そもそもの罪は菅仮免個人にあり/21世紀臨調「現下の政治に対する緊急提言」

2011-06-17 10:12:06 | Weblog


 
 新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)が昨6月16日、広くは日本の政治に対してだが、当面の課題として菅首相に対する緊急提言を発表している。提言の核心箇所を拾ってみる。

 《「現下の政治に対する緊急提言」》(2011年6月16日)
    
 提言は最初に項目別にいくつか挙げて批判を展開。先ず第1項目は「政党政治は競争と協力の政治」と題して論じ、その冒頭次のように書き記している。

 〈日本の政治はもはや先進国の政治とは呼ぶに値しない有様になっている。先進国の政治とは競争と協力を通して眼前の課題を着実に処理しうる政治であるが、日本の政治はこの水準から確実に滑り落ちつつある。国会議員たちのこの点についての危機感の希薄さこそが、危機の深刻さの何よりの証である。〉

 日本の政治はもはや先進国の水準以下だと厳しく批判し、国会議員全体の責任、日本の政治全体の責任としているが、時の首相は菅仮免である。第一番の責任は菅仮免にあるのは言うまでもない。このことは提言の先に進めばおいおい分かってくる。

 また日本の政治価値の下落に対して国会議員は危機感が薄いと警告を発しているが、危機感を持っているからこそ、菅降しに走っているのだろう。但し東日本大震災発生で菅降しを途中で躊躇する間違いを犯してしまった。菅仮免ではそのリーダーシップ、統治能力からして満足に対応できないことを前以て予測し、菅降しの手を緩めるべきでなかったにも関わらず野党及び民主党内反主流は国民に政争と受け取られる恐れから休戦状態を自ら作り出してしまった。

 そして案の定の震災に於ける政治の遅滞を目の当たりにして、任せていられない危機感を改めて募らせ、菅降しを再開したが、日本の政治にとっては遅きに逸した。

 提言は次に衆参の「ねじれ」を取上げて、〈制度的不具合が露出した場合、それを乗り越える鍵は政党内部の卓越したガバナンスにしかないが、政党自身の求心力は高まるどころか解体傾向を深め、政権は摩滅する一方の状態にある。〉と言い、その責任を与野党に求め、さらに、〈衆参両議長がこの危機に際し何ら建設的なイニシアティブをとろうとしない姿はまさに異様の一語に尽きる。〉と激しく批判している。

 しかし何もかも菅仮免個人のガバナンス能力を問題としなければならないはずだ。衆参の「ねじれ」をつくり出したのも菅自身であり、それを「天の配剤」だと不幸中の幸いに位置づけながら、口で言っただけのことで実質的には「天の配剤」とすることができなかった菅自信の「ガバナンス」、無能力、指導力欠如が招くこととなった衆参の「ねじれ」以降の日本の政治の衰退であり、政権の「解体傾向」だからだ。

 菅仮免は政権交代後の財務相当時からマニフェストに反して消費税増税を自らの主張としていて、そのことを背景として首相就任1カ月早々の2010年7月参院選前に消費税増税を打ち上げたのだと言う。このことは2010年7月22日のBS11の番組収録で鳩山前首相が内輪のことを明かす形で出てきた話として「asahi.com」が記事にしている。

 この記事を取上げて2010年7月24日の当ブログ――《菅首相の“消費税争点隠し”論に見る指導性・責任性の欠如 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。

 菅首相の主張「消費税で自民党と一緒の主張をすれば争点から消えるから大丈夫」

 鳩山前首相がこのことを暴露したのは参院選大敗北を招いて憤懣やるかたない気持があったからに違いない。

 いくら消費税増税を必要と考えていたとしても、一国のリーダーとしての主体性も何もない非常に不純な動機を裏に隠した、しかも他の閣僚とも党とも前以て議論し、煮詰めることはしなかった、何ら準備らしい準備もしなかった消費税増税話だった。

 争点隠しが狙いで「自民党と一緒の主張」をするために増税率を自民党が掲げていた10%を参考にしたのであり、菅自身が、あるいは菅内閣や民主党が根拠を持って算出した税率ではなかった。

 与党としての主体性、責任意識、党と内閣を纏めて各政策を打ち出していく指導力、打ち出した政策を具体化していく実行能力等々を就任1カ月経つか経たない内にこの時点で既に欠いていたことを曝け出したのである。

 ここから始まった、21世紀臨調の提言が2項目目に掲げる「政権と政党の統治に失敗した民主党」ということであろう。

 次のように書いている。〈民主党は政権と政党の統治に相次いで失敗し、マニフェスト(政権公約)の信用を失墜させ、日本国総理大臣の地位と政治主導の名を地に堕しめた。〉

 すべては菅仮免の成果である。

 そして6月2日の不信任案提出の前に鳩山前と菅仮免が確認書を取り交わしたことと、その約束不履行に対して鳩山前が「ペテン師」呼ばわりしたことを、〈まさに語るに堕ちた姿をさらけ出したというべきである。それら一連の失態は本来であれば下野に値するものといわざるを得ない。〉と厳しく弾劾しているが、これも菅仮免が約束を守るつもりもなく不信任案可決回避と退陣を取引したこと、そして実際に約束を守らなかったことがそもそもの原因で、「ペテン師」呼ばわりを批判する前に菅仮免のその資格も資質のないにも関わらず政権にしがみつくために手段を選ばない狡猾さ、不誠実を批判すべきだろう。

 提言は日本の政治の堕落からの回復策として総選挙時のマニフェストの徹底的な総括と新たな代表選出を求め、党の求心力と政策の軸の地道な回復を願い、このことを通して政党としての自律性の涵養と自己規律の回復を要求している。

 いわば菅仮免が実現できなかったこと、あるいは壊してしまったことを新代表に求めている。

 但し、〈政党としての自律性の涵養、自己規律の回復を疎かにしたまま、代表選レースや連立話ばかりを弄ぶならば、民主党はさらに失敗を繰り返すことを自ら選択したに等しい。〉と厳しく警告を発しているが、民主党内では早速のことのように既に仙谷や岡田等が代表選レースや連立話を弄びにかかった。

 十分に議論して持ち出した大連立ではなく、弄びだったから、ここに来て萎んでしまったのだろう。

 提言は大連立について、〈衆参両院の国会審議を含め「機能する政権」を実現することが眼目〉だと定義づけ、〈政策本位の視点も、政党の求心力・自己規律回復への努力も欠いたまま、無原則に多くの議員を糾合するだけの巨大政権ならば、「機能する政権」を実現することには到底ならない。〉と警告。

 そして、〈それ以前の問題として、党内をまとめきれない政党に、大連立を成し遂げるだけの力量が果たしてどこまであるかも厳しく問われねばならない。〉と糾弾している。

 要するに菅仮免は民主党さえ纏め切れなかった。党の秩序を壊した。新代表は菅仮免のようなリーダーシップを欠き、統治能力を発揮し得ない人物であってはならない、菅仮免を反面教師とした逆の人物を選択しなければならないということで、「政党の求心力・自己規律回復」を実現できるリーダーシップ・統治能力を有した人物でなければならないと人物指定をした。

 提言は民主党批判の返す刀で「無責任な野党の拒否的政治姿勢」と題して大連立を持ち出した一方の野党を激しく批判している。

 〈自民党を初めとする野党もこの非常時にいつまで拒否的政治姿勢を続けるつもりなのか、その態度を厳しく問われるべきである。先の内閣不信任案にしても、国民の多くはそんなことをしている場合かとその姿勢に疑問を禁じ得ないでいる。大地震・大津波・原発事故という未曽有の事態が眼前に横たわっている中で、被災によって総選挙は事実上不可能な局面であるにもかかわらず、代わるべき首相候補も建設的な政権構想も国民に説明しないまま、ひたすら首相の退陣のみを要求する姿は国民の理解を到底得られるものではない。〉

 「代わるべき首相候補も建設的な政権構想も国民に説明しない」点は批判できるとしても、野党及び民主党内一部勢力の首相退陣の要求は提言の要求と重なる。寸秒たりとも菅仮免に政権を任せていたなら、政治が果たすべき物事が前に進まない。勢い「ひたすら首相の退陣のみを要求する姿」となったとしても止むを得ない面がある。

 日本の政治を救うどころか、日本の政治を壊しつつある菅仮免である。一刻も早い排除をと考えるのはある意味自然な姿であろう。

 また、「与野党合作による政党政治の自滅」と題した項目は傾聴に値するが、些か矛盾箇所がある。

 〈野党は日本国総理大臣の使い捨てに加担していると言われても仕方がない。いつまでも政権批判だけに軸足を置き続けることは、党内のガバナンス上は容易かもしれないが、それこそが「野党病」の危険な誘惑ではないかという危惧を覚える。結果として、この未曽有の事態にあって、被災地を含めすべての国民をおきざりにしたまま、与野党合作で、日本国総理大臣の地位をさらに失墜させ、日本の政党政治は自滅に歩みを進めているとしか思えない。〉

 すべての政党は他党と比較した自らの政策の優位性を掲げ、訴えて国民の支持を得るべく闘う。当然野党は国民に自党の政策の優位性を訴えた手前、与党の政策を批判する義務を負う。そこに政策に対する切磋琢磨の競争原理が働く。

 もし見るべき政策が見当たらないと言うなら、政策を創造する能力が与野党とも劣るからであろう。何をか言わんやである。

 繰返しになるが、菅仮免は昨年参院選前の消費税増税提言で、増税した場合の民主党の経済政策、財政再建政策、景気回復策、雇用政策等が野党のそれらの政策と比較してどのような優位性を持ち得るか、国民の利益となるかを懇切丁寧に国民に説明し、国民の納得を得る手続きを必要とした。

 そうするためには前以て内閣と民主党との間で議論に議論を重ねて練り上げていなければならながった。だが、手続きを経ないままにマニフェスト発表記者会見でいきなり持ち出した。

 すべてはこのときの愚かさが出発点となっている日本の政治の自滅的現状であり、“機能しない政治”、「動かない政治」を結果としたということであろう。

 勿論与野党共にそれぞれに責任はあるだろうが、何よりも菅仮免の主体性欠如、リーダーシップ欠如、統治能力欠如等々の無い無い尽くしがそもその原因であるはずである。

 「日本国総理大臣の地位」を重くするも軽くするも第一義的には総理大臣自身の資質・能力、さらに人間性、人格にかかっているということである。

 そして最後に「国民の自覚」を批判の俎上に乗せている。〈われわれ国民の側も、総理大臣の一挙手一投足をあげつらっては潰し続け、政権批判をしていれば物事が前進するかのような錯覚からそろそろ卒業すべきである。政党政治がこのような惨めな姿になった責任の一端は間違いなく国民にもある。この意味で、国民の視線もまた試されている。〉

 「政権批判をしていれば物事が前進するかのような錯覚からそろそろ卒業すべきである」と言っているが、先ずは総理大臣が国民の政権批判に耐え得る体力、政治力、指導力を持つことが先決であろう。政権批判をしたくなる政権であることが問題だからだ。

 所得非余裕層に何ら配慮もなく消費税増税を持ち出し、優位性ある政策として掲げたはずのマニフェストを変更し、発言をそのときどきで変えて責任回避する。それでも批判せずに黙っていろとでも言うのだろうか。批判しなかったなら、無能をのさばらせるだけとなる。日本の政治をダメにする一方となる。

 総理大臣は一旦その地位に就いたなら、その権限は強力なものがある。強力な権限を手に入れる。愚かなリーダーがその強力な権限をバックに間違った指示を出してこうしろと言った場合、なかなか指示に反する動きはしにくい。だが、指示通りに動いたなら、組織はその秩序を保つことができるが、物事は間違った方向に進む。

 指示通りに動かなかったとしても、内閣自体が秩序を失い、混乱することになるから、物事にしてもやはり前へ進まないことになる。

 偏にリーダーの資質・能力、人間性にかかっている。

 そのいずれも菅仮免は欠いている。

 「提言」は「首相の責任」として会期末までに退陣の時期を明らかにすること、代表選挙から与野党協議、首班指名に至る手順と時期を早急に決定し、国民に示すこと、政党間協議を行う場合は代表選を通じて先ず党内合意を取り付けて、新代表のもとで公党間の正式な手続きに則り行うことを提言している。

 要するに先ずは菅仮免の退陣時期の明確化、その退陣を前提とした菅仮免に変わる新代表選出、必要とするなら与野党協議と進むべきプロセスを提示している。

 そして「代表選挙のあり方」「政策協議と国会の仕組みづくり」、最後に「連立協議について」と至れり尽くせりのああすべきだ、こうすべきだと指摘している。

 逆説するなら、ああすべきだ、こうすべきだと民間から提言を受けなければならない程に日本の政治は質の低下を招いているということであろう。勿論、前政権の自民党にも責任はあるし、現在の野党にも責任はあるが、日本の政治の中心中の中心を成すべき菅仮免個人が中心に立つ者としてのしっかりとした自律性を確保していないことがイコール指導力欠如、統治能力欠如の資質となって現れることとなっていて、そのことがそもそもの始まりとなっている現在の日本の政治の質の低下と言えるはずである。

 いわばそもそもの罪は菅仮免にあると断言できる。 

 私自身は国民は飛んでもない政治家を民主党代表に選び、首相にしてしまったと固く信じている。



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