現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

偽坊主

2008-04-27 21:56:54 | 虚無僧日記
目つきの悪い40前後の作業服の男が近づいてきた。
天蓋に手をかけて「にせ坊主!」と怒鳴ってきた。
昔ならお手打ちものだ。天蓋はカンタンには取れない。
以前取られたことがあるので、厳重にしばっている。

後ろで束ねた髪を見せて「坊主に見えますか?」と
「勤行できるのか?」「すべては尺八で」
「托鉢なら鉢を持ってなきゃいかんだろ?」
「はい、鉄鉢(テッパツ)の代わりが、この偈箱です。」
と、いちいち反論したいところだが、じっとこらえて

「顔、見たいですか?」と云ったら
「見たくねぇ」と手を離した。
「勤行できるのか?」 尺八を見せただけ。
「托鉢なら、鉢はもってなきゃ」 偈箱を手で示す。

これで、彼は首をかしげて行ってしまった。
『無言の行』成功!


GWスタート

2008-04-27 21:45:48 | 虚無僧日記
4/27(日)今日から、ゴールデンウィークのスタートと
あって、さぞかしの人出かと思いきや、地下鉄も、
名古屋駅も栄もガラすき。昨日のものすごい人出は、
名古屋から脱出する人の群れだったのだ。
藤の花満開という名古屋城にいってみた。人影は
まばら。先客がいて篳篥(ヒチリキ)の練習をしている。
仕方なく名古屋城をトボトボ一周して、栄に出る。
ここもいつもの半分。交差点で立っていると、中国
人の一団に取り囲まれた。一人ひとり私の傍らに
立って写真を撮る。中には喜捨するところを撮って
とばかりに、偈箱に次々と小銭を入れる。後で見たら
1円玉が8個。それでも中国人から喜捨いただくのは
2回目か。中国も富裕層が1億人を突破したとか。
2,3時間で100人近くの中国人を見る。とにかく増えた。
日本人の減った名古屋の街に中国人があふれていた。

一点集中 つづき

2008-04-27 14:19:12 | 虚無僧日記
名古屋駅のJR桜通り口に、毎晩立って50日。
そろそろ、「あそこに行けば虚無僧に会える」
という噂が立ってきた。

以前は、新瑞橋、大須、大曾根、栄と、場所を
変えていた。その成果か、「名古屋には虚無僧が
多い、あちこちで見る」というブログもあった。

さて、どちらがいいのか。

ところで、中高年世代は、「昔はよく来た」と
言う。虚無僧が門付けに来たのだ。それは、
昭和30年代のことのようだ。その頃、大抵の
人が見たというからには、どのくらいの人数が
いたのだろう。虚無僧といっても本業をきちん
と持ち、趣味でやる“日曜虚無僧”がほとんど
なのだが。

当時の尺八人口は10万人と推定される。その1%
として虚無僧は全国で1,000人位か。名古屋では、
本家本元の西園流があるので、100人位はいたの
だろうか。

100人が、日曜日に市内を回る。それが、多くの
人に「虚無僧」を認知させる成果となった。
私は今、100人分働かなくては、と思っている。
このままでは『尺八と虚無僧の文化』が廃れる
からだ。


一点集中

2008-04-27 13:59:54 | 虚無僧日記
【コラム】 同一エリアの同業集中はホントに相乗効果があるの?(R25) - goo ニュース

その昔、東京の山手線駅前などに、ルノアールという
喫茶店が何軒もあって、経営者の戦略がTVでも取り
あげられた。一点に集中していることで、効果は高いと。
各店舗を抜き打ち点検するのにも、一日で多数臨店でき
るからいいそうな。あのルノアールは今もあるのかな?

たしかに、コンビニか並んでいる。無い所には全然無い。
しかし開店と廃業が著しいことに気づく。ある運送業者も、
「コンビニのおかげで儲けさせてもらってます」と。つい
この前、新規開店で、看板を運んだら、もう引き取りで、
忙しいのだそうだ。


宮崎で思い浮かぶもの

2008-04-27 13:44:55 | 社会問題
宮崎県と言えば浮かぶものランキング(gooランキング) - goo ニュース

私も昨年、宮崎へ旅してきた。高千穂峡の土産品の
天照大神の顔も、日南のモヤイ像のレプリカも東国原
知事の顔。先日は名古屋の三越にも、マンゴーの
キャンペーンに。精力的にトップセールスしている。

「そのまんま東」の前のコンビ名が「ツーツーレロレロ」
と知って、ますます親しみがわいた。尺八の音名なのだ。
尺八界も「どげんかせんと」である。一路会会主として
連日毎晩デモンストレーションしているのだが。さてはて
経済効果は、東国原知事の1億分の1。もっとがんばろう。

JR西日本の体質

2008-04-27 13:29:50 | 社会問題
安全を最優先、遺族ら過半数「思わない」尼崎JR脱線(神戸新聞) - goo ニュース

昨年6月3日、和歌山県の新宮に行った。
帰り、2時台の臨時に乗ろうとして駅の改札口で
切符を求めたら、「臨時なんか無い」という。
仕方なく5時まで、3時間も駅舎で待つことに。
ところが、売店で買い物をしている間に、その
臨時列車が来て、発車してしまった。すぐ抗議
したが、それでも「無い」「間違いです」と言い張る。
帰宅して、時刻表やネットで確認しても確かにある。
6月1日でダイヤ改正で初めての臨時列車だったから
駅員は認識していなかったのだ。

JRに苦情を言おうとしたら、「メールでしか受け付け
ない」と。そこで、パソコン嫌いの私が、弟子から
パソコンを譲ってもらって、初めて、おっかなびっくり
メールを送った。
しかし、ナシのつぶて。結局、謝罪も何も無かった。

梅原猛も、この福地山線事故の直後、これに関連して、
京都駅ビルのコンペのことで、中日新聞に激しくJR
西日本の体質を批判していたが、これについても、JR
西日本はなんら反論も謝罪もせず。“蛙の面にションペン”。

ま、JR西日本のおかげで、私はこのブログを開く
までになり、“怒り”の心を取る修行もさせてもらえた。
感謝感謝????。


虚無僧日記 4/26 (土) その2

2008-04-27 10:07:55 | 虚無僧日記
雨はまもなくして小降りになったので、また
JR駅前に立つ。1人の小柄な外人が、足を
止めた。一眼レフのカメラを大事そうに取り
出して、しばらくパシャパシャと何枚も撮る。
そして最後に近づいてきて、丁寧に頭を下げ
1,000円入れてくれた。外人は大勢通る。皆
無関心か、無遠慮にデジカメで撮っては、行
ってしまうのに、お布施までいただいたのは
3人目。
聞いてみた。「ブラジル人で日本に来て4年」
?の割りにはカタコトのたどたどしい日本語。
「すごい、すばらしい」を連発してくれた。

夜になって、けたたましい音楽が聞こえてきた。
南米から来ているフォルクローレのグループだ。
松坂屋前の歩道にPAをセットして、四方に響き
渡る大音量で演奏する。上手い。だが立ち止まっ
て聴く人は少ない。名古屋ではストリートミュー
ジシャンに投げ銭をする習慣はない。CDなら
買う。「カタチの無いものにゼニは払わない」
名古屋なのだ。ところが、近くでしばらくその
演奏を聞いていた私に、3人も喜捨してくれた。
「仏教国名古屋」だ。

虚無僧日記 4/26(土) 1 松坂屋

2008-04-27 09:45:17 | 虚無僧日記
午後3時から名古屋駅に出る。ものすごい人。
人の波に酔いそうになる。風も強い。雨も降って
きたので、ちょっと休憩と、地下にもぐりこむ。
松坂屋に通じる、ほとんど人通りのない通路が
あるのだ。だが、監視カメラでもあるのだろうか、
しばらくして松坂屋の職員?がやってきて、
「ここは困るんだけど」と、高飛車に言う。
誰も通らないし、迷惑はかけていないのにだ。
以前にも、立っていただけなのに、警備員が
やってきて、『誰の許可とって立ってるんだ』と
怒鳴られたことがあった。
 
名鉄デパートの敷地内で尺八を吹いていた時は、
名鉄の警備員は「ここは名鉄の敷地内ですので、
どうぞあちらでお願いします」と、丁寧だった。

同じことを注意するにも、言葉の遣いようがある
と思うのだが。わが事に置き換えて気をつけよう。


虚無僧日記 4/25(金) 

2008-04-27 08:59:25 | 虚無僧日記
花金。給料日の所も多いせいか、昨日と
打って変わって、名古屋駅前はものすごい人。
これだけ多いと、1人位は尺八吹きがいるもの
だ。この日は2人の方から声をかけられた。

まず、階段に座ってしばらく聞いてくれた方。
数曲終わったところで、近寄ってこられ「私は
琴古流をやってます。聞かせていただきました」
と1,000円。福井から来られたとのこと。

結構、県外から来られた方が、「珍しいものを
観た」と、関心をもって高額布施してくださる。
名古屋人はもう虚無僧に慣れっこになってしま
ったかな、無関心。

帰りがけ駅構内を歩いていると、平行して歩いて
いた方が「私は都山流です」と。「琴古、都山、
現代曲もなんでも吹きます」というと、
「京都の寺では、歌謡曲なんか吹くと手を切り落
とされると聞いたけど」と。おぉ恐ろしや、おそ
ろしや。今の明暗寺のご住職はそんな怖い方では
ない。包容力のある方だ。


虚無僧日記 4/24(木)

2008-04-27 08:30:39 | 虚無僧日記
この日は、久しぶりに手が凍える寒さ。
足の先まで感覚なくなる。人通りも少ない。
家路を急ぎ小走りに通り過ぎていくので
お布施も0。

藤本さんが来た。「こんにちは、また歴史の
勉強しましょう」と、
「足利義教は1394年、一休さんと同じ年の
生まれで、1441年47歳で赤松に殺された。
一休は1394年から1481年・・・・・・」と、よどみ
なく続く。生歿年までスラスラ言えるのには驚く。
テレビでも、目で見た数字はすべて記憶して
しまうという超能力者を観た。

つづいて笛吹きさんが来た。寒い中、ちょっと
離れてしばらく聞いてくれている。そして切り
のいいところで近づいてこられ、喜捨いただいた。
「今度白川公園で吹きましょうよ」と。
彼は“龍笛”を白川公園で練習しているという。

こんなやりとりでも体が温まる。明日も来よっ。