~」等と子供の気を引き(子の純粋な愛情を逆手にとって間接的行動抑制するいうなれば相手の思考の幼さを逆手にとった騙しテクニック)、自然に湧いてくる子供の好奇心と行動をそぐ方法に代表させるこの子育ては、幼き頃より少しずつ子供が積み重ねていかなければならない様々な経験、そして”自分で考える能力”が育つ力すら奪う。
さらに、この逆手教育においては、親名目で繰り返し 繰り返し すり込み経験を心に施していくことになり、実は子供に不要な抑圧とストレスをあたえているわけだが、そんな当たり前の危険性に関してどの書籍にも書かれていない。
結果、その年齢にそぐわない自制を親の都合のために求めるられる為に、そこには素直でまっすぐな親の喜怒哀楽など存在せず、すべて親の為の目的というフィルターを通した心だけしか受け取れないままに育っていくわけだ。
普通に育てることをせず、あえて 叱らない教育・褒めて育てる教育をやっているわけだから、どんなに言い訳しても、親の隠された意図はそのまま子供の心の中に入っていくわけだ。
これでは、人間としての心はすべて、何かしらの隠された意図を付け加えられた状態として存在し、いわゆる不要な添加物を加えられた心というものを前提にした他人の心としてしか人の心を解釈するしか出来ない人間になるわけで、
これが思春期になって人の心を素直に受け止められない結果を生む。
故にそれが恐怖となり 心音痴 を生み出すわけで、 引きこもりの至極簡単なかつ明瞭な原因である。
たったこれだけが引きこもりの原因だ、心の闇などと言うものは初めからそんざいしない。
有りもしない何かしらの意図を友達の言葉や行動に逐一感じてしまう恐怖心の様なものが朝から晩まで続けば、そしてそれが積層されていくことがさらに大きく漠然とした恐怖感を発生させ、人と接するのが恐くなり、やがて始める本来の自分ではない自分を演じる俳優生活。
やがてそうした自分に疲れ切り、最後にはつじつまが合わなくなり限界が来て部屋に閉じこもるようにして逃避する。
膨大な数のひきこもりとニート達は 叱らない教育のひろがりとピッタリ シンクロしていることを忘れてはならない。