1つめの記事――《被災の市町村6割、生活再建めど立たず 朝日新聞調査》(asahi.com/2011年6月11日3時0分)
調査対象――岩手・宮城・福島3県の津波被災地や東京電力福島第一原発の事故による避難対象となっている被災42市町村長。%提示は筆者。四捨五入。
「被災者の生活課題」(複数回答)
〈解決すべき、最も優先度が高い被災者の生活課題〉(3択)
「雇用の確保・創出」 ――29市町村長(69%)
「被災者のの生活資金支援」――17市町村長(40%)
「仮設住宅など住いの確保」――15市町村長(36%)
(福島県内の15市町村長に限定した場合――
「原発事故の早期収束・安全確保」――13市町村長)
「漁業・農業の再開」 ――14市町村長(33%)
「原発事故の早期収束・安全確保」――14市町村(33%)
「防潮堤の復旧など防災対策」 ――11市町村長(26%)
「瓦礫の撤去・処分」 ――9市町村長(21%)
「菅政権の震災対応に対する評価」
「評価しない」+「あまり評価しない」――33市町村長(8割近く)
「評価する」 ――0市町村長
宮城県気仙沼市長「民主党内で権力闘争。(政権と被災地の思いが)決定的に乖離(かいり)している」
福島県新地町長)「スピード、スタンスともいま一つ信頼がおけない」
〈瓦礫撤去状況〉
「殆んど残ったまま」――13市町村長(3割)
〈仮設住宅整備〉
「政権目標の8月中旬に間に合わない」――3市町村長(宮城県女川町、福島県南相馬市、広野町)
〈復興の目標期間〉
「10年以上」 ――2人市町村長(岩手県大槌町、南相馬市)
「5~10年」 ――19市町村長
「5年」 ――13市町村長
「3年」 ――5市町村長
記事は解説している。6月〈11日で東日本大震災の発生から3カ月。被災者支援に有効な対策を打ち出せない国への不満が根強い。 〉・・・・
もう1つの記事――《80%近い被災者“復興進まず”》(NHK NEWS WEB//2011年6月11日 4時13分)
アンケート対象――東日本大震災の被災者およそ500人。
「震災前に暮らしていた市町村の復興が着実に進んでいますか」
▽「進んでいる」 ――5%
▽「やや進んでいる」――15% 合計20%
▽「あまり進んでいない」――29%
▽「進んでいない」 ――48% 合計77%
「復興に当たって自治体に何を重視してほしいか」(複数回答)
▽「復興のスピード」 ――38%
▽「住民の意見をよく聞いてほしい」 ――30%
▽「震災前に近い状態に戻してほしい」――30%
▽「安全性を重視してほしい」 ――28%
災害の復興計画について詳しい人物の意見。
室崎益輝関西学院大学教授「多くの被災者が『復興が進んでいない』と感じているのは、被災者の見えないところで、自治体の復興計画が作られていることが原因だ。被災者が復興を実感するためには、被災者を含めた多くの人が議論に参加できる場を行政側が作る必要がある」
「被災者の見えないところで、自治体の復興計画が作られていること」のみが「復興が進んでいない」と感じている理由ではあるまい。復興は被災者にとって深刻・切実な問題である。自身の将来がかかり、自身が住む街の将来がかかっている。当然被災者は地方地方の新聞・テレビからの情報を注視しているはずで、政府の復興計画を含めて自身が所属する自治体の情報をそれぞれが自分事として受容しているだろうから、ある程度の復興の進み具合、あるいは自治体の復興計画の概要程度は把握していると見るべきだろう。
また被災者の議論参加は必要だとしても、瓦礫撤去にしても避難所から仮設住宅への生活転換にしても、あるいはそれ以前の避難所での生活支援の進み具合にしても、それぞれが復興の一環としてあるプロセスの一つ一つであって、その一つ一つの次に向けたスピードの遅さを被災者は実感として感じ取っていて、「復興が進んでいない」と見ている側面もあるはずである。
少なくとも瓦礫撤去が完全に片付かないことには最終的な復興局面としてある企業及び漁業と農業の再生と、これらの再生が保証することになる雇用の回復と生活再建を伴った都市建設へは進まない。いわば瓦礫撤去のスピードが復興の進展を物語ることになるのだから、瓦礫撤去の進み具合自体が復興のバロメーターとも言える。
その瓦礫撤が遅れている状況にあるということは復興自体が遅れていることの証明であって、被災者はそれを日々目にし、耳に聞いて「復興が進んでいない」と感じ取っているということであろう。
「NHK NEWS WEB」記事は菅政権の震災対応に対する直接的な評価は解説していないが、「asahi.com」記事は、「評価しない」+「あまり評価しない」のマイナス評価を8割近くの33市町村長が挙げている。
そして「評価する」とプラス評価を上げた市町村長はゼロ。
だが、菅仮免は4月25日の参院決算委員会で、統一地方選挙の前半戦の民主党の大敗は震災対応の不備が反映した結果ではないかと岡田広自民党議員の追及に菅仮免は次のように答弁している。
菅仮免「私は、この大震災に対する対応について、そのことが今回の結果に直接に大きく響いたという、いわゆる選挙ですから、色んな要素がありますけれども、少なくとも震災対応については、私は政府を挙げて、やるべきことはしっかりやってきていると、そのように考えておりまして、ま、そういう意味で今回の結果は、結果として真摯に受け止めなければなりませんけども、震災の復旧・復興、そして原子力、発電所事故の何としてもこれを抑えるということに今後も全力を挙げて取り組んでまいりたいと、このように考えております」
勿論、このようにスムーズに的確に答弁したわけではない、「あー、いー、うー、えー」を適宜頻繁に加えた、例の如くのつっかえ、つっかえの答弁であった。
この震災対応と原発事故対応に関する、「私は政府を挙げて、やるべきことはしっかりやってきている」の主張と同じ趣旨の発言を菅仮免は機会あるごとに繰返している。首相としても内閣としても責任を果たしているとする宣言である。
自らの責任遂行能力に自ら太鼓判を押したのである。あるいは太鼓判の評価を下したのである。
だからこそ、ここのところの国会質疑で、6月中の退陣を求める野党の追及に対して不信任案大差否決と自らの責任遂行能力を根拠に6月退陣を拒否しているのだろう。
6月9日(2011年)の震災復興特別委員会。
菅仮免「仮設住宅に入居した人が生活できるようにするほか、がれきの処理、さらに、東京電力福島第一原子力発電所の事故の収束に、一定のめどがつくまで、責任をもった仕事をさせていただきたい。がれき処理は8月中に生活している地域からの搬出を目標に頑張っており、その後の2次処理や3次処理につなげていくことも含めて私の大きな責任だ」(NHK NEWS WEB)
「私の大きな責任だ」とは自身の責任遂行能力に対して太鼓判の評価を下しているからこそ言うことができ、その責任遂行能力を根拠として自身の使命だとする、仮設住宅入居だ瓦礫処理だといった数々の言挙げであろう。
これまで満足に責任を果たしてこなかったなら、いわば責任遂行能力を満足に発揮できていなかったなら、決して言えないこれこれを使命としますの宣言であるはすである。
もう一つの続投根拠としている内閣不信任決議案大差の秘訣に関しては――
菅仮免「(菅内閣不信任決が案が)大差で否決されたということは、私に東日本大震災に対して一定のめどがつくまではしっかりやれという議決だ」
この「大差」の否決に関しては既にブログに書いているから繰り返しになるが、鳩山前と「確認書」で見せかけの退陣を交換条件に取引し、獲得した否決であって、菅首相の政治能力に対する信頼や求心力を根拠とした否決では決してないのだから「大差で」と偉そうに言う資格はない。続投の根拠にすること自体が居座りの証明でしかない。
確認書での取引がなかったら、不信任案は可決する状況にあったから、取引したはずである。確認書を守ると見せかける必要から代議士会で退陣という言葉は一切使わずに「一定のメドがついたら若い世代に責任を引き継ぎたい」と退陣を匂わせた。うまく謀ったつもりが、「責任を引き継ぎたい」が退陣意思と多くから受け止められた上にマスコミがこぞって「退陣表明」と報道したものだから、墓穴を掘ることとなった。
10日の参院予算委員会でも同様の趣旨の答弁を行っている。
菅仮免「仮設住宅に入居した人が生活できるようにするほか、がれきの処理、さらに、東京電力福島第一原子力発電所の事故の収束に、一定のめどがつくまで、責任をもった仕事をさせていただきたい。がれき処理は8月中に生活している地域からの搬出を目標に頑張っており、その後の2次処理や3次処理につなげていくことも含めて私の大きな責任だ」(時事ドットコム)
菅仮免「自民党の谷垣総裁は、党首討論で『あなたが辞めれば、党派を超えて新しい日本のために団結をしていく道はいくらだってできる』という認識を示していたが、最近では『あなたが辞めようが辞めまいが、そう簡単に協力はできない』という話をしている。国会が一体となって協力する態勢に引き継げるのかということも考えている」(NHK NEWS WEB)
与野党協調態勢の構築まで自身の使命に付け加えた。構築できる責任遂行能力を備えていることの宣言でもある。
一国の総理は出処進退に潔くなければならないといった追及を受けたのか。
菅仮免「潔いということばは決して嫌いではないが、それよりも最後の最後まで自分の責任を全うすることが、政治家としては必要だ。これから先の生活の展望が見えてこない人たちに対して道筋をきちんと示し、一定のめどがつくまでは、責任を果たしていかなければならない」(同NHK NEWS WEB)
すべての発言が最初に挙げた発言同様に自身の責任遂行能力に対する太鼓判の評価となっている。その評価たるや100%評価と断言できる。
こうまで自身の責任遂行能力に自信を持って100%評価の太鼓判を押すことのできる政治家は菅仮免を措いて他には存在しないのではないだろうか。勿論、最初に見たとおりに被災者や被災自治体の市町村長の評価とは裏腹で、180度の違いはあるが、それが例え仮構の100%太鼓判評価の責任遂行能力であっても、何と言っても菅仮免本人自らが太鼓判を押し、自信を過剰に持つことが必要不可欠なのだろう。何と言っても日本の総理大臣である。
特に「職に恋々とする」場合は。居座りを決め込むときには。 |