米軍普天間飛行場辺野古移設が官僚主導による決定なら、菅首相は政治主導による決定に修復する責任を有する

2011-02-14 07:43:31 | Weblog

 

 鳩山前首相が2月2日(2011年)に都内の日本外国特派員協会で講演した際、米軍普天間飛行場の名護市辺野古崎移設の経緯に触れた発言があったという。《普天間日米合意 反対続けば見直しを》琉球新報/2011年2月3日)

 記事題名は日米合意推進一本槍の菅内閣に対するいらぬ横槍となる。迷惑至極な口出しと映るに違いない

 鳩山前首相は日米合意への理解を沖縄県民に求めたいとする一方で、沖縄の反対が続く場合は合意見直しの必要性にも言及したという。

 日米合意を纏めた張本人が今さら何を言うかの感じだが、辺野古移設の日米合意決定は「国外・県外移設」の政府側の動きに対する官僚の消極姿勢と自身のリーダーシップの欠如が原因だと述べたという。

 当初は「一国の領土に他国の軍隊が存在して安全が守られているのは世界史的に当然とは思っていない」とする持論の「常時駐留なき安保」に従って「国外・県外移設」を目指す考えだった。

 鳩山前首相「米国の圧力よりも、日本の役所の中の論理にも(国外県外は)なかった。それを押し切るだけの意思を強く主張できなかった」

 記事は、(鳩山前首相は)〈官僚側は辺野古ありきだったと説明した。〉と発言を補足している。いわば官僚主導によって「国外・県外」どころか、足許の辺野古移設に持っていかれた。官僚の抵抗に阻まれて政治主導を発揮するどころでなかった。

 マニフェストに、〈政府に大臣、副大臣、政務官(以上、政務三役)、大臣補佐官などの国会議員約100人を配置し、政務三役を中心に政治主導で政策を立案、調整、決定する。〉と政治主導を謳っている。

 あるいは、〈政と官の関係を抜本的に見直す

○政治主導を確立することで、真の民主主義を回復する。
○与党議員が100 人以上、大臣・副大臣・政務官等として政府の中に入り、中央省庁の政策立案・決定を実質的に担う。
○政治家と官僚の接触に係わる情報公開などで透明性を確保する。〉と明記したことが、民主党政権発足後日は浅いとは言え、書いた言葉どおりには機能させることができなかった。それも偏に鳩山首相のリーダーシップ欠如に起因した。

 一旦は「国外、最低でも県外」と決めた自身の意志を最後まで貫き通すことができず、途中で投げ出してしまった。

 県内移設回帰への県民の怒りに対して――

 鳩山前首相「非常につらい思い」

 合意見直しの必要性への言及――

 鳩山前首相「これはのめないという状況なら他の方法も必要になる」

 記事は最後にこう書いている。〈普天間の県外移設ができなかった理由に、米側がヘリ部隊と地上部隊の一体運用を強く主張したことを挙げた。その上で両方をまとめて県外に移設する方策について「海兵隊全体の海外移設が可能ならば模索もできたが、時間的にも不可能だった」と述べた。〉――

 米軍普天間飛行場の辺野古回帰は鳩山政権による政治主導によってではなく、最初から辺野古ありきだった官僚主導によって推し進められた。官僚のリーダーシップのもと、着々と自民党政権が纏めた辺野古へと舵を戻して、辺野古へ到着の日米合意を形成した。

 この官僚主導決定は2月12日までの沖縄タイムス社の鳩山前総理インタビューによって決定的に証明されることになる。

 鳩山前首相はインタビューで米軍普天間飛行場の移設をめぐる政権時の取り組みや対米交渉の全容を語ったという。《鳩山氏「抑止力は方便」本紙インタビュー 辺野古回帰 理屈付け 普天間移設 戦略の欠如 陳謝》沖縄タイムズ/2011年2月13日 09時15分)

 鳩山前首相「辺野古に戻らざるを得ない苦しい中で理屈付けしなければならず、考えあぐねて『抑止力』という言葉を使った。方便と言われれば方便だった。海兵隊自身に抑止力があるわけではない。(陸海空を含めた)四軍がそろって抑止力を持つ。そういう広い意味では(辺野古移設の理由に)使えるなと思った」

 沖縄県内移設の理由付けとした「抑止力」が辺野古移設を正当付けるための便宜的方便に過ぎなかった。

 誤魔化しを働いてまで官僚主導の計画案に添い寝する行動に出た。政治主導の意志・覚悟を一切失っていた。 

 09年の衆院選で「最低でも県外」と掲げたことについて――

 鳩山前首相「民主党の沖縄ビジョンに書かれていることを言った。順序立てた見通しがあったというより『しなければならない』という使命感だった。・・・詰めの甘さがあった。申し訳なく思っている」

 記事は鳩山前首相自身の戦略性の欠如を認めた発言だとしているが、自身が見通しを立てることができなかったということは鳩山前首相自身の戦略性の欠如にととまらず、「沖縄ビジョン」自体が戦略性を欠いていた、見通しのないまま纏め上げたビジョンだったということになって、民主党全体の責任問題となる。

 もし「沖縄ビジョン」自体に順序立てた見通しが備わっていて、国外、もしくは県外移設への戦略が描かれていたということなら、その戦略を用いて、不足分は補ったり修正したりすれば目的の実現は可能となったはずである。

 「沖縄ビジョン」には国外、もしくは県外移設に関して次の記述がある。
 
 〈1.在沖縄米軍基地の大幅な縮小を目指して

日本復帰後36 年たった今なお、在日駐留米軍専用施設面積の約75%が沖縄に集中し、過重な負担を県民に強いている事態を私たちは重く受け止め、一刻も早くその負担の軽減を図らなくてはならない。民主党は、日米安保条約を日本の安全保障政策の基軸としつつ、日米の役割分担の見地から米軍再編の中で在沖海兵隊基地の県外への機能分散をまず模索し、戦略環境の変化を踏まえて、国外への移転を目指す。〉――

 〈普天間米軍基地返還アクション・プログラムの策定

普天間基地の辺野古移設は、環境影響評価が始まったものの、こう着状態にある。米軍再編を契機として、普天間基地の移転についても、県外移転の道を引き続き模索すべきである。言うまでもなく、戦略環境の変化を踏まえて、国外移転を目指す。

普天間基地は、2004 年8 月の米海兵隊ヘリコプター墜落事故から4 年を経た今日でも、F18 戦闘機の度重なる飛来や深夜まで続くヘリの住宅上空での旋回飛行訓練が行われている。また、米国本土の飛行場運用基準(AICUZ)においてクリアゾーン(利用禁止区域)とされている位置に小学校・児童センター・ガソリンスタンド・住宅地が位置しており、人身事故の危険と背中合わせの状態が続いている。

現状の具体的な危険を除去しながら、普天間基地の速やかな閉鎖を実現するため、負担を一つ一つ軽減する努力を継続していくことが重要である。民主党は、2004 年9 月の「普天間米軍基地の返還問題と在日米軍基地問題に対する考え」において、普天間基地の即時使用停止等を掲げた「普天間米軍基地返還アクション・プログラム」策定を提唱した。地元の住民・自治体の意思を十分に尊重し、過重な基地負担を軽減するため、徹底的な話合いを尽くしていく。〉――

 具体的な移転先も具体的な移転手順も書いてあるわけではない。特に移転先があって初めて移転可能となるはずだが、候補地すら挙げていない。

 県外移設先として鹿児島県徳之島が候補として挙がったが、09年の年内決着を先送りせざるを得なくなかった行き詰まった状況で、多分何とかしなければならないという思い余った心境からだろう、何らかの成算があって候補としたのではなく、距離的理由でのみ浮上させた徳之島だと言う。

 それを以って、いわゆる「腹案」とした。

 鳩山首相「地上部隊を沖縄に残してヘリ部隊だけを移すとなると距離的にギリギリと考えた」

 ここから見える光景は行き当たりばったりの姿のみである。

 いずれにしても、民主党は政権交代前から「官僚主導から政治主導の政治」を国民に約束してきた。国民も自公政権の官僚主導政治に対する拒絶反応から、民主党が盛んに宣伝する「官僚主導から政治主導の政治へ」のキャッチフレーズに期待して政権交代を託したはずである。

 それ程にまで国民が期待する約束となっていた。だが、普天間飛行場の辺野古移設に向けた日米合意が全くの官僚主導による決定事項であり、鳩山前首相が政治主導のリーダーシップを何ら発動させることができなかった結末であった。

 そしてここが一番肝心なことだが、菅首相は官僚主導で辺野古移設を決めた日米合意を鳩山前首相と同様に自らは何ら政治主導を発揮せずにそのまま受け継いだ。

 政権与党が代ったわけではない、鳩山内閣を同じ民主党の菅内閣が引き継いでいる以上、今からでも遅くはない、菅首相は自身も「政治主導」を掲げているのである、自らのリーダーシップを最大限に働かせて辺野古の官僚主導の決定事項から政治主導の決定事項へと修復する責任を有するはずである。

 勿論、辺野古が官僚主導による決定であるなら、政治主導は辺野古以外の決定としなければならない。同じであるなら、政治主導でも何でもなくなる。官僚主導の上書きで終わる

 その責任を果たすことが同時に「官僚主導から政治主導の政治」と謳った国民との約束も果たすことになる。



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The opening of Japan (noga)
2011-02-14 18:05:58
議会・会議は議論をして決議をするところである。
それぞれの成案を持ち寄って比較検討することが必要である。
成案がなければ議論にはならない。野次馬ばかりでは、議論にならない。

日本語には時制がない。だから、未来時制もない。
それで、日本人は未来に関する事態を脳裏に展開させることができない。
だから、成案はなく、腹案の段階にとどまることが多い。

あらかたの日本人は成案がなくて、腹案のある人たちである。
合意を得る必要がある場合には、談合を開いて、恣意の摺合せにより決着をはかる。
成案がないのであるから、もちろん筋は立たない。
馴れ合いで決める。だから、日本人は論理的でないといわれる。

腹案・腹積りは、腹の中でもやもやしている。
文章にはならないが、腹芸の原動力にはなる。不言実行の基礎ということか。
本人は、「お前らに、俺の腹の底が読めてたまるか」と誇らしげに考えている。
現実が自分の恣意で動かなければ、腹切りをして鬱憤を晴らすこともある。ああ、むなしい。

成案の世界と腹案の世界は合体することはない。
理想は成案の世界に存在し、趣味は腹案の世界に存在する。
現実対応策を考えるのは英米の高等教育の成果であり、その場の雰囲気を歌に詠むのは日本の高等教育である。
アッケラカンとした世界の中でドライに割り切る人たちは、朧月夜の風情に未練はない。

これらは別次元のことであり、趣味には論拠がない。(There is no accounting for tastes).
歌詠みは、たとえそれが間違いであったとしても理論家の主張に引きずられて行く。
歌詠みは、引かれ者の小唄でも歌っているか。
日米協議がともすれば円滑に進まないのは、協議参加者が大きく文化背景に左右されているからである。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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