日本学術会議任命拒否:総理大臣の公務員選定・罷免は国民主権の代理行為ゆえ、「人事」を理由に答弁差し控えは憲法違反

2020-11-02 08:56:45 | 政治
 菅義偉は2020年10月26日に首相就任初となる所信表明演説を行い、そこでも、「雪深い秋田の農家に生まれ、地縁、血縁のない横浜で、まさにゼロからのスタート」と自身の政治家像を庶民性で色づけて、ウリとしていたが、日本学術会議会員6名任命拒否が学問の自由侵害問題として大騒ぎになっているにも関わらず、所信表明では一言も触れなかったことがトンデモナイ食わせ者であることを露わにすることになった。

 この所信表明に対する代表質問が2020年10月28日から30日にかけて衆参本会議で行われたが、野党は勿論、任命問題を追及した。周知の事実となっているが、代表質問は総理大臣の所信演説で表明した政府の諸政策や諸問題を与野党代表が追及するものだが、日本学術会議の6人任命拒否問題に関わる追及のうち、日本共産党が最も時間を掛けた追及を行っていたように思えたから、日本共産党志位和夫委員長が10月29日に衆院本会議で行った代表質問と、同じく日本共産党小池晃書記局長が10月30日に参院本会議で行った代表質問をそれぞれに取り上げて、菅義偉が如何にトンデモナイ食わせ者であるかを証明したいと思う。

 代表質問は一括質問とそれに対する一括答弁を形式としているが、分かりやすいように問題ごとに質問と答弁を並べて表記することにした。この表記に先んじて、今まで例のなかった日本学術会議会員6名任命拒否を菅義偉が正当化する方法の一つとして政府側参考人の国会答弁を挙げているが、2020年10月8日の参議院内閣委員会閉会中審査での答弁を指すゆえに前以ってここに載せておくことにする。

 2020年10月8日参議院内閣委員会閉会中審査

 木村陽一(内閣法制局第一部長)「昭和58年の対象になっております日本学術会議法の一部改正の立案の以前から、政府と致しましてはこれも学問の自由や大学の自治に関係する文部大臣による国立学大学学長等の人事に関してで憲法第15条第1項の規定に明らかにされている公務員の選定・罷免権は国民にあるという国民主権の原理との調整の必要性については累次答弁をしてきております。

 このような国民主権の原理を踏まえますと、内閣が国民及び国会に対して責任を負えない場合にまで申し出のとおりに必ずしも任命しなければならない義務があるわけではないと一貫して考えてきております。

 従いまして昭和58年の日本学術会議法の一部改正に於きましてもこれと同様の考え方に基づいて立案が成されているというふうに考えているところでございます」

 要するに憲法第15条第1項「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」は「国民主権の原理」に則っているとの内閣法制局第一部長である木村陽一のご託宣である。

 内閣法制局の業務は「法制局」のサイトに次のように紹介されている。

 内閣法制局の主な業務は、次のとおりです。

 法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べるという事務(いわゆる意見事務)
 閣議に付される法律案、政令案及び条約案を審査するという事務(いわゆる審査事務)(以上)

 内閣法制局は憲法、その他の法律解釈を行う。この解釈を参考にして、総理大臣、その他の閣僚は国会答弁等を行うという手順を取ることになる。当然、内閣法制局の法律解釈は一つの権威を持つことになる。

 内閣法制局第一部長の木村陽一が言っていることは公務員の選定・罷免は国民固有の権利であるとする憲法第15条第1項での規定は国民主権に準拠しているのだから、内閣が国民及び国会に対して責任を負うことのできる公務員の選定・罷免でなければならない。責任を負えない選定・罷免の場合は日本学術会議の候補者の選考どおりとはいかないということになる。

 また、国民及び国会に対して責任を負うことができる公務員の選定・罷免であることによって憲法第15条第1項を通して国民主権を尊重していることの証明となる。

 かくまでも公務員の選定・罷免は深く国民主権に関わっている。

 当然、今回の日本学術会議会員の6名任命拒否は国民主権の手前からも、国民及び国会に対して責任を負うことのできる任命であったかどうかが問われることになる。公務員の選定・罷免は人事の問題以外の何ものでもないのだから、内閣が公務員の選定・罷免に手を付けた途端に国民及び国会に対して説明責任が発生することになる。

 説明責任を不履行のまま、「国民主権の原理を踏まえますと、内閣が国民及び国会に対して責任を負えない場合にまで申し出のとおりに必ずしも任命しなければならない義務があるわけではないと一貫して考えてきております」などとは口が裂けても言えない。

 だが、実際は説明責任を果たさないままに記者会見で追及を受けると、菅義偉は具体的な決定経緯については何一つ述べずに「法律に基づいて任命を行っている」と通り一遍の発言のみで済まし、特に詭弁家加藤勝信は「人事の話だから詳細は控える」と言い逃れて、説明責任回避を当たり前としている。

 もう一つ政府側参考人の6名任命拒否の正当理論を参考として挙げておく。

 2020年10月7日衆議院内閣委員会閉会中審査

 三ッ林裕巳(ひろみ・内閣府副大臣)「日本学術会議は我が国の科学者の内外に対する代表機関として科学の向上・発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映・浸透させることを目的として設置された、国の行政機関であり、その会員の任命権者は日本学術会議法に於いて内閣総理大臣とされております。

 憲法第15条の規定により明らかにされているとおり、公務員の選定・罷免権が国民固有の権利であるという考え方からすれば、任命権者たる内閣総理大臣が推薦のとおりに任命しなければならないというわけではなく、日本学術会議会員が任命制になったときから、このような考え方を前提としております。

 任命権者たる内閣総理大臣がその責任をしっかりと果たしていくという一貫した考え方に立った上で会員を任命する仕組みは時代に応じて変遷しており、その中で日本学術会議に総合的・俯瞰的観点からの活動を進めて頂くため、任命権者である内閣総理大臣が日本学術会議法に基づいて今回の任命を行ったものであり、法律違反という指摘は当たらないものと考えております。

 また憲法23条に定められた学問の自由は広く全ての国民に保障されたものであり、特に大学に於ける学問・研究、その成果の発表、教授は自由に行われるものであることを保障したものであると認識しております。

 従いまして先程述べた任命の考え方は会員等で個人として有している学問の自由への侵害になるとは考えておりません」

 内閣府副大臣の三ッ林裕巳が答弁していることは憲法第15条第1項「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とされていることから、日本学術会議法に於いて会員の任命権者とされている内閣総理大臣が選定・罷免の「責任をしっかりと果たしていく」ためには「推薦のとおりに任命しなければならないというわけではなく、日本学術会議会員が任命制になったときから、このような考え方を前提としている」という意味を成す。

 断るまでもなく、公務員の選定・罷免に関して「責任をしっかりと果たしていく」責任履行主体は内閣総理大臣であるが、責任履行対象は公務員の選定・罷免を憲法第15条第1項で「国民固有の権利」としている以上、国民に対してである。

 また、ここで「国民固有の権利」と規定していることは2020年10月8日の参議院内閣委員会閉会中審査での政府側参考人内閣法制局第一部長の木村陽一の答弁を待つまでもなく、日本国憲法が国家主権としているのではなく、国民主権としていることからの関連に他ならない。

 つまり内閣総理大臣が任命権者となっている公務員の選定・罷免は主権者である「国民固有の権利」であるものの、日本学術会議会員に関しては日本学術会議法で任命権者を内閣総理大臣としている関係から、その国民に代わって内閣総理大臣が選定・罷免の代理行為をするという意味を取る。

 当然、内閣府副大臣三ッ林裕巳の答弁は任命権者となっているケースに於ける内閣総理大臣の公務員の選定・罷免はその責任を主権者である国民に対してしっかりと果たしていくためには推薦のとおりに任命しない場合もあり得る、あるいは推薦どおりに選定・罷免していたのでは国民に対して責任をしっかりと果たすことができない場合もあり得るとの趣旨だと解釈しなければならない。

 三ッ林裕巳のこの推薦のどおりに任命するかしないかは内閣総理大臣の責任に任されているとする法則の正当性を、いわば内閣府の解釈の正当性を全面的に認めるとしても、国民が主権を有していることから公務員の選定・罷免は国民固有の権利としている憲法上の決まり事から言って、国民に代わる代理行為としてこのこと(公務員の選定・罷免)を内閣総理大臣が行っているという点については何ら変わりはないことを押さえておかなければならない。

 公務員の選定・罷免が内閣総理大臣による国民に代わる代理行為でなければ、憲法第15条第1項の「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」としている言葉自体の意味を失う。

 当然、公務員の選定・罷免に関して内閣総理大臣がその責任をしっかりと果たしているかどうかは選定・罷免に関する説明責任を求められた場合は、選定・罷免の経緯・理由の全てを明らかにしなければならない責任を負うことになる。特に推薦のとおりに任命しない場合は内閣総理大臣の取捨選択の意思が入ることから、その取捨選択の意思が国民の取捨選択の意思と合致しているかどうかが問題となり、その説明責任はより重くなる。

 説明責任を拒否する権利を認めた場合は、憲法第15条第1項「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と規定している意味を同じく失わさせる。

 つまり、「公務員の選定・罷免権が国民固有の権利である」いう考え方からすれば、任命権者たる内閣総理大臣が推薦のとおりに任命しなければならないというわけではない」と説明するだけでは事は済まない。「任命権者たる内閣総理大臣がその責任をしっかりと果たしてい」るかどうかが第一番の問題となり、
「その責任をしっかりと果たしてい」ることの説明責任を履行して初めて「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とする日本国憲法の規定が規定通りに生きてくることになる。

 となると、公務員の選定・罷免という人事の問題は国民主権という憲法に深く関わっていることになり、このことは内閣法制局第一部長の木村陽一も間接的に指摘していることであって、説明責任回避は大きく言うと、憲法違反ということになる。

 では、代表質問に移る。果たして菅義偉は公務員の選定・罷免は国民に代わる代理行為であることを弁えて説明責任を十分に履行し得る答弁に終止したのだろうか。日本共産党氏委員長と小池書記局長の質問はネットから引用し、菅義偉の答弁はNHK中継から文字起こしした。

 「志位委員長の代表質問 10月29日衆院本会議」(志位和夫のホームページ/2020年10月30日・金)
  
 志位委員長「私は、日本共産党を代表して菅総理に質問します。

 日本学術会議が新会員として推薦した科学者のうち、総理が6人の任命を拒否したことは、わが国の法治主義への挑戦であり、学問の自由をはじめとする国民の基本的人権を侵害する、きわめて重大な問題です。

 第一に、任命拒否は、日本学術会議法に真っ向から違反しています。

 日本学術会議法は、学術会議の政府からの独立性を、その条文の全体で、幾重にも保障しています。第3条で、学術会議は、政府から『独立して…職務を行う』とされ、第5条で、政府に対してさまざまな『勧告』を行う権限が与えられています。第7条で、会員は、学術会議の『推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する』とされ、第25条で、病気等で辞職する場合には、「学術会議の同意」が必要とされ、さらに第26条で、『会員として不適当な行為』があった場合ですら、退職させるには『学術会議の申出』が必要とされるなど、実質的な人事権は、全面的に学術会議に与えられています。

 総理に伺います。日本学術会議には、1949年の創設時に、当時の吉田茂首相が明言したように、『高度の自主性が与えられている』ということをお認めになりますか。6人の任命拒否は、学術会議の独立性・自主性への侵害であり、日本学術会議法違反であることは明瞭ではありませんか。答弁を求めます」

 菅義偉「今回の会員の任命と日本学術会議法の関連について質問がありました。ご指摘の吉田元総理の発言は日本学術会議法の創設に発言されたものと承知しておりますが、日本学術会議の運営については日本学術会議法を初め関連する法令に添って行われるべきものと認識しております。

 日本学術会議法との関係のご指摘についてですが、憲法第15条第1項は『公務員の選定は国民固有の権利』としており、日本学術会議の会員についても必ず推薦どおりに任命しなければならないものではないという点については内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方であり、今回の任命も日本学術会議法に添って打ち出したものであります」
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 志位委員長「1983年、会員の公選制を推薦制に変えた法改定のさいに、学術会議の独立性が損なわれないかが大問題になりました。

 そのさい政府は、繰り返し、総理大臣の任命は『全くの形式的任命』、『実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右することはしない』、『推薦していただいた者は拒否しない』と明確に答弁しています。

 総理、6人の任命拒否は、これらの政府答弁のすべてを覆すものではありませんか。法律はそれを制定する国会審議によって解釈が確定するのであって、政府の一存で勝手に解釈を変更するならば、およそ国会審議は意味をなさなくなるではありませんか」

 菅義偉「過去の政府の答弁についてお尋ねがありました。過去の答弁は承知しておりますが、先程申し上げたとおり、憲法第15条第1項との関係で日本学術会議の会員についても必ず推薦どおりに任命しなければならないわけではないという点については内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方であり、日本学術会議法の解釈変更ではないのは国会において内閣法制局からも答弁しております」
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 志位委員長「総理は、憲法15条1項『公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である』を持ち出して、任命しないことはありうると強弁しています。

 しかし、憲法15条1項は、公務員の最終的な選定・罷免権が、主権者である国民にあることを規定したものであって、それをいかに具体化するかは、国民を代表するこの国会で、個別の法律で定められるべきものです。日本学術会議の会員の選定・罷免権は、日本学術会議法で定められており、その法律に反した任命拒否こそ憲法15条違反であり、憲法15条を持ち出してそれを合理化するなど、天につばするものではありませんか。

 憲法15条の解釈について、かつて政府は、『明確に客観的に、もうだれが見てもこれは非常に不適当であるという場合に限って、…任命しないという場合もありうる』(1969年、坂田道太文相〈当時〉答弁)と答弁してきました。総理、あなたが任命拒否した6人は、『明確に客観的に、だれが見ても非常に不適当』だということですか。そうならばどう『不適当』なのか、その理由を明らかにすべきです。理由も明らかにせずに任命を拒否することは、6人に対する重大な名誉毀損(きそん)ではありませんか。答弁を求めます」

 菅義偉「憲法第15条第1項についてお尋ねがありました。憲法第15条第1項は公務員の選定は国民固有の権利としており、この憲法の規定に基づき、日本学術会議法では会員は総理が任命することにしていることから、会員の任命に当たっては必ずしも推薦どおりにしなければならないわけではないという点については内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方であり、今回の任命も日本学術会議法に添って行ったものです。

 憲法第15条第1項に関するご指摘の過去の答弁は承知をしており、また個々人の任命の理由については人事に関することであり、お答えを差し控えますが、今回の任命については先程申し上げたような考え方に基づき、日本学術会議法に添って行ったものであり、名誉毀損に当たるとは考えておりません」
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 志位委員長「総理は、任命拒否の理由を、学術会議の『総合的、俯瞰(ふかん)的活動を確保する観点』からだと繰り返しています。ならば問います。総理は、6人を任命すると学術会議の『総合的、俯瞰的活動』に支障が出るという認識なのですか。端的にお答えいただきたい。

 さらに総理は、26日のNHKインタビューで突然、学術会議の推薦名簿は『一部の大学に偏っている』「民間、若手が極端に少ない」などと非難を始めました。昨日(28日)の答弁では『多様性が大事』とも述べました。しかし、それならばなぜ50代前半の研究者、その大学からただ一人だけという研究者、比重の増加が求められている女性研究者の任命を拒否したのですか。説明いただきたい。

 だいたい、総理が勝手に、『選考・推薦はこうあるべき』という基準をつくって、任命拒否をはじめたら、学術会議にのみ与えられた選考・推薦権は奪われ、学術会議の独立性は根底から破壊されてしまうではありませんか。

 くわえて、学術会議が推薦した名簿を総理は『見ていない』と言う。『見ていない』で、どうして推薦名簿にそのような特徴があることが分かったのでしょうか。語れば語るほど支離滅裂ではありませんか。しかとお答えいただきたい」

 菅義偉「総合的俯瞰的活動に関してお尋ねがありました。私が日本学術会議について申し上げてきたのは先ず年間10億円の予算を使って活動している政府の機関であり、任命された会員は国家公務員となるので、国民に理解される存在であるべきだということです。

 個々人の任命の理由については人事に関することであり、お答えを差し控えますが、任命を行う際には総合的俯瞰的活動、すなわち専門分野の枠に囚われない広い視野に立ったバランスの取れた活動を行い、国の予算を投ずる機関として国民に理解される存在であるべきであるということ。さらに言えば、例えば民間出身者や若手が極端に少なく、出身や大学にも大きな偏りが見られることも踏まえ、多様性が大事だというこということを念頭に私が任命権者として判断したものであります。

 この総合的俯瞰的活動が求められること、産業人、若手研究者、地方在住者など、多様な会員を選出すべきだ。このことについては総合科学技術(・イノベーション)会議から日本学術会議の組織や会員の選出方法について意見具申があったものです。

 なお今回の任命について私が最終的な決裁行うまでの間に推薦の状況については説明を受け、私の考え方については担当の内閣府とも共有をしており、それに基づいて私が最終的な任命の判断をしたものであります」
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 志位委員長「第二に、任命拒否は、憲法23条が保障した学問の自由を侵害するものです。

 総理は、任命拒否は、『学問の自由とは全く関係がない』と言い放ちました。

 ならば聞きます。あなたは、憲法が定めた学問の自由の保障をどう理解しているのか。学問の自由は、個々の科学者に対してだけでなく、大学、学会など、科学者の自律的集団に対しても保障される必要があります。科学者集団の独立性・自主性の保障なくして、個々の科学者の自由な研究もありえないからです。総理の見解を伺います。

 理由を明らかにしないままの任命拒否が、個々の科学者に萎縮をもたらし、自由な研究の阻害となることは明瞭ではありませんか。それはさらに、わが国の科学者を代表する日本学術会議の独立性を保障する要となる会員の選考・推薦権という人事権の侵害であり、日本の学問の自由への乱暴な侵犯というほかないではありませんか。総理の任命拒否は、学問の自由を二重に侵害するものではありませんか。答弁を求めます」
 
菅義偉「日本学術会議と学問の自由についてお尋ねがありました。憲法第23条に定められた学問の自由は広く全ての国民に保護されたものであり、特に大学に於ける学問・研究及びその成果の発表、教授が自由に行われれることを保障されたものであると認識しております。また日本学術会議については日本学術会議法上、科学に関する重要事項の審議などの職務を独立して行うことが規定されております。

 今回の日本学術会議の会員の任命は憲法第15条第1項の規定の趣旨を踏まえ、任命権者である内閣総理大臣がその責任をしっかり果たすため、日本学術会議法により推薦に基づいて国の行政機関として職務を行う会議の一員として公務員に任命したものであります。こうした考え方に基づく任命の行使が会員等が個人として有している学問の自由に影響を与え、これを侵害することや会議の職務の独立性を侵害するとは考えておりません」
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 志位委員長そもそも総理は、日本国憲法が、思想・良心の自由や表現の自由とは別に、学問の自由の保障を独立した条項として明記した理由が、どこにあると認識しているのですか。

 1930年代、滝川事件、天皇機関説事件など、政権の意に沿わない学問への弾圧が行われました。それは全ての国民の言論・表現の自由の圧殺へとつながっていきました。毒ガスや生物兵器の開発、人体実験、原爆の研究、国民総武装兵器の開発研究など、科学者は戦争に総動員されました。そして、侵略戦争の破滅へと国を導いたのであります。総理、あなたには、憲法に明記された学問の自由の保障が、こうした歴史の反省のうえに刻まれたものだという認識がありますか。答弁いただきたい。

 この問題は日本学術会議だけの問題ではありません。全国民にとっての大問題です。強権をもって異論を排斥する政治に決して未来はありません。日本共産党は、違憲・違法の任命拒否の撤回を強く求めるものです。総理の答弁を求めます」

 菅義偉「現行憲法に於ける学問の自由についてお尋ねがありました。現行憲法では旧憲法下に於いて国家権力により国民の自由が圧迫されたことなどを踏まえ、特に明文で学問の自由を保障したものと認識しております。

 日本学術会議の任命の取り扱いについてお求めがありました。これまで申し上げたように今回の任命は憲法第15条第1項の規定に基づき任命権者である内閣総理大臣がその責任をしっかりと果たすために日本学術会議法に基づいて会員を任命したものであり、今回の任命について変更するということは考えておりません」(以上)

 菅義偉の答弁は内閣法制局第一部長木村陽一による憲法第15条第1項の解釈を楯に推薦どおりに任命しなくてもよいのは「内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方である」の一点張りで、憲法第15条第1項が国民主権に準拠している関係から内閣総理大臣の公務員の選定・罷免は国民に代わる代理行為であって、その責任は第一番に国民に負うとする認識にまで至っていない。

 公務員の選定・罷免は国民固有の権利であって、その行為を内閣総理大臣が行う以上、国民に代わる代理行為に他ならない。

 主権者たる国民に代わる代理行為であるという認識が一カケラでもあれば、「責任をしっかりと果たす」一番の対象は国民に対してであって、当然、責任を果たし得たのか得なかったのかの国民に対する説明責任が自動的に発生することになり、「個々人の任命の理由については人事に関することであり、お答えを差し控えます」は憲法上、通用しない、既に触れたように憲法違反そのものとなる。

 また「民間出身者や若手が極端に少なく、出身や大学にも大きな偏り」があることを以って多様性の欠如を言い立てているが、多様性のモノサシを社会的地位・立場に限っているとしたら、その貧困な認識に感心しなければならないが、6名任命拒否によってどのような点で「国民に理解される存在」に近づいたのか、あるいは6名任命拒否が多様性の確保にどう繋がったのか、何ら説明がないままでは菅義偉や役人が言っているところの「多様性」の性格や程度にしても、何を以って「国民に理解される存在」としているのかの点についても、理解不能となる。 

 「小池書記局長の代表質問 10月30日参院本会議」(しんぶん赤旗/2020年10月31日)

 小池書記局長「日本共産党の小池晃です。会派を代表して質問します。

 日本学術会議が推薦した会員候補6人の任命拒否は、民主主義と法治国家のあり方に対する総理の基本姿勢を根本から問うものとなっています。

 中曽根元首相をはじめとして、これまで政府は、総理大臣による任命は『形式的任命にすぎない』と答弁してきました。実際、委員が任命制になって以来37年間、学術会議が推薦した委員が任命されなかったことは一度もありませんでした。それが総理に拒否されたのですから、学術会議の事務局長も『驚がくした』と答弁したのであります。理由の説明を学術会議側が求めるのは当然ではありませんか。

 任命拒否された6人の方も説明を求めており、『個別の人事』をたてに拒否する理由はなりたちません。総理には、任命拒否の理由を誠実に説明する責任があります。逃げずにお答えください」

 菅義偉「日本学術会議の任命の理由についてお尋ねがありました。過去の答弁は承知しておりますが、憲法第15条第1項は公務員の選定は国民固有の権利として規定しており、この憲法の規定に基づき、日本学術会議法では会員は総理が任命することとされていることから、この任命に当たっては必ず推薦どおりに任命しなければならないわけではないという点については内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方であり、今回の任命も日本学術会議法に添って行ったものであります。
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 小池書記局長「総理は、『必ず推薦の通りに任命しなければならないわけではないという点について、内閣法制局の了解を得た』と言いますが、そのことは当時の学術会議会長にも、意思決定機関である幹事会にも伝えられていませんでした。これでどうして首相の新たな権限行使が正当化できるのか。そもそも、国会でくりかえし答弁されてきたこととは異なる首相の任命の法的意義について、国会にはからず政府が勝手に判断できるというなら、国会審議の意味などないではありませんか。納得のいく答弁を求めます」

 菅義偉「日本学術会議の会長、及び幹事会との関係についてお尋ねがありました。日本学術会議法に於いて会長は会議を総理(全体を統一して管理すること)し、会議を代表することとされ、また幹事会は会議の運営に関する事項を審議することとされています。一方で会員の任命権は内閣総理大臣であり、日本学術会議の精神に基づく会員の任命に当たっては必ず推薦のとおりに任命しなければならないわけではないという点については内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方であり、今回の任命も日本学術会議法に添って行ったものです」
     ・・・・・・・・・・
 ここで菅義偉は小池書記局長が既に尋ねている政府側の過去の答弁について答えているが、読み落としに気づいて付け加えたのだろうが、順番通りに答弁を並べておく。

 菅義偉「過去の答弁についてお尋ねがありました。過去の答弁は承知しておりますが、先程申し上げたとおり憲法第15条第1項との関係で日本学術会議の会員については必ず推薦のとおりに任命しなければならないわけではないという点については内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方であり、日本学術会議法の解釈変更でないのは国会に於いて内閣府法制局からも答弁しているとおりです。

 今回の任命については国会の場などに於いて質問に応じて説明できることはきちんと説明します」
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 小池書記局長「総理は任命拒否の新たな理由として、『民間出身者や若手が少ない、出身や大学にも偏りがみられる』としましたが、それぞれ具体的な根拠をお示しください。

 この間の学術会議の改革努力によって、男女比も、会員の地域分布も、特定大学への集中も是正されてきています。総理の発言は虚偽ではありませんか。

 しかも、拒否された6人の研究者の中には、50代前半の方も、女性も、その大学からただ一人だけという方も含まれています。『多様性を大事にした』という総理の説明と矛盾していませんか」

 菅義偉「会員の出身や大学についてお尋ねがありました。個々人の任命については人事に関することであり、お答を差し控えますが、任命を行う際には総合的俯瞰的活動、即ち専門分野の枠に囚われない、広い視野に立ってバランスの取れた活動を踏まえ、国の予算を投じる機関として国民に理解される存在であるべきだということ、さらに言えば、例えば民間出身者や若手が少なく、出身や大学にも偏りが見られることも踏まえ、多様性が大事だということを念頭に私が任命権者として判断を行ったものであります。

 個別の会員任命との関係はお答を差し控えますが、現在の会員は例えば所属別で見ますと、いわゆる旧帝国大学と言われる7つの国立大学に所属する会員が45%占めています。それ以外の173の国立大学・公立大学合わせて17%です。また615ある私立大学は24%にとどまっております。また産業界に所属する会員や49歳以下の会員はそれぞれ3%に過ぎません。

 なお特定の分野の研究者であることを以って任命を判断したことはありません」
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小池書記局長「だいたい、『総合的、俯瞰(ふかん)的な観点で判断した』と言いながら、人文科学系の研究者だけを任命拒否したのは、『総合的、俯瞰的な観点』に反するのではありませんか。

 総理は、『学術会議のあり方を見直す』といいますが、安倍政権下の有識者会議が15年3月に、『現在の制度は…期待される機能に照らしてふさわしい』と報告したのに、今になって『見直し』を言いだすのは、支離滅裂ではありませんか。この5年間に有識者会議の結論をくつがえすような事実があったのですか。具体的に示していただきたい」

 菅義偉「有識者会議の報告についてお尋ねがありました。平成27年3月の有識者会議の報告書では日本学術会議の国の機関、公益上の独立性、政府に対する勧告・提言、という現在の制度について会議に記載される機能に照らして、ふさわしいとされたと承知しております。

 他方で民間出身者は少なく、出身や大学にも偏りが見られることや会員の人選は最終的に選考委員会が(行う)仕組みがあるものの、先ずは現在の会員が後任を推薦することも可能な仕組みになっていることについてはかねてから同様の問題があったものと思われます」
     ・・・・・・・・・・
小池書記局長「学問と科学は、政治権力に従属するものであってはなりません。学問が弾圧され、戦争に突き進んだ過去の教訓から、憲法23条は『学問の自由』を保障したのです。

 学問も科学も国民のためのものです。この問題は、任命を拒否された6人だけの問題でも、学者・研究者だけの問題でもありません。すべての国民にとっての重大問題です。

 日本学術会議法に反し、憲法で保障された『学問の自由』を脅かす任命拒否は、撤回すべきです。以上、総理の答弁を求めます」

 菅義偉「学問の自由についてのお尋ねについては憲法23条に定められている学問の自由は広く全ての国民に保障されたものであり、特に大学に於ける学問・研究の自由、その成果の発表の自由、教授の自由を保障したものであると認識をしております。今回の日本学術会議の会員の任命は憲法第15条第1項の規定の趣旨を踏まえ、任命権者である内閣総理大臣がその責任をしっかりと果たすために日本学術会議法による推薦に基づいて国の行政機関として職務を行う会議の一員として公務員に任命したものであり、変更することは考えておりません。

 こうした考え方に基づく任命権の行使が会員などが個人として有している学問の自由に影響を与え、これを侵害することになるとは考えておりません」
(以上)

 菅義偉は「必ず推薦のとおりに任命しなければならないわけではないという点については内閣府法制局の了解を得た政府としての一貫した考え方である」を志位委員長に対して3回、小池書記局長に対しても3回繰り返している。但し「内閣府法制局の了解を得た」任命事項であったとしても、憲法第15条第1項が「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とする規定は人事の問題そのものであり、国民主権に基づく国民固有の人事権を総理大臣が代理行為として行う以上、その責任は果たし得たのか、果たし得なかったのかの国民に対する説明責任はついて回ることになるが、「個々人の任命については人事に関することであり、お答を差し控えます」を金科玉条にして説明責任を回避して当たり前としている。

 ウリにしている庶民性を自ら裏切るトンデモナイ食わせ者である。

 要するに内閣総理大臣による公務員の選定・罷免が国民主権の原理に基づいて憲法第15条第1項に則って行う以上、国民に代わる代理行為であるとするところにまで憲法第15条第1項に関わる内閣法制局の解釈が行き届いていないことになる。

 もしかしたら、完璧な解釈を行ったなら、菅義偉側に不都合な状況が生じることが目に見えていることから、国民に代わる代理行為だとする一歩手前で解釈を止めている可能性無きにしもあらずである。

 任命拒否問題を取り上げる野党側は1949年の創設当時の吉田茂の発言がどうっだったとか、1983年(昭和58年)11月の日本学術会議法改正時の政府側証人の国会答弁がどうだったかに拘らずに、日本学術会議会員の選定・罷免は国民主権の原理に基づいた憲法第15条第1項に規定された人事の問題である以上、人事の問題だからと言って、説明責任は回避できないということ、6名任命拒否によってどのような点で「国民に理解される存在」に近づいたのか、あるいは6名任命拒否が多様性の確保にどう繋がったのかなどに絞って追及すべきだろう。

 その際、公務員の選定・罷免に関わる説明責任回避は憲法違反に相当するということを政府側にぶっつけるべきだろう。

 菅義偉は会員構成の多様性の欠如として、「民間出身者や若手が少なく、出身や大学にも偏りが見られる」ことを挙げ、「旧帝国大学と言われる7つの国立大学に所属する会員が45%を占めています。それ以外の173の国立大学・公立大学を合わせて17%です。また615ある私立大学は24%にとどまっております。また産業界に所属する会員や49歳以下の会員はそれぞれ3%に過ぎません」と断じているが、「Wikipedia」が紹介している、(各日本人ノーベル賞受賞者が一つ以上の学位(学士号・修士号・博士号)を取得した大学(2019年10月時点))との断りが入っている「ノーベル賞受賞者の学位取得大学(人数別)」は次のとおりとなっている。旧帝国大学を前身としている東京大学と京都大学が多くを占め、同じく旧帝国大学を前身とする名古屋大学と大阪大学が続いているが、この占有率を以って多様性の欠如と言い得るだろうか。 

 東京大学 11(物理学賞5、化学賞1、生理学・医学賞2、文学賞2、平和賞1)
 京都大学 8(物理学賞3、化学賞3、生理学・医学賞2)
 名古屋大学 5(物理学賞4、化学賞1)
 大阪大学 2(物理学賞1、化学賞1)
 東京理科大学 1(生理学・医学賞1)
 神戸大学 1(生理学・医学賞1)
 大阪市立大学 1(生理学・医学賞1)
 山梨大学 1(生理学・医学賞1)
 徳島大学 1(物理学賞1)
 埼玉大学 1(物理学賞1)
 東京工業大学 1(化学賞1)
 東北大学 1(化学賞1)
 北海道大学 1(化学賞1)
 長崎大学 1(化学賞1)
 カリフォルニア大学サンディエゴ校 1(生理学・医学賞1)
 ロチェスター大学 1(物理学賞1)
 ペンシルベニア大学 1(化学賞1)
 ケント大学 1(文学賞1)
 イースト・アングリア大学 1(文学賞1)

 要するに問われるべきは仕事上の成果であって、出身組織とか所属組織が問題ではない。年齢も問題ではない。誰が見ても仕事上の成果があると見ているのに、小さな組織に所属しているか、年齢が若いという理由で日本学術会議会員から除外されているなら、そういったことのみを問題にすべきだが、菅義偉の「民間出身者や若手が少なく、出身や大学にも偏りが見られる」は仕事上の成果外のことだから、6名任命拒否を偽装する誤魔化しに過ぎない。

 任命拒否を受けた6名に最も色濃く共通する点は安倍晋三の国家主義的な強権政策に対する顕著な拒絶姿勢であって、政治上の立場に応じて毀誉褒貶はあるだろうが、6名はそれを一つの仕事上の成果としている。所属大学だとか、出身大学は一切関係していない。当然、安倍晋三の国家主義的な強権政策に対する顕著な拒絶姿勢を標的とした6名の任命拒否と見なければ、仕事上の成果という点から整合性が取れない。

 政府の政策に反対する学者は会員として任命できないということなら、政治の私物化以外の何ものでもない。もし6名任命拒否が安倍晋三や菅義偉が仕掛けた政治の私物化であるなら、6名の仕事上の成果に対する憲法が保障する思想・信条の自由、あるいは学問の自由の抑圧に相当することにはなる。

 安倍晋三は首相在任中、森・加計問題、桜を見る会、黒川検事長定年延長問題等で政治の私物化を最も得意としていた。その流れを汲む6名任命拒否の政治の私物化の可能性は否定できない。

 それに菅義偉が片棒を担いでいる。「雪深い秋田の農家に生まれた」とはトンデモナイ食わせ者ではないか。


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