財務省2018年6月4日『森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に関する調査報告書』はなぜ改ざんを必要としたのかの本質的な原因解明は放置(2)

2021-10-27 10:06:42 | 政治
 では、森友学園小学校建設用地を不動産鑑定した鑑定士の、その評価書を調査した報告書、「森友学園案件に係る不動産鑑定等に関する調査報告書」(森友学園案件に係る不動産鑑定等に関する調査委員会/2020年5月14日)から、財務省側の矛盾点を指摘してみる。

 この「報告書」は土地価格の見積もり業者を選定した経緯について、近畿財務局が2016年(平成28年)4月15日に更地の正常価格の売払い価格の鑑定評価業務についての見積り合わせ実施の通知を出し、2016年(平成28年)4月22日に見積り合わせの結果、見積書を提出したX、Y、Zの3社中最低額を提示したY鑑定業者に対し不動産鑑定を依頼したと記している。

 見積り合わせ実施の通知を出した2016年(平成28年)4月15日前日の2016年(平成28年)4月14日に大阪航空局が、〈地下埋設物撤去・処分概算額(8億1974万余円)等を近畿財務局に報告、併せて近畿財務局に対し、本件土地に係る処分等依頼書を提出〉と出ているから、不動産鑑定実施の前に既に地下埋設物量とその撤去・処分概算額が算定されていたことを頭に入れておかなければならない。

 この記事を参考にすると、森友学園が杭工事を行う過程で新たな地下埋設物を発見したことを近畿財務局に連絡したのは2016年(平成28年)3月11日であり、近畿財務局が地下埋設物の撤去・処分費用について見積もることを大阪航空局に依頼したのが2016年(平成28年)3月30日となっている。この約半月後の4月14日に面積8,770.43平方メートルの土地の地下埋設物を1万9520トン、ダンプカー4000台分に相当、その撤去・処分費用を概算額8億1974万余円と見積もったという経緯を取る。

 では、不動産鑑定の依頼を受けたY鑑定評価書についての記載を見てみる。

 【Y鑑定評価書 (B不動産鑑定士作成)の見出し及び内容】<発行日> 平成28年5月31日

<依頼者> 支出負担行為担当官 近畿財務局総務部次長<構成及び内容>

一 鑑定評価額及び価格の種類
価格の種類 総額 単価
正常価格 金956,000,000円 109,000円/㎡
※ 上記鑑定評価額は後記三 鑑定評価の条件を前提とするものである。
二 対象不動産の表示 (略)
三 鑑定評価の条件
1.対象確定条件 (略)

2.地域要因又は個別的要因についての想定上の条件

地下埋設物として廃材、ビニール片等の生活ゴミが確認されているが、本件評価において価格形成要因から除外する。

当該条件については下記事項を総合的に考慮して鑑定評価書の利用者の利益を害するものでなく、実現性や合法性の観点からも条件付加の妥当性を確認した。

(1)地下埋設物撤去及び処理費用は別途依頼者において算出されていることから、現実の価格形成要因との相違が対象不動産の価格に与える影響の程度について鑑定評価書の利用者が依頼目的や鑑定評価書の利用目的に対応して自ら判断できること。なお、「自ら判断することができる」とは価格に与える影響の程度等についての概略の認識ができる場合をいい、条件設定に伴い相違する具体的な金額の把握までを求めるものではない。

(2)依頼の背景を考慮すると、公益性の観点から保守的に地下埋設物を全て撤去することに合理性が認められるものの、最有効使用である住宅分譲に係る事業採算性の観点からは地下埋設物を全て撤去することに合理性を見出し難く、正常価格の概念から逸脱すると考えられること。

 先ず「地域要因又は個別的要因」について。「地域要因」とはご存知のように駅に近いとか、バスが通っているとか、交通の便や人口が多いとか、大都市に所属しているとかの地域性からの土地の条件を言い、「個別的要因」とは日当たりがいいとか、軟弱地盤ではないとか、岩盤が近い深度にあるとかのその土地自体を成り立たせている条件をいうとネットに出ている。

 また、「地下埋設物撤去及び処理費用は別途依頼者において算出されている」としていることは既に触れているように大阪航空局が近畿財務局の依頼を受けて森友学園小学校建設用地の地下埋設物は1万9520トン、ダンプカー4000台分で、撤去・処分費用は8億1974万余円と算出したことを指しているのは断るまでもない。

 〈地下埋設物として廃材、ビニール片等の生活ゴミが確認されているが、本件評価において価格形成要因から除外する。〉理由は、〈地下埋設物撤去及び処理費用は別途依頼者において算出されている〉からであり、「地下埋設物撤去及び処理費用」が「現実の価格形成要因」にどう影響を与えるかは「自ら判断できること」だからとしている。要するに不動産鑑定士による不動産鑑定によって不動産鑑定評価額が算出されさえすれば、地下埋設物撤去及び処理費用をどう扱うかは国と土地買い主との間で判断することであって、不動産鑑定士が口出すことではないということからなのだろう。

 もう一つの理由として、要するにこの土地に関してはという条件付きで「地下埋設物を全て撤去することに合理性を見出し難い」ことを挙げている。当然、撤去の状況に応じて土地価格は変動することになるから、地下埋設物の量といった「個別的要因」までを含めた鑑定では「正常価格」を打ち出すことはできないということになる。だが、財務省側は全量を撤去する費用を差し引いた土地価格で算定した。

 なぜなのだろうかという疑問が生じるが、この疑問についてはのち程検討してみることにする。

 上記「Y鑑定評価書」は「地下埋設物を全て撤去することに合理性を見出し難い」としていながら、地下埋設物を全て撤去した場合の土地の参考価格――「意見価額」を提示する矛盾を犯していることを「報告書」は伝えている。

 第4 Y鑑定評価書に関する調査の結果

1 問題点 (鑑定評価額のほかに意見価額の記載があること)

Y鑑定評価書においては、 個別的要因につき想定上の条件(地下埋設物の存在を価格形成要因から除外)を設定して、鑑定評価額を正常価格9億5600万円とする一方で、付記意見として、上記想定上の条件を設定しないで意見価額を1億3400万円としている。

依頼者である近畿財務局は、結果的には上記意見価額1億3400万円と同額で本件土地を森友学園に売却した。

そもそも森友学園への売却代金1億3400万円の相当性が問題となるが、不動産鑑定との関係では、鑑定評価書において鑑定評価額以外に意見価額を記載したことが
相当であったかが問われる。

 Y鑑定評価書は「地下埋設物として廃材、ビニール片等の生活ゴミが確認されているが」、その「撤去及び処理費用は別途依頼者において算出されていることから」、「本件評価において価格形成要因から除外する」と鑑定方法に条件を付け、地下埋設物とは関係させない土地の評価そのものを行なっていながら、その一方で「地下埋設物の存在を価格形成要因」に含めた鑑定を行なって、「意見価額」として1億3400万円の土地価格を付ける矛盾を演じている。この1億3400万円が森友学園に対する土地価格と同額になった。

 この「意見価額」の1億3400万円の算出方法が【Y鑑定評価書(B不動産鑑定士作成)の見出し及び内容】の中に記されている。

 3.意見価額の決定

上記1の更地価額から上記2の地下埋設物撤去及び処理費用を控除し、更に当該撤去期間に起因する宅地開発事業期間の長期化に伴って発生する逸失利益相応の減
価を講じて意見価額を査定した。

    *1      *2               *3
(956,000,000 円-819,741,947 円)×(1+△2%)≒134,000,000 円
                          (15,300 円/㎡)

*1 更地価額(本編鑑定評価)
*2 地下埋設物撤去及び処理費用
*3 事業期間長期化に伴う減価率

 当該撤去期間に起因する宅地開発事業期間の長期化に伴って発生する逸失利益を2%と計算した。その算定方法が記述してあるが、省略する。

 大阪航空局も近畿財務局も地下埋設物は1万9520トン、ダンプカー4000台分で、撤去・処分費用は8億1974万余円と見積もるまでが仕事で、それを既に行なっていたのだから、あとは不動産鑑定士が見積もった更地対応の土地鑑定評価額から撤去・処分費用の8億1974万余円を差し引くという手順を踏んで土地代金を設定すれば片付くはずだが、Y鑑定評価書が地下埋設物要因を含まない鑑定方法を条件とした不動産鑑定評価額を出す一方で、その条件を破ってまでして自らが行なった不動産鑑定評価額から地下埋設物の撤去・処分費用と逸失利益の2%を差し引いた土地の「意見価額」を1億3400万円とし、近畿財務局の土地価格と一致していることは単なる偶然の一致と見ることができるだろうか。

 近畿財務局が土地価格を1億3400万円とした根拠をこの「報告書」は会計検査院の「報告書」を参考にして次のように伝えている。

 4 意見価額が予定価格決定にあたり与えた影響

(1) 予定価格の決定

本件土地は、意見価額1億3400万円と同額で森友学園に売却された。会計検査院報告書83頁によると、近畿財務局は「意見価額を参考として、国有財産評価基準において『当該評価額等を基として評定価格を決定する』と規定されていることを根拠に、鑑定評価額9億5600万円から大阪航空局が合理的に見積もった地下埋設物撤去・処分費用を控除するとともに逸失利益相当額を減価して予定価格を1億3400万円にしたものであるとし、国有財産評価基準に沿った取扱いである」と説明しているとのことである。上記近畿財務局の説明によれば、鑑定評価額を基に予定価格を決定したものであり、意見価額を予定価格として決定したとは説明していないようである。

しかし、予定価格は、鑑定評価額から単純に地下埋設物撤去及び処理費用を控除しただけではなく、事業期間の長期化に伴う逸失利益として2%を減価したY鑑定評価書の意見価額と同額であることからしても、近畿財務局において、予定価格の決定にあたり意見価額が大きな拠り所となっていたと推測される。〉

 逸失利益率2%も「Y鑑定評価書」に倣った。

 大体が「Y鑑定評価書」は大阪航空局が見積もった地下埋設物撤去及び処理費用の8億1974万余円の妥当性を検証しているわけでもないからこそ、「森友学園案件に係る不動産鑑定等に関する調査委員会」が「意見価額」の相当性を批判しているのであって、また「Y鑑定評価書」自らが〈地下埋設物として廃材、ビニール片等の生活ゴミが確認されているが、本件評価において価格形成要因から除外する〉としていながら、大阪航空局が見積もった地下埋設物撤去及び処理費用の8億1974万余円をそのまま用いた「意見価額」を出した。「Y鑑定評価書」作成のB不動産鑑定士は近畿財務局と通じていたのではないのかと疑うこともできる。

 また地下埋設物の「撤去期間に起因する宅地開発事業期間の長期化に伴って発生する逸失利益」は森友側が申し出るべき金額であるはずだが、それを2%相当と計算できたということは、B不動産鑑定士は近畿財務局を介して森友学園側と話を通じさせていたとも疑うこともできる。

 上記「森友学園案件に係る不動産鑑定等に関する調査報告書」が「地下埋設物を全て撤去することに合理性を見出し難い」としていることに対して財務省側が全量撤去の費用を差し引いた土地価格を算定したことに対する疑問を前のところでのち程検討してみるとしたが、ここで取り上げてみる。「地下埋設物を全て撤去することに合理性を見出し難い」としている理由は何なのか。一旦は書き換えたが、その後に削除したために書き換えに気づくのが1週間遅れたと断り書きを入れてある文書「森友学園事案に係る今後の対応方針について(H28.4.4)」に、〈3月11日、相手方より、校舎建築の基礎工事である柱状改良工事を実施したところ、敷地内に大量の廃棄物が発生した旨の報告を受け、対応を検討しているもの。〉の文言があることは既に伝えている。

 また、会計検査院の「調査報告書」「学校法人森友学園に対する国有地の売却等に関する会計検査の結果について」も、校舎建築の基礎工事は柱状改良工事であることを大阪航空局の説明としてより具体的に紹介している。

 〈建物の杭部分の面積に係る処分量は、杭の有効径断面積の計303㎡に深度9.9m及び混入率の47.1%を乗じた後に体積を重量に換算するなどして、2,720tとしていた。深度の9.9mまでの数量を地下埋設物撤去・処分費用として見積もる必要性について、大阪航空局は、上記の深度3.8mの場合と同様の理由に加えて、本件杭工事は柱状にセメント系固化材を土壌と混合して杭を築造するものであることから、混合する土壌に廃材等が混入していると、将来、経年劣化により杭の強度に影響するおそれがあると考え、その地盤状況による支障も見込んだためとしている。〉

 「混合する土壌に廃材等が混入」するという「大阪航空局の説明」は国民をたぶらかすペテンそのものである。その証拠に次の画像を載せておく。
 画像のようにアースオーガードリルという名の刃が連続する螺旋状の溝がついた掘削ドリルを重機のアームの先端に取り付けて回転させて地面を掘っていくと、電動ドリルに木工キリを取付けて木材に穴を開けると、木工キリにしても連続する螺旋状の溝がついていて、溝に絡みながら木の切り屑が押し出されてくるようにアースオーガーの螺旋状の溝に絡みついて掘削した土が地表に押し出されてくる。地表以外に掘られた土は逃げ場がないからだ。

 どのような方法であろうと、地面に穴を掘るという作業は地中の土を取り除くことを意味していて、取り除いた土は地表に出す以外に置き場所はない。一旦地表に押し出されその土(排土)をミルクと呼ばれる水に溶いたセメントやその他の土壌固化材と混ぜて穴に戻して固めて、建築物を支える柱状の補強体(=杭)とする。森友学園が2016年(平成28年)3月11日に「杭工事を行う過程で新たな地下埋設物を発見」できたことはこの原理に基づく。穴を掘っていくにつれて螺旋状の掘削ドリルの溝に絡みついて土と共に地下埋設物が地上に押し出されてくるから、「発見」という人の目につく現象が起きる。

 当然、掘削した柱状の穴の中に存在した地下埋設物は全て地上に押し出されて、穴の中自体には存在しないことになり、地表に押し出された土の中に地下埋設物が混入していたなら、それを取り除いた土をセメントを水に溶かしたミルクやその他の土壌固化材と共に穴に戻して固めることになるから、経年劣化を引き起こす原因を穴の中に残さないことになる。また、アースオーガードリルの直径よりも大きなコンクリート塊や岩が掘削個所に障害物として横たわっていた場合、それを穿孔できるドリルも存在する。そのようなドリルの超大型の物(=シールドマシン)が国道のトンネルや列車のトンネルの掘削に使われる。直径が10メートル以上もあるそうだが、1日に10メートルか15メートル程度しか掘削できないそうだ。

 もし柱状杭の外側に残っている地下埋設物がミルクと土で固めた杭を経年劣化させると言うなら、鋼管杭に代えて、中にセメントを流し込めば、地下埋設物全量撤去よりも安価に済む。鋼管杭も地下水や微生物で腐食することを見込んで、「腐食代」(ふしょくしろ)と言って、周囲1ミリ分の厚みをつけるそうだ。アースオーガードリルで穴を掘る金額は変わらない。鋼管杭代金とミルクをコンクリー地に変える金額差だけ余分にかかる程度で片付く。

 大阪航空局の説明、〈混合する土壌に廃材等が混入していると、将来、経年劣化により杭の強度に影響するおそれがある〉としていることが如何に国民をたぶらかすペテンそのものであるかが理解できたと思う。

 だから、「森友学園案件に係る不動産鑑定等に関する調査報告書」が地下埋設物の量と撤去・処分費用が見積もられていることを承知の上で、「依頼の背景を考慮すると、公益性の観点から保守的に地下埋設物を全て撤去することに合理性が認められるものの」としながら、つまり全てキレイにしたい気持ちは理解できるが、「最有効使用である住宅分譲に係る事業採算性の観点からは地下埋設物を全て撤去することに合理性を見出し難く、正常価格の概念から逸脱すると考えられる」としたのだろう。

 つまり地下埋設物を一定程度残しておいても杭工事支障はないし、小学校校舎建設にも邪魔になるわけではないと言っていることになる。具体的には柱状にセメント系固化材と土壌とを混合して固めた杭と杭の間に少しぐらいの地下埋設物が埋まっていたとしても、地盤強度に影響しないということである。会計検査院の「調査報告書」の39P「図表2-8 対策工事における地下埋設物撤去の概念図」の説明書きに地下埋設物は、〈(対策工事ではほとんど撤去されていないと考えられる)〉と書き入れてあるのは杭と杭の間に地下埋設物がそのまま残置されていることを前提とした推測となり、杭と杭の間に少しぐらいの地下埋設物が埋まっていたとしても、地盤強度に影響しないことの根拠となる。

 だが、財務省側は全量撤去の費用を差し引いた土地価格を算定した。森友側との取引きに何らかのカラクリがなければ地下埋設物の全量撤去とか、全量撤去の費用を差し引くといった土木の常識に反することを前面に出すことはないだろう。事実全量撤去したなら、決裁文書を改ざんすることで改ざん部分の事実経緯を隠蔽したり、削除という方法で取引の実態を抹消したことと辻褄が合わなくなる。カラクリがあったからこそ、改ざんや削除による事実の隠蔽が必要になった。

 次に画像を載せておくが、森友学園小学校建設予定地(8,770.43㎡)と元々は一つの国有地であったが、豊中市が公園用内として買い入れた東側に位置する土地(9,492.42㎡)との地下埋設物量の違いから、森友側の土地に1万9520トン、ダンプカー4000台分の地下埋設物が果たして存在していたのかどうかの妥当性を会計検査院の「報告書」から探ってみる。両土地の間に幅員約16mの市道が設けてあるが、同じ国有地であったことから、元々は隣接していた。また豊中市の公園用地の方が721.99㎡広い。常識的に考えると、公園用地の方が地下埋設物量が多く思えるが、そうではない。

 〈豊中市は、財政状況が厳しいことなどの理由により換地後の土地を全て買い取ることが困難であるとして、換地後の土地のうちその半分程度の面積となる東側の9,492.42㎡(以下「公園用地」という。図表2-4参照)のみを取得して公園として整備する方針とし、西側部分の本件土地の取得を断念した上で、20年3月28日に公園用地について買受けを要望する旨の回答を大阪航空局へ送付していた。〉(23P)

 (大阪航空局により)〈処分依頼を受けた近畿財務局は、21年12月に不動産鑑定業者へ公園用地の鑑定評価業務を委託していた。近畿財務局は、委託に当たり、大阪航空局より提供を受けた土地履歴等調査及び地下構造物調査の結果を同鑑定業者に資料として提示していた。このため、委託を受けた同鑑定業者の不動産鑑定士は、不動産鑑定評価に当たり、公園用地について、前記のとおり、土地履歴等調査により汚染の存在は確認できなかったことから土壌汚染の影響は無いものと判断していた。また、地下構造物調査により地下埋設物が確認されていることなどから、その報告書に記載されている地下埋設物の数量等を基に、公園用地に係る処分工事費を8748万余円と算定するなどして、地下埋設物の存在に係る個別的要因を0.94と算定していた。そして、これらを踏まえ、同鑑定業者は、22年2月15日に近畿財務局へ鑑定評価書を提出していた。鑑定評価書の提出を受けた近畿財務局は、評価調書を作成し、同月24日に豊中市と見積合わせを実施しており、その結果、近畿財務局は、同年3月10日に、地下構造物調査の報告書に記載されている地下埋設物が存在することを買受人である豊中市が了承したとする特約条項を付して瑕疵を明示した国有財産売買契約により、公園用地9,492.42㎡を豊中市に14億2386万余円で売却していた。〉(25P)

 個別的要因に対する「0.94」という算定をネットで調べたが、要領を得ないので、この「報告書」19pの〈対策工事後の個別的要因のうち地盤改良について、大阪航空局は、整地により改善されたとして1.00としていた。〉との記述を参考にすると、土地に関するマイナスとなる個別的要因の存在しない土地、あるいは存在していたマイナスの個別的要因を取り除いた土地の評価は正常な土地としての意味を持つ「1.00」の算定を受け、「1.00」以下の算定はその値が下がる程に土地に問題点が存在し、マイナスの個別的要因の存在する土地は「1.00」から専門的知識によってマイナス分を引いて、「0.94」とか、「0.95」といった評価を行い、この数字を不動産評価額に掛けて売買価格を決定するということらしい。土地の評価がマイナスの個別的要因を理由に0.94と算定された場合、売主側が自費でマイナスのその個別的要因を取り除いた場合、個別的要因は「1.00」に戻ることになる。

 豊中市公園予定地の個別的要因算定値は0.94だから、売却価格14億2386万余円に地下埋設物撤去費8748万余円をプラスした元の価格15億1134万円に個別的要因算定値0.94を掛けると、14億2066万余円になって、売却価格に近づく。

 この個別的要因算定値0.94は、14億2386万余円(売却価格)÷15億1134万円(元の価格)≒0.94で出てくる。

 因みに売却価格に地下埋設物撤去費をプラスした元々の売値に個別的要因算定値のマイナス分を掛けてみる。

 14億2386万余円(売却価格)+8748万余円(地下埋設物撤去費)≒15億1134万余円×(1.00-0.94=)0.06≒9068万となって、地下埋設物撤去費8748万余円と差額は320万円、当然の計算結果だが、地下埋設物撤去費に近づくことになる。

 豊中市公園予定地と森友学園小学校建設予定地は元は地続きの隣接地である。森友学園小学校建設予定地の不動産鑑定評価額9億3200万円で、地下埋設物があり、森友側が撤去するとして、その費用を大阪航空局が8億1900万円と見積もり、その差額約1億3400万が売却価格となった。では、個別的要因算定値を計算してみる。

 約1億3400万(売却価格)÷9億3200万円(不動産鑑定評価額=元の価格)≒0.14

 森友学園小学校建設予定地よりも約722㎡狭い面積8,770.44㎡の豊中市公園予定地の個別的要因算定値0.94に対して地続きであった森友学園小学校建設予定地が豊中市公園予定地よりも722㎡も広いが、個別的要因算定値は0.14。0.94÷0.14≒6.7。地続きであった土地でありながら、より狭い豊中市公園予定地よりもより広い森友学園小学校建設予定地の方が7倍近くもの地下埋設物が存在していた。単純計算で行くと、森友のダンプカー4000台分、1万9500トン、ゴミ混入率47.1%に対して豊中市公園予定地はほぼ近似値のダンプカー台数とトン数、ゴミ混入率となっていいはずだが、約7分の1で収まっていた。地続きの隣接地同然の土地でありながら、この差が出るについては何か特殊な事情がなければならない。

 この辺の事情を会計検査院の「報告書」の〈(ア) 地下埋設物の取扱い(107P)~(ウ) 予定価格の決定等(113P)〉から窺ってみることにするが、「(ア) 地下埋設物の取扱い」は全文、「(イ) 地下埋設物撤去・処分費用の算定」以下は主なところを拾って、分かりやすいように箇条書きにして取り出した上、少々のコメントを青文字で付けてみるが、その前に32P~33Pの次の記述を参考のために載せておく。

〈一時貸付けを受けた森友学園は、同月(平成26年10月)21日から30日にかけて、本件土地の地層構成を明らかにし小学校校舎等の設計・施工の基礎資料とすることを目的として、地盤調査を調査会社へ発注して実施していた。当該地盤調査に係る報告書によれば、ボーリング調査は2か所で実施され、それぞれ地下46.5m、21.5mの深さまで実施されている。ボーリング調査の結果、地下3.1mまでは盛土層であり、盛土層について、その上部では植物根が多く混入し、中部から下部では塩化ビニル片、木片及びビニル片等が多く混入しているとされており、地下3.1m以深については、地下約10mまでが沖積層、それ以深が洪積層であるとされている。〉

 要するに地下埋設物は地下3.1mまでの盛土層のみに存在し、地下3.1m以深の沖積層(約2万年前の最終氷期最盛期以降に堆積した地層のこと。「Wikipedia」)には存在するはずはないことを伝えていることになる。文飾は当方。

  (ア) 地下埋設物の取扱い

〈森友学園から連絡を受けた近畿財務局は、大阪航空局とともに、28年3月14日に現地の確認をして、今回確認した廃棄物混合土は貸付合意書で対象としていた地下埋設物に該当しない新たな地下埋設物であると判断したとしている。そして、近畿財務局は、大阪航空局に地下埋設物の撤去・処分費用の見積りを口頭により依頼し、その額を本件土地の評価において反映させることとした。また、本件土地に関する隠れた瑕疵も含む一切の瑕疵について国の瑕疵担保責任を免除し、森友学園は売買契約締結後、損害賠償請求等を行わないとする特約条項を契約に加えることとした。一方、大阪航空局は、同月30日に近畿財務局から地下埋設物の撤去・処分費用の見積りを行うよう口頭による依頼を受けて、地下埋設物撤去処分概算額を8億1974万余円と算定し、近畿財務局へ提出した。〉

(イ) 地下埋設物撤去・処分費用の算定

○地下埋設物撤去・処分費用の算定における対象面積についてみると、杭工事においていずれの杭から廃棄物混合土が確認されたかを特定することができないこと、過去に池等であった土地の地歴等を勘案しているとする範囲と北側区画の5,190㎡とが一致しているかを確認することができないことから、対象面積の範囲を妥当とする確証は得られなかった。

 小学校建設予定地8,770.43㎡のうち「北側区画の5,190㎡」はほぼ校舎の敷地に重なる。要するに既に校舎が建っているから、改めて土を掘り起こして確かめることができない。しかもアースオーガードリルで穴を掘削しているとき、どの地点の地表下どの深さからどのくらいの量の地下埋設物が押し出さてきたのか、押し出されてこなかった地点もあるのかの記録を付けていなかった。当然、地下埋設物のより正確な量を検証しようがない不備を突きつけたことになる。
 
 さらに杭工事で地下埋設物の存在と量を推定する場合はオーガードリルによって地下埋設物は螺旋状の刃に絡め取られて地表に押し出されることになるから、セメントミルク等土壌固化材と地下埋設物を取り除いた掘削した土を混ぜながら穴に戻して杭を成形すれば、杭としての機能を果たすことになり、杭を打つ場所のみの地下埋設物回収で地下埋設問題は片付くはずだが、会計検査院はそのことを認識していなかったようだ。


○杭部分を除く部分に設定された深度3.8mについてみると、大阪航空局が確認したとしている工事写真には3.8mを正確に指し示していることを確認することができる状況は写っていない。また、近畿財務局及び大阪航空局の職員が現地で確認した際等に、別途、廃棄物混合土の深度を計測した記録はないことも踏まえると、廃棄物混合土を3.8mの深度において確認したとしていることの裏付けは確認することができなかった。

 〈杭部分を除く部分に設定された深度3.8mについてみると、大阪航空局が確認したとしている工事写真には3.8mを正確に指し示していることを確認することができる状況は写っていない。〉ことと廃棄物混合土を3.8mの深度において確認したとしていることの裏付けは確認することができなかった。こともいい加減な話だが、杭部分以外は地下埋設物が残っていても問題はないことが分かっているから、適当に処理したのだろう。地表に近い場所以外に地下埋設物が余りにも多い場合は杭の直径を大きくするか、杭の本数を多くすれば、建物を支える地盤を強固にすることができる。

○近畿財務局及び大阪航空局の職員が現地で確認した際等に、別途、廃棄物混合土の深度を計測した記録はないことも踏まえると、廃棄物混合土を3.8mの深度において確認したとしていることの裏付けは確認することができなかった。

 コメントを加えるまでもない。不備に続く不備で、財務省は大阪航空局の見積もり通りの地下埋設物が存在していたと信じさせることはできないはずだ。

ボーリング調査等を実施した箇所付近において、深度3.8mに廃棄物混合土が確認されていないのに、大阪航空局が森友学園小学校新築工事において工事関係者が北側区画で試掘した5か所のうち1か所の試掘において深度3.8mに廃棄物混合土が確認された結果をもって敷地面積4,887㎡に対して深度3.8mを一律に適用して処分量を算定しているのは、過去の調査等において廃棄物混合土が確認されていなかったとの調査結果と整合しておらず、この算定方法は十分な根拠が確認できないものとなっている。

 要するに「深度3.8m」の試掘1箇所のみの地下埋設物量を校舎が建っている北側の5,190㎡のうちの建物の杭部分の面積(303㎡)を除く面積4,887㎡に掛けて、この面積の地下埋設物量を算出した。

 「報告書」の38Pに次のような記述がある。(対策工事業者から森友学園に提出された
〈報告書に添付されていた産業廃棄物管理票等によれば、廃材等及び
廃棄物混合土の処分量は、地下構造物等の撤去の際に掘削機のバケット等に付着するなどして掘り出した9.29tにとどまっていた。一方、地下構造物調査においては68か所の試掘箇所のうち29か所で計347tの廃棄物混合土が確認されていることなどを考慮すれば、対策工事では廃棄物混合土のほとんどを撤去していなかったと思料される。〉

 撤去せずに校舎建設はできたということである。試掘で掘り出した地下埋設物と柱状改良工法を用いた杭工事で地表に出てきた地下埋設物を処理するのみで片付いたことの証明に過ぎない。

○杭部分に関し、深度9.9mまで廃棄物混合土の存在を見込んでいることについては、近畿財務局及び大阪航空局は、杭工事において新たな廃棄物混合土が確認されたことを現地や施工写真等で確認したとしている。

しかし、森友学園が行った対策工事において廃棄物混合土は撤去されていないため、近畿財務局及び大阪航空局が確認した廃棄物混合土が既知の地下3m程度までの深度のものなのか、杭先端部の地下9.9mの深度のものなのかなどについては確認することができなかった。

 地下3.1m~地下約10mまでが約2万年前に形成された沖積層なのだから、人間が捨てた廃棄物の類いは存在しない。当然、森友側は限られた量以外の撤去の必要性は生じなかった。

○杭工事において新たに確認されたとする廃棄物混合土は、(仮称)M学園小学校新築工事地盤調査報告書等においておおむね地下3m以深は沖積層等が分布しているとされていることなどから、既知の地下3m程度までに存在するものであることも考えられ、新たに確認されたとする廃棄物混合土がどの程度の深度に埋まっていたかについては、十分な確認を行う必要があったと認められる。

以上のように、深度3.8mについて、廃棄物混合土を確認していることの妥当性を確認することができず、敷地面積4,887㎡に対して一律の深度として用いたことについて十分な根拠が確認できないこと及び深度9.9mを用いる根拠について確認することができないこと、また、大阪航空局は、廃棄物混合土が確認されていない箇所についても地下埋設物が存在すると見込んでいることとなることなどから、地下埋設物撤去・処分概算額の算定に用いた廃棄物混合土の深度については、十分な根拠が確認できないものとなっている。

 会計検査院以ってしても確認できないことばかりとなっている。1万9520トン、ダンプカー4000台分の地下埋設物など存在しなかったメガネで眺めた方がスッキリする。

○また、混入率の47.1%は、地下構造物調査において北側区画内で試掘した42か所のうち廃棄物混合土の層が存在すると判断された28か所の混入率を平均して算定されているが、28か所以外の14か所についても北側区画での試掘であり、うち13か所では廃棄物混合土が確認されていない。このため、14か所を混入率の平均の算定から除外していることに合理性はなく、混入率の平均値が試掘した42か所の平均より高めに算定されていることも考えられる。このように、対象面積全体に乗じる平均混入率として、廃棄物混合土が確認された箇所に限定した混入率の平均値を用いていることについては、十分な根拠が確認できないものとなっている。

 元々は地続きであった東隣の豊田市の公園用地の地下埋設物の存在に係る個別的要因が0.94であるのに対してより面積が狭い森友小学校建設用地の個別的要因が0.14と7倍近くも多い地下埋設物の存在は不動産鑑定評価額9億5600万円の土地を売値1億3400万円とするために水増しに水増しさせた地下埋設物の撤去・処分費用8億1974万余円と見た方が理に適っている。

本件処分費の単価22,500円/tがどのような条件下で提示された単価であるのかなどを示す資料はなく、単価がどのような項目から構成されているかなど、単価の詳細な内容について確認することができなかった。

土地売値1億3400万円ありきだったから、この売値に合わせて全ての単価を決めていったのだろうから、資料など作成しようがなかったのだろう。

◯仮定の仕方によって処分量の推計値が変動すると考えられるが、例えば、限られた期間で見積りを行わなければならないという当時の制約された状況を勘案し、大阪航空局が適用した地下埋設物撤去・処分費用の価格構成や工事積算基準等を用いた上で、算定要素ごとに一定の条件を設けて試算を行ったところ、処分量19,520tは、

①廃棄物混合土の深度を過去の調査等において試掘した最大深度の平均値に修正した場合は9,344t、
②混入率を北側区画の全試掘箇所42か所の混入率の平均値に修正した場合は13,120t、
③処分量に含まれていた対策工事で掘削除去している土壌の量を控除した場合は19,108t、

これらの①~③の算定要素が全て組み合わされた場合は6,196tと算出された。

一方、上記の混入率法を用いずに、廃棄物混合土が確認された最大深度の平均値2.0mと最小深度の平均値0.6mの差となる1.4mの範囲全てに、廃棄物混合土が存在する層があるとみなして算定する層厚法も考えられる。

層厚法により、地下構造物調査等を行った位置が対象面積に対して偏っていないと仮定した上で、更に廃棄物混合土が存在する層の全てが廃棄物混合土のみであるとみなして面積5,347㎡を適用し、対策工事で掘削除去している土壌の量を控除して機械的に試算を行ったところ、処分量は13,927tと算出された。

このように、処分量を求めるための仮定の仕方によって、処分量の推計値は大きく変動する状況となっており、また、いずれも大阪航空局が算定した処分量19,520tとは大きく異なるものとなっていた。

以上のように、大阪航空局が算定した本件土地における処分量19,520t及び地下埋設物撤去・処分概算額8億1974万余円は、算定に用いている深度、混入率について十分な根拠が確認できないものとなっていたり、本件処分費の単価の詳細な内容等を確認することができなかったりなどしており、既存資料だけでは地下埋設物の範囲について十分に精緻に見積もることができず、また、仮定の仕方によっては処分量の推計値は大きく変動する状況にあることなどを踏まえると、大阪航空局において、地下埋設物撤去・処分概算額を算定する際に必要とされる慎重な調査検討を欠いていたと認められる。

要するに大阪航空局の地下埋設物量及び地下埋設物撤去・処分費用の算定方法が記録不備などで把握できないから、検査院の方でも様々な計算方法で地下埋設物処分量を計算しなければならなかった。裏返すと、大阪航空局の見積もり自体がいい加減だったことになる。その答は土地売値1億3400万円ありきと見るほかはない。

(ウ) 予定価格の決定等

◯近畿財務局は、大阪航空局から売払処分依頼を受けて、不動産鑑定評価基準に基づく正常価格を求めることとし、大阪航空局からの依頼文書で示された地下埋設物撤去・処分概算額及び軟弱地盤対策費を考慮して不動産鑑定評価を行うことを条件とした仕様書により鑑定評価業務を発注した。委託を受けた不動産鑑定業者の不動産鑑定士は、近畿財務局が考慮することを依頼した地下埋設物撤去・処分概算額について、不動産鑑定評価基準における「他の専門家が行った調査結果等」としては活用できなかったとし、近畿財務局の同意を得て、地下埋設物の存在を価格形成要因から除外する想定上の条件を設定して鑑定評価を行い、本件土地の鑑定評価額を9億5600万円とした。さらに、近畿財務局が提示した地下埋設物撤去・処分費用を控除し、更に地下埋設物の撤去に要する期間に起因する宅地開発事業期間の長期化に伴って発生する逸失利益相応の減価を講じて意見価額を1億3400万円であると付記していた。

当該意見価額について、上記の不動産鑑定士は、不動産鑑定評価基準において、想定上の条件が設定された場合に、「必要があると認められるときは、当該条件が設定されない場合の価格等の参考事項を記載すべきである」とされていることによるものであるなどとしている。そして、参考事項として記載された意見価額は、鑑定評価額を定める場合のように中立性や信頼性の水準を確保することが求められるものではない。また、地下埋設物撤去・処分概算額を活用できなかった理由は鑑定評価書に記載されていないが、上記の不動産鑑定士に確認したところ、依頼者側の推測に基づくものが含まれていて、調査方法が不動産鑑定評価においては不適当であることなどから、他の専門家が行った調査結果等としては活用できなかったとするとともに、不動産鑑定評価上、地下埋設物を全て撤去することが合理的であることを保証したものではないとしている。

 大阪航空局の地下埋設物に関わる見積もりは〈不動産鑑定評価基準における「他の専門家が行った調査結果等」としては活用できなかった〉、〈依頼者側の推測に基づくものが含まれていて、調査方法が不動産鑑定評価においては不適当であることなどから、他の専門家が行った調査結果等としては活用できなかった〉と無関係としたのは近畿財務省側と鑑定士が示し合わせたものではないと見せかける方便なのだろうか。なぜなら、〈不動産鑑定評価上、地下埋設物を全て撤去することが合理的であることを保証したものではない〉云々は財務省側にとっても、森友側にとっても好条件となるからである。土地の瑕疵として地下埋設物の存在は大阪航空局の見積もり通りとして値引きは当然が、だからと言って、見積もった地下埋設物の全量は撤去する必要はないとお墨付きを与えたも同然となるからだ。結果、会計検査院が調査を尽くしても、既に触れているように〈対策工事では廃棄物混合土のほとんどを撤去していなかったと思料される。〉と正確な検証のサジを投げた状況になっている。

 要するに鑑定士は地下埋設物を撤去しなくても杭工事に支障はないし、校舎建設工事にも支障はないことを知っていて、森友も近畿財務局もそのことを知っていたからこそ、露見した場合の虚偽公文書作成等の罪を免れるための危機管理から地下埋設物の撤去・処分にかかる正確な帳簿・記録の類を残さなかったのだろう。

 ところが、自分たち役人だけの問題ではなくなって、安倍晋三や安倍昭恵まで絡んできたために決算文書の改ざんを余儀なくされた。
 

◯また、軟弱地盤対策費5億8492万余円の算定根拠について大阪航空局に確認したところ、大阪航空局は、近畿財務局からの依頼に基づき、森友学園側の工事関係者から提供された見積書を内容の検証を行わないまま近畿財務局に提出したとしている。そして、近畿財務局は、当該見積書が契約相手方である森友学園側の工事関係者から提供されたものであることを知りながら、その事実を説明せず、また、内容を十分に確認しないまま、不動産鑑定士に判断を委ねることとして、これを考慮することを条件とした鑑定評価業務を委託していた。このようなことから、両局において、予定価格の決定に関連した事務の適正な実施に対する配慮が十分とはいえない状況となっていた。

 この経緯を見ると、森友側の思惑が大阪航空局から近畿財務局へと、近畿財務局から不動産鑑定士へと無条件でバトンタッチされ、最終的に不動産鑑定士から森友側の思惑の範囲内の結果を手に入れる構図を見て取ることができる。大阪航空局も近畿財務局も「見積書を内容の検証を行わない」のだから、森友側の思惑に加担したことになる。この加担がこのケースだけではなく、地下埋設物量の見積もりから始まって、その撤去・処分費用の見積もり、最終的に安すぎる土地代金の決定にまで関わった疑いが出てくる。

近畿財務局は、9億5600万円が鑑定評価額であること、地下埋設物撤去・処分概算額を反映した場合の意見価額が1億3400万円であることの審査を了したが、評価調書の作成を失念したとし、評定価格を定めないまま、1億3400万円を予定価格として決定していた。

 要するに9億5600万円の鑑定評価額と1億3400万円の意見価額についての妥当性や是非を検討する作成すべき「評価調書」を作成しなかった。「作成を失念した」は下手に作って露見した場合の罪を負うことを回避する危機管理からの体裁のいい言い逃れと言ったところなんだろう。結果的に決裁文書改ざんにまで行き着くことになった。当たり前のことだが、決裁文書改ざんだけの問題ではなく、地下埋設物量の見積もりから始まった一続きのイカサマでなければならない。決裁文書とは取引の経緯や実態を書き込んだ文書だから、その改ざんを迫られたということは実際の取引の経緯や実態がイカサマだったから、そのイカサマに対応した決裁文書の改ざんというイカサマでなければならない。そして森友疑惑に関係した安倍晋三等の閣僚の国会答弁も財務省理財局長佐川宣寿の虚偽答弁も国有地売却のイカサマに相呼応し合ったイカサマであるはずだ。

◯予定価格と意見価額が同額である点に関して、近畿財務局は、本件鑑定評価において、地下埋設物の存在が価格形成要因から除外されたことから、地下埋設物の影響を踏まえた判断が必要になるとし、近畿財務局が明らかとなっている瑕疵に対応しない場合には森友学園が小学校建設を断念して損害賠償を請求する考えが示されていたことなどの個別事情を踏まえ、意見価額を参考として、鑑定評価額9億5600万円から大阪航空局が合理的に見積もった地下埋設物撤去・処分費用を控除するなどしたものであるとし、国有財産評価基準に沿った取扱いであるとしている。

しかし、予定価格の決定に当たり、森友学園から損害賠償を請求する考えが示されていたことなどの個別事情を踏まえたとされているところ、当該個別事情を勘案したことは予定価格の決定における重要な要素であるのに、決裁文書にこの点に関する特段の記述がないなど、具体的な検討内容は明らかではなかった。そして、鑑定評価額と大きく異なる額を予定価格として決定していたのに、国有財産評価基準で求められている評価調書の作成を失念し、評定価格を定めておらず、評価内容が明らかになっていないため、評価事務の適正を欠いていると認められた。

 〈予定価格と意見価額が同額である点に関して、近畿財務局は、本件鑑定評価において、地下埋設物の存在が価格形成要因から除外されたことから、地下埋設物の影響を踏まえた判断が必要になると〉したこと自体が間違った態度となっている。不動産鑑定士が出した土地鑑定評価額から「地下埋設物撤去・処分費用を控除」すれば片付くことであって、不動産鑑定士の手を煩わせて同じ程度の土地価格を出させたこと自体、自分たちのイカサマをイカサマでないと見せかけるお墨付きを不動産鑑定士を介して手に入れたといったところであるはずだ。 

 では、森友疑惑の核心はあくまでも大阪航空局が見積もった1万9520トン、ダンプカー4000台分の地下埋設物が果たして実際に存在していたのかどうかであり、疑惑の出発点となっていて、地下埋設物が小学校校舎建設にどれ程の障害となり、障害となった分、搬出・産廃処理されていたはずで、搬出・産廃処理量・金額と地下埋設物撤去・処分費用との差額の妥当性等々、これらの点に関して会計検査院の対森友学園国有地売却の会計検査報告書から窺うことのできる疑問・疑惑に財務省の「森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に関する調査報告書」(2018年6月4日)がどう答えているか、見てみることにする。

 会計検査院の「報告書」は2017年11月22日に公表。財務省の「報告書」は約半年後の2018年6月4日公表。例え半年の期間であったとしても、会計検査院「報告書」の疑問・疑惑に答えていなければ、調査報告とは言えない。結論を先に言うと、財務省「報告書」は何も答えていない。この「報告書」自身が「4P」の「注」として答えている。

 〈本報告書は、平成29年2月以降の森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に関する調査の結果をとりまとめたものであり、上記の価格算定手続の妥当性等を含め、平成28年6月20日 (月)の事案終了前の状況について調査を行ったものではない。〉

 2016年(平成28年)6月20日に森友学園と国有地売買契約を締結した。その日を以って全て終了したものとして扱い、決裁文書の改ざんのみの問題点を洗い出している。

 改ざんに至った発端の記述が財務省「報告書」の最初部分に記載されているから、参考のために簡単に取り上げてみる。

 2017年2月に森友学園案件が国会で取り上げられて以降、同年2月下旬から4月にかけて5件の決裁文書を改ざん。一度ウソをつくと、そのウソを事実と見せかけるために次のウソが必要となる喩えどおりに「主としてこれらの決裁文書の改ざん内容を反映する形で」、つまり5件の改ざんに辻褄を合わせる形で9件の決裁文書、計14件の決裁文書改ざんを行なった。

 この「計14件」は単なる数字ではなく、ウソの量を表している。1件や2件ではない、14件という相当量のウソを要した。それ程までに対森友学園国有地売却に関してウソを必要とした。ウソを必要とした原因を森友学園国有地売却との関連で捉えてはいない。国会で問題になったことから始まった文書改ざんという事実経緯のみが取り上げられている。

 例えば2017年2月21日に近畿財務局及び本省理財局の国有財産審理室長が国会議員団に面会を受けたことから、政治家関係者に関する記載の取扱いが問題となり得ることが認識され、報告を受けた財務省理財局長が〈当該文書の位置づけ等を十分に把握しないまま、そうした記載のある文書を外に出すべきではなく、最低限の記載とすべきであると反応した。理財局長からはそれ以上具体的な指示はなかったものの、総務課長及び国有財産審理室長としては、理財局長の上記反応を受けて、将来的に当該決裁文書の公表を求められる場合に備えて、記載を直す必要があると認識した。こうした認識は、国有財産企画課長にも共有された。〉ことから始まり、〈政治家関係者からの照会状況等が記載された経緯部分を削除するなどの具体的な作業を〉開始、〈理財局長からは、2017年2月から3月にかけて積み重ねてきた国会答弁を踏まえた内容とするよう念押しがあった。〉と改ざんが深みにハマっていく事実経緯の調査のみで、なぜ政治家関係者に関する記載の取扱いが問題となるのか、なぜ理財局長の佐川宣寿は局長という地位にありながら、決裁文書に記してある事実と異なる答弁をする必要があったのかの「なぜ」に対する調査がない。

 例えば2017年2月17日(金)の衆議院予算委員会、その他で安倍晋三から、〈本人や妻が、事務所も含めて、この国有地払下げに一切関わっていないことは明確にしたい旨の答弁があった。〉(10P)ものの、この〈答弁以降、本省理財局の総務課長から国有財産審理室長及び近畿財務局の管財部長に対し、総理夫人の名前が入った書類の存否について確認がなされた。これに対して、総理夫人本人からの照会は無いことや、総理夫人付から 本省理財局に照会があった際の記録は作成し、共有しているが、内容は特段問題となるものではないことを確認したほか、近畿財務局の管財部長からは、その他の政治家関係者からの照会状況に関する記録の取扱いについて相談がなされた。さらに、上記の同年2月21日(火)の国会議員団との面会の状況も踏まえ、本省理財局の総務課長から近畿財務局の管財部長に対して政治家関係者をはじめとする各種照会状況のリストの作成を依頼し、本省理財局の国有財産審理室長に当該リストが送付された。〉(15p)

 だが、決裁文書から総理夫人安倍昭恵の名前が削除された。財務省「報告書」はこのことに一切触れていない。かくかように会計検査院「報告書」が提示した多くの「なぜ」に答えていない。この答がない以上、森友疑惑の本質的な解明に迫ることはできない。

 極めつけは「平成29年以降の状況」(9p)の⑧の記述である。

 〈⑧ 当時、国会審議のほか、一部政党において本省理財局等からヒアリングを行うための会議が繰り返し開催されており、さらに同政党の国会議員団は、森友学園に売り払われた国有地を平成29年2月21日 (火)に視察することとなった。本省理財局では、当日の森友学園の理事長らの発言次第では国会審議が更に混乱しかねないことを懸念し、局長以下で議論を行った結果として、国有財産企画課の職員に対して、対外的な説明を森友学園の顧問弁護士に一元化するなど、当該顧問弁護士との間で対応を相談するよう指示がなされた。

 この指示を踏まえ、当該職員が同年2月20 日 (月)にかけて当該顧問弁護士と相談を行う中で、同理事長は出張で不在であるとの説明ぶりを提案したり、さらには「撤去費用は相当かかった気がする、トラック何千台も走った気もする」といった言い方も提案した(注12-「トラック何千台」との表現は、当該職員が発案し、提案したものと認められる。)。結果的には、翌日21 日 (火)の国会議員団による現地視察には同理事長も顧問弁護士も同席せず、その後も、国有財産企画課の当該職員が伝えたような内容を森友学園側がコメントすることは無かった。〉 (11p)

 対する罰則。

「 (3) 本省理財局における責任の所在の明確化 」(31p)

 〈また、別の当時の国有財産企画課職員(課長補佐級)についても、一連の問題行為には関与していなかったが、地下埋設物の撤去費用について、森友学園の顧問弁護士に対して事実と異なる説明ぶりを提案したことは、不適切な対応であった。これを踏まえ、「口頭厳重注意」の矯正措置を実施する。〉(41p)

 森友学園顧問弁護士に対して「撤去費用は相当かかった気がする、トラック何千台も走った気もする」といった言い方を提案した。

 森友学園理事長も顧問弁護士もこのコメントを使うことはなかった。トラックが何千台も走って気づかない近所の住人がいるとしたら、俳句の夏井先生ではないが、「ここへ連れてこい」である。近所の住人に聞いたら、バレバレとなるから、コメントとして使わなかったのだろう。問題は使う使わないではなく、なぜこのようなコメントをアドバイスとして用いたかである。撤去費用は相当かかっていないから、かかったように見せかる必要があった。トラックが何千台も走っていないから、走ったことにしなければならなかった。裏を返せば、撤去費用はたいしてかかっていなかった。当然、トラックもたいして走っていなかった。このことは1万9520トン、ダンプカー4000台分の地下埋設物など存在していなかったを答としなければならない。

 天下の財務省が何か大きな力が働かなければ、一介の教育者に不動産鑑定評価額9億5600万円の土地を地下埋設物の撤去・処分費用を8億1900万円と見積もり 差引き土地価格を約1億3400万円とすることはないだろう。天下の安倍晋三夫人安倍昭恵が森友小学校名誉校長に就任したのは2015年9月5日。森友学園のHPからその名前が消えたのは2017年2月23日。

 近畿財務局が大阪航空局に森友小学校建設予定地の国有財産地に地下埋設物の撤去・処分費用について見積もることを依頼したのが2016年(平成28年)3月30日。大阪航空局が地下埋設物量を1万9520トン、その撤去・処分費用を8億1900万円と見積もり、近畿財務局に報告したのが2016年(平成28年)4月14日。この3月30日から4月14日までの期日は天下の安倍晋三夫人安倍昭恵が森友小学校名誉校長に就任していた期間にすっぽりと入る。

 2014年(平成26年)4月28日、森友学園理事長は近畿財務局を訪れ、職員に「昭恵夫人が来られていい土地だから話を進めてくださいとおっしゃった。写真もありますよ」と伝えたら、職員が「写真を見せてください」と言うので見せたら、「これコピーしていいですか?上司、局長にも見せなければいけないので」と答えたとネットでは紹介されている。

 森友学園理事長が2017年3月23日に日本外国特派員協会で会見で、国有地の契約に関する財務省への問い合わせを安倍昭恵内閣総理大臣夫人付の内閣事務官谷査恵子を通して行い、その返事のFAXが来てから、「後の事柄については、瞬間風速の強い神風が吹きました」と発言している。当時の籠池理事長にしたら、「安倍晋三様々。安倍昭恵様々」だったに違いない。

 岸田文雄は2021年10月11日の辻元清美の代表質問に対する答弁で森友問題は全て終わったかのように発言しているが、かくこのように見てくると、全然終わっていないことが分かる。

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靖国神社の戦死者は大日本帝国国家によって必然として用意されていた「犠牲」であり、それを「尊い犠牲」と形容するインチキ

2021-08-16 10:21:31 | 政治
 今週はブログを休むつもりでいたが、8月15日が近づいて、閣僚の靖国参拝だ、詭弁家の言いくるめ名人加藤勝信の官房長官談話だ、自民党声明だ、安倍晋三の靖国参拝だ、相変わらず戦争美化を内側に置いた終戦記念日恒例の行事を目の当たりにして見過ごすことができず、かと言って、殆どが今まで書いてきたことの繰り返しになって、役にもた立たないのだが、取り敢えずはブログにしてみることにした。

 経済再生相の西村康稔が2021年8月13日午前8時頃、東京九段の靖国神社に参拝した。「NHK NEWS WEB」記事に参拝後記者団に私費で玉串料を納め「衆議院議員 西村康稔」と記帳した旨説明したと出ている。

 西村康稔は戦争を引き起こした、戦没者にとって「祖国」とした大日本帝国国家に対する歴史認識上の思いと記憶を前にして単なる一国会議員として立ち、手を合わせることができただろうか。時の政府の一大臣が追悼の手を合わせているのであって、一般人が手を合わせているのとは格と価値に違いがあるという虚栄心に駆られることはなかっただろうか。思いは一大臣として参拝したのであって、外交配慮上、「衆議院議員 西村康稔」という形式にしたということではなかったろうか。

 西村康稔「祖国を思い、家族を案じつつ犠牲となられた英霊の安寧を心からお祈りした。二度と戦争の惨禍を起こさず、日本が戦後歩んできた平和国家の道をさらに進めることを改めてお誓い申し上げた」

 西村康稔は去年は「終戦の日」の翌日に参拝したと記事は紹介している。

 確かに大日本帝国軍隊兵士は天皇陛下と大日本帝国国家のために身を捧げるべく「祖国を思い、家族を案じつつ犠牲」となった。と言えば、聞こえはいいが、「犠牲」は大日本帝国国家によって必然として用意されていたものだった。決して戦争遂行上の止むを得ない状況下の犠牲というわけではなかった。

 このことはあとで証明する。用意されていたとは気づかずに「祖国を思い、家族を案じつつ犠牲」となるという行為は兵士には知らされていないこととは言え、逆説に満ちることになる。この逆説は国家に騙されてというカラクリを備えていることになる。要するに国家に騙されて、「祖国を思い、家族を案じつつ犠牲」となった。

 当然、そのような犠牲者を「英霊」と最大限に価値づけ、その「霊の安寧を心からお祈りする」参拝者側の精神行為は偽善の装いを纏いつかせていることになる。このことに気づかないのは大日本帝国国家によって引き起こされた戦争を検証も総括もしていない幸運に恵まれているかっらだろう。

 「二度と戦争の惨禍を起こさず、日本が戦後歩んできた平和国家の道をさらに進めることを改めてお誓い申し上げた」と言っているが、大日本帝国国家の「戦争の惨禍」を検証も総括も経ずに「二度と戦争の惨禍を起こさず」と誓うのは戦争開始と敗戦までの様々な事実経緯を表面的な事象として捉えて眺めるだけの「戦争の惨禍」となって、「起こさず」の誓いは言葉で言うだけの形式になりかねない。検証し、総括して、8月15日が巡ってくるたびにその検証と総括を眺め返し、噛み締めつつ「二度と戦争の惨禍を起こさず」とすることこそが誓としての価値を持つことになる。

 大体が検証と総括を経た「二度と戦争の惨禍を起こさず」の誓と経ない誓いとではその質に違いがあるのは論を俟たないはずだ。

 安倍晋三の実弟、防衛相の岸信夫が西村康稔と同じ8月13日に靖国神社を参拝しほたとマスコミが報道していた。西村康稔が玉串料を私費で納め、「衆議院議員 西村康稔」と記帳したように岸信夫も玉串料は私費、「衆院議員 岸信夫」と記帳したというが、大日本帝国国家に対する歴史認識上の思いと記憶を前にして参拝する以上、西村康稔と同様に一国会議員のとしての参拝とするのは外交上の配慮でしかなく、内心では防衛大臣岸信夫として大日本帝国国家と対峙したはずである。

 岸信夫「国民のために戦って命を落とされた方々に対して尊崇の念を表するとともに、哀悼の誠を捧げた。また不戦の誓い、国民の命と平和な暮らしを守り抜くという決意を新たにした」(asahi.com)

 「国民のために戦って命を落とされた」犠牲が大日本帝国国家によって必然として用意されていたもので、いわば騙される形で見舞われたことならら、その戦死者に対して「尊崇の念を表する」ことは滑稽な儀式となる。自分の利益を得るために人をおだてて何かをさせながら、腹の中では「このバカが」と嘲るのとさして違いのない精神の働きを示していることになるが、勿論、岸信夫は戦死者や国民の犠牲が大日本帝国国家によって必然として用意されていたものだとは思っていない。戦死の背景をなした大日本帝国国家を否定はしていないからだ。「不戦の誓い」も、大日本帝国国家の戦争を検証と総括を経たているかいないかによって、意味合いも違ってくる。

 記事は、岸信夫は〈例年、終戦の日である8月15日前後に靖国神社や地元・山口の護国神社を参拝。防衛政務官時代の09年8月や、外務副大臣だった13年10月にも靖国神社を参拝している。〉と解説している。大日本帝国国家の有り様を肯定的な歴史認識の一部としているから、例年の参拝が可能となる。否定していたなら、遺族に引き渡すことができなかった遺骨を安置している国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑の参拝で済ませているだろう。

 また、西村康稔の「二度と戦争の惨禍を起こさず、日本が戦後歩んできた平和国家の道をさらに進めることを改めてお誓い申し上げた」にしても、岸信夫の「不戦の誓い、国民の命と平和な暮らしを守り抜くという決意を新たにした」にしても、大日本帝国国家は国民の人権を認めなかった天皇独裁・国家主義国家であって、その戦前国家と戦後の民主国家を断絶して捉えた上での『戦後』でなければならないはずだが、断絶を明示する文言はどこにもなく、戦前との連続性の上に戦後民主国家日本を考えている発想の発言ということになる。

 「終戦記念日にあたって 自民党声明」(自民党/2021年8月15日)
  
本日、76回目の終戦記念日を迎えるにあたり、先の大戦で犠牲となられた人々に対し、衷心より哀悼の誠を捧げます。

私たちが今日享受している平和と繁栄は、あの戦争によって命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上に築かれていることを胸に刻み、二度と戦争の惨禍が繰り返されぬよう、改めて不戦の決意をいたします。

日本は戦後一貫して平和国家としての歩みを続け、歴史と謙虚に向き合い、戦争の悲劇と被爆の実相を語り継いでまいりました。この歩みをこれからも変えることなく、今後も国際社会の先頭に立ち、恒久平和の実現に貢献していくことこそが、わが国の使命であります。

近年、国際情勢は複雑に変化し、日本を取り巻く安全保障環境も厳しさを増しています。
私ども自由民主党は、多くの国や地域との協力関係をさらに深化させ、インド太平洋並びにアジア諸国、そして世界の平和と安定のため、不断の努力を続けていくことが何よりも大切であると考えます。

これからも自由民主党は平和と自由を希求する国民政党として、平和国家日本を次世代に引き継いでいくとともに、世界から一層高い信頼を得られるよう全力を尽くしてまいります。

 〈私たちが今日享受している平和と繁栄は、あの戦争によって命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上に築かれていることを胸に刻み、二度と戦争の惨禍が繰り返されぬよう、改めて不戦の決意をいたします。〉

 今日の「平和と繁栄」が戦死者の「尊い犠牲の上に築かれている」とする慣用句となっている認識は大日本帝国国家及びその戦争を肯定的に捉えていることによって成り立つ。戦略的に勝算を間違えた戦争での戦死を「騙された犠牲」とすることはできても、「尊い犠牲」としたなら、即、戦前の大日本帝国国家を肯定しているか、擁護していることになるからだ。にも関わらず、「二度と戦争の惨禍が繰り返されぬよう」と言っていることは、前者の肯定性に対する後者の否定性となって、相互矛盾することになる。

 では、兵士の「犠牲」が大日本帝国国家によって必然として用意されていたものであったことを説明しよう。

 「総力戦研究所設置ニ関スル件」(国立国会図書館/更新日:2012年12月20日)
  
昭和15年8月16日 閣議決定

近代戦ハ武力戦ノ外思想、政略、経済等ノ各分野ニ亘ル全面的国家総力戦ニシテ第二次欧州大戦ハ本特質ヲ如実ニ展開シ支那事変ノ現段階モ亦カカル様相ヲ呈シツツアリ皇国力有史以来ノ歴史的一大転機ニ際会シ庶政百般ニ亘リ根本的刷新ヲ加ヘ万難ヲ排シテ国防国家体制ヲ確立センカ為ニハ総力戦ニ関スル基本的研究ヲ行フト共ニ之カ実施ノ衝ニ当ルベキ者ノ教育訓練ヲ行フコト必要ニシテ此ノ事タルヤ延テ政戦両略ノ一致並ニ官吏再訓練ニ貢献スルコト少カラスト認メラル依テ左記要領ニヨリ総力戦研究所ヲ設置シ総力戦態勢整備ノ礎石タラシムルコト現下喫緊ノ要務タリ


一、総力戦研究所ハ国家総力戦ニ関スル基本的調査研究ヲ行フト共ニ総力戦実施ノ衝ニ当ルベキ者ノ教育訓練ヲ行フヲ以テ目的トスルコト
二、総力戦研究所ハ内閣総理大臣ノ監督ニ属スルモノトスルコト
三、総力戦研究所ハ所長(陸海軍将官又ハ勅任文官)並ニ所員若干名ヲ以テ構成シ各庁並ニ民間ニ於ケル優秀ナル人材ヲ簡抜スルコト
四、研究員ハ差当リ文武間及民間ヨリ簡抜シタル者若干名ヲ以テ之ニ充テ其ノ教育期間ハ概ネ一年トスルコト
五、研究所ハ至急之ヲ開設シ先ヅ所員ヲ以テ総力戦ニ関スル基本的調査研究ヲ行ヒ昭和十六年度ヨリ研究員ノ教育訓練ヲ実施スルモノト予定スルコト
六、本件ニ関スル経費ニ付テハ適当ナル措置ヲ講スルモノトスルコト

  最初に総力戦研究所設置の目的を麗々しく掲げている。「近代戦はヨーロッパでのドイツ及びその連合国とイギリスやフランスを相手とした欧州戦線は勿論、支那事変も同じ様相を呈しつつあるが、武力戦のほか、思想、政治上の戦略、資源や生産を含めた経済等の各分野全てを駆使した全面的国家総力戦へと戦争の質を変容しつつあるから、我が皇国の有史以来の歴史的一大転機となることから政治全般に亘って根本的刷新を加え、万難を排して国防国家体制を確立するためには総力戦に関する基本的研究を行うと共に総力戦実施の役割を担う者の教育訓練を行うことが必要であり、こういったことは政治と戦争の両略の一致と官吏の再訓練に貢献すること少なくないと認められるゆえに総力戦研究所を設置し、総力戦態勢整備の礎石とすることを現下に於ける喫緊の要務とすると謳っている。

 そして総力戦研究所の具体的役割として、国家総力戦に関する基本的調査研究を行うことと総力戦実施の重要な役割を担うべき者の教育訓練を掲げた。

 要するに昭和15年(1940年)8月16日を起点に近代戦に必要な国家総力戦を可能とする政治と軍事の両体制の確立を目指すことになった。総力戦研究所の実際の設立は昭和15年9月30日付け施行の勅令第648号(総力戦研究所官制)によった。以下、「Wikipedia―総力戦研究所」から。

 総力戦研究所は国家総力戦に関する基本的な調査研究と同時に総力戦体制に向けた教育と訓練を設立目的とし、研究生は各官庁・軍・民間などから選抜された若手エリートたちであると先ずは説明している。

 昭和16年(1941年)12月8日の日米開戦約5カ月前の昭和16年7月12日、飯村総力戦研究所長から研究生に対して日米戦争を想定した、研究生を閣僚とした演習用の青国(日本)模擬内閣実施の第1回総力戦机上演習(シミュレーション)計画が発表された。

 東條英機が1941年(昭和16年)10月18日に首相就任する3カ月前で、当時は陸軍大臣の地位にあった。

 〈模擬内閣閣僚となった研究生たちは1941年7月から8月にかけて研究所側から出される想定情況と課題に応じて軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通しや食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。

 その結果は、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」という「日本必敗」の結論を導き出した。

 これは現実の日米戦争における(真珠湾攻撃と原爆投下以外の)戦局推移とほぼ合致するものであった。

 この机上演習の研究結果と講評は8月27・28日両日に首相官邸で開催された『第一回総力戦机上演習総合研究会』において当時の近衛文麿首相や東條英機陸相以下、政府・統帥部関係者の前で報告された。

 研究会の最後に東條陸相は、参列者の意見として以下のように述べたという。

 東條英機「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争といふものは、君達が考へているやうな物では無いのであります。

 日露戦争で、わが大日本帝國は勝てるとは思はなかつた。然し勝ったのであります。あの当時も列強による三国干渉で、止むに止まれず帝国は立ち上がつたのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。

 戦といふものは、計画通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がっていく。したがって、諸君の考へている事は机上の空論とまでは言はないとしても、あくまでも、その意外裡の要素といふものをば、考慮したものではないのであります。なほ、この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということであります」〉――

 先ず第一に陸軍大臣東條英機は1904年(明治37年)2月8日から1905年( 明治38年)9月5日までの日露戦争を戦った時代と近代戦は国家総力戦であるとしている1940年代後半の時代の戦争の質の違いを無視している。日本も日露戦争の時代から資源や生産力や経済力をバックとした技術の進歩を果たしていて、当時の日本に至っているのだろうが、アメリカの技術にしても日本とは桁違いの資源や生産力や経済力をバックとした技術の進歩を果たしていて、国家総力戦にそれぞれ影響するであろう、その両者の進歩の違いを見極める合理的な目を持っていなかった。陸軍大臣でありながら、この無能は如何と見し難い。

 また技術の進歩や自国資源の違いなどによって生じる、国民総生産は約1千億ドルと日本の10倍以上、総合的国力は約20倍の格差があったと言われていた米国の国家総力戦に注入可能な総合力を総力戦研究所の研究生によって構成された模擬内閣閣僚は当然のこと計算に入れ、机上演習(シミュレーション)した結果の「日本必敗」であり、〈現実の日米戦争における(真珠湾攻撃と原爆投下以外の)戦局推移とほぼ合致する〉精緻な実験結果だったが、陸軍大臣の東條英機は勿論、研究報告の場に列席していた近衛文麿首相やその他当時の閣僚、統帥部関係者は理解するだけの洞察力を持つことができなかったことになる。

 また東條英機は現役の軍人であり、陸軍大臣でありながら、国力や軍事力、戦術等の日米の総合力の差を計算に入れた戦略(=長期的・全体的展望に立った目的行為の準備・計画・運用の方法)を武器とするのではなく、それらを無視して、最初から「意外裡」(=計算外の要素=戦略外の偶然)に頼って、頼ること自体が精神主義に侵されていたことになるのだが、それを武器にして巨大国家アメリカに戦争を挑もうというのだから、合理性もへったくれもなかったことになる。

 最悪なのは「この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということであります」と、マル秘扱いの情報隠蔽を謀ったことである。大日本帝国国家のプライドとして当然のことと言えば、当然のことだが、最初から頭にあったのは「意外裡」(=計算外の要素=戦略外の偶然)以外になかったから、「日本必敗」を「日本必勝」に変える起死回生の戦略を生み出す努力もせず、生み出せるはずもなかったが、努力していたなら、東條英機自身が「日本必敗」を悟らざるを得なくなって、外交に戦術転換を図ったかも知れないのだが、「意外裡」に頼る精神主義を武器に東條英機は首相として日米開戦を
決定。日本時間昭和16年12月8日未明にハワイ真珠湾の米海軍基地を攻撃、大日本帝国国家自らが総力戦研究所の模擬内閣によって日米の国力と軍事力に関わる各種データを基に日米戦争の展開を研究予測した答が「日本必敗」とされた日米開戦の火蓋を切った。そして同日午後7時過ぎ東條英機はラジオ放送を通じて日本国民に宣戦の詔勅が渙発されたことを伝えた。

 かくして大日本帝国軍兵士は「日本必敗」を知らされずに巨大な経済国家・巨大な軍事国家アメリカとの戦争を「天皇陛下のため・お国のため」と戦わされ、多くが犠牲となった。日中・対米戦争で犠牲となった軍人・軍属・准軍属戦死者は230万人と言われていて、「犠牲者」の約6割は兵站(戦闘部隊の後方にあって、人員・兵器・食糧などの前送・補給にあたり、また、後方連絡線の確保にあたる活動機能。「goo国語辞書」)軽視による餓死だと言われている。この兵站軽視も、近代戦は全面的国家総力戦だと定義づけながら、定義づけどおりの戦略を展開する創造性も、裏付けとなる戦争遂行資源も欠如させていた証明としかならない。

 国力と軍事力の大差によって「日本必敗」とシミュレーションされた日米戦争を「意外裡」の精神主義で戦わされた「犠牲」なのだから、大日本帝国国家によって必然として用意されていた犠牲そのものであった。標高が高く、険しい山に登山の装備をせずに普段着で登頂を命令されて、命を落とすことになり、それを「尊い犠牲」とすることとたいした差はない。

 そのような「犠牲」を戦前の大日本帝国を戦後の民主国家日本と絶縁できない、安倍晋三を筆頭とする保守派の政治家・日本人は「尊い犠牲」と形容する。
インチキそのものである。

 では、詭弁家の言いくるめ名人加藤勝信の官房長官談話を見てみる。

 「内閣官房長官談話」(首相官邸/2021年8月14日)
  
 明日8月15日は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であります。

 政府は、日本武道館において、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、遺族代表及び各界代表の参列の下に、先の大戦における300万余の戦没者のため、全国戦没者追悼式を挙行いたします。

 この式典を政府が主催する趣旨は、今日の我が国の平和と繁栄の陰に、先の大戦において祖国を思い、家族を案じつつ、戦禍に倒れた戦没者の方々の尊い犠牲があったことに思いを致し、全国民が深く追悼の誠を捧(ささ)げるとともに、恒久平和の確立への誓いを新たにしようとするものであります。

 明日の正午には、国民一人ひとりが、その家庭、職場等、それぞれの場所において、この式典に合わせて、戦没者をしのび、心から黙とうを捧げられるよう切望いたします。

 「今日の我が国の平和と繁栄の陰に、先の大戦において祖国を思い、家族を案じつつ、戦禍に倒れた戦没者の方々の尊い犠牲があった」

 確かに無事帰還できた兵士にしても、「祖国を思い、家族を案じつつ」戦争に臨んだはずだ。だが、大日本帝国国家によって「日本必敗」という冷徹な悪条件下で戦争に駆り出されて、犠牲となるべく犠牲となった軍関係の戦死であり、民間人の戦没である以上、大日本帝国国家によって必然として用意されていた「犠牲」という関係を取って初めて、「日本必敗」無視との整合性が取れる。

 そして加藤勝信にしても、「尊い犠牲」だと言う。ここには大日本帝国国家によって必然として用意されていた「犠牲」であることを隠し、美化するインチキがある。この美化のためのインチキには「日本必敗」を無視して、勝つための戦略を用意もせずに勝てない戦争を初めた大日本帝国国家の失態を擁護する作用が自ずと働くことになる。だからこそ、自民党の多くの政治家がそうだが、戦前の大日本帝国を戦後の民主国家日本と絶縁できないで、連続させた視野で捉えることになっている。

 その代表的な人物安倍晋三の2021年8月15日靖国参拝時の記者団に対する発言を「NHK NEWS WEB」記事から見てみる。

 安倍晋三「終戦の日にあたり、先の大戦において、愛する人を残し、祖国の行く末を案じながら散華されたご英霊に尊崇の念を表し、み霊、安かれと祈った」

 靖国神社の大日本帝国軍隊戦死者をこの上なく素晴らしい美辞麗句で飾っている。「愛する人を残し、祖国の行く末を案じながら散華された」。「散華」とは花と散るという意味を取る。例え兵士本人が自らの戦死の際に「花と散る」と美化したとしても、当時の大日本帝国国家上層部が「日本必敗」のシミュレーションに用いられた国力と軍事力の日米大差の悪条件を無視して突っ走った戦争であって、必然として用意されていた「犠牲」という性格を帯びることになるにも関わらずにこのように戦死者を美辞麗句で飾ることができる。

 「散華」した兵士が事実存在したとしても、現実には敵の攻撃に逃げ惑って殺されることになったり、ジャングルに迷い込んで、飢えで死んだり、爆弾投下や艦砲射撃で吹き飛んだりの「散華」とは無縁の多くが「犠牲」であり、本人にとって残すのは色のない世界である。だが、安倍晋三は大日本帝国国家によって必然として用意されることになった「犠牲」を「散華」と美しく形容する。このインチキは特上である。

 このような兵士の「犠牲」に対する美しい形容は直接的にも、間接的にも大日本帝国国家の戦争を擁護する働きを担う。確かに戦争で「犠牲」となった兵士の「祖国」は当時の大日本帝国国家ではあるが、当然、その「祖国の行く末を案じた」であろうが、戦後の民主国家に生きる日本人が「犠牲」となった兵士の気持ちを代弁して「祖国の行く末を案じながら」と言うとき、戦前の大日本帝国国家擁護の、あるいは大日本帝国国家肯定の意思が顔を覗かせることになる。

 もし多くの兵士の「犠牲」が大日本帝国国家によって必然として用意されていた出来事だと歴史認識することができていたなら、「国は勝利は困難だと一旦はシミュレーションされた戦争を無理矢理始めて、無理矢理戦争に臨むことになった多くの兵士の『犠牲』を生み出した。兵士はそのことを知らずに祖国の行く末を案じながら息を引き取っていった。とんでもない国家だった」と大日本帝国国家を否定的に見るだろうし、兵士に対しては憐れみの気持ちを持つことになるだろう。

 安倍晋三はこの真逆である。立ち位置を戦後の民主国家日本に置きながら、「むしろ皇室の存在は日本の伝統と文化、そのものなんですよ。まあ、これは壮大な、ま、つづれ織、タペストリーだとするとですね、真ん中の糸は皇室だと思うんですね。この糸が抜かれてしまったら、日本という国はバラバラになる」(2012年9月2日日テレ放送の「たかじんのそこまで言って委員会」)の発言に見て取れる戦前の大日本帝国国家の精神性を引き継いでいることからの大日本帝国国家擁護であり、擁護の一環としての靖国神社参拝であり、戦死者追悼にほかならない。

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菅義偉は五輪開催擁護のために「デルタ株」の感染力に対する危機感を失念させ、開催が感染爆発の原因となった

2021-08-09 10:46:04 | 政治

【お断り】
 2019年4月以前は月にかなりの回数のブログを投稿していたが、当時は殆ど1日で仕上げていた。それ以降、1つのブログの仕上げに2日かかり、ときには3日かかるようになり、1週間に1度の投稿ペースとなったが、80歳の残り少ない人生となって、読者数も少なく、ただ書いては投稿する繰り返しに徒労感が募り、時間が勿体なくなり、今後、1カ月に1回か2回にペースを落とすことにした。投稿数が増えても減っても、殆ど変わらない注目度だから、断りを入れる程のことはないのだが、一応知らせることにした。「Twitter」は、これも大して中身のあるものではないが、気が向けば日々投稿しているから、よろしくお願いします。

 最初に今回のブログのテーマに関係ないが、2021年8月6日開催の広島市平和記念式典で菅義偉が挨拶を読み上げる際、一部分を読み飛ばした件について。2021年8月6日付「毎日新聞」記事によると、複数枚の原稿を糊で1枚につなぎ合わせて蛇腹折りにしたもので、糊が一部はみ出して紙同士がくっつき、首相が開く際に剥がれなかったためにその箇所を読み上げられなかったとみられると伝えている。要するに原稿を何枚か繋いで折り畳んであるから、目を通す箇所を順に開いていく形式になっていたものが、一部分糊でくっついていて、そこが綴てある具合になっていて開くことができず、次に開くことができた箇所を続きだと思って、そのまま読み続けた結果、一部分を読み飛ばしてしまった。

 「共同通信」記事によると、政府関係者の話として「完全に事務方のミスだ」と伝えているが、意図しないミスであったとは限らない。政権に不都合な情報を官僚がマスコミや野党側にリークして大問題になることが間々ある。意図したミスだとしたら、菅義偉に失点を与える、あるいは菅義偉の足を引っ張る目的からそうした可能性が浮上する。そういうことをして、身内の中で喜ぶ誰かがいる。色々と考えられるが、魑魅魍魎が跋扈する永田町である、意図したミスである方が断然と面白い。

 糊がくっついていて一部開くことができなかったが事実だとしたら、菅義偉は前以って目を通していなかったことになる。いくら官僚に書かせたとしても、官房長官等と図って、このような文章にしてくれと官僚に指示した箇所もあるはずだし、内容そのものが広島原爆投下の犠牲者を悼むと同時に平和への誓いを平和記念式典参列者のみならず日本国民に向けて発信する厳粛なメッセージとなり得るものだから、普通だったら、思いを噛み締め、伝えるために一度は目を通すはずだ。だが、目を通さなかったために糊がくっついた状態のまま平和記念式典の場に持ち込んでしまった。要するに平和記念式典という厳粛な空間で事務的なひと仕事を消化したに過ぎなかったといったところなのだろう。読み飛ばしても、意味が繋がっていないことに気づきさえしなかったのだから。

 2021年6月9日に厚生労働省がインドで広がる変異ウイルス「デルタ株」が6月1日~6月7日の1週間に8都県から合わせて34人の感染が確認されたと報告があったと発表したこと、7月中旬には国内で確認される新型コロナウイルスの半数以上を「デルタ株」が占めると予想する専門家がいたし、京都大学の西浦博教授が2021年6月9日開催の厚生労働省専門家会議でインドで確認された新型コロナウイルスの変異ウイルスについて国内での感染力は従来のウイルスの1.78倍になっている恐れがあるという分析結果を示したことなどを複数の「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。

 2021年5月31日~6月6日までの1週間に東京都の研究機関が行ったスクリーニング検査でインドで確認された変異ウイルス「デルタ株」が3割あまりにのぼり、これまでで最多となったと「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 2021年6月10日付の「NHK NEWS WEB」記事はイギリス政府2021年5月22日提出報告によると、「デルタ株」に対するウイルスの働きを抑える中和抗体の量はファイザー・ワクチン88%、アストラゼネカ・ワクチン60%で「2回の接種で十分な効果が得られる」と伝えている。

 つまり、2021年6月10日の時点で両ワクチン共に「デルタ株」に関しては1回接種のみでは的確な有効性は期待できないと言うことを知らしめたことになる。このことはイギリスがワクチン接種が進んだことから様々な制限を解いて社会経済活動を活発化させたが、2021年5月末から「デルタ株」による新規感染者が増加、6月30日には25606人の新規感染者、7日間平均が19005人にまで達したために2回目の接種を急いだという事情が証明することになる。

 と言うことは、「デルタ株」を向こうにしてワクチン1回接種の進み具合のみで感染状況の増減についてあれこれとは評価できないことになる。

 こういった情報は菅政権は把握し、専門家に検証を指示しなければならない。

 2021年6月16日付「NHK NEWS WEB」記事が厚生労働省が2021年6月14日時点の自治体報告集計で「デルタ株」感染者は全国合計117人、1週間(8日~14日)で30人増と発表したと伝えている。勿論、感染者数自体が多いからだろう、東京都が最多の30人、神奈川県が17人、千葉県が16人等と首都圏が上位を占めている。但し感染者全てのウイルスの型を調べているわけではない。感染者の幾例かのウイルスを抽出・検査して人数を割り出す。陽性率は検査実施件数に占める「デルタ株」保有者の割合で示す。実際の感染者数はもっと多いかもしれない。感染力が従来のウイルスの1.78倍(菅義偉は1.5倍としている)ということなら、危機管理として計算よりも多い感染者数と見るだけの危機感を有して対処すべきだろう。

 菅義偉は東京都に関して言うと、発令していた緊急事態宣言を6月20日に解除、7月11日までまん延防止等重点措置に移行することを伝えた2021年6月17日の記者会見で、「全国の感染者数は、5月中旬以降、減少が続いています。殆どの都道府県において新規感染者数はステージ4を下回っています。全国の重症者数も減少が続き、病床の状況も確実に改善されてきております。しかしながら、地域によっては感染者数に下げ止まりが見られるほか、変異株により感染の拡大が従来よりも速いスピードで進む可能性が指摘されております」と発言、現状の感染者数減少に主に目を向け、「デルタ株」については感染力の強さが指摘されている程度で済ませていて、さして警戒感を示していない。

 対して政府分科会会長の尾身茂は同じ記者会見で「人流の増加というのはもうこの直近5週間ずっと続いているのですよね」と前置きして、「例のデルタ株という変異株の影響。こういうことを考えますと、下げる要因、感染の拡大を下げる要因というのはワクチンというのがある。しかし、上げる要因というのはかなりあるのですね」と、人流の増加と、人流の増加に応じたデルタ株による感染拡大を警戒している。

 菅義偉は2021年7月8日の記者会見では次のように発言している。

 菅義偉「こうした中でも、残念ながら首都圏においては感染者の数は明らかな増加に転じています。その要因の1つが、人流の高止まりに加えて、新たな変異株であるデルタ株の影響であり、アルファ株の1.5倍の感染力があるとも指摘されています。デルタ株が急速に拡大することが懸念されます。

 一方で、感染状況には従来とは異なる、明らかな変化が見られています。東京では、重症化リスクが高いとされる高齢者のワクチン接種が70パーセントに達する中、一時は20パーセントを超えていた感染者に占める高齢者の割合は、5パーセント程度までに低下しています。それに伴い、重症者用の病床利用率も30パーセント台で推移するなど、新規感染者数が増加する中にあっても、重症者の数や病床の利用率は低い水準にとどまっております」

 首都圏の感染拡大は人流の高止まりと「デルタ株」の影響だとしている一方で、「デルタ株」の影響はその程度にとどめ、高齢者に対するワクチン接種が進んで、高齢者の新規感染者が減っただの、あるいは重傷化率が減少、医療現場に余裕が出てきたといった趣旨のことを言って、感染状況の好ましい変化を基にワクチン接種の効果に重きを置いた発言となっている。

 いわば高齢者のみならず他の世代へのワクチン接種の進捗が「デルタ株」を含めてコロナ感染の解決策となるというメッセージとなっている。このことは菅義偉が常々口にしている「ワクチン接種というのは、正に感染症対策の切り札です」としているメッセージと対応することになる。

 菅義偉はこのメッセージを殆ど固定観念としているが、固定観念としているからこそ、このメッセージにはイギリス政府の「デルタ株」の感染力に対してはワクチンは1回接種のみでは的確な有効性は期待できないとする危機感を受けつける余地を持たせていない。要するに「デルタ株」がいくら感染を広げても、ワクチン接種がその感染をいつかは収束させるという文脈の発言しか窺うことができす、「デルタ株」に対するどのような危機感も窺うことはできない。

 「デルタ株」に対する危機感のなさは、前にブログに取り上げたが、同じ記者会見(2021年7月8日)での次の発言が証明することになる。

 菅義偉「全国の津々浦々でワクチン接種の加速化が進んでいます。自治体や医療などの関係者の御尽力により、今や世界でも最も速いスピードで接種が行われていると言われています。1週間の接種回数は900万回を超えています。本格的な接種が始まってから2か月余りで累計の回数は5,400万回を超え、既に高齢者の72パーセント、全国民の27パーセントが1回の接種を終えています。

 先行してワクチン接種が進められた国々では、ワクチンを1回接種した方の割合が人口の4割に達した辺りから感染者の減少傾向が明確になったとの指摘もあります。今のペースで進めば、今月末には、希望する高齢者の2回の接種は完了し、1度でも接種した人の数は全国民の4割に達する見通しであります」

 世界最速と言われている日本のワクチン接種速度を誇り、1回目の接種は本格的な接種開始以降約2カ月で累計の接種回数5400万回超、高齢者72パーセント、全国民の27パーセント終了したとその実績を誇っている点は如何にワクチンの力に比重を置いているかのメッセージとなっていて、「ワクチン接種というのは、正に感染症対策の切り札です」の信念が言わせている文言となっている。「デルタ株」を感染拡大の要因以外に見ていないから、「デルタ株」に対する危機感の影すら、当然、見えてこない。

 後段の「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」のメッセージは、勿論、イギリス政府の対「デルタ株感染力ワクチン1回接種=非的確な有効性」のメッセージとは相反しているが、どちらが正しいか、2021年8月6日付「NHK NEWS WEB」記事から見てみる。2021年8月6日政府発表の最新のワクチン接種状況について1回目接種者5809万5553人、全人口の45.7%。2回目接種者は4155万5539人、全人口の32.7%。高齢者1回目接種者3096万4771人、高齢者全体の87.3%、2回目接種者2839万5544人、高齢者全体の80.0%となっていると伝えている。この全人口にはワクチン接種対象外年齢の子どもを含んでいると解説しているが、集団免疫が全人口の何割の接種とするという基準に従っているからなのはご承知のことと思う。7割という学者もいれば、6割で十分という学者もいる。菅義偉のメッセージは「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」だから、集団免疫に向かう「4割」と見ることもできる。

 菅義偉は7月末までに希望する高齢者全員に接種を完了すると常々約束していたが、自治体の中には住民の接種履歴を入力、国が管理するVRS(ワクチン接種記録システム)に後日纏めて入力するケースも存在とするから、上記「NHK NEWS WEB」記事も、〈実際はこれ以上に接種が進んでいる可能性があり、今後増加することがあります。〉と断っているが、少々の数字の違いが出るかもしれないものの、大した数字の違いではないはずで、1回目接種完了の高齢者87.3%を接種を希望した割合と看做すと、1回目接種のみで2回目はやめた高齢者がいたとしても、2回目接種完了者が85~6%近辺にまで近づいていなければ、希望する高齢者全員への接種完了とは言えなくなる。

 なぜなら、65歳以上高齢者に対するワクチン接種対象者数は3600万人。うち3000万人が接種を受けたと仮定しても、その1%は30万人。2回目と1回目の差、7%は210万人に当たると推定できる。210万人もの高齢者が1回目は接種を受けて、2回目は受けなかったと仮定することは難しい。要するに菅義偉の約束どおりには7月末までに希望する全員が接種を終えていなかったと見るのが妥当であろう。

 菅義偉の「先行してワクチン接種が進められた国々では」云々の「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」のメッセージはさも日本にも当てはまるかのように自らのワクチン接種の進捗度を、「今や世界でも最も速いスピードで接種が行われていると言われています」との言葉を使って誇っているが、上記「NHK NEWS WEB」が2021年8月6日の政府発表として伝えているように1回目接種者全人口の45.7%に達していて、菅義偉が言う「人口の4割」を超えているが、「感染者の減少傾向」どころか、全国的に感染者が増加、特に東京都に至っては7月半ば前後から新規感染者は千人を超え、7月末になると、2千人を超え、3千人を超え、2021年7月31日には4058人の新規感染者となっている。「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」どころか、「1回接種人口比4割=感染者の拡大傾向開始」となっている。

 大体が菅義偉の「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」のメッセージは、「では、全員が全員、ワクチンを接種しなくてもいいじゃないか」と誤って伝わる可能性は否定できない。

 菅義偉がなぜこういう見込み違いを招いたかと言うと、「デルタ株」の感染力の強さを言いながら、危機感を強く持てずに楽観的態度に終始していたからである。菅義偉が言う「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」のネタ元は2021年7月17日付「asahi.com」記事が紹介していて、野村総研の「リポート」を読めば、菅義偉が「デルタ株」を如何に軽く見ているかが理解できる。菅義偉は2021年7月3日に首相公邸で梅屋真一郎・野村総研制度戦略研究室長と面会し、リポートの内容についての説明を受けたと、「asahi.com」は解説している。

 リポートは、〈日本でも感染拡大が懸念されるインド変異株については、特に1回のワクチン接種時での有効性が低下するという指摘もあり、今回の試算の目安となる状況が担保されるには、特にワクチンの2回接種が相応の比率に進捗するまで、変異株のまん延を回避することが重要になってくる。〉を警戒点として挙げている。要するに変異株のまん延を回避しながら、2回目接種を一定程度の割合にまで進めていかなければならないという条件をつけた「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」だった。言い直すと、「1回接種人口比4割」と並行させて「デルタ株」の蔓延を回避しつつ2回目接種を相応程度に進めて初めて成立する「1回接種人口比4割」ということだった。

 だが、菅義偉は7月3日に首相官邸で野村総研側から説明を受けていながら、たった5日後の7月8日の記者会見でこの「デルタ株」(=インド変異株)についての警戒点も、2回目接種のそれ相応の進捗度の必要性も一切省いて、「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」のメッセージを発信した。「デルタ株」に対する危機感を持つことができず、危機感とは逆の楽観的態度でいたからである。多分、何て言ったって、ワクチン接種が感染症対策の切り札だとするメッセージを常々発信しているのだから、ワクチン接種が全てを解決してくれると思い込んでいたのだろう。

 以下「NHK NEWS WEB」記事から拾い出してみると、この7月8日の記者会見の2日前の7月6日の東京都の新規感染者は593人。 前週火曜より117人の増加。「デルタ株」感染者は最多の94人。7月7日の東京都新規感染者は920人。「デルタ株」は71人と減っているが、記者会見と同じ日の7月8日の新規感染者は19日連続前週を上回る896人。「デルタ株」は最多の98人。翌7月9日は822人の感染、「デルタ株」は過去最多の167人。

 ネット記事によると、2021年7月8日の日本のワクチン1回目接種者は人口比30.7%。2回目接種者人口比18.1%というワクチン接種が遅れている状況の中で「デルタ株」の感染者は確実に増えていた。野村総研のリポートが伝えている「デルタ株」に対する警戒だけではなく、2021年6月10日付の「NHK NEWS WEB」記事が「デルタ株」に関しては1回接種のみでは的確な有効性は期待できないとするメッセージをもたらしている以上、どのようなメッセージも把握・検証して感染対策に活用しなければならないはずだが、ワクチン接種こそが感染収束の切り札であるとワクチンのみを信奉、「デルタ株」に対する危機感を持つことができず、警戒を怠った。

 「東京都の変異株スクリーニング検査の実施状況」を見てみる。「デルタ株」の感染状況は

 「L452R」がデルタ変異株を指す。

 7月26日~8月1日は「デルタ株」の陽性例は減少しているが、変異株PCR検査が前の週の5688件に対して3557件と約63%しか行われていない。数字に基づいて計算すると、2779÷3557×100=77.7%となって、「デルタ株」の陽性率は一貫して増加していることになる。明らかに「デルタ株」の感染力の強さによって感染が拡大している状況が見えてくる。だが、その一方で感染は人流の増減に深く関わっている。例えば極端な例であるが、人流ゼロのところに「デルタ株」感染者が1人現れたとしても、他に感染させることはできない。それなりの人流、あるいはそれなりの人出が感染条件として必要となる。

 菅義偉は最初に触れているが、2021年8月6日の広島市平和記念式典出席したあと、記者会見を行った。記者が感染者数の増加とオリンピック開催の関係を質問したのに対して「東京の繁華街の人流はオリンピック開幕前と比べて増えておらず、オリンピックが感染拡大につながっているという考え方はしていない」と述べたと2021年8月6日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。つまり一方の感染条件となる人流は感染爆発前と比べて増えていないと述べている以上、「デルタ株」の感染力だけで特に東京都の感染が爆発的に増加しているという説明となる。

 首相官邸のエントランスホールで行われた2021年7月29日の緊急事態宣言、まん延防止等重点措置の取扱い等についての会見でも、記者の東京オリンピック開催により警戒心が緩んでいるのではないのかとの記者の指摘に対して、「色々な人が色々な御意見を言っていることは承知してます。ただ、このオリンピック大会を契機に、目指して、例えば自動車の規制だとか、あるいはテレワークだとか、こうしたことを行っていることによって、7月の中旬から始めていますけれども、人流は減少傾向にあり、更に人流の減少傾向を加速させるために、このオリンピックというのは、皆さん御自宅で観戦していただいて、御協力いただければと思っています」発言、オリンピック開催が人流の増加を招いているわけではなく、間接的にオリンピックが現状の感染爆発を招いているわけではないと否定している。

 7月30日の記者会見でも、「オリンピックが始まっても、交通規制やテレワーク、さらには皆さんの御協力によって東京の歓楽街の人流は減少傾向にあります。更に人流を減らすことができるよう、今後も御自宅でテレビなどを通じて声援を送っていただくことをお願いいたします」云々とオリンピック開催は人流の増加を招いていないを錦の御旗とした紋切り型の説明を繰り返し、オリンピックが感染拡大の原因ではないと否定している。

 このようなメッセージには2つの問題点がる。1つは「東京の繁華街の人流はオリンピック開幕前と比べて増えていないなら、少しぐらい外に出ても大丈夫じゃないか」という誤った伝わり方をしなかったという問題点である。

 2021年8月7日付「NHK NEWS WEB」記事はIT関連企業の「Agoop」の情報に基づいて2021年8月6日の東京の人出を2つの期間と比較して伝えている。(東京都のみの人出を抽出)

 分析時間は日中が午前6時~午後6時までの12時間。夜間が午後6時~翌日の午前0時までの6時間。

🔴 2021年7月23日のオリンピックの開幕前に当たる3回目緊急事態宣言発出中期間(2021年4月25日~6月20日)の平日の平均と8月6日の東京の人出を比較

▽渋谷スクランブル交差点付近は日中+10%、夜間+2%  
▽東京駅付近が日中+4%、夜間+13%

🔴4回目緊急事態宣言が8月31日まで延長することが決まった(7月30日)から1週間前(7月24日~7月30日?)と8月6日の東京の人出を比較

▽渋谷スクランブル交差点付近は日中-2%、夜間-1%
▽東京駅付近が日中-2%、夜間+4%

 この傾向はほかの記事も同様に伝えている。3回目緊急事態宣言を受けた人出の減少幅程には4回目緊急事態宣言では減っていないこと。反対に五輪会場付近では場所や種目によって20~30%増加していること。要するに五輪会場付近を除いたとしても、人流は減少しているものの、3回目緊急事態宣言時程には人流の減少は見られなかったということになる。

 これが菅義偉の「東京の歓楽街の人流は減少傾向にあります」の実態であり、菅義偉がこのメッセージを繰り返すたびにこのメッセージが「では、少しぐらい外に出ても大丈夫じゃないか」という誤った伝わり方をした可能性は否定できない。

 もう1つの問題点は2021年7月8日の記者会見で菅義偉が「デルタ株はアルファ株の1.5倍の感染力がある」というメッセージを発信している以上、
「デルタ株の1.5倍の感染力」と菅義偉が言う人流の減少が釣り合っているかどうかである。感染力が強ければ強い程、人流はその感染力に比例させる形で減少させなければならない。この釣り合いも考えずに「人流は減少傾向にある」を繰り返すだけでは「デルタ株」に対する警戒感も危機感もないと批判されても、その批判に妥当性を与えなければならない。

 2021年8月1日付「NHK NEWS WEB」記事が「デルタ株」について「水ぼうそう」と同じ程度の感染力の可能性があるとする内部資料をアメリカのCDC(疾病対策センター)が纏めていたと伝えている。

 従来のウイルスの感染力が1人から平均1.5人から3.5人程度に対して「デルタ株」の感染力は平均5人から9.5人程度の可能性を推定、この感染力は1人の患者から平均8.5人程度となっている水ぼうそうの感染力と「同程度」である可能性があるとしているとしている。

 記事は、〈デルタ株に感染すると、重症化したり死亡したりするリスクが高くなるとする各国の研究結果や、ワクチン接種を終えた人でも接種をしていない人と同じように感染を広げる可能性を示す研究結果が示され、「戦いの局面は変わった。ワクチンの効果は高いが、接種した人にも追加の対策を呼びかけるべきだ」と結論づけています。〉と付け加えている。

 従来のウイルスの感染力の平均が2.5人程度、「デルタ株」の感染力の平均が7人程度。水疱瘡の感染力は平均8.5人程度。「デルタ株」の感染力の強さが従来の株よりも水疱瘡に近い感染力の強さを持っていると予測される以上、「デルタ株」の感染力に対しては水疱瘡に対するのと近い危機管理を働かさなければならない。当然、人流も感染力の強さに応じて減少しなければならない。

 従来の人流を1と看做して、従来株の感染力を1と仮定すると、デルタ株の感染力を菅義偉のメッセージどおりに1.5倍とすると、どの程度の人流の抑制が必要なのか計算すると、従来株の感染力=1、従来株の感染力に必要な人流の抑制=1、デルタ株の感染力=1.5倍、デルタ株の感染力1.5倍に必要な人流の抑制=xと仮定する。答は反比例式で出るから、1(従来株の感染力に必要な人流の抑制):x(デルタ株の感染力1.5倍に必要な人流の抑制)=1.5(デルタ株の感染力):1(従来株の感染力)

 1.5x=1  x≒0.67×100=67%。従来株の感染力に必要な人流の抑制を1とすると、その1に対して感染力1.5倍のデルタ株に対する人流の抑制は67%としなければならない。従来の人流を5分の3程度以上に減らさなければならないから、相当な人流の抑制を図らなければ、デルタ株に対抗できない。感染力1.5倍のデルタ株に対して3回目緊急事態宣言よりも数パーセント減ったとか、横ばいだといった状況では人流の抑制のうちに入らないということになる。そしてこのことは東京都を筆頭とする全国の感染拡大が証明することになる。

 要は「デルタ株」の感染の広がりを見据え、十分な危機感を持って、五輪開催に備えた人流の十分過ぎる抑制を図る対策を打たなかった。バブルと称して、オリンピックの内側だけの対策で十分だと勘違いした。当然、五輪開催が現在の感染爆発の原因となる。

 菅義偉は自身がメッセージとして垂れ流している「人流は減少している」が「デルタ株の1.5倍の感染力」に釣り合っている「人流の減少」かどうかを考えもせずにもう一つのメッセージである「オリンピックが感染拡大につながっているという考え方はしていない」を垂れ流しているのだから、その不合理性から言って、そのメッセージは五輪開催擁護の役目しか果たさない。

 五輪開催が人々の高揚感を刺激し、デルタ株の感染力に釣り合う人流の抑制を阻害した。
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菅義偉の責任回避を目的とした自己正当化発言とそのために自分に都合よくツマミ食いした情報の発信

2021-08-02 11:18:52 | 政治
 2021年7月12日の当「ブログ」に、〈菅義偉は2021年7月8日の記者会見で、「ワクチンを1回接種した方の割合が人口の4割に達した辺りから感染者の減少傾向が明確になったとの指摘もあります。今のペースで進めば、今月末には、希望する高齢者の2回の接種は完了し、1度でも接種した人の数は全国民の4割に達する見通しであります」と発言している。2021年5月28日の記者会見では「イギリスでは1回目を5割打ったら大体ものすごい効果が出たということで、今、マスクなしにしていますけれども」云々と発言している。

 だが、ネットで調べてみると、イギリスのワクチン接種率は1回目終了が86%を超え、2回目終了が64%を超えているが、ここにきて感染が急拡大し、2021年7月19日時点の新規感染者数は31800人、7日間平均で30040人となっている。その理由はインド型の変異株だと言うが、何よりもワクチン接種が進んだことによる社会活動の活発化、つまり人流の大幅な増加にあるとされている。

 日本もインド型の変異株が拡大し続けると、「1回接種した方の割合が人口の4割に達した」としても当てにはならなくなる。菅義偉は情報把握をしっかりとして、安易な希望的観測となるような情報の垂れ流しはやめるべきである。責任問題である。〉と書いた。

 2021年7月17日のTwitterに、〈菅義偉、記者会見、その他で「ワクチンを1回接種した方の割合が人口の4割に達した辺りから感染者の減少傾向が明確になったとの指摘もあります」。イギリスはワクチン接種が1回目も2回目も人口の5割を超えているが、感染者が増え続けている。何を根拠の菅義偉発言なのか。ただの希望的観測なのか。)と投稿した。何を根拠の「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」なのか、ずっと気になっていたが、2021年7月17日付「asahi.com」記事が「ネタ元」を紹介していた。

 最近の菅総理の記者会見では打ち切り間際に女性首相秘書官が「ただ今挙手頂いております皆様におかれましては、恐縮でございますが、1問をメールでお送りいただきたいと思います。後日、回答を総理より書面にてお返しさせて頂くと共にホームページで公開させていただきます。どうぞ御理解と御協力をよろしくお願いいたします」と知らせる。そこで朝日新聞が〈「該当する国やどのような方がどのような分析をして『4割』が導き出されたのか」と質問。書面での回答は、野村総研がまとめた「ワクチン接種先行国における接種率と感染状況から見た今後の日本の見通し」をその根拠に挙げ、「イスラエルやイギリス、アメリカにおける接種率(人口比)と新規感染者数の推移を比べたうえで、1回目接種率が4割前後に達したあたりから、新規感染者数の減少傾向が明確になり始めたと指摘されている」〉と説明してあったという。
 
 さらに記事は野村総研のこのリポートは5~6月に纏めたもので、〈菅義偉は2021年7月3日に首相公邸で梅屋真一郎・野村総研制度戦略研究室長と面会し、リポートの内容についての説明を受けている。〉と解説を加えている。

 要するに菅義偉は野村総研のリポートを根拠に「1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」と看做して、「今月末(=7月末)には、希望する高齢者の2回の接種は完了し、1度でも接種した人の数は全国民の4割に達する見通し」だと2021年7月8日の記者会見で述べた。と言うことは首相公邸で梅屋真一郎・野村総研制度戦略研究室長と面会した2021年7月3日の時点から記者会見の7月8日までのいつかの時点で7月末には日本は「感染者の減少傾向」に入るという見通しを立てたことになる。見通しを立てたときには喜び勇んだに違いない。首相夫人とハグして、「大丈夫だ、大丈夫だ。首相としてやっていける」と自信の言葉を漏らしたということもある。

 朝日のこの記事を読んだとき、Twitterに〈#菅義偉、自分に都合のいい情報は検証せずに言いなりに信用し、都合の悪い情報は内容に妥当性があっても、退けるタイプの自己都合主義者なのだろう。貧すれば鈍するほど、平衡感覚を失って、そういったタイプに陥りやすくなる。〉と投稿した。

 で、7月末を迎えて、菅義偉のこの見通しはど真ん中のどストライク、見事に当たった。東京都は2021年6月21日から7月11日まで「まん延防止等重点措置」を発出していたが、7月12日から8月22日までとする「緊急事態宣言」に切り替えることになった。増減はあったものの、7月10日前後に800人、900人と、千人に迫る感染者を出す日も出てきたからだ。やはり増減はあったものの、7月半ばになると感染者は千人を超え、7月20日を過ぎると、2千人を超え、3千人を超え、7月31日は4058人という最多の新規感染者を出すことになった。7月30日の記者会見では、7月12日から8月22日期限の第4回「緊急事態宣言」を8月31日まで延長すると発表しなければならなくなった。とてものこと、「7月末1回接種人口比4割=感染者の減少傾向開始」どころではない感染爆発と言ってもいい最悪の事態を迎えることになった。本当に首相としてやっていけるのだろうか。

 菅義偉のこの見通しの見当違いは野村総研のリポート自体が見通しを誤っていたのか、あるいは誤っていなかったが、菅義偉の感染収束の願望が強過ぎて、リポートの情報を自分に都合よくツマミ食いして自身の願望通りの情報に仕立ててしまったのか、上記朝日記事の案内でネットから探し出し、目を通してみた。
 「ワクチン接種先行国における接種率と感染状況から見た今後の日本の見通し」(2021年5月 株式会社野村総合研究所 未来創発センター戦略企画室 制度戦略研究室)(一部抜粋)

 〈概要

新型コロナワクチンの接種が先行して行われたイスラエルやイギリス、アメリカでのワクチン接種率 (人口比) と新規感染者数の推移を比べると、 以下のような大まかな傾向が見て取れた。

① 様々な行動制限策も相まって、 ワクチン接種が始まってから1 回目接種率が2割前後に届くまでの間に新規感染者数が減少へと転じ始めた。
②1回目接種率が4割前後に達したあたりから、新規感染者数の減少傾向が明確になり始めた。
③必要回数(主に2回)の接種率が4割前後に近づくにつれ、新規感染者数の抑制・低減傾向が強まった。

 仮に感染の広がり方などに今後も大きな変化がなく、上記①~③の傾向が日本でも当てはまり、5月 27 日から3 週間後に日本で1日最大100万回の接種が達成できるとした場合、日本が「1回目ワクチン接種率4割」に達する日を試算すると8月20日、「必要回数(2回)ワクチン接種率4割」に達する日は最短で9月9日という結果となった。なお、このケースにおいて、東京オリンピックの開会式が行われる7月23日時点での1回目ワクチン接種率を試算すると、29.2%という結果となる。

 また、1日の最大接種回数が80万回となった場合には、日本が「1回目ワクチン接種率4割」に達する日は9月10日、「必要回数(2回)ワクチン接種率4割」に達する日は最短で10月1日になると試算される。

 一方で、日本でも感染拡大が懸念されるインド変異株については、特に1回のワクチン接種時での有効性が低下するという指摘もあり、今回の試算の目安となる状況が担保されるには、特にワクチンの2回接種が相応の比率に進捗するまで、変異株のまん延を回避することが重要になってくる。〉

 先ず3カ国の人口比ワクチン接種率の進行状況に応じた感染減少傾向との関係を3項目に分けて挙げ、解説しているが、項目自体にも解説にも様々な条件が付けられていることに気づく。読み取ることができた感染減少傾向はあくまでも「大まかな傾向」であること。「様々な行動制限策」がそれなりの成果を上げていること。例えば人流抑制策、あるいは移動自粛要請策であるなら、それらが一定程度効果を見せていること。さらに「感染の広がり方などに今後も大きな変化」がないこと、①~③の3項目の「傾向が日本でも当てはま」ること、「5月 27 日から3 週間後に日本で1日最大100万回の接種が達成できる」ことなど、1日のワクチン接種回数が重要な要素となること。特にインド変異株が「1回のワクチン接種時での有効性が低下するという指摘」を踏まえて、「ワクチンの2回接種が相応の比率に進捗するまで、変異株のまん延を回避する」ことが「今回の試算」で示した「目安」、そう、あくまでも「目安」を担保する条件だと、最後の最後に肝心な条件を付けている。

 このインド変異株ついて相応の比率での2回接種の必要性に関しては別のところでより具体的に述べている。

 -ワクチン接種が進むまで変異株のまん延回避などが重要に-

また、英イングランド公衆衛生庁が5月22日に公表したところによれば、ファイザー/ビオンテック社のワクチンの有症状疾患(symptomaticdisease)に対する有効性は、イギリス株(B.1.1.7)が1回接種後3週間でおよそ50%、2回接種後2週間で93%なのに対し、インド株(B.1.617.2)では1回接種後3週間で33%、2回接種後2週間で88%となっており、特に1回接種のみでの有効性がイギリス株に比べて低下しているとみられる。

このため、より感染力の強いインド株などといった新たな変異株の広がりが懸念されるなかで、今回の試算の目安となる状況が担保されるには、特にワクチンの2回接種が相応の比率に進捗するまで、変異株のまん延を回避することが極めて重要になってくる。

 要するにインド変異株に対してワクチンの有効性を保ち、その感染の社会的な広がりを防ぐためには2回接種が相応の比率で進捗していなければならないと条件づけている。

 東京都の新規感染者数とインド株の割合を、載っていない日もあるが、「NHK NEWS WEB」記事から抜粋してみる。文飾当方。

 2021年7月6日東京都新規感染者593人中インド株(=デルタ株)最多の94人。(検査の実施件数に占めるインド株の割合はまだ示されていない。)
 2021年7月7日新規感染者920人中インド株最多71人。
 2021年7月8日新規感染者896人中インド株最多98人
 2021年7月9日新規感染者822人中インド株最多167人
 2021年7月12日新規感染者502人(第4回目緊急事態宣言2021年7月12日~8月22日発出)中インド株87人)
 2021年7月13日新規感染者830人中インド株最多178人
 2021年7月14日新規感染者1149人中インド株138人
 2021年7月15日新規感染者1308人中インド株177人感染(検査の実施件数に占める割合は29.9%)
 (要するに新規感染者1308人のうち約30%の390人前後がインド株感染者と看做すことができる。)
 2021年7月19日新規感染者727人中インド株143人感染(検査実施件数に占める陽性割合34.5%。1日の発表としてはこれまでで最高)
 2021年7月20日新規感染者1387人中インド株過去最多317人感染認(検査数に占める陽性割合は40.1%)
 2021年7月21日新規感染者1832人中インド株最多681人感染(検査数1488件中681人陽性、陽性割合45.8%)
 2021年7月26日新規感染者1429人中インド株940人(検査数1810件。陽性割合51.9%)
 2021年7月27日新規感染者2848人中インド型株280人(検査数557件。陽性割合50.3%)
 2021年7月29日新規感染者3865人中インド株665人(検査数は1058件、陽性割合62.9%)
 2021年7月30日新規感染者3300人(第4回東京都緊急事態宣言を8月22日~8月31日まで延長決定)中インド株1367人(陽性率68.7%)(以上)

 かくこのようにインド株の急激かつ広範囲な浸透に対して日本のワクチン接種率は2021年7月31日付「NHK NEWS WEB」によると、65歳以上高齢者に〈医療従事者や64歳以下の人も含めると、1回目の接種を受けた人の割合は2021年7月29日時点で全人口の38.43%、2回目の接種も終えた人は27.64%。〉と伝えていて、1回目も2回目も4割に到達していない。特に2回目は人口比3分の1以下の状況にある。

 菅義偉は7月30日の記者会見で東京都の感染拡大の「大きな要因として指摘されるのが、変異株の中でも世界的に猛威を振るっているデルタ株です。4月の感染拡大の要因となったアルファ株よりも1.5倍ほど感染力が高く、東京では感染者に占める割合は7割を超えている、このように言われております」と発言していて、デルタ株の脅威を認識していながら、野村リポートが「ワクチンの2回接種が相応の比率に進捗するまで、変異株のまん延を回避する」ことが「今回の試算」で示した「目安」を担保する条件だとしているのに対して東京都のインド株の陽性率は7月30日時点で68.7%にまで達していて、変異株のまん延を回避できてきているとは到底言い難い。
 
 要するに野村リポートの制約条件をクリアしているわけでないのに菅義偉は2021年7月8日の記者会見で「先行してワクチン接種が進められた国々では、ワクチンを1回接種した方の割合が人口の4割に達した辺りから感染者の減少傾向が明確になったとの指摘もあります。今のペースで進めば、今月(7月)末には、希望する高齢者の2回の接種は完了し、1度でも接種した人の数は全国民の4割に達する見通しであります」と、日本も7月末には感染者の減少傾向に入るかのようにさも請けけ合った。

 この前後の関係は自分に都合よくツマミ食いした情報の公表によって成り立つ。野村リポートの制約条件をクリアしているかどうか厳格に検証していたなら、野村リポートをツマミ食いして自分に都合のよい情報に仕立てることなどできない。だが、ツマミ食いして、自分に都合のよい情報に仕立てた。都合のよい情報に仕立てる目的は自己政策の肯定であり、自己正当化である。都合のよい情報に仕立てることまでして自己正当化・自己政策の肯定を謀るのは自身のコロナ対策が首尾よく進んでいるかのように見せかけるためであり、首相としての自己を肯定するため以外にない。そのための自分に都合のよい情報のツマミ食い=情報操作であり、そうである以上、責任回避意識が仕向けた情報のツマミ食い=情報操作ということになる。

 自分に都合よくツマミ食いした情報の発信であることは埼玉県、千葉県、神奈川県、大阪府への緊急事態宣言発出と北海道、石川県、京都府、兵庫県、福岡県へのまん延防止等重点措置の実施、東京都、沖縄県への期限8月22日までだった緊急事態宣言を8月31日まで延長する決定を伝える2021年7月30日の菅義偉の「記者会見」発言が証明することになる。

 菅義偉「8月下旬には、2回の接種を終えた方の割合が全ての国民の4割を超えるよう取り組み、新たな日常を取り戻すよう全力を尽くしてまいります。さらに、ワクチンに関する正しい情報の発信に努めてまいります」

 「7月下旬末」を「8月下旬」に言い変えているが、情報を自分に都合よくツマミ食いした結果迫られることになった情報修正であろう。「2回の接種を終えた方の割合が全ての国民の4割を超えるよう取り組む」と言っていることは希望する医療従事者や65歳上高齢者に全員接種しても、特に50代以下から12歳までの国民への接種が各年代ごと4割を超えないと、感染縮小に向かわないという意味での、やはり情報修正ということになる。若者は若者、中高年は中高年、高齢者は高齢者と言う関係で主として群れを作ることを主な社会習性としている。高齢者へのワクチン接種が進んで新規感染者の減少を迎えているが、一方で20代を最高に50代までの世代で大幅な感染が生じていることが証明しているワクチン接種の世代の偏りであろう。

 当然、7月30日の記者会見で65歳以上高齢者へのワクチン接種が2回接種73パーセントと進んで、同じ高齢者の新規感染者数が「4月までの20パーセント台から、今では2パーセント台に低下している」ことを成果の一つとして挙げていても、このことが全体の新規感染をカバーするまでに至らず、東京都で言えば、緊急事態宣言を延長するまでに事態が急迫している以上、単なる一部分の成果にとどまる。だが、菅義偉は65歳以上高齢者の新規感染数の激減を以ってさも大した成果であるかのように他の記者会見やその他でも触りの主な一つとしている。これなども情報の立派なツマミ食いの部類であって、感染対策が首尾よく進まないことの責任回避と同時に自己正当化を図る一つのテクニックに過ぎない。

 感染の多い少ないは人流の増減に深く影響する。勿論、コロナ株の感染力の強弱が新規感染数に影響していくが、極端なことを言うと、デルタ株(=インド株)がいくら感染力が強くても、人流のないところでは感染という作用は起きない。基本はあくまでも人流であろう。人流が多ければ、感染リスクが高まり、少なければ、感染リスクが減る。東京都の新規感染者数の増加を受けて、夏休みとお盆の時期だから不要不急の外出や移動の自粛その他をお願いするのは人流の増減が新規感染者の増減に影響していくことになるから当然のことだが、その一方で7月30日の記者会見で、「オリンピックが始まっても、交通規制やテレワーク、さらには皆さんの御協力によって東京の歓楽街の人流は減少傾向にあります。更に人流を減らすことができるよう、今後も御自宅でテレビなどを通じて声援を送っていただくことをお願いいたします」と人流が減少傾向にありながら、感染が拡大しているという矛盾した状況を伝えている。

 2021年7月29日の首相官邸エントランスホールでの「記者会見」でも、東京オリンピック開催が人々の警戒心を緩めているとの指摘があることを問われて、同じ趣旨の発言をしている。

 菅義偉「色々な人が色々な御意見を言っていることは承知してます。ただ、このオリンピック大会を契機に、目指して、例えば自動車の規制だとか、あるいはテレワークだとか、こうしたことを行っていることによって、7月の中旬から始めていますけれども、人流は減少傾向にあり、更に人流の減少傾向を加速させるために、このオリンピックというのは、皆さん御自宅で観戦していただいて、御協力いただければと思っています」

 要するに五輪の自宅観戦が人流の減少傾向に一枚加わるという意味を取るが、新型コロナ対策経済再生担当相の西村康稔も2021年7月30日の衆院議院運営委員会でほぼ同じことを言っている。「五輪を自宅で観戦して頂いた分、20日以降人流が減っている」、あるいは「多くの人が自宅で観戦している。視聴率が高いのはその表れだ」

 東京都知事の小池百合子も7月30日の定例会見で、「五輪の視聴率は20%を超えており、ステイホームに一役買っている」と間接的に自宅観戦が人流の抑制に役立っている発言をしている。

 視聴率計測器が取り付けてあるテレビは全国で5900世帯で、東京都は600世帯数前後とネットに出ているが、社会的行動心理学上、政府の自宅感染の呼びかけに対して視聴率計測器が取り付けられているという義務感から自宅観戦を心がける可能性は高いと考えられるから、そのまま五輪テレビ放送の視聴率へと反映されることになり、その義務感のない視聴率計測器が取り付けてない世帯とのギャップが生じない保証はないし、視聴率には反映されない録画視聴が特に若者を中心に広がっているということを考えると、録画視聴は外出行動と自宅観戦という相反する行動を時間差で行うことができるから、自宅観戦=人流の減少を答えとするとは必ずしも言えなくなる。また若者が競技場の近くで競技の雰囲気を身近に感じながら、スマホの動画放送を視聴、路上飲みする光景も容易に想像できるから、五輪放送の視聴率が高いことを以って即、人流の減少と考えるのは自分に都合よくツマミ食いした情報の発信で、正確な情報の読み違えに繋がらないとも限らない。

 そもそもからして菅義偉は自身が「7月の中旬から人流は減少傾向にある」と発言しているその状況下で東京都の感染が急拡大している原因をデルタ株の浸透だけに置いてもいいのだろうか。2021年7月14日に新規感染者が千人を超え、2021年7月19日に一旦千人を割ったものの、翌日の2021年7月20日には再び千人を超え、2021年7月28日には3千人を超え、この記者会見の2021年7月29日には3865人にまで達している。そして7月30日の記者会見の日は新規感染者数は少し減って3300人。

 この3300人について前で触れているように7月30日の記者会見では、勿論、大きな要因をデルタ株に置き、「アルファ株よりも1.5倍ほどの感染力」だと発言し、結果、「東京では感染者に占める割合は7割を超えている」状況にあるなら、「1.5倍ほど感染力」に見合った、今まで以上の人流の抑制が必要になるとするのが常識的な危機管理となるはずだし、そのような危機管理を満足に機能させることができていないから、3千人を超え、7月31日の過去最多の4058人の新規感染者という見方が成り立つ。だが、菅義偉はこの見方には立たず、あくまでも「人流は減少傾向にある」を主張して譲らない。

 記者との質疑応答でも、「オリンピックでありますけれども、今、東京への交通規制、首都高の1,000円の引上げ、こうしたことや、あるいは東京湾への貨物船の入港を抑制するだとか、いろいろな対応、テレワークもそうでありますけれども、そうした対応によって人流が減少しているということは事実であると思います」と言い、デルタ株の感染力の強さや新規感染者数との関係で人流の程度を捉えることはしない。

 となると、人流の程度に関しては菅義偉は自分に都合よく情報をツマミ食いしているわけでも何でもなく、「人流が減少しているということは事実」であり、この「事実」をデルタ株の「アルファ株よりも1.5倍ほど」の「感染力」が無効にしてしまって、東京の現在の爆発的な新規感染状況を生じせしめているという関係を取ることになる。

 果たしてデルタ株の1.5倍程の「感染力」に見合う人流の抑制が五輪のテレビ観戦という呼びかけだけで実現できているのだろうか。2021年年7月28日に開催された「45回新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード」(厚労省)の、「資料3-4 西田先生提出資料」に次のような記述がある。東京都のみを取り上げる。

 〈(主要繁華街の滞留人口モニタリング/ 2021/07/24 までのデータ)

 【東京】<緊急事態宣言中>:

• 夜間滞留人口は4週連続で減少(5週前(6/20-26)比:22.4 % 減)。昼間滞留人口も3週連続で減少(4週前(6/27-7/3)
比:17.1 % 減)。

• 緊急事態宣言後の直近2週間では、夜間滞留人口は18.9 % 減(前週比:6.5 % 減)、昼間滞留人口は 13.7 % 減(前週比:
6.7 % 減)。夜間滞留人口のうち18~20時は 20.0 % 減(前週比:3.9 % 減)、22~24時は 12.7 % 減(前週比:5.5%減)。

• 前回(3回目)の宣言発出後2週間では、18~20時は 47.3 %減 、22~24時は 48.5 %減少。今回の宣言による夜間滞留人口の減少幅は、前回の宣言によるそれと比べ ½ 以下にとどまっている。ハイリスクな深夜帯(22~24時)の滞留人口は4週連続で減少してはいるものの減少幅は小さく依然として高い水準。〉――

 先ず東京都の緊急事態宣言とまん延防止法等重点措置の動きについて見ておく。3回目緊急事態宣言発出は2021年4月25日発出、2度の延長を経て、6月20日に解除、翌6月21日から7月11日期限でまん延防止法等重点措置に移行、7月11日解除の翌日7月12日に8月22日期限の4回目の緊急事態宣言が発出され、7月30日に8月31日までの延長が決められた。

 3回目緊急事態宣言発出後2週間(2021年4月25日~5月8日)での18~20時の滞留人口は 47.3 %減 、22~24時の滞留人口は48.5%減少。但し7月12日の4回目の緊急事態宣言を受けた「夜間滞留人口の減少幅は、前回の宣言によるそれと比べ ½ 以下にとどまっている。ハイリスクな深夜帯(22~24時)の滞留人口は4週連続で減少してはいるものの減少幅は小さく依然として高い水準」

 7月中旬前後から東京都に於けるデルタ株が感染者に占める割合を増加させている中で7月12日発出の4回目の緊急事態宣言がデルタ株の1.5倍程の「感染力」に見合う人流の抑制に繋がっていないことになる。少々の人流減少でデルタ株の感染力に太刀打ちできると言うなら、少々で構わないが、そうでないことを2021年7月25日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。東京の人出のみを拾ってみる。

4回目の緊急事態宣言(2021年7月12日発出)が出ている東京の7月24日の人出を3回目の宣言の期間だった4月25日から6月20日までの土日、祝日の平均と比較。

▽渋谷スクランブル交差点付近では日中(午前6時から午後6時まで)は48%、夜間(午後6時から翌日の午前0時まで)は62%ぞれぞれ増加
▽東京駅付近では日中は7%増加、夜間は18%増加しました。

オリンピック開始(2021年7月23日)の1週間前(7月16日)との比較

▽渋谷スクランブル交差点付近では日中が1%の減少、夜間は11%の増加
▽東京駅付近では日中は13%の減少、夜間は7%の増加となり、いずれも夜間が増加(以上)

 2021年7月23日オリンピック開始1週間前(7月16日)は日中は減少しているものの夜間は増加。だが、東京の7月20日の新規感染者は千人を超え、さらに拡大傾向を見せているのだから、人出は減少を見せていいはずだが、オリンピック開始翌日の7月24日の人出は4月25日から6月20日までの土日、祝日の平均との比較で、特に渋谷スクランブル交差点付近では昼夜共に相当に増加していることになる。菅義偉が言うとおりに五輪開始前後から「人流は減少傾向」にあるとしても、東京の7月に入ってからの新規感染者数の増加に応じた、あるいは2021年7月12日の4回目緊急事態宣言発出に応じた人流の減少は起きていなかった。特にデルタ株のアルファ株と比較した1.5倍程の感染力の強さを考慮した場合、相当程度の人流の減少を図らなければならないのだが、それが実現できていなかった。

 となると、東京都の新規感染者の爆発的拡大とデルタ株の従来株と置き換わりつつある状況を示す60%を超えるデルタ株の陽性割合を前にして「人流は減少傾向にある」と言うだけでは都合のよい情報のツマミ食い以外の何ものでもなく、緊急事態宣言やまん延防止法等重点措置の発出の正当性を損ないたくないための責任回避と自己正当化と指摘されても仕方がない。

 五輪の自宅観戦についてもう少し見てみる。同じく2021年7月30日の記者会見・

 フジテレビ杉山記者「菅総理は、これまで緊急事態宣言で大きな成果を上げてきたのが酒類の停止だとおっしゃってきました。一方で、東京都内で数1,000件に上る飲食店が時短などの要請に応じていない現状をどのように受け止めているのでしょうか。

 また、菅総理は、先日、東京オリンピックを中止しない理由として、人流も減っていると述べましたが、その認識は今も変わりないでしょうか。ワクチン接種も進み、人流が減っているのであれば、首都圏でここまで感染が急拡大することはないのではないかという指摘もありますが、見解をお聞かせください」

 菅義偉「飲食店による感染リスクを減少させることは感染の肝だということを、私は申し上げています。このことは、専門家の委員の皆様からもそこが指摘をされているということも事実です。そして、今は家庭での感染が一番多くなっています。それは、そうした外から感染して、家族にうつす方が一番多いということです。さらに、職場での感染が2番目になっています。そうしたことからしても、やはりここはしっかり対応しなければならないというふうに思います」

 どう、「しっかり対応」しているのだろう。「飲食店による感染リスクを減少させることは感染の肝」で、「外から感染して、家族にうつす方が一番多い」。となると、飲食店に向かう人流を抑える以外にない。また、新規感染者の3分の1程度ある感染経路判明者は市中感染と見るべきで、これも人流の抑制をしっかりと実行する以外に抑える手はない。当然、数字ではっきりと示すことができる程に人流の抑制を図らなければならないはずだが、菅義偉の「人流が減少しているということは事実であると思います」と推測する、あるいは西村康稔や小池百合子のように五輪視聴率の高さを以って人流減少の根拠とする程度では自己正当化には役立ちはするだろうが、情報を自分に都合よくツマミ食いして発信する程度のことしか責任を果たしていないことになる。

 もう一つ、自分に都合よくツマミ食いした情報の発信。2021年7月30日の記者会見で菅義偉は「足元の感染者の状況を見ますと、既に高齢者の73パーセントが2回の接種を完了する中で、これまでの感染拡大期とは明らかに異なる特徴が見られております。東京における65歳以上の新規感染者の数は、感染が急拡大する中にあっても、本日も82人にとどまり、その割合は4月までの20パーセント台から、今では2パーセント台に低下しております。これに伴い、重症者の数の増加にも一定の抑制が見られて、東京では人工呼吸器が必要な重症者の数は、1月と比較しても半分程度にとどまり、そのための病床の利用率も2割程度に抑えられております。また、死亡者の数も1月の水準と比較し、大幅に低い水準にとどまっています」と発言、このことを以って「ワクチン接種の効果の顕著な表れ」だとしている。

 この発言で問題となるのは「重症者の数の増加に一定の抑制が見られる」と言っていることと、「東京では人工呼吸器が必要な重症者の数は、1月と比較しても半分程度にとどまり、そのための病床の利用率も2割程度に抑えられております」と言っていることである。要するに重症患者が減った。だが、2021年7月31日付け「毎日新聞」を見ると違った景色が見えてくることになる。

 毎日新聞のインタビューに国立国際医療研究センターの大曲貴夫国際感染症センター長が答えた内容である。

 大曲貴夫国際感染症センター長「東京都の重症者は80人以上で推移している。ほかにも高濃度の酸素を必要とする人は多い。この1年半、治療法が変化し、人工呼吸器ではなく鼻から酸素を送り込む『ネーザルハイフロー』という呼吸療法を使うケースが増えた。これを使う人は、重症者にカウントされないが、酸素が足りずに身動きもとれない状況にある。重症者と同じように苦しんでいる人が、重症者の何倍も存在する。1年前と同じ感覚で重症者数だけを見て、『少ない』と言うのは状況の過小評価になる」

 要するに症状が同じ重症状態にありながら、治療法が口から酸素を取る人工呼吸器から鼻から酸素を取る「ネーザルハイフロー」という機器に変わって治療を受ける場合、「重症者にカウントされない」、「重症者と同じように苦しんでいる人が、重症者の何倍も存在する」。

 2021年7月28日付「NHK NEWS WEB」記事も「ネーザルハイフロー」について触れている。

〈この治療は人工呼吸器ではないため、東京都の基準では重症には含まれませんが、症状が重い患者が対象で、周囲への感染対策を徹底したなかで治療を行う必要があることなどから、医療スタッフの負担は大きいということです。

都内では27日時点で重症患者の数は82人でしたが、今村顕史部長(厚生労働省の専門家会合のメンバーで、東京都立駒込病院で治療に当たる感染症科部長)によりますと、この治療を受けている患者は先週の段階で合わせて91人に上ったということです。〉

 今村顕史部長「重症患者とされていなくても、非常に重い肺炎の人が多くいる。今後、さらに毎日2000人、3000人の新規感染者数が続くと入院患者が積み上がり医療提供体制が圧迫される。デルタ株が広がっていることで感染がすぐには収まらない可能性もあり、ここを乗り越えることができるかどうか、重要な局面になっている」

 要するに菅義偉は「重症者の数の増加に一定の抑制が見られる」としているが、実際には中等症扱いとなっている隠れ重傷者が相当数存在するということになる。尤も単なる治療法の違いであって、確実な治癒が保証されるなら、何も問題はないが、政府の側が首相の菅義偉を筆頭に隠れ重傷者が相当数存在している情報を無視して、「ワクチン接種が進んで重症患者が減った、減った」と自らの成果を誇れば誇る程、コロナ感染症に対して一般的に希薄と言われる若者の危機感を一層希薄にして、ワクチン接種への意欲を持たせるのとは逆の必要性を感じなくさせる状況を作り出すことになっていないかという危惧が生じることになる。

 もしそうであるなら、「ワクチン接種が進んで重症患者が減った、減った」との成果誇示にしても自分に都合よくツマミ食いした情報の発信に分類しなければならない。重症患者並みの中等症患者が相当数存在していながら、「重症患者が減った、減った」は菅義偉自身が意図していなくても、結果的に自らの責任回避と自己正当化を果たすことになる成果誇示となる。

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被災地の復興の姿を反映せずの復興五輪という名づけも、橋本聖子の五輪への集いが多様性と調和が実現した未来の姿だとする認識も危険な五輪賛歌

2021-07-26 10:20:12 | 政治
 オリンピック・パラリンピックと被災地復興 (東京2020オリンピック競技大会公式ウェブサイト/公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会) 

コンセプト:「つなげよう、スポーツの力で未来に」
スポーツには、「夢」、「希望」、「絆」を生み出す力があります。

2011年に発生した東日本大震災からの復興の過程においても、スポーツが子供たちを笑顔にする一助となってきました。

東京2020組織委員会は、世界最大のスポーツイベントであるオリンピック・パラリンピックを通じて、被災地の方々に寄り添いながら被災地の魅力をともに世界に向けて発信し、また、スポーツが人々に与える勇気や力をレガシーとして被災地に残し、未来につなげることを目指します。

また、東京2020大会が復興の後押しとなるよう、関係機関と連携して取組を進めながら、スポーツの力で被災地の方々の「心の復興」にも貢献できるようにアクションを展開します。



 東京2020大会はかくこのように被災地復興に積極的に関わることを大きな目標としている。勿論、その復興たるやスポーツを通した精神面からの関与ということになる。政治も精神面からの復興への関与を推し進めてきた。東日本大震災発災3年後の記者会見で安倍晋三は「これからは、ハード面の復興のみならず、心の復興に一層力を入れていきます」と発言している。

 「心の復興に一層力を入れていきます」の物言いはこれまでも「心の復興」に力を入れてきたが、今後は今まで以上に力を入れていくという意味を取る。本来なら少なくともハード面の復興と心の復興を同時進行させなければならないのだが、心の復興よりもハード面の復興を先行させてきた。

 2020年9月25日の「復興推進会議」で菅義偉は「来年3月で、東日本大震災の発災から10年の節目を迎えます。これまでの取組により、復興は着実に進展している、その一方で、被災者の心のケアなどの問題も残されております。そして福島は、本格的な復興・再生が始まったところであります」と発言。この「心のケアなどの問題」とは、勿論、安倍晋三が言っているところの「心の復興」に当たる。

 そしてこの半年後の2021年3月11日の「東日本大震災十周年追悼式」で菅義偉は[被災地では、被災者の心のケア等の課題が残っていることに加え、一昨年の台風19号、昨年来の新型コロナ感染症に続き、先般も大きな地震が発生するなど、様々な御苦労に見舞われています。特に、新型コロナ感染症により、地域の皆様の暮らしや産業・生業(なりわい)にも多大な影響が及んでいます」と発言、依然として「心のケアの問題」=「心の復興」が依然として課題として取り残されていることを告白している。本人としたら、告白などしていないと言うだろうが、告白そのものである。

 そして東京2020大会でも競技を通して「東京2020大会が復興の後押しとなるよう」、と同時に「心の復興に貢献できるアクション」の展開を図っている。言って見れば、政治の力だけでは「心の復興」は成し遂げることができずにいた。当然、問題は大会競技を通して果たして「心の復興」の面で「復興の後押し」に貢献できるのかできないのかということになる。できなければ、看板倒れ、見せかけ倒れということになる。

 なぜかくまでも政府にしても大会組織委員会にしても、発災から10年経っても、「心の復興」を全面に出さなければならないのか。勿論、「心の復興」が遅れているからなのだが、その本質的な原因は「ハード面の復興」自体に格差が生じているからである。「ハード面の復興」が被災者各人の生活の復興となって現れていたなら、つまり格差を免れることができていたなら、被災者は自ずと「心の復興」をも果たしていく。その逆の被災者が多い。つまり「ハード面の復興」の格差がそのまま「心の復興」の格差となっている。

 だが、どちらの格差であっても、政府自らがそのことを口にすることができないから、格差是性の言い換えとなる「心の復興」を叫ばなければならなくなり、政府は東京2020大会にコンセプトの一つとして「被災地の復興」を掲げることになった。このコンセプトに従って大会組織委員会は「ハード面の復興」は政治の役目だから、「心の復興」のみを取り上げて、競技を通した「心の復興に貢献できるアクション」を掲げざるを得なくなったといったところなのだろう。
 復興に格差が生じていることは、「2021年2月27日実施 東日本大震災10年・被災3県世論調査」(社会調査研究センター/2021.3.3)を見れば一目瞭然である。(一部抜粋)

 「復興は順調に進んでいる」と「期待したより遅れている」は宮城県では半々で、岩手県では「期待したより遅れている」が「復興は順調に進んでいる」の1.7倍、福島県では1.8倍で、「期待したより遅れている」が半数か、半数以上を占めていて、復興の格差そのものを示すことになっている。格差が生じていなければ、「期待したより遅れている」は0に近い少数派となっていなければならない。「政府の予算の使い方」に対する評価も被災3県共に「適切だと思わない」が「適切だと思う」の1.6倍から1.7倍となっていて、格差が生じていること自体を示している。

 このように復興に大きな格差が生じている状況下で東京2020大会がオリンピック・パラリンピックを通して「心の復興」に、いわば精神面で復興の格差を補う貢献を果たすについてのどのような具体的な手立てを念頭に置いているのかを見てみる。

 先ず大会組織委員会が「東京2020オリンピック競技大会公式ウェブサイト」に挙げた復興に関わる目標を纏めてみる。

1 オリンピック・パラリンピックを通じて被災地の魅力をともに世界に向けて発信する。
2 スポーツが人々に与える勇気や力をレガシーとして被災地に残し、未来につなげることを目指す。
3 スポーツの力で被災地の方々の「心の復興」に貢献できるアクションを展開する。

 以上を以って東京2020大会を復興の後押しとして活用する。

 どのような具体的な手立てを考えているのか、2021年7月21日付「NHK NEWS WEB」記事から大会組織委員会会長橋本聖子の東京江東区メインプレスセンターでの記者会見の発言を覗いてみる。メインプレスセンターのサイトを覗いてみたが、誰の記者会見も載せてなかった。

 橋本聖子「大人以上に感性がある子どもたちの将来の考え方の形成にとって重要だと思っているので、少しでも多くの人たちに見ていただきたかったという思いが正直ある。

 新型コロナウイルスの対策に追われたこの1年も、東北の復興なくして大会の成功なしという思いで活動してきた。東北で最初の試合が行われた東京大会が“復興オリンピックだった”とのちのち思ってもらえるように組織委員会として努力してきたい」

 言っていることが矛盾している。大会の成功は東北の復興があって初めて成し遂げることができるという思いで活動してきたという意味を取るが、現実には東北の復興は十分には成し遂げられていない。菅義偉も「東日本大震災十周年追悼式」で、「震災から10年が経ち、被災地の復興は着実に進展しております」
と言い、「復興の総仕上げの段階に入っています」との表現で復興が未完成であることを伝えている。その上、復興に格差が生じている。当然、このような不満足な復興状況では橋本聖子の発言からすると、大会は成功しないことになるが、東北が復興しようがしまいが、東京大会は粛々と進められていく。現実にも既に進められている。要するに「思いで活動してきた」という「思い」が鍵となる。「思い」なのだから、結果的に現実が伴わなくても止むを得ないと逃げることができる。

 「東北の復興なくして大会の成功なしという思いで活動してきた」がいくら「思い」に過ぎなくても、現実を少しも反映していないのだから、危険な綺麗事に過ぎない。

 大体が「復興オリンピック」と掲げること自体が僭越である。政治が満足な復興を成し遂げることができていないのに東京大会がどう成し遂げることができると言えるのだろう。だから、「思い」なのだと言い逃れるだろうが、論理的に合わないことを「思い」に過ぎなくても、口にするだけで危険なペテンとなる。
 
 橋本聖子は無観客となったことについての残念な思いを特に子どもたちから観戦の機会を奪ったことに置いている。オリンピック観戦が「大人以上に感性がある子どもたちの将来の考え方の形成にとって重要」だとしている。確かにテレビ観戦するのと競技場で直に観戦するのとでは肌感覚として伝わってくる感動や臨場感に大違いがあるだろうし、これらが違えば、記憶の強弱や記憶の時間の長さも違いが出てくる。被災地で行われる宮城の女子サッカーは有観客で、福島のソフトボールと野球は無観客と決まっている。政府が五輪開催に向けて感染を極力抑えることができなかったツケなのだから、悔やむなら、政府の無策を悔やむべきだろう。

 記事は橋本聖子が、〈この中で大会の理念である復興について、選手村で提供される料理に東北の食材が使われていることや、表彰式では被災地で育てた花を使ったブーケを贈ることなどを紹介しました。〉と解説しているが、これらのことで「オリンピック・パラリンピックを通じて被災地の魅力をともに世界に向けて発信する」一助とするということなのだろうが、オリンピック・パラリンピックという世界の一大イベントが持つスケールから見たら、チマチマし過ぎている。これらのことをしただけで、特に風評被害を未だ受けている福島の農水産物全体の売れ行きに良い影響を与えるだけの力を発揮できるのかは疑わしい。

 また、被災地の全ての競技を有観客で行い、被災地の観客が勇気や力を与えられたとしても、レガシーとなるのは被災地のどこそこの競技場でどんな競技が行われた、競技者の成績、金メダルを取った、銀メダル取った、銅メダルで終えたといった業績であって、被災者自身が置かれている「ハード面の復興」に於いて生じている格差のうち、復興が進んでいる境遇に置かれているならまだしも、遅れている境遇に位置させられているとしたら、その遅れがそのまま「心の復興」の遅れとなって現れていることになり、競技によって与えられたレガシー、競技の業績に対する記憶など、一時的なものとなって、腹の足しにならないものとして打ち捨てられかねない。

 要するに「ハード面の復興」の進展に応じて「心の復興」が進展している境遇に恵まれた被災者にとってはレガシーも業績も精神面の支えとなって役に立つかも知れないが、「ハード面の復興」の停滞がそのまま「心の復興」の停滞となって現れている境遇に置かれた被災者にとっては少しぐらいのレガシーにしても業績にしても精神面の足しにはならないのは目に見えている。スポーツの力を用いて「心の復興」に貢献すべくどのようなアクションを実践しようとも、そのアクション自体が「ハード面の復興」の格差に対しても、「心の復興」の格差に対しても無力だということである。

 大体が政治自体が無力で、10年経過しても無力を引きずったままでいるのだから、いくらオリンピック・パラリンピックが世界の一大イベントだろうと、「復興」ということに関しては政治以上に無力なのは自然の成り行きというものであって、どれ程の復興の後押しができるというのだろう。

 それでも「ハード面の復興」の格差に対応して現れている「心の復興」の格差をスポーツの持つ力を用いた何らかのアクションで埋めたいと願うなら、橋本聖子自身が「大人以上に感性がある子どもたちの将来の考え方の形成にとって重要だ」としている子どもたちのスポーツ観戦を、「ハード面の復興」の格差に対しても、「心の復興」の格差に対しても大人程には切実に受け止めるだけの生活の世界が広くない点を利用して観戦のみで終わらせずに被災地の子どもたちに限ってオリンピック・パラリンピックの競技が行われる被災地の競技場で五輪競技の一種目を行わせ、逆に被災地の大人たちに直接観戦であっても、テレビ観戦であっても、観戦させたなら、「ハード面の復興」の格差も、「心の復興」の格差も解消できなくても、子どもたちの活躍や成績が被災地の一つのレガシーとして子ども自身の記憶だけではなく、大人たちの記憶に残ることになったなら、格差を癒やす妙薬となる可能性は否定できない。

 被災地の子どもたちがオリンピック競技場で何かの競技をプレーすることで将来的にオリンピックアスリートを目指すことになる可能性も否定できない。その子どもの親が自分ではなくても、被災地の子どもであることによって被災地の大人たちの誇りの一つとなったなら、「心の復興」の格差を癒やす役目をも果たす可能性も否定できない。

 だが、被災者の子どもを主役に立てることは何一つしなかったし、子どもが脚光を浴びることによって被災者の大人たちに何らかの勇気や元気を与えるということもしなかった。もしこのようなことをしていたなら、「復興五輪」と名付ける資格は出てくる。

 勿論、政治は「ハード面の復興」の格差を解消して、その解消を「心の復興」の格差の解消に繋げていく努力を果たしていかなければならない。この役目を担っているのはあくまでも政治であって、東京大会が担っているわけではない。だからこそ、「復興オリンピック」と掲げること自体が僭越そのものとなる。

 今東京大会は「閉会式コンセプト」(ガジェット通信)として「多様性と包摂性」を謳っている。(一部抜粋)

 〈“Worlds we share”

 17日間の大会を経て、私たちはそれぞれに違う個性や文化、経歴を持つ人々が、スポーツを通して互いに高め合い、理解し合う姿を目にするでしょう。この経験こそが多様性と包摂性を考える糧となり、また、次に始まるパラリンピックへと繋がっていくと考えます。〉

 「多様性」とは人種や性別の違い、身体状況の違い、年齢の違い等々の違いそれぞれを多様な個性と見ることを言い、「包摂性」はこれらの違いを全て包み込むことを言うと自己解釈している。そしてどちらの状況も、認め合いの意思の介在によって成り立つ構造となっている。

 確かに競技を見ると、「多様性と包摂性」を窺うことができる。スポーツマンシップやフェアプレーの精神がそうさせるのだろう。だが、オリンピック競技ではないが、現実には白人アスリートが競技中に相手チームの有色人選手に対して差別発言を投げつける行為はなくならないし、日本人サッカー・サポーターがプレー中の有色人種に対して差別発言を浴びせる光景もなくならない。

 このような差別発言は自チームが負けている、贔屓チームが負けている、相手チームの点を入れたのが有色人種であるといったことに対する怒りや憎悪が理性を失わせて発せられる。日本の柔道指導者が女子柔道選手たちにパワハラ行為を行ったのも、思い通りの成績や成長を見せていないことに対する怒りや憎悪が仕向けることになった感情の爆発であろう。戦争に於ける残虐行為も怒りや憎悪が理性を奪うことによって形を取る。スポーツの世界のことだけで片付けるわけにはいかない。

 つまり「多様性と包摂性」はオリンピックという場にのみ存在するものであっては意味はなく、一般社会に於いて「多様性と包摂性」が当たり前の態度となっていて、その反映としてあるオリンピックという場での「多様性と包摂性」でなければ意味をなさない。果たして一般社会がおしなべて「多様性と包摂性」を当たり前の態度としているのだろうか。当たり前の態度としていたなら、LGBTの問題は起きないし、女性差別の問題も起きない。子どもに対する虐待も、女性に対する暴力も起きない。

 “Worlds we share”とは「多様な世界の共有」を意味するそうだが、要するにオリンピックという場だけの、それも表面的なことに過ぎないかもしれない「多様な世界の共有」ということで、現実離れした「多様な世界の共有」に過ぎないことになる。

 オリンピック開会式で橋本聖子がバッハと共に「スピーチ」(NHK NEWS WEB/2021年7月20日 19時22分)を行った。(一部抜粋)

 橋本聖子「今、あれから10年が経ち、私たちは、復興しつつある日本の姿を、ここにお見せすることができます。改めて、全ての方々に感謝申し上げます。

あの時、社会においてスポーツとアスリートがいかに役割を果たすことができるかが問われました。そして、こんにち、世界中が困難に直面する中、再びスポーツの力、オリンピックの持つ意義が問われています。

 世界の皆さん、日本の皆さん、世界中からアスリートが、五輪の旗の元に、オリンピックスタジアムに集いました。互いを認め、尊重し合い、ひとつになったこの景色は、多様性と調和が実現した未来の姿そのものです。

 これこそが、スポーツが果たす力であり、オリンピックの持つ価値と本質であります。そしてこの景色は、平和を希求する私たちの理想の姿でもあります」

 江東区メインプレスセンターでの記者会見では「東北の復興なくして大会の成功なしという思いで活動してきた」と言っていながら、ここでは「私たちは、復興しつつある日本の姿を、ここにお見せすることができます」に変わっている。前者は復興完了を前提とした大会開催を言い、後者は復興途次の状態での開催だとしている。一種のペテンでしかない。

 後段で言っていることは当方が解説するまでもなく、五輪への集いが生み出す「スポーツが果たす力」によって「互いを認め、尊重し合い、ひとつになったこの景色は、多様性と調和が実現した未来の姿そのもの」だという意味を取る。つまり世界の未来は五輪への集いを通した「スポーツが果たす力」と「オリンピックの持つ価値と本質」によって「多様性と調和」の実現が約束されると高らかに謳っていることになる。

 東京大会2020がオリンピックの出発点ではない。「Wikipedia」にオリンピック憲章は1914年に起草され、1925年に制定されたとある。100年近い歴史を誇っていることになる。現実世界を見回したとき、「オリンピックの持つ価値と本質」と「スポーツが果たす力」によって「互いを認め、尊重し合い、ひとつ」となる「多様性と調和」がどれ程に実現し得たと断言できるだろうか。社会の力が政治を動かしつつ、未完ながら、「多様性と調和」の実現を少しづつ闘い取ってきたのではないだろうか。だが、まだまだ闘い取れきれていない。決してオリンピックではない。パラリンピックが回を重ねるだけで、障害者が生きやすい社会が実現することはないだろう。子どもが通学路で自動車事故に遭い、死者が出てから通学路の安全が図られていくように障害者が電車のプラットホームから誤って落ちる事故が頻繁に起きるようになってから、ホームドアの設置が始まった。このような現実はオリンピックから遠い位置にある。

 当然、「オリンピックの持つ価値と本質」と「スポーツが果たす力」が未来社会で「多様性と調和」を実現させ得る保証はどこにもない。戦争や不景気が生み出す生活困窮が人間を不寛容な生き物に変え、それまで築いてきた「多様性と調和」をたちまち後退させてしまうこともある。

 橋本聖子のオリンピックに関する発言・認識は現実世界を反映していない綺麗事に過ぎない。物事を相対化できずにオリンピックを絶対善と取る橋本聖子の認識は危険な五輪賛歌以外の何ものでもない。今回のオリンピックを復興五輪と取る考え方にも五輪を至上価値とする五輪賛歌が覗いている。
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相変わらず学習しない、相変わらず非効率な同じ繰り返しの自然災害時の救出・捜索活動

2021-07-19 11:01:06 | 政治
 梅雨前線に伴う7月1日からの大雨は各地に土砂災害をもたらし、7月3日午前10時30分頃、静岡県熱海市伊豆山地区逢初川中流部山腹を起点に土石流が発生、土石流は山中の谷に沿って1キロメートル下り、傾斜地の伊豆山地市街地に襲いかかって、住宅を押し流し、家々を破壊し、さらに東海道新幹線と東海道本線の高架下を潜り、海にまで達したという。流速は時速約40キロに達したと報道されている。

 土石流の発生要因は降雨であるが、逢初川上流部山腹の盛土が長雨を受けて崩落、約5万立方メートルの盛土が土石流となったと推定されている。10トンダンプの平均積載量が6立方メートル前後ということだから、約8333台分の土石となる。この約8333台分が盛土崩落地点から下流に約500メートル程の場所にあった高さ10メートル(ビル3階建に相当する)、長さ43メートルの砂防堰堤を乗り越え、逢初川沿いに流れ下って市街地を襲った。砂防堰堤上流側に約7500立方メートルの土砂がたまっていたと報道されているが、堰堤に貯まった岩、土砂や流木は次の土石流に備えて取り除くことになっているということだが、今年の梅雨前に万が一の大雨に対する危機管理として堰堤内の土砂等を取り除いていたとしたら、約7500立方メートルの土砂はほぼ盛土の一部と推定できて、その量の土砂を堰堤内にとどめたと計算可能となるだけではなく、約5万立方メートル+約7500立方メートル=5万7500立方メートルの土砂が崩落したことになる。

 逆にもし取り除いていなかったとしたら、既に土砂が内側に埋まっていた堰堤は最初からスキージャンプ競技で言うところのジャンプ台の助走と踏切台の役目を果たして、土石流の時速、いわば勢いを早めたと想定することもできる。堰堤はその内側に土石が溜まっていないことによって土石流に対して最大限の力を発揮するのだから、大雨に備えて土石を取り除いていなかったのか、いたのかも検証しなければならない。

 土石流によって120棟あまりの住宅が被害を受け、合計7人の死亡が確認された。安否不明者は当初113人としていたが、215人記載の住民基本台帳上と避難所の名簿を照合、64人へと変更、市内の他の場所、市外・県外の家族のところ、あるいは旅行といった形で移動しているケース、別荘を所有する県外居住者が多いことから、被害に巻き込まれたケースを考慮して、64人の氏名を公表、安否情報を求めることになった。

 氏名公表後、7月7日の時点で県と市は安否不明者を27人に絞ったが、他にも安否不明の通報が警察に6人あり、確認作業が進められることになった。そして安否確認作業と捜索活動の結果、7月17日時点で13人が遺体となって発見され、安否不明として15人が残された。

 人間が飲まず食わずで生き延びることができる生死を分けるタイムリミットが3日間、72時間とされていて、72時間以降、生存率が下がるとされているが、一般的な自然災害の場合であって、建物を破壊する衝撃力を持った土石流に建物ごと飲み込まれた場合、酷な話だが、水や泥濘が破壊された建物内の隙間全てを埋め尽くすして空気をシャットアウトする(空気を閉め出してしまう)確率が高く、先ず数十分のうちに窒息死してしまうことになり、救助活動はその数十分内に行われなければ、生存は難しく、その数十分以降は救出活動ではなく、遺体の捜索活動となるはずである。

 地震で建物が破壊された場合でも、津波に襲われなければ、水が破壊された建物内の隙間全てを埋め尽くして空気をシャットアウトする(閉め出してしまう)ということは殆どなく、身体自体が倒れてきた柱や落ちてきた天井によって受ける何らかの衝撃を避け得て、壊れた家具や折れた柱が支えとなって少々の空間に恵まれた場合、少なくとも72時間か、体力があれば、それ以上は持ちこたえる可能性は出てくる。

 東日本大震災の地震で家が倒壊した2階に閉じ込められ、その後津波に襲われて、水位が倒壊した2階にまで到達、水位の上昇は収まらず、天井近くにまで達したが、天井との間に10センチだか、20センチだかの隙間を残して水位が止まり、その隙間に顔を突き出して呼吸して生命を維持、後に救出された事例が確かあったと思う。

 大きな怪我をしていなくて、空気さえ確保できる状況なら、大体は72時間の生存は可能で、その間の救助活動がその後の生存を左右することになるが、こういった幸運は津波や土石流に襲われた場合は皆無に近い。救援隊は救助活動ではなく、遺体捜索となると分かっていても、被災者に1日も早い日常を取り戻して貰うために一刻も早い遺体発見が求められることになる。

 当然、残る安否不明者15人は遺体の捜索活動の対象となる。7月17日時点までの13人の遺体発見に約2週間かかったことになるが、警察や消防、自衛隊が1000人体制で捜索に当たったものの、全てスコップ等を使った手作業で行わなければならなかったからである。勿論、大量の土砂が障害となって重機を現場に持ち込むことができなかったから、止むを得ず効率の悪い手作業となった。土石流の最も被害が大きかった熱海市伊豆山地区に中型・小型の重機が投入されたのは7月16日となっている。7月3日土石流発生から13日目である。重機投入によって遺体の捜索活動は捗ることになる。

 だが、土砂災害や地震や津波、大雨・洪水等々によって唯一の交通路だった道路が寸断された、崖崩れて道路が塞がった、橋が落ちたといった理由で重機の搬入ができず、手作業での非効率な救出・捜索活動を強いられ、重機搬入までに多大な時間を取られる同じケースが繰り返されている。遺体捜索活動となりがちな土石災害や津波被害だけではなく、津波を伴わない地震による、生存の可能性は決して否定できない建物倒壊被害であっても、重機が入れずに手作業を強いられ、72時間を費やしてしまう同じ繰り返しが延々と続けられている。非効率な手作業によって救える命が救えなかったケースが存在しなかっただろうかといったことは考えないのだろうか。

 但し過去に道路が寸断されて、重機が搬入できず、手作業で捜索活動を強いられていたが、道路復旧前に重機を搬入した例がある。2008年6月14日午前8時43分発生のマグニチュウード7以上の岩手・宮城内陸地震の際、宮城県栗原市を流れる北上川水系迫川(はさまがわ)の支流三迫川(さんはさまがわ)上流の東栗駒山の斜面を崩壊源とした大規模な土石流が発生、栗駒山側の中腹にある「駒の湯温泉」を直撃、建物を倒壊し、1階部分が泥流に埋没、宿の住人と宿泊客7人が行方不明となり、後に5人が遺体で発見され、残る2人の捜索に手間取った。手間取った理由は例のごとく道路が寸断されたために重機が搬入不可能だったことと、寸断された道路が復旧して例え搬入できたとしても現場付近が大量の土砂と川水でぬかるみ、重機が使えなかったからだという。

 足場が大量の土砂と川水でぬかるんでいたとしても、元々の地面は固い土で覆われていたはずで、重機さえ搬入できれば、重機のマフラーは一般的にはバケットで容量以上の土を掬い取っても、前に突んのめらないように車体尻部分にカウンタウェイト(重り)を取り付けていて、カウンタウェイトの運転席側がエンジン部であって、そのエンジン部の後尾に垂直に取り付け、口を斜め上に向けている。あるいは運転席とエンジン部が一体となって回転するエンジン部の下側、キャタピラの上部に取り付けてある。どちらであっても、運転席に水が入らず、キャタピラが8分目程度が水に埋まっても、マフラーに水が入る心配はない(カウンタウェイトの上部に取り付けてあるのが最適であるが)。例え水深が目視できない状態で急に深くなっている場所があったとしても、アームを前に降ろして、バケットで水深を測りながら前進することができ、水深の程度で作業ができるかどうかは判断できる。

 要するに川水でぬかるんでいたとしても、水深が作業の可否を決める。キャタピラの上部まで水が達して、作業できない水深なら、近くの山肌の土を削って、それを埋めて足場を作る方法を取る。重機なら、簡単にできる。

 政府は地震発生の6月14日から12日後の6月26に陸上自衛隊の大型ヘリで吊り下げて中型ショベルカー(重さ4・4トン)を搬入している。重機搬入を阻んでいたという「道路寸断」を一気にクリアしてしまった。結果、道路が寸断され、重機搬入ができず、手作業での捜索活動で安否不明者の所在発見に手間取ることになったという経緯は時間と手間をムダに費やしたという結末を迎えたことになる。

 この岩手・宮城内陸地震が発生した2008年6月14日から約1カ月遡る2008年5月12日午後のマグニチュード7.9~8.0、死者7万人近くの中国中西部の四川省で発生した四川省大地震では中国政府は大型のヘリコプターMi-26 型(最大吊り下げ重量20t、世界最大)2台を用いて大型重機を運搬している。

 このMi-26はソ連製で、中国が買い取ったのか、中国でライセンス生産したのか、いずれかであろう。

 日本で自然災害現場に自衛隊の大型ヘリでの重機搬入例は後にも先にもこの一件で、再び自然災害が起きるたびに道路寸断等の理由で重機搬入ができず、手作業での捜索活動で行方不明者の所在発見に手間取ることになった、あるいは難航しているという光景が再び繰り返されることになった。今回の熱海市伊豆山地区土石流災害でも同じである。多くの報道で「手作業」という文字を散見することになった。泥と苦闘し、捜索活動が難航している云々と。

 勿論、手作業であっても、安否不明者の遺体発見はできる。重機で行うよりも時間と手間がかかるだけのことでしかないのかもしれない。あるいは土石流災害の場合は短時間で生存可能性はゼロに近づくから、72時間の壁は意味を持たない制約でしかなく、単純に遺体捜索と認識しているから、重機の搬入は通路の確保後だと、従来どおりの発想で割り切っているのかもしれない。だが、手作業が長くなればなる程、つまり重機の搬入が遅くなればなる程、遺体捜索の次の段階の瓦礫撤去完了が遅くなり、遅くなれば、街の原状回復が先送りされることになって、生存被災者の日常生活への戻りが順送りされる可能性が生じる。

 但し国家の大事を預かる国側としたら、数百人の住民の日常生活への回復が少しぐらい遅れても大したことはないと考えているのかもしれない。考えていないとしたら、自然災害発生のたびに初期的には手作業という人力に頼る光景が繰り返されることを当たり前の光景としていることから少しぐらいの工夫はあっていいはずである。

 例えば画像で載せておくが、この自走式除雪機は歩きながら作業する器械で、バッケとを持ち上げることができないが、3馬力の力があるから、雪を押し寄せる代わりに土砂や残材を寄せ集めたりすることができる。1馬力とは「75kgの重量の物体を1秒間に1m動かす(持ち上げる)力」のことで、「コトバンク」に「成人で短時間なら0.5馬力程度、連続では0.1馬力程度である」と出ているから、3馬力となると、スコップを動かして土石を取り除くよりも遥かに仕事量も仕事のスピードも早いことになる。

 使い方は雪かきとほぼ同じで、瓦礫の山の端に機械を斜めに据えて、瓦礫の山を斜めから少しずつ削っていく形で取り除いていく。雪かきと異なる点は一人が瓦礫が取り除かれていくときに瓦礫の中に万が一埋まっていた遺体を発見した際はバケットで傷つけないように監視役を務めることである。この監視役は重機を使うときも同じように務めるはずである。衣服の端らしき物を見つけたら、重機をストップさせて、手作業で周囲の土砂・残材を慎重に取り除き、遺体かどうかを確かめる。

 この除雪機は本体乾燥質量が71kgだから、4人が天秤棒でロープに釣るせば、1人当て18kg程度の重量だから、少しぐらい足場が悪くても必要現場に持ち込むことができる。
 
 除雪機では力不足なら、2020年7月の当ブログに使用したものだが、動画で紹介している除雪にも使用する日立歩行型ミニローダーML30-2は7馬力で、スコップ使用とは比較にならない大量の仕事をするが、バケットを最大限に持ち上げ、ダンプ姿勢を取ったときの地上よりバケット刃先までの高さを表す「ダンピングクリアランス」が1350ミリ。2トンダンプの床面地上高が940ミリ、軽ダンプの床面地上高が710ミリだから、両ダンプに積み込む作業ができる。この機体質量は335kgだから、道路寸断状態であっても、一般的な重機に先んじて災害現場にヘリコプターで吊り下げて、簡単に持ち込むことができる。

 軽ダンプは車両総重量が1430kg前後だから、これもヘリで持ち運び可能で、本格的な重機が入るまで土石を邪魔にならない場所にできるだけ集めておけば、重機が入ってからの片付けの期間短縮を図ることができる。

 道路が寸断されたからとスコップを主として使う手作業で安否不明者の捜索も瓦礫の片付けも時間をかける、相変わらず何も学習しない非効率な同じ繰り返しをするのではなく、街の可能な限りの早期の原状回復に務めて、生存被災者の日常生活の確立に手助けすることが国や自治体の役目であるはずである。だが、そうはなっていない。何も学習しない、非効率な同じ繰り返しが続いている。

 菅義偉は2021年7月12日に被災地熱海市伊豆山地区を視察し、現地で会見を行っている。一部抜粋。

 菅義偉「今日、災害現場を訪れました。大量の砂にうずもれた家屋だとか道路、2メートルを超えるそうした残土をかき分けながら人命救助のために取り組んでおられる皆さんから、お話も伺いました。大変厳しい中で、こうした行方不明の方の捜索をされている皆さん、正に警察、消防、海上保安庁、自衛隊の皆さんに心から感謝申し上げたい、そのような思いであります。

  ・・・・・・・・・・・・・・・

 皆さんが前を向いて生活することができるように、被災者生活・生業(なりわい)再建チームで、国の中で、そこはしっかり受け止めて、連携をしながら前に進めていきたいと思っています。それと同時に今お話がありました大規模被害、これは毎年続いています、線状降水帯、そういう中でその発生を予測するための資機材だとか、あるいは開発、これは思い切って前倒しで進めたいと思っています。こうした中で、大規模の災害対策というものをしっかりと進めていきたいと思います」

 警察、消防、海上保安庁、自衛隊の各メンバーの労苦に感謝申し上げる前に労苦を少しでも軽くすることを考えるべきだろう。前と変わらない同じ状況で繰り返す労苦を軽くする方策を考えもせずに言葉だけの感謝で済ます同じ繰り返しを見せるだけなのは芸がなさ過ぎる。

 「皆さんが前を向いて生活することができるように、被災者生活・生業(なりわい)再建チームで、国の中で、そこはしっかり受け止めて、連携をしながら前に進めていきたい」

 前を向いて生活することができる気分になるには少なくとも街が原状回復に向けてスタートを切り、それをキッカケに生存被災者たちが日常生活の遣り直しに向けて気持ちを新たにすることができてからであろう。安否不明者の捜索に手間取り、最も被害が大きかった熱海市伊豆山地区に重機が本格的に作業を開始したのは7月16日からで、作業開始4日前の、いつ重機が入るのかも分からない、原状回復どころではない、いわば被災者に対して前を向いて生活できる状況を与えることができていないままの7月12日に前を向いた生活の話をする。要するに被災者を真に思い遣った発言ではなく、自然災害時に決められた政府の手順を自らの責任として一つ一つ消化していくための発言だったのだろう

 街の原状回復と生存被災者たちの日常生活の遣り直しを早めるにはが安否不明者の捜索と瓦礫撤去を早めなければならない。当然、道路寸断等の理由で災害現場に重機搬入ができない状況下では、効率の悪い手作業での捜索活動や瓦礫撤去を効率が悪いままに繰り返すのではなく、効率よくする方策が必要になる。その効率化が被災者をして前を向いて生活する意欲・気力を早めに充実させる機会となり得る。
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菅義偉のメリハリのないコロナ対策が人流抑制の動機づけを失わせ、東京大会開催中の首都圏緊急事態宣言発出と無観客を招いた

2021-07-12 11:22:58 | 政治
 大相撲の正代を見ると日本の首相菅義偉を思い出す。菅義偉を見ると、なぜか正代の顔が思い浮かぶ。両者共に覇気のない顔をしている。

 これまでブログで東京大会は無観客にすべきだと何度か書いてきた。理由は菅義偉が東京大会という一大イベントを取り巻く一般社会のコロナ感染対策と対策を受けた国民の安心・安全と同時並行させて東京大会という一大イベントのコロナ感染対策と対策を受けた選手や関係者の安心・安全を策すのではなく、一般社会と切り離して東京大会だけのコロナ対策の安心・安全を優先させているからである。この思考は東京大会が無事済めばいいという自己中心主義で成り立たせている。特に殆どの競技会場を占めている東京都のコロナの感染状況と医療体制の改善を徹底的に図った上で東京大会を感染対策と共に開催していたなら、開催反対の声や無観客とすべきという声はこれ程までに大きくはならなかったろう。

 東京都のコロナの感染状況を徹底的に改善できれば、地方都市はこの改善に準じる傾向にあるから、全国的に改善することになり、東京大会の開催を受けた人流の増加による感染リスク自体、低く抑えることができることになる。だが、菅義偉は競技場に観客を入れたとしても、プロ野球やサッカーが緊急事態宣言下で観客を入れて試合を行っていても、「感染拡大防止をしっかり措置した上で行っている」という事実を以って、つまり感染が起きていないから、東京大会も同じように対応できると自信の程を見せていたが、野球場でも、サッカー場でも、東京大会のどのような競技場でも同じだが、社会的ディスタンスを維持できる範囲で入場制限を行いさえすれば、人と人の間隔を固定化できる。観客席に入ってから自分の席に行くまでに他者と近接することはあるが、知り合いでなければ先ず言葉を交わすことはないから、席に着けば、相互に距離を取ることになって、感染リスクは低く抑えていることが可能となる。つまり競技場内での感染リスクが高いから、無観客にすべきだと専門家にしても、誰にしても要求しているわけではない。

 但し観客が競技終了後に距離を取って出口まで進むことになるだろうが、競技場外の街中に出た途端、観客以外の街中の人とも交差することになって、競技場内での人と人の間隔の固定化はたちまち崩れることになる。マスクをしていても、友達同士がお喋りしながら歩行し、そこに他者が近接した場合、会話で生じる飛沫がマスクから漏れて他者にかからない保証はなく、その確率が高ければ、それだけ感染リスクは高くなる。専門家が有観客にすることによる人流の増加を感染リスク要因とする理由がここにある。だが、菅義偉は東京大会開催だけを考えて、このことを理解する頭を持たなかった。

<「緊急事態宣言」から日を置かずに「まん延防止等重点措置」に移行した東京都は感染がここのところ前週比で縮小せず、徐々に感染拡大の傾向を見せたために政府は東京都に第4回目の「緊急事態宣言」を発令することを決めた。東京都は日本の経済・文化・商業の各活動の中心地であること、そして東京大会の殆どの競技が東京都で行なわれることから、東京都に発令された「緊急事態宣言」と「まん延防止等重点措置」の推移のみを図に纏めてみた。ネットで調べ直して図にしたが、間違っていたらごめんなさい。

 2021年の東京都民は1月8日から現在に至るまで3月22日から4月24日までの約1ヶ月間を除いて政府指示の行動の制約を受けていたことになる。

 菅義偉は記者会見で「感染の抑制とワクチン接種、全力で取り組んで、1日も早くかつての日常を取り戻すことができるように全力を挙げるのが私の仕事だ」などと言っていたが、東京大会開催までには感染の抑制は最優先の課題だったはずだが、何もできずじまいでここまできた。

 菅義偉は緊急事態宣言なら「五輪の無観客も辞さない」という態度を取っていたが、2021年7月8日の東京都への4回目の「緊急事態宣言」の発令その他を伝える「記者会見」で東京大会について次のように発言している。

 菅義偉「オリンピックの開幕まであと2週間です。緊急事態宣言の下で異例の開催となりました。海外から選手団、大会関係者が順次入国しています。入国前に2回、入国時の検査に加え、入国後も選手は毎日検査を行っており、ウイルスの国内への流入を徹底して防いでまいります。選手や大会関係者の多くはワクチン接種を済ませており、行動は指定されたホテルと事前に提出された外出先に限定され、一般の国民の皆さんと接触することがないように管理されます」

 東京大会を契機として懸念される世間一般の「安心・安全」は相変わらず脇に置いて、東京大会という一大イベントの「安心・安全」だけを言い募っている。このこととプロ野球やサッカーの試合が一定の観客を入れて試合を行っていながら、感染騒ぎがなかったことを以って東京大会も同じ基準とする考え方方かるすると、あくまでも有観客を押し通すように思えた。

 だが、この記者会見後の同日、2021年7月8日夜の大会組織委員会と政府、東京都、IOC=国際オリンピック委員会、IPC=国際パラリンピック委員会の5者協議の末、東京 神奈川 埼玉 千葉の全会場は一転して無観客開催と決めている。菅義偉のこれまでの態度と違うこの決定は理由はなんだろう。

 菅義偉は国会で、「国民の命と暮らしを守る、最優先に取り組んできています。そこは念入りに言わせて頂きます。オリンピック・パラリンピックですけども、先ず現在の感染拡大を食い止めることが大事だと思います」と言い、「国民の命と健康を守るのが私の責任だと。守れなければ、やらないと。これは当然のことじゃないでしょうか」と答弁している。このような発言からすると、政府は東京大会開催に一定以上の決定権を握っていることを窺うことができる。当然、有観客か無観客かの決定権にしても一定以上有していることになる。だが、従来の有観客の態度を一転させて、なおかつ有観客一辺倒の大会組織委員会の意向とは逆の無観客に舵を切ったのは東京都のコロナ感染の縮小の見通しが立たない中、開催によって競技会場外の感染が万が一拡大した場合の責任問題の浮上が自民党総裁選や10月21日に任期満了となる衆院選に悪影響を及ぼすことが目に見えていたことを避ける意味合いがあったはずである。

 大体が「先ず現在の感染拡大を食い止めることが大事だと思います」と言っていながら、これまで感染拡大に手をこまねいてきた。

 東京 神奈川 埼玉 千葉の全会場は無観客開催と決定したが、北海道札幌ドームのサッカー競技は大会組織員会が上限を設けた上で観客を入れて開催するとしていたが、北海道知事のの鈴木直道の養成を受けて大会組織員会は無観客開催へと変更した。「NHK NEWS WEB」2021年7月10日 0時57分)

 北海道知事鈴木直道(7月9日よる記者団に対して)「1都3県から競技の観戦に訪れることを控えてもらうため、大会組織委員会とその取り扱いについて協議したものの、実効性を担保することは無理だと判断し、無観客とすることを決断した。道民の安全、安心を確保し、不安な気持ちにしっかり対応できるかを最優先に考えた結果として、大変残念ではあるが、無観客という形で行うことが適切だ」

 要するに1都3県からの競技観戦者を抑える措置を大会組織員会と協議したが、実効性を担保できる案を捻出できなかった。競技場内は入場制限を行うことによって人と人の間隔を一定以上に固定化できるが、競技場外の人流にまで社会的ディスタンスを厳格に守らせるアイデアは見い出せなかった。あくまでも競技場内の「安心・安全」を問題にしていたのではなく、競技場外の「安心・安全」を念頭に置いていた。菅義偉みたいに競技場内の「安心・安全」だけを問題にしていたわけではなかった。

 北海道のこの決定にソフトボールと野球を福島市で開催する福島県知事内堀雅雄は2021年7月10日に無観客で行うよう、大会組織委員会に要請し、了承を得ている。(「NHK NEWS WEB」)北海道が観客を入れずに開催すると前夜に発表したことで、東京など1都3県以外は観客を入れて実施するという前提が覆ったためだと理由をのべているということだが、ソフトボールと野球は人気種目である、チケットを持たないファンが競技場のすぐ外で競技場内で上がる歓声を耳にして熱戦の雰囲気を味わいながら、スマホでテレビ実況を楽しむ熱狂を演じない保証はない。また、そうすることを自身の一つのステータスにとし、自らの人生のレガシーの一コマとすることもある。

 結局のところ菅義偉は「ワクチン接種というのは、正に感染症対策の切り札です」と常々言いながら、東京大会開催までに大半の国民に接種できなかったばかりか、切り札以外の対策でコロナ感染の縮小を図ることはとてもとてもできず、結局のところほんの少しを除いて無観客という変則的な開催を強いられることになった。

 その原因は誰もが承知しているように日本の経済・文化・商業の各活動の中心地であり、東京大会の殆どの競技を担う東京都が大会期間中に緊急事態宣言の発出を受けたからに他ならない。そして緊急事態宣言発出の何よりの原因は感染者の増加傾向を受けてのことであることは当然だが、菅義偉は前々から同じことを発言しているが、2021年7月8日も同様のことを口にしている。

 菅義偉「残念ながら首都圏においては感染者の数は明らかな増加に転じています。その要因の1つが、人流の高止まりに加えて、新たな変異株であるデルタ株の影響であり、アルファ株の1.5倍の感染力があるとも指摘されています。デルタ株が急速に拡大することが懸念されます」

 但し変異株が感染拡大のそもそもの原因ではない。極端なことを言うと、変異株感染者が他に誰もいないところで2次感染源になることはない。そもそもの原因は人流の多いか少ないかの程度次第ということになり、感染抑止は人流の抑制にかかることになる。人流を抑制できれば、それが自動的な社会的ディスタンスとなって現れ、結果的に感染抑止策に繋がっていく。緊急事態宣言を発出しても、まん延防止等重点措置を発出しても、人流を抑制できず、人流の高止まり状態を許すようなら、目に見えた感染抑止を果たすことができないのは論理的帰結でもあるし、現実もそのとおりのことを示している。

 と言うことは最終的なコロナ対策は人流の抑制に絞られることになって、それができず、人流の高止まりを招いているということは菅内閣のコロナ対策の失敗を示すことになる。

 改めて東京都に発令された2021年の「緊急事態宣言」と「まん延防止等重点措置」の推移を見てみる。2021年の1月8日から現在に至るまで途中の約20日間を除いて緊急事態宣言下かまん延防止等重点措置下にあった。人流はどのように変化したのだろうか。「東京都時間帯別主要繁華街滞留人口の推移(2020年3月1日~2021年7月3日)」(中段辺りに表示)から見てみる。詳しくはサイトを覗いて頂きたい。

 暮の2020年12月26日から2021年1月2日まで滞留人口は徐々に減少しているが、1月3日から緊急事態宣言発出の1月8日向かって一気に上昇、1月9日以降、発出を受けて減少するが、1月16日以降、増減を繰り返しながら上昇していき、東京都の3月21日緊急事態宣言解除を受けても上昇していき、3月27日から減少に転じるが、4月10日に上昇に転じて、4月12日にまん延防止等重点措置を発出、4月25日に緊急事態宣言発出、この日を境に滞留人口は一気に減少に向かうが、5月8日を境に今日に至るまで上昇している。

 要するにまん延防止等重点措置を発出しても、緊急事態宣言を発出しても、見るべき人流の抑制を図ることはできなかった。よく言われている原因として「宣言疲れ」、「コロナ疲れ」がある。だが、この「宣言疲れ」、「コロナ疲れ」の何よりの原因は東京都に関して2021年1月8日から今日までの半年以上、宣言、措置のいずれかが解除されていた期間は3月22日から4月11日までの約20日間のみの短期間であり、特に若者の人流が減らなかった理由を如実に読み取ることができる。

 結局は宣言、措置のいずれかをメリハリもなくダラダラと続けることになった。ダラダラではなく、適宜息を入れる短い期間を設けてメリハリあるものにして、「宣言疲れ」や「コロナ疲れ」を癒やす機会を設けるべきではなかったのか。

 東京都の場合、2020年10月末から第2回目の緊急事態宣言発出の2021年1月8日に向かって感染者数が徐々に上がってきて、12月末のうちに緊急事態宣言の発出を促されていた。1月8日の発出は遅きに逸したと批判を受けている。先に挙げた2021年7月8日の記者会見で菅義偉は「先手先手で予防的措置を講ずることとし、東京都に緊急事態宣言を今一度(ひとたび)、発出する判断をいたしました」と発言しているが、もし10月末に感染拡大の傾向を読み取って「先手先手で予防的措置を講ずる」ために緊急事態宣言を発出、感染拡大を抑える目的からだけではなく、12月20日以降の暮から2021年1月1日を間に挟んで1月末までの皆さんの年始年末の自由な活動を保障するためだとして12月20日以前に宣言を解除したなら、宣言中の人流抑制・外出自粛の動機づけを各自が身につけることが可能となって、感染を抑えることができ、抑えることができた分、解除後のリバウンドにしても少しは抑えることができる。

 だが、そうした手を打つことはせずに逆に正月気分も醒めない1月8日に宣言を発出した。

 年始年末の自由な活動中にリバウンドが生じたなら、次の自由な活動の保障期間を4月の入学・入社・異動シーズンとすると前以って告知し、4月に入ったときの人流抑制・外出自粛の動機づけを与えつつ、リバウンドが生じた期日以降から3月下旬前のいずれかの時点で宣言か措置のいずれかを発出したなら、リバウンドを一定程度か、それ以上に抑えることができて、4月の宣言・措置に対する解除は難しくなくなる。

 このようなメリハリをつけた手順で次にお盆を挟んだ夏休みを自由な活動の保障期間としてそれ以前に感染拡大に合わせて宣言か措置のいずれかを発出していたなら、発出期間中の人流抑制・外出自粛の動機づけを自由な活動に置かない者は先ず考えられないから、同時に感染を抑えることができる。人流抑制や外出自粛に倦んで、「宣言疲れ」や「コロナ疲れ」に見舞われる余裕を与えないことになる。

 だが、菅政権はこういったメリハリをつけた対策は取らずにダラダラと自由な活動を制限し続けてきた。その結果の「宣言疲れ」や「コロナ疲れ」であり、このような疲れからの「人流の高止まり」であり、感染の高止まりという悪循環に陥ることになった。

 西村康稔は2021年4月23日衆議院議院運営委員会で、「この新型コロナウイルスは何度も流行の波が起こるわけであります。諸外国を見ていてもそうであります。そして起こるたびに大きくなってくれば、ハンマーで叩く。つまり措置を講じて抑えていく。その繰り返しを行っていく。何度でもこれを行っていくことになります」と発言していた。この発言を受けて2021年4月26日の「ブログ」に次のように書いた。

 〈もし東京オリ・パラを開催予定でいるなら、今回の緊急事態宣言で感染者が減らないようなら、6月中を期限とした緊急事態宣言と言う「ハンマー」を前以って打ち下ろして、徹底的に感染者を減らしてから、開催すべきだろう。

 感染拡大防止にも無策、緊急事態宣言で与えることになる社会経済活動の打撃に対しての配慮をも欠いているようでは菅政権の責任は決して小さくはない。〉

 これもメリハリのススメである。だが、メリハリとは逆のダラダラで対策で国民の多くに「宣言疲れ」や「コロナ疲れ」は発症させていて、思ったような人流抑制を図ることができず、感染の高止まりを招き、肝心の東京大会中の宣言の発出となった。

 菅義偉は2021年7月8日の記者会見で、「ワクチンを1回接種した方の割合が人口の4割に達した辺りから感染者の減少傾向が明確になったとの指摘もあります。今のペースで進めば、今月末には、希望する高齢者の2回の接種は完了し、1度でも接種した人の数は全国民の4割に達する見通しであります」と発言している。2021年5月28日の記者会見では「イギリスでは1回目を5割打ったら大体ものすごい効果が出たということで、今、マスクなしにしていますけれども」云々と発言している。

 だが、ネットで調べてみると、イギリスのワクチン接種率は1回目終了が86%を超え、2回目終了が64%を超えているが、ここにきて感染が急拡大し、2021年7月19日時点の新規感染者数は31800人、7日間平均で30040人となっている。その理由はインド型の変異株だと言うが、何よりもワクチン接種が進んだことによる社会活動の活発化、つまり人流の大幅な増加にあるとされている。

 日本もインド型の変異株が拡大し続けると、「1回接種した方の割合が人口の4割に達した」としても当てにはならなくなる。菅義偉は情報把握をしっかりとして、安易な希望的観測となるような情報の垂れ流しはやめるべきである。責任問題である。
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八街市自動車児童5人死傷事故から見える子どもの命と成長よりも予算を優先させた道路行政とそれを見過ごした政府の怠慢

2021-07-05 10:52:24 | 政治
 「NHK NEWS WEB」(2021年6月30日 18時22分)

 2021年6月28日、千葉県八街市で下校途中の小学生の列に大型トラックが突っ込み、小学3年生男子(8)と小学2年生男子(7)の2名が死亡、8歳の女子が意識不明の重体、7歳と6歳の男子が大怪我をする酷い事故を起こした。運転手は酒を飲んでいた。供述によると運転手は「右側から人が出てきたので、よけようと急ハンドルを切った」ところ、道路左側電柱に衝突し、その後約40メートル進み、小学生の列に突っ込んだ。

 このような急ハンドル操作の場合、初心者や加齢によって敏捷性を欠くことになった高齢者が慌ててしまう以外は反射的にブレーキを踏む。要するに急ブレーキを踏んだが、制動距離が足りなくて、左側電柱に衝突してしまったという経緯を一般的には取る。だが、電柱衝突後に小学生の列に突っ込み、停車するまでの約40メートルの間に目立ったブレーキ痕はなかっただけではなく、警察の取調で防犯カメラの映像などからは道路に出る人の姿は確認できていないと記事は書いている。「右側から人が出てきた」という供述は大分怪しくなる。

 大型トラックが一定のスピードで電柱に衝突した場合、かなりの衝撃を受ける。映像で見ると、電柱は斜めにかしいでいる。なまじっかな衝撃でなかったはずで、衝撃を受けると同時に右足がブレーキに伸びるものだが、目立ったブレーキ痕なしにそのまま40メートルも走ったということは飲酒だけではなく、居眠り運転の可能性が出てくる。

 運転途中で飲酒する場合、事故を起こさないように運転に神経を注ぐ。事故を起こして、原因が飲酒と判明すれば、最悪、免許取り消しの処分を受け、仕事ができなくなり、生活の糧を失うことになりかねない。他のNHK NEWS WEB記事によると、仕事からの戻りで、事故地点は工場まで200メートル程の場所だったと伝えている。目と鼻の先で運転から解放されると思い、安心して、運転に振り向けていた注意が安心感に取って代わってしまうと、その際眠気を我慢していたなら、睡魔に安々と誘い込まれる要因となる。

 マスコミ報道を見る限り、警察が飲酒だけではなく、居眠り運転までしていたと発表しているわけではないが、飲酒運転事故のこういった成り立ちを意識にとどめておくことができたなら、飲酒がときには居眠り運転につながることまで考えて、酒など飲んで運転はできないはずだが、飲酒運転で2人の子どもの命とその成長を奪い、1人を意識不明の重体に陥れて、無事回復を祈るが、自分に起きたことがトラウマとして残った場合、以後の命と成長が脅かされないことはないだろうし、重症を与えられた2人にしても、同じようにトラウマにさせて命と成長を脅かしかねない酷い目に遭わせることになった。

 特に子どもの命を奪うということはその後の長い成長まで奪うことになるということを考えなければならない。命と成長を奪われることになった子どもたちの家族や親しい友達が見舞われることになる喪失感とその原因が飲酒運転の自動車事故だという不条理は計り知れないだろうし、簡単には癒やすことができずに生涯、その喪失感と不条理を抱えていくことになる可能性は否定できない。

 記事は八街市の話として現場の市道は2008年度から2012年度までの4年に亘って小学校のPTAが毎年ガードレールの整備などを求めていたと伝えている。その要望に対して記事は、〈市は、予算などの制約があるとして優先順位を付けて道路の整備を進めていましたが、より優先順位の高い場所があるとして現場の道路へのガードレールの整備は実現していませんでした。

 また、現場での最高速度の制限については警察との間で検討したことはなかったということです。〉と伝えている。

 要するに子どもの命と成長よりも予算を優先させた道路行政に徹していた。他の予算を振り分けてでも子どもの命と成長を優先させる道路行政を志すことはしなかった。このことは子どもの命の尊厳の軽視に値する。

 この点についての2021年7月1日付「時事ドットコム」記事は次のように触れている。

 市教育委員会教育長加曽利佳信(八街市長北村新司の記者会見に同席)「(2016年度から事故現場を道路の狭さなどから危険と認識していたと説明した上で)看板の設置などはしたが、ガードレールの設置まで至らず、痛恨の極みだ」

 道路の危険性をガードレールの設置ではなく、看板の設置で解消させていた。そしてその程度の予算で片付けていた。

 同記事はPTAによるガードレール整備要望に対しては市は「用地買収、建物移転などから多額の費用を要し、非常に難しい」と回答していた。担当者は「ガードレールの設置は、他の事業を優先して先送りされ、検討していなかったのが事実」

 この市の態度にも子どもの命と成長よりも予算を優先させた道路行政が否応もなしに見えてくる。子どもは国の宝だと言いながら、口先だけで、宝とは程遠い粗末な扱いで済ませている。
  
 もう一つ、2021年7月1日付「asahi.com」から、PTAによるガードレール整備要望に対して市の説明を見てみる。

 〈市は2009年8月、当時の長谷川健一市長名で「歩道の設置とガードレールは、(そのために必要な幅となる)有効幅員の確保が不可能。道路拡幅は用地買収、建物移転など多額の費用を要し非常に厳しい」などとPTA側に回答。PTA側などと協議して、近くの交差点の改修を優先したという。〉

 この発言も予算の点からのみガードレールの設置を捉えていて、子どもの命と成長を守ることよりも予算を優先させた道路行政の域を一歩も踏み出せていない。

 この記事はPTA側からの事故現場のガードレール整備について2012年度以降から要望がなくなったために整備の必要性が認識されなくなったといった趣旨の市幹部の話を伝えている。

 市幹部「毎年度の要望がないと、数多くの道路要望のなかで優先度が下がる」

 記事が、〈実際に今年度時点では、事故現場のガードレール整備の必要性を市建設部は認識していなかった。〉と解説している以上、「優先度が下がる」と釈明しているものの、次年度への申し送り事項としていなかったに過ぎない。その年度に出された要望しか目を通していなかった、つまり優先度を決める対象に入っていなかったということで、「優先度が下がる」云々は責任追及を逃れる薄汚い誤魔化しに過ぎない。

 ガードレール整備に関わる要望の実現の必要性を認めていながら、予算の都合で実現できなかったとしても、その要望を次年度に引き継いで、予算の点からの実現可能性を探るべきを、引き継ぎの努力すらしなかった。怠慢以外の何ものでもない。

 こういった怠慢が事故死を防ぐことができなかった遠因の一つと数えられても、頭から否定することはできまい。

 では、最初のNHK NEWS WEB記事に戻って、過去に小学校PTAが毎年ガードレールの整備等を要請していたことに対する現在の八街市長の2021年6月30日の臨時記者会見発言と市の説明を見てみる。

 八街市長北村新司「幼い子どもが命をなくすのは胸が張り裂けそうな思いだ。残念で悔しい。財源が限られる中、今回の場所は申し訳ないが十分な措置ができなかった」

 北村新司の「幼い子どもが命をなくすのは胸が張り裂けそうな思いだ。残念で悔しい」と言っていることが代償の取り返しのつかなさを真に痛感した言葉であるなら、「財源が限られる中、今回の場所は申し訳ないが十分な措置ができなかった」とする、子どもの命と成長を後回しにして、予算を優先させたことを正当化する発言は出てこない。

 命に関わる危機管理は命を失う前に失わないための創造的な対策を構築することである。失ってからの命の危機管理は他の命には役に立つかもしれないが、当然のことだが、一旦失った命には役立たない。この当たり前の道理を行政を預かる者として厳しく認識していたなら、「今回の場所は申し訳ないが十分な措置ができなかった」程度の責任では済ますことはできない。辞任ものであろう。

 市の説明。予算などの制約があるとして優先順位を付けて道路の整備を進めていたが、より優先順位の高い場所があるとして現場の道路へのガードレールの整備は実現していなかった。現場での最高速度の制限については警察との間で検討したことはなかった。

 この程度の子どもの安全と命に対する危機管理しか弁えることができなかった。結果、現在は60キロとなっている最高速度をより低い最高速度に抑えることを警察に要望することになった。

 要するにスクールゾーンとしての時速制限も、各地で進んでいる通学路の最高速度を30キロに制限する「ゾーン30」も設けていなかった。例えて言うなら、朝陽小学校の登下校路は荒野の中に存在していたようなものだった。

 最高速度を抑えたとしても、飲酒運転や居眠り運転に役には立たない場合がある。歩道やガードレールのない狭い道路の車の運転は対向車が近づいてこない限り、歩行者がいなくても、左側からの飛び出しを用心するためにほぼ道路の中央を走ることになるが、学童を含めた歩行者を見かけた場合、対向車がなければ、速度を緩めながら、道路中央よりも右側に進路を取って走行、歩行者を遣り過してから、道路中央に進路を戻し、対向車がある場合は、歩行者の脇を十分に走行できる間隔があったとしても、歩行者の手前で道路中央よりも左側に車を寄せて徐行、対向車が通り過ぎるまで待ち、対向車が通り過ぎてから、道路中央に進路を戻して制限速度内の走行をするのが一般的な運転の慣習となっているが(あるいは最近の道路交通法改正でそういう取り決めとなっているのかもしれない)、このような歩行者優先の運転を殆どのドライバーが実践していたとしても、歩行者優先のこの運転方法をプリントして、行政は自区分内のトラックや乗用車を所有する全ての事業所に対してこのプリントした内容を用いた説明会を道路交通法が定める講習会とは別の要請という形で最低月に1度はドライバーに行うように持っていき、歩行者優先の意識を常に新たにさせるように努力すべきではないだろうか。

 この努力を受けてドライバーが歩行者優先の運転を日々心がけるようになったなら、日々の習慣は体に染み付き、例え酒を飲んで運転する不届き者が出現したとしても、アル中にまで発展していない限り、最大限の注意を払う可能性は否定できない。

 NHK NEWS WEB記事は八街市教育委員会が事故現場の市道を通学路とする児童の精神的な負担を考慮して、当面、登下校のためのバスの運行を決めたと伝えている。登校用に午前2便、下校用に午後4便の運行予定で、この通学路を使う八街北中学校の生徒も利用できるようにし、さらに現場付近に警察の移動交番車の配備や市の職員などによる見守り強化も行なわれるとしている。

 全てが命を失う前の命の危機管理ではなく、尊い命が失われたあとからの対症療法の部類に入る危機管理となっている。

 別記事によると、現場は朝陽小から西に約1・5キロの見通しの良い幅6・9メートルの直線個所だそうで、ドライバーの抜け道になっていたと伝えている。

 事故があった市道は県道77号線と1キロ程離れた間隔でほぼ平行に走っていているから、県道は渋滞が多く、時間短縮のために市道が抜け道として利用する道路となっているということなのだろう。抜け道を利用するドライバーは急いでいるからで、渋滞で失った時間を取り戻すために自然とスピードを上げてしまう。スピードを上げない抜け道利用者がいたら、抜け道利用の意味をなくしてしまう。

 今回の事故を起こしたドライバーの会社は事故地点から200メートル程の場所にあるそうだから、抜け道として利用していたわけではないだろうが、通学路が抜け道となっていた場合は、抜け道利用を防止するために大型トラックを所有している近辺一体の事業所に通学路を抜け道として利用しないように要請したり、県道から抜け道の市道に入る各枝道入口に「通学路につき学童の命と将来を守るために抜け道として利用しないこと」という看板を立てるのも一工夫だが、自身の時間短縮を優先させて、看板を無視するドライバーはなくならないだろう。

 そういった場合に備えて通学路の信号機を工夫すれば、抜け道としての利用価値を低めることができる。先ずスクールゾーンの信号機の数を多くして、メインストリートの各車両用信号機を一斉に青にするのではなく、最初の信号機を青にしたら、次の信号をすぐに赤にして、しかも赤の時間を長くする。信号の形式を知ったドライバーは急加速、急スピードが役に立たないことを学習して、ゆっくりと発進して、スピードを抑えて次の信号まで走ることになる。スクールゾーンの終了地点までその方式とする。

 但し車両用信号機の赤信号が長いと、歩行者用信号機の赤信号も長くなって、歩行者はなかなか横断歩道を渡れないことになる。現在は車両用信号機が青となると同時に歩行者用信号機も青になるが、歩行者用信号機を先に青にして、歩行者が渡ることができる一定の時間後に車両用信号機を青にすれば、車両用信号機を長く赤にしておくことができるし、巻き込み事故を減らすこともできる。

 このようにスクールゾーンの信号機が多いことも、車両用信号機の赤信号の時間が一般よりも長いことも、車両用信号機の赤信号が青になるよりも先に横断歩道の歩行者用信号機を青にすることも、ドライバーの多くは学童の命と将来を守るためだと否応もなしに学習し、自らの認識としていくはずである。

 この学習と認識が飲酒運転や居眠り運転の戒めとすることもできる。勿論、信号機の増設はそれなりの予算を必要とするが、道路拡張よりも少ない予算で子どもの命と将来を守る、命を失う前に失わないための創造的な対策の部類に入れることができる危機管理とすることができる。

 マスコミ報道に誘導されて、菅義偉が2021年6月30日に開いた八街市の自動車事故を踏まえた交通安全対策の重要な課題を話し合う「交通安全対策に関する関係閣僚会議」(首相官邸/2021年6月30日)を覗いてみた。菅義偉の発言だけが載せてある。

 菅義偉「この度、下校中の小学生の列にトラックが衝突し、5名が死傷するという大変痛ましい事故が発生いたしました。亡くなられたお子様の御冥福をお祈り申し上げますとともに、負傷されたお子様、そして御家族の皆様方に、心よりお見舞い申し上げます。

 今回のような大変痛ましい事故が、いまだ後を絶ちません。必要な捜査と原因究明を直ちに行い、関係する事業者に対して、安全管理を徹底してまいります。

 トラックの運転手において、飲酒の疑いもあると聞いております。飲酒運転は言うまでもなく、重大事故に直結する極めて悪質で危険な行為であり、根絶に向けた徹底を行います。

 これまでに取りまとめた、子供や高齢運転者の交通安全のための緊急対策は、今回の事故の発生を受け、速やかに検証を行うことにしました。今後このような悲しく痛ましい事故が二度と起きないように、通学路の総点検を改めて行い、緊急対策を拡充・強化し、速やかに実行に移してまいります。

 関係大臣においては、子供の安全を守るための万全の対策を講じることとし、必要な対策を速やかに洗い出していただくようお願いいたします」(以上)

 菅義偉は重大事故の「根絶に向けた徹底を行います」との文言で、「根絶」を目標とすることと、「これまでに取りまとめた、子供や高齢運転者の交通安全のための緊急対策は、今回の事故の発生を受け、速やかに検証を行うことにしました」ということで、「子供や高齢運転者の交通安全のための緊急対策」の「検証」を約束した。 

 前者の約束「根絶」の目標は政府が「国民の命と健康を守る」役目を負っている以上、当然である。「未就学児等及び高齢運転者の交通安全緊急対策について」(内閣府)の「第2節 子供の交通事故の状況」には、〈近年の12歳以下の交通事故死者数の推移を見ると,全体として減少傾向にある中で,5歳以下については2008年の44人から2019年は24人に,6~12歳については52人から21人に減少した。〉とあるが、減少を以って良しとすることは子ども一人ひとりが持つ命の尊厳を蔑ろにすることになる。減少したとしても、12歳以下の45人もの子どもの命とその成長が自動車事故で無残にも奪われている。子どもの先々の成長を楽しみにしていた親の希望や夢までを奪う。

 自民党はネットで探したところ、2012年6月5日2019年5月28日に政府に対して「道路交通の安全対策に関する緊急提言」を行っている。単数、あるいは複数の重大な自動車事故が発生するたびに「緊急提言」行っているのかも知れないが、ネット上に2回分しか見つけることができなかった。但し言えることは2012年6月5日の「緊急提言」を約7年後の2019年5月28日に再び提出しなければならなかったということは2012年6月5日の「緊急提言」が実のある形を結ばなかったことを物語ることになる。

 2012年6月5の「緊急提言」は危険箇所の交通指導取り締まり、信号機やガードレールの設置、歩道の拡幅、通学路の見直し、PTAによる安全パトロールの効果的な改善措置、学校及び幼稚園・保育所等周辺の最高時速30kmの「ゾーン30」の原則的設定、交通指導・取り締まりの徹底よる「人優先空間」の形成、自動車のスピードリミッター(自動速度抑制装置)の早期実用化等々を提言し、2019年5月28日の「緊急提言」では全国的な通学路の安全点検に加えた園児等が日常的に利用する道路、 園外活動のための移動経路の安全点検、危険箇所の信号機、道路標識・標示やガードレールの設置、通学路の見直し、保護者や民間ボランティアによる子供の見守り活動の実施、警察官等による現場での交通安全指導、「ゾーン30」(最高時速30km)整備の加速化、幼稚園・保育園の散歩等の園外保育に備え、ドライバー等に周知させるためのキッズゾーン(仮称)設定の検討等を提言している。

 この両提言に見る肝心な対策については今回の自動車事故を受けた千葉県八街市の学童通学路には殆ど形を取っていない。2012年6月5日だけではなく、2019年5月28日も提言を繰り返し、これらの提言が八街市の学童通学路で具体化できていないということは、千葉県八街市だけを抜け落としていたというわけではないはずだから、政府が提言を受けて通学路の総点検を各自治体に指示し、その報告を受けたものの、改善点を必要とする自治体に対して子どもの命と成長を守る危機管理の構築に必要な、国からの予算づけを行なわなかったのか、最優先の解決事項として自治体の予算そのものの見直しを指導して、改善の実施を求めなかったのか、実施したこと・できなかったことの結果報告を自治体から受けて、その報告を検証しなかったのか、いずれかの手続きを厳格に実行していなかったことになる。

 政府が全ての手続きを厳正に実行していたなら、千葉県八街市の子どもの命と成長を守る危機管理の実現よりも自らの予算だけを頭に置いた道路行政を阻むことができたはずだ。つまり政府は全自治体に対して全ての手続きを厳正に実行していなかった。そして既に断っているように千葉県八街市だけを緊急提言が求めている各施策の実施対象から省いていたわけではないはずだから、提言のうち、改善すべき点の取り組みは各自治体の予算任任せになっていたことになり、千葉県八街市のように子どもの命と成長を守る危機管理の構築に振り向ける予算を欠いていた自治体は提言を受けた取組みを実施せずにスルーしてしまっている例も存在することになる。

 と言うことは、政府は自民党の提言を受けて、通学路の総点検を各自治体に指示し、その報告を受けて改善点の取組みを要請したものの、その取組みの成果に関しては全ての自治体に亘って厳密に検証していなかったことになる。

 となると、菅義偉が「交通安全対策に関する関係閣僚会議」で、八街市の事故を「5名が死傷するという大変痛ましい事故が発生いたしました」と言ってはいるが、各自治体の児童安全対策に関わる取組みの成果を厳密に検証していなかったことが八街市の子どもの命と成長よりも予算を優先させた道路行政を見過ごすことになり、このことが事故の遠因となったと指摘できないことはない。政府の怠慢そのものであろう。
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麻生太郎と山口那津男は都議選応援で市民の立場に立った政治の声なき声を吸い上げる役目を忘れ、縁故主義を暗に強要

2021-06-28 08:33:43 | 政治
 2021年6月25日付 「日刊スポーツ」 麻生太郎大先生、今回の都議選告示日に青梅市選挙区の自民党新人候補の応援演説に駆けつけて、名言を吐いたようだ。件の自民党新人候補にしたら、大名誉なことだったに違いない。何しろ麻生太郎は自民党きっての知性派であり、理論派なのだから。この自民党候補が男性だからいいものの、もし若い女性だったなら、知性豊かで、言葉の駆使に長けた、その自由闊達な理論が心地よい幻惑を与え、心地よさのあまり、麻生太郎80歳が相手であったとしても、不倫をも厭わない性的な陶酔感の迷い道に誘い込んでいたかもしれない。
 
 青梅市選挙区は自民党49歳男性候補に対して都知事小池百合子特別顧問の都民ファーストの会47歳男性候補の一騎打ちとなっている。当然、自民党候補による麻生太郎相手の不倫の間違いは起きないことになる。

 麻生太郎「(小池氏が特別顧問を務める都民ファーストの会の)代表の国会議員がいないから(国に)話が通じない。従って知事が自分でやる。過労で倒れた。同情してる人もいるかもしれんけど、(小池氏が)そういう組織にしたんだから。自分でまいた種でしょうが。自民党とつながってる人がいなきゃ話がつながらない。一番上が国会であるならば」

 要するに都民ファーストの会所属の立候補者を都議会選挙で何人当選させたとしても、会所属の国会議員が一人もいなければ、都民ファーストの会支持都民が望む国政に関わる各種政策は国会にまで反映されず、その実現は望みがない。実現を望むなら、自民党に第一党を取らせて、自民党国会議員とのつながりを持たせることだと言っていることになり、国政に関わる政策の実現は国会議員とのつながりが条件となるという縁故主義を持ち出していることになる。

 【縁故主義】「社会学の分野においては、同族・同郷者に限らず同じ共同体に属する人間の意見ばかりを尊重し、排他的な思想に偏る内集団偏向のことを指す」(Wikipedia)

 自民党所属の国会議員・都道府県会議員・都道府県市区町村議員は自民党総裁を頂点に一種の共同体をなしている。勿論、他党も同じである。

 この都議会議員が国に要求しなければならないような政策の実現は都議会議員と同じ党派を組む国会議員とのつながりがモノを言うという主張は都議会議員が掲げることになる政策の元となる都民の要望はその都民と支持という形でつながる都議会議員が存在することによって政策としてよりスムーズに取り上げられることになるという順繰りの効用として説いていることになる。だから、麻生太郎は都議会止まりではない、国会ともつながる人脈が必要だと人脈を利用する縁故主義を求めることになった、

 (2018年にブログに載せた画像。)

 つまり都民ファーストの会を支持する都民の要望が政策として取り上げられるのは都議会止まりで、その先の国政に関することは国会では取り上げられることは難しいと断言したことになる。「自民党とつながってる人がいなきゃ話がつながらない」としていること自体が、「自民党とつながってる人がいれば話がつながる」という縁故主義の主張そのものとなる。ここでは要望の妥当性や一考の余地は排除される。
 
 確かに縁故主義は以前から存在している。自民党が経済優先の政策を取り、経済優先が企業優先の形を見せるのも一種の縁故主義であり、ときには特定企業の利益を代表するような態度を取るのも縁故主義の範疇に入る。日本の代表的な大企業1500社近くと団体を会員としている経団連が自民党の最大のスポンサーとしてバックについていて、会員企業・団体に自民党への政治献金を呼び掛け、最近では毎年20億円以上の政治献金で自民党および自民党国会議員を潤わせていることから生じているその見返りとしての企業優先の縁故主義でもある。自民党は立党当時から企業・団体を代表してきた。

 例え何らかの縁故で繋がっていなくても、声なき声を吸い上げて政策として実現させていくことが政治の役目の一つとしなければならないはずだが、麻生太郎は自身が元企業経営者であり、自民党自体の企業寄りの縁故主義に災いされて、声なき声を吸い上げる政治の役目を頭の中に入れておくことができなかったのだろう。

 麻生太郎はまた、都知事小池百合子が過労で入院した原因を都民ファーストの会関係の議員を国会に送り込んでいなかったことから、国との交渉に関してなのだろう、いわば縁故主義が効かず、何でも自分一人で国に掛け合わなければならないことになった、自分で「そういう組織にした」でのあって、「自分でまいた種」だと批判しているが、意味させていることは自分で種を蒔いた結果の自業自得説となる。だが、あくまでも縁故主義に立った自業自得説であって、麻生太郎自身も、さらに自民党も時と場合に応じて縁故主義から自由となる柔軟性を抱えていたなら、決して出てこない自業自得説であろう。

 こういったことから、麻生太郎は自らが体質としている、自民党自体も体質としている縁故主義を振りかざして、国に話を通す政策に関しては国会議員を抱えていない都民ファーストの会の都議会議員候補者にいくら投票しても役には立たないと応援演説を行い、縁故主義が有効となる国会議員をたくさん抱えている自民党にこそ投票すべきであることを裏返しの意味に置いた。

 公明党代表の山口那津男も同じく都議選の応援演説で縁故主義を暗に強要し、結果的に政治の声なき声を吸い上げる役目を排除している。「山口代表の街頭演説(要旨)」(公明党/2021年6月21日)

 記事冒頭、〈公明党の山口那津男代表は、7月4日(日)投票の東京都議選で23氏全員の当選をめざし、感染防止対策を講じて都内各地で開かれた街頭演説会で、党の実績や政策などを力強く訴えています。ここでは、その要旨を紹介します。〉と書いてあって、どの選挙区のどの公明党立候補者を応援した際の演説なのかは不明である。要の発言のみを取り上げる。

 山口那津男「一方で他党はどうかと言えば、都議会第1党の都民ファーストの会は、区市町村にほとんど議員がいません。国会議員もいないため、現場の声を吸い上げて実現することは困難です」

 奇しくも麻生太郎と同じ趣旨の応援演説となっている。当然、麻生演説と同じ意味を取る。現場の声を吸い上げるのは同じ党の区市町村議員や国会議員が存在して、その縁故が必要条件となると縁故を暗に強要、山口那津男本人は決して気づかないだろうが、麻生太郎同様に政治の声なき声を吸い上げる役目をすっかりとよそに置いてしまっていた。

 言うべきことは、勿論自公で第1党を目指すことは重要だが、「都民ファーストの会は国会議員を持っていませんが、会支持の都民の国政に対する要望は多くの都民に有益性が認められると判断できる場合は自公与党が国政に反映できるように努力します」であって、縁故主義など振り回すことではなかったろう。

 でなければ、政策そのものを問題にすべきだった。都民ファーストが掲げる政策に反論するか、批判を試みるか、あるいは自党の政策のメリットを訴えることだけにとどめておく選挙応援演説であるべきを政策とは無関係に党を同じくする区市町村議員、都議会議員、国会議員というつながりが「現場の声を吸い上げて実現する」条件だとする縁故主義を持ち出したということは麻生太郎と同様に都民に暗に縁故主義を強要したことになる。この強要は縁故主義こそ、政治の要だと訴えていることに変わりはない。

 一政党の代表がこの程度の認識しかないとは情けない。

 縁故主義は行き過ぎると、利益誘導に姿を変えることになる。森友学園の新しい小学校設立に安倍晋三とその夫人安倍昭恵が熱心に後援していると見て、財務省が国有地を小学校の建設用地として秘密裏に格安に払い下げた疑惑も、安倍晋三夫妻と森友学園理事長との深いつながりを忖度した縁故主義から発した財務省による一学校法人に対する利益誘導であろう。

 安倍晋三が長年の友人とする加計孝太郎理事長の加計学園新設医学部設立認可に政治的便宜を図り、異例の速さで認可に持っていったとされる疑惑についても、安倍晋三の長年の友である加計孝太郎に対する縁故主義がそうさせた利益誘導そのものの疑惑であるはずだ。

 こういった大掛かりな縁故主義からの利益誘導ではなくても、国会議員が地元選挙区の特別な支援者という縁故主義から何らかの便宜供与を図る利益誘導も数多く存在して、なかなか縁故主義から抜け出すことはできない。だとしても、国会議員は国の政治一般を扱う立場にあり、日本国憲法がすべて国民は法の下に平等であると規定している以上、縁故主義を基本姿勢とするのではなく、声なき声を吸い上げて政策として実現させていく政治の実践を基本のところに置くべきであって、麻生太郎や山口那津男みたいに国会議員と同じ党派のつながりで都議会立候補者に対する投票を都民に求める縁故主義を暗に強要することなど、政治家の資質としては以ってのほかということになる。
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菅義偉の発言どおりに五輪開催を可能とする程にワクチン接種の効果が出るのかは疑わしい 危機管理の常道からいけば、五輪は無観客

2021-06-21 10:52:35 | 政治
 菅義偉が2021年6月17日に緊急事態宣言からまん延防止等重点措置への移行、その他についての「記者会見」を行い、「感染防止とワクチン接種の2正面作戦」でオリンピック開催に踏み切る発言をしている。尤もオリンピック開催について直接的に「2正面作戦」の言葉を使ったわけではなく、「私は、この国会の冒頭、国民の皆さんの安心を取り戻し、希望を実現すると申し上げました。感染防止とワクチン接種の2正面作戦に全力を挙げ、一日も早い安心の日常を取り戻します」と社会の安定化について言及した「2正面作戦」なのだが、趣旨としてはオリンピック開催に向けた感染防止対策の切り札としてワクチン接種に期待をかけているのだから、オリンピック開催も感染防止対策とワクチン接種の「2正面作戦」と見ることができる。

 この記者会見でも、「今回のワクチンについては発症予防や重症化予防の効果が期待されており、正に感染対策の切り札だと言っても言い過ぎではないと思います」と発言しているし、2021年6月9日の党首討論でも、「ワクチン接種こそが切り札だ」と発言。他の記者会見で「切り札」と言う言葉を使っているいじょう、オリンピック開催に関してもワクチン接種に頼ろうとする部分は大きいはずだ。

 当然、2021年7月23日から8月8日の東京オリンピック、2021年8月24日から9月5日の東京パラリンピックまでにワクチン接種が相当に進んでいて、ワクチンが感染防止対策の主役に踊り出なければならないことになる。その理由は緊急事態宣言もまん延防止等重点措置もオリンピック前には解除するだろうからであり、解除と同時に一般的な人流も、開催を受けた人流も、増加が共に進んで感染拡大に進むことになるだろうし、その感染拡大を緊急事態宣言にもまん延防止等重点措置にも頼らずに決定的に抑える役割を担わせようとしているのはワクチン以外にはないからだ。

 但しワクチン接種が進まない状況で感染拡大が進んだからと言って五輪期間中に緊急事態宣言かまん延防止等重点措置を発出して人流抑制をお願いした場合、一方で人流の増加を促すオリンピックを開催したままだとしたら、そのご都合主義は菅政権の打撃になる。是が非でも感染防止対策は緊急事態宣言の発出やまん延防止等重点措置の発出に頼るのではなく、ワクチンに頼らざるを得なくなる。

 記者会見で言及している緊急事態宣言とまん延防止等重点措置の各決定については左に画像を載せておく。

 では、ワクチン接種をどれ程に切り札としているのか、そのことに言及している発言を拾ってみる。

 菅義偉「ワクチンの接種は、この1週間で合計730万回、1日平均100万回を超えるペースで増加しています。累計の接種回数は2700万回を超え、1度でも接種した人の数は2000万人を超えました。自治体や医療関係者などの御協力に、心から感謝いたします」

 ワクチン接種を切り札にしているからこそ、接種回数を刻々と告げなければならない。

 河野太郎は1日のワクチン接種回数について2021年6月11日の「記者会見」(内閣府)で次のように発言している。

 河野太郎「1日の増分や1日の接種回数は、色々ご議論がありますので、申し上げておきますと、昨日(10日)に公表した回数の一昨日(9日)からの増分は約101万回でございます。9日の8日からの増分は約102万回というふうになっております。さかのぼると8日火曜日の増分は109万回、7日月曜日の増分は土日を含んでおりますが、165万回ということになっております。

 VRS(ワクチン接種記録システム――各自治体が個人の接種履歴を入力、国が管理)の1日の入力の一番多かった日を見ると、6月2日と6月8日が、医療従事者の分を足して見ますとだいたい73万回です。7月2日を見ると、最初の入力値から1.5倍ぐらい増えています。6月8日は1.2倍になっていまして57万回ですから、あと0.3ぐらい増えると恐らく60万回は超えてくると思います。これに加えて、医療従事者への接種回数の十数万回が乗ってきますので、1日の接種回数は今のところ80万回程度は達成していると思います。これ以外にVRSにまだ入力ができていない横須賀市や所沢市等の大きな自治体が恐らく1日に数千回ほど接種していると思います。実力で80万回程度は達成していると思いますので、100万回を目指してしっかり頑張っていきたいと思っております。職域接種にも期待しております」

 VRSは接種した日付、接種対象者の性別、年齢等の個人の接種履歴を入力、これらに基づいて接種回数が算出されるはずだから、入力遅れが日を跨いでいたとしても、接種した日付に戻して接種合計数を計算しなければならないはずだが。河野太郎は増分が100万回を超えた何だと意味もないことを言っている。大体が何日の増分は何回だと計算できること自体が接種した日付が入力されているからで、それを無視して入力した日付の接種回数に上乗せること自体、おかしな計算方法となる。

 菅義偉が「1日100万回だ」何だと言っているから、無理に合わせようとしているとしか見えない。要するに「実力で80万回程度は達成していると思いますので、100万回を目指してしっかり頑張っていきたいと思っております」と発言しているところが正直な回数なのだろう。

 1日の摂取回数を正確に把握できていないことは国の情報管理という点で問題はあるが、2021年6月17日時点で「累計の接種回数は2700万回を超え、1度でも接種した人の数は2000万人を超えました」としている発言から累計の接種回数2700万回から計算しても、日本の2016年10月1日現在の推計全人口1億2693万3千人で、人口の21%しか摂取できていないことになる。

 6月12日以降のいつかの時点で1日100万回を超え、さらに110万回に達するかもしれないが、均すことにして6月12日以降1日100万回で計算すると、7月末まで50日×100万回=5000万回。この5000万回に先の2700万回をプラスすると、7700万回。全人口の約60%が7月末までに少なくとも合計の接種を終えている計算になる。

 但しこの60%が確実な数字になるかどうか、この記者会見での記者との質疑から見てみる。

 山本文化放送記者「総理にワクチンに関連してお話をお伺いしたいと思います。先ほど、総理が1週間で730万回を超えて1日平均で総理が目標に掲げた100万回を達成したと明らかにされました。また、職域接種もスタートし、今後は若い人も含めて接種を加速するお考えのようですが、そうなりますと、国民の5割接種も視野に入ってきたのではないかと考えられます。いつ頃5割接種実現する見通しなのか、その点についてお聞かせいただきたいのと、また、インド株への懸念があるものの、5割接種が実現できれば、様々制限を受けている社会経済活動に具体的にどのような希望の光が見えてくるのか、総理の見解をお聞かせください」

 この5割接種は2021年5月28日の「菅記者会見」(首相官邸)で毎日放送の三澤記者が集団免疫という言葉は使わずに感染率低下の線引を「日本国民の半分、50パーセントの接種」に置いて、50パーセント接種達成の明確な期限の提示を求めたのに対して菅義偉は期限については答えずに「イギリスでは1回目を5割打ったら大体ものすごい効果が出たということで、今、マスクなしにしていますけれども」云々と、1回目の接種で国民の5割接種後に感染抑止の大きな効果が出ていること、マスク無しの生活ができていることを伝えていて、1回目のみの5割接種でも感染防止効果が大きいことを示唆している。こういったことをいつか発言していて、このことに基づいた1回目接種5割に置いた一応の集団免疫説なのかもしれない。

 一般的には多くのワクチン接種によってそれぞれが免疫を持ち、感染が広がりにくくなる集団免疫を獲得するのは国民の70%接種が必要とされているが、記者、菅義偉、両者共に国民の1回目接種50パーセントを一応の集団免疫の基準としていることになる。

 となると、先の計算での7月末合計接種回数国民の約60%で少なくとも1回目接種5割接種の達成に近づいている可能性は出てくる。

 菅義偉「先ず、ワクチン接種については、関係者の皆さんの多大な御協力いただく中で、極めて速いペースで進捗しているというふうに理解しております。先ほど申し上げましたように、直近1週間では730万回、1日平均100万回を超えるペースで増え続けています。昨日までに2700万回を超えております。

 希望する国民の半分の方が接種される時期については、現時点で明確な数字を持っているわけではありませんので、ただ、今のペースで増え続けた場合、今月中に4000万回を超える見込みであり、7月末までに希望する高齢者の皆さんには2回接種できる、こうした報告も受けています。

 さらに、これ21日から大学や職域、産業医の先生方を中心に、そうしたところで接種も始まります。一番新しい数字では既に3,123か所、1,280万人分、そうした申請もあるというふうに報告を受けました。

 いずれにしろ発症や重症化予防の高い効果というのは、このワクチンには世界の例からしても見込まれますので、いずれにしろ重症化リスクの高い高齢者の皆さんへの接種が進むことで、医療の負荷というのは大幅に減るだろうと、こういうふうに予測しております。

 さらに、ワクチン接種が進むことで状況が一変して皆さんが街に出てにこやかな顔で食事している、そうした海外の映像を見る度に、一日も早く、ああした日を日本も取り戻すことができればなという、そういう思いの中で、私自身、全力で取り組んでおります」

 菅義偉はこの記者会見でも、5割接種の明確な時期について答弁を避けている。2021年6月16日の時点で2700万回。残る14日間の6月中に「4000万回を超える見込み」と言うことなら、1日接種回数100万回の計算となって、合計4100万回となる。当然、オリンピック初日の2021年7月23日までの23日間に1日100万回と計算したとしても、2300万回。合計6400万回。人口の50%に届くことになるが、2度接種者が入っているから、1回接種者は50%を割るかもしれないが、5割接種を一応の集団免疫の基準とするなら、相当な接種人数となる。

 但し1日100万回の接種で「今月中に4000万回を超える見込み」と割り出すことができるなら、ファイザーのワクチンは1回目から3週間後が2回目の接種、モデルナ社のワクチンは1回目の接種から4週間後が2回目の接種となっているから、VRSの個人の接種履歴に基づいてそれぞれのワクチンの2回目接種までの間隔日数を入力していけば、5割接種が見通せるはずだが、見通せないこと、あるいは見通さないことはやはり情報管理という点で問題が生じる。

 菅義偉はワクチン接種を感染対策の切り札とし、5割接種を一応の集団免疫に置いていながら、集団免疫への確約となると歯切れが悪くなる。

 テレビ東京篠原記者「総理と尾身先生にお伺いいたします。総理は、先日の党首討論で、11月までには希望する人全てのワクチン接種を完了させるとのメドを示されましたが、この時点で集団免疫は獲得できるという認識でしょうか」

 党首討論で菅義偉は立憲民主党代表枝野幸男に対して「今年の10月から11月にかけては必要な国民、希望する方全てを終える、そうしたことも実現したいというふうに思います」と答弁している・

 菅義偉は「今回のワクチンについては発症予防や重症化予防の効果が期待されており、正に感染対策の切り札だと言っても言い過ぎではないと思います。一方で、ワクチンの感染予防効果については現時点で明らかになっていないものの、前向きな評価や調査研究があるというふうに承知しています」と前置きして、相変わらず、直近1週間、7日間で730万回となった、1日の摂取回数が100万回を超えたとか、摂取回数を言うだけで、集団免疫については「まず尾身先生に聞いて、専門家の先生はあまり申し上げていないのですけれども、そうした(集団免疫の)体制にはどんどんどんどんと近づいていくと、こういうふうに思っています」と自らは明確に答えずに尾身茂に説明を任せている。

 政府分科会会長の尾身茂は2021年5月28日の菅記者会見では「集団免疫というような状況、そのような状況ですよね。感染がどんどん下がるというような状況がなるべく早くするために、オールジャパンで(ワクチン接種に)努力すべき、今、時期だと思います」と集団免疫に肯定的な意見を持たせていたが、ここでは10月、11月にワクチンの接種率が上がったとしても、若者の接種率が高齢者の接種率程上がらない可能性から小さなクラスターが起きるかも知れないが、現在以上に感染の防御がしやすくなるといった説明をしている。

 このように姿勢が変わった理由は続けた発言から窺うことができる。

 尾身茂「(接種が進めば)安心感はある。(感染が置きたとしても)コントロールしやすいけれども、既に全員が、実は皆さん御承知のようにイギリスはワクチンの接種率が非常に高いですよね。しかし、そこで急にロックダウンなんかを解除すると、あっという間に新規の感染者が増えていますから、あれだけの接種率をやっても、人々の行動次第では、たまたまイギリスはまだ重症者とか死亡者は抑えられていますけれども、ともかく新規の感染者は、あれだけ行っていてもですよね。社会の行動、人々の意識あるいは政府の対応の仕方、自治体の対応の仕方ではすぐに行ってしまう(感染がすぐに拡大してしまう)ので、私は、そこは、(ワクチン接種が進めば)安心はするのだけれども、急に解除みたいなことはしないでやった方がいいと思います」

 ワクチン接種率の高さが必ずしも感染防止に繋がらないことを理由に行動規制の緩和時期決定の重要さについて警告を発している。

 先ずはイギリスの接種率を見てみる。2021年5月24日付「BBCニュース」がイギリスでは2021年5月22日に1回目の接種が3794万3681人、2回目の接種が2264万3417人となったと英健康安全庁(UKHSA)2021年5月23日発表を伝えている。イギリスの2020年の人口は約6790万人。国民の半数を超えて、1回目の接種率56%ということになる。

 記事は、〈イギリスでは22日、1回目あるいは2回目のワクチン接種を受けた人の数が76万2361人と、1日あたりの接種数としてはこれまでで2番目に多かった。〉と伝えているから、2021年5月23日の英健康安全庁の発表から、この記者会見までの25日経過を計算に入れると、1日平均接種50万回と見積もったとしても、1250万回。国民の70%近くの国民が少なくとも1回目と2回目を合わせた接種を終えていることになる。成人の43%が2回の接種を完了したとの報道もイギリスでの接種の進み具合を示している。

 但し記事はワクチン接種がインドで確認された変異株に効果を持たせるためには2回の接種完了が必要だとする英健康安全庁トップの警告を伝えている。

 この警告が実際の形を取ることになった。6月17日菅記者会見から2日前の2021年6月15日付の「NHK NEWS WEB」

 〈インドで確認された変異ウイルスによる感染が国内で急速に拡大しているとして、新型コロナウイルス対策の規制をほぼ撤廃する計画をおよそ1か月延期すると発表しました。〉というものである。

 イギリスのイングランドでは新型コロナウイルス対策として続けてきた規制を今年3月から段階的に緩和、6月21日にはナイトクラブの営業などほぼすべての規制が撤廃される見通しだったが、5月以降、インドで確認された変異ウイルスのデルタ株が急速に拡大、新たな感染の90%以上を占めることになって、ここ1週間程は1日の感染者が7000人を超える日が続いたため、ジョンソン首相は6月14日、規制の撤廃を7月19日に延期すると発表した。

 ジョンソン首相「規制を撤廃すれば、ウイルスがワクチン接種のスピードを上回り、数千人が犠牲になる事態が現実に起こりうる。ウイルスは根絶できず共生しなくてはならない」

 但し記事はイギリスの保健当局がデルタ株に対してはワクチンの2回接種は有効だという見解を示していて、7月19日までに18歳以上の国民のおよそ3分の2に2回の接種を完了させるため、接種の間隔を短縮するなど対応を急ぐ方針だと伝えている。

 と言うことは、菅義偉が2021年5月28日の記者会見で発言した「イギリスでは1回目を5割打ったら大体ものすごい効果が出たということで、今、マスクなしにしていますけれども」云々の発言、1回目接種5割に置いた一応の集団免疫説は全くの無効となる。このことと2021年6月15日付「NHK NEWS WEB」記事を読むか、教えられるかして、菅義偉は「今回のワクチンについては発症予防や重症化予防の効果が期待されており、正に感染対策の切り札だと言っても言い過ぎではないと思います」としながらも、「一方で、ワクチンの感染予防効果については現時点で明らかになっていないものの、前向きな評価や調査研究があるというふうに承知しています」と感染予防効果は否定しないものの、その効果は明確に証明れていないことを以って集団免疫について曖昧な態度を取ることになったのだろう。

 尾身茂のイギリスを例に取ったワクチン接種率の高さが必ずしも感染防止に繋がらないことと、そのこととの関連で訴えた行動規制の緩和時期決定の重要性は尾身茂を含めた総勢26名の専門家で纏め、政府と大会組織委員会に提出した「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会開催に伴う新型コロナウイルス感染拡大リスクに関する提言」(NHK NEWS WEB/2021年6月18日 20時20分)の中でも述べられている。

 〈2 世界の感染状況

・世界の新型コロナの感染状況をみると、今もなお、1日あたり約40万人の感染者と約1万人の死亡者が報告されています。北半球では、特にアジアのこれまで感染者の少なかった国でも感染者が急増する国が見られています。南半球のアフリカ・南アメリカの多くの国々では、感染者の増加傾向が見られています。

・北半球のうち、欧州や北米などの先進国では、感染者数が減少しています。ワクチン接種の促進が感染者数の減少に貢献したことは事実ですが、そのほかにも各国で取られてきたロックダウン等の対策や気候など、様々な要因が影響したと考えられるため、ワクチン接種がすべてではないことに留意すべきです。実際にワクチン接種が相当程度進んでいる英国でも、感染者の増加は確認されているため、今後の動向には注意が必要です。〉――

 「ワクチン接種の促進が感染者数の減少に貢献したことは事実だが、・・・・・ワクチン接種がすべてではないことに留意すべきである」と、ワクチンに頼り切ることの危険性を訴えている。

 となると、いくらワクチン接種が進んだとしても、オリンピック開催時も、開催後も、10月になるのか、11月になるのか、2回目接種が終わるまで、菅義偉が記者会見冒頭発言の最初の方で述べていた「感染防止とワクチン接種の2正面作戦」は続けるべきであり、菅義偉がワクチン接種がさも進んでいる例として報告を受けていると何度も挙げている「7月末には希望する高齢者への2回の接種が完了する見込み」も、他の大多数の2回接種が進まない限り、高齢者の重症化は少ないかも知れないが、2回接種完了していな他者への感染、重症化という懸念は完全には払拭しきれないことになる。

 こういったことからだろう、専門家の提言はオリンピックは「無観客とすることは、感染拡大のリスクを最も軽減できます」としているが、65歳以上高齢者のみならず、12歳以上国民の大多数がワクチンの2回接種が終わる見込みがない中でのオリンピック・パラリンピックは専門家の提言どおりに無観客とすべきだろう。

7月末には2回接種が完了予定の高齢者が五輪の観客として少数しか見込めないだろうことも無観客とする理由となる。2019年6月3日付「PRTIMES」が取った〈全国の15 歳以上の方に聞いた「東京オリンピック事前抽選申し込みに関する調査」〉

 有効回答数:850 名(一都六県で計500 名:その他の地域で計350 名)
 アンケート全回答者数:8407 名

 Q1. あなたは、2020 年に開催される東京オリンピックの式典や競技などを、実際に会場で見てみたい
と思いますか。(単数回答)【n=8407】

 (nは質問に対する回答者数で,100%が何人の回答に相当するかを示す比率算出の基数)

(希望年代別観客層)

「どちらでもない」は無関心派、「見たいと思わない」と「全く見たいと思わない」は拒絶派と見て、除くことにする。60代以上は「とても見たいと思う」が9.6%で、「見たいと思う」が24%の合計33.6%と最も少ない。観客という立場に立った場合、65歳高齢者の2回接種は他への影響は逆に最も少なくなって、無観客とすべき一つの理由となる。

 危機管理の常道から言っても、1回の摂取ではワクチン接種の効果が出るのかは疑わしい以上、無観客にすべきだろう。
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