菅首相の与謝野入閣が民主党政策の優越性の放棄なら、政権担当の資格を失うことになる

2011-02-02 10:22:15 | Weblog



 昨2月1日(2011年)衆議院予算委員会。自民党稲田朋美議員の質疑のうち、与謝野が自民党時代に発言したというの「民主党マニフェストは殆んど犯罪に近い」の箇所を取り上げて、与謝野入閣が一度は否定したはずの自民党政策の取入れなら、逆に一度は優れているとした民主党政治の優越性の放棄に当たり、政権担当の資格を失うのではないか、書いてみることにした。

 稲田朋美「与謝野大臣の起用のことについてお伺いをいたします。民主党の政策を厳しく糾弾していた、与謝野大臣を閣内にお入れになったということは、民主党が変節したのか、それとも与謝野大臣が変節をされたのか、二つに一つだと思います。

 与謝野大臣は、平成21年の選挙前、財務大臣でいらっしゃいましたときに、民主党のマニフェストで、17兆円のバラマキをやることについて、記者会見で、『殆んど犯罪に近い』と、おっしゃいました。覚えておられますね。

 それなのになぜ大臣は、あなたは犯罪だと批判した、政策を推し進める民主党の内閣に参画されるのですか。犯罪に加担することになりませんか。また犯罪の共犯になってしまわれたのはなぜなのか。午前中の質疑で大臣の財政再建や社会保障に対する強い熱意は分かっておりますので、どうして犯罪に加担をされるのか、また犯罪をやめさせるために、どのようなことをおやりになるつもりなのか、お伺いをいたします」

 多分、民主党のマニフェストを犯罪だとは何だといったヤジが飛んだのだろう、稲田女史、座ってから、「大臣の言葉です、大臣の言葉ですよ」

 与謝野馨「えー、その当時私は、財務大臣をやっておりましたから、あまり無茶な財政プランを、うーん、お示しいただいても、それは実現不可能だと、役所的にはすぐ分かる、わけでございます。

 犯罪に近いと言ったのは、やや言い過ぎでございますが、あのー、これまでのところ、何とかマニフェストは、あのー、やってこられましたけれども、こっからはなかなか財政の、壁という厳しい、ものに、民主党自体がぶつかると、私は思っております。

 それは、あのー、9月には、見直すと、オー、総理も幹事長も言っておられますから、やっぱり、それは客観、的に、冷静に、実現可能性という、えー、ことに視点を置いて、国民の理解を待ちつつ、見直しする必要があるんではないかと思っておりますが、それは民主党のことでございますから、閣僚がとやかく言うべきではないと、思っております」

 稲田朋美「大臣が犯罪に近いとおっしゃったこのマニフェストの、全面見直しに向けて、大臣がご尽力されることを望みます」

 総理にお伺いをいたします。で、私も与謝野大臣の政策に共感を覚えるところが多くありました。従いまして総理が与謝野大臣の政策に共鳴を得て、そして任命をされたというお気持は分かります。ただ、与謝野大臣は、かつて自民党の総裁候補であり、自民党・公明党政権の最後の閣僚であり、自民党の比例で当選なさった方であり、打倒民主党政権を標榜するたちあがれ日本の共同代表をやられた方です。

 つまり、自民・公明、たちあがれの3党を裏切った方であり、有権者を裏切った方。そのような人を超党派協議をしようとする、テーマの担当大臣をすることは余りにむしろ無神経でありませんか」

 菅首相「まあ、あの、先程来、イー・・・、与謝野大臣を任命をしたことについての、ま、大義がどこにあるのかという趣旨の、ま、同じ、イー、ご質問だと思います。私は、あー、このー、社会保障と税の一体改革、という問題は、ほんとに大きな課題だと思っております。で、色々なですね、政党間の、政党間の、おー、変化とうのは、私もこの30年間国会におりますので、えー、色んな形で、えー、議員が、あー、ある意味、新たな党を作ったり、イ、変化をしたりすることはあります。

 ですから、それはそれとして、確かに重要なことでありますけれども、私は、今、この2011年というときにあって、このー、社会保障と税の一体改革という、この大きな大きな課題にとって、それを進めるためには、与謝野さんのような高い見識と、志を持った方が、最もふさわしいという認識の元で、大臣への就任をお願いしたわけでありまして、私はそのことを間違っているとは思いません」

 稲田朋美「また私の質問に正面から答えずに、はぐらかしの答弁に終始をされました。総理、政治は信なくんば立たずです。仮に正しい政策であったとしても、正しい人が言わなければ国民はついてきませんよ。信頼や信念のない人を閣僚とするような、こんな信なき政治がいずれ破綻することを指摘しておきます」 ――以上――

 稲田女史が「また私の質問に正面から答えずに、はぐらかしの答弁に終始をされました」と言っているが、彼女が与謝野の人間性について質問したのに対して一般的な政治活動現象で答える誤魔化しを働いている。まあ、答えようがなかったことからの誤魔化しなのだろうが、もしかつて市民派であり、今なお市民派の血を維持していたなら、このような答弁に痛みを感じるはずだが、こういった答弁が珍しくないところを見ると、既にブログで指摘していることだが、かつて市民派だったという経歴も活動場所が制約した表向きの態度だったのだろう。

 「政治は結果責任」だから、どんなに節操のない首相が節操のない政治家を閣僚に迎えてマニフェストと異なる政策を立てて制度設計を行ったとしても、社会の改善、国民生活の質的向上に成功したなら、結果責任を果たしたことになり、首相としての称賛を受けることになるだろう。政治史にも名前を残すことになるに違いない。

 だが、社会保障改革の場合、税と社会保障の一体改革と言っていることからも分かるように早晩消費税増税を伴う。また、社会保障改革が軌道に乗って目に見える形で国民生活に貢献するまでには長い時間がかかる壁が待ち構えている。一朝一夕に効果が出てくるわけではない。5年先か、あるいはそれ以上かかるか、現実社会での結果を見るまでは評価はできない。

 当然、社会保障改革が効果を上げるまでの長期的時間の経過を待つ前に消費税増税が初期的には中低所得層の生活を圧迫する、社会保障改革を差引く形を取る短期的に現れる壁を覚悟しなければならない。

 短期的に現れる壁が健全な社会維持のための決定的障害となった場合、優れているとした社会保障改革は時間のかかる壁を乗り超える前に崩れ去るかもしれない。

 もう一つの壁がある。稲田女史が民主党のマニフェストを「殆んど犯罪に近い」と批判していた「そのような人を超党派協議をしようとするテーマの担当大臣をすることは余りにむしろ無神経でありませんか」と言い、自民党だけではなく野党の中にも多くが共に議論することはできないと同じ立場を示していることの壁である。

 もし与謝野との協議を野党が拒否した場合、その壁は参院与野党逆転の壁をより大きくする危険性を生じせしめることになる。

 例え与野党が協議に応じたとしても、与謝野に対する不信感のもとで行われる協議となることから、協議が長引く壁を新たに抱えたり、あるいは野党の社会保障案の丸呑みを迫られる壁をさらに抱える可能性も考えなければならない。

 どう転んだとしても様々な壁が待ち構えているだろうから、事は簡単には進まない。進む前に菅政権が立ち行かなくなる壁が立ち塞がる可能性も生じる。

 与謝野は民主党のマニフェストを「殆んど犯罪に近い」と批判したことを「やや言い過ぎでございます」と弁明しているが、例え言い過ぎであったことを差引いたとしても、財源との関係で「実現不可能だと、役所的にはすぐ分かる」ような欠陥政策だと与謝野は認識していた。その認識は現在も維持していて、「客観的に冷静に実現可能性ということに視点を置いて、国民の理解を待ちつつ見直しする必要がある」と自らの認識に立った見直しの必要性を訴えている。

 与謝野が09年民主党マニフェストを「殆んど犯罪に近い」と批判した当時の民主党は政権与党であった自民党の各政策を反面教師として、それよりも優れているとして打ち立てた民主党の政策をマニフェストとして纏め上げ、その優れていること、自民党政策と比較した民主党政策の優越性を根拠に国民に政権交代を訴え、国民に受け入れられ、政権交代を果して民主党政権を発足させた。

 いわば民主党政権は鳩山前内閣であろうと菅内閣であろうと、自民党よりも優越する政策を背負って政権運営に立ち向かった。日本の政治の推進の役目を担った。

 簡単に言うと、与謝野が民主党のマニフェストを「殆んど犯罪に近い」と言おうと言わなかろうと、それが「やや言い過ぎ」であろうとなかろうと、民主党は自民党の政策を民主党の政策よりも下に置いたのである。国民も民主党の政策は自民党の政策よりも上だと評価した。あるいは自民党の政策を民主党の政策よりも下だと見た。大方が国民の生活にどちらが役に立つか、民主党の政策に軍配を挙げ、自民党の政策に退場を願った。

 当然民主党政権は政策に関わるこの優劣の力学を維持しなければならない使命と責任を負うこととなった。この優劣性を失ったとき、あるいは逆転したとき、政権担当の資格を失う。断るまでもなく、政権担当は政策の優劣が決定機会となるからだ。

 だが、ここに来て菅首相は民主党の政策よりも下に置いた自民党の政策を重要な位置で作成してきた与謝野旧自民党政権財務大臣を社会保障と税の一体改革を担う財政担当相に任命、その理由を「社会保障と税の一体改革という、この大きな大きな課題にとって、それを進めるためには与謝野さんのような高い見識と志を持った方が最もふさわしいという認識の元で、大臣への就任をお願いしたわけでありまして、私はそのことを間違っているとは思いません」と述べている。

 民主党は与謝野が自民党で財務大臣を務めていた当時の自民党政策をも含めて下に置き、民主党政策を上に置いてその優越性を訴えてきたのである。与謝野は特に政権運営の要となる予算と財源と税に関わる政策を担ってきた。

 もし与謝野がこういった政策に関して「高い見識と志を持った方」であったなら、民主党が自らの政策よりも自民党政策を下に置いたことと矛盾することになる。政権担当にふさわしいのは民主党だと国民に訴え、国民に認知させて確立することとなった優劣の政策力学を自ら裏切る矛盾を犯すことになる。政策立案能力の自己否定にも当たる。

 もし政策の優越性を捨てたということなら、国民を裏切ったことになり、当然政権担当の資格を失うことになる。

 例え与謝野を入閣させたとしても、そもそもの発端は衆院3分の2を獲得するためにたちあがれ日本の頭数の確保が目的で、その企みが敗れて与謝野一人の頭数の確保となった、与謝野の政策を踏襲するつもりはない、単に与野党協議を引き出すための当て馬だと言うなら、政策の優越性を維持したままとなり、何ら問題は生じないことになる。

 果してどちらなのだろうかと言いたいが、菅首相の指導力、リーダーシップのなさ、「政治は結果責任」意識の希薄性から言ったら、少なくとも菅内閣に限って言えることは既に政権担当の資格を失っていると確実に言える。



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