現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

大島 渚 監督 『愛のコリーダ』観ました

2013-01-16 11:50:05 | テレビ・映画・芸能人
大島渚さん死去 世界の“オオシマ”最後まで映画へ執念 半身マヒをリハビリで克服(産経新聞) - goo ニュース

昨日、NHKのラジオニュースで、女性アナが「映画“俳優”の
大島渚さんが亡くなられました」と報じていた。「はて?、
大島渚は 俳優もやっていたのか」と、ネットで検索してみれば、
松竹に入社した時からずっと監督でした。

「権力や体制への反骨者、日本映画界の鬼才」と評される
「大島渚」監督。最大の功績は、『愛のコリーダ』の性描写を
めぐって法廷で戦い、無罪を勝ち取ったことで、ポルノ解禁への
門戸を開いたということでしょうか。

昭和51年当時、日本国内では、性描写は“ご法度”で、
『愛のコリーダ』は、フランスで撮影し?、フィルムを現像し、
編集されたので、正確には「フランス映画」なのだそうな。

実は私、何を隠そう、グアムで「オリジナル版」を見たので
あります。まだ新婚まもない私と妻は、グアムに箏・尺八の
演奏に行きました。そこで「グアムの映画館で、『愛のコリーダ』を
上演していて、日本人観光客のツアーの目玉になっている」と
聞かされ、バスで郊外の小さな映画館まで連れていかれました。
当時のグアムは、まだ日本からの旅行者も少なく、ホテルも
店も全部英語でした。

アメリカ人からは「ヘイ、ジャップ!」と唾を吐きかけられたり
随分怖い所でした。とにかく日本人は団子になっての団体行動です。

映画館の観客は「日本人」だけ。現地の人もポルノは 法律で
観れないとのこと。つまり「日本人観光客」のためだけに
上映していたのでした。

さて、“期待して?”観たのですが、まったくの“期待はずれ”。
ヘアーがちょっと見えただけ。ヘアーぐらいなら、今は週刊誌でも
氾濫してます。

まそんな時代でした。

それよりも、私の関心事は、この『愛のコリーダ』のテーマ
音楽が、なんと「三木稔」の「尺八三重奏・ソネット」でした。
そして私の尺八の最初の師である「古賀将之」氏が、宮田耕八朗、
横山克也とともに吹いているのです。もう、あのメロディだけが、
今でも鮮明に記憶されています。


その後に製作された『愛の亡霊』も「カンヌ国際映画祭」で
「最優秀監督賞」を受賞したとかで、フランスでは評価の高い
「大島渚監督」ですが、『戦場のメリークリスマス』も
最後の作品『ご法度(はっと)』も、私には、意味不明です。

観賞能力が足りないのでしょうか。


ビデオコンテストの受賞歴

2013-01-16 10:30:07 | 私の尺八遍歴
今年、NHKは「テレビ放送開始60年」だそうですね。
あれは 1985年(S60)年でしたか、NHKが放送開始60年を
記念して「アマチュア・ビデオ・コンテスト」を行った時です。

応募作品 1000点以上の中から、私の作品『あつ~い夏』が、
ドキュメンタリー賞の大賞に選ばれました。賞金は「60周年」に
因み「60万円」。これは「美空ひばり」並みの、NHKで
出せる最高額と言われました。

作品の内容は、小学校5年生の娘が、中学受験のために、
夏休みも毎日、早朝から勉強をし、昼は進学教室に通い、
夜遅くまで勉強にあけくれるという一日を追ったもの。

当時は、進学教室にも家にもクーラーなんかありませんでした。
扇風機を回しながら、汗を拭きふき、母親に叱られながらの
勉強、勉強。涙あり、ずっこける笑いあり。まだあどけない
10歳の女の子の姿に、司会の松田アナウンサーも審査員の
「草柳大蔵さん」、「山田洋次監督」も、目に涙を浮かべ、
笑い、そして「“受験戦争、受験地獄”を みごとにえぐり
出した」と絶賛してくれました。

翌年も「ビデオコンテスト」があり、私は「ジョン・
海山・ネプチューン」の一日を撮った『ザ・スーパー
尺八』を出し、「優秀賞」となりました。

その時のディレクターがなんと「神(じん)正」氏。
「神如道」のご子息で、今はNHKを退社され、
「2代目 神如道」として「古典尺八」の継承と
普及に努めておられる。また、そのご子息が「神令」君。

審査員が、こそっと教えてくれたのは「あなたの作品は
できすぎ。このままNHKで放送できる。これでは
『アマチュア・ビデオ・コンテスト』のレベルを
越えていて、他の人との手前・・・・」でした。

(過ぎたるは 及ばざるがごとしぃ~)

「懸賞小説」落選、ザンネン

2013-01-16 09:45:15 | 虚無僧日記
懸賞小説「ショートストーリーなごや」の審査結果が
発表された。私の作品は“落選”。残念無念。過去、
絵画のコンクール、ビデオ作品、邦楽コンクールと、
すべて入賞してきただけに、“落選”という屈辱を
味わったのは人生で初めて。それだけにショックは
大きい。

募集要項は、「名古屋を舞台としたショートストーリー。
有名な観光地は もちろん、あまり知られていない魅力的な
場所や、日ごろ見かける道、河、 路地裏、公園 など、
自分だけのお気に入りの場所。名古屋の魅力を発見し、
広く発信するため ...」

私の作品は「虚無僧が殺された」というオドロオドロしい
内容だから、たしかに「名古屋の魅力を発見し、広く
発信するため ...」という趣旨にはそぐわなかったかも。

しかも、入賞作品は「映像化」され公表される。私の
小説のラストは「なごや・どまんなか祭」で「虚無僧
踊り」を踊るというもの。何万人が集まる「どまんなか
祭り」を、映像のために再現するのは無理かも。

かくなる上は「なごや・どまんなか祭り」に、実際に
「虚無僧姿」で出演し、「ノンフェクション」作品に
するしかない。やろまい、やろまい。

懸賞応募作品『虚無僧踊り』

2013-01-16 09:28:47 | 虚無僧日記
「ショート・ストーリーなごや」に応募した、私の作品は
『虚無僧おどり』。内容は

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
主人公は、もうすぐ20歳になる 大学1年生の「夏美」。
来年の成人式に着る振袖を選びに、祖母が働く「貸衣装屋」を
訪ねる。その途中で「首塚」という幟(のぼり)旗を見つけ、
ギョッとする。石の柵の中には小さな社(やしろ)が見えた。

「気味悪い」と足早に去って、店に飛び込み、祖母から
いろいろ着物を見せてもらい、選びながら、「首塚」の
ことを聞くと、「昔、虚無僧が殺されたのだ」という。

半年が過ぎて、いよいよ着物を借りにいく途中、また
「首塚」の前を通ると、尺八の音が聞こえてくる。
またまたギョッとして近づいてみると、虚無僧が尺八を
吹いていた。その姿になんとなく魅かれる。

そして成人式も無事終わり、夏美は「虚無僧」について
興味を持ち、古書店を営む叔父さんに聞きにいく。
叔父さんは、夏美が「虚無僧」について関心を持った
ことに驚き、詳しくいろいろ教えてくれる。

そして「名古屋では東照宮の祭礼に呉服町の町人たちが
虚無僧の格好をして仮装行列に加わったこと。虚無僧は
武士に限るとか、尺八本曲しか吹いてはいけないという
掟があったが、名古屋には虚無僧寺が無かったため、
町人が自由に虚無僧の格好をしたり、俗曲を吹くことが
できた」というようなことを知り、夏美は、これもまた
名古屋独自の文化だと気づき、「なごや・どまんなか祭り」で
「虚無僧踊り」を踊り、虚無僧をアッピールしようと
企画する。そしてインターネットで仲間を募り、
天蓋などの虚無僧用具や衣装は、ネットを通じて中国に
発注し、安く調達する。音楽も、スタジオでシンセサイザー
で作ってしまう。

仲間の協力で、一大イベントを成し遂げた夏美は、その
仲間やノウハウを利用して、呉服店の再生に向かい、
経営者としての才覚に目覚める。

という話。これが入賞し、映像化されれば、虚無僧
ブームに火がつくと思ったのだが、火が消えてしまった。
次なる手を打たねば、虚無僧の文化は消滅する。