現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

富士大石寺顕正会 2

2008-03-26 10:36:42 | 虚無僧日記
「富士大石寺顕正会」の若者二人とのやりとり。

「いずれの宗派か」 「普化宗」
「経典は?」     「何も無い」
「釈迦の説かれた法華経とかあるでしょう」「知らん」
「偽坊主か」「物事を正しく見る目はないのか。袈裟も
 数珠も付けていないのに僧侶だと思われたのか?」
 (内心、付けてないでよかった)
「新興宗教か」「日蓮宗よりは古い」
「会員はいるのか」「ここを通る人皆が会員だ」
「あなたのやっていることで人々を幸せにできるのか」
「私の尺八で慰められる人もいるでしょう」
「人を騙している。地獄へゆけ」
「釈迦は地獄、極楽など説いてはいない。あんたはキリスト教か?」

というわけで論争となった。「地獄極楽、前世来世」は有るか
無いか、釈迦は「ある」と言ったのか?

私の考えはこうだ。
釈迦は一文字も経典を残していない。
経典は、釈迦寂滅後500年1,000年を経て、後世の人が
書き残したものだ。釈迦は家も寺も持たず、ひたすら
歩いて人々に仏性を説いた。論争はしていない。教団を
作ることも嫌った。
それなのに、今の仏教界は、文字に捉われ、一言一句の
解釈で論争し、対立し、非難、誹謗中傷を行っている。
釈迦の真意ではあるまい。自らの行いで、人々の心の中
にある仏性を目覚めさせる。それが釈迦の説く仏教ならば、
虚無僧が尺八を吹いて、人々の心の中の仏性に響いてもら
えれば、これが本当の仏教徒だ。やたら論争を好み、闘争心
むき出しの宗派が仏教とはいえるのだろうか。そもそも
妻帯していること自体仏との誓い(戒)を破っているでは
ないか。





富士大石寺顕正会と法論

2008-03-26 07:48:51 | 虚無僧日記
昨晩(3/25)も名古屋駅前で尺八を吹いていたら、
なんだかんだと議論を吹っかけてくる二人の若者。
「僧を偽装して布施を受けるとは不届きな奴、
その金を全部(12円だったが)取り上げる」とか、
「今すぐ車道に飛び出て死んでしまえ」とか
「地獄に落ちるぞ」とか手厳しい。
「富士大石寺顕正会」のメンバーだった。
日蓮を信奉する団体だが、「日本国家は日蓮が説い
た教えに従って統治され、国民総意のもと“国立
の戒壇”が建立されなければ、日本は必ず滅びる」と
いう偏狭な教義を掲げ、創価学会、日蓮正宗とも
分離孤立している団体だ。本部は埼玉県の大宮にある。

一応この会の出版物『日蓮大聖人に背く日本は必ず
亡ぶ』を読んでいたので、「バカげた話だ」などと
余計なことを口走ったために、火に油をそそぎ、道端で
30分以上も激論となった。「なんだ、なんだ」と足を
止めて聞き耳を立てる人もいる。激論しているのに、
横から布施を入れてくださる方もいる。とにかく
平行線で議論にならない。
釈尊は「争いの無い平和な心」を人に説いたのだと
思うが、他を一切否定し、闘争心むき出し、中国と
の戦争も煽るような宗派はいかがなものか。
若者があそこまで“異常”になることに、オームと
同じカルトの恐ろしさを感じる。虚無僧は、釈迦も
経典も無く、尺八の音で人々の心の底にある仏性を
開いていただければありがたいとの思いで、ただ
街頭で尺八を吹く。強要することもない。
ネットで「富士大石寺顕正会」を検索したら1,700件も。
賛否両論の立場から載せてあることに驚く。