細野原発担当相「総理の発言でですね、個人的というものはありません」

2011-07-18 09:36:35 | Weblog



 細野細野豪志原発担当相が昨日(2011年7月17日)の日曜日、NHKの「日曜討論」と朝日テレビ「サンデーフロントライン」に続けて出演、7月13日の総理大臣「脱原発依存」記者会見が個人的な思いなのかどうかの質問を受けて、そうではないと否定している。

 その発言の箇所だけを拾ってみた。
 
 NHK「日曜討論」――

 番組は最初に7月15日の細野担当相の記者会見の発言を伝えている。多分、記者会見に先立って行われた閣僚懇談会で菅仮免が閣僚から、「記者会見の発言は内閣の考えなのか、総理の思いなのか」と問い質されて、「自分の考え方を述べた」と答えた後の記者会見ではないかと思う。

 細野担当相「原発に対する依存度は下げざるを得ない。これは政策論と言うよりも現実論である」

 福島の原発事故があっても、なお原発政策を進めるという選択肢もあり得る。それを決定するのは政府であり、その決定に審判を下すのは国民である。

 勿論、福島の原発事故を教訓に、その原因が巨大地震であり、地震と共に襲った巨大津浪であったことと、日本が地震と津浪の宿命を背負った国であると同時に原発が海岸線に立地していることと考え合わせて国民の生命と財産を守る観点から脱原発を選択する政策もあり得る。

 いわばあくまでも「政策論」でなければならない。だが、細野は「現実論」だとすることによって「脱原発」を絶対前提としている。

 これは菅記者会見に同調した「現実論」にもなっているのは後の発言から分かる。

 菅記者会見のサワリの発言をフリップで紹介してから、

 アナウンサー「これを菅内閣の担当閣僚として、どう受け止めていますか」

 細野「えー、恐らくは、菅総理は、あのー、おっしゃりたかったことは二つあるんだろうと思うんです。先ず一つは、えー、今回の、あのー、原発の事故を受けてですね、エネルギー政策そのものの根本的な見直しが必要だろうということです。

 具体的には昨年エネルギー基本計画というのを、政府は、あの、閣議決定をいたしましたが、え、これはいわば原発ですね、50%という、電力供給、非常に大きな部分を占めることになっておりますんで。えー、これは、えー、恐らくですね、今年から来年にかけて、しっかりと見直されていかなければならないと思うんです。

 もう一つは、えー、再生可能エネルギーを、もう政府として全面バックアップをして拡大していかなければならない。えー、いうならば、その準備を始めなければならない。

 そういう時期に来たことを総理はおっしゃりたかったんだと思います」

 低音の渋い極めて男性的な声で発言するから、聞いているだけで素晴らしい内容のことを言っているように錯覚するが、文字に起してみると、たいしたことは言っていない。この点、菅仮免とそっくり似ている。

 エネルギー基本計画を「今年から来年にかけて、しっかりと見直されていかなければならないと思う」と言っているが、政府として決定した見直しを受けた発言なのかどうかが問題となる。

 政府決定でなければ、単に菅仮免の思惑を受けた同調で終わる。

 細野「ま、若干、あのー、色んな、えー、厳しい声が与党内でも出ているというのは、菅総理というのはアドバルーンをドンと上げて、そこに向けて走る、というタイプの人ですから、ま、その遣り方が若干批判を受けているんだろうと思いますが、あのー、言いたかったことは、この二点ですから、閣僚の一員としてですね、しっかりサポートしていきたいと思っています」

 菅仮免が「アドバルーンをドンと上げて、そこに向けて走るというタイプの人」であったとしても、実行力があれば、批判は受けないはずである。アドバルーンを上げたことは必ず実行し、成果を上げるという評判を得たなら、それが菅仮免の政治手法として認められることになるだろう。要は「政治は結果責任」に必ず行き着く。

 批判を受けるということは、実行と成果に行き着かないアドバルーンだからではないか。細野は批判を受けていること自体を問題としない矛盾を犯している。

 このことは「サンデーフロントライン」で司会の小宮悦子に指摘される。

 細野の「閣僚の一員としてですね、しっかりサポートしていきたいと思っています」は内閣が決定した菅仮免の「脱原発依存」、「非原発依存社会」であることを前提としている。

 アナウンサー「ただ、その発言の後ですね、金曜日の本会議でも、個人的な考えを述べたという、説明の仕方をしましたねえ。この点ちょっと,どうなんだろうと、気がしますが」

 細野「総理の発言でですね、個人的、というものはありませんので、それは、あのー、アドバルーンを上げるという意味で、総理として、先ず、えー、まあ、思い切って言ったんだろうと、そういう趣旨の発言と、私は受け止めています」

 個人的な発言というものはない。内閣としての発言、あるいは政府としての発言だと言っている。

 内閣として、あるいは政府として決めた「脱原発依存」、「非原発依存社会」に向けた政策を「アドバルーンを上げるという意味で」、「思い切って言った」ということになる。

 だが、既に触れたように肝心なことは「政治は結果責任」であり、政策実現は指導力・実行力の問題に帰着する。アドバルーンの上げ方ではない。

 次に朝日テレビ「サンデーフロントライン」

 小宮悦子「記者会見で行った脱原発依存宣言。あの、個人の考えだとおっしゃったんですが、さすがに原発担当大臣である細野さんは、事前に相談はあったんでしょうか」

 細野「あの、基本的なエネルギー政策についての考え方はずっと議論してますので、あの、その議論の方向性に添った発言だというふうには受け止めていました。

 えー、記者会見の個別の、あの、文言が、どうなんだということについては、ま、これは総理の周辺でやっていますので」――

 「基本的なエネルギー政策についての考え方はずっと議論してますので、あの、その議論の方向性に添った発言」だと言っている。

 当然閣内で行われた議論であって、「議論の方向性に添った発言」と言っている以上、記者会見の発言と内閣の議論は全体的には同じ方向を辿っていた、一致していたということになる。

 小宮悦子「よく分からないんですけど。個人の思いという…んですけど、総理大臣ですから。菅政権の方針ではないんですか」
 
 質問の仕方が間違っている。細野は「議論の方向性に添った発言」だと言っているのだから、「では、個人の思いではなく、菅政権の方針だということですね。そうなると、よく分からなくなるんですが。総理は個人の思いだと言っているんですから」と問うべきだったろう。

 細野「あのー、総理である以上ですね、あの会見で言ったことがですね、純粋に個人的な、見解ということはあり得ないですね。

 ですから、これは、あの、大きな意味のある発言だというふうに思います。総理がおっしゃりたいことは、あのー、エネルギー基本計画はありますね、あのー、この50%原発で発電するってのは実質的に無理ですから、その根本的な見直しは踏み出す、踏み出すべきではないかと、いうことだと、私は理解しています。

 あとは遣り方ですね。菅総理の常にアドバルーンをドンと上げて、そこに向かって走るという、これはもう、本当に昔の、えー、市民活動から、遣り方がですね、必ずしも、党内とか政府内から認められていないというのが現実だと思います」――
 
 菅仮免の「アドバルーンをドンと上げて、そこに向かって走る」という政治手法は「日曜討論」では「若干批判を受けている」となっていて、ここでは、「党内とか政府内から認められていない」となっている。

 いわば指導力・実行力がないばかりか、この欠如の当然の行き着く先でもあるが、内閣を把握する組織運営能力さえも失っていることを細野は気づかずに指摘している。求心力を失っている状況に立たされていると。

 だとすると、「アドバルーンをドンと上げて、そこに向かって走る」という政治手法は、細野は市民活動以来の遣り方だと盛んに持ち上げているが、そのことに反して意味も力も失っている状況にあることになる。

 小宮悦子「ゴールまで辿りつかないんですよね。途中でやめちゃうんですよね。菅さんは」

 細野「ただ、まあ、菅総理であろうが、なかろうが、私の仕事を含めてそうですが、目の前でやらなければならない課題は非常に明確ですから、それに向かってしっかり進んでいくことはですね、今政府がある以上、我々の責任だと思います」――

 小宮悦子の疑問には直接的には答えずに、問題としていたのは「アドバルーンをドンと上げて、そこに向かって走る」菅仮免の「脱原発依存」、その他の発言であり、そのことによって発生する菅仮免の責任でありながら、そのことに代えて目の前の閣僚たちがすべき課題に「向かってしっかり進んでいく」ことが「我々の責任だ」とした。

 直接答えることができなかったから、閣僚たちの問題にすり替えて逃げたということなのだろう。

 以上見てきた細野の発言に色々と矛盾はあるが、「総理の発言でですね、個人的、というものはありません」、あるいは「総理である以上ですね、あの会見で言ったことがですね、純粋に個人的な、見解ということはあり得ない」と言っている細野の発言は正しい。菅総理大臣記者会見と銘打って首相官邸で記者を集めて発言した以上、公の発言であって、個人的な思いを伝える会見であろうはずはない。

 だが、菅仮免自身が7月15日の閣僚懇談会で、「個人の考えとして示した」と公の発言、政府の立場からの発言ではなく、個人的な発言だと釈明した。

 同じく7月15日の衆院本会議でも、「私の考え方を申し上げた」と、同じ日に二度までも個人的発言だとした。

 とすると、菅仮免は総理大臣として記者会見を開いて、個人的な考えである「脱原発依存」、「非原発依存社会」政策の「アドバルーンをドンと上げて」、個人的に「そこに向かって走」ろうとしていたことになり、極めて滑稽なことになる。
 
 細野は菅仮免の「個人的な考え」だとした、いわゆる記者会見の発言の否定を知らないはずはない。知っていた上で、「個人的な発言はない」、「純粋に個人的な見解ということはあり得ない」と、菅仮免自身の否定を否定したのである。

 菅仮免の腰が定まらないことに対して、あるいは発言を自ら軽くしていることに対して細野は記者会見に於ける菅仮免の発言を「アドバルーンをドンと上げて、そこに向かって走る」などと言って一生懸命に守ろうとしているが、部下のそういった姿勢よりも、内閣のリーダーである菅仮免の姿勢、資質、あるいは適格性が何よりの問題であって、菅仮免がそれらを欠いている以上、守ろうとすれば守ろうとする程、あるいは贔屓の引き倒しをいくら謀ろうと、細野自身が矛盾を犯すことになる。

 ここで取上げた細野の発言だけでも既に矛盾を犯しているのである。

 また7月16日の当ブログ記事――《7月13日菅記者会見が個人的思いを述べたに過ぎないなら、記者会見を開いて国民に訂正・謝罪すべき - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いたが、菅総理大臣記者会見という公の場で個人的な考えを述べるという個人的利用を図ったとしたら、総理大臣記者会見の私物化となるのだから、やはり総理大臣としての立場から国民向けの謝罪の記者会見を改めて開くべきだろう。



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