Cogito

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トマト

2014-07-07 23:41:37 | 

トマトってかわいい名前だね、上から読んでもトマト、下から読んでもトマト・・なんて子どもが小さいころ、歌っていた。

 

トマト、今では世界中で食べられているトマト。たいていの言葉がトマトという音に近い。トマトをいっぱい食べる国、イタリア語はポモドーロとちょっと変わっているが。

 

トマトの原産地はアンデス高原、ということはかなり知られている。原種のトマトを見たこともある。だからトマトといえば、アンデス、と反射的に思い浮かべる。ところがトマトの語源は、メキシコ先住民アステカの「トマトゥル」。「トマトゥル」とは「ふくらむ果実」という意味だそうだ。ジャガイモもそうだが、原種のなかには食用に適さないものがある。実際には、適さないものの方が多いのだが、食用に適した種を見つけ、改良して今私達が食べている野菜にしてくれた、人間のご先祖さまたちの努力には感謝している。

 

メキシコで発見されているトマトの野生種は、アンデスと同じく実は小さいが、熟すと赤くなるタイプのものだけ。遺伝子的にもメキシコの野生種の方が、現在のトマトに近い。ということから、トマトの生まれ故郷はアンデス、栽培種に改良した育ての親はメキシコ、というのが定説になっている。アンデスからメキシコにどうして運ばれたのかは、いまだに謎だそうだ。

 

トマトもジャガイモもピーマンも唐辛子も、もちろんナスもナス科の植物。子どもの頃、ジャガイモの茎にトマトの芽を継いで、地下ではジャガイモ、地上ではトマトがなる、といった実験をした人は多いだろう。ナスの原産地はインドだが、ナスの仲間の多くはアンデスが原産地である。どうして同じ仲間が遠く離れたのかもわかっていないらしい。大陸移動説をあげる人もいるようだ。そういえばキュウリも北インドが原産地だった。世界を制覇した野菜と言ったら、ナス科の仲間がいちばんだろう。

 

以前、ジャガイモの歴史でも触れたとは思うが、トマトやジャガイモがヨーロッパに持ち込まれたのは16世紀、アステカを征服したコルテスやコンキスタドールたちによってだった。新大陸から持ち込まれたジャガイモもトマトも、今思えば、バカなことと笑えるが、聖書に載っていない「悪魔の食べ物」として、迫害された。だからトマトもながいこと観賞用にされてきた。たしかに緑の果実が膨らみ、赤くなる様は観賞に値する。

 

トマトが記されたヨーロッパの古い文献は、1544年、イタリアのマッティオーリの「博物誌」で、彼は「マンドラゴラの異種がイタリアにもたらされた・・はじめ緑色で、熟すると黄金色になる」と書いた。それがイタリア語のトマト、ポモドーロ(黄金のリンゴ)の語源になった。マンドラゴラとは、旧約聖書に登場するナス科の植物で、毒草である。この毒草は媚薬効果があるともいわれていた。

 

毒のある実を食べた勇気ある人の初めて物語、エピソードはたくさん残っている。もちろん何でもなかった。でも毒と信じる人は多く、当時、この毒を消すために、最低2時間は煮込むといい、と言った噂もあった。で、トマトをソースに使い始めたようだ。18世紀になると、シェフたちから、何ににもあう、こんなおいしい調味料はないと絶賛されるようになる。彩りも華やかだ。トマトには酸と甘みに加えてグルタミン酸が多く含まれる。鰹節より多いそうだ。

 

そうそう、トマトは野菜に入る。アメリカだったかな、野菜か果物かで裁判まで行われた。それは税金のためだったようだが。結果、トマトはデザートにならないという理由で野菜になったのだそうである。

 

日本にもたらされたのはオランダからではないかといわれている。唐ナス、赤ナスとか言われていた。

戦後、何もない時代、畑で赤くなったトマトをもいで、丸かじりし、おいしかった記憶がある。当時のトマトは大きくて、扁平で、襞がよっていた。ミニトマトが現れたのは、とずっと後のことだ。

 

私もトマトは生食よりソースとして使うことの方が多い。水煮の缶詰や瓶詰、トマトジュースは常備してある。よく使う。

いま、ミニトマトに塩とオリーブオイルをかけて、低温のオーブンでじっくり焼いて付け合わせにしている。

 

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ルーペ

2014-07-05 20:03:29 | アート・文化

ルーペが届いた。goose-neck ropeという読書用のスタンド式のルーペである。大きさはIpadminiくらい。倍率は1.8倍、薄いレンズ。レンズの下に本を置いて読むらしい。確かに字は拡大される。丸い虫メガネと違い広範囲がおおきくなるので、楽のようだ。で、いろいろやってみた。なかなか好みの位置におけない。だから均一に表示するのは難しい。上からの光がレンズに入ってしまって邪魔。試行錯誤しながら、たったの1ページ読んだだけで、頭が痛くなってしまった。困ったな、いずれはなれるだろうが、「マリウス」を読むだけなのだが、その間、このレンズと付き合うのは気が重い。「マリウス」はやっぱりご縁がないのかな、とまで思った。

 

そんなとき、以前CMで石坂浩二がかけていた眼鏡の上からかけるルーペを思い出した。なんて言ったかな?商品名がわからない。そこで石坂浩二のルーペで検索するとすぐわかった。ハズキルーペという名前だった。そこで、今度はこのハズキルーペを注文した。

 

今日、それが届いた。早速眼鏡の上からかけ、「マリウス」を読んでみた。手で本を近づけたり、離したりして、焦点を合わせたが、これはいい。使いやすいし、読みやすい。あっという間に16ぺージ読んだ。うふふ、そんなに飛ばさなくてもいい、ポレポレ、と言いながらやめた。

 

マリウスの出だしは、ローマから離れた田舎の農園、彼が父なき後、家督を継ぎ、先祖のために供養しているところから始まる。地方の伝統的な神々に祈りをささげ、先祖を敬う日常的な儀式、要するに、マリウスの若き日の宗教的影響を紹介している。当時のローマの神々はどういうものであったかは知らない。時代を推し量れば、マククス・アウレリウスは五賢帝の最後、2ADの人だ。まだキリスト教は公認されていない。ペイター自身、イギリス人なのだから、資料は調べたとはいえ、そこら辺は斜め読みしてもいいだろう、と研究者でない私は、いわゆる小説として読むことにした。作者が聞いたら、目を剥くだろうが。ただやたらとプラトンが使われている。プラトンを読み漁ったのは20代のことだ。ギリシャ哲学は、とうに記憶のかなただ。思わず苦笑してしまった。さりとて、困ることもないが。ただ、本多さんの訳はいただけない。

それにしてもこの本は、訳注のまったくない。紙面の節約のためか、事情はわからないが。昭和25年当時、文庫本は星ひとつが40円、新書は80円だった、と思う。この本は世界文学選書31として出版され、定価150円。当時としては妥当な本である。文庫本だって、ものによりけりだが、訳注は付いていたような気がする。

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マリウス

2014-07-01 15:11:12 | アート・文化

Marius

 

「マリウス」が届いた。本多顕彰訳、三笠書房 昭和25年 (1950年)出版。

64年前の本だ。原書を買ったのが1958年だから、もうすでに訳されていたことになる。覚悟していたが、紙は変色し、傷みもシミも多い。水漏れもある。字も小さいし、行間もせまい。度の強い眼鏡をかけても、活字が重なっているところ、画数の多い字は前後を判読するしかないが、しかし読めないことはない。読書用ルーペを注文した。

 

まず「あとがき」を読んだ。本多さんの文章を少し拾って写す。

マリウスの簡単な解説。ウォルター・ホレイショ・ペイター(1839~94)が1881~84に書いた作品。これは歴史小説であるが、同時に思想小説、哲学小説でもある。主人公マリウスは、哲学者皇帝として知られる、アウレリウスの時代にエトルリアに生まれ、ピサに学び、のちアウレリウスの秘書官にとり立てられるが、その間、異教主義から出発し、皇帝のストア哲学に影響され、それから初期キリスト教にふれ、その感化から、友人コリネリウスのためにわが身を犠牲にして疫病に仆れる。

マリウスの内面生活の発展もしくは成長は、そのままペイター自身のそれであったといわれる。このように主人公の思想の成長を描いた作品は、世界の文学の中でもきわめて稀である。・・・・・ユニークな作品であるが、英文学中最も難解な作品である。

 

なるほどね、なぜ読みたかったか、少しは見えてきた。しかし、本多さんの解説を読むかぎり、この本を購入した当時、大学2年生だった私には、確かに哲学書を読みあさっていたとはいえ、恐らく読みこなせなかったろう。この本を思い出したことは、あるいは、これは出会いかもしれない。作者が4年かけて、じっくりと書きあげた作品だそうだから、私も集中して、しかし、ゆっくりと、心して読むとしよう。

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