大規模災害時の各施設の復旧を待たない危機対応こそが問われている

2011-03-20 10:56:37 | Weblog

 

 一昨日3月18日のブログ《施設の復旧を待ってからの物資支援では危機対応とはならない/何のための政府の存在かということになる - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之
とほぼ同じテーマの記事となるが、そこに、〈3月11日午後2時46分の激しい揺れを伴った地震発生から3分後の2時49分に直ちに津波警報が発せられた。静岡にいてもバカに長く続く揺れだな、東海地震かなと気分が悪くなったくらいで、相当な地震だと判断できたのから、被災地域住民に恐怖さえ引き起こす程の実感を与えただけではなく、「東日本全体で約6分間続いたことが、東京大学地震研究所の古村孝志教授らの解析でわかった」と「asahi.com」記事が伝えていることからして、まだ激しく揺れている間の津波警報であり、自治体からの避難命令だったことを考えると、恐怖の上に恐怖に駆られて預金通帳といった貴重品を身につけるの精一杯といった避難だったに違いない。いわば貴重品以外は着の身着のままの避難であったはずだ。〉と書いたが、《沿岸の被災地住民、津波警報察知に平均23分 民間調べ》asahi.com/2011年3月19日13時37分)が、気象情報会社「ウェザーニューズ」(千葉市)が全国約3万7千人を対象に行った地震発生時の行動調査を次のように伝えている。

 被害が大きかった青森、岩手、宮城、福島、茨城の5県の回答者約7900人のうち海岸近くにいた約3800人が津波警報などを知るまでにかかった平均時間は全国平均17分に対して平均23分で、そのうち約3割がすぐに避難行動に移れなかったという。

 また、津波は約30分後に到達とされているが、〈津波の第1波の到達は地震発生から15~20分との見方もある。〉とも書いていることが事実とすると、多くが津波が来ることを知らずに襲われたことになり、昨日のブログで書いた〈まだ激しく揺れている間の津波警報であり〉云々は些か事実に反することになる。

 津波警報は地震発生3分後に気象庁から発せられ、気象庁は気象業務法に従って各関係機関に直ちに伝達、関係機関の中には都道府県も含まれていて、都道府県は関係市町村に連絡、関係市町村はサイレンを鳴らすかして住民に知らせたはずだ。

 ただでさえ沿岸沖の地震は津波がつき物で、特に三陸沿岸は1960年のチリ地震では津波が太平洋を渡って1日後に襲い、142名が死亡しているし(Wikipedia)、昨年の2010年2月のチリ地震では幸い1メートルに満たなかったようだが、カキ養殖が被害を受け、被害総額は25億にも達しているのだから、津波に対する警戒心は大きかったはずだ。

 だが、津波警報を知るまでにかかった平均時間が平均23分が事実とすると、津波警報システムが機能していたのかどうかの検証が必要になるし、海岸部に住居を構える住民側も津波警報如何に関わらず、大きな揺れを受けた際、津波を頭に浮かべたかどうかも検証し、今後の参考にしなければならない。

 地震発生から1週間経過以後、ようやく支援物資が港湾や空港等の大きな被害を受けた各施設が復旧、輸送機や貨物船による大々的な物資到着の報道を目にするようになり、一部避難先に直接届けられている様子も報道している。

 《空自松島基地に支援物資届》NHK/2011年3月18日 16時46分)

 航空自衛隊松島基地は津波被害で戦闘機やヘリコプター等28機が水没被害を受け、2本の滑走路も土砂や流木に埋もれて空港としての機能を失っていたが、復旧、18日から本格的に航空機の発着が可能となり、救援物資が次々に輸送機で運ばれてきたという。

 カップめん20万食分と飲料水45トン。今後、東北各地の避難所に届けられるという。

 大泉裕人航空自衛隊松島基地渉外室長「基地も津波で大きな被害を受けましたが、復旧作業を続けて物資の輸送ができるようになりました。救援物資が一日でも一秒でも早く、被災者のもとに届くことを願っています」

 渉外室長の「一日でも一秒でも早く」という言葉からすると、輸送機やヘリコプターの近くに配送トラックを手配、配置させておいて、降ろす荷を降ろす先からフォークリフトを使って乗せ替え、トラックの荷台が積載量に達したなら直ちに避難場所に向けて出発させるといった手際のよい物資救援措置は取らなかったようだ。

 上記記事は「16時46分」の発信だから、多分一時倉庫に保管、翌19日から配送するということではないだろうか。

 なぜ滑走路が完全復旧するまで物資輸送を待ったのだろう。完全復旧に向けた工事と併行させてヘリコプターが着陸可能か、あるいは物資投下可能な範囲のみを整備、整備が済み次第、ヘリコプターで物資を運搬するという方法を採用しなかったのだろうか。

 完全復旧して輸送機が離発着可能になるまでには相当の量の支援物資を避難先に届けることができたはずだ。

 施設が被害を受けた場合、完全復旧を先に持ってきて回復した機能に合わせた対応を行うことを一定のルールとしている。もしそうでないなら、各施設に応じた臨機応変の対応を行い得たはずであるし、不足を訴える声に少しでも応じることができたであろう。

 《海自輸送艦が接岸 食料陸揚げ》NHK/
2011年3月19日 11時27分)も同じパターとなっている。

 記事は書いている。〈宮城県内では、地震のあと、これまで、津波の被害で港までの道路が使えなかったことなどから、港に大型の船が接岸できない状態が続いていました。このうち仙台港では、自衛隊が流木などの撤去作業を続け、道路が使用できるめどが立ったことから、19日、初めて海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」が入港し、接岸しました。〉

 先ず道路が流木等の残材で使用不可能の状態となっていたために自衛隊が撤去作業を行い、道路使用の目途が立ったため、海上自衛隊輸送艦「おおすみ」が入港、接岸し、物資の陸上げを開始した。他の記事によると、19日朝からの作業だそうだ。

 物資内訳は灯油200リットル入りドラム缶70本、水や米、缶詰。

 ここまで記事を読む限り、あとで伝えている佐々木俊也第1輸送隊司令の発言と矛盾するが、問題は港までの道路状況のみで、船の接岸自体は可能な状態にあった読み取ることができる。

 ではなぜ道路の復旧を待たずに接岸して物資を降ろし、倉庫に保管、道路復旧と同時に輸送トラックを手配、荷積みが終わると同時に避難先等の配達場所に走らせるといった、可能な限り時間短縮、日数短縮を図る方法を取れなかったものだろうか。

 前の記事で基地渉外室長が「救援物資が一日でも一秒でも早く、被災者のもとに届くことを願っています」と言っているが、実質的には「一日でも一秒でも早く」の臨機応変な措置を取ることができないでいる。

 では佐々木俊也第1輸送隊司令の矛盾する発言を見てみる。

 佐々木俊也第1輸送隊司令「壊れた港湾の設備が整い、輸送艦を入れることができた。今後も、できるだけの物資を運んで被災地に届け、多くの人の力になれば」――

 例え港湾の接岸可能な復旧を待っていたが事実としても、一作日のブログで、〈岸壁近くにまで接近できるなら、それが100メートルや200メートルであっても、ホースをつなぎ、タンカーの石油排出口に接続したなら、陸側のタンクローリーの注入口に接続し、タンクローリを前進させてホースがほぼ弛みなく張る状態にしてからタンカーのバルブを開いて石油を通したなら、ホースは沈まず、スムーズに石油をタンクローりに移すといったことは決して不可能ではないはずだ。〉と書いたが、40~50メートルの場所まで接近できたなら、山から伐り出した木材をケーブルに吊るして運搬する木材運搬ケーブルの要領で船と岸壁の倉庫の適当な位置にケーブルを張り、滑車を吊るしてそれを往復させれば荷卸は可能となる。

 正式の木材運搬ケーブルは3トン未満だということだが、仮設となると割り引いて2トンしか一度に吊るせないとしても、2トントラック一台分の荷を運ぶことができる。10キロ入りのコメなら200袋一度に荷卸しできる。降ろした荷を一旦倉庫に保管しておき、道路が復旧したなら直ちにトラック配送に移せば、最低でも一日分以上の時間短縮は図れたはずだ。

 今日の「NHK日曜討論」でも平野達夫とかの内閣府副大臣だかが今以て輸送に必要な燃料不足で被災地までの輸送が本格化していないようなことを言っている。

 道路や港湾、空港の復旧を待ってからの姿勢がこういった遅れの問題を引き起こしているとしたら、復旧を待たずに物資を輸送・配達する方法を創造するのがより効率的な危機管理対応となる。

 いわば大規模災害時の各施設の復旧を待たない危機対応こそが問われているということになる。

 だが、そうなっていない。なっていないばかりか、なっていないことに首相官邸は厳しく認識する姿勢を持てないでいる。

 《“燃料や食料の物流改善を”》NHK/2011年3月18日 1時1分)

 改めて内閣に復帰した仙谷官房副長官の17日夜遅くの総理大臣官邸で記者会見。

 仙谷官房副長官「菅総理大臣からは『これからは生活支援のほうにウイングを広げていかなければならない時期が来た』という言葉があった。私としても、いよいよ生活周りをサポートする態勢を作らなければならないと考えていたので、党と内閣の両方で連携を強くしていきたい」――

 菅首相は17日の時点で「これからは生活支援のほうにウイングを広げていかなければならない時期が来た」と言い、仙谷は「私としても、いよいよ生活周りをサポートする態勢を作らなければならないと考えていたので」と言って、地震発生から7日目に入ったにも関わらず、依然として続いている食糧不足・燃料不足・医薬品不足、その他の不足の解消を飛び越えて、あるいは現にある被災者の困窮・不安の解決を飛び越えて、仮設住宅や公営住宅等の準備・斡旋を言うのだろう、生活支援、生活周りのサポートを口にする認識・感覚は国民の生命・財産を守る立場の人間のものとはとても思えない。

 生活支援、生活周りのサポートを口にしたのは、支援物資の支給が解決したと見せかける詭弁以外の何ものでもない。

 このことだけ取っても、菅内閣は危機対応を満足に機能させることができなかった。機能させるだけの政治能力を発揮できなかった証明と言える。

 やはり上記紹介してある一昨日のブログに、スマトラ沖地震の際にはバイクが支援物資輸送に活用されたと書いたが、阪神大震災でも物資輸送ばかりか情報収集にバイクが利用されていたことを指摘されて、思い出した。確かボランティアとして阪神地区に駆けつけるにも道路の渋滞を考えてバイクで駆けつけたといった例もあったはずである。

 今回の地震で利用されたのかインターネットを探したが、探した限りでは残念ながら見つけることができなかった。

 もしバイクを輸送手段・情報収集手段として利用していなかったとしたら、やはり菅内閣の危機管理は問われることになるはずだ。

 各施設の復旧を待ってからの物資の輸送・情報収集の固定観念的な危機対応を転換して臨機応変の措置を取ることが真に国民の生命・財産を守る危機管理に相当することになると思う。そう信じているが、間違っているのだろうか。



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