菅首相の党首討論今国会見送り、支持率回復の芽を自ら摘み取る「私としてはやりたかった」

2010-12-01 08:44:54 | Weblog

 就任後初となる党首討論を菅首相が引き受けるということで、12月1日の開催に向けて与野党が協議したものの、問責決議可決を受けた仙谷官房長官の出席を拒否している野党に対して出席を求める与党の要求が折り合わず、今国会での党首討論は見送られることとなった。

 見送りを受けた昨30日(2010年11月)の菅首相の発言。《菅グループに内閣改造の声…「知らない」30日の菅首相》asahi.com/2010年11月30日21時47分)

 ――明日開催だった党首討論が見送られました。熟議の国会を目指しながらも、まだ一回も開かれていない状況ですが、今後とも野党に開催を呼びかけていくつもりでしょうか。

 「残念ですね。やりたかったのにね」

 ――今後のことについては。求めていくおつもりは。

 「いや、私としてはやりたかったんで、それにつきます」 ――

 記者が次の質問として、「今後のことについては。求めていくおつもりは」と今後の党首討論の予定を聞いたのに対して、「いや、私としてはやりたかったんで、それにつきます」と、中止になったことに対する最初の感想を再び繰返すだけしか能のない、合理的判断能力に深く関わる感覚は素晴らしいの一言に尽きる。

 記事題名の由来となっている質問と答は次のようになっている。
 
 ――きょうの菅グループの会合で出席者から外交安全保障分野で失敗が続いている、人心一新が必要だと、内閣改造や閣僚交代の必要を訴える声が上がった。総理に近い議員からこのような声が出ることについてはどう思うか、また、内閣改造や閣僚の一部を交代させる考えはあるか。

 「そういう話があったというのは聞いていません。私いま承知していません」

 ――内閣改造や閣僚の一部交代について現時点でのお考えをお聞かせいただけますか。

 「いや、ですから、そういう話があったこと自体を知りませんから」

 記者が二度目に内閣人事についての考えがあるかないかの質問に絞って再度尋ねた。それを最初の質問の答を繰返すだけのトンチンカンな答となっている。

 低支持率で面白くないから、依怙地になって真ともに答えまいとしているようにも見えるが、例えはぐらかしであっても、はぐらかすこと自体が国民の側の「知る権利」に対する政治を行う側の「知らしめる義務」に反することになるし、その上真ともな答となっていないことが浮き立ち、首相としての資質に疑問符がつくことになり、判断能力を欠いていると看做されないとも限らない。

 野党の党首討論仙谷官房長官出席拒否は首相の国会答弁でも仙谷官房長官の助けを借りることが多いことから、二人を引き離す分断作戦かもしれない。谷垣自民党総裁が発言の間、椅子に待機中の菅首相の隣か背後に座った仙谷官房長官があれこれと耳打ちのアドバイスをして菅首相の答弁の助けとするだろうから、それができなくなる。

 国会答弁で官房長官の助けを頻繁に借りなければ満足な答弁ができないこと自体が既に指導力欠如の証明となっているが、官房長官が影の総理大臣と言われていることは要するに菅首相の乳母日傘(おんばひがさ)のお守り役(おもりやく)となっているということで、お守り役が傍にいないというだけで菅首相としたら不安を感じるまでに過保護状態になっているのかもしれないからと、そこを狙った出席拒否と疑えないこともない。

 そうと解釈しないことには、菅首相自身は「いや、私としてはやりたかったんで、それにつきます」と言っていながら、仙谷官房長官の出席が与野党間で折り合いがつかなかったと言うだけのことで党首討論が今国会見送りとなった理由が釈然としなくなる。

 なぜなら党首討論は支持率回復のまたとないチャンスだからだ。何をしたいのか、国民の知る権利に応えることができる。

 自民党最後の政権の麻生首相と当時の小沢民主党代表の初の党首討論が2009年11月28日に行われた。それまでは「首相にふさわしい人」で麻生首相が小沢民主党代表を上回っていた。だが、このときの党首討論の出来栄えがターニングポイントとなった。

 《内閣支持率25・5%に急落 小沢氏、党首力で逆転》47NEWS/2008/12/07 16:49 【共同通信】))

 記事題名がすべてを語っている。共同通信社が党首討論から1週間後の12月6、7両日(2008年)実施の全国世論調査によると、麻生内閣の支持率は前回11月調査15・4ポイント急落の25・5%。不支持率11月前回19・1%おまけつきの61・3%。「どちらが首相にふさわしいか」で、小沢代表34・5%(+10・1ポイント)、麻生首相33・5%(-17・5ポイント)と初めて逆転。

 朝日新聞社が同じ2008年12月6、7の両日実施の全国世論調査(電話)でも同じ傾向が現れている。

 「どちらが首相にふさわしいか」 麻生首相30%(前回11月49%)、小沢代表35%(前回23%)。

 記事は書いている。〈「選挙の顔」としての首相の優位性は完全に失われ、発足2カ月余りですでに政権末期の様相だ。〉――

 そして2009年8月の政権交代。

 政権交代に向けて弾みをつけた党首討論だったのだから、この事実を菅首相は学習していないわけはない。実際に支持率回復につながらなかったとしても、試してみるべきチャンスだったはずだ。だが、菅首相は仙谷官房長官の出席が担保されないという理由のみで支持率回復の折角のチャンスの芽を自ら摘み取った。親離れできない子供のように。

 「私としてはやりたかった」と言っているが、それが事実なら、本来なら首相の立場として自分の方から無条件で受けて立つべき党首討論でもあるのだから、自らの指示で実現に向けた組み立てはできたはずである。だが、自分からは何もしなかったのだから、「私としてはやりたかった」は事実に反する儀礼語なのだろう。

 要するに自発的挑戦意欲が全然見えなてこない。10月(2010年)の北海道5区補選でも、民主党候補の形勢不利を少しでも和らげるために選挙区に乗り込んで、例え落選が分かっていても自らの応援演説に賭けてみるといった挑戦は見せず、落選を予定事項として見殺し、自身の保身のみを図った。

 この自発的挑戦意欲の欠如は指導力の欠如と相互対応する資質であろう。指導力とは自らが先頭に立って強い気持ちで自分から成し遂げようとする意欲を実際の形につなげてていく能力のことを言う。そのためには自発的挑戦意欲を欠かすことができない。

 「わたし自身どこまで頑張りきれるか分からないが、物事が進んでいる限りは石にかじりついても頑張りたい」と言う以上、自発的挑戦意欲も指導力も欠かすことができないはずだが、実際の行動ではその両者とも見受けることができないのは言葉のみでそう見せているに過ぎないからだろう。

 仙谷官房長官が党首討論で官房長官の出席拒否に拘った野党の姿勢を批判した。《党首討論の条件で野党を批判》NHK/10年11月30日 11時52分)

 仙谷官房長官「党首討論を行う場は、わたしが所管する委員会でも何でもない。単なる出席の問題であり、野党の皆さんも審議をしない理由を探さないほうがいいのではないかというのが率直な気分だ」

 菅首相自身が官房長官の出席か否かに拘らなければ済む問題である。私の弁舌は官房長官の出席を条件としないと。だが、そういった堂々とした姿勢を示すことができなかった。親離れできなかった。

 さらに各種の世論調査の内閣支持率低迷について発言している。

 仙谷官房長官「世論調査には一喜一憂せず、ひたすら日本が置かれた状況を改革するために職務に精励するのみだ。ただ、政策的にいろいろな改革を実行しているつもりだが、マスメディアにプラスの評価をいただいていない」――

 支持率低下をマスコミのマイナス評価に置いている。だが、上記「asahi.com」記事の中で、身内中の身内であるお膝元の菅グループの中から、「外交安全保障分野で失敗が続いている」というマイナス評価の発言が飛び出しているのである。

 この発言は世論調査に於ける支持率低下の最大の原因となっている菅首相の外交問題に対する評価に対応させた発言であろう。身内自体が「失敗」だと採点を下している。

 また、支持率低下が実際にマスコミのマイナス評価に原因があるとしたら、国民がそのマイナス評価に引きずられている、自身自身で判断できないということになって、最終的に国民をバカ扱いする発言となる。

 仙谷官房長官は日露戦争の講和条約締結のポーツマス会議日本全権の小村寿太郎や国際連盟脱退時の日本首席全権の松岡洋祐に対する時の世論を例に挙げて世論が間違うことの譬えとし、そのことを以って菅内閣の低支持率の擁護としているが、国家権力によって国民が右向け右と言われれば右を向き、左向け左と言われれば左を向いた戦前の情報統制された全体主義国家の時代と違い、情報が発達し自由に取捨選択することが可能となり、個人が自身の能力に従って自由に判断できて情報の解読に従って自身の権利を主張できる時代の世論調査――国民の判断・評価であることを無視しているのは、依然として情報未発達時代の戦前の国民と戦後の情報発達時代の国民を同等視しているからだろう。

 自分たちだけは違って、国民は戦前の国民と何も変わらないと看做しているということである。この劣悪な判断能力は菅首相の合理性を欠いた判断能力に対応した認識の相似性を示すものとなる。

 このような二人が内閣でタッグマッチを組んでいる。菅首相が仙谷官房長官の助けを借りなければ満足な答弁ができないもの無理はないことだし、党首討論で官房長官が出席できなけれ見送りとして、支持率回復のチャンスの芽を自ら摘んでしまうのも無理はない。

 自分たち自身はこのタッグマッチに満足していたとしても、国民が満足しているかどうかが問題となるが、二人とも裸の王様状態で決して気づこうとしない。



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