菅義偉の「雪深い秋田の農家の長男に生まれた」がウリの庶民性はとんだ食わせ者の日本学術会議推薦会員候補6人任命拒否の思想統制

2020-10-05 06:27:02 | 政治
 菅義偉の日本学術会議候補委員6人任命拒否の直近の騒動に関わるこのブログ記事はマスコミ報道をほぼ纏めたもので、ほんの少したいして役にも立たない自分の考えを述べている。

 先ず2020年10月1日午後、各マスコミは10月1日から任期開始の日本学術会議新会員の6名を菅義偉が任命拒否したと伝えた。初めて知ったことがだ、「日本学術会議法」というのがあって、新会員は日本学術会議が推薦、その推薦どおりに首相が任命する仕組みになっているという。その6人というのは特定秘密保護法批判、安全保障関連法反対、安倍式9条改憲反対、改正組織犯罪処罰法案批判の態度を示してきた学者たちだという。

 2020年10月1日付「東京新聞」が拒否の経緯を画像に纏めているから、参考引用しておくことにする。

 要するに任命拒否された学者は安倍晋三の復古主義的国家主義思想に反対の面々ということになり、後継の菅義偉が任命拒否したということは安倍政治のみならず、安倍晋三の復古主義的国家主義思想をも引き継いで、任命拒否に法的正当性の有無に関わらず自分たちの政治思想に反する学者を排除し、一種の思想統制を謀ったことになる。

 簡単に言うと、思想面で気に入らない者は遠ざけ、気にいる者のみを近づける。このようなことは法律に縛られている人事については到底、許されない。法律に縛られない人事、例えば国家主義者団体日本会議は法律に縛られているわけではないから、特定の思想に基づいて誰を会員にするか、誰を役員にしないかは自由である。日本会議の国会議員懇談会が安倍晋三と麻生太郎を特別顧問にしようがしまいがお好きにどうぞである。

 先ず「日本学術会議法」の主な規定を拾ってみる。文飾は当方。

 「第2章 職務及び権限」

 第3条 日本学術会議は、 独立して左の職務を行う。
一 科学に関する重要事項を審議し、 その実現を図ること。
二 科学に関する研究の連絡を図り、 その能率を向上させること。

 日本学術会議は独立機関だと謳っている。独立機関である以上、「職務及び権限」が第三者の介入を受けて許した場合、第三者のヒモ付きとなって、独立機関足り得ないことになる。当然、会員任命の人事に関しても第三者の介入を受けて許した場合、独立機関としての意味を成さないことになる。

 「第3章 組織」

2 会員は、 第17条の規定による推薦に基づいて、 内閣総理大臣が任命する。

 「第17条」とは、〈日本学術会議は、 規則で定めるところにより、 優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。〉とあって、人事に関しても独立機関としての意味を成すためには日本学術会議の推薦に基づいて政府は内閣総理大臣任命という格付けを与えるに過ぎないことになる。いわば内閣総理大臣任命は取捨選択はできない法律の建付けとなっている。

 こういったことが「日本学術会議法」に対する一般的な法解釈であろう。ところが菅義偉も、官房長官の詭弁家加藤勝信も、任命拒否を「法律に基づいた人事だ」と言っている。

 京都弁護士会所属弁護士渡辺輝人氏が、「菅総理による日本学術会議の委員の任命拒絶は違法の可能性」(Yahoo!ニュース/2020年10月1日)と題した記事の中で2020年10月1日午前の官房長官加藤勝信の記者会見発言を紹介しているから、参考引用させて貰う。

 朝日新聞キクチ記者「重ねてお伺いします。今回任命に至らなかった理由として、今、明確な理由はないように私は受け取りましたけど、首相の政治判断で任命しなかったと理解してもいいんでしょうか。またあの、もしそうであれば、憲法が保障する学問の自由の侵害に当たると思うんですけれども、官房長官のご認識を」

 加藤勝信「まず一つは、個々の候補者の選考過程、理由について、これは人事に関することですから、これはコメントは差し控えるということはこれまでの対応であります。それから、先ほど申し上げたように、日本学術会議の目的等々を踏まえて、当然、任命権者であるですね政府側が責任を持って行っていくってことは、これは当然のことなんではないかという風に思います。で、その上で、学問の自由ということでありますけれども、もともとこの法律上、内閣総理大臣の所轄であり、会員の人事等を通じて一定の監督権を行使するっていうことは法律上可能となっておりますから、まあ、それの範囲の中で行われているということでありますから、まあ、これが直ちに学問の自由の侵害ということにはつながらないという風に考えています」

 要するに安倍晋三・菅義偉・加藤勝信等一派は「日本学術会議法」について「会員の人事等を通じて一定の監督権を行使するっていうことは法律上可能となっている」と法解釈していることになる。

 「法律上可能」と法解釈するためには可能と解釈し得る文言の所在を指摘しなければならない。「ここにこれこれこういうことが書いてある。依って一定の監督権を行使することに何の差し障りもない」と説明し、その説明の正当性を周囲に納得させ得て初めて、任命拒否は妥当性を持つ。ところがそういった説明は一切なしで「法律上可能」を一方的に言い立てている。

 国家の上層に位置する政治集団によるこのような説明を尽くさない一方的な言い立ては民主主義を蔑ろにする独裁・専横の意思を僅かなりとも潜ませていないと成り立たせ得ない。

 「日本学術会議法」には政府による会員の人事等を通じた一定の監督権行使を可能と解釈し得る文言はどこにもない。単に「法律上可能」を一方的に主張しているに過ぎない。一方的に主張すれば、主張していることの正当性・妥当性を獲ち得るとする態度は国民に対して丁寧な説明をするという謙虚さを欠き、政府を何でもかんでも正当づけるための強弁を働いているに過ぎないことになる。要するに国民をバカにしている。安倍晋三や菅義偉、加藤勝信等にはふさわしい態度であろう。

 渡辺輝人氏の記事が加藤勝信の発言と1983年(昭和58年)11月24日の参議院文教委員会での国会答弁との矛盾を指摘していることに案内されて、質疑を国会会議録検索システムから参照、関係箇所を列記することにしたが、渡辺輝人氏とは列記箇所が異なるところもあるから、異なりについては渡辺輝人氏の記事を参照して貰いたい。

 1983年11月24日の参議院文教委員会

 吉川春子(共産党参議院議員 2007年7月引退)「日本学術会議の発会式、昭和24年の1月のことでございますが、その中で総理大臣(吉田茂)の祝辞として次のように述べられているわけです。

 まず、『新しい日本を建設することを決意した私どもは、単に自国の平和と自国民の幸福をはかるのみならず、文化の発達、なかんずく科学の振興を通じて、世界の平和と人類社会の福祉に貢献しようとする大きな理想を持たなければなりません。まことに科学の振興こそ新日本再建の基礎であると共にその目標であると思うのであります』と述べまして、そしてその『日本学術会議は勿論国の機関ではありますが、その使命達成のためには、時々の政治的便宜のための制肘(わきから干渉して人の自由な行動を妨げること。goo国語辞書)を受けることのないよう、高度の自主性が与えられておるのであります』と、こういうふうにこのときの総理大臣自身が述べているわけですが、そういうことも踏みにじって今度の法改正を急ぐ。

 これは、政府の意のままに動く学術会議にしようとする、悪く言えば御用機関化しようとする何物でもないというふうに思うわけです。そういう意味では学術会議の自主性尊重、自主改革尊重と言ってきたのはウソだったのじゃないかと、そういうことがこういう経過で明らかになっているんじゃないかというふうに思うんですが、今度の法の改正の中で、政令事項についても、政令事項に大分任されているわけですけれども、学術会議と相談しながら進めると言っておりますけれども、いままでのこういう経過を見てくると、もう学術会議の意思を踏みにじって政令も何か決められちゃいそうな懸念があるんですけれども、その点長官、いかがですか」

 丹羽兵助(総理府総務長官)「ただいま、これが設立された当時の総理が、そのお祝いの席で述べられた挨拶でございますか、それはその気持ちと、そして学術会議がこういう性格のものであるというようなはっきりしたことを言っておられますが、そのことについてはいまも私は少しも変わった考えは持っておりません。あくまでこれは国の代表的な機関であると、学術会議こそ大切なものだという考え方、政府がこれに干渉したり中傷したり運営等に口を入れるなどという考えは、少しも、ただいま申し上げましたように、総理がその当時言われたことと変わってはおりませんし、変えるべきではないと思っております。

 ただ、今度の改正は、そういう大事な学術会議でございますから、学術会議がりっぱに機能あるいは使命を果たしていただくために選出方法を、近ごろいろいろと選出方法について意見も出ておりまするし、また学者離れだ云々というような嫌なことも耳にしておりまするので、今度はいわゆる推薦制にしていこうということでございまして、その推薦制もちゃんと歯どめをつけて、ただ形だけの推薦制であって、学会の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない、そのとおりの形だけの任命をしていく、こういうことでございますから、決して決して総理の言われた方針が変わったり、政府が干渉したり中傷したり、そういうものではない」

 「日本学術会議法」はこの参議院文教委員会が開催された1983年(昭和58年)11月24日4日後の11月28日に何度目かの改正となっている。この改正に「日本学術会議」は昭和58年5月19日の「第89回総会」で反対意思を示している。

 従来の会員公選制を廃止して、全面推薦制の採用となっていること、会議の独立性の制度的保障となっている公選制が全く否定されていること、公選制廃止によって「日本学術会議」の会員外の選挙権を有する23万の学者の意思が活用されないこと等を挙げている。野党も同調することになって、吉川春子議員も改正に対する危惧の念を示すことになったのだろう。

 吉川春子議員は「日本学術会議法」改正は政府による組織の「御用機関化」ではないのか、「学術会議」の意思を踏みにじっているのではないのかと追及。対して、丹羽兵助は吉田茂が昭和24年1月の「日本学術会議」発会式で「時々の政治的便宜のための制肘を受けることのないよう、高度の自主性が与えられておるのであります」と、吉田「総理がその当時言われたことと変わってはおりませんし、変えるべきではないと思っております」と確約、いわば「政府がこれに干渉したり中傷したり運営等に口を入れるなどという考えは」は毛頭ない、高度の自主性尊重に何らの変化はないといった趣旨で政府側の法解釈を示している。

 さらに会員の選定は公選制から推薦制に変わるが、「形だけの推薦制であって、学会の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない、そのとおりの形だけの任命をしていく」歯どめを設けているから、つまり任命を拒否するといった政府側の意思を示すことはないのだから、「決して決して(吉田)総理の言われた方針が変わったり、政府が干渉したり中傷したり、そういうものではない」と、ここでは学会の推薦と任命に関わる法解釈を明確に示している。

 事実、「日本学術会議法」の「第3章 組織」2が〈会員は、 第17条の規定による推薦に基づいて、 内閣総理大臣が任命する。〉となっているのだから、丹羽兵助の答弁は当然の法解釈を示しているのだが、菅義偉も、官房長官の詭弁家加藤勝信も、1983年当時の政府の「形だけの任命をしていく」、いわば “任命をそのまま受け入れる”とする法解釈を違えて、法律上可能となっている一定の監督権行使可能に基づいた任命拒否、いわば“任命どおりとはしない”とする法解釈を示していることになる。

 同じ法律でありながら、こうも正反対の法律解釈を可能とし得る根拠を政府という立場上、当然、国民に対して説明責任を負うことになる。だが、加藤勝信は詭弁家らしく、懇切丁寧な具体的説明はしないままに「会員の人事等を通じて一定の監督権を行使するっていうことは法律上可能となっておりますから」と一方的に言い立て、「人事に関することですから、これはコメントは差し控えるということはこれまでの対応であります」と、法律解釈でありながら、説明責任放棄を貫き通して正々堂々・平然としていられる。

  加藤勝信が一定の監督権行使可能の主張を何に依拠させているのか、教えている記事がある。参考のために全文引用することにした。

 〈18年にも任命拒否検討 内閣府、法制局に法解釈照会「拒否できるでいいか」〉(毎日新聞2020年10月3日 20時40分)

 菅義偉首相が科学者の代表機関「日本学術会議」から推薦された新会員候補6人を任命しなかった問題に関し、内閣府は2018年と今年9月の2回にわたり、任命権を巡る日本学術会議法の解釈を内閣法制局に照会していた。このうち、18年は「任命は拒否できるということでいいか」と尋ねており、この際も任命拒否を検討していたことになる。政府関係者が3日、明らかにした。菅政権と第2次安倍政権より前は学術会議の推薦通りに任命されているため、法解釈や運用が変更された可能性がある。

 日本学術会議法は17条で「優れた研究・業績がある科学者のうちから会員候補者を選考し、首相に推薦する」と定め、7条で「推薦に基づき首相が任命する」としている。中曽根康弘首相(当時)は1983年の参院文教委員会で「実態は各学会が推薦権を握っている。政府の行為は形式的行為」などと答弁。このため、学会側が実質的な任命権を持つとの法解釈が成り立つという指摘がある。

 内閣法制局は2日、立憲民主党など野党が国会内で開いた合同ヒアリングで、18年に内閣府から照会があったと認め、「法令の一般的な解釈ということで内閣府から問い合わせが来て、解釈を明確化させた」と説明した。今年9月2日にも内閣府から口頭で照会があり、「18年の時の資料を踏まえ変更はない」と回答したという。

 ただし、18年の照会で「明確化させた」という法解釈について、政府は詳細な説明を避けている。加藤勝信官房長官は今月2日の記者会見で、照会の中身について「推薦と任命に関する法制局の考え方が整理されていると承知している」と述べるにとどめた。

 政府関係者によると、18年の照会は会員の補充人事の際のもので、「学術会議から推薦された候補を全員任命しなければならないわけでなく、拒否もできるということでいいか」という趣旨だったという。16年の補充人事の際にも政府が複数の候補者を差し替えるよう求めたが、学術会議が応じず、一部が欠員のままになった経緯がある。

 野党合同ヒアリングでの内閣府の説明によると、今回の新会員人事は内閣府が9月24日に推薦候補者リストを起案し、28日に首相官邸が決裁した。内閣府は6人の名前が削除された時期や理由は明らかにしなかった。【佐藤慶、宮原健太】

 要するに内閣府は、安倍晋三の指示と、菅義偉の指示も受けてのことなのだろう、内閣のトップの指示なくして内閣府が動くわけはない、2018年と今年2020年の9月の2回に亘って内閣法制局に対して任命権を巡る日本学術会議法の解釈を照会したと政府関係者が10月3日に明らかにした。

 〈2018年の照会は会員の補充人事の際のもので、「学術会議から推薦された候補を全員任命しなければならないわけでなく、拒否もできるということでいいか」という趣旨だった〉。2020年の9月の紹介内容は6人の任命拒否の結果を見れば、2018年の紹介内容と同じということになる。

 要するに「日本学術会議法 第3章 組織 2」の、〈会員は、 第17条の規定による推薦に基づいて、 内閣総理大臣が任命する。〉の条文に対して1983年(昭和58年)11月24日の総理府総務長官丹羽兵助の「形だけの推薦制であって、学会の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない、そのとおりの形だけの任命をしていく」、いわば “任命をそのまま受け入れる”とした法律解釈を内閣法制局は “任命をそのまま受け入れなくてもよい”とする法解釈に変え、任命拒否可能のお墨付きを菅内閣に与えたことになる。

 当然、このような法解釈の変更による任命拒否可能のお墨付きに正当性があるか否かの問題が生じる。記事が、〈内閣法制局は2日、立憲民主党など野党が国会内で開いた合同ヒアリングで、18年に内閣府から照会があったと認め、「法令の一般的な解釈ということで内閣府から問い合わせが来て、解釈を明確化させた」と説明した。〉と伝えていることからして、内閣法制局は法制局としての立場から「日本学術会議法」の推薦に対する総理大臣の任命に関して「法令の一般的な解釈」、いわば一般的な法解釈を示したということになる。

 但し「一般的」という言葉の意味は「特殊な事物・場合についてでなく、広く認められ行き渡っているさま」(goo国語辞書)を言う。法律は内閣や内閣府、内閣法制局のためにあるのではなく、国民のためにあるという点からしても、内閣府にしても、任命拒否可能を広く認められる法解釈とし得るかどうかの観点から内閣法制局に照会しなければならないし、内閣法制局にしても、任命拒否可能を広く認められる法解釈とし得るかどうかの観点から照会に応じなければならないことになる。

 だが、報道を見る限り、菅内閣にのみ認められる法解釈の変更としか見えない。菅内閣の利益を最優先事項とする結果、菅内閣は内閣法制局の法解釈の変更を国民に広く知らさないままに内閣法制局の法解釈の変更一つで任命拒否に出ることになった。しかもこのように国民に広く知らさないという不誠実この上ない保身的な経緯を取りながら、菅義偉も、官房長官の詭弁家加藤勝信も、「法律に基づいた人事だ」と自己正当化を謀り、加藤勝信に至っては任命拒否は「人事に関することですから、これはコメントは差し控えるということはこれまでの対応であります」と、国民に広く知らせることに注力を注がずに、さも慣例となっているかのような薄汚い誤魔化しを言う。

 菅義偉は「雪深い秋田の農家の長男に生まれた」との庶民性をウリにしている。だが、その庶民性に反して内閣法制局の法解釈の変更を国民に広く知らさないままに変更した法解釈で安倍晋三や自身に都合のいい人事を行った。

 しかも任命拒否のその人事たるや安倍晋三の国家主義的強権的政策に反対した学者ばかりである。任命拒否という形で安倍晋三の政治思想を拒絶する学者を排除したのだから、一種の思想統制に当たらないはずはない。ある組織に対する思想統制は共産党元参議院議員吉川春子が同じ言葉を使っているが、その組織に対する御用機関化の意思なくして成り立たない。

 御用機関化の意思を潜ませた思想統制の片棒を菅義偉は担いだ。「雪深い秋田の農家の長男に生まれた」だと。とんだ食わせ者としか言いようがない。

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菅義偉の「縦割りの打破」は本質的な起因に気づかなければ、安倍晋三の「縦割り打破」と同じくお題目で終わる

2020-09-28 08:26:01 | 政治
 文飾は当方。
 
 菅義偉は総裁選に立候補するに当たって、あるいは当選してからも、メイン中のメインの政策として「自助、共助、公助」を国の基本政策に掲げると同時に「縦割りの打破」を勇ましくも掲げた。ご立派。

 先ず2020年9月2日の「総裁選出馬会見」から「縦割りの打破」についての発言を見てみる。

 冒頭発言。

 菅義偉「世の中には、数多くの当たり前でないことが残っております。それを見逃さず、国民生活を豊かにし、この国がさらに力強く成長するために、いかなる改革が必要なのか求められているのか。そのことを常に考えてまいりました。

 その一つの例が、洪水対策のためのダムの水量調整でした。長年、洪水対策には、国土交通省の管理する多目的ダムだけが活用され、同じダムでありながら、経済産業省が管理する電力ダムや農林水産省の管理する農業用のダムは、台風が来ても、事前放流ができませんでした。このような行政の縦割りの弊害をうちやぶり、台風シーズンのダム管理を国交省に一元した結果、今年からダム全体の洪水対策に使える水量が倍増しています。河川の氾濫防止に大きく役立つものと思います」

 質疑

 記者「菅義偉首相として目指す政治は、安倍晋三政権の政治の単なる延長なのか。違うのであれば、何がどう違うのか」

 菅義偉「今私に求められているのは、新型コロナウイルス対策を最優先でしっかりやってほしい。それが私は最優先だと思っております。それと同時に、私自身が内閣官房長官として、官房長官は、役所の縦割りをぶち壊すことができる、ある意味でただ1人の大臣だと思っていますので。そうした中で私が取り組んできた、そうした縦割りの弊害、そうしたことをぶち破って新しいものを作っていく。そこが私自身はこれから多くの弊害があると思っていますので、やり遂げていきたい、こういうふうに思ってます」――

 「日本記者クラブ自民党総裁選立候補者討論会」(産経ニュース/ 2020年09月12日)
 
 菅義偉「最初のこの危機(コロナ禍)を乗り越えて、デジタル化やあるいは少子高齢化対策、こうした直面する課題の解決に取り組んでいきたい。このように思ってます。私が目指す社会像というのは『自助・共助・公助、そして絆』であります。まず自分でやってみる。そして地域や家族がお互いに助け合う。その上で、政府がセーフティーネットでお守りをします。さらに縦割り行政、そして前例主義、さらには既得権益、こうしたものを打破して規制改革を進め、国民の皆さんの信頼される社会を作っていきます」

 「本日、自由民主党総裁に就任いたしました」で始まっている、菅義偉オフィシャルサイト(意志あれば、道あり/2020-09-14)
  
 菅義偉「私自身横浜の市会議員を2期8年経験しています。常に現場に耳を傾けながら、国民にとっての当たり前とは何か、ひとつひとつ見極めて仕事を積み重ねてきました。自由民主党総裁に就任した今、そうした当たり前でない部分があれば徹底的に見直し、この日本の国を前に進めていきます。

 特に、役所の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義を打破し、規制改革をしっかり進めていきます。

 そして国民のために働く内閣というものをつくっていきたい、その思いで自由民主党総裁として取り組んでまいります」

 「首相就任記者会見」(首相官邸/2020年9月16日)でも、同じことを言っている。

 菅義偉「私が目指す社会像、それは、自助・共助・公助、そして絆であります。まずは自分でやってみる。そして家族、地域でお互いに助け合う。その上で政府がセーフティーネットでお守りをする。こうした国民から信頼される政府を目指していきたいと思います。そのためには行政の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義、こうしたものを打ち破って、規制改革を全力で進めます。国民のためになる、ために働く内閣をつくります。国民のために働く内閣、そのことによって、国民の皆さんの御期待にお応えをしていきたい。どうぞ皆様の御協力もお願い申し上げたいと思います」

 要するに「役所の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義を打破」することが「国民のために働く内閣」に繋がっていくと請け合っている。
 
 結構毛だらけ猫灰だらけである。菅義偉は機会あるごとに「縦割りの打破」を叫んでいるが、安倍晋三も「縦割りの打破」を言ってきた。数々言っているけれども、お題目で終わっている事例としていくつかを拾い上げてみる。

 2013年1月4日「安倍晋三年頭記者会見」(首相官邸)
 
 安倍晋三「昨年、就任最初の訪問地として迷わずに福島県を選びました。先般の視察では、事故原発の現状といまだに不自由な暮らしを余儀なくされている被災者の皆様の声に触れました。復興を加速しなければならないとの思いを強くいたしました。これまで縦割り行政の弊害があり、現場感覚が不足をしていました。根本大臣の下で除染や生活再建などの課題に一連的に対応し、スピーディに決定、実行できる体制を整えました。経済対策においても、復旧・復興に思い切って予算を投じ、福島再生、被災地の復興を加速させていきます」

 「縦割り行政の弊害」が被災地復興のスピードアップの阻害要因として横たわっていることを認識している。当然、あらゆる知恵を動員して、行政組織に向けたその打破に心砕き、実効ある措置を講じる姿勢を見せたことを意味する。

 当然、その成果如何は何らかの形を取らなければならない。 

 「安倍晋三東日本大震災二周年記者会見」(首相官邸/2013年3月11日)
  
 安倍晋三「現場では、手続が障害となっています。農地の買取りなど、手続の一つ一つが高台移転の遅れにつながっています。復興は時間勝負です。平時では当然の手続であっても、現場の状況に即して復興第一で見直しを行います。既に農地の買取りについては簡素化を実現しました。今後、高台移転を加速できるよう、手続を大胆に簡素化していきます。これからも課題が明らかになるたびに、行政の縦割りを排して一つ一つきめ細かく手続の見直しを進めてまいります」

 改めての「縦割りの打破」の宣言ということになる。「縦割り」が如何に根深く巣食っているか証明するものの、その根深さに対抗する意志を同時に露わにしているのだから、それなりの「縦割りの打破」の成果を上げなければならない。

 「第3次安倍改造内閣発足記者会見」(首相官邸/(2015年10月7日) 

 第2次安倍内閣発足から3年近く経過している。 
 
 安倍晋三「本日、内閣を改造いたしました。この内閣は、『未来へ挑戦する内閣』であります。

    ・・・・・・・・・・

 誰もが結婚や出産の希望がかなえられる社会をつくり、現在1.4程度に低迷している出生率を1.8にまで引き上げる。さらには、超高齢化が進む中で、団塊ジュニアを始め、働き盛りの世代が一人も介護を理由に仕事を辞めることのない社会をつくる。

 この大きな課題にチャレンジする。そのためには霞が関の縦割りを廃し
、内閣一丸となった取組が不可欠です。大胆な政策を発想する発想力と、それらを確実に実行していく強い突破力が必要です。司令塔となる新設の一億総活躍担当大臣には、これまで官房副長官として官邸主導の政権運営を支えてきた加藤大臣にお願いいたしました。女性活躍や社会保障改革において、霞が関の関係省庁を束ね、強いリーダーシップを発揮してきた方であります」

 「縦割りの弊害」が生じているのは被災地と連絡を持つ行政だけではなく 
全ての官公庁に横たわる、つまり霞が関全体に亘る問題だと、病根の根深さを仰っている。

 当然、腰を据えて「縦割りの打破」に取り組んできたことになる。

 8日後の2015年10月15日、安倍晋三は一億総活躍推進室を発足させ、看板掛けと職員への訓示を行っている。参考までに画像を載せておく。

 安倍晋三「今日から、この『一億総活躍推進室』がスタートしたわけでございます。皆様方には、その一員としての未来を創っていくとの自覚を持って、省庁の縦割りを排し、加藤大臣の下に一丸となって、正に未来に向けてのチームジャパンとして頑張っていただきたいと思います。

 名目GDP600兆円も、希望出生率1.8の実現も、そしてまた、介護離職ゼロも、そう簡単な目標ではありません。しかし、今目標を掲げなければならないわけでありますし、目標を掲げていくことによって、新たなアイデアも出てくるわけでありますし、新たな対策も生まれてくるわけであります。どうか皆様方には、知恵と汗を絞っていただきたいと思います」

 如何なる政策の遂行も、その実効性、その成果にしても、全ては「縦割りの打破」にかかっていることを示唆している。

 第2次安倍政権の7年8ヶ月の間、安倍晋三はかくまでも「行政の縦割りの打破」に執心し、安倍内閣の全面継承を掲げた菅義偉は痩せ馬の先っ走りよろしく、首相就任前から早々に「行政の縦割りの打破」を言い立てた。

 では安倍晋三は任期7年8ヶ月の間にどれ程の成果を「縦割りの打破」に関して収めたのだろうか。

 先ず既に触れているように菅義偉は「総裁選出馬会見」質疑の対記者答弁で、「官房長官は、役所の縦割りをぶち壊すことができる、ある意味でただ1人の大臣だと思っています」と大胸を張っている。あるいは鼻を高くしている。

 菅義偉は第2次安倍内閣2012年12月26日発足と同時に内閣官房長官に就任、菅内閣2020年9月16日発足前に官房長官を辞任、安倍晋三の首相就任期間と同じく7年8ヶ月を官房長官として務め上げた。7年8ヶ月もの間、「役所の縦割りをぶち壊すことができる、ある意味でただ1人の大臣」として務めてきた上に自民党総裁選立候補の段階から、「縦割りの打破」を言い立ててきた。

 この言い立てが何を証明しているかと言うと、安倍晋三が第2次安倍政権の7年8ヶ月の間に掲げてきた「縦割りの打破」が「役所の縦割りをぶち壊すことができる、ある意味でただ1人の大臣」として課せられていた菅義偉の力量及ばず、お題目で終わってしまったということであろう。

 安倍晋三にしても、「縦割りの打破」に役立てる程には菅義偉を使いこなす力量がなかったことになる。

 お題目で終わっていたから、菅義偉は再度、「縦割りの打破」を掲げなければならなかった。だとしても、7年8ヶ月もの間役立たなかった力量が新規蒔き直しで役立つ保証をどこに求めることができるのだろうか。

 菅義偉は2020年9月25日に首相官邸で「復興推進会議」を開催している。(首相官邸/)
  
 菅義偉「来年3月で、東日本大震災の発災から10年の節目を迎えます。これまでの取組により、復興は着実に進展している、その一方で、被災者の心のケアなどの問題も残されております。そして福島は、本格的な復興・再生が始まったところであります」

 安倍晋三も東日本大震災の被災に触れる際には2015年3月頃から、「健康・生活支援、心のケアも含め、被災された方々に寄り添いながら、さらに復興を加速してまいります」などと、「心のケア」について何度も言及してきている。だが、2020年9月25日の時点で2011年3月11日の発災から9年半も経過していながら、まだ、「被災者の心のケアなどの問題」が残されている。それがどのような心のケアに関わる問題点として横たわっているのか、復興政策そのものに問題があるのか、国と自治体、あるいは国と被災者の間に存在する何らかの利害が心のケア解消の阻害要因となっているのか、国民の前に明らかにすべきだろう。明らかにせず、安倍政権が「心のケアの解消」を言い、安倍政権継承の菅内閣が「心のケアの解消」までをも継承したかのように同じことを言う。どこかがおかしい。

 「心のケアの解消」の明確な進展が見えないばかりか、堂々巡りの感さえする。

 上記2020年9月25日の復興推進会議を受けて、新しく官房長官に就任した詭弁家加藤勝信が同じ9月25日に「記者会見」を開き、復興推進会議、その他について説明している。ここでは復興推進会議についてのみを取り上げる。

 加藤勝信「本日閣議後、組閣後初となる復興推進会議を開催いたしました。会議では、平沢復興大臣から復興の状況についての説明があり、総理から、『東北の復興なくして、日本の再生なし』との方針を継承し、引き続き『現場主義』に徹して、復興を更に前に進める。『閣僚全員が復興大臣である』との認識の下、行政の縦割りを排し、前例にとらわれず、被災地再生に全力を尽くすとの指示がありました」

 加藤勝信は菅義偉の「指示」として「行政の縦割り排除」に言及した。これも結構毛だらけ、猫灰だらけだが、加藤勝信は2015年10月15日の一億総活躍推進室発足に合わせた安倍晋三の職員への訓示の際、「省庁の縦割りを排し、加藤大臣の下に一丸となって」云々を直接耳にしていたばかりか、第1回一億総活躍国民会議の際、議長安倍晋三のもと一億総活躍担当大臣として議長代理を務めていて、次のような遣り取りをしているのである。

 高橋進日本総合研究所理事長「お役所から出てくる施策はどうしても縦割りになりがちです。また、せっかく政策を打ち出しても、他の施策や制度がネックになって効果が上がらないといったことがしばしばあります。これを防ぐためには政策体系全体を俯瞰しながら、政策をパッケージ化していく必要があると思います。次回以降、必要に応じてテーマごとに民間委員から連名で提案をさせていただくというようなことをさせていただければと思います。以上でございます」

 加藤勝信「ありがとうございます」(議事要旨)(首相官邸・2015年10月29日)
 
 要するに加藤勝信は一億総活躍担当大臣として務めた2017年8月3日 から2018年10月2日の1年2ヶ月間、安倍晋三の指示のもと、「縦割りの打破」に関わっていたはずであるし、厚労相だった2019年9月11日から 2020年9月16日の約1年間、「縦割りの弊害」
霞が関全体に亘る問題だとしている以上、同じく厚労省内の「縦割りの打破」に関わっていたはずである。

 だが、2020年9月25日の復興推進会議での菅義偉の指示である、「縦割りの打破」をそのまま右から左に流しているのは、自身が一億総活躍担当大臣としても、厚労相としても、「縦割りの打破」に何ら功を奏していなからこその惰性行為であろう。

 もし「縦割りの打破」に役立つ何らかの方策で一億総活躍に関わる内閣府内の職員をコントロールできていたなら、あるいは厚労省内をコントロールできていたなら、「私はこのような方策を「縦割りの打破」に役立てています」と菅義偉に進言しているだろうし、進言する前に役立つ方法として各省庁の「縦割りの打破」の参考に供する方策とすることができていて、菅義偉が自内閣のメイン政策として「縦割りの打破」を掲げる必要も生じないはずである。

 加藤勝信も、「縦割りの打破」を担いながら、お題目としていたということである。さすが東大の経済学部を出ている秀才だけあって、お題目としていながら、平然と「縦割りの打破」を口にすることができる。

 NHK NEWS WEB記事が伝えている加藤勝信の2020年9月20日NHK「日曜討論」の発言。

 加藤勝信「国民のために働く、仕事をする内閣を目指して、まず第一は、新型コロナウイルス感染症対策と、社会経済活動の両立を図っていく。行政サービスの受け手である国民の視点に立って改革を進め、前例の踏襲や役所の縦割りを打破して、デジタル化の推進をはじめ、一つ一つ課題に答えを出していきたい」

 自身がお題目で終わらせていることにお構いなしに重要な政策ですとばかりに真面目臭った顔で「縦割りの打破」を繰り返す。詭弁家ならではの発言であろう。
 
 菅義偉が「役所の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義を打破」することが「国民のために働く内閣」に繋がっていくとの論理に立ちながら、自身が「役所の縦割りをぶち壊すことができる、ある意味でただ1人の大臣」として7年8ヶ月もそのぶち壊しに関わってきたにも関わらず、今以ってお題目で終わらせていることからすると、「国民のために働く内閣」もお題目で終わる可能性が高い。

 「縦割り」とは、「組織に於ける意思疎通が上から下への関係で運営されていて、上下の双方向性を持たないばかりか、それゆえに他組織との間でも左右水平の双方向性の意思疎通を持たないこと」をいう。このような上から下への関係は上が自らの権威によって下を無条件に従わせ、下が上の権威に対して無条件に従う権威主義性が深く関わり、成り立っている。

 下が上の権威を恐れずに自由に意見を言い、上が下の意見に自らの権威によって抑え込まずに耳を傾けて、その有効性に応じて採用する度量を持ち合わせる、上から下への関係とは無縁の対等な意思疎通の関係にあったなら、「縦割り」は生じない。

 なぜなら、一つの組織で上下の意思疎通が力関係を問題とせずに対等に築く上下双方向性を持たせることができていたなら、他組織、他省庁との間の意思疎通にしても、双方向性を持たせることができるからである。
 
 上下・自他の双方向性の意思疎通の関係を持たないことによって、「縦割り」が生じて、それぞれの組織やメンツを守るために縄張りという形を取ることになる。結果、「縦割り」と縄張りは同義語の関係を取る。

 当然、上下の双方向性も、左右水平の双方向性も持たない権威主義性が深く関わった「縦割り」は下の上に対する批判、あるいは左右水平からの批判に対して不寛容な態度を取ることになる。それゆえの「縦割り」である。

 ときには下からの如何なる批判も受けつけない強固な権威主義性で固めた「縦割り」組織も存在する。
 
 行政組織を始め、日本の色々な組織が「縦割り」を存在様式としているのは大方の日本人が戦前の色濃さは薄めたものの、今以って権威主義性を行動様式として残しているからであろう。

 例を挙げてみる。中央省庁を上の権威として地方官庁を下の権威として扱う、現在も色濃く残っている上下の中央集権制は上下の権威関係で捉える権威主義性を骨組みとして成り立っている。当然、中央側は地方側に対して「縦割り」を以って臨みがちとなる。

 現在も残っているキャリア官僚とノンキャリア官僚の権威主義性からの上下価値関係も、「縦割り」の形成に深く関わっている。ノンキャリア官僚の意見も批判も受け付けない、殿様然と構えているキャリア官僚もいると聞く。

 東大出身者が東大卒を贔屓にして東大閥で固めるのも1つの「縦割り」である。東大卒を最大の権威として、他大卒を下の権威に置いて、上下の価値観で人物・仕事を計る。

 就職シーズンになると、男女の就活生が一斉に黒のリクルートスーツを纏うことになるのは企業を上の権威とし、就活生自身を下の権威と看做して、上の権威に無条件に従う権威主義性が醸し出すことになる風物詩であろう。

 ネットで調べた情報によりと、アメリカの就活生は一定程度の常識に従うが、その範囲内で自己を主張する服装を纏うとある。決して日本みたいに一色にはならないということである。アメリカの就活生は「自分を持っている」ことになり、世の風潮に一様に従う日本の就活生は「自分を持っていない」ことになる。

 もしそこに抵抗感すら感じずに「自分を持っていない」ことに疑問も何も持たなかったとしたら、最悪である。

 地位が上の人間も、下の人間も、地位に応じてそれぞれに自分を持っていたなら、上下の権威主義性を物ともせずに主張すべきは主張するようになり、上下・自他の垣根を超えた双方向性の意思疎通の関係を持つに至って、「縦割り」は生じない。

 だが、逆の状況にあるから、「縦割りの打破」はお題目で推移することになる。

 2009年11月30日の「ブログ」に書いたことだが、『総合学習』が学校教育に導入される前に文部省(当時)が発表した段階で授業が学校の自由裁量に任されるのは画期的なことだと持て囃されたものの、自由裁量に反して「何を教えていいのか、示して欲しい」と校長会などから文部省に要望が相次いだため、文部省が「体力増進」、「地域の自然や文化に親しむ」等を例示すると、各学校の実践が殆んどこの枠内に収まる右へ倣えの画一化が全国的に起こったという。

 この状況は学校・教師自体が第三者に頼らずに何を教えたらいいのか、『総合学習』のテーマである「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する」自己決定性の能力を持ちあわていなかった、考える力がなかったことの証明にしかならない。

 この現象も文科省を上の権威とし、学校や教師を下の権威として、上の権威に無条件に従う権威主義性がつくり出している。学校としての権威・教師としての権威をそれぞれに持していたなら、、いわば自分を持っていたなら、『総合学習』をどうのように授業するのか、自己決定性に従った才覚を働かせていたはずである。

 日本の暗記教育自体が日本人の思考様式・行動様式となっている上が下を従わせ、下が上に従う権威主義性を成り立ちとしている。上に位置する教師の教える知識・情報を下に位置する生徒が上から教えられるままに機械的になぞり、教えられたとおりに頭に暗記する知識・情報の授受は権威主義性の構造そのものである。

 この構造は生徒が自ら考える思考プロセスを介在させない。逆に生徒が自ら考える思考作用は暗記教育の阻害要因となる。そしてこのような思考作用に慣らされることによって、批判精神が育ちにくくなる。不毛な批判精神は付和雷同の精神に結びついていく。

 日本の教育が今以って暗記教育で成り立っているというと、そんなことはないと批判されるが、暗記教育となっていることの資料がある。

 「我が国の教員の現状と課題–OECD TALIS 2018結果より」

 2018年の調査である。

 教師が批判的に考える必要がある課題を与える  
  小学校11.6%
  中学校12.6%
  参加48か国平均 61.0%

 教師が児童生徒の批判的思考を促す
  小学校 22.8%
  中学校 24.5%
  参加48か国平均 82.2%

 これはあくまでも教師の教育態度を現している統計ではあるが、この教育態度自体が日本人がどうしょうもなく行動様式としている権威主義性の反映としてある暗記教育であろう。

 勿論、受け手の児童・生徒が統計どおりに教育されるとは限らない。また、教師が批判的思考=自分から考える力を養う教育を施さなくても、両親から、あるいは両親のいずれかからか批判的思考=自分から考える力を受け継いで行く場合もあるし、読書や友達関係から学ぶ場合もある。

 だが、おしなべて日本の教育が権威主義性に基づいた暗記教育で成り立っているのは事実そのもので、否定し難い。保育園・幼稚園の時代から、小中高大学と学校教師を上の権威とし、児童・生徒を下の権威に置く権威主義性は社会に出て、いずれの組織に属しても、同質の権威主義性を備えているゆえに、日本の多くの組織に蔓延している「縦割り」に組み込まれていくことになる。

 要するに保育園・幼稚園、小中高大学の時代から、各自それぞれが知識と情報収集の自己決定性に基づかない、上に従うだけの権威主義性の虜となって、「縦割り」の予備軍に育てられているということであろう。

 要約すると、「縦割り」は上が下を従わせ、下が上に従うよう慣習づけられた日本人の権威主義性に従った人間関係に起因している。

 このことに気づかなければ、「縦割りの打破」はお題目で終わる宿命を当初から抱えることになる。そもそもの学校教育から変えなければ、「縦割りの打破」は覚束ない。

 「行政の縦割り打破」が危うければ、既得権益の打破も、悪しき前例主義の打破も難しくなって、いくら規制改革をぶち上げても、たいした結果は望み難くなる。

 河野太郎のように自身のウェブサイトに実態に合わない規制や「縦割り行政」の弊害に関する情報を集める仕組みの「縦割り110番」という名称を併設した「行政改革目安箱」を設けて、「投稿が4000件を超えた」とさもたしたことをしているような態度を見せているが、根本原因に気づかない、表面をいじくっているだけの作業に過ぎない。この仕組を内閣府に移したとしても、いずれは元の木阿弥に戻るだろう。

 大体が河野太郎は2015年10月7日から2016年8月3日までの9ヶ月間、規制改革担当の内閣府特命担当大臣を務めている。例え短い間だったとしても、のちに生きてくる規制改革に関わる何か有意義な足跡を残したのだろうか。残していたなら、河野太郎がいなくなっても、職員が跡を継いで、規制改革に務めるはずだが、「行政改革目安箱」と仰々しく打って出ること自体が、足跡を何も残さなかった証明でしかない。
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菅義偉の政治が「自助」を基本に国民の生活が機能する公平な社会を用意せずに「国の基本は『自助・共助・公助』です」と言うインチキ

2020-09-21 06:29:15 | 政治
 菅義偉のオフィシャルサイト9月14日記事に自民党総裁に就任した挨拶と共に次のような発言を記している。

 菅義偉「私は秋田の農家の長男として生まれ、高校まで過ごしました。

 地縁血縁のない私が政治の世界に飛び込んで、まさにゼロからのスタートでしたが、この歴史と伝統のある自由民主党の総裁に就任させていただいたことは、日本の民主主義の一つの象徴でもあると考えています。皆様のご期待にお応えできるよう全身全霊を傾けて日本のため、国民のため働く覚悟であります」

 菅義偉は「私は秋田の農家の長男として生まれた」を自らの出自のウリにしている。

 自身の自民党総裁就任を、「日本の民主主義の一つの象徴」と言っていることは土地の有力者の一族としてのカネの力や地縁・血縁、有名大学のOBとしての交友関係等々の人脈をステップに上り詰めた自民総裁ではなく、一国会議員としてのスタートからあくまでも民主主義の基本的なルールである一市民として多数決の原理に則って上り詰めて獲得した就任だと、その性格を言ってのことだろう。

 要するに権威主義の申し子ではなく、民主主義の申し子だという意味を取る。2世と言うだけで政治の世界に飛び込むことができ、もてはやされるのは初期的には権威主義に依存したスタートということになるからだ。 
 
 2010年6月8日首相就任、2011年9月2日辞任の約1年しか続かなかった菅直人も就任記者会見で同じようなことを発言している。

 菅直人「この多くの民主党に集ってきた皆さんは、私も普通のサラリーマンの息子でありますけれども、多くはサラリーマンやあるいは自営業者の息子で、まさにそうした普通の家庭に育った若者が志を持ち、そして、努力をし、そうすれば政治の世界でもしっかりと活躍できる。これこそが、まさに本来の民主主義の在り方ではないでしょうか」

 菅直人は「私は普通のサラリーマンの息子」を自身の出自のウリにしていた。確かに普通の家庭に育った人間が自らが志を持ちさえしたなら、自由に政治の世界に飛び込むことのできる民主的な環境は必要だが、出自と「政治は結果責任」とは全くの別物である。出自のウリで結果を出すことができるわけではない。

 尤も安倍晋三みたいに結果を出さずにさも出したかのように言葉を巧みに駆使して、国民を信用させる高度な騙しのテクニックを備えていたなら、出自のウリは相当に生きることになる。

 菅義偉の出自のウリが菅直人と同じ宿命を辿るのか、安倍晋三みたいに言葉で「政治は結果責任」を見せていくのか、今後の楽しみとなる。

 菅義偉はこの記事の最後で次のように結んでいる。
 
 菅義偉「私が目指す社会像は、『自助・共助・公助』、そして『絆』です。自分でできることは、まず、自分でやってみる。そして、地域や家庭でお互いに助け合う。その上に、政府がセーフティネットでお守りする。そうした、国民の皆様から信頼される政府を目指します」

 菅義偉は無条件に「自助・共助・公助」を求めて、それを実現させる要として人と人の「絆」の必要性を訴えている。

 2020年9月5日の立候補表明記事でも、「自助・共助・公助」をウリにしている。

 菅義偉「新型コロナウイルス、近年の想定外の自然災害等、かつてない難題が山積するなか、『政治の空白』は決して許されません。私は、安倍総裁が全身全霊を傾けて進めてこられた取組を、しっかり継承し、さらなる前進を図ってまいります。

 国の基本は『自助・共助・公助』です。人と人との絆を大切にし、地方の活性化、人口減少、少子高齢化等の課題を克服していくことが、日本の活力につながるものと確信します」

 先ず最初に「私は、安倍総裁が全身全霊を傾けて進めてこられた取組を、しっかり継承し、さらなる前進を図ってまいります」と言っている。単なる安倍政治の継承ではない。「全身全霊を傾けて進めてこられた取組」と安倍政治を全面的に肯定し、全幅の信頼を以って継承することを誓っている。

 つまり安倍政治性善説に立っている。全面的性悪説、そうではなくて、部分的性悪説に立っていたなら、「全身全霊を傾けて進めてこられた取組」とは口が裂けても言えない。

 菅義偉は「自助・共助・公助」を社会を動かし、国を動かす国民の基本的な生き方、存在形式としたい欲求を抱え、菅政治の旗印として掲げた。

 そのほかにも思い入れ強く、「自助・共助・公助」を触れ回っている。「菅義偉出馬記者会見」(産経ニュース/2020.9.2 18:08)

 冒頭発言最後。

 菅義偉「私自身、国の基本というのは、自助、共助、公助であると思っております。自分でできることはまず自分でやってみる、そして、地域や自治体が助け合う。その上で、政府が責任をもって対応する。

 当然のことながら、このような国のあり方を目指すときには国民の皆さんから信頼をされ続ける政府でなければならないと思っております。目の前に続く道は、決して平坦(へいたん)ではありません。しかし安倍晋三政権が進めてきた改革の歩みを、決して止めるわけにはなりません。その決意を胸に、全力を尽くす覚悟であります。皆さま方のご理解とご協力をお願いを申し上げます。私からは以上です」――

 「自助・共助・公助」と「自助」を最初に持ってきて、「自分でできることはまず自分でやってみる」と、無条件に「自助」率先を促している。「自助」とは「他人の力によらず、自分の力だけで事を成し遂げること」(goo国語辞書)をいう。自分の力で先ずやってみなさい。できないことは家族・知人や地域の人といった第三者が助け合う「共助」を以って解決しなさい。「共助」を以って「自助」を包み込むには「人と人との絆」は欠かすことのできな条件となる。

 それでも解決できない部分は自治体や国が助ける「公助」を以ってして引き受けましょうと仰っている。このような考えには国を国民一人ひとりよりも上に立たせている意識を伴わせている。上から目線の意識である。

 至極尤もに聞こえる。国民一人ひとりに自律心(「他からの支配や助力を受けずに自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制する心構え」)を求めているとも言える。

 そしてこのような指示・要請を行う以上、「国民の皆さんから信頼をされ続ける政府でなければならない」と、菅政府自体の有り様を律している。但しこの有り様は上から目線とは相反する下から目線の認識で成り立たせている。どちらが本当の立ち位置かと言うと、上から目線でなければならない。でなければ、無条件に「自助」を最初に持ってくることはできない。

 「国民の皆さんから信頼をされ続ける政府」は「自助」を最初に持ってきた以上、これとの整合性を取るために装わなければならない政府の姿だからだ。

 例えば森友学園、加計学園、「桜を見る会」、黒川検事長定年延長問題で政治の私物化を公然と行ってきた、国民に信頼されない安倍政府のようであったなら、「自助・共助・公助」のうち、何よりも「自助」を無条件に国民に求めたとしたら、国民の誰が耳を傾けてくれるだろうか。耳を傾けてもらうためには国民から「信頼をされ続ける政府」を謳わなければならない。

 「自民党総裁選 所見演説会」(THE PAGE/2020/9/8(火) 15:09)でも、同じようなことを仰っている。

 菅義偉「私が目指す社会像というのは、まずは『自助・共助・公助、そして絆』であると考えております。自分でできることはまず自分でやってみる。そして家族、地域でお互いに助け合う。その上で、政府が責任を持って対応する。そうした国民の皆さまから信頼される政府を目指したいと思っています」

 やはり「自分でできることはまず自分でやってみる」と「自助」を無条件に求めている。

 3日後の2020年09月12日の日本記者クラブで行われた「自民党総裁選立候補者討論会」(産経ニュース/9.12 17:25) 

 菅義偉「私が目指す社会像というのは『自助・共助・公助、そして絆』であります。まず自分でやってみる。そして地域や家族がお互いに助け合う。その上で、政府がセーフティーネットでお守りをします」――

 「その上で、政府がセーフティーネットでお守りをします」とやはり上から目線の発言となっている。

 「菅義偉就任記者会見」(首相官邸/2020年9月16日)
  
 菅義偉「私が目指す社会像、それは、自助・共助・公助、そして絆であります。まずは自分でやってみる。そして家族、地域でお互いに助け合う。その上で政府がセーフティーネットでお守りをする。

 こうした国民から信頼される政府を目指していきたいと思います。そのためには行政の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義、こうしたものを打ち破って、規制改革を全力で進めます。国民のためになる、ために働く内閣をつくります。国民のために働く内閣、そのことによって、国民の皆さんの御期待にお応えをしていきたい。どうぞ皆様の御協力もお願い申し上げたいと思います」――

 ここでも「その上で政府がセーフティーネットでお守りをする」と上から目線を露わにしている。現在の日本は国家主権ではなく、国民主権である。国家は国民の基本的人権を守り、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を全ての国民に保障しなければならない務めを負っている。

 この国家と国民との関係を「自助」に当てはめて言うと、「自助」を基本に生活が機能する公平な社会を用意する務めを国家は負っていると言うことになる。

 このことを逆に言うと、国や政治が「自助」を基本に国民の生活を機能させる公平な社会を用意せずに「国の基本」として、あるいは「社会像」として「自助・共助・公助」を掲げ、「まず自分でやってみる」と、無条件に「自助」を求めるどのような資格も、どのような正当性もない。

 つまり国は、あるいは政治は国民が「自助」を基本に自らの生活を機能させる公平な社会を用意するのが順序として最初だということになる。用意して初めて、「まずは自分でやってみる」と自助を求める資格も正当性も出てくる。

 それとも現在の日本社会は国や政治の力によって「自助」を基本に国民の生活を全面的に機能させ得る社会となっていると言うのだろうか。格差社会であること自体がこのことの否定要素となり得る。

 そのような社会を創造し得ずに「まず自分でやってみる」と無条件に「自助」を求めて、「自助・共助」で解決できなければ、「政府がセーフティーネットでお守りをする」と、「公助」の発動を宣言するのは上から目線でなくて、何であろう。

 単に上から目線と言うだけではなく、そこには恩着せがましさが滲んでいる。この上から目線、恩着せがましさは「私は秋田の農家の長男として生まれ、高校まで過ごしました」の一般人装いと相矛盾する。所詮、皆さんと同じですよと親近感を持たせるための出自のウリ、ポーズに過ぎないのだろう。

 菅義偉が「自助」を基本に国民の生活を機能させることのできる公平な社会を用意せずに無条件に「自助」を求めるインチキな政治家だと、その正体を早々に見せいるのに、各マスコミの菅内閣支持率世論調査では軒並み6~7割という高い数値を獲得することができた。「令和おじさん」の演出された親しみの賞味期限を切らさずに今以って維持し続けているのだろうか。

 格差社会に於いて格差の上に位置する国民はいくらでも「自助」を基本的な行動様式として社会に跋扈し得るが、格差の底辺に位置する国民は「自助」を自らの恃みとしたくても、収入の制限等を受けて恃むことができないことが往々にして存在する。

 だから、教育の無償化だ、子ども手当だ、生活保護だ、その他諸々のセーフティーネットが必要になる。つまり国は、あるいは政府は格差社会を作っておいてセーフティーネットだと恩着せがましい、上から目線の態度を取っている。

 身体障害者や高齢者が自由な社会生活ができないバリアだらけの社会は「公助」があって、「自助」を活かすことができる。

 政治が「自助」を基本に国民の生活が機能する公平な社会を前以って用意する務めを負うことを自民党自身が謳っている。文飾は当方。 
 
 「2010年自民党綱領」

二、我が党の政策の基本的考えは次による

① 日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す
②日本の主権は自らの努力により護る。国際社会の現実に即した責務を果たすとともに、一国平和主義的観念論を排す
自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組を充実する
④ 自律と秩序ある市場経済を確立する
⑤地域社会と家族の絆・温かさを再生する
政府は全ての人に公正な政策や条件づくりに努める
(イ) 法的秩序の維持 (ロ) 外交・安全保障
(ハ) 成長戦略と雇用対策  (ニ) 教育と科学技術・研究開発
(ホ) 環境保全 (へ) 社会保障等のセーフティネット
⑦将来の納税者の汗の結晶の使用選択権を奪わぬよう、 財政の効率化と税制改正により財政を再建する

 「自助自立する個人を尊重し、その条件を整える」と言っている「条件」とは、続いて「共助・公助する仕組を充実する」と言っていることから判断して、「自助自立」を心がける「個人を尊重」できるシステムづくりの「条件を整える」ことではなく、「自助自立」そのものが可能となる「条件を整える」ことを指しているはずである。

 例え前者であっても、「自助自立」可能な社会環境を用意することができなければ、「自助自立」できる「個人」は限られてくることになるから、結果的には「自助自立」そのものが可能となる社会的な「条件を整える」ことを言っていることになる。

 当然、「自助自立」を限定しないために「全ての人に公正な政策や条件づくりに努める」ことを政府が負うべき務めとしている。

 「全ての人に公正な政策や条件づくり」とはまず第一に格差のない社会を指さなければならない。既に触れているが、〈格差の上に位置する国民はいくらでも「自助」を基本的な行動様式として社会に跋扈し得るが、格差の底辺に位置する国民は「自助」を自らの恃みとしたくても、収入の制限、あるいは身体的制限等を受けて恃むことができないことが往々にして存在する。〉ことが定番となっている以上、格差は「自助自立」にまで可能・不可能の壁を設けることになるからだ。

 「自助自立」を可能とする社会的「条件を整え」た上で、それでも不足が生じた場合は、「共助・公助する仕組を充実する」という手順を取っている。

 菅義偉の「自助・共助・公助」論とは明らかに手順が違っている。首相にまでなった政治家が自党の綱領を理解する頭を持たず、綱領に反した「自助・共助・公助」論を菅政治の「社会像」、あるいは「国の基本」として提示する。インチキ政治そのもので、このことだけでインチキ政治家の正体を曝していると言える。

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安倍晋三辞任:菅を来年9月までのワンポイントリリーフとして憲法改正、北方領土返還等々、遣り残したことがあると再登板を狙うウルトラCか

2020-09-14 05:21:40 | 政治
 今日、2020年9月14日午後2時から自民党は両院議員総会を開催、総裁選の投開票を行い、新総裁が決定する。

 自民党所属国会議員は現在、衆参両院議長を除き394人だという。党内7派閥のうち細田派、竹下派、麻生派、二階派、石原派の5派閥計264人と無派閥議員64名のうち約20人が官房長官の菅義偉を支持、残る110人の票を石破茂と岸田文雄が分ける。

 110票をどちらかの一方が獲得したとしても、菅義偉の284票には敵わない。菅義偉の半分にも届かない。計算通りに出なくても、菅総裁選出が誰の目にも明らかとなっている。

 141票の地方票も昨夜7時のNHKニュースは菅義偉52票、石破茂27票、岸田文夫8票と、菅義偉優勢を伝えていた。

 昨夜遅くの今朝見た産経ニュースは、現時点で菅義偉は66票程度を固め、過半数を確保する見通し、石破茂35票程度、岸田文雄10票程度にとどまっていると伝えて、菅義偉当選確実の状況を伝えている。議員票が地方表にほぼ反映されるから、当然の地方票である。

 このように5派閥と無所属議員の20名が菅支持に回ったのは二階派の菅支持表明が始まりで、他派閥等がポスト欲しさや陽の当たる場所欲求、公認盤石化目的、寄らば大樹の優位性獲得、覚えをよくする等々の打算からの我も我もと支持に回る雪崩現象を起こしたのだという。

 だが、この手の雪崩現象は「品位、節度、調和、正直、親切、勤勉」に反する無節操な付和雷同・事勿れ主義と同義語をなす。

 2006年の自民党総裁選当時も安倍晋三を目がけてこの手の雪崩現象が置きて、衆参の国会議員数403人中、安倍晋三267票、麻生太郎69票、谷垣貞一66票。党員算定数でも安倍晋三197票、麻生太郎67票、谷垣貞一36票と、安倍晋三が独り占めの圧倒的な票獲得となった。だが、政権は1年しか持たなかった。

 病気だけが原因ではないだろう。無節操な付和雷同・事勿れ主義で成り立たせた政権は倫理に反していたからだと見做さない者は政治を語る資格を失う。特に教育を語る資格はないだろう。

 だが、数々の政治の私物化に邁進した安倍晋三にしても、無節操な付和雷同・事勿れ主義で雪崩現象に身を任す自民党議員にしても、白々とした顔で政治を語り、教育を語る。若者はこう生きるべきただとお説教を垂れる。

 2020年8月31日エントリーのブログに次のように書いた。

 安倍晋三のウルトラC

 安倍晋三が2020年8月28日の記者会見で潰瘍性大腸炎が再発し、激務に耐え得ないとかで自民党総裁任期を1年を残して首相を辞任した。記者会見で次のように述べている。

 安倍晋三「今後の治療として、現在の薬に加えまして更に新しい薬の投与を行うことといたしました。今週初めの再検診においては、投薬の効果があるということは確認されたものの、この投薬はある程度継続的な処方が必要であり、予断は許しません」

 新薬服用の効果はあったが、その効果を病状回復にまで持っていくためにはある程度の継続的な処方が必要であり、それまでの期間、現在の体調では国民の負託に応えうる自信が持てない。よって辞任することにした云々となる。

 もし病状回復までの新薬服用の効果期間を1年と置いていたらどうだろうか。1年後の総裁選に遣り残したことがあると立候補も可能となる。憲法改正、北方領土返還、拉致被害者帰国、地方創生戦略の見直し 格差拡大是正、東京一極集中是正・・・・等々。遣り残したことの方が多いくらいである。

 ここで鍵となるのは官房長官の菅義偉が自民党総裁選に出馬することを自民党幹事長シーラカンスの二階俊博ら政権幹部に伝えて、二階俊博からは「頑張ってほしい」と激励されたとマスコミが伝えているし、8月31日朝のNHKニュースは、「二階派幹部は、菅氏が立候補すれば派閥として支援する可能性を示唆した。」と報じている。

 もし菅義偉が首相になったとしても、任期は来年の9月まで。この間に総選挙がある。野党結集の影響を受けて、政権を失わない程度に一定程度、議席を減らしてくれれば、政権を失うこと程怖いことはないという経験をしている自民党からすれば、安倍待望論が湧き起こらないとも限らない。菅義偉をワンポイントリリーフとすれば、安倍晋三の再登板は遣りやすくなる。再登板なら、総裁任期は3年だから、3年間、じっくりと腰を落ち着けて安倍政治に取り組むことができる。うまくいけば、さらに3年間・・・・。そのために辞任を1年早めた????

 現在自民党総裁連続任期は3期までだから、欲をかいてあと9年ということもあり得る。

 再登板の可能性(危険性?・・・・)無きにしも非ずだし、100%無い可能性と指摘できるかもしれないが、この記事の題名を残すためだけのためにこのブロブ記事を起こすことにした。勿論、影響力ゼロに近いブログだとは承知している。自己満足に過ぎない。

 「自民党党則」は総裁任期を次のように規定している。  

 〈第10条4 引き続き3期(党則第80条第3項に規定する任期を除く)にわたり総裁に在任する者は、その在任に引き続く総裁選挙における候補者となることができない。〉――

 「第80条第3項」について。

 〈総裁が任期中に欠け、又は第六条第四項の規定による選挙の要求があった場合において、同条第二項又は第四項の規定により新たな総裁を選任したときは、その任期は、前任者の残任期間とする。〉――

 「第80条第4項」を見てみる。

 〈4 総裁は、引き続き2期(前項に規定する任期を除く)を超えて在任することができない。〉――

 要するに任期途中で引き継いだ新総裁はその任期を1期と数えて、残る2期しか在任できないことになる。

 以上を纏めると、途中辞任した場合は誰かが残任期間を務めたあとなら、それが1期後であろうと、合計3期後であろうと、引き続いての立候補ではないから、候補者になることが可能となる。つまり安倍晋三は菅義偉が安倍晋三の残任期間を務めたあとの総裁選に規定上は立候補も可能ということになる。

 安倍晋三が既に自らこの例を実践しているのはご承知のとおりであろう。病気を理由に2007年9月26日に約1年で途中辞任したあと、福田康夫、麻生太郎、谷垣貞一を総裁が続いたあと、石破茂と争って、新総裁に当選、総理・総裁を7年8ヶ月務めている。1度あることは2度あるとよく言われる。

 当時2期制限の2期目の途中で首相を辞任したものの、のちに再度総裁選に立候補した例がある。1995年9月22日に橋本龍太郎は小泉純一郎と総裁選を争って、当選。総理・総裁を務め、2年後の1997年9月11日に任期満了による総裁選で無投票・再選となって2期連続の総裁・総理を務めることになったが、1998年7月12日の参議院議員選挙で自民党惨敗を受け引責辞任に至った。

 その後、小渕恵三が2期連続で総裁・総理を務めたが、2期目の途中の2000年4月2日に脳梗塞発症、2000年5月14日死没前の2000年4月5日に両院議員総会の話し合いで森喜朗を総裁に選出。森喜朗を次期指名したのは森喜朗幹事長(森派) 青木幹雄内閣官房長官(小渕派) 村上正邦参院議員会長(江藤・亀井派) 野中広務幹事長代理(小渕派)の、当時の呼び名の5人組で、密室での指名劇だったとされている。

 2000年4月5日に首相に就任した森喜朗は2001年2月10日にハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高等学校練習船「えひめ丸」がアメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突・沈没、日本人9名が死亡する事故が発生した当時、その連絡がSPの携帯電話を通じて入ったものの、1時間半もの間プレーを続けた。

 森喜朗は「ある関係者から直ぐにはその場を離れないように言われたので、ゴルフ場で待機していた」と言っているが、実際はプレーを続行していた。国民の生命の安否が気遣われるときにラウンジ等を含めて「ゴルフ場で待機していた」のと、ゴルフを続けながら、待機していたのとでは国民の生命をどう考えているのかの国民に対する生命観が大違いとなってくる。

 2014年8月豪雨を受けた74人死亡の8月20日広島土砂災害発生当日、安倍晋三が夏休み中の山梨県鳴沢村の別荘から富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」に向かい、午前8時30分頃からゴルフを開始、50分近くゴルフをして、午前9時19分にゴルフ場を離れて別荘に向かい、午前10時59分に官邸に戻った際の国民に対する生命観と非常に似ている。

 広島市消防局には8月20日午前3時前後から土砂崩れと住宅が埋まって行方不明者が出たという通報が相次いで寄せられていて、午前3時20分頃の土砂崩れで土砂に埋まった子ども2人のうち1人が午前5時15分頃心肺停止の状態で発見されたと人命に関わる危機的状況をNHKは朝早くに伝えていた。

 このような人命に関わる危機的状況の110番通報や119番通報は直ちに広島県に集約され、広島県から首相官邸に逐次通報されていなかったとしたら、重大な災害が発生するたびに安倍晋三が口にする「緊張感をもって被害状況の情報収集を徹底し、国民の安全安心の確保に万全を期して欲しい」との指示をウソにしていることになる。

 つまり当時の首相官邸危機管理センター設置の情報連絡室は人命に関わる危機的状況を遅くとも8月20日午前4時近くには把握していなければならなかった。ところが、当時の防災担当相古屋圭司は「最終的に死亡者が出た8時37分とか8分に総理にも連絡をして、その時点ではこちらに帰る支度をしてます」と安倍晋三の国民に対する生命観を弁護し、人命に関わる危機的状況の発生を実際の時刻よりも5時間近くも遅らせている。

 しかも安倍晋三がゴルフ場を離れたのは古屋圭司が設定した最初の人命に関わる危機的状況時刻よりも約40分遅い午前9時19分である。

 このように国民の生命をどう考えているのかの国民に対する生命観に問題がある一人である森喜朗が支持率の低空飛行が続き、約1年後の2001年4月26日に辞任。2001年4月24日の自民党総裁選に2期連続総裁、途中辞任の橋本龍太郎が立候補、小泉純一郎、麻生太郎両候補と総裁の地位争ったが、安倍晋三のように勝利とはいかず、麻生と共に敗れ、小泉純一郎の総理・総裁の登場と相なっている。

 となると、安倍晋三の来年9月の総裁選再登場の可能性(危険性?)もあり得ないこともないことになる。

 安倍晋三がここで一旦辞任する何よりのメリットは相次ぐ内閣支持率30%割れの直接的な原因となった新型コロナウイルス対策の失敗・不首尾から来年の9月の次回総裁選まで失敗・不首尾とは縁を切ることができるノータッチ状態で過ごすことができると同時にそう遠くない時間内にワクチンが開発されて、感染の沈静化が予想され、支持率低下の主原因となったコロナ対策から解放される(つまり自身のとっての不都合から解放される)だろうと読むことができるからだろう。

 さらに一時程の激しさはなくなったが、今なお続く森友・加計問題、桜を見る会、東京高検検事長黒川弘務定年延長問題等々に発揮した安倍晋三の政治の私物化追及に関しては菅義偉に矢面に立たせて、自身は知らぬ顔の半兵衛を決め込むことができるメリットがある。

 1年も政権から離れていたなら、その時間を政治の私物化沈静化の一定程度の機会とすることもできる。

 そして1年の期間を置いたことで持病の潰瘍性大腸炎も新薬投与のお陰で全快、あと4、5年は大概の政治的激務に耐えられると病院からのお墨付きを頂いた、既に書いたように憲法改正、北方領土返還、拉致被害者帰国、地方創生戦略の見直し 格差拡大是正、東京一極集中是正・・・・等々、遣り遺した事があるからと再度総裁選に挑戦、首相復帰というウルトラCをお目にかからない保証はない。

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安倍晋三の政治の私物化:国民の声を聞かず、反省心ゼロ・自己愛性パーソナリティ障害ゆえの傲慢さの産物

2020-09-07 08:43:38 | 政治
 「自己愛性パーソナリティ障害」について「Wikipedia」には次のような説明が載っている。

 〈ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく、特別で偉大な存在でなければならないと思い込むパーソナリティ障害の一類型。〉
 
 つまり、自分は優れてもいず、素晴らしくもなく、特別で偉大な存在でもない、ごく普通の人間であるという「ありのままの自分」を素直な謙虚さで受け入れて、そのような素地の上に努力して何かを成そうするのではなく、逆に「特別で偉大な存在」であるという過信から事を成していく関係上、成した事に対して自省心や反省心が自ずと働かず、ただひたすらに誇る傲慢さだけを生み出す人格上の欠落を言う。

 結果、大した事を成してもいなのに大した事を成したかのように誇る傲慢さだけを取り柄とすることになる。

 このような政治家をここ10年近く、身近に見てきたはずである。

 2020年8月28日、安倍晋三が「首相辞任記者会見」を行った。

 川口西日本新聞社女性記者「歴代最長の政権の中で多くの成果を残された一方で、森友学園問題や加計学園問題、桜を見る会の問題など、国民から厳しい批判にさらされたこともあったと思います。コロナ対策でも、政権に対する批判が厳しいと感じられることも多かったと思うのですが、こうしたことに共通するのは、政権の私物化という批判ではないかと思います。こうした指摘は国民側の誤解なのでしょうか。それについて総理がどう考えられるか、これまで御自身が振り返って、もし反省すべき点があったとしたら、それを教えてください。

 安倍晋三「政権の私物化は、あってはならないことでありますし、私は、政権を私物化したというつもりは全くありませんし、私物化もしておりません。正に国家国民のために全力を尽くしてきたつもりでございます。

 その中で、様々な御批判も頂きました。また、御説明もさせていただきました。その説明ぶり等については反省すべき点もあるかもしれないし、そういう誤解を受けたのであれば、そのことについても反省しなければいけないと思いますが、私物化したことはないということは申し上げたいと思います」

 「政権の私物化」、「権力の私物化」、「政治の私物化」と色々言葉があるが、安倍晋三は政権を担い、政治権力の頂点に位置していたことから言うと、全て同じ意味を取ることになる。一国会議員が公的な役目から離れて、地元に何らかの特別な利益を与える。あるいは特定企業に特別な何らかの利益供与を謀る。これは一国会議員としての権力の私物化、政治の私物化に当たるが、断るまでもなく、政権の私物化には当たらない。

 一閣僚が政権の立場や名前を利用して、政権としての意思とは無関係に個人的意思から特定対象に私的利益を謀った場合は、全ての私物化に該当することになる。但し政権という権力をバックとした、一閣僚としての権力の私物化であって、政権の頂点に立った人物としての権力の私物化には当たらない。

 安倍晋三については私的利益に立った政治行動は全ての私物化に該当することになる。

 安倍晋三は辞任記者会見で「私物化したことはない」と、一切の私物化を否定した。

 安倍晋三は言葉で否定すれば、事実そのものが否定できるとする信念持った稀有な政治家である。なぜこのような信念を持つことができるかと言うと、自分は優れていて素晴らしく、特別で偉大な存在であるといった自己愛性パーソナリティ障害上の思い込みから、自分は間違うことはなという自信を常に抱えているからであろう。

 勿論、このような自信は傲慢な性状を母として生み出される。

 言葉は何であれ、安倍晋三の「私物化」の典型的な例を一つ挙げてみる。

 2012年12月26日に第2次安倍政権が発足して約2年後の2014年12月14日に総選挙が行われることになった。約1ヶ月前の2014年11月18日のTBSテレビ「NEWS23」。安倍晋三が解散を予告する記者会見を開いた当日夜にゲストとして生出演した。番組では約2年間のアベノミクスの成果を紹介する一環として景気の実感を街行く人にインタビューし、街の声として伝えた。

 男性(30代?)「誰が儲かってるんですかねえ。株価とか、色々上がってますからねえ。僕は全然恩恵受けていないですね。給料上がったのかなあ、上がっていないですよ(半ば捨鉢な笑い声を立てる)」

 男性(3、40代?)「仕事量が増えているから、給料が、その分、残業代が増えているぐらいで、何か景気が良くなったとは思わないですねえ」

 男性(4、50代?)「今のまんまではねえ、景気も悪いですし。解散総選挙して、また出直し?民意を問うて、やればよろしいじゃないですか」

 男性(5、60代?)「株価も上がってきたりとか、そういうこともありますし、そんなに、そんなにと言うか、効果がなかったわけではなく、効果はあったと思う」

 30代後半と見える女性二人連れ。 

 女性「全然アベノミクスは感じていない」

 女性(子供を抱いている)「株価は上がった、株価は上がったと言うけど、大企業しか分からへんちゃうの?」

 株価の上昇を通してある程度の効果(「そんなにと言うか、効果がなかったわけではなく、効果はあったと思う」)を認めている1人以外は景気の実感はないとアベノミクスを切り捨ていている。対するアベノミクスご本人の安倍晋三の反応。

 安倍晋三(ニコニコ笑いながら)「これはですね、街の声ですから、皆さん選んいると思いますよ。もしかしたら。

 だって、国民総所得というのがありますね。我々が政権を取る前は40兆円減少しているんですよ。我々が政権を取ってからプラスになっています。マクロでは明らかにプラスになっています。ミクロで見ていけば、色んな方がおられますが、中小企業の方々とかですね、小規模事業者の方々が名前を出して、テレビで儲かっていますと答えるのですね、相当勇気がいるのです。

 納入先にですね、間違いなく、どこに行っても、納入先にもですね、それだったら(儲かっているなら)、もっと安くさせて貰いますよと言われるのは当たり前ですから。

 しかし事実6割の企業が賃上げしているんですから、全然、声、反映されていませんから。これ、おかしいじゃないですか。

 それとですね、株価が上がれば、これはまさに皆さんの年金の運用は、株式市場でも運用されていますから、20兆円プラスになっています。民主党政権時代は殆ど上がっていませんよ。

 そういうふうに於いても、しっかりとマクロで経済を成長させ、株価が上がっていくということはですね、これは間違いなく国民生活にとってプラスになっています。資産効果によってですね、消費が喚起されるのはこれは統計学的に極めて重視されていくわけです。

 倒産件数はですね、24年間で最も低い水準にあるんですよ。これもちゃんと示して頂きたいと思いますし、あるいは海外からの旅行者、去年1千万人、これは円安効果。今年は1千300万人です。

 で、日本から海外に出ていく人たちが使うおカネ、海外から日本に入ってくる人たちが使うおカネ、旅行収支と言うんですが、長い間日本は3兆円の赤字です。ずっと3兆円の赤字です。これが黒字になりました。

 (司会の岸井成格が口を挟もうとするが、口を挟ませずに)黒字になったのはいつだったと思います?大阪万博です。1970年の大阪万博です、1回、あん時になりました。あれ以来ずっとマイナスだったんです。これも大きな結果なんですね。

 ですから、そういうところをちゃんと見て頂きたい。

 ただ、まだデフレマインドがあるのは事実ですから、デフレマインドを払拭するというのはですね――」

 安倍晋三は最初に5人へのインタビューを「街の声ですから、皆さん選んいると思いますよ。もしかしたら」云々の物言いで、番組に対して1人を除いてアベノミクスを否定する人間を集めたのではないのかといった情報操作疑惑を向けている。

 疑惑の理由として、安倍政権発足後の「国民総所得のプラス化」、「中小企業・小規模事業者のテレビに出てのアベノミクス肯定発言」、「6割の企業の賃上げ」、「年金運用の20兆円プラス化」、「株価上昇を受けた国民生活上のプラス」、「株価上昇の資産効果を受けた消費喚起」、「円安効果によるインバウンドを受けた旅行収支の黒字化」、「低い水準の倒産件数」等々のアベノミクス効果を統計面から挙げて、「全然、(6割の企業が賃上げしたという)声、反映されていませんから」、「これ(倒産件数の低い水準)もちゃんと示して頂きたいと思います」、「ですから、そういうところ(旅行収支の黒字化)をちゃんと見て頂きたい」と、情報提供の片手落ちを以って情報操作疑惑の根拠としている。

 但しこれらの統計面からのアベノミクス効果が国民個人個人の景気の実感にどう影響していたのかについては一切目を向けていない。大体が街の声は景気の実感について話した言葉であって、各統計について言及した言葉ではない。

 そもそも国民にとっての最大の利害は「生活の成り立ち」であって、その利害は景気の実感に最も影響を受ける。そして景気の実感は主として実質賃金の動向と、その動向を受けた個人消費活動の状況が鍵を握ることになる。

 このことを逆説すると、アベノミクス効果を統計面からいくら言い立てようとも、その効果が実質賃金に反映されず、結果的に個人消費に向かうことがなければ、国民一般の景気の実感は乏しいものとなって、アベノミクス景気政策は意味のないものとなるということである。

 では、上記番組が伝えた街の声の景気の実感が正しく把握されたものかどうかを見てみる。正しくなかったなら、安倍晋三のテレビ番組に対する情報操作疑惑は逆に正しかったことになる。

 アベノミクス景気は戦後最長の可能性が長らく指摘されてきた。ところが2020年7月30日、内閣府は2012年12月から始まった景気拡大局面が71ヶ月後の2018年10月に終了、1ヶ月後の2018年11月から景気後退局面入りしたことを発表している。

 この71ヶ月はいざなみ景気の73ヵ月に及ばず、戦後最長記録を更新できなかった。

 2020年7月31日付の「東京新聞」〈アベノミクス実感ないまま失速 景気後退18年10月…その後増税〉と題してアベノミクス7年7ヶ月の景気の実態を伝えているが、記事を纏めた画像をここに引用しておく。

 要するにアベノミクス景気のエンジンは安倍晋三と日銀の合作による「異次元の金融緩和」であって、市場にジャブジャブと金を流して、円安と株高を誘導したことに始まる。円安と株高は特に大企業に大きな利益をもたらしたが、企業はその利益を内部留保にまわして、賃金に反映しなかったために一般国民は実質賃金が満足に上がらない打撃を受けたのみならず、円安による輸入生活必需品とエネルギー関連製品の高騰によって自らの生活が圧迫される二重の打撃を受けた。

 つまり円安が可処分所得の目減りを誘導して、少しぐらいの賃上げでは焼け石に水で、却って実質賃金を目減りする方向に働くこととなった。

 参考までに企業の内部留保を上げておく。

2012年度 304兆円
2013年度 327兆円 +7.6% 
2014年度 354兆円 +8.3%
2015年度 378兆円 +6.8%
2016年度 406兆円 +7.4%
2017年度 446兆円 +9.9%
2018年度 458兆円 +2.6%

 2018年度は後半から景気後退局面に入り、増加率は伸びなかったものの、それでも+2.6%の458兆円に達している。

 当然、一般国民にとって実質賃金の影響を受けることになる個人消費を活発にする余地などなかった。その余地は円安と株高で利益を上げた大企業の幹部社員や株投資家等々の高額所得者か所得余裕層に任された。

 要するに2014年11月18日のTBSテレビ「NEWS23」が取り上げた、2012年12月26日の第2次安倍政権発足から約2年間のアベノミクスに関する街の声「景気の実感なし」は正しい判断・正しい評価であって、情報操作ではないかとイチャモンを付けた安倍晋三の方が間違っていた。

 つまり、安倍晋三が常々誇っていた統計上に現れているアベノミクス効果は実質賃金に反映されず、当然、個人消費に活用されることもなかった。それ故に一般国民は景気の実感を持つことができなかった。

 大体が安倍晋三がTBSテレビ「NEWS23」に出演当時の2014年11月の街の声が正しいか、間違っているか、的確な合理的判断を下すことができなかったこと自体、謙虚さのカケラもない、自己過信に基づいた傲慢さが招いた出来事であって、一方的に自分は正しいとするこの傲慢さは自分は特別で偉大な存在であるゆえに間違えるはずはないとする自己愛性パーソナリティ障害を当てはめずに説明はつかない。

 そして大多数を占める一般国民に景気の実感を与え得ないままに統計だけを誇る安倍晋三のこのような態度はアベノミクス7年8ヶ月後の辞任まで尾を引くことになった。安倍晋三が誇る経済統計と一般国民の景気の実感のなさの違いがそのまま格差拡大となって現れている。

 2014年11月当時の街の声を正しく判断できずにテレビ番組の情報操作ではないかと疑った最大の問題点は、マスコミが報じたあと、《安倍自民党がテレビ各局に文書で圧力》リテラ/2014.11.27)で詳しく知り得た情報だが、安倍晋三の2014年11月18日「NEWS23」出演2日後の2014年11月20日に「自由民主党 筆頭副幹事長 萩生田光一/報道局長 福井 照」の差出人連名で在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛てに「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」を求める文書を送ったことである。

 冒頭近くで、〈つきましては公平中立、公正を旨とする報道各社の皆様にこちらからあらためて申し上げるのも不遜とは存じますが、これからの期間におきましては、さらに一層の公平中立、公正な報道にご留意いただきたくお願い申し上げます。〉と断った上で、次のような要請を行っている。

 ・出演者の発言回数及び時間等については公平を期していただきたいこと
 ・ゲスト出演者の選定についても公平中立、公正を期していただきたいこと
 ・テーマについて特定の立場から特定政党出演者への意見の集中がないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと
 ・街角インタビュー、資料映像等で一方的な意見に偏る、あるいは特定の政治的立場が強調されることのないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと〉

 選挙で問われるのは政権選択である。政策の良し悪しも政権選択に関わっていく。参議院選挙であっても、有権者は政権選択の意味を持たせる。政権選択である以上、与党代表は政権選択を試される立場に立たされている。質問が集中するのは当たり前だし、質問集中を前以って覚悟していなければならない。ゲストに親政権の人物がいなくて、反政権の人物ばかりだとしても、政権選択を試されている以上、受けて立って、自らの主張を堂々と展開すれば済むことである。

 そしてあとは有権者に政権選択を託す。安倍晋三には政権選択を試されているという覚悟がない。街角インタビューでアベノミクスを否定されたからと言って、先ず最初に情報操作ではないかと疑うなど、事実情報操作であったとしても、覚悟がない話で、続けて口にした経済統計を披露するだけで済んだはずである。

 要するに安倍晋三は政権与党としての自身の政策の良し悪しを反省・検証するのではなく、選挙の勝敗にだけ拘った。もし少しでも反省・検証する心がけを持っていたなら、街の声に同感して、アベノミクスが実質賃金を上げるまでに至っていないことを認めて、今後の政策で実質賃金の上昇に務めることを宣言していただろうし、7年8ヶ月後に辞任を迎えるまで実質賃金を満足に上げることができなかった体たらくを少しは改善できた可能性は否定できない。

 だが、7年8ヶ月間、大多数を占める一般国民に対して景気の実感を与えることができないままに終わった。

 選挙の勝敗にだけ拘り、「NEWS23」出演当時も決して間違っていなかったし、以後も間違っていない街の声を「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」の体裁を取って、テレビ番組に現れないよう、封じ込めようとした。

 このような作為は報道の自由の侵害とか、対報道圧力といった問題以前に「政権の私物化」があって、初めて実現可能な作為であり、「権力の私物化」、あるいは「政治の私物化」を介在させた報道の自由の侵害であり、対報道圧力だった。

 安倍晋三は辞任記者会見で政権の私物化を否定し、「正に国家国民のために全力を尽くしてきたつもりだ」とヌケヌケと言っているが、森友問題、加計学園問題、桜を見る会、東京高検検事長黒川弘務を検事総長に据えるべく、「検事総長は年齢が65年に達したときに、その他の検察官は年齢が63年に達したときに退官する」としている検察庁法の規定を覆して「検察庁の業務遂行上の必要性」を理由に誕生日前日の2020年2月7日に退官しなければならなかった黒川弘務の定年を閣議決定のみで半年間の延長決定し、それを後付けるための国家公務員法の改正と検察庁法の改正を謀ったことも、政権の私物化そのものであって、私物化は安倍晋三の政治体質そのものとなっている。

 NHK2001年1月30日放送ETV特集[1] シリーズ「戦争をどう裁くか」に当時内閣官房副長官だった安倍晋三が番組内容に介入した問題も、報道の自由侵害、あるいは対報道圧力といった問題以前に安倍晋三の政治体質が顔を覗かせることになった政治の力で何でもしてやろうとする政治の私物化以外の何ものでもない。

 安倍晋三の政治の私物化体質と言い、経済政策を「アベノミクス」と名付けて仰々しく掲げたものの、立派な格差拡大は見事に実現できたものの、中流層以下には景気の実感を与えることができない片肺飛行で終わることになった。外交に於いては肝心の拉致問題にしても、北方領土問題にしても、片肺飛行どころか、エンジンをかけることができず、離陸しないままに滑走路に飛行機をとどめている状態で終わった。

 このような不満足な形状で終わった安倍政治を、後継として名乗りを上げ、5派閥から支持を受けて次期首相の最有力候補に位置をにつけた官房長官の菅義偉は「継承する」と宣言した。

 最初、悪い冗談かと思ったが、大真面目に継承するつもりでいる。「菅義偉出馬会見全文」)(産経ニュース/2020.9.2 18:08)

 菅義偉「安倍総裁が、全身全霊を傾けて進めてこられた取り組みをしっかり継承し、さらに前に進めるために私の持てる力を全て尽くす覚悟であります」

 自身の「ブログ」でも、同じことを言っている。

 菅義偉「新型コロナウイルス、近年の想定外の自然災害等、かつてない難題が山積するなか、『政治の空白』は決して許されません。私は、安倍総裁が全身全霊を傾けて進めてこられた取組を、しっかり継承し、さらなる前進を図ってまいります」

 安倍晋三は一般国民に対しては全身全霊を傾けて、"空白"紛いの政治しかできなかった。菅義偉が首相になって、安倍晋三がバックに控えることになったら、"空白"紛いの政治と同時に安倍晋三の政権私物化の政治体質をも継承する危険性は否定できない。
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NHKSP「忘れられた戦後補償」から見る民間被害者への補償回避は憲法第14条が定める「法のもとの平等」違反

2020-08-24 11:40:18 | 政治
  
【訂正と謝罪】

 NHKスペシャル「忘れられた戦後補償」の文字起こし文、一箇所が抜けていました。訂正して、謝罪します。文字起こしする際、要所、要所に注釈を加えていくのですが、その注釈を削除するとき、文字起こし文まで削除してしまったようです。

 〈書き落としたことの付け加え〉

 広瀬修子解説者が「2年半に及んだ懇談会(戦後処理問題懇談会のこと)は民間被害者への補償のみならず、救済措置も、国の法律上の義務によるものではないと結論づけました。そしてその理由として今戦後処理をした場合、費用の多くを戦争を知らない世代が負担することになり、不公平、とする考え方が新たに付け加えられたのです」と述べていますが、公平な戦後処理をして、その不足費用を「戦争を知らない世代」にまで負担させれば、日本の愚かな戦争の歴史が「戦争を知らない世代」にまで引き継がれていくプラス面が出てくる可能性があります。

 「下らない戦争のツケを何で俺たちに・私達にまで支払わせるのか」

 下らない戦争を忘れたくても、忘れることはできないはず。

 2020年8月15日夜放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を見た。当該HPには、〈国家総動員体制で遂行された日本の戦争。310万の日本人が命を落としたが、そのうち80万は様々な形で戦争への協力を求められた民間人だった。しかし、これまで国は民間被害者への補償を避け続けてきた。一方、戦前、軍事同盟を結んでいたドイツやイタリアは、軍人と民間人を区別することなく補償の対象とする政策を選択してきた。国家が遂行した戦争の責任とは何なのか。膨大な資料と当事者の証言から検証する。〉と番組紹介を行っている。

 戦没者の内訳は番組では紹介していないが、

 軍人、軍属等  約230万人
 外地の一般邦人 約30万人
 空襲などによる国内の戦災死没者 約50万人――合計約310万人

 なぜ日本という国家は戦争責任を認めて、責任の代償としての国家補償を行わないのだろう。昭和天皇が自らの名前で宣戦布告の詔書を発した責任感から、そのことへの反省の言葉を国民に発したいと願いながら、当時の首相吉田茂に止められたというのも、天皇自身が「反省」すれば、当時の「大日本帝国」という国家は間違っていたとする歴史認識が成立することになるからだろう。

 なぜなら、このような場合の「反省」は間違っていたことを認める事実経過を前提とするからである。自身の言動を振り返って、正しかったか悪かったかを考えるという意味での「反省」ではない。

 要するに戦傷病者及び戦没軍人・軍属、その遺族に対する補償も、空襲被害者への補償回避も、戦争責任回避を前提としている。軍人・軍属、その遺族に対する補償は戦争責任を認めたから始めたことではない。認めていたなら、空襲被害者に対する補償も戦争責任の観点から、実施する義務を負うことになる。

 軍人・軍属は国のための戦争に尊い命を捧げたか、あるいは尊い命に身体的障害を負ったがために補償しているのであって、戦争責任とは無関係の観点に置いている。そして軍人・軍属に対する補償が厚いのは軍人・軍属を政治家や役人たちと同様に国家側の存在、国家経営の構成員と看做し、一般国民は国家経営の手持ち駒、ときには消耗品と見ていることからのぞんざいな扱いであろう。

 このことが現れている発言を後で紹介する。最後に番組の文字起こし文を載せておく。

 番組は最後の方で、「現在の日本の戦後補償の全体像」を示す。

 補償   軍人・軍属など(現在までに60兆円以上)
 救済措置 引揚者 〈シベリア抑留者など(シベリア抑留者特別措置法・2010年6月16日 衆院本会議で可決、成立)〉
      被爆者 〈被爆者特別措置法・1968年5月20日公布〉
 なし   空襲被害者など

 なぜ軍人・軍属、その遺族にだけ60兆円ものカネが支払われて、空襲被害者など約30万人に対しては一切の補償は無いのかは、やはり軍人・軍属は国家経営の構成員だからだろう。国のために命を捧げて、国家を守ってくれる有難い存在である。

 だが、国を守っているのは軍人・軍属だけではない。

 番組が伝えている補償問題に関わった当時の役人の発言記録や現在のインタビュー発言などから、軍人・軍属優先・一般国民軽視の認識を窺ってみる。

 番組でも紹介されているが、1946年(昭和21年)に連合国最高司令官の指令により、重症者に関わる傷病恩給を除き、旧軍人軍属の恩給は廃止されている。ところが1953年(昭和28年)になって旧軍人軍属の恩給を復活させている。

 日本国憲法は1946年(昭和21年)11月3日に公布され、1947年(昭和22年)5月3日に施行された。つまり恩給復活は日本国憲法下に於いて行われた。

 最初に「日本国憲法 第3章 国民の権利及び義務 第14条」を掲げておく、

 〈すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。〉

 引揚者は新憲法で定められた財産権を根拠に補償を要求、1957年に「引揚者給付金等補償法」が制定されて464億円が支給されることになったが、番組は支給の有無を検討した1954年から1966年までの『在外財産問題審議会』に関わった役人達へのインタビュー発言を伝えている。

 河野通一発言議事録(元大蔵省理財局長)「戦争というものはよきにつけ、あしきにつけ、国の公の行為であり、地震とか津波といった天災と全く異なる。全体としての国の財政能力にはそう大きな余力はない。現実には、国民1人1人が負担するもの・・・・」

 「地震とか津波」は国・地方の対策不備によって被害を大きくすることはあっても、基本的に人間が引き起こす災害ではない。だが、戦争は国家という人間集団が引き起こし、国民を巻き込む人災に位置づけることができる。いわば戦争を計画・遂行した主催者は国であって、国民は戦争への参加者に過ぎない。当然、国家の責任が問われることになり、責任を負う一つの形である補償問題は避けて通ることはできなくなる。

 ところが、元大蔵省理財局長河野通一は「戦争というものはよきにつけ、あしきにつけ、国の公の行為」だとして、日本の戦争に最初から正当性を与えている。あるいは戦争性善説を打ち出している。

 つまり戦争が生み出した国民に対する補償は戦争責任と常に結びつけた状態で議論しなければならないのだが、戦争責任論から離れた場所から、補償を「国の財政能力」の問題で片付けている。役人らしい酷薄さである。

 アメリカを相手に戦争を起こす「財政能力」もなしに戦争を引き起こした責任すら埒外に置いている。

 河野通一のもう一つの発言。

 河野通一発言議事録(元大蔵省理財局長)「これ(引揚者の財産喪失)は敗戦という非常事態で起こった問題であり、憲法や平和条約の個々の規定でもって法律問題にしようとすること自体が無理がある」

 戦争を引き起こし、敗戦を招いた主体、あるいは戦争、そして敗戦というを因果律を招いた主体としての国家の責任への視点を同じく欠いている。責任意識を少しでも持っていたなら、憲法でダメなら、一般法でという認識を起こすことになるが、責任意識がないから、補償に対する拒絶感しか示すことができない。
 
 森永貞一郎発言議事録(元大蔵省事務次官)「平和条約そのものが強制的に飲まされた条約なのであるのだから、このような事態による損害の補償を国に対して要求することはできない」

 ここでも平和条約は戦争を起こした結果であるという因果律をそっちのけにしている。また、戦争被害は平和条約の結果ではない。因果律を無視しているから、戦争を起こしたことの是非の認識を欠くことになる。欠いているから、当然、補償への視点を失う。

 秋山昌廣(元大蔵官僚・元防衛事務次官)「サンフランシスコ条約を締結するという公共の目的のためにね、自分たちの財産が日本の政府・国家のために犠牲になったんだというような(フッと鼻で軽く笑い)議論は、まあ、成り立ちうるわけですよね。

 政府とか大蔵省としてはこの問題が他の戦後処理問題に波及するというの相当懸念したと思いますね。注意したっていいますかね。恐れたと思いますねえ。国家が補償する、そういう、その、義務はないっていう結論は、まあー、しょうがなかったんじゃないかとおもいますねえ、うん」

 敗戦の結果、外地在住日本人は引揚げの際、財産の持ち出しを禁止された。戦争責任論に立って補償した場合、「他の戦後処理問題に波及する」から、戦争責任論には触れずに補償の義務はないことにする。

 要するに役人らしく、国家のことしか考えない。戦後の民主憲法下にありながら、国民を個人個人として扱ってはいない。

 空襲被害者に対する補償に関して。

 植村尚史(元厚生省援護課長補佐・現早稲田大学教授)「被害を一つ一つ救済していくというよりも、まあ、国全体が豊かになり、人々の生活がよくなっていくっていうことで、その被害はカバーされていくんだろうっていう、そう言う考え方でずっと進んできたことは確かだと思うんですね。

 法律的な意味で補償する責任っていうものは直ちにあるわけではないっていうのが、まあ、ずっと戦後からの、まあ、日本の認識だったいうふうに思っています」

 やはり戦争責任の有無を出発点としていない、国家のことしか考えない国家優先の立場に立った発言でしかない。「国全体が豊かになり、人々の生活がよくなっていく」という原理が常に平等・正常に機能するのかどうかを考える頭さえない。

 手を失ったり、足を失ったりして、失明したりして、社会で公平に活躍する機会を失っていた場合でも、国全体の豊かさに応じて豊かになる保証を与え得る、落ちこぼれは生じないという楽観主義を振り撒いているに過ぎない。この楽観主義が保証可能なら、格差社会など生じない。
 
 「戦後処理問題懇談会」(1982~84年)に関する各役人の発言を見てみる

 小林與三次(元自治事務次官)「個人の生命、身体、財産を中心に個人と国家の問題で議論したらいいんであって、忘れてというか、そのとき問題にしなかったものだってあるんじゃないのか」

 他人事のような発言となっている。あくまでも当時の日本国家の戦争責任の有無で議論を始め、補償の有無の結論に到達しなければなならないのに「個人の生命、身体、財産を中心」とした「個人と国家」の議論の問題だと矮小化している。

 国の戦争責任を抜いて、「個人と国家」の問題をどう議論しろと言うのだろう。

 河野一之(元大蔵事務次官)「パンドラの箱を開けるようなことになっちゃあ困る。交付金をやるようなことをやりますと、やっぱり民間で広島の原爆で死んだのが何万とおるわけですね。そういう人は何も受けていないんですよ。やっぱり寄こせというような議論が出てくると思うんです」

 国側の人間としての責任意識はどこにも見えない。

 番組は名古屋空襲で被害を受けた市民が補償請求の訴訟を起こしたのに対して1983年の名古屋高裁の棄却判決を紹介している。

 「戦争は国の存否に関わる非常事態であり、その犠牲は国民が等しく受忍しなけれならなかった」

 この判決も出発点は戦争性善説となっている。

 戦後処理問題を所管する総理府の事務方トップだった禿河徹映(とくがわてつえい)(元総理府次長)の発言。

 禿河徹映「国を上げて国民全体がこの戦争に取り組んだことが事実で、別にそれで国民全体が責任があるという意味じゃありませんけれども、まあ、国を上げて総力戦でやって、それで戦争に負けて、無条件降伏をやった、そういうことですから、国民等しく受忍をね、まあ、受忍という言葉をよく使いますけれども、やっぱり我慢して、耐え忍んで、再建を、復興を個人個人で、それを基本にしてして頑張ってもらいたい。

 本当に気の毒で、気の毒で、気の毒だけれども、自力で頑張ってくださいと言うしかなかったんですね」

 「戦争に負けて、無条件降伏をやった、そういうことですから、国民等しく受忍をね、まあ、受忍という言葉をよく使いますけれども、やっぱり我慢して、耐え忍んで、再建を、復興を個人個人で、それを基本にしてして頑張ってもらいたい」、「自力で頑張ってくださいと言うしかなかった」

 名古屋高裁判決と同じく、「受忍」せよと上からのお達しとなっている。

 であるなら、空襲被害者たちだけに「受忍」を求めるのではなく、軍人・軍属、その遺族に対しても、同じ国民として同じ「受忍」を求めるべきだったのではないのか。

 軍人・軍属、その遺族は特別扱いして、特に空襲被害者たちに「受忍」を求めるのは差別であり、「日本国憲法 第3章 国民の権利及び義務 第14条」の〈すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。〉に明らかに反することになる。

 軍人・軍属に対する補償が厚いのは軍人・軍属を政治家や役人たちと同様に国家側の存在、国家経営の構成員と看做し、一般国民は国家経営の手持ち駒、ときには消耗品と見ていることからのぞんざいな扱いであろうと先に触れたが、このことは閣僚たちの靖国神社参拝に現れている。

 経済再生相の西村康稔が終戦の日の翌日に靖国神社を参拝している。

 西村康稔「英霊の方々の犠牲の上に、こんにちの日本の平和と繁栄が築かれたことは決して忘れてはいけない。二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないことや、日本が戦後、平和国家として歩んできた歩みを、さらに進めることを改めて心に誓ったところだ」(NHK NEWS WEB)

 安倍晋三も同じような国家主義を披露している。

 靖國神社は戦没した軍人・軍属を英霊として祀っている。国家は政治家や役人、軍人・軍属だけで成り立っているわけではない。一般市民のたゆまない勤労の膨大な積み重ねも「こんにちの日本の平和と繁栄」を築く一大要素となり得ているのであって、それを「英霊の方々」だけに限定する。如何に軍人・軍属を優先しているかが分かる。

 国家主義を纏っていると、国家経営の構成員を政治家・役人・軍人、軍属のみに限定することになる。

 環境相の小泉進次郎も8月15日の午前に参拝。

 小泉進次郎「どの国であろうと、その国のために尊い犠牲を払った方に心からの敬意と哀悼の誠をささげることは当然だ」

 「その国のために尊い犠牲を払った」存在を軍人・軍属に限定していて、戦争被害を受けた一般市民は頭には置いていない。見事な国家主義である。

 戦後になっても、政治家・役人の多くが国家主義に立っているから、政戦争責任を認めず、軍人・軍属と違って、国家経営の構成員ではない一般市民である空爆被害者への補償を回避することなる。一般国民は国家経営の手持ち駒、ときには消耗品としか見ていないからだ。

 当然、個人と向き合うことを優先させているドイツやイタリアと一般市民に対する戦争補償の差が出てくる

 NHKスペシャル「忘れられた戦後補償」(2020年8月15日(土) 午後9:00~午後10:00)

 (解説)

 国家総動員体制で遂行された日本の戦争。310万の日本人が命を落としたが、そのうち80万は様々な形で戦争への協力を求められた民間人だった。しかし、これまで国は民間被害者への補償を避け続けてきた。一方、戦前、軍事同盟を結んでいたドイツやイタリアは、軍人と民間人を区別することなく補償の対象とする政策を選択してきた。国家が遂行した戦争の責任とは何なのか。膨大な資料と当事者の証言から検証する。

(文字起こし)

 (卒業写真を前に置いて)

 「卒業写真のね、塗りつぶしてますね。これです」

 広瀬修子解説「自らの下半身を自ら黒く塗りつぶした1枚の卒業写真。75年前、6歳の少女は米軍の空襲に見舞われました。そして左足を一瞬にして失いました。心と体に負った痛みを誰にも理解されないまま、少女は長い戦後を生きてきました。

 安野輝子さん「私はいつも普通になりたい、普通になりたい。いつも普通を望んでいたんですよ。人並みではないから。

 楽しいと思ったことは一回もないわ、あたし。うん、楽しいいうこと知らんもね。うれしいっていうことはいっぱいありますよ。楽しいって、どんなのが楽しいかわからへん」

 (国民が日の丸の旗を振って、列車で出征していく兵士を熱狂的に見送るシーン)

 広瀬修子解説「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道を辿った日本の戦争。米軍の無差別空襲。沖縄での地上戦」

 石に座って震えている、体、服共に汚れた子供の姿。

 広瀬修子解説「広島・長崎への原爆投下(被害に遭った市民の姿)。そして外地からの厳しい引揚げ(行列をなす引揚者の姿)。80万人の民間人が犠牲になりました。

 民間被害者は国家補償を求め続けてきましたが、その訴えは一貫して退けられてきました(車椅子の女性。松葉杖をついた男性)」

 街でビラを配り、訴えている一群。「空襲によって手を奪われ、目を奪われ――」、

 広瀬修子解説「この75年、国はどのように戦後補償問題を処理しようとしてきたのか。今回、私達は民間被害者への補償の在り方を検討した2万4千ページに及ぶ政府の内部文書を入手しました。

 (文書内の「国の補償義務は無い」の文字。そして「受任」の文字)

 浮び上がったのは国がその責任を認めず、一人ひとりが受任すべき被害としてきた実態。補償政策の検討に当たった元官僚たちは初めて重い口を開きました」

 元総理府次長「本当に気の毒で、気の毒で、気の毒だけれども、自力で頑張ってくださいと言うしかなかったんですね」

 石原信雄(元内閣官房副長官)「広い範囲で戦争の被害を受けた人がいるわけですよ。それについて残念ながら、未解決のまま残っている」

 広瀬修子解説「世論もまた、補償によって尊厳を取り戻したいという民間被害者に対して冷淡でした」

 「欲張り婆さん」、「乞食根性」の文字。ヒトラーがオープンカーに乗って、ハイル・ヒトラーの敬礼。旗を振る群衆。

 広瀬修子解説「一方、日本と軍事同盟を結んでいたドイツとイタリアは国の責務として軍人も民間被害者も平等に補償してきました」

 (ドイツなのか、イタリアなのか、空襲のシーンと路上に並べられた多くの死体の映像。)

 ドイツの歴史学者「個人の被害に国が向き合うことは民主主義の基礎をなすものです。すべての市民に対する責任を果たすため戦争を経験した多くの国で民間人への社会システムが整えられていったのです」

 広瀬修子解説「国策を推し進めた国家はその体制に組み込まれ、被害を負った個人にどのような責任を果たすべきなのか。初めて浮かび上がる戦後史の空白です」

 東京都永田町。衆議院議員会館前の一角。毎週木曜日。ここを決まって訪れるお年寄りたちがいました」

 (キャリーケースに旗竿を持った女性。

 幟旗(「全国空襲被害者連絡協議会」?)

 防空頭巾をかぶった女性(ビラ配り)「こんにちは。先の大戦の空襲被害者が救済立法を求めています」

 広瀬修子解説「国に補償を求めてきた民間の空襲被害者たち。自分たちに残された時間は少ないと街頭で訴え続けています」

 大阪堺市 ある一軒家。女性が玄関のドアを開けて、出迎える。

 広瀬修子解説「75年前のあの夏、人生を大きく変えられた安野輝子(81)さんです。空襲で左足を失い、移動(?)するときは義足を欠かせません。当時の処置が悪く、今も切断面に豆ができるため、数日間歩けなくなることもあるといいいます」
 
 安野輝子さん「豆できたら、いくら薬をつけてもダメやから、できた豆の周囲をはさみで切るんですよ」

 (1945年7月 鹿児島県川内市の空襲のシーン) 

 広瀬修子解説「米軍による空襲は安野さんが暮らしていた鹿児島県川内市にも向けられました。県内で約3700人が命を落としました。6歳だった安野さん。爆弾の破片が直撃し、左足の膝下が一瞬にしてもぎ取られました」

 安野輝子さん「翌日か翌々日ぐらいだったかな。治療、処置室に行って、赤チンつけるだけなんですよ、治療って。だけどそのときにこのぐらいのアレ(容器)にね、多分、そのときに見たのはこれぐらいやな、そこへ私の足が浮いてたんですよ。、アルコールに漬けてあって。

 ああ、私の足やって。そのとき分かった」

 広瀬修子解説「安野さんの家族は家と財産を失い、義足を作る余裕はありませんでした。アルバムには笑顔の写真が一枚もありません」

 安野輝子さん「戦争やからしょうがないやんって言う人が結構多いんですよ。まあ、未だにありますよね。戦争やからしょうがないとかね、うん。

 物凄く最初はそんなんばっかりでしたよ。『気の毒やったね、残念やったね』とかは言うても」

 広瀬修子解説「アジアや太平洋諸国に甚大な被害を出し、日本人だけで310万人が犠牲となった先の戦争」

 (空襲、撃沈される日本の軍艦、訓練場の行軍する日本兵。白馬に跨る昭和天皇。戦車の横で1人は直立不動で、1人は抜いた軍刀を斜め下に向けて恭順を示している。捧げ銃の兵士集団)

 広瀬修子解説「国は戦場で命を落とした軍人や軍属、その遺族などに対し、これまで60兆円の補償を行ってきました」

 (上陸用舟艇から海岸に次々と上陸する米兵、)

 広瀬修子解説「しかし戦況の悪化に伴なって大きな犠牲を払うようになった民間人は補償の対象にしてきませんでした」

 沖縄戦での火炎放射器。崖から飛び降りる日本人女性。爆弾を次々と投下する米軍機。)

 広瀬修子解説「戦時中、米軍は日本の200箇所以上の都市を狙った空襲。民間人の被害の全貌は明らかになっていません」

 (日本人死屍累々の様子。米軍艦船からの火を吹く激しい艦砲射撃。)

 広瀬修子解説「多くの命を奪われた沖縄戦(顔を服も汚れて、一人取り残されて震える子供)。戦後、国が戦闘に参加したとみなした民間人の一部は補償の対象になりましたが、4万人が枠組みから外されました。

 広島と長崎で原爆で亡くなったのはその都市だけで21万人にのぼり、多くの人々が後遺症に苦しめられました。大東亜共栄圏の建設を謳った戦前の日本。外地では戦争や終戦の混乱の中、30万人が死亡。320万人が引揚げを余儀なくされ、財産を失いました。

 国家総動員体制のもと、総力戦に参加したのは軍人・軍属だけではありません。(バケツ消火訓練)老若南女を問わず、様々な形で戦争への協力が求められた民間人。しかし国はその被害への補償は一貫して避け続けてきたのです」

 キャプション 「民間被害者(空襲被害者 被爆者 引揚者 シベリア抑留者など)」

 広瀬修子解説「10万の人々が一夜のうちに犠牲となった東京大空襲。海老名香葉子(86歳)さんは両親を始め家族6人を失いました」

 海老名香葉子さん、薄いサングラスをかけ、背中を少し丸めて、花束を持って、街を歩いている。

 海老名香葉子さん「ここはもう焼死体で山のようになっていたらしいですね。だから、(家族は)身元不明者の中に入っているか。親の骨ぐらい拾いたいな。

 ちょっと待って下さい(3人の女子小学生を呼び止める)。2年生。そう」

 広瀬修子解説「11歳で孤児になった海老名さん。家族は自宅近くで命を落としたと言われていますが、詳しいことは分かっていません。敗戦後の混乱の中、周囲が止めても、家族の足取りを捜し続けました」

 海老名香葉子さん「こちらの塀はもう少し向こう寄りでしたね。ですから、これを乗り越えて、この間で(みんな)尽きたんでしょうね。(花を覆っていた紙を剥がし、一輪の菊を塀の隙間から塀の内側に立て掛ける。)」

 広瀬修子解説「海老名さんたち被害者は遺骨の調査だけでもしてほしいと国や東京都に訴え続けてきましたが、叶いませんでした」

 海老名香葉子さん「ずっと歩いて、歩いて、歩いて、もうダメだって諦めたんです。もうダメだって、お役人様はダメだって。諦めました。諦めて、自分でここだって所は掘り起こしてでも探そうっていう気持ちでいたときもありました。

 こんな土饅頭になっているところを一生懸命ほじったこともありました。『バカなことしてるな』って言われましたけど、けれども夢中でしたから。「そんなことをしたら、大変なことになっちゃう』と言われたんですけどね。頭がそうなっちゃってたから。

  (米軍の爆弾透過のシーン)

 広瀬修子解説「なぜ国は民間被害者への補償を避け続けてきたのか。今回私達は終戦直後から1980年代にかけて政府が民間被害者への補償を検討した膨大な記録を入手しました。

 その一つ、『在外財産問題審議会』の議事録です。民間被害者への国の姿勢の起点になっているのが外地からの引揚者に対する補償問題でした。(外地での引揚者の長い列。)

 サンフランシスコ平和条約(1951年調印)で海外で暮らしていた日本人の財産、在外財産を連合国の手に委ねることを決めた日本。(調印する吉田茂)それに対し、引揚者は新憲法で定められた財産権を根拠に補償を要求(引揚者団体全国連合会集会)。国は対応を迫られたのです。『在外財産問題審議会』(1954~1966年)では1954年から10年以上に亘り国に補償の義務があるかどうか、検討していました」

 字幕「国の補償義務の有無を検討」

 河野通一発言議事録(元大蔵省理財局長)「戦争というものはよきにつけ、あしきにつけ、国の公の行為であり、地震とか津波といった天災と全く異なる。全体としての国の財政能力にはそう大きな余力はない。現実には、国民1人1人が負担するもの・・・・」

 広瀬修子解説「大蔵省の交換たちは国家補償を避けるための憲法解釈を議論していました。

 河野通一発言議事録(元大蔵省理財局長)「これ敗戦という非常事態で起こった問題であり、憲法や平和条約の個々の規定でもって法律問題にしようとすること自体が無理がある」

 森永貞一郎発言議事録(元大蔵省事務次官)「平和条約そのものが強制的に飲まされた条約なのであるのだから、このような事態による損害の補償を国に対して要求することはできない」

 広瀬修子解説「審議会では日本の独立型(?)の講和条約は憲法の枠を超える処理だと結論づけました。財産権を根拠にした引揚者の訴えは認められず、補償の義務はないとしたのです。

 元大蔵官僚で、この審議会の事務局にいた秋山昌廣(元防衛事務次官)さんが取材に応じました。引揚者に補償を行えば、ほかの民間被害者にも扉を開くとして、一線は譲れなかったと証言します」

 秋山昌廣「サンフランシスコ条約を締結するという公共の目的のためにね、自分たちの財産が日本の政府・国家のために犠牲になったんだというような(フッと鼻で軽く笑い)議論は、まあ、成り立ちうるわけですよね。

 政府とか大蔵省としてはこの問題が他の戦後処理問題に波及するというのを相当懸念したと思いますね。注意したっていいますかね。恐れたと思いますねえ。国家が補償する、そういう、その、義務はないっていう結論は、まあー、しょうがなかったんじゃないかと思いますねえ、うん」

 広瀬修子解説「国に補償する義務はないというこのときの結論はその後も民間被害者の高い壁になっていきました」

 (東条英機「天皇陛下バンザーイ」

 学生らで満席の競技場(?)で行進する兵士。勤労奉仕の女学生)

 広瀬修子解説「実は戦時中の日本は民間被害者に対して救済措置を設けていました。『戦時災害保護法』。空襲などによる民間被害者に金銭的な手当をしていたのです。民間人に戦争協力を促し、総力戦の士気を維持するための措置でした。

 しかし戦後、GHQ、連合国軍総司令部は軍国主義の温床になっていたとして戦時災害保護法を軍人恩給と共に廃止しました。軍人恩給とは国家と雇用関係にあった軍人や軍属への年金のような補償制度です。

 GHQは軍人・軍属、民間人も、社会保障を充実させることで等しく扱う政策を採ったのです」

 広島 福山

 広瀬修子解説「軍人・軍属の夫や息子をなくした戦没者遺族もまた、国の補償政策の転換で苦渋を舐めました。桒田シゲヨさん。104歳です。夫の幸太郎さんは10年以上、前線を転々とした末、中尉のとき、沖縄戦で亡くなりました。」

 NHK男性「後ろは旦那さんですか」(軍人姿の写真)

 桒田シゲヨさん「うん。ええ人じゃったよ。ちゃんとした人じゃったよ。なーんか夢に出てきたり、それからこんだ、まあ、生きとったらなあ」

 広瀬修子解説「働き手を失った桒田さんは幼い子供を抱え、厳しい生活を強いられていました」

 ユダヤ人への虐待が行われたアウシュビッツ強制収容所で見つかった謎のメモ。

 「大量虐殺を目撃した。私達は殺されるだろう」

 桒田シゲヨさん「(色褪せした写真を見ながら)長男、次男、私。30なんぼでしょうかなあ。私がメソメソしちゃいけん。泣いちゃいけん思うて、ごはん食べるときはお茶でもかけてばさばさと反対側の方を向いて涙みせんようにし、牛を飼いよって、天井にわらがアリや、そこへ行って、牛を飼うような格好をして、わらの中で大声で泣いておったですよ」

 NHK男性「やっぱり旦那さんを愛していらっしゃったから」
 
 桒田シゲヨさん「愛しとったいうか、尊敬しとったいうんかな、。愛ということじゃない。尊敬しとったんかな」

 広瀬修子解説「苦境に喘ぐ戦没者遺族。(広島公文書館)補償を復活させるために行政は大きな役割を果たしていたことが広島市に残されていた公文書から明らかになってきました。広島県がGHQの占領下だった1949年(8月)に各市町村に出した通達です。

 戦前、軍人やその家族への保障を担っていた行政がGHQの方針の陰で戦没者遺族を組織化、財政的支援まで行っていたのです。

 「朝日ニュース」映画 (「遺家族の叫び (東京 神奈川) 戦没者遺族大会 1952年1月)

 ニュース広解説「二十日には全国から遺家族代表約800人が東京に集まり・・・・」

 広瀬修子解説「各地で結成された遺族会は補償を求め、国への働きかけを強めていきました。そして日本が独立した2日後、戦没者遺族を支援する援護法(「戦傷病者戦没者遺家族等援護法」)が公布。翌年(1952年)には軍人恩給も復活しました。

 当初、戦犯は補償が制限されていました。厚生省の内部文書からそれが覆された過程も分かってきました。(キャプション「元陸海軍の士官など厚生官僚」)旧軍部の流れを汲む厚生省には陸海軍の士官クラスが横滑りし、強い影響力が温存されました。

 軍出身の官僚が世論工作を行い、戦犯の名誉回復や支援活動を後押ししていたのです。

 復活した恩給制度は戦前の陸海軍の階級格差が反映されていました(キャプション「公務扶助料統計表」1955年3月末)。大将経験者の遺族には戦犯であっても、兵の6.5倍を受賜(じゅし))し、閣僚経験者に対しては(キャプション「陸軍大将 東条英機538,560」(単位円))現在の貨幣価値で年1千万円前後が支払われました。その一方、旧植民地出身の将兵は恩給の対象から外されたのです。

 沖縄戦で夫を失った桒田シゲヨさんは恩給が復活した67年前のことを覚えています。夫の恩給は当時年に3万8千円余り(「恩給証書」の映像)。現在の貨幣価値でおよそ75万円でした」

 桒田シゲヨさん「これが命の交換かいうような感じもしましたよな」

 (国会議事堂の映像。署名活動)

 広瀬修子解説「終戦後、戦没者遺族と同じように辛酸を舐めていた民間被害者たち。国家補償は一貫して阻まれてきたため、何らかの救済措置だけでも実現させてほしいと訴えています。空襲被害者などのための超党派(空襲)議連の会長を務める河村建夫元内閣官房長官。民間被害者の救済は戦後日本が積み残してきた課題だと言います。

 河村建夫「この問題、戦後の総決算としてやっぱり放置すべきではないんではないかという思いがありました。国が何かの形で慰謝する仕組みを作ったらどうかというのが皆さんのご意見でありましたので、そういう特別給付金考えたらどうかという、それを考えながら、一応の法案を形を整えてきておりますので、これを進めていかなければいけないと思っております」

 広瀬修子解説「(キャプション「東京大空襲・戦災資料センター」東京 江東)なぜ空襲被害者は目を背けられ続けたのか。被害者が全国組織を結成したのは終戦から27年が経った1972年のことでした。世論に訴えるためにその活動を記録したおよそ20時間に及ぶ映像が残されていました」

 車椅子に乗っている中年女性の映像。その横に左眼が失明しているのが、眼帯をした同年齢くらいの女性。キャプション「全国戦災障害者連絡会の活動 1972年~」

 男性活動家「あの忌まわしい、悪魔のような30年前の・・・・(聞き取れない)空襲によって――」

 広瀬修子解説「日本はGNP、国民総生産で世界第2位になるなど、財政的にも余裕が生まれていた時代でした。(片足をなくし、松葉杖をついて通行している被害者の一人)空襲被害者は厚生省などに軍人・軍属と同様の補償を実現する法律や被害の実態調査を求めました。多いときで750人いた会員たちは国や世論に働きかけるために封印してきた辛い記憶を告白しました」

 藤原まりこさん(大阪市)(左足を失い、椅子に座り、腿から下の義足を膝に抱えている。映像)「年頃でね、トイレもね、やっぱししにくくて、足を投げ出してせなあかんし、スカートを履きたいし、脚も曲がるしね、中学2年のとき、思い切って(脚を)切断したんです」

 広瀬修子解説「しかし全国に散る被害者たちが後遺症を抱えて活動を広げていくことは容易ではありませんでした。(キャプション「愛知県 名古屋」)7歳のとき、足に大ヤケドを負った脇田弘義さん(82歳)は歩行が困難になりました」

 (妻の腰に両手を回して抱きつき、妻がその手を持って膝をついたままの夫を引きずって家の中を移動させる、あるいは膝を曲げたままの姿勢でついた手で、「よいしょ、よいしょ」と体を前へ持っていって移動する映像。)

 妻きみ枝さん(77歳)「つかってあげるわ。引っ張っていってあげるわ」

 脇田弘義さん「重たいぞ」

 広瀬修子解説「脇田さんは補償を得て、暮らしにゆとりを持つことに期待を抱いていました。しかし会に加わっても、思うような活動はできませんでした」

 脇田弘義さん「苦しい。動けない。1人じゃ行けないじゃん。行きたいけど、行けれん」

 広瀬修子解説「その頃(若い頃)の脇田さんを記録した映像です。障害に対する理解が今以上に乏しかった当時、妻のきみ枝さんが外で働き、脇田さんは子育をしながら、服の仕立ての内職をしていました。生活が逼迫する中でいつ実現するかもわからない補償を求める活動は重荷になっていきました」

 妻きみ枝さん「行くとなると、みんな連れていかないかんし、1人だけじゃ行けれんもんでね。お父さんも車椅子に乗せて、子供を放っておけないから、連れて、時間がなかったんね。生活の方が一杯で」

 広瀬修子解説「空襲被害者たちの当初の希望は次第に失望に変わっていきました。浜松空襲で受けた傷の後遺症で苦しむ木津正男(93歳)さんです。地元で空襲被疑者の会を組織し、補償を求めて手弁当で活動に参加してきました。木津さんたち地方の被害者も何度も上京し、官庁に陳情。しかし門前払いに終わりました」

 木津正男さん「大蔵省も行きましたよ。もう一発で断られましたね。厚生省も玄関払い。1日で3軒か4軒回ったね。いきなりお払い箱で、それでもうダメだった。もう皆さん、遅すぎたと。もう時効じゃない?早く言えば。そこまで知恵が回らんじゃん。自分の体で自分の体が動けんだもん、言うこと利かんだもん。

 だって、手がない人は書けんじゃん。書きたくたって。足悪い人は歩けへんじゃん」

 広瀬修子解説「当時厚生省(元厚生省援護課長補佐・現早稲田大学教授)で戦後補償問題に関わっていた植村尚史(うえむらひさし)さん。財政規模は高度成長で拡大したものの、被害者への補償を検討する機運はなかったと言います」

 植村尚史「被害を一つ一つ救済していくというよりも、まあ、国全体が豊かになり、人々の生活がよくなっていくっていうことで、その被害はカバーされていくんだろうっていう、そう言う考え方でずっと進んできたことは確かだと思うんですね。

 法律的な意味で補償する責任っていうものは直ちにあるわけではないっていうのが、まあ、ずっと戦後からの、まあ、日本の認識だったいうふうに思っています」

 広瀬修子解説「行政だけではなく、司法も民間被害者の訴えを退けて行きます。1983年、名古屋空襲訴訟に対する高裁の判決です。『戦争は国の存否に関わる非常事態であり、その犠牲は国民が等しく受忍しなけれならなかった』として訴えを棄却。

 そして後に最高裁(名古屋空襲訴訟 1987年判決)は戦争被害に対する保障は憲法が全く予想していないものと結論づけました。

 民間被害者への補償を避け続けてきた日本。しかし世界に目を転ずれば、その戦後補償の在り方は異質でした」

 アドルフ・ヒトラー「我々は国家とともに歩み、我々のあとに輝かしいドイツができるのだ」

 広瀬修子解説「同じ敗戦国のドイツでは連合国軍のベルリンへの空襲などでおよそ120万人の民間人が犠牲になりました。しかも領土縮小で財産を失った引揚者が1200万人以上いました。戦争終結の5年後(1950年12月20日)、西ドイツは連邦援護法を制定。国は全ての戦争被害に対する責任があるとして国や民間人といった立場に関係なく、被害に応じた補償が行われてきたのです。

 同じく枢軸国だったイタリア。犠牲となった民間人はおよそ15万人に及びます。戦後、財政不安に陥ることが多かったイタリアにとって補償は容易なことではありませんでした。しかし1978年、民間被害者に軍人と同等な年金を支給する関連法(戦争年金に関する諸法規制の統一法典)を制定。例え補償額が少なくとも、国家が個人の被害を認めることを重視したのです(キャプション「国が当然持つべき感謝の念と連帯の意を表すための補償」)。

 コンスタンティン・ゴシュラー教授(ボーフム大学歴史学部)「個人の被害に国が向き合うことは民主主義の基礎をなすものです。国家が引き起こした戦争で被害を受けた個人に補償することは国家と市民の間の約束です。

 第二次大戦は総力戦で、軍人だけではなく、多くの民間人が戦闘に巻き込まれて亡くなりました。軍人と民間人の間に差があるとは考えられなかったのです」

 菊の御紋がついた大扉、靖国神社。

 広瀬修子解説「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大ていったのが日本の戦後補償でした。今回、その役割を中心で担った人物が遺した、補償に関する大量の資料が見つかりました」

 矢追則子(板垣征四郎の孫)「ここには征四郎の遺品などをここに置いています」

 広瀬修子解説「満州事変を引き起こし、のちに陸軍大臣にもなった板垣征四郎(元陸軍大将)。東京裁判でA級戦犯として死刑になりました」

 矢追則子「これが(囚人服)板垣征四郎の遺品ですね。(囚人番号766T)。(アルバムの二人並んだ写真)これ父ですね。これが征四郎で、これが正ですね」

 広瀬修子解説「征四郎の息子正。国内最大の遺族団体、日本遺族会の事務局長を務めました。板垣正は最大で125万世帯の会員を率い、のちに参議院議員としても軍人・軍属への補償の拡充に当たりました。

  矢追則子「生き残った者同士の使命として遺族さんのために奉仕するというか、その人達の思いを踏みにじるようなことがあってはいけないみたいな、生き残りの自分がやらなければいけないことなんだと言っていました」

 広瀬修子解説「軍人や軍属に対する補償は年々積み増しされていきます。様々な加算制度や一時金整備、恩給の他にも新たな給付金が設けられていきました。物価に合わせた増額と対象範囲の拡大で補償額は一気に拡大していくことになりました。

 板垣は金銭的な補償だけではなく、遺族への精神的な支援にも力を注ぎます。

 矢追則子「(アルバムの写真)これは遺骨収集団ですね。よくね、行ってましたね、遺骨収集は。作業服で遺骨を集めている写真とか」

 広瀬修子解説「遺骨収集や戦没者の慰霊巡回などの事業も年々拡充されていきました。

 矢追則子「父が何か日記というか」

 広瀬修子解説「遺品の中に残されていた板垣の日記。戦没者遺族への強い思いが記されていました。『国家存立の基礎は、国のため死も辞さぬ精神である。犠牲的精神・献身的精神をこそたたえたい』

 軍人・軍属に対する補償制度を担い、総理府の事務方トップ(元総理府次長)も務めた海老原義彦さんです。日本の戦後補償はある一面では被害者の組織力が方向づけたと打ち明けました」

  海老原義彦「(戦没者遺族は)『国のために夫をささげて、戦後の辛い中を子どもたちをどうやって育てるか、もう涙ながらの物語があるんですよ』というようなことをおっしゃるわけですよね。『そういう中を潜ってきた我々をね、見殺しにするんですか』

 政治家としてはこれは無視できないと言うか、むしろ積極的に要求の趣旨に賛同して動いた方が自分のためにもなるし」

 広瀬修子解説「民間被害者たちは社会から忘れられていきました。鹿児島県川内市の空襲で6歳のときに左足を失った安野輝子さんです。中学校に通えなかった安野さんは13歳のときに大阪に引っ越し、洋裁の仕事を始めました。

 空襲の会を記録した映像の中に安野さんの姿もありました」

 (本人の説明とキャプション「昭和20年7月16日 鹿児島県川内市にて被災 左脚下腿切断」)

 広瀬修子解説「安野さんは一人の人間として社会に受け入れてほしいと考え続けていました」

 パソコンで空襲の会を記録した映像を再生している。

 安野輝子さん「これ、私。(右隣の女性を指し)で、片山さん」

 広瀬修子解説「会で出会った片山靖子さん。5歳のとき、大阪大空襲で顔や手に大やけどを負いました。安野さんにとって同い年で同じ悩みを抱える片山さんを何でも話せる仲間でした」

 安野輝子さん「ようはっきり覚えているけど、彼女はスラっとしてな、足もきれいし、長いんですうよ。何でこんなあれがです。(片山さんが)『輝ちゃんいいね、顔どうもないから』って。(私は)『足あかんや』言うて。

 彼女は物凄いきれいな長い足や。歩いているとき、そんな話をしたことありましたわ」

 広瀬修子解説「顔や手の傷跡を気にしていた片山さんはずっと人前に出ることを避ける生活を送っていました」

 テーブルを挟んで椅子に座っての会話。

 男性「それ(手術)の費用は全部自費いうことでしょう?」

 片山靖子さん「勿論です、ええ」

 男性「これが美容整形に入るって、どないしても納得できませんね」
 
 片山靖子さん「ええ」

 広瀬修子解説「彼女たちにとって補償とは生きている証を求めることにほかなりませんでした」

 安野輝子さん「そんでまあ、ちょっと、まあ、そんな、あれやけど、結婚したいなと思う人があったんかな。そんなこと聞きましたね。手もあれ(やけど)していたけど、きれいな字も書けるし、機能性ってあんまり失ってないんやけど、せやけど顔もケロイドやし、手もこんなやから、『世間には出られない』っていうことは言ってたし」

 広瀬修子解説「二人が出会って6年目、活動への理解が広がらない中で片山さんは自ら命を絶ちました。40歳でした」

 空襲被害者の会 会報 片山靖子さんの突然の死(10月2日)

 安野輝子さん「亡くなった日は朝電話貰ってな、彼女が亡くなったって聞いたとき、仕事やったから、午前中ひとり先行って、お参りしてきたってことありましたわ、うん。

 何でやねん、彼女あんなに『頑張ろう』って言うてたのに思うて、みんなつらい日してるけど、彼女はずっと凄い気にしてたし、そやけど、会に入ってよかったって言ってたし、一緒に頑張ろうってあんなに言うてたのにーと思って」

 広瀬修子解説「空襲被害者の会にとって国会も壁になっていました。補償を実現させるための法案(「戦時災害援護法案」)は1970年代から14回に亘り提出されましたが、全て廃案になりました。

 この頃、空襲被害者たちに届いた手紙が残されていました。心無い世論が被害者の気力さえ奪っていきました」

 届いた手紙・男性の声で「生きているだけでも有難いと思え」

 届いた手紙・女性の声で『戦争で苦しんだのはお前たちばかりではない。国家の責任にし、金をせびろうとする浅ましい乞食根性」
  
 届いた手紙・男性の声で「欲張り婆さんが。今更何を言っている。そんなに金がほしいのか」

 広瀬修子解説「戦争から30年以上が経過した1980年代(竹の子族の路上パフォーマンス)(キャプション「戦後処理問題懇談会(1982~84年)」)。国は戦後補償問題に区切りをつけようとします。

 外地からの引揚者やシベリア抑留者の求めに応じて設置された『戦後処理問題懇談会』。その検討記録を独自に入手しました。当初はあらゆる民間被害者について検討し直すべきだという意見も出ていました」

 小林與三次(元自治事務次官)「個人の生命、身体、財産を中心に個人と国家の問題で議論したらいいんであって、忘れてというか、そのとき問題にしなかったものだってあるんじゃないのか」

 広瀬修子解説「しかし委員の殆どが救済対象を絞る方向に議論を進めていきました」

 河野一之(元大蔵事務次官)「パンドラの箱を開けるようなことになっちゃあ困る。交付金をやるようなことをやりますと、やっぱり民間で広島の原爆で死んだのが何万とおるわけですね。そういう人は何も受けていないんですよ。やっぱり寄こせというような議論が出てくると思うんです」

  広瀬修子解説「2年半に及んだ懇談会は民間被害者への補償のみならず、救済措置も、国の法律上の義務によるものではないと結論づけました。そしてその理由として今戦後処理をした場合、費用の多くを戦争を知らない世代が負担することになり、不公平、とする考え方が新たに付け加えられたのです・

 戦後処理問題を所管する総理府の事務方トップだった禿河徹映(とくがわてつえい)(元総理府次長)さん。当時の判断について初めて証言しました」

 禿河徹映「国を上げて国民全体がこの戦争に取り組んだことが事実で、別にそれで国民全体が責任があるという意味じゃないありませんけれども、まあ、国を上げて総力戦でやって、それで戦争に負けて、無条件降伏をやった、そういうことですから、国民等しく受忍をね、まあ、受忍という言葉をよく使いますけれども、やっぱり我慢して、耐え忍んで、再建を、復興を個人個人で、それを基本にしてして頑張ってもらいたい。

 本当に気の毒で、気の毒で、気の毒だけれども、自力で頑張ってくださいと言うしかなかったんですね」

 (映像 『戦後処理問題懇談会』検討記録一部「前述のとおり、戦争損害の公平化に関する措置は、国の特別の施策によるものであって、法律の義務によるものではないと考えるが、なおこのことは個々具体的に検討を要する。」)

 広瀬修子解説「戦争被害への責任を棚上げしたまま、戦後を歩んできた私達。1990年代に被爆者への援護法(原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律)が制定されたとき、内閣官房副長官を務めていた石原信雄さんです」

 1994年「国家補償にもとづく原爆被爆者援護法を制定せよ」の横幕を掲げて街頭活動をする一団の映像

 キャプション「被爆者援護法 制定 1994年12月」

 広瀬修子解説「被爆者たちは国の責任を問うためにあくまで国家補償を求めていました。当時石原さんらが念頭に置いていたのは日本に補償を求め始めていたアジアの被害者たちの動向です。国は救済措置として金銭的手当はしたものの、国家補償という形はあくまで選択しませんでした」

 石原信雄「政府が一定の範囲の人について補償措置を講ずれば、当然、そういう問題に火がつくことはあり得るわけで、想定されておったわけですけど、アジアの人たちが、補償要求する人たちがいるであろうということは分かっていましたよ。

 だからやっぱりね、結局(国内の)戦争犠牲者に対する政府の補償措置というのは極めて限定的であったと。特定の範囲の人しか対象になっていない。これは残念ながら認めざるを得ないんですよ。その典型的な例が原爆被爆者援護法ですよ。それよりもっともっと広い範囲で戦争の被害を受けた人がいるわけですよ。

 それについて残念ながら未解決のまま残ってる。これはもう認めざるを得ないですね」

 広瀬修子解説「現在の日本の戦後補償の全体像です」

 補償   軍人・軍属など
 救済措置 引揚者 被爆者 シベリア抑留者など
 なし   空襲被害者など

 広瀬修子解説「軍人・軍属などへの補償はこれまで60兆円以上、救済措置を取られた民間被害者もいましたが、その規模は限定されていました。

 先の戦争から75年。軍人・軍属やその遺族への補償の拡充を求めてきた日本遺族会です」

 水落敏栄(日本遺族会会長、参議院議員)「戦後75年になりますよ。国民の8割以上が戦後生まれで、あの戦争が人々から忘れ去られようとしています」

 広瀬修子解説「今、日本遺族会の会員は57万世帯にまで減少。解散を余儀なくされる地域も出ています」

 戦没者の女性遺児「うちはね、マレー半島のボルネオというところで亡くなって、父親の顔は全然知りません」

 戦没者の女性遺児「私の父親なアッツ島です。私はあまり感じなかったですが、母親がひとりであれですからねえ」

 広瀬修子解説「国内最大の遺族会からも戦争は遠ざかろうとしています。あらゆる補償の枠組みから外されてきた空襲被害者たち。救済法案の実現を目指す超党派の議員連盟(キャプション「空爆被害者等の補償問題について立法措置による解決を考える議員連盟」)です。

 柿沢未途「75年という機会を迎えておりますので、何とか前に進めてまいりたい」

 広瀬修子解説「軍人・軍属やその遺族への補償は厚生労働省が担当していますが、空襲被害者に関しては今なお担当省庁さえ決まっていません」

 平沢勝栄「政府としてはどこが所管するのがいいんですかね。総務省なんですか、厚労省なんですか、内閣府なんですか」

 不規則発言「このままだと前に進まないんだよ」

 衆議院法制局「まあ、あの、所管としては厚生労働省を想定するような(法案の)要項となっておるところでございます」

 厚生労働省「(空襲被害者など)一般戦災者の方々については対象としていないということでございまして、私どもの所掌からははみ出ているという、現状についてはそういうことになっています」

 議員が個々に発言というよりも呟く。「つくったらできる」 「法律を作ればできるんです」
 
 広瀬修子解説「議員連盟は救済法案の国会提出を目指していますが、今年も実現できていません」

 東京大空襲でん家族6人を失った海老名香葉子さんです(墓参りして花を供え、数珠をこすって墓に祈る)。地元の被害者が祀られた場所に足繁く通っています。6人の家族がどこで亡くなったのか、今もわかっていません。民間被害者たちの戦争は今も終わっていません」

 海老名香葉子さん「心の中じゃね、親のことを思うと、やっぱり涙が出ます。いくつになっても、こんなおばあさんが、80過ぎのおばあさんが夢の中で母が出てくると、『母ちゃーん』って朝起きて泣いています。もしかしたら、今もどこかに生きているかもしれない。こんなおばあさんになっても、未だにそう思います。どこか病院にいるんじゃないかなあとかね」

 広瀬修子解説「7月16日の午後。75年前のこのとき、安野輝子さんは空襲で左脚を失いました。この日安野さんは自立するために覚えた洋裁でマスクを作っていました」

 安野輝子さん「お世話になった人で適した人があったら、差し上げようと思って」(ミシンでマスク作り)

 広瀬修子解説「新型コロナウイルスに不安を抱える友人に配りたいと考えていました」

 安野輝子さん「今日やったんや、75年前の。今日、セミ少ないね、今は(ミシンの前から庭を振り返って)」

 広瀬修子解説「失われていく残された時間。活動を共にしてきた仲間の多くが既にこの世を去っています」

 安野輝子さん「何だっただろうと、自分でも思っているぐらいやから、この75年。日常的にはほとんど忙しくしていましたね。まあね、そんなに悪い・・・・(暫く沈黙)いい人生だったとは言えませんね。ほかに方法はなかったんかなと思ったりもあるから。でも、まあまあじゃないでしょうか」

 広瀬修子解説「国家が遂行したあの戦争であまりにも多くの人々が犠牲になり、あまりにも多くの人々が痛みを抱えたまま生きることを強いられました。国も、私達も、その責任から目を背けたまま、75年目の夏がまた過ぎ去ろうとしています」

 安野さんのマスクづくりの映像が流れ続ける(終わり)

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安倍晋三が言うように「強制的に軍が家に入り込み、女性を人さらいのように連れて」いかない従軍慰安婦強制連行は無罪放免とすることができるのか

2020-08-17 09:30:34 | 政治
 既に当ブログに書いてきたことが相当に混じっていることを最初に断っておく。

  「自民党総裁選立候補者討論会」(日本記者クラブ/2012年9月15日)

 安倍晋三「この、いわゆる慰安婦の問題については、私、仲間とずうっと勉強してきました。その勉強の結果は、それを示すものは全くなかったということですね。証言についても、それは裏づけがとれたものも全くないという、そういう中において、『河野談話』 は、ある意味においては政治的に、外交的に発出されたものであります。

  あの『河野談話』によって、強制的に軍が人の家に入り込んでいって女性を人さらいのように連れていって、そして慰安婦にした、この不名誉を日本はいま背負っていくことになってしまったんですね。しかし、安倍政権のときにその強制性を証明するものがなかったということを閣議決定をしました。

 しかし、そのことを多くの人たちは知りませんね。また、アメリカにおいても、また海外においてもそれは共有されていません。

 いま、アメリカでどういうことか起こっているかというと、韓国系のアメリカ人がsex slaves の碑をたくさんつくり始めているんです。その根拠の1つに『河野談話』がなっているのも事実でありますから、そこにおいては、もうすでに修正しましたが、その修正したことをもう一度確定する必要があるなあと私は思います。私たちの子や孫の代にもこの不名誉を背負わせるわけにはいかないだろうと思います。

 「強制的に軍が人の家に入り込んでいって女性を人さらいのように連れていって、そして慰安婦にした」という歴史的事実はなかった。その事実については安倍政権が第1次政権時の2007年3月8日提出の辻元清美の質問書に対する2007年3月16日の答弁書で閣議決定していると説明している。

 その一方で同じ答弁書は、「官房長官談話(河野談話)は、閣議決定はされていないが、歴代の内閣が継承しているものである」としている。つまり安倍晋三は常々『河野談話』は「政府として引き継いでいる」と言っているが、安倍晋三自身は個人としては引き継いでいないということにほかならない。

 安倍晋三はこの辻元清美の質問書に対する閣議決定した答弁書については国会でも答弁している。

 2013年2月7日衆議院予算委員会。質問者である前原誠司民主党議員に対する答弁。

 安倍晋三「整理をいたしますと、まずは、先の第1次安倍内閣のときにおいて、(辻元清美による安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する)質問主意書に対して答弁書を出しています。これは安倍内閣として閣議決定したものですね。つまりそれは、強制連行を示す証拠はなかったということです。つまり、人さらいのように、人の家に入っていってさらってきて、いわば慰安婦にしてしまったということは、それを示すものはなかったということを明らかにしたわけであります。

 しかし、それまでは、そうだったと言われていたわけですよ。そうだったと言われていたものを、それを示す証拠はなかったということを、安倍内閣に於いてこれは明らかにしたんです。しかし、それはなかなか、多くの人たちはその認識を共有していませんね。

 また間に入って業者がですね、事実上強制をしていたという、まあ、ケースもあった、ということでございます。そういう意味に於いて、広義の解釈に於いて、ですね、強制性があったという。官憲がですね、家に押し入って、人さらいのごとくに連れていくという、まあ、そういう強制性はなかったということではないかと」

 ここでも、「官憲が家に押し入って、人さらいのごとくに連れていくという強制性はなかった」云々によって従軍慰安婦強制連行の事実はなかったと断じている。

 と言うことは、人家外・路上での拉致・誘拐の強制連行、いわば従軍慰安婦強制連行の事実は存在したことになる。「如何なる場所からも少女たちを人さらいのごとくに連れていって、慰安婦としたといった強制性はなかった〉とは断っていない。

 但し安倍晋三は人家外・路上での拉致・誘拐といったその種の「強制性」、従軍慰安婦強制連行の事実は歴史認識上、無罪放免としていることになる。つまりその程度のことは許されるとの倫理観で対処している。

 2014年9月14日のNHK「日曜討論」は、「党首に問う いま政治がすべきことは」をテーマとしていた。その中で安倍晋三は朝日新聞の従軍慰安婦に関わる誤報に関連して、次のように発言している。

 安倍晋三「日本兵が人さらいのように人の家に入っていき、子どもをさらって慰安婦にしたという記事を見れば、皆、怒る。間違っていたというファクトを、朝日新聞自体がもっと努力して伝える必要もある。それを韓国との関係改善に生かしていくことができればいいし、いかに事実でないことを国際的に明らかにするかを我々もよく考えなければいけない」

 要するにあくまでも「日本兵が人さらいのように人の家に入っていき、子どもをさらって慰安婦にした」という従軍慰安婦強制連行の歴史的事実はなかったと強硬に主張している。いかなる場所からもと断らずに強硬に主張すればする程、人家外、あるいは路上で「日本兵が人さらいのように子どもをさらって慰安婦にした」という従軍慰安婦強制連行の歴史的事実は強硬なまでに存在することになる。

 逆説するなら、人家外、あるいは路上で「日本兵が人さらいのように子どもをさらって慰安婦にした」という従軍慰安婦強制連行の歴史的事実が強硬なまでに存在するからこそ、「日本兵が人さらいのように人の家に入っていき」とする、見つけることができなかった事実を条件として、その事実のみで従軍慰安婦強制連行の歴史的事実を無罪放免とする作為が疑えないこともない。
 
 人家外、あるいは路上での従軍慰安婦強制連行の歴史的事実は枚挙に暇がない。

 2004年初版の『日本軍に棄てられた少女たち』――インドネシアの慰安婦悲話――(プラムディヤ・アナンタ・トゥール著・コモンズ)はインドネシアのスハルト政権下の1969年8月に政治犯としてブル島に送られらた作者のプラムディヤ・アナンタ・トゥールと流刑地で知り合ったりした仲間は政治犯以外の女性先住者の存在を知ることとなる。彼女たちは日本軍に騙されてブル島に連れて来られものの、1945年の日本の敗戦と共に島に置き去りにされた元慰安婦たちで、著書は著者のプラムディヤ・アナンタ・トゥール氏と共に仲間たちが彼女たちの慰安婦にされた経緯の聞き取り調査に基づいた内容となっている。

 慰安婦にされた主な理由は日本やシンガポールに「留学」させるというもので、「留学」話を担ったのは現地の日本軍政監部(太平洋戦争中、オランダ領東インド=インドネシアを占領した日本軍が設置した軍政の中枢機構)であった。指揮命令系統の要所要所は軍人が占めていたであろうが、総体的には役人が組織の運営に当たっていたから、軍人みたいに体力・腕力に物を言わせて、力づくで拉致・連行・監禁を専門とすることができず、平和裏に「留学」話で釣る知能犯罪に相成ったという次第なのだろう。 
 
 『日本軍に棄てられた少女たち』の最初の方に桃山学院大学兼任講師鈴木隆史氏が2013年3月と8月に南スラウェシ州を訪れて、元慰安婦に聞き取り調査して纏めた、「私は決してあの苦しみを忘れらない、そして伝えたい」の一文を寄せている。

 題名の意味は元慰安婦の苦しみを忘れずに多くの人に伝えたいというものである。

 ミンチェ(2013年86歳)のケース。

 14歳で日本兵に拉致される。

 作者が訪ねて行くのを4日間知人の家で待っていて、話した内容。

 「たとえ相手がどんなに謝罪しても、私を強姦した相手を決して許すことはできません。私はそのとき、『許してほしい、家に返してほしい』と相手の足にすがりつき、足に口づけしてまでお願いをしたのに、その日本兵は私を蹴飛ばしたのです。

 日本兵は突然、大きなトラックでやって来ました。私たちが家の前でケンバ(石を使った子供の遊び)をしているときです。私は14歳でした。(スラウェシ島の)バニュキという村です。日本兵は首のところに日除けのついた帽子をかぶっていました。兵隊たちが飛び降りてくるので、何が起きたのかとびっくりして見ていると、いきなり私たちを捕まえて、トラックの中に放り込むのです。

 一緒にいたのは10人くらいで、みんなトラックに乗せられました。私は大声で泣き叫んで母親を呼ぶと、母が家から飛び出してきて私を取り返そうとしました。しかし日本兵はそれを許しません。すがる母親を銃で殴り、母はよろめいて後ろに下がりました。それを見てトラックから飛び降りて母のところに駆け寄ろうとした私も、銃で殴られたのです。

 トラックに日本兵は8人ぐらい乗っていて、みんな銃を持っていました。トラックの中には既に女の子たちが10人ほど乗せられていて、私たちを入れると20人。みんな泣いていました。本当に辛く、悲しかったのです。そのときの私の気持がどんなものか、わかりますか。思い出すと今も気が狂いそうです。

 それから、センカンという村に連れて行かれました。タナ・ブギスというところがあります。でも、どのように行ったのかは、トラックに幌がかけていたのでわかりません。着くと部屋に入れられました。木造の高床式の家です。全部で20部屋ありました。周囲の様子は、日本兵が警備していたので、まったく分かりません。捕まった翌日に兵隊たちがやってきて、強姦されました。続けて何人もの兵隊が・・・・・。

 本当に死んだほうがましだと思いました。でも、神様がまだ死ぬことを許してくれなかったのでしょう。だから、こうして生きています。ほぼ6カ月間、私はそこにいました。

 一人が終わったら、また次の日本人がやってくる。どう思いますか。ちょうど15歳になろうとしていたところで、初めてのときはまだ初潮を迎えていなかったのです。そこには日本人の医者(軍医)がいて、検査をしていて、何かあると薬をくれました。料理も日本兵がやっていました。インドネシア人が入って料理をすることは許されません。私たちと会話することを恐れていたのでしょう。部屋にはベッドなんてありません。板の上にマットを敷いていました。あるのはシーツだけです。

 私は日本兵が他の女性と話している隙を見て、裏から逃げ出しました。このまま日本兵に姦され続けるくらいなら、捕まってもいいから逃げようと思ったのです。私自身が過ちを犯したわけではありません。〈神様どうか私を助けてください〉と祈り、近くの家に駆け込みました。

 『おばさん、私をここに匿(かくま)ってください』

 どうしたのかと訝(いぶか)る彼女に。すべてを話しました。

 『日本兵が怖いのです。彼らは私を強姦します。耐えられません。本当に辛いのです』

 彼女は私をかわいそうに思ってくれたのでしょう。『どこに帰るのか』と聞かれたので、『マカッサルへ帰りたい』と言いました。たまたま彼女の息子がトラックの運転手をしていて、彼女に男性の服を着せてもらい、帽子もかぶって、逃げたのです。とても怖かったです。とにかく耐えられなかった。

 トラックで家まで送ってもらい、母親に再会できました。お互いに抱き合って喜んだ。彼女は私が6カ月も戻ってこないので、日本兵に連れて行かれて殺されたと思っていたようです。突然、目の前に死んだはずの私が現れて、母はとても喜んでくれましたが、他の親戚たちは私を受け入れてくれませんでした。嫌ったのです。親族の恥だと言って。

 私が日本人に強姦されたこと話を母から聞いたようです。母にどうしていたのかと尋ねられたので、(慰安所に)連れて行かれたことを話しました。それを母が親戚に話し、みんなに伝わったのです。誰一人として私を受け入れてくれませんでした。ここではこのようなことが起きれば、親戚中が恥ずかしいと感じます。死んだほうがましだと、他の人に聞いてご覧なさい。私のような人が家族にいたらどうするか。『恥だと言って殺す』と答えるでしょう。父親も受け入れてくれませんでした。

 母親だけが私を受け入れてくれました。彼女も日本兵に殴られていたからです。私が戻ったとき、母は病気でした。彼女が3カ月後に亡くなると、家を出ました。親戚の一人が、お前がここに残っていれば殺すと脅したからです。

 私はそれからずっと他人の家で皿を洗ったり洗濯をしたりして生きてきました。結婚もしていません。一人で生きてきました。最初は小学校時代の友人の家にやっかいになりました。彼女の母親が私のことを好いていてくれましたから。本当のことを話すのは恥ずかしかったので、友人には嘘をつきました。

 『私の父親が再婚して、その継母が私に辛く当たるので、一緒にいたくない。だから家を出てきたのだ』と、いつもそのように言い、家を転々としてきました。気に入られたなら、、しばらくいる。嫌われているなと思ったら、すぐに出て行く。そんな暮らしをずっと続けてきました。どれだけの家を移り歩いたのか覚えていません。この歳になるまでずって転々としているのですから。

 彼らからお金はもらっていません。だって、お手伝いとして雇われたわけではなく、私が一方的においてもらっているのですから。持ち物は、ナイロン袋に詰めた一枚のサロンと二着の服だけ。荷物と呼べるものはありません。

 私は仕事をしていなければ、あのこと(強姦)を思い出します。だから、いつも体を動かして働いているのです。あの辛さは、いまのいままで忘れたことはありません。そしていま、私の秘密を初めてここでしゃべっています。今日が最初です。他の人には恥ずかしいので話していません。でも、もうこの辛さには耐えられない。そこで私は決心したのです。これからどんどん歳をとって、しゃべれなくなっていきます。話を聞きたいという人がいたから、話すことにしました。私のつらい経験を話してもいいと思ったのです。

 あの日のことは、いつも夢に出てきます。思い出すたびに泣いています。辛い思い出は、とても忘れることはできません。もし忘れられるとしたら、お墓に入ったときでしょう。生きている間は、決して頭から離れることはない。たとえ、その兵隊が自らの行為を悔いて謝罪したとしても、私は決して許しません。本当に日本兵は残酷です。ひどい。

 いつも夢に見ます。いったい、どうしたらいいのか。いつになったら私は幸せを感じることができるのでしょうか。私はこの苦しみから抜け出したい。でも、苦しみは勝手にやってくるのです。どうすることもできません。私がこうなってのは、すべてあのことがあったから。日本兵にこんな目に遭わされなければ、苦しんでなんかいません。お金や謝罪では、消えないでしょう。わたしは、すべては神にゆだねています。人にはそれぞれの運命があります。それはどういうものかわかりません。それに、自分では好きなように変えられない。すべて神の手にゆだねられているのです。

 神が私をかわいそうに思ってくれるのか。それとも、このままの人生を送れというのか。いずれにせよ、私は祈り続けています。私も他の人たちと同じような人生が送れるようにと。

 あなた(作者)が、倒れている私を(話すことに)立ち上がらせてくれたのよ」

 確かに安倍晋三が言うように「人さらいのように人の家に入って」はこなかった。だが、「家の前」で遊んでいた14歳の少女とその仲間の合わせて約10人を大きなトラックに乗ってやってきた日本兵が飛び降りてきて、「人さらいのように」捕まえ、荷台に放り込んで拉致・連行して、慰安婦にした。いわば強制売春を課した。

 家の中で取っ捕まえようと家の外で取っ捕まえようと、取っ捕まえたあとの展開はどちらも拉致・連行・強制売春と同じである。拉致・連行までは犯罪の性格に於いて「人さらい」そのものであり、強制売春まで加われば、その「強制性」は犯罪性を遥かに強めていることになる。にも関わらず、安倍晋三は「人さらいのように人の家に入って」の強制性でなければ、従軍慰安婦強制連行の歴史的事実に当たらないとして無罪放免としている。

 さらに鈴木隆史氏の一文から「人さらいのように人の家に入って」ではない、拉致・連行・強制売春の例を取り上げてみる。

 ヌラのケース(年齢不詳)

 スラウェシ島ブンガワイ村生まれ。15歳で日本兵に捕まる。

 「家から1キロほど離れたところの学校に通っていたの。友達を歩いているとき、誰もいない場所で、帽子をかぶった日本兵が乗ったトラックに出会ったの。トラックには幌がかぶせてあったわ。私たちが怖くて逃げると、『もって来い、もって来い(こっちに来いということか?)。何だ、こらっ』と言って叫ぶの。そして片っ端から私たちを捕まえて、トラックの上に放り上げるのよ。

 一緒に捕まったのは全部で8人。道の途中でも捕まえて、トラックに乗せたわ。幌があるから外は見えない。みんな泣いていると、兵隊が『バゲロー、泣くな』ッて言うの。トラックでルーラというところに連れて行かれたわ。そこは竹の家が並んでいて、入れって言われたの。服はぼろぼろになっていて、しかも一枚だけだったから、寒かったのを覚えているわ。

 そこで食事を作っていたのはゴトウ班長という人。彼は『飯ごう、持ってこい』と言った。でも、ご飯は少しと、塩魚が少しだけ。竹の家はとても長くて、一人に一部屋与えられたの。お互いにのぞいてはだめだった。本当に辛かった。竹の家では、日本兵に『なんだ、この野郎』って怒鳴られたわ。殴られはしなかったけど。

 小さなサロン一枚もらっただけで、寒かった。それと軍医がいたわ。名前はカワサキ。彼が注射したの。まだ、子どもだったから。何のための注射なのか聞けなかった。

 たくさんの兵隊が次々とやってきたわ。とにかく日本兵は人間じゃなかった。私たちを動物のように扱ったの、食事も少しだけ。魚と味噌を少し。私たちは食べられなかった。それに大根の漬物も、酸っぱくて食べられなかった。捨てると怒られたの。それで、みんな痩せていたわ。向こうで亡くなった女性もいた。寒かったからかしら。私は8カ月くらいいたかしら。兵隊たちがパレパレなどからもやって来たわ。

 私はもう歳なの。処女だった私をこんな目に遭わせておいて、これまで日本は何もしてくれないの。

 (慰安所から)帰るとき、一銭たりとも貰えなかった。遠いルーラから実家まで歩いたのよ。お金がないから、飲み物も買えなかった。私が家に戻ると、ようやく私がどこにいたのか家族にわかったのね。でも、家族は私を受け入れてくれなかったわ。ジキジキジュパン、ジョウトウ、ナイデスネ(日本人とセックスした女性は汚い)。『ジキジキジュパンは出て行け』って。その時の苦しみと悲しみは言葉では言い表せない。

 幌付きトラックで乗り付けて、子供を見つけると、手当たり次第にトラックに放り込み、連れ去る。まさか当時の日本軍兵士は70年近く後に安倍晋三が「官憲がですね、家に押し入って、人さらいのごとくに連れていくという、まあ、そういう強制性はなかった」と無罪放免してくれることを知っていて、決して家に中には押し入らずに家の外や路上で専ら拉致・連行して、強制売春の用に供していたのだろうか。家の中にまで押し入ってしたことではないのだから、無罪放免されるのだとばかりに。

 プラムディヤ・アナンタ・トゥール氏の著作、『日本軍に棄てられた少女たち』の本文の中から日本軍政監部がインドネシアの地方行政機関(県長から郡長、村長、区長)を通じて、証拠を残さないためにだろう、常に「口頭」で伝えられたという「留学」への誘いについて記述してあるニ例の概略を取り上げてみる。

 政治犯仲間のスティクノ氏が定住区の畑にいたとき、彼と同じスマラン出身と分かったスリ・スラトリと名乗る女性が現れた。

 1944年、彼女がまだ14歳のとき、勉強を続けるために東京に送ってやると日本軍が約束した。両親は当初この約束を断り続けたが、日本軍はこの拒否を「テンノーヘーカ(天皇陛下)へ楯突くのと同じ行為だ」と言って両親を脅した。反逆にも似たこの行為への罪は重く、恐ろしくなった両親は泣く泣く「留学」に同意した。

 スリ・スラトリ「1945年の初め、日本兵をもてなす軍酒場であらゆる下品な仕打ちと裏切りを受けたのち、228人が船に乗せられて、ある島に連れて行かれました。その島がブル等と呼ばれているのを知ったのはしばらくしてからです」

 日本軍が敗れると、少女たちは何の手当も与えられないまま、放り出された。スラトリは地元の村に入り、村民と共に生活する道を選択するが、地元男性の所有物となり、同時にグヌン・ビルビル地区のある村の所有物となった。

 次は政治犯仲間のスティク氏が仲間の二人から聞いた、スワルティと名乗った女性の話。

 スワルティ「私は14歳で5年制の国民学校を終えていました。そんな折、日本軍政監部が私と同い年の少女たちに東京で勉強させる機会を与えると宣伝していると聞きました。この話は学校だけでなく、郡長、村長、区長、組長といった役人を通じても広められたのです。私は228人の少女たちからなる一団の一人として、船でジャワ島を出発しました。船名や船の大きさなど覚えていません。途中、島々に寄港しながら航海を続け、最後にブル島南部に着き、上陸させられます。大東亜戦争の栄光と勝利のためという口実を前にして、私たち少女は『甘い約束』をどうしても避けられず、それどころか、強制的に宣伝に従わされました。私たちはここで、すでに周到に用意されていた寮に無理やり入れられました。スマランから入ったのは私を含めて22人です。その後は筆舌に尽くせぬ苦難の連続で、それが現在も続いています」

 ブル島についた少女たちは山々を越え、、島の最高峰カパラットマダ山の麓にある日本軍の地下壕に収容され、少女たちはこの陣地内で、経験のないまま、日本兵の野蛮さの中に投げ込まれた。

 少女たちはここで、尊厳、理想、自尊心、外部との接触、礼節、文化など、全てを失った。持てるもの全てを強奪され尽くしてしまった。

 日本軍が敗北すると、少女たちはこの地下の陣地内に取り残された。日本兵たちが知らぬ間に彼女たちを置き去りにし、姿を消した。

 確かにこの14歳の二人の少女は「人さらいのように人の家に入って」連れ去られたわけではない。日本軍政監部という当時のインドネシアに於ける政治と軍事の頂点を通して持ちかけられた「留学」への誘いに乗った。一方は天皇の名前まで使った威しに屈し、一方は大東亜戦争の栄光と勝利のためという口実に従った。

 だが、「留学」の約束は果たされず、待ち構えていたのは強制売春=「sex slaves」の境遇であった。単に「人さらい」のような拉致・連行の経緯を省いているだけで、最終結末は他の例と何一つ変わっていない。

 だからと言って、安倍晋三が言うように「強制的に軍が家に入り込み、女性を人さらいのように連れて」いかない拉致・連行・強制売春、あるいは拉致・連行を省いた強制売春に関しては従軍慰安婦強制連行の歴史的事実の事例に入らないとして無罪放免とすることができるのだろうか。

 できるとする安倍晋三の倫理観を疑わなければならない。

 因みに明治40年4月24日公布、明治41年10月1日施行当時の「刑法(明治40年法律第45号)」第224条は「未成年者を略取し、又は誘拐した者は、3月以上5年以下の懲役に処する」とある。1881年(明治14年)に制定、1908年(明治41年)再制定、1947年(昭和22年)廃止の陸軍刑法第88条ノ2は、「戰地又ハ帝國軍ノ占領地ニ於テ婦女ヲ強姦シタル者ハ無期又ハ1年以上ノ懲役ニ處ス ②前項ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ3年以上ノ懲役ニ處シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ7年以上ノ懲役ニ處ス」とある。

 未成年の少女を拉致・連行し、強制売春に従事させていた日本帝国陸軍兵士は刑法を超える存在と化していた。拉致・連行の強行犯に関わらなくても、「留学」を餌に強制売春に追い込んだ日本軍政監部にしても、違法性の意識は持っていなかった。

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安倍政権のコロナ感染抑止効果は緊急事態宣言を受けた外出・移動自粛のみ 自粛緩和下の感染再拡大がその証明 緩和下の対策に無策

2020-08-03 10:52:46 | 政治
 安倍晋三は2020年4月7日に東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言を発出、4月16日に対象地域を全国に拡大、当初の7都府県に北海道、茨城、石川、岐阜、愛知、京都の6道府県を加えた13の都道府県を「特定警戒都道府県」と位置づけた。
 そして5月14日に北海道・東京・埼玉・千葉・神奈川・大阪・京都・兵庫の8都道府県を除く39県で緊急事態宣言を解除決定。5月21日に大阪・京都・兵庫の3府県について緊急事態宣言解除決定。緊急事態宣言は東京・神奈川・埼玉・千葉・北海道の5都道県で継続。

 5月25日に首都圏1都3県と北海道の緊急事態宣言を解除。約1か月半ぶりに全国で解除。(以上「NHK NEWS WEB」記事から)

 緊急事態宣言では繁華街の接待を伴う飲食店等への外出自粛要請や、不要不急の帰省や旅行などの他都府県への移動自粛要請などの緊急事態措置を行っている。いわゆる外出・移動の自粛である。イベント開催自粛も、外出・移動自粛の一形態である。特定空間での3密(密閉、 密集、 密接)回避にしても、外出・移動自粛の結果、生み出される形態ということになる。

 そのほかに安倍政権はコロナ感染抑止対策としてマスクの着用、手洗いの励行を要請した。

 政府新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は2020年5月29日、「緊急事態宣言の効果」を総括している。

 〈報告日ベースでは新規感染者数のピークは4月10日頃。推定感染時刻ベースでは感染時期のピークは4月1日頃。〉

 ウイルス感染から発症までの潜伏期間の平均を10日前後に置いていることになる。

 〈緊急事態宣言前(3月末)から、市民の行動変容等により、新規感染者は減少傾向〉にあり、〈緊急事態宣言後は、実効再生産数(1人の感染者が次に平均で何人にうつすかを示す指標)が再反転せず、宣言期間中を通じて1を下回り、低位で維持。〉云々と総括、4月7日からの安倍政権の緊急事態宣言の効果を一定程度認めている。

 だが、2020年5月25日の緊急事態宣言全面解除後の6月半ばから、新規感染者数は増減を見せながら次第に増加傾向を辿っていき、6月15日新規感染者が73名だったものが7月30日1148名、7月31日、1323名、8月1日1539名と最多を記録している。当初は夜の接待を伴う飲食の場での感染者が多く出て、マスクをしていない3密下の感染のように見られていたが、緊急事態宣言下と同じくマスクや手洗いをしているはずの状況下での感染である市中感染がなくなったわけではなく、ここに来て増加傾向にあることを見ると、マスク装着の有無が感染を分けているわけではなく、マスクや手洗いに於ける感染抑止の効果さえ、疑わしくなり、緊急事態宣言に基づいた外出・移動の自粛が唯一の見るべき感染抑止対策に見えてくる。

 事実、マスクがコロナ感染防止に完全ではないことを次の記事は伝えている。

 「新型コロナウイルスとマスクの効果について」(厚労省)

新型コロナウイルス関連肺炎(新型肺炎)の感染拡大に伴い、予防対策としてマスクの有効性についての質問が増えています。

厚生労働省新型インフルエンザ専門家会議は、
「症状のある人が、咳・くしゃみによる飛沫の飛散を防ぐために不織布(ふ しょくふ)製マスクを積極的に着用することが推奨される(咳エチケット)」としており、 不織布製マスクについて、

(1)咳・くしゃみなどの症状のある人が使用する場合 咳・くしゃみなどの症状のある人は、周囲の人に感染を拡大する可能性があるため、可能な限り外出すべきではない。また、やむを得ず外出する際には、 咳・くしゃみによる飛沫の飛散を防ぐために不織布製マスクを積極的に着用することが推奨される。これは咳エチケットの一部である。

(2)健康な人が不織布製マスクを使用する場合 マスクを着用することにより、机、ドアノブ、スイッチなどに付着したウイルスが手を介して口や鼻に直接触れることを防ぐことから、ある程度は接触感染を減らすことが期待される。 また、環境中のウイルスを含んだ飛沫は不織布製マスクのフィルターにある程度は捕捉される。しかしながら、感染していない健康な人が、不織布製マスクを着用することで飛沫を完全に吸い込まないようにすることは出来ない。
としています。

 要するに2008年11月20日開催の厚生労働省新型インフルエンザ専門家会議のマスクの有効性に関わる見解をそのままにコロナウイするに於ける有効性に転用している。

 〈咳・くしゃみによる飛沫の飛散を防ぐために不織布製マスクを積極的に着用することが推奨される。〉が、〈感染していない健康な人が、不織布製マスクを着用することで飛沫を完全に吸い込まないようにすることは出来ない。〉
 「不織布」とは、「繊維を織らずに絡み合わせたシート状に布」とネットで紹介されている。推奨はするものの、コロナウイルス感染防止に100%役立つとは限りないと断っている。全国全ての各家庭に2枚ずつ配布したアベノマスクは不織布製マスクではなく、推奨外の布マスクである。安倍晋三は不織布製マスクが完全ではないにも関わらず、より完全ではない布マスクを各家庭に配って、自慢気な態度を取った。

 安倍晋三は2020年4月28日の衆議院予算委員会で、「今般配布される布マスクの定着が進むことで全体として現在のマスク需要の拡大状況を凌げるのではないかという話もあったところでございます」と発言している。要するにアベノマスク配布の自慢の矛先は感染防止に対してではなく、需給調整にあった。

 2020年5月6日に安倍晋三がニコニコ生放送「安倍首相に質問!みんなが聞きたい新型コロナ対応に答える生放送」に出演、「こういうものを出すと、今まで溜められていた在庫もずいぶん出てまいりました。価格も下がってきたという成果もありますので、そういう成果はあったのかなあと思います」と発言したのも、当然のこととして頷くことができる。

 緊急事態宣言下の外出・移動の自粛による人と人との接触の極端な減少がマスクの感染防止の不完全性な効能を隠して、効果があるように見せかけた側面もあったはずである。でなければ、マスクを外す必要が迫られるカラオケボックスや居酒屋、ナイトクラブ等の感染はともかく、3密回避しなくても、マスクと手洗いを励行していさえすれば、市中感染は速度は遅くても、減少傾向を辿っていいはずである。だが、ここに来て、マスクをしているはずの人達の間でも感染は増加傾向に転じている。

 「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」(新型コロナウイルス感染症対策本部決定/2020年5月25 日変更)は新型コロナウイルス感染症に対する感染管理として手洗いの消毒、人と人との距離の維持等のほかに室内の換気励行を求めている。3密(密閉・密集・密接)の回避である。

 緊急事態宣言解除後も室内の換気励行を実践していたはずだが、特に居酒屋やカラオケ、バー、クラブの感染が増加した原因は室内の換気励行を怠っていたからだろうか。このような飲食店がマスクを外した状態での「密集・密接」は避けがたいとしても、室内の換気励行を実践していたなら、厚労省は、〈一般的な家庭用エアコンは、室内の空気を循環させるだけで換気を行っていません。新型コロナウイルスを含む微粒子等を室外に排出するためには、冷房時でもこまめに換気を行い、部屋の空気を入れ替える必要があります。〉と換気の効能を謳っているのが、〈日本の新築住宅や新築ビルには、換気回数が決められているが、古い建物の場合は、冷暖房はあるのですが、換気に関しての規定はない。〉(「ヨコタ総建」ことからすると、バーやクラブは古いビルに多く開店していることを考えると、この種の店でのクラスターが多い事態は窓もなく、ビル自体が換気システムを備えていないための換気不可能が原因ということも考えられる。

 要するに室内の換気励行が不可能か、励行を怠っていたことになる。緊急事態宣言を受けた営業自粛という外出・移動の自粛が3密回避状態をつくっていてくれて、感染抑止に繋がっていたことになる。まさに安倍政権のコロナ感染抑止効果は緊急事態宣言に基づいた外出・移動自粛のみと言うことになる。

 ここに来ての感染急拡大で東京都知事小池百合子知事は来月3日から酒を提供する飲食店などに営業時間の短縮を要請する考えを示したことは時間限定・場所限定の外出・移動自粛にほかならない。つまり、外出・移動自粛以外に感染抑止の効果策は見出し得ていないことを示している。

 感染者が7月31日にが71人と5日連続で過去最多を更新し、8月1日が58人と増加傾向を辿っている沖縄県は県独自の緊急事態宣言を発出、8月1日から沖縄本島全域での不要不急の外出自粛、県を跨ぐ移動の自粛、県外からの訪問の慎重な判断、那覇市内の飲食店に対して午前5時から午後10時までのは営業時間の短縮、イベントの開催の中止か延期、規模の縮小の検討要請等を求めることにしたと「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 これも時間限定・場所限定の外出・移動自粛の一変型に過ぎない。

 京都府も感染拡大を受けて、5つのルールを呼びかけることを決めている。

▽飲み会や宴会を行う際は2時間を上限とする
▽10人程度を超える大人数は避ける
▽深夜の実施は控える
▽ガイドラインを順守している店を利用する
▽店舗で感染が起きた場合に利用者に通知する連絡サービスのアプリを活用する(NHK NEWS WEB)

 この5ルールも時間限定・場所限定の外出・移動自粛の体裁を取っていて、これ以外に感染抑止策がないことを表している。

 ところが安倍政権は感染者がこれだけ増えていながら、緊急事態宣言の再発出を一貫して否定し続けている。

 2020年7月31日の官房長官閣議後記者会見。

 菅義偉「現在の感染状況は3月、4月の増加スピードよりもやや緩慢だが、一部地域では感染拡大のスピードが増して、憂慮すべき状況であり、重症者も徐々に増加していると分析されている。
 こうした状況を総合的に判断すると、現時点で緊急事態宣言を再び発出し、社会経済活動を全面的に縮小させる状況にあるとは考えていないが、分科会を開催して専門家の意見を伺い、引き続き、感染拡大防止と社会経済活動の両立に向けて取り組んでいく。

 (現在の状況が感染拡大の「第2波」に当たるかどうかについて)政府として、厳密な定義を置いているわけでない。いずれにせよ、感染拡大の次なる波に万全の対策を期していきたい」(NHK NEWS WEB)

 「感染拡大防止と社会経済活動の両立に向けて取り組んでいく」――結構なことだが、政府及び自治体の「感染拡大防止」が外出・移動自粛以外に何の役にも立っていないにも関わらず、外出・移動自粛を主たる柱とする緊急事態宣言の再発出はしないと平気で矛盾したことを言っている。社会経済活動を維持したい一心からだろうが、時間限定・場所限定の外出・移動自粛であっても、社会経済活動の阻害要因となることは目に見えているのだから、外出・移動自粛以外の感染拡大防止を提示しなければならないはずだが、「感染拡大防止」を言うだけで、何ら策を施そうとしていない。

 この点、安倍晋三も何ら変わりはない。「第13回経済財政諮問会議」(首相官邸/2020年7月31日)
  
 安倍晋三「本日は、中長期の経済財政試算について、議論を行いました。今般の感染症拡大により経済活動や国民生活への影響が甚大かつ広範に及ぶ中で、まずは政府として、感染拡大の防止を徹底しながら、雇用の維持と事業の継続、また国民生活の下支えに力を尽くすとともに、経済の活性化を推進してまいります。

 その上で、我が国が目指す将来の姿として、誰もが実感できる質の高い成長と、そして持続可能な財政を実現してまいります。今回試算で示された、我が国の中長期の経済財政状況は、厳しいものではありますが、引き続き、経済再生なくして財政健全化なしの基本方針の下で、経済・財政一体改革の着実な推進に努めてまいりたいと思います」

 「感染拡大の防止」が全くできていないにも関わらず、「感染拡大の防止を徹底しながら」社会経済活動を維持すると、「感染拡大の防止」ができているかのように言う。この図々しさを隠すために格差社会を作っておきながら、「誰もが実感できる質の高い成長と、そして持続可能な財政を実現してまいります」などと綺麗事を言って、なお図々しさを発揮している。

 ビル換気システムや窓がなくても、厚労省が求めている、〈一般的な家庭用エアコンは、室内の空気を循環させるだけで換気を行っていません。新型コロナウイルスを含む微粒子等を室外に排出するためには、冷房時でもこまめに換気を行い、部屋の空気を入れ替える必要〉を別の形で満たす方法はある。但し効果があるかどうかは科学的実証を要する。

 シーリングファン(天井に取り付ける扇風機)をカウンターなら、客の頭上に客が座ることができる人数分取り付ける。ボックス席なら、ボックス中央の天井に大きめの羽のシーリングファンをボックス席の数だけ取り付ける。最近のシーリングファンは静音技術が発達していて、ゆったりと羽を動かせば、音をうるさく感じることはないと言う。要するにシーリングファンで真下向きの風をつくって、衣服に付着したウイルスを床に落とす。当然、衣服等に付着していたウイルスは床に集まり、靴で踏みつけ、靴と共に移動することになる。

 だが、靴対策は不要だとする記事がある。

 「新型コロナウイルス感染症に対する感染管理」(改訂 2020年6月2日国立感染症研究所 国立国際医療研究センター 国際感染症センター) 

🔴医療機関におけるCOVID-19 の疑いがある人やCOVID-19 患者の診療時の感染予防策
※床、靴底からウイルスPCR陽性であったとの報告があるが、以下の理由からさらなる感染対策の拡大は不要である。
・遺伝子の検出はされたが、これが院内感染の要因となったとの報告は見られない。
・通常の清掃以上の床や靴底の消毒については安全な方法がはっきりしておらず、作業を増やすことで手指衛生などの通常の感染予防策が不十分になる、周囲環境を飛沫などで汚染させるリスクがある。

 一方で床のウイルスの危険性を伝える記事も存在する。

 「災害時の避難所 床付近でも感染リスク 新型コロナ」 (NHK NEWS WEB/2020年5月13日 12時26分)

 特殊な装置を使い、人のくしゃみと同じ量の飛まつを発生させ、高感度カメラで撮影すると、1.5メートルほど先の床の付近に集中して落下することが分かった。その上を人が歩くと、ホコリなどに付着した飛沫が床の上に舞い上がる様子が見られた、近くでくしゃみや咳をして空気が動くだけでも、ホコリは床から20センチほどの高さまで舞い上がった等々、伝えている。 
  
 当然、靴を履いていれば、靴と共に移動することになる。穿いていなければ、靴下か足の裏についての移動となる。

 次の記事も床のウイルスの危険性を伝えている。「ウイルスが靴底付着、拡散 微粒子は4メートル飛散も―中国武漢の臨時病院で調査」(時事ドットコム/2020年04月19日18時58分)
  
 軍事医学科学院の研究チームによる調査で、集中治療室(ICU)に出入りする医師や看護師らの靴底にウイルスが付着し、薬剤部などに拡散していたほか、ウイルスを含む微粒子が約4メートル飛散した可能性が判明した。

 〈集中治療室の方が一般病棟より汚染され、パソコンのマウスやごみ箱、ベッドの手すり、ドアノブにウイルスがよく付着しているのは予想通りだったが、エアコンの空気吹き出し口や床から検出される割合も高かった。ウイルスを含む微粒子が患者のせきなどで飛沫(ひまつ)として放出された後、空気の流れに運ばれたとみられる。患者の周囲で採取した空気サンプルからもウイルスが検出され、集中治療室ではベッドに寝ている患者の上半身から約4メートル離れた位置で採取したサンプルから検出された。〉

 〈研究チームは、医師や看護師らが患者のいるエリアから出る際は靴底を消毒し、患者のマスクも捨てる前に消毒するよう勧告している。〉

 両記事共に国立感染症研究所の床、靴底に対するウイルス対策は不要とする主張とは大違いの内容となっている。

 シーリングファンによって床に落ちた場合のウイルスは靴に付着して人と共に移動することを防ぐために食品工場への出入りの際に細菌を工場内に持ち込ませないために入り口に長靴の底を洗うための水深のごく浅い消毒槽が備えてあるように店の出入り口にアルコール書毒液を含ませたスポンジを入れた900×700×150程度の長方形の容器を置き、出入りのたびに靴やハイヒール等の底を消毒させてから出入りさせる仕掛けにしておけば、ウイルスの移動を可能な限り押さえることができる。

 シーリングファンに加えて、アルコールをミストにして噴射する噴射ノズルを配置した配管を客ごとの頭上に設置して、タイマーで一定時間ごとに噴射すれば、シーリングファンの風で衣服から落ちないウイルスの殺菌に効果はないだろうか。科学的実証が必要だが、水滴を霧状にしたミスト噴射は濡れた感覚がしないし、ゴムホースや塩ビ管で噴射ノズルを繋げて、天井に吊るし、配管の先にアルコールを貯めておくことができる水槽を取り付けておけば稼働できるから、費用も左程かからない。但しタイマーの取り付けとなると、専門家の手間が必要になるかもしれない。

 ミスト噴射等を使って店内の床を常時湿り気を持たせておけば、人の移動と共にウイルスが舞い上がることもない。再三断っているが、科学的実証を経なければならないが、経た上で効果があるということなら、どのような外出・移動の自粛に頼ることなく、社会経済活動を維持した状態で感染抑止が可能となる。

 効果がなければ、「感染拡大の防止」ができない状況下で、「雇用の維持と事業の継続、また国民生活の下支えに力を尽くすとともに、経済の活性化を推進」することなどできないのだから、「ワクチンの開発と確保」(2020年7月31日、官邸会見発言)に頼る以外に打つ手がないいうことなら、あまりに無策過ぎる。

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安楽死から考える人間の尊厳に関わる生き死にの線引 個人個人が行うべきものであり、他人は行い得ない

2020-07-27 09:52:29 | 政治
 80歳という年齢が理由なのか、ブログを書くのがときどき面倒臭くなってきて、そろそろやめようか、それとも2週間に1度に減らそうかと考えることが多くなった。最近はどうでもいいことを書いている感がしていて、そのうち思っていることを実行に移すかもしれない。

 大した生き方をしてきた人間ではないから、生き方の総体としての個々の命については偉そうな口は利けないが、命の本質性に関しては誰もが平等であると考えると、最近話題となっている尊厳死について一言できる資格はあると思う。

 「尊厳死」とは人間としての尊厳を失う前に、つまり人間としての尊厳を維持できている間に自らの意思と自らの力に基づいて死を迎えるか、自らの意思に基づくものの、他者の力を借りて死を迎えることを言うはずである。つまり許される、許されないは別にして、あくまでも自らの意思からの発現でなければならない。

 これが他者の意思と力に基づいて行う場合は「命に対する尊厳」という形は取らずに「命に対する蔑視」に基づいて強制的に死を与えるという形を取ることになる。

 尊厳死に於ける前者は自殺という形を取り、後者は安楽死が認められていない日本では自殺幇助か嘱託殺人といった形を取る。

 そして「安楽死」とは、その多くは尊厳死の方法論の一つを指す。 

 れいわ新選組から2019年の参院選に立候補して落選した大西恒樹(56歳)なる人物が高齢者から「命の選別」をすべきと発言したと、2020年7月8日付「IWJ Independent Web Journal」記事が伝えている。その発言を纏めてみる。

 大西恒樹「高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ。介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者を……死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます。

 こういう話、たぶん政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど。何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。選択しないで、みんなにいいこと言っていても、たぶんそれ現実問題としてたぶん無理なんですよ。

 だからそういったことも含めて、順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです」

 記事は「高齢の方から逝ってもらうしかないです」の発言に対して、〈高齢者に先に死んでもらうしかないと明言したのである。〉、〈「逝ってもらう」とは、寿命が来る前に、まだ生きている人を「殺す」ということである。高齢者の組織的大量殺戮を堂々と宣言したようなものだ。こんなことを「政治」の仕事だと公言する人物が、一度は国会議員を目指して立候補したということ自体に、寒気を感じる。〉と解説している。

 「命の選別」に関して「高齢の方から」と言っていることは「高齢の方」が「順番として」最初であって、その次があることになる。大西恒樹が考えていることはさしずめ身体障害者ということなのだろう。

 「逝ってもらう」方法が安楽死という形を取ったとしても、「命の選別」の線引は他人が決定権を一括して握ることになり、このことはそのまま個人個人が行うべき人間の尊厳に関わる生き死にの線引をも他人の決定権に委ねることになる。

 このような経緯の具体化の一つがヒトラーの優生思想に基づいてユダヤ人等を劣等人種と看做し、その絶滅を謀ったナチスのホロコーストであろう。つまり他者の意思と力に基づいて行う命の選別は「命に対する尊厳」という形を取ることはなく、「命に対する蔑視」という形を取って、最悪、強制的に死を与える儀式と化す必然性を往々にして担う。

 往々にして担った例として「重度の障害者は生きていてもしかたない。安楽死させたほうがいい」という思想のもと、2016年7月26日未明に自身が勤めていた障害者施設「津久井やまゆり園」に侵入、入所者19人を殺害、26人に重軽傷を負わせた植松聖(当時26歳)の他人が関わることができないにも関わらず関わった「命の選別」、人間の尊厳に関わる生き死にの線引を身勝手に行った例を挙げることができる。

 植松聖は自らの思想を自らの手で具体化したが、れいわ新選組から2019年の参院選に立候補して落選した大西恒樹は自らの思想を国の政策として具体化したいと欲している点、ナチス・ヒトラーに近い。

 大西恒樹の発言が報道されたのは2020年7月8日。半月後の2020年7月23日の報道は2019年11月30日に当時51歳のALS女性患者が2人の医師に安楽死を依頼し、医師はその依頼に応じて、腹に開けた穴からカテーテルを使って直接胃に薬物を投与し、嘱託殺人の疑いで逮捕されたというものであった。

 既に触れているが、安楽死は日本では認められていないし、このことは周知の事実となっている。だが、事の良し悪しは別にして、女性は人間の尊厳に関わる生き死にの線引を自らの意思に基づいて行った。もはやこれ以上生きたとしても、人間として抱えている自らの命の尊厳を守ることはできないと命に終止符を打つことを考えた。

 終止符を打つことがギリギリのところで自らの命の尊厳を守る唯一の方法だとした。

 あくまでも自己の命の尊厳に限定した線引であって、他人の命の尊厳にまで土足で踏み込んで、好き勝手に線引したというわけではない。例え日本で安楽死制度が成立したとしても、あくまでも希望者が対象であって、年齢や身体上の機能を一律的条件として課す制度とはならない。なぜなら、最初に触れたように人間の尊厳に関わる生き死にの線引は個人個人が行うべきものであり、他人は行い得ないからであって、民主主義体制を維持する限り、優生思想に基づいて国家や他人が線引する理不尽・不条理な抹殺・排除の類いのつくりとは決してならない。

 もし日本で制度として安楽死が認められることになった場合、命の尊厳の自分なりの維持に見切りをつけて制度を利用する人間が増える一方で見切りをつけずに人間としての自らの尊厳の線引を、少なくとも生命維持装置が必要となる瞬間まで自然の摂理(自然界を支配している法則 「goo国語辞書」)に任せて制度を利用しない人間が多く存在することになるはずである。

 利用しない人間が多くの人間が利用するのに自分が利用しないのは肩身が狭い、悪口を叩かれているのではないかと気に病み、あるいは周囲の人間が利用すべき人間でありながら、利用しないのは国に迷惑をかけていることになるなどと批判したり悪口を叩いたりするのは双方共に個人個人として自律していない人間ということになる。

 自律していれば、生き死にに関して人間の尊厳をどの辺りに置くかの線引は個人個人が行うべきものとの認識のもと、人は人、それそれが決める個人的な認識の問題として距離を置いて冷静に眺めることができる。戦前の日本人は相互に自律していなかったから、個人の尊厳を全く無視した、国家への従属一辺倒の「天皇のため・お国のため」の全体主義一色となることができた。特に介護が必要な身体の機能に障害がある場合は強い自律心を持って自らの生き死についての尊厳の線引は自分自身に委ねられているものと自覚していなければならないはずである。 
 
 65歳以上の要介護者が親族に殺される老老介護殺人は年に20件から30件起きていると言う。介護疲れから先行きが見通せなくなったり、共倒れしてしまうのではないのかといった恐れから自発的に殺人を犯す場合と、苦しがるあまり、見るに忍びないと同情心から殺してしまうケース、殺して欲しいと頼まれて止む得ず殺してしまうケース。

 もし安楽死制度があったなら、人間としての尊厳を自ら守る生き死にの線引を前以って要介護の程度に置き、その程度を超えた場合は安楽死を以って自らの人間としての尊厳を維持したまま生に終止符を打つと登録しておくケースも出てきて、老老介護殺人の何件かは殺人という形を取らずに済むことになる可能性は生じる。

 2019年10月25日再放送のNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」は安楽死制度が認められていて、外国人の安楽死を受け入れているスイスに行き、2018年11月に安楽死を遂げた52歳の女性の、2人の姉との関わりを含めて、そこに至るまでの経緯を取り上げていた。彼女は、死の2ヶ月前にスイスの安楽死団体に登録を行った。英文の希望理由の一部を番組は字幕で伝えている。

「私が私であるうちに安楽死をほどこしてください。確実に私が私らしくなるんです」

 「私が私であるうちに」とは彼女が考えている彼女なりの人間としての尊厳を維持できている命である間にという意味を取るはずである。そしてそういった命である間にその命を閉じることが彼女にとって「確実に私が私らしくなる」、つまり「確実に私は私らしい命の尊厳を守り通すことができる」ということなのだろう。

「私が死を選ぶことができるということは私のどうやって生きるかということを選択することと同じくらい大事なことだと思うんです。安楽死をみんなで考えることは私の願いでもあるんです」 

 「私が死を選ぶ」とは、勿論、安楽死を指す。「どうやって生きるか」は彼女が置かれている状況から考えると、人間としての尊厳の線引をどこに置いて生きるのかの選択ということになり、その選択が安楽死であって、「どうやって生きるかということ」と安楽死=「私が死を選ぶこと」はイコールの関係にある「大事なこと」という意味を取るのだろう。

 彼女にとって安楽死が自分自身の命の尊厳、あるいは人間としての尊厳を守る切迫した、唯一の手段となっていた。

 番組はスイスの安楽死団体に日本人の登録は2016年から始まり、2018年には8人、2019年には6人の合計17人に上ると伝えていた。

 命の尊厳、あるいは人間としての尊厳の線引をどの辺りに置くかは人それぞれが自らの意思で任意に決めることであって、人それぞれによって異なる。但し日本では人間としての尊厳を維持するためには死以外にないと考えた場合は自殺か、自殺幇助や嘱託殺人以外の方法はないことになる。老老介護殺人の悲劇も減らないことになる。
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安倍政権の何も教訓とせず、被災者に悪戦苦闘のみを押し付けて毎年繰り返す、無能な家庭災害廃棄物処理光景

2020-07-20 11:21:33 | 政治
 2016年3月31日付「環境省大臣官房廃棄物・リサイクル対策部廃棄物対策課災害廃棄物対策チーム」といった仰々しい主催者名で、題名《災害廃棄物対策の基礎~過去の教訓に学ぶ~》の記事は、〈災害廃棄物対策の初動対応に関係する以下の項目について、過去の事例から得られた教訓をもとに解説します。〉とあり、〈通常業務と並行して対応する職員が3名程度であり、迅速な廃棄物の収集体制が組めなかった。 ・ 「がれき混じり土砂、建築物の倒壊・解体により生じたがれき及び土砂」の収集運搬処分の担当課が明確ではなかった。〉とか、〈仮置場における災害廃棄物の排出方法の周知や対応者を満足に配置できず、分別の乱れと便乗ごみを食い止めることができなかった。〉、〈• 災害の翌日が土日であったため、短い期間で一気に片づけごみが排出され、仮置場を設置してもすぐに満杯になってしまった。 • 水害、土砂災害では、土砂流出が多いため、発災当初に確保した仮置場だけでは足らず、急遽市有地や民有地を選定した。 • 港湾部に仮置場を設置したが、漁業者から「さんま漁が始まるので邪魔になる」と言われ、移動した。〉、〈周辺住民から臭気・車両渋滞等の苦情が発生して使用継続が困難になり、すぐ次の用地選定に迫られた。〉等々の「過去の事例」を挙げて、今後の迅速かつ適正な対処法の教訓とすべき案内としている。

 要するに自治体の業務遂行迅速化を優先させた過去の事例に学ぶ「災害廃棄物対策」であって、被災者の立場に立ち、災害時に於ける家財道具等の災害廃棄物の後片付けに関わる効率化の教訓とするために過去の事例を学ぶという内容は一切取っていない。

 被災者が自宅の1階にまで浸水した、2階にまで浸水した、土砂が流入した等々で使えなくなった家財道具等を廃棄場所に持っていって処分し、使える家財道具は邪魔にならない場所に移動して、先ずは家の中をほぼ空っぽ状態にしてから水や泥を掻き出して、可能な限り短期に家の姿を元に戻し、以前通りに住むことができるよう、被災者を対象に過去の事例を原状回復の用に供するといった体裁の案内はネットのどこを探しても見つからなかった。
 見つからないのは当然である。大規模災害が発生するたびに後片付けに翻弄される被災者の悪戦苦闘は、それが当たり前であるかのように何も変わらない光景で毎年毎年繰り返されているからである。

 この何も変わらない光景の繰り返しは災害後に被災者が後片付けに悪戦苦闘する姿を災害と一対のものと見ているから起こる。つまり悪戦苦闘を当たり前の光景としているからである。当然の結果として政治の側も行政の側も、被災者の悪戦苦闘に対して過去の事例になど学ぶ必要を持たない。だから、災害が襲うたびに被災者が後片付けに悪戦苦闘する同じ光景が毎年のように延々と続くことになる。

 同じ光景の繰り返しは被災者の悪戦苦闘に対して政治側・行政側が何の工夫も芸も凝らしていないことを示す。

 日本国憲法第3章「国民の権利及び義務」第14条で、〈すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。〉と規定している以上、この悪戦苦闘は解消されなければならない繰り返される光景でありながら、その解消に向けた努力を安倍晋三等政府側の人間も自治体の人間も払おうとはしない。

 結果的にこの悪戦苦闘という同じ光景の繰り返しは悪戦苦闘が歴史そのものとなっていることを示す。前々年もそうだった、前年もそうだった、今年もそうだったは歴史化以外の何ものでもない。

 この歴史化に無頓着な発言を防災担当相武田良太の2020年7月12日のNHK「日曜討論」で行っている。
 
 武田良太「『コロナ禍』で気を抜けない状況の中で、ボランティアの出足が非常に悪く、絶対的なマンパワーが足りない。流れ込んだ土砂やゴミの除去には、ボランティアをはじめとしたマンパワーが必要だ。新型コロナウイルス対策をしながら、多くの方々の手を借りるシステムをどう作り上げるかが大きなテーマだ」(NHK NEWS WEB)

 豪雨に襲われた熊本県では県内自治体によって受け入れボランティアを県内在住者に限るというものや、県内被災地近隣に限るなどの条件をつけていて、ボランティアの人数が圧倒的に不足しているという。このような状況を受けた武田良太発言で、政治家らしく「マンパワー」などと体裁のいいことを言っているが、あくまでもボランティアの人力頼りであることに変わりはない。

 流れ込んだ土砂やゴミの除去に限らず、使えなくなった家財道具等の片付けに何の工夫も芸もないから、ボランティアの人力に頼る以外になく、コロナだ何だとボランティアが不足すると、たちまちお手上げ状態となる。歴史化した同じ光景の繰り返しを延々と続けることになる。

 武田良太のどこまでいってもボランティアの人力頼りはボランティアや被災住民の悪戦苦闘を気にもかけていないからこそ可能としている意識の現れであろう。ボランティア不足は人力不足そのものとなって現れるから、悪戦苦闘の程度はひどくなる。だが、「多くの方々の手を借りるシステムをどう作り上げるかが大きなテーマだ」と、あくまでも人力頼りで、何らかの工夫や芸の必要性を示す意志を持たないから、悪戦苦闘は脇に置いていることになる。武田良太自身が悪戦苦闘を味わうわけではないから、涼しい顔をしていられるのだろう。

 政府側の人間で何らかの工夫や芸の必要性を感じることなく涼しい顔をしているのは武田良太だけではない。

 2020年7月15日衆議院予算委員会閉会中審査

 共産党衆議院議員藤野保史は梅雨前線による九州各地の豪雨被害を取り上げ、熊本県人吉市や球磨村の惨状を訴えてから、次のように質問している。

 藤野保史「政府が分散型避難を呼びかけている。そのことで自宅や親戚宅に避難されている方がたくさんいらっしゃいます。しかしそこに物資や医療の支援が届いていないという現状であります。12日の人吉市(写真パネルを示す)。ご覧頂いたら分かりますように2階まで水に浸かっていたいうことがたくさんあるわけでございます。

 親戚宅に身を寄せているある男性は『自分は1週間車中泊だけども、家族は親戚だ』と。自宅の2階にいるという方は『1階にあった冷蔵庫も洗濯機もやられた』と。『風呂にも入れない。車も使えなくなったので、遠くのスーパーに歩いて買い物にいかなければならない』って言うんですね。

 『病院で肺の検査をする予定だったけども、キャンセルになった』と。山間地帯で孤立が続いている、そういう集落も複数あります。防災担当副大臣、平副大臣に聞きたいんですが、内閣府は7月10日にですね、こうした親戚宅などに身を寄せている被災者に対するプッシュ型の支援を求める通達を実際出されていると思います。

 しかし現状のままではですね、この折角の通達が掛け声倒れになりかねない。これ、どう改善されていくんでしょうか」

 平将明「委員ご指摘のとおりですね、うちの武田大臣(内閣府防災担当特命担当大臣)と御党の志位局長、連絡を密にされてですね、今月10日にですね、災害救助法の適用を受けた件に関して在宅避難者への物資・情報等適切に提供して頂くように通知を発出したところでございます。

 委員、そのあと、現地に入られたということだというふうに思いますが、被災地に於いてはですね、例えば圧倒的人手不足の中でありますが、この熊本県球磨村に於いては自衛隊により支援ニーズのある、確認をされた在宅避難に対しては在宅避難者に対しては医薬品を含め、あのー、支援物資を配布をしておりますし、人吉市に於いては要支援者名簿を活用して避難者の状況を把握し、必要な支援物資を届けていると聞いています。ただ、まだ足りないところがあるというご指摘であります。

 ただ、目詰まりしているのが物資なのか、人手なのか、情報なのかということですが、物資はプッシュ型でですね、在宅避難者の分まで供給するようにしています。で、多分人手のボランテアのところと、あと情報ですよね、どこに誰がいるのか全部把握しきれていないということだと思います。

 基本的に元気な方はですね、避難所に来て頂いて、ご連絡を頂いたり、物資を持って帰って頂いたりということだと思いますが、要支援者の方はそうはいかないと思いますので、こちらはですね、本来、リスト化をして行動計画を作ることになっていますが、避難所の分散化にそれがついてきていない可能性をありますので、今後自治体とよく連携を取りながら、今の状況を解消して参りたいと思っています」

 藤野保史「是非きめ細かな対応を求めたいと思います」

 「目詰まりしている」一つが「人手のボランテアのところ」、つまり防災担当相の武田良太がNHK「日曜討論」で発言していたようにコロナの影響でボランテア不足を来してる。その不足に対して何か工夫をするか、芸を見せるといった意志はサラサラ見せず、ただ単に役人が作った作文を読み上げている。

 「この熊本県球磨村に於いては自衛隊により支援ニーズのある、確認をされた在宅避難に対しては在宅避難者に対しては医薬品を含め、支援物資を配布をしている」

 つまり自衛隊は自らが任務としていることを行い、ボランティアは自らが行うことを行う。自衛隊によってボランティア不足を補うという発想はなく、相互に領域を侵さないという固定観念に囚われているから、ボランティア不足を「目詰まりしている」の一言で片付けることができる

 政府のこの相互に領域を侵さないという姿勢は2020年7月17日付「NHK NEWS WEB」が伝えている、防衛相河野太郎の7月17日閣議後発言に如実に現れている。NHK NEWS WEB記事添付の画像を載せておいた。

 7月16日に陸上自衛隊のヘリコプター1機が土砂災害で孤立している熊本県球磨村の淋地区にある養豚場から地元のブランドになっている豚の種豚27頭を現地で獣医師が鎮静剤を注射したあと「フレコンバッグ」と呼ばれる大きな袋に1匹ずつ入れて吊り下げ、およそ300メートル離れた広場まで輸送したことを明らかにしたという。

 河野太郎「普通の豚なら、こうはならないかもしれないが、今回はここにしかいない、養豚業にとって価値の高いものだというので要請を受けた」(NHK NEWS WEB)

 「普通の豚」なら、自衛隊の任務外で、自分たちでどうにかして欲しい、あくまでも例外中の例外だとする言葉の趣旨によって、自衛隊と民間の領域を相互に侵さないとする姿勢を見せている。「普通の豚」であろうと何だろうと、孤立していて民間ではどうにもできないことなのだから、何でも引き受けますよといった両者の垣根を外した臨機応変な姿勢とはなっていない。

 当然、ごく希な例外を除いて、決められた自衛隊の任務のみを行うという姿勢・発想はボランティア不足に対して臨機応変、かつ機動的に機能しないことを示すことになる。結果、被災者やボランティアの悪戦苦闘光景は毎年毎年、延々と繰り返されることになる。
 被災者やボランティアの悪戦苦闘は義務とされている宅地内からの土砂や瓦礫等を決められた集積場にまで撤去することのみならず、交通の障害となることから、左に掲げた画像のように自治体が行うべき道路の土砂や瓦礫等の撤去まで行っていることによっても生じている。ところが、今回の豪雨災害でボランティア不足から熊本県は国と調整を行い、市町村が必要性があると判断した住宅の場合は委託を受けた業者などが住民に代わって集積場への撤去を行う事業を進めて行くことになったと2020年7月17日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 要するに業者が行う作業は住民が宅地内から道路にまで出した土砂や瓦礫等の集積場までの運搬であって、宅地内から住宅前の道路までの土砂や瓦礫等の撤去そのものは依然として被災者とボランティア任せということになる。確かに被災者とボランティアの悪戦苦闘は一定程度解消されるが、ボランティアの人数が差し引かれた場合、どれ程変わるだろうか。

 使えなくなった家財道具類を集積場にまで運んだり、床を剥がして床下の泥濘をスコップで掬って土嚢袋に詰め込み、その土嚢を住宅前の道路際に運ぶのも決して楽な仕事とは言えない。被災歳者にとっていくら自分の家だからと言って、ボランティアの手を借りて、家を元に戻そうとする原状復帰の悪戦苦闘は決して生易しくはないはずである。

 だが、大規模災害の被災者は、例え人が変わったとしても、生易しくはない悪戦苦闘を当たり前のように宿命づけられる。行政側が基本のところであくまでもボランティア頼み・人力頼みで少しでもその負担を軽くしよう務めないからなのは断るまでもない。

 いくらボランティア頼みであったとしても、人力頼みを少しでも軽減したなら、軽減の度合いに応じて悪戦苦闘も少しは軽減できるのだが、その発想はない。

 安倍晋三は「2020年7月豪雨非常災害対策本部会議(第3回)」で次のように発言している。

 安倍晋三「被災地では発災直後から、警察・消防・海上保安庁・自衛隊による懸命の救命救助活動を進めておりますが、昨日から今日にかけて九州の広いエリアに被害が拡大していることも踏まえ、現在、8万人体制に拡充し、何よりも人命第一で取り組んでいます」

  警察・消防・海上保安庁・自衛隊が8万人体制でいくら臨もうとも、人命救助と道路復旧等に力を注ぐが、被災者の家の原状復帰にかかる悪戦苦闘にまで手を伸ばすわけではない。

 安倍晋三「各位にあっては引き続き、被災自治体としっかりと連携し、被災者に寄り添いながら、先手先手で対応に万全を期してください」

 被災者の悪戦苦闘にこれといった工夫がないままに"被災者に寄り添う"は安倍晋三らしく口先だけとなる。

 いつまでも被災者とボランティアの人力に頼り、その悪戦苦闘をごく当然のように大規模災害と一対のものとするのではなく、工夫や芸を加えて、悪戦苦闘を可能な限り和らげた光景へと持っていくべきだろう。
 
 例えばYou Tubeの動画を載せておいたが、手で押して運転する日立歩行型ミニローダーML20-2は雪かきや土砂撤去に使用する機械で、これを使えば、バケットに土砂や瓦礫だけではなく、土や泥濘を詰めた土嚢袋も不用品となった冷蔵庫や箪笥や畳といった家財道具をそれぞれに積み方を工夫すれば、バケットにいくつかに纏め乗せにして集積場にまで悪戦苦闘なしで運んでいける。

 価格をネットで調べてみると、落札価格が80万円前後で取引きされている。正規価格は823万円とかで、どうも個人で雪かき用や災害時の土砂除去用に購入するには高過ぎて、売れなかったからなのか、生産終了となり、中古品としてセリにかけられているらしい。

 運転資格は「小型車両系建設機械(整地・運搬・積込み用及び掘削用)の運転業務に系る特別教育」の受講修了証の取得が必要ということだが、この中には重機の運転講習も入っている。但し日立歩行型ミニローダーは資格講習の要らない手押しタイプの耕運機に毛を生えた程度の運転技術で済むはずだから、安倍晋三のお得意の規制改革でそれ程難しくない講習で運転できるようにすればいい。

 個人で所有するのは大変だから、毎年、恒例行事さながらに大規模災害が襲い、被災者とボランティアの悪戦苦闘が例年化している以上、令和の時代はビューティフルハーモニーだなどと気取ってはいられない、国の補助で自治体が十数台程度ずつ所有して、被災地に無料で貸し出す制度にすれば、被災者が見舞われることになる生半可ではない肉体的な労苦を軽減できる。肉体的な労苦を軽減できれば、少しは精神的な労苦も和らげることができる。

 だが、悪戦苦闘が毎年変わらずに繰り返されるのは政府も自治体もその悪戦苦闘を目にしていながら、何とかしなければという切実な思いで受け止める想像力を欠いているからだろう。

 道路脇の災害ゴミ集積場にゴミがビニール袋に入れられて山積みされている場所があるが、自治体が手が回らずにいつまで放置されていて、臭いがし出した、新たに集積場を設けなければ、これ以上捨てられないといった状況も、何の工夫も芸もなく毎年繰り返される光景だが、「横浜市」のホームページは、〈先の東日本大震災で生じた廃棄物を広域処理するにあたって輸送用コンテナの確保(製作)に時間を要したことが広域処理の遅れにつながったこともあり、今後、発生が予測されている巨大地震発生時に備えるためにも、このコンテナの利用が有効と見込まれるので、コンテナを自治体で保管してもらいたいという依頼が環境省からあった〉ことから、長さ371.5cm×高さ250.0cm×幅245.0cm・内容積約16立方メートルのコンテナを47基保管し、〈横浜市内で大規模災害が発生し、災害廃棄物を他都市等で広域処理する場合にコンテナを使用し他都市へ廃棄物を搬送します。また、他の自治体で大規模災害が発生し、災害廃棄物を広域処理する場合にもコンテナを提供し、迅速な災害廃棄物処理及び復興に協力していきます〉と謳っているが、最終的にトラックにコンテナを乗せてきて、重機でゴミをコンテナに投入、それを直接廃棄物処理場か、あるいは貨物列車に乗せてどこかの廃棄物処理場に運ぶ段取りとなっているのだろう。

 だが、幅1メートル×高さ85センチ×幅80センチの目の大きい金網でできたメッシュパレットというものがあって、ビニール袋に入れた、いわゆる燃えるゴミ程度なら、満杯になっても4、5人がかりで2段に積み上げることができる。メッシュパレットは金属や食品、書籍などの荷物を輸送・保管する際に使われるということだから、大抵の物流倉庫に空いているメッシュパレットが保管してあるはずである。

 災害時に借り出す契約を交わしていて、それを借りて集積場所に置けば、整理はかなり付くはずである。使い終わったなら、自治体が業者に依頼して洗浄してから返却すれば、何も問題はない。メッシュパレットでゴミを予め整理させておけば、集積場所から廃棄物処理場に運び出す際も手間を省くことができる。

 色々と工夫をすれば、被災者やボランティアのゴミ出しにしても、土砂除去にしても、整理や整頓が付く。その分悪戦苦闘を和らげることができる。工夫も芸もないままに何も教訓とせず、相も変わらぬボランティア頼み・人力頼みで毎年毎年の自然災害を迎えることになるから、悪戦苦闘の同じ光景が繰り返されることになる。工夫もない、芸もないということは頭を無能状態にしておくことを意味することになる。

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