日本学術会議6名任命拒否の説明責任不在は「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」によって正当化され得るのか

2020-11-09 07:10:32 | 政治
 日本学術会議会員は日本学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命すると日本学術会議法に規定されている。要するに推薦どおりに任命される運びとなっていて、それが従来からの慣行になっていた。ところが今回、その慣行が破られ、105人の推薦に対して6名が任命拒否、99人のみが任命ということになった。6名は安倍晋三成立の特定秘密保護法、安全保障関連法、改正組織犯罪処罰法等の国家主義的な強権政策が色濃く突出した政策に反対し、加えて安倍式9条改憲反対を主張している学者たちであったから、菅義偉発動による拒否のそこに何らかの政治的意図を多くの国民が見ることになった。

 対して菅政権は憲法第15条第1項の規定を持ち出して、日本学術会議の推薦どおりに任命しなければならないというわけではないを任命拒否の正当理論とした。

 2020年10月7日の衆議院内閣委員会閉会中審査での立憲民主党今井雅人への答弁から。

 大塚幸寛(内閣府大臣官房長)「お答え申し上げます。あの、今回任命につきましては任命権者である内閣総理大臣がこの法律(日本学術会議法)に基づきまして特別職国家公務員として会員としたのでございます。憲法第15条第1項を引用させて頂きますが、これはやはり公務員の選定・罷免権が国民固有の権利であるという考え方からすれば、任命権者である内閣総理大臣が、推薦どおりに任命しなければならないということはないということでございまして、これは会員が任命制になったときからこのような考え方を前提としておりまして、考え方を変えたということはございません」

 三ッ林裕巳(内閣府副大臣)「今回の任命につきましては任命権者である内閣総理大臣が日本学術会議法に基づいて特別職の国家公務員として会員を任命したということでことであります。憲法第15条第1項に明らかにされているとおり公務員の選定・罷免権は国民固有の権利であるという点からすれば、任命権者である内閣総理大臣が推薦とおりに任命しなければならないわけではありません。

 日本学術会議が任命制になったときからこのような考え方を前提としており、考え方を替えたということではありません」

 2020年10月8日の参議院内閣委員会閉会中審査。

 木村陽一(内閣法制局第一部長)「昭和58年の対象になっております日本学術会議法の一部改正の立案の以前から、政府と致しましてはこれも学問の自由や大学の自治に関係する文部大臣による国立学大学学長等の人事に関してで憲法第15条第1項の規定に明らかにされている公務員の選定・罷免権は国民にあるという国民主権の原理との調整の必要性については累次答弁をしてきております。

 このような国民主権の原理を踏まえますと、内閣が国民及び国会に対して責任を負えない場合にまで申し出のとおりに必ずしも任命しなければならない義務があるわけではないと一貫して考えてきております。

 従いまして昭和58年の日本学術会議法の一部改正に於きましてもこれと同様の考え方に基づいて立案が成されているというふうに考えているところでございます」

 この答弁以降、同様の答弁を菅義偉や官房長官詭弁家の加藤勝信も行っているが、日本学術会員任命拒否が問題になってから憲法第15条第1項の規定を国民主権と関係づけて指摘している内閣法制局第一部長木村陽一のこの答弁を基に言っていることの解釈を試みてみる。

 日本国憲法第3章国民の権利及び義務第15条第1項は「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と規定している。

 つまり憲法第15条第1項が規定しているこの公務員選定・罷免の「国民固有の権利」は国民主権の原理に則っている関係から、「内閣が国民及び国会に対して責任を負えない場合にまで申し出のとおりに必ずしも任命しなければならない義務があるわけではない」と木村陽一は政府側を代表して、任命拒否の正当性を論理づけた。

 と言うことは、日本学術会議会員の任命は任命権者が日本学術会議法で総理大臣と規定されているものの、公務員の選定・罷免は主権者である「国民固有の権利」とされている関係上、国民に代わって内閣総理大臣が会員の選定・罷免の代理行為をするという意味内容を取ることになる。

 代理行為だからこそ、内閣法制局第一部長の木村陽一は内閣総理大臣を国民及び国会に対して任命に関わる責任を負う責任主体だと明示することになった。国民に代わって公務員の選定・罷免を行う代理行為なんだから、内閣総理大臣として国民及び国会に対して責任を負っている以上、責任を負えないような学者まで任命できるわけはないはずだという道理を示した。

 全く以て至極当然な正当性理論となる。

 但し国民及び国会に対して責任を負うことのできる6名任命拒否だとしていることになるから(責任を負えない任命拒否だとすることは決してできない)、事実そのとおりかどうかの説明責任が国民及び国会に対して自動的に発生することになる。
 
 このような解釈から、政府側がこの問題の説明責任を「人事」を理由に答弁を差し控えるのは憲法第15条違反だといったことを日本学術会議の任命拒否を取り上げたこれまでのブログに書いてきた。

 ところが政府側が繰り返す「人事に関することであり、お答えを差し控えます」の答弁を野党側が殆どの場合手を付けずにスルーさせてしまっている追及を見て、「野党は頭の悪い連中ばっかりだな」と思っていたが、2020年11月5日の参院予算委員会で立憲民主の蓮舫に対して官房長官の加藤勝信が人事について非開示を根拠づけている法律を持ち出して、正当性を謀った場面に出食わした。頭の悪いのは野党の連中ではなく、こっちの方だなと気づいた。

 蓮舫も、「人事のところは黒塗りでも結構です。(記録を)出してください」と発言していたから、人事についての答弁差し控えの正当性は野党も認めていて、だから、スルーさせていたのだということになる。

 但しこっちの頭がいくら悪くても、国民主権と憲法第15条第1項の関係から言って、総理大臣による公務員の選定・罷免が国民に代わる代理行為である以上、選定・罷免に関わる説明責任が直接的には国民に対して自動発生しないとするのは憲法第15条第1項そのものを無効にすることになる。何のために公務員の選定・罷免を「国民固有の権利」としているのか。憲法第15条第1項が国民主権に基づいているなら、国民主権そのものをも蔑ろにする。

 加藤勝信が蓮舫との質疑応答の中でどのように非開示を根拠づけているか、その発言を見てみる。蓮舫のムダな質問は削るか、要約した。蓮舫は頭がいい。頭の回転は抜群である。言葉を機関銃のように次々と連射する。一見、鋭く追及しているように見えるが、その機関銃はオモチャで、そこから発射される弾は人を射抜く力はない。服に当たるだけで、痛くも痒くもない程度の効果しかない。

 追及は要所要所取り上げることにする。文飾は当方。

 2020年11月5日の参院予算委員会 立憲民主蓮舫

 蓮舫「菅総理、総理の就任おめでとうございます。冒頭、先ずお伺いしたいのは菅総理は何を成すために総理大臣になられたんですか」

 体裁のいいことをどうとでも答弁できる質問は意味はない。

 菅義偉「私は安倍政権のとき、官房長官をしていました。そして安倍総理が退陣をされる中で先ずはコロナ対策・・・・」

 菅義偉が既に何度でも口にしていることだから、続けて取り上げる価値はなく、端折ることにする。

 蓮舫「やってはいけないことを(総理就任後の)冒頭部分で遣り始めた。それは日本学術会議問題です。『国民のために働く』。国民が最優先でして貰いたいのが学術会議問題ですか」

 最初の質問を学術会議問題を追及する意図で始めたのだから、核心に触れない、ありきたりの答弁で応じることのできる質問は意味はない。事実、そのとおりの答弁となっている。

菅義偉「長年に亘り、私、この問題については懸念を持っていました。そういう中で今回、ちょうど任期の中で、このようなことを発動させて頂いたところでございます」

     ・・・・・・

 蓮舫「国民が求めていますか」

菅義偉「極めて大事なことの一つだと思っています」

 蓮舫「任命問題がこんなに大事(おおごと)になると思っていましたか」

 菅義偉「説明させて頂けると思っていました。分かって頂けると思っていました」

 短い言葉で次々と質問を放つから、一見、有意な追及に見えるが、引き出すことができた答弁は追及自体が本質から外れているから、何の変哲もない内容ばかりとなる。

    ・・・・・・・・

 蓮舫「(日本学術会議による会員の推薦について)優れた研究、または業績がある科学者で会員にふさわしいかどうかの適切な判断は学術会議しか行えないんです。大学に偏りがあるとか、若手とか、その人選要件に総理がなぜ口を出せるんですか」

 菅義偉「日本学術会議法の推薦に基づく会員任命については憲法第15条第1項に基づけば、推薦された方々を必ずそのまま任命しなければならないということではないという点については内閣法制局の了解を得た政府の一貫した考え方であります」

 蓮舫「人選になんで口を出せるんですか」

 菅義偉「10億円の予算を使って活動している政府の機関であり、任命された会員は公務員になりますから、その前提で社会的課題に対して提言などを行うため、専門分野の枠に囚われない広い視野に立ってバランスの取れた活動を確保するために必要ということも言われています。そうしたものについて総理大臣として判断をしたものです」

 同じような質問を繰り返して、殆ど同じような答弁が返ってくる堂々巡りが繰り返されている。

 蓮舫「人選に口を出せる法的根拠を教えて下さい」

 菅義偉「日本学術会議法の会員の任命については日本学術会議からの推薦に基づき内閣総理大臣が任命することとされています。この規定に添って、推薦に基づいて任命権者たる総理大臣として学術会議などに求められる役割などを含めて判断したものです」

 官房長官の加藤が出てきて、早口に原稿を読み上げる。最後のところだけを取り上げる。

 加藤勝信「憲法第15条第1項の規定に掲載されている公務員の終局的な任命権は国民にあるという国民主権の原理から言えば、任命権者である総理大臣が会員の任命について国民及び国会に対して責任を負えるものでなければならないことからすると、内閣総理大臣に日学法第17条による推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと書いてあるとおりでございます。それに則って対応させて頂いているところでございます」
 
 詭弁家加藤勝信がここで「書いてあるとおりでございます」と言っている文書は2018年11月13日に内閣府日本学術会議事務局が作成した「日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について」を指す。

 2018年11月の時点で政府側が解釈して成り立たせた決まり事だから、内閣府大臣官房長大塚幸寛、その他の政府側参考人が「これは会員が任命制になったときから(日本学術会議法一部改正の1983年〈昭和58年〉を指す)このような考え方を前提としておりまして、考え方を変えたということはございません」と言っていることは全くの誤魔化し、歴史の改竄に当たる。

 このことは2020年10月12日の当「ブログ」に取り上げた。

 国民及び国会に対して責任を負える総理大臣の任命となっているのかどうかの疑義が生じている以上、説明責任を伴わせなければならないのだが、一切の説明責任は拒否している。自らの正当性を述べるのみで、疑義を解消させようとする意思を些かも見せていない。

 蓮舫「9月24日に提案された文書、28日に決裁をした。それまでは99人の名簿は見て、105人の名簿は見ていなかった、でいいですか」

 菅義偉「学術会議から総理大臣宛に105名の名簿が提出されたのは8月31日です。私は当時、まだ官房長官でありまして、その内容、105人の名簿は見ておりません。そして9月16日に総理大臣に就任を致しました。

 で、総理大臣就任後、官房長官、杉田副長官に改めて私の懸念を伝えました。そして9月24日に内閣府が99名を任命する旨の決裁事案、それを受けて、9月28日に私が最終的に決済するわけでありますけども、総理就任後ですから、9月16日以降でありますけども、官房長官杉田副長官に改めて懸念を伝え、杉田副長官から相談があり、99名を任命する旨を私自身が判断をし、それを官房長官を通じて内閣府に伝えました。それが確か9月24日前だと思います」

 総理大臣就任前の8月31日に総理大臣宛に105名の名簿が提出された。名簿を受け取ったのは安倍晋三ということになる。その意思が6名任命拒否に反映された可能性は考えられないわけではない。何しろ任命拒否された6名は安倍晋三の国家主義的な強権政策に反対している。蓮舫は少なくともこのことに一言する頭の回転の早さを見せてもいいはずだが、見せもせず、菅に対して「答弁を変えている、なぜです」と、適当に答えることができる追及を行っただけで、菅に「私は一貫しております」で軽くあしらわれてしまう。

 蓮舫「この総理の説明、官房長官の説明、矛盾だらけ、答えていない。この逃げているということを、この6人を削った経緯を知る方法が一つあります。8月31日に推薦名簿が出て、9月24日に起案されるまでの経過の公文書がありますか」

 8月31日に推薦名簿が提出され、9月24日に99名任命の決裁事案が提出されたという経緯は2020年11月4日の衆院予算委で辻元清美の質問に菅義偉が答弁して明らかになったもの。蓮舫が文書で残しているはずだと気づいたということなのだろう。

 加藤勝信「今回の任命にかかわる経緯について杉田副長官と内閣府との遣り取りを行った記録について担当内閣府に於いて管理しているというふうに承知をしております」

 蓮舫「どういう内容ですか、管理されているのは」

 加藤勝信「今申し上げた杉田副長官と内閣府で遣り取りを行った、それ以外あるかも知れませんが、それはそういった記録と承知をしております」

 蓮舫「提出してください」

 加藤勝信「まさにこれは人事に関する内容の提出は今回の件に限らず、こうした案件については差し控えさせて頂いているところであります」

 蓮舫「それは詭弁です。公文書管理法の目的と原則は何ですか」

 消費者及び食品安全担当相の井上信治が答弁に立って、公文書管理法では公文書管理の適正化が規定されているとか、適正化は現在と将来に亘って国民への説明責任を全うするためであるとか、条文の説明でしかないことを長々と答弁する。その答弁が終えたあとも、蓮舫はなおも井上信治に対して公文書管理法の原則について尋ねる。井上信治ができることは公文書管理法の条文、規定項目の説明のみだから、蓮舫は井上信治の手を煩わせずに自分の方から、公文書管理法のこれこれこういった規定上、杉田副長官と内閣府とで遣り取りした記録を残しているはずだから、提出してくださいで済むはずだが、頭の回転のよさを見せつけているようで、実際はムダな時間ばかり費やしている。

 蓮舫「公文書、文書主義、それを全て残すというのが前提。特に菅官房長官、安倍総理時代に『桜』や森・加計があって、もうとにかく公文書改竄される、不作成直前にシュレッダー、そのことによって安倍内閣のときでも見直しをして、ガイドラインで打ち合わせ、メモ、全部残しましょうということになったんですね。

 その部分で、大臣ね、最新の行政文書の管理に関するガイドライン、これ菅官房長官時代に直していますけども、そこで10ページにあるんですが、文書主義が2点あるんですが、それを説明して貰いますか」

 再び井上信治に長々と説明させるが、蓮舫は最後まで聞いておいて、「全く違うところを読んでいるんですが」と言ってから、説明させたかった公文書管理の規定について自分の口から言い出す。であったなら、自分から公文書管理法ではこうなっているがと持ち出せば、時間の節約ができたはずだが、頭の回転が早いから、肝心なことは置いてけぼりにしてしまったらしい。

 蓮舫「先程加藤官房長官が仰ったように『人事に関する』と言えば、何でも出さないということじゃないんですよ。全部作る。その中で人事に関する記事の部分は出さないんでも結構ですが、会議をした、省議をした、こんな打ち合わせをした、そして要件を狭めていった、こういうふうにした、総理に報告をした、最終権者の総理が決済する時点までを一連のファイルで残さなければいけないんです。

 これ、残していると思います。人事のところは黒塗りでも結構です。出してください」

 加藤勝信が杉田副長官と内閣府との遣り取りの記録の存在を既に認めていて、蓮舫の「提出してください」の要求に「人事に関する内容」だからと言って提出を拒否した。だとしたら、提出拒否の理由に対抗する論理的な追及を構築しなければならないはずだが、対抗どころか、井上信治の役にも立たない答弁まで求める遠回りまで費やすして、「人事のところは黒塗りでも結構です」と相手の提出拒否の理由に同調までしている。

 加藤勝信「先程私が申し上げた説明、まさに具体的な資料、私見ていませんから、正確なことは言えませんが、杉田副長官と内閣府との遣り取り、こういったものについてはルールに則って記録をしているということであります。

 それについて行政機関の保有する情報の公開に関する法律に於いてもですね、『人事管理に係る事務に関し、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれがある場合についてはですね、開示しなくてもいい』。こういうふうにされているところであります。  

 いずれにしても人事に関する記録、その内容については今申し上げた公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれがあることから、この提出はこれまでも差し控えさせて頂いているということであります」

 加藤勝信は蓮舫が最初に「提出してください」と求めたときにこれこれの法律によって非開示は許されていると説明すべきを、詭弁家で国民と国会に対する丁寧な説明を心がける精神は持ち合わせていないから、相手に二度手間、三度手間させても何と思わないようだ。

 蓮舫「いや、総理ね、人事に関する機微な情報、個別名詞とか、この人はこういう理由だ。そこはいいんですが、別に。ただこういう経過で狭めていった。省議を重ねたという途中経過をお示しください。

 総理として指示をしますか。何で原稿なんです」

 菅義偉「今、官房長官が申し上げたとおりでです」

 この問題の追及の最後に内閣府作成の文書の提出を委員長に求め、委員長が後刻理事会に諮ると応諾。蓮舫は続けて発言している。

 蓮舫「今の話、こんなに長い時間がかかると思いませんでした」

 長い時間がかかったのは自分の追及の甘さにも原因があると気づかなければ、こういった生ぬるい追及が延々と続くことにある。

 先ず加藤勝信が法的に非開示を認めているとしている、「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」を見てみる。必要な箇所だけを摘出する。

 第1章 総則
 (目的)
 第1条 この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。

 (行政文書の開示義務)
 第5条 行政機関の長は、開示請求があったときは、開示請求に係る行政文書に次の各号に掲げる情報(以下「不開示情報」という。)のいずれかが記録されている場合を除き、開示請求者に対し、当該行政文書を開示しなければならない。

  6 国の機関、独立行政法人等、地方公共団体又は地方独立行政法人が行う事務又は事業に関する情報であって、公にすることにより、次に掲げるおそれその他当該事務又は事業の性質上、当該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるもの

  ニ 人事管理に係る事務に関し、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれ

 (公益上の理由による裁量的開示)
 第7条 行政機関の長は、開示請求に係る行政文書に不開示情報(第5条第1号の二に掲げる情報を除く。)が記録されている場合であっても、公益上特に必要があると認めるときは、開示請求者に対し、当該行政文書を開示することができる。

 ※第5条第1号の二  

 行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律(平成十五年法律第五十八号)第二条第九項に規定する行政機関非識別加工情報(同条第十項に規定する行政機関非識別加工情報ファイルを構成するものに限る。以下この号において「行政機関非識別加工情報」という。)若しくは行政機関非識別加工情報の作成に用いた同条第五項に規定する保有個人情報(他の情報と照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを除く。を除く。)から削除した同条第二項第一号に規定する記述等若しくは同条第三項に規定する個人識別符号又は独立行政法人等の保有する個人情報の保護に関する法律(平成十五年法律第五十九号)第二条第九項に規定する独立行政法人等非識別加工情報(同条第十項に規定する独立行政法人等非識別加工情報ファイルを構成するものに限る。以下この号において「独立行政法人等非識別加工情報」という。)若しくは独立行政法人等非識別加工情報の作成に用いた同条第五項に規定する保有個人情報(他の情報と照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを除く。を除く。)から削除した同条第二項第一号に規定する記述等若しくは同条第三項に規定する個人識別符号(以上)

 【非識別加工情報】「行政機関等が持っている個人情報を、特定の個人を識別できないように、かつ個人情報に復元できないように加工されたデータ(ビッグデータ)」(ネットから)

 日本学術会議会員6名任命拒否で問題となっている疑義は、この法律の第5条6のニに記されている「公正かつ円滑な人事」に基づいて任命が行われたかどうかであって、そのことの疑義が浮上している以上、このような疑義の放置(=非開示のままにしておくこと)は却って「公正かつ円滑な人事の確保」に支障を及ぼすおそれが出てくる。

 開示し、疑義を解消して初めて、つまり人事に関することであっても説明責任は果たして初めて「公正かつ円滑な人事の確保」の何よりの証明となる。

 このようにすることが公益上の何よりの利益となる。当然、6名に関わる「特定の個人を識別する」情報は既に世間に流布しているのだから、公益上の利益追求を優先させて、第7条の「第5条第1号の二に掲げる情報」を無視し、「公益上特に必要があると認めるときは、開示請求者に対し、当該行政文書を開示することができる」を適用させるべきだろう。

 もし第5条6のニの条文通りに「人事管理に係る事務に関し、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれ」がある場合は絶対的に非開示が認めらる、説明責任の差し控えは許されるとしたなら、総理大臣による公務員の選定・罷免は常に正しい、間違えることはないという無誤謬の絶対性善説で祭り上げることになって、公務員の選定・罷免を憲法第15条第1項に国民固有の権利として置く意味を失わせる。失わせれば、国民主権そのものが形だけのもの、有名無実となる。

 主権が国民にあることから公務員の選定・罷免が国民固有の権利とされ、国民のその権利に基づいて総理大臣が公務員の選定・罷免を行う、いわば代理行為である以上、代理行為に伴う説明責任は常に国民に負わなければならない。負うことによって公務員の選定・罷免にかかる国民固有の権利が意味を持ち、国民主権は実体的な意味と価値を持つ。

 菅義偉と加藤勝信が「人事に関わることだから答弁を差し控える」とする態度は人事そのものである公務員の選定・罷免にかかる国民固有の権利と国民主権を嘲笑う姿勢以外の何ものでもない。

 菅義偉と加藤勝信は、さらには安倍晋三までもが?、「人事の問題だから答弁は差し控える」が水戸黄門の葵の印籠と同じ効き目を持っていることに陰でほくそ笑んでいるのではないだろうか。

 そもそもからして菅義偉は日本学術会議会員の任命は「学術会議などに求められる役割などを含めて判断したものです」と答弁している。だが、6名が安倍晋三の国家主義的強権政策に反対したのは学術会議会員として求められた役割からはではなく、自らの意思に応じた個人的な役割からであるずである。個人的立場でしていることを「学術会議などに求められる役割」で縛ること自体が学問の自由、思想・信条の自由の阻害要件となる。

 当然、政府の「総合的・俯瞰的観点からの活動」の要請は学術会議会員としての活動を対象としてのみ可能となる。ところが政府は、菅義偉だけではなく、多分安倍晋三をも含めて、学術会議会員としての活動と学術会議会員から離れた個人としての活動を混同して、後者の活動にまで学術会議会員としての「総合的・俯瞰的観点からの活動」までを求める(多分政治的に中立的な立場を欲求してのことなのだろう)勘違いを犯している。この勘違いが安倍晋三の国家主義的な強権政策に個人的にか、学術会議とは無縁のグループで反対している6名の任命拒否となって現れたと見ると全ての説明がつく。

 もし菅義偉が毎度答弁しているように「民間出身者や若手が極端に少なく、出身や大学にも大きな偏りが見られること」を原因の一つとして6名の任命拒否という結果を出したなら、原因と結果という両者間に整合性の橋渡しが必要となる。納得がいく橋渡しは、ごく当然なことだが、納得のいく説明責任を欠かすことはできない。
人事の問題だから、答弁は差し控えるでは人事問題を国民の手の届かない政治の聖域とすることになって、国民主権に基づいた「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とする憲法第15条第1項を国家権力自らが蔑ろにするだけではなく、恣意的な人事を跋扈させる危険性を根付かせかねず、決して許されない。

 蓮舫は「その中で人事に関する記事の部分は出さないんでも結構です」、「人事のところは黒塗りでも結構です」、「人事に関する機微な情報、個別名詞とか、この人はこういう理由だ。そこはいいんですが」と、安倍政権下で数多くあった不都合な情報は破棄するか、改竄するか、黒塗りで出してきた、最後の事例を公認し、説明責任から除外しているが、6名の任命拒否に対する自身の追及自体を無意味とし、疑義の核心から目を背ける意思表示以外の何ものでもない。

 野党が政府の不正・疑惑を寄ってたかって追及しながら、追及しきれずに逃げられてしまう原因の一つを蓮舫の質問から見ることができる。


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