さて、今日はジュニア選手権です。 ほんらいは全日本ジュニア選手権という名でしたが、このブログにて全日本という言葉をはずしました。
これには明確な理由があります、今回のイベントにはさまざまな問題があったのですが、それを全て書く訳には行かないために、書くことが可能と思われるものについてだけにしたく思います。
唯一ついえることは、来年この”レースに出ることは100%無い”ということだけは明確にしておきたいと思います。
さて結果ですが、残念なことに今回はメダルには手が届きませんでした。
ただ、良かった事は、最近「自分が他の人より才能がある」という様な、おかしなプライドが出来はじめていた、娘のそうった慢心を打ち砕く事ができました。
大人達囲まれての練習から始まり、さまざまなところで、色々な人から「上手ね!」と娘は声をかけられます。
さらに、ここ数年のレースでそれなりの成績を残している事から、無くても良いものを、心の中に成長させつつありました。
このまま行くとおかしなことになる可能性があったわけです。
ウインド自体は面白いらしく、自分からさっさと艤装して海に出る娘ですが、慢心が芽生えていたせいもあり練習という面においての時間が圧倒的に減っているのは私も感じてました。
普段出ているショップのLUクラスは約2時間行われます、以前家族だけの時は10時くらいから練習をはじめ、昼をはさんでLUクラスに出て、そのあとさらに夕方4時くらいまで計5時間はやってました。
それが明らかに減っていたのですね。
親として、私はある程度の意志を尊重し、どうして行くかを見ていたわけです。
自主性を重んじるという事は親の強制をある解除しながら間隔を置いていかなくてはならないものですが、基本的に人間はサボる生き物です。 同時にサボるための理由を心の中で探す生き物でもあります。
そこに慢心が入り込むとさらに自体は悪くなります、大抵はそれに満足し、それ以上自分を高めるという事をしなくなりから。
褒めて育てるという事がその反対の叱るという事を軽く見る事で絶対の失敗に終わるのは。
こうしたことにあります。
家庭の中で、自分の我が儘に対して敗北(叱られる事により)を経験しない子は、他者(友達、学校、社会も含む)に対して慢心で満たされた姿勢で接していく事になるからです。
そして現実の厳しさに触れると、「自分がうまく行かないのは人のせい」という理論になるわけで、
こうした面からも褒めて育てるのは、常に叱る事をセットと考えねばならないのです。
今回は運良く、娘は3つのことで私からかなり痛烈に叱られました。
一つ目は、レース中に他人に道を譲ってしまった事。
これは、ダガーボードが装備されていない娘が、マークを最小に回るためにとったライン取りに絡んでのことですが、娘を含めて早い二人の男の子と団子になってしまったのです。
そのときに、娘がかぶせるようになった際に、例の悪い癖、すなわち、道を譲ることをしてしまったのですね、しなくてもよい風上へ無理に上がってしまったわけです。 さらにレース中に”後ろを振り返って”ぶつかりそうになった子に侘びを入れるという、その場でやらなくても良いおバカなオマケまでつけてくれました。
当たり前ですが、そんなことすれば、がら空きになったインを二人が前に出るのは当然のことです。
勝てるものを、自分で勝てなくしたわけです。
普段の生活において、こうした優しさは悪い事ではありません。 しかし、やらなばならない状況下で無意味なことをすること事態に何の意味もありません。
娘とぶつかった子は別に娘をよけようとしてくれたわけでも、なんでもありません。
自分のラインを取るためだけに集中し、初めからそういった気持ちなど毛頭ないわけで、みんなそうした状況下でやっているわけです。
二つ目はやはりマークでおきました。
やはりライン取りの関係で、マークを回る途中で他の子に衝突され、ボードから落ちてしまったわけです。
小さなダガー無しのボードに対して、他の子が使用している(ほぼ全員、某ショップの子達だけはこの板で出ていました)ダガー付きの200Lの板は信じられない位に安定性があります。
70Cmちかい長さのダガーはボードの海面のうねりを消し去りし、バランスを供給してくれます、しかも強烈な上り角度を生み出します。
さらにその容量は娘の小さいボードをひっくり返すには十分過ぎるほどの威力があります。
やはりライン取りの関係で、かなり上側からマークを最小の半径で回ろうとした娘に、マークを大回りぎみに突っ込んできた子が衝突したわけです。
ジャイブの姿勢でランニングの位置くらいまでに回った時でした。
3つ目は、午後に風向きが変わることで、さらに上がり気味になってしまったコースにおいて、セイルを開いてしまっていた事です。
マストを体に引き寄せ、セイルを閉じ気味にしないとうまく上がる事はできません。
ところがなぜか、変な開き方をしてしまっていたのですね。
レース後に私から怒鳴られた娘は、しばらく泣いていました。
私自身は非常に不理屈であるのを分っていながら娘をしかりつけました、それは初めにも書いたように、
最近出来始めていた、おかしな慢心を打ち砕くチャンスでもあったからです。
努力の継続の後に結果があるわけで、心の中に生まれた慢心は現実的なものとして認識した状態で叱らない限り、ただ親がそれだけを指摘して叱るとおかしな方向へ子供の心は流れます。
特に完全に反抗期に入っている娘には、自分の怠慢と結果をはっきりと認識できる条件下でしか、親の叱るという行為は素直にはいっては行きません。
こうした面では良い経験になったと私は思います。
さて別の面の話をしたいと思います。
実は、上記の三つ、どれも仕方の無い事でもあり、本来娘がどうこうできるものではないのです。
今回のレースは、私も知らなかった(というか、主催している某ショップの親たちや関係者以外は全員しらなかった)のですが、ダガー付きのボードを使用することを前提にしたレースであったという事なのです。
一番初めのレースの始まる前に、設定されたマークの打ち方がどうもおかしい、すなわち、ダガーの無いボードでどんなに頑張っても上がる事などできるはずのない(大人でもそうとう難しい)角度の位置にマークがあったわけです。 不安を覚えた私が、実行スタッフの一人に「マークの位置がおかしいのでは?」と聞くと、このまま良いというので、「おかしくは無いか?」とすこしもめてしまい、その際のやり取りの中で「RS-X」という言葉がポロリと出たのを私は聞き逃しませんでした。
その言葉を聞いたとたん”はっ!”とした私は。同時にしまったという気持ちで心が満たされていくのを感じました。
RS-Xは次期オリンピックから正式採用される事になったボードで、大きなセンターダガーを装備し、微風で上る事が可能なように設計されたボードなのです。 今回はすべてそれを仮想的に想定しており、知っていたものは全てそれに応じた道具で来ていたというわけです。
ですから、普通のフイギャー8やダウンスラローム的な物と思っていた者にとっては、全くお門違いのレースだったわけです。
今回のレースにあたって、いくつかのショップの方から、チョコチョコ話を聞いていましたが、その中でも、なんでもよいから、なんとしても人を集めたがっているという話はよく聞いてはいました。
いうなれば、全日本というお題目をつけたために、人が集まらなくては話にならないわけです。
しかしながらその実は、こうした200L越えの大きなダガーボードを使用した、言い換えるなら、RS-Xの予備軍?のためのレースだったわけで、しかしそういったことを案内に記載してしまえば、某主催ショップを除いて、普通はそういった道具を持っていませんし、そうした練習等していませんから、子供が集まるわけがありません。
私がもらった案内のパンフレットには、そういった説明も、案内も一切ありませんでした。
もっともそれが分っていれば、初めから参加はしませんでしたが・・・・・。
主催の想定がそうですから、中学クラスは、完全なコースレース形式でした。
ゆえに小学高学年のクラスにもそういった要素が今回取り入れられていたわけです。
目的が分ってしまった以上、娘は全くお門違いの参加になるわけで(道具がまったく違う)、いうなればアップウインドレースに、ダウンウインドレースの道具で参加しているのと同じですから。
ボロリと飛び出した言葉の直後、私は第一レースが始まる前に棄権をすでに決めていましたが、意志がある娘の気持ちを尊重し、あえて戦わせる道を選択しました。
そのために、上にも書きましたように、道具の関係でマークを回る際に、できるだけ上に上がり、出来るだけ風下に行かないようにマークを回り込むしかなかった娘は、上がる事が有利なボードとでは明らかにラインがクロスしていたわけで、どんな事が起きるかは初めから私も分っていた訳です。
全くお門違いのレース、しかし娘の慢心を打ち砕く事が出来たレース。
良かった面もあり、良くなかった面もあり・・・・・・というべきでしょうか・・・・