『教師用必読本 イジメの根絶に向け て小1から人間を哲学させる』
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東京オリ・パラ大会組織委員会会長の森喜朗が2021年2月3日の報道陣オンライン公開の日本オリンピック委員会(JOC)評議員会で女性蔑視発言をしたとマスコミが一斉に報じた。マスコミやSNSで批判が出尽くしている感があるが、遅まきながら、批判に参入することにした。当方は野次馬根性からの参入。 「日刊スポーツ」(2021年2月4日7時15分)(一部抜粋) 森喜朗「これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割(JOCが評議員会理事の女性比率を4割以上とする目標を定めていること)というのは、女性がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言います。ラグビー協会は倍の時間がかかる。女性が今、5人か。女性は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局、女性はそういう、あまり私が言うと、これはまた悪口を言ったと書かれるが、必ずしも数で増やす場合は、時間も規制しないとなかなか終わらないと困る。そんなこともあります。 私どもの組織委にも、女性は何人いますか。7人くらいおられるが、みんな弁えておられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方ばかり、ですからお話もきちんとした的を射た、そういうご発言されていたばかりです」 |
前段の趣意を解説すると、森喜朗は男性の発言はそれなりに意味があり、価値があるが、女性の発言は意味も価値もないと女性の存在を否定的に見ていて、そのことを女性に対する全体的な価値観としていることになる。だから、女性理事を増やした場合は時間規制して、意味も価値もない発言を最小限に抑えなければならないという答を引き出すことになっている。
その一方で後段では東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の女性委員はきちんとした的を射た発言をみんな弁えているとの物言いで、意味・価値ある発言を心がけていると評価している。
後段に重きを置いて森喜朗の女性に対する評価を素直に解釈すると、女性を個別的な価値観で捉えていて、つまり意味・価値ある発言を専らとする女性も存在すれば、意味・価値のない発言に終始している女性も存在しているというふうに女性の存在全体を否定的な価値観で捉えていないように見えるが、だとしたら、女性理事の定員を増やした場合、どんな女性が入ってくるのか分からないのだから、「女性がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります」と女性を個別的な価値観で捉えることができず、全体的に否定的な価値観で見る評価は口を突いて出てこないことになるが、実際にはそのような評価、否定的な価値観が口を突いて出た。
大体が「女性がたくさん入っている理事会」云々の発言自体、女性の存在全体を否定的な評価・価値観で捉えている言葉以外の何ものでもない。後段の一見、女性の存在を個別的な価値観で評価しているように見える発言は前段の女性の存在全体に対する森喜朗自身の否定的な価値観を正しいと証明する比較上持ち出した便宜的な評価に過ぎないと見なければ、前後の整合性が取れない。
前段の否定と女性委員がきちんと的を射た発言をみんな弁えているとしている後段の肯定との間に整合性を与えるとしたら、森喜朗が自身をかつて総理を務め、通産大臣も文部大臣も歴任し、日本ラグビー協会の会長も名誉会長も務めた人間だとしている権威を自身に纏わせていて、その権威を力に下を従わせ、下は森喜朗という上の権威に従う権威主義の力学が意思決定の場では働くことを望んでいるものの、一方ではその権威主義の力学が思うように機能せず、「誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思う」と見る状況が生じ、その一方で権威主義の力学がうまく機能して、結果的に女性が思うように発言できない雰囲気が誘発している女性委員の弁えた態度と解釈しなければならない。
なぜなら、女性という存在を男性に対するのと違って、ケースバイケースで肯定・否定を混じえた個別的な価値観で捉えることができずに頭から否定的な価値観で捉えて、女性の存在そのものの全体的な価値観と看做す評価を一度でも下している以上、男性の権威は認めて、女性の権威は認めずに、その事実によって女性よりも男性を上の存在に置く、あるいは女性を男性よりも下の存在に置く権威主義から発している森喜朗の態度ということになるからだ。
こういった権威主義を言葉を変えて言うと、男尊女卑、あるいは男性優位・女性下位、あるいは男性優越主義の思想ということになる。
森喜朗が持つ経歴上からも、性が男であるという点からも、自分を上に置いて何様と見るその権威主義の力学が自ずと意思決定の場で支配的となり、特に女性は発言は慎重になったり、遠慮がちになったりした場合は森喜朗から見たら、そのような態度は「弁えている」と評価を受けることになり、森喜朗を何様と見ない、それゆえに森自身を上に置く権威主義から自由な女性が自分の意見は自分の意見として闊達に述べた場合は森喜朗から見たら、自身の権威が蔑ろにされ、自身に対するリスペクトのない態度と映って、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」と意味・価値のない発言として処理することになるのだろう。
男の側が自身の判断に従って女性を個別的な価値観で捉え、相手に応じて肯定・否定の評価を使い分けるのではなく、女性の存在全体を否定的な価値観で統一する一方的な評価は男を上の権威に置いた権威主義なくして成り立たないだけではなく、このような権威主義的な性向を人格の一部としていなければ、森喜朗の前段の発言は出てこない。明らかに自身の権威を上に置いた、あるいは男の権威を上に置いた女性蔑視発言そのものとなる。
つまり男尊女卑、あるいは男性優位・女性下位、あるいは男性優越主義といった権威主義の性向は既に森喜朗の人格の一部そのものとなっている。
2021年2月2日に森喜朗は自民党本部で開かれた党スポーツ立国調査会の合同会議に出席、東京パラ・オリンピックを「新型コロナウイルスがどうであろうと、必ずやり抜く」と発言したということだが、この発言も開催と新型コロナウイルスの感染を受けた社会状況との兼ね合いを考えずにオリンピックそのものと自身の役目・活動そのものを最上位に権威づけて、それを全てとし、社会の感染状況は眼中に置かない権威主義からの発想でしかない。
森喜朗は自身の女性蔑視発言に対する謝罪記者会見を2021年2月4日に行った。森喜朗の男の権威を上に置き、女性の権威を無視する権威主義の性向は既に人格の一部となっているのだから、謝罪したからと言って、その権威主義の性向は人格からそう簡単にはスッポリと抜け落ちるわけではない。自らの権威主義の性向が余程のダメージを受けるような経験をしなければ、終生、抜け落ちない頭の古さに支配されていると見るべきだろう。要するに謝罪会見は自身の男尊女卑等の権威主義の性向を自らの人格から剥がす儀式とはならず、批判に幕を降ろすことが目的の儀式で終わるのは目に見えている。
「森喜朗謝罪会見・発言詳細」 (NHK NEWS WEB/2021年2月4日 19時17分) “不適切な表現であった” 森会長 「きのうJOCの理事会の後で私がご挨拶をしました。それをお聞きの方々もいらっしゃると思いますので、これ以上詳細のことは申し上げません。今わざわざお集まり頂いてご心配頂いていることに恐縮しております。きのうのJOC評議員会の発言につきましては、オリンピック・パラリンピックの精神に反する不適切な表現であったとこのように認識しています。そのためにまず深く反省をしております。そして発言致しました件につきましては撤回したい、それから不愉快な思いをされた方についてはお詫びを申し上げたい。以上であります」 “引き続き献身して努力していきたい” 森会長 「オリンピックパラリンピックにおきましては、男女平等が明確に謳われております。アスリートも運営スタッフも多くの女性が活躍しておりまして大変感謝しています。私は組織委員会のことを申し上げたことでないことは皆さんご承知頂いていると思いますので、私も組織委員会については非常に円満にうまくいってると注釈で申し上げたことも聞いておられたと思います。次の大会まであと半年になりまして関係者一同頑張っております。その中で責任者である私が皆さんのお仕事に支障があるようなことがあってはいけない、そう考えてお詫びをして訂正撤回をすると申し上げたわけです。世界のアスリートを受け入れる都民国民、IOCをはじめ国際的な関係者にとってもオリンピック・パラリンピック精神に基づいた大会が開催できますように、引き続き献身して努力していきたいと思っています」 (以下は質疑応答。) “辞任の考えない” (質問) 今回の発言で国内外から大きな批判。会長の中で辞任をしなければいけない考えはあったか。 (森会長) 辞任するという考えはありません。私は一生懸命献身的にお手伝いして7年間やってきたわけで、自分からどうしようという気持ちはありません。皆さんが邪魔だと言われれば、おっしゃるとおり老害が粗大ゴミになったのかもしれませんから、そしたら掃いて貰えばいいんじゃないですか。 “知ってる理事会の話をした” (質問) IOCはオリンピックにおける男女平等を掲げている。日本もジェンダーバランスを同じようにしていこうと努力している中での発言だったが、大会のトップとして世界にどのように説明していきたいか。 (森会長) 私は組織委員会の理事会に出たわけじゃないんですよ、JOCの理事会に僕は名誉委員という立場だったからそこで挨拶をした。私は自分なりに整理をしていたつもりです。組織委員会の理事会と一緒にしておられる方もいるが、それは皆さんの報道のしかただと思いますが。あくまでもJOCの評議会に出て私は挨拶をしたということだ。 それは1つは山下さん(JOCの山下会長)が、今度の改革は大変大きな改革で、JOCが人事の改革をするのに大変な苦労をしている、最初から理事会で相当な突き上げをくらったりして難航しておられると相談があったものですから。山下さんの最初の大きな仕事としては、最も成功して貰わないといけない仕事、そこが人事のことですから、そのことはよくできたということを私はよく評価して山下さんにお礼を申し上げることを、そこで発言をしたんです。 ですが政府から来ているガバメントに対してはあまり数字にこだわるとなかなか運営が難しくなりますよと、そういう中で私の知ってる理事会の話をしてああいう発言になったということです。 特定の女性を念頭においたものではない (質門) 女性の話が長いという発言については、ラグビー協会の特定の女性理事を念頭においたものではないか。 (森会長) 一切頭にありませんし、今回の理事会でどういう人が理事で誰がどう話したかというのは、私は一切知りません。 IOCへの説明“必要ない” (質問) 発言についてIOCから問い合わせはあったか。 (森会長) 私は分かりませんが、職員は毎日毎日きょうもこれから、いつも会議が始まりますから、そういう話はあるかもしれません。 (質問) 森会長からご説明される意思はあるのか。 (森会長) それは必要はないでしょ。今こうしているんだから。 “誤解生むといけないので撤回” (質問) 五輪の理念に反する発言。辞任しないことが大会への批判になるのでは。 (森会長) ご心配頂いたのはありがとうございます。誤解を生むといけないので撤回します。そう申し上げています。 “オリンピック精神に反すると思うから…” (質問) 会長は国民から理解を得られる大会をと言っていた。オリンピックの理念に反する発言だったと思うが、ご自身が何らかの形で責任を取らないというのは大会の開催の批判を強めてしまうものではないかと思うが、どうお考えか。 (森会長) ご心配いただいたのであればありがとうございます。誤解を生むといけないので撤回しますと申し上げている。オリンピック精神に反すると思うからとそう申し上げた。 “数字にこだわって無理しないほうがいい” (質問) 女性登用についての基本的な考え方を伺いたい。会長はそもそも多様性のある社会を求めているわけではなく、ただ文科省がうるさいから登用の規定が定められてるという認識でいらっしゃるのか。 (森会長) そういう認識ではありません。僕は数字にこだわって何名までにしないといけないというのは、あんまりそれにこだわって無理なことはしないほうがいいな、ということを言いたかったわけです。 (質問) きのうの文科省のうるさいからというのは、数字がという意味か。 (森会長) うるさいからというのは、ガバナンスを守るためにみんな大変苦労されているようです。私はいま、どこの連盟にも関係をしておりませんからね。いろいろな話が入ってくるので、総括して会議の運営は難しいですよというのを申し上げた。 “密をどう避けられるかという話の例” (質問) 聖火リレーで愛知で走る予定だったタレントの田村淳さんが森会長の直近の発言で何があってもオリンピックをやるということを田村さんは解釈されて、理解不能だと聖火ランナー辞退した。どう受け止めているか。 (森会長) きのうのことに合わせて報道されたんでしょうが、これはきのうの会合じゃないと思いますよ。おとといの自民党のことで、そのときにリレーについてはどうなってますか、という質問があったから、われわれ直接やるものではないが、各県がやっておられる実行委員会にお願いして基本的には密を避けてやっているんだと。 その中で、例えば人気のあるタレントさんは、できるだけ人がたくさん集まるところはご遠慮していただくほうがいいかなと思ってると。誰が走るかとか、何キロ走るかは僕らが決めることではないので、実行委員会が考えること。 僕らが県に言えるのは、できるだけ密は避けてくださいと、タレントさんがくるとみんな集まってくる、そうすると密になるからどう避けられるだろうという話の例で、密じゃないところといえば、それじゃあ田んぼで走るしかないね、空気がこもらないし、それしかないですねという意見もありますということを紹介しただけで、組織委員会がするということを言ったわけではない。 それもこれも実行委員会でお考えをいただき、決めていただきたいとその例で申し上げただけで。 “私は誰が走るか一切知りません” (質問) 著名人のランナーに継続して走っていただきたいという思いは。 (森会長) 私は走ってくださいとか走って下さるな、とかを言う立場じゃありません。お決めいただいた人たちは、所定の手続きをされてこちらに持ってこられるんだろうと思います。私は誰が走るか一切知りません。 “私も”話が長いほう (質問) 基本的な認識だが女性は話が長いと思っているのか。 (森会長) 最近女性の話を聞かないから、あんまりわかりません。 (質問) 東京都の小池知事が会見で「話が長いのは人によります」と発言されていた。 (森会長) 私も長いほうなんです。 (質問) 国会議員でも、女性の割合をあらかじめ決めておこうという話も盛り上がっている。 (森会長) それは民意が決めることじゃないですか。 (質問) 会長ご自身は賛成か反対か。 (森会長) 賛成も反対もありません。国民が決めることだと思います。 “責任が問われないとは言っていない” (質問) 冒頭誤解を招く発言とか不適切という発言があったが、どこがどう不適切だと会長はお考えなのか。 (森会長) 男女を区別するような発言をしたということです。 (質問) オリンピック精神に反するという話もされてましたが、そういった方が組織委員会の会長をされるのは適任なのか。 (森会長) さあ、あなたはどう思いますか? (質問) 私は適任じゃないと思うんですが。 (森会長) じゃあそのように承ります。 (質問) 会長としての発言ではないので責任が問われないという趣旨の発言も…。 (森会長) 責任が問われないとは言ってませんよ。場所をわきまえてちゃんと話したつもりです。 (質問) 組織委員会としての場じゃないから、あの発言はよかったということなのか。 (森会長) そうじゃありませんよ。ちゃんと全部見てから質問してください。 “場所、時間、テーマとかに合わせて話すことが大事” (質問) わきまえるという表現を使われていたが、女性は立場を控える立場だという認識か。 (森会長) そういうことじゃありません。 (質問) じゃあなぜああいう発言になったのか。 (森会長) 場所だとか時間だとかテーマだとかにそういうものに合わせて話すことが大事じゃないんですか。そうしないと会議は前に進まないんじゃないですか。 (質問) それは女性と限る必要はあったのか。 (森会長) だから私も含めてと言ったじゃないですか。 (質問) 先ほど女性がいると会議が長くなるという発言を誤解と表現したと思うが、これは誤った認識だということではないのか。 (森会長) 去年から各協会や連盟は、人事に苦労しておられたようです。私は昔は全体を統括する体協、今のスポーツ協会の会長をしておりましたから団体の皆さんとも親しくしております。そういう皆さんたちはいろいろ相談にも来られます。その時になかなか大変ですということでした。 特に山下さんのときは、JOCの理事をかなり削って女性の枠を増やさないといけないということで大変苦労したという話をしておられて、理事の中で反対もあって大変だったけど何とかここまでたどりついた苦労話を聞いたからです。 “聞いたことを思い出して言っている” (質問) 競技団体から女性が多いと会議が長いという話が上がってるということか。 (森会長) そういう話はよく聞きます。 (質問) それはどういう競技団体から。 (森会長) それは言えません。 (質問) 実際データがあるとか根拠に基づいた発言ではなかったと受け止めたが、どうか。根拠のある発言とは思えないが。 (森会長) 僕はそういうこと言う人はどういう根拠があっておっしゃったかわかりませんけども、自分たちが女性の理事をたくさん選んだけども、結果としていろんなことがあったということを聞いたことを思い出して言っているんで、そういうことで苦労されますよということを申し上げたんです。 “謙虚に受け止めている” (質問) 今回の発言で皆さん怒っている。オリンピックを運営するトップの方が女性を軽視する発言をされたことについて、皆さん怒っています。森会長の率いる大会を見たくないという声もネットなどで上がっています。それについてどう受け止めているのか。 (森会長) 謙虚に受け止めております。だから撤回をさせていただきますと言っておるんです。 【オリンピック・パラリンピックの精神】 オリンピック・パラリンピックの精神は、IOCの「オリンピック憲章」などで定められ、人種、肌の色、性別、性的指向などを理由にしたいなかる差別も否定しています。 憲章はIOCや競技団体だけでなく、森会長がトップを務める大会組織委員会も守る義務があります。 また、憲章では「男女平等の原則を実践するため、あらゆるレベルと組織において、スポーツにおける女性の地位向上を促進し支援する」とIOCの役割について記していて、IOCは女性の参加比率を高める取り組みとして、東京大会から男女の混合種目を柔道やトライアスロンなどで増やしていました。 競技団体 女性理事の割合 目標40%以上 スポーツ庁は2019年6月に競技団体が守るべき規範、「スポーツ団体ガバナンスコード」をまとめ、役員の体制については、女性理事の割合の目標を40%以上とすることが明記されています。 そして、競技の普及・発展などのために女性の視点や考え方を積極的に取り入れることが求められるとしていますが、スポーツ庁が調査した国内の107の競技団体の女性理事の割合は、2019年3月の時点で15.6%と、低い水準にあるということです。 スポーツ庁によりますと、この規範は競技団体を統括する立場のJOCにも適用されるとしています。スポーツ庁は「競技団体からは人材が不足しているという声もあり、女性役員育成のための研修を開くなどの支援をしている。すぐに達成が難しい場合でも、段階的に割合を増やしていくなどの方法はある。今後も目標達成へ向けてサポートしていきたい」としています。 |
記者「IOCはオリンピックにおける男女平等を掲げている。日本もジェンダーバランスを同じようにしていこうと努力している中での発言だったが、大会のトップとして世界にどのように説明していきたいか」
森喜朗「私は組織委員会の理事会に出たわけじゃないんですよ、JOCの理事会に僕は名誉委員という立場だったからそこで挨拶をした。私は自分なりに整理をしていたつもりです。組織委員会の理事会と一緒にしておられる方もいるが、それは皆さんの報道のしかただと思いますが。あくまでもJOCの評議会に出て私は挨拶をしたということだ」
記者は森喜朗の発言が見せることになった男女差別・女性蔑視を問題にした。対して森喜朗は発言場所のレベルに合わせて発言に現れている問題のレベルを下げ、発言場所から言って問題ではないかのように見せかけている。つまり話にならないくらいに問題の本質と向き合っていないし、向き合おうともしていない。至って頭の古い人間だから、致し方がないのだろう。自分の発言が女性蔑視に当たると気づいていないのかもしれない。
結果、女性という存在を個別的な価値観で捉えることができずに女性全体を否定的な価値観で評価・判断する、自らの人格の一部として根付かせているいる男尊女卑の権威主義的性向に何ら気づいていないことを発言の端々に見せることになる会見となっている。
「オリンピック・パラリンピックの精神に反する不適切な表現であったとこのように認識しています」とは言っているが、自身の女性蔑視が自身の人格のどのような性向に起因しているのかは考えることも気づくこともないのだから、謝罪のために口にする都合上の言葉に過ぎない。このことは次の発言に現れている。
「その中で責任者である私が皆さんのお仕事に支障があるようなことがあってはいけない、そう考えてお詫びをして訂正撤回をすると申し上げたわけです」
皆さんのお仕事に支障があってはいけないから、それとの関係で謝罪する。勿論、皆さんのお仕事に支障を及ぼす。だが、その原因は自身の女性の存在を蔑ろにする発言にあるのだから、その発言との関係で謝罪しなければならないのだが、自分が本質的にどのような発言をしたのか、そのことに直視するつもりも、直視もできないから、仕事との関係での謝罪で誤魔化すことになる。
このことは次の発言とも関連する。「オリンピックパラリンピックにおきましては、男女平等が明確に謳われております」。問題発言が男性に権威を置き、女性の権威は認めない権威主義を骨格として、男尊女卑や男性優位・女性下位、あるいは男性優越主義などの考え方からの女性の在り様に対する蔑視であることとを結びつけることができないのだから、深刻な思いとは程遠い、表面的な認識に過ぎない。
記者は「五輪の理念に反する発言。辞任しないことが大会への批判になるのでは」と尋ねているが、単に五輪の理念に抵触する男女不平等の考え方に基づいた発言とするのではなく、女性の存在を男性の存在よりも劣ると見る権威主義に基づいた女性差別発言は五輪の理念に反するのではないかと質問していたなら、「ご心配頂いたのはありがとうございます。誤解を生むといけないので撤回します。そう申し上げています」などと通り一遍の口先だけの謝罪を受け取ることはなかったかもしれない。
記者「基本的な認識だが女性は話が長いと思っているのか」
森喜朗「最近女性の話を聞かないから、あんまり分かりません」
「女性がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります」と女性の会話の能力・知能という点で男よりも劣ると決めつけていながら、自身の発言にあまりも不正直で、もはや論外である。
問題とすべき本質的な事柄はただ一つ、東京大会組織委員会会長の立場でオリンピック・パラリンピックの開催に関わっている以上、上記記事にあるように人種、肌の色、性別、性的指向などを理由にした如何なる差別をも否定要素としていなければならない「五輪の理念」(オリンピズムの根本原則)を上っ面の知識としているのではなく、自身の人格の一部としていなければならないことに反して女性の存在を劣ると見ている森喜朗の性差別的な権威主義的性向が人格の一部となっているということである。
ところが、上っ面の知識ともしていなかった。だから、ポロリと権威主義的性向が顔を覗かせてしまう。
森喜朗の自身の発言に不正直であることからも理解できるようにこの手の人格が容易には変えようがない以上、日本オリンピック委員会(JOC)会長山下泰裕が「本人が謝罪されて、発言を撤回されております。色んな意見があることは分かっていますけど。(職務を)最後まで全うして頂きたいと思っています」(時事通信)とその地位を擁護するのはオリンピック憲章、その理念に砂をかける思惑としかならない。
山下泰裕がJOC会長としてオリンピック憲章、その理念を擁護することを自らの姿勢としなければ、会長としての使命を失うことになる関係から言うと、その理念とは相容れない、性差別的な権威主義にまみれた森喜朗をオリンピックに関わる職務から排除してこそ、理念の擁護に添う姿勢となる。だが、山下泰裕だけではなく、オリンピックの運営に関わる多くが単なる失言と捉えていて、その失言の裏にある根深い問題に気づかずに謝罪し、発言を撤回すれば済む軽い問題へと矮小化している。
要するに森喜朗と同様に東京オリンピック・パラリンピックが無事開催されさえすればいいと、祭典そのものを最上位に権威づけ、その開催を最重要課題としているがために森喜朗の発言が男性を上に権威づけ、女性の権威を蔑ろにした権威主義の思想から出た根深い問題だと突き詰めもせずに単なる失言と片付け、謝罪すればシャンシャンと手を打つことができると軽く考えているのだろう。
IOCも同じ穴のムジナである。2021年2月5日付「asahi.com」記事によると、IOCの広報担当者が朝日新聞の取材に対して2月4日、「ジェンダーの平等はIOCの根本原則で、将来を見据えた五輪ムーブメントの長期計画、アジェンダ2020でも重要な柱に据えてきた。森会長は発言について謝罪した。これでIOCはこの問題は終了と考えている」とメールで回答したと伝えている。
東京オリンピック・パラリンピックが無事開催されさえすればいいとしているからこそ、謝罪で問題解決とすることができる。欧米のマスコミの批判とは正反対のオリンピック開催至上命令としている。
森喜朗が東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長としてオリ・パラの開催に関わっている以上、オリンピック憲章にある「オリンピズムの根本原則」、〈6. このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない。〉の決まり事を単なる頭の理解ではなく、人格に根付かせ、常々行動として表現していなければならない。ところが、人格に根付かせることができていないことから行動として表現できず、自らの人格の一つとして抱え込んだ男尊女卑、あるいは男性優位・女性下位、あるいは男性優越主義の考え方に基づいた権威主義の赴くままに「オリンピズムの根本原則」の「6」に抵触する女性蔑視を発言という形で行動することになった。
女性差別を露わにした発言を謝罪し、撤回したとしても、森喜朗の中で女性差別の権威主義的性向が消えてなくなるわけではなく、腹の底で持ち続けることになり、結果として森喜朗の中で「オリンピズムの根本原則」と女性蔑視の権威主義を同居させたままオリ・パラの開催に関わり続けさせることになる。そのことに目をつむるのは日本の恥を世界に曝す以外の何ものでもない。