PV GReeeeN 遥か
もうじき卒業の季節がやってきますね、可愛いわが子の姿を残そうと、親はみんな最新のテクノロジーを注ぎ込んだカメラを手にします。
どの家庭にもある普通の話ですが、今日はGReeeeNの遥かに絡めて話をしてみます。
結構有名な曲、そして有名なPVですからすでに皆さん知っているかと思いますが、
この曲に合わせた?プロモ映像のなかには古い8mm映写機が出てきます。
父親ってこうした存在なのでは?と自分は思うわけです。
僕が子供だった頃、まだ8mm撮影機、そして映写機は現役でした、動かない写真とは異なり、家族の皆が動きのある映像として残る。
それに不思議な憧れ(うちは貧乏でしたから買えませんでしたけど)をもっていたことが今でも鮮明な記憶となって残っています。
自分が技術系の道へと進んだのも、当時の真空管をはじめとした、いかにも命を感じさせてくれるこれらの物たちの存在があったわけです。
当時の映写機は、「カシャカシャカシャ・・・」とその音はあくまでも軽くて、でも精密で
重量は重く、がっしりとした躯体に動作中のランプ排熱、
やたらと頑固だったわけです。
僕はそれに憧れを持って成長しました。
やがて自分が成長し、親になって初めて手にしたのはフィルムを使わないVHCビデオカメラそしてデッキ。
当然にうちの子たちが僕とともに見てきたのはでかくて重いそれらではなく、軽くて遥かに性能のよいそれらです。
この子達が成長し、結婚して子を撮影するのは、さらに軽くて美しい絵がとれる高性能ディジタルカメラになるわけですが、
でも・・・・、いくら技術が進んでもけして変わらないものがある。
それが家族と、それを結ぶ心。
映像機器の歴史は人の歴史、すなわち心をどう忠実に再現するかという歴史でもあり。
それはフィルムとランプであろうがディジタルメモリーであろうが、過去から未来まで変わる事がない。
僕にとっての親父はまさに武骨な8mmであり、息子にとってぼくのイメージはおそらくコンパクトビデオ。
孫にとって父(息子)はメモリーカードになるのだろうけど、
このプロモに出てくる親父さんの姿はまさに一昔前の男で日本人。
けして息子に敗北しない、でも心の中は常に自分を越え、徹底的に打ち負かしていく事を望んでいる。
僕もそんな心意気を親から受け継いでいるだろうか?とこのPVを見て思う。
そんな僕に育てられた息子も、やがては自分の子に僕と同じ思いを抱くのだろうけれど、
それは親父が持っていたものと変わらないだろう。
時代の変化とともにひっそりと姿をけしていった8mm映写機、その重くて不器用な姿の中に、いまでも変わることなき人の心は未来に向かって続けるのだと、そう思うのです・・・
もうじき卒業の季節がやってきますね、可愛いわが子の姿を残そうと、親はみんな最新のテクノロジーを注ぎ込んだカメラを手にします。
どの家庭にもある普通の話ですが、今日はGReeeeNの遥かに絡めて話をしてみます。
結構有名な曲、そして有名なPVですからすでに皆さん知っているかと思いますが、
この曲に合わせた?プロモ映像のなかには古い8mm映写機が出てきます。
父親ってこうした存在なのでは?と自分は思うわけです。
僕が子供だった頃、まだ8mm撮影機、そして映写機は現役でした、動かない写真とは異なり、家族の皆が動きのある映像として残る。
それに不思議な憧れ(うちは貧乏でしたから買えませんでしたけど)をもっていたことが今でも鮮明な記憶となって残っています。
自分が技術系の道へと進んだのも、当時の真空管をはじめとした、いかにも命を感じさせてくれるこれらの物たちの存在があったわけです。
当時の映写機は、「カシャカシャカシャ・・・」とその音はあくまでも軽くて、でも精密で
重量は重く、がっしりとした躯体に動作中のランプ排熱、
やたらと頑固だったわけです。
僕はそれに憧れを持って成長しました。
やがて自分が成長し、親になって初めて手にしたのはフィルムを使わないVHCビデオカメラそしてデッキ。
当然にうちの子たちが僕とともに見てきたのはでかくて重いそれらではなく、軽くて遥かに性能のよいそれらです。
この子達が成長し、結婚して子を撮影するのは、さらに軽くて美しい絵がとれる高性能ディジタルカメラになるわけですが、
でも・・・・、いくら技術が進んでもけして変わらないものがある。
それが家族と、それを結ぶ心。
映像機器の歴史は人の歴史、すなわち心をどう忠実に再現するかという歴史でもあり。
それはフィルムとランプであろうがディジタルメモリーであろうが、過去から未来まで変わる事がない。
僕にとっての親父はまさに武骨な8mmであり、息子にとってぼくのイメージはおそらくコンパクトビデオ。
孫にとって父(息子)はメモリーカードになるのだろうけど、
このプロモに出てくる親父さんの姿はまさに一昔前の男で日本人。
けして息子に敗北しない、でも心の中は常に自分を越え、徹底的に打ち負かしていく事を望んでいる。
僕もそんな心意気を親から受け継いでいるだろうか?とこのPVを見て思う。
そんな僕に育てられた息子も、やがては自分の子に僕と同じ思いを抱くのだろうけれど、
それは親父が持っていたものと変わらないだろう。
時代の変化とともにひっそりと姿をけしていった8mm映写機、その重くて不器用な姿の中に、いまでも変わることなき人の心は未来に向かって続けるのだと、そう思うのです・・・