2月15日(2012年)午後、衆院東電福島第1原発事故調査委員会で班目春樹原子力安全委員会委員長と寺坂信昭前原子力安全・保安院長が原発事故当時の対応について証言した。その発言をWEB記事から取り上げ、特に班目委員長証言の真偽を検討してみる。
《2トップ、福島事故で謝罪 「言い訳に時間をかけた」「私は文系で…」》(MSN産経/2012.2.15 22:20)
班目委員長(津波や全電源喪失に備える原発の安全指針について)「瑕疵(かし)があったと認めざるを得ない。おわびしたい。
(指針が改善されなかった背景について)低い安全基準を事業者が提案し、規制当局がのんでしまう。国がお墨付きを与えたから安全だとなり、事業者が安全性を向上させる努力をしなくなる悪循環に陥っていた。
わが国は(対策を)やらなくてもいいという言い訳に時間をかけ、抵抗があってもやるという意思決定ができにくいシステムになっている」
第三者的視点に立った物言いとなっている。原子力行政の渦中に当事者として立っている発言にはとても思えない。
いわば当事者意識、その危機感を全く感じさせない言葉となっている。
官邸への助言等、事故当時の行動に関して。
班目委員長「1週間以上寝ていないのでほとんど記憶がない。私がいた場所は固定電話が2回線で携帯も通じず、できる助言は限りがあった」
「ほとんど記憶がない」と言いながら、「できる助言は限りがあった」ことは記憶していて、その理由として「固定電話が2回線」しかないこと、携帯電話が通じないことを挙げている。
「私がいた場所」とは 内閣府原子力安全委員会事務局がある東京都千代田区霞が関3丁目1番1号中央合同庁舎第4号館6階のことを言っているのだろうが、事故発生1週間やそこらは原子力災害対策本部が設置されていた首相官邸5階に詰めていて、多くの時間を菅首相や海江田経産相、東電関係者と事故収束の検討を重ねつつ、福島第一原発の現場の事故対応の推移を見守っていたはずだ。
その間、別室で休憩を取ることはあったろうが、例え睡眠中であっても、事故対応の緊急性から比較したら、個人の睡眠の緊急性は無視され、助言の緊急性に応じて呼び出されたはずだから、殆ど官邸5階に常駐していたも同然であったろう。
事故の全容を一応把握できてからは原子力安全委員会事務局に詰めるようになったとしても、助言が必要とされるときは首相官邸から連絡が入っただろうから、「固定電話が2回線」しかないことや携帯電話が通じないことは問題なかったはずだ。
大体が重大な原発事故に直面している中で内閣原子力安全委員会委員長として首相及びその他への助言という重大な責務を担っていたのである。当然、必要に応じてメモの類いは取っておかなければならなかった。
まさか原子力に関してすべて万能で、助言が正しかったかどうかあとで検証する必要もなかったというわけではあるまい。
いわば、原子力安全委員会委員長という立場上、「ほとんど記憶がない」とすることも、「できる助言は限りがあった」とすることも無責任甚だしく、決して許されることではないはずである。
また、「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針」は班目委員長が原子力安全委員会に関わるずっと前の1990年8月30日作成だが、「Wikipedia」によると、2010年に〈東京大学を退職後、内閣府の審議会等のひとつとして設置されている「原子力安全委員会」にて、委員に選任された。〉と書いてあり、殆ど間もない東日本大震災発生約1年前の2010年4月から委員長に就任している。
例え指針作成に関わっていなかったとしても、自身が所管している「指針」である。原子力安全委員会委員、もしくは委員長に就任してから、その責任上、原子力の専門家としての自らの視点で「安全指針」を把えてみる、検証してみるといったことはしなかったのだろうか。
もしそういったことを一度もしていなかったとしたら、立場上の責任を何ら果たしていなかったことになる。
自らの視点で目を通し、検証してみるといったことをしていたとしたら、「瑕疵(かし)があったと認めざるを得ない。おわびしたい」は事故が起きてから気づいたことになるから、原子力の専門家として安全指針が適切か否かの妥当性を判断する見る目、検証に堪え得る責任能力を保持していなかったことになる。
いわばすべては自身の能力・責任が関わっている事柄でありながら、「低い安全基準を事業者が提案し、規制当局がのんでしまう。国がお墨付きを与えたから安全だとなり、事業者が安全性を向上させる努力をしなくなる悪循環に陥っていた」とか、「わが国は(対策を)やらなくてもいいという言い訳に時間をかけ、抵抗があってもやるという意思決定ができにくいシステムになっている」と、原子力行政に関わる重要問題を自分が関係しない他人事のように言うことができるのは原子力安全委員会委員長としての責任を自覚することができないからだろう。
本来なら原発事故が起きる起きないに関わらず、立場上、ノーと言わなければならない構造化した悪しき状況のはずだ。
だが、一度も「ノー」という声を上げなかった。この構造化した悪しき状況に班目委員長もどっぷりと浸って、原発事故が起きるまで何の疑問も感じなかったのだろう。
要するに言っていることは責任転嫁に過ぎない。
放射性物質の拡散予測システム(SPEEDI)を避難に活用しなかったと政府事故調などで指摘されていることについては次のように反論している。
班目委員長「SPEEDIがあればうまく避難できたというのは全くの誤解だ」
対して寺坂前原子力安全・保安委員長
寺坂保安委員長「避難方向など何らかの形で有用な情報になったのではないかという思いはある」
果たしてどちらが正しい証言なのだろうか。
この点に関する班目発言は《言い訳づくりばかりしていた…班目氏発言の要旨》(YOMIURI ONLINE/2012年2月15日21時05分)ではより詳しく伝えている。
班目委員長「放射性物質拡散予測システム『SPEEDI(スピーディ)』の計算には1時間かかる。今回のような原発事故にはとても間に合わなかった。
予測計算などに頼った避難計画を立てたのが間違いで、発電所で大変なことになっているという宣言があったら、ただちにすぐそばの方には避難してもらうというルールにしておくべきだった。スピーディが生きていたら、もうちょっとうまく避難できたというのはまったくの誤解だ」
「『SPEEDI(スピーディ)』の計算には1時間かかる」と言っている。
だが、菅首相が第1原発半径3キロ圏内避難指示・3キロ~10キロ圏内屋内退避指示を出したのは3月11日14時46分地震発生から6時間39分後の21時23分である。
そしてこの時間からさらに8時間11分後の3月12日5時44分にベントによる放射性物質放出を受けて第1原発半径10キロ圏内避難指示へと拡大させている。
いわば「『SPEEDI(スピーディ)』の計算には1時間かか」ったとしても、最初の避難指示・屋内退避指示には十分に間に合った。
また、計算に1時間かかる間は気象庁に問い合わせて現場周辺の風向きと風速を参考にしてもいいはずだ。飛散した放射性物質が風向きと風速に関係なしに飛散するというなら、気象庁の気象予測も「SPEEDI(スピーディ)」も役に立たないことにはなるが。
「発電所で大変なことになっているという宣言があったら、ただちにすぐそばの方には避難してもらうというルール」を確立していたとしても、誰が見ても風向きと風速は避難方向・避難場所を決定する重要な要素であることに変わりはないはずだ。飛散方向に殊更好んで逃げることはあるまい。
だが、それを「まったくの誤解だ」と言う。
とても原子力安全委員会委員長の発言とは思えない。
「予測計算などに頼った避難計画を立てたのが間違い」と言っていることにしても事実に反する。昨年5月20日の記者会見で当時の枝野詭弁家官房長官が「SPEEDI(スピーディ)」の試算結果が事故発生翌日の3月12日未明に首相官邸にファクスで届いていたことを明らかにしている。
だが、首相官邸5階の原子力災害対策本部に届けられず、情報は共有されなかった。
枝野官房長官「(官邸の)幹部で全く共有されず、担当部局で止まっていた。情報の存在自体が伝えられなかったのは大変遺憾だ。避難指示の時にそういった情報があれば意義があった」
事実かどうかは分からない。情報を共有しながら、避難に活用することまで思い至らなかったから、責任問題を回避するための情報非共有の口実ということもある。
だが、「スピーディが生きていたら、もうちょっとうまく避難できたというのはまったくの誤解だ」は常識的に考えて事実に反している。「放射性物質拡散予測システム『SPEEDI(スピーディ)』」は読んで字の如く放射性物質拡散予測を目的として132億円もかけて開発したシステムである。
開発の目的通りの結果を得ないとしたら、今度はムダ遣いの問題が浮上することになる。
まさか放射性物質があっちへ飛んだ、こっちへ飛んだと眺めるだけのために開発したわけであはあるまい。高価過ぎる子どものオモチャとなってしまう。
以上見てきた当事者意識を欠いた第三者的な物言いから窺うことができる発言の無責任さから判断すると、もしかしたら班目委員長も関わっていた「SPEEDI(スピーディ)」の非活用であったために、その責任回避意識が言わせている、事実に反した「誤解」と疑うことができる。
「誤解」とすることで自身の責任を逃れることができる何らかの経緯があるに違いない。
上記「MSN産経」記事の次の二つの発言も取り上げておく。
寺坂前保安院長「私は文系なので、官邸内の対応は理系の次長に任せた」
原子力発電という物理的機能に対応する立場の人物が原子力の専門家ではなく、なぜ文系なのだろうか。文系を理由に立場上必要とする原発事故対応の議論に加わることができなかったのだから、その適格性の責任問題も問わなければならないことになる。
黒川事故調委員長(委員会後の記者会見)「安全委員会と保安院は安全を担う使命を持っているが、緊急時の備えができておらず、事故がない前提で原子力行政を推進するなど、国民の安全を守る意識が希薄だ」
それぞれの責任のなさを批判している。
最後に班目委員長の「ほとんど記憶がない」がまるきりのウソであることを示す。
昨年3月12日夕方6時の原子炉冷却の真水から海水への切り替えが菅首相の指示であったどうかで揉めた問題――菅は指示は出していない、班目の助言で海水注水した場合、再臨界の危険性があるということで、その検討に時間がかかっていた間に東電が勝手に始めたことだと言い、その場にいた東電幹部は電話で東電本社に海水注入について首相の了解が得られていないという連絡をしたために福島第一原発の現場は表向きは一旦中止したことにしてそのまま海水注水を続行していたゴタゴタで、班目委員長は再臨界の危険性について発言している。
《班目氏が政府発表に「名誉毀損だ」と反発 政府は「再臨界の危険」発言を訂正》(MSN産経/2011.5.22 20:42)
政府の班目発言訂正は、「海水注入の場合、再臨界の危険がある」から、「そういう(再臨界の)可能性はゼロではない」への変更である。「可能性はゼロではない」は危険性ゼロを意味していないのだから、単に危険性の程度を弱めたに過ぎない。
5月22日の内閣府での記者会見。
記者「政府は海水注入の一時中断は班目委員長が『再臨界のおそれがある』と指摘したからだとするが」
班目委員長「私が言ったのならば、少なくとも私の原子力専門家としての生命は終わりだ。一般論として温度が下がれば臨界の可能性は高まる。『臨界の可能性はまったくないのか』と聞かれれば、『ゼロではない』と答えるが、私にとって可能性がゼロではないというのは『考えなくてもいい』という意味だ」
記者「そういう発言をしたのか」
班目委員長「覚えていないが、私が『注水をやめろ』と言ったことは絶対にない」
記者「政府側は班目氏が指摘したと繰り返し主張している
班目委員長「私への名誉毀損(きそん)だ。冗談じゃない。私は原子力の専門家だ。一般的に海水に替えたら、不純物が混ざるから臨界の可能性は下がる。淡水を海水に替えて臨界の危険性が高まったと私が言うとは思えない」
記者「当日のことを明確に覚えてはいないか」
班目委員長「私は海水注入が始まったと聞いて、ほっとして、原子力安全委員会に戻った。一つだけいえることは首相が『注水をやめろ』と言ったとは聞いていない。私が知る限り、当時首相と一緒にいた人が注水を途中でやめるように指示を出した可能性はゼロだ」(以下略)
地震発生から5カ月以上経過した5月22日の記者会見発言である。「1週間以上寝ていないのでほとんど記憶がない」どころか、地震発生翌日の3月12日のことを、殆ど明快なまでに記憶している。
「1週間以上寝ていないのでほとんど記憶がない」は自分に責任が及ぶのを極端に恐れていることからの誤魔化しとしか思えない。
「私にとって可能性がゼロではないというのは『考えなくてもいい』という意味だ」と言っている。
一般常識では、「『考えなくてもいい』という意味」こそが、「可能性がゼロ」ということを意味するはずだ。
「考えなくてもいい」と言いながら、「可能性がゼロではない」と言ったなら、まさに矛盾する。
男が女性に対して、「僕は君を捨てるようなことはしないから、捨てられるかもしれないなんていう心配は考えなくてもいい」と言いながら、「捨てる可能性はゼロではない」と言ったとしたら、どうなるだろう。
要するに詭弁を用いている。
また、「可能性がゼロではない」は次の「一般的に海水に替えたら、不純物が混ざるから臨界の可能性は下がる。淡水を海水に替えて臨界の危険性が高まったと私が言うとは思えない」という発言と整合性を保ち得るが、あくまでも“可能性の低下”であって、“可能性ゼロ”を意味するわけではない点で、「考えなくてもいい」という発言とあくまでも矛盾する。
この5月22日の記者会見の翌日の5月23日の衆院震災復興特別委員会での次のような答弁を行なっている。
班目委員長「私の方からですね、(菅が真水から海水に変えろと指示したとされる)この6時の会合よりもずうーっと前からですね、格納容器だけは守ってください。そのためには炉心に水を入れることが必要です。真水でないんだったら、海水で結構です。とにかく水を入れることだけは続けてくださいということはずーっと申し上げていた」
「6時の会合よりもずうーっと前から」注水の必要性をしつこく言い、「真水でないんだったら、海水で結構です」と言った。
もし「一般的に海水に替えたら、不純物が混ざるから臨界の可能性は下がる」なら、「真水でないんだったら」ではなく、万が一の臨海の危険性回避のためには何が何でも海水を勧めなければならないはずだが、種類は何でもいいという意味で「とにかく水を入れる」という表現を使って真水の選択肢も残していることも矛盾した発言と言える。
また、「6時の会合よりもずうーっと前から」注水の必要性を訴えて、その中で海水注水を持ち出したなら、その時点で再臨界の可能性・危険性の程度についても助言者として何らかの説明がなければならなかったはずだが、「ずうーっと前」ではなく、海水注入の必要性が生じた3月12日午後6時の時点になってから再臨界の問題が浮上していることも矛盾している。
原発事故発生時の最も大事な初期対応の場面に於いても満足に責任を果たしていなかった。
新聞・テレビのマスコミ報道が伝えている班目の過去の発言を紐解いたなら、いくらでも無責任、矛盾、詭弁、ウソだらけだらけの発言を炙り出すことができるに違いない。
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