昨日(2011年10月31日)の野田首相の所信表明演説に対する各党の衆院代表質問とその答弁をNHKのテレビ中継で聞きながら、集中力をなくした頭で四苦八苦しながらブログ記事を書いていたところ、小渕優子自民党議員の質問そのものは聞き漏らしてしまったが、野田首相の答弁から小渕議員が彼女の父親の小渕恵三元首相と野田首相が似ているとマスコミが報じた点を取り上げて、その政治姿勢に天地程の差があると些か挑発的な質問の矢を放ったことを知った。
野田首相の答弁は面白味も何もない無難な答弁で、これも安全運転のうちに入る発言かもしれないが、他の答えようがあったのではないかと思って、録画から野次馬気分で取り上げてみた。
小渕優子自民党議員「野田総理、総理が民主党の代表に就任されたとき、多くのマスメディアが私の父、小渕恵三と野田総理はよく似ていると報じました。
確かに総理に就任した際の環境、状況はよく似ているかもしれません。国会は衆参ねじれ国会。喫緊の課題として当時は金融危機が立ちはだかっていました。
野田総理もねじれ状態の中で就任され、東日本大震災の復旧・復興、さらに円高対策など、やるべき課題は山積しています。状況という点では極めて似ているかもしれません。また、『冷めたビザ』と言われた父と、『ドジョウ』を自認される野田総理。私は総理の人柄をよくご存知ておりませんが、もしかしたら、人柄も似ているのかもしれません。
しかし、直面する課題に対する姿勢は全く違います。先ず、その象徴は組閣です。小渕総理は総理経験者であった宮沢喜一先生に大蔵大臣をお願いしました。それが金融危機に立ち向かうという強いメッセージを国民に向けて発信するためでした。
残念ながら、野田内閣の顔触れからは、その決意・覚悟が見えません。
野田内閣が発足して早くも2ヶ月が経とうとしています。この2ヶ月で何か具体的な成果を挙げたものがあるでしょうか。小渕内閣は発足して2ヶ月後には金融再生法を成立させるなど、一気呵成に最優先課題で結果を出しています。
片や課題山積の中、不完全内閣という理由で国会を開かなかった野田内閣、スピード感という点でも格段の違いがあります。政治家にとって、とりわけリーダーにとって、何が重要かと言えば、国家・国民のためにすべてを投げ打つ熱い思いと覚悟、そして決断力ではないでしょうか。
平成10年7月31日、内閣総理大臣就任後、最初の談話に於いて父は、『内外共に数多くの困難な課題に直面する中、我が身は明日なき立場と覚悟して、難局を切り拓いていく覚悟であります』と語りました。
較べるまでもないことです。野田総理と小渕総理はいくつかの点を挙げただけでも似て非なるものどころか、天地の差があるということをはっきりと申し上げておきたいと思います」
野田首相「えー、小渕優子議員にお答えしたいと思います。あのー、先ず、小渕恵三先生と私が似ているような報道が当初ありましたけども、私自身も恐縮至極でありました。ただ、天と地、という程の大きな差があるということ、ご指摘いただき、痛み入りますが、あの、自分は小渕先生が初めて国会で初当選されたときに、地元の皆さんと写真を撮った写真が、(声を強めて)とっても好きです。あの、ある雑誌でしたんですが、そういう意味で私なりにリスペクト(尊敬)の面と親近感を持っていることだけはお伝えさせていただきたいというふうに思います。
(民主党議員席からだろう、最後の言葉に拍手が起こり、何のためか小渕優子が自席で一礼する。)
その上で目指す国家像の質問をいただきました。私が何を目指しているかについては先の臨時国会の所信、その前後の席でもご説明をしたというふうに思います。
この国に生まれてよかったと。そして、プライドを持っていけるような国にしたいと、こういうことを申し上げてきたつもりです。今、現実を見据えて、目の前の危機を1日一つ一つ乗り越えていくことが必要であります。すなわち、先ず成し遂げるべきは大震災からの復興と原発事故の収束とそして経済金融危機からの脱却による国民生活と日本経済の立て直しであります。
国民のみなさまと共に、各党の皆様との共同作業によって誇りと希望の持てる再生を達成する道筋に於いて、この国に生まれてよかった、プライドを持てる国が造られていくことを確信し、総理としてのリーダーシップを発揮していきたいと決意をしている次第であります――」
(拍手が起こる) |
「痛み入る」とは相手の親切・好意に対して恐縮することを言う。小淵議員は親切・好意で「天地の差がある」と言ったわけではあるまい。
小渕議員は両者の「直面する課題に対する姿勢は全く違います」と肝心要の政治姿勢の違いを言い、その違いは「天地の差がある」と野田首相の政治姿勢を過小評価した。
当然、その評価に対して名誉回復があって然るべきで、その方法は「地」とされた自身に対する過小評価の否定と「天」とした小渕恵三に対する最大評価の否定によって果たすことができるが、双方の政治姿勢に対するそれぞれの評価の否定に替えて、小渕恵三が初当選した際に地元の支持者と撮った写真が好きで、そういった意味で「私なりにリスペクト(尊敬)の面と親近感を持っている」と、人柄に関しての評価を与えている。
まさに安全運転と言える、無難だけが浮き立つ答弁であるが、「政治は結果責任」で争う気持ちでいたから、当面の評価を無視したとも解釈できないこともない。だが、「目指す国家像」についての答弁をみると、国家像に対する政治姿勢のズレのみが目立って、到底「政治は結果責任」を期待しようがない。
なぜなら、「大震災からの復興と原発事故の収束とそして経済金融危機からの脱却による国民生活と日本経済の立て直し」のみでは「この国に生まれてよかったと。そして、プライドを持っていけるような国」とはならないからだ。
当然、国民から見た場合、目指すべき国家像とは言えないことになる。
勿論、国民生活の立て直しと経済の立て直しは国家形成に必要不可欠な重大な要素だが、第一義的な基本は生活の形である。
それがすべてに安心できる生活の形を取らなければ、経済の立て直しが国民生活の立て直しにつながったとしても、「この国に生まれてよかった」と思うところまでいかないし、「プライドを持」てるところまでいかないはずだ。
勿論、「国民生活の立て直し」とは安心できる生活の形に持っていくことだと言うことができるが、だが、具体的な説明が一切ない。
安心できる生活の形とは雇用の安心、収入の安心、健康の安心、老後の安心、成長の安心、地域地域の安心、教育機会獲得の安心、ライフラインとしての各種エネルギーの安心、主権と国土の安心等々の各安心が保証された形を言う。
経済の立て直しによって雇用の安心も収入の安心も生まれるかもしれないが、年金制度や医療制度に格差や不公平や不備や破綻の危機を抱えていたなら、安心できる生活の形を取ることはできない。
電力供給に不安を抱えていたなら、経済の阻害要因となり、安心できる生活の形を取ることはできない。
いわば安心できる生活の形を取ることのできる国の形こそが目指すべき国家像であって、具体的にどういった諸制度で国の形を象(かだど)っていくか、あるいは国を成り立たせていくか、一つ一つの制度の具体像の説明とそれらの制度がどのように有機的に作用し合って有効性を備えた安心可能な国の形を取っていくのか、全体的な具体像を描いた上での説明こそが、どのような国家像を目指しているのかの説明責任となるはずである。
【象る】「」抽象的な物事の内容を具体的な姿・形に表す」(『大辞林』三省堂)
だが、小渕議員の目指す国家像の質問に対しての野田首相の答弁はそこまではいっていない。
要するに目指すべき国家像の説明を欠いているということであって、このことは野田首相の政治姿勢に欠けているところがあることの証明以外の何ものでもないはずだ。
目指すべき国家像の説明を欠いたまま、「国民のみなさまと共に、各党の皆様との共同作業によって誇りと希望の持てる再生を達成する道筋に於いて、この国に生まれてよかった、プライドを持てる国が造られていくことを確信し、総理としてのリーダーシップを発揮していきたいと決意をしている次第であります――」と抽象的なことを言っているに過ぎない。
もし的確に国家像を頭に思い描いていたなら、小淵議員の過小評価に堂々と渡り合って、自らの政治姿勢を誰と比較しても遜色ないと主張できたに違いない。
小渕議員は「小渕内閣は発足して2ヶ月後には金融再生法を成立させるなど、一気呵成に最優先課題で結果を出しています」と言っているが、参院与野党逆転現象から、自民党案を引っ込め、与党としての主体性を放棄して民主党等の野党案を丸呑みして成立させた妥協の産物としての金融再生法であった。
決して「結果を出した」と胸を張って自慢できる成果ではないはずである。
菅前首相は2010年参院選で民主党が大敗し、参院与野党逆転現象が生じると、攻守逆転して自分たちが与党としての主体的立場に立ったことを無視して、この野党案丸呑みの金融再生法を例に出し、参院選敗北は「天の配剤」だ、「熟議の国会」の機会となると言って、国会乗り切りの方法とした。
だが、現実にはねじれに苦しめられて主体性を発揮できないままに1年そこそこで退陣に追い込まれた。 |