高額所得者「麻生さん、我々も予算が通っていない段階から貰う前提で盛大に消費してと言われても――」

2009-01-09 09:12:30 | Weblog

 麻生太郎の「さもしい」レトリックを暴く

 麻生太郎の「まだ、この予算が通っておりませんので、通ってもいない段階から貰う前提でお話しするのも如何なものかなーと、正直、私自身は、そう思っております」が通るなら、高額所得者に対しても同じ「前提」を当てはめなければならないはずである。

 高額所得者「麻生太郎さん、まだ、この予算が通っておりませんので、通ってもいない段階から貰う前提で盛大に消費していだだきたいと言われても如何なものかなーと、正直、私たち自身は、そう思っておりますが・・・・」
 
 昨8日の午後の衆議院予算委員会質疑での民主党の菅直人代表代行と麻生首相の遣り取りを同日夕方のNHK「ニュース7」が取り上げていた。菅直人が麻生が定額給付金を高額所得者が受け取るのは「さもしい」、「矜持の問題」だと言っていたことを取り上げて、「今でもそう思っているのか」問い質した。

 麻生「少なくとも、あのとき、最初にできたときと、今の時代では、生活給付金のイメージと加えて、消費刺激の必要性と、二つ出てきておるという状況下にありましては、是非高額所得税、者である方が、取られた場合、貰われた場合、是非、それ以上に盛大に消費していただくのが、一番正しいと思います」

 菅直人「総理はどうされるんですか?」

 麻生「まだ、この予算が通っておりませんので、通ってもいない段階から貰う前提でお話しするのも如何なものかなーと、正直、私自身は、そう思っております。その上で、私がそういった、もし来た場合に於きましては、そのとき今後判断させていただきます」

 菅直人「ご本人がどうするかわからない。しかし、皆さんはちゃんと受取りなさい。これが政治のリーダーのやることですか?どうされるんですか?それがない限り、この定額給付金の性格が国民に対して説明できないんじゃないですか?はっきりしてください」

 麻生「少なくとも、個人にそれぞれに給付されるもんだと思いますんで、個人の判断を私が縛るというのは如何なものかと、私は基本的にそう思っておりますから、それぞれの個人で判断をされる。貰われた場合に盛大に消費していただければとおもっております」……………… 

 確かに定額給付金は「個人にそれぞれに給付される」。麻生首相の言っていることは正真正銘正しい。それを受取る受け取らないも「個人の判断」であって、受取れとか、受取るなとかの命令はいくら日本国の程度の低い首相であっても「個人の判断を私が縛るというのは如何なものか」どころか、許されない独裁行為となる。

 また麻生首相は8日夜、高額所得者の定額給付金受給を「さもしい」と批判した自身の発言について「撤回の考えはあるか」と記者団に問われたことに対して、「政府が何に使えとか、どうしろというのはいかがなものかと、ずっと同じことしか言ってない」と答えた(47NEWS)ということだが、我が麻生太郎の「さもしい」、「矜持の問題」は定額給付金は「生活給付」=生活支援を目的としたものだから、生活支援の必要のない高額所得者までが受取ることをあからさまに問題とした言葉であって(高額所得者は貰うなと言ったのである)、「何に使えとか、どうしろ」とかに関して言った言葉ではない。

 それをさも「何に使えとか、どうしろ」とかに関して言った言葉であるかのように説明したのはいわば“高額所得者は貰うな”と言った言葉をすり替える「さもしい」ばかりのレトリックに過ぎない。そして一旦決めた所得制限をなかったことにして無事済ませるために「ずっと同じことしか言ってない」とレトリックを補強した。 

 そもそもが「何に使えとか、どうしろ」とか使途目的にまで口出しはできないのは当たり前のことなのだから、「政府が何に使えとか、どうしろというのはいかがなものか」などと口にすること自体がピントが外れている。口を尖らせて喋るのが気取りになっているようだが、いくら気取っても、ピントの外れは誤魔化せない。

 受取る・受取らないも「個人の判断」、何に使うか・使わないか、あるいはタンス預金にするかどうかも「個人の判断」。ピント外れの麻生の説明を待つまでもない。

 すり替えのレトリックはまだある。

 多数派を形成して政権を握っている党の組織した政府が提出する法律案は少なくとも政府・与党側は野党がどうは反対しようとも成立を前提に議論し、国会に提出する。多数派を形成していながら、不成立を前提に提出する政策・法律の類が存在するというのだろうか。

 もしも不成立を前提に提出する法律案が存在するとしたなら、その法律案に対する世論調査にしても意味を失う。世論調査は法律案の段階では、「まだ、通っておりませんので」となって国民に対する無益な意識確認装置と化し、法律として成立した段階でのみ、その意識確認は有効足り得ることになる。と同時に国民の政治に対する前以ての意識動向を知らしめる手段を失うことになる。

 確かに野党が多数派を形成してねじれ現象を生じせしめている参院で否決されて衆院に戻されて再可決しようとしても、与党から17人の造反が出ると再可決に必要な出席議員の3分の2以上の多数を確保できなくなって否決される可能性も囁かれる程に求心力を失っている麻生太郎だが、それでも成立を前提に審議を進めているはずである。

 成立を前提にしているからこそ、「是非高額所得税、者である方が、取られた場合、貰われた場合、是非、それ以上に盛大に消費していただくのが、一番正しいと思います」と言える。

 まさか不成立を前提に「それ以上に盛大に消費していただくのが、一番正しいと思います」と言ったはずはない。

 だとすると、「まだ、この予算が通っておりませんので、通ってもいない段階から貰う前提でお話しするのも如何なものかなーと、正直、私自身は、そう思っております」は矛盾した主張となる。

 例え「予算が通って」いなくても、通った場合を仮定して、受取るかどうかは判断できないわけではない。それくらいのことも判断できないピント外れの脳ミソの持ち主だというのだろうか。

 世論調査にしても、法律成立後の調査というものもあるが、調査対象となった国民はこんな法律が通ったらごめんだ、とか、いい法律だから是非早く成立させて欲しいとか通った場合を仮定して判断する調査も多いはずである。

 「消費税増税」論議にしても、使途を社会保障費に限定するとかしないとか、政策は成立を前提に議論する。定額給付金にしても、成立を前提に、消費刺激策として有効かどうかで議論する。道路特定財源一般化でも、政策として出した段階で使途が議論される。族議員の反対に遭って、有名無実化することもある。

 いわば「まだ、この予算が通っておりませんので」にしても、「さもしい」ピント外れのレトリックに過ぎないことがわかる。麻生太郎には一国の総理大臣としての「矜持」などどこにもないようだ。

 また「定額減税」として持ち上がった時点で、どのくらい消費に回るか、どれ程GDPを押し上げるか、費用対効果の点からも、さらにタンス預金に回る可能性まで含めて議論していたのだし、公明党がかつて主導した地域振興券との効果の比較も論じられていた。「生活給付金」(=生活支援)と言いつつ、最初から「消費刺激」を趣旨とした政策だったはずである。

 それを「消費刺激の必要性」が後から出てきたものの如くにいう。これを以て「さもしい」レトリックと言わずに、何と説明したらいいだろうか。こじつけ以外の何ものでもない。

 要するに世論調査ではほぼ80%の国民が「景気対策として不適切、バラマキ」と意思表示し、専門家の見方も消費押し上げ効果を過小評価していることが現実となって失政だと批判され、さらに支持率を下げることを恐れて、失政逃れに少しでも消費を押し上げたい切実な必要が生じたことから、国家議員は全員貰って消費にまわすべきだ、高額所得者は「盛大に消費していただく」の大合唱となったものの、大合唱を成立させるためには一旦設けた所得制限を外さざるを得ず、あれやこれや「さもしい」レトリックを駆使することになったのだろう。

 また麻生首相は「消費刺激効果も大きく、GDP(国内総生産)を押し上げる」(「毎日jp」と給付金の効果を訴えている。だが、「年度内一斉支給は困難」だとも言っている。

 だとしたら、昨日同じ衆議院本会議で質問に立った民主党の逢坂議員の言葉をそのまま使うと、「それならなぜ2次補正を昨年中に出さなかったのか」の問題に立ち戻らなければならなくなる。


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