4月14日(2011年)、日本の優れた有識者たちを掻き集め、被災地知事も参加した東日本大震災復興ビジョン策定の「復興構想会議」が初会合を開催。6月提言に向け議論をスタートさせた。
4月12日午後6時からの菅仮免首相の記者会見。
菅仮免「今回のこの大震災に対する復興は、ただ元に戻すという復旧であってはならないと思っております。つまり、新しい未来の社会をつくっていく、創造する、そういう復興でなくてはならない。このように思っております。
私は、さきの記者会見で津波被害を受けないような高台に住んで、人と自然にやさしい福祉とエコのまちづくりということを一つのイメージとして申し上げました。今日改めて復興によって生み出される社会の姿について、3つの考え方を申し上げたいと思います。
第一は、何よりも自然災害に対して強い地域社会をつくること。
第二は、地球環境と調和した社会システムを構築すること。
そして第三には、人にやさしい、特に弱い人に対してやさしい社会をつくり上げることであります。
そして、こうした復興を成し遂げるための進め方として、次の3つの原則を申し上げたいと思います。
第一に、何といっても、被災された地域住民の要望、声を尊重する。
第二に、政界、官界に限らず、学者、民間企業、NPOなど、全国民の英知を結集してこの復興に当たる。
第三に、未来の夢を先取りする未来志向の復興を目指す。この3つの原則であります。 こうした原則に沿って復興を進めるために、まず全国の英知を集めるため、有識者を中心とし、更には被災地の知事にも加わっていただいて、復興構想会議をスタートさせました。五百旗頭防衛大学校長にその座長をお願いし、そして、6月をめどに復興の青写真をつくっていただくようお願いをしたところであります」――
「人にやさしい、特に弱い人に対してやさしい社会をつくり上げる」とは、常に人間を人間存在足らしめる視線を持つことによって可能となり、その決意表明であろう。
だが、震災後の被災者に対する生活支援、物資支援、健康支援等、様々な場面で停滞や遅滞を見せた。このことは政府が震災から1カ月間近の4月6日から10日にかけて行った避難所生活についてのアンケート調査が証明している。
《避難所生活 依然厳しい状況に》(NHK/2011年4月16日 4時36分)
岩手と宮城、福島の3県に設置された1047のすべての避難所の責任者を対象に行ったものだそうで、31%にあたる323か所から回答
だ。
調査が1047のすべての避難所を対象としながら、約3割の回答しか得られなかったことは残りの7割相当が落ち着いた状況にはないことを物語っているのではないだろうか。
▽食事
「毎日、主食のほかに、おかずや温かい物が食べられる」――60%の避難所
「おかずや温かい物が時々しかない」 ――40%の避難所
▽下着
「替えがなかったり、洗濯ができなかったりして不足している」――47%の避難所
▽入浴
「週に1回程度」 ――33%の避難所
「先月の地震以来、入浴できていない」――5%の避難所
▽プライバシー
「避難所の中に間仕切りなどが全くない」――28%の避難所、
政府の被災者生活支援特別対策本部「全体的な状況から半数近い避難所が厳しい状況にある」
記事が伝えているコメントから見る限り、他人事に聞こえる。被災者を人間存在足らしめていない避難所生活に追いやっているのである。菅首相は記者会見では、「人にやさしい、特に弱い人に対してやさしい社会をつくり上げる」と言っていながら、1カ月も経つのに避難所は「人にやさしい、特に弱い人に対してやさしい社会」とはなっていない。
人間を人間存在足らしめる視線を避難所社会には満足に注ぎもせずに復興社会には「人にやさしい、特に弱い人に対してやさしい社会をつくり上げる」とさも人間を人間存在足らしめる視線を注ぐかのように言っている。
記事は最後に解説している。〈アンケートの回収は被災した地域の自治体を通じて行っていて回収率が低く、実際には、さらに厳しい状況にある避難所が多いとみられています。政府は当面、週1回のペースで調査を続け、避難所の改善などに役立てたいとしています。〉――
アンケートに現れた数値以上に悪化した状況となっているということはどういうことなのだろうか。
政府は遅蒔きながら食事の改善にリ出したが、先手先手を打つ配慮ではなく、放置できないことからだろう、後付けの配慮であることは否定できない。
《政府 避難所の食事を改善へ》(NHK/2011年4月15日 21時10分)
記事は政府は避難所のうちおよそ440か所でメニューを点検したうえで、栄養の目安を各避難所に示すほか、糖尿病や食物アレルギーを抱える被災者などのために特別の食事を提供するなど、改善を図ることになったと伝えている。
なぜかくも対策が後手に回るのか。「人にやさしい、特に弱い人に対してやさしい社会をつくり上げる」と言いながら、基本的には人間を人間存在足らしめる配慮に欠けているからだろう。
なぜなら、やっていることは問題を防ぐことではなく、問題が生じ、それが大きくなることを防ぐ対策となっているからだ。問題が大きくなったとき、それは政治の責任問題へと撥ね返ってくる。あるいは内閣の支持率に影響し、菅仮免の地位を現在以上に危うくしかねない。
いわば自己保身の必要条件となる責任回避目的からの後付けの配慮ということなのだろう。
復興構想会議長に選任された五百旗頭真議長が4月14日の初会合での発言。《「阪神大震災がかわいく思える」 復興会議で五百旗頭氏》(MSN産経/2011.4.14 21:17)
五百旗頭「16年前の(阪神・淡路大震災の)被災がかわいく思える程の、すさまじい震災だ。『こんな悲惨なことはわれわれの生きている時代にもうないんじゃないか』との言葉が当時交わされた。空襲で遺体がなくなることはなかったが、今回は津波で多くの方が連れ去られた」
記事。〈今回の被害を強調する意図とみられるが、阪神・淡路大震災の被災地から反発を招きかねない発言だ。〉――
反発は阪神・淡路大震災の被災地からだけではないと思う。
いずれの震災でも親を亡くしたり、子を亡くしたり、兄弟を亡くしたり、財産を失ったり、家を失ったり、年老いてからの被災で、気力を失い、阪神・淡路の場合は慣れない土地での再出発で人間関係が満足に築けずに孤独死追いやられる被災者も出た。
それぞれが悲惨で辛く、哀しい思いをし、痛ましい思いをした。
各人それぞれが保ってきた各人なりに十全な人間存在であることから精神的にも経済的にも傷を負い、欠落した存在へと落とし入れられた。
阪神・淡路の被災者が負った精神的あるいは経済的な傷と記憶は長いこと付き纏い、16年経過した今日まで完全には癒されないままに過ごすことになっている被災者も存在するに違いない。
このことは東北関東大震災の被災者も似たような時間経過を辿ることを証明することになる。
だが、五百旗頭は知識人・文化人だからか、死者の数や倒壊家屋数、被害面積だけの違いのみで阪神・淡路と東北関東大震災を比較した。
そこには人間存在そのものに対する視線はない。物理的比較のみの、人間をそれぞれの存在として介在させた比較とはなっている。
だから、「16年前の(阪神・淡路大震災の)被災がかわいく思える程」だと比較できた。「空襲で遺体がなくなることはなかったが、今回は津波で多くの方が連れ去られた」と遺体を、五百旗頭本人にとっては他人事ではあっても、近親者にとってはそれが生きて存在していたときの思い出を纏わせたそれぞれの死であることを無視して、まるでモノか何かのように扱っている。
十分な議論を尽くしたとは思えない初会合後の記者会見で、「復興に要する経費を考えると、全国民的な支援と負担が不可欠」だと復興税創設を提案したことも、人間存在そのものに対する視線を欠いていることから提案することができた復興税であろう。
確かに復興は果たさなければならない。人間を人間存在足らしめることを最優先させた復興でなければならない。だが、税金を取られる側の如何なる人間に対しても人間を人間存在足らしめている要素を奪っていいわけでは決してない。
現在、ギリギリの生活を送っている国民は多くいるはずである。そのような国民をも納得させる十分な議論を経てから持ち出し、十分な説明責任を尽くすならまだしも、財源捻出の方法は他にもあるにも関わらず、いきな復興増税を持ち出す。
このことも低所得層まで含めて人間を人間存在足らしめる視線を欠いていることからでできた提案であろう。
このような人間が大震災復興ビジョン策定の「復興構想会議」の議長を務める。
多分、頭さえ良ければいいということなのだろう。
|
被災された方の意見を具現化できるよう、継続的な
下支えが出来る体制にすることが大事かと。
その前に、リーダーシップを持って、超法規的措置と
言われようとも、がれきの撤去や避難生活を余儀なく
されている方を手厚く保護できる様に手を打ってほしい。
あとは義援金を取り急ぎ第1弾で配ってほしいですね。
せっかく集まってきているのですから。
わたしは第一弾として↓のサイトの電子本で協力しました。
http://www.birthday-energy.co.jp/
運命2011という電子本なら、東洋史観で生年月日から
自己分析して役立てる事も出来ますし、ちょっといつもと
違う角度で物事を見ることができます。
当然、今後の日本の方向も、分析可能です。
復興の和を広げていきましょう。