現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

眼鏡を無くす

2008-04-20 23:26:15 | 虚無僧日記
昨日、車の中を整理していて、前使っていた
眼鏡が出てきた。それを掛けている自分が
ふとイメージされた。今日、虚無僧していて、
眼鏡をはずす時、ふと「無くす」という思い
がよぎった。最近、こういう予感はよく働く
のだが、防げない。案の定無くした。そして
スペアがあったから助かった。
だが、また5万円の出費か。これで年金が
消える「消えた年金」だ。働けど働けど、
金は出ていくばかり、あぁ残念。

モスクワからの来客

2008-04-20 23:19:38 | 虚無僧日記
4/19モスクワ音楽院の一行が来日。その中に
尺八を吹く青年サーシャも。そして一行が京都
見物をしている日、彼は単独行動で、京都から
名古屋まで一人で来た。この日は、私は朝から
長縄、後藤、石黒の三氏の稽古があったが、
一緒に尺八を吹いた。3年前会った時より
数段上達していた。もうモスクワでは尺八の
プロとして活動しているとのこと。私より
古典的な吹き方をする。日本では忘れられた
尺八の味だ。門下生たちも、お互いいい刺激
になった。十分世話できず心残りだったが、
尺八で国際交流。いい一日になった。

4/20 春姫道中

2008-04-20 23:12:03 | 虚無僧日記
名古屋城の本丸御殿再建運動の一環として
「春姫道中」なるイベントがあった。
春姫は紀州浅野幸長の娘。12歳で尾張の
初代藩主徳川義直に嫁いできた。
春姫の祖父浅野長政は、豊臣秀吉の義弟。
母方の祖父は池田恒興。小牧長久手で
徳川軍に攻められ討ち死にしている。
徳川の世となって、豊臣の色濃い浅野家
としては、春姫を尾張徳川家に嫁がせる
ことでお家の安泰を図ろうとしたか。輿入
れは絢爛豪華なもので、派手と云われる
名古屋の婚礼のルーツとなったとも。

今日、熱田神宮を出発したパレードが、
午後3時過ぎ、名古屋城に到着。正門前
で虚無僧に立っていて遭遇した。私も
パレードの一員と見られたか、お布施は
ゼロ。


マラソンの距離

2008-04-20 21:59:16 | 社会問題
マラソンの距離は?42.195km。「シ二イクかくゴ。
死に行く覚悟」だ。「古代ギリシャのマラトンの
戦いで、アテネの勝利を告げに兵士が走った距離」
というのが定説と思っていたら、
あにはからんや、1908年のロンドン・オリンピック
の時の距離だそうだ。その理由は、時の王妃アレキ
サンドラの注文で、スタートがウィンザー城の中庭、
ゴールが競技場のロイヤルボックス前とされ、その
距離が42.195だった。正式決定はパリのオリンピック
からという。インターネットはためになる。

落書き

2008-04-20 21:28:37 | 社会問題
国宝・善光寺本堂、6カ所に落書き 白いスプレーで(朝日新聞) - goo ニュース
鳥取砂丘の落書き、京都、奈良の寺院の
落書きに続いて善光寺までもが落書被害。
内憂外患、中国の反発懸念より、落書き
する日本人をも敵に回して警戒しなけれ
ばならないとは。監視カメラは無いのかな。

幸せって?

2008-04-20 14:09:44 | 虚無僧日記
虚無僧の私を見て、「気の毒ね」「哀れ」
「仕事を世話しよう」とか。「お嫁さんを
世話しよう」とまで、いろいろ言ってくだ
さる。
ご親切はありがたいが、今私は十分幸せだ。
好きなことやって生かさせていただいている
のだから、感謝、感謝の日々。これでいい。

今日も「老人会」に呼ばれて、1時間ワン
マンショー。おひねりをいただいた。
虚無僧って芸人か?なんでもいい。こだわり
を捨てたら人生楽になった。

真如苑でご奉仕

2008-04-20 08:03:24 | 虚無僧日記
昨晩は、真如苑中京本部で御奉仕。
苑内の駐車場の「交通」のお役。
正門前は、車の往来が激しいので
「右折禁止」の掲示がしてあるのだが、
右折して入ってくる車があった。
その車は、大胆にも建物を一周して、
玄関前を通過して行った。掲示は
なくとも、「玄関前は通行禁止」は
暗黙の決め事だ。たぶん初めて来ら
れた業者の方の車だろう。信徒ではない。

「交通」の係りであっても、そうした
行為に注意はしない。
真如苑の教えは「決して人を責めない、
咎めない」。人が人を責め、咎めれば、
相手は“不快”な思いをする。総ては
御仏のみ心。そうした情景を見させて
いただいて、わが事と心に納めればいい
のだ。

無駄に動かず、口もきかず、じっと立ち
尽くすのが駐車係りのお役。これって
「虚無僧と同じ修行」だと気づかされた。

私はなぞの新之助

2008-04-20 07:44:36 | 虚無僧日記
今朝の中日新聞の占い「どこから来て、どこへ
行くのかを悟って達観すべし」とあった。
今日は、先日会った方から、虚無僧について
レクチャーを求められている。正直にしゃべり
すぎないようにしよう。虚無僧は“謎”めいて
いた方がいいか。

私の以前の芸名は「花園新之助」。花園は臨済宗
本山妙心寺のある地名だが「(私)は謎の新之助」
と読ませる。クレヨンしんちゃんのパクリ。

どこから来たの?

2008-04-20 07:43:13 | 虚無僧日記
虚無僧で回っていると、よく「どちらから?」
と聞かれる。最初の頃は「中村公園です」など
と正直に答えていた。相手はどうも納得しない。
後でわかった「どちらのお寺ですか?」と尋ね
られているのだ。虚無僧には寺はない。一応
京都東福寺内の塔頭善慧院さんに寄宿するカタチ
で「明暗寺」が法人登記はされているが、そこに
虚無僧が常駐しているわけではない。ペーパー
宗教法人なのだ。

そんなことをいちいち説明するのは難しい。
「東福寺内の明暗寺です」というと、みなさん
納得される。何もいわないのが謎めいていて
一番いい。『洞三頓棒』だ。
これからは、「どちらから?」と問われれば、
「向こう(無効)」と尺八で示すか、「あの世
(あのヨウ)」とでも答えよう。