野党の学習不足が招いた安倍晋三と旧統一教会との関係調査・検証要請への岸田文雄の「本人死亡、十分な把握限界」等の罷り通り

2023-02-06 08:39:00 | 政治
 岸田文雄は野党が求めた安倍晋三と統一教会との関係についての調査・検証の要請を、記者会見や国会、今通常国会での代表質問答弁等で、「御本人の心の問題」、「御本人が亡くなられた今、十分な把握は限界がある」等と発言、その必要性を認めない立場を取り、野党は論破できずにその立場を結果的に認めさせることになった。岸田文雄の言い分に正当性があり、論破不可能は当然のことなのか、野党が何も学習できない結果の情けない有り様なのか、検討してみることにした。

 この検討の妥当性と2023年1月30日からの衆議院予算委員会で野党が再び検証・調査を求める追及を行うと思われるが、追及するとしたら、どう行うかは予算委員会前までの検証・調査の必要性なしとする岸田発言から矛盾点を如何に見い出すか、自らの学習一つにかかっているはずだから、どう学習したかの妥当性を確かめてみて欲しい。

 問題としている最初の岸田発言は2022年8月31日「記者会」(首相官邸)でのマスメディアとの質疑。

 石松朝日新聞記者「朝日新聞の石松です。よろしくお願いします。
 
 旧統一教会と自民党との関係についてお尋ねします。総理は、先程のぶら下がりで、旧統一教会との関係を絶つことを党の基本方針にするという説明がありましたが、旧統一教会との関係の中心には、常に安倍(元)総理の存在があったりとか、選挙の協力に関しては、安倍(元)総理が中核になっていた部分があると思いますが、今後、旧統一教会との関係を絶つ上で、安倍元首相との関係を検証するなり、見直すなどの考えは今のところございますでしょうか。よろしくお願いします」

 岸田文雄「先ほども申し上げましたが、今日までの(旧統一教会と自民党との)関係については、それぞれ既に点検するようにという指示を出しているわけですが、その点検の結果について、党としてしっかり取りまとめることが大事だということを申し上げています。その中で、党としてそれをどのように公表していき、国民の皆さんに説明をしていくのか、これが重要なポイントになってくると思います。

 御指摘の点については、安倍(元)総理がどのような関係を持っておられたのか、このことについては、御本人が亡くなられた今、十分に把握するということについては、限界があるのではないかと思っています」

 朝日新聞石松記者は安倍晋三が生存中は旧統一教会と自民党との関係の中心に位置していて、自民党議員との選挙協力の重要な仲介者の立場にいた、いわば安倍晋三の仲介なくして旧統一教会の自民党議員に対する選挙協力は考えられなかった、であるから、安倍晋三と旧統一教会の間に出来上がっていた関係を検証し、検証によって洗い出すことができる両者のその利害の構図を発端とした旧統一教会と自民党議員との各関係の見直しに持っていかなければ、引きずっている利害の根絶は難しいのではないかといった趣旨の質問をぶっつけた。

 岸田文雄は安倍晋三が旧統一教会とどのような利害に基づいた関係を持っていたのか、本人があの世に行ってしまった現在、いわば被疑者死亡で取調べ(=検証)は不完全にならざるをえない、「限界がある」と答弁、いわば"本人死亡限界説"を持ち出して、検証の必要性を認めない立場を示した。

 朝日新聞記者も岸田文雄も安倍晋三と旧統一教会との間柄を「関係」という言葉で表現しているが、反共・保守の政治に深く関わっている宗教団体と日本の代表的な保守政治家の結びつきである。利益を共に共有し、損害を共に排除する政治政策的な利害関係で結びついていなければ、1960年代初めの岸信介の時代から70年も経たこんにちに至るまでの延々とした両者関係の系譜は成り立つことはなかったろう。いわば岸信介時代から安倍晋三に至るまで、両者を中心的系譜とした自民党は旧統一教会とは政治政策的な利害を共にする関係を築いてきた。利害を共にしてこそ、密度の濃い長期の関係性を見せることになる。密度が希薄なら、双方共に相手方に対する利用価値の減少を意味することになって、関係は立ち枯れていたはずだが、実際には逆の現象を来していた事実は密度の濃い利用価値を共有する利害関係を延々と、ときには細まることはあったとしても、築いてきたことの証明以外の何ものでもない。

 また、政治政策的な利害関係で結びつく関係とは双方共に相手に対する利用価値を有しているという関係にほかならない。いわば片側通行の利用価値、一方通行の利用価値であったなら、一時的にはあっても、継続性を持たせた利害関係は成り立たない。双方向の利用価値あってこそ、相互的な利害関係が成り立ち、長期に維持されていく。

 安倍晋三が自民党と旧統一教会の政治政策的な利害関係維持の主導権を握るようになったのは岸信介との繋がりでその孫が小泉政権下で官房長官という実力者にのし上がってからか、第一次政権で首相の座に就き、政府を自民党トップとして仕切ることになって以来かは時期そのものは不明だが、旧統一教会と自民党を結びつける首魁と言ってもいい主導者の地位にあったことは、例え本人があの世に行ってしまったとしても、関係者の証言やマスメディアの調査等に基づいた数々の報道事実を突き合わせて、重なり合う部分を拾い出し、前後の整合性を保持しさえすれば、事実の骨格程度は描くことができる。だが、こういったことをする意図は岸田文雄からは一切窺うことはできない。亡くなったとはいえ、岸田政権の生みの親である安倍晋三の権威を失墜させる訳にはいかないからだろう。失墜させたなら、岸田政権自体の権威を傷つけることになりかねないだけではなく、日本の憲政史上最長政権という名誉も、7年8ヶ月も総理大臣に据え続けていた自民党の良識に対する国民の信用も剥げ落としかねない。岸田文雄としては安倍晋三の権威を守ることによって自身の権威を守らざるを得ない永遠の結託関係にある。安倍晋三と旧統一教会との関係の検証など、以っての外ということなのだろう。

 最初に断っておくが、「『限界』という言葉は一定程度範囲外の困難性を意味するが、逆に一定程度範囲内の可能性を意味する言葉となる。"絶対不可"という意味は持たない。前者の困難性を乗り越えてでも、調査・検証の必要性を見い出せるかどうかが"限界"への挑戦を可能とし得る。

 次は岸田文雄の国会答弁から、同様の発言を見てみることにする。最初は2022年9月8日の衆議院議院運営委員会。

 泉健太「さて、統一教会問題や霊感商法被害、そして統一教会における多額の献金による家庭崩壊、生活破綻、さらには日本からの韓国方面への多額の送金、様々な問題が上がっています。そして、自民党との密接な関係も言われている。多数の議員が関係を持ち、安倍元総理は、元総理秘書官の井上義行候補を、今回、教団の組織的支援で当選させたわけです。

 この自民党と統一教会との関係を考えた場合に、総理、安倍元総理が最もキーパーソンだったんじゃないですか。お答えください」

 岸田文雄「まず冒頭一言申し上げさせていただきますが、本日、内閣総理大臣として答弁に立たせていただいております。自民党のありようについて国会の場において自民党総裁として答えることは控えるべきものであると思いますが、ただ、昨今の様々な諸般の事情を考えますときに、これはあえて国会の場でお答えをさせていただくということを御理解いただきたいと思います。

 そして、安倍元総理の統一教会との関係については、それぞれ、御本人の当時の様々な情勢における判断に基づくものであります。ですから、今の時点で、本人が亡くなられたこの時点において、その実態を十分に把握することは限界があると思っております」

 泉健太「改めてですけれども、今の総理のようなお話が私はこの世の中の反発になっていると思いますよ。どう見たって、岸家、安倍家三代にわたってやはり統一教会との関係を築いてきたし、それを多くの議員たちに広げてきたというのは、もう多くの国民は分かっているんじゃないでしょうか。

 そういう中で、今、総理は、調査、点検とおっしゃった。安倍元総理御本人に聞くことはもうできない。でも、安倍元総理がどういうふうなスケジュールで動いていたか、これは事務所は分かっておられるはずでしょう、秘書だって分かっておられるはずでしょう。それであれば、なぜ、今回、党の調査では安倍事務所を外しておられるんですか。これはやはりおかしいですよ。

 国葬にふさわしいかどうかということの中に、今多くの国民が、統一教会との関係をやはり頭の中に入れている。そういうときに、まさにその御本人がどうだったかというのは、本人に聞くばかりじゃないですよね、調べることが可能じゃないですか。私は、是非、自民党は、岸田総裁はそれを約束するべきだと思います」

 岸田文雄「先ず一点目の御指摘については、先程も申し上げましたが、具体的な行動の判断、これは当時の本人の判断でありますので、本人がお亡くなりになった今、確認するには限界があるという認識に立っております」

 記者会見質疑の発言では"本人死亡限界説"のみであったが、ここでは安倍晋三と統一教会との関係は「御本人の当時の様々な情勢における判断」、あるいは「当時の本人の判断」に閉じ込めた上で"本人死亡限界説"を持ち出している。

 「具体的な行動の判断」は内心に思い描く性質上、他人は外からは窺い知ることはできないが、行動への思い描きを内心にのみとどめていたなら、政治家として成り立たない。「行動の判断」を実際的な行動の意思として本人の判断のみにとどめずに周囲に洩らす場合もあるし、行動への協力を求めるために気の置けない関係者には話しておく場合もある。行動の判断で終わらせずに具体的な行動へと進めた場合は実際の行動から内心の判断との関連を推察できることもある。「本人の判断」だからと言って、確認しようがないというわけではない。行動の具体的な形から初期的な行動の判断は本人の内心をかいくぐって判断できることもある。このことは本人が死亡、生存に関わらず、可能なことである。こういった点が"本人死亡限界説"を無効とする条件となりうる。

 にも関わらず岸田文雄は実際の行動から「本人の判断」を検証する労も取らずに死人に口なしの"本人死亡限界説"で安倍晋三と統一教会との関係実態を葬り去ろうとするのはこのことの矛盾自体に整合性を与える唯一の理由はやはり自身の権威を守るために安倍晋三の権威を失墜させるわけにはいかないことと国民の自民党に対する風当たりを躱(かわ)すためにもその権威を何が何でも守らざるを得ないと見るほかはない。

 朝日新聞記者が総理大臣記者会見で岸田文雄に安倍晋三と旧統一教会の関係を検証すべきではないのかと問い質したのが2022年8月31日。この様子を立憲民主党代表の泉健太が知らなかったでは済まない。知らなかったとしたら、不注意に過ぎるし、不勉強が過ぎる。泉健太は8日後の2022年9月8日の衆議院議院運営委員会で同じような質問をし、同じような答弁を返されたに過ぎない何一つ変わらない収穫を手にしたのみであった。どのような進展も手に入れることはできなかった。総理大臣記者会見の岸田答弁から何一つ学習していなかったことを意味することになる。

 では、ここで自民党と旧統一教会の協力関係の系譜を成す発端となった岸信介時代のいくつかの事実を「Wikipedia」の「国際勝共連合」の項目から眺めて、予備知識として貰う。

 1968年
1月13日、韓国で「国際勝共連合」を設立。
4月1日、日本で「国際勝共連合」を設立。日本統一協会の初代会長の久保木修己が会長に就任。笹川良一が名誉会長に就任。

 「Wikipedia」の「岸信介」の項目には、〈岸は椎名悦三郎・瀬島龍三・笹川良一・児玉誉士夫ら満州人脈を形成し〉ていたとあり、〈岸は文(鮮明)、笹川良一、児玉誉士夫らと協力して、日本でも国際勝共連合を設立した。〉とある。総理大臣退陣の1960年7月19日から8年後ではあるが、岸信介が国際勝共連合と関わりを持ったのは強固な反共主義者である関係から当然の成り行きと見ることができるが、旧統一教会という宗教団体を創設した文鮮明本人が反共主義者であったからこそ、韓国で反共を掲げる関連団体の国際勝共連合を立ち上げたはずで、日本で「国際勝共連合」を立ち上げる前の1964年に渋谷区南平台町の岸邸の隣に教団本部が移転し、教団との関係が始まった際、教祖文鮮明によって代表される教団の思想を知り得たはずで、それ以降からの岸信介と文鮮明との思想的な共鳴を通した関係と見なければならない。

 思想的な共鳴は相互的な利用価値そのものを生み出す、あるいは提供し合う機会を形作っていき、政治政策的な利害関係を伴走者とすることになる。両者のこのような関係性の極めつけがアメリカで脱税容疑で起訴され、1984年4月に懲役1年6カ月の実刑判決を受けて連邦刑務所に収監されていた文鮮明の釈放を願う1984年11月26日付けの書簡を岸信介が当時の米大統領ドナルド・レーガンに出すことになった事実であろう。2022年7月20日付ネット記事ディリー新潮が伝えている。

 《安倍家と統一教会との“深い関係”を示す機密文書を発見 米大統領に「文鮮明の釈放」を嘆願していた岸信介》

 この書簡は米カリフォルニア州のロナルド・レーガン大統領図書館のファイルに収められていると記事は伝えている。

 〈文尊師は、現在、不当にも拘禁されています。貴殿のご協力を得て、私は是が非でも、できる限り早く、彼が不当な拘禁から解放されるよう、お願いしたいと思います〉

 〈文尊師は、誠実な男であり、自由の理念の促進と共産主義の誤りを正すことに生涯をかけて取り組んでいると私は理解しております〉

 〈彼の存在は、現在、そして将来にわたって、希少かつ貴重なものであり、自由と民主主義の維持にとって不可欠なものであります〉――

 記事は、〈結局、釈放は難しいと判断され、文鮮明が出所できたのは翌85年の夏だった。〉となっている。

 「Wikipedia」の「文鮮明」の項目には、アメリカ合衆国で懲役1年6ヶ月の実刑判決を受けたため出入国管理及び難民認定法第5条1項4号の規定により「日本上陸拒否者」となった文鮮明だが、岸信介没後約5年後近くの1992年3月26日に上陸特別許可によって日本に入国している。同項目には、〈この許可については法務省に対し金丸信(当時自民党副総裁)から政治的圧力があったといわれている。〉とあるが、事実を証明する材料がないにしても、5日後の1992年3月31日に自民党副総裁の身分でありながら、文鮮明と〈2時間半に渡り会談、うち1時間は2人だけの密室会見だった。〉と伝えている事実と、岸信介がドナルド・レーガンに文鮮明釈放嘆願の書簡を送付した事実からすると、状況証拠としては圧力説の疑いが濃厚となる。

 この1992年3月31日の文鮮明・金丸信会談の2日前の1992年3月29日に引退後4年半近くの中曽根康弘が文鮮明と会談との記述を見受けることができる。岸信介、金丸信、中曽根康弘といった自民党の大物が、さらに政界黒幕として隠然たる勢力を誇り、自民党に多大な影響力を持っていた右翼笹川良一や児玉誉士夫らが文鮮明と親しい関係にあった事実は両者間の政治政策的な利害関係の深さを物語ることになり、その深さに応じて相互間の利用価値は相当なものがあったと窺うことができる。利用価値なくしてどのような利害関係も生じない。

 前記「国際勝共連合」の項目には、〈日本では日米安全保障条約の自動延長に社会党や共産党が反対し、新左翼による暴力や機動隊などとの衝突が繰り返されており、学生運動が激しさを増した「70年安保闘争」の国内状況の中で、(保守派や右翼等が)「反共」という目的が一致したことで、家庭連合(宗教法人世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合)、いわゆる「統一協会」)の教義のカルト性を棚上げにし、反共という一致点で新左翼の暴力対応や選挙ボランティア支援を受け入れていた。〉云々と政治政策的な利害関係を挙げ、利用価値の概要を伝えている。

 こういった事実関係がこんにちにまで続いてきた旧統一教会と安倍晋三を中心とした自民党との政治政策的な利害関係の系譜の大本を成していた。自民党も旧統一教会も、双方共に相手方から利用価値としての効果を見い出すことができていた。だから、かくも長きに亘って関係を続けることができた。

 旧統一教会系開催の「世界文化体育大典」の「希望の日 晩餐会」ページに、〈希望の日晩餐会が、1974年(昭和49年)5月7日 東京・帝国ホテルで行われた。文鮮明の講演会「希望の日晩餐会」では、岸信介元首相が名誉実行委員長となっており、福田赳夫大蔵大臣が祝辞を述べ、「アジアに偉大な指導者現るその名を文鮮明と言う」と語った。〉と出ている。

 そこにある動画には福田赳夫の祝辞の様子が映し出されているが、祝辞後の場面は水滴様の模様を入れて隠しているものの、ネットに流布している同じ動画では福田赳夫と文鮮明がお互いの背中に両手を回し合う抱擁でそれぞれの背中を叩き合う親密な敬意を示す様子が映し出さている。どのような祝辞を述べたのか、その内容は「Wikipedia」の「世界平和統一家庭連合」の項目に紹介されている。

 「東洋に偉大な指導者現る。その名は文鮮明、ということを聞いて久しいのですが、今日、親しく文先生の教えを聞くことができて、とてもいい晩だったなあという感じです。文先生に『お前たちは神の子である』といわれて、少し偉くなったような気分ですが、それは、そういわれるように国のために一生懸命に働け、ということだと思います」( 福田赳夫〜1974年5月、帝国ホテルにて)

 出典は、〈福田信之『文鮮明師と金日成主席―開かれた南北統一の道』世界日報社 p70~81〉と紹介されている。世界日報社は旧統一教会系のマスメディアで、なおこの希望の日晩餐会には、〈来賓として安倍晋太郎、中川一郎、倉石忠雄らの自民党議員が出席。〉と出ていて、安倍晋三の父親安倍晋太郎が来賓席にかしこまっていたことを窺うことができる。

 さらに、〈1976年12月17日、帝国ホテルで教団系のイベント「希望の日実行委員会」が開催され、名誉委員長には岸信介、実行委員長には三菱電機元会長の高杉晋一や日本生産性本部会長の郷司浩平らが名を連ねた。会合には船田中、増田甲子七、石原慎太郎、毛利松平、中川一郎らの自民党議員が出席し、その他にも数十人の議員が祝電を送った。石原慎太郎は来賓代表として「敬愛する久保木先生…私は同志として選挙運動を助けてもらいましたが、こんなに立派な青年がいまの日本にいるのかと思った」と久保木修己を絶賛するスピーチを行った。〉との記述も見かけることができるが、このイベントでも岸信介が名誉委員長を務めているから、文鮮明との付き合いは政治政策的に相当に親密な利害関係にあったことの裏付けとなるし、相当な利用価値を受け、文鮮明側にも相当な利用価値を与えもしていたはずである。でなければ、こういった関係は生じない。そして石原慎太郎も選挙運動でそういった利用価値のお裾分けを受けていた。尤も本人そのものは芥川賞受賞作家としての知名度はあったが、映画俳優の弟石原裕次郎の当時の絶大なる人気に大衆的な知名度の点で助けられ、稼いだ票数から比較したら旧統一教会信者の電話作戦とか、ポスター貼りや直接的な投票で稼ぐ票数はかなり見劣りすることになるだろうが、無報酬で労を惜しまずに忠実に働く点で一定程度は重宝する利用価値を受けていたことになる。

 旧統一教会と自民党との政治政策的な利害関係の系譜の中で特筆できる最適な出来事の一例として安倍晋三の銃撃死によって世間に広く知られることになった旧統一教会系団体の大会に送った安倍晋三のビデオメッセージを挙げることができる。
 《「神統一韓国のためのTHINK TANK 2022希望前進大会」での安倍晋三の基調講演》(You Tube)

 安倍晋三「日本国前内閣総理大臣の安倍晋三です。UPF(天宙平和連合)の主催のもと、より良い世界実現のための対話と諸問題の平和的解決のためにおよそ150カ国の国家首脳、国会議員、宗教指導者が集う希望前進大会で世界平和を共にけん引してきた盟友のトランプ大統領とともに演説の機会をいただいたとことを光栄に思います。

 特にこの度出帆したThinktank2022の果たす役割は大きなものであると期待をしております。今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子(ハン・ハクチヤ)総裁を始め、皆様の経緯を表します。

 さて、いまだ終息の見えないコロナ禍のなかではありますが、特別な歴史的意味を持つこととなった東京オリンピック・パラリンピック大会を多くの感動とともに無事閉幕することができました。ご支援をいただいた世界中の人々に感謝したいと思います。史上初の1年延期、選手村以外外出禁止、無観客等、数々の困難を超え、開催できたアスリートの姿は世界中の人々に勇気と感動を与え、未来への灯(あかり)をともすことできたと思います。そしてイデオロギー、宗教、民族、国家、人種の違いを超えて、感動を共有できたことは世界中の人々が人間としての絆を再認識する契機となったと信じます。
 
 コロナ禍に覆われる世界で不安が人々の心を覆いつつあります。全体国家と民主主義国家の優位性が比較される異常事態となっております。人間としての絆は強制されて作られるべきではありません。感動と共感は自発的なものであります。人と人との絆は自由と民主主義の原則によって支えなければならないと信じます。

 一部の国が全体主義・覇権主義国家が力による現状変更を行おうとする策動を阻止しなければなりません。私は自由で開かれたインド太平洋の実現を継続的に訴え続けました。そして今や米国の戦略となり、欧州を含めた世界の戦略となりました。自由で開かれたインド太平洋戦略にとって台湾環境の平和と安定の維持は必須条件です。日本、米国、台湾、韓国など自由と民主主義を共有する国々の更なる結束が求められています。UPFの平和ビジョンにおいて家庭の価値を強調する点を高く評価いたします。世界人権宣言にあるように家庭は社会の自然かつ基礎的集団としての普遍的価値を持っています。偏った価値観を社会革命運動として展開する動きに警戒しましょう。

 いつの時代も理想に向かう情熱が歴史を動かしてきました。理想の前には常に壁があります。よって戦いがあるのです。情熱を持って戦う人が歴史を動かしてきました。自由都民主義を共有する国々の団結、台湾海峡の平和と安定の維持、そして平和半島の平和的統一の実現を成し遂げるためにはとてつもない情熱を持った人々によるリーダーシップが必要です。

 この希望前進大会が大きな力を与えてくれると確信いたします。ありがとうございました」

 統一教会教祖文鮮明の三番目の妻韓鶴子(ハン・ハクチヤ)は教祖文鮮明と共にUPF(天宙平和連合)の創設者として名を連ね、同時に文鮮明死後、現統一教会(世界平和統一家庭連合)の総裁を務めている。UPF議長に誰が就いていようと、韓鶴子(ハン・ハクチヤ)が事実上のナンバーワンということなのだろう。世界で300万人、日本で60万人と言われている統一教会の信者を相手にしてビデオで政治的なメッセージを発信すること自体が安倍晋三と統一教会の政治政策的な利害関係は生半可ではないことを物語ることになる。そしてこの利害関係には生半可ではない程度に応じた双方向からの利用価値が埋め込まれていることになる。韓鶴子(ハン・ハクチヤ)にしても利用価値なくして安倍晋三にビデオメッセージを求めはしないだろうし、安倍晋三にしても旧統一教会に対して何も利用価値なくしてビデオメッセージに応じたりはしないだろう。

 ここで岸信介とその孫安倍晋三に受け継がれることになった旧統一教会との間の政治政策的な利害関係の系譜の中間点をなす岸の娘婿であり、安倍晋三の父親である安倍晋太郎は結果的に旧統一教会に対してどのような位置に立たされ、安倍晋三にどのような意味を与えていたのだろうか見てみることにする。 

 「旧統一教会関連団体トップに問う 教会と政治、安倍元首相との関わり」(NHKクローズアップ現代/2022年8月29日 午後6:59)
     
 -国際勝共連合としては、岸信介さん、安倍晋太郎さん、安倍晋三さんと3代にわたって応援してきた関係性を指摘されています。その理由をご説明いただけますか。

梶栗(正義)氏(国際勝共連合会長)

結果としてそうなっていますが、「3代」だから応援をさせていただいたのではない、ということをご理解いただけたらと思います。岸信介先生は、古くから国際勝共運動のよき理解者であり、そのような立場から私たちは応援させていただきました。安倍晋太郎先生は岸先生の娘婿だから応援させていただいたのではなく、晋太郎先生の率いた清和研究会の前任者・福田赳夫先生を応援させていただいた延長線上に、晋太郎先生の政治姿勢を応援させていただいた。安倍晋三先生においても、晋太郎先生の息子さんだからというよりも、その政治的姿勢を評価して応援させていただいた。数ある反共意識の高い政治指導者を応援させていただいてきた中に、特に安倍家3代の皆様もおられたということだと思います。

-安倍元首相を具体的に応援するようになったのはいつ頃からなのか、その理由について教えていただけますか。

梶栗氏

自民党が政権復帰を果たした2012年頃から応援をさせていただいたと思います。理由は、安倍元首相の国家観、政治姿勢を高く評価したからです。

-そこに至った経緯について、詳しく伺えますか。

梶栗氏

私たちとしては、共産主義の脅威から国民の平和と安全を守らなくてはいけないという観点から、与野党を問わず反共意識の高い政治家を応援させていただいてきた歴史的経緯があります。安倍元首相については、反共意識が高い方が国のトップに立たれたということで引き続き応援させていただいた、ということになろうかと思います。政治家個人ということであれば、地元山口で、ひとりの衆議院議員として(以前から)応援させていただいてきたということは、間違いなくあると思います。

-関係はずっと続いていたと。

梶栗氏

先方がどのような認識をしておられたかわかりませんが、後援会活動の中で、私たちの会員の皆さんがそれなりの役割を果たしたのではないか、と思っています。

 「後援会活動の中で」とは主に選挙活動ということで、ときには後援会主催のイベント等に裏方として便宜を図ってきたということなのだろう。

 もう一つ、《「日本はとんでもない間違いをした」岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三…3代続く関係性から見える旧統一教会が目指した“国家宗教” 》(TBSテレビ報道特集/2022年9月24日(土) 22:20)から安倍晋三の父安倍晋太郎と旧統一教会の関係をみてみる。 

 文鮮明の言葉。

 「中曽根の背後を引き継ぐために、その直系になれるのは、安倍(晋太郎)さんしかいませんでした。選挙の時、安倍さんの派閥の議席数は13しかなかったんです。それを88名まで、全部教育して育ててあげました」――

 自身の力を誇示する一種のハッタリだろうが、選挙への関与を示して余りある。教祖の教え・指示に絶対的に心服する信者を無償労働力として提供するのだから、手当が少ないとか、そのほかの文句を一つ並べずに体の続く限りに働いてくれて、重宝な裏方の選挙戦力になったに違いない。しかしこのような便利な選挙補助は統一教会によって社会正義に反する集金システムで蓄財した資金力をバックに教団の言いなりに動く信者を通して与えられた利用価値であって、統一教会と自由民主党間のこのような政治政策的な利害関係の構図は社会正義に反する集金システムが絡んでいる一点のみを取ったとしても、社会的正当性を得る資格はない。石原慎太郎に対する旧統一教会側からの選挙補助に対しても同列な指摘ができる。

 文鮮明は中曽根後の後継に安倍晋太郎を望んだものの思いどおりには事は運ばなかった。中曽根は3選禁止のルールによって2期目任期は1986年9月迄と決まっていたところ、突如衆院を解散、1986年7月6日に衆参同日選挙を決行、与党自民党大勝の功績により中曽根の自民党総裁としての任期が特例で1年延長され、翌1987年10月30日までの任期となり、竹下登、安倍晋太郎、宮沢喜一の3人が後継に名乗りを上げたものの、1987年(昭和62年)10月20日に中曽根がいわゆる“中曽根裁定”によって党幹事長竹下登を次期総裁に指名、安倍晋太郎は後継レースに敗れることになった。文鮮明の後継レースそのものに対する影響力は取り立てて言う程のことはなかったことになる。密接な関係にあった岸信介が首相を退陣したのが30年近く前の1960年7月19日、90歳で没したのが中曽根裁定約2ヶ月半前の1987年8月7日。岸信介の実質的な政治的影響力は見る陰もなく消失、しかも直系ではなく、娘婿ときているから、数を集める決定的な後ろ盾としては遥か背景に退いていて、その前に中曽根が現首相としての存在感を持ち、立ちはだかっていたといったところだろうか。

 安倍晋太郎は1987年11月6日の竹下内閣成立時に自民党幹事長に就任したが、1年半後の1989年(平成元年)4月18日に膵臓がんで入院、同年7月25日退院、1991年(平成3年)1月19日に「風邪」を病名として再入院、1991年5月15日、入院先で死去、67歳。死因膵臓癌。出典は「安倍晋太郎」(Wikipedia)

 安倍晋太郎は2度と総理の椅子に就くチャンスに恵まれることなくこの世を去った。その子安倍晋三はもしかしたら、あくまでも推測だが、文鮮明が父親の安倍晋太郎を首相に推してくれたことに対する恩義が旧統一教会に肩入れをする思い入れとなっていたのかもしれない。勿論、反共思想を共通の素地としていたこと、その信者たちから選挙活動や後援会活動の際、使い勝手のよい無償の熱心な奉仕を望めること、同様の奉仕を他議員にも斡旋して、その議員に対する影響力を手中に納めることが可能といった利用価値を望めること、その代償として統一教会の会合やイベントにその趣旨に対して政治を通した自分たちの世間的知名度に基づいた支持や賛同をメッセージや挨拶という形で提供して統一教会側の得点とする利用価値を与えて、その相互的利益付与を交換条件とした政治政策的な利害関係を持てることの現実的実利が後押ししていた、安倍晋三と統一教会との接近の一番の理由といったところなのだろう。繰り返して言うことになるが、どのような利用価値も望むことはできないそのような利害関係は存在しないからである。

 但し安倍晋三側、あるいは自民党側が旧統一教会に対してどのような利用価値を持ち、どのような政治政策的な利害関係を築いていたとしても、既に触れたように旧統一教会が社会正義に反する不法な集金システムで組織を太らせ、蓄財したその資金力と信者を使った人的資源が与えてくれる利用価値であり、そのような政治政策的な利害関係が社会的正当性を欠いている点に変わりはない。そしてこのような両者関係にあるという点にこそ、岸田文雄の"本人死亡限界説"が示している安倍晋三と統一教会の関係調査・検証の一定程度範囲外の困難性を乗り越えてでも、進めなければならない理由がある。

 では、旧統一教会と自民党との政治政策的な利害関係は懸念されているように旧統一教会の自らの政治思想を自民党の政策に変えて、間接的に旧統一教会好みの政治社会に持っていくことができる程に支配的な力を有しているのかどうかを見てみることにする。先に挙げた「TBSテレビ報道特集」記事の中に次のような一文が記されている。

〈■統一教が日本の国家宗教になるまで「何十年も遅れる」

元信者
「総理大臣を文鮮明が決めていると言われてました。ちょうど中曽根総理大臣から、次の総理はだれになるかということで、安倍さんのお父さんが次の総理大臣になるというふうに言われたというところが、竹下さんになってしまったので、日本はとんでもない間違いをしたと。これで日本の復帰は何十年も遅れると」

日本の復帰。つまり、統一教が日本の国家宗教になるのが、晋太郎氏が総理に就けなかったことで何十年も遅れるといわれたのだという。〉――

 元信者の言葉に矛盾があることに元信者自身が気づいていない。中曽根裁定が歴史の事実として控えている以上、文鮮明に日本の首相を決める力など存在しないことの証明でしかない。信者たちに日本では政治的に凄い力を持っていると思わせる大言壮語に過ぎない。その大言壮語を事実らしく見せかけるために旧統一教会の様々なイベントや会合に自民党の有力議員を出席させ、挨拶させる、あるいはメッセージを送らせる利用価値を必要とし、利用価値の見返りに信者を選挙運動に無償派遣して、得票獲得に有利となる様々な便宜を与えて、議員側の利用価値とさせるという関係を築くことになっていたのだろう。

 文鮮明が「日本の復帰」イコール統一教の日本の国家宗教化を望んでいたということは日本の政治を文鮮明が思いのままに支配することを望んでいたことになるが、その望みと現実の間には安倍晋太郎に総理の椅子を与えることに失敗した一例からして、望みを潰えさせる程の距離があるように見える。実際はどうだったのだろうか、立憲民主党代表の泉健太が質疑を行った2022年9月8日衆議院議院運営委員会で最後に質疑に立った共産党議員の塩川鉄也が旧統一教会の自民党政権に対する政策的影響力について質した。

  塩川鉄也「もう一つ申し上げたいのが、政策への影響の問題であります。

 統一協会とその関連団体は、選択的夫婦別姓や同性婚について反対を主張し、国政や地方政治への働きかけを行ってきました。安倍氏は、統一協会の、家庭の価値を強調する点を高く評価しますとも述べておりました。安倍氏と統一協会の親密な関係が、選択的夫婦別姓や同性婚に否定的な自民党や政府の政策に影響を及ぼしたのではありませんか。
 
 岸田文雄「まず、政府においても、政策を決定する際には、多くの国民の皆さんの意見を聞き、有識者、専門家とも議論を行い、その結果として政策を判断しています。一部特定の団体によって全体がゆがめられるということはないと思っておりますし、また、自民党においても、国民の声を聞く、また、政府から、様々な関係省庁の説明を受ける、さらには専門家、有識者の意見を聞く、こうした丁寧な議論を積み重ねて政策を決定しております。

 一部の団体の意見に振り回されるということはないと信じております」

 塩川鉄也「安倍氏は、反社会的団体の統一協会の広告塔であり、統一協会の選挙応援の司令塔だった。さらに、選択的夫婦別姓反対や同性婚反対、憲法改正など、統一協会の政策面での影響が問われております。岸田総理は、安倍氏と統一協会との関係について調査も行わず、国葬を行うのか。これでは国民の理解は得られない。

 国葬は中止すべきだと申し上げて、質問を終わります」(以上)

 塩川鉄也が「安倍氏は、統一協会の、家庭の価値を強調する点を高く評価しますとも述べておりました」と指摘している点は先に挙げた安倍晋三のUPF(天宙平和連合)に寄せたビデオメッセージ内の発言を指すが、統一教会が掲げる家庭の価値を守るための選択的夫婦別姓制度反対のキャンペーンは関連団体「国際勝共連合」のサイトに記載がある。

 《『選択的夫婦別姓 制度』やっぱり危ない!5つの理由》  

1.日本の婚姻・家族制度を弱体化し破壊する
2.夫婦別姓は親子別姓。子供たちの福祉が脅かされる
3.日本で提唱されている夫婦別姓は「ファミリーネームの廃止」に向かう
4.推進派の思想の根底は、家族制度を敵視する「共産主義」
5.夫婦別姓容認派多数は悪質な印象操作!『通称名拡大での対応』は夫婦別姓反対派と分類すべき――

 この反対キャンペーンは安倍晋三と精神的に性愛関係にある高市早苗の反対論とほぼ重なる。

 塩川鉄也は選択的夫婦別姓や同性婚反対の旧統一教会の政治思想が自民党議員の一定数に影響を与え、反対気運の形成に成功していないかといった趣旨の疑いをぶつけた。対して岸田文雄は「一部特定の団体によって全体がゆがめられるということはないと思っております」、「一部の団体の意見に振り回されるということはないと信じております」と答えている。「思っております」、「信じております」は単なる推測で、事実をイコールする証明とすることはできない。事実とするには検証し、その結果の提示が必要となる。検証もせず、その結果を提示もせずに「思っております」、「信じております」の推測に基づいて、統一教会の政治思想の影響を受けて自民党の政策が歪められることも、振り回されることもない、「これが“事実”です」と矛盾したことを言っているに過ぎない。塩川鉄也はこの点を突くべきだったが、時間の関係か、突くことはしなかった。

 塩川鉄也の「安倍氏と統一協会の親密な関係が選択的夫婦別姓や同性婚に否定的な自民党や政府の政策に影響を及ぼしたのではありませんか」の指摘を事実とすることができるかどうか見てみる。安倍晋三も選択的夫婦別姓制度や同性婚制度の反対派で、何しろ生存中は自民党最大派閥のボスという立場からも、首相在任中は派閥を離れてはいたものの、首相という立場からも出身派閥に対する影響力は離れているいないに関係しないことと、選挙での公認推薦に大きな力を握っていたということは派閥に関係せずに多くの自民党議員の首根っこを押さえていることのできる状況を手にしていたことになり、安倍晋三自身の政治思想が影響を与えていた結果の選択的夫婦別姓制度や同性婚制度反対の自民党の大勢ということもありうる。

 このいい例として2021年3月25日に自民党内に設立、総会を開いた「選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」の設立の呼びかけ人の一人だった岸田文雄が首相になった途端に法制化に慎重な姿勢に転じたのは最終的には安倍晋三の支持で首相になれたからで、その選択的夫婦別姓制度反対の姿勢に逆らうことができなかったことを挙げることできる。

 つまり旧統一教会も安倍晋三も共に反共・保守主義という立場を取っていて政策を似通せているものの、実際は安倍晋三発の形で自民党内での反対派が形成されることになったことが旧統一教会の働きかけによるものと見えるケースが生じていることも考えられるし、ほぼ政権党の地位にある反共・保守の自民党を布教活動に利用するために自らも反共・保守であることから旧統一教会の方から自民党の政策に抱きつき、結果として同じような政治思想を掲げることになったということも考えられる。いずれが実態かは旧統一教会と自民党が陰で政策協定でも結んでいない限り、検証は難しいと思われる。

 旧統一教会発の政策が自民党の政策に反映されたかのように見える一例を挙げてみる。以下、(Wikipedia)の「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(略してスパイ防止法)を参考にする。

 1980年1月、陸上幹部自衛官がソ連側情報機関に防衛庁の秘密文書を漏洩する事件が発生したが、自衛隊法第59条の守秘義務違反でしか罰することができず、与党であった自民党はこの事件を直接のきっかけとしてスパイ防止法制定の準備に入った。5年後の1985年6月6日の第102回国会に「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(スパイ防止法)が議員立法として衆議院に提出されたが、審議未了廃案となった。

 「国際勝共連合」のサイトにはこの年を約6年遡る出来事として、〈1979年 スパイ防止法制定3000万人署名国民運動〉、〈1980年 スパイ防止法制定促進都道府県民会議が全国に設立〉と紹介している。1979年は陸上幹部自衛官が秘密文書漏洩事件を起こす1年前で、あたかも旧統一教会が実現を促したスパイ防止法のように見えるが、2018年12月19日付の「NHK政治マガジン」《「秘密保護法」制定めぐり 岸元首相に米が厳しい要求》によると、1957年6月(20日)に初訪米した当時の日本の首相岸信介にアメリカ側が日本の防衛力増強を求めたうえで、新兵器に関する情報交換について「日本には秘密保護法ができていないので、これ以上の情報の供与はできない。日本で兵器の研究を進めるにはぜひとも新立法が必要だ」と迫ったのに対して岸信介は「科学的研究はぜひやらねばならないし、アメリカの援助も得たい。秘密保護法についてはいずれ立法措置を講じたい」と応じたと、2018年12月19日公開の外交文書で明らかになった事実として伝えている。

 つまり1957年後半当時の岸信介の頭にはスパイ防止法といった類いの法律制定の必要性が既に存在していた。日本で「国際勝共連合」が設立された1968年4月1日よりも約11年前である。岸信介と文鮮明との関係は既に触れたように旧統一協会が1964年7月に宗教法人として認証、同年11月に本部を東京都渋谷区にある岸信介宅隣に移転後だとされているが、岸信介が訪米話のついでにスパイ防止法といった類いの法律制定の必要性を話していたとしたら、陸上幹部自衛官防衛庁秘密文書漏洩事件を起こす1年前の1979年にスパイ防止法制定3000万人署名国民運動を全国的に展開したとしても不思議はないし、旧統一教会が求めて自民党が応じた政策だとは断言できないことになる。

 自民党の一定の政治、あるいは政治姿勢が旧統一教会側が求めたそれらであるかどうか、政策協定が締結されていない限り検証は困難であるとするなら、両者が歴史的に政治政策的に深い利害関係にあり、相互に利用価値を置いている無視できない関係にあることはマスコミ報道や自民党議員及び元信者の証言等によって明らかにされている事実から、その利害関係や利用価値の関係実態を検証することの方が利害関係を持ち、利用価値を受け入れ、自分たちのために活用してきた国会議員たちのその政治的・社会的正当性は問い詰めやすく、その面からの追及を優先させるべきではないだろうか。
  
 信者に「悪い霊を集める壺」等、霊験あらたかな神聖な品物であるかのように見せかけるか、あるいは信仰上の虚栄心を満足させる意図のもと安物を高額で売りつける霊感商法や植え付けた信仰心を利用して様々な言葉で恐れを抱かせ、それを解消する目的で、あるいは威嚇的な言葉まで用いて差し出させる多額な寄付金等を原資としたカネの力を用いて、信者を無報酬の人的資源として選挙の票数に直結させたり、選挙応援の形の利用価値を旧統一教会側から自民党側に提供、その見返りに自民党側からは議員の先生方の名前やメッセージを頂くことで知遇を得ていると思わせて既に獲得した信者の教団に対する信用を高め、忠誠心を鼓舞する材料とするか、あるいは新たな信者獲得の際の権威付けの材料とする利用価値は社会的正当性を欠いているだけではなく、双方の利用価値は本来的に無限に循環する構造を備えていて、少なくとも安倍晋三の銃撃死以後、この構造が問題視されるまで今まで挙げてきた双方それぞれの利用価値に基づいて、自民党側は政党として社会的正当性を欠く、それゆえに国民の信託を裏切る行為を、旧統一教会側は真の宗教団体としての社会的正当性を欠く、単に信者からカネを集めて政治的な権力を手に入れる行為を延々と循環させてきた。この点にこそ、責められなければならない問題点がある。

 この問題点を白日のもとに曝すには安倍晋三と統一教会との関係実態の調査・検証が是非必要になってくる。さらに言うと、自民党は国民の信託を裏切る国会議員を党内に多数を占めていたことはこの点に於いて政治集団としての資格を失う。霊感商法を展開、高額献金で多くの信者やその家族を経済的困窮に陥れた旧統一教会はこの点に於いて宗教団体としての資格を失う。このような利用価値に基づいた社会的正当性を欠いた政治政策的な利害関係を自民党内に機能させてきた中心的政治家は岸信介に始まって、安倍晋太郎、安倍晋三の系譜を主として辿ることができる。中心的政治家となりうる地位上の実力を備えていて、実力相応の目立つ形で政治政策的な利害関係を旧統一教会側と築いてきたからである。そして銃撃死するまで、安倍晋三が自民党側の代表格として居座り、社会的正当性を欠いた統一教会と自民党との間の政治政策的な利害関係を仲介する役割を担ってきた。

 以上、1960年代半の岸信介の時代からその孫である安倍晋三に至るまでの統一教会と自民党との密接な利害関係のほんの一部をネットで調べながら描き出してみた。参考になるかどうかは分からないが、これらの利害関係を頭に置いて貰って、安倍晋三と旧統一教会との関係の検証の必要性を排除する岸田文雄の発言の正当性を改めて眺めてみることにする。

 2022年10月6日衆議院本会議(代表質問)

 志位和夫(日本共産党委員長)「第四は、総理が、安倍元首相の調査について、限界があると背を向けていることです。

 安倍氏は統一協会の最大の広告塔だった政治家です。参院比例選挙で統一協会の会員票を差配する役割を担っていたとの証言もあります。故人になったとしても、関係者や関係書類の調査など、意思さえあれば調査できるはずです。安倍元首相と統一協会の癒着の全貌について、責任を持って調査すべきではありませんか。

 第五に、自民党と統一協会とは、1968年、笹川良一ら日本の右翼と岸信介元首相らが発起人となって、統一協会と一体の勝共連合を日本で発足させて以来の歴史的癒着関係があります。

 半世紀以上にわたって、自民党は統一協会を反共と改憲の先兵として利用し、統一協会は自民党の庇護の下に反社会的活動を拡大してきました。この歴史的癒着関係の全体を過去に遡って徹底的に調査し、国民に報告すべきではありませんか」

 岸田文雄「安倍元総理及び自民党と旧統一教会の関係についての調査についてお尋ねがありました。

 安倍元総理が旧統一教会とどのような関係を持っていたかの調査については、当時の様々な情勢における御本人の心の問題である以上、御本人が亡くなられた今、十分に把握することは限界があると考えております。関係者や関係書類を調査したとしても断片的にならざるを得ない上、本人が何も釈明、弁明できないなど、十分な調査はできないと考えております」――

 代表質問は一括質問一括答弁方式で、質問しっぱなし、答弁しっ放しで終わるから、答弁に対して別角度から質問し直すことはできないものの、岸田文雄が既に本人死亡を理由に調査・検証には限界があるとする"本人死亡限界説"を持ち出している以上、自民党と統一協会との関係の調査をストレートに求める同じ質問を繰り返すのではなく、"本人死亡限界説"を打ち破ることのできる論理を学習して、質問の方向を変えるべきだったが、泉健太の2022年9月8日の衆議院議院運営委員会からこの2022年10月6日の衆議院本会議まで約1ヶ月間と十分な時間がありながら、続けて同じことの繰り返しの質問と答弁で終わらせる収穫ゼロを見せたに過ぎなかった。

 調査拒否の理由は泉健太のときとほぼ似通っているが、具体的には「御本人の心の問題」だから、本人死亡で「十分に把握することは限界がある」に新たに加えて、「関係者や関係書類を調査したとしても断片的にならざるを得ない上、本人が何も釈明、弁明できないなど、十分な調査はできない」としている。だが、人間の如何なる行為も心の問題から発する。いい歳をした男性教師が女子生徒にスマホ等を使って卑猥な写真を送りつけるのも、本人の心がそうさせるのであり、政治家が国民の利益に適うとして政策を進めるのも、実際にはそれが選挙の票稼ぎであろうと、支持率回復の手立てだとしても、国民の生活上の利益向上を頭に置いていたとしても、全ては心がそうと命じる「心の問題」となる。当然、御本人が死亡していたとしても、心から発して何かしらの行為の形を取り、事実として現れた事象のみを取り上げて、それらの事象から行為の意図、目的、結果等を様々に推測はできる。そして数多くある推測のうちから、妥当性ある推測を個人それぞれが受け止めていけば、最も多くの妥当性を得た推測が事の実態と看做すにふさわしい資格を得るはずである。

 このように炙り出していく調査・検証を否定するとしたら、当事者も行為も既に過去の世界に沈んでしまっている歴史の検証はできないし、歴史を語ることもできない。  

 また、「本人が何も釈明、弁明できない」と言っているが、生前の「釈明、弁明」がウソ偽りのない事実そのものを口にするとは限らない。安倍晋三は国会で虚偽答弁の前科がある。「桜を見る会」に関わる国会答弁では報道で明らかになった検察の捜査に関する情報と食い違う答弁が少なくとも118回あったことが衆議院調査局の調査で明らかになっている。また自身に都合の悪い質問には直接答えずに無関係なことをそれとらしく答えて誤魔化すといった論点のすり替えといったこともする。死亡によって本人を取調べることができない以上、生存する関係者全員から旧統一教会に関する安倍晋三との関係事実を聴き出し、聴き出した事実から、少しの矛盾もゴマカシも見逃さない細心さで事実と誤魔化しを篩い分けていって、事実を一つ一つのピースにして関係の全体構造を組み立て、その全体構造から安倍晋三が統一教会と自民党の各議員の間で果たしてきた役割――相互的な利害関係が求め合うこととなっていた役割を拾い出していけば、自ずとその関係実態を描き出すことはできるだろう。正直さを当てにできない釈明、弁明を持ち出して、それができないことを理由に調査・検証を排除する岸田文雄はペテン師そのものである。

 志位和夫代表質問翌日に同じ共産党の小池晃が2022年10月7日参議院本会議で行った代表質問を見てみる。

 小池晃(共産党)「安倍晋三氏は、統一協会とは真逆の考え方に立つ政治家どころか、関連団体の会合に韓鶴子総裁を始め皆様に敬意を表しますというビデオメッセージまで送ったのに、なぜ調査対象にしないのですか。岸元首相以来、六十年以上にわたり自民党と統一協会、国際勝共連合が深い関係にあったことは周知の事実です。しかも、八年八か月、総理・総裁を務めた安倍氏と統一協会の関係について何の調査もせずに、自民党と統一協会に組織的関係はなかったとなぜ断じることができるのですか。

 参院議長を務めた伊達忠一氏は、安倍氏がどの候補者を統一協会に支援させるか差配していたことを実にリアルに証言しています。なぜ調査しないのですか。

 総理は、統一協会への解散命令について、信教の自由を理由に慎重な姿勢です。しかし、宗教法人格がなくなると税制上の優遇などは受けられなくなりますが、宗教団体としては活動ができます。総理は、今後も統一協会に宗教法人としての特権を付与して優遇することに国民の理解が得られるとお考えですか。

 政府は、宗教法人法に基づく解散命令を請求すべきです。それもせずに統一協会と関係を絶つなどと言っても、その場しのぎにすぎないのではありませんか」

 岸田文雄「安倍元総理及び自民党と旧統一教会との関係についての調査についてお尋ねがありました。

 安倍元総理が旧統一教会とどのような関係を持っていたかの調査については、当時の様々な情勢における御本人の心の問題である上に、本人がお亡くなりになった今、本人は何も釈明、弁明ができないなど、十分な調査はできないのではないかと考えております。

 自民党においては、所属国会議員と旧統一教会との関係について点検を行い、その結果を発表いたしました。旧統一教会との関係については、各議員が政治家の責任において丁寧に説明を尽くす必要があると考えており、今後も、各議員が最大限説明責任を果たすとともに、当該団体と関係を持たないことを徹底してまいります」――

 志位和夫と小池晃は質問内容に違いの工夫はあるが、突きつめると、両者だけではなく、ここで取り上げた質問者全員が安倍晋三と統一教会との関係の調査・検証の必要性を訴える、その域を出ない質問を行い、対する岸田文雄は朝日新聞記者の質問に対する答弁以降、新たな付け加えはあるが、ほぼ同じ答弁の繰り返しで調査・検証の必要性を拒否する口実に仕立てている。この繰り返しの過程で口実から何かを学習し、質問に何らかの工夫があって然るべきだが、何も学習せず、何の工夫もなく、岸田文雄に調査・検証の必要性拒否の同じ口実を何度でも使わせている。 

 本人死亡も、本人死亡釈明・弁明不能も調査・検証しない理由とはならない。既に周知の事実として現れている安倍晋三を仲介者とした統一教会側からの選挙補助を受けた複数の自民党議員に対する聴取を行い、事実関係を洗い出していき、洗い出すことができた諸事実を突き合わせて、どういったシステムとなっていたのか、選挙補助を受ける選択基準、優先順位、成果等の全体構造を真相解明していく。その全体構造が旧統一教会側から社会正義に反する集金システムで蓄財した資金力に基づいて教団の言いなりに動く信者を通して与えられた社会的公平性を欠いた選挙補助としての利用価値であることが明らかになっている以上、これらの利用価値の上に安倍晋三と統一教会との政治政策的な利害関係が成り立っていたことの詳細な実態は社会的公平性を欠いていた点で立証の努力を果たさなければならない。"本人死亡限界説"等の口実で拱手傍観は許されない。

 立証できたなら、当然、何らかの断罪の対象としなければならない。でなければ、岸田文雄は旧統一教会との関係を見直す必要性は生じない。その受益の社会的不法性を問わなければならないし、そのような利用価値を安倍晋三が統一教会と自民党議員の間に立ち、自民党議員に振る舞い、そのことを以って自らの政治的影響力の源泉とする主導的立場にいたことが判明したなら、その責任はどの自民党議員よりも重いことになる。

 但し真相解明に於いて選挙補助を便宜とした自民党議員自体の釈明・弁明が不正直な色彩に彩られている場合もあるし、検証・調査側が安倍晋三や自民党に味方するバイアスがかかっていたとしたら、真相解明は安倍晋三や自民党を無実とする方向に進む可能性が生じる。このことを防ぐためには当然のこととして検証・調査チームは第三者の立場にある人物で構成すること、聴取前にウソをついたり、口裏を合わせようとしたりする場合は表情に生理学的反応が現れ、その反応の性質で本当のことを話しているのか、ウソはいつかは露見するということを前以って伝えておくべきだろう。「露見したとき、慌てても遅いですよ」と牽制しておく。
 
 安倍晋三との関係で調査・検証対象としなければならない重要議員は2016年7月10日参議院選挙で比例区で当選した宮島喜文(よしふみ:当時64歳)と2022年7月10日の参院選比例区で当選した井上義行(59歳)としなければならないだろう。2人をネット記事頼りで順番に見てみる。

 「宮島喜文」(Wikipedia)

 統一教会との関係

 参院選における支援

2016年の参院選に、宮島は、同じ臨床検査技師出身で細田派に所属する伊達忠一からの打診を受け、立候補を決めた。「票が足りない」と踏んだ伊達は安倍晋三首相に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の組織票を回すよう依頼し、安倍はこれを了承。公示の直前、伊達は、「世界平和連合」の支援を取り付けたことを宮島に告げた。宮島は「世界平和連合」が統一教会と関係があると知らされて戸惑うが、陣営幹部から「上がつけてくれた団体ですから、もうあとには引けません」「外でおおっぴらに言っちゃいけません」と忠告された。この結果、宮島に統一教会の票が回り、宮島は自民党が比例で獲得した19議席中、17位で初当選を果たした。元事務所職員も宮島が「世界平和連合」から推薦を受けていたと証言し、宮島自身もその事実を認めた。

2022年の参院選に際して、宮島は安倍に2回会いに行き、前回選と同様に「世界平和連合」の支援を依頼した。しかし安倍は「6年前のような選挙協力は難しいかもしれない」と返答した。代わって伊達が接触すると、安倍はかつて自身の首相秘書官を務めた元職の井上義行に票を割り振ると述べ、明確に断った。再選の望みが薄いことを悟った宮島は同年4月に公認を辞退し、不出馬を選んだ。

 宮島喜文は当選後安倍派に所属したが、70歳を超える年齢と政治的力量の点で20歳も若い上に第1次安倍内閣で首相秘書官を務めていた近親性も含めて井上義行よりも利用価値が低いと見られたのだろう。安倍晋三の思惑一つ、差配一つで前回の参院選で宮島喜文に回された旧統一教会の票は剥がされ、2022年7月参院選では井上義行に回されることになった。井上義行は旧統一教会の力を実感したと同時に安倍晋三の自らの思惑、あるいは差配一つで統一教会を動かすことができる教団に対する強力な影響力を実感したに違いない。実感の現れの一つが統一教会の賛同会員になったという事実であり(信徒になったという噂もあるという)、その事実は統一教会とその関連団体の票を永続的なものにしたい思惑が生じせしめたものに違いない。当選と同時に、2選、3選と重ねていく自身を頭に思い描いたかもしれない。

 宮島喜文に対しては安倍晋三がどのような言葉で教団の票を回すと言ったのか、次は回すことはできないと断ったのか、井上義行に対してはどのような言葉で教団の票を回すと言ったのか、それぞれの言葉から両者共に旧統一教会とその関連団体に対しての安倍晋三の票を回す影響力をどの程度に感じ取ったのか、あるいは安倍晋三自身が自らの口から票を回すについての旧統一教会とその関連団体に対する自身の影響力の程度について話し、当選をどの程度に請け合ったのか、請け合わなかったのか。このような会話に基づいて安倍晋三という日本の首相が旧統一教会に対してどのような位置を占めていたのか、感じ取った感触等が解明できれば、旧統一教会側が日本の首相としての安倍晋三という名前そのものや存在自体を教団の権威付けのための利用価値に位置づけ、その利用価値によって新たな信者獲得の武器とし、既に獲得した信者の教団に対する信用と信頼を高めるさらなる道具としてきた、安倍晋三と旧統一教会との利害関係の程度と質が判断可能となり、利用価値を与え合う全体構図の一端は窺い知ることができる。

 勿論、統一教会が信者に対しての霊感商法を用いた高額商品の売りつけや法外な額の寄付金集めで手にしたカネを教団の規模拡大及び勢力拡張の原資とすることが当初からの戦略だったとしても、岸信介から始まって安倍晋三に至る大物政治家が身につけている優れた知名度と信用力を教団側の原資獲得の利用価値としてきたことはこの手の組織の常識的な常套手段で、自民党の保守的な政治思想及び政治主張と重なるそれらを統一教会側が特に関連団体を通して掲げ、団体の顔の一つとしてきたのだから、統一教会と自民党の利害関係は政治政策的な側面をも含み、双方向性を確立させていたことは勿論のことで、そのような利害関係はその性質から言って、社会的正当性を欠いていることは言うまでもないことで、調査・検証しないのは政治の、さらに政府の不都合を隠蔽する行為にほかならない。

 百歩譲って調査・検証したが、社会的正当性に反する事実が出てこなかったということになったとしても、あくまでも調査・検証の結果であって、社会的正当性が様々に疑われるにも関わらず、あれこれの口実を設けて調査・検証を排除し、疑われる社会的正当性をそのままに放置しておくことは一政党の社会的正当性を維持する役目を総裁の立場から責任者として負う、このことは首相の立場にも影響することであるが、岸田文雄側の政治の不作為に当たり、当然、責任問題を問わなければならない。

 以上、2023年1月30日からの衆院予算委員会からの質疑とは別に安倍晋三と旧統一教会との関係についての岸田文雄の調査・検証の必要性なしの発言を取り上げ、その正当性を検討してみた。検討の内容が的を得ているかどうかは判断して貰うしかない。野党は衆院予算委開始後、引き続いて調査・検証を直接的に求めると思っていたが、2023年1月30日と31日のNHKで放送した予算委員会実況中継では誰も求めなかった。例えば2023年1月30日の衆議院予算委では立憲の山井和則が統一教会側は現在も信者に対して高額献金を求める姿勢を崩していないなどとその違法性を頻りに訴え、岸田文雄から「組織の実態把握、被害者の救済、そして再発防止、この3点について改めて法の原理に従って取り組みを進めていく」といった答弁を手に入れてはいるが、統一教会の現在まで続く違法性に限った問題点の指摘であって、政治側が宗教団体の社会的な違法性を持たせた組織増殖に手を貸し、宗教団体側が選挙補助で政治側の党勢拡大に手を貸す、それぞれの利用価値を満たし合う政治と宗教団体の相互利害関係の維持・構築に安倍晋三が主導的役割を果たしていたのではないのか、その調査・検証を直接求める追及ではなかった。

 上出「NHKクローズアップ現代」にUPF(天宙平和連合)ジャパントップの梶栗正義が安倍晋三について「自民党が政権復帰を果たした2012年頃から応援をさせていただいたと思います。理由は、安倍元首相の国家観、政治姿勢を高く評価したからです」と述べ、「私たちが安倍政権をさまざまな形で応援させていただいてきた」とも述べている。要は統一教会側が安倍政権に対してそれ相当の利用価値を与えていた。一方通行の利用価値というものはあり得ないから、安倍政権側からも統一教会側に対して最低限、釣り合うだけの利用価値を提供してきた。結果、統一教会側と安倍政権は安倍晋三を窓口として長いこと相互的な利害関係を築くことができていたということでなければならない。
 
 統一教会側が社会正義に反する不当な集金システムで蓄えたカネの力、金力とその金力が深く関わって大きくすることができた組織力や権力をバックに政治家側に利益となる利用価値を提供、政治家側がその利用価値に応えて統一教会側との結びつきを見せることで世間的信用を担保する利用価値を提供、信者獲得や団体としての活動に便宜を与える利害関係を相互に築き合っていたこと、安倍晋三が政治家側の窓口となっていたことは事実そのとおりであって、事実そのとおりのことを事実認定するためには政府による、あるいは国会の国政調査権を用いて調査・検証する必要があり、前者の調査・検証は国会で岸田文雄に求め、"本人死亡限界説"などで逃げられることなく、認めさせなければならない。国政調査権は自民党が反対するのは目に見えているから、その反対を乗り越えなければならない。事実認定に向かわなければ、安倍晋三が窓口となって一宗教団体の不法活動に便宜を与えた事実は闇に葬り去られることになる。

 だが、野党は安倍晋三と統一教会との関係を追及することは予算委員会開催前までで、岸田文雄の"本人死亡限界説"に立ち往生してしまって、開催以後は2023年2月1日現在までのところ、音沙汰なしとなってしまっている。

 2023年2月1日衆院予算委員会では立憲の代表代行の西村智奈美が「旧統一教会と自民党との関わりは引き続き明らかにしていく必要がある」と大上段に構えはしたものの、4月に統一地方選を控えているからだろう、教団と自民党の地方組織や自治体議員の関係を調査するよう求めただけで、安倍晋三と統一教会との関係追及にまで踏み込むことはなかった。岸田文雄の"本人死亡限界説"に如何にお手上げ状態となっているかを窺うことができる。

 安倍晋三は森友学園国有地格安売却への便宜供与、加計学園獣医学部新設認可に於ける政治の私物化、総理大臣主催桜を見る会招待を巡る党ぐるみの選挙利用、その他その他の疑惑を引き起こしてきたが、「政教分離の原則」に抵触する統一教会という特定宗教と政治の相互的な加担という新たな疑惑が加わることになったが、野党は追及するものの何一つ証拠立てることができずに疑惑を疑惑のままに放置させることになるお決まりのコースに突入、時間経過による風化が待ち構えるいつもの状況に立たされている。

 追及相手の逃げ口上の論理を打ち破るだけの学習能力を持たない結果である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立憲長妻昭と小西洋之の対旧統一教会宗教法人法第81条解散命令要件に関わる時間のムダ、カエルの面に小便程度の国会追及

2022-11-12 08:02:53 | 政治
 2022年10月18日の衆院予算委員会で立憲民主党長妻昭が旧統一教会の解散命令要件について、続いて翌2022年10月19日の参院予算委員会で同じ立憲民主党の小西洋之が同じ問題を引き継いでの形で首相の岸田文雄を追及した。追及らしい装いを凝らしているが、追及とはなっていなかった。時間のムダな使い方、冗長なだけの言葉の使い方、ボクシングで言うと、顔面を撫でさすっただけの何の痛手も与えないパンチを繰り出した、カエルの面に小便程度の国会追及に過ぎなかった。

 「追及」という言葉の意味は「どこまでも追いつめて、責任・欠点などを問いただすこと」と「goo辞書」には出ている。但し責任・欠点などを問い質した、あるいは問い正しただけで終わったのでは真の追及とはならない。問い質した、あるいは問い正した上に相手に自らの責任・欠点――つまりは自らの非を認めさせるところにまで持っていかなければ、真の追及とは言えない。

 野党の政府の間違いや不行届、責任不履行、不作為等々に対する追及がこのような役目を果たさず、殆どの追及が尻切れトンボの不成功に終わっているから、追及という批判行為だけが印象に残り、「野党は批判ばかり」、あるいは「立憲は批判ばかり」という悪評価を受けることになる。このような成り行きとなっていることにさえ気づいていない。結果、「批判ばかりではない、政府法案に対する対案も独自法案も提出している」と見当違いな弁解を繰り広げる。いつだったか、かなり前にこういった批判をブログに書いた。

 宗教法人旧統一教会の様々な不法行為をマスコミが取り上げ、国会質疑でも取り上げられることになっているが、所有すればさも霊的な感化を受けることができる貴重品であるかのように偽って安物を法外な値段で売りつける霊感商法と信者の信仰心の強さを試す言葉等で不安心理を煽るなどして高額献金に持っていく献金商法で信者の中からハンパではない数の被害者と被害金額を出し、各地で損害賠償請求訴訟を起こされ、被告敗訴の確定例が続出、自殺者も出し、こういったことが今以って尾を引いているからこその、いわゆる"騙される信者"救済の絶対的方法=被害信者を出さないための旧統一教会の解散請求の声をマスコミその他が上げ、国会追及でもあるが、宗教法人の解散請求は唯一宗教法人法の取扱いとなっているから、同法の関連条文を前以ってここに挙げておくことにする。

 〈第81条 裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。

 1 法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。
 2 第2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は1年以上にわたつてその目的のための行為をしないこと。〉――

 第81条は5項まであるが、強制解散に関わる主たる必要事項はこの1項と2項であるから、他は省くことにする。

 1項に言う「法令に違反して」の「法令」とは断るまでもなく、国会の決議を経て制定される法規範である「法律」と、国会の決議を経ないで行政官庁が制定する法規範である「命令」を言い、合わせて「法令」としている。「法令」のうちの「法」の代表的な6法、憲法・刑法・刑事訴訟法・民法・民事訴訟法・商法を「基本六法」とし、この基本六法を纏め、関連法規を載せた書物を「六法全書」と呼び慣わしていることは知られている事実であろう。

 当然、宗教法人法第81条の解散命令、〈著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為〉を規制対象とする“法”は主なところでは憲法・刑法・民法といったところになる。

 因みに宗教法人法第81条2項の解散命令の条件としている、〈第2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は1年以上にわたってその目的のための行為をしないこと。〉の「第2条」とは、〈この法律において「宗教団体」とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体をいう〉を指し、2項は宗教団体それぞれが目的とする宗教活動のすべきこととすべきでないことの明文化ということになる。

 以上のことを押さえて、長妻昭と小西洋之の以下の追及を眺めて欲しい。時間のムダと思わせる、別の言葉で表現すると、大山鳴動してネズミ一匹程度の国会追及でしかなかったが、この評価付けの妥当性を判断して欲しい。先ずは長妻昭の追及から。 

 2022年10月18日衆議院予算委員会

 長妻昭「ちょっと気になる点を質問するということですが、ずうっとですね、立憲民主党を含めて野党ヒアリングというのをずっとやってるんですよ。この間、ずっと何十回と。そのときに文化庁の課長さんを呼ぶとですね、ずうっと一貫して解散請求はですね、要件の一つとして法令違反なんですね。その法令違反は刑事に限ると。刑事の確定判決が統一教会本体に出ていないからできないんです。こういう解釈をしているんです。

 この解釈を変えない限り、いくら調査しようが、何しようがですね、解散請求ができないんです。解釈変えたんですか。総理」

 岸田文雄「宗教法人の解散事由については平成7年(1995年)に東京高等裁判所が示し、平成8年(1996年)に最高裁判所で確定した判決に於いて考え方が示されています。その中に法人の代表役員が法人の名の下で取得した財産や人的・物的組織等を利用して行った行為であること、また社会通念に照らして当該法人の行為であると言えること。そしてもう一つ、刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範に違反するものであること。こういった要件を満たし、それが著しく公共の秩序を害すると明らかに認められる行為、又は宗教団体の目的を著しく逸脱したと認められるという行為があることが客観的事実として明白であることが必要。こうした考え方が示されております。

 まあ、刑法等の実定法規、このように記されております。これをどう解釈するのか、ということであります。いずれにせよ、今の旧統一教会の問題につきましては民法に於いて組織的な不法行為と認定された事件が2件あるという状況であります。こうした状況の中で具体的な実例をしっかりと積み上げて行くことが重要であるということから、こうした報告徴収、質問権の行使、これを行うことが必要であると判断し、この手続に入ることを決した次第であります」

 長妻昭「そうすると政府は解釈を変えたんですかね。その『刑法等』にはですね、民法の使用者責任は入らないと、これ明言されるんですよ、文化庁の課長さんは。国対ヒアリングの場で何度も何度もですね。そうすると、『刑法等』の中に、総理、ちょっと聞いてください、『刑法等』の『等』の中には民法の使用者責任、今仰ったようにですね、認められましたよね、本体の、これ含まれるという、これも含まれるという解釈でよろしいんですね」

 文科相永岡桂子「宗教法人法の第81条に定められました宗教法人の解散事由につきましてただ今総理がおっしゃいましたように平成7年のオウム真理教の解散命令事件の際に東京高等裁判所が示し、最高裁判所で確定した決定に於いてその考えが示されております、所轄庁と致しましては解散命令の請求を行うに当たりましても当該決定を踏まえる必要があると考えます。今後、旧統一教会について明らかになった事実を踏まえて、当該決定に示されました要件に該当すると判断した場合には宗教法人法に基づき厳正に対処していきたいと考えております。

 具体的には法人の代表役員が法人の名の下で取得した財産や人的・物的組織等を利用して行った行為であること、そして社会通念に照らして当該法人の行為であると言えること。そして刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範に違反するものであること。といった要件を満たし、それが著しく公共の秩序を害すると明らかに認められる行為、または宗教団体の目的を著しく逸脱したと認められる行為があることが客観的事実として明白であることが必要との考え方が示されていることと承知をしております」

 岸田文雄「先程申し上げた平成8年(1996年)の最高裁判所で最高裁で確定した判決で示された考え方、これは政府としても考え方、変わってはおりません。先程申し上げましたようにその考え方の中に『刑法等』となっているわけですが、そして今回、こうした報告徴収、質問権を行使する手続きに入る理由として、先程申し上げました2件の民法に於ける組織的な不法行為、認定した判決があることと加えて、今回、合同相談窓口に於いても1700件の相談が寄せられた、その中には警察と繋がりがある案件のような案件の中に今言った、刑法を始めとする様々な規範に、その抵触する可能性があるんだと認識しております。それを含めて手続きに入ったところであります。

 従来のこの最高裁で示された考え方、政府は引き続き、それを踏襲しております」

 長妻昭「これね、何で、これ、私、重要なことなんです。なぜかと言うとですね、旧統一教会の本体については刑事的責任が確定判決で問われていないです。周辺の関連の会社、法人はですね、刑事的責任が確定判決で問われたケースがあるんですね。ところが本体には刑事責任が問われていないんです。総理ね、疑いって言っても、もしじゃあ、国がですね、刑事的訴追をしてですね、そして確定判決が出るまでに相当時間がかかるわけですよね。ですから、私は言っているのは文化庁の課長さんが一貫して言っている政府の解釈を変えない限り、永久に解散請求できないんです。

 だから、そこが核心なのです。だから、総理ね、先程ね、判例は踏襲すると仰いました。その判例には『刑法等』と書いてある。『等』。『等』の中には民法の組織的不法行為が入りませんと、こういうふうに政府は明言しているんです。何度でも国対ヒアリングで。では、『等』に民法の組織的不法行為は入るという解釈を変えてやるんですね、ということを聞いているんです」

 岸田文雄「先程申し上げたように政府としては考え方は変えておりません。だからこそ、先程申し上げた1700件の相談事例の中に警察につないだ案件があると。こうした事態を受けて、よりこの実態を把握するためにこの報告徴収、質問権の行使、これらが必要であると認識をして、手続きに入ったということでございます」

 長妻昭「すると、総理ですね、民法は入らないと。言うことだとすると、結局何年かかるんだって話なんですね。相談で刑事的なことも来ている、ってね、お話ありました。刑事的な訴追の疑いを受ける事例も、それは法令上はですね、確定判決なんですよ。じゃあ、これを警察が捜査して、そしてそれを起訴して、そして裁判で相当争えば、最高裁まで行くでしょう。そして確定判決が出て、初めてということになっちゃうわけです。民法を認めないと。何年か、3年か4年か、5年かかりますよ。

 総理、昨日ですね、誰も、野党の人間が聞いていないのに総理は明覚寺は解散請求から解散まで3年かかったと仰ったわけで、そういう長いスパンを、総理、考えておられるんですかねえ。刑事だけに限るってことは変えないんですか、解釈を」

 岸田文雄「あの、昨日オウム真理教の例を、そして明覚寺事件の例を挙げたのは殺人罪で起訴された案件。でも、7ヶ月かかった。そして詐欺罪が確定している案件、であっても、3年かかった。こうした事例を挙げるより今回の件についても事実をしっかりと積み上げる必要があると考えたからこそ、今回この報告徴収、質問権の行使に踏み切ったと説明をさせて頂いたという次第であります。是非、手続きを進める上からも、この報告徴収、質問権の行使は重要であると認識をしております」

 長妻昭「これですね、あの解散請求、解散命令っていうのは最大の予防なんですよ。本当に被害者の方、何人もお会いしました。自殺者も多いんです。生活保護になっておられる方も多いんですよ。防がなきゃいけないんですよね。そういう意味でもう1回、お尋ねすると、重要なことなんで、じゃあ、刑事的な判決に限定するということでよろしいんですね。この解散請求の法令違反という解釈は」

 岸田文雄「先程から申し上げているように平成8年の最高裁の判決で示された判断はこれを維持しているということであります」

 長妻昭「そうすると、刑事的確定判決に限定されるという解釈ですね」

 岸田文雄「判決の中で示されているように『刑法等』の実定法規の定める禁止規範、または命令規範に違反するものがあるという考え方、これを堅持しているという申し上げております」

 長妻昭「禁止規定等命令違反というのは民法のですね、今仰った不法行為ですね、組織的行為、これは入らないという理解ですね」

 岸田文雄「仰ったように民法の不法行為、これは入らないという解釈であります」

 長妻昭「これではっきりしました。今、はっきりしました。私はこれ信用できません。質問権含めて、つまりですね、被害者弁護団の方々が声明を出して、法律には『法令』って書いてあるんです。別に民法も刑法も何も書いてないんです。それで、それも今の判例も、オウムの判例なんです。刑事的事件の判例に書いてあっただけの話なんで、そういう解釈に固執する限りですね、刑事的訴追して確定判決が出る。それもいくつも出る。それを待つということになるんでね、私は何年もかかるというふうに思わざるを得ないんです。総理の本気度が問われますんで、ダメですよ、これ。解釈をもうちょっと整理して頂きたいということを私は申し上げます。それでちょっと質問に入りますから・・・」

 委員長が長妻が次の質問に入る前に岸田に答弁の機会を与える。

 岸田文雄「過去の例を見ても、日数がかかるからこそ、今回の案件についても、事実関係を積み上げる必要があるという問題意識から、この手続に入っているというわけであります。是非、できるだけ迅速に手続きを進めるためにも報告徴収、質問権の行使、迅速に行なっていきたいと思います」

 長妻昭「これね、今の反論になっていないですね。私が申し上げているのはこの刑事に拘るわけですね、民法はダメだというふうに。そうすると、今ですね、旧統一教会の本体は刑事的な確定判決ってないんです、今。周辺ではありますよ、周辺の団体には。だから、一から今やると、何年もかかると言わざるを得ない得ないですね。ですから、本気度が問われるっていうことを言ってるわけです。

 角度を変えて、次、質問に入りますが、統一教会関係のですね、ネットでの会議とかいうところの発言録が流出報道がございました・・・・」

 文科相の永岡桂子は何のために答弁に立ったのだろう。岸田文雄が既に答弁しているほぼ同じ内容を役人の書いた原稿を読み上げただけで、野党議員が制止しようと立ち上がって委員長席に近づいたが、強引に最後まで読み上げて引き下がっていった。

 最初に「実定法規」という言葉が何度も出てくるが、ネットで調べてみると、「実定法」という表記で意味・説明がなされている。【実定法】「慣習や立法のような人間の行為によってつくりだされ、一定の時代と社会において実効性をもっている法。制定法・慣習法・判例法など」(goo辞書)

 要するに実定法とは国会が制定した成文化された法律である制定法(憲法、刑法、民法、その他その他――国会の決議を経て制定される法規範である「法律」に当たる)から共通する成文は持たないものの、社会的に、あるいは地域によって一定の拘束力を持つ生活習慣上の決まり事や判例等をを指すことになる。

 長妻が岸田文雄に「解釈変えたんですか」と言っていることは、解散請求要件の法令違反には刑法も民法も入っていたが、民法除外、刑法限定へと解釈変更したのかの意味を取ることになる。明覚寺解散もオウム真理教解散も刑事裁判であって、民法の法令違反を要件とし、解散命令を出した民事裁判が一度もないということからの刑法限定ということなら、民法除外は政府側の元々の原則と言うことになる。長妻は民法除外を不当としているのだから、この原則をストレートに否定すべきを、否定できずに、逆にこの原則に則る場合の事態を想定、統一教会本体に刑事の確定判決が出ていないから、本体への解散請求はできないことになると、その障害を繰り返し訴えることしかできない。政府側の解釈変更を願っても、跳ね返されるだけで、それがハードルとなる以上、別の攻めどころを探って、戦法を変えるということもしなければならないのだが、解釈変更の追及に重点を置いていて、柔軟な攻め手を見せることができなかった。裏を返すと、追及に臨機応変さや柔軟性を欠いていた。結果、時間のムダとなり、カエルの面に小便程度の追及しかできなかった。

 大体からしてこの解散請求の要件について「ずっと何十回と」行った野党ヒアリングをいつ頃から始めて当該国会質疑にまでどのくらいの期間を経ているのかは分からないが、この期間内にこの手の役人の理論を打ち破ることができなければ、首相以下の閣僚が野党からの質問通告を受けて、通告された質問に添って役人が答弁原稿を作成、首相以下の閣僚がその原稿を読み上げることで答弁とすることが主流となっている国会質疑の構造から言って、望みの答弁を手に入れることは先ず不可能なことを弁えなければならなかったが、弁えることができず、役人の理論の打開を岸田に求めようとしたから、野党ヒアリングと同じ展開を招く時間のムダを費やすことになった。

 岸田文雄の答弁が示している旧統一教会に対する解散の認定要件は、平成7年(1995年)に東京高等裁判所が行ったオウム真理教に対する解散命令判決に対してオウム真理教がその判決を不服とする抗告を最高裁判所に行い、平成8年(1996年)に最高裁判所は抗告棄却を決定、オウム真理教の解散が確定、この経緯に於ける東京高等裁判所が示した解散事由を参考に解散の認定要件とする姿勢を取っている。

 解散の認定要件

1. 法人の代表役員が法人の名の下で取得した財産や人的・物的組織等を利用して行った行為であること
2. 社会通念に照らして当該法人の行為であると言えること
3. 刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範に違反するものであること

 これらの行為・違反を解散の決定要件とする条件

1.著しく公共の秩序を害すると明らかに認められる行為であること
2.宗教団体の目的を著しく逸脱したと認められる行為であること
3.両行為が客観的事実として明白であること

 以上であるが、岸田は「刑法等の実定法規、このように記されております。これをどう解釈するのか」と「刑法等の実定法規」の文言を二度持ち出して、解釈が決まっていないかのような態度を見せるが、東京高裁の宗教法人オウム真理教解散命令事件判決を旧統一教会解散請求の判断基準にすると決めている以上、「どう解釈するのか」は決まっていなければならない。事実最終的には「仰ったように民法の不法行為、これは入らないという解釈であります」と答弁しているのだから、刑法のみの法令違反を解散請求の判断基準としていて、民法の法令違反は解散請求の判断基準としていないことがはっきりとすることになる。

 対して長妻昭は最後の抵抗(最後の足掻き?)を見せて、「法律(=宗教法人法解散請求第81条)には『法令』って書いてあるんです。別に民法も刑法も何も書いてないんです。それで、それも今の判例も、オウムの判例なんです。刑事的事件の判例に書いてあっただけの話なんで、そういう解釈に固執する限りですね・・・総理の本気度が問われます」云々と抗議するが、文字解釈の妥当性に正面からぶつかるのではなく、岸田文雄の本気度のレベルで文字解釈を網にかけるようでは長妻昭自身の本気度が問われる追及の程度となりかねない。結局のところ、文化庁の課長相手に野党ヒアリングを「ずっと何十回と」やってきたも関わらず、課長の発言から一歩も出ない結末を手にしただけで終わることになった。追及に時間を掛けたが、何の成果も見い出すことができなかった。何のことはない、攻めどころを間違えただけである。

 長妻昭は東京高等裁判所が判決で示したオウム真理教解散の認定要件のうちの「刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範に違反するものであること」の「実定法規」の種類、「刑法等」に関して、「『等』の中には」とまで発言したものの、「等」という言葉の意味の解釈に特化して攻めるのではなく、「『等』に民法の組織的不法行為は入るという解釈を変えてやるんですね」と政府側の民法除外の解釈変更路線を自分の方から既成事実となっているかのような見当違いの問題意識を見せてまでいる。言葉の意味の解釈に特化して攻めていたなら、このような問題意識を見せることはない。生ぬるさだけが目立つ。

 「等」の言葉の意味は、「同種のものを並べて、その他にもまだあることを表す」(goo辞書)であって、つまり「刑法等」とは刑法に限ったことではなく、社会秩序を維持するための強制的な法規範という点で同種ものとなる民法、その他をも含んで「刑法等」と表記していることになるのだから、そのことに留意した追及に重点を置くべきを、それができなかった。この手の凡ミスは今に始まったことではない。

 宗教法人法第81条解散請求の第1項で要件としている、〈法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。〉の「法令」という言葉の意味は既に触れたように、国会の決議を経て制定される法規範である「法律」と、国会の決議を経ないで行政官庁が制定する法規範である「命令」を合わせた表記となっている以上、「法令」のうちの「法」は刑法のみならず、民法、その他を含むことになるだけではなく、裁判所の宗教法人に対する法律違反に基づいた強制解散命令は宗教法人法第81条解散請求の条文を基礎として判決文が構成されることになる関係から、第81条2項の「法令に違反して」の「法令」は東京高裁判決で示した解散の認定要件の一つ、「刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範に違反するものであること」の「刑法等」と対応関係を取ることになることからも、「等」が刑法のみに限定しない、民法、その他も含む言葉、あるいは単語であることの証明としなければならない。

 もし東京高等裁判所が刑法のみの法律違反に限定して「刑法等」の言葉を使っていたのだとしたら、宗教法人法第81条2項の「法令に違反して」の「法令」も刑法のみに限定していることになっていて、それを受けた意味限定と言うことになり、言葉の使い方として奇妙な不整合を発生させることになるし、全ての国語関係の辞書の「法令」なる単語の意味を、〈国会の決議を経て制定される法規範のうちの「刑法」と、国会の決議を経ないで行政官庁が制定する法規範のうちの刑法関連の「命令」を指す。〉と書き改めなければ、不整合は解けないことになる。

 似たようなことを言うが、長妻昭は野党ヒアリングでの文化庁の課長相手の「ずっと何十回」を岸田文雄相手に繰り返したに過ぎなかった。不毛と言うだけで、時間を掛けたことに反して何の発展もない時間のムダそのものだった。

 岸田文雄は2022年10月18日の衆院予算委での長妻昭に対する解散要件「民法の不法行為は入らないとの解釈」は翌日10月19日の参院予算委員会では小西洋之に対して「民法の不法行為も含まれる」と答弁変更することになった。このことを以って長妻昭が答弁変更のキッカケを作ったのは自分だと思ったとしたら、もはや救いようがない。小西洋之にしても岸田の答弁変更を「衆議院での質疑に敬意を表しながら」と長妻の追及がさもキッカケになったとばかりに花を持たせているが、小西洋之自身が厳しい追及の目を欠いていたから、このような評価が口をついただけのことであって、結果的に仲間内を持ち上げる独り善がりなお門違いの形を取ったに過ぎない。

 両者の追及が余儀なくさせた軌道修正ではなく、岸田文雄が自分から軌道修正した答弁変更に過ぎない。言葉の厳格な意味解釈に照らすと、元々から民法も含まなければならない宗教法人法第81条解散請求の建付けとなっている。この元々からをそのとおりだと認めさせることができなかったのだから、たいした追及であるはずはない。大体が刑事上の犯罪行為と民事上の不法行為それぞれを比較して、どちらがより悪質かと答を出そうとすること自体が間違った判断であって、刑事上の犯罪行為はそれぞれの犯罪行為との比較で、民事上の不法行為はそれぞれの不法行為との比較で悪質性の程度を判断すべきであることは自明の理であろう。民事上の不法行為の中でも旧統一教会の霊感商法の遣り口と収奪金額や強制献金の遣り口、その金額を一覧すれば、特にその悪質性の程度は飛び抜けていることが簡単に理解できる。もし岸田政権が解散請求要件とする法令違反を民法除外・刑法限定としたなら、旧統一教会の悪質性を遣り過すことになる。あるいは問題視していないことになる。長妻昭にしても、小西洋之にしても、こういった点すら、追及できなかった。

 小西洋之は10月19日の参院予算委員会で岸田文雄が「民法の不法行為も含まれる」とした軌道修正に向けて軽く笑いながら「朝令暮改にも程がありますよね」とそのレベルの受け止め方をしているが、軌道修正に対して踏み出す方向を間違えている。首相答弁に対するこの程度の嗅覚、この程度の食いつき方では「立憲は批判ばかり」の評価から抜け出すのは容易ではない。

 では、小西洋之の追及が長妻昭同様に如何に時間のムダ、冗長なだけで、カエルの面に小便程度の国会追及であったかどうか、その質疑応答を見てみることにする。

  2022年10月19日参議院予算委員会

 小西洋之「小西洋之です。統一教会の問題から質問を致します。昨日の衆議院の審議で岸田総理は宗教法人法の解散命令の要件には不法行為責任などの民法違反は該当しないと繰り返し明言をしました。これこそこの4月以来、私たち立憲民主党が追及をしてきた自民党と旧統一教会の癒着の成れの果てであり、またその癒着の構造の結晶ともいうべき暴挙でございます。

 これから具体的に証拠を以って民法排除の解釈が宗教法人法に違反する違法な解釈行為であったと立証し、厳しく追及致しますが、その前に念の為に最後の機会をご提供申し上げますが、岸田総理、宗教法人法の解散命令の要件に不法行為責任などの民法違反は該当しないという政府答弁を撤回修正するお考えはありませんでしょうか」

 岸田文雄「ご指摘のように宗教法人法の解散命令の要件として東京高等裁判所で示した刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範について民法上の不法行為は入らないと答弁致しましたのは、この決定の内容についてのお尋ねがありましたので、これまでの考え方を説明したものであります。これまでは東京高等裁判所決定に基づき『刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範』は刑法など、罰則により担保された実定法規の典型例と解してきたところであります。
 
 この点につきまして政府に於きましても改めて関係省庁が集まりまして議論を行いました。そして昨日の議論も踏まえまして改めて政府としての考え方を整理させて頂きました。ご指摘のこの東京高等裁判所の決定、これはオウム真理教に対する解散命令という個別事案に添って出されたものであります。一方、旧統一教会については近時、法人自身の組織的な不法行為責任を認めた民事判決の例があることに加えて、法務省の合同相談窓口に多くの相談が寄せられ、中には法テラス(日本司法支援センター)や警察などに紹介されていることを踏まえて、報告徴収、質問権の行使のあり方について詰めの作業を行っているところであります。

 それによって政府としましては今後これらの事実関係を十分分析の上、東京高裁決定に示されている内容を参考に行為の組織性や悪質性・継続性などが認められ、宗教法人法に定める法令に違反して著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為、または宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたと考えられる場合には個別事案に応じて解散命令の請求について判断すべきであると考えております。

 よって、政府の考え方を整理した上で行為の組織性や悪質性・継続性などが明らかとなり、宗教法人法の(解散命令の)要件に該当すると認められる場合には民法の不法行為も入りうると考え方を整理した次第であります。改めて政府の考え方を整理した上で答弁させていただきます」

 小西洋之「あの、今、岸田総理から明確にですね、宗教法人法の(解散命令の)要件が該当すると仰って頂いたことをもう一度あとで確認し致しますけども民法の不法行為責任については、によって宗教法人法の解散命令の請求ができると。それは宗教法人法の法律解釈としてできるという政府見解でよろしいでしょうか」

 岸田文雄「はい、個別事案に応じてすべきである。結果としてご指摘のように民法の不法行為も該当する。このように政府としては考え方を整理させて頂きました」

 小西洋之「まあ、私も12年間、国会議員をしていますけども、朝令暮改にも程がありますよね。(軽く笑ってから)まさに癒着構造のですね、冒頭に申し上げた、自民党政治と旧統一教会の癒着構造の名笑撃(?)、それも成れの果てだと思うんですが、しかし今の総理の答弁変更、解釈変更、というのは解釈の修正・撤回だと思いますが、それは被害者、あと国民、また日本の法の支配のために非常に重要な一歩だと思います。

 あの、これから質問させて頂きますけども行使されるという宗教法人法の質問権などを直接に行使頂くためには今の政府のお考えというのはもう少しきちんと確認させて頂く必要があります。総理は今の説明の中で東京高裁の決定に示されている内容を参考にと仰いました。あくまで政府としては東京高裁の決定で示されていると政府が理解している宗教法人法の解釈、政府の解釈ですね、それは重要なものであって、それについては縛られる。あるいはそれを踏まえて行われると、そういう理解でよろしいでしょうか」

 岸田文雄「宗教法人法に基づく事案の判例がありますので、政府と致しましてはその東京高裁の決定につきましては参考にさせて頂く。しっかりと基本的な考え方に於いて参考にさせて頂く。それは当然のことであると思います。ただ、それぞれ個別事案に応じて状況、そして事態は様々でありますので、旧統一教会の事案につきましては現状をしっかりと把握した上で法律を適用していきたい、こうした考え方を整理した次第であります」

 小西洋之「あの、81条の解散命令の要件を政府はどう認識するかはですね、質問権を適切に行使して、私は解散命令の請求は直ちに行うことは法律的にできるし、しなければいけないというふうに考えておりますけども、被害者救済、被害防止のために極めて重要でございます。ですので、政府の81条の解散権の解釈ですね、条文の81条の解釈というものをしっかりと確認させて頂きたいと思います。

 今フリップを掲げさせて頂いたのは解散命令の要件、この法令に違反しているということは、これがキーワードでございます。

 フリップ宗教法人法・解散命令「法令に違反して」

 「この法令に違反して云々というような文言は、何も宗教法人法ばかりに限ったことではありませんで、他の一般のいろいろな法規に違反するという場合をさしているわけであります。

 ・・・たとえば今御指摘の問題でありますならば、法務省あるいは人権擁護委員会でいろいろお調べになっておりまして、将来そういうところで客観的にはっきりした事実が確認できれば、それは文部大臣としてもその事実を認めて必要な措置はとられる」(1956年(昭和31年)6月3日衆議院法務委員会)

 「逐条解説宗教法人法」(渡部蓊・しげる)

 「法令」とは、宗教法人法はもちろん、あらゆる法律、命令・条例などを指す。宗教法人が法令に違反するとは、宗教法人の役員または職員がその業務の執行に関し、違法行為をしている場合(「責任役員がそのような決議をしている場合)を指す」

 『法令に違反して』と言うのをきのうまで岸田総理は『民法は入らない』言っていたのですが、今入るというふうに言い始めたわけでございます。ところが一つ目の文字の塊でございますけども、昭和31年の国会答弁でございますが、『この法令に違反して云々というような文言は』、『他の一般のいろいろな法規に違反するという場合をさしているわけであります』。『他の一般のいろんな』ですから、総理よろしいですか、全ての法令が入るわけです。その証拠にその下の文字の塊、赤い部分でございますけども、これは宗教法人に関する宗務行政(?)ですね。文化庁にも務められ、国会答弁もなさっていた、文化庁の元職員の方が書いた逐条解説。文化庁でこれを基に実務をやっていると言われている、いわゆる法令解釈の虎の巻でございますが、そこにはこう書いてあります。『「法令」とは、宗教法人法はもちろん、あらゆる法律、命令・条例などを指す』というふうに言っているわけでございます。そしてつまり違法行為をやっている場合、役員だけではなくて、職員も違法行為を行っている場合のことを指すんだというふうなことを言っているわけでございます。

 岸田総理に伺います。岸田政権の宗教法人法第81条の解散命令の『法令に違反して』の政府解釈は今私のお示した過去の国会答弁及び逐条解説、同じことを言ってます。あらゆる法律、条例が該当する。そういう理解でよろしいでしょうか」

 岸田文雄「先程申し上げたように個別事案に即して法律を適用するわけでありますが、基本的な考え方は変わっていないと思っております」

 小西洋之「基本的な考え方は変わっていないというのはこの昭和31年の他の一般の色んな法規の即ち、『あらゆる法令』に違反するものが法令違反に 
該当すると、そういう理解でよろしいでしょうか」

 岸田文雄「不法行為の組織性や悪質性、継続性が明らかとなり、宗教法人法の要件に該当すると認められる場合、あらゆる法律が該当する。この考え方は変わっていないと認識しております」

 小西洋之「今、明確になったと思います。組織性・悪質性・継続性というのは宗教法人としての法人としての行為等の根拠としての解釈要件ですから、まあ、それが必要になるわけでございますけれども、そうしたことを満たしていれば、あらゆる法令違反が対象になる。

 すみません、もう1回確認します。あらゆる法令がこの法令違反の対象になる。民法も、不法行為責任も、使用者責任も。719条の不法行為責任と、715条の使用者責任、どの民法違反も全て対象になりうるということでよろしいでしょうか」

 岸田文雄「組織性・悪質性・継続性などが明らかであり、宗教法人法の要件に該当する場合にご指摘の民法の不法行為、これも入りうるという考え方、先程説明させて頂いたとおりであります」

 小西洋之「民法715条の使用者責任が認められた民事判決が統一教会の場合は20件以上あるんですが、当然、民法715条の使用者責任も対象になりうるということでよろしいでしょうか」

 岸田文雄「使用者責任につきましても、その組織性や悪質性や継続性が明らかであること、あるいは宗教法人の要件に該当すると認められるということ。これらを合わせることによって、そうした行為も対象となると考えております」

 小西洋之「朝令暮改とは言え、正しい解釈に近づいたことはですね、国権の最高機関、これはこれとして衆議院での質疑に敬意を表しながら、皆さんに確認させて頂きたいと思います。

 ただですね、自民党と統一教会の癒着というのは元安倍総理から地方議員の皆様に至るまで本当に広範囲且つ深刻なものでございますんで、ひっくり返されたら困るんで、念のために岸田政権が参考にすると言っている東京高裁の決定ですね、岸田総理、これ最高裁判決と全部言っていたんですね。だから、多分、東京高裁の判決、読んだことがなかったと思うんですけれども、実はですね、岸田総理は昨日まで民法は当たらないと言っていた東京高裁のこの判決文なんですけども、普通の日本語、義務教育を受けた日本国籍のみなさんが読めば、民法は当たるんですよ。旧統一教会の問題をまさに解散命令を発動するためのことを東京高裁の決定は言っている、そうとしか読めないんですけれども、ちょっと上から説明しますね。

 フリップ 「東京高裁決定の『解散命令の意義」(平成7年12月19日)


 「宗教団体が・・・一夫多妻、麻薬使用等の犯罪や反道徳的・反社会的行動を犯したことがあるという内外の数多くの歴史上明らかな事実に鑑み、・・・」

 「宗教団体が、・・・法の定める禁止規範もしくは命令規範に違反し、公共の福祉を害する行為に出る等の犯罪的、反道徳的・反社会的存在に化することがありうるところから、・・・これに対処するための措置を設ける必要があるとされ、かかる措置の一つとして、

 「右のような・・・解散命令制度が設けられた理由及びその目的に照らすと、・・・「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」・・・とは、・・・刑法等の実定法規の定める禁止規範又は命令規範に違反するものであって、しかもそれが著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為・・・をいうものと解するのが相当である。」

  これは今フリップでお示しいているところですが、解散命令、81条の解釈を東京高裁の決定で述べているところでございます。先ず、なぜこういう制度を作るのかその理由・目的についての裁判所の判断がございます。一つ目ですけれども、『宗教団体が・・・一夫多妻、麻薬使用等の犯罪や反道徳的・反社会的行動を犯したことがあるという内外の数多くの歴史上明らかな事実に鑑み、』、キーワードはよろしいですか、『犯罪』ですね。岸田総理はどう言っていたか、刑罰ですよ。『犯罪』、ただ犯罪ではない『反道徳的・反社会的行動』。例えば詐欺とか一夫多妻というのは民法違反になるんですね。

 一夫多妻というのは重婚の届けをすれば、これ刑罰飛んで来ますけど、事実上の一夫多妻をやっているのは日本にもいらっしゃって、テレビでも登場されていますけども、刑罰ないんですよね。ただこういうことを教義として社会全体に広めると、おかしなことに歴史上、なったことがあるよねということを東京高裁は言ってますね。

 よって次ですね。『宗教団体が、・・・法の定める禁止規範もしくは命令規範に違反し、公共の福祉を害する行為に出る等の犯罪的、反道徳的・反社会的存在に化することがありうるところから、・・・これに対処するための措置を設ける必要があるとされ、かかる措置の一つとして、』というふうに言っているわけですね。ここでも犯罪的ではない、『反道徳的・反社会的存』、民法違反も当然含むわけなんです。

 よって、『「右のような・・・解散命令制度が設けられた理由及びその目的に照らすと』、条文ですね、『法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為とは、刑法等の実定法規の定める禁止規範又は命令規範に違反するものであって』というふうに解するのが、まあ、相当だというふうに言っているんですね。

 岸田総理、質問通告してますけども、岸田総理のお考えをお聞かせください。この東京高等裁判所の今、私が説明した決定の全体構造から刑法罰で担保された法律違反でなければ、解散命令は行使できないということを説明できますか。説明できないんであれば、『なかなかちょと分かりません』で結構ですけども、それだけ述べてください」

 岸田文雄「昨日まで刑法点が典型的な例であると申し上げてきたのはまさに東京高裁の決定の中で『刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範に違反するもの』のこの部分につきまして政府の今までの考え方を説明させて頂いた、こういうことであります。

 この文字も含めて、先程申し上げた個別事案に即して、その検討をするということを考えました際に政府としては民法も含めるという判断に至った、こうした説明をさせて頂きました」

 小西洋之「個別事案がどうであれ、法規範なんで、法規範は民法を始めから含んでいるってことが大事なんです。岸田総理、確認ですけれども、この『刑法等の』刑、『等』と書いてありますから、この『等』には岸田政権として民法は含まれると解釈しているということでよろしいですね」

 岸田文雄「はい、結論から申し上げますと、民法も含まれるという判断です」

 小西洋之「あの、明確になりました。これはですね、質問権を行使して、解散命令の請求を行って頂かなければいけませんので、そのための取り組みについて質問をさせて頂きたいというふうに思います」

 小西洋之は岸田文雄が前日衆院予算委の答弁どおりに宗教法人法第81条解散命令1項解散要件に民法の法令違反は除外し、刑法の法令違反のみを対象とするとの答弁を予定して、追及を組み立て、質問通告しておいたのだろう。ところが予定に反して岸田文雄が民法の法令違反除外を撤回、対象内とする軌道修正を図った。当然、民法の法令違反除外は誤りだったことになる。単なる錯誤による間違いか、解釈の間違いか、どちらの間違いであっても、間違うこと自体が旧統一教会の問題が世間を騒がしている関係から、行政として旧統一教会の問題に向き合う姿勢の真摯さが問われることになる。

 そこで小西洋之としては宗教法人法第81条解散請求がなぜ刑法の法令違反のみを対象とし、民法の法令違反は除外する誤った判断に至ったのか、その根拠と経緯と、さらに刑法の法令違反のみならず、民法の法令違反をも対象内と判断するに至った軌道修正の詳しい根拠と経緯を追及して、行政として旧統一教会の問題に向き合う姿勢の真摯さの程度を問い詰め、真摯さの程度に応じた責任を問わなければならなかった。

 例えば小西洋之はフリップで示した1956年(昭和31年)6月3日の衆議院法務委員会国会答弁ではあらゆる法律違反を含めているが、旧統一教会の法律違反関して昨日までは刑法に限り、民法を除外するとした根拠・理由は何なのかと追及することもできた。

 だが、小西洋之の追及はそういった方向に進まずに軌道修正を「被害者、あと国民、また日本の法の支配のために非常に重要な一歩だ」と歓迎し、今日の冒頭の答弁で既に過去のものとした民法の法令違反除外・刑法の法令違反のみ対象の政府見解を相手に国会答弁や東京高裁判決、逐条解説、法人法第81条の条文を用いて、それぞれの見解や文字解釈から言って民法の法令違反も含まれるんだと後追いで講釈する馬鹿丁寧を費やし、そのたびに岸田文雄から民法の法令違反に加えて「組織性・悪質性・継続性などが明らかであり、宗教法人法の要件に該当する場合」と条件追加を受け、それが5回まで繰り返させている。基本の条件は原則となるものだから、言質を取るにしては繰り返しが多過ぎ、時間のムダで、甲斐のない努力としか言いようがない。特に「これから具体的に証拠を以って民法排除の解釈が宗教法人法に違反する違法な解釈行為であったと立証し、厳しく追及致しますが」と勇ましく前置きしたものの、この点に関しても"厳しい追及"とはなっていなかっただけではなく、民法の法令違反除外は誤った政府解釈だった、なぜこのような誤った判断に立つことになったのか、そのように追及する方向に進ませる意図を全然示すことはなかったのだから、切れ味も何も感じることはできなかった。

 このように中身のない追及ではあったものの、早口に次々と言葉を繰り出す能力は目を見張るものがあり、結果的に小賢しさだけが目立ったのは当方だけの印象なのだろうか。この小賢しさは東京高裁がオウム真理教解散命令事件判決で宗教法人の違法行為の例の一つとして挙げたに過ぎない「一夫多妻」を持ち出して、旧統一教会の解散問題とは何の関わりもないにも関わらず、「事実上の一夫多妻をやっているのは日本にもいらっしゃって、テレビでも登場されていますけども、刑罰ないんですよね」と如何にも物知りふうに余分な事柄にまで手を突っ込む点に典型的に現れている。

 岸田文雄が刑法のみの法令違反を解散要件に位置づけた理由を、「これまでは東京高等裁判所決定に基づき『刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範』は刑法など、罰則により担保された実定法規の典型例と解してきたところであります」とその根拠を述べ、同じ趣旨のことをもう一度繰り返している。但し前日の長妻昭に対しては、同様のことは述べていない。宗教法人オウム真理教解散命令事件は刑事裁判だから、オウム真理教が犯した「禁止規範又は命令規範違反」は必然、刑法上の違反を示していることになり、刑法という「実定法規の典型例」として現れることになるが、だからと言って、刑法に限ったことにしたなら、東京高等裁判所が判断とした「刑法等」とする言葉の使い方は矛盾することになる。なぜなら、「実定法規の定める禁止規範又は命令規範に違反」したことに基づいて与える罰則自体は、対象とする犯罪行為に違いはあっても、刑事、民事共通の裁判行為であって、刑事、民事いずれか一方の裁判行為とすることはできないし、「実定法規」という言葉自体が刑法も民法も、その他の実定法も含む言葉遣いとなっているからである。

 当然、東京高等裁判所は「刑法等」の「等」の言葉を使うことによって罰則は刑法の「禁止規範又は命令規範違反」のみに与える性格のものではないことを世間に知らしめたことになり、岸田政権が2022年10月18日の衆議院予算委員会の時点まで民法の法令違反は宗教法人の解散請求要件には含めないを政府見解としていたことは誤った判断だったということだけではなく、旧統一教会の巧妙な霊感商法を受けた高額商品の売付け被害や高額献金被害に対する政府の解決姿勢の熱心さに関係することになる言葉の解釈、論理の解釈の能力の問題に帰すことになり、誤った判断とこの能力の問題が信者の被害救済の遅れを生じさせていることは十分に予想できる。それ相応の責任問題が生じるはずだが、小西洋之は宗教法人の解散要件に民法の法令違反も対象となることの論拠の提示のみに熱心で、民法の法令違反除外が信者の被害救済の遅れを生じせしめていた可能性とそのことの責任問題にまでは注意を払うこともなかった。

 また、岸田文雄が軌道修正の経緯を「政府に於きましても改めて関係省庁が集まりまして議論を行いました。そして昨日の議論も踏まえまして改めて政府としての考え方を整理させて頂きました」と述べているが、どのような「議論」を行った結果、刑法の法令違反のみを対象とし民法の法令違反を除外としてきたことは誤った判断であり、刑法の法令違反と共に民法の法令違反を加えることが正しい判断だと「整理」することになったのか、その顛末を聞き出し、明らかにしなければ、野党議員の立場からの政府追及者としての資格はないに等しい。小西洋之はその資格もなく、国会質疑の場に立っていたことになる。

 このことは小西洋之一人だけのことではなく、長妻昭にも同じことが言えるし、他の野党議員も似たり寄ったりの立場にいると言える。そしてこの程度の追及者に国会議員としての資格を与え、それ相応の給与を税金から支払っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2022年8月NHK総合戦争検証番組は日本軍上層部の無責任な戦争計画・無責任な戦略を摘出し、兵士生命軽視の実態を描出 靖国参拝はこの実態隠蔽の仕掛け(1)

2022-10-31 04:53:31 | 政治
 2022年8月、NHKが再放送も含めて日本の戦争を検証する番組をいくつか放送していた。内容に刺激を受けて、ブログで取り上げてみることにした。ここで取り上げるのは全て番組を記事にしたものから利用することにした。(リンクはあとから)

1.2022年8月10日放送NHKスペシャル 選 新・ドキュメント太平洋戦争1941開戦(前編)
2.2022年8月10日放送NHKスペシャル 選 新・ドキュメント太平洋戦争1941開戦(後編)
3.2022年8月13日放送NHKスペシャル新・ドキュメント太平洋戦争1942大日本帝国の分岐点(前編)
4.2022年8月14日放送NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争1942大日本帝国の分岐点(後編)
5.2022年8月15日放送NHKスペシャル 選「戦慄の記録 インパール」
6.2022年8月15日放送NHKスペシャル「ビルマ絶望の戦場」

 放送の体裁は、記事も同じ体裁を取っていることになるが、将兵や一般市民、さらに現地人等、それぞれの日記、手記、証言、尋問調書等に現れている各個人の思いや考え、主張に「エゴドキュメント」としての体裁を与えて、検証していくという手法を採っている。そこでは日米戦争の形勢悪化の過程でより露出することになった日本帝国軍隊という組織の矛盾を暴くことになり、結果としてその実相・正体がどのようなものであったかを明らかにしていく。日本は東南アジア諸国を欧米の植民地支配から解放し、日本を盟主に共存共栄の広域経済圏をつくりあげるとする「大東亜共栄圏」とアメリカの影響力を排する「自存自衛」を戦争の大義としたが、その構想自体が東南アジア進出当初から矛盾を見せていて、1945年8月15日の敗戦に向かう過程で手の施しようもなく破綻していく作戦の遂行に飲み込まれて有名無実化し、敗戦と共に潰え去ることになるが、日本という国家に戦争を遂行する能力も、何よりも大東亜共栄圏を概念通りに実現する道徳的精神さえも欠いていたことを番組は明らかにする。所詮、戦争を正当化するために体裁よく用意したスローガンに過ぎなかったから、構想と現実との乖離が生じることになった。

 日本はアメリカに中国大陸からの完全撤退等を要求され、呑むことができず、「大東亜共栄圏」と共に「自尊自衛」のスローガンを掲げて1941年12月8日午前3時20分(現地時間7日午前7時50分)、真珠湾を奇襲攻撃、対米開戦に踏み切ったが、時の総理大臣は東條英機。陸相と内相を兼任していた。就任は1941年10月18日。就任から2ヶ月とかからない開戦となっているが、総合的な戦略を伴わせた戦争計画の立案に関しては「大日本帝国憲法 第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」の規定に則って陸海軍を統率・指揮する統帥権は天皇の大権、天皇のみが許される独立した権限とされ、陸軍の場合は参謀総長をトップとした参謀本部、海軍の場合は軍令部総長をトップとした軍令部が行い、首相も陸軍大臣も海軍大臣も作戦計画には参画外にあったが、東條英機は中国では関東軍参謀長を務め、のちに陸軍省陸軍次官の地位に就き、1940年7月に第2次近衛文麿内閣の陸軍大臣に就任してたのだから、軍人の立場からのネットワークによって作戦の内容・骨格は一定程度知りうる立場にあっただろうし、一定程度の口出しも可能だったかもしれない。その上、首相就任後は天皇の意向を受けて対米和平に転じていたものの、元々は対米開戦強硬派の一人であったことと陸軍大臣を兼任していた関係から、開戦した場合はかく戦えりの対米戦争戦略は大まかには持ち合わせていたはずで、その理由は当初は陸軍大臣として天皇臨席による国の重大政策決定の場である御前会議に出席、1941年11月5日の対米和戦両構えの策を決定した第7回御前会議と1941年12月1日の対米開戦を決定した第8回御前会議には内閣総理大臣兼内務大臣兼陸軍大臣の資格で出席していたからである。

 その一定程度がどの程度か知る術は当方は持ち合わせていないが、陸海軍が構想することになったかく戦えりの戦争計画の立案、対米戦争戦略はある制約を受けることになった。戦略とは一般的には自らの人的・物的戦争資源を如何に使い、南進とか、北進とか、あるいはどこを占領して、どのような資源を確保するかといった戦争の長期的・全体的な準備・計画・運用の方法を言うが、ここでは個々の戦いに於いて国力や軍事力等を背景とした兵力の彼我の差を計算に入れて、その差をどう埋めて、どう処理し、どう勝利に導いて、長期的・全体的な準備・計画・運用の総合的な戦略にどう貢献するか、どう導いていくかの実際的戦法にも「戦略」なる言葉を用いる。その理由は個々の戦いは勝ち負けの単なる戦術を超えて、全体的な戦争目的に常に関連付けられていかなければ、戦争そのものの最終的な勝利へと結びつけることが困難となるからである。

 勿論、個々の戦いの指揮は各現地部隊の司令官に任されるが、戦争の総合的な戦略に適う戦いを可能としうるか否かの人材の配置は作戦計画の立案に関わる軍の統帥機関や現地司令部の、誰をどう用いて如何に軍を経営していくか、如何に戦争を進めていくかの組織管理能力の問題に帰す。当然、軍上層部の全体責任事項となる。

 先ず陸海軍が戦争計画の立案に基づいた対米戦争戦略にどのような制約を受けることになったかを見てみる。制約を与えたのは勅命設立の総理大臣直轄総力戦研究所が行った日米戦想定の机上演習報告である。「総力戦研究所」(Wikipedia)

 〈模擬内閣閣僚となった研究生たちは1941年7月から8月にかけて研究所側から出される想定情況と課題に応じて軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通しや食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。

 その結果は、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」という「日本必敗」の結論を導き出した。

 これは現実の日米戦争における(真珠湾攻撃と原爆投下以外の)戦局推移とほぼ合致するものであった。

 この机上演習の研究結果と講評は1941年8月27・28日両日に首相官邸で開催された『第一回総力戦机上演習総合研究会』において当時の近衛文麿首相や東條英機陸相以下、政府及び統帥部関係者(陸軍参謀総長、海軍軍令部総長、その他)の前で報告された。

 研究会の最後に東條陸相は、参列者の意見として以下のように述べたという。

 東條英機「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戰争というものは、君達が考えているような物では無いのであります。

 日露戦争で、わが大日本帝国は勝てるとは思わなかった。然し勝ったのであります。あの当時も列強による三国干渉で、止むに止まれず帝国は立ち上がつたのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。

 戦というものは、計画通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がっていく。したがって、諸君の考へている事は机上の空論とまでは言はないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば、考慮したものではないのであります。なお、この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということであります。」〉――

 「日本必敗」は実際には「戦争の不可能なること」と結論づけられた。不可能を無視した挑戦はイコール「必敗」と表現したということなのだろう。

 東條英機は1904年(明治37年)2月8日から同年9月5日までの日露戦争の時代から1940年代後半のその時代に至る兵器の発達と各性能の向上を無視して(日露戦争当時は戦車も戦闘機も存在せず、潜水艦は日露共に実用の段階に至っていなかったという)、40年近くも昔の日露戦争を参考にして、"意外裡な事"(意外の裡〈うち〉に入る事=偶然性主体の計算外の要素)に期待、合理性に基づいた戦争の進め方とは異なる気持ちの持ち方が大事だとする精神論に近い訓戒を行った。対米開戦した場合の戦争計画については一定程度の情報に接しているはずにも関わらずにこのような精神論を持ち出すこと自体、合理的な考えに立った不可能を可能とする戦略、勝てる戦略への思い巡らしに意識を向けていなかった疑いが出てくる。これが単なる疑いなのか、実際のことなのかはおいおいと分かってくる。

 このように日米戦想定の机上演習は長期戦が国力負担不可能の関係を取るという制約を対米戦争戦略に与えることになった。この関係を回避策とする戦争条件は短期決戦以外に答はないことになる。この演習約3ヶ月後に日本軍は真珠湾奇襲攻撃によって対米戦争に突入した。陸軍と海軍が策定することになった対米戦争計画は総力戦研究所の結論"戦争不可能"を覆しうる短期決戦の内容と骨格を持たせた総合的戦略に勝機を置いていたのか、あるいは結論を無視して、結論以前に策定した戦略に基づいて開戦したのか、いずれかだろうが、当たり前のことを言うと、間違っても、"意外裡な事"に勝機を置いていいはずはない。"意外裡な事"は他から偶然に与えられる経緯を取り、必ず与えられるという保証はなく、計算して自らの力で手に入れる行程を取ることはないからだ。

 ここで思い出すのが『小倉庫次侍従日記・昭和天皇戦時下の肉声』(文藝春秋/2007年4月特別号)の1941年(昭和16年)9月5日の内容である。陸海軍両総長が天皇に呼びつけられて参内した。

 昭和天皇「アメリカとの戦闘になったならば、陸軍としては、どのくらいの期限で片づける確信があるのか」 
 
 杉山元陸軍参謀総長「南洋方面だけで3ヵ月くらいで片づけるつもりであります」
 
 昭和天皇「杉山は支那事変勃発当時の陸相である。あの時、事変は1カ月くらいにて片づくと申したが、4ヵ年の長きにわたってもまだ片づかんではないか」

 杉山元陸軍参謀総長「支那は奥地が広いものですから」

 昭和天皇「ナニ、支那の奥地が広いというなら、太平洋はもっと広いではないか。如何なる確信があって3ヵ月と申すのか」

 杉山元陸軍参謀総長は答え得ず、ただ頭を垂れたままであったという。自身も立ち会っていた総力戦研究所が行った日米戦想定机上演習の研究報告1941年8月27・28日からたった8日後の1941年9月5日のことではあったが、その報告を待つまでもなく、昭和天皇の質問内容から言って、対米戦争作戦立案と戦略構築が完成していることを前提としていることになり(この理由はあとで述べる)、その作戦と戦略に基づいて杉山元は対米戦争に於ける日本の勝利の方程式を一定程度正確に答えなければならなかった。だが、「南洋方面だけで」と地域を限定したことは他地域での戦闘を想定していることになり、南洋方面を3ヶ月程度で片付けたイコール日本の勝利と結びつけることは不可能となって、以後、戦争が続くようなら、その期間が長引けば長引く程に南洋方面の3ヶ月程度は
意味を小さくしていく。この程度の合理性に則った思考力しか見せることができないということは陸軍参謀総長としての能力と責任意識は心許なく、如何に立派な戦略を手にしたとしても、それぞれの戦闘に柔軟且つ発展的に応用できるかどうかが疑わしくなってくる。

 では、果たしてどのような対米戦争戦略に基づき、勝機をどこに置いて戦争を戦ったのか、エゴドキュメントを駆使して日本の戦争を検証したNHK放送の記事の中から探っていく。勢い、この趣旨に添う記事箇所を主に取り上げ、それ以外は伝える必要があると思った出来事のみを書き出すことになる。なお、NHK記事中の文章は次の括弧、「〈〉――」で表すことにし、必要に応じて文飾を施し、記事を意味を変えない範囲で纏めたりした。

 NHK記事に取り掛かる前に記事が取り上げている各戦闘を簡単に列挙してみる。

「真珠湾攻撃」   1941年(昭和16年)12月8日
「ビルマ侵攻」   1941年12月14日
「ラングーン攻略」1942年(昭和17年)3月8日~1941年12月14日
「ドーリットル空襲」1942年4月18日
「ミッドウェー海戦」1942年6月5日~ 6月7日
「ガダルカナル島の戦い」 1942年8月7日~1943年2月7日
「インパール作戦」 1944年(昭和19年)3月8日~7月3日作戦中止決定)
「対英ラングーン防衛イラワジ会戦」1944年12月~1945年3月28日
「イギリス軍によるラングーン陥落」1945年(昭和20年)5月2日

 ここで最初に取り上げるのはNHKスペシャルの最後の放送である2022年8月15日放送「ビルマ絶望の戦場」とするが、この番組は記事に起こしていなくて、〈NHKスペシャル「ビルマ絶望の戦場」取材班〉取扱いの《インパール作戦後の“地獄” 指導者たちの「道徳的勇気の欠如」》(NHKWEB特集/2022年8月31日 11時55分)の記事が放送番組と重なることから、この記事を利用して、その日本軍検証を眺め、自分なりの解釈を付け加えたいと思う。最初に取り上げる理由は日本軍上層部の無責任体制をイギリス軍司令官が短い言葉で的確に言い当てているからである。この無責任体制を通して日本軍の行動を見ることになる。

 インパール作戦中止から半年経過後の1945年の初頭、日本軍はミャンマー中部を流れるイラワジ河の南岸でラングーン奪還を目指すイギリス軍を迎え撃ち、インパール作戦を上回る死者を出すことになった敗戦を“さらなる地獄”として描き出した記事内容となっている。記事冒頭でいきなりイギリス軍司令官の日本軍に対する鋭い洞察力を紹介している。

 〈太平洋戦争で日本軍と戦ったイギリス軍のある司令官は、日本軍の上層部の体質を次の様に喝破していた。

 第14軍ウィリアム・スリム司令官 「日本軍の指導者の根本的な欠陥は、“肉体的勇気”とは異なる“道徳的勇気の欠如”である。彼らは自分たちが間違いを犯したこと、計画が失敗し、練り直しが必要であることを認める勇気がないのだ」〉――

 大本営から始まる日本軍という組織の欠陥、その無責任体制を見事に言い当てている。「計画が失敗し、練り直しが必要であることを認める勇気がない」と言っていることは、「失敗し、練り直しが必要な計画を練り直さないままにずるずると実行し続ける」という無責任性の指摘に他ならない。この無責任性は失敗を直視する感性の欠如――「道徳的勇気の欠如」によってもたらされる。

 また、道徳的勇気を欠如させた肉体的勇気は蛮勇でしかない。肉体的勇気が道徳的勇気を基盤としていなければ、戦争は単なる殺し合いの場と化し、陣地の取り合いではなくなる。殺し合いの場とした場合、あるいは殺し合いの場に過ぎなくなった場合、殺し合いに障害となる道徳的勇気は最初から排除される関係にあり、逆に陣地の取り合いでこそ、冷静な判断に基づいた沈着で的確な行動を生み出す肉体的勇気は道徳的勇気をこそ基盤としていなければならない。つまり「間違いを犯したこと、計画が失敗し、練り直しが必要であることを認める」道徳的勇気こそが蛮勇とはならない肉体的勇気を導き出す。日本軍の肉体的勇気の多くが蛮勇であったのは合理的な精神に基づかない、大和魂を全ての解決策の万能薬とするような非合理で情緒的な精神論を重要な武器としていたからだろう。精神論は蛮勇を引き出す麻薬でしかない。

 〈インパール作戦が中止された1944年7月から、終戦までの1年間。その間の死者は、ビルマでの犠牲者全体の実に8割近くに上っていたのだ。ビルマ侵攻後の日本の将兵の死者は16万7000。インパール作戦のあと、さらに10万人以上もの命が失われていたのである。〉――

 計算式で出してみる。1941年12月14日ビルマ侵攻~終戦死者数=16万7000人×(インパール作戦1944年7月中止後~終戦死者数)8割=13万3600人。インパール作戦とそれ以降の攻防が如何に日本軍に不利に働き、多くの兵士を如何に無駄死にに向かわせたかが見て取れる。
 
 〈インパール作戦の後にいったい何があったのか。

 インパール作戦中止から半年がたった1945年の初頭。日本軍は、ミャンマー中部を流れるイラワジ河の南岸で、ラングーンの奪還を目指すイギリス軍を迎え撃った。〉――

 イラワジ河の日英衝突は1945年1月から1945年3月28日の約3ヶ月間。決着がついたのは1945年8月15日の敗戦約4ヶ月半前である。

 〈イギリス軍の500機に上る航空戦力の前に、日本は完全に制空権を失っていた。

 さらに、イギリスの陸上兵力は26万。

 それに対し、日本軍はわずか3万。その大半が、インパール作戦で疲弊しつくした兵士たちだった。

 補充兵としてビルマに送られたばかりだった重松一さん(当時22)は、日本軍の惨状を生々しく覚えている。

 歩兵第56連隊 元二等兵 重松一さん(99)証言「『大隊長どの、戦車が来とるとですよ。どうしますか』って聞いたら、『なら下がれ!』と言って。でも、その本人がどんどん逃げながら『下がれ』です。敵から見つけられんように逃げる一方です。日本軍が小銃で一発撃ったって、そんなものも何も役に立たない。日本の大和魂なんて、そんなものは、一切ありません」〉――

 国力の差を反映した物量の差。そして国力が保証する消耗兵器の生産回復力の差が(イギリス軍は米軍からの支援も得ていたであろう)人的・物的戦争資源の差となり、その差が当初からイラワジ河での日英衝突の戦局を大きく支配していた。当然、撤退でもなく、降伏でもなく、戦うと決めた以上、この差を縮めて、差自体を問題外とする戦略を、それがあればのことだが、立てなければならないことになる。

 〈この戦いを指揮したのは、ビルマ方面軍の田中新一参謀長。参謀本部第一部長の時、アメリカとの開戦を強硬に主張した人物だった。

 田中参謀長は、軍上層部の独断で敗北したインパール作戦の失敗の原因を「軟弱統帥にある」と分析し、強気の方針を掲げていた。

 田中新一『緬甸(ビルマ)方面軍参謀長回想録』「徒(いたずら)に消極防守に沈滞することなく、機会を捕らえて積極攻撃によって解決すべき努力が、是非必要であると思う」

 一部の将校からは、戦線をラングーン周辺にまで引いて、長期持久戦に持ち込むべきという声が上がっていた。しかし、田中参謀長は、イラワジ河のあるビルマ中部に防衛ラインを設定。イギリス軍を迎え撃つことを決めたのである。

 しかし、戦力の差を度外視した上層部の命令で、前線の士気は著しく低下していた。

 歩兵第58連隊元曹長佐藤哲雄さん(102)「日本人の兵隊同士で泥棒がはやったの。『お前もう死ぬんだから』というわけで、死にそうになっている人のものを取ってしまう。戦争というよりも自分の身を守るということが、第一にその当時はあった」〉――

 物量の差を一定程度無効にする戦略は夜間の遊撃戦(ゲリラ戦)が有効なはずで、日本軍は中国戦線で中国国民党の軍・国民革命軍の遊撃戦に散々手こずった経験があるはずである。にも関わらず、人的・物的兵力の差を無視して真正面からの「積極攻撃」を仕掛けた。子どもが相撲取りを相手にするようなもので小さな物量で大きな物量にまともにぶっつかっていった。

 〈もはや、日本軍に立ち向かえる戦力はなかった。イラワジ河での戦死者は6500にも上った。戦いは、“無謀”そのものであった。イギリスの国立公文書館に残されていたイギリス軍が日本軍の大本営参謀や現地軍の上層部ら30人に行った尋問調書。

 田中参謀長尋問調書「日本軍が、イラワジ河の防衛線を無期限に持ちこたえられるとは思っていなかった。だが、ラングーンを防衛し続けるための時間を稼ぐことはできると考えたのである」〉――

 イギリス陸上兵力26万に対して日本軍3万、イギリス軍航空戦力500機に対して「Wikipedia イラワジ会戦」によると出動可能機64機。この兵力差でラングーン防衛の時間稼ぎのためにイラワジ河防衛を徹底抗戦に持っていった。要するにイギリス軍によるイラワジ河防衛線突破もラングーン陥落も時間の問題だと予測していた。3ヶ月は持ちこたえたが、ラングーン陥落は1945年5月2日で、イラワジ敗戦からラングーン陥落まで1ヶ月程度しか持ちこたえることができなかったことになるから、合計で4ヶ月程度の時間稼ぎに過ぎなかった。

 勿論、時間稼ぎの可能期間は前以って予測困難だが、イギリス軍を撤退に追い込むことも降伏に追い込むことも不可能で、イラワジ河防衛線突破もラングーン陥落も時間の問題だと予測できた以上、時間稼ぎは物量と士気の差によって消耗戦への挑戦となる。歩兵銃やその弾丸、大砲やその砲弾の消耗等々、兵器・物資は再生産が可能とすることはできるが、味方兵士の命を無視して投入する消耗戦は命が再生産できないだけに時間稼ぎの道具とすることができたのは兵士の命に対しての責任感を持ち合わせていなかったからだろう。だが、上官の兵士の命に対するこの責任感の欠如が日本軍では通用していたことをおいおいと知ることになる。

 イラワジ河会戦の指揮を取ったビルマ方面軍参謀長田中新一が時間稼ぎによって作戦指揮の責任に応える戦略を取ったとする自負は独りよがりの思い上がりに過ぎない。もはや起死回生は不可能な状況にあることを見抜き、残された蛮勇でしかない肉体的勇気を発揮していたずらに死者の数を増やすのではなく、撤退、もしくは投降という道徳的勇気を発揮すべきだったが、できなかった。

 尤も撤退や投降は1941年1月8日に陸軍大臣東條英機が示達した、命を人質に取った最たる精神論の「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓が邪魔をし、恥となることを恐れて選択肢とすることはできなかった可能性は指摘できる。戦陣訓が幅を利かしていたこと自体、日本軍の成り立ちは本質のところで精神主義に支配されていたことになる。この精神主義が合理性を持たせなければならない戦略にそれを持たせることができずに狭めることになっていた。不利な戦況下では早期の退避、早期の撤退、早期の投降・降伏等々、"計画の練り直し"を用いた臨機応変な対応で人的・物的戦争資源のより多くの温存を適宜図り、温存した戦力を以後の戦闘に利用可能な場合はその方向に持っていくといった柔軟な戦略は取り得なかった。柔軟な戦略の欠如は国力の差を国力の差のまま維持し続けることになるばかりか、ときには広げてしまう恐れも出てくる。

 イギリス軍が首都ラングーンに迫る中、現地軍の上層部は臨戦態勢にあらざる態度を取っていた。

 〈若井徳次少尉回想録「芸者を中心とした、高級将校の乱脈ぶりは、目を覆うものがあった。逆境の時の人間の犯す過ちは、何か日本人の欠陥を見る思いである」

 高級将校が通っていたのは、ラングーンにあった芸者料亭「萃香園」。もともと九州にあった料亭がラングーンに出店したものだった。

 今回、萃香園関係者の証言記録も見つかった。

 板前の回想「前線から菊部隊の兵隊さんが帰ってきました。みんなボロボロになった軍服を着ていました。ところが夜でも光々(こうこう)とあかりがついている萃香園の騒ぎぶりを見て、その中のお一人が『軍はええかげんなとこよ。作戦を練りながら女を抱いている』と、涙を流して怒られていました」

 当時、27歳だった若井少尉は、戦争のために大学が繰り上げ卒業となり、入隊していた。

 手記には、軍への失望がつづられていた。

 若井徳次少尉回想録「軍人の世界には、誠のみが支配すると信じていたが、正義以外のものがまかり通っていた。特に軍紀の頽廃(たいはい)にいたっては、欲望の醜悪さのみをさらけ出していた」〉――

 軍上層部のこのような行状も前線で命を賭して戦っている兵士の命に対する責任感の欠如を証拠立てることになる。イギリス軍が迫っていても慌てず騒がずの強がりを軍幹部として演じていたのか、迎え撃つどのような戦略も思い浮かばないままに女を交えたどんちゃん騒ぎに逃避していたのか、戦闘は現場任せの無責任さはまさにイギリス軍第14軍ウィリアム・スリム司令官 が言う「道徳的勇気の欠如」に裏打ちされた行動形態となる。その欠如は蛮勇さえ発揮できない「肉体的勇気の欠如」を伴走者とする。

 〈1945年3月27日、イギリス軍がラングーンに迫る中、日本と協力関係にあったビルマ国軍が対日蜂起する。反乱は瞬く間に全土に広がった。1か月後、ラングーンのビルマ方面軍司令部で異常事態が発生する。

 上層部数人が突如、陥落の危機が迫ったラングーンから飛行機でタイ国境付近に撤退。現地部隊や民間人は置き去りにされたのだ。司令部撤退の決定を下したのは、ビルマ方面軍の木村兵太郎司令官だった。東條英機首相が陸相を兼務していた内閣で陸軍次官を務めていた人物である。

 サイパン島の陥落で東條が失脚したのち、ビルマに派遣されていた。

 イギリス軍は、この突然の撤退についても、木村司令官から詳細に聞き取っていた。

 木村司令官「尋問調書」「寺内南方軍総司令官から電報があり、ラングーンを最後まで防衛することが急務であると言われたが、その指示には従えなかった。イギリス軍の驚異的な進軍を考えれば、ビルマ方面軍がラングーンで孤立し、断絶することは許されないはずである。ラングーンを放棄するという私の決定は、立派に筋の通るものであると確信している」〉――

 方面軍司令部は複数の軍部隊と上下一体の関係にある。ラングーン放棄の理由はビルマ方面軍がラングーンで孤立し、断絶することは許されなかったから。当然、司令部と軍部隊共々ビルマ方面軍全体がラングーン放棄の方向に進むのが順当な手続きとなるが、放棄したのは司令部要員のうちの幹部数人のみであった。残る司令部要員と部隊を置き去りにし、結果、この集団をラングーンで孤立させ、断絶状態に追いやった。例え無線機で指示系統は維持できたとしても、置き去りによる司令部からの孤立と断絶はそれが司令部の数人によるものであっても、司令部全体と軍部隊との物理的且つ心理的な一体性を破壊したことを意味し、軍部隊から見た司令部自体の存在意義を失わせたことになり、そういった信用喪失の経緯に木村司令官は気づかなかった。この鈍感さがビルマ方面軍を代表する自分たち司令部の幹部数人のみのラングーン放棄を「ビルマ方面軍がラングーンで孤立し、断絶することは許されないはずである」という言葉に現れているとおりにビルマ方面軍全体のラングーン放棄と見立てるこじつけを可能とした。

 実態は「イギリス軍の驚異的な進軍」を受けて、方面軍司令部の幹部数人のみが命令・指示もなくイギリス軍の進軍のない場所へ移動したのだから、自分たちだけが生き残ることを考えた撤退そのものである。こういったことができるのは道徳的勇気の欠如がそもそもの素因を成していて、その欠如が行き着くことになる蛮勇さえも発揮できない肉体的勇気の欠如を誘ったと考える以外にない。これらの欠如には兵士の命に対する責任感の欠如も入れなければならない。日本軍上層部のこういった欠如が組み合わさって、兵士の犠牲をいとも簡単に生み出していった。

 〈一方で、撤退した上層部は、置き去りにした将兵や民間人に、ラングーンの防衛を命じていた。日本の商社・日綿実業のラングーン支店では、186人の社員が急きょ召集され、防衛隊として、首都の守備隊に加わっていた。小隊長を命じられた支店長の松岡啓一さんは、司令部に見捨てられ、多くの部下を失った無念を書き残している。

 松岡支店長回想録「軍司令官は『ラングーンを死守すべし』と命令を下したまま、ラングーンに残された吾々(われわれ)は、司令部の撤退を数日後に知り、唖然(あぜん)としたのでした。吾が部隊の行く手には、いつも敵が待ち伏せして邀撃(ようげき)し、世にいう“白骨街道 死の行進”が続きました。日綿支店員も百八十六名のうち、五十二名が戦死の憂き目を見て仕舞ったのです」

 ラングーンに海と陸から侵攻したイギリス軍は、木村司令官らの撤退から11日後、首都奪還に成功した。戦場で日記をつづっていた若井徳次少尉は、ラングーンを再び奪還するよう命じられていた。

 若井元少尉回想録「司令部は、己達のみ逃げ去っておきながら、僅かな在蘭将兵と共に此の無防備な蘭貢(ラングーン)を、『固守すべし』との一片の冷厳な命令を残して去っている。こんな矛盾した考えがどこにあろうか」〉――

 自分たちだけが撤退する卑怯な振舞いをそうと思わせないために指揮命令系統に於ける指揮の主体が誰であるかを知らしめ、自己存在を誇示するシグナルが「ラングーンを死守すべし」の命令だったのかもしれない。己たちの命が惜しくなっただけの道徳的勇気の欠如と響き合わせた肉体的勇気の欠如を本能的に隠すためには毅然とした見せかけの態度が必要となる。

 〈1945年7月。終戦まで、残り1か月。ビルマ国軍は完全にイギリス軍の指揮下に入っていた。

 司令部の突然の撤退で取り残された第28軍を中心とする3万4000の将兵と、ラングーンから逃れてきた多くの民間人は、密林でイギリス軍とビルマ国軍に包囲されていた。〉――

 〈若井元少尉回想録「時々遠く近くで爆発音が起こる。それは手榴弾による、自決者の増加を意味している。衰弱し切った病兵に、無情にも豪雨が追い打ちを掛ける。この生き地獄の転進は一体いつまでどこまで続けねばならぬのであろう」〉――

 〈将兵や民間人は、終戦を知らないまま、9月になっても撤退を続けた。死者は最終的に1万9000に達した。この惨劇について、ラングーンから撤退していた木村司令官は、イギリス軍の尋問に対して、こう語っている。

 木村司令官尋問調書「シッタン河における第28軍の敵中突破作戦は、どの地点で試みても、重大な困難に遭遇し、それに耐えることは難しいと考えていた。私は第28軍がほとんど全滅するだろうと思っていた」〉――

 撤退日本軍兵士に対してイギリス軍が追討作戦に出ている。イギリス軍の物量が遥かに優るということなら、全滅を避け、兵士の命を守るためるための残された唯一の方法は投降以外にない。木村司令官が「全滅するだろうと思っていた」だけで済ましているのは兵士の命を守るための投降という選択肢を全然頭に置かず、兵士という戦争に於ける人的資源の喪失に無頓着だったことの現れでしかない。「戦陣訓」によって植え付けられた捕虜は恥という固定観念が原因だとしても、兵士の命を無駄死にさせていた事実は変えようがない。無駄死にによる戦力低下はやれ学徒動員だ、徴兵年齢の引き下げだと人員補充によって片付けることができたとしても、訓練期間や士気の点で戦争の準備・計画・運用の方法としての戦略そのものを狭めることになる代償を支払わなければならなかったことも事実として横たわる。にも関わらず、戦争期間を通じて兵士の命を軽視し続けた。

 記事はここで前出のイギリス軍第14軍ウィリアム・スリム司令官の言葉を再び伝えている。

 〈第14軍ウィリアム・スリム司令官 「日本軍は、計画がうまくいっている間は、アリのように非情で大胆である。しかし、その計画が狂うと、アリのように混乱し、立て直しに手間取って、元の計画にいつまでもしがみつくのが常であった。確かに戦争では、決意のみで達成できることもあり、決意を伴わない柔軟さでは成果を上げられない。しかし、最終的な成功をもたらすのは、この2つを併せ持つときにほかならないのだ。指揮官としての最も厳しい試練は、この決意と柔軟さのバランスを保つことである。日本軍は決断力によって高い得点を得たが、柔軟性を欠いたために大きな代償を払うことになった」(「Defeat into Victory」より)

 「決意」と見えたものは精神主義に基づいた蛮勇が主体の行動力に過ぎないだろう。当然、「決意と柔軟さのバランス」など望むべくもなかった。このバランスを保持し得ていたなら、退避、退却、撤退、投降、降伏等々、より柔軟な戦略を駆使し得ていただろうし、兵士の命をこれ程までに無駄死にに向かわせることもなかった。もし真の柔軟さを体質とし得ていたなら、精神論を振り回すことも、精神論に頼ることもなかった。蛮勇を引き出す麻薬とする以外に役に立たない精神論は、当然、柔軟さ発揮の障害として立ちはだかることになっていた。 

 記事最後の言葉

 〈77年前、終戦間際という最大の逆境の中で表出していた日本軍の体質。
 これは、いま、さまざまな危機の中に生きる私たちにとって、決してひと事ではない。
 目をそらさずに向き合わなければならない歴史である。〉――

 次は8月9日放送(2021年12月4日放送の再放送)「NHKスペシャル選 新・ドキュメント太平洋戦争1941開戦(前編)」から日本軍の無責任体質を見てみる。

 前置きの言葉、〈もし80年前、太平洋戦争の時代にもSNSがあったなら、人々は何をつぶやいたのだろうか?今、研究者たちが注目するのが、戦時中に個人が記した言葉の数々「エゴドキュメント」だ。膨大な言葉をAIで解析。激動の時代を生きた日本人の意識の変化を捉えようとしている。〉 

 「エゴドキュメント」に注目する理由は表現の自由が制約された時代性から考えて"ホンネ"が散りばめられている可能性を見ての姿勢としている。

 (日中戦争から太平洋戦争までの15年間の戦争での死亡は)〈日本人だけで310万もの命が失われた。〉との記述があるが、パソコン内を調べたところ、〈日本人の軍人軍属などの戦死230万人。民間人の国外での死亡30万人。国内での空襲等による死者50万人以上。合計310万人以上(1963年の厚生省発表)〉のメモを見つけることができた。軍人軍属の死に様の多くは既に触れたように上官の兵士の命に責任を持たない戦闘方法によって無駄死にを強いられていたことと敗戦を重ね合わせると、その殆どが無駄死にそのままで占められていることは容易に想像がつく。勿論、敗戦に関連付けられたこのような膨大な死者数の積み重ねは対米戦争計画自体の不備、あるいは欠陥、計画に則って構築することになる総合的な戦略の不備、あるいは欠陥、さらには個々の戦いが戦争計画そのものに有意性を与えることが可能となる戦略を欠如させていたことを物語ることになる。

 開戦の前年は都市部ではアメリカブームに沸き、ハリウッド映画やジャズが流行していたという。いわば一般的には生活に暗い影を差していることはなかったが、1940年の後半から、「代用品、配給、外米」等々の不自由さを示す単語がエゴドキュメントに現れ始めたと記している。原因は3年に及んでいた日中戦争の影響で、1939年4月米穀配給統制法公布。1940年米穀管理規則実施、政府の管理・統制によって米穀の供出・配給制度が開始されることになったからである。

 子供が生まれて半年が経った東京の一主婦の日記に見るエゴドキュメント。このエゴドキュメントは開戦前年の2月に一人娘が出産したことで書き始めた育児日記に基づいているが、ここに記されているエゴドキュメントから世の中の状況の変化に応じた思いの変化を追っている。

 〈金原まさ子育児日記(1940年)「八月十一日。外米になってから子供の腹こわしが増えた。今月からは麦が入る。7割外米の麦入りときては大変なり。大人は我慢するが子供はかわいそうだ」〉――

 市井の人々の思いとは別に戦争を遂行する上で欠かすことのできない重要な戦争資源でもある食糧の不足を日米開戦前から既に来していた。

 1940年9月27日、日独伊三国同盟締結。記事は、〈ドイツと結んだ日本にアメリカの世論が反発。厳しい経済制裁を求める声は8割に上った。飛行機の燃料やくず鉄などの重要資源の輸出禁止が矢継ぎ早に決まった。〉――と解説している。正式名「日本国、独逸国及伊太利国間三国条約」(コトバンク)の三国同盟は「第二条」で、「独逸国及伊太利国ハ日本国ノ大東亜ニ於ケル新秩序建設ニ関シ指導的地位ヲ認メ且之ヲ尊重ス」、「第三条」で、「日本国、独逸国及伊太利国ハ前記ノ方針ニ基ク努力ニ付相互ニ協力スヘキコトヲ約ス更ニ三締約国中何レカノ一国カ現ニ欧洲戦争又ハ日支紛争ニ参入シ居ラサル一国ニ依テ攻撃セラレタルトキハ三国ハ有ラユル政治的、経済的及軍事的方法ニ依リ相互ニ援助スヘキコトヲ約ス」と、アジアでの日本の支配と「現ニ欧洲戦争又ハ日支紛争ニ参入シ居ラサル一国」、即ち米国に日本が攻撃を受けた際のドイツとイタリア2国の軍事介入を義務としているのだから、名指ししていないものの、アメリカを仮想敵国に位置づけている関係からアメリカの世論が反発。

 記事は触れていないが、実際は1940年9月の日本軍の北部仏印進駐に対して米政府は屑鉄の対日輸出を全面禁止、続いて1941年7月の南部仏印進駐によって1941年7月25日に在米日本資産凍結と同年8月1日に対日石油輸出の全面禁止に出た。日本がフランスに対してこの進駐を容易に成し得たのは1940年5月のドイツ進撃によってフランスが降伏、ヴィシー傀儡政権成立という状況の利を受けたゆえの展開だったが、真珠湾攻撃前に日本軍は南進の一歩を踏み出していた。そしてアメリカの対日屑鉄と石油の禁輸が「資源獲得」の名のもと、日本の南進を日本の思惑以上に誘発することになった。

 1940年(昭和15年)11月15日に海軍大将に任ぜんられた山本五十六の三国同盟締結時の発言を紹介している。
 
 〈「三国条約が出来たのは致し方ないが、かくなりし上は、日米戦争を回避する様、極力ご努力願いたい」〉――

 だが、真珠湾攻撃の際の連合艦隊司令官を務めることになった。

 〈1941年、太平洋戦争開戦の年が明けると、日本はアメリカの経済制裁の影響であえぎ始める。国は不足した鉄などの資源を補うため、市民から供出させた。街中から金属が消え、経済全体が冷え込み始めていた。

 作家・永井荷風は、散歩の途中で見た光景を日記につづっている。

 「道すがら虎ノ門より櫻田(さくらだ)へかけて立ちつらなる官庁の門を見ると、今まで鉄製だったのをことごとく木製に取り換えていた。これは米国より鉄の輸出を断られたためである」

 市民の日記から、「品切れ」「枯渇」など物資不足に関する単語を抽出。1941年1月以降、増加傾向が顕著になっていく。同じ時期、戦争への関心も高まっていた。戦争に関する単語数も増加に転じていた。

 生活の不満の高まりを背景に、アメリカに対する過激な論調が目立つようになっていた。当時のオピニオンリーダー、徳富蘇峰は、1月、ラジオでこう呼びかけた。

 評論家・ジャーナリスト徳富蘇峰「米国は日本が積極的に進んでいけば、むろん衝突する。しかしボンヤリしていても米国とは衝突する。早く覚悟を決めて、断然たる処置をとるがよい」

 さらに、当時のベストセラー作家(北村賢志のこと)が刊行した本。『日米戦わば』。

 「米国なお反省せず。我が国の存立と理想を脅かさんとすることあらば、断然これと戦うべし。日本は、難攻不落だ」

 今でいうインフルエンサー的存在。戦争をあおるような言葉が、人々を捉え始めていた。

 この頃、雑誌が「日米戦は避けられるか」というアンケートをおこなった。4割もの人々が「避けられない」と回答した。

 「米英の妨害を 断然排除して進まねばなるまい」

 静岡・伊東市で書店を営む竹下浦吉さんは不穏な未来を予測していた。

 「日本がドイツと同盟して東亜に新秩序を確立せんとする以上、どうしても米英との衝突は免れぬと思う」

 子育て中の主婦・金原さんも、危機感を抱くようになっていた。

 「日米間の情勢についてだいぶ悲観的な話を聞くようになり、ママたちも本気で心配するようになっている。本当に日米戦が起こったら東京空襲も免れないし、住代ちゃんのような弱い子を、お医者もいない田舎に連れて行って、もしものことがあったらと思うと暗然とする。しかし、何という時代に生まれ合わせたものか!強い母にならねばならない」

 開戦の8か月前。国の指導者たちは、アメリカとの決定的対立を避けるための外交交渉に乗り出そうとしていた。背景には、陸軍が極秘でおこなったアメリカとの戦力比較のシミュレーションがあった。その報告に立ち会った将校の「エゴドキュメント」が残されていた。そこには指導者たちの「本音」が吐露されている。

 「三月十八日、物的国力判断を聞く」

 陸軍の中枢で政策決定に関わった石井秋穂中佐。この日、参謀本部で明かされたシミュレーションの結果は、陸軍の首脳に衝撃を与えた。

 「誰もが対米英戦は予想以上に危険で、真にやむをえざる場合のほか、やるべきでないとの判断に達したことを断言できる」

 資源豊富なアメリカとの戦争が2年以上に及んだ場合、日本側の燃料や鉄鋼資源が不足することが判明。これを受け、陸軍大臣・東條らは、日米戦争は回避すべきと判断した。〉――

 石井秋穂中佐の「三月十八日、物的国力判断を聞く」の発言からは、首相直轄の総力戦研究所日米戦争想定の机上演習報告が1941年8月27・28日の両日で、これより以前に陸軍がアメリカとの戦力比較のシミュレーションを行っていたという事実を窺うことができる。ネットで調べたところ、次の一文に出会うことができた。「陸軍秋丸機関による経済研究の結論」(牧野邦昭/摂南大学)に、〈1940年冬、参謀本部は陸軍省整備局戦備課に1941年春季の対英米開戦を想定して物的国力の検討を要求した。これに対し戦備課長の岡田菊三郎大佐は1941年1月18日に「短期戦(2年以内)であって対ソ戦を回避し得れば、対南方武力行使は概ね可能である。但しその後の帝国国力は弾発力を欠き、対米英長期戦遂行に大なる危険を伴うに至るであろう。」と回答し、3月25日には「物的国力は開戦後第一年に80-75%に低下し、第二年はそれよりさらに低下(70-65%)する、船舶消耗が造船で補われるとしても、南方の経済処理には多大の不安が残る」と判断していた。〉――

 日付は一致していないが、このことを指すのだろう。要するに1941年8月末の総力戦研究所が検証・提示した対米戦争「不可能」の結論を待つまでもなく、陸軍は前者の不可能性程ではないが、2年以内の短期戦という条件づきで「対南方武力行使」に関してのみ、「概ね」という形容詞を冠して大体に於いて武力行使可能性を提示しているが、南方以外の他地域を加えた場合の長期戦は(この想定は対南方武力行使のみで対米戦争は終わりを告げないことの示唆となるが)、「大なる危険を伴う」と対米戦争の困難性を1941年初頭の段階で既に突きつけつけられていた。当然、陸軍も海軍もこの「物的国力判断」に従い、1941年初頭以降、アメリカの国力と比較した日本の国力の程度に基づいた戦争の許容年数を2年以内と区切られた短期決戦で済ます方法を取るか、大東亜共栄圏建設の自存自衛達成にはそれなりの時間の必要性を視野に入れて、「大なる危険を伴う」長期決戦を覚悟する方法を取るか、選択しなければならないが、必要に応じてどちらかを選択できるように両方それぞれの戦略の構築に取り掛かっていたことになる。

 となると、1941年(昭和16年)9月5日の時点で昭和天皇から「アメリカとの戦闘になったならば、陸軍としては、どのくらいの期限で片づける確信があるのか」と聞かれた陸軍参謀総長の杉山元は「物的国力判断」の報告を受けてから9ヶ月を経過しているのだから、短期決戦を取る場合と長期決戦を取る場合とに分けて対米戦争に於ける日本の勝利の方程式を一定程度の具体性を持たせて説明する合理性を持ち合わせていなければならなかった。にも関わらず、「南洋方面だけで」と地域を限定すれば済むわけではないことを限定して、「3ヵ月くらいで片づけるつもりであります」と対米戦争がさも簡単に片付くようなことを匂わせた感覚の持ち主を陸軍大臣、参謀総長、教育総監の陸軍三長官を全て歴任させ、元帥の称号を与えていたのだから、日本軍という組織の程度が想像はつく。

 「物的国力判断」の対米戦争の困難性の提示にも関わらず、日本軍は虫のいいことを考えていた。

 〈日本の物的国力では対英米長期戦を遂行できないことは秋丸機関などの研究により十分認識されており、英米を刺激しない形での南方進出が意図されていた。秋丸機関の研究は1941年前半時点では当局者に日本の国力の限界を認識させ、武力行使を抑制させる働きを持っていた。

 しかし日本側が戦争に至らない範囲での南進策と考えていた1941年7月の南部仏印進駐は対日石油輸出停止というアメリカの強力な経済制裁を引き起こした。これにより対米開戦の機運が高まり、陸軍省戦備課は東條英機陸軍大臣から11月1日開戦を前提として再度物的国力判断を求められた。この結果も「決然開戦を断行するとしても二年以上先の産業経済情勢に対しては確信なき判決を得るのみであった」と岡田は回想している。〉(同「陸軍秋丸機関による経済研究の結論」から)

 2年以上の長期戦には日本の国力(=軍事力)は耐えられないという結論を克服する方法としての「英米を刺激しない形での南方進出」という虫の良さは屑鉄と石油の禁輸によって第一歩でつまづいた。当時の日本は製鋼原料として銑鉄のほかに配合比50パーセント以上の屑鉄を用いる屑鉄製鋼法が主流で、鉄源の約半分は屑鉄利用となっていて、鉄鉱石を溶鉱炉で溶かして銑鉄とし、鋳物、あるいは製鋼原料とする製鉄法は小規模だったことから、兵器製造に欠かすことができない米国の屑鉄の輸出停止は勿論、戦闘機や戦車、艦船の燃料となる石油の禁輸を南部・北部仏印進駐の代償としたことは対米戦シュミレーションのいずれかの時点での予測項目としていただろうが、資源小国としては戦争の不可能性、あるいは困難性を一段と露わな形で突きつけられたことになる。だが、このような状況に反して陸軍内で「対米開戦の機運が高ま」った状況は日米戦争という事態を招くことになったとしても、2年かそこらの短期決戦でアメリカを降伏させる何らかの戦略を持ち得たということでなければならない。断るまでもなく、単なる対米反発からの感情的な対抗心ではあってはならないからだ。

 陸軍の対米戦シミュレーション「物的国力判断」の陸軍内部での最初の報告は1941年1月18日。徳富蘇峰が早期対米開戦論を唱えた日付は「1941年1月」とだけしか出ていないが、どちらが先であっても、報告が悲観的内容であることは国民には知らされていないのだろうから、徳富蘇峰の対米開戦積極論も、当時のベストセラー作家北村賢志がアメリカと戦争しても勝てる、「日本は、難攻不落だ」と強気の自信を示し得たのも無理はない反応ということになる。ましてや一般市民が「生活の不満の高まりを背景にアメリカに対する過激な論調が目立つようにな」って、鼻息だけで対米開戦を唱えたとしても、ある意味当然であろう。勿論、軍部・政府がこのような世論に押されて、開戦を当然視する動機づけの一つとしたということもありうる。

 上記NHK記事は南部仏印進駐を次のように描いている。

 〈「自存自衛上、立ち上がらねばならない場合に備えて、あらためて南部仏印に軍事基地を作るという要求が生まれつつあった」

 独ソ戦により、日本にとって背後のソビエトの脅威がなくなった。その隙に、アメリカの禁輸政策のため欠乏する資源を手に入れようと、東南アジアの資源地帯を押さえようとしたのだ。アメリカは、日米のパワーバランスを崩しかねない日本軍の行動に強く反応した。そして、日本への石油の輸出を止めた。石油の9割をアメリカからの輸入に頼っていた日本にとって、計り知れない打撃だった。軍の指導者たちは、アメリカがそこまで強硬に反応するとは想定していなかった。南部仏印進駐に関わった石井(秋穂中佐)はこう振り返っている。

 「大変お恥ずかしい次第だが、南部仏印に出ただけでは多少の反応は生じようが、祖国の命取りになるような事態は招くまいとの甘い希望的観測を包(かか)えておった」〉――

 先の記事が取り挙げていた、英米を刺激しない形での南方進出の意図という虫のよさが石井秋穂中佐の発言の中に色濃く現れている。要するにこのような虫の良さに全面的に頼った南北仏印進駐だったことを露呈することになる。このことは日本軍がケースバイケースを想定、想定に応じた危機管理としてのそれぞれの戦略を立てていなかったことをも暴露することになる。事態を想定した上での次なる行動と想定しなかった上での次なる行動とでは長期的展望と心の準備に自ずと違いが出てくるだけではなく、対米戦争に備えた厳密な意味での戦略らしい戦略を構築していなかったのではないのかとの疑いが出てくる。

 軍人のエゴドキュメントを紹介している。

 〈海軍のリーダー永野修身「ぢり貧になるから、この際決心せよ。今後はますます兵力の差が広がってしまうので、いま戦うのが有利である」

 海軍次官澤本頼雄「資源が少なく、国力が疲弊している状況では、戦争に持ちこたえることができるか疑わしい。日米の外交交渉の方向に向かうことこそ国家を救う道である」〉――

 前者はその時点での日米の国力の差を背景とした戦力の差を以ってしても早期の対米戦争が日本側に有利に働くと考えていた。当然、そのような条件下で日本を戦争勝利に持っていく戦略が頭にあったことになる。頭になくして早期の戦争を訴えることは無責任となる。海軍大臣や海軍軍令部総長などのを務めた海軍のリーダーなのだから、妥当性は別にして、当然、それなりの戦略は頭にあったことになる。

 一方で対米外交交渉も壁にぶち当たっていた。

 〈10月。開戦の2か月前。日米は対立を深めながらも、ぎりぎりの外交努力を続けていた。アメリカが日米交渉の条件として求めたのは「中国からの日本軍即時撤兵」。しかし、その要求は陸軍にとって受け入れがたいものだった。

 日中戦争での戦死者18万人以上。東條たち陸軍首脳は、撤兵はその犠牲を無にするものとして受け止めていた。では、アメリカとの戦争を選ぶのか。東條は悲壮な面持ちで漏らしたという。

 「支那事変(日中戦争)にて数万の命を失い、みすみす撤退するのはなんとも忍びがたい。ただし日米戦となれば、さらに数万の人員を失うことを思えば、撤兵も考えねばならないが、決めかねている」

 6日後、東條英樹は決断を近衛首相に伝えた。

 「撤兵問題は心臓だ。米国の主張にそのまま服したら支那事変(日中戦争)の成果を壊滅するものだ。数十万人の戦死者、これに数倍する遺族、数十万の負傷者、数百万の軍隊と一億国民が戦場や内地で苦しんでいる」〉――

 要するに東條英機は中国大陸からの完全撤退は膨大な死者まで出して築き上げてきた今までの「成果を壊滅する」ゆえに認めがたいと主張した。一方で軍事力を加えた日米国力の比較から戦争の不可能性、あるいは困難性を何度か突きつけられていたことから、日米開戦したら、「日中戦争での戦死者18万人以上」に加えて、「数万の人員を失う」と計算していた。但しこの計算は開戦を決意する場合は、そして実際に開戦を決意した以上、「数万の人員を失う」ことになるが、何らかの戦略を背景に勝利し、人員喪失に何層倍もする国益を手に入れ、その国益を以って国力発展に利するという方程式を完成させなければならないし、完成させていなければならない。方程式の完成を頭に置かずにこのような発言をしたとしたら、東條英樹は陸軍大臣として無責任極まりない軍人となる。

 こういった勝利の方程式に基づいてのことなのだろう、東條英樹総理大臣のもと、1941年12月8日、真珠湾奇襲攻撃によって対米戦争の火蓋は切って落とされた。石井秋穂中佐の言葉「真にやむをえざる場合」であったとしても、戦略的に計算し尽くされていなければならない。

 市民2人のエゴドキュメントを伝えている。

 〈息子二人を徴兵され、重労働にあえいでいた米農家の野原武雄さん。

 「大戦果を得たり。まったく我が海軍の強さに驚くほかない。大東亜戦の開戦ここに始まる」

 わずかだが、暗い予感を日記に記した人もいた。長野県の教師・森下二郎さん。

 「国民は大よろこびでうかれている。しかしこれくらいの事で米・英もまいってしまうこともないから、この戦争状態はいつまで続くかわからない。あてのつかない戦争である」〉――

 宣戦布告もなく、用意万端の上、不意打ちで襲いかかった真珠湾奇襲の戦果である。ハワイを要衝の地として占領し、日本の基地としたわけでもなく、そのまま引き上げた。資源大国アメリカの国力を以ってする軍事面の回復力を計算に入れる戦略は描いていた開戦であったはずである。1940年の兵士供給源ともなる日本の人口約7200万人。対してアメリカの人口は約2倍近い1億3000人。《太平洋戦争における航空運用の実相》(防衛研究所)によると、1940年採用の零戦以降、終戦までの5年間に海軍が生産した単座戦闘機は約12300機、1941年採用の一式戦闘機以降、終戦までに陸軍が生産した単座戦闘機は約13700機。合計約2万6000機。

 対してアメリカは、《アメリカにおける航空機工業の発達(その2)宇野博二》によると、アメリカ軍の航空機生産高は、

1940年 6,019機
1941年19,433機
1942年47,836機
1943年85,898機
1944年96,318機
1945年47,714機  

 合計約30万3000機。日本の約12倍弱。1944年の96318機に対して1945年47714機と大幅に生産機数を下げたのは戦争勝利によって、生産を急ぐ必要がなくなったからなのだろう。勿論。ヨーロッパ戦線にも向ける必要性を含めた生産高だが、それだけの能力と資源を抱えていた。このような諸々の事情によって日本陸軍の日米の「物的国力判断」での対米戦争困難性や総力戦研究所の日米戦想定机上演習での対米戦争不可能性を答とするに至ったのである以上、これらの不可能性・困難性はアメリカの軍事面の回復力まで予想していたから(総力戦研究所の日米戦想定机上演習では兵器増産の見通しの日米比較を行っている)、これらの克服を可能とする戦略に立って本格的に南方進出を謀ったであろうことを前提に次は以下のNHK記事を見てみることにする。

 《2022年8月NHK総合戦争検証番組は日本軍上層部の無責任な戦争計画・無責任な戦略を摘出し、兵士生命軽視の実態を描出 靖国参拝はこの実態隠蔽の仕掛け(2)》に続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2022年8月NHK総合戦争検証番組は日本軍上層部の無責任な戦争計画・無責任な戦略を摘出し、兵士生命軽視の実態を描出 靖国参拝はこの実態隠蔽の仕掛け(2)

2022-10-31 04:43:44 | 政治
 2022年8月10日NHK総合テレビ放送の記事――《NHK新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 第1回 開戦(後編)」》(2021年12月7日)が取り上げている真珠湾奇襲攻撃と東南アジアの戦争から見えてくる日本軍の上層部が本質的に抱えていた無責任体制を窺ってみる。

 〈この頃ハワイでは、その後の命運を分ける出来事が起きていた。アメリカ軍が試験的に導入していたレーダーが偶然、日本軍の編隊を捕らえた。しかし、報告を受けた将校は、この日到着予定だった米軍機と思い込んだ。住民も日本軍だとは思いもしなかった。

 ハワイ住民 ケントン・ナッシュ証言「驚いたな。今日の演習は徹底的だ。飛行機に日の丸を描くなんて」

 アメリカは日本軍の奇襲に気づくチャンスを逃した。〉――

 東條英機の言う「意外裡な事」(=偶然性主体の計算外の要素)が幸いした真珠湾奇襲攻撃の大成功ということだったのかもしれない。結果論ではあるが、物は取りようで、失敗し、手痛い打撃を受けたなら、手を引いていた可能性は考えられ、泥沼の戦争に陥ることなく、余分な死者を出すことはなかったかもしれない。現実には成功し、本格的な戦争に向かうことになる。日本は最終的な勝利を確信できる確固とした戦略に基づき、自存自衛の信念のもと、大東亜共栄圏建設の偉業に挑むことになったはずだ。最終的な勝利を確信できない戦略など存在しようがない。しかも2、3年の短期決戦での成就を頭に思い描いていなければならなかっただろう。  

 真珠湾奇襲攻撃の成功に一般市民は歓喜して迎え入れた。奇襲攻撃という一般的には成功確率の高い要素を誰も省みることはなかった。そのエゴドキュメント。

 〈金原まさ子育児日記「血湧き肉躍る思いに胸がいっぱいになる。一生忘れ得ぬだろう、今日この日。しっかりとしっかりと大声で叫びたい思いでいっぱいだ。大変なのよ、住代ちゃん、しっかりしてね」

 学生や子どもたちも、興奮の中にいた。

 学生西脇慶弥日記「朝の軽い眠りを楽しんでいた自分は、待ちに待った臨時ニュースの知らせに床をけり、階段をかけ下り、ラジオの前に立った。心臓が破れそうの興奮である」

 国民学校六年生絵日記「この時に生まれ合わせたことは、とても幸福なことであると思う。五時間目、住吉神社へ戦勝祈願に行った。皆、真心込めてお祈りした」〉――

 この初戦で日本が早くも情報隠蔽を働いたことを伝えている。〈繰り返し華々しい戦果が報じられる陰で伝えられなかった事実があった。真珠湾で水中からの攻撃を担っていた潜水艦部隊。2人乗りの特殊潜航艇5隻は、すべて帰ってこなかった。さらに、日本軍機の搭乗員55人が命を落とした。〉――

 不都合をなくし、完璧さの装いを情報の隠蔽によって作り上げる。自らの実力とその実力に対する自らの責任に面と向き合う潔癖さの欠如(道徳的勇気の欠如)が自ずと情報隠蔽という働きに向かわせることになる。正真正銘の実力を直視することができなければ、勝利の方程式となるどのような戦略も成り立たせ不可能となる。過大に評価した実力にどのような戦略も立てようがないことは自明の理である。このことは軍隊という組織や各部隊という集団に対してのみではなく、指揮官個人についても当てめることができる原則となる。自らの実力に対する冷徹な直視の回避は水増しした実力での行動に向かわせ、水増しした分を差し引いた結果しか手に入れることができなかった場合、自ずと責任の回避という手を使って、自らの実力に辻褄を合わせるようになる。

 記事は「大東亜共栄圏」なる言葉は開戦1か月前からエゴドキュメントに増えていると記している。記事も一部触れているが、東亜新秩序建設は前々から言われていたが、同じ開戦約1ヶ月前1941年(昭和16年)11月5日第7回御前会議で、〈一、帝国ハ現下ノ危局ヲ打開シテ自存自衛ヲ完ウシ大東亜ノ新秩序ヲ建設スル為此ノ際対米英蘭戦争ヲ決意シ左記措置ヲ採ル〉との「帝国国策遂行要領」を採択していることのうち、「米英蘭戦争ヲ決意」の文言を隠して国民を鼓舞するために「自存自衛」と「大東亜ノ新秩序ヲ建設」の文言のみを宣伝した結果の傾向ということに違いない。

 真珠湾奇襲攻撃大成功のエゴドキュメントが続く。

 〈埼玉の役場職員「大東亜共栄圏建設の世界史的偉業は、光栄ある大和民族の双肩に、すでに現実のものとして、さん然と登場しているのである」〉―― 

 真珠湾奇襲攻撃大成功=「大東亜共栄圏建設はすでに現実のもの」と把握するに至ったという経緯が見て取れる。中国戦線で近代化されていない中国という国の近代化されていない中国軍を相手に手こずっている状況は食糧の配給制度によって知り得ている情報であったろうし、一方で日本という国が国家経営に必要な各種資源の多くを米国に依存していることの情報にも触れているはずだが、真珠湾奇襲攻撃成功の一事で大東亜共栄圏が既に建設されたかのように興奮する状況は、「光栄ある大和民族の双肩」という言葉に現れているように日本民族への買いかぶり――優越性なくして成り立たない。そしてこの買いかぶり、あるいは優越性は「大東亜共栄圏」なる言葉の中の「共栄」という平等性に反することになるが、自らへの買いかぶり、あるいは優越性によって無自覚なまま放置されることになる。

 記事は米英の経済制裁に対抗するためにアジアの資源地帯を押さえる名目としての「大東亜共栄圏の建設」を戦争目的に加えるべきと主張したのは陸軍で、海軍や石井秋穂(陸軍大佐)ら陸軍の一部は、あくまでも自存自衛の範囲内にとどめておくべきだと考えていたと解説している。
 
 〈陸軍大佐石井秋穂回想録「この戦争は油が切れるまで、日本国家としての経済的及び、国防的生命をつなぐ必要に迫られ、やむにやまれず立ち上がるのである。もしも米・蘭から従前通り油が買える様になれば、戦争目的は達したことになる。最低限の戦争目的を規定しておかなければ、和平が出来にくくなる」〉――

 石井秋穂の発言は短期決戦の戦略を頭に置いている。米軍を一定程度壊滅し、日本とのこれ以上の戦争継続は得策ではないと考えさせ、停戦を選択させる局面にまで持っていく。このプロセスは日米戦を想定した際の戦争の困難性、あるいは不可能性を克服する方策として編み出したであろう長期戦の回避、短期決戦の戦略に適う。但し石井秋穂の思惑どおりに進めるためには短期決戦での完遂を確実にするための戦略の再確認が前提となる。再確認もなく述べたとしたら、短期決戦の必要性にすがっただけの思惑で終わる。

 しかし日本軍は長期戦へと突入していく。日本は当初は日本、満州国、中国の3カ国の「東亜新秩序建設」を掲げていたが資源獲得のための南進の必要性からインドネシア、フィリピン、ベトナム、タイ、マレーシア、シンガポール、インド等々の東南アジアの国々を大東亜共栄圏の勢力範囲とすべく謀った。長期戦への突入は大東亜共栄圏の勢力範囲を広く取り過ぎたための回避不可能な到達点だったのかもしれない。だが、大東亜の新秩序建設のために対米英蘭戦争を決意した第7回御前会議は1941年11月5日で、それよりも約7ヶ月半も前の1941年3月18日に「日米物的国力」比較シミュレーションで対米戦争困難性が報告され、当該御前会議1ヶ月余前の総力戦研究所の日米戦想定では戦争の不可能性を宣告されていた。これらのことを無視したとすると、真珠湾奇襲攻撃を仕掛ける段階で既に短期決戦など念頭になく、長期戦を視野に入れていた疑いが浮上する。疑いが事実そのものとすると、当然、長期戦に適応させた戦略を構築していなければならない。

 日本軍は1941年12月8日にマレー半島上陸、そこでのイギリス軍を破り、さらに1942年2月8日から2月15日にかけてシンガポールに上陸、兵力差2倍のイギリス軍を打ち負かし、攻略。破竹の勢いであった。しかし矛盾も見え始めた。

 〈陸軍中尉・三好正顕日記「食い物も探しながら、戦争せんならん。一昼夜2、3時間眠り、あるいは徹夜で行軍して進み、被服は着の身着のまま、何処へでもごろりと転んで、まるで原始人のよう」

 戦争を継続していく上で、不可欠な食糧の調達がままならない。敵から奪うしかなかった。

 同三好正顕日記「今日は兵営を占領して、ビールあり、ジンあり、ウイスキーありの盛況だ。兵隊たち、敵の黒パンをおいしそうに食べる。何もかも友軍より贅沢である」〉――

 要するに補給を無視し、進軍だけを考えた戦略を採っていた。但し緒戦の段階だからだろう、士気盛んであった。このような場合、攻める側の士気・精神力は攻められる側のそれらを往々にして上回る。このことを勝因の一つとして記憶しておく戦略が必要になる。攻略の要因を部隊の戦闘技術の優秀さだけに置いた場合、攻める側と攻められる側の心理的関係性や地理的・気象的要因等との関係性の違いに応じてときに技術的優秀さは相対化される厳粛な事実を無視、あるいは過大評価することになって、戦略そのものを狂わすことがときとして起こりうるだろう。

 〈すでに日本国内では開戦前から、食糧不足に悩まされていた。戦争で輸入が途絶え、銃後の国民どころか、前線や占領地での食糧補給が厳しくなるのは目に見えていた。日本の指導者たちは開戦前からこのことに気づいていた。

 マレー半島上陸1カ月前の1941年11月5日御前会議、賀屋大蔵大臣発言。

 「南方作戦地域の経済を円滑に維持するがためには、わが方において、物資の供給をなすを要すべきも、我が国はそのために十分の余力なきをもって、当分はいわゆる搾取的方針にいづることやむを得ざるべしと考えらる」

 搾取的方針。それを具体的な占領政策に落とし込んだのが、あの石井秋穂だった。食糧の供給が困難になるという見通しのもと、石井は、「作戦軍の自活」を基本方針に据えた。

 陸軍大佐・石井秋穂回想録「占領軍の現地自活のためには民生に重圧を与えても、これを忍ばしめると規定したことは、大英断のつもりであった」〉――

 「搾取的方針」の「搾取」は有償であるべき物品に対する優越的立場からの強制的な相当部分の代価免除を指し、それなりの体裁を保っていたとしても、この優越性を力とした相当部分の代価免除は “奪う”という要素を本質のところで紛れ込ませている。敵軍からは武器や食糧、敵地住民からは食糧を奪う形式で戦いを継続していく。当初から兵站に関しては行きあたりばったり、出たとこ勝負であったことになる。この出たとこ勝負を吉とするためには連戦連勝の勝ち戦を絶対条件としなければならない。負け戦となった場合、奪う形式にまでは手が回らなくなって、「搾取的方針」は破綻することになる。勿論、個々の戦闘に於ける戦略は、こういったことをも計算に入れていたはずで、負け戦は兵站を停滞、最悪、崩壊させることになるとの予測に立っていなければならない。

 一方で大東亜共栄圏の理想を掲げ、一方で「作戦軍の自活」のために現地人に対する搾取も止むなしとした。但し「大英断のつもりであった」の言葉は「大英断」が裏目に出たことの示唆以外の何ものでもない。

 〈しかしその後、現地を視察した石井は、想像以上に軍紀が乱れている現実を目の当たりにする。

 石井秋穂日記「夕刻、コタバル飛び、渡辺大佐と共にケランタン州の政務を聴取す。皇軍の掠奪強姦を嘆す」

 石井秋穂日記「シンゴラ埠頭を見る。ここも皇軍の掠奪強姦に悩めり」〉――

 ネットを調べてみると、石井秋穂がマレー半島東岸の都市コタバルを視察したのは1942年1月1日。「作戦軍の自活」のための「搾取的方針」が勝ち戦の優者心理に正当性を持たせることになって、優越的な正当性に纏い付かせがちとなる規律を自己中心に置く思い上がりを生じせしめて、食糧や生活用品に対する強制的な相当部分の代価免除が「掠奪」という支配欲へと走らせ、同じ思い上がりが女性に対しても掠奪そのものの支配欲を募らせたといったところなのだろう。日本軍はまさしく道徳的勇気を麻痺状態にさせた蛮勇そのままの肉体的勇気発揮の一人舞台を演じていた。そこのけそこのけとばかりに。

 記事は書いている。〈アジアを解放し、共存するという理想も揺らぎ始めていた。〉――

 結果、陸軍大佐石井秋穂をして回想録に次のように書かしめた。

 〈『これが大東亜戦争の性格を、雄弁に物語るものでもあった』〉――

 石井秋穂の目には日本軍兵士が現地住民に対して絶対君主のように振舞っているかのように見えたのかもしれない。個々の兵士が抱えることになる戦争の現実はともかく、日本政府と日本軍が大東亜共栄圏の理想をどう実現していくか、その実現にしても対米英戦争の最終的な勝利が保証することになるが、戦争そのものに対する総合的な戦略と個々の戦いに於ける戦略とが相互関連し合って最終的な結末を演出することになることから、戦争に臨むに当たってそれぞれの戦略をどのように描いていたかがやはり重要となる。一方で国民は様々な矛盾や不都合を抱えた戦争の現実を知る由もなく、矛盾や不都合を隠し去った見せかけの勝利のみを知らされて、天皇を始め、軍や国への信頼を厚くし、さらなる進撃と勝利を望むことになり、大本営は望みに応じるためと軍のメンツを維持するためにさらに見せかけの勝利を伝え続ける。但し自己中心一方の規律しか持ち得ない組織・集団、他の規律との兼ね合いを推し量ることのできない組織・集団は自らが抱え込むことになった矛盾や不都合の傷口を際限もなく広げていき、組織・集団としての纏まりを失い、収拾が効かなくなる恐れが出てくる。

 中華系の住民の一部が日本軍への抵抗を強めていた。

 〈憲兵の分隊長として治安維持にあたった大西覚は、「日本軍の作戦を妨害する者、治安と秩序を乱す者、また乱す可能性のある者」などを選別し、処刑するよう命令を受けたという。 

 元第二野戦憲兵分隊長・大西覚取調証言「華僑(中華系住民)に対しては相当深刻な注意をせなきゃならんと。不逞分子をもう虐殺して殺して処分していいと。これはえらいこっちゃ、そんなこと言ったって十分調べてもおらんし、もう本当の容疑で、これが本当の敵性で、抗日分子で何するという確証はない。それをすぐに虐殺せよということはですね、非常に人道に反するしいかん。嫌だった。でも命令ならしようがない」(1978年3月18日収録 日本の英領マラヤ・シンガポール占領史料調査フォーラム調べ)

 戦後、イギリス軍による裁判でこの虐殺に関わった大西ら5人は終身刑、2人の死刑が確定した。処刑された司令官は、5千人を粛正したと日記に記しており、裁判の証拠とされた。しかし、シンガポールでは、虐殺は数万人規模にのぼるとみる専門家もおり、研究が続いている。〉――

 「Wikipedia」の「シンガポール華僑粛清事件」の項目に、〈1942年2月から3月にかけて、日本軍の占領統治下にあったシンガポールで、日本軍(第25軍)が、中国系住民多数を掃討作戦により殺害した事件。1947年に戦犯裁判(イギリス軍シンガポール裁判)で裁かれた。〉とある。

 規律のないこの虐殺は道徳的勇気を麻痺させた蛮勇でしかない肉体的勇気によって成し遂げられる。強奪・強姦は戦闘から離れた場所での兵士たちの規律の喪失だが、虐殺は戦闘行為の一環として行われる規律の喪失であり、兵士の中で止むを得ないことと正当化された場合、普段の戦闘行為にも持ち込む危険性を抱える。特に負け戦に影響を与えて、規律の維持への忍耐心を簡単に失わせて、ストレートに規律の喪失に向かわせかねない。この規律の喪失が上官が仕向けているとなると、軍の体質の問題となる。1941年12月8日に真珠湾奇襲攻撃からたったの3カ月余の短期間での日本軍のこの有様で、秩序ある組織・集団としての体裁を取ることができなくなると、目先の勝利だけを考え、なりふり構わなくなり、いつかは無秩序が支配することになる。

 2022年8月13日NHK総合放送《NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争1942大日本帝国の分岐点(前編)》は、〈1941年から1945年までを個人の視点(エゴドキュメント)から歴史のうねりを1年ごとに追体験する〉形式を採り、〈連戦連勝だった日本が、一転して苦境に陥っていく〉経緯から日本の戦争の実体を浮かび上がらせている。このことに便乗して日本の陸海軍の最高統帥機関である大本営が予定として建てた戦争計画を個々の戦いで如何に具体化し得たのか、それぞれの戦略を見ていくことにする。

 市民は1942年を皇軍の連戦連勝の報道を受けて、目出度い正月、目出度い新年として迎えていた。

 〈人々の気持ちを高揚させたのは、リーダーの言葉。1942年2月18日、内閣総理大臣・東條英機が演説する祝典には、10万人が押し寄せた。

 内閣総理大臣 東條英機「聖戦目的の完遂に向かって、諸君と共に、一路邁進(まいしん)せんことを誓うものであります」

 東京の主婦金原まさ子『2月18日日記』 (祝典の様子をラジオで聞いて)「東條首相のマイクの前における万歳発声。全国の民草、街頭にあるものも、家庭にある者も、一斉に日本バンザイを叫ぶ。盛大に挙行された今日の感激を、一生忘れないだろう」

 愛国心、民族意識の高まりを刺激したのは、今で言うインフルエンサー。人気を集めた思想家や学者たちだった。

 大川周明『米英東亜侵略史』「我等の大東亜戦は、単に資源獲得のための戦でなく、実に東洋の最高なる精神的価値及び文化的価値のための戦であります」

 西谷啓治座談会『大東亜共栄圏の倫理性と歴史性』「大東亜では同じ水準に達しているのは日本だけで、あとの民族はレヴェルの低い民族だ。そういうものを引っ張って育てて行き、民族的な自覚をもたす』〉――

 大川周明は大東亜戦争そのものに「東洋の最高なる精神的価値及び文化的価」を付与し、西谷啓治はアジアに対する日本民族の優越性を丸出しにしている。但しその優越性はアジアではアメリカと「同じ水準に達しているのは日本だけ」だとアメリカを上に見たアジアに対する優越性となっていて、これは本人一人だけのものではないだろう。大東亜共栄圏は日本を中心として東亜の諸民族による共存共栄の樹立を目的としていたが、日本民族以外は「レヴェルの低い民族」とするこのような位置づけ、価値観には日本を支配者とし、他のアジア民族を日本の支配を受ける存在とする上下思想の考え方を潜ませ、「共存共栄」は日本の支配をカムフラージュするタテマエに過ぎないことを暴露することになる。

 連戦連勝の高揚した気分に冷水を浴びせたのは1942年4月18日の「ドーリットル空襲」と呼ばれた米軍機による日本本土爆撃だった。

 〈大統領側近の手記による米大統領フランクリン・ルーズベルトの言葉「日本に爆撃する作戦はどうだ。日本をできる限り早く爆撃することが、アメリカ国民の戦意のために、なによりも重要だ」〉――

 〈1942年4月18日金原まさ子日記「高射砲のとどろき、とうとう帝都、敵機襲来。近くの士官学校裏手から、もくもくとした煙。大爆撃。敏感な住代ちゃん、おびえてかわいそうだった」〉――

 日本軍による真珠湾攻撃を逃れた空母部隊が日本近海にまで接近、空母から発進した16機の爆撃機B25で奇襲するという決死の作戦だという。対して日本軍は地上から高射砲を撃ち、撃墜しようとしたが、目的を果たすことができなかった。日本上空への侵入を許し、撃墜不可。このことは日本軍の失態を示すと同時に本土防衛の大きな欠陥を示す事態だったが、大本営はこの事実を隠蔽、米爆撃機9機撃墜を発表。ラジオと新聞で華々しく報道した。

 〈4月22日作家伊藤整日記「昨日、小島君より聞いた所では、落ちた飛行機を写真にとろうとして歩いても、どこにもその現場がない。多摩川辺に落ちた由を聞き出かけると、憲兵が番をして、そこへは立ち入らせない。九機撃墜と発表しているのだから、落ちた敵機の姿が写真に出ないのは変だ」

 4月19日作家山本周五郎「少年が敵機の落とし去った焼夷弾を持ってきて見せる。民家に落ち、三、四軒全焼したとのことだ。敵機のいずれより来しや。戦果どうなりしや。軍の発表明確ならず。よって人々の不安は、不必要なるほどに複雑深刻なり。報道法拙劣」

 4月19日新聞記者森正蔵日記「昨日の空襲に際して、九機を撃墜したという当局の発表も嘘らしい。まさにわが国防史上の一大汚点である」〉――

 〈実は9機撃墜は、迎撃した部隊による見間違えだった。実際にはアメリカ軍の爆撃機は、すべて国外に飛び去っていた。あってはならない誤報を出してしまったのである。軍のメンツに関わる事態に怒ったのが、首相の東條英機だった。

 佐藤賢了『軍務局長の賭け』「東條大臣は大変興奮のおももちで、『陸軍から九機撃墜したとの公表がでたが、どこにも撃墜した跡が見当たらない』『こんなでたらめな報道をやったのでは、今後の戦果の発表の信を内外に失う』恐ろしい立腹であった」

 軍は、誤報を訂正せず、報道機関にあらたな方針を通達した。

 「空襲被害状況は新聞、ラジオは今後は一切不可」
 「空襲関係の発表は大本営一本に統一する」

 敵機に爆撃を許し、誤報を流し、市民に疑念を広げてしまった軍。以降、情報を、大本営が一元管理する方向へ進んでいく。〉――

 東條英機が言う「でたらめな報道」はこのときが初めてではない。立腹も、「信を内外に失う」も、滑稽そのものである。「見間違え」説は日本軍の実力を過大に見せるための虚偽情報流布(=大本営発表)が遠く離れた海外の戦果なら如何ようにも誤魔化しが効くが、国内のこととあって戦果を大々的に見せることができず、露見しそうになり、その露見を誤魔化すための新たな虚偽情報として「見間違え」説を流したはずだ。対米戦端開始の真珠湾奇襲攻撃の初っ端から特殊潜航艇の乗員の座礁捕虜となった1名を除いた残り9名の戦死と日本軍機搭乗員55人の戦死の事実を大本営は隠し、その経緯を東條英機が承知していなかったはずはなく、東條の怒りは叱責という形で虚偽情報に終止符を打つ猿芝居の類いに過ぎなかったろう。

 特殊潜航艇9名戦死は1941年12月8日の真珠湾攻撃から約3か月後の1942年3月6日に発表。隠蔽から一転して公表に転じたのは軍人の手本として九軍神に昇格、戦意高揚と愛国心高揚の対象として利用するためだった。このことは座礁捕虜となった1名の存在は日本人捕虜第1号の恥ある対象とされ、存在そのものが抹消されたことが証明する。軍にとっての不都合を隠し、不都合を時には好都合に変える情報操作は東條英機も主要な共犯者として加わっていたはずである。

 大本営発表の捏造情報に対して関係する軍部署は自らの実力が生んだ実際の戦果を知っていることから、捏造が度重なるにつれて日本軍全体にそのカラクリが知れ渡って捏造そのものに麻痺し、実力に対する冷徹な直視の回避と責任回避を生み出すことになり、この体質はやがて日本軍の隅々にまで浸透していく。このようなイキサツは道徳的勇気の麻痺を伴い、その欠如を深化させていく。

 実際の展開を考えて見ると、1機も撃墜できなかったことは軍のメンツに関わるから、16機÷2=8機+1機で半分以上撃墜したとすることで軍としての体裁を守ろうとした。だが、実際に撃墜したなら、空襲の時間帯は「正午過ぎ」と言うことだから、エンジンから火を吹き、錐揉み状態で落下するとか、エンジンの火で機体が爆発するとかを誰かが目撃できるはずだし、何よりも地上落下後に残骸という物的証拠が残る。煙の如くに何も残さずに消えることはないから、物的証拠となる9機の残骸を確認したことになり、その残骸の写真を大々的に報道させて、軍の手柄を誇示し、戦意高揚の材料とするのが世間に知られている常道だから、それをしなかったから、おかしいぞと思われ、放っておくことができなくなって、「見間違え」説で収拾を図ろうとした。

 大体が撃墜できなかった事実を撃墜したと見間違えること自体が軍の能力にも関わってくる大失態であり、見間違えは日本の領空から飛び去った16機の飛行航跡をレーダーで追跡できなかったことになる新たな事実を炙り出すことになる。その程度の性能のレーダーで日本の空を守っていることの方が問題となるあってはならない見間違えであろう。

 真珠湾奇襲攻撃の連合艦隊司令官山本五十六が米空母発進の日本本土空襲を阻止する方策として思いついたのがアメリカ軍の飛行場などがある重要拠点の太平洋に浮かぶ小島・ミッドウェー攻略だと記事は解説している。日本の攻撃に対するハワイから援軍の米空母部隊を壊滅するという戦略だったというから、ミッドウェー攻略は囮ということになる。ミッドウェー攻略は1942年(昭和17年)6月5日から。真珠湾奇襲攻撃は1941年12月8日。約半年後にハワイの米空母部隊は無視できない規模の戦力を回復していたことになる。

 〈山本五十六手紙「帝都の空を汚されて、一機も撃墜し得ざりしとは、なさけなき次第にて」、「米残兵力をおびきだして、一挙に撃滅できれば結構」〉――

 〈空母「赤城」に乗組み、戦闘の一部始終の記録が任務の大橋丈夫主計中佐手記「印度洋で、英空母ハーメスを易々と撃沈したときのような気分で、又、ミッドウエイの周辺に群棲する伊勢蝦(いせえび)のテンプラを夢みながら、黙々として行進した』〉――

 〈「赤城」には、『戦えば必ず勝つ』という楽観的な空気が満ちていた。〉と記事にあるが、「赤城」だけの気分ではなく、連合艦隊全体を覆っていた安心感なのだろう。「赤城」以外の艦艇全体がピリピリと緊張していたなら、「赤城」も呑気に構えていることができなくなり、大橋丈夫中佐にしても、それなりの緊張感で戦いの場に臨むことになったはずだが、国民総生産米日差12倍、粗鋼生産量も航空機生産量も遥か上を行き、石油の9割をアメリカに頼っていて、禁輸措置を受けた日本の国力に対してアメリカの真珠湾奇襲攻撃で失った空母、航空機等、軍事面の回復力、個々の戦いに於ける戦略や体制の立て直しを頭に置くこともせずに戦う前からのこの警戒感のなさ、危機感のなさ、安心感は軍隊という組織では致命的な欠陥となる。個々の戦いに於ける戦略に狂いを生じさせ、その狂いが日本の戦争計画全体に関わる総合的な戦略をも狂わせていく危険性が生じることになりかねない。

 米空母部隊は日本軍の暗号を解読、日本軍の次の攻撃目標はミッドウエーだと掴んだ。暗号解読能力も、戦争の準備・計画・運用の方法としての戦略そのものに影響を与え、戦略遂行の重要な要素の一つとなる。解読によって日本側の進軍を待ち構えることができ、逆にアメリカの空母から奇襲を受けることになった。航空母艦「赤城」の艦上爆撃機は陸用の爆弾装着、米空母への反撃用に魚雷装着への転換作業が加わり、現場は大混乱に陥った。取り外した陸用爆弾を格納庫に無造作に放置。米軍の急降下爆撃機が襲い、格納庫が火災を起こし、放置された陸用爆弾と魚雷を誘爆。大勢の乗組員と共に沈没することになった。

 問題なのは軍隊という組織にはあってはならない「戦えば必ず勝つ」という楽観論が予想外の突発事態に遭遇して必要以上の狼狽を誘発しただろうということである。狼狽が防御の際に発揮されるべき冷静さのエネルギーをかなり殺ぎ、奇襲をかける側の満を持した姿勢によって発揮されるプラスアルファのエネルギーとのプラスマイナスの差が大きく出る結果となる。

 〈攻撃開始から22時間。山本五十六は作戦の中止を命令する。

 この戦いで日本が失ったのは、空母4隻。死者3057人。遺骨は船と共に5000メートルの深海に沈んだ。

 ミッドウェー海戦の結果を報じる新聞では空母4隻喪失の事実は伏せられ、日本側の戦果が強調されていた。

 日本軍は負けていないと受け取った市民。なぜ、真相が隠蔽されたのか。

 1942年6月5日、大本営にミッドウェー海戦の敗北が伝えられた。衝撃が広がるなか、海軍報道部の士官たちは、大本営発表の準備にとりかかった。

 田代格海軍大佐回想録「驚愕の一語に尽きた。ハワイ海戦(真珠湾攻撃)、マレー沖海戦の赫赫(かくかく)たる勝利も、一度に吹き飛んだ思いであった。大本営発表文中、最大に苦しかった発表であった。軍令部と軍務局の意見が真っ向から衝突して、容易にまとまらず、私は両方を走り回るのみであった」

 議論は三日三晩続いた。報道部は真相を国民に知らせるべきだと主張したという。

 冨永謙吾『大本営発表 海軍篇』「すぐに作戦部の強硬な反対を受けた。軍務局も同意しなかった。課長と主務部員は、国民に真相を知らせて奮起を促す必要ありとして、夜の目も寝ずに関係者の説得に、重い足を引き摺りながら飛び回った」

 真相の公表に反対したのは、作戦指導の中核を担っていた部署だった。公表することは、戦争遂行を危うくすると訴えた。

 吉田尚義『大本営発表はかく行なわれた』「これは当然発表すべきではありません。これだけの大損害を、大本営発表をもって確認することは敵に一層、傍若無人な積極作戦をとらせるだけであります。抗戦持続不可能になる恐れありとすら言えます。戦争中の報道は、当然、作戦の目的にそわしめることが第一義であります。そのため同胞が欺かれる結果となっても、戦争中のことゆえ、真にやむをえないと考えます」〉――

 〈実際の損害を公表すれば、アメリカの攻勢を招きかねない。戦争を続けていくという大義のために国民を欺くことは正当化された。こうして、大本営発表は、真相とはかけ離れたものになった。

 発表された損害は、空母1隻喪失、1隻大破。戦果は、空母2隻撃沈。損害は半分、戦果はほぼ倍。戦果が喪失を上回り、勝ったことになってしまった。〉――

 「同胞が欺かれる結果となっても、戦争中のことゆえ、真にやむをえないと考えます」と虚偽情報の発表を自己正当化しているが、国民だけが「欺かれる結果」となるのか。

 同胞を欺くことができても、大本営発表のカラクリを知ることになる戦闘現場で直接戦う戦闘員は、特に敵の物量が優っていると一目で分かる戦闘では心の底からの戦意を持って戦うことができるだろうか。敗退しても勝ったことになるんだとの冷笑がどこかに芽生えて、その分の戦意喪失と軍上層部への何がしかの不信感を抱えて戦うことになったなら、計算通りの実力は出てこない。結果、「作戦の目的にそわしめることが第一義」の意図に反する事態となる可能性は否定できない。

 日本海軍の中央統括機関である軍令部はこの見せかけの損害と戦果を昭和天皇にもそのまま報告したという。つまり天皇まで欺き、その存在まで蔑ろにした。このようにできたということは、大日本帝国憲法上の「第1章天皇第1条 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」は形式的なことで、天皇は国民統治のために軍部・政府に利用された存在に過ぎなかったことが分かる。

 大体が戦果を偽ること自体が大本営なりに果たすべき責任履行の放棄――責任回避に当たる。この責任を取らない責任回避の体質は真珠湾奇襲攻撃成功の当初から自前のものとしていた。「やむをえない」で済ますことはできない重大な問題となる。

 〈ミッドウェー海戦で従軍したニュース映画のカメラマン牧島貞一は日本へ逃げ戻る船のなかで、大本営発表を聞いた。

 牧島貞一著『ミッドウェー海戦』「ラジオを聞いていると、軍艦マーチとともに、例の聞きなれた平出大佐の声が聞こえてきた。ミッドウェー強襲の大戦果だった。『平出大佐のバカ野郎っ!』『こんなでたらめな放送をして、国民をいい気にさせておいていいのか!』と叫びたくなった。ダイアルをまわすと、今度はアメリカの放送が入ってきた。アメリカの勝利と日本の敗北を報じていた」〉――

 ミッドウェー海戦での大敗北以降、戦況は悪化の一途を辿る。真珠湾奇襲攻撃大成功から半年しか経っていない。短期決戦であったとしても、早すぎる形勢逆転であり、長期戦覚悟であったとしたら、話にならない程のあっけない攻守逆転となる。だが、日米の国力と物量の差を考えた場合、順当な経緯と言えないことはない。形勢の悪化は個々の戦いに於ける戦略の狂いが日本の戦争全体の戦略を狂わしていく道筋を取っていくことになる。繰り返しになるが、戦果を偽れば、敗因を直視することに忌避感が生じかねず、その厳格な分析を避けた新たな作戦計画を次々に立てていけば、その可能性大だが、同じ失敗を繰返す欠陥を抱え込んだままとなりかねない。

 〈ラジオとニュース映画で使われた言葉から「大戦果」や「撃破」「圧倒」など、勝利に関連した言葉を抽出した。ミッドウェー海戦以降も、日本軍の優勢を示唆する言葉が、ニュースでさかんに使われていく。大本営発表は、太平洋戦争全体で見ると、損害はおよそ5分の1に、戦果は6倍に修正されたという。情報の隠蔽や改ざんが、当たり前となっていった。〉――

 日本側がミッドウェー海戦での形勢の逆転を受けてから以降、形勢逆転のまま推移した事実は個々の戦いに於ける暗号解読の情報処理能力をも含めた戦略の拙劣さが日米の国力の差を克服できなかったための総合的な戦略への悪影響を要因と考えると、戦略の拙劣さも国力の差も、如何ともし難い壁となって立ちはだかり続ける欠陥となるから、当然、戦争方針の次なる戦略は名誉ある撤退ということも選択肢として考慮しなければならないはずだが、自らの欠陥をものともせずに日本軍はさらい突き進むことになる。もしかすると、大本営も陸軍大臣兼総理大臣の東條英機も日本の自存自衛のために南方の石油資源や鉄鉱資源を獲得し、そのために大東亜共栄圏を建設するという目的のみを立てて、その目的を実現させるために物量も影響することになる日本軍と米軍の能力の差や、人的・物的資源の応用としての質などの反映としてあるトータルとしての国力の差に裏打ちされた、アメリカとどう戦うのかの総合的な戦略を厳密に立てずに東條英機が言うところの「意外裡な事」(=偶然性主体の計算外の要素)に期待する類いの精神論に依拠し、我々には大和魂がある(2022年11月1日12時40分加筆)、日本は負けるはずがないといった思い込みのもと対米開戦に踏み出し、確固とした戦略を築かないままにズルズルと戦線を拡大していった可能性も考えられる。なぜなら、アメリカと正面からぶつかり合う本格的な戦いに入って以降、総力戦研究所等が出した日米戦の結論、「戦争の不可能性」あるいは「戦争の困難性」を見事なまでに覆す決定的な戦略を一度も発揮し得ず、逆に「戦争の不可能性」あるいは「戦争の困難性」を色濃く見せる戦いを続けることになるからだ。

 最後に2022年8月15日再放送のNHKスペシャル選「戦慄の記録 インパール」から、ここでは個々の戦いを任された各現地部隊の司令官の戦略、その質、全体的な戦況への影響等を見ることにする。インパール作戦は1945年8月15日の終戦より1年5ヶ月前の1944年3月8日に開始された。

 〈73年前、日本軍が決行したインパール作戦。およそ3万人が命を落とし、太平洋戦争で最も無謀と言われたこの作戦は、なぜ決行されたのか。新たにイギリスで見つかった膨大な機密資料や兵士の証言などから、その真相を追う。〉――

 インパール作戦はイギリス領インドに部隊を構えるイギリス軍相手の戦闘となる。当時のヨーロッパ戦線を見ると、ドイツが1941年6月に独ソ不可侵条約を破棄し、ソ連に侵攻。1942年8月23日開始のスターリングラード攻防戦で激しい戦闘を繰り広げた末に1943年2月2日にドイツ軍は敗北。ヨーロッパ戦線攻防の転換点になったと言われている。以後、ドイツは敗戦に追い込まれていく。このことを裏返すと、ヨーロッパに於けるイギリス等の連合国側はアメリカの支援もあり、士気・戦力に余裕が生じていく段階を迎えたことを意味する。スターリングラード攻防戦ドイツ敗北の1943年2月はインパール作戦開始の1ヶ月前である。大本営はこのことを計算に入れたインパール作戦遂行の戦略を立てたはずである。

 〈1944年3月に決行されたインパール作戦は、川幅600mにもおよぶ大河と2000m級の山を越え、ビルマからインドにあるイギリス軍の拠点インパールを3週間で攻略する計画だった。しかし、日本軍はインパールに誰1人、たどり着けず、およそ3万人が命を落とした。〉――

 記事によると、決行1年前の1943年3月に大本営はビルマ防衛を固めるためにビルマ方面軍を新設、ビルマ方面軍司令官河辺正三中将は着任前、首相の東條英機大将から太平洋戦線で悪化した戦局を打開してほしいと告げられていたと書いている。1943年3月当時の陸軍参謀総長は杉山元(任期1940年〈昭和15年〉10月~1944年〈昭和19年〉2月)で、これ以降、東條英機がその後任を引き継いで、首相兼陸軍大臣と共に兼職、権力を集中させているが、ビルマ方面軍に戦局打開の任を与えるか否かは陸海軍の最高統帥機関である大本営であり、その戦略は陸軍の場合は参謀総長をトップとした参謀本部が作成、大本営の認可を受けて河辺正三の任務という経緯を取るから、東條英機の口出しできる戦局打開の任務ではないはずだが、インパール作戦自体は既に発令されていた関係から、東條英機自身の希望としてインパール作戦が決行されることを願い、その決行を以って戦局打開を期待したという可能性はある。

 〈同じ時期、牟田口廉也中将がビルマ方面軍隷下の第15軍司令官へ昇進。インパールへの進攻を強硬に主張した。しかし、大本営では、ビルマ防衛に徹するべきとして、作戦実行に消極的な声も多くなっていた。〉――

 牟田口中将が第15軍司令官へと昇進したのは1943年(昭和18年)3月18日。要するにその当時の大本営の主流はビルマ方面軍の任務はビルマ防衛に限定していた。だが、ほぼ1年後の1944年3月8日に牟田口中将の指揮のもと、インパール作戦決行の軍事行動は開始されることになった。牟田口自身、勝利の方程式となる戦略を思い描いていたことになる。但し実行不可能として反対していた部下の参謀も存在していたのだから、成功するか、失敗するかは自身の勝利の方程式となる戦略が現実に即して実行可能か不可能かを判断する能力にかかることになる。牟田口は実行可能と判断したことになる。

 〈作戦部長眞田穰一郎少将手記「杉山参謀総長が『寺内(総司令官)さんの最初の所望なので、なんとかしてやってくれ』と切に私に翻意を促された。結局、杉山総長の人情論に負けたのだ」

 冷静な分析より組織内の人間関係が優先され、1944年1月7日、インパール作戦は発令されたのだ。〉――

 1944年1月当時の陸軍参謀総長は1943年に軍の最高階級である元帥に昇進していた杉山元だから、1944年1月7日のインパール作戦発令は杉山元陸軍参謀総長による寺内南方軍総司令官の「所望」という形でその実現を眞田少将に依頼。陸軍参謀本部の参謀次長下で作戦、兵站、編成、動員などに関する戦略実務を担う第一部長であった眞田少将は杉山総長の人情論に負けてインパール作戦計画の段取りを付け、大本営がその計画を認可、1944年1月7日に作戦発令を行ったという経緯を取ることになる。

 ネットで調べてみると、寺内寿一(ひさいち)は陸軍中将で、広田内閣では陸軍大臣を務めていたことがあり、当時、タイ、ビルマ、フィリピン、マレーシア、シンガポール等々を管轄する南方軍総司令官に就いていた。以上のようなことからNHK記事は、〈インパール作戦は、極めて曖昧な意思決定をもとに進められた。〉と伝えているが、問題は南方軍総司令官だった寺内寿一がインパール作戦の決行を望むに当たって、勝利の方程式となるどのような戦略を思い描いていたかであり、眞田少将は陸軍参謀本部で作戦、兵站、編成、動員等の実務を担っている関係から、杉山元陸軍参謀総長から「なんとかしてやってくれ」と頼まれた際、どのような戦略を用いてインパール攻略を考えているのかを尋ねたはずだし、役目上、尋ねなければならなかった。だが、「結局、杉山総長の人情論に負けたのだ」と手記に記してある言葉から推測すると、本来なら作戦の決定はそれを進める戦略の適否に従うべきを、戦略に関しては話題としなかったか、話題としても、取り上げる程の戦略ではなかったからか、議論されず、「何とかやりのけるだろう」程度で話をつけた可能性から、結局のところ、人情論が決め手になったという印象を持つに至ったということなのだろう。だが、陸軍参謀総長の杉山元にしても、眞田少将にしても、作戦決行に向けた戦略は結果はどうであれ、計画上は完璧を期す立場にあった。例え人情論に左右されたことであっても、大本営に作戦の進言をするについては人情論で済ますことはできず、最適な戦略を立てた上で取り掛からなければならなかったし、インパールを攻略できる戦略が見つからないということなら、杉山元に「インパール攻略は無理だ」ということを伝えなければならない立場にあった。何もしなかったのは杉山元の無責任は元より、眞田少将にしても、「杉山総長の人情論に負けた」で完結させるのは無責任な振舞い以外の何ものでもなく、無責任が満遍なく横行していた状況が見て取れる。

 〈インパール作戦は雨期の到来を避けるため、3週間の短期決戦を想定し、3つの師団を中心に、9万の将兵によって実行された。南から第33師団、中央から第15師団がインパールへ。北の第31師団はインパールを孤立させるため、北部の都市、コヒマの攻略を目指した。大河と山を越え、最大470キロを踏破する前例のない作戦だった。

 1944年3月8日、作戦が敢行。3週間分の食糧しか持たされていなかった兵士たちの前に、川幅最長600メートルにおよぶチンドウィン河が立ちはだかった。空襲を避けるため夜間に渡河したが、荷物の運搬と食用のために集めた牛は、その半数が流されたという。

 さらに河を渡った兵士たちの目の前には、標高2,000メートルを超える山が幾重にも連なるアラカン山系。車が走れる道はほとんどないため、トラックや大砲は解体して持ち運ぶしかなく、崖が迫る悪路の行軍は、想像を絶するものだったという。大河を渡り、山岳地帯の道なき道を進む兵士たちは、戦いを前に消耗していった。〉――

 「Wikipedia」記事のインパール作戦の目的、〈イギリスの植民地インドを独立させて、イギリスの勢力を一掃するという政治的な目的に加えて、ビルマ防衛のための攻撃防御や援蔣ルート(英領インドから中国蒋介石政府への援助輸送路)の遮断を戦略目的としていた〉と紹介、構想自体はなかなか壮大ではあるが、この構想はこうすればこうなるという成り行きを壮大に述べたものに過ぎない。イギリス軍の兵員規模、兵器の種類と種類それぞれの破壊規模、兵站、それらの予想に立った総合的な攻撃能力、対する同じ内容を持たせた自軍の攻撃能力とその差引き計算、攻撃能力が劣る場合はそれを補う攻撃方法の構築、さらに地理的条件や気象条件等々を組み込んだ戦略を構築し、勝利の方程式を導き出していなければならない。まさかインドの独立だ、援蔣ルートの遮断だといった壮大な構想に酔い、その酔いが成功を確信させ、始めたわけではあるまい。

 但し戦闘遂行に不可欠の兵站面はいつもの物量不足からだろう、この物量不足自体が新たな作戦を仕掛ける資格をもはや失っていることを証明するが、9万の将兵で3週間で攻略する計画だから、3週間分の食糧を持たせた。と言うことは、兵站部隊利用の食糧の後方支援は予定していなかった。想定していた準備・計画・運用そのままの戦略どおりに事は狂いもなく進むことを前提としていた。戦略に狂いが起こりうることを前以って備えていた場合、最低限、狂いに備える心構えで事に当たることになるから、その狂いが修復不可能であっても、何らかの予防策を講じることになるが、前以って備えていなかった場合、狂いにどうにか対処できたとしても、生じるはずもない狂いが生じたことになる予想外の思いが戦略そのものへの疑心暗鬼を駆り立て、その思いに囚われて作戦を遂行することもありうる。 

 3週間分の食糧の中には荷役も兼ねた集めた牛も入っていた。ところが、渡河作戦の途中、半数は流されてしまった。同じ「Wikipedia」記事の「インパール作戦」の項目に牛が渡河中に水の流れに驚かないように訓練したことが書いてあるが、要するに訓練が役に立たなかったということは訓練の方法が間違っていたか、訓練の効果を無効とする流れの状況だったか、そういったことだろうが、結果が全てだから、作戦遂行に狂いが生じて、満足な運用に至らない準備・計画の不完全さが露わとなり、戦わずして戦力の低下を招くことになった以上、戦略に狂いが生じた段階で戦闘継続困難のシグナルと受け止めるべきだが、中止命令は司令官の能力の問題に降り掛かってくるから、できなかったのだろう。

 作戦開始から2週間後のイギリス軍との最初の遭遇戦は大規模な戦闘となり、第33師団は1000人以上の死傷者を出す。イギリス軍は戦車砲や機関銃を用いたとあるが、日本側の地の利が悪かったからなのか、重火器類の数に見劣りあったからなのかは不明だが、前者・後者いずれであっても、戦略の不備か見劣りに関係してくる。特に後者の戦略の見劣りがイギリス軍と比較した場合の装備品不足の影響だとしたら、インパール作戦は精神力でカバーしようとしていたことになる。

 牟田口司令官第15軍〈第33師団の柳田元三師団長は、「インパールを予定通り3週間で攻略するのは不可能だ」として、牟田口司令官に作戦の変更を強く進言。牟田口司令官のもとには、ほかの師団からも作戦の変更を求める訴えが相次いでいたという。牟田口司令官に仕えていた齋藤博圀少尉は、牟田口司令官と参謀との間で頻繁に語られていたある言葉を記録していた。

 齋藤博圀少尉の回想録「牟田口軍司令官から作戦参謀に『どのくらいの損害が出るか』と質問があり、『ハイ、5,000人殺せばとれると思います』と返事。最初は敵を5,000人殺すのかと思った。それは、味方の師団で5,000人の損害が出るということだった。まるで虫けらでも殺すみたいに、隷下部隊の損害を表現する。参謀部の将校から『何千人殺せば、どこがとれる』という言葉をよく耳にした」〉――

 両人の会話から想定される状景は重火器類を駆使して戦闘を決するのではなく、敵重火器弾丸が飛来する中を相手陣地に向けて突入させて、相手弾丸を撃ち尽くさせ、生き残った兵士で陣地を占領、あるいは撃ち尽くす前であっても、命と交換の気持ちになると異常な力を発揮することになって、弾丸をかいくぐって敵陣地に突入、占領し、勝敗を決するというものであろう。但し数人、あるいは十数人が敵陣地に到達できたとしても、その代償に到達人数の何十倍もの兵士の命を差し出すことになるはずで、結果、「何千人殺せば、どこがとれる」という話になる。そして軍上層部の兵士の命を何とも思わないこのような戦略は道徳心のカケラなりとも存在していたなら成り立たないし、兵士自身が自らの命の消耗を前提とし、その上、上官の兵士の命の消耗を前提とした戦略は道徳心に関係しない肉体的勇気への要求でしかないから、 “蛮勇”以外の表現を見つけることはできない。そしてこのような戦略を推し進める基本要素は精神主義以外にない。上官は兵士それぞれに精神力を求めて、味方兵士の命よりも戦闘勝利を重視する。物量が劣勢にあるときはそれをカバーする特別な戦略が必要になるが、二人の会話からはそのような戦略を模索する意思も姿勢も窺うことはできない。窺うことができるのは上官としての兵士の命に対する責任意識の欠如――責任放棄のみである。要するに上官の兵士に対する精神主義の要求は兵士の命に対する道徳心のカケラもない責任意識の欠如・放棄によって成り立つという図式を取ることになる。このようにして兵士の命は軽視され、無駄死にに向かわされることになった。

 終戦直後にイギリス等連合軍がインパール作戦に関与した日本軍司令官や幕僚17人に行った聞取り調査資料を発見。特にインパール作戦の勝敗の鍵を握ることになった第31師団が担った「コヒマの戦い」について詳しく聞き取られていたという。コヒマは第31師団によって一度攻略したが、イギリス軍に奪還された。

 〈第31師団長佐藤幸徳中将調書「コヒマに到着するまでに、補給された食糧はほとんど消費していた。後方から補給物資が届くことはなく、コヒマの周辺の食糧情勢は絶望的になった」
 
 3週間で攻略するはずだったコヒマ。ここでの戦闘は2か月間続き、死者は3,000人を超えた。しかし、太平洋戦線で敗退が続く中、凄惨なコヒマでの戦いは日本では華々しく報道された。

 日本軍の最高統帥機関、大本営は戦場の現実を顧みることなく、一度始めた作戦の継続に固執していた。東條大将の元秘書官は、現地で戦況を視察した大本営の秦中将が東條大将に報告したときの様子を語っている。

 元秘書官西浦大佐の証言「報告を開始した秦中将は『インパール作戦が成功する確率は極めて低い』と語った。東條大将は、即座に彼の発言を制止し話題を変えた。わずかにしらけた空気が会議室内に流れた。秦中将の報告はおよそ半分で終えた」

 この翌日、東條大将は天皇への上奏で現実を覆い隠した。

 東條英機上奏文「現況においては辛うじて常続補給をなし得る情況。剛毅不屈万策を尽くして既定方針の貫徹に努力するを必要と存じます」〉――

 「Wikipedia:佐藤幸徳」の項目に、〈作戦が始まったが、佐藤の予想通り、第31師団の前線には十分な糧秣・弾薬が補給されなかった。第15軍司令部からは「これから物資を送るから進撃せよ」などの電報が来るばかりで、佐藤はその対応に激怒していた。〉

 3週間分の食糧を持たせた。弾薬も3週間分だったことになる。何らかの状況の急変で食糧や弾薬が底をついた場合はどうするかという予備対策は戦略構築の要である。戦闘に悪影響が出たら、元も子ない。だが、糧秣・弾薬共に補給されなかった。敵側が用意周到さの点で上回る戦略を用いたために敗北や失敗を招くのはある意味仕方がないが、用意周到さの点で無頓着な戦略を用いたことからの敗北や失敗は指揮官の重大な責任となる。3週間攻略予定のインパール作戦にあってその手前140キロ近くのコヒマの戦闘は2か月間続き、死者は3000人を超えたが、国内では実情を隠す大本営発表が行われていた。

 大本営の秦三郎中将が現地で戦況を視察(インパール作戦1944年3月8日開始2ヶ月後の5月初旬から中旬にかけてか)、同じく大本営(陸軍部)に詰めていた東條英機に作戦の悲観的成功可能性を報告した。不都合な事実を受け付けなかっただけではなく、海軍軍令部がミッドウェイ海戦の戦況報告で天皇を欺いたように東條は不都合な事実を覆い隠して天皇を欺く報告をした。前者の戦況報告に関して天皇は国民統治のために軍部・政府に利用された存在に過ぎなかったと書いたが、こういった経緯から政府・軍部等が、勿論東條英機をも含めて、天皇の存在理由をどこに置いていたかを明瞭に汲み取ることができる。彼らにとって天皇の存在理由としていた絶対性は見せかけに過ぎず、その絶対性は国民のみに向けられていたもので、国民統治の格好の道具として利用されていた。要するに天皇の絶対性を信じていたのは国民だけで、だから、「天皇陛下万歳」と言わせて命を投げ出させることができた。

 東條の天皇への上奏は補給(後方支援)は滞りなく行うことができる体制を辛うじて維持している、そのような体制のもと、堅固な不屈の意志であらゆる手段を尽くして既定方針の貫徹に努力することが必要というもので、努力を条件に成功する見込みを告げた言葉だが、補給に関してはウソで塗り固めた報告でしかなく、戦いの条件とし得ない以上、「剛毅不屈万策を尽くして」は精神力頼みの域を出ないことになる。柔道で相手も体一つ、こちらも体一つの戦いなら、精神力がモノを言う場合がある程度あるだろうが、敵の弾丸が雨あられと飛んでくる中でこちらは打つ弾に事欠き、突撃ありの精神力だけでは相手に与える打撃は少なく、味方の打撃が増すばかりなのは目に見えているが、東條英機はそこに目を向けずに精神論だけをブチ上げ、精神論に勝機を預けていたということは補給や戦況の進捗・遅滞に応じて進撃・待機・投降・撤退等を臨機応変に選択する柔軟な戦略は考慮の外に置いていたことを証明することになる。このことは1941年8月の総力戦研究所の日米戦想定机上演習の結果報告「戦争は不可能」に対して40年近く前の日露戦争を持ち出し、"意外裡な事"(=偶然性主体の計算外の要素)が戦争勝利の要因となる云々を説いたことが戦略を頭に置かない精神論で終わっていたことをも証明することになる。そしてこういった精神論は陸軍統率の参謀総長(1944年2月から就任)としてお、一国の国民を率いる総理大臣としてのそれぞれの責任の放棄をも証明することになり、その無責任体制は救い難く、その体制は否応もなしに兵士の命だけを消耗させる構図を取ることになっていた。   

 第15軍牟田口司令官は苦戦の原因は師団長、現場の指揮官にあるとして全師団、第15師団、第31師団、第33師団の師団長全員を更迭。作戦中の更迭は異常事態だと記事は書いている。牟田口は自ら最前線に赴き、第33師団で陣頭指揮を執る。〈全兵力を動員し、軍戦闘司令所を最前線まで移動させることで、戦況の潮目を一気に変える計画を立てたのだ。〉――とあるが、食糧や武器の補給なくして戦況の潮目を変えるという殆ど不可能事そのものに挑戦した。当然、本人の頭にあったのは個々の兵士が持つ精神力の発揮、精神力頼みだった。

 〈ビルマ奪還に当たっていたイギリス軍のスリム司令官の証言「われわれは、日本軍の補給線が脆弱になったところでたたくと決めていた。敵は雨期までにインパールを占拠できなければ、補給物資を一切得られなくなることは計算し尽くしていた」〉――

 イギリス軍は日本軍が順当に補給を受けていたと見ていたことになる。だが、記事は触れていないが、第31師団長佐藤幸徳中将は何ら補給のない状況での進撃は不可能と見て、上官の命令は絶対の軍ルールを無視し、ビルマ方面軍宛に司令部批判の電文を送り、コヒマから無断撤退している。要するに食糧・弾薬の
補給を重視・優先し、補給がないままに相手に損害を与える手段として兵士自らの命と交換させるといった精神主義は限界と見て、途中で放棄した。

 〈インパールまで15キロ。第33師団は、丘の上に陣取ったイギリス軍を突破しようと試みる。この丘は、日本兵の多くの血が流れたことから、レッドヒルと呼ばれている。作戦開始から2か月、日本軍に戦える力はほとんど残されていなかった。牟田口司令官は、残存兵力をここに集め、「100メートルでも前に進め」と総突撃を指示し続けた。武器も弾薬もない中で追い立てられた兵士たちは、1週間あまりで少なくとも800人が命を落とした。〉――

 日本軍は作戦を裏付ける戦略がないままにインパール作戦を開始し、進軍を裏付ける戦略もないままに開始した作戦を闇雲に進めていった。進軍を支えていたのは補給の裏づけがない徒手空拳の精神力がウエイトを占め、このことは「100メートルでも前に進め」と前進の目標を「100メートル」にしか置くことができないにも関わらずにそれを敵陣地までと期待する精神力頼み自体に現れているが、イギリス軍の補給の保障を受けた、少なくとも日本軍よりも豊富な物量とその豊富さが兵士に与える戦力的にも精神的にも優位な士気の差によっていたずらに日本軍兵士の死者の数を積み増していくことになっていった戦闘しか頭に浮かべることができない。当然のことだが、こういった展開には軍戦闘司令所を最前線にまで移動させ、陣頭指揮を取った第15軍牟田口司令官の精神論に依拠しない作戦の準備・計画・運用の方法としての戦略というものに対する責任意識、兵士の命そのものに対する責任意識はいずれも感じ取ることはできない。このように見てくると、インパール作戦がやれ、インドの独立だ、援蔣ルートの遮断だといった壮大な構想に酔い、その酔いが成功を確信させただけで満足な戦略もなしに始めたように見えてくる。

 インド、ビルマ国境地帯は1944年6月に降水量世界一と言われている雨季に入った。日本、イギリス共に悪条件は同じだが、戦闘を優勢に進めている側と劣勢に立たされている側とでは悪条件の程度が違ってくる。こういったことも計算に入れるのも戦略策定能力に関係してくる。この年は30年に1度の大雨だったという。3週間で攻略するはずだった作戦の開始から3ヶ月が経ち、推定1万人近くが命を落としていた。大本営の作戦中止決定は1944年7月1日。1944年3月開始から4ヶ月後。但し戦死者の6割が作戦中止後の発生だという。つまり救出作戦は行われなかった。大本営の作戦中止決定には救出作戦という項目は設けられなかった。兵士という戦争資源の処遇に対して、その命に対して軍という立場上、負わなければならない任務及び義務を果たす責任を放棄した。この責任放棄はインパール作戦でのみ見られた現象ではなく、他の戦闘でも広く見られた現象であることから、日本軍全体の体質となっている責任放棄であろう。大体が精神主義自体が戦略放棄に相当することになり、軍という集団の戦略放棄は軍組織としての体質そのものとしてある責任放棄と表裏一体の関係を取る。

 〈レッドヒル一帯の戦いで敗北した第33師団は、激しい雨の中、敵の攻撃にさらされながらの撤退を余儀なくされた。チンドウィン河を越える400キロもの撤退路で兵士は次々に倒れ、死体が積み重なっていった。腐敗が進む死体。群がる大量のウジやハエ。自らの運命を呪った兵士たちは、撤退路を「白骨街道」と呼んだ。

 一方、コヒマの攻略に失敗した第31師団。後方の村に食糧の補給地点があると信じ、急峻な山道を撤退した。しかし、ようやくたどり着いた村に、食糧はなかった。分隊長だった佐藤哲雄さん(97)は隊員たちと山中をさまよった。密林に生息する猛獣が弱った兵士たちを襲うのを何度も目にしたという。

 佐藤哲雄さん証言「(インドヒョウが)人間を食うてるとこは見たことあったよ、2回も3回も見ることあった。ハゲタカも転ばないうちは、人間が立って歩いているうちはハゲタカもかかってこねえけども、転んでしまえばだめだ、いきなり飛びついてくる。」

 衛生隊にいた望月耕一(94)さんは、武器は捨てても煮炊きのできる飯盒を手放す兵士は 1人もいなかったという。望月さんは、戦場で目にしたものを、絵にしてきた。最も多く描いたのが、飢えた仲間たちの姿だった。

 第31師団衛生隊元上等兵望月耕一さん証言(94)「(1人でいると)肉切って食われちゃうじゃん。日本人同士でね、殺してさ、その肉をもって、物々交換とか金でね。それだけ落ちぶれていたわけだよ、日本軍がね。ともかく友軍の肉を切ってとって、物々交換したり、売りに行ったりね。そんな軍隊だった。それがインパール戦だ。」〉――

 軍としての責任と義務を放棄した救出作戦の不履行――軍上層部の兵士の命への軽視が兵士たちを人間以下のケダモノに変え、軍組織を収拾の効かない最悪の無秩序集団に変えた。撤退時に於いても後方支援できる食糧の調達が不可能だったとしたら、勝利を絶対条件としたインパール作戦の立案と立案に基づいて構築することになった戦略自体が身の程知らずの高望みだったことになり、現状把無能力の責任の有無が問われる。

 〈齋藤博圀少尉の日誌「七月二十六日 死ねば往来する兵が直ぐ裸にして一切の装具をふんどしに至るまで剥いで持って行ってしまう。修羅場である。生きんが為には皇軍同志もない。死体さえも食えば腹が張るんだと兵が言う。野戦患者収容所では、足手まといとなる患者全員に最後の乾パン1食分と小銃弾、手りゅう弾を与え、七百余名を自決せしめ、死ねぬ将兵は勤務員にて殺したりきという。私も恥ずかしくない死に方をしよう」〉――

 結果的にインパール作戦の補給・兵站無視の無責任な戦略が徐々に育んでいった、だが、この手の戦略の必然とも言える最終場面での飢餓地獄の一場面、一場面ということになる。

 〈太平洋戦争で最も無謀といわれるインパール作戦。戦死者はおよそ3万人、傷病者は4万とも言われている。軍の上層部は戦後、この事実とどう向き合ったのか。

 牟田口司令官が残していた回想録には「インパール作戦は、上司の指示だった」と、綴られていた。一方、日本軍の最高統帥機関・大本営。インパール作戦を認可した大陸指には、数々の押印がある。その1人、大本営・服部卓四郎作戦課長は、イギリスの尋問を受けた際、「日本軍のどのセクションが、インパール作戦を計画した責任を引き受けるのか」と問われ、次のように答えている。

 大本営服部卓四郎作戦課長「インド進攻という点では、大本営は、どの時点であれ一度も、いかなる計画も立案したことはない。インパール作戦は、大本営が担うべき責任というよりも、南方軍、ビルマ方面軍、そして第15軍の責任範囲の拡大である」〉――

 イギリス側は計画と責任を一対の項目と捉えて質問している。牟田口廉也の「インパール作戦は、上司の指示だった」が事実だとしても、直接指揮したのは第15軍司令官牟田口廉也である。食糧・弾薬の後方支援の最終調整者は牟田口廉也自身であった。進軍だけを命令し、食糧・弾薬の後方支援要請を無視した。後方支援が不可能な状況であったなら、撤退の命令を下すべきを不可能を可能とする万能薬とはならない精神論をあたかも万能薬であるかにように頼って、傷口を広げていった。

 陸軍参謀総長東條英機の前任者杉山元陸軍参謀総長は1943年3月当時、大本営陸軍作戦部長眞田穰一郎少将に対して「寺内(総司令官)さんの最初の所望なので、なんとかしてやってくれ」と言い、インパール作戦が大本営の承認を得るよう取り計らいを請い、その結果、1944年1月7日に大本営によってインパール作戦は発令された。

 東條英機にしても陸軍参謀総長に就任、首相と陸軍大臣とを兼任することになってから、現地戦況を視察した大本営の秦三郎中将が東條英機に作戦の悲観的成功可能性を報告した際、その報告に取り合わず、天皇への上奏で作戦続行を伝え、精神論を手段とした作戦の成功可能性を臭わせている。にも関わらず、作戦、兵站、編成、動員などの戦略実務を担う大本営の作戦課長服部卓四郎はビルマ各現地軍が責任範囲を拡大させて行った作戦であって、大本営には関係しない責任事項だと言ってのけている。百万歩譲って、言っていることを事実と認めた場合は天皇直属の最高戦争指導機関、陸海軍の最高統帥機関である大本営がビルマ各現地軍をコントロール下に於いて統率・指揮できなかった責任を新たに発生させることになるが、このことに無頓着な無責任を見せている。

 この大本営の部隊に対する責任転嫁は卑怯で卑しい。責任を潔く認める道徳的勇気は見当たらない。インパール作戦は無責任な戦略で始まり、無責任な途中経過を経て、撤退する兵士を見殺しにする無責任な戦略で終わりを告げ、そこに軍上層部のより下位の部署への責任転嫁が加わった。この責任転嫁は倫理観の欠如と道徳観の欠如が動機づけとなっている。

 以上見てきたように日本軍上層部は言葉だけで作り上げた立派な精神論を振りまわして組織や階級や自らの立場に威厳ある装いを施しはするが、それは程度の低い戦略立案能力をカムフラージュする狡猾な外観に過ぎず、結果、無責任を恣にすることになり、全体的に道徳心のカケラも、倫理観のカケラもない、それゆえに道徳的勇気も肉体的勇気も欠如させた日本軍人とは名ばかりの見せかけの存在でしかなかった。この愚かしい見せかけによって700万人余の陸海出征兵士の多くが過酷な労苦を強いられ、うち日本軍人軍属戦死230万人、その9割方は占める下層兵士200万人余の運命を希望なき死へと向かわせただけではなく、国外で民間日本人30万人、国内では本土空襲等によって民間日本人50万人を死に追いやり、その影響で終戦直後に12万人の戦災孤児を作り出し、その多くに艱難辛苦の人生を歩ませた。

 この罪・責任は本人たちは道徳観や倫理観を欠いた無責任集団であることから自己弁護や自己弁解で言い逃れはできても、「人間として」という意味合いに於いて、また歴史の教訓としていつまでも記憶しておかなければならない究極の罪悪であろう。

 であるにも関わらず、保守党政治家、その代表格安倍晋三が靖国参拝の目的について頻繁に使う常套句「国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊に尊崇の念を表するために参拝した」の「国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊」という戦死に至るプロセスのうちの「国のために戦い」は確かに国を対象とした兵士の自発的行為と位置づけることは可能であるものの、「尊い命を犠牲にした」の丁寧語である「尊い命を犠牲にされた」を同じく国を対象とした兵士個人個人の自発的行為の文脈で捉えることは日本の戦争の実態から言って、狡猾な歴史改竄を紛れ込ませていることになる。

  “尊い命の犠牲”はその多くが日本軍上層部の精神論だけで突っ走った無責任な戦争計画、無責任な戦略、個々の戦闘に於ける強引で無責任な作戦から発した被害としてある理不尽な犠牲だからであり、言ってみれば、日本軍上層部の愚かさの生け贄にされた“尊い命の犠牲”が実態だからである。その無責任な愚かさがなかったなら、むざむざ犠牲になることはなかった。

 当然、かつては安倍晋三を筆頭として、兵士の自発性と見せかける「国のために」云々の靖国参拝は日本軍上層部の無責任で愚かしい戦略や兵士の命を何とも思わない生命軽視の無責任や責任を負わない組織的体制、軍上層部個人個人の本来的な性格傾向と見える無責任体質等々の日本軍の実態を隠蔽する仕掛けを施していることになり、逆に戦争主体の国家・軍部の無能・無責任の罪を問わない仕掛けとなり、このような両面を持った仕掛けが毎年、終戦の月の8月と春と秋の例大祭の靖国神社を舞台に繰り返し演じられるに至っている。

 2022年も銃撃死する前の安倍晋三、その他高市早苗、西村康稔、萩生田光一、小泉進次郎、超党派議連等々の右翼の面々が日本軍の無能・無責任を受けて無駄死にさせられた多くの日本軍兵士に対して理不尽な犠牲という実態隠蔽の仕掛けを一方で施すと同時に戦前日本国家の無能・無責任の罪を問わない仕掛けを施すことになる靖国参拝が例年どおりに演じられた。そして毎年繰り返されるだろう。

 《2022年8月NHK総合戦争検証番組は日本軍上層部の無責任な戦争計画・無責任な戦略を摘出し、兵士生命軽視の実態を描出 靖国参拝はこの実態隠蔽の仕掛け(1)》に戻る
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立憲民主党代表泉健太の2022年9月8日衆議院議院運営委員会安倍晋三国葬関連質疑を採点すると30点

2022-09-30 06:33:13 | 政治
 2022年9月27日に行われた7年8ヶ月の長期政権を築いた安倍晋三を国葬とすることの根拠、正当性等を巡り、前以って2022年9月8日に衆参両院の議院運営委員会で各党の質疑が行われた。7年8ヶ月の長期政権は消費税増税の2度に亘る延期と国民不人気の政策の争点隠しを駆使した選挙巧者であったこと、弱小野党のドングリの背くらべに恵まれて対抗しうる勢力が存在しなかった政治状況の賜物に過ぎなかったし、7年8ヶ月によって円安・株高の景気状況はつくり上げたが、その状況は企業利益増大と富裕層の所得拡大への貢献に大きく傾き、一般市民の生活を実質賃金低迷と円安からの物価の高騰で苦しめた。要するに安倍晋三は企業や金持ちの味方だった。結果として格差拡大社会を作り上げることになった。国葬とした理由の一端はここにあったはずだ。

 政治家は国民の負託を受けてその存在を成り立たせている以上、その政策能力だけではなく、人格の質も重要な要素として必要とされるが、政治がチームワークである関係上、例えカネの力やハッタリ、押しの強さ、巧妙な立ち回り等々で人を集める能力に長け、一定の勢力を築き、その頂点に君臨することになると、その集団に協力する政治家や官僚が出てきて、彼らが提供した政策アイデアがその政治家の政策として表に出ることになる場合があり、その政策が集団の頂点に立った政治家の政策能力の賜物しての評価となり、その評価が前面に出て、人格の質を遥か背景に退かせることが起こりうる。

 例えば2016年8月に唱えた「自由で開かれたインド太平洋」なる外交構想は安倍外交の最大の功績の一つとされているが、「自由で開かれたインド太平洋誕生秘話」(NHK政治マガジン/2021年6月30日)によると、現在、外務省総合外交政策局長(外務省北米局長)を務めている市川恵一(57歳)の発案が事の起こりだそうで、この外交構想の世界的な評価を前にした場合、モリカケ問題や「桜を見る会」等々の政治の私物化疑惑に見ることになる人格の質は影さも見えないものとしてしまうし、2014年8月の広島土砂災害時に多くの死者が予想されるさなかにゴルフに興じることができた国民の人命に対する軽視から窺うことができる人格の質にしても、見過ごされてしまうこととなり、現実問題としても見過ごされ、国葬という待遇を受けることになって、人格の質は国葬要件から完全に排除されることになった。

 確かに「自由で開かれたインド太平洋」構想は言葉そのものは高邁で素晴らしく、安倍晋三の評価を高めはしたが、その実現は海洋進出の行動を取る覇権大国中国の覇権主義からの転換によって果たすことができるのだが、転換に向けた姿勢を採らせるどころか、海洋進出への動きをますます強めている現状では構想は見せかけで終わっていて、成果は何一つ上げているわけではない。

 こういった見せかけを無視して安倍晋三の業績を国葬でどれ程に盛大に評価しようと、外国首脳を何人招こうと、弔問に国民が何人訪れようと、マスコミがどれ程の量で報道しようと、銃撃を受けてあの世に召されてしまった安倍晋三自身は儀式の一つ一つをもはや目にすることも、耳にすることもできない。できたなら、外国を何カ国訪問した、外国首脳と何回首脳会談を開いた、プーチンとの首脳会談は27回もこなしたと回数や人数を自慢の種にしてきたことからすると、弔問に外国首脳が何人訪れた、16億6千万円の盛大な国葬だと誇らしい気持ちになって、のちのちまでの自慢の種にもするだろうが、にこやかな写真でしか存在することができない。死者本人にとってどのような葬式か認識できない以上、所詮、葬式の名目、規模の類いはこの世に遺された政治的利害関係者の政治上の打算や家族や親類縁者の名誉心や世間体等を満足させる方便に過ぎない。大体が国民の6割方が国葬に反対、4割方のみが賛成ということなら、「故安倍晋三4割国葬」と名付けるべきが民意に対する等身大の受け止めとなるだろう。

 議院運営委員会質疑は立憲民主党代表泉健太の発言を取り上げ、思い通りの展開ができたのかどうか、採点してみることにした。質疑トップバッターは天下の東大法学部卒67歳、通産大臣や運輸大臣を務めた田村元の娘婿の比例近畿ブロック選出自民党盛山正仁。2番バーッターが立憲民主の泉健太。盛山正仁は多くの国民が国葬を批判しているが、「なぜ国葬儀としたのか」と尋ねている。泉健太は盛山正仁が聞いているからだろう、同じ質問はしなかった。だが、国葬に批判、もしくは反対しているのだから、「同じ質問になるが」と断って、改めて問い質すべきだった。同じ答弁だったとしても、答弁の一つ一つに反論を加えることによって国葬とすることの根拠、あるいは正当性に対する疑義を論理的に示すことができる。論理的であることは説得力を与える助けとなる。このような手続きを踏まなかったことは質疑の採点に芳しからぬ影響を与えることになる。

 では、泉健太の質問との兼ね合いを知るために盛山正仁の「なぜ国葬儀としたのか」に対する岸田文雄の答弁を見てみる。

 岸田文雄「国葬儀としたことの理由について御質問を頂きました。

 安倍元総理については、憲政史上最長の8年8か月に亘り内閣総理大臣の重責を担われました。日本国133年の憲政の歴史の中で最長の期間、重責を担われたということ。

 また、その在任中の功績につきましても、かつて日本経済六重苦と言われた厳しい経済の状況の中から、日本経済再生について努力を続けてこられた。また、外交においても、普遍的な価値や法の支配に基づく国際秩序をつくっていかなければいけないということで、自由で開かれたインド太平洋、またTPPの妥結にもこぎ着けるなど、様々な成果を上げられました。また、東日本大震災からの復興という大切な時期に重責を担われた、こうしたこともありました。こうした様々な分野で大きな功績を残されたこと。

 そして、これに対して国内外から様々な弔意が寄せられている。特に、国際社会においては、多くの国で、議会として追悼決議を行う、政府として服喪、喪に服することを決定する、また、国によってはランドマークを赤と白でライトアップするなど国全体として弔意を示す、こうしたことを行った。

 さらには、先ほども申し上げましたが、選挙運動中の非業の死であったこと。

 こういったことを考えますときに、故人に対する敬意と弔意を表す儀式を催し、これを国の公式行事として開催し、海外からの参列者の出席を得る形で葬儀を行うことが適切であると考え、国葬儀の閣議決定を行ったものであります。

 特に、海外からの弔意を見ますと、合わせて1700を超える多くの追悼のメッセージを頂いておりますが、多くが日本国民全体に対する哀悼の意を表する趣旨であるということからも、葬儀を国の儀式として実施することで、日本国として海外からの多くの敬意や弔意に礼節を持って応える、こうした必要もあると考えた次第であります」

 盛山正仁は聞きっぱなしで、つまり岸田文雄に言わせっぱなしで、何らの賛意も反論も試みることなく、費用ついての質問に移る。岸田文雄に国葬とすることの正当性、その理由を披露させるために用意した質問に過ぎなかった。前以って示し合わせてそうしたのか、示し合わさなくても、阿吽の呼吸で正当性を演出し合ったといったところなのだろう。

 岸田文雄は盛山正仁に対して安倍晋三の「在任中の功績につきまして」と前置きして安倍晋三の政治活動のうち、功罪の“功”の部分のみを取り上げ、“罪”の部分はスルーさせている。世論調査で国民の半数以上が国葬に反対しているのは岸田内閣の意思一つの閣議決定で国葬と決めたことに対してだけではなく、人格が深く関わることになるその政治姿勢に問題点あると見ていることも原因しているはずである。要するに第1次安倍政権を加えて「8年8か月の重責」としているが、8年8か月の期間全てに亘って功罪のうちの"功"の部分のみで成り立っていたわけではない。先にほんの数例を挙げたが、"罪"の部分が相当程度含まれていた。この部分を無視したのでは安倍政権に対する厳格な評価・検証は不可能となる。

 海外から1700を超える多くの追悼のメッセージは「日本国民全体に対する哀悼の意を表する趣旨」としている。いわば外国からの哀悼の意は「日本国民全体」を対象に向けられているとの理由付けで、そのことに応えるために「葬儀を国の儀式として実施する」としているが、日本国民の半数以上が安倍晋三の国葬に反対しているということは外国からの哀悼の意は国民の全体的意識を必ずしも代弁していないことになり、国葬と決める理由とはならない。逆に国民の意識とのズレを示す事例となる。外国要人が日本政府の決定を優先させて、日本国民の意識とズレを生じさせたとしても、ある意味止むを得ないが、日本の首相が各種世論調査に接する機会がありながら、国民の意識とのズレを生じさせる姿勢は国民主権の民主主義を無視する出来事となる。

 もし泉健太が「なぜ国葬なのか」と改めて問い質して、岸田文雄の盛山正仁に対するのと同じような答弁を引き出すことができていたなら、ここに示したよう反論も可能となったはずだが、改めて問うことはなかった。

 泉健太の国葬に関する質疑の最初の部分を取り上げて、採点してみる。

 委員長山口俊一「次に、泉健太君」

 泉健太「立憲民主党の泉健太でございます。

 まず、党代表としても、安倍元総理に深く哀悼の誠をささげたいと思います。

 私も絶句をし、また嘆き、怒りを覚えました。この無念に党派は関係ございません。私は、事件後、奈良の現場にも向かわせていただき、手を合わさせていただきました。また、国会前でも霊柩車に手を合わさせていただきました。増上寺での御葬儀にも参列をいたしました。改めて御冥福をお祈り申し上げます。

 しかし、総理、この国葬決定は誤りです。強引です。検討せねばならぬことを放置しています。だから、国葬反対の世論が増えている、私はそう思いますよ。総理、そもそも、国葬は総理と内閣だけで決められるのか。こうした強引な決定方法に反発が起きています。

 総理、改めてですが、閣議決定までに三権の長に諮りましたか、あるいは各党に相談しましたか」

 岸田文雄「まず、今回の国葬儀につきましては、内閣府設置法及び閣議決定を根拠として実施することを決定させていただいたと説明をさせていただいております。

 こうした国葬儀、立法権に属するのか、司法権に属するのか、行政権に属するのか、判断した場合に、これは間違いなく行政権に属するものであると認識をしています。そして、それは、内閣府設置法第四条第三項に記載されている、こうしたことからも明らかであると認識をしております。その上で、閣議決定に基づいてこの開催を決定させていただいたということであります。

 委員の方からは、その段階までに三権の長に諮ったのか、説明が丁寧であったかということでありますが、根拠については、今申し上げたとおりであります。そして、説明が丁寧ではなかったのではないか、不十分ではなかったかということについては、政府として、こうした判断をすることはもちろん大事でありますが、国民に対する説明、理解が重要であるということも間違いなく重要だと思います。

 説明が不十分だったということについては謙虚に受け止めながら、是非、この決定と併せて、国民の皆さんの理解を得るために引き続き丁寧な説明を続けていきたいと考えております」

 泉健太「諮っていないんですよ。今、全然端的に答えていないですね、長くお話しされましたが。

 総理、これは、吉田元総理の国葬の際にだって他党に事前に言っていますよ。今回、全く言っていないですよね、総理はそれが必要ないかのように言いましたけれども。

 内閣葬というのは、内閣の行う葬儀として、それは内閣の権利でしょう。しかし、では、なぜ内閣葬ではなく国の儀式となっているのか。国というのは内閣だけなんですか。そんなわけないでしょう。国というのは、立法、行政、司法、三権あるじゃないですか。国権の最高機関はどこですか。その国会に相談もなく決めたのは、総理、戦後初めてですよ。その重さを分かっていますか。実は、とんでもないことをしているということ。

 実は、無理やり国葬と国葬儀なるものを分けて言っているけれども、今これだけ世の中では国葬と言われていて、そして国葬には国の意思が必要だと言われていて、そしてその国の意思とは何かといえば、決して内閣の意思だけではないということ、これは内閣法制局も国葬を説明するときに使っている言葉なのに、それをやっていない。私は、これは大いに法的にも瑕疵があるということをまずお話ししたいと思います。今の総理の話でいくと、国葬の決定に国会の関与は必要ないんだというような話でありますが、これはとんでもないことだと思いますよ。

 さて、更に言えば、内閣法制局はこうも述べています。一定の条件に該当する人を国葬とすると定めることについては法律を要するというふうに法制局が言っているわけですね。

 総理、今、そういう法律はありますか。国に選考基準を記した法律はありますか」

岸田文雄「御指摘のような法律はありません。

 しかし、行政権の範囲内ということで、先ほど申し上げさせていただいた判断、法制局の判断もしっかり仰ぎながら政府として決定をした、こうしたことであります」

 泉健太「今、国民の皆様にも聞いていただいたと思います。選考基準を記した法律はございません。

 総理は、先ほど、戦後最長だから、数々の実績があるから、世界から弔意があるから、そして選挙運動中だったから、このような理由を挙げました。

 ただ、例えば、佐藤栄作元総理は、当時、戦後最長の在任期間だったんじゃないですか。ノーベル平和賞も受賞している。でも、国葬ではなかったですよね。なぜですかね。これは、吉田国葬の反省も踏まえて、法律もない、選考基準もなく、三権の長の了承が必要な国葬ということはやはり難しいと。この数十年間、元総理にどんな業績があっても、先ほど言ったようにノーベル平和賞を受けようともですよ、どんな業績があったとしても、自民党内閣は、内閣・自民党合同葬を行ってきたんですよ。

 その知恵や深慮遠謀を壊して、今回、国葬を強行しようとしている、これが、総理、あなたじゃないですか。違いますか」

 岸田文雄「まず、基準を定めた法律がないという御指摘がありました。

 おっしゃるように、今、国葬儀について具体的に定めた法律はありませんが、先ほど申し上げたように、行政権の範囲内で、内閣府設置法と閣議決定を根拠に決定したわけですが、こうした国の行為について、国民に更なる義務を課するとか何か行為を強要するということではない限り、具体的な法律は必要がないという学説に基づいて、政府としても、今回の件についてしっかり考えています。

 そして、明確な基準がないのではないか、このことについて御指摘がありました。

 一つの行為についてどう評価するかということについては、そのときの国際情勢あるいは国内の情勢、これによって評価は変わるわけであります。同じことを行ったとしても、五十年前、六十年前、国際社会でどう評価されるか、一つの基準を作ったとしても、そうした国際情勢や国内情勢に基づいて判断をしなければならない、これが現実だと思います。

 よって、その時々、その都度都度、政府が総合的に判断をし、どういった形式を取るのかを判断する、これがあるべき姿だと政府としては考えているところであります」

 泉健太の最初の質問は次の5点。

① 「この国葬決定は誤りである」  
② 「国葬反対の世論が増えている」
③ 「国葬は総理と内閣だけで決められるのか」
④ 「閣議決定までに三権の長に諮ったか」
⑤ 「各党に相談したか」

 「この国葬決定は誤りである」に対して「誤りである」と答えるはずはない。「なぜ国葬なのか」と聞いて、例え言い抜けさせることになったとしても、答えた理由一つ一つに自身が掲げた5点に添って反論を試みる方法を採用した方が聞く者に対して説得力をより強めに示すことができただろう。結局のところ、岸田文雄は「内閣府設置法及び閣議決定を根拠として行政権の範囲内で国葬を決定した」とするだけで、泉健太が問い質した5点全てに満足な答弁を与えていない。思い通りの答弁とすることができなかったのは泉健太自身の力量の問題であろう。

 岸田文雄の答弁全体を見ると、国葬決定を既成事実として、その既成事実の理解を得るために「今後とも丁寧な説明を行っていきます」という姿勢を言葉で示しただけで終えている。このことの格好の例は4番目の「閣議決定までに三権の長に諮ったか」に対して、「諮った・諮らなかった」のいずれも直接的には答えずに「説明の丁寧・不丁寧」の見極めや説明の継続にすり替える巧妙な答弁術の披露で終わらせている点に見ることができる。対して泉健太は「なぜ諮らなかったのか」とさらに踏み込むことはせずに自分から「諮っていないんですよ」と答えて終わらせている。自身の「なぜ」に対して相手の答を得ることができなければ、質問の意味も効果も失う。

 岸田文雄が掲げた国葬決定の正当性理論は"内閣府設置法及び閣議決定を根拠とした行政権の範囲内"というものだが、泉健太はこの正当性理論を想定した理論武装を前以って準備していなければならなかったのだが、その形跡を見ることはできない。その理由は述べる前に内閣府設置法第四条第3項33を見てみる。

 〈国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)〉と事務の執り行い、所掌事務を取り決めているに過ぎない。つまり国葬である場合、内閣は自らの行政機関の権限として内閣府設置法第四条第3項33に基づいて国葬の執行を閣議決定し、閣議決定に従って国葬とした儀式を執り行うことができるという意味を取る。

 内閣に於ける行政機関の権限としてのこの執行が岸田文雄の言う「行政権に属するもの」、あるいは「行政権の範囲内」に当たる。

 岸田文雄の国葬決定の正当性理論に対する泉健太の理論武装の前以っての準備の必要性は岸田文雄が2022年7月14日の記者会見で既に同じことを答弁しているからである。

 岸田文雄「安倍元総理におかれては、憲政史上最長の8年8か月にわたり、卓越したリーダーシップと実行力をもって、厳しい内外情勢に直面する我が国のために内閣総理大臣の重責を担ったこと、東日本大震災からの復興、日本経済の再生、日米関係を基軸とした外交の展開等の大きな実績を様々な分野で残されたことなど、その御功績は誠にすばらしいものであります。

 外国首脳を含む国際社会から極めて高い評価を受けており、また、民主主義の根幹たる選挙が行われている中、突然の蛮行により逝去されたものであり、国の内外から幅広い哀悼、追悼の意が寄せられています。

 こうした点を勘案し、この秋に国葬儀の形式で安倍元総理の葬儀を行うことといたします」

 そして質疑応答で記者の「国会審議というのは必要ではないのか」の質問にこう答えている。

 岸田文雄「国会の審議等が必要なのかという質問につきましては、国の儀式を内閣が行うことについては、平成13年1月6日施行の内閣府設置法において、内閣府の所掌事務として、国の儀式に関する事務に関すること、これが明記されています。よって、国の儀式として行う国葬儀については、閣議決定を根拠として、行政が国を代表して行い得るものであると考えます。これにつきましては、内閣法制局ともしっかり調整をした上で判断しているところです。

 こうした形で、閣議決定を根拠として国葬儀を行うことができると政府としては判断をしております」

 2022年7月14日記者会見の内閣府設置法及び閣議決定に関わる発言と2022年9月8日の衆議院議院運営委員会に於ける同趣旨の発言を併せて読んでみると、内閣府設置法第四条第3項33が内閣の行政権に属する事柄として国の儀式執行を取り決めていることから、この法律に基づいて安倍晋三の国葬執行を閣議決定したことは同じく内閣の行政権に属する事柄であり、行政が国を代表して国葬を行いうると意味させていることになる。

 しかしこの論理のみを見ると、国葬執行の前提として安倍晋三の追悼を国葬とするにふさわしいか否かの肝心要の決定が抜けている。順番としては何らかの諮らいに基づいたこれこれの理由によって安倍晋三追悼を国葬とするの決定が最初にあり、その決定を待って内閣府設置法第四条第3項33に基づいた国葬執行の閣議決定が続き、国葬実施という順番を取らなければならない。内閣府設置法第四条第3項33は国葬執行の前提として誰を国葬として追悼するか否かの決定については何ら関与していない。

 閣議決定にしても、最初から安倍晋三国葬ありきの内容となっている。文飾は当方。「岸田内閣閣議及び閣僚懇談会議事録」(開催日時:2022年7月22日(金))

 内閣官房副長官木原誠二「一般案件等について、申し上げます。まず、「故安倍晋三の葬儀の執行」について、御決定をお願いいたします。本件は、葬儀は国において行い、故安倍晋三国葬儀と称すること、令和4年9月27日に日本武道館において行うこと、葬儀のため必要な経費は国費で支弁することなどとするものであります。なお、本件につきましては、後程、内閣総理大臣及び内閣官房長官から御発言がございます」

 木原誠二自身の発言が「御決定をお願いいたします」と発言しながら、以下は国葬は既に決まったこと、既成事実として話を進めていて、国葬とするか否かの採決は一切取っていない。「後程」の岸田文雄の発言「先程決定された故安倍晋三元総理の葬儀に際しては、葬儀委員長は内閣総理大臣が務め」云々にしても、採決が行われたわけでもないのに安倍晋三国葬を決定事項とした話の進め方となっていて、このことの前提としなければならない安倍晋三を国葬とするとの決定に至る議論も採決も一切存在させていない。

 岸田文雄が安倍晋三追悼を国葬にするとの決定に至る議論の抜け落ちの不備をクリアするために用意した理論が議院運営委員会の次の発言である。改めてここに記してみる。

 「まず、基準を定めた法律がないという御指摘がありました。

 おっしゃるように、今、国葬儀について具体的に定めた法律はありませんが、先ほど申し上げたように、行政権の範囲内で、内閣府設置法と閣議決定を根拠に決定したわけですが、こうした国の行為について、国民に更なる義務を課するとか何か行為を強要するということではない限り、具体的な法律は必要がないという学説に基づいて、政府としても、今回の件についてしっかり考えています。

 そして、明確な基準がないのではないか、このことについて御指摘がありました。

 一つの行為についてどう評価するかということについては、そのときの国際情勢あるいは国内の情勢、これによって評価は変わるわけであります。同じことを行ったとしても、五十年前、六十年前、国際社会でどう評価されるか、一つの基準を作ったとしても、そうした国際情勢や国内情勢に基づいて判断をしなければならない、これが現実だと思います。

 よって、その時々、その都度都度、政府が総合的に判断をし、どういった形式を取るのかを判断する、これがあるべき姿だと政府としては考えているところであります」――

 「国民に更なる義務を課するとか何か行為を強要するということではない限り、具体的な法律は必要がないという学説」云々は対国民義務非強制の事項に関しては根拠法は必要としないとする、根拠法の不必要性の言及となる。誰の追悼を国葬としようがしまいが、根拠法は必要ではないとの断言である。だから、政府は「国民一人一人に弔意を求めるものではない」としたのだろう。だが、要請はしないものの、国の機関や自治体の半旗掲揚は弔意の一種であり、暗黙の強制のうちに入る。

 岸田文雄のいう“学説”に対して根拠法の必要性に言及している学説もあるのだから、より妥当な公平性を手に入れるための要件は国会に諮るという手続き以外にないはずだが、岸田文雄が安倍晋三を国葬で追悼すると発表したのが2022年7月14日の記者会見。衆参両院の議院運営委員会で国葬とすることについての疑義個所の説明に応じたのが約2ヶ月後のたった1回の2022年9月8日。しかも通常は昼の1時間の休憩を挟んで朝の9時から夕方の5時まで1日7時間の審議時間が衆議院議院運営委員会が1時間35分、参議院院運営委員会が1時間36分という丁寧とは程遠い簡略なもので、世論調査で「説明不足」、あるいは「説明に納得できない」が多数を占めている事態と同様に説明責任を果たしたと見る向きは少数派に過ぎないだろう。

 誰を国葬とするのかの「明確な基準」について、一つの行為についての評価は国際情勢や国内情勢によっても、時代時代によっても変わるから、時代や国内外の状況を超えた運用は不可能だとする理由で、「その時々、その都度都度、政府が総合的に判断をし、どういった形式を取るのかを判断する、これがあるべき姿」としているが、どのような理由により何をどう考えて決めたのかの具体的な手順とその公表に基づいた"政府の総合的な判断"であるならまらまだしも、"政府の総合的な判断"だからとの理由のみで政府だけの判断に任せて政府だけの専権事項としたなら、政府の判断を過ちなきものと絶対化し、政府の独断を招くケースも生じる。

 当然、このような事態を避けるためにもやはり国会に諮るという手続きを経る必要性が生じるが、岸田文雄は自身の特技を「人の話をしっかり聞くということだ」としている自らの言葉を裏切って国会審議に後ろ向きな姿勢を専らとしている。岸田文雄の答弁のみでは、安倍晋三の国葬追悼に正当性をとてものこと与えることはできない。

 決定の順番から言うと、岸田文雄側に好都合な“学説”と“政府の総合的な判断”に則った安倍晋追悼の国葬決定が最初にあり、内閣府設置法第四条第3項33に基づいた閣議決定による国葬執行の決定ということになるが、このような手順の決定自体からも、十分な国会審議を経ない説明責任の不十分さからも、政府の独断という姿形しか見えてこない。

 だとしても、岸田文雄は2022年7月14日の記者会見での内閣府設置法と閣議決定に基づいた安倍晋三国葬決定とするだけでは説得力に不安を感じたのか、2022年9月8日の衆議院議院運営委員会では根拠法不必要性の“学説”と"政府の総合的な判断"を持ち出す理論武装を行っているが、対する泉健太はどのような理論武装も試みていない。

 次に後半の質疑応答を見てみる。

 泉健太「今、総理、国際情勢、国内情勢とおっしゃった。しかし、だったら、なぜ多くの国民はこれだけ反対しているんでしょうね。その総理が挙げられた4項目が真に国民が理解できるものであったら、ここまで反対にはならないんじゃないですか。

 私は改めて思いますけれども、例えば、経済の再生とおっしゃられる。でも、実質賃金が下がり続けたんじゃないですか、アベノミクスのときには。その部分はどう評価されるんですか。

 あるいは、申し訳ないけれども、森友、加計問題で、まさにこの委員会の場で百回を超える虚偽答弁を行ったということも大きく問題になっているんじゃないですか。

 あるいは、後ほどまた詳しく話をしますが、統一教会の問題、まさに自民党の中で最もその統一教会との関係を取り仕切ってきた、そういう人物じゃないですか。

 その負の部分を全く考慮せずに、それは実績は何らかあるでしょう、しかし実績も大きく評価が分かれるわけです。だから、これだけ反対の声が起きているときに、国際情勢、国内情勢、私は、それでは到底、国民は納得しないと思いますよ。

 改めて、選考基準が今全くないということも含めて、私は、岸田総理が挙げた今回の四つの理由というのはお手盛りの理由であるというふうに言わざるを得ません。

 さて、統一教会問題や霊感商法被害、そして統一教会における多額の献金による家庭崩壊、生活破綻、さらには日本からの韓国方面への多額の送金、様々な問題が上がっています。そして、自民党との密接な関係も言われている。多数の議員が関係を持ち、安倍元総理は、元総理秘書官の井上義行候補を、今回、教団の組織的支援で当選させたわけです。

 この自民党と統一教会との関係を考えた場合に、総理、安倍元総理が最もキーパーソンだったんじゃないですか。お答えください」

 岸田文雄「まず冒頭一言申し上げさせていただきますが、本日、内閣総理大臣として答弁に立たせていただいております。自民党のありようについて国会の場において自民党総裁として答えることは控えるべきものであると思いますが、ただ、昨今の様々な諸般の事情を考えますときに、これはあえて国会の場でお答えをさせていただくということを御理解いただきたいと思います。

 そして、安倍元総理の統一教会との関係については、それぞれ、御本人の当時の様々な情勢における判断に基づくものであります。ですから、今の時点で、本人が亡くなられたこの時点において、その実態を十分に把握することは限界があると思っております。

 そして、今、自民党として、自民党のありようについて丁寧に国民の皆さんに説明をしなければいけないということで、それぞれの点検結果について今取りまとめを行い、説明責任をしっかり果たしていこうという作業を進めているところであります。

 いずれにせよ、社会的に問題が指摘されている団体との関係を持たない、これが党の基本方針であり、それを徹底することによって国民の皆さんの信頼回復に努めていきたいと考えております。

 岸田文雄「先ほども申し上げましたが、今日までの関係については、それぞれ既に点検するようにという指示を出しているわけですが、その点検の結果について、党としてしっかり取りまとめることが大事だということを申し上げています。その中で、党としてそれをどのように公表していき、国民の皆さんに説明をしていくのか、これが重要なポイントになってくると思います。

 御指摘の点については、安倍(元)総理がどのような関係を持っておられたのか、このことについては、御本人が亡くなられた今、十分に把握するということについては、限界があるのではないかと思っています。

 ただ、いずれにせよ、党として先ほど申し上げました方針に基づいて、党全体のありようについて、しっかりと取りまとめていくことは重要であると思いますし、更に大事なのは、当該団体との関係を絶つということ、従来はそれぞれ点検をし、そして、それぞれが見直しをするという指示を出してきたわけですが、それぞれに任せるのではなく、党の基本方針として絶つということを明らかにし、そして、党として所属国会議員にそれを徹底させるということ、これを今一度確認した、ここに大変大きなポイントがあるのではないかと認識しています。是非こうした点検の結果の取りまとめと併せて、これから当該団体との関係について疑念を招くことがないように、党として徹底していきたいと考えております。

 以上です」

 委員長山口俊一「泉委員、本日の議題は国葬の儀でございますので、それを考えながら……(泉委員「ええ、当然です。安倍総理に関わることについてお話をしていますので」と呼ぶ)

 泉健太「改めてですけれども、今の総理のようなお話が私はこの世の中の反発になっていると思いますよ。どう見たって、岸家、安倍家三代にわたってやはり統一教会との関係を築いてきたし、それを多くの議員たちに広げてきたというのは、もう多くの国民は分かっているんじゃないでしょうか。

 そういう中で、今、総理は、調査、点検とおっしゃった。安倍元総理御本人に聞くことはもうできない。でも、安倍元総理がどういうふうなスケジュールで動いていたか、これは事務所は分かっておられるはずでしょう、秘書だって分かっておられるはずでしょう。それであれば、なぜ、今回、党の調査では安倍事務所を外しておられるんですか。これはやはりおかしいですよ。

 国葬にふさわしいかどうかということの中に、今多くの国民が、統一教会との関係をやはり頭の中に入れている。そういうときに、まさにその御本人がどうだったかというのは、本人に聞くばかりじゃないですよね、調べることが可能じゃないですか。私は、是非、自民党は、岸田総裁はそれを約束するべきだと思います。

 もう一つ加えて言えば、これもお答えいただきたいですが、全国の自治体で、自民党の自治体議員が行政に何かを要請して統一教会系の団体の様々な会合に出るとか、そういうことが出てきています。自治体議員も外されていますよね、調査対象から。

 この二つ、約束していただけませんか」

 岸田文雄「まず一点目の御指摘については、先ほども申し上げましたが、具体的な行動の判断、これは当時の本人の判断でありますので、本人がお亡くなりになった今、確認するには限界があるという認識に立っております。

 二点目は、地方議員についてでありますが、党としては、今回、点検を行い、まずは党所属の国会議員を対象として取りまとめを行っておりますが、地方議員についても、今後、社会的に問題が指摘される団体との関係を持たないという党の基本方針を徹底していただくことになると考えております」

 泉健太「やはり残念ながら非常に後ろ向きである。

 今回しっかりとこの統一教会との問題を正すということ、これもやはり私は国民の理解に今つながっていると思いますよ。今、総理の姿勢では、限界があるとおっしゃったけれども、限界までいっていないんじゃないですか。限界までいっていない。まず、この調査をするべきだ。これは、安倍事務所も、そして自治体議員もそうである
と思います。

 そして、今、私たちは、この統一教会絡みの中で、実は、信者の二世と言われる方々から直接ヒアリングを行っています。その方々から聞くと、やはり、安倍元総理のメッセージによって励まされた、会場が大きく盛り上がった、そんなことをお話しされる方もありました。

 改めて、被害者救済ということ、今どうしてもこれを取り上げたい。実は、その当事者の皆さんからは、多額の献金や家庭崩壊で苦難を抱えていると。いたじゃなく、いるというのが今の現状です。だからこそ、私たち立憲民主党は、マインドコントロールによる高額献金を禁止する、規制する、こういう立法を作ってほしい、この求めに応じて、カルト被害防止、救済法案を国会に出そうと考えています。

 総理、こうした声、まだ聞かれていないと思うんですが、法整備が必要だと思いませんか」

 委員長山口俊一「議題に沿っての答弁で結構でございますから」

 岸田文雄「御指摘の点については、まず一つは、政治と社会的に問題になっている団体との関係という論点がありますが、もう一つの論点がまさに委員御指摘の被害者救済という論点であると思います。

 共にしっかりと対応しなければならないということで、政府としましても、社会的に問題が指摘されている団体に関して、私の方から既に関係省庁に対し、宗教団体も社会の一員として関係法令を遵守しなければならない、これは当然のことであるからして、仮に法令から逸脱する行為があれば厳正に対処すること、また、法務大臣を始め関係大臣においては、悪質商法などの不法行為の相談、被害者の救済に連携して万全を尽くすこと、この二点を指示を出しているところであります。

 これを受けて、法務大臣を議長とする「旧統一教会」問題関係省庁連絡会議を設置し、この問題の相談集中強化期間を設定し、合同電話相談窓口を設ける、こうした対応を行う、さらには、消費者庁において、霊感商法等の悪質商法への対策検討会、こうしたものを立ち上げ、議論を開始する、こうしたことであります。

 そして、委員の方から法整備の必要性ということの御指摘がありましたが、まずは、私の方から出した指示に基づいて始めた取組、これをしっかりと進めていきたいと思います。それをまずやった上で、すなわち今の法令の中で何ができるのかを最大限追求した上で、議論を進めるべき課題だと思っております」

 泉健太「私は新しい法律も必要だと思いますが、今ほど、今の法令で何ができるのかというお話がありました。是非ここをやっていただきたいですね。

 なぜかというと、総理は8月31日の記者会見で、この旧統一教会を社会的に問題が指摘される団体として、党として関係を絶つ、そこまでおっしゃった。党として関係を絶つとまでおっしゃった団体であれば、相当な問題意識をお持ちだということだと思うんです。そのときに、党として関係は絶つが、政府としては何もやらなくていいということでは絶対ないですよね。総理もうなずいておられます。

 その意味では、まさに現行法に基づくこの団体の調査、そして解散命令、こういったものも検討せねばならないと思いますが、いかがですか」

 委員長山口俊一「泉委員、何度も議運の理事会で、議題を逸脱するような質問はないようにとのお話でありますから、気をつけてください」

 岸田文雄「今申し上げたように、政府としましても、問題意識を持ち、取組を進めています。

 今の法律の範囲内で何ができるのか、これをしっかりと詰めていきたいと思います。そして、その上でどういった議論が必要なのか、引き続きしっかりと取り組んでいきたいと思っております」

 泉健太「ありがとうございます。

 是非、この点は、今回、統一教会の問題をしっかり清算しなければ、またやはり被害者が多く生まれてしまう。残念ながら、今回の非業の死にこうして統一教会の様々な動きが絡んできてしまっていたということもあると思います。

 さて、改めて、国葬の問題でありますが、経費です。

 式典費の本当にコアのコアの部分で、最初、二・四九億円とおっしゃった。しかし、やはりこんなに少ないわけないんじゃないかという話で、次に出てくると十六億円ということになった。

 しかし、総理、今回発表した総額、例えば、来年のG7サミットでは、民間警備会社には十二・四億円かかる、こういう概算要求が出ております。民間警備会社の経費は今回の発表の額に含まれていますか」

 官房長官松野博一「松野国務大臣 会場等の民間警備に係る経費に関しましては、式典の経費の中に入っております」

 泉健太「会場だけではないと思いますが、全部含まれていますか。

松野博一「会場外の警備に関しましては、既定予算に計上されております警備、警察上の予算に含まれております」

 泉健太「先ほども話があったように、五十か国ぐらいから、いわゆる首脳だけではなく、外交使節団として来る。この経費も今の額ではとても収まらないんじゃないかというふうに言われている。こうして過小の試算でコンパクトな国葬に見せるということで、またこの後もし額が膨らめば、国民の不信はやはり募ると思いますよ。

 更に言えば、やはり国民生活が苦しいという声は今数多く寄せられています。そこにどれだけ税金を使うのかという話になっている。

 そこでいいますと、歴代の内閣葬では自民党が半額負担していましたよね、今回は自民党は負担をしないのですか、全額税金ですかという声を聞きます。総理、自民党は半額負担するべきじゃないでしょうか」

 岸田文雄「先ほども答弁の中で申し上げさせていただきましたが、世界各国の国挙げての弔意、様々な弔意のメッセージ等を国としてしっかりと受け止めさせていただく際に、国の行事としてこうした葬儀を行うことが適切であると判断したことによって、今回の決定を示させていただいたということであります。

 合同葬についても、もちろん国の税金は支出することになるわけです。しかし、何よりも大事なのは、国として、どういった形で国際的な弔意を受け止めるのか、日本国民全体に対する弔意に対してどう応えるのか、こうしたことが重要であると認識をしています。そのために、国葬儀という形が適切であると判断をした次第であります」

 泉健太「改めて、元総理の死というのは大変重たいものであります。その意味で、私は、内閣による一定の儀式というものは必要だと思う。だからこそ、これまで内閣葬というものが行われてきたと考えています。

 そういった意味では、今回、今ほど質問の中でも触れましたが、やはり特別扱いをするということについては大きく見解が分かれていると思いますよ。総理の方は安倍元総理はそれに値するというが、しかし、これまでも様々な元総理がおられて、様々な業績がある中で、我々からすれば特別扱いに見えるし、多くの国民もなぜ今回だけ国葬なのかという疑問を抱いている。私はそれをお伺いしましたが、やはりそこは、なかなか平行線、総理から納得いく答えは得られなかったと思っています。

 改めてですが、国会や司法も関与させずに、前例を変えて、内閣の独断で国葬を決めた、これは戦後初だということです。そして、三権分立や民主主義、立憲主義を旨とする我々立憲民主党からしても、こうした強引な決定や、あるいは選考基準がない状態を放置して、安倍元総理の負の部分を語らずに、旧統一教会との親密な関係そして膨らむ経費などを隠して、元総理を特別扱いしている、こんな国葬には我々は賛成できません。反対をします。

 二か月たってようやく国会の声を聞く場を設けましたが、これで、今日この場で、これ以降、総理が何も変えないというなら、この質疑の意味はありません。是非、独断の国葬や分断の国葬ではなくて、改めてですが、内閣葬とする。そして、私は、こうした論争を毎回起こすような話じゃなくて、今後も元総理は内閣葬とする、こういうシンプルで一定の基準をやはり作るべきだと思いますよ。

 改めてですが、総理には、是非、内閣法制局との再検討、そして統一教会に対する自民党の調査、また経費の更なる公表、これを行動で見せていただきたいと思います。その姿勢によって私も判断をしてまいります。恐らく国民も判断をしていくでしょう。

 質問を終わります」

 泉健太は後半冒頭部分で安倍晋三の在任中の活動のうち、功罪の“罪”の部分について尋ねているが、自分の方から問い質すのではなく、「岸田総理は盛山委員に対して安倍元総理の在任中の活動のうち、功罪の“功”の部分だけを並べましたが、“罪”の部分はなかったのですか」と岸田文雄の口から直接言わせるべく努力はすべきだったろう。泉健太が尋ねたアベノミクスの負の部分や「森友、加計問題」、「百回を超える虚偽答弁」について答弁無視しているが、「“罪”の部分はなかったのですか」と問い質して、何もなかったと答えた場合、それが虚偽答弁となることあ承知しているだろうから、「“罪” の部分は確かにあるが、それに遥かに優る“功” の部分は国葬に値する」とでも答弁するだろうが、こ手の答弁の妥当性は国民の6割方が国葬に反対している世論調査を持ち出せば、簡単に打ち破ることができる。その上で“罪”の部分を並べれば、国葬への疑義を一層際立たせることができただろう。

 泉健太はさらに安倍晋三と統一教会との関係を取り上げ、「安倍元総理が最もキーパーソンだった」と“罪”の部分を突きつけるが、岸田文雄は次のように答えている。

 「安倍元総理の統一教会との関係については、それぞれ、御本人の当時の様々な情勢における判断に基づくものであります。ですから、今の時点で、本人が亡くなられたこの時点において、その実態を十分に把握することは限界があると思っております」

 泉健太は「御本人がどうだったかというのは、本人に聞くばかりじゃない、調べることが可能だ。調査を約束して欲しい」と迫るが、同じ文言の"限界"で片付けられてしまい、何ら追及できずに、「やはり残念ながら非常に後ろ向きである」と切れ味効果のない一太刀を浴びせることぐらいしかできなかった。

 この"限界"という言葉は泉健太自身が質問で取り上げた2022年8月31日の記者会見中に既に用いているのだから、同じような質問を目論んでいたなら、同じ繰り返しを予想して、前以って理論武装していなければならなかったが、この点についてもその形跡を窺うことはできない。

 岸田記者会見質疑(首相官邸/2022年8月31日)

 石松朝日新聞記者「朝日新聞の石松です。よろしくお願いします。
 
 旧統一教会と自民党との関係についてお尋ねします。総理は、先ほどのぶら下がりで、旧統一教会との関係を絶つことを党の基本方針にするという説明がありましたが、旧統一教会との関係の中心には、常に安倍(元)総理の存在があったりとか、選挙の協力に関しては、安倍(元)総理が中核になっていた部分があると思いますが、今後、旧統一教会との関係を絶つ上で、安倍元首相との関係を検証するなり、見直すなどの考えは今のところございますでしょうか。よろしくお願いします」

 岸田文雄「先ほども申し上げましたが、今日までの関係については、それぞれ既に点検するようにという指示を出しているわけですが、その点検の結果について、党としてしっかり取りまとめることが大事だということを申し上げています。その中で、党としてそれをどのように公表していき、国民の皆さんに説明をしていくのか、これが重要なポイントになってくると思います。

 御指摘の点については、安倍(元)総理がどのような関係を持っておられたのか、このことについては、御本人が亡くなられた今、十分に把握するということについては、限界があるのではないかと思っています」

 だが、理論武装せずに似たような答弁で遣り過させる収穫を手に入れただけだった。

 泉健太は「岸田総理はなぜ旧統一教会との関係の絶縁を自民党の基本方針にすると決めたのですか」と質問するところから入るべきだった。8月31日の記者会見では岸田文雄は「政治家側には、社会的に問題が指摘される団体との付き合いには厳格な慎重さが求められます」との理由のみで関係を絶つことを求めている。当然、「社会的に問題が指摘される団体だからだ」との答弁が予想されるが、「どのような問題が指摘されているのか」とさらに突っ込んで聞かなければならない。「委員もご存知のはずです」と応じたなら、「総理の口から直接お聞きしたい」と言えばいい。

 関係の絶縁を自民党の基本方針にすると決めるについては旧統一教会を相当に悪質な反社会的集団(一般社会の秩序や道徳、倫理観から著しく逸脱した集団)だと評価していなければ矛盾が生じる。官房副長官の木原誠二が2022年7月29日の記者会見で旧統一教会を「政府として反社会的勢力ということを予め限定的かつ統一的に定義することは困難」と述べているが、岸田文雄がその線に添って同じように答弁するようなら、「反社会的勢力と定義づけ困難なら、今の段階で関係の絶縁を自民党の基本方針にすることは罪が確定しない被疑者の段階で犯人扱いするのと同じようなもので、人権問題に関わりはしないか」と追及できる。

 あるいは1997年に最高裁が霊感商法や高額献金勧誘に対する損害賠償請求訴訟でその違法性と勧誘信者に対する教団側の使用者責任を認め、教団側の敗訴が確定しているが、使用者責任は教団側そのものに対する連帯責任の認定であって反社会的行為の主体と位置づけ可能となり、反社会的勢力を意味しないかと迫ることができる。

 反社会的勢力であるとの認識に持ち込むことができたなら、安倍晋三の旧統一教会との関係性の悪質さだけではなく、旧統一教会と接点を持った国会議員106人のうちの8割に当たる自民党国会議員に関しても、同じ悪質さを炙り出すことができる。もしかしたら、安倍晋三の旧統一教会との関係性の悪質さを炙り出されることを警戒して、定義づけ困難説を持ち出した可能性は疑うことができる。炙り出されでもしたなら、安倍晋三が一人で歴代最長任期を成し遂げたわけではなく、自民党一丸となってのことだから、歴代最長という金字塔を傷つけるだけではなく、同時に自民党という政党そのものの評価を泥まみれにしかねないことと、これらのことが来春の統一地方選に悪影響を与えかねないこと、ただでさえ低下している内閣支持率にさらに低下の打撃を与えかねない先行きを考え、何としてでも安倍晋三の経歴を守ることを最優先事項にして岸田文雄は、いわば本人死亡による実態把握可能性限界説を持ち出したということも考えることができる。

 旧統一教会は反社会的勢力であるとの答弁に持ち込むことができなかった場合は社会一般が反社会的勢力と見ている認識を拝借して、「社会一般は安倍元首相がそのような反社会的勢力と深く関係していたと見ていて、そういった見方が国葬反対の意思となって現れているのではないのですか。例え本人が亡くなっているにしても、両者の関係を検証しない限り、過半数以上の国葬反対の国民は納得しないでしょうし、例え時間が経過して、国葬問題が風化したとしても、岸田総理が安倍元総理と旧統一教会との関係の究明に後ろ向きであったこと、あまりにも消極的であったことはネット等に何らかの記録の形で残るでしょうし、そのことは総理の評価に跳ね返ってくるでしょう。もしかしたら、岸田総理は安倍元総理の旧統一教会との関係究明に関するご自身の後ろ向きの姿勢から世間の目を逸らすために同じく関わりのあった、安倍元総理の関係から比較したら大したことはない自民党国会議員を調査・公表し、絶縁を迫って話題をこちらの方に向ける一種の生贄の羊に仕立てたということですか」といった質問に持っていくことができたなら、岸田文雄の調査拒否に対抗して旧統一教会と代表格の立場で関係を持った安倍晋三自身の悪質性を強く印象づけることができる。

 かくこのように岸田文雄が8月31日の記者会見で安倍晋三が亡くなっていることを理由に旧統一教会との関係を調査することには限界があるからと既に発言しているにも関わらず、泉健太がその発言に何ら理論武装することなくほぼ同じ質問をしてほぼ同じ答弁しか引き出せなかった点はかなりの減点を見込まないわけにはいかない。

 泉健太は結局のところ、質疑全体を通して思い通りの展開に持ち込むことができなかった。

 泉健太「改めてですが、国会や司法も関与させずに、前例を変えて、内閣の独断で国葬を決めた、これは戦後初だということです。そして、三権分立や民主主義、立憲主義を旨とする我々立憲民主党からしても、こうした強引な決定や、あるいは選考基準がない状態を放置して、安倍元総理の負の部分を語らずに、旧統一教会との親密な関係そして膨らむ経費などを隠して、元総理を特別扱いしている、こんな国葬には我々は賛成できません。反対をします」

 岸田文雄の内閣府設置法及び閣議決定とその他を根拠とした国葬実施の論理を打ち破ることも脅かすこともできなかったのだから、何を言っても犬の遠吠えにしかならない。質疑全体の採点はせいぜい30点程度にしかつけることはできない。30点にしてもつけ過ぎかもしれない。

 この30点を妥当な線と見るかどうかは数少ない読者の判断にかかることになる。

 立憲民主党のみならず、他野党の政府に対する追及力不足が「立憲は批判ばかり」、「野党は批判ばかり」の評価を手に入れることになっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文科省の旧統一教会実体不問の名称変更認証と前川喜平氏の下村博文認証関与説、橋下徹の名称変更門前払い対応の前川喜平氏批判のそれぞれの正当性

2022-08-31 06:55:20 | 政治
 当ブログ記事とは無関係だが、安倍国葬についての付録。

 《安倍晋三の国葬がふさわしい理由:高潔な人格、国民に対する無私の精神》

 2014年8月

 19日夜から20日明け方にかけて、広島市の一部地域に記録的な集中豪雨が発生した。

 20日午前3時20分頃、広島市安佐南区山本の住民から住宅の裏山が崩れて、2階建ての住宅の1階部分に土砂が流れ込み、5人家族のうち子ども2人の行方が分からなくなったと広島市消防局に通報。

 20日4時0分、政府は首相官邸危機管理センターに情報連絡室設置、情報収集に当たる。情報連絡室は関係省庁からの情報を集約し、内閣総理大臣等へ集中的に報告を行うこととされている。また任務とする情報収集は人的被害にしても、物的被害にしても、記録的な集中豪雨による土砂災害や洪水等を前提とした情報処理を以ってして行う災害の進行に基づくことになる。土石流が発生した場合、土砂崩れで土石に埋まるのと地震等で倒壊した建物に閉じ込められるのとでは体に打撲や出血等の損傷を受けていない場合でも呼吸できる余地は前者はゼロに近く、特に土石に水が混じっている場合、土石と水で密閉される状態になるから、呼吸できる余地はほぼゼロとなり、後者はときには柱や壁が交錯した隙間から酸素の供給が十分に可能となるケースが生じ、生存の可能性はそれなりに期待できるが、双方の違いによって政府や行政の危機管理の一環として収集した情報の行く末を想定せざるを得なくなる。

 20日午前4時過ぎ頃から広島市消防局に土砂崩れと住宅が埋まって行方不明者が出たという通報が相次いで寄せられる。直後か、直近の救助・救命が期待できないケースも想定される以上、政府・行政側は死者の発生を伝える情報に接する覚悟をせざるを得なくなる。

 20日午前5時15分頃、広島市消防局は同日午前3時20分頃の土砂崩れで土砂に埋まった子ども2人のうち1人が心肺停止の状態で発見されたと発表。午前3時20分頃の土砂崩れで土砂に埋まって約2時間後の心肺停止状態の発見だから、残念なことだが、医師の死亡宣言を待つ心肺停止の類いということであったはずで、最初の死者であるなら、1人目の死者としてカウントされ、最初でなければ、何人目かにカウントされることになる。

 20日午前6時頃、内閣の情報連絡室に「行方不明者が多数。子供2人も生き埋めとなり、うち1人が心肺停止状態」とする情報が入ったと、2014年8月21日付「どうしん電子版」が伝えている。情報連絡室は自らの役目として内閣総理大臣を始め、関係閣僚に逐次伝達することとなり、安倍晋三は夏休み滞在中の山梨県の別荘から同日午前6時半に被害状況の把握などを関係省庁に指示した。

 20日午前7時26分、高潔な人格、国民に対する無私の精神で誉れ高い内閣総理大臣安倍晋三は同別荘から向かった先の富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」に到着、元首相森喜朗、経済産業相茂木敏充、外務副大臣岸信夫、官房副長官加藤勝信、自民党総裁特別補佐萩生田光一、自民党衆院議員山本有二、日本財団会長笹川陽平、フジテレビ会長日枝久らとゴルフを開始。

 20日午前8時半頃、安倍晋三のゴルフ続行を問題視する指摘を周囲から聞いた官房長官菅義偉が首相側に電話、中断するよう求めた。

 例え国民の一部であっても、過酷な自然災害に遭遇し、困難な状況に巻き込まれている真っ只中にゴルフを愉しみ、その事態を"問題視"しなかった、事故ではあるものの、同様の事例は2001年2月のハワイ・オアフ島沖の米原潜が浮上中、愛媛県立宇和島水産高等学校練習船えひめ丸に衝突沈没させて教員と乗組員と生徒の9人を死なせた際、連絡を受けながらゴルフを続行した当時の首相森喜朗を挙げることができ、安倍晋三が遅れを取って2人目となるが、"問題視"せずの仲間に茂木敏充や岸信夫、加藤勝信、萩生田光一等を加えることになる。

 20日午前9時19分、菅義偉の連絡から約50分近くあとに安倍晋三はゴルフを中止。ゴルフ場から別荘に戻り、別荘から首相官邸へ出発。午前10時59分、官邸着。

 「広島市の土砂災害で政府の対応は」の報道各社のインタビューに安倍晋三「政府一体となって、救命救助の対応に当たるように指示を出しました」(時事通信2014年8月20日首相動静)

 防災担当相古屋圭司「最終的に死亡者が出た8時37分とか8分に総理にも連絡をして、その時点ではこちらに帰る支度をしてます」 

 この発言は死亡者が出たら連絡するという態勢になっていたことを意味する。但し実際には広島市消防局に土砂崩れと住宅が埋まって行方不明者が出たという通報が相次いで寄せられた8月20日午前4時過ぎ以降の時点で死者発生を想定した危機管理体制となっていなければならなかったし、内閣総理大臣も同じ体制下にいなければならなかった。

 さらに20日午前6時頃に内閣の情報連絡室に「行方不明者が多数。子供2人も生き埋めとなり、うち1人が心肺停止状態」とする情報が入っていて、この情報は安倍晋三にも伝えられていたはずで、だからこそ、同日午前6時半に山梨県の別荘から被害状況の把握などを関係省庁に指示することになったはずである。

 政府高官「(首相が)6時30分に指示を出した後に被害が拡大した」

 2014年8月19日夜から20日明け方にかけて、広島市の一部地域に記録的な集中豪雨が発生していた状況下で住民を巻き込んだ土石流災害発生が20日午前4時過ぎ頃から広島市消防局に寄せられていた。土砂災害発生地域の一つ広島市安佐北区三入東の雨量は20日午前2~3時に90mm、午前3~4時に121mm。この情報は情報連絡室も把握することになるはずで、例え6時過ぎに雨が上がっていたとしても、山に降った雨が絞り水となって山間地の住宅を連続的に襲う危険性は残されていて、内閣総理大臣が指示を出す出さないに関係なしに、あるいは危機管理が最悪の事態を想定して、想定した最悪の事態に備えることを言うことからも、前以って被害拡大は想定事態の一つとしていなければならなかった。だが、高潔な人格の持ち主である上に無私の精神で国民の上に立つ内閣総理大臣安倍晋三は指示を出しただけで、後は情報連絡室に任せてゴルフに出かけ、広島土石流災害地の住民の厳しい試練をよそに1時間以上、ゴルフを愉しんだ。

 まさに国の予算を何十億出しても惜しくない、国葬中の国葬にふさわしい人格の持ち主と言える。この広島土砂災害では77人(直接死74 +関連死3)(Wikipedia)の死者を出している。安倍晋三のゴルフの愉しみから比べたら、何のことはない。

 《文科省の旧統一教会実体不問の名称変更認証と前川喜平氏の下村博文認証関与説、橋下徹の名称変更門前払い対応の前川喜平氏批判等それぞれの正当性》

 世界基督教統一神霊協会(略称統一教会)は2015年6月に世界平和統一家庭連合へと名称変更を申請。7月に受理、8月に変更の認証を受けた。複数の都道府県に施設を持つ宗教法人の名称変更申請先は文科相宛で、実務は文科省外局文化庁の宗務課が担当。名称変更申請を受けた当時の文科相は「政治とカネ」の問題で錬金術師の疑惑濃い自民党下村博文である。

 この名称変更の経緯を巡って2022年8月5日に立憲民主党や共産党などが合同でヒアリングを前川喜平元文部科学事務次官に対して行ったと同日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。前川喜平氏は旧統一教会から名称変更問題が持ち上がった1997年(平成9年)当時は文化庁宗務課長を務めていた。「Wikipedia」によると、文科省の前身文部省から文化庁へ出向の形を取っていたという。前川喜平氏は旧統一教会から名称変更の相談が寄せられたことを部下の職員から報告を受け、「宗務課の中で議論した結果、実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない。当時、『世界基督教統一神霊教会』という名前で活動し、その名前で信者獲得し、その名前で社会的な存在が認知され、訴訟の当事者にもなっていた。その名前を安易に変えることはできない。実態として世界基督教統一神霊教会で、『認証できないので、申請は出さないで下さい』という対応をした。相手も納得していたと記憶している」と合同ヒアリングで述べた。

 いわば前川喜平氏は旧統一教会こと世界基督教統一神霊教会がその“名”を用いて彼らなりの宗教活動の陰で霊感商法とか、強制献金とかの組織的な反社会的"体"(たい)をつくり上げていき、一般社会に"名" は"体"を表すようになって、旧統一教会と言えば霊感商法、強制献金とまで言われるようになり、"名" と"体"が相互性を取るまでに至った以上、"体"をそのままに"名"だけを変えて、その相互性を破り、"体"を隠すような真似はさせることができないとしたということなのだろう。

 このような「対応」は「宗務課の中で議論した結果」の結論であった。前川喜平氏が自身の考えを上意下達式に宗務課の結論としたわけではなかった。ではなぜ名称変更の申請書を提出させた上で、「実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない」との理由で公式に名称変更を却下、非認証とする決着をつけなかったのだろう。こうできない理由は名称変更申請の形式にあるが、このことはあとで見てみる。

 決着をつけることができなかったためにだろう、18年後の平成27年(2015年)に前川喜平氏は〈文部科学審議官を務めていた際、当時の宗務課長から教会側が申請した名称変更を認めることにしたと説明を受け、認証すべきでないという考えを伝え〉ると、「そのときの宗務課長の困ったような顔を覚えている。私のノーよりも上回るイエスという判断ができるのは誰かと考えると、私の上には事務次官と大臣しかいなかった。何らかの政治的な力が働いていたとしか考えられない。当時の下村文部科学大臣まで話が上がっていたのは、『報告』したのではなく、『判断や指示を仰いだこと』と同義だ。当時の下村文科大臣はイエスかノーか意思を表明する機会があった。イエスもノーも言わないとは考えられない。結果としては、イエスとしか言っていない。下村さんの意思が働いていたことは100%間違いないと思っている」
 
 かくこのように下村関与説を打ち出した。当然のことだが、下村博文は否定している。「文化庁の担当者からは『旧統一教会から18年間にわたって名称変更の要望があり、今回、初めて申請書類が上がってきた』と報告を受けていた。担当者からは、『申請に対応しないと行政上の不作為になる可能性がある』と説明もあったと思う。私が『申請を受理しろ』などと言ったことはなかった」

 また前川喜平氏は文化庁が旧統一教会の名称変更認証に関して形式上の要件以外を理由として申請を拒むことはできないなどと説明していることについて、「書類がそろっていれば認証というわけではない。申請内容に実態が伴っていない場合は、認証しないという判断をして宗教法人審議会にかける道があったはずだ」とこのような方策で、あくまでも認証に持っていかない道を選択すべきだったと主張している。

 一方、文化庁が形式上の要件以外を理由として名称変更の申請を拒むことはできない等と説明していることと、下村博文が口にした文化庁の「担当者からは、『申請に対応しないと行政上の不作為になる可能性がある』と説明もあったと思う」としている文化庁担当者の説明に対して補強材料の役目を果たしたのが現文科大臣の末松信介の2022年8月8日の記者会見発言である。

 「形式上の要件に適合する場合は受理する必要がある。担当者に確認したところ、当時、旧統一教会側から『申請を受理しないのはおかしいのではないか』という違法性の指摘があった。教会側の弁護士が言っているという話だった」

 さらに〈形式上の要件が整っていたとしても申請を認証せず、文部科学大臣の諮問機関である「宗教法人審議会」で判断すべきだったという指摘が出ていることについて〉、末松信介「申請の内容が要件を備えていることを確認して認証を決定したと認識していて、宗教法人審議会にかける案件ではなかった」(以上、2022年8月8日付NHK NEWS WEB記事)

 要するに下村も末松も、文化庁も名称変更届(正式名「宗教法人変更登記申請書」)の記載に関しての「形式上の要件」の具足を名称変更認証の唯一の条件としている。法律が要求する形式に則った記載内容であるならば、速やかに認証しなければならない、しなかった場合、行政上の不作為として訴えられる恐れがあるとの手続きを優先させている。但し「形式上の要件」には法律上と実体上の違いが現れないという仕掛けが隠されることになる。“名は体を表す”の関係に於ける"体"そのものは隠しておくことができ、名称変更届上に現れることはないという仕掛けである。

 宗教法人の名称変更に関しては、何らかの規則変更であっても、その届出には宗教団体の体裁を成していることのみが要求され、信教の自由を逸脱した不法献金強要や強制入信を行っているといった"体"の部分に当たる反社会的実体は届出で問われることはない。そうであるから、旧統一教会の2015年8月の名称変更は受理・認証を受けることができた。

 下村も末松も、文化庁も、名称変更届出の記載に不備がないことを前提に名称変更を認証した事実は旧名称時代から続いている反社会的実体が名称変更届出に現れることのないことを幸いとして、その実体に目を向けることなく不問に付したことを意味する。なぜなら、名称変更認証の2015年8月以前に既に裁判で旧統一教会の社会的違法性は何例も糾弾を受けていて、マスコミも取り上げていたはずだからである。要するに前川喜平氏が文化庁宗務課長であった1997年(平成9年)当時、旧統一教会から名称変更の相談が寄せられた際、「実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない」云々と名称変更の相談の段階で阻止したこととは真逆の対応を取ったことになる。繰り返しになるが、下村も末松も、文化庁も、名称変更届出の書類が求めている形式の要件どおりの記載内容となっていることの一事のみに正当性を置いて、旧統一教会が名称変更申請段階時に於いても反社会的存在であったその実体に関しては問題外の不問扱いとしたということである。

 当然、「国民の生命と財産を守る」、あるいは「国民の命と暮しを守る」政治家を名乗っている以上、前川喜平氏と同じ理由を用いて申請そのものを阻止するか、どうしても阻止できない事情があるなら、申請書受理後に宗教法人審議会に対して社会的実体の有害性・無害性を検証の上、受理判断するようにとの指示のもと諮問させ、その判断に任せるべきだったし、諮問自体が「国民の生命と財産を守る」、あるいは「国民の命と暮しを守る」政治行為の一環に即していたはずである。だが、名乗りに反する政治行為に出た。前川喜平氏が名称変更認証に「下村さんの意思が働いていたことは100%間違いないと思っている」の発言はその信憑性を色濃くするばかりで、その対応の正当性は認めることはできない。

 ジャーナリストの松谷創一郎氏記事、「忘れられていた統一教会──激減した報道と34年前の“正体隠し”」(Yahoo!ニュース/2022/8/12(金) 6:06)によると、元信者が霊感商法被害で旧統一教会を訴えた、原告被害期間2001年~2011年の裁判では2017年に東京地裁が教団側に1020万円の賠償命令の判決を出し、原告被害期間1998年~2013年の同様の裁判は2021年に同じく東京地裁が1億1600万円の賠償を命じる判決を言い渡している(読売新聞朝刊2021年3月27日付)と出ている。訴えの元となった被害時期と裁判係争、そして地裁結審はどちらも世界基督教統一神霊協会の世界平和統一家庭連合へとの名称変更届出受理の2015年7月と認証の2015年8月を間に挟んでいる。

 「Wikipedia」の「青春を返せ裁判」の項目には次のような記述がある。

 〈2000年9月14日 - 広島高裁岡山支部第一部で、元信者の訴えを棄却した一審を破棄し、統一教会/統一協会の伝道の違法性を認定する全国初の判決が出た。 原告に対し、実損害額72万5000円に加え、100万円の慰謝料請求を認める。日本において、宗教団体による勧誘・教化行為の違法性を認めた全国初の判決。教団は信者組織に対して実質的な指揮監督関係があると認定し、計画的なスケジュールに従い宗教選択の自由を奪って入信させ、自由意思を制約し、執拗に迫って不当に高額な財貨を献金させ、控訴人の生活を侵し、自由に生きるべき時間を奪った」などと判断した。

 2001年2月9日 - 「青春を返せ訴訟」で統一教会/統一協会側の敗訴が最高裁で初めて確定。最高裁は「上告理由の実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって、上告の事由に該当しない」として教団の上告を棄却し、教団の詐欺的入信勧誘と献金の説得について組織的不法行為が認められるとして、献金70万円と修練会参加費相当額の損害及び100万円の慰謝料の支払いを命じた二審・広島高裁岡山支部判決が確定した。〉――

 前者の裁判では「宗教選択の自由を奪って入信させ、自由意思を制約し、執拗に迫って不当に高額な財貨を献金させ、控訴人の生活を侵し、自由に生きるべき時間を奪った」などと、その実体が反社会的な域に到達しているとの宣告を受けることになった。後者にしても、〈教団の詐欺的入信勧誘と献金の説得について組織的不法行為が認められる。〉と教団の実体が反社会性を纏わせていると断罪された。

 当然、名称変更認証に向けた2015年7、8月の時点に立って旧統一教会を取り巻く各種状況を眺めたとき、裁判が炙り出しているその社会的実体を有害性の観点で見るか、無害性の観点で見るかを求められた場合、前川喜平氏は有害性の観点で眺めたことになり、下村も末松も、文化庁も無害性の観点で眺めて、その有害性を問題視しなかったことになる。特に政治家や官僚としたら社会的常識に真っ向から反する受け止め方を以ってして結果として旧統一協会の意図に添う認証を答として出したのだから、前川喜平氏の見立てどおりにその意図が働いた下村博文の認証と見ないわけにはいかなくなる。

 以上、野党ヒアリングで元文部科学省事務次官の前川喜平氏が1997年(平成9年)当時に旧統一教会から名称変更の相談が寄せられたときに見せた、実体は世界基督教統一神霊教会と何も変わらないのだから、申請書は出さないでくれと、いわば門前払いを食らわす対応をしたのだが、このような対応を正義の味方、有名弁護士の橋下徹がテレビ番組で「違法」だと厳しく批判したという。「橋下徹氏 旧統一教会の名称変更問題で前川喜平元次官を「違法」とバッサリ」(東スポWeb 2022/08/07 11:05)

 2022年8月7日の「日曜報道」(フジテレビ系)でのコメンテーターとしての発言。記事の発言を纏めて見る。

 橋下徹「正義の味方みたいになっているが、前川さんが違法です。統一教会がトラブル団体なので、名称変更を認めなかったと結果オーライで正しかったように見えるが、法治国家なので、ルールに基づいて判断しないといけない。名称変更の問題とトラブルを分けて考えないといけない。変更に関しては、前川さんの胸突き三寸で勝手に拒否してはいけない。

 こんな官僚のやり方を認めたら、国民は官僚にゴマすりばっかりやらないといけなくなる。また官僚天国になって、中国と同じようになる。

 感情で動くんじゃなく、きちっとルールが足りないなら、しっかりつくるべき。前川さんの違法性も検証してほしい」

 記事は、〈ゲストで出演していた立憲民主党の小川淳也政調会長も「前川さんのこの手続きを橋下さんのいう論点から検討する必要はある」と認めざるを得なかった。〉とオチまで付けている。

 橋下徹は前川喜平氏のことを「正義の味方みたいになっている」と言っているが、ナニナニ、正義の味方という点では橋下徹の右に出る者はいない。強いて挙げるとしたら、志半ばで旧統一教会関連で天に召された安倍晋三ぐらいのもので、「俺の方こそ正義の味方だ」と張り合ったら面白かっただろうが、もはや張り合うことはできない、橋下徹の一人勝ちといったところだろう。
 
 記事は橋下徹が前川喜平氏の対応を「違法」と断定とした根拠を、〈1993年に成立した行政手続法の観点から前川氏や文科省に非があるとした。〉と解説している。「行政手続法」(1993年法律第88号)の「第5章 届出」を見てみる。
      
 〈第5章 届出

 第37条 届出が届出書の記載事項に不備がないこと、届出書に必要な書類が添付されていることその他の法令に定められた届出の形式上の要件に適合している場合は、当該届出が法令により当該届出の提出先とされている機関の事務所に到達したときに、当該届出をすべき手続上の義務が履行されたものとする。〉――

 旧統一教会の名称変更届に即して説明すると、宗教法人法によって宗教法人としての地位と身分が認められていることを前提とした取り扱いとなるために何らかの届出をする場合、名称変更の届出であっても、代表者役員変更の届出であっても、記載事項に不備がないことや必要な書類が添付されていることなどの「届出の形式上の要件」を満たしていさえすれば、その書類が関係機関の事務所に到達した時点で宗教法人は「当該届出をすべき手続上の義務」を履行したものと看做されるという建て付けとなる。当然、関係機関の事務所は宗教法人側の果たした義務に対して認証を以って応えなければならない。改めて断るまでもなく、届出認証の要件は届出の際に要求される書類上の形式(=書類上の手続き)を満たしているかどうか、唯一その一点に尽きることになるからである。

 先に触れたが、名称変更の申請書を提出させた上で、「実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない」との理由で公式に非認証の決着をつけることができない理由がここにある。
 
 下村博文が「申請に対応しないと行政上の不作為になる可能性がある」と発言したことと文化庁が形式上の要件以外を理由として名称変更の申請を拒むことはできない等と説明していること、さらに文科相の末松信介が「形式上の要件に適合する場合は受理する必要がある」と発言していること全てが1993年成立行政手続法の「第5章届出」の条文に基づいた発言となる。

 かくこのように法律に忠実に基づいて判断するなら、正義の味方橋下徹の前川喜平氏「違法説」は正しい。だが、名称変更届出認証の要件が唯一書類上の形式(=書類上の手続き)を満たしているかどうか、その一点のみであることによって、既に触れたように信教の自由を逸脱した不法献金強要や強制入信を行っている旧統一教会の反社会的実体は不問に付すという仕掛けを結果的に認証の陰に閉じ込めることになってしまったという結末を迎えることになった。

 となると、橋下徹がのたまわっている、「感情で動くんじゃなく、きちっとルールが足りないなら、しっかりつくるべき」が一見、正当性を持ち、この正当性に立つなら、前川喜平氏の違法性はより重くなるが、その一方で下村博文や文化庁、末松信介たちの旧統一教会の反社会的実体性、あるいは違法と認める裁判所の数々の判断を我関せずに無頓着とした事実は名称変更認証の背景に限りなく追いやることになる。

 昭和26年の「宗教法人法」の「第81条 解散命令」は、〈裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。

一 法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。
二 第2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は一年以上にわたつてその目的のための行為をしないこと。〉等と規定している。

 要約すると、裁判所は「著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をした」宗教団体、あるいは「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする」と規定した「第2条」のその「目的を著しく逸脱した行為をした」宗教団体、あるいは「第2条」規定の行為を「一年以上にわたつて」行わなかった宗教団体を「所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる」ということになる。

 だが、裁判所は教団の入信勧誘を「詐欺的」とし、高額献金問題を「組織的な不法行為」と断じ、信者に対して「実質的な指揮監督関係」にあるとして、これらの不法行為に於ける旧統一教会の使用者責任を認め、個々の裁判で損害賠償請求等を認める判決を下しているにも関わらず、どこからも解散の請求を受けることはなかった。結果、教団の不法行為を野放し状態にしてきた。"名は体を表す"うちの"名"の変更も認めて、"体"とは縁がないかのように装わせることになった。なぜなのだろう。

 この“なぜ”は次の記事を読むと、深まる。「宗教法人審議会(第141回)議事録」(文化庁宗務課/ 2001年6月20日)

 要約すると、和歌山県に主たる事務所を持っている宗教法人「明覚寺」(みょうかくじ・複数の都道府県を跨いでいるから所轄庁は文部科学省)は名古屋別院満願寺が中心となって全国的に霊視商法詐欺事件を行っていて、詐欺罪で告訴され、既に8名が有罪判決を受けている。明覚寺側は和解金約11億円を支払い、被害者等とは全て和解が成立しているものの、1999年(平成11年)7月の地裁段階の判決で組織的、計画的かつ継続的に実行された大規模な詐欺事案と認定されていることから、文化庁では解散命令を請求する事由に該当するとして1999年(平成11年)12月16日に解散命令の請求、申立てを和歌山地方裁判所に行った。

 次に翌2002年6月18日の「第143回宗教法人審議会議事録」(文化庁宗務課)を同じく要約してみる。

 宗教法人明覚寺について宗教活動の名のもとに組織的、計画的、かつ継続的に詐欺行為を行ったことから私ども(=文化庁及び宗教法人審議会)は解散命令を請求してきたが、今年(2002年)1月24日に和歌山地裁から解散の命令が出された。明覚寺側は今年(2002年)1月31日付で大阪高裁に即時抗告を行ったが、4月時点で当方側からも答弁書の提出をして、お互いの主張が基本的には出尽くしている段階にあり、いずれ決定が出ると思うが、高裁でも現決定が維持されることを求めていきたいと考えている。

 この結末は「Wikipedia」の「霊感商法」の項目に出ている。

 〈明覚寺は最高裁まで争ったが棄却されて解散になった。犯罪を理由にした宗教法人の解散命令としては、オウム真理教に次ぐ2番目のできごとであった。〉

 かくかように宗教法人法は第81条で「解散命令」は裁判所が行うこととしているが、解散の請求は所轄庁、利害関係人若しくは検察官が行うと定められているうちの所轄庁に関しては上記2つの宗教法人審議会議事録によって複数の都道府県に施設を持つ宗教法人の場合は文部科学省ということになり、解散請求までの手順は何らかの宗教法人に対して著しく公共の福祉を害すると明らかに認められるか、宗教団体としての目的を著しく逸脱した違法・不法行為に関わるかして訴訟が提起され、その訴訟に対して裁判所が有罪判決を下す結果等を受け、文科大臣の諮問機関である宗教法人審議会が解散請求の該当性の有無を議論し、解散相当と結論した場合はその請求を文科大臣宛に提出、文科大臣が裁判所に解散請求を行うという手順を取ることになる。
 
 だが、文部科学大臣の諮問機関である宗教法人審議会は旧統一教会が裁判で数々の有罪判決を受け、教団の使用者責任を認める判決がいくつかありながら、音無しの構えに終止した。この理由を推測するために2022年8月5日の野党ヒアリングで前川喜平氏が旧統一教会から名称変更問題が持ち上がった時期としていた1997年(平成9年)を挟んで「Wikipedia」を参考にしながら、世界基督教統一神霊協会(旧統一教会)の教祖文鮮明が1968年1月13日に韓国で、同年4月に日本で創設した国際勝共連合と日本に於けるスパイ防止法の国会提出を軸に当時の自民党首脳と旧統一教会との関係を眺めてみることにする。国際勝共連合とはその名の通り、反共主義の政治団体である。1968年の日本の首相は岸信介の実弟佐藤栄作であり、兄弟揃って反共主義の立場を取っていた。

 日本で創設の国際勝共連合の発起人は自民党の元首相岸信介、さらに両者共に政界黒幕で自民党に対して強い影響力を持った笹川良一と児玉誉士夫らが名を連ねている。会長は久保木修己統一教会会長、名誉会長は笹川良一(1995年7月18日 96歳没)が就任。この一事のみで旧統一教会と自民党がズブズブの関係にあり、そこに国際勝共連合が加わったという図になる。

 1974年5月7日、帝国ホテル(東京)で岸信介を名誉実行委員長として、『希望の日』晩餐会と題する文鮮明の講演会が行われた。当時の大蔵大臣福田赳夫が「アジアは今、偉大な指導者 を得ることができました。その指導者こそ、そこにおられる文鮮明先生です」と賛美し、韓国形式の挨拶で抱擁を繰り返したという。講演会には安倍晋太郎、中川一郎、保岡興治、中山正暉、石井公一郎、(ブリヂストン副社長)、笹川了平(『大阪日日新聞社長、笹川良一の末弟)、笹川陽平(富士観光社長、笹川良一の三男)らのほか、40名程の小学校、中学校、高校の校長達が出席。

 1985年6月6日の第102回国会「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(スパイ防止法)が議員立法として衆議院に提出されたが、この年を約6年遡る1979年2月24日、国際勝共連合その他の反共団体が「スパイ防止法制定促進国民会議」を結成。各県に県民会議、さらに市町村にそれぞれ母体をつくり、地方自治体へスパイ防止法実現のための要望、決議を行う戦略を取り出した。さらに国際勝共連合は1979年11月からスパイ防止法制定3000万人署名国民運動を展開している。

 そしてこういった動きの背景となったのが1957年に訪米した岸信介が米側から秘密保護に関する新法制定の要請を受け、「いずれ立法措置を」と応じ、社会情勢が熟すのを待ったのだろう、1984年4月、「スパイ防止のための法律制定促進議員・有識者懇談会」を発足させ、岸信介自身が懇談会会長に就任した。

 こうして見てくると、佐藤栄作をも含めた岸信介を主導者とした日本側一派が国際勝共連合を伴走者として旧統一教会と二人三脚で事を起こしていたことが理解できる。国際勝共連合は地方自治体へスパイ防止法実現のための要望・決議を行う戦略によって、〈1984年12月末までに「スパイ防止法制定の意見書」決議を行った県議会は27、市議会1122、町議会983、村議会366、合計2498に達した。1985年後半から反対運動も活発化し、地方議会での反対決議も増えた。〉と「Wikipedia」には出ている。このような攻防を経たものの、スパイ防止法は1985年12月21日の国会閉会に伴い、審議未了廃案となり、安倍内閣下の2013年第185回国会に於いて「特定秘密の保護に関する法律案」(特定秘密保護法案)として提出され、同年12月6日の成立によって国際勝共連合を伴走者とした旧統一教会との二人三脚が実を結ぶことになる。

 そのほかの状況としてアメリカでの脱税によって実刑を受けていたことから日本入国禁止の旧統一教会創始者であり、総裁の文鮮明が上陸特別許可によって1992年3月26日に日本入国、3月31日に金丸信、中曽根康弘と会談している。金丸信は当時自民党副総裁、法務省に対する政治的圧力により入国させたと噂が立ったという。さらに1994年8月には勝共連合幹部の誘いで朴普煕(パク・ポヒ:「世界基督教統一神霊協会」(統一教会)の古参幹部)と中曽根康弘元首相が会談。金丸信が失脚したので、北朝鮮と日本を結ぶパイプ役をお願いしたとされている。

 安倍晋三の2013年の特定秘密保護法案成立を除いた、以上書き出した両者間の親密関係が進行しつつあった情勢下で旧統一教会の名称変更問題が持ち上がった1997年(平成9年)である。旧統一教会が霊感商法や強制入信問題で全国的に有罪判決が出ているにも関わらず、宗教法人審議会が解散請求に向けた議論をしなかったのは旧統一教会と自民党首脳との関係から触らぬ神に祟りなしで自らに縛りを掛けていた可能性を疑うことができる。前川喜平氏自身もそのことを感じ取っていて、名称変更届を受理したなら、事務的に認証処理されてしまうこと、宗教法人審議会が音無しの構えでいる事情も弁えていて、本人が当時できたことは変更届出に門前払いを喰らわすことぐらいだったと考えることもできる。

 しかし最近の旧統一教会に対する最大の協力者であった安倍晋三が名誉の死を遂げた現時点で、旧統一協会の名称変更認証の2015年8月当時の事柄を「申請内容に実態が伴っていない場合は、認証しないという判断をして宗教法人審議会にかける道があったはずだ」と指摘することができたとしても、現実問題として、当時の時点で同じ指摘をしたとしても、宗教法人審議会側が指摘に応じて動くことができたかどうかは疑わしいし、前川喜平氏自身にしても、旧統一教会と自民党首脳との当時の親密な関係を感じ取っていただろうから、同じ指摘ができたかどうかも疑わしい。

 但し宗教法人審議会にかけるか否かの判断材料はあくまでも名称変更届の形式に合わせた記載内容にあるのではなく、変更届に決して現れることはないし、表すことも要求されていない社会的実体の有害性・無害性であって、初期的には有害性・無害性如何に判定を下すのは裁判所である。そしてその判定にどう対応するかが第一義的には宗教法人審議会自身の問題となる。対応次第で不作為の誹りを受けるのは文化庁宗務課ではなく、宗教法人審議会自身でなければ、その存在意義を疑われることになる。

 このように見てくると、当然、現文科大臣の末松信介の記者会見発言、「申請の内容が要件を備えていることを確認して認証を決定したと認識していて宗教法人審議会にかける案件ではなかった」は事実誤認そのもので、形式的な要件を供えていなければ、宗務課が変更届を出し直させるだけのことで、名称変更届の形式的要件の具備・不備という点に限って言うと、宗教法人審議会の与り知らないことであろう。

 与り知らなければならなかったことは名称変更によって社会的実体の有害性の点がどのような影響を受けるか、受けないか、想定することであろう。前川喜平氏の「当時、『世界基督教統一神霊教会』という名前で活動し、その名前で信者獲得し、その名前で社会的な存在が認知され、訴訟の当事者にもなっていた。その名前を安易に変えることはできない」との指摘に直接関係する事柄である。尤も裁判所の判決によって社会的実体の有害性が既に明らかになっているにも関わらず、旧統一教会の自民党上層部との関係の深さから自らに自己規制の縛りを掛けて、我関知せずの態度を取っていたとしたなら、名称変更によって社会が受ける影響そのものを考えることはあっても、縛りは縛りとして、旧統一教会の社会に対する影響を阻止する、自分たちのできる行動に出ることはなかっただろう。

 橋下徹が2022年8月7日のテレビ番組で前川喜平氏の、いわば門前払いの対応を批判して「きちっとルールが足りないなら、しっかりつくるべき」と発言しているが、「ルール」は既に出来上がっていたのである。断るまでもなく、「宗教法人法第81条解散命令」である。記憶に新たにして貰うために改めてここに記す。

 〈裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。

一 法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。
二 第2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は一年以上にわたつてその目的のための行為をしないこと。〉――

 少々寄り道するが、野党は2022年8月18日の日も文化庁宗務課に対して合同ヒアリングを行っていて、その様子を同日付「asahi.com」記事、「旧統一教会の名称変更、『詐欺的行為』は調査せず 野党に文化庁説明」が次のように伝えている。

 当たり前のことを最初に断っておくが、いくつかの地方自治体に跨って宗教団体として活動していることから文科省所轄となっている旧統一協会を対象としたヒヤリングである。

 〈文化庁宗務課の担当者は宗教法人法の審査基準について説明。宗教法人として新しく認証する場合は「布教方法に社会的に相当と認められる範囲を逸脱した詐欺的、脅迫的手段を用いていないかの調査を行う」と定められている一方、名称を含む変更の場合は「宗教法人法の根拠となる条文が違う」として、詐欺的な行為をしているかの確認などは求められていない現状を明らかにした。〉

 立憲民主党参院議員小西洋之「設立の時に調査を行うと定められているなら、名称変更の際にも調査を行う必要があったのでは」

 文化庁の担当者「基本的に設立の時に宗教団体性を認めて認証しているということ」
 
 〈当時の名称変更の経緯や関係書類については「確認を進めている」と答えた〉――

 文化庁宗務課の担当者は宗教法人設立認証のケースと認証後の名称等変更認証のケースを分けて、前者の場合は「布教方法に社会的に相当と認められる範囲を逸脱した詐欺的、脅迫的手段を用いていないかの調査を行う」こととしているが、後者の場合はそのような調査は求められていないと説明したことになる。となると、宗教法人の資格を一旦与えられたなら、以後、如何ような犯罪集団に豹変しようともお構いなしだということになる。事実そのとおりのことになっている。

 何よりも問題なのは文化庁宗務課が説明した宗教法人として新しく認証する場合の審査基準にかかる規定は宗教法人法のどこを探しても見当たらない。「宗教法人法第2章第13条 設立 設立の手続き」は主として宗教団体としての体裁を成しているかどうかの審査を行うに過ぎない。上記文言をネットで検索、「愛媛県宗教法人規則認証審査基準(平成13年1月25日制定)」の中に、〈宗教法人法(昭和26法律第126号。以下「法」という。)に基づく規則、規則の変更、合併及び任意の解散の認証に関する審査にあたっては、法の規定の外、特に以下の点に留意して行うものとする。〉との決め事の中に存在する。

 「規則、規則の変更、合併及び任意の解散」の認証審査は「法の規定の外」、いわば宗教法人法以外に、つまり宗教法人法には規定はないがの断りで独自の留意事項を設けている。もし実際に宗教法人法に同様の規定が設けられていたなら、「法の規定の外」の断りは必要とせず、「法の規定を厳格に守って」等の表現になったはずである。ここでは上記文化庁担当者の発言に添った基準のみを取り上げる。文飾は当方。

 〈3 当該団体について、法令に違反し、公共の福祉を害する行為を行っていると疑われる場合には、以下の点に特に留意しつつ、その疑いを解明するための調査を行う。

(1)布教方法に、社会的に相当と認められる範囲を逸脱詐欺的、脅迫的手段を用いていないか。
(2)暴力的行為、反社会的な活動又は公序良俗に反する行為を行っていないか。

 同様の文言は、「新潟県 宗教法人の認証に関する審査基準(留意事項)」にも示されている。

 〈宗教法人法(以下「法」という。)に基づく規則、規則の変更、合併及び任意解散の認証に関する審査に当たっては、法の規定の外、特に以下の点に留意して行うものとする。〉

 〈申請団体について、法令に違反し、公共の福祉を害する行為を行っていると疑われる場合には、次の点に特に留意しつつ、その疑いを解明するための調査を行う。
 ア 布教方法について
   布教方法に、社会的に相当と認められる範囲を逸脱した詐欺的、脅迫的手段を用いていないか。
 イ 活動内容について
   暴力的行為、反社会的な活動又は公序良俗に反する活動を行っていないか。

 新潟県の場合は「平成6年10月1日制定」で、「平成9年5月15日一部改正」となっていて、愛媛県と制定年月日が異なっていることから宗教法人法の規定以外に各自治体が独自に決めた審査基準であることが分かる。但し右へ倣えの形式を踏んでいるが、自治体ごとに違いがあっては困るからだろう。

 「Wikipedia 世界平和統一家庭連合」の項目に、〈1964年には東京都知事の認証で宗教法人となった。〉と出ているが、「東京都 宗教法人の認証に関する審査基準(留意事項)」なるものが存在するのではないかと思ってネットで探してみたが、見つけることはできなかった。国や自治体の規則や慣習の右へ倣えの慣例からすると、国を除いた自治体の場合は首都東京が先例となるケースが多いが、旧統一教会宗教法人認証の1964年は昭和39年で、その際に"詐欺的、脅迫的"云々
の認証審査基準が存在していたとしたら、一方の新潟県と愛媛県の「審査基準」が平成に入ってからというのは遅すぎることになる。「詐欺的、脅迫的手段」云々の基準は設けられていなくてフリーパスだったか、あるいは宗教法人資格認証時は“詐欺的、脅迫的”云々の"体"をなすに至っていなかったどちらかと考えられる。

 愛媛県と新潟県の両自治体の宗教法人に対する審査は「規則」――いわば新規設立関わる「規則」を対象としているだけではなく、名称変更を含めた「規則の変更」をも対象とした “詐欺的、脅迫的”云々であり、あるいは “暴力的、反社会的”云々だが、これに対して文化庁担当者が野党合同ヒアリングで自治体独自の審査基準を持ち出して新規認証の場合のみ社会的実体の有害性の有無を調査をするが、名称変更の認証については宗教法人法はそのような扱いとはなってはいないと説明したことは自治体独自の審査基準と宗教法人法のうち、自分たちに都合のよいいいところ取りをして、旧統一教会の名称変更を形式的要件のみで認証したことの正当性を謀りつつ、その認証が法律どおりであっても、実質的には社会的実体の有害性("詐欺的、脅迫的"等々)を不問に付して認証したことになる仕掛けを隠蔽する働きをしていることになるのだから、この巧妙性・狡猾性はさすがと言わざるを得ない。

 立憲民主党の小西洋之は文化庁担当者の前記発言を受けて、宗教法人法の何条に「詐欺的」云々といった規定が設けられているのか聞くべきだった。聞かなかったのは旧統一教会問題に取り組んでいながら、「宗教法人法」を勉強していないからだろう。「設立の時に調査を行うと定められているなら、名称変更の際にも調査を行う必要があったのでは」の小西洋之の発言そのものが宗教法人法に疎いことを示しているが、小西の発言に対する文化庁担当者の発言「基本的に設立の時に宗教団体性を認めて認証しているということ」と言っていることは前に触れたように宗教法人法によって宗教法人としての地位と身分を認められていることのみを前提として対応する法解釈となっているから、以後の団体の何らかの変更を申請する届出が形式上の要件に適っているかどうかだけを見ることになっている。

 自治体独自の「宗教法人規則認証審査基準」にしても、何らかの宗教団体が宗教法人としての新規設立認証を受ける場合は「詐欺的、脅迫的手段」、その他の方法を用いた布教活動を行っている事実を調査されたら困るのを承知で認証申請するという手順よりも、最初に法人の資格を取ってから、徐々に金儲けに走るといった手順を取るのが一般的だろうから、どれ程の効果があるか疑わしい。勿論、悪徳宗教法人は規則の変更を迫られた場合は審査基準に引っかかることになるが、それを避けるためにどのような変更もしないで済ませるか、代表者の死亡等による変更等の届を申請する必要に迫られた場合、新たな宗教団体を立ち上げて、設立要件となる3年間の活動後に宗教法人としての新規申請に持っていって、宗教法人資格を得たのちに実質的には悪徳宗教団体を引き継ぐという手段も残されている。

 やはり最終的に鍵を握るのは「宗教法人法」「第81条 解散命令」であろう。宗教法人審議会がこの条項を旧統一教会のいくつもある違法とする裁判判決を前にして教会と自民党上層部との関係を考慮して自らに縛りをかけ、空文化させていたのか、させていなかったの、その白黒を求め、前者・後者いずれであっても、解散命令を裁判所に請求しなかったことの正当性ある根拠を提示させるところから始めなければならない。

 安倍晋三やその側近の立場への気兼ねから、あるいは忖度から解散請求を控え、音無しの構えを守り通していたことが万が一にでも判明したなら、宗教法人審議会は裁判所に対して解散を請求する手立てを構築しなければならなくなるが、旧統一協会が特に自民党政治家に対して選挙での利害関係の点で深く食い込んでいた状況を利用、宗教法人審議会の解散請求の動きを妨害する目的で彼ら自民党政治家を外堀に仕立ててそこから攻める一手として握っている秘密を暴露する報復戦術をチラつかせた場合、選挙でお世話になった多くの有力議員は自己規制を働かせて、宗教法人審議会のメンバーに圧力を掛けない保証はない。

 ここで出番は正義の味方、正義の弁護士橋下徹となる。旧統一協会が文化庁宗務課に名称変更の相談をした際、前川喜平氏がいわば門前払いにした措置を「前川さんの胸突き三寸で勝手に拒否してはいけない」と批判、違法性ある行為だと断じた手前、自身に縁のある日本維新の会に依頼、宗教法人審議会に対して裁判所の旧統一協会を被告とした各種有罪判決を社会的実体の有害性の観点から捉えるべきなのか、捉えるべきでないのか、前者なら、解散に値するのか、値しないのかを審議するよう求めて、国民の納得を得ることができるいずれかの決着に持っていくべきだろう。

 但し日本維新の会も所属議員13人が旧統一教会と関りがあったことを調査・公表した。今回の新代表戦に立候補した馬場伸幸(2022年8月28日投票の結果、新代表に選出)も足立康史も仲間に入っている。幹事長の藤田文武も連座している。旧統一協会が秘密暴露報復戦術を日本維新の会にも向けとしたら、自らも大きな傷を負うことを覚悟で解散実現へと向けて敢然として立ち向かうことができるかどうかである。

 橋下徹の、少々言葉が軽いところがあるが、持ち前の断固とした正義感は口先だけではないはずだから、その点に期待する以外にない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少子化対策は小中高大学教育費完全無償化によって出産を人への投資とし、考える教育の導入を生産性向上への投資とし・・・

2022-07-31 05:32:39 | 政治
  少子化対策は小中高大学教育費完全無償化によって出産を人への投資とし、考える教育の導入を生産性向上への投資とし、両投資によってGDP上昇の要因として税収増に持っていき、生涯健康履歴導入によって社会保障医療・介護給付費の抑制要因とし、両要因から予算を圧縮、この分と税収増を教育費無償化財源に回す

 2022年7月10日投開票参院選挙は選挙区と比例代表を合わせて自民党改選55に対して当選63の+8。立憲民主党改選23に対して当選17議席の-6、日本維新の会改選6に対して当選12の+6、国民民主改選7に対して当選5議席-2、共産改選6に対して当選4の-2、れいわ改選0議席に対して当選3の+3、その他で終わった。立憲民主党は野党第1党として次の衆院選で政権交代に近づくキッカケになるどころか、国民の自民党の政権担当能力への信頼・期待をまざまざと見せつけられることになった。選挙争点は「社会保障」、「経済・財政」、「外交・安全保障」、「子育て・教育」、「憲法改正」等々であった。

 6月22日公示後の7月に入った第1日曜日の2022年7月3日、NHK「日曜討論」は『参院選最終盤へ 党首に問う』と題して、「長引くウクライナ危機への対応は?」、「物価高騰の中で賃上げの実現は?」、「少子化対策・社会保障は?」、「憲法改正をめぐる議論は?」をテーマに9党首が議論を戦わせた。

 出演者は自民党総裁岸田文雄/立憲民主党の泉健太/公明党代表山口那津男/日本維新の会松井一郎/国民民主党玉木雄一郎/日本共産党志位和夫/れいわ新選組山本太郎
 社民党福島瑞穂/NHK党立花孝志

 番組からは生活の直接的な支えとなる「物価高騰の中で賃上げの実現は?」と「少子化対策・社会保障は?」の2テーマを巡る議論を文字起こしして取り上げてみることにする。各党首政策議論からその実現して欲しい政策を見て欲しい。知らない用語についてはネットで調べて、注釈をつけた。

 《2022年7月3日NHK「日曜討論」『参院選最終盤へ 党首に問う』》

 「物価高騰の中で賃上げの実現は?」

 キャスター伊藤「今回の選挙では物価高騰が続く中、賃上げを実現できるかも焦点の一つになっております」

 キャスター星麻琴「日本の賃金の伸び率は低い水準で続いてきました。1人あたりの実質賃金の伸び率を見てみると、1991年を100とした場合、2019年は105とこの30年、ほかの欧米の先進国と比べて伸び悩んでいます。

 今年の春闘には大手企業が回答した月額賃金の引き上げが平均で7430円、全体の賃上げ率は2,27%と2年ぶりに2%台に回復しました。ただ資金繰りが厳しい中小企業では賃上げに踏み切れないところも少なくはなく、業種によるばらつきも指摘されています。

 泉さん、賃上げ実現の具体策はどう考えますか?」

 (テロップ
  大手企業81社の回答
  月額賃金引上げ額 平均7430円
  賃上げ率      2.27%
  → 2年ぶりに2%台回復)  

 泉健太「先ず今回の参院選挙争点は、最大争点は物価高であります。特にこの円安が進み、さらに物価高が速いスピードになっているし、長期化が予想されるわけですね。我々立憲民主党はいま小麦の価格の引き下げと消費税の引き下げ、また年金の追加給付、これは絶対やるべきだと言うことを我々は訴えております。

 その上でですね、この物価に負けない賃金にしていくということで立憲民主党は二つ訴えていますけども、一つは非正規雇用の方は正規雇用化するということですね。4千万人おられるけど、みながみな希望する非正規ではないわけでありますので、希望する方を正規雇用に変えていけるようにしていくこと。そして最低賃金ですね、1500円を目指して政府のこれまでやってきた最賃以上にですね、引上げをやはりスピードを上げて行くと。そういう中で中小企業の支援を伴ったこの最賃の引上げをすることによってよりよく消費のカネが回っていくと思います。

 例えばこの消費税の引下げを含めた、このみなさんの可処分所得を増やす方向と賃上げのセットでやっていくべきだと思っています」

 キャスター伊藤「岸田さんはこの賃上げの具体策、これはどう考えていますか」

 岸田文雄「賃上げについては昨年度から持続的な経済を実現するためにも重要であるということで取り組みを続けてきました。先ず政府が呼び水となる政策を用意しなければならないということで賃上げ税制、そして看護、介護、保育といった公的に決まる賃金の引上げ、さらに公的調達や補助金に於ける賃金の引上げに積極的な企業などへの優遇など、呼び水となる政策を用意し、それを民間に広げていく。こうした取り組みを進めてきました。

 先程、今年の春闘についても紹介がありましたが、コロナの影響を受けなかった企業は3%以上、平均でも2%以上、賃上げの水準を示す。20年振り返っても2番目に高い水準、夏のボーナスも平均で2.6万円、引上げの目処が立った。こうした流れができてきました。そして最低賃金、1000円以上目指すなど、政府としまして持続的な賃上げの流れを維持していきたいと思います」

 (「賃上げ税制」:(賃上げ促進税制)〈資本金1億円超の企業や中小企業が従業員への給与支払額を前年度より一定以上増加させた場合、その増加額の一部を法人税から(個人事業主は所得税から)税額控除を受けることができる制度〉)

 「公的調達」:〈政府が物やサービスを民間から購入すること、行政サービスの全部と公共サービスの多くの部分が公共調達の対象。〉)


 キャスター伊藤「松井さんは賃上げへの具体策、、どう考えていますか」

 松井一郎「賃上げが上がっている先進国は様々な規制改革、緩和をしながら、新しい産業をつくっていきます。そこで雇用が生まれることで賃金が上昇をしていきます。日本はこの3年間は賃金が上がらないのはやはり規制の中で新しい分野のビジネスのチャンスがないわけです。だから、その規制改革で新しい分野のビジネスチャンスをつくっていく。雇用を増やすことで、賃金を挙げていく。これはイギリスもアメリカもそういう形でやってきたわけですから、そういう形で今大阪では今、色々と規制緩和して頂いて、スーパーシテイ構想というものを政府に決めていただきました。

 新しい分野のビジネスチャンスを生み出すチャンスを頂きました。そういう形でしっかりと実現をしていくと。それで賃金を上げていきたいと思います」

 (「スーパーシテイ構想」:〈(内閣府)「スーパーシティ構想の概要」住⺠が参画し、住⺠目線で、2030年頃に実現される未来社会を先行実現することを目指す。

【ポイント】①生活全般にまたがる複数分野の先端的サービスの提供(AIやビッグデータなど先端技術を活用し、行政手続、移動、医療、教育など幅広い分野で利便性を向上。)②複数分野間でのデータ連携(複数分野の先端的サービス実現のため、「データ連携基盤」を通じて、様々なデータを連携・共有。)③大胆な規制改革(先端的サービスを実現するための規制改革を同時・一体的・包括的に推進。)〉


 キャスター伊藤「山本さんは賃金引き上げの具体策、どうでしょうか」

 山本太郎「みなさん、物価が上がっているだけで苦しんでいるわけじゃないんですよ。先進国で唯一25年間不況が続く国が日本なんですね。そこへコロナがやってきて、戦争も加わって、物価上昇なんです。いわゆる三重苦なんです。その物価上昇が与える影響っていうのは新たな消費税が3%増税するくらいのインパクトでやってくると。

 これ、節電ポイント2000円でどうにかなるもんではないんですよ。国民を舐めないで頂きたい。消費税の減税ぐらいしないと、これ不況深まって中小零細、倒れますよ。生活者さらに圧迫されますよ。消費税廃止以外ありません。消費税廃止になれば、毎日が10%オフです。1人当り平均年収が上がります。これは参議院の試算です。定量収入者の消費税廃止後の5年後には1人当りの平均年収は30万円上がる。10年後には58万円上がる。

 それはそうです。消費に対する罰金をやめれば、当然、消費も、そして投資も、そして様々なものが喚起されていくと。ただただ物価を下げる。25年の不況から脱出する。これで賃金に導く。これ消費税廃止、やって頂きたいと思います。というよりも、私達にやらせて頂きたい」

 キャスター伊藤「岸田総理に伺います。消費税率の引下げが必要ではないかという、これに対してどう思いますか」

 岸田文雄「これはもう、政策の選択の問題だと思ってます。政府としては消費税の引下げは考えていないということです。社会保障の重要な財源であるという点、また消費税の引下げ、これに機能的に対応するためにはなかなか難しいのではないのかと。
 
 この物価との関係で仰る方もおられますが、これ、じゃあシステムの変更を考えましたときにいつから消費税を下げるのでしょうか。これは多くの党は来年4月から引き下げると言っておられる党も多いと思っています。やはり物価対策、物価の高騰を考えますと、来年の4月まで何もしないというわけにはいかない。それよりもエネルギーや食料品など、効果的な対策をしっかりと用意していきたい。これが政府の考え方です」

 キャスター伊藤「公明党の山口さん、伺います。賃上げの具体策はどうでしょうか」

 山口那津男「物価高に対しては現金給付や物価抑制策、これは地方自治体の活動も含めてやるべきだと思います。また持続的な賃金上昇の流れを産み出していくことが重要です。総理が色々と仰ったことに加えて、自発的に賃金の高いところにキャリアアップしていこうと、そういう学び直しなど支援していくことが大事だと思います。

 これと学者やエコノミストなど、政労使の合意の前提のもとにですね、中立的な第三者委員会をつくって、あるべき賃金の水準、目安、これを客観的データーに基づいて示していく。これがリード役として賃金上昇の流れをつくり出す。これが大事なことだと思います」

 キャスター伊藤「NHK党の立花さん、立花さんは賃金引き上げの具体策をどう思いますか」

 立花孝志「もともと賃金を引き上げる必要はないと思っています。政府全員が賃金を引き上げるなんて言うことは必要なくて、政府の世界でやならなくてはいけないのはセーフティネット、分かりやすく言うと、生活保障の、この最低のセーフティネットのラインを水準を上げることです。今、15万円ぐらいですけども、できれば25万円ぐらい、年収にして300万円。少なくとも20万円ぐらい、年収240万円ぐらいのセーフティネットがあれば、国民は安心して仕事ができるし、もし失業しても、生きていける。

 この、まあ、政府は最初のこのセーフティネットが非常に、そこに行っても大丈夫だという安心感を提供することによって自分がやりたい仕事を、好きな仕事を頑張ってやることができる。もっともっとサラリーマンを増やすんじゃなくて、独立して事業をしていく人を増やしていく。これが非常に重要で、もう年功序列や終身雇用を廃止して、労働力の流動化を図っていく時代に来ていると考えております」

 ――(中略)――

 「少子化問題」

 キャスター星麻琴「出生数は2021年81万人余りと(テロップ、81万1604人)前の年に比べて2万9千人以上減少(テロップ、過去最小)、統計を取り始めて以降、最も少なくなりました。また一人の女性が産む子どもの数の指標となる出生率も1.30と6年連続で前の年を下回りました。こうした中で政府は来年4月に子ども政策の司令塔となる子ども家庭庁を設置し、政策の充実を図るとしています。

 岸田総理大臣は子ども政策に関する予算について将来的には倍増を目指すとしています。ただ大きな課題となってくるのが国の予算で最も大きな割合を占める社会保障との関係であります。高齢化が進む中、医療や年金、そして介護などに支払われる社会保障の給付費が増え続けています。昨年度は12兆円(テロップ12兆1000億円)を超え、2030年におよそ2.7倍となっています」

 キャスター伊藤「各党、このたび選挙戦、各党共子ども・子育て、あるいは教育の政策の充実を掲げています。公明党山口さんに伺いたいと思いますが、これ、予算編成、社会保障との関係も含めて、では、どう実現していくのか、その道筋はどうでしょうか」
 
 山口那津男「ここは財源をどうやっていくか、その歳入改革や効率化を進める。歳入を見直して、財源を生み出す。いずれも必要だとこのように思います。特にこの、今、机上の政策の効果や優先順位、これをしっかりと見直して財源を生み出すということも重要だと思っています。それから経済成長による税収増、これを進めていくということも重要だと思います。

 そうした中で子育て応援トータル支援を公明党は年末までにはっきりとさせたいと思っています。様々な具体策についてこれを優先順位を決めながら、一つ一つ財源を確保しながら進めていきたいとこのように思います」

 キャスター伊藤「立憲民主党泉さん、泉さんも子どもへの予算を充実させるということを仰ってるわけですが、社会保障との関係を含めて、どう実現の道筋を描いているのか伺います」

 泉健太「先ず社会保障ということで言うと岸総理に伺いたいのは茂木幹事長が言ったですね、消費税を下げた場合に年金をさらにカットするというのは自民党の政策なのかどうか、はっきりとさせて頂きたい。そして先程子ども家庭庁の話があったんですね。子育て政策を充実させると言っていながら、今年の10月から所得制限を付けて、61万人の子どもの児童手当がをなくすわけですね。これムチャクチャに逆行していると思うですよね。この所得制限、撤廃すべきだと思います。

 そこからさらに言うと、法人税が今年の最高の税収だったと。去年ですね、と言うことですけども、これは恐らく本来の法人税の税率、今より高いものであれば、もっと膨らんでいた。ですから、社会保障は全て消費税というふうに言ってきていますけども、他の税収からも社会保障に当てていいと思います。そういった意味ではもっと増やす余地があると思いますので、是非、本当の意味で子ども中心の政策に変えていくべきだと思います」

 キャスター伊藤「自民党岸田さん、今指摘の社会保障減らしていいのかどうかということについて、この点どうなんでしょうか」
  
 岸田文雄「茂木幹事長の発言は消費税は社会保障の安定財源として位置づけられている。そして消費税を例えば5%引下げた場合、約13兆円の財源が減るわけですが、これは社会保障費、年金を含む社会保障費45兆円の約3割に当たり、あるいは年金財源は保険料と公費ありますが、これを併せると、54兆円ですから、その13兆円、3割弱に当たる。こうした実情を説明した、そういった発言であったと理解しています」

 キャスター伊藤「泉さん、どうですか」

 泉健太「まあ、恐らく考え方がそういう結びつき方になるんだなあと。防衛費の方が増えるときにですね、何も結び付けないけれども、消費税を下げるということについては年金と結びつけて防ごうとする。ただ、実はですね、ただ消費税は下げると、経済がそんだけ回るわけですね。あるエコノミストの調査では1兆円消費税を下げると、5600億円のGDPの底上げ効果がある、消費が進みますからね。ある意味、こういったことが税収というのはさらに上がっていくというところが言えると思います」

 キャスター伊藤「松井さんはですね、社会保障との関係も含めてですね、こうした子ども・教育費の予算、どうして増やしていくのか、道筋はどうでしょうか」

  松井一郎「社会保障制度については我々は今回の選挙で昭和の時代の構造改革、令和の新たな形に創り変える気持ちで社会保障の今の制度、それは人口が増えていく、そして平均寿命が今程長くない時代に創られた制度ですから、若い世代で高齢者の年金を支えていく、無理があるんです、これは。ですから、抜本的にこれを見直していく。我々は前回の衆議院の選挙のとき言いましたけども、高齢者の方々でも所得が現役世代並みにある方が、これは逆に支える側を一緒に担って貰わなければ、若い人に全てツケを回したんではこれはもう成り立ちません。社会保障制度というのは抜本的に見直していくべきだと、こう思っています。

 教育無償化は少子化対策に直結する課題であります。これは先ずは我々大阪ではわたくし私立高校、幼児教育というものをやってきましたけども、まずは教育予算をしっかりと増やして、日本を子育てしやすい環境につくっていくというのが一番重要です」

 キャスター伊藤「NHK党立花さん。子ども・子育て、教育予算、これをどう実現させるのか、具体策をお願いします」

 立花孝志「先ず、子どもを増やせばいいというものじゃなくてですね、子どもの質の問題です。ここはいわゆる賢い親の子どもをしっかりと産んでいく。サラブレッドでもそうです。早い馬の子どもは早い。プロ野球選手の子どもも、普通、プロ野球はうまいです。我々NHK党としては先ず子どもを産んだ女性に、これ第1子だけです、1千万円を支給する。そしていわゆる社会でバリバリ働いて納税されている一旦仕事を休んで頂いて、そして出産・育児に専念して頂く。社会保障というのは結局は質の悪い子を増やしてはだめです。将来納税してくれる優秀な子どもをたくさん増やしていくことが国力の低下を防ぐ。最終的には弱者を守れるというふうに考えております。

 また社会保障の問題で一番大事な我々NHK党の公約はやはり年金生活者の受信料は無料にする。こういったところからは始めていきたいと考えております」

 キャスター星麻琴「れいわ山本さんは子ども政策と社会保障のバランス、財源も含めてどう考えますか」

 山本太郎「少子化が問題だと言われますけども、これ警鐘が鳴らされたのはいつだと思いますか。1970年代なんですよ。これ大阪万博の頃からずうっと。総理は今になって国難だ言い出している。ってことは、自民党に政権能力がこれまでなかったってことの現れなんです。少子化を、今になって少子化(解消)を実現するというのはやらなければならないことは数々あります。

 例えば出産費用、国が全面面倒を見るのは当然です。児童手当も所得制限なく、これは毎月3万円上げていく。18歳まで。これを払っていく。大学院卒業まで教育費を無料にする。そして国がやっているサラ金、奨学金、550万人が苦しめられています。これを奨学金徳政令でチャラにする。既にアメリカでは一分チャラになっていますよね。

 で、財源なんですけど、日本には通貨発行権があります。アメリカではコロナ禍では800兆円もの通貨発行をすることに決めた。日本に於いては1年間の予算に加えて、もう100兆円の通貨発行を数年続けるだけで安定的にやっていけるというのは間違いございまん。破綻するんだったら、2020年に120兆円近く通貨発行やっているときに破綻しているはずです。何も起こっていません。投資をしなければ、リターンさえない。今やらなければ、いつやるのですか」

 キャスター伊藤「国民民主党玉木さんに伺います。玉木さんはですね、子ども政策と社会保障のバランス、そして財源が増えてということになるのですが、どこかに皺寄せがいかないのか、これどうなんでしょうか」

 玉木雄一郎「ハイ、実は結婚したカップルから生まれる子どもの数はあまり変わっていないんですね。むしろ結婚できない、しない、こういう若い人が増えている。その大きな理由の一つはさっき出た給料が上がらないからなんです。やっぱ経済をよくしていく。そのために積極財政に転換するということは私は大事で、ケチケチせずに出すところは出すべきで、どこに出すかと言うと、まさに子どもたちのところに出していくべきです。教育や人づくりや科学技術にですね。

 で、これから2042年までに高齢者人口増え続けますから、他を削って財源出していくのはもう無理。ですから、この議論30年やってきたから、だから、私達は教育国債って言うですね、新しい人的資本形成が行われるような国債を財政を改正してやるべきだということを提案しています。

 今、公共事業のところは建設国債を発行しておりますけども、むしろ人的資本、人を育むところには国債発行して出していく。社会保障には税財源、保険料をきちんと当てる。こういう分類が大事だと思います」

 キャスター伊藤「岸田さんに伺います。一つはですね、社会保障を考えるときにバランスですね、お年寄りから子育て世代にシフトしていくってことになると、どこかで負担をお年寄りに求めるようなことになるのかどうか、この辺りはどうでしょうか」
  
 岸田文雄「社会保障の持続可能性を考えた場合に政府としては全世代型の社会保障という名前を使っておりますが、従来の負担するのが現役で、それを受けるのは高齢者というような社会保障ではなくして、能力ある人には支え手側に回って貰う。こうした制度を創っていくべきであるということで、様々な取り組みを進めています。年齢に関わらず能力ある方々にはできるだけ社会保障の支え手に回って貰う。こういった全世代型の社会保障を創ることによって持続可能な社会保障制度を維持していく、創っていく。こうした取組みを是非進めていきたいと思っています」

 キャスター伊藤「日本維新の会の松井さんに伺います。松井さん、ベーシックインカムという考え方に言及されているわけですが、この財源も含めて、実行可能なんですか」

 松井一郎「これ最低生活保障の話ですから、今、岸田総理が言われたようにベーシックインカムで最低保障するけれども、その後事業に成功した方々、その方々はのちに税金として収めて頂きます。我々は試算するところでいくと、30兆円程度でこのベーシックインカム制度というのはやれるのではないかと。これは本気でやるんであるなら、厚労省、財務省の役人フル回転させて先ず社会保障制度全体を変えることですから、これ十分可能な話だと思っています。ですから、今年令を問わず、十分、人生に於いて成功されて所得のある方、この方々はやっぱり支えて貰う側に回って頂きたいいうことです。

 まあ、あの、大体、我々年金頂いておりませんけど、岸田総理ももうすぐ頂くようになる。岸田総理に年金必要じゃないんじゃないですかね。そういう形でしっかり支えて頂く側に回って頂くということが僕は重要だと思います」

 キャスター伊藤「立憲民主党泉さん。泉さんは社会保障のバランス・維持ですね、それは如何ですか」
  
 泉健太「今程総理がですね、能力ある人には負担をして頂くような話をされた。その考え方であるならば、金融所得課税は本当にどこに行ったんだと、話なんですよ。やはり取れるところとよく言われるんですけども、1億円の壁とかですね、やはり年収1億円の方々が税負担が低くなっているということは総裁選でも問題になったのですから、まさに立憲民主党が言ってますけども、所得税の累進性ですとか、あるいは金融所得課税、実は与党の側はあまり増税についてどこも触れられていないと私は思うのですけども、ここははっきりとちゃんと進めていくべきだと思います」

 キャスター伊藤「金融所得課税、増税の部分ですけども、これはどう考えていますか」

 岸田文雄「これは先程社会保障の議論がありました。そして金融所得課税については格差の問題、この問題で私は取り上げてきました。そして格差の問題については人への投資を充実させなければいけないということで優先順位を付けて政策を進めてきました。取るというよりは先ずしっかりと配るところから初めなければいけない。賃上げ税制等から始めた、それが政策の順番でありました。金融所得課税についても引き続き与党でも議論を続けております。是非、全体の賃上げの状況、格差の状況、人への投資への状況を見ながら、政策の優先順位を考えていきたいと思っています」

 キャスター伊藤「社民党の福島さん、福島さんはこの社会保障のバランス・財源、どう考えますか」
  
 福島瑞穂「もうさっき申し上げたように公平な税制の実現で富裕層には法人税上げる。あるいは内部留保の課税もあります。少子化、少子化と言うけれども、少子化は政治がつくってきたと思います。新自由主義、大企業が潤えば、全てうまくいく、未だにカネだけ、自分だけをやってきて、雇用を殺して、そして教育も、自己責任でやってきて、なかなか保育が充実しない中で子供を持って、育てようと人が思えないわけですよ。

 ですから、この新自由主義を転換しない限り、持続可能な社会はできないし、ジェンダー平等の社会は起きません。ですから、雇用で非正規雇用を使い捨てしないということ。2つ目は教育予算ですよね。なぜ社会保障とそれから教育予算を対立させられるのか。防衛予算11兆円というじゃないですか。大学の授業料を入学金無料ですと3兆円です。子どもの給食の無償化、4100億円です。それ、やればいいじゃないですか。

 またケア労働、保育士さんや看護師さんや、そういう人達のケアを柱に据えた政策、男性の長時間労働も規制すべきだと思います」

 キャスター伊藤「共産党の志位さん。志位さんは社会保障と財源、どうでしょうか」

 志位和夫「日本共産党は消費税減税、社会保障、子育て、あらゆる公約を19兆円の財源とセットで提案しています。その柱に据えているのが富裕層と大企業に対する応分の負担を求める税制改革です。岸田さんは先送りの態度をまた言いましたけども、所得を1億円超えると税負担が減ってしまう1億円の壁、これを是正するための金融所得課税、今すぐ見直しに取り組むべきです。

 それから大企業が中小企業に比べて法人税の実質の負担率が低いと。この不公平を正すために研究開発減税なども大企業優遇の税制をなくすと。あるいは安倍政治は23%まで下げてしまった法人税を28に戻すと。バイデン政権も28、言ってますから、日米協調に戻すと。こういう税制改革をやると。

 最後に一つ言いたいのは自民党は軍事費をGDP比2%と言いながら、その財源をどうするのか、一切明らかにしていない。隠したままです。これ一番無責任だと。私はですね、政策と財源はセットで公約する。民主政治の基本だと言いたいと思います」

 キャスター伊藤「公明党山口さんに伺います。山口さん、この金融所得課税であるとか、(?)課税であるとか、あるいは富裕層からの課税ですね、これについては公明党はどういう立場なんでしょう」

  山口那津男「これは中長期的な観点で検討をしていくことは必要だと思っています。ただ市場に対する影響とかということがありますから、ここは十分慎重にやっていく必要があると思います。また民間企業なども含めてこの社会参加者全体で負担の分かち合いを強力に求め、例えば育児休業給付企業負担に依存しているところもあります。様々な歳入歳出、そして民間、これ公平な分かち合い、ここをもっと深めていくことが必要であります」
  
 キャスター伊藤「自民党岸田さんに伺います。一方では財政健全化、これをどう実現させていくのか、この道筋・目標はどうでしょうか」

 岸田文雄「財政健全化の旗は降ろすことはしません。そして経済あっての財政だということで、経済成長、経済再生、これに先ず専念しなければいけないと思います。そして併せて先程来議論がありましたけど、様々な政策課題にしっかり取り組んでいかなければならない。しかしこうした目の前の課題に対応することと中長期的な財政再建の歩み、これは決して矛盾するものではないと思います。こうした財政再建の中長期的な目標もしっかりと掲げながら、目標は国際社会、あるいは市場からの日本の国の信頼、これをしっかり維持することができるかどうかはこれであると思っています。

 そういった観点から目の前の課題の取り組みと中長期的な財政再建の旗、これはしっかり両立させていきたいと思っています」

 キャスター伊藤「立憲民主党、泉さんに伺います。さまざまな財政論ありますけども、一方でかつてのように税と社会保障の一体改革のように与野党の枠を超えて議論の枠組み、この必要性についてはどうですか」
  
 泉健太「これは絶対必要だと思います。なかなか一つの政党だけでは国の税制を変えることはできないと思っています。我々は今消費税の引下げを訴えていますから、これは与党にも協力してもらいたいと思っています。この平成のときに30年間でやはり消費税はどんどん増えて、一方では法人税や所得税の税率が下がってきているというところで直間比率が随分逆転していると。

 もう1回見直しする必要があると私は思いますし、先程話しをしましたけども、消費税を引き下げるというのは経済が回っていくことも繋がります。そして全体の税収も上がっていくことにもなっていくことになると思いますし、先程社会保障という文脈で言うと、総理は負担ができる方はと言っていたので、社会保険料のですね、この累進性というのも上げていくことができるんじゃないかと思います。

 そういった形で責任のある、この税収を確保する。あるいは社会保険料の収入を確保していくということはできると思います」

 (「直間比率」:〈税収における直接税と間接税との比率。直接税とは納税者と担税者とが一致する租税(例:所得税)であり、間接税とは納税者と担税者とが一致しない租税(例:消費税〉。)

 キャスター伊藤「岸田さん、各党様々な意見があります。一方で国債のあり方についての議論があるところです。かつての3党合意のようにですね、与野党の枠組みを超えた議論の進め方、これは検討の余地はないんでしょうか」

 岸田文雄「形はともかくとしてこうした財政を始めとする国の根幹、将来にかかることについて党派を超えて意見交換を行う、議論を行う、これは大事なことだと思います。他の論戦の中でも私は様々な指摘を野党の皆さんから頂いて、できるだけそうした意見を取り入れながら、政策を進めていかなければいけない。マスコミの皆さんから優柔不断だとなどということも言われましたが、できるだけ様々な意見について割と私としても謙虚に受け止めながら、政策を考えていく。こうした姿勢は大事にしてきたつもりです。

 これからも形はともかくとしてこうした中長期的な国の根幹に関わる課題については野党の皆さんの意見もしっかりと聞かせて頂きたいと思っています」

 気候変動やエネルギーの問題に移る。

 キャスター星麻琴の母親は元TBSのアナウンサーで、現在はフリーの三雲孝江だとか。TBSを入社試験で落ち、NHK合格という経歴の持ち主だという。星麻琴は「日本の賃金の伸び率は低い水準で続いてきた。1人あたりの実質賃金の伸び率を見てみると、1991年を100とした場合、2019年は105とこの30年、ほかの欧米の先進国と比べて伸び悩んでいる」と紹介。この事実は安倍晋三アベノミクスの偉大な成果の一つと見ることができる。実質賃金指数ではないが、似た傾向の「平均賃金」の画像()を2021年8月30日付「AERA.dot」記事「日本人は韓国人より給料が38万円も安い!低賃金から抜け出せない残念な理由」から載せておいた。「DIAMOND ONLINE」からの引用記事となっている。要するに安倍晋三は「賃上げ、賃上げ」と言い続けたが、口程ではなかった。空念仏に過ぎなかった。

 当該記事に次のような記述がある。〈21世紀に入って日本の賃金はほとんど上昇しなかった。その結果、平均賃金の水準では、G7でイタリアと最下位を争い、2015年には韓国に抜かれ、差が開く一方だ。なぜ賃金が上がらない、安い賃金の国になってしまったのか。その理由を分析する。(ダイヤモンド編集部編集委員 竹田孝洋)
   ・・・・・・
 「昇給なし」は日本とイタリアだけ

 上図の通り、日本の平均賃金は韓国に比べて、3445ドル(約37万9000円)低い。月収ベースで見れば3万1600円ほど低いという計算になる。〉と書いている。

 アベノミクスと銘して経済再生を謳い始めたのは2013年6月14日策定の「日本再興戦略」からで、2020年9月16日辞任まで「経済再生、好循環、好循環」とピーチクパーチクと囀っただけで終わり、国民にこれといった生活上の恩恵をもたらしたわけはないが、それでも第2次安倍政権7年8カ月と長期政権を築くことができたのは国民の多くが「経済再生、好循環、好循環」の見せかけの説得力に化かされたということなのだろう。その結果、2022年7月3日のこの「日曜討論」でも、「賃上げを実現」について議論のテーマにせざるを得なかった。アベノミクスは機能しないまま実質賃金の伸び悩みに足並みを揃えただけで、「30年」に呑み込まれるだけの役しか立たなかった。逆説すると、足並みを揃え、呑み込まれる程度の機能は果たした。

 立憲民主党の泉健太は消費者の可処分所得を増やす方法の一つとして消費税率の引き下げを提案した。対して岸田文雄はれいわ新選組の山本太郎の同様の質問に対してだが、「いつから消費税を下げるのでしょうか。これは多くの党は来年4月から引き下げると言っておられる党も多いと思っています。やはり物価対策、物価の高騰を考えますと、来年の4月まで何もしないというわけにはいかない」と答えている。そして社会保障の財源が減る観点でのみ税率引下げを捉えている。だが、消費税率の引き下げが計画されるだけで消費者マインドに好影響を与えて、引き下げが実施される前から消費を刺激する可能性は否定できない点は無視している。

 但し岸田文雄は「来年の4月まで何もしないというわけにはいかない」と発言している以上、消費税率引き下げ以外の賃金対策を打ち、来年の4月までの以前に賃金が上がる状況をつくり出すと約束したことになる。勿論、現在の物価高に負けない賃上げでなければならない。このことの言質を取っておかなければならないのだが、誰も取らなかった。「来年4月までに賃金をこれはと思う程に上げることができなかった場合は消費税を引き下げるんですね」と迫るべきだった。

 今回の参院選挙中にいずれかの野党は次のような訴えを行ったのだろうか。

「安倍元首相は在職中、選挙で消費税増税の延期を訴えた。我々は延期じゃないんです。安倍首相が増税した現在の税率を下げて、可処分所得を増やし、皆さんの生活がしやすいようにしようと政府に訴えているんです。政府は引下げに反対しています。野党がそれなりの議席を獲得しなければ、我々の主張を政府に飲ませることはできません」

 安倍晋三は2021年10月1日からの消費税8%から10%への引上げを2度延期、合計4年延期して、2回の国政選挙に勝った。だが、野党は消費税率10%から5%への時限的引下げや消費税そのものの廃止を訴えたものの今回の参院選では自民党に破れた。前者の場合はアベノミクス経済政策にこれといった成果はなく(最後まで成果はなかったのだが)、一般生活者は円安物価高を受けて実質賃金が上がらない苦しい生活を送ることになり、後者の場合は同じく賃金が上がらない上にさらなる円安による物価高とロシアウクライナ侵略による物価高という二重の物価高を受けてなお苦しい生活状況にありながら、消費税率引下げの訴えが何の効果もなく、選挙の結果が両極端に分かれた原因を検証しなければならない。

 結局のところ主だった野党が、来年4月からのことだが、消費税率を下げて(れいわ新選組は廃止)可処分所得を増やし、賃上げと同じ効果を代替させる即効性あると見ている賃上げ対策を主張したのに対して岸田文雄は「賃上げ税制」(賃上げ促進税制)や看護、介護、保育等に対する公的賃金の引上げ、さらに公的調達などなどを「呼び水」にして、いわば段階を踏んで、当然時間を掛けることになるが、一般生活者にまで賃上げをじわじわ広げていくという方法の賃上げを考えていることになる。野党は即効性・確実性の点での比較を求めるべきだったが、岸田文雄の言いっ放しにさせてしまった。

 次に社会保障と教育費についての議論を見てみる。先ず最初に厚労省の「1人当り社会保障給付費の推移」の画像を載せておく。 

 2021年の予算ベースで1人当りの社会保障給付費は129万6000円となっている。これらの財源について公明党の山口那津男は与党の一員らしく、「歳入改革や効率化を進める。歳入を見直して、財源を生み出す」などといつの頃から言われたのか、遠い昔から繰り返し言われているが、これといった成果を上げたことはない手垢のついたことを言っている。どう歳入改革を行うのか、どう効率化を進めるのか、どう歳入を見直すのか、方法論は一切口にしない。これで公党の代表を務めている。

 社会保障については岸田文雄も松井一郎も、所得余裕層に支える側に回って貰うと主張している。これは有効な一つの手かもしれないが、少子化と高齢化の進行と共に社会保障給付費が加速度的に増加しない保証はなく、増加した場合、支える側に回る所得余裕層の負担を増額させたり、支える範囲を下に広げていかなければならないという事態も予測しなければならない。いわば根本治療とはならないということである。

 立憲民主党の泉健太は所得余裕層に支える側に回って貰うという岸田文雄が口にしたシステムに対応させて、「社会保険料の累進性を上げていくことができる」と発言している。「立憲の参院選マニフェスト」にも、〈社会保険料負担の上限額を⾒直し、富裕層に応分の負担を求めます。〉と書いている。但し所得余裕層の社会保険料を補う負担の累進性を継続的に上げていかなければ、社会保障給付費の年々の累進性に追いつかない関係を取ることになりかねないことまで考慮しているのかどうかは発言からは窺うことはできない。

 序に各党の参院選マニフェストを見ると、社会保障の充実・安定、社会保障制度の⾒直し、社会保障の抜本的拡充等を訴えている。但し支出一方では、国の負担も、高額所得層の負担も負いきれなくなりかねない。財務省の「予算はどのような分野に使われているのか」の画像を見ると、社会保障は国家予算の約3分の1を占める。画像は36.3兆円となっているが、2022年度社会保障予算は対前年度当初比1.2%増の36兆2,735億円。年金や医療、介護分野の公費負担を上げるとなったなら、それを補うためにさらなる消費税増税が必要となり、同時進行で国民の負担が増すことになる。治療機会そのものを減らして、最終的に自己負担となる保険料と公費からの支出と医療と介護にかかる自己負担費用を切り詰めるという発想はどの党も取っていない。切り詰める最良の方法は国民が自己管理のもと健康を維持し、医療機関にかかる機会を減らすことを措いてほかにはない。減らすことができれば、国民各自の医療と介護にかかる費用を減らすことができ、結果的に社会保障給付費の「医療費」と介護費を含む「福祉その他」の費用を抑える方向に進むことになる。

 その方法は2010年11月21日の当ブログ記事、「社会保障費圧縮のための全国民対象の健康履歴導入を - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之」に、〈先ず暴飲暴食等の不摂生から発症した病気の治療、不注意から負った怪我の治療等に対しては個人負担を増やすとする法律による取り決めのもと、1歳未満の乳幼児健康診査に始まって、幼稚園・保育園の定期健康診断(実施していないなら、実施する)、小中高大学の定期診断(大学は実施していなけば、実施すべきであろう)、そして会社に於ける定期健康診断、さらに個人的にかかった病院の治療の際も、例え指の治療であっても、血液検査と飲酒量、喫煙量、現在心がけている健康法等の問診を行い、それらを記録して、国民一人ひとりの健康履歴をつくり上げていき、そこから逆に不摂生や不注意による病気かどうか判断して、治療費に差別化を図っていく。

 飲酒量や喫煙量、あるいは何ら健康維持を図っていないといった生活習慣に加えて健康診断や血液検査から不摂生な生活を送っていると判断できる患者に対しては、その患者が大きな病気を起す前に、もし大きな病気を起した場合は自己負担がかなりの額になると医者が注意することも生活習慣病の抑制につながるはずである。〉といったことを書いた。

 約1年後の2011年11月2日には、「年金問題を含めた社会保障給付費圧縮は根本的な原因療法に目を向けるとき - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之」をエントリーし、約1カ月弱後の2011年11月25月には「民主党の「医療扶助」制度見直し検討から、再度“健康履歴”を監視役とする健康管理の自己責任を考える - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之」を書き込んだ。

 誰も興味を示さなかったし、今回も興味を示さないだろう。尤も当方が考えなくても、国は社会保障国家予算の年々の増加をアタリマエのことと放置せずに社会保障サービスの質を損なうことなく十分にサービスできる状態で予算の圧縮を考えてはいる。その代表的なのが「介護予防」となる。「Wikipedia」に、〈2015年の介護保険改正により、高齢者が要介護状態にならないように総合的に支援する「介護予防・日常生活支援総合事業(以下、総合事業)」が創設され、2017年4月からは、全国のすべての市区町村において様々なサービスが開始された。〉と出ている。方法はデイサービスセンター等で心身機能の維持や向上を目的に各種軽度な体操やレクリエーションの機会を提供し、サービス対象は要支援・要介護認定を受けていない全ての65歳以上の高齢者が原則となっている。

 但し厚労省のサイトに、〈介護予防の定義と意義 介護予防とは「要介護状態の発生をできる限り防ぐ(遅らせる)こと、そして要介護状態にあってもその悪化をできる限り防ぐこと、さらには軽減を目指すこと」と定義される〉と出ているように原則を超えて、介護度が低い「要支援1~2」や「要介護1」の場合も介護予防サービスの対象としている。こういったサービスで段階的に最も重度の「要介護5」への進行を遅らせることを目的としているのだろうが、こういった介護予防の努力に反してなのか、努力が届かないのか、各「要介護」グループで増減はあるものの、全体としては要支援を含めた年々の要介護認定者数は緩やかな増加傾向にあって、一定数で頭打ちになっているわけではない。

 この増加傾向が予防効果からの緩やかな進行なのか、効果とは関係しない傾向なのか、ネットを当たってみると、デイサービスセンター等で一定数の人と交流、世間の事柄について話し合いを持ち、何らかの身体活動を行う一種の社会参加によって要介護リスクが抑えられるという効果説が散見できる。但し予防効果があったとしても、2006年度から「要支援」が「要支援1」、「要支援2」と分類されて以降、両グループ共に年と共に漸増傾向を見せていることは要介護リスクが抑えられつつあるものの、介護度(介護の必要性の程度)を全体的には抑えることができていないことを物語っている。いわば介護予防にそれなりの効果を認めるとしても、不足点にも目を向けなければならない。

 不足点の第一は要支援・要介護等の認定を受けていても、受けていなくても、役所がお膳立てした介護予防を目的とした社会参加の提供を受けるという受身の姿勢と65歳以上か、その近辺の年令になってから始めることによる"継続は力なり"に届かない継続性欠如に何らかの原因があるように思える。受身の姿勢にしても継続性の欠如にしても、非自発性によって成り立つ。スポーツを専門的に行わない立場で年齢に関わらず日常生活に於ける家事労働や職務労働への取組みを意味する生活活動に体力づくり等の運動をプラスした身体活動への自発的な取組みが心身の健康に役立ち、健康寿命を伸ばす要点となることは既知の事実となっているし、そこに時間的な継続性を持たせていたなら、より確かな健康寿命となっていくことは明白な事実となる。そして健康寿命の引き伸ばしが要介護を遅らせる当然の答となることは誰もが承知していることであろう。当然、自発的に取組むか、家族や医師や介護士の要請を受けて取組むか、自発的に取り組みもしない、要請を受けても取り組まないといった違いと、取り組む年齢の早いか遅いかで異なってくる継続性の長短によって効果の違いが出てくることになるのは当然の結果で、自発性が高く、継続性が長い程、運動効果はその確実性を増すのは当然の法則で、健康寿命を伸ばす重要な契機となる。要するに役所のお膳立てを待っているようでは遅すぎるということである。

 国が65歳以上に対して介護予防への取組み促すだけではなく、国民に若年齢時から身体活動への自発性を持たせた取組みを促す政策を施し、国民の全体的な健康状態を今以上に高めることができれば、病気治療者を減らし、結果として社会保障給付費の削減にも繋がるだけではなく、病欠者を減らす、あるいは体調不良のままの仕事従事者を少なくすることができれば、その分の生産性を高めることができることになる。その方法が生涯健康履歴の作成である。

 今まで書いてきたことに書き足して説明し直してみる。国はホームページ上に国民一人一人の「一人に一つの番号」を付け、健康保険被保険者証、国民健康保険被保険者証保険者番号に紐付けた生涯健康履歴カルテを作成し、管理する。医師側は新規診察と再診、新規健診の際の結果のみを記入できるページにアクセスできて、患者側は本人のみの全ての記録にアクセスできる仕組みにする。全ての国民の出生以来の受診・通院・入院の際の傷病名と治療内容、回復過程、血圧と脈拍(歯科診療であっても、計測を義務付ける)と、健診(乳幼児健診 学校健診  事業主健診 高齢者の医療の確保に関する法律に基づいた特定健診 健康増進法に基づいた自治体主催のがん、肝炎ウイルス等の検診)の際は血圧・脈拍を含めた臓器それぞれの健康状態とさらに各病院・医院で自己申告させた運動習慣の有無、20歳以上の患者・健診対象者に対しては1日の喫煙量・飲酒量等の生活習慣を各病院・医院備え付けのパソコン内のカルテに記入、診察結果と自己申告内容は患者・健診対象者にその都度印刷して渡して、カルテの新規記録部分は生涯健康履歴カルテの各患者個人のページにアクセスすれば、そのままコピーできて、保存できるようにしておく。国は一定期間ごとに各個人の診察記録から見た健康状態と医師に自己申告させた飲酒、喫煙、運動等々の生活習慣から将来的な受診回数の確率性と診療の程度を予測・点数化する。予測点数が高い程、保険料の負担割合を法定よりも高くする。但し不摂生等の本人責任ではない先天性の疾患や自己免疫疾患等は点数化の例外とする。

 例えば過飲・過食、運動不足等が原因した糖尿病やその他の生活習慣病は本人責任として重中軽症度に応じて自己負担割合に段階的な差別化を設ける。自己負担割合を一般並みに戻したければ、過飲や過食を控え、運動をして、不健康な身体を健康な身体へと転換させれば済む。またこうすることによって収入に応じて払い続けている保険料を身体の健康に心がけて診察の機会が少ないことから、いわばドブに捨てる形となっている国民の不公平感を少しでも和らげる作用を与えることにもなる。

 このように生涯健康履歴に基づいて診察料を信賞必罰方式で差別化に持っていけば、身体的な健康への留意を高める役割を果たすことになり、このことは精神的な健康への留意を伴うはずであるし、双方の留意が国民の健康を高め、結果として要介護状態に至るまでの到達時間を全般的に遅らせることになるだろうし、社会保障給付費の中の医療給付費の抑制、医療その他のうちの介護費用給付費の抑制となって現れるだけではなく、医療や介護にかかる自己負担額を節約できることになる。さらに社会保障給付費の抑制はそれなりに政府財源に余裕をもたらす要因となり、国民の健康寿命の延長となって現れた場合、病欠で抜ける人間を確実に少なくすることになって、社会活動維持の確実性の向上に貢献することになるだろうし、この貢献は経済の活性化という形を取って、GDPの底上げに多少なりとも役立っていくことになる。

  国は治療内容に応じた治療機会の回数と治療の程度別に目安となる自己負担率を前以って公開して、健康の自己管理のススメとしなければならない。

 次に野党が掲げた「教育の無償化」を見てみる。現在の政府の教育無償化は次の通りとなっている。2020年4月から開始の大学授業料+入学金全面無償化は住民税非課税世帯のみが対象で、住民税非課税に準ずる世帯の学生は3分の1とか、3分の2の減免を受けることができ、一定の資産保有者は除外されている。また住民税非課税世帯及びそれに準ずる世帯であっても、高校の全履修科目評定平均値5段階評価の3.5以上という学力基準を満たすことが条件となっている。例外として学習意欲と明確な進路意識と将来の人生設計等を示しうる場合は3.5未満をクリアできるとしているが、口先だけで示しうる生徒もいるだろうし、人生設計を描くことのできる年齢はそれぞれに違いがあるし、有名大学を出てもパットしない人間もいるし、有名大学出でいなくても、パットする人間はいるし、受け入れ側の大学の判断が常に正しいとは限らないということも考えると、見えないところで不公平が生じることになりかねない。

 また優秀な成績で大学に入ったとしても、大学では何も学ぶことがないなと気づいて大学を退学する者はこのことに気づくについては大学に入る必要性があったことになるし、大学で学んだことについては大した利用価値を見い出すことはできなかったが、親しい友人ができて、他愛もないお喋りをしているうちに誰もがしていないことで起業を思い立ち、成功する場合もあることについては友人同士の出会いの場として大学は必要だったことになる。要するに試してみなければ人生の答を見つけることができない事例はいくらでもあるのだから、大学を大学自体の入学試験成績を唯一のハードルとして試行錯誤の場として提供する必要性もあることは無視できないはずだ。だが、試行錯誤の場としての提供を受けることができたり、できなかったりが授業料を払えるか払えないかで決まるというのはカネ優先の世の中にしてしまう。

 では、野党の教育費の無償化を見てみる。立憲民主党の泉健太は「日曜討論」では教育費の無償化については触れていないが、「立憲⺠主党政策集2022」では「⼤学など⾼等教育まで公教育全体を通じた無償化を進めます」としているが、少子化対策との関連付けは行っていない。国民民主党の玉木雄一郎は教育国債を発行、新しい人的資本形成を行うとしているのみだが、参院選マニフェストで学校給食や教材費、修学旅行までを含めた高校までの教育費完全無債化と大学や大学院等の高等教育の授業料減免等を掲げている。維新の会の松井一郎のみが「教育無償化は少子化対策に直結する課題」だとして、無償化と少子化対策を関連付け、参院選マニフェストでは大学院までの教育の無償化を掲げている。れいわ新選組の山本太郎は番組で大学院卒までの教育の無償化と奨学金チャラを言い、マニフェストにもその通りを掲げている。

 但しどの党も教育の無償化を掲げても、教育の質については触れていない。確かに教育無償化は少子化対策と関連付けるべき政策で、このことは若い母親が「一人目はいいが、二人目は大学までのお金を考えると、ためらってしまう」と言っていた何かのニュースで見た事例が物語ることになる。大学院卒業まで教育費を完全無償化すれば、学費に関しての心配はなくなる。但し地方出身で都会の大学に進学した場合、下宿代、その他の生活費は親か自身が賄わなければならない。アルバイトばかりしていて、学業が疎かになったら、意味がなくなる。そこで奨学金の無償化も必要になる。奨学金の使用方法に厳格な制限はないということだが、その無償化によってアルバイトが必要なくなれば、大学を人生の答を見つけるための試行錯誤の場にするにしても、大学側が各学年に求める最低線の成績は納なければならなくなる。求めたとしても、小中高と暗記教育主体で暗記思考が染み付いた人間が大学に入ってすぐさま暗記思考から解放され、思索思考型に突入するはずはないから、暗記思考を引きずった人間に授業料と奨学金無償の代償にそれなりの成績を求め、順次卒業させていっても、現在と同様に暗記思考型の大卒者を大量生産するだけで、今以上の創造的社会の構築・発展にさして役立たない。2021年の日本の時間当たりも1人当りも労働生産性の国際比較はOECD加盟38カ国中、下位グループにウロチョロしている原因にしても暗記教育の成果としてあるからだ。

 20年近くも前の、かつて流行ったメーリングリストに載せた文章だが、〈その原因(生産性の低さ)を正すとしたなら、やはり暗記教育を挙げなければならない。暗記教育とは、決められていることを決められたなりになぞり、なぞった知識を正確に暗記して、それを知識を問う必要事項にそっくりそのまま当てはめていく(なぞっていく)作業を言う。

 いわば知識の等量・等質の移動でしかない。ゆえに暗記教育における応用と発展は、公式の機械的な組み合わせ程度にとどまらざるを得ない。

 暗記のなぞりを基本とした活動の機械性から離れて、自分で状況判断して発展・応用の取捨選択を行う知識の主体的活動性に徹底的に馴染むことをしなければ、労働生産性でアメリカに肩を並べることは難しい。そのような活動の体系こそ、少子化時代に最重要に必要とされているものであろう。〉――

 少子化を労働生産性の向上で穴埋めする。そのためには暗記教育からの脱却が必要であるとの考えを示した。だが、教育費無償化によって第2子、第3子を設けるハードルを低くし、出生率を上げて少子化対策とするなら、同時に暗記教育からの脱却を併行させて、生産性向上の原動力に位置づけなければならない。日本は一度暗記教育からの脱却を目指し、「ゆとり教育」と称して考える教育の導入を図ったが、テストの成績が落ちると、一時的にはそれを当たり前の現象とすることができずに慌てふためき、再び暗記教育に戻してしまった。

 日本の選挙での低投票率も暗記教育が関係しているはずである。先ず第1に「お任せ民主主義」。政治は政治家に任せて、自分では政治を考えないことを言う。つまり与えられた政治を受け取るだけというのは暗記知識授受の構造と同じで、政治に対して自分の方から思考を働かせる習慣がないことを示す。第2に「投票しても何も変わらない」。変えることができなくても、変えてみようと試してみる主体性の放棄であり、果たして変えることができないのか、できるのかを考えてみることの放棄でもあり、試すことを考えることもせずに選挙の結果、政治の結果をそのまま受け止めるだけという構造も暗記教育の知識授受の形式と同じである。

 考える教育を実現できたら、塾は限りなく必要としなくなる。塾は如何に効率よく“傾向と対策”を学び、回答例をより多く暗記するか、その技術を学ぶことが存在理由となっているからで、考えることは個々の思考に任され、常にその独自性が問われることになる。独自の思考は大学入学試験の決まりきった質問では一瞬にして照らし出すことができない。長い時間を掛けて自分から築き上げていかなければならない。こういったプロセスを踏まなければならない以上、塾にカネを掛けて、短時間内に即席に答を見つける技術を学ぶことは意味を失い、塾で差をつけるという従来の方法は通用しなくなる。教師は問題を解くためのアプローチの方法を教えるだけで、どう考え、どう理解して答を見い出すかは生徒各自に任される。
 
 結婚するしないも自由だし、子どもを産む産まないも自由だが、産むこと自体は結婚し、子どもを産むという社会的慣習的意味合いを背景にしている場合もあるし、愛している伴侶との分身をつくって、この世に送り出し、自分たちの分身として愛情を注ぐという形もあるが、子どもを産むことは人への投資のスタートラインとする発想の転換も必要であろう。母親と父親がそれぞれの人生を歩んだように出産によって子どもたちがそれなりに生き、成長していく人生を提供し、子どもたちは人生の成果をそれぞれに手にしていく未来を歩む。その一つが各種労働力となって社会形成に貢献するという成果である。教育費無償化と暗記教育からの脱却によって出産という人への投資環境は格段に良好な状況を手にすることができることになり、少子化解消に向かう条件となり得る。少子化解消への進展は社会保障の支え手の拡大に繋がり、同時に高齢化進展のブレーキ役となる。そしてこの面からの社会保障給付費の拡大の抑制策ともなり得る。そして何よりも浮いた社会保障給付費や生産性向上によって得た企業利益からの税収増が教育費完全無償化の財源の一部として充当され、このような一連のプロセスが遅滞なく循環の波に乗れば、アベノミクスも物の見事に飲み込まれてしまった日本の30年間の低成長は息を吹き返す可能性は否定できない。

 暗記教育の弊害を伝える一文がある。「【海外の労働事情】アメリカの産休育休事情は日本とどう違う?」(優クリ-Lab for Creator/2020.04.09)

〈アメリカは先進国の中での産休・育休制度が遅れている国の一つです。多くの移民を受け入れている多民族国家という意味合いも含め、少子化問題には無縁と言うこともあるかもしれません。また、現実的な問題として雇用や経済的な保証がない分、早く復帰せざるを得ないのがリアルな事情でもあるでしょう。

しかし、制度の遅れがある反面、働き方に関しては日本とはまったく違った部分があります。定時にはぴったり帰ることができる上に、サービス残業はもちろんゼロ。子ども同伴の出勤だったり、子どもの急な病気や家族のイベントのための有給はしっかり取ることができるようになっています。

日本のように整った制度があった場合でも、お国柄もあるのか、周りの目を気にして使うことができないということはまったくありません。筆者も公務員として働いていますが、バケーションシーズンには上司が一番しっかり休みをとって、家族との時間を大切にしています。

アメリカの考えとして、長時間働いている(職場にいる)ことが美徳ではなく、時間内にどれだけ能率を上げ生産性を高めて仕事をこなすか、そして、プライベートと仕事のメリハリをしっかりつけられるかということが重視されています。

そのため、定時までに仕事を終えられない場合、仕事の進め方や役割分担などに問題はないか、逆に注意を受けるほどです。このような仕事に対する考え方や家族との時間を何よりも重視していくという考え方が、産後のワーキングママ達の早い職場復帰を支えていると言えるかもしれません。
〉(文飾当方)――

 日本は長時間労働国として名を馳せている。一斉始業・一斉終業の製造現場は時間の決まりをつけることができるが、特に間接部門は日々の仕事量によって終業時間が一定しないことが多く、そのような部署で認可・認可外保育園に子どもを預けながら仕事に従事する若い母親は何時に迎えにいけるかも分からない宙ぶらりんな気持ちで、そのことに気を取られながら仕事をしなければならない。若い母親の場合、残業の少ない職場に配置転換を願う例も多いと言う。だが、アメリカでは定時退社が自然な習慣となっていて、それを可能にしているのが与えられた仕事を時間内に効率よくどう取り扱うか、自分で判断して自分で答えを見つけていく個人それぞれの技量――生産性の高さということになり、この技量、生産性は教えられたことを教えられたとおりになぞる暗記教育で手に入れるそれとは逆の収穫物となる。そして定時で仕事を終えることができなければ、〈仕事の進め方や役割分担などに問題はないか、逆に注意を受ける。〉、いわば暗記型思考ではなかなか手に入れることができない臨機応変さについての不足を指摘されることになる。

 定時退社は子育てと仕事を両立させたいと願っている母親にどれ程の福音となるだろう。出産によって職場復帰を諦めてしまう母親、正規社員からパート社員に転職してしまう母親の何割かに対して思い直すキッカケともなりうる。

 《第1子出産前後の女性の継続就業率」及び出産・育児と女性の就業状況について》 (内閣府男女共同参画局・2018年11月)に次の一文がある。

 〈妊娠前に正規の職員だった者のうち、子どもが1歳時点においても正規の職員であった割合は62.2%。パート・派遣や自営業主等に職を転換した割合は6.9%。正規の職員として就業を継続する割合が高いことが分かる。

 パート・派遣についても、就業を継続する割合は上昇しているが、離職する割合は、74.8%と依然として高い。

 ⇒就業形態の差が大きな影響を与えていることが分かる。〉――

 この記事を裏返すと、妊娠前に正規の職員だった者のうち、子どもが1歳時点において正規を外れた職員の割合は100%-62.2%=37.8%。一方、パート・派遣や自営業主等に職を転換した割合は6.9%。37.8-6.9=30.9%が離職となる。正規を外れた職員の割合も、職場復帰を諦めて離職した割合も決して少なくない。さらに正規継続の62.2%とパート・派遣離職割合74.8%を突き合わせると、企業規模によって育児と仕事の両立支援に桁外れの違いがあることを予想することができる。就業形態での大きな差は表面から見える一部であるように思える。

 以上書いてきたことの要約が記事題名そのものとなる。《少子化対策は小中高大学教育費完全無償化によって出産を人への投資とし、考える教育の導入を生産性向上への投資とし、両投資によってGDP上昇の要因として税収増に持っていき、生涯健康履歴導入によって社会保障医療・介護給付費の抑制要因とし、両要因から予算を圧縮、この分と税収増を教育費無償化財源に回す》

 勿論、これだけでは教育費無償化の財源は賄いきれないだろうが、最終的には社会に対する有用性の観点から無償化に持っていくべきか、いくべきでないかを判断し、前者なら、削ることができる他の予算を削ってでも無償化に持っていくべきだし、生涯健康履歴も同じ有用性から導入するかしないかを判断しなければならない。まあ、政治家や官僚には届かない情報で終わるだろうが。

 最後にこのブログとは関係しないが、「日曜討論」でのNHK党首立花孝志の「子どもを増やせばいいというものじゃなくてですね、子どもの質の問題です。ここはいわゆる賢い親の子どもをしっかりと産んでいく」という発言を取り上げてみる。

 「賢い親は賢い子どもを産む」との表現で、意味するところを裏返すと、「賢くない親は賢くない子どもを産む」と、賢いか賢くないかで命の優劣・選別を行い、優生思想〈身体的、精神的に秀でた能力を有する者の遺伝子を保護し、逆にこれらの能力に劣っている者の遺伝子を排除して、優秀な人類を後世に遺そうという思想。〉(Wiktionary日本語版)に則った社会構築を目指した発言となる。

 いわば賢い親は生殖適性者の範疇に入れ、賢くない親は生殖不適性者へと篩い落とし、前者の親に多産を勧め、後者の親に、行き過ぎると、かつてハンセン病患者に強制したように断種を求めることになる。そして賢い親・賢い子の基準は多額納税者ということになり、カネの多寡で価値を測る拝金主義者の顔を覗かせている。

 この手の発言を2019年9月に動画等で既に行っていることを「Wikipedia」が「立花孝志 」の項目で伝えている。文字数の関係で簡略に伝える。

 「世界平和をするためには人口コントロールだと思っている。馬鹿な国ほど子どもを産む。アホみたいに子どもを産むバカな民族はとりあえず虐殺しよう。ある程度賢い人だけを生かしといて、後は虐殺して。差別やいじめは神様が作った摂理。自然でいいんじゃないか。神様がつくった自然だ。人が人を殺したりすることも神がつくったシステムだから」

 社会が人間営為で成り立っていることを否定。「虐殺」については、「やる気はないけど、そんなつもりはない、そんな事しようとする人には大反対」と否定しているが、このような思想の人間が集団虐殺可能の権力と機会を手にすれば、実行したい衝動が疼き、その衝動に負けて実行する可能性は否定できない。麻生太郎がこの手の発言をしたら、マスコミは大々的に取り上げ、国民多くが非難するが、なぜか立花孝志についてはマスコミはさしたる取り上げ方をしない。いかついガタイに恐れをなして、口をつぐんでいるのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人の行動様式権威主義の上が下に強いていて、下が上に当然の使用とする丁寧語が日本人の労働生産性を低くしている(1)

2022-04-30 07:10:46 | 政治
 《労働生産性の国際比較2021》(公益財団法人日本生産性本部)

 [要約]

 1. 日本の時間当たり労働生産性は、49.5ドル。OECD加盟38カ国中23位。

・OECDデータに基づく2020年の日本の時間当たり労働生産性(就業1時間当たり付加価値)は、49.5ドル(5,086円/購買力平価(PPP)換算)。米国(80.5ドル/8,282円)の6割の水準に相当し、OECD加盟38カ国中23位だった(2019年は21位)。経済が落ち込んだものの、労働時間の短縮が労働生産性を押し上げたことから、 前年より実質ベースで1.1%上昇した。

ただし、 順位でみるとデータが取得可能な1970年以降、 最も低い順位になっている。

2. 日本の1人当たり労働生産性は、 78,655 ドル。 OECD加盟38カ国中28位。

2020年の日本の1人当たり労働生産性(就業者1人当たり付加価値)は、78,655ドル(809万円)。ポーランド(79,418ドル/817万円)やエストニア(76,882ドル/791万円)といった東欧諸国と同水準となっており、 西欧諸国と比較すると、 労働生産性水準が比較的低い英国(94,763ドル/974万円)やスペイン(94,552ドル/972万円)にも水を開けられている。前年から実質ベースで3.9%落ち込んだこともあり、OECD加盟38カ国でみると28位(2019年は26位)と、 1970年以降最も低い順位になっている。

3. 日本の製造業の労働生産性は、 95,852 ドル。 OECDに加盟する主要31カ国中18位。

2019年の日本の製造業の労働生産性水準(就業者1人当たり付加価値)は、95,852ドル(1,054万円/為替レート換算)。これは米国の65%に相当し、ドイツ(99,007ドル)をやや下回る水準であり、OECDに加盟する主要31カ国の中でみると18位となっている。

 報告書題名は「労働生産性の国際比較2021」となっているが、「2021」は発表年で、内容は2020年の統計である。日本の時間当たり労働生産性も、1人当たり労働生産性も、下から数えた方が早いという名誉を担っている。但し2019年の日本の製造業労働生産性水準(就業者1人当たり付加価値)は、OECD加盟主要31カ国中18位と少しマシな位置。

 なぜマシなのか、10年以上も前にブログで取り上げたことがある。的確な解釈となっているかどうかは分からないが、自分の考えが変わっているわけではないから、製造業の労働生産性に関する個所をここに取り上げてみる。

 労働生産性から見る公務員削減(2006年4月9日)<

 小泉首相は国家公務員の総人件費削減に関して、「平均して5%の定員純減を5年間でという目標を掲げている」が、「各省一律に公務員を減らせと言うことではなく、国民の安全に関する部門以外で定員純減に取組む」方針を示した。

 「国民の安全に関する部門」とは、「警察官、入国管理局の公務員は増やしている。必要な点は増やす」ということらしい。

 定員純減に関して各省との交渉役の中馬行革担当相は、「能力主義の人事・給与制度導入の公務員制度改革でなくては定員純減は難しい」と言う考えを示している。
 
 「能力主義」をムチに尻を叩くことで一人一人の能率を上げ、全体の仕事量の底上げを図って少数精鋭の形を取り、そこから余剰人員を弾き出して定員削減を可能とすると同時に、そうしない場合の弊害を取り除こういうことなのだろうが、小泉改革のこれまでを見ると、どうせ中途半端に終わる運命にあるのではないか。少数精鋭が可能なら、既にそういう態勢を取っただろうからである。小泉首相本人はこれまた今までのように、実を結ばないうちから成果を誇るだろうが、一旦は削減したものの、この人数では満足に仕事が消化できないからと、後からこっそりと採用して元の状態に戻るといった後退はよくあることである。

 「能力主義」と小泉首相の「警察官、入国管理局の公務員は増やしている」は矛盾していないだろうか。警察や入国管理局にも中馬某の言う「能力主義」を導入して仕事量の底上げを図り、少数精鋭態勢を取ったなら、「増や」す必要はなくなる。そうせずに増やすのは、小泉首相がひそかに日本を警察国家にしようと企んでいるからだろうか。安倍晋三が教育基本法に愛国心の涵養を盛り込もうと企んでいることと考え併せると、どうもそういうふうに勘繰りたくなる。

 入国管理局の職員の収容外国人に対する暴力・暴行もそうだが、日本の警察は特に悪名高い。捜査協力費の流用・不正経理・警察官でありながらのワイセツ・強姦・盗み・万引き、そして怠慢捜査・調書改竄・事件揉消し・裏ガネ・移送中囚人逃亡等々。

 当り前のような状態で新聞・テレビを賑わすこういった姿は真面目で勤勉で仕事を能率よくこなす日本人を想像させるだろうか。すべてではないと言うだろうが、決して一人や二人ではない跡を絶たない状況が構造的な欠陥であり、日本の警察の体質となっていることを証明している。

 少なくとも管理の不行き届きが招いている醜態以外の何ものでもないはずである。醜態が常態化している状況は、管理側(いわば上層部側)の管理能力がいつまでも未熟で隙だらけ、下の無規律についていけない状況にあることを示している。言い換えれば、上が上なら、下も下と言うことであろう。組織の全体的な構造不全そのもので、その結果として警察の場合は検挙率の低さという機能不全に象徴的に現れている非能率なのではないだろうか。

 構造不全に陥っている組織に人員をいくら注ぎ込もうが、税金のムダ遣いと頭数を増やすだけで終わるのは目に見えている。「能力主義」を言うなら、警察官の職務怠慢、公金での飲み食い、犯罪、私腹肥やし等の体質を一掃して、逆に仕事が能率よくできる体質への転換を図る意識改革を強力に推し進めて、検挙率の高さに反映できるよう持って行く。体質のそういった改革によって、逆に人員削減につなげていくことこそ本質を把えた公務員改革と言えるのではないだろうか。

 小泉首相がその逆を行くのは、この男の力量と言ってしまえばそれまでだが、「公務員制度改革」に反する措置のように思える。

 「能力主義の人事・給与制度導入」がここにきて言われるのは、業務が能率的に発揮できていない状況が公務員の全体的問題として存在していることの裏返しで、その是正に向けた施策であろう。公務員業務が全体的に非能率であるということは、広く言えば当然のこととして、日本の労働生産性にも関わっているはずである。そこまで視点を広げて対策を講じないと、絵に描いた餅の運命をたどらないとも限らない。

 どれ程の余剰人員を弾き出せるか。元々日本のホワイトカラーの労働生産性は現場労働者と比較して低いと言われている。いわば、能率の点で劣っている。日本人は勤勉で真面目だという評価が労働生産性に成果となって現れていない。これは表面的にただ単に「勤勉で真面目」であるというだけのことで、評価自体が幻想に過ぎないということだろうか。

 警察官や社保庁、防衛施設庁、かつては大蔵省や外務省といった官公庁や特殊法人の不正行為を見たら、「勤勉で真面目」と言う評価は見せかけでしかなく、幻想に軍配を上げなければならなくなる。

 「勤勉で真面目」が事実であったとしても、労働生産性で見た能率の悪さはこれまた事実としてある数字であって、それが日本人の本質的な力量だとすると、「能力主義の人事・給与制度導入」を行ったからといって、本質を改善する力となりうるかということが問題となってくる。

 社会経済生産性本部が発表した2005年版「労働生産性の国際比較」によると、「購買力平価で換算した2003年の日本の労働生産性は5万6608ドルで、OECD加盟30カ国中第19位であった。先進主要7カ国の比較では、日本の労働生産性水準は最下位で、米国の7割の水準にとどまっている。日本の労働生産性の水準は国際的に見て決して高いとはいえない」とある。

 しかし「日本の2003年の製造業の労働生産性水準は24カ国中第4位であった」。「なお主要先進7カ国中で見ると、米国に次ぐ第2位であった」

 製造業の労働生産性水準が「24カ国中第4位」、「先進7カ国中で見ると、米国に次ぐ第2位」であるにも関わらず、全体に均すと、「OECD加盟30カ国中第19位」、「先進主要7カ国」中「最下位」というのは、サービス業やホワイトカラーの生産性がより低いことを物語っている。勿論、その生産性の低さに警察に限ったことではない官公庁、地方自治体の公務員のコスト意識の欠如、職務怠慢、非能率、放漫経営が大きく寄与し、足を引っ張っているのは間違いない。

 確かに農業部門の生産性が特に低いことが全体の生産性を低くしている側面もあるだろうが、日本は技術が優れているという評価を裏切って、知恵の出し具合が不足しているということもあるだろう。

 いずれにしても、部門に応じた不均衡は何が原因でもたらされているのだろうか。

 日本人の労働生産性とは詰まるところ、日本人の一般的行動性が労働の場に於いてどう対応するか、その姿勢がつくり出す仕事の能率のことであろう。ホワイトカラーであろうとブルーカラーであろうと、一般的行動性は本質的には同じである。となれば、部門ごとの労働環境での一般的行動性の対応とそれぞれの違いを見ることで、労働生産性のありようを解き明かせないことはない。

 解く明かす一つの鍵が、「2001~2002年の労働生産性上昇率のトップは金融保険の7・3%」であるとする同じ社会経済生産性本部の報告ではないだろうか。同じ報告で「全産業、製造業とも、1・0%の改善率であった」というから、製造業以外の一般的に低いとされている労働生産性に対して、「金融保険」の突出した「上昇率」「7・3%」は特別の理由付けなくして説明できない事柄であるはずである。
 
 日本人は一般的に主体的・自律的に行動するのではなく、権威主義を行動様式としている。権威主義とは言うまでもなく上は下を従わせ、下は上に従う行動傾向を言う。従わせ・従う行動を成立させる条件は命令・指示のシグナルによってである。命令・指示を発して従わせ、命令・指示に応じて従う。そのような従属が極端化した場合、命令・指示の範囲内で行動することとなる。例えばマニュアルに書いてある規則どおりにしか行動できない人間がそれに当てはまる。児童相談所等が子どもの虐待を事前に把握していながら虐待死に至らしめてしまうのは、規則(=マニュアル)に従うことでしか対応できない人間ばかりだからではないかと疑いたくなる。
 
 上は下を従わせ、下は上に従う行動は命令・指示が有効であることによって、より活動的とし得る。当然能率は上がる。

 「金融保険」業務に於ける就業者の業務行動は何によって条件付けられているか考えると、景気・不景気の動向とか、不良債権処理の進行といったことに左右されるものの、一般的にノルマが数値で示され、成果に対する相対評価にしても絶対評価にしても、これ以上明確なものはない数値で表され、誰もがそのノルマ達成に向けて邁進しなければならないシステムとなっている。特に組織間の競争が激しくなれば、ノルマもより厳しく設定される。

 ノルマとは言うまでもなく達成を目標に割り当てられた仕事量のことであって、ノルマに従って行動するよう仕向けられる。達成を目標に割り当てられること自体が既に命令・指示の形を取っていて、ノルマそのものが命令・指示の役目を本来的に体現していることを示している。

 いわば命令・指示が常にスイッチオンの状態になっていて、それが心理的な監視の役目を果たし、一方でノルマの達成度を見ることで、仕事量が一目瞭然と分かる仕組となっている。

 このような状況は日本人の一般的な行動性に於ける命令・指示に従って行動する構図と符合する上に、ノルマが命令・指示を監視する役目を果たしていることと、ノルマとして表されている命令・指示への忠実な従属が各自の業績に関係してきて、それに刃向かうことができない強迫行為(=従属一辺倒)が可能とした「7・3%」ではないだろうか。

 もしこの分析が妥当であるとしたら、製造業に於ける労働生産性の国際比較値の高さも、命令・指示の有効性をキーワードに説明できなければならない。

 製造現場では1日の生産量がノルマとして決められていて、なおかつ流れ作業に常に追いついていかなければならない命令・指示に当る強制が常に働いている。その上製造現場では上司の監視の目が行き届いていて、無言・有言の命令・指示の役目を果たしている。そういった二重三重の命令・指示の強制力学が日本人の一般的な行動性となっている下の上に従う従属性を否応もなしに活性化させて、そのことが製造業の労働生産性水準を「24カ国中第4位」、「先進7カ国中で見ると、米国に次ぐ第2位」という地位を与えているとする分析でなければならない。

 そういった強制力学の影響が少ない場所が公務員や一般企業サラリーマンのホワイトカラーの労働現場であろう。労働を促す命令・指示への従属を監視する制度の希薄さが、比較対照的に労働生産性の低さとなって現れているということである。
 
 以上のことの傍証となる日本人の一般的な行動を例示することができる。川の草刈といった地域活動は、地域が年に1度とかの決めた日に決められた人数で行うことが一般的となっているが、地域の役員と駆り出された人間との間に本人の生活に関係してくる雇用上の給与評価といった直接的な利害関係が存在しないから、遅刻や中途退出は当たり前の現象となっているし、集団が大きいほど、誰がどれ程の仕事をしたか判断しにくいために適当に仕事をする人間が現れる。少し手を動かしては、すぐに手を休めて、他人の仕事を眺めてばかりの人間もいる。どれもが自己の生活と様々な利害関係で結ばれている雇用先では許されない手抜きであろう。当然、草刈といった集団で行う地域活動の労働生産性は決して高いはずはない。

 そういった手抜き=労働生産性の低さを許しているのは、地域の役員の駆り出した人間に対する命令・指示が双方の生活上の利害が直接的に関係していないことも手伝って、彼らを従属させるまでの力を有していないことが原因しているのは言うまでもない。

 また、年に1度の草刈では、その間雑草が伸び放題となるために、誰かが本人の意志のみで一人で草刈でも始めようものなら、「決められてもいないことをやるべきじゃない。一人がやれば、みんなもやらなければならなくなる」と、それが新たな決まり事となって駆り出されることを嫌い、地域の決まりごとへの従属を最小限にとどめようとすべく拒絶反応を示す人間もいる。
 
 いわば決められたことはやるが、決められていないことはやらないという命令・指示の範囲内で従属することを行動に於ける習性とした、他との関係で自己の行動を決定する他律性としてある権威主義的行動様式そのものの現れは元々日本人の一般的傾向としてある姿だが、命令・指示が自己の利害に影響しない場合は、従属を最小限にとどめたり無視したりすることも、他律性(=権威主義的行動様式)に則った行動であろう。

 ホワイトカラーの労働生産性が地域活動の草刈といった労働生産性よりも低いものであるとしたなら、組織管理が無規律・無計画・無成熟であることを証明するだけのこととなるから、ホワイトカラーの一般的な労働生産性にも劣る地域活動の消極的・非能率な態様と見なさなければならない。日本人が事実勤勉であるとするなら、組織活動に於いても地域活動に於いても同等の勤勉さが発揮され、同等の労働生産性を上げるべきであるが、そのことを裏切るあってはならない両者の落差は命令・指示の監視の有無、及び従属に向けたその効力の度合いを条件として初めて説明し得る。

 このことは製造業とホワイトカラーの労働生産性の格差にも応用しうる説明であろう。

 最初の方に、〈警察に限ったことではない官公庁、地方自治体の公務員のコスト意識の欠如〉云々と書いたことの意味は当時の首相小泉純一郎が国家公務員総人件費削減のために5年間平均5%定員純減の目標を掲げる一方で国民の安全に関する部門の警察官や入国管理局公務員は増員するとしたことに関係させている。公務員定員純減の代替療法は「能力主義」の導入としている以上、警察官や入国管理局公務員にも「能力主義」を適用すれば、その増員は矛盾することなるし、「能力主義」がここにきて言われるのは、業務が能率的に発揮できていない状況が公務員の全体的問題として存在していることの裏返しだということを書いたことからの全体的な「コスト意識の欠如」と指摘した。そして、〈公務員業務が全体的に非能率であるということは、広く言えば当然のこととして、日本の労働生産性にも関わっているはずである。〉と関連付けた。

 要するに日本人が行動様式としている上が下に命令・指示して従わせ、下が上の命令・指示に従って行動する権威主義は他律性を基本原理としていて、このことに反して例え命令・指示が常にスイッチオンの状態になっていなくても、相互に自分から考えて行動する自律性を行動様式としていたなら、能力主義だ何だと尻を叩かれることもなく、労働生産性は欧米先進国と比して継続的に見劣りすることはないはずであり、労働生産性の劣りの原因の一つに本質のところで日本人の行動様式となっている権威主義が関係していると見ないわけにはいかない。

 このことと関連することになる2007年1月11日エントリーの当ブログ記事を紹介する。2007年1月9日付の「朝日新聞」朝刊が、「字体を15日から一部変更します」という知らせを載せた。2000年の国語審議会が書籍等に残っている伝統的な康熙(こうき)字典体に基づいて「表外漢字体表」を答申。このことを踏まえて、900字を「表外漢字体表」内にある康熙事典体を使用するというもので、例として、「鴎→鷗」「涛→濤」を挙げている。

 この知らせに触れて、字画が細かくなることから弱視者や目の遠くなった高齢者に読みづらく、優しくないといったことを書き、難しい漢字が情報処理に少なからず影響することと、このことに関連付けて国会質疑や記者会見で丁寧語を用いることで長くなっている質疑応答のムダな部分を用いずに省き、逆に実質的な情報を増やして、情報処理能力の向上に資することになる、読み返してみると、少し説明足らずな部分もあるが、そういったことを書き連ねた。

 《復古的字体変更と情報処理の関係 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》(2007年1月11日)

 日本の政治家や官僚の情報処理能力の見劣りは国会審議での言葉の遣り取りを見れば一目瞭然で分かる。以前ブログ記事で引用したものであるが、06年11月22日の「教育基本法参議院特別委質疑」での蓮舫議員の質問とそれに答えた安倍首相の答弁を使って説明してみる。

 蓮舫「安倍総理にお伺いします。小泉前総理大臣の時代から私ども与野党で共通認識で持っていたのは、もうムダ遣いはやめようと、行政改革を進める上でムダを省いて、そしておカネを、税金を、戴いた保険料を、預かった保険料を大切に使っていこうという意識は共有させていると思うんですが、足元の内閣府で行われているタウンミーティングでさえも、殆どデタラメな値段付けが当たり前に使われていて、通常の恐らくタウンミーティングの額よりも膨らんでいると思うんですね。そういうおカネの使われ方はよしとされるんでしょうか」

 安倍総理「競争入札で行ってきたところでありますが、えー、先程来議論を窺っておりました。この明細を拝見させていただきました。やはりこれは節約できるところはもっともっとあるんだろうと、このように思うわけでございました。私共政治家も、よく地元で色んな会を開いて、色々と地元の方々とご意見の交換を行うわけでありますが、それは勿論パイプ椅子等をみんなで運びながらですね、最小限の経費で賄っていく中に於いて、意見交換も活発なものが当然できるわけでありますが、そういう精神でもう一つのタウンミーティングの先程申し上げましたように運営を行うよう、見直してまいります」

 安倍首相の発言を文字に起こすと、現在形を用いる箇所を「このように思うわけでございました」と過去形で用いたのは単なる間違いだろうから、無視するとして、政府主催のそれなりに大掛かりなタウンミーティングを地元の個人的な会合と比較したりするピント外れな客観的合理性、さらに蓮舫議員の「殆どデタラメな値段付け」の「おカネの使われ方はよしとされるんでしょうか」という質問の中にヤラセ問題が含まれていなくても、関連事項として踏まえた答弁をしなければならないのだが、「節約できる」とか、「最小限の経費で賄っていく中に於いて、意見交換も活発なものが当然できるわけでありますが」とか、「節約」も「活発」もヤラセがあったなら無意化することも考慮せず、「経費」との関係でのみ活発な議論の可能性を云々する判断能力のズレはそのまま情報処理能力の程度の問題に関係していく事柄であろう。

 さらに安倍首相だけではなく国家議員・官僚が国会答弁や記者会見で結び語によく使う言葉として、「このように(かように)思うわけでございます」とか、「かように考えるわけでございます」「と言うところでございます」、「致しておるところでございます」、「しておるわけでございます」といった「ございます」語は丁寧語と言ったら聞こえはいいが、「です・ます」で簡潔に結べるにも関わらず、そのことに反して余分に付け加えて言葉数を多くする発言は、簡潔・スピード・確実・理解をモットーとする情報処理能力に密接に関係しているはずである。1日で使う「ございます」語をすべて省いて、「です・ます」で済ませたなら、かなりの時間短縮が可能となり、その時間分、実質的な質疑応答に回すことができて、当然情報処理量をも増加させて情報処理の向上に役立つはずである。

 また、質疑応答に於ける相互的な情報伝達は政治のあるべき姿の議論を実質とすべきを、実質の議論から離れて結びをことさらに「ございます」語とするのは、伝えるべき情報の実質部分でたいしたことを言っていないからこその、そのことの逆説として、自分が言っていることを正しい・筋が通っていると思わせるダメ押しの役目を持たせた装飾補強材であろう。

 上に上げた安倍首相の答弁もまさにその通りだが、たいしたことを言っていないということも、要件の一つとしている“確実性”に反する情報伝達ということになって、情報処理に関係した能力と言える。日本語の敬語の多用も、耳に聞こえはよくても、言葉数が多くなることによって、逆に情報処理を遅くする逆説を呼び込んでいると言える。

 かくかように戦略性や危機管理能力と密接に結びつくことになる情報処理能力がただでさえ見劣りする状況にあるのに対して、例え900文字の康熙(こうき)事典体への変化が、そのことによって僅かであっても情報処理をより困難としたなら、現在以上の戦略性と危機管理能力の欠如・劣りにきっと寄与するに違いない。まさに「美しい国」日本である。

 以前のブログからの引用とは2006年11月22日記事《タウンミーティング/広告代理店の参考人招致を-『ニッポン情報解読』by手代木恕之》を指す。当ブログ記事の趣旨に関係しないが、蓮舫の追及が的確なものになっているかどうか、少し回り道をしてみる。

 蓮舫は「ヤラセ質問があった、岐阜でのタウンミーティングでの経費です。内閣府が広告代理店に指示をした最低コスト表です」と言って、「空港(又は駅)での閣僚送迎等」、「会場における送迎等」各任務と任務ごとの報酬金額を書き入れたフリップを提示する。対して政府参考人内閣府大臣官房長の山本某は「これはただ、これは業者の方で入れた額であるということをご理解いただきたいと思います」と答弁している。

 このグログを書いた当時、まだ理解が足りなかったことに遅まきながら気づいたが、この遣り取りからすると、「内閣府が広告代理店に指示をした最低コスト表」の金額を上回る金額を「単価内訳書」に「業者の方で入れた」ということになる。となると、広告代理店側の見積もりが正しかったかどうかという問題以前に内閣府が指示した最低コスト表の金額が妥当であったかどうかの問題に比重を置かなければならないことになる。

 ところが蓮舫が「その単価表適正だったんでしょうか」と質すと、山本某は「今申し上げましたように入札をするときに全体の各項目前後の項目につきまして、それぞれの業者が単価を入れまして、それで総トータルで一番安い所に落としているわけでございます」と答弁、各単価設定の権限と責任を広告代理店側に全て預けている。蓮舫はこの矛盾を追及しなければならなかった。最初に断ったようにこのブログを書くときは理解力不足でこの点に気づかなかったが、蓮舫はプロの政治家としての地位にある。相手の言葉の矛盾を捉える嗅覚を政治のプロなりに備えていなければならない。その嗅覚は言葉を張り上げることは得意だが、今以って鋭さを備えるところにまでいっていないように見える。

 回り道はこのぐらいにして、上記2007年1月11日のブログで意図している内容は「労働生産性」という言葉は使っていないが、丁寧語の廃止・普通語(=非丁寧語)の使用によって情報処理量を可能な限り凝縮することを通して情報処理の効率意識を高め、併行して情報の読み・解き・伝達の処理の速度を早めることに意を用いていけば、情報処理量能力が自ずと高まり、この能力アップは仕事の速度に影響して、労働生産性の向上にリンクしていくといったことである。

 生産性向上は新技術開発や仕事の進め方等の影響を多分に受ける。新技術開発は頻繁に日の目を見るものではない。そこで仕事の進め方を効率化の方向に様々に工夫することになるが、工夫から取り残されている一つが既に指摘済みのコミュニケーション(=意思疎通)に於ける言葉の使い方であろう。それが日本人の本質的な行動様式となっている権威主義が強いる下の地位の者が上の地位の者に対して慣習として使う必要に迫られている丁寧語の使用であり、丁寧語には勿論のこと敬語も含まれる。狭い知識からの物言いだが、日本人程丁寧語や敬語を使う国民はいないのではないだろうかと思っている。

 丁寧語や敬語を取り払って、普通語(=非丁寧語)で意思疎通を図ることができたら、行動開始までの時間短縮が可能となる。あるいは行動中の必要とされる意思疎通の時間短縮も可能となり、短縮された時間を行動に振り向けることも可能となる。前者の例で言うと、例えば下の者が上の者に対して何らかの作業開始の許可を得るのに、「取り掛かってもいいですか」とか、「取り掛かっても構いませんか」と丁寧語で尋ねる。これを目上や上司に対する敬意は気持ちだけにして普通語(=非丁寧語)で、「取り掛かります」と言うか、あるいは「取り掛かりますが」と許可を求める気持ちを込めて聞く。対して聞かれた方は「いいよ」とか、「もう少し待った方がいい」とか、イエスかノーの意味で答える。

 一見すると、丁寧語の廃止は意思疎通の言葉数のうち、数語の省略が期待できるのみで、仕事の進め具合に左程の変化がないように見えても、数語の省略が職場数に応じて増えることになり、会社全体で、しかも経営規模が大きい程、数語の倍率は無視できない言葉数となる。さらに1日8時間労働を掛ける、あるいは1カ月20日出勤を掛ける、さらには年間労働の240日を掛けていくと、従業員1人1人の1日の言葉の省略はたいした数ではなくても、全体の省略は相当量にのぼって、その分の時間を実質的な労働に回すことができる。その上、こうなることを認識して行動した場合、効率化意識が涵養される方向に向かうはずで、このことと平行して誰に対しても丁寧語や敬語を普段から使わずに日常的に普通語(=非丁寧語)を使うことが習慣化すれば、権威主義的行動様式が薄れていき、脱却するところにまで行き着くことによって自分の頭で考えて自分で行動していく自律性の獲得が自ずと可能となり、効率意識の強化と権威主義からの脱却=自律性の獲得の両方が合わさって、労働のスピードアップ、労働成果の向上、即ち労働生産性の向上に結びついていくという道筋を取ることは決して不可能ではない。

 政治は常に労働生産性の向上を掲げる。だが、日本の労働生産性に関する世界の統計は見てきたとおり芳しい順位を与えてくれない。日本の低い労働生産性の改善は日本人の行動様式である権威主義の力学が強制している地位の高低を、あるいは先輩・後輩に応じた上下関係、格式を丁寧語の廃止と普通語(=非丁寧語)の使用によって擬似的に対等な関係に持っていけば、情報処理の時間的な短縮化を図ることができる。

 情報処理そのものの本質的な部分は的確な判断能力に負うが、どのような仕事も何をどうすべきか、何をどうしたらいいかはその場、その場に応じた瞬時の情報処理で答を得て、それらの答のトータルが仕事の効率性と効率性の反映としての仕事量となって現れる。つまるところ、仕事というものを成り立たせている基本的な条件はその場のひと手間ひと手間に応じた情報処理であり、その連続が仕事全体を支えることになる。情報処理の時間的な短縮化と的確な判断能力に基づいた情報処理自体が最終的には労働生産性の向上に行き着くことになる。

 国会質疑の場では首相以下の閣僚と質問者との間の先輩後輩の関係、年令や地位に応じた上下関係の力関係とは無関係に双方共に丁寧語を、それも過剰なまでの丁寧語の数々を用いているが、このことは権威主義的な人間関係の力学から自由になっているからではなく、世間に対して紳士的な振る舞いを必要とする改まった場での一般的に生態化した姿としているからに過ぎない。もし自由になっていたなら、回りくどい言い方の丁寧語自体を上の立場の人間も下の立場の人間も、双方共に必要としないはずだが、上の立場にある人間が下の立場にあったときに丁寧語の使用を習慣として根付かせてしまっているから、改まった場では結果として双方の力関係とは無関係に双方共にバカ丁寧なまでに丁寧語を使う羽目に至っている。権威主義的な人間関係の力学に囚われていることの証明にほかならない。

 では、丁寧語の廃止と普通語(=非丁寧語)の使用によってどの程度の情報処理の時間的な短縮を図ることができるのか、2022年2月7日衆議院予算委員会での立憲民主党小川淳也の質疑応答を用いて、その全文から丁寧語を普通語に転換、全文の文字数と出した省略文字数の比率から小川淳也の質疑応答時間に対する普通語を用いた場合の節約時間を割り出し、その節約時間を情報処理の時間的短縮率と看做して、その時間的短縮率を2月7日1日の実質的な質疑開始時間から終了時間までの所要時間に掛けて、大まかな結果値となるのは避けられないが、1日分の短縮時間と短縮文字数を算出して、それを以って情報処理量の短縮と見ることにする。

 勿論、情報処理量を短縮できたからと言って、それがそのまま的確な判断能力の向上に繋がるわけではないが、既に触れているように丁寧語の廃止と普通語の使用という話し言葉に対する効率意識の芽生えが情報処理の時間的短縮や話し言葉の短縮で終わらずにこれらのことを取っ掛かりに情報を如何に処理するかに意識を集中すれば、自ずと的確な判断能力の質の獲得に向かわせて、情報処理量能力を高め、結果として労働生産性の向上へと進ませる可能性は決して否定できない。

 小川淳也の質疑時間は《国会中継 @ ウィキ》から2022年2月7日の質疑者一覧と共に記載されている持ち時間に依った。過去の記録はそのまま消去されるようである。その日は質疑開始時間が「09:00」、休憩1時間を挟んで終了時間が「17:00」、7時間の質疑となる。小川淳也は「11:06-12:00」の54分間。「国会会議録検索システム」から2022年2月7日衆議院予算委員会の質疑応答全文を「テキスト印刷用ファイル」で抽出、根本匠予算委員会委員長の「これより会議を開きます」からの全文をMicrosoft Wordに貼り付けた文字数は「135284」文字。小川淳也の質疑応答全文は「17634」文字。ここから丁寧語を普通語に直すと「16799」文字となって、「835」文字の省略。

 小川淳也の質疑応答全文「17634」文字に54分間掛かっているから、1分間に直しと、17634文字÷54分=327文字(四捨五入)。丁寧語を外して835文字省略できた16799文字÷327文字(1分間)=51分(四捨五入)。全体の54分-51分=3分間の省略となり、時間上の省略率は54分-51分=3分/54分x100=5.5%。

 小川淳也の質疑応答の場合はたったの3分間、5.5%の省略だが、質問者によって発言の早い遅いや中断時間があること、大臣席から答弁台までの往復の時間、半日の場合等があることを考慮し、控えめに見て4.0%の時間省略率に割り引いて、1日の質疑7時間の420分にかけると、16.8分、小数以下を切り捨てて1日16分間の省略時間とする。

 《令和3年衆議院の動き》に記載の2021年の「本会議、委員会等の開会回数及び公述人数等」によると、

 第204回国会(常会)(令和3. 1.18~ 6.16 150日間)本会議、委員会等の開会回数は本会議と常任委員会342回 特別委員会53回
 第205回臨時国会本会議と常任委員会10回、特別委員会9回(11日間)
 第206回特別国会本会議と常任委員会21回、特別委員会18回(3日間)
 第207回臨時国会本会議と常任委員会36回、特別委員会18回(16日)

 合計すると507日の開催日数となっている。半日開催の場合もあると思うから、これを500日として、500日x16分=8000分÷60分=133時間(四捨五入)÷8時間/1日=16.625日となるが、少なく見積もることにして、小数以下切り捨て16日とする。

 要するに1年間の国会開催で丁寧語抜きだと、衆議院だけで16日間の時間が節約できる。参議院もほぼ同程度の質疑日数があることと仮定すると、1年間で1日8時間質疑として優にひと月の日数省略ができることになる。決して小さくない情報節約量である。このことを裏返すと、政府閣僚も国会議員も丁寧語を無闇に使うことによって国会質疑の生産性を落としていることになる。ちょっとしたことを伝えるのに話が長過ぎて理解するのに苦労するという場面を作り出す人間が時折り存在するが、国会議員が全員してそういった場面を少なからず演出していることになる。

 自身が発信する情報の量的節約への意識傾注は自ずと自らが提供する情報の簡略化と情報の精度を高める作用を促すはずで、情報の受け手である国民に対しても情報理解を助けることになって、国民をも巻き込んだ国会質疑の生産性の向上に貢献していくことになる。そしてこういったことが国会の場で手始めにであっても慣習化された場合、この慣習は一般社会が生産性向上意識を持ちさえすれば、情報処理に向けた効率化意識を自ずと芽生えさせて一般社会にも受け継がれていき、上下関係が強いる丁寧語の使用の省略自体が上下関係意識を希薄化させると同時にその希薄化に応じた意思疎通の余分な時間の掛かりを省いて、仕事の効率化を促し、最終的に労働生産性の向上に行き着く可能性は否定できない。

 では、小川淳也の2022年2月7日衆議院予算委員会での質疑とその応答から丁寧語をどのように普通語に変えたかを参考までに記載してみる。変えた普通語は丸括弧内に太字で示した。既に文字数を数え上げたあとだから、「国会会議録検索システム」の行の開きもないテキストを読みやすいように改行ごとに1行ずつ開け、質疑者、答弁者の名前は太字にして、発言の始まりと終わりにカギ括弧つけ、漢数字を算用数字に変えた。

 中には丁寧語を普通語に変換することによって文字数が1、2語増えるケースがあるが、全体的な情報処理(発言数と発言時間)の短縮化が証明される限り、この短縮化と丁寧語の普通語への変換が誘発することになるだろう上下の権威主義的行動様式の希薄化を通した生産性向上の目論見を優先させるために個々のケースでの文字数の1、2語の増加は無視した。

 断っておくが、変換した普通語が最適な言葉とは限らないが、自身の判断の範囲内だと了解して貰いたい。

 《日本人の行動様式権威主義の上が下に強いていて、下が上に当然の使用とする丁寧語が日本人の労働生産性を低くしている(2)》に続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人の行動様式権威主義の上が下に強いていて、下が上に当然の使用とする丁寧語が日本人の労働生産性を低くしている(3)

2022-04-30 06:53:39 | 政治
 さて、どんなものだろうか。手直し前の言葉と手直し後の言葉を比較すれば、手直しした理由の見当がつくと思う。こうして直していくと、格式張ったバカ丁寧な言い回しが如何に多いかである。2、3説明するが、小川淳也の質問ののっけから、「この第6波がもたらした全ての犠牲と、そして多大な困難に、心より哀悼とまた連帯の意を表したいと思います」を「表します」と直したが、「連帯の意を表する」という態度は小川淳也にとって個人的な心情からか、国会議員としての義務、責任からか実行しなければならない行為であって、「思います」と希望することではなく、もっと直接的な行為としなければならないからである。

 態度や行動を示す動詞に期待や希望、あるいは推測を示す動詞である「思います」をつける発言が多いが、態度や行動に対する意志を期待や希望や推測の方向に心なし引き寄せてしまい、態度や行動そのものに対する明確な意志の表明を一定程度削いでいることに気づかないでいる。大体が質疑応答は言葉の闘わせ合いである。答弁を求める際、「答弁を求めます」と単刀直入に迫るのではなく、「答弁を求めたいと思います」と「思います」をつけるのは、自分では気づいていないだけで、言葉の闘わせ合いという意識を少なからず欠いているからだろう。

 格式張ったバカ丁寧な言い回しの代表的な例として挙げると、例えば岸田文雄が「1日も早く一日100万回の接種を実現していきたいということを申し上げている次第であります」の発言を「実現していきたいと伝えているところです」と直したが、既に習慣になっているからだろう、簡潔に済ますことができるにも関わらずに殊更に装いを凝らした言い回しにしている。立派な言葉遣いに見せようとする勿体付けの意識の積み重ねがこういった言葉遣いを習性とするに至ったのだろうが、結果、「です」、「ます」で済ますことができるところまで、「~でございます」とか、「~いたします」などと余分な飾り付けを施すことになる。

 根っこのところに自分は国会議員だ、閣僚だ、総理大臣だ、日本の官僚だといった権威主義がベースの何様意識を棲まわせているから、一般的な丁寧語まで超えて、格式張ったバカ丁寧な言葉まで使うようになったのかもしれない。

 もう一つ、当事者意識を欠いた言葉の多用である。「~ということを承知しています」、「~ということを聞いています」

 例えば岸田文雄の「国家賠償法に基づく求償については、当事者たる財務省において、国が個々の職員に対して求償権を有するとは考えていないと判断しているということを承知しています」

 この場合の「承知しています」は単に求償権について判断している財務省の考えを承知していることとして述べているに過ぎない。だが、総理大臣は全ての省庁とそれぞれの省庁の所管大臣を統括する最終責任者に当たる。最終責任者として全ての省庁の政策に関わる如何なる判断・考えに対してもそれを決まり事とする段階で承認を与えていることになるから、共有する決まり事となり、同時に決まり事としたことの責任の共有と自身を最終責任の保有者と位置づける自覚を保持していなければならない。つまり各省庁のどのような決まり事も自分事として把握していなければならない。

 だが、決まり事を「承知しています」だけでは、決まり事の共有も、決まり事としたことの責任の共有も、最終責任の保有者としての自覚も感じ取れないし、伝わってもこない。当然、自分事とする意思を感じることもできない。あくまでも財務省の判断をこれこれこうだと紹介したとしか受け取れない。結果、当事者意識は置き去りにされ、他人事にしか映らない。だから、岸田文雄のこの発言箇所を、「国は個々の職員に対して求償権を有する決まりとはなっていません」と責任を共有する自分事とした言葉に変えた。

 これは小川淳也に対する答弁ではなく、次に立った大串博に対する答弁だが、在日米軍が米兵士にワクチン接種と共に米国出国時と日本入国後のPCR検査の義務付けを2021年9月に解除し、外務省に伝えたとしていたが、外務省は12月に把握と主張。この時期に沖縄ではコロナ感染が急拡大したが、日本側はこの3カ月間、急拡大と検査義務の解除を知らないこととして結びつけて考えはしなかった。大串博は外務省は米側とどういう遣り取りをしたのか質問した。

 林芳正「実務レベルでやり取りを行った結果、在日米軍からは、在日米軍として新型コロナ対策に関して日本側と緊密に連携する中、出国前検査の免除について外務省に通知していたとの認識であるとの説明がありましたが、これに対し、日本側としてはそのような認識は持っていなかった旨、改めて明確にしたところでございます。

 その上で、両者の認識にそごがあったことを踏まえて、今後はそうした状況が生じないように、検疫・保健分科委員会の場を含めて、より一層緊密に連携していくことで米側と一致したものと承知しております」

 この場合も米側との取り決めを「承知している」こととのみ位置づけて、外務省を所管する外務大臣の立場上、自身の責任事項として引き受ける意識を欠いている。話し合い、取り決めたのが担当部署の職員であったとしても、決定事項の報告を受けているだろうから、受けていなければ、「承知しております」という言葉は出てこない、あくまでも「より一層緊密に連携していくことで米側と一致しました」と所管大臣としての責任を関与させるべきだろう。

 例え自身が直接的に関わって取り決めたことではなくても、組織の最終責任者である以上、全ての責任を引き受ける意識は持たなければならない。でなければ、最終責任者と言えない。にも関わらず、「~ということを承知しています」、「~ということを聞いています」といった発言が多いのは下手なことで足を引っ張られて、経歴に傷をつけたくないといった責任回避意識をどこかに根付かせていているからなのだろうか。

 責任意識が強ければ、回りくどいバカ丁寧な発言や格式張った発言、持って回った発言は影を潜めて、「です」、「ます」の断定口調の多用が見られることになり、この面からも情報処理の効率化が図られて、ゆくゆくは労働生産性の向上という究極の目的達成の一助になるかもしれない。

 丁寧語からの普通語への転換が権威主義的行動様式からの脱却と情報伝達の効率化へといざない、最終的に労働生産性の向上という姿を取っていくことになるというこの目論見の実現性はどう判断されるだろうか。

 最後に小川淳也の質疑を取り上げた序にアベノマスクの配付について追及した箇所での情報処理の程度を見てみたいと思う。一部には小川淳也を論客と評価する声もある。勿論、情報処理の程度は仕事の生産性に関係していくことになり、広く捉えた場合、労働生産性にも影響する。

 小川淳也「関連して、瑣末なことだと思われるでしょうが、大事なことなのでお聞きします(質問します)。いわゆるアベノマスクの配付、処分について。

 これは、37万件の応募があった、2億8千万枚の配付希望がある、しかし在庫は8千万枚しかない。どうやって2億8千万枚を、8千万枚に査定する必要があると思いますが、これは誰が担い、どのようにコストを負担するんですか」

 後藤茂之「今、小川委員の指摘がありましたとおり(指摘どおり)、昨年12月24日から本年1月28日までの間に合計37万件という多数の申出をいただいたのはそのとおりでございます(多数の申出があったのはそのとおりです)。

 現在、厚生労働省において、まずはこの多数の希望について具体的な集計作業を進めているところでございまして(ところでして)、今後おおむね1か月程度で、個々の希望者への配付枚数等を決定しまして(決定して)、その状況を公表する予定としております(予定です)。

 配付希望者の内訳や配送費用については、こうした作業の結果明らかになるものであり(明らかになりますから)、現時点でお示しすることは(示すことは)厳しい状況です。

 小川淳也「これは総理にも御承知おきいただきたいんですが(これは総理も承知しておくべきですが)、担当課たる厚生労働省医政局経済課には約30名の職員がいます。37万件の応募を精査するんです、これから1か月かけて。1人1万件を超えるんですよ、みんなでやったとして、毎日やったとして。このマスクの配付に大事な医政局の30名を、1人1万件、1か月かけて精査させることにどれほど国政上の意味がありますか。どういう意味があるんですか。

 お聞きしますが(聞きますが)、厚生労働大臣、厚生労働省は、基本的対処方針において、1月25日の変更かな、不織布マスクを感染症対策としては推奨し、布マスクは推奨していませんね、この事実だけ」

 後藤茂之「不織布マスクの方が布製マスクよりも効果があり、基本的に対処方針で不織布マスクが推奨されている(不織布マスクを推奨している)というのは事実で、これは国民の皆さんによく分かっていただきたいと思っております(これは国民のみなさんはよく理解しておいてください)。

 ただ、要するに、飛沫を出す側と吸い込む側の双方がマスクを装着することでマスクの効果というのは高まりますし、それから、不織布マスクの内側にガーゼを当てていただくことで(当てることで)マスクの着用が心地よくなるとか、いろいろな工夫はあるだろうというふうに思っております(思います)。

 小川淳也「だったら、それを厚生労働大臣、率先してやってください。布マスクして、その上から不織布マスクして、率先してやってください。そんな人見たことありませんよ。

 不織布マスクと書いてあるんだから、マスク着用は、厚生労働省の、コロナ対策本部の本部決定で。その感染症対策に使えない布マスクを、もう一回申し上げますが、30名の職員で37万件を精査して、配送する。愚策にもほどがあるでしょう(ほどがあります)、総理。

 それで、じゃ、もう一つお聞きしますね(もう一つ聞きます)。感染症対策に使えないんだから。

 ちまたでは言われているわけです(ちまたで言われています)、御存じだと思いますが(承知しているはずですが)、使い捨ての雑巾にしたらいいじゃないかとか、野菜の栽培の苗床にしたらいいじゃないかとか、野菜の乾燥防止だとか、赤ちゃんの暑さ防止に保冷剤を入れたらどうかとか。いや、それは、知恵を働かせてこういう提案があることはいいことですが、問題は、こういう用途のために税金でマスクを調達し、それを査定して配送することは政策判断として適切かどうかという問いに真っすぐ答えなきゃいけない。総理、いかがですか」

 後藤茂之「在庫となっている布製マスクは、そもそも、国民の皆様にマスクとして活用いただくという目的で、配付することを目的に調達したものでございます(マスクとして活用する目的で、配布すべく調達したものです)。本来の事業目的を踏まえれば、今般配付する布製マスクも、マスクとして御活用いただくことを優先して配付するべきだというふうに思いますけれども(マスクとしての活用を優先して配布すべきですが)、具体的な利用法については、有効に活用していくということで考えております(考えています)」

小川淳也「いや、厚生労働大臣、せっかくお出ましいただいたので(せっかく出席しているのだから)、これは有効な使い方ですかと聞いています。雑巾、野菜の苗床、乾燥防止、赤ちゃんの保冷剤、これは有効な使い方ですかと聞いています」

 後藤茂之「今、具体的な事例についてそれぞれ申し上げるということではありませんけれども(申し上げはしませんが)、少なくとも、使い捨て雑巾やいわゆる栽培に使われるような話ですか(使うという話ですか)、そういうことも含めて、それが適切な用法であるかということからいうと(それが適切な用法であるかというと)、有用とは少し違うように思います」

 小川淳也「今、否定なさいました。

 総理、もう申し上げたことは伝わっていると期待したいと思うんですが(私が言おうとしたことは伝わっていると思いますが)、私もちょっといろいろな声も受けていまして、これは、一件審査して全部配送って、ちょっと、どこまで親切なんだということですわね。税金ですから、元手は全部。

 これも私、いいとは思えないんですが、せめて最悪じゃないかもしれないのは、もう本当に迷惑千万ですが、都道府県や市町村や国の出先機関に一定量を配送して、御入り用の方は取りに来てくださいという方がまだましじゃありませんか(まだましじゃないですか)、総理。処分するか、使うのであればそういうもうちょっとましな配送方法を考えるか、もうちょっと改善が必要じゃありませんか」

 岸田文雄「まず、御指摘の布製マスクですが(指摘の布マスクですが)、これは、かつて日本の国においてマスクが不足をし、国民の中で、マスクが不足をしている、そしてマスクが高騰していく、大きな不安が社会の中で広がっていた、こうした事態に対して、少しでも国民の不安を和らげるために何か施策がないか、こういったことで打ち出された施策であったと認識をしています(認識しています)。しかし、その後、マスクの流通は回復しました。そして、不足に対する心配、これは払拭されました。

 こういったことを踏まえて、昨年末、私の方から厚生労働省に対して、希望をされている方に配付をし、有効活用を図った上で、年度内をめどに廃棄をするよう指示をした、こうしたことであります(こうしたことです)。

 そして、それを受けて、今、多くの方々がこのマスクを利用したいということで希望を寄せられている(利用したいと希望している)、これが、先ほど委員も御指摘になられた(指摘した)、この多くの希望者が殺到している状況であると認識をしています(状況だと認識しています)。希望をされる方があるのであるならば(希望者があるならば)、これは是非有効利用はしていただきたいと思っています(これは是非有効利用を願いたいと思っています)。

 そして、廃棄なのか、それから、それを配送するのか、このコストのこともおっしゃいましたが(言いましたが)、有効利用していただけるのであるならば(有効利用できるのであれば)、当初からこの布製マスクについては配送の予算というのは想定していたわけでありますから、これは配送した上で有効利用していただく(有効利用をお願いする)、こうしたことを考えていただくのは(こうしたことを考えるのは)意味があるのではないかと考えています(考えます)」  

 小川淳也「ちょっと受け止め切れない御答弁ですよ(答弁ですよ)。

 そもそも、あの感染が流行していたときに、第一波、そしてマスクが手に入らない状況下で、布マスクがどれほど国民の安心につながったのかというそもそもの問題があります。しかし、そのときに調達したものだから、苗床にしましょう、雑巾にしましょうと言っていることも含めて有効活用してもらえばいいという話にはならないでしょうとお聞きしているんです(聞いているのです)。配送費用だって、今回その安心のためじゃありませんからね、そこに何億もかけるんですかという話なんですよ。考えにくい。

 これはまたやらせてください、改めて。もう、ちょっとこればかりはあれだから」

 アベノマスクについてネットで調べつつ簡単にお浚いしておく。安倍晋三の音頭取りで約260億円をかけて約2億8700万枚の布マスクを調達、2020年4月17日から全世帯各2枚ずつと介護施設等への配布が始まり、配布完了は2020年6月20日。2億8700万枚のうち、3割近い約8200万枚(約115億円相当)が残り、未配布のまま倉庫に保管されていることと、2020年8月から2021年3月にかけての保管費が約6億円に上ることが2021年10月報道の会計検査院2020年度決算検査報告で明らかにされ、マスコミと共に国会で取り上げられることになった。1カ月当たり約7500万円の保管費の計算となり、アベノマスク1枚平均単価約140円で計算すると、約8200万枚は総額約115億円相当分を眠らせたままでいた。

 岸田文雄は2021年12月21日の記者会見で「希望者に配布、有効活用を図った上で年度内を目途に廃棄を指示」した旨を発言。希望者を募ったところ、上記質疑にあるように37万件の応募、枚数で言うと、2億8千万枚。在庫約8200万枚に2億8千万枚、37万件の応募は単純計算で1件当たり756枚。大体がこの応募数自体を怪しいと見なければならないが、怪しい理由をあとで述べる。

 厚労省職員が精査して、配布先を決定。後藤茂之の発言のように「配付希望者の内訳や配送費用については、こうした作業(配布希望者が配布先決定)の結果明らかになる」は当然だとしても、費用対効果の問題は避けて通ることはできない。小川淳也は「マスク配付に大事な医政局の30名を、1人1万件、1か月かけて精査させることにどれほど国政上の意味があるのか」問い質し、対して後藤茂之は「不織布マスクの内側にガーゼを当てていただくことで(当てることで)マスクの着用が心地よくなるとか、いろいろな工夫はあるだろうというふうに思う」とあくまでも有効活用をの方針を捨てないでいる。アベノマスクはガーゼ生地を12~16枚重ねて縫製してあるそうで、アベノマスクを下地に不織布マスクと重ねて二重マスクとしての利用価値を主張している。

 この主張に対して小川淳也は二重マスクしている人は見たことがない、使い捨ての雑巾、野菜の栽培の苗床、赤ちゃんの暑さ防止の保冷剤入れ等の利用方法が街で噂されているが、「問題は、こういう用途のために税金でマスクを調達し、それを査定して配送することは政策判断として適切かどうかという問いに真っすぐ答えなきゃいけない。総理、いかがですか」とあくまでも費用対効果の問題に拘っているが、逸(そ)れなくてもいい脇道に自分から逸れている。

 後藤茂之の言う二重マスクとしての利用提供に同じ内容の質問をぶつけて、費用対効果を問い質すべきだったろう。ガーゼは現在は100円ショップで薬局製品と品質の変わらない物を扱っている。税込み110円の30㎝×35㎝のサイズなら、縦横3つ折りにすれば、9枚重ね。もう一組用意すれば、220円で18枚重ねとなって、アベノマスクは12~16枚重ねの縫製だそうだから、不織布マスクの下地として十分に使える。2枚重ねを必要とする者だけが百均で用意すれば、わざわざ余分な税金を使わずに済む。

 100円ショップのダイソーでは43cm×100cmサイズで2枚重ね柄物の『ダブルガーゼはぎれ』を税込みで220円で扱っていて、これでマスクを作ることがはやっていると言う。
 アベノマスクをガーゼとして利用することを提案したのは日本維新の会の市村浩一郎で、この予算委の4日前の2022年2月3日の衆院予算委で行っている。市村浩一郎はニュースで見て知ったという産着(生まれたての赤ん坊に着せる着物)の写真を示した上で地元の支持者も産着を作っていた、アベノマスクを5枚とか、6枚とかばらして作ったといったことを有効活用の例として挙げて、「アベノマスクを廃棄せずに、やはりしっかりと生かしていったらいいんじゃないか、活用したらいいんじゃないかということで、(支持者からか)御提案があったわけであります」と紹介していた。

 多分、後藤茂之は市村浩一郎のこの提案からアベノマスクを不織布マスクと二重にして活用する工夫を思いつき、配布の必要性の一つの例にしたと思われる。だから、「不織布マスクの内側にガーゼを当てていただくことで」とガーゼとして扱ったのだろう。尤も小川淳也はこの日の予算委員会に出席していなかった。だとしても、知らなかったでは済ますことはできない。2月7日の予算委でアベノマスクに関しての追及を予定していたなら、出席していない2月3日の予算委でアベノマスクに関する質疑応答があったかどうか、あったなら、どのような応答だったのか、参考のために目を通しておかなければならないからだ。

 国会会議録は速記者の作成後、一次校閲、最終校閲、編集を経て、会議録として発行、保存するそうだが、公開まで20日から1カ月かかる。ところが現在参議院副議長就任に伴い立憲を離党している小川敏夫は民進党時代の2017年2月28日に参議院予算委員会の質疑に立ち、翌日の2017年3月1日には「議事録(未定稿)」として「オフィシャルサイト」に自身の分の質疑内容を紹介している。国会議員の特権として未定稿の段階で目を通すことができることが分かる。当然、小川淳也も2月3日の質疑内容に目を通してから、2月7日の質疑に臨んだはずで、アベノマスクのガーゼとしての再利用の費用対効果に目を向けることになったはずだ。だが、それができなかった。

 2月3日のアベノマスクに関する質疑に目を通していなかったとしても、費用対効果の点から配布に反対しているのだから、アベノマスクを利用してマスクを二重にする場合と市販のガーゼを購入して二重にするのと、どちらが安価に済むのか、機転を利かせた追及を試みなければならなかっただろう。

 市村浩一郎はアベノマスクの産着への仕立直しを立派な活用例の如く得々と発言していたが、アベノマスクが5枚も6枚も使わずに残っていたから仕立直しが可能になったのであって(何回か洗いながら使ったあとのマスクなら、戦後のモノのない時代ならいざ知らず、モノが溢れている今日、晴れ着の意味合いもある産着を古着で仕立てることになる)、使わずに残っていたということは全然褒められたことではないし、新たに産着なりが必要になったなら、100円ショッピなり、薬局からガーゼを購入して新規に作ればいいことで、配送費用や希望者を受け付ける経費、多過ぎる希望者を篩い分ける経費等と比較した国民の税金を原資とする効果を厳密に計算して決めるべきだが、後藤茂之も、岸田文雄もそういった答弁とはなっていないし、小川淳也の追及も、厳密にはそういった答弁を求めるものとはなっていない。

 岸田文雄は「廃棄なのか、それから、それを配送するのか、このコストのこともおっしゃいましたが(言いましたが)、有効利用していただけるのであるならば(有効利用できるのであれば)、当初からこの布製マスクについては配送の予算というのは想定していたわけでありますから、これは配送した上で有効利用していただく(有効利用をお願いする)、こうしたことを考えていただくのは(こうしたことを考えるのは)意味があるのではないかと考えています(考えます)」と意味もない回りくどい言い回しで、在庫分の約8200万枚についても配送予算は既に想定していたから、配送に使うのは問題ないという発言をしているが、予算というものは想定していたから、あるいは計上したから、使わなければならないというものではない。費用対効果の点で生じることになった疑義を無視して予算執行を押し通した場合、内閣の国民の税金に対する金銭感覚が疑われることになる。予算を計上した事業について事業そのものの必要性や費用対効果の点で疑義がないかを点検するために、いわば疑義を疑義のまま放置して税金の無駄遣いに行き着くことがないように民主党政権が用意したのが「事業仕分け」であって、自民党政権になってから、「行政事業レビュー」と名を変えて登場することになったはずだ。小川淳也は岸田文雄が「有効利用していただけるのであるならば、有効利用していただく」と仮定を前提とするのみで、有効利用の実質的な費用対効果を説明しないままに想定した予算は想定どおりに執行とするといった無茶な発言に食いつかなければならなかったが、「ちょっと受け止め切れない御答弁ですよ(答弁ですよ)」としか切り返すことができなかった。

 追及の不手際は情報処理の不手際に起因する。情報処理の不手際は追及の不手際で終わらずに国会質疑にムダな時間を費やしたり、堂々巡りを繰り返すといった生産性の問題に行き着く。このことは様々な行政運営の手際の良し悪しに直結する可能性は否定できない。

 2022年4月1日付「時事ドットコム」記事が厚生労働省は在庫として大量に残っている「アベノマスク」を4月1日から希望者への配送を始めると発表したと伝えていた。配送費用は約3億5000万円に上る見込みで、申請を受け付けていたコールセンター費用が約1億4000万円に上る見通しだと伝えていたが、配送費用約3億5000万円が倉庫料込なのかどうか分からないから、約3億5000万円のみで合計すると、第2次配布経費は約4億9000万円の費用がかかることになる。

 ここに倉庫保管費用をプラスしなければならない。在庫約8200万枚の2020年8月から2021年3月にかけての倉庫保管費用が約6億円。2020年10月に佐川急便と月額約2000万円で契約。それ以前は日本郵便と契約していたそうだが、佐川契約の2020年10月から第2次配布開始の2022年4月1の前の月3月までの6ヶ月間の倉庫保管量は2000万円×6カ月=1億2千万円。これを合計すると、7億2千万円。4月1日から希望者への配送が始まったとしても、在庫がゼロになるまで保管個数や保管面積の減少に応じた保管料が発生し続けるそうだから、これもプラスしなければならない。この金額を+αとする。


小川淳也が指摘していた37万件の応募を精査する厚生労働省医政局経済課職員の人件費も計算する必要がある。時間内労働だから、計算外だという論理は成り立たない。これらの金額を+βとする。

 厚労相後藤茂之は2021年12月24日の記者会見で「仮に在庫約8000万枚の全てを廃棄した場合の費用についてだけ申し上げておくと、大まかな目安としては6000万円程度と考えております。この量については、今後希望の方に配付し、また、買っていただく方等もあるかとかいうことも進めますのでその後の数字になりますが、8000万枚なら6000万円程度と承知しています」と発言しているから、2次配布せずに遅くとも2020年8月の時点で全廃棄していたなら、倉庫保管料合計7億2千万円+第2次配布経費約4億9000万円+(4月1日以降の倉庫保管料+α)+(厚労省職員人件費+β)-廃棄金額6千万円=(11億5千万円+α+β)の税金が浮くことになる。

 政府は「有効活用、有効活用」と言うだけで、在庫8200万枚第2次配布に掛かる経費計上(11億5千万円+α+β)の費用対効果を証明できなければ、有効活用に供したとは言えないことになる。

 アベノマスクが大量に残ったから、配布希望者を募集したところ、在庫数約8200万枚に対して2億8千万枚、37万件の応募があった。単純計算で1件当たり756枚も希望した。大体がこの応募数自体を怪しいと見なければならないと先に述べ、その理由を後で述べるとしたが、勿論、推測の範囲内となるが、その理由を説明してみる。

 岸田文雄は2021年12月21日の記者会見で「財政資金効率化の観点から、布製マスクの政府の在庫について、御希望の方に配布し、有効活用を図った上で、年度内をめどに廃棄を行うよう、指示をいたしました」と発言している。要するに岸田文雄自身、8200万枚もさばけるとは思っていなかった。財政資金とは国家資金のことで、その効率化を優先させる、これ以上保管のために税金を投入してはいられないということだから、発言のニュアンスから言っても、かなりの枚数の廃棄を見込んでいたはずだ。見込んでいなかったとしたら、アベノマスクに対する世間の受け止めに疎いことになる。例え口外することはなくても、一国の首相として状況についての情報収集に努めていなければ、自身の政策の教訓とすることもできなくなって、下手をすると、裸の王様になりかねない。岸田文雄はまた、それなりの枚数の2次配布を試みることで、一応手を尽くしたところを見せて安倍晋三のメンツを立て、納得して貰ったところで不人気の幕引きを図るつもりだったはずだ。

 アベノマスクの1次配布が終えた時期と重なる2020年6月20、21日実施の朝日新聞の世論調査。

 ◆あなたのお宅では、政府が配っている布製のマスクが役に立ったと思いますか。役に立たなかったと思いますか。

 役に立った 15
 役に立たなかった 81
 その他・答えない 4

 朝日新聞世論調査から約50日後、「マスクに関する意識調査」(株式会社プラネット/2020.08.11) 

 ◇マスクに関する意識調査(2020年7月17日~20日、インターネットで4,000人から回答)

 〈一方、さまざまな物議を醸した政府配布の、いわゆる「アベノマスク」は、現在使っている人は3%あまり。今後使いたい人も2%にとどまりました。〉
 
 アベノマスクがこれ程の不人気であったにも関わらず、配布希望者を募り、いざ蓋を開けてみると、在庫数約8200万枚に対して2億8千万枚、37万件の応募があった、この超人気ぶりは何を物語るのだろうか。過疎化と移動手段の自動車シフトによって乗客が極端に少なくなり、事業撤退に追い込まれることになった鉄道の廃線を惜しんで運行最終日のセレモニーに大勢の人間が記念に集まって、始発駅にかつてない賑わいを見せるのと、数の点から言っても訳が違う大賑わいであろう。考えられる答は安倍晋三の政策に一点の曇りも与えるわけにはいかない、経歴にキズをつけるわけにはいかない、顔に泥を塗るわけにはいかないと、その証明のためには少しぐらいの応募数では追いつかないからと、安倍晋三支持の介護施設経営者や病院経営者やその他の経営者、個人、あるいは自民党支持者である各経営者や個人に配布希望の申出を行うよう電話やメールで自民党国会議員や県会市会議員、自民党員が声掛けを念には念を入れて熱心に行った結果、念が行き過ぎて、思ってもみない枚数と件数の応募が出てしまったという可能性は考えられる。

 安倍晋三自身が声掛けの音頭取りの一人となったことも考えられないことはない。勿論、自身は直接には関わらずに秘書にやらせるだろう。税金のムダ遣いだと散々に叩かれたアベノマスクの不人気を抹消し、名誉を挽回するための主導権を握ろうとして。でなければ、世論調査に現れている不人気ぶりと桁違いの人気ぶりの説明がつかない。尤もこういった声掛けが世間に知れたら、アベノマスクの不人気ぶりを自分たちで証明することになって、安倍晋三に恥をかかせ、その名誉に関わってくる。安倍晋三主催の「桜を見る会」では国会、県市会議員がそれぞれに自身のブログに何年続けて招待された、地元後援会会員を何名招待した、「10メートル歩いたら、(安倍晋三の地元の)山口県の人に出会う」といったことを書いて自分たちから世間に知らせることをして、税金の私物化、公費での支持者獲得、政治資金規正法違反と批判を受け、国会で散々に追及を受けたことを学び、反省から、隠密理に慎重に事を運んだとしたら、声掛けをしたという噂が出てこないとしても不思議はない。

 最後の最後まで声掛けをしたという噂は出てこずじまいで終わり、単なるゲスの勘ぐりで片付けられるかもしれないが、声掛けなければ、2億8千万枚、37万件もの応募はとてものこと考えることはできない以上、こういった情報処理を施して国会で追及するのも(既に追及しているのかもしれないが)、情報処理の選択肢を広げて、丁寧語の廃止と普通語への転換と同様に国会追及の生産性(発言数にに対する成果)を高める訓練としうる可能性は否定できない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三、松井一郎等々の核保有軍事大国の核に関わる懸念材料が何かを特定できない想像力空疎な「核共有」欲求(1)

2022-03-31 09:10:37 | 政治
 プーチンは真正な民主義制度のもとの公正・公平な選挙によって選ばれたロシア大統領とは言えない。このことを様々なマスコミ報道によってコマ切れに既知の情報としていたが、「2021年ロシア連邦下院選挙にみるプーチン政権の安定性と脆弱性」(日本国際問題研究所溝口修平法政大学法学部国際政治学科教授/2021-12-21)から順不同となるが、簡単に纏めてみる。

 プーチン批判の急先鋒アレクセイ・ナワリヌイ氏の逮捕に象徴される有力な大統領選対立候補者に対する様々な妨害・締め付け。因みに記事は触れていないが、アレクセイ・ナワリヌイ氏は2020年夏に西シベリアからモスクワに戻る機中で体調不良を起こし、ロシア内の病院で治療、後にドイツの病院に転院、そこで体内の毒物が特定されている。2021年1月のロシア帰国の空港で逮捕状が出ているとの理由で逮捕、アレクセイ・ナワリヌイ氏は現在も収監中である。

 官憲による反体制デモ参加者の拘束。裁判所の有力な反体制派団体に対する「過激派」認定。認定を受けた団体指導者は5年間、関係者は3年間の被選挙権の剥奪。これは有力な反体制派立候補者を大統領選立候補や国会議員選挙候補から遠ざける企みであろう。

 中央選挙管理委員会による大統領選だけではないロシア連邦議会国家院(下院)の野党候補者に対する不当な選挙介入、投票や票の集計に於ける不正。因みに上院に当たる連邦院は連邦構成主体の行政府及び立法機関の代表各1名からの推薦で成り立っていて、任期は無いという。

 こう見てくると、ロシアの選挙は民主主義の体裁を成していないことが分かる。プーチンがロシアで強権を手に入れたのはこのような選挙の不正や反体制派への弾圧・排除等々を利用してのことだと理解できるが、これらの不当行為自体が強権を手に入れるための必須要件となっていたことになる。警察や検察、裁判所にプーチンの息のかかった人物を配置、周囲はプーチンの望みどおりに動き、そのうち、プーチンの望みを前以って感知して、その望みに先回りして、望むことと同じことをする、あるいは忠実さのウリと報酬やよりより地位を期待して望み以上のことをする。こういった構造がロシアの隅々にまで確立すると、独裁の成立の完璧な条件となる。プーチンの陰険さはその顔にまで現れている稀有な例であろう。

 安倍晋三はこうしたまともではないロシア大統領プーチンを7年8ヶ月もの間、まともに相手にしてきた。

 反体制派への弾圧・排除は反プーチンの女性ジャーナリストにまでその魔手を伸ばしている。2006年には女性ジャーナリストアンナ・ポリトコフスカヤがアパートのエレベーター内で何者かに射殺され、2009年にはロシア軍元大佐によるチェチェンの少女誘拐・殺人事件を担当中でチェチェンの人権問題にも取り組んでいた男性弁護士と彼を取材中だった女性ジャーナリストアナスタシア・バブロワが白昼の路上で射殺されている。プーチン自身が命令を下したのではないかもしれないが、自身の権力維持の障害となる邪魔者は生死に関わらず消せの構造構築の第一歩を進めたのがプーチン自身でなければ、大統領として厳しい取り締まり側に立っていただろうから、このような妨害が社会的に日常風景化するはずはない。プーチンが望んでいるに違いないと誰かが忖度して行なったことであっても、そう仕向けているのはプーチン自身の邪魔者を消したがっている意思から始まっていることになる。邪魔者を消すことの意味と価値をソ連の情報機関・秘密警察であるKGB時代に学んだに違いない。

 ロシアの国家院(下院)選挙と大統領選挙にはロシアの中央選挙管理委員会の要請を受けて国際選挙監視団が派遣され、日本も参加している。中央選挙管理委員会自体がプーチンと政権与党である「統一ロシア」の勝利のために選挙不正や選挙妨害までしながら、国際社会に国際選挙監視団の派遣を要請する。プーチンと「統一ロシア」の勝利を正当づけるための振る舞いなのだろうが、そうまでして正当づける必要性は逆に自らは事実として抱え込んでいるゆえに消し難い選挙の不正を国際選挙監視団が代わって消してくれることを望んでいるからだろう。勿論、不正が露見しないように様々な細工はするはずである。プーチンを筆頭とした中央選挙管理委員会や、警察や検察、裁判所まで加えた様々な不正露見阻止の細工が、いわば反体制派の弱体化がプーチンの権力を強固な一枚岩とし、否応もなしに独裁へと導いていく。そしてこのようなプーチンの独裁状況の確立はロシア人の多くが民主主義を体現していないことの結果値であり、その筆頭の位置にプーチンが君臨しているということであろう。

 2022年2月24日、ロシアはウクライナへの軍事侵攻を開始した。侵攻直前にロシアの国営テレビは「プーチンの国民向けの演説」(NHK NEWS WEB/2022年3月4日 18時25分)を放送している。全文閲覧はアクセスして貰うことにして、要点をかいつまんでみる。

 プーチンはNATOの東方拡大によってその軍備がロシア国境へ接近している自国の安全保障状況は西側諸国の無責任な政治家たちがロシアに対して露骨に、無遠慮に作り出している根源的な脅威となっているとしているが、ウクライナのクリミア自治共和国とセヴァストポリ特別市のロシア併合に象徴される旧ソ連領に対するプーチンの領土拡張欲求と旧ソ連邦を目標とした大国回帰願望を内包した独裁体制に対して西側が高めることになっている軍事的警戒であって、いわばプーチン側が撒いた種なのだが、その道理も考えずに一方的に敵意ある対抗心を剥き出しにしている。

 要するに自身の行いの悪さがそれ相応に招くことになった因果応報といったところだが、自分は偉大で優秀であるという誤った尊大な自己愛に取り憑かれているからだろう、客観的に自らを省みることができないから、自身に不都合なことの原因を周囲の人間や周囲の事情に置くことになる。独裁という行為自体が自己絶対の自己愛なくして成り立たない。

 プーチンの領土拡張欲求は次の言葉に現れている。〈問題なのは、私たちと隣接する土地に、言っておくが、それは私たちの歴史的領土だ、そこに、私たちに敵対的な「反ロシア」が作られようとしていることだ。〉――

 ウクライナはかつてはソ連邦を形成する一共和国ではあったが、ソ連邦が崩壊した時点で領土に於ける歴史的一体性は終止符を打った。勿論、主権に関しても歴史的一体性は終えた。にも関わらず、「歴史的領土」だとして、暗に領土と主権の一体性の継続を求めている。これはプーチンの領土拡張欲求の現れであり、今回のウクライナ侵略という形を取ることになった。

 ウクライナを現在も「歴史的領土」と見る考え方は次の言葉にも現れている。〈完全に外からのコントロール下に置かれ、NATO諸国の軍によって強化され、最新の武器が次々と供給されている。〉。このことが事実だとしても、ウクライナの主権の問題であるし、領土拡張を意図した軍備増強ではないことは隣国ロシアの石油や天然ガス等の豊富な地下資源を背景としたIMF2020年名目GDP世界順位11位の経済規模に対してウクライナ55位、特にロシアの世界有数の軍事力との大きな差を比較すれば明らかなことで、このことは逆に国土防衛に限った軍備増強であることを物語ることになる。仮にウクライナにNATO軍が居座ることになったとしても、民主主義国家で形成されているNATO軍が理由もない侵略をロシアに対して仕掛けはしない。NATO軍が居座らないうちに侵略意思を見るのはプーチン自身が侵略思考を抱えていて、その思考をウクライナにも投影してしまうからだろう。

 このウクライナの国土防衛限定の軍備増強はその必要性の対象をロシアに置いていることはウクライナをプーチンが「歴史的領土」と現在も見ていることと、既に触れているが、実際に起こった問題として2014年3月のウクライナの主権と領土の一体性を武力を用いた現状変更によってクリミアをロシアに併合した一事、いわばロシア側から仕掛けた事態であることによって証明可能となる。にも関わらず、ウクライナの国土防衛限定の軍備増強を、〈アメリカとその同盟諸国にとって、これはいわゆるロシア封じ込め政策であり、明らかな地政学的配当だ。〉と自身の侵略思考を投影させて、ウクライナの国土防衛限定をロシア全領土対象の軍事的包囲網であるかのように被害妄想を最大化させて非難、〈我が国にとっては、それは結局のところ、生死を分ける問題であり、民族としての歴史的な未来に関わる問題である。誇張しているわけではなく、実際そうなのだ。これは、私たちの国益に対してだけでなく、我が国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威だ。それこそ、何度も言ってきた、レッドラインなのだ。彼らはそれを超えた。〉と、ウクライナもNATO諸国もロシアに対する攻撃の意思がないにも関わらずロシアに対する脅威に仕立て上げて、被害妄想を解き放つべくウクライナに対して先制攻撃に出た。

 要するにウクライナのロシアに対する脅威はプーチン自身が作り上げた虚構に過ぎない。「歴史的領土」としているウクライナをロシアの“現実的的領土”とするか、最低限、領土と主権の一体的関係に置く狙いがある。ウクライナを物理的にも心理的にもロシアの支配下に置く、旧ソ連時代への回帰意思なくして行い得ない強硬措置であろう。

 そして第2次世界大戦後の国際秩序は〈実務において、国際関係において、また、それを規定するルールにおいては、世界情勢やパワーバランスそのものの変化も考慮しなければならなかった。しかしそれは、プロフェッショナルに、よどみなく、忍耐強く、そしてすべての国の国益を考慮し、尊重し、みずからの責任を理解したうえで実行すべきだった〉が、〈あったのは絶対的な優位性と現代版専制主義からくる陶酔状態であり、さらに、一般教養のレベルの低さや、自分にとってだけ有益な解決策を準備し、採択し、押しつけてきた者たちの高慢さが背景にあった。〉と西側に責任をなすりつけているが、そもそもの原因が西側民主主義とは異質なロシアの、というよりはプーチン自身の専制主義的体質がそうさせている西側の警戒心であって、「現代版専制主義」はプーチン自らに向けるべき批判なのだが、西側諸国への責任転嫁を謀っている。

 この責任転嫁は相当に根深い。〈西側諸国が打ち立てようとした“秩序”は混乱をもたらしてきた。なぜ、このようなことが起きているのか。自分が優位であり、絶対的に正しく、なんでもしたい放題できるという、その厚かましい態度はどこから来ているのか。私たちの国益や至極当然な要求に対する、無配慮かつ軽蔑的な態度はどこから来ているのか。〉

 自身の絶対権力への誇示が招くことになっている独裁主義(専制主義)、独裁主義が与える万能感を力としてかつてのソ連邦が世界に占めていた国力と地位への回帰願望が強いることになっているソ連邦と同等の領土を手中に収めたい対外拡張欲求等々のプーチン自身による「現代版専制主義」の野望が西側のそれを許さない民主義体制の壁が阻むことになっている道理を悟ることができないでいる。独裁主義は自身のみ、あるいは自国のみを考えることによって成り立つ。

 要するにプーチンの西側に対する非難は自身の所業の言い換えに過ぎない。自身の所業を西側に投射しているに過ぎない。それをプーチンの演説から改めて拾ってみる。

 〈アメリカは“うその帝国” NATOが1インチも東に拡大しないと我が国に約束したこともそうだ。繰り返すが、だまされたのだ。俗に言う「見捨てられた」ということだ。〉

 〈確かに、政治とは汚れたものだとよく言われる。そうかもしれないが、ここまでではない。ここまで汚くはない。〉

 〈我が国について言えば、ソビエト連邦崩壊後、新生ロシアが先例のないほど胸襟を開き、アメリカや他の西側諸国と誠実に向き合う用意があることを示したにもかかわらず、事実上一方的に軍縮を進めるという条件のもと、彼らは我々を最後の一滴まで搾り切り、とどめを刺し、完全に壊滅させようとした。〉

 〈私たちからの提案に対して、私たちが常に直面してきたのは、冷笑的な欺瞞と嘘、もしくは圧力や恐喝の試みだった。〉云々――

 ロシアという大国で独裁権力を手に入れるために政敵の選挙を妨害したり、ときには毒を用いてその存在を断ったり、脅かしたり、反体制ジャーナリストを銃を用いて抹殺、あるいは反対政治団体や反政府報道機関を「過激派」認定し、反政府デモや反戦デモの開催を許可せず、強行すれば、無許可デモとして暴力的に取り締る様々な手段で報道・言論を統制し、プーチン自身に都合のいい報道・言論のみの発信を仕向ける。

 「アメリカは“うその帝国”」どころか、プーチンこそが“うその帝国”を築き、独裁権力を手に入れる素地とした。

 「冷笑的な欺瞞と嘘、もしくは圧力や恐喝の試み」はプーチンがロシア国民に対して用いてきた常套手段そのもので、西側を非難しながら、自身のことを語っている何よりの証拠となる。当然、〈私たちの政治の根底にあるのは、自由、つまり、誰もが自分と自分の子どもたちの未来を自分で決めることのできる選択の自由だ。〉の発言は独裁権力からは決して生み出すことはできない種類の「自由」である以上、自らの独裁主義を隠し、見せかけの民主主義を誇示しているに過ぎない言葉となる。「目的はウクライナの“占領”ではなく、ロシアを守るため」 と言っているが、ロシアを守るためにウクライナの市民の生命を奪っていいという法はない。ウクライナにしても、ほかのどこの国も、ロシア国民の生命を奪おうと画策しているわけではない。だが、プーチンはロシアがかつてのソ連邦のような巨大な国土を擁したいがためにウクライナを餌食にしようとしている。もしかしたら、プーチンはロシア皇帝相応の地位を欲し、歴史にその名をとどめたいのかも知れない。

 プーチンが何を望もうと勝手だが、自国民や他国民を犠牲にするどのような権利もない。問題はロシア防衛を口実に自らの軍事力を誇示している点である。

 〈軍事分野に関しては、現代のロシアは、ソビエトが崩壊し、その国力の大半を失った後の今でも、世界で最大の核保有国の1つだ。そしてさらに、最新鋭兵器においても一定の優位性を有している。この点で、我が国への直接攻撃は、どんな潜在的な侵略者に対しても、壊滅と悲惨な結果をもたらすであろうことに、疑いの余地はない。〉
 
 要するにこの誇示はロシアの防衛のみを目的とした示威ではなかった。ウクライナ侵略に対する欧米主要各国の軍事的反発を抑える一種の威しの色彩を纏わせている。ロシアに軍事攻撃を仕掛けるようなら、核の使用も辞さないぞという"核の脅迫"そのものであった。それが「我が国への直接攻撃は、どんな潜在的な侵略者に対しても、壊滅と悲惨な結果をもたらすであろうことに、疑いの余地はない」とする言葉によって表現されている。

 しかもご丁寧なことにウクライナ国境にロシア軍を集結させた状況のままベラルーシで行った2022年2月10日から20日までのロシア軍とベラルーシ軍との合同演習の際、2月19日にモスクワの大統領府からプーチンの遠隔指揮下でロシア軍による大陸間弾道ミサイル(ICBM)と極超音速ミサイルの発射演習を行っている。このこともプーチン演説で示した「世界で最大の核保有国の1つだ。そしてさらに、最新鋭兵器においても一定の優位性を有している」という言葉でそれとなく核使用も辞さないぞと見せかける"核の脅迫"をホンモノと思わせる有効な伏線とし得ているはずである。

 さらにウクライナ侵略3日後の2月27日にプーチンは戦略核の運用部隊を特別態勢に置くようショイグ国防相とゲラシモフロシア連邦軍参謀総長に命令した。西側の出方によっては核使用も辞さないぞの"核の脅迫"に、どうせハッタリだろうという受け止められ方が大勢を占めていたとしても、実際にはやるつもりはなかったが、やるそ、やるぞと見せかけていたことが何かの拍子に実際にやらざるを得なくなる場合がある突発的偶然性が核の使用もありうるという疑心暗鬼を作り出して西側の行動を制約し、結果的に"核の脅迫"がそれなりに効果を上げることもある。

 さらに2022年3月4日にロシア軍がウクライナにある欧州最大のザポロジエ原子力発電所を攻撃・制圧し、5日後の2022年3月9日にチェルノブイリ原子力発電所への外部からの電力供給を切断したことに関しては核弾頭を搭載したミサイルを直接発射したわけでも、あるいは爆撃機に核爆弾を装着して直接投下したわけでもないが、発電設備に万が一にも事故が発生した場合は放射性物質の広範囲な拡散と広範囲な放射能汚染に発展して住民の生命を危険に曝し、その場所に住めなくする事態の発生は想定範囲内となり、プーチンの核使用も辞さないぞの"核の脅迫"に現実味を与えた可能性は否定できない。

 このようにプーチンはいざとなったなら核を使用するのではないのかという懸念はプーチン自身が自国民、他国民に関係なしに基本的人権の保障を重点価値とする民主主義を自らの哲学(経験からつくりあげた人生観)としているのではなく、選挙妨害でも見せている、国民の利益よりもプーチン自身の利益――有能・偉大な大統領と見せるために軍事的にも経済的にも巨大なロシアとすることを最優先させる、そういったことの利益に合致したときのみ国民の利益を考える国家主義に立った、思想・言論の統制を武器とした押すに押されぬ独裁者としてロシア国家に君臨している冷酷無比な現実主義に依拠した感情の発露であろう。こういったことが最終的に「プーチンならやりかねない」と一言で思わることになっているはずである。

 例えば米国大統領バイデンの場合は核の使用も辞さない国家指導者だと見るだろうか。民主主義を経験からつくりあげた自らの人生観=哲学としているはずだから、無差別で広範囲な人間生命の殺戮と無差別で広範囲な生活破壊を引き起こす非人道的な惨劇を自ら作り出そうとするはずはなく、そのような危機が迫ったときだけ、危機回避を目的に、あってはならないことだが、可能性としての核使用は考えられる。このことは通常兵器使用の戦争の場合についても言えることだろう。

 要するに国家指導者の人となりが核使用をも含めた戦術決定の大きな要素となる。民主主義体制下にある国家指導者の場合は他の閣僚の意見も聞いて総合的は判断を下すだろうが、独裁体制を自ら敷いている国家指導者は自身の決定を絶対とする独裁意志のもと、鉄の意志の所有者でありたいと思う独裁者にありがちな願望が、あるいは自身は鉄の意志の塊そのものだと見がちな信念が自己の偉大さと同時に自国の強大さを見せつけたい虚栄心を常に誘発する状況に置き、人類が考えついた最強・最大の武器である核の使用もいとわないといった強がった身構えを取りがちとなる。それが現在のところ、核の使用も辞さないぞという"核の脅迫"となって現れている。

 となると、核保有国の核の使用を制御する最大の決定要件は核のボタンを独裁者に委ねてはならないという法則が成り立ちうる。大体が独裁(主義)国家は国民の基本的人権(思想の自由、宗教の自由、言論の自由、集会・結社の自由、居住・移転の自由、信書の秘密、住居の不可侵、財産権の不可侵等々)を大なり小なり認めず、抑圧する体制にあり、基本的人権を認めている立場の民主主義国家と相容れない立場上、民主主義を自らの独裁主義を崩壊させる危険思想、あるいは独裁者としての自らの地位を脅かす最悪の主義・主張と看做して敵対し、独裁主義体制と独裁主義国家を守る目的で核を最強・最大の武器と価値づけることになっている。核を守り神として、核の使用をちらつかせれば、国民の基本的人権を否定する独裁体制であっても、下手には手出しできないだろうとの計算である。

 当然、核というものからその危険要素を限りなく取り除くためには独裁者の存在を許さず、北朝鮮みたいに独裁主義に反対する民主主義勢力の存在は一切許さない完璧な独裁国家も存在するが、そうではない、民主主義を掲げる反対勢力が規模は小さくても根強く存在するロシアのような独裁国家に対してその勢力を長い時間と長い道のりを必要としたとしても、例え内政干渉と非難されても、資金提供してプーチン勢力と対等に戦うことができるまでに育てていく。あるいはプーチン側の勝手に法律を変える締め付けが厳しく、国内での活動が狭められるようなら国外に亡命政府をつくる手立てと資金を提供して、プーチンの追い落としにまで持っていくことを独裁国家に於ける核の脅威を取り除く有効な方法論としていかなければならない。独裁者の排除はロシアの場合は、勿論、プーチンのロシアの政治の舞台からの排除であり、北朝鮮の場合は金正恩の排除ということになる。

 こういったことの前提として西側諸国は先ずは核使用の危険性を回避する第一歩は独裁者の排除に置かなければならないという情報を世界に向けて発信し、「物事の平和裏な問題解決の唯一の道は独裁者の排除と民主体制への転換以外にない」を世界の合言葉としなければならない。世界の全てが民主主義国家で占められたとき、話し合いでの解決が優先事項とされ、力による領土や主権の一方的な現状変更といった暴挙は影を潜めるだろう。大体が力を用いた一方的な現状変更はイスラエルのように民主国家の体裁を取りながら、軍事的強硬国家の例外があるものの、現在では独裁国家の専売特許となっている。

 イスラエルの場合はユダヤ系アメリカ人がアメリカの選挙での影響力の大きさからイスラエルの暴挙を許してきたが、全世界に民主主義のルールを求める以上、パレスチナの領土を一方的に変更、割譲することは許されないこととしなければならない。

 プーチンがウクライナに侵略を開始した2022年2月24日から3日後の2022年2月27日に安倍晋三がフジテレビ番組「日曜報道 THE PRIME」に出演、プーチンのウクライナ侵略と核使用もありうると思わせる発言や態度を受けてのことだろう、番組で行なった安全保障関連の発言をNHK NEWS WEB記事が伝えていた。

 安倍晋三「国連は大切だが、安保理の常任理事国が当事者だった場合は、残念ながら国連は機能しない。自分の国を自分で守るという決意と防衛力の強化を常にすべきだ。

 (アメリカの核兵器を同盟国が共有して運用する政策について見解を問われて)非核3原則はあるが、議論をタブー視してはならない。NATO=北大西洋条約機構でドイツなども『核シェアリング』をしている。国民の命をどうすれば守れるかは、さまざまな選択肢をしっかりと視野に入れながら議論すべきだ。

 (その一方で)核被爆国として核を廃絶するという目標は掲げないといけないし、それに向かって進んでいくことは大切だ」

 翌日にこの記事を読んで、次のようにTwitterに投稿した。
 
 このように投稿したのは核保有軍事大国の核の使用に関わる懸念材料とはそれぞれの大国の指導者が良識ある人物であるかどうかにかかっていると見ていたからであるが、ここではその良識は民主主義を自らの哲学としているか、独裁主義を自らの哲学としているかが分かれ道となるということを付け加えたが、良識を糧としていないゆえに核の使用に走りかねない存在として独裁者の排除をTwitterに投稿し続けた。たいした読者がいるわけではないが、参考までに挙げておく。

 2月28日 〈殺人者プーチンの排除をロシア国民に呼びかけるべき。プーチンの排除が北方領土返還のキッカケとなる可能性なきにしもあらず。プーチンが独裁者であり続ける限り、返還の目はない。〉

2月28日 〈世界平和の敵、第1級の殺人者プーチンの排除をロシア国民に呼びかけよ!!〉

3月2日 〈プーチン・ロシアのウクライナ侵略。これで第3次世界大戦の枠組みが決定的となった。この将来的な世界的危機回避の最大有効策はプーチンのロシアからの排除、可能なら、中国からの習近平の排除による両国の民主化以外にないだろう。「力の行使による現状変更」といった事態は限りなく影を潜める。〉

3月5日 〈思想・言論の自由を抑えつけ、人間存在の奴隷化を謀るこの独裁者・プーチンのクビに賞金を賭ける勇者はいないのか。そんなことをしたら、プーチンと同じように権威主を背中合わせとすることになるから、したくてもできないのか。〉

3月9日 〈少しぐらい価格が高騰しても、プーチンを追いつめ、ロシア政治の舞台から追い落とし、成功すれば、世界政治の舞台からも抹殺できる。ロシアの民主化も期待でき、プーチンの秘密警察政治からも決別できる。独裁者として長く君臨し続け過ぎた。物事には潮時というものがある。既に前世紀の異物に過ぎない〉

3月9日 〈安倍晋三のお友達、プーチンを死刑台に!!地球上に独裁者の生きる道はないことを知らしめなければならない。〉

3月9日 〈プーチンの死刑台は昔ながらのギロチンが相応しい。ウクライナの子どもたちの命を奪う残酷さから比べたなら、プーチンの首を刎ねるギロチンはオモチャみたいなものだ。〉

3月9日 〈世界経済への悪影響はプーチンを死刑台に送るための一時的な代償に過ぎない。その代償は支払う価値がある。死刑台送りができなければ、代償は一時的な完結性を失い、潜在的な持続性を備える可能性が生じる。確実に死刑台に送る必要がある。〉

3月9日 〈「プーチンを死刑台に送ろう」を世界の合言葉にしよう。〉

3月18日 〈バイデン、プーチンは「人殺しの独裁者で生っ粋の悪党だ」。単なる人殺しではない。子ども・大人の区別構わない無差別殺人者である。その罪に相応しい末路として、次は「プーチンを死刑台に送ろう」と世界に向かって呼びかけるべきだろう。〉

3月23日 (プーチンの核使用の可能性に対して各国で核抑止論を正当化する声が上がっていることに対して)〈何らかの核利用を以って核抑止するのではなく、独裁者の排除と独裁主義体制から民主主義体制への創造力を用いた変換を核抑止の一歩とすべき。〉

3月23日 (ロシア反体制派ナワリヌイ氏がさらに禁錮9年の刑を受けたことについて)〈プーチンは独裁者としての自身の地位を守るためにどんな冤罪もつくり出す名人。尤も警察、検察、裁判所がプーチンの息のかかった組織でなければ、できない冤罪づくり。秘密警察時代に磨きに磨いた連携なのだろう。プーチンの排除なくしてロシアに真の民主主義は育たない。奴の政治生命を断つのは誰か。〉

3月27日 〈バイデン「この男を権力の座に残しておいてはいけない」。ホワイトハウス高官「大統領は体制の転換について議論しているわけではない。隣国などに力を行使することは許されないとする趣旨だった」何と弱気な。「問題解決の唯一の道は独裁者排除と民主体制への転換以外にない」を世界の合言葉とすべき。〉

3月27日 NHK 米バイデン大統領 プーチン氏「権力の座に残してはいけない」

3月28日 〈「プーチンは権力の座にとどまり続けてはいけない」のバイデン発言にロ大統領報道官「バイデン氏が決めることではない。ロシア大統領はロシア人によって選ばれる」。反対派不当取締、選挙妨害、暗殺、立候補資格剥奪等々様々な汚い手を使ってプーチンを当選させてきた。ロシア国民選出の正統性は皆無。〉

 どこの国の誰が核を使用しようとも、核の報復を受けない保証はない以上、核攻撃を受ける側の被害で終わらずに核攻撃を行う側にも報復の被害を覚悟しなければならない関係から、核保有軍事大国の国民は良識ある人物=民主主義を自らの哲学としている人物を国家指導者に据える義務を有することになり、この義務を、報復の被害を避けるためにも自覚するよう独裁主義国家の国民に向けて発信していかなければならないことになる。

 そして良識ある人物を国家指導者として選出する国民の義務は今回のプーチンの一主権国家に対するウクライナ侵略の非正当性と侵略の阻止を目的とする西側諸国の軍事的な介入を牽制する一つの方策として核使用も辞さないという"核の脅迫"を持ち出した一事によって明らかになった国家指導者の資質の問題にリンクする。

 だが、安倍晋三のプーチンのウクライナ侵略を受けた「核共有」発言には国家指導者の資質の点については何も触れていない。念頭に置いているだろうロシアや北朝鮮の核に対抗して国民の命を守るためにはアメリカの核を如何に活用するか、核共有を含めて議論することを勧めているのみである。但し現在の日本の安全保障は核に関しては米国の核の傘の元にある。要するに同盟国への核攻撃の目論見には米国の核を傘のように差し伸べて対抗するぞという警告自体を初期的な核抑止としている。尤も同盟国への核攻撃の動きが見えたとき、あるいは核攻撃を行なった場合、米国が自国への核報復を避ける安全意識から核の傘に基づいた核使用を回避した場合、最終的には核の傘は名ばかりとなって機能しないことになる。

 こういった恐れも考えうる核の傘に対して「核共有」を持ち出す意味は自国にアメリカの核を備蓄する関係から敵国により強力な警戒心を抱かせて、核の傘以上に安全保障という点で効果的だと踏んでいるからだろう。だが、軍備増強の厄介なところは相手もそれ相応の対策を取るか、それ相応以上の対策を取って、自らの軍事力の優越性を誇ろうとする点にある。そのレベルは核弾頭搭載可能な音速の5倍(マッハ5=時速約6千キロ)以上の極超音速ミサイルの開発や宇宙空間の軍事基地化にまで到達している。

 このことは核兵器を益々使えない兵器とする一方で今回のプーチンみたいに西側の介入を阻止する目的であったとしても、核の使用もあり得るぞと拳を振り上て見せたが、その拳を核使用までいかずに無事着地させることができればいいが、強がりが過ぎた場合は計算外の食い違いが生じない保証はなく、振り下ろすに振り下ろせずに核の発射バタンを押してしまうという危険性は否定できない。当然、核に対するに核の報復を招く可能性が生じ、当事国同士の破壊と殺戮の連鎖は免れ得ない。報復合戦も程々のところで手を打つことができればいいが、一方が独裁者であった場合、国家という存在よりも自身という存在に対する評価が否定されることのみを恐れるあまり、事態の冷静な状況把握ができなくなって、核使用に関わる冷静なコントロール能力を失い、無計画に次々と核のボタンを押してしまう、簡単には取り返しのつかない破壊と殺戮の連鎖に至る要素も否定できない。

 例え"国民の命をどう守る"かを出発点とした何らかの核利用を計画に置いた安全保障であったとしても、特に自己の絶対性を固定観念としている独裁者が固定観念とした自己の絶対的強さや絶対的優秀さを世界に誇示する方法として何も恐れないとする心理をバックボーンとし、その心理が核の使用へと踏み切らせることはありうることであり、そうなった場合、核利用の安全保障としての有効性は最終的には何らかの妥協によって国家は守れたとしても、国土の相当規模の破壊と国民の相当規模の生命の犠牲は免れ得ず、"国民の命をどう守る"かの出発点は出発点としての意味を失うことになり、安倍晋三の発言は空手形としての役にしか立たない国民が相当数出てくることになる。

 大体が安倍晋三は戦前の天皇主義を現在も引き継ぐ国家主義者である。本質的には国民の命を守ることよりも国家を守ることに優先順位を置いていなければ、国家主義者とは言えない。もし国民を守ることに優先順位を置き、その先に国家を守る工夫を置いた安倍晋三の安全保障であるなら、可能性として国民の相当程度の犠牲を頭に置いていなければ成立しない核に対抗するに核を持ってくる安全保障は簡単には口はできないはずである。

 また、核の傘で踏みとどまるのか、核共有への道を進むのかの議論の必要性に触れながら、その一方で「核被爆国として核廃絶の目標に向かって進んでいくことは大切だ」と核廃絶を目標に掲げるのは矛盾していることを矛盾していないかのように見せかける安倍晋三一流の狡猾なレトリックに過ぎない。核の傘、あるいは核共有は核利用の有効性を認める地平に立つことであり、核廃絶は核の無効性を目指す地平に立つことだからであり、二者択一は可能だが、ニ者両托は論理的にも現実的にも不可能だからである。

 となると、既に述べてきたように核保有大国の独裁者の排除に取り掛かかることの方が得策ということになる。

 安倍晋三の発言によって「核共有」がクローズアップされることになった。先ず「核共有」について詳しく知るためにネットを調べてみたが、「Wikipedia」が最も簡潔に紹介しているようだから、要所を取り上げてみる。文飾は当方。

 「ニュークリア・シェアリング」

ニュークリア・シェアリング(英語:Nuclear Sharing)または核共有とは、核保有国が核兵器を同盟国と共有するという考え方、戦略。アメリカがNATOに供給する形で実現された核抑止における政策上の概念である。NATOが核兵器を行使する際に独自の核兵器を持たない加盟国が計画に参加することと、特に加盟国がその国内において核兵器を使用する為に自らの国の軍隊を提供することが含まれている。

ニュークリア・シェアリング参加国は核兵器に関する政策に対して決定力を持ち、核兵器搭載可能な軍用機などの技術・装備を保持し、核兵器を自国領土内に備蓄するものである。ソ連やその衛星国に配備された核兵器に対応する為にドイツ・イタリア・ベルギー・オランダは自国内にアメリカが所有する核兵器を設置している。核兵器使用の意思決定にはNATOが参加するが、最終決定権はあくまで米国にある。

参加国

NATO内の核保有国である3カ国(アメリカ・イギリス・フランス)のなかで唯一アメリカだけがニュークリア・シェアリングのための核兵器を提供している。現在ニュークリアシェアリングを受けている国はベルギー・ドイツ・イタリア・オランダ・トルコである。イギリスは自ら核保有国で原子力潜水艦にミサイルを積んで自国を防衛した上に、1992年までアメリカの戦術核兵器の提供を受けており、提供された核兵器は主に西ドイツ国内に配備されていた。

 核兵器の管理方法

平時においては非核保有国内に備蓄された核兵器はアメリカ軍により防衛され、核兵器を起動する暗号コードはアメリカの管理下にある。有事にあっては核兵器は参加国の軍用機に搭載され、核兵器自体の管理・監督はアメリカ空軍弾薬支援戦隊(USAF Munitions Support Squadrons)により行われることになっている。戦時に於いて核戦力の行使はNATOの総意とされるが、敵地領土への最終的な判断はあくまで核兵器提供国にある。その為たとえ他のNATO加盟国全てが同意しても、アメリカが拒否すれば敵領土へは核兵器は使用できない。侵略されて領土が敵軍に占領されている場合は逆にドイツ・イタリア・ベルギー・オランダで侵略された領土の政府の許可が必要である。

 主要な取り決めを箇条書きにしてみる。

① 核兵器を自国領土内に備蓄する
② 核兵器使用の意思決定にはNATOが参加するが、最終決定権はあくまで米国にある。
③ その為たとえ他のNATO加盟国全てが同意しても、アメリカが拒否すれば敵領土へは核兵器は使用できない。
④ 侵略されて領土が敵軍に占領されている場合は逆にドイツ・イタリア・ベルギー・オランダで侵略された領土の政府の許可が必要。

 ①の核兵器の自国領土内備蓄は「核共有」という意味・目的からも、即座の使用を可能にするためにだろう。但し備蓄場所は敵国による核の攻撃対象となる。有事の際、相手の核ミサイル攻撃によって備蓄場所が先に破壊されるか、相手が核ミサイルを発射する前に発射場所を核ミサイルで先制攻撃、破壊するか、発射後のいずれかの地点で迎撃ミサイルで撃ち落とすか、いずれかの局面を答とすることになるが、いずれの場合も核物質の拡散は免れず、住民の避難、普段どおりの生活の遮断、健康被害等に見舞われる危険性を危機管理としなければならない。

 ②の最終決定権が米国にあることと、〈戦時に於いて核戦力の行使はNATOの総意〉であり、〈敵地領土への最終的な判断はあくまで核兵器提供国にある。〉としていことは対を成している要件であることが分かる。そしてこの②と③は、最終決定権が米国にあることから、核共有国と米国の間に利害の不一致を見ることもあることを示唆している。要するに米国の利害が優先される。

 ④の要件は、米国自身が敵の被侵略領土内に核を打ち込んだ場合は領土内住民への放射能被害やミサイル着弾の直接の被害が避けられない関係からその責任を米国が負うのではなく、領土の政府に負わせるための取り決めということになる。

 こう見てくると、「核共有」はそう簡単ではないことが分かる。アメリカの核を日本に備蓄して置かなければならない点、監視対象兼攻撃対象として常に照準を定めれれていることになる。いわば核攻撃の誘い水の役目を自ずと担うことになる。場所は秘密にしておくだろうが、偵察衛星で特定されない保証はない。特定されても、特定したことを隠しておくだろうから、秘密が保持されているのかいないのか常に宙ぶらりんの状態に置かれたまま防御態勢を取り続けなければならないから、神経はそれなりに擦り減らさなければならない。場所を間違えていて、その場所に核ミサイルを打ち込まれた場合、想定外なことが被害と惨劇を大きくすることもありうる。独裁国家とは経済的関係を可能な限り断ち、軍備増強の資金を先細りにして、それと平行して民主派勢力に秘密裏に資金を提供し、その勢力拡大に手を貸し、独裁者を排除して、民主化できるように仕向けることが時間はかかるだろうが、核の報復合戦に向かいかねない危険性を残す核利用に頼るよりも賢明な安全保障であろう。

 独裁国家から外国が自国民主派勢力に資金を提供していると非難され、日本がその外国として名指しされたとしても、「我々は1円たりとも資金は提供していない」と知らぬ存ぜぬ通せばいい。事実を事実でないと言い立て、事実でないと言いくるめるペテン、あるいは外国人による虚偽の違反行為をデッチ上げて、非難の材料に当てるのは独裁国家がよく使う手であり、そのお返しに過ぎない。国民の基本的人権を尊重しない、あるいは認めないことによって独裁者に対する批判や反対行動を封じ込めて自らの独裁国家権力の地盤を強固にし、国民の生活は程々に維持するか、最悪国民の困窮は放置して、搾り取った富を独裁体制維持を目的に軍備増強の軍事費に回す一方で体制維持に協力的な企業集団に優先的に企業経営の便宜を図り、得た富の何がしかを見返りに体制に貢がせ、共存共栄を図って自分たちのみを国家に有益な集団として栄華を誇る。

 外に対しては軍事力や核の威嚇、内に於いてはプーチンとプーチンを支える集団だけが人間らしい生存を謳歌し、一般国民に対しては人間らしい生存の謳歌を抑圧するか制限する。独裁者の存在は世界平和を脅かす元凶そのもので、であるなら、基本的には独裁者の排除を世界平和の基礎に置くべきで、排除は核の脅威を薄れさせて、核を安全保障の重要な柱とすることの意味を縮小させ、逆に紛争解決には話し合いを決まり事とすることになる。

 安倍晋三の「核共有」発言は2022年2月27日だったが、その翌日の2月28日に日本維新の会代表松井一郎が早速肯定的な反応を示したと「時事ドットコム」(2022年02月28日17時10分)記事が伝えていた。

 松井一郎「『核共有』の議論をするのは当然だ。非核三原則は戦後80年弱の価値観だが、核を持っている国が戦争を仕掛けている。昭和の価値観のまま令和も行くのか。

 (対ロシアへ制裁によって国内のエネルギー供給量に影響が及ぶ可能性があるとして)原発の稼働に消極的な立場だったが、短期的には再稼働やむなしだ」

 「昭和の価値観」とは、いわば時代遅れだと独自の評価を下してはいるが、「核共有」の議論を進めるべきの点は安倍晋三と同じ姿勢を見せている。要するに安倍晋三と同様に非核三原則よりも核共有の方が核抑止により効果的だと見ている。多分、時代の先端を行く核政策と見ているのかもしれないが、より効果的であろうが、時代の先端を行こうが、あまりにも破壊力が強力なゆえに「使えない兵器」としての地位を与えられていたものが万が一発射された場合、発射された側の2発目、3発目を阻止する対抗措置として“報復”という軍事作用が存在する限り、また、報復という名目は正当性を得やすいことも手伝って、当然、核に対抗するに核という手段が躊躇なく取られるだろうから、「核共有」であったとしても、あるいは核そのものを所有していたとしても、完璧な核防御策となる保証はない。

 例えば日本では原子力発電事故はないという「原発安全神話」が罷り通っていた。だが、福島原子力発電所の事故が「安全神話」をものの見事に打ち砕いた。かと言って、原子力発電に対しての安全という概念が信用できないところにまで堕ち込んだわけではない。原子力発電事故が滅多に起きるわけではないことを多くが知っているが、と同時に絶対に起きないとは誰もが確信しているわけでは決してない。だから、事故発生がないように「脱原発」を主張する声が上がる一方で安全対策に日々取り組むことになっている。同じことが核使用についても当てはまる。「使えない兵器」となっていることは知識としているが、決して「使われることはない兵器」に達しているとまでの知識には至っていないはずだ。特に今回の独裁者プーチンの発言が「使われるかもしれない」という恐れを世界中に拡散させることになった。となると、安倍晋三にしても松井一郎にしても、「核共有」の議論をするのはいいが、ひとたび核が使われる恐れが生じた場合、その恐れが現実となって使わる危険性が高まってしまった場合、結果として報復合戦への発展が想定されるに至った場合、これらの過程を「核共有」は初期の段階で遮断する有効な手段となりうるのだろうか。なり得ずに福島原発事故後の1千倍、1万倍、あるいは10万倍、100万倍、それ以上の最悪の事態を招く危険性は否定できない。

 こういった最悪事態発生の予防措置は核の全廃が現在のところ現実的ではない実現性となっている以上、核を使う危険性の高い独裁者の排除に想像力を働かせることが懸命な選択となる。排除の方法は既に述べてきた。一番の懸念は独裁者プーチンがロシアの政治の舞台から排除される前に核の使用に走る危険性である。このウクライナ侵略でプーチンの戦略上の思惑が外れて、赤っ恥をかくようなことになったなら、世界の主要な国々の大半が侵略に反対し、非難していることから、反対と非難を打ち砕き、自らの正当性を打ち立てるだけのために核を使用する可能性は否定できない。独裁者は自らの思惑で、いわば独裁によって事を決め、事を始める傾向が強い。だから、独裁者として存在できる。他人の意見を尊重するのは民主主義者のすることである。ウクライナ侵略が独裁者プーチンの核使用を許さない西側の制裁が功を奏することを期待するのみである。

《安倍晋三、松井一郎等々の核保有軍事大国の核に関わる懸念材料が何かを特定できない想像力空疎な「核共有」欲求(2)》に続く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする