津波の勢いを止める堤防は存在しないのだろうか

2011-04-07 10:53:54 | Weblog

 明治29年の三陸地震で岩手県、宮城県を中心に死者が約2万2千人近く、岩手県だけで1万2千人弱、田老地区のみで1859人の被害を出したことからだろう、岩手県宮古市田老町は湾の入り口を左右から囲む形で海の中に築いた堤防とは別に、〈「日本一の防潮堤」、「万里の長城」と言われる高さ10メートル、上辺の幅約3メートル、総延長約2・4キロ〉(asahi.com)の頑強にして重厚長大な防潮提を津波の脅威から街自体を囲んで護る形で築造したが、今回の地震・津波によって決壊、甚大な被害を蒙ったことは既存の重厚長大なだけの堤防が巨大地震・巨大津波に対して決して万能ではないことを否応もなしに教えた。

 地震自体で亀裂が走ったところへ巨大なエレルギーを持った津波が襲って決壊したのか、地震にはどうにか耐えたが、津波自体の想像以上のエネルギーが決壊させたのかは分からないが、常に地震+津波ではなく、地震×津波の思いもよらない相乗性に備えなければならないはずだ。

 今後、田老町のみならず、三陸一体は今後の巨大津波に備える防潮提の建設はどうするのだろう。今回の巨大津波は869年の貞観(じょうがん)津波の再来だと言われているが、1千年以上経過後の津波だから、今後1千年は津波は来ないのではないかと安心はできない。1960年のチリ地震によって発生した津波が太平洋を渡り、三陸一体で61人の犠牲者を出しているし、2010年2月のチリ地震の津波では漁業や水産業に80億円近い被害を与えている。

 今回は岩手県大船渡で11.8メートルの津波高さを記録したそうだが、それ以上の13メートル、あるいは15メートルの堤防を新たに築造して津波の高さに対してだけではなく、地震震度に対しても耐え得る強度を以ってして備えるのだろうか。

 宮古市田老町にしても以前以上の高さと強度を持ったより重厚長大な「日本一の防潮堤」、「万里の長城」を再築造して、巨大津波と対決しようということをするのだろうか。

 津波は一旦防潮提を破壊、あるいは乗り超えると、防潮提以下の強度や高さの構造物は津波が持つそれだけのエネルギーに耐えられないことを今回証明したと言える。

 防潮提は多くは海岸線にほぼ平行して築造される。津波をまともに受け止めてそこで遮断するという発想からの形式であろう。この発想が過去に襲った津波の高さとエネルギーに応じて従来以上に重厚長大により高く大きく、より強度を持った構造体として築造され、住民の安心としてきたはずだ。

 しかし今回の地震は少しぐらい高く、より強固にしたとしても、なかなか安心を与えてくれないのではないだろうか。高さ10メートルの防潮提を決壊させ、多くの人命を奪ったのである。

 建築学にド素人ながら、津波の勢いを止める堤防は存在しないのだろうか考えてみた。従来の防潮提は湾を囲む形にしても、多くは海岸線にほぼ平行させて築造するために距離を取ることになる。津波の高さの備えて高く取ると、その分強度を持たせるために奥行きを長く取る。

 例えそうしたとしても、常に津波のエネルギーと真正面からぶつかり合うことになる。局所に与える衝撃は譬えて言うと、荷を満載した大型ダンプ同士が100キロ以上の猛スピードで真正面から衝突し合う程の強さではないだろうか。

 そのような衝撃が防潮提の距離全体に加えられる。とすると、既存の防潮提の場合、襲ってくる津波のエネルギーが防潮提の強度以下なら問題はないことになるが、防潮提の強度以上のエネルギーを持った津波の場合はやはりそのエネルギーをまともに受け止めることになる海岸線にほぼ平行に築造される構造に問題点があるのではないだろうか。

 ヒントとなる二つの報道がある。一つはテレビで放送していたことだが、ホテルやその他のビルは景観を重視する観点から、建物正面を海の側に向けて建てることが一般的になっている。いわば海岸線に可能な限り平行に位置するように建てて、いつでも海を眺めることができるようにする。

 だが、ある小学校では津波への備えとして、景観を犠牲にして校舎正面を海岸線に向かって直角になるように建てた。いわばまともに津波を受けることを避けた建て方をした。

 海岸線に平行に建てたビルは津波をまともに受けるだけではなく、津波が建物にぶっ使った場合、波がセリ上がって通常の高さ以上の高さを取ることなり、それが3階、4階まで津波が達することになったという。

 だが、海に直角方向に建てた小学校は校舎の幅の狭い壁面で津波を受けることになり、その狭い分津波が建物の壁面に衝突して発生するセリ上がりも小さく、また同じく壁面が狭い分、波が左右に分散する確率も高いことから、当然早めにすり抜けていくことになった。

 子どもたちは2階(だったと思う)に逃れて全員無事だったという。もし海岸線に平行に向き合う建築方法だったら、津波が衝突してセリ上がる高さが大きくり、3階、4階分の高さに達していたかもしれない。
 
 3月28日の当ブログ――《津波でビルが倒壊したということだが、指定避難場所としてのビルの必要性は否定できないはず》に指定避難場所としての建物は津波が届かないように敷地面積を小さく取り、その分10階、20階と高くしたビルを建てて、近隣住民に対しても指定避難場所としたらどうかと書いたが、その際、四角形のビルよりも円筒形のビルの方が津波の圧力を避けることができるかもしれないと書き添えた。

 津波の勢いを止める堤防のヒントとなるもう一つの報道は、《「松島が守ってくれた」対岸の町、死者1人》YOMIURI ONLINE)に書いてある、右隣の太平洋に面した海岸線を持っている東松山市が壊滅的打撃を受けたのに対して松島町は松島湾に松島湾の多くの小島を小島を持ち、それが津波を遮って、記事題名にあるように、22日午後6時現在、1人にとどまっていて、建物や施設等は他の場所のような大きな被害は受けなかったという報道である。
 
 記事は、〈松島湾内に点在する島々が緩衝材となり、津波の勢いを弱めたためとみられ〉ると書いている。

 松冨英夫・秋田大教授(水工学)「津波の一部は島にあたって反射する。はね返った分、陸に押し寄せる波のエネルギーは弱まり、これまでの津波と同様、今回も津波による被害を減らしたと考えられる」

 大山守一地元漁師(83)「昔の大津波では島が一つなくなった。その時に比べれば、目に見える被害は大きくないのではないか」

 松冨教授が言っていることは撥ね返った津波と押し寄せる津波が衝突し合う形となり、押し寄せる津波のエネルギーを弱めたと言うことであろう。

 但し押し寄せる津波が強すぎると、押し寄せる側の津波はセリ上がって、維持していた以上の高さを取ることになるはずだ。だが、松島湾の小島は重なり合うようにいくつも点在し、湾の奥に向かう程に徐々に押し寄せる側の津波のエネルギーを削いでいったのではないだろうか。

 津波に限らず、物体は衝突することによって、それぞれのエネルギーを弱めることになる。

 では、津波と津波を衝突させる防潮提として浮かぶ形は、校舎の正面を海岸線に直角にして建てた小学校と点在する小島との関係から、円筒形の堤防を考えた。

 最初に断ったように建築学にド素人だから、滑稽な話で終わるかもしれない。俯瞰した円筒形防潮提を下手糞な画像にしてみたが、津波は円筒形の堤防に遮られて左右に別れて円筒形の防潮提の間をすり抜けていくが、隣の防潮提をすり抜けた津波と交じり合う形でぶつかる形を取ることである程度その力を弱めることができると思う。

 その上、円筒形の防潮提を二重か三重にずらす形で築造したなら、段階的に弱めていくことができるはずである。

 例え津波が円筒形の防潮提を軽々乗り超えることがあったとしても、乗り越えていく津波の下側の波が左右に別れたりぶつかり合ったりすることで、上下の波に破調が生じて混じり合うか、少なくともすべての波が一体となって押し寄せる形を取らせないことができて、そのエネルギーを抑制できることにならないだろうか。

 この防潮提が荒唐無稽であったとしても、重厚長大なだけではなく、どんな津波にも耐え得る何かしら新しい形式の防潮提を考える時期にきているように思える。



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1 コメント

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素晴らしい!!! (歩く屍)
2013-08-17 12:46:49
本当にあっているかは解らないですが
理屈はすごいですよね!!!
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