現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「アクセス1000件」維持するのに“あくせく”

2013-01-24 20:45:45 | ブログ
このブログを見ていただいている方が、今年に入って、
1日平均 1,000件になりました。181万ブログ中
300番台です。

12/30~ 1/ 5  7,887件 284位 
1/ 6~ 1/12 7,009件 390位
1/13~ 1/19 7,127件 379位


書いたブログ数は 5,000本を越えました。
本にしたところで、100冊も売れないでしょう。
ブログなら 1,000人もの方に見てもらえる、
ありがたいことです。

毎朝 3時にはガバッと飛び起きて、パソコンを開き、
昨日のアクセス件数をチェックし、一喜一憂しています。

カテゴリーに「八重の桜」を追加しました。

また「小説『虚無僧おどり』」もカテゴリーを立て
①から通して読めるようにまとめました。「ショート・
ストーリーなごや」に応募した作品は⑤までで、今、
それに書き足して、執筆中です。

「会津藩のこと」「わが家のこと」「虚無僧日記」
「社会問題」など、カテゴリーで選んで、見てください。

大ヒット「女子会 川柳」

2013-01-24 20:11:52 | 社会問題
サンケイ新聞の系列子会社「シティリビング」主催の
「シティOL川柳大賞」が本になって出版されました。
もう、大ウケ。抱腹絶倒。

まずは“オフィス”ネタ

・入社時は腰かけ 今は命がけ
・「調子どう?」あんたが聞くまで 絶好調
・「常識よ!」言ってるあなたが 非常識
・「至急でね」頼んだおまえが なぜ帰る
・「俺がやる!」その後始末 誰がやる?
・男より なでしこ優秀 オフィスでも

・病欠の電話済んだら 元気が出
・社内中 みんな知ってる でも「秘密」
・腐っても、使えなくても 正社員
・うちの部下 見ざる 聞かざる 気が利かず

・逆らわず、ただうなずいて 従わず
・ストレスは 仕事じゃないの あなたなの
・忘年会、私は あんたを 忘れたい

・気がつけば、癒し系から 威圧系
・十年目 部長が席まで 来てくれる
・ついにきた! 新入社員と 同じ干支
・会社とは それでもやっぱり 行くところ


・手をぬけない 昔は仕事 今メイク
・年々と 5分増えてく メイク時間
・寝坊した 朝食べずとも 眉毛書く

・名刺より 先に目がいく 薬指
・婚活で 出会った男 就活中
・やっぱりね 残りものには 訳がある
・仕分けされ 恋愛対象 外される
・年の差婚 部下がダンナに なる時代

・気取るのは 合コンよりも ザ・女子会
・合コンで 仲良くなるは 女子ばかり
・コンパ後 ランク付けする 仕分け人

・節約で 増えるストレス 増える肉
・きつくなる 目つき 性格 腹まわり

・「AKB」 知らぬ先輩 48(フォーティーエイト)

まったく、もう負けるワ。
これは中日新聞より「今日の一句」

「めんどうね、さびしがり屋で 孤独好き」

会津藩『家訓』 「婦女子の言は一切聞くべからず」!?

2013-01-24 20:11:25 | 「八重の桜」
『八重の桜』の第1回で、会津藩の『家訓(かきん)』も
取り上げられていました。

「一、大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。
  若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず 面々決して従うべからず」

第1条は、私も小学生の頃から諳んじていたものです。

これは藩祖「保科正之」が定めたもの。「保科正之」は
徳川三代将軍「家光」の弟であり、江戸幕府の大老格で、
幕藩体制を確立した名君と言われます。『天地明察』でも
出てきました。

さて、江戸幕府が、諸侯に訓示した『武家諸法度』では、
第一に「文武弓馬ノ道、専ラ相嗜ムベキ事」とあって、
「武」より「文」が先にきているのですが、会津藩では
「文」は無く、第ニ条が「武備はおこたるべからず」
なのです。

そして「上下の分を乱るべからず」「兄をうやまい、弟を
愛すべし」ですが、第四条に「婦女子の言 一切聞くべからず」と、
現代では とんでもはっぷんな条項がきます。

その後で「主をおもんじ、法を畏るべし」なのです。

これは、保科正之を「女嫌い」にさせた、ある事件が
あったからです。

それは、保科正之の継室「お万の方」が産んだ長女「媛姫」は
米沢上杉に嫁し、側室の生んだ四女「松姫」が、加賀の
前田家に嫁ぐことになった。「お万の方」は、側室の娘が
自分の娘より格上の大名家に嫁ぐことを妬んで、祝言の宴に
「媛姫」と「松姫」を招き、「松姫」を毒殺しようとした。
「松姫」付きの老女がそれを察知して「姉君よりお先に」と
「媛姫」の膳と「松姫」の膳を取替えた。それで「松姫」を
殺すはずが、わが娘「媛姫」を殺してしまったのである。
関係者は処刑され、「お万の方」は死は免じられたものの
一生幽閉されたという事件。

この一件で「保科正之」は「女の業」の深さに、つくづく
イヤ気がさした。そういえば、「正之」自身も、秀忠の
側室の子であり、赤子の時、正室「お江」によって
殺されかけたのでした。

会津藩では、三代「正容」の時にも、側室同士による烈しい
世継ぎ争いが起こります。この時の「側用人」だった、わが
先祖「牧原只右衛門」は、側室の怒りで、嫡子が早世し、
お家断絶の憂き目に遭うのでした。「女は怖い」。





「什の掟」が通用しない現代に生まれて良かった?

2013-01-24 20:11:01 | 「八重の桜」
『八重の桜』を見て思う。「什の掟」の7条「戸外で婦人と
言葉を交えてはなりませぬ」のはずだが、八重は男の子と口を
きいたり、「川崎正之助」とであった時、見ず知らずの人と
口を聞いておる。あれは、おかしい。そんなお固いことを
言ってはドラマにならぬか。

「什の掟」は、先年「藤原正彦」の『国家の品格』でも紹介され、
全国的にも知られるようになり、最近では、学校でのいじめなどが
社会問題化するなか、「あいづっこ宣言」として、会津若松市の
小学校で復活しているようだ。

信じられないでしょうが、会津では、つい40年前まで、夫婦でも
兄妹でも、男女で並んで町を歩くことはできなかった。新婚旅行などで
会津を訪れたカップルが 町を歩いていると、ジロジロ 見られ、
後を付回したりされたりして 異様な空気だった。私も、学生時代、
若い女性を 観行案内していたら、「どこの誰だ!」と、後を
つけてきたおっさんに咎められた。

「男女7歳にて席を同じゅうせず」で、妹とも、用件以外に、
おしゃべりをすることは絶対になかった。

であるから、私の場合は、長じて、「什の掟」なんてくそくらえ、
の反抗精神旺盛になってしまった。ある人のブログに「什の掟」など
通用しない(現代)の世の中に生まれて良かった。会津が滅びて
くれたおかげだ」なんて書いてあった。「什の掟」が通用していたら、
『八重の桜』で「八重」が男たちと話をするシーンは全部カットで
ドラマにもなりますまい。えがったなし。


「ならぬことは ならぬ」「鳴らぬものは鳴らぬ?」

2013-01-24 20:10:42 | 「八重の桜」
『八重の桜』第1回のタイトルは「ならぬことはならぬ」でした。

これは、会津藩の子弟の教育、「什の掟」の最後の一節。
「什の掟」と言っても「10条」ではなく「7つ」しかないのです。

「什」とは、「十」に由来して、軍や隣組の組織で、十人一組の単位。
と、また「什器、什物」というように、「日常の、ふだん用いるもの」
という意味も含んでいるようです。

会津藩では、6歳から9歳までの子弟は、10人ぐらいで「什」という
グループを作り、最年長者が「什長」となり、毎日「什の掟」を
訓示しました。

「什の掟」は7カ条からなります。

一、年長者の言ふことに 背いてはなりませぬ
二、年長者には 御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言を言ふ事は なりませぬ
四、卑怯な振舞をしては なりませぬ
五、弱い者をいぢめては なりませぬ
六、戸外で物を食べては なりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えては なりませぬ

そして最後に「ならぬことは ならぬものです」と唱和する。
私も子供の頃から教えこまれていました。


この「ならぬことは ならぬ」だいぶ、世間に知られてきたようで、
先日、新しい尺八のお弟子さんがみえて、なかなか尺八を
鳴らせず「鳴らぬものは、鳴らぬ」と。大笑いしましたです。はい。


『八重の桜』・「佐久間象山」

2013-01-24 20:09:43 | 「八重の桜」
『八重の桜』で、「佐久間象山」を演じている「奥田瑛二」も、
実物に似ていますな。一般に知られている顔ではなく、こちら
佐久間象山記念館」の肖像画は、まるで「奥田瑛ニ」です。
日本人ばなれした、ロシア人とのハーフのような顔でした。


「奥田瑛ニ」は、1994年のNHK大河『花の乱』では「一休」を
演じていました。その時からのファンです。
なんと「愛知県春日井市」の出身とのこと。

昨年、長野県松代に行った時、「佐久間象山」の生家跡に行って
きました。佐久間家は五両五人扶持の下級武士でしたが、敷地は
約300坪。母屋のほか槍・剣術場、学問所、硝石製造土置き場
などがあったといわれています。

松代へは「真田家」に伝わったという「八橋流筝曲」について
調べに行ったのですが、なんと、岸辺成雄著『江戸時代の琴士物語』に
よれば、「佐久間象山」も「七絃琴」や「一絃琴」も好んで奏でて
いたというではないですか。松代は そういう風土だっようですね。


嘉永4年(1851年)に江戸で大砲の演習を行ったが、砲身が爆発して
周囲から大笑いされた。しかし象山は「失敗するから成功がある」と
述べて平然としていたという。この事件を笑った落首。

「大玉池 砲を二つに 佐久間修理 この面目を なんと象山」。
「大玉池」は、象山の住む「お玉が池」に「おおたまげ」をかけた
洒落。

『八重の桜』 第3回 よがったなし。

2013-01-24 20:09:24 | 「八重の桜」
「山本八重子が会津戦争でスペンサー銃を」という記録は
あるが、たしかに、いきなり鉄砲を撃てといっても、撃てる
わけがない。ヤーゲル、ゲベール、スペンサーと、銃の仕組も
操作も玉も違う。鉄砲玉や火薬の製造も知らなければ、銃は
撃てない時代だ。八重が いつそれらを学び、鉄砲の練習を
積んだのか、『八重の桜』では、そのへんのことを丁寧に
描いている。

でもでもでも、安政元年(1854)、山本覚馬は26歳、八重は
17歳も年下で、まだ13歳。ちょっと早すぎないか?
川崎正之助は18歳。二人が結婚するのは、11年後の
慶応元年(1865)。戊辰戦争の3年前。この年「会津藩士」
として取り立てられ、「正之助」を「尚之助」と改名した。


藩主「松平容保」役の「綾野剛」。「徳川慶喜」役の「小泉
孝太郎」。二人共実物にソックリ。目が似ている。

「山本覚馬」役の「西島秀俊」、筋骨隆々、逆三角形の
みごとな体でほれぼれした。法蔵流の槍の試合も迫力あった。

以前、『宮本武蔵』で、武蔵と宝蔵院との試合のシーンが
あったが、全然気迫が違う。今回、「八重の桜」にかける
製作陣と役者ともどもに、並々ならぬ気合が伝わる。


ところで、会津藩士は、羽織の紐で職格がわかるように
なっていた。

最高位は「納戸紐(グレーがかった藍色)」で、家老、若年寄・
奉行、番頭・物頭などが該当する。「西田敏行」演ずる「西郷頼母」は
この「納戸紐」。これを紐制・襟制という。

以下「黒紐」「紺紐」「花色紐」「茶紐」「萌黄紐」「浅葱紐」と
なる。「山本覚馬」は「武芸指南役」だったとすると「花色」。
あの「水色」の羽織紐はおかしくないかい?

知行取りの「士分」といわれるのは「花色紐」以上で、藩主に
単独で謁見できるのは「茶紐」以上である。

『八重の桜』の「西郷頼母」役に「西田敏行」

2013-01-24 20:08:38 | 「八重の桜」
NHK大河ドラマ『八重の桜』。会津藩家老
「西郷頼母」役の「西田敏行」さん。

「西田敏行」さんは、福島県の中央、会津の
東隣りの郡山(こおりやま)の出身で、震災の
被災地を勢力的に回り、支援していました。

今回、会津藩家老「西郷頼母」を演じることで、
「福島県に 美しくも雄々しく、見事に幕末を
生き抜いた人たちがいるということを全国に
知ってもらうよい機会になる。今、失いかけて
いる福島県人としての矜持(きょうじ)を取り戻して
いただくきっかけになればと思います」との
メッセージを発表されました。

「西田敏行」さんは 1986年の年末時代劇の
『白虎隊』では、会津藩の末席家老「萱野権兵衛」を
演じました。「萱野権兵衛」のイメージが抜けないのは、
私だけではないようです。(そんな感想文がありました)。
今年は筆頭家老ですから、末席家老からトップへの
昇進です?

「西郷頼母」は「三尺達磨」や「豆彦」の異名をとる程
背が低くかったといいますから、全くイメージが
異なります。それに、八重の兄と同年の24歳だし・・・。

「西郷」と言えば、官軍の総大将も「西郷隆盛」。
「西田敏行」さんは、1990年(平成2年)の『翔ぶが如く』で
「西郷隆盛」役を演じています。当時、福島県人が
「西郷隆盛」をやることについて、会津の友人に相談したところ、
「長州は駄目だが、薩摩ならいい」と言われたので、
出演を引き受けたとか。

会津の「西郷頼母」と薩摩の「西郷隆盛」は、共に
先祖は「菊地一族」といい、同祖らしいのです。

「西田敏行」さんの はまり役は『坂の上の雲』の
「ダルマ宰相・高橋是清」でしたね。


余談ですが、会津藩家老「萱野権兵衛」の先祖は
伊予松山の出で、「権兵衛」は先祖代々受け継ぐ名。
字(あざな)は「長修」。音読みすれば「長州」なのです。
もう一人の家老は「田中土佐」。そのまま「土佐」です。




『八重の桜』 第2回 「なんのために鉄砲さ撃つ」

2013-01-24 20:08:07 | 「八重の桜」
「山本八重がなぜ 鉄砲や大砲に習熟していたか」について
説明した出典史料を私は知らない。「砲術家の家に生まれたから、
(自然に)身につけた」という記述しかない。それを、脚本家の
「山本むつみ」はみごとにドラマにしている。

『八重の桜』第1回、2回で、父母から厳しく反対されて
いるように、たしかに「女が銃を撃つ機会なんか無い(はずだった)」
「鉄砲を習って何になる」「何のために鉄砲を撃つのか」という
問いがあったはず。鉄砲は人の命を奪う道具だ。当時はまだ
「飛び道具とは卑怯なり」の時代だった。

事実、会津籠城戦で中野竹子らが薙刀を持って出撃せんとした時、
山本八重は加わらず、中野竹子から「卑怯者」呼ばわりされた
とか。八重は、「薙刀で鉄砲に向かうは無謀」と思っていたし、
あくまで「狙撃」で戦うべきと心得ていたのだ。子供の時から
鉄砲の威力を見て、鉄砲があれば女でも強くなれる、勝てる」。
「女が強くなるために鉄砲を持つ」と思っていたことだろう。


さて、今アメリカでは相次ぐ銃乱射事件に備えて、女性も
銃を持つことがブームになっているとか。ピンク色した
女性用の銃など、女性向けの銃がゾクゾク売れているそうな。

「銃があるから事件が起きる」のか「銃で武装すれば
事件は起こらないのか」。核兵器と理屈だ。

全米ライフル協会は「銃規制」に反対し、「銃が人を
傷つけるのではない、人が人を傷つけるのだ」と反論
している。「銃を持っていれば、殺されることはない」。

山本八重も同じだったかも。

ところで「山本八重」と「山本むつみ」、同姓だ。
それだけに「むつみ」には「八重」が乗り移って、
八重の心情が読めるのかも。




『八重の桜』 出だし好調

2013-01-24 20:07:26 | 「八重の桜」
6日に放送されたNHK大河ドラマ『八重の桜』の
初回の視聴率は、関東地区で21.4%だった。
大河の初回としては、前作の「平清盛」の17.3%を
はるかに上回った。 ドラマの舞台となる福島地区は

名古屋地区は20.5%でござった。会津8代藩主
「容敬」と9代「容保」は共に、美濃高須家の出。
「容保」は 尾張徳川義勝の実弟でござる。名古屋の
人も応援してちょ。

山本八重の最初の夫として登場してくる「川崎尚之助」は
兵庫県豊岡市出石の人であったとは、出石の人も知らなかった。
大河ドラマ『八重の桜』を機に、出石町では「川崎尚之助」を
顕彰し、石碑を建てるとか。

幕末、会津藩は、樺太、蝦夷地に引き続き、房総、
三浦三崎、そして京都の警備に付いていました。
それぞれ縁(ゆかり)の地でも“町起こし”に どんどん
『八重の桜』を利用して、盛り上げてもらいたいもんだ
なっす。