権威主義性の男女差別観の視点を欠いた菅首相の幼保一体化と仙谷官房長官の専業主婦論

2011-01-04 10:05:38 | Weblog


 〈待機児童の問題の解決に向け、菅総理大臣は、幼稚園と保育所を本格的に一体運営するため、必要な法案をことしの通常国会に提出する方針を固め〉たと、《首相 幼保一体化法案を提出へ》NHK/2011年1月2日 16時53分)が伝えている。

 これは政権が優先課題として取り組んでいる出産後女性の労働持続可能社会の実現(NHK記事は〈女性が子どもを産んでも働き続けることのできる社会の実現〉と表現している。)の具体策の一つで、待機児童問題の解決策として保育の担い手を増やすための200億円の予算確保に続いた措置だという。

 民主党政権誕生以前から幼保一体化の動きはあった。記事は〈定員割れが多い幼稚園と慢性的に数が足りない保育所を一体運営するため、必要な法案を通常国会に提出する方針を固め〉たと書いているが、要するに定員過剰で保育園に入れず待機児童化している幼児を定員不足の幼稚園に回して、その分待機児童を減らす方策とするということなのだろう。

 この幼保一体化政策に対して記事は二つの問題点を挙げている。一つは、〈教育機関である幼稚園と児童福祉施設である保育所では、目的や役割が違うという理由から根強い慎重意見があり、厚生労働大臣を務めた尾辻参議院副議長は、一体化に反対する60万人分の署名を携えて政府に方針の撤回を申し入れ〉たこと。

 二つ目は「ねじれ国会」の問題。関係団体や野党、さらに国民の理解がカギとなると書いている。

 だが、記事が書いていない問題点がある。親の負担である。一般的に保育所はゼロ歳児から預かるから、共働きを続けなければ生活を維持できない、いわば中低所得層の親にとっては好都合だが、幼稚園の場合は一般的には満3歳児からが入所資格となっている。場所によってはその年度に3歳になる2歳児が年度当初から入園可能となるらしい。

 働く女性が子供を幼稚園に預ける場合、3歳になるまで保育園、あるいは私立の認可保育所に預けるか、3歳まで仕事を休んで自宅で専業主婦をしながら子育てするかいずれかの選択が必要となる。

 高額な保育費が必要な私立の認可保育所に預けてから、あるいは専業主婦しながら子育てしてから幼稚園に預ける家庭は所得に余裕のある女性に限られるはずだ。

 いわば定員割れが多い幼稚園と慢性的に数が足りない保育所という構図は社会的な収入格差を反映している現象であると同時に所得非余裕層が所得余裕層を上回っていることを示してもいるはずである。

 ここで浮上する新たな問題は保育園に預けることしかできない所得非余裕層の幼保一体化した場合の経済的な負担である。《こども園、負担軽減で新たに公費3100億円必要と試算》asahi.com/2010年12月29日12時33分)が幼稚園と保育所を統合して設ける「こども園」の親の負担と政府の負担を12月28日(2010年)発表の内閣府の試算として紹介している。

 現行の保育所や幼稚園より利用者負担を軽減した場合、毎年3100億円の公費が新たに必要。こども園以外の負担軽減策も合わせると、追加公費は年間4400億円。

 記事は解説している。〈保育所を利用する保護者の負担は保育費総額の4割分。幼稚園の負担は5割になる。こども園を長時間利用した場合、3割負担にすれば2400億円の公費増。

 短時間利用者は4割負担を検討しており、追加公費は700億円。2013年度のこども園補助費は現状なら1兆6400億円だが、負担を軽減すると1兆9500億円になる。〉・・・・

 保育園利用者の負担は保育費総額の4割、幼稚園利用者の負担は育児費総額の5割と書いているが、保育園の場合親の収入に応じて軽減されるから、1割の差であっても双方の総額自体の違いに比例して負担額に1割以上の差は出ているはずである。

 当然、所得非余裕層の利用がより多い保育園利用者の負担額をそのままスライドさせたこども園の負担であるなら問題は生じないだろうが、より多くの負担の要請は所得非余裕層の生活をより狭めることになって、こども園創設の意味を相当減ずることになる。そのための公費負担であり、現状維持なら1兆6400億円、負担軽減の場合は1兆9500億円ということなのだろう。

 このような政府の負担はともかく、こども園創設によって待機児童問題を解消できたなら、希望する親は誰もが平等にゼロ歳児から預けることができ、出産後女性の労働持続可能社会の実現に向けて大きく一歩を踏み出すことになる。

 しかし、これで女性の労働問題がすべて解決するわけではないはずだ。日本人の男性側の精神に未だ残っている男女差別意識である。これは日本人が家柄や学歴、地位、収入等の上下に応じて人間を上下に価値づけ、上が下を従わせ、下が上に従う人間関係をメカニズムとした権威主義性を行動様式・思考様式としていることからの、同じく男性を女性の上に置き、女性を男性の下に置いて男女を上下に価値づけて女性を男性に従わせようとする権威主義性の反映としてある男女差別であろう。

 戦前までは男女を上下に価値づけるこの権威主義性は男尊女卑の形を取って色濃く現れていた。戦後も戦前の男尊女卑を色濃く引き継いで女性の社会進出・社会参加の阻害要件となっていたが、1986年4月施行の「男女雇用機会均等法」が1997年の全面改正、2007年の再改正と改正を重ねなければならなかったのは現在もなお、男女雇用機会均等の非実現=男女差別の存続を証拠立てている。

 いわば男性を女性の上に置き、女性を男性の下に置いて男女を上下に価値づけて女性を男性に従わせようとする権威主義性が日本社会に現在も残存していることの証明である。

 男女差別を反映させた雇用機会不均等の具体例は男女賃金格差、男女地位格差となって現れている。女性が一つの企業に長く勤めてある程度の地位を獲得したとしても、結婚・出産・子育てで数年職を離れると、元に地位に戻れず、多くがパート等の仕事に就かざるを得ないことも男女差別の一つの現象としてある具体的事例であろう。

 菅首相のこの幼保一体化は日本人が行動様式・思考様式としている権威主義性からの古くは男尊女卑の価値観、今なお残っている男女差意識への視点を兼ね持った政策なのだろうか。

 菅首相は幼保一体化と男女差別意識は別問題だと言うかもしれない。だが、幼保一体化自体が出産後女性の労働持続可能社会の実現を目的としている以上、男女賃金格差と男女地位格差の是正、いわば雇用機会不均等の是正を相互に関連付けた政策でなければ、男女差別を負ったままの偏頗な出産後女性の労働持続可能社会の実現となる。

 偏頗な実現としないためには政策は別であっても、視点は常に相互に関連付けていなければ、包括的な解決策となる政策足り得ないはずだ。

 女性の雇用問題に関して男女差別の権威主義性に視点を置いていない一つの例として仙谷官房長官の発言を挙げることができる。《仙谷氏「専業主婦は病気」と問題発言か 本人は「記憶にない」と釈明》MSN産経/2010.12.27 13:18 )

 4月26日(2010年)の全国私立保育園連盟主催の「子供・子育てシンポジウム」の講演での発言だそうで、記事は、〈「専業主婦は病気」と発言していたことが27日、分かった。〉と書いている。

 発言は幼稚園情報センターのHPからの引用で、そのときの官房長官の発言を次のように紹介している。

 仙谷官房長官専業主婦は戦後50年ほどに現れた特異な現象。(戦後は女性が)働きながら子育てする環境が充実されないままになった。もうそんな時代は終わったのに気付かず、専業主婦という『病気』を引きずっていることが大問題だ」

 同27日の記者会見。

 仙谷官房長官「そんな表現をした記憶はない。男性中心社会の固定観念が病気であると、絶えず申しあげてきた」

 記事の発言と仙谷官房長官の記者会見の発言、さらに「子供・子育てシンポジウム」に関する講演であることを併せ考えると専業主婦と働く女性の子育てに主眼を置いた講演だったことがわかる。

 政府の主要閣僚の一員である以上、このことは出産後女性の労働持続可能社会の実現と深く関わったテーマとしていなければならないはずである。そうでなければ、専業主婦と働く女性の子育てに限った狭いテーマで終わることになるばかりか、官房長官という地位・役目上からして不釣り合いな講演となる。

 この「MSN産経」記事を池田信夫氏が批判している。参考までに全文を引用してみる。
 

 保守の劣化(池田blog/2010年12月29日 13:57)
  
今年はいろんなものが終わった年だが、もう終わったのに死にきれないのがマスコミだ。特に、けさ話題になっている産経の記事は、あまりにも拙劣なでっち上げである。

見出しには「仙谷氏『専業主婦は病気』と問題発言か」とあるが、記事の本文で仙谷氏は「専業主婦に家庭の運営を任せておけばいいという構図を変えなかったことが、日本の病気として残っている」と発言している。病気なのは専業主婦ではなく日本であり、彼の発言は常識的なものだ。本文と矛盾する見出しをつける産経の整理部は、頭がおかしいのではないか。

最後に「雑誌『正論』2月号で高崎経済大の八木秀次教授が指摘した」と書いてあるので検索してみると、便利なことにその記事をコピペしたブログ記事があった。それによれば、八木氏は「『こども園』は羊の皮をかぶった共産主義政策だ」という記事でこう書いているそうだ。
この(仙谷氏の)認識の下では現状の保育時間は短く、主として専業主婦の子供たちが通う幼稚園は邪魔以外の何ものではない、幼稚園は消滅させなければならない存在だ。[・・・]この認識にはマルクス主義の労働価値説やエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』の思想が影響を与えていることは間違いない。

八木氏は、明らかに『家族・私有財産・国家の起源』を読んでいない。この本にはこんなことは書いてない。誰も読んでいない本を引き合いに出して「共産主義政策」というレッテルを貼れば否定できると思い込んでいる彼や産経のような右翼こそ病気である。

鈴木亘氏も指摘するように、「こども園」は実質的な幼稚園の保育所化であり、幼児教育を全面的に国有化する(八木氏とは違う意味の)「共産主義政策」である。それが間違っているのは専業主婦を排除するからではなく、待機児童の問題を解決できないからだ。人口減少時代に貴重な女性労働力を確保することは最重要の政策であり、働く女性を「変則的な存在」とみて配偶者控除さえやめられない民主党政権がおかしいのだ。

ところが八木氏のような家父長主義者にとっては、男に従属する専業主婦が日本の美しい伝統とみえているらしい。元の講演で仙谷氏もいうようにそんな話は幻想であり、「専業主婦というのは、日本の戦後の一時期、約50年ほどの間に現れた特異な現象」である。右翼の特徴は明治時代を「日本の伝統」と同一視することだが、江戸時代に専業主婦がいたかどうか考えれば、それが伝統かどうかわかるだろう。

「派遣労働を禁止しろ」と主張する朝日新聞のようなレガシー左翼も困ったものだが、こんなナンセンスな論評を孫引きして「専業主婦は病気」という失言問題に仕立てようという産経の卑しさは末期的である。経営も崖っぷちだから、品質管理に手を抜いているのだろう。三橋某の「インフレになったら労働者の給料が上がる」という話を載せたのも産経だ。

日本の政党にまともな政策の対立軸ができないのは、左翼がだめになる一方で、保守もこのように劣化して「武士道」やら「大東亜戦争」などという老人の子守歌ばかり繰り返しているからだ。しかしそういう世代も80を超えて、市場は先細りである。まず最初に消えゆくべきなのは、産経や八木氏のようなレガシー右翼だろう。

 池田信夫氏は仙谷官房長官の発言に組みして「専業主婦は戦後50年ほどに現れた特異な現象」だとし、その証拠として、「江戸時代に専業主婦がいたかどうか考えれば、それが伝統かどうかわかるだろう」と解説しているが、江戸時代の武士階級では下級武士の間では内職に励まざるを得ない例も多々あっただろうが、上級武士の奥方は専業主婦であったろうし、明治時代以降も公爵だ伯爵だといった貴族、上級官僚、国会議員等々の裕福な家庭では専業主婦だったろうし、文豪夏目漱石の妻鏡子は専業主婦だった。

 いわば一般的には専業主婦は生活余裕層の伝統として戦後も受け継がれ、今尚受け継がれている慣習であろう。

 このことを裏返すと、共働きの家庭、結婚後も働く女性は生活非余裕層の伝統として存在したが、戦後の欧風化の経過と共に生活余裕層の中でも働く女性が増えてきたということであろう。

 女は結婚したら家で家庭を守るべきだと頑強に主張する男と結婚したのでなければ、そのような主張は自分一人の収入で生活を維持できる生活余裕層に属する夫に限るが、女性は現在では自分の選択で仕事に就くことのできる社会に生きているのだから、専業主婦か働く女性かの選択は男性中心社会の影響は受けていても、生活非余裕層に関してはより経済的理由に影響された慣習的選択であり、生活余裕層に関してはより社会進出に影響を受けた、未だ慣習とまでいかないにしても選択と言える。

 出産後の働く女性が保育園を選ぶか幼稚園を選ぶかも男性中心社会の影響ではなく、経済的理由に影響を受けた慣習的選択であろう。

 だが、仙谷官房長官は「男性中心社会の固定観念が病気」だという表現で、そこに問題点を置いている。さらに仙谷官房長官が事実「専業主婦は戦後50年ほどに現れた特異な現象」だと言ったとしたら、男性中心社会も専業主婦の出現に合わせた出現となって、男女賃金格差も男女地位格差も戦後の産物となる。

 実際には戦後50年どころの「特異な現象」などではなく、専業主婦であっても妻を夫に従う存在と看做して家事・育児一切を妻に強いる今尚残る男性中心も困りものだとしても、この男性中心社会の由って来る原因が既に触れたように男女を上下に価値づけ、女性を男性の下に置いて男性に従わせる男女差別の権威主義性を日本人が民族性として歴史的に受け継いできた伝統的行動様式・伝統的思考様式であり、それを社会の文化としていることを以て「病気」だとする視点を持って日本人の男女合わせた意識の変革を迫ることろまでいかないと、どのような制度改革も意識の変革を迫る内容を伴わないこととなり、男女賃金格差・男女地位格差等の雇用機会不均等の問題は長く引きずることになるように思えてならない。

 参考までに、《江戸時代の妻からの離縁状は「女性の地位」の見直しを迫る資料なのだろうか》



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