菅首相インターネット放送生出演から見る自己性善説と第三者性悪説(1)

2011-01-29 09:52:29 | Weblog

 菅首相の「プレスクラブ - ビデオニュース・ドットコム」インターネット放送生出の文字化によるブログ記事の最終。

 宮台社会学者「ちょっといいですか。あのー、ラストの決意表明の前にここだけね。あのー、実はね、既得権益を変えるって言うと、そのー、まさに既得権益に張り付いた敵がいて、それをですね、我々が味方に変えて行くというイメージなんだけど、実は僕はちょっとそれは違うと思うんですね。と言うのは、例えばこんな例があるんだけど、TPP、トランスパートナーシップの問題がね、今話題だから、それにかこつけて言いますが、色々な問題について言えるんですけど、例えば個別所得補償制度を含めてですね、従来の農業行政の、大改革をしようとしたら、これはやっぱりJAという農協を味方につけるしかないんですね。

 で、僕はその、色んなとこのJAの支部で、講演をする、仕事をしてきているので、色んな人を知っていますが、実際には全く一枚岩ではない。で、実は自民党のTPPに絶対反対する会、みたいな方々の、実は絶対反対って方は、むしろ少数で、まあ、要するに後援会に戻って、TPPについてどうするかって聞かれたら、『絶対反対するよ』って言ってるんだけど、本当はそんなやり方じゃ持たないなっていうことを知っている。

 つまり自民党の中にも、JAという農協の中にもですね、実はそのTPPに無条件に賛成だと言えないまでもね、従来のやり方でいいと思っている人はむしろ少数だと思うんですね。

 で、そういう人間たちを味方につけていく。役人もそうですよね。行政官僚とか。行政官僚って一枚岩みたいに言ったけど、本当は色んな人がいますよね。で、そういう人間たちから、やっぱり政権党に忠誠を誓う人たちをピックアップして、自由自在に使う、っていうことはやっぱり重要で、そういう意味で言うと、どうしても民主党の従来のやり方は政治主導という概念にしても、そうだし、農業行政の抜本的な改革にしても、ちょっと単純な敵味方意識――」

 菅首相「ただ、ただ、高台さんが言われることもやや、ないものねだりで、そういう、例えば、あのー、普天間なんかの場合にはですね、私は、今の、あのー、官房副長官の事務の副長官の、に、かなりですね、関係する役所の、事務次官等を含めた、あの、この、チーム的なものをつくってもらって、あの、政治家は政治家でやりますけども、事務方は事務方できちんとやってもらっています。

 ですから、そういうことについて、確かに、その、オー…、まあ、1年半前の、政権交代から、あー、ある意味、初めての経験であることだけは事実ですから、そういう、あのー、官僚組織の、という能力も活かしながら、如何に政治、イー政務三役とのリンクでやるということに段々今、お、議論があの、移りつつあってですね、これも含めてですね、まあ、あのー、あまりこんなことをいうと、あのー、甘いなと、視聴者の人に言われるかもしれませんが、やはり政権交代から1年半なんです。

 で、原理を変えました。その新しい原理の元で、私もやってみて、先程言った国会法39条の話からですね、こんなことになって、一つの壁を壊しても、まだあるのかってことがたくさんあります。ですから、そこまでですね、えー、変えていけるかどうか。

 それからTPP、一つだけ戻らしてもらうけど、私はやっぱ20011年の今日、まあ、色んな、あー…、経緯で、現在総理大臣という立場にいます。その総理大臣という立場で、何をやらなければならないのかですね、やりたいのじゃなくて、何をやらなければならないのか。その一つは確かに宮台さんが言われましたけど、官僚組織をきちっとグリップして、そして一つの方向に向かって、えー、進めることです。

 で、その中に、えー、そうしたですね、えー、自由貿易、の推進と、えー、農業の改革、うー、そして、おー、社会保障と、税制の改革。そういうものを、この時点でやらないと。まあ、20年間遅れていますから。私は、あのー、この国が本当にもう行き詰ってしまうという、その覚悟で臨んでいるということをですね(笑いながら)、あの、最後に申し上げておきたいと思います」――

 やはり菅首相の発言には理路整然とした一貫性を求めたくても求めることはできない。前回宮台氏は官僚主導から政治主導への転換を図ることで既得権益構造を打破するプラットホーム構築の必要性を説いた。ここでは既得権益構造にしても決して一枚岩ではない。既得権益に疑問を抱いている人間もいるから、単純な敵味方意識に拘るのではなく、そういった人間をピックアップしていって味方につけ、意識転換に活用していくといった方法を提案した。

 対して菅首相は「高台さんが言われることもやや、ないものねだり」だと意味不明に答えている。利用するしないは別にして、「そういった方法もあるかもしれません」と言うのが一般的な答だと思うが、そうなっていないところが菅首相なのだろう。頭のアンテナがどうなっているのか理解し難いところがある。

 多分、他人が口出しすることではない。こちらの言うことを聞いていればいい、あれこれ言うなといった思いでインタビューに応じていたのかもしれない。普天間問題を取り上げて、「政治家は政治家でやりますけども、事務方は事務方できちんとやってもらっています」と何の支障もないこと、何ら問題はないことを宣言していることがその証明となる。

 多分沖縄米軍の訓練グアム移転計画、本土自衛隊基地での自衛隊と米軍の共同訓練計画等のことを言っているのだろうが、宮台氏は個別にJAを例に挙げたが、個別の既得権益構造を問題としていたわけではなく、官僚(=霞ヶ関)、永田町、産業界等を覆っている日本の既得権益構造全体をくるめて問題としていたのであって、菅首相はそれが理解できなくて、普天間だ、TPPだと個別問題で対応している。

 訓練の移転計画を「きちんとやってもらっています」としても、肝心の辺野古移設に向けた沖縄側の反対の壁をピクリと動かすまでにはいっていない。

 前回の遣り取りで菅首相は「政治家と官僚の構造がですね、あの、根本的に変わったんです」と断言した。実際に根本的に変えることに成功したなら、官僚側は自らの既得権を守る手立てを失ったことになるが、「全部うまくいっているかどうかっていうのは、まだありますけども」と矛盾した猶予をつけていることを大目に見ても、官僚の既得権の壁はかなり崩れつつあると見なければならない。

 だが、政権交代からまだ1年半しか経過を見ていない、すべてが初めての経験で、「官僚組織の、という能力も活かしながら、如何に政治、イー、政務三役とのリンクでやるということに段々今、お、議論があの、移りつつあってですね」と、政治主導への根本的変化に向けた議論へ移行しつつある段階で、前回言っていた「かなりの権限を持った政治家グループが、それぞれの役所をコントロールしている」とも矛盾して、官僚のコントロールは未だ発展途上だと平気で矛盾したことを言っている。

 コントロールできているならできている、できていないならできていない、どちらであっても、どちらか一方に固定させた発言とすることができない。固定させることができないのは誤魔化しがあるからだろう。理屈では政治主導はこうあるべきだと思い描いていても、あるべき実際の姿を取っていないのか、あるいはあるべき実際の姿さえ理解できていないのかもしれない。

 このことは「原理を変えました」と言っている言葉に現れている。原理を変えたことで、その原理どおりに物事がほぼ動く状態になって初めて原理を変えたと言い切れる。原理を変えた、まだまだ壁があるでは原理が機能していない状況にあるか、新しい原理そのものに間違いがあるかの問題となる。原理そのものに間違いがあった場合、「原理を変えました」とはならない。

 だが、「原理を変えました」と明快に言いながら、「一つの壁を壊しても、まだあるのかってことがたくさんあります。ですから、そこまでですね、えー、変えていけるかどうか」と、原理を変えたことが意味を成さない頼りない矛盾を曝け出している。

 原理や組織を変えても、人間の意識が変わらない、旧態依然だと基本は人間の営みによって社会の出来事は生成されるのだから、目的とした変化は期待できないことになる。男女機会均等法だ、女性の社会参加だと原理を変えたとしても、日本人男性の女性に対する男尊女卑の優劣観、あるいは差別観を引きずった意識を完全に払拭できていないために目的どおりの変化になかなか到達できないのと同じである。

 但し、原理や組織を変えることによって新しい原理・組織が人間の意識に変化を促す場合もある。

 となれば、人間の意識に変化をもたらさない原理の変化や組織の変更は意味を成さないことになる。

 自民党は戦後60年以上、ほぼ一党独裁の状態で一貫して政権の座にあった。だが、自民党の政治家も自民党政権下の官僚も自らの意識の変化を促すことができなかったために官僚主導、族議員化、省益擁護等の既得権益構造を打破することができずに、逆により強固な惰性の方向に持っていったために過大設計を施したムダな公共事業、ムダな予算付け、地元利益誘導政治等を引きずることとなって日本の財政を極限にまで悪化させていった。

 要するに民主党が打ち出した政治主導が官僚の意識を決定的に変えるところまでいっていないということなのだろう。あるいは民主党議員の政治主導意識が官僚の官僚主導意識、省益擁護意識を打ち破るところまでいっていないということに違いない。

 政治主導の進展状況を正直、且つ明確に説明責任を果たすことができずにさも進んでいるかのように誤魔化す政治家に真の政治主導を期待することが果してできるだろうか。

 神保代表「うーん、何か時間がとってもオーバーしてね。でもね、菅さん、まあ、これね、初めての、初めてのインターネット放送登場で、初めての非メディア登場かもしれないけどね、是非ね、あのー、まあ、これを一回きりせずにですね、うちだけに限らず、色々なメディアありますから、あのー、色んなとこに出て行って、それぞれに違う(ゲンセイ?――不明)がついているので、是非、あの、これから発信していっていただければなあって。

 やっぱり、あのー、クラブの中にいて記者会見やってバラす、ぶら下がりですか、やっていうのでは。なかなか今日もね、僕もね、十分じゃなかったけど、やっぱり初めてそういう話を聞いたって方もいると思うのですよ。是非これに懲りずに――」

 菅首相「懲りはしません。懲りはしないんですけど・・・」

 神保代表「総理のスケジュールがないとこを出たのは大変なあり得ない問題で・・・(早口で聞き取れない)」

 菅首相「あの、これからの、あのー、インターネットもテレビも、活字媒体も、含めてですね、あのー、これは、私の方から逆に言うと、そういうみなさんにお願いですけど、あのー、こちらから伝えたいなと思うこと、場合によったらですね、そのー…、見ている人、聞いている人がですね、聞きたいなということと、もう一つあると思うんですよ。

 これが、簡単に言うと、視聴率が上がりそうだな、面白いと。ですから、どうしてもそこにですね、こちらとしてはこれを伝えたい、これが重要だと思っても、その部分は捨象されて、えー、政局的なことに中心がいくとか。

 私はそこを修正できるようなメディアがですね、やっぱり、折角のインターネットですから、あのー、あってもらいたいし、ま、我々自身もですね、あの、この、メディアは自分たちで発信ができますので、私のカンフルTVもですね、是非、あの、視聴者のみなさんに見ていただいて、動画で配信しているのと、カンフルブログの方は活字で配信しておりますので、そのコマーシャルもちょっとさせていただいて、終わりたいと思います」

 嬉しそうにあまりにも無邪気にニコニコしている。既存のマスメディアが「こちらから伝えたいなと思うこと」を伝えずに視聴率狙いで政局中心の面白おかしいことしか伝えないと、要するに自身の内閣支持率の低さの原因をマスメディアに転嫁しているが、メディアは決して政局中心の情報のみを発信しているわけではなく、政策中心の情報をも発信している。そのことを無視できる公正さを欠いた自身の判断能力は如何ともし難い。

 また、国民にしても政局中心の面白おかしい情報のみに頼って内閣を評価しているわけではなく、様々な情報に基づいて菅首相の一挙手一投足をしっかりと観察し、自らの観察に基づいて評価していることをも無視する公平さも欠いている。

 このような公平さの欠如のみならず、国民の観察の中には以上触れてきた菅首相の発言に於ける論理の一貫性の欠如、誤魔化しと矛盾に満ちた話の展開も入っているはずだ。もし国民が既存メディアの政局中心の面白おかしい情報だけに基づいた内閣に対する観察と評価に過ぎないと貶めるとしたら、国民をバカにしていることになる。

 要するに菅首相のマスメディア論は合理的判断能力を欠いていて公平に見ることができないことが原因となっている、安易で身贔屓一辺倒から出ている「こちらから伝えたいなと思うこと」を伝えていない、政局中心の面白おかしい視聴率狙いの情報発信媒体だと言っているに過ぎない。

 このことはカンフルTVとカンフルブログの紹介に現れている。要するにカンフルTVとカンフルブログは既存メディアのような政局中心の面白おかしい視聴率狙いの情報発信媒体ではなく、「こちらから伝えたいなと思うこと」をきっちりと伝えることができる情報媒体だと正反対に位置づけているが、いくら菅首相が「こちらから伝えたいなと思うこと」を100%きっちりと伝えることができたとしても、そのすべてを国民が肯定して受け入れる保証はどこにもないのだから、結果として「こちらから伝えたいなと思うこと」が伝わらない、いわば国民が拒否する、あるいは理解できない等の、既存のマスメディアが情報発信を介した場合と変わらない意思のすれ違いが起こることを前提としなければならないはずだが、前提とすることができずに「こちらから伝えたいなと思うこと」は100%きっちりと伝達可能を前提としている自己情報発信に対する何一つ疑うことを知らない無条件且つ無邪気な性善説は何よりの合理的判断能力の欠如を証明して余りある。

 要するに公平に判断できる頭を持たないということである。その結果、自分が発信する情報は何一つ間違いはない。ただそれを既存のメスメディアが曲げて報道するから、国民に間違って伝わるということになる。自己性善説に対するマスメディア性悪説を固定観念としているということである。

 神保代表「菅さん、ほんとに最後の最後、総理って言うのは、菅さんが総理になる前に思っていたことと比べて、どうですか。もっと、総理というのは、もっと思ったよりこうだったと、一言で言うと、どうなんですか?」

 菅首相(口を結び、顔を上向き加減にして暫く考える)「過去の総理がですね、まあ、あの、小泉さんのように長くやった人と、比較的短くて、辞めた人がいますが、その…、辞められる原因というのが、――何となく分かるんですね」

 神保代表「辞める原因が分かる。何ですか。総理になって分かった、総理を辞める原因とは何ですか」」

 菅首相「気持が萎えるんです。俺はこんなにやっているのにね、何で分かってくれないんだ。俺はこんなにね、頑張っているのにね、何でね、この評価されないんだ。結局、どっかでですね、色んな思いがこう伝わらないことで、どっかでもう、これ以上は、あのー、やってもダメだと、気持が萎えるんです

 ですから私はですね、あのー…、私のような、まあ、えー、やや、変り種と自分で言っていいかどうか分かりません。そのー、なった総理ですから、私は、あの、決定的にやってみようと思うんです。

 つまり、自分の気持が萎えることで、その、やーめたということはしない。やはり折角私のような政治家を育ててくださった、ひろーい意味でですね、まして皆さんも含めてかもしれませんが、そういう人間にとってはやはり選択肢にないんですね。

 そりゃあ、憲法上、色んな手続きはありますから、ですから、私は、あのー、そのことによって、えー、新しいプラットホームと宮台さんが言われましたけれども、まさに新しい地平に届くかどうかなんです。そこまでは見極めたいなと。

 まあ、最後に一言ですね、この間、モンゴルの大統領が来たんですよ。面白い話をしていました。彼が言うのはですね、チンギス・ハーンは馬に乗っているときはどんどん征服して、エー、進んだけども、馬から降りたら大変だったと言うですね。つまりは私たちに直せば、選挙で戦って勝つのは勿論大変なのですが、それはそれなりに大変だけども、それ以上に馬から降りたら、えー、いわゆる統治をするということはですね、如何に大変かと。

 そこに壁があってね、そこで萎えてしまうと。で、また次に移る。そこでまた萎えてしまう。満を持しても、総理を萎えさせるような要素が色んな意味でたくさんありますから、あの、タイトな国会審議もですね、まあ、私がこの間テレビで申し上げたように、質問はですね、24時間前に質問要旨を貰いたいというのは、決してこちらが怠けたいからではなくて、ちゃんとした議論をするためには、それでなければできないんですけれども、結局その時間が取れないようなタイトな時間で進んでいくと。段々自分の頭がですね(頭の近くに両手を持っていって、その手をぐるぐる回す)、こう、まわる余地がなくなってしまって、で、最後は、もうこんなことやっていても、はんなんやって(?ママ)なるってことはですね、まあ、今日、色々と自由に、話をさせていただいて・・・」――

 「俺はこんなにやっているのにね、何で分かってくれないんだ」云々以下にしても、自身の政治的創造能力、リーダーシップ、政権担当能力等何一つ疑うことのない無条件の性善説に立った発言となっている。当然、マスメディア性悪説同様に常に自分以外の第三者に責任があるとすることになる。自身が問題ではなく、周囲が問題なのだと。

 もし自省心を働かせて、自省能力を持っていたならの話だが、自らを省みて自身にも問題点があることを見い出したなら、そこを改める努力を払うだろうし、改める努力は能力の改善、もしくは発展をもたらすことになる。

 だが、常に自分以外の第三者に責任ありとして自らを省みることをしないと、欠陥状態のままの現状維持にとどまることになる。

 チンギス・ハーンの譬えを持ち出して如何に政権運営が困難かの証明としようとしていることも、自身に問題点や責任を置かない姿勢からの発言であろう。総理大臣として自分で切り開いていくしかないのだとの覚悟がないから、野党時代と実際の政権担当との当たり前の違いを持ち出して理解して貰おうといった態度を取ることになる。
 
 自らを恃んで自らの力で切り開いていこうという覚悟があったなら、「変り種」だとか、「私のような政治家」といった言葉は決して口を突いて出ないはずだ。切り開いていくとは結果を出すことを意味する。「変り種」であるとか、「私のような政治家」といった価値付けは結果を見て初めて生きてくる。その結果は他人が評価することなのだから、自分から言うべきことではないはずだ。

 こういったことからすると、萎えることはあっても、「決定的にやってみようと思うんです」の覚悟は相変わらず自身を無邪気な性善説に立たせて第三者に責任転嫁する姿勢に変わりはない中での覚悟と見なければならないから、口で言っているだけの覚悟にしか思えない。

 神保代表「それこそ、それこそ、総理になってから、変えなきゃいけないことではないんですか?」

 質問要旨を24時間前に受け取ったとしても、菅首相の自身に何ら間違いはないとしている無邪気な性善説、自分以外の人間に問題点や責任を置く第三者性悪説に変化がなければ、いわば自身の意識が従来と変わらなければ、指導力や政権担当能力といった本質な問題は何も変わらないはずだ。

 菅首相「ですから、今変えるように言ってるんです」

 神保代表「それこそ、総理がね、非常に、ま、孤独な存在で、自分の思いが伝わらない、やりたいことができるようになっていないとすれば、やっぱ、そこを一番変えなきゃいけない、ことなんじゃー」

 菅首相「国会の仕組みなんですよ」

 神保代表「国会法であるとか――」

 菅首相「ですから、国会の仕組みであって。ですから、今内閣法の改正案を出しております。で、国会の改正案も出しております。で、同時に国会のルールというのは、これは法律に必ずしもなっていない慣例もあります。

 さっき言った、何時か、あのー、24時間以内とか、ま、2日前の昼間とかですね。そういうものはやはり、お互いに野党与党を経験を殆んどの党がしましたから、そいう中でやっていきたいと思っています。

 で、そういうことでですね、ま、先程のぎジンギス・ハーンの言葉で言えばですね、やはり、あのー、地上に降りたわけですから、その中で、えー、20年間、エー、遣り残してきた、日本として遣り残してきた、えー、成長・財政・社会保障、そして、えー、地域主権と外交。この問題を、やはり、何としてでもですね、次の展望が見えるところまでは、あのー、取り組んで頑張りたいと思っております」

 神保代表「はい。えー、もう本当にいよいよ時間と思いますんで、長い間どうもありがとうございます。えーと、菅さん、是非、本当にね、これを機にですね、色んなメディアに、うちを含めて、出てください。本当に今日は長い時間ありがとうございました」

 神保代表と宮台氏が頭を下げる。

 菅首相「ありがとうございました」(ゆっくりと鷹揚に頭を下げる)

 既にケチをつけたように、「20年間遣り残してきた成長・財政・社会保障、地域主権と外交」等を「次の展望が見えるところまでは取り組んで頑張りたい」と言っても、無邪気にして愚鈍な自己性善説と他者に責任と問題点を押し付ける第三者性悪説に立った取り組みに変わりはないだろうから、同じ繰返しが続くことだろう。

 最初はこのインターンネット放送生出演の「萎える」という菅首相の発言を取り上げたWEB記事から入ったが、放送全体を文字化して菅批判を展開することになった。

 勿論、全編方向違い・お門違いの批判で終わっているかもしれない。この程度が限界と思って貰うしかない。

 参考までに、《菅首相インターネット放送生出演から見る自己性善説と第三者性悪説(2)》で、このインターネット放送を取り上げたこれまでのブログ記事を挙げて終了とします。疲れました。
 



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