菅首相の自衛隊よりも警視庁・東京消防庁を一段下に置いた縄張り意識・縦割り意識からの発言

2011-03-22 17:40:53 | Weblog



 菅首相が昨日の3月21日(2011年)午後東日本大震災を受けた緊急災害対策本部と原子力災害対策本部合同会議を開催。当然例の如く首相が冒頭挨拶に立つ。その発言を「MSN産経」記事が伝えている。

 《「関係者の命がけの努力が少しずつではあるが前進」 政府対策本部の首相発言》MSN産経/2011.3.21 18:17)が伝えている。全文を参考引用してみる。

 菅直人首相が21日午後、官邸で開いた東日本大震災を受けた緊急災害対策本部と原子力災害対策本部合同会議の冒頭発言の主な内容は以下の通り。
 菅首相「今日で震災から11日目となった。

 その中で本当にうれしいニュースは、(宮城県)石巻で80歳のおばあさんと16歳のお孫さんが救出された。大変な被害、多くの方が亡くなられる中で、尊い命が救われたことは、私たち自身、国民の皆さんも大変喜んでいると思う。

 今朝の報告では、2万6650名の皆さんを、自衛隊はじめ、多くの機関で救助することができた。関係者の努力に改めて感謝を申し上げたい。

 心配されている東京電力福島第1原子力発電所について、関係者の命がけの努力が少しずつではあるが前進している。

 この間、自衛隊が中心になり、また、警視庁も手伝い、東京消防庁レスキュー隊が大変頑張ってくれた。

 先ほども石原慎太郎都知事がちょっと訪れられ、私から改めてお礼を申し上げた。自衛隊も頑張っていただいた一番の中心ではあるが、消防は国直属の機関ではない。

 ある意味では、自治体や消防職員がボランティア精神で応援に駆け付けてくれたので、そういう皆さんが本当に命をかけて日本を、国民を救うために努力されたことが、少しずついい方向に進む大きな力になっている。

 すでに自衛隊、東京消防庁の勇敢な放水作業によって3千トンの水を3号機中心に昨日までに放水、注水し、同時に電源の回復も1、2号機を中心にかなり進んでいる。まだ危機的状況を脱したというところまではいかないが、脱する光明が見えてきたとは申し上げられると思う。

 福島原発については、世界の歴史の中でもいくつかの原子力事故があったが、それに匹敵する大きな事故だ。何としても、これ以上の被害を出さないところで食い止めていきたいとの思いは皆さんも同じだと思うので、ここは最後の最後まで歯を食いしばってでもお互いに対応を緩めないで頑張りたい。

 これからも、自衛隊をはじめ東電や、東京消防庁や大阪消防庁、神奈川の消防など自治体の消防の皆さんに本当に大きな力を貸していただきたい。

 避難民の生活支援については、新たな支援本部を立ち上げた。日一日充実してきているとなるよう、それぞれの立場でしっかりと取り組みを進めてほしい。

 さらに大きな意味での復興に向けた歩みを始めるための準備をしなかればならない。未曾有の地震災害が、これを超えたときに日本社会がよりよくなった、より元気のいい日本になった、より安心できる日本になった、という社会を実現できるよう、夢を持った復興計画をしっかりと考えていきたい」

 「今朝の報告では、2万6650名の皆さんを、自衛隊はじめ、多くの機関で救助することができた」と言っているが、殆んど目に見える場所に目に見える存在として救助を待っていた被災者なのだから、救出は当然の数字である。果して救助に出動した自衛隊、消防、その他が人数に応じた効率的な救助を行ったかどうかの検証が必要になるが、検証を待たずに救出人数だけを振り回すのは菅首相が相変わらず合理的判断能力を欠いているからだろう。

 このことも問題だが、より問題なのは、「これからも、自衛隊をはじめ東電や、東京消防庁や大阪消防庁、神奈川の消防など自治体の消防の皆さんに本当に大きな力を貸していただきたい」と同等の扱いをして協力を要請しているが、「自衛隊も頑張っていただいた一番の中心ではあるが、消防は国直属の機関ではない」と差別をつけていることである。

 確かに「消防は国直属の機関ではない」。各自治体の管轄にある。これは自明の理であって、例え「自衛隊が中心になり、また、警視庁も手伝い、東京消防庁レスキュー隊が大変頑張ってくれた」と言っているように国直属の機関として自衛隊が中心的存在だったとしても、また東京消防庁やその他の消防庁が自治体直属の機関だったとしても、みながそれぞれの役目と能力に応じて同等に原子力発電の事故収束に向けて努力していたのである。

 それをわざわざ「消防は国直属の機関ではない」と言う必要があっただろうか。

 消防は自治体所属であっても、元々救急車派遣、患者・病人の搬送や災害救出の救命と火災消火でも救命と財産保護の実働部隊として日々活躍している。

 自衛隊と消防は一般的には実働部隊としての役目は異なっても、災害時の救命では同じ役目を担うし、今回の福島第一原発での放水作業でも冷却という目的では同じ立場に立った行動であったはずだ。

 それをわざわざ「消防は国直属の機関ではない」と言い、万が一の場合の放射能汚染を覚悟で放水活動に参加している消防隊員に対して、「ある意味では、自治体や消防職員がボランティア精神で応援に駆け付けてくれた」と言う。

 「ある意味では」と断っている以上、一般的なボランティア精神で駆けつけたということであろう。果して一般的なボランティア精神であのような危険な作業に時間と体力を厭わずに挑むことができた廊下。

 自衛隊は国を守る気概で駆けつけ、消防は「ある意味では」、、「ボランティア精神で応援に駆け付けてくれた」というわけである。

 自衛隊に対して消防を差別する意識なくして言えない発言であろう。

 例えすぐあとで、 「そういう皆さんが本当に命をかけて日本を、国民を救うために努力されたことが、少しずついい方向に進む大きな力になっている」と言ったとしても、意識の中では自衛隊を上に置き、消防を下に置いた感謝の言葉であって、分け隔ての差別なしに述べた感謝では決してない。

 分け隔ての差別意識が露程もなかったなら、「消防は国直属の機関ではない」などという言葉は口を突いて出ることはなかったろう。

 菅首相はこの言葉一つで愚かしいことに東京消防庁、その他の消防の努力を無としている。

 菅首相のこの発言は国は国、自治体は自治体と縄張りを分けていて、国を上に位置させ、自治体を国の下に置く上下の権威主義的な縦割り意識を持たせていることから発している発言と言える。

 と言うことは、国と地方を対等な関係に持っていくという菅首相なりの地方分権も当てにはならない政策となる。


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