なんとなく、これまでの人生を振り返る事が最近有ってね・・・・
といっても大雑把ですけど、一つの答えとしての今がある。
年収で成功者かどうか?という見方もあるけど、 いくら収入が多くても、自分の時間が無ければ駄目だし、
会社経営者みたいに、従業員や経営、資金繰りで苦しむことがあっても駄目
実業家みたいに、何時潰れるか解らない、木の葉みたいな生き様はほぼ99%が、10年持たずして一文無しになる。
それどころか莫大な借金を抱えてひっそりと生きていく。
一番理想的なのは、 普通であって、 その普通のなかでも、 毎日が笑顔で過ごして行けるのならそれがベストだ。
50代に突入すると、一つの人生としての集大成の時間の到来で、それまで生きてきた積み重ねに対する答えをもらう時間でもある。
”若いときの苦労はかってでもしろ!” という言葉があるが、それが嫌という程身に沁みて解る。
あのとき・・・・ 自分がどうしたか? どう判断したか? どう行動したか?
そしてそれに伴う 我慢や忍耐、苦しさを乗り越えるための地道な努力と積み重ね、 そしてどれだけ学習したか? が宝になる。
普通に生きていると、40代までで一通りの経験をする。
そしてそれが自分という人間の基礎に成り、50代になると、それが知恵の宝庫と成り、それは自分の為にでは無く人のために使う。
普通に生きているという事は、 生きるに十分満たされていると言うことで、そうであるなら、初めて自分以外の他人のことを考えられるようになるわけだ。
自分の基本的ポリシーは ”自分良ければ全て良し”であって、 何を置いてもまずはその為に行動する。
自分良ければ全て良しは、同時に自分以外の人に某かの力添えをすることが出来るかどうかの基準点で、
自分がいっぱいいっぱい、余力無し、苦しんでさえ居るのに、 ”人の事を考えて・・・”なんてやってしまえば、一人の人としての力など至極小さいのだから、
簡単に潰れてしまう。
自分が満たされて、安定した上で、初めて溢れてくる力を他人のために使えるわけだ。
出しゃばらず、目立たず、偉ぶらず、サポートを求められたら、自分の出来る範囲で、経験と知識を無償で提供する。
決して見返りなんか求めてはいけない。
力を求めて来る相手は、自分良ければ全てよしの状態では無く、良くないからで、 であるなら、満たされている側が力添えすれば良い。
自分の良しが相手に注がれ、 イーブンになれば Win!Win!
こんな最高なことは無い。
欲は、人であるなら限りなくある物で、しかしながら、それに到達点など無く、当たり前だけど強欲であるほど富を集めることにはなるが、
集積された富は、同じく強欲な人間達を呼び寄せる。
年収何十億だろうが、それは富でしか無く、健康的な肉体では無く、心で繋がる友人や家族でも無く、好きなことが出来る要件でも無く、
単なる紙に記された数値の集積物で有り、当たり前だけどそれは臭いを放ち、それに引き寄せられた強欲な物達に囲まれることになる。
心のつながりは弱い、悪臭に耐えられず、善良な者達は大抵去って行く。
知らない間に、持っている富にたいする”ふさわしさ?”を廻りが求める様に成り、それは豪邸で有り、高級車で有り、そしてそれがさらに強烈な臭いを放つ。
さらに集まった強欲な物達は、次に施しを求めるようになる。
ふさわしさを振りかざして、その実は血を吸いに来る寄生虫達を初めとして、名声をつまんで蝕する輩等々、気づけば富は消え失せ、
それと供に廻りが散っていく。
そんな時に、人としての心のつながりが無くなった人間が寄り添ってくれる事は無く。
後は惨めな人生が待っている。
贅沢等、けっしていらない。 自分の時間と生きるに必要なだけの糧があれば十分。
笑顔と健康、 それこそが一つの答えとして輝ける物ではないだろうか・・・・
翔