今年も今日で終わりです、のんびりとこれこれしかじかと言いたいところですが、
今日もしっかりとバイト。
28日からの4連続で最後の一日。 舐めてかかっていたら予想を簡単に覆してくれる忙しさでした。
ぼーとして肥えるより、一日体を動かしてますから、飯がうまいし、体の調子がよい。
あたりまですが、人は適度な運動はとても大切です。
これでお金がもらえるのですから、こんな得なことはありません。
さて、そんな最終日ですが、6時半には家族をたたき起こして、あ!このところ連続夜遊びのあんちゃん除いて(少したるんでます) ちょっと怒り(^^;)
3人で今年最後の通常掃除をします。
そのあとバイトに行って、帰宅後は頼んであった持ち帰り100円寿司と家族全員で乾杯。
平穏な一年を送れたことに感謝しつつ年を越したいと思います。
そういえばをスクールに入れた年は正月どころではありませんでした。
家内の母が一時的な痴呆になって入院し先の見えない状態、息子はスクールへ連れて行かねばならず、またそれに伴い家財や車などを売り払い多額の借り入れ。
自分の母親も骨祖症でいろいろあり、さらにはそんな家庭状態で精神的な不安定になっていた娘、ほかにも細かな問題山積でまったく光の見えない状況でした。
苦があれば楽もあり、永遠に続く苦もなければ永遠に続く楽もない、
問題なのはどうやって苦を乗り越えるか? なのだと私は思うのです。
とにかく自分を信じ、未来を信じ、それしかありません。
さて来年はどんな年に・・・・
今日はバイト最終日。
お客さんもすくなくなりレジ周りの仕事はなくなりましたが、今度は品出しが山盛り。
パートさんもアルバイトも年末ということでやたらと人数が減り、その分倉庫から品を出してきて並べる仕事が多い。
特にトイレットペーパーは山積みにしてもすぐになくなる・・・・
説明の専門知識を要求されるところは出来るだけ避け、それ以外の洗剤やらなにやらを出していきますが、液体系は重い (--;)
午前中は外でしたが、今日はお客さんはなく、責任者の人が「働きすぎだから今日は俺と仕事」とのんびりオブジェ構成の手伝いをしたりしていました。
まあ、なんだかんだと忙しかった4日間も今日で終わりです。
しかしホームセンターによって品出しのポリシーに違いが有るのが面白い、
以前やったところは一度出した箱は棚に並びきれなければとにかくその周りにどんどんと突っ込んで戻すことをしないし、今回の所はとにかくお客さんが取りやすくが基本、どちらが良いか?ということは一概にいえませんが、
やたら山済みで一つとると崩れてしまうようなつみ方をしているところはどうも・・・・
さて、明日はお正月です。
忙しくなる・・・・
昨日で一応のピークは終えたようですが、依然としてお客さんが多い、
面白いのは、午前中に来て、午後に来ている人とか、午後に3回に分けてきている人とか、数回着ているお客さんが多いということです。
これは私も意外でした、もともと顔を覚えるのが苦手、ましてや顔と名前を一致して記憶できないと思っていた私も、わりと顔を覚えていることに意外性を感じました。
確実にではないのですが、レジでの品渡しの一瞬の表情をかなり覚えているのですね、受け取り方もすべて異なるパターンで受け取りますし、
そのときの髪型服装や、においも思えていることがありました。
ですから、際来店するとあ!又着てきる・・・と分かるのですね。
まあ、だからとて何するわけではありませんが、近所の女性はたいてい自転車で来ていますし、ご主人がいればこれまた車、またいても服装から歩き自転車車と結構簡単に分かってしまうものです。
それに応じて品物を入れる袋の種類をかえますが、時として思いっきり予想が外れることがあります。
わりと子供連れは難しい・・・・
後以外なのは、男性の方で、出した袋の種類で表情が変わります、無頓着に見えて、割かしはっきりと言ってきます。 ところが、それに反するように女性は何も言わないことが多い、しかしながらこれこそが曲者?で、言わない分だけ厳しい可能性もあり、一瞬の表情を見ながら出来るだけ希望をよみとり、どちらとも判別つかない場合は、こちらから聞いてみると、結構要望があったりします。
なかなか奥が深いぞこれは・・・・
言葉のないほど忙しかった一日でした、特に門松と正月飾りが飛ぶよう売れる(当たり前ですが)。
私の担当は当初園芸コーナー、その次に中のレジ後方サッカー、品出しと
広がり、暫時手の空い状態になるたびに次々とこなしていきます。
運動不足解消!というわけで、こちらからどんどんやりますが、
店にしてみるとよく動く人間という評価のようで、一挙三徳くらいの気持ち、
なんでもそうですが、やらされている気持ちがある限りは楽しくもなんともなく、自分からすすんでやると、どんどんと自由度も増し、楽になります。
人の心とはおもしろものです。
しかし、今日はなぜか我侭なお客さんが多い、今日で御用納め、午前中で終わりのところもあるようで、帰り際に急いでいるのか、並びはじめるとなんとなくいらいら感が伝わってきます。
こうしたときになぜか矛先が私ではなく、レジの女性に向くことが多く、ほとんど私自身は何も言われることがありません。
レジより、私のほうが不慣れで手間取ることが多いはずなのですが、とかんがえると、やはり反撃される可能性のないところに感情がいきやすいと考えるなら、こうしたちょっとした中にいじめの問題の何がしかが見えてくるように思えるのは私だけでしょうか?
しかし、男に比べて、こうした状況での女性はつらいものがあるな・・・
と正直思ったりもしました。
少し暖かい、12月にしてはなんとも言えない空気の中を快走して職場まで、
真新しいタイヤはバイクの走行感覚を変えますが、あれ?こんなんだったっけ?なんて思いつつ到着。
一息ついて装置を見回すと、壊れている・・・・(--;)
というか、修理を試みた形跡がない・・・・・
故障修理というサンタのくれたプレゼント、ちょっと面倒だけど、
機械をばらして30分で修理完了。
一丁あがり! あはは、くそー・・・・・
のなか、住宅ローンの固定金利期限の到来で、銀行まで行ってきましたが。
最近の好景気(ほんとかな????)のおかげで、金利がわずかにアップしています。
実感ない好景気と財布の不況はどうやって説明すべきか・・・・
なんてこと考えるとあほらしいので、素直に手続きします。
午後はホテル・ルアンダのビデオを見てすごしました。
今年最後の有給休暇です。
クリスマスということで、今日は休み。
と今日はバイクのタイヤを交換します。
バイク持込で交換してもらうと、ショップの未熟な整備士にボルトなど折られたりなめられたりしたことが数回あり。
現時はほとんど自分でやります。
さすがにチューブレスタイヤはビード(リムとタイヤの接触面)が落ちないので、タイヤレバーなんか使ってやると怪我するのが落ちですから。
機械を使っての交換を頼みます。
リアのシャフトを抜いてタイヤを落とし、次にジャッキでフロント上げてフロントをはずし、店へ持ち込みます。
交換まで約10分、後は取り付けとなますが、この際にベアリングやオイルシールなど点検を行います。
約10万キロ近いこのバイクはぼろぼろ、一度ホイール周りのオーバーホールをしているので、特に大きな問題はありません。
チェンの伸びを見ながら近いうちに交換かな?と思いながら組み付けます。
手を真っ黒にして作業完了でした。
午前中はタイヤ交換の前に娘のメキシコ民族舞踊の発表ということで、某病院まで家内と連れて行きます。
まあ、がんばれや!
最後は今月納車されたばかりのダットラの洗車とワックスがけ。
息子といろいろ話しながらの作業でした。
今までワックスなど塗ったことない息子に塗り方を教えていきますが、
このワックスにはいろいろと種類があって、洗車後の水を完全にふき取り乾燥させて塗るものと、水が残っていてもぬれるタイプがあり、私は後者のタイプを使います。
多少値ははりますが、楽なので (^^)
すっかり夕日も落ちたころ完了、あしたは大雨?
はー・・・・・・知らなかった。
クリスマスですね、今年もサンタは私の家族にいろいろなプレゼントを残していってくれました。
生きていることの意味は、一分一秒、その一瞬の時間の中にある幸せをどうつかみ取って
行くか? 一瞬の風の動きや、木の葉の動き、それに幸せを感じることが自分を豊かにしていくのだとも思っています。
私には祖父の強烈な考えがそのまま受け継がれていて、信仰宗教のようなものはありません、右や左といった思想もなく、自分で考え、必要で良いものであれば、エッセンスだけをいただくといった感覚でしょうか。
こういった考え方の原点は祖父ですが、私は基本的なところがそっくりですが、祖父がどういった生き方をしてきたかということを父と母から教わり、その凄まじさに幼い頃は心を揺り動かされたものでした。
家のルーツをさかのぼれば、ここから車で1時間半くらいの処にある城を守っていたそこそこに名のある戦国武士で、しかしながら祖父の幼い頃に迎えた母親の死と継ぎ母との不仲。 まだ年端もいかない内に家を追い出され、冬の寒さと世の厳しさに耐えて生きてきた人間。 その青年時代からおよそ人生のピークといえる頃までに歩んできた道のりは、例え私がまねしようと試みたところで足下にも及びません。
しかしながら、時折訪ねた祖父の家で私の頭をなでてくれた祖父の優しい笑顔はいまでも私の心に強烈に残っています。
私の親には非常に厳しく、でも私には優しい存在だった。
人の意見に流されず、しかしながら意見を粗末にせず、常に自分を信じてまた人を信じ、
厳しさは毒、しかし薬。
親として子に授けられるのは、心以外にはなく、又心だけでもない。
子を叱るとき、自分の心に悲しさと耐え難い苦痛とこれでよいのだろうか?という葛藤がなければ無ければ、それは単に自分の我が儘を子供に押しつけているだけなのだという事を教えてくれたのはそんな祖父に育てられた私の父。
私は息子と、やがて出会うであろう孫に何を伝えることが出来るのだろうか?
そうクリスマスの夜に考えてしまうのです。
ホームセンターでのバイトが今日もありました。
外の園芸コーナーで仕事していると、園芸コーナーにたくさんの人達が
訪れますが、このコーナーのお客さんの大半は私より年上の人たちが多く、
そうですね、大体50歳半ばくらいから上の人です。
買われる花は100円のものから5000円くらいまで様々、タイムリーセールで半額以下になったりすると、私くらいの年代の人たちまで購買層が広がるのが面白いところ。
シクラメン等は袋で包むのに結構神経を使います。
買われる人は値段の高い安いではなく、包んでいる私の作業を見ているのがすぐに分かり、どんな花であっても丁寧さが伝わるとうれしそうな顔をして「ありがとう」と言葉をくれます。
時間にしてわずか数十秒間の付き合いでしかないわけですが、この数十秒間がこの店のイメージを決めてしまうこともあるのだと、自分の経験からも容易に分かりえるわけで、こうしてみると、たかがバイトであっても雇う側は選択するのがあたりまえ。
世に出て問われるのは学歴ではなく、人間性ですが、フリーターの何が問題かは、学校を卒業してすぐに勤めることで学ぶべき基本的仕事態度や言葉使い、上司やお客さんに対しての心構えなど、いうなればもっとも当たり前で、もっとも基本的常識がまったく育たないということ。
これは人間性にも影響を与えかねず、短い時間を請け負う責任範囲でしかない毎日を続けていると、10年20年先を視野に入れての責任とは大きな意識的隔たりを生み出します。 いうなれば独特の人間感覚になるわけです。
もちろん相手にお前は独特だといって、「じゃあ具体的に説明して?」といわれれば、数分で話せるものではないわけですが、これは私が間違いなく感じ取るものです。
注意:フリーターをしている人間性を批判しているのではなく、フリーターを続けていると欠落してくるだろうというものについてのみ書いていますので誤解なきようお願いします。
現に長い期間フリーターを続けている青年達とアルバイトなどで接っしていると、自分の職場にこうした生活を続けてきたものが就職希望で訪れたとて、採用の適をたずねられたら間違いなく不採用を前提とするであろうことは間違いなく言えるのです。
90%の不採用、そして面接などでその独特感が見えたらその時点で終わりだということです。
厳しいですが、これが社会なのです。
息子ですが、すでに第一志望の大学に合格しています。
東京、埼玉、神奈川のいずれかにある私立大の某科です。
下手に合格した日に書いたりすると、どんな嫌がらせをする人間がいるかわからないためにあえて遅らせました。
高校になんか行きたくない、勉強なんか嫌いだ、そして非行仲間と連日問題を起こしていた息子も、様々な人生経験を経たことで、学校の先生をめざしているわけです。
鮮明に覚えているのは合格通知が届いたときのことです、ちょうど夕飯の最中で、私はうれしさのあまり不覚にも涙を見せてしまいました。
「パパやだ~!」といって笑みを浮かべる娘に「これは涙じゃない馬鹿者!」なんて言ってしまいましたが。
その後も娘はニコニコ。
わりと平然としていたのは家内、「受かると思っていた」なんてこれまたニコニコ。
しかし女性のこの根拠のない自信はいったいどこから湧き出てくるのでしょうかね~。
そんなわけで、来年から大学生になる息子、授業についていけるのだろうか・・・・
と高卒の私は思うのです。
しっかりと切られてしまいました。
いえ、別に暴走してつかまったわけではありません、1点原点の4000円なり。
しかしパトカーとちがって白バイは恐ろしく早い、もたもたーという感じではなく瞬間的に後方へ来ます。
実はいままで白バイに止められたことは有りませんでした、私の違反といえば、たいていは駐車違反か、うっかりによる一方通行違反。
あ!一度だけ前の仕事のときに書類を届けるのにいそいでレーダーでやられたことがあります。
と、ゴールドの免許証が今度はあおになるわけで、単車に乗っている以上はこうした切符と無縁ではいられませんから、むしろこの8年近い期間実質的無違反だったのは奇跡かも・・・・ (^^;)
ふにゃっとしてしまったので、その後行きつけの床屋へいって、親父と交通違反話で大笑い。
つくづく日本という国は平和なんですね・・・・・
毎週欠かさず見ていた番組ですが、最終回を迎えました。
終わりはハッピーエンド。
私はこのハッピーエンドが大好きで、何があっても必ず最後は幸せになるのだという新年を曲げません。
マッチ売りの少女、フランダースの犬など等、幼いころに読んだ童話の最後は今でも受け入れられない(笑)
そんなわけで、家の二人の子がまだ小学低学年だったころ、寝る前に読んであげた絵本の最後は必ず捻じ曲げていたわけで・・・(^^;)
最後に死んだと言うのは、夢だった、起きた少女と、青年はこれで一番つらいことを経験したのだから、この先は必ずよくなっていく、こうやって人はつらいことを乗り越えて大人なっていくんだと教えていました。
どんなにつらくても悲しくても、あえぎのたうち回るうちに必ず先が見えてくる、息子が非行に走って大変だったときも必ず最後は幸福になるのだと考えていたわけです。
子は親の育てたとおり、育ちます。
息子はやはり私に似て、最後は・・・という考えを崩しません。
娘も同様です。
つらさを乗り越える具体的かつ簡単な教育方法などなく、それはまた、親が労せに楽に育てることなど出来ないものであるということの証明でもあり、
理想教育って何だろうと考えるに、やはり子を思う気持ちの乗ったものはすべて優れた教育なのだと私は思うのです。
が近くなるとやる気ないのが、若い衆。
でもスケジュールだけは通常通りというわけで、私も整備に参加します。
やっているとあれ?、およよ?ということはしばしば。
しばらくの間まかせっきりにしてきたことが、あらゆるところに出ています。
車の整備とは異なり、かなり難易度が高く、細かなところでのうっかりミスが出やすいのもこの仕事。
整備士の資格を持つ私が言うのですから間違いありません。
機械だけの場合、結果としてすぐに現れますが、様々な電子装置の入り組む
この機械はその場で出なくてもある条件がそろって初めて故障として現れる事がおおく、結構厄介です。
とは良いながらも力仕事ではないので、肉体的には楽。
上司のポリシーで、こちらから教えず、自分たちが本や整備書を読んで学んでいくように仕向けますが、なかなか・・・・
あれ? およよ?を直しながら正月に向けての準備。
あけたら止まっていたでは笑われますから。
昨晩は7時半ころから寝てしまいました。
あさからいろいろありまして、いえ、別に悪いことがあったわけではありません。
この事は面白いので後日書きます。
スクールの沖縄合宿に行く予定の娘によいブーツをというわけで、埼玉県の行田にあるスーリア(店長は本当にすばらしい人です)までいって最新のを買いました。
珊瑚など、足に刺さるものが多数ありますので、その防護のためです。
その後は八王子にあるコストコまでつき合わされ、けちな私は高速道路なる
贅沢品をつかいませんので、すいている下をトコトコ。
重い荷物を持たされて、甘ったれの娘がつる下がったり、するのを引きずりながらの買い物。
帰宅してしばらくすると息子が帰宅、ティンバーという靴を買ってきたらしく、そのファッションショーに家族全員お付き合い。
親の引いきめで、なかなかよいセンスしている・・・・なんて思いながらも、
家内の焼いたピザとワインで酔っ払い。
きずいたらメキシコ民族舞踊の練習に娘と家内が出かけていなくなり、息子と二人で1時間ほどたわいのない話をしてしまいました。
とちゅうで眠気に襲われてそんじゃー!と二階へ。
気づいたら朝でした。
なんかだらしない生活だな・・・・と思いつつ、今日はバイト1日目。
召し食っていかなくちゃ。
遊んでいてももったいないので、本日バイト。
今回はホームセンターです。
てっきり品だしと思っていたら、サッカーです。
飛んできたボールを胸で落として、ハットトリック決めて・・・なわけないでしょ!
サッカーとは簡単に言えば、レジの後ろで品を袋に入れるというきわめて地味な仕事。
はじめは園芸売り場、一鉢5000円オーバーの花をやたら神経質に包んで、手渡すという非常に恐ろしい仕事。
ニコニコしている女性から、何を怒っているんだ?という感じの男性まで、
それはさまざま。
結構忙しく、寒いはずの外仕事が汗ばみます。
バイトしているホームセンターは以前から何回も買い物にきているところで、普通ならお客さんの立場が、今回は店員。
入れない裏側をいろいろ見れて、なんか面白いです。
この季節のバイトといえば、大体コンサートのステージつくりをしているのが多いです、鉄骨を一日担いで体を鍛えて健康をもらえてしかもダイエット効果とお金までもらえるというきわめて感謝すべき仕事。
今回は年末までの土日と晦日までの3日間あるために鉄骨はありません。
暖房効きすぎて暑いんだけど店内・・・・・・ (^^;)V 元気!