大阪府教育委員会「携帯・ネット上のいじめ等課題対策検討会議」が12月3日(08年)、小中学生の学校への携帯電話持ち込み原則禁止要求の提言書を発表(「時事通信出版局」から)したと言う。
理由を上記記事で見てみると、今年7月、府内の公立小・中学校や高校、支援学校の児童生徒ら計約1万3500人とその保護者を対象に府教委が実施した意識調査からの結論だそうだが、
1.携帯電話への依存傾向が高い児童・生徒ほど、学習時間が短い
2.携帯電話、パソコンでのメール、掲示板などで「嫌な経験をしたことがある」とする回答は中学
1年で3割、同時期に実施した東京都の意識調査よりも高い割合だった。
この調査結果から、<保護者の申し出により学校長が必要性を認める場合を除き、原則として小中学校は学校への携帯電話の持ち込みを禁止し、府立高校では校内における使用禁止を求め>、なお且つ
(1)携帯電話の適切な使用時間を決めることなどを家族で話し合い、基本ルールを守ること
(2)「携帯・ネット上の誹謗(ひぼう)中傷は、犯罪への入り口である」とする指導の徹底を求める提言
を行った。
そして府教委自体が提言そのままに小中学校は学校への携帯電話の持ち込みを、府立高校は校内に於ける使用を原則禁止することとした。
この決定に対して橋下府知事は「学校に携帯電話は必要ない。・・・・携帯電話への依存度が高くなれば、学習時間が短くなるのは当たり前」(「YOMIURI ONLINE」)と全面支持。「携帯電話への依存傾向が高い児童・生徒ほど、学習時間が短い」と言うことになれば、「教育日本一」を公約とし、全国学力テストの成績公表の仕掛け人だった手前、当然の支持表明と言える。
学力テストの平均値で「教育日本一」を決めようなどと、愚かしい話である。
ブログタイトルを≪今度は大阪府知事橋下徹が撒き散らすこととなった「ケイタイ禁止令」騒動≫と「今度は」としたのは、ケイタイの学校内への持込み禁止問題は古くて新しい問題だからだ。前々から反対論があって、特に保守的な政治家側からの反対論が根強く、それを府知事の橋本徹が引き継いで反対姿勢を打ち出したことに対する「今度は」である。
私自身は「ケイタイ禁止令」に反対ということになる。その理由は上からの禁止だからだ。
日本人は権威主義を行動様式としていて、親にしても教師にしても子供を自分の考えに従わせようとする。「あれをしてはダメ、これをしてはダメ、ああしなさい、こうしなさい」と命令・指示を出して、その命令・指示通りに従わせ、従う子はいい子ということになる。行動を管理したがる。管理とは上の者の思い通りに下の者の意思・行動を規制し、制約することに他ならない。当然、子供の自律的(自立的)行動を抑制する方向に動く。
府教委の携帯所持禁止令も、橋本知事の携帯所持禁止令同調も、親や教師の上からの「あれはしてはダメ、これはしてはダメ」と同じ上から規制し、下に従わせる権威主義的制約に過ぎない。生徒自身に考えさせて自身で行動させる自律性(自立性)を求める要求とはなっていない。
但し小中学生の年代は自我が未発達で、自分でコントロールできないから、上からの強制による禁止も止むを得ないといった反論があるが(安倍・福田両内閣で内閣総理大臣補佐官<教育再生担当〉兼内閣官房教育再生会議担当室事務局長を務めた山谷えり子等の主張)、だったら、自我の発達を促す教育を行い、自分で判断させる方向に持っていったらいい。
「自我」とは「自分を持つこと」であろう。あるいは「自分であること」を言うはずである。「個体の意識や行為をつかさどる主体としての私」、そして「人格や作用の中枢として、認識の根拠、道徳的行為や良心の座となる」と『大辞林』 (三省堂)には書いてある。「自分を持つこと」によって、あるいは「自分であること」によって、「主体としての私」は確立可能となり、「人格や作用の中枢として」自律的(自立的)存在足り得る。
何度でもHPやブログに書いていることだが、日本人の大人を指して言う「横並び症候群」とか、「マニュアル人間」、「指示待ち症候群」なる有難い称号は他人の指示・判断に依存する状況を指しているのであって、「自分を持たない」ことによって生じている、あるいは「自分であること」がないために生じている非自律的(非自立的)存在性のことを言っているはずである。自民党の派閥などは数の力を頼んで自己の存在を相互に高めようとする依存性からして、非自律性(非自立性)をベースとし、非自律性(非自立性)でつながった最たる集団であろう。
個人で行動することができないから、派閥といった集団に依存する。個人で行動できないのは言うまでもなく「自分を持たない」からであり、「自分であること」を維持できないからである。「自我の未発達」が仕向けることとなっている非自律性(非自立性)と言える。
つまり小中学生の自我の未発達は大人たちの自我の未発達を受けた、その反映に過ぎない。自我の未発達な大人からは自我の未発達な子供しか育たない。
言わずもがなのことではあるが、人間は自我を確立することによって自律性(自立性)を獲得し得る。
暗記教育自体が既存の知識に依存し、それをなぞるだけで、自分に独自の知識をつくる知識授受となっていないから、「自我の発達」を阻害する教育方法としか言えない。そして子供は自我が発達しないまま成長し、社会に出て、自我が未発達な大人となっていく。かくして大人と子供の間を「自我の未発達」が循環することとなる。
学力向上、学力向上と言いながら、単になぞるだけの暗記知識でテストの点を上げる暗記学力のみに目を奪われ、それを最重要の学校価値観としているから、いつまで経っても自我は育たないし、当然自律的(自立的)存在へと向かうことは難しくなる。
ケイタイを持つも持たないもすべて生徒自身に任せるべきだろう。その結果に対する責任は当然のこと、生徒自身に帰する。「自分で決めなさい」と。
必要かどうか自分で決めてケイタイを所持することになったのではなく、みんなが持っているから自分も持つといった「横並び意識」、同調意識からの所持が殆どだから、責任意識は育たず、利用の目的も高いところに向かわず、当然の結果として自我の発達や自律性(自立性)といったことからも無縁のところでケイタイの利用が進むことになる。
ケイタイの所持に限らず、行動のすべてに責任を持たせる。何をするにしても、「あれはダメ、これはダメ」ではなくて、責任が持てるのか、自分の責任で行いなさいと本人の責任と判断に任せることを幼い頃から訓練づける以外に道はない。
自身の判断で行動させる以外に責任意識を育む方法はないのではないのか。他人に言われてしたことで失敗した場合、言った他人に責任をなすりつけることになる。
親も教師も子供に対して従わせるのではなく、1対1の関係を築く。自身も一個の人格・人間として行動し、子供も一個の人格・人間として扱う。そう扱われた子供は自然と一個の人格・人間として行動するようになる。「一個の人格・人間として行動する」ということはそのまま「自分を持つこと」であり、「自分であること」の体現に他ならない。当然、「自我の確立」に向かう道となる。自律性(自立性)獲得の道でもある。
ネットやケイタイを利用したいじめが深刻化していると言うが、ネットやケイタイを利用するようになってからいじめが発生したわけではない。ネットやケイタイを利用する前からいじめは存在し、ときには陰湿で深刻ないじめも起きていて、いじめが原因で自殺した生徒も何人かいる。
いわばネットやケイタイは単にいじめ手段に過ぎない。ケイタイ所持を禁止し、生徒がその禁止令を厳密に守ったと仮定したとしても、それでいじめは消滅するのだろうか。ケイタイのない時代もあったいじめである以上、いじめはなくならない。他の手段に代えるだけのことだろう。
多いときで7万、少ないときで3~4万ものカネをせびられ、殴られたり、川に沈められたり、女子生徒がいる前でズボンを下ろしてコンドームをつけ自慰行為をさせられたこともあったという、陰湿で残酷な際限のないいじめを受け、1994年11月27日に自宅で首を吊って自殺した愛知県中学校2年生の大河内清輝君(当時13)のいじめ自殺事件を学校も世間も、勿論橋下府知事も何ら教訓とせず、何も学習しなかったようだ。
誰かがいじめを開始すると、断ると今度はいじめの的になるからと引きずられていじめに加担する。生徒それぞれが自立していない、個人としての行動ができていないからだろう。
そうなっているいじめの構造・危機状況に対して学校・教師がそれを解決する危機管理を創造し・構築できていない。1+1=2は教えることができても、「引きずられてはならない。自分は自分の考えを持って、自分は自分の行動しろ」と教えることができない。教えることのできる先生がいるというのだろうか。
上からの禁止で強制し、従わせるようとするよりも、ネットやケイタイの良質の利用に向けた方法を模索し、自律的(自立的)選択に任せることの方が「自我の確立」並びに「自立性(自律性)の獲得」に役立つのではないだろうか。
≪今度は大阪府知事橋下徹が撒き散らすこととなった「ケイタイ禁止令」騒動(2)≫として、参考までにほぼ2年前の06年12月11日に載せた、同じいじめ問題に言及したブログ記事を再度掲載したいと思う。2年経過しているものの、再読することによって、ケイタイ問題が古くて新しい問題であることと、大河内清輝君いじめ自殺事件から何も学んでいないことがよりよく理解できると思う。
≪今度は大阪府知事橋下徹が撒き散らすこととなった「ケイタイ禁止令」騒動(2)≫に続く
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