現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

おやじ日本の会

2008-04-29 05:42:51 | 心の問題
ラジオで紹介していたので、ネットで「おやじ日本」の会を
ひいてみた。トップページに書かれているメッセージ。
  子どものつぶやきに耳を傾けよう
  子供の学校へ出かけよう
  口下手でもいい、思いを伝えよう
子供に対する犯罪、いじめ、不登校問題に、父親も向き合おう
という運動だ。

下伊那郡松川町に尺八家の児玉さんを訪ねて行った時のこと、
日曜日なのに小学校に行くという。今日は父親と触れ合う日で、
父親達が子供達に竹細工を教えるのだという。竹で尺八を作って
いる児玉さんの出番だ。
私も付いて行った。
全校生徒わずか26人に先生8人。これ以上生徒数が減ると
学校閉鎖になる。そこで、生徒数を増やす試みとして、町あげて
都会からの移住者を募集しているとのこと。それに応募して、
児玉さん一家も東京から移住してきたのだ。
偶然か、ここには尺八を吹く仲間が3人も集まっている。

児玉さんの家に泊めてもらった。古い農家を改造してなんとか
住めるようにしたもの。風呂は薪、水道は川の水を汲み上げた
簡易水道。トイレはポッチャントイレ。とにかく都会の便利さ
はない。でも家族の暖かさがある。東京育ちの奥さんも言う。
「別に不便は感じない。子供たちのために、何よりも自然が大切」
と。忘れられたニッポンがここにはあった。

家族の絆

2008-04-29 05:40:50 | 社会問題
家族のきずな「弱まった」9割…読売調査(読売新聞) - goo ニュース

「家族の絆を大切にしたい、深めたい」と願う人が98%なのに、
「家族の絆が薄くなっている」と答えた人が89%。ほぼ同数。

以前別の調査でも「夫婦、家族仲良く暮らしたい」という人が
8割なのに、「うまくいってない」という人が6割。
今や3分の2の家庭が、離婚、家庭崩壊の危険を孕んでいると。

そんな危機感を反映してか、実践倫理宏正会(朝起会)や真如苑
などの活動が活発になってきた。朝起会では“愛和”。真如苑
では“和合”。いいことだ。離婚している私が言うのは変か?
離婚したからこそ、身に沁みてわかる。今朝家族の夢をみた。

格差社会は自由の代償

2008-04-28 21:41:49 | 地球人類の問題
『素晴らしき哉格差社会-格差社会は自由の代償』 
 清水草一著 扶桑

書評を読んで、これは私のことだと思った。
「格差社会は本当に不幸か?」という問いかけで
さまざまな業種のトップと最下位レベルの人を取材
し対比してみた。
その両極者を取材してみて、「絵になる豊かさ」は、
簡単に見つかるのに、「絵になる貧困」は、なかなか
お目にかかれない。
自己破産した人間から、どうも悲惨な香りがしない。
ズボラな性格のため、将来を不安に思う様子もない。
おおらかにまったりと生きている。

対して、六本木のヒルズ族。数千万、数億という額の
買い物を平気でやってのける。でも「自己破産経験者」
とは違って、飢餓や焦りが見て取れた。多くの成功者には、
成功し続けるしか道がないからだろう。

ベンツがバカスカ売れる東京都港区と、軽自動車保有率が
高い高知との比較でも言えるが、比較すること自体の意味が
ない」と。

そうだ、その通りだ。
「不況、倒産、リストラ、自己破産」の波に乗って、
私の所にも、テレビや新聞各社が取材に押しかけてきたが、
当の本人は、あっけらかんと、自由を謳歌している。
記者はみな思惑と違って戸惑っていた。

この著者がいうように、「格差社会は“何をやっても
許される自由の時代になった代償”」なのだ。
虚無僧もその良い一例ではないか。
私は時代の最先端を生きているのだ。ヤッホー!

リストラの歌

2008-04-28 21:39:52 | 筝尺八演奏家
梶田昌艶先生は天才箏曲家だ。何でもすぐ筝歌にしてしまう。
10年前、私が保険会社をリストラ退職し、どん底の生活をして
いた時、サラッとこの歌を歌って笑わせてくれた。

    リストラの歌

 どうでもいいじゃないか どうでもいいじゃないかよ
 からだが元気であればいい とはいうものの とはいうものの
 お金が欲しいよ おうちもほしいよ あーぁ あーぁ
 どうでもいいじゃないかよー
  
 どうでもいいじやないか どうでもいいじゃないかよ
 おにぎりひとつあればいい とはいうものの とはいうものの
 友達欲しいよ 家族もほしいよ あーぁ あーぁ
 どうでもいいじゃないかよー
  
 どうでもいいじゃないか どうでもいいじゃないかよ
 あの夢この夢あればいい とはいうものの とはいうものの
 今更なんじやらほい 世の中なんじやらほい あーぁ あーぁ
 どうでもいいじゃないかよー   
 
どうでもいい、気にしない 気にしない 平気へいき
梶田昌艶先生は、平成の、いや昭和の一休さんだ。

          

 
 
 


それってボクのことか?

2008-04-28 21:12:26 | 虚無僧日記
山一初め大企業の倒産が相次ぎ、リストラが騒が
れていた頃、国会の〇〇委員会で、こんな討論が
されたそうな。
「企業の倒産、リストラで大量失業って騒ぐけれど、
失業した人がパチンコして遊んでいるじゃないか」
というくだりで、「尺八吹いている奴もいる!」と
いうヤジがとんだ。

話しの流れは、失業者もニートも引きこもりも、親
の年金で食べていけている。親世代の年金が多すぎ
る」というものだったが、「尺八吹いている奴」と
は、どうやら私のことらしい。
「会社倒産、失業、虚無僧に」という内容で、私は
結構、新聞各紙やTVで紹介されていたので、それ
を見ての発言だろう。
たしかに親世代の年金は良かった。私の年金は、
勤続年数も短いので、半分になる。2月4日で60歳に
なったので、厚生年金受給の手続きをした。金額は
月々10万ちょっとのようだが、支払は数ヶ月後先
とのこと。お役所仕事じっやのう。気長に待ちます。




尺八は年寄りが吹くもの?

2008-04-28 21:11:50 | 虚無僧日記
『村の船頭さん』という歌があった。

「村の渡しの船頭さんは、今年60のおじいさん。
 歳はとってもお船を漕ぐ時は、元気一杯櫓が
 しなる」

60は「おじいさん」なのだ。

尺八は年寄りの吹く楽器だと思われている。
「歳をとっても吹ける楽器なのだ」と自慢
したいが、「年寄りの楽器」のイメージは
払拭し難い。
10歳から始めて50年。自分もその年寄り仲間に
はいった。「年寄りの吹く楽器」と思われ
ないよう、60になったら、演奏活動をやめ
ようと思っていたが、まだやめられない。
執着している。「日暮れて道遠し」どころか、
「日暮れ」とは思っていない。今“人生物差し”
の午後2時。真っ盛りだ。

(「物差し」とは古いネ)

ありがとう

2008-04-28 21:09:59 | 心の問題
「ありがとう」の語源は「有り得難いことへの感謝」とか。
「原典は法句経に『人の生を享くるは難く やがて死すべき
もの。今いのち有るは、有り難し』と有り、当たり前と思える
事にでも、感謝の気持ちを表す言葉として『有り難し(ありが
とう)』になった」と、ネットの書き込み。

「相手の親切に対して“めったにない”よりも、自分が親切に
してもらえるなんて“めったにない”。だから「ありがとう」。

どこぞのキリスト教関係の幼稚園で「“有難う”は仏教用語
だから使わせない」とか。「“いただきます”も使わせないで」
とモンスターペアレントからのクレームもあった。偏狭なことだ。

朝起会では「有難うは『難有り』です。『難(なん)有って
ありがとう』苦難にも感謝。苦難福門です」と、難解釈。
なるほどではある。交通事故、病気、起きた不幸にも、気づか
せていただいて『ありがとう』と感謝。

虚無僧の私も「会社が潰れてくれたお蔭で、虚無僧になれた」
と「暗を明に変える“明暗”の術」を、講演のテーマにしている。

ありがとう

2008-04-28 16:45:45 | 虚無僧日記
「ありがとう、ありがとう」の言葉は、一日に
何回言ってもいい。「一日十回 ありが十(とう)」

「『有難うは難有り』難有ってもありがとう」
災い転じて福となる。気づきをいただいて
大事にいたらず、ありがとう。

「ありがとうちゃん、かねがねぇちゃん。
   カネカネカネカネその日暮らし(蜩)」
また“ニコヨンしんちゃん”のマイナスギャグを
言ってしまった。

「かねがね金がねえ」なんて言っていると、
ホントに無くなる。月末支払で、通帳の残高
数字は増える一方。

このマイナスをプラスに転じるには、ピンチは
チャンス。今日も、たくさんの出会いを期待して
町へ出よう。何回「ありがとうございます」と
いえるかな?




元気が出る今日のことば

2008-04-28 09:57:02 | 虚無僧日記
『元気が出る!今日のことば』
「プチ紳士を探せ!運動事務局」発行。
編集人は志賀内泰宏
http//www.giveandgive.com
代金は「いくらでも」というので100円で
求めた。今日28日の言葉は

『成功は手段、幸福は目的』注釈に
「成功しても幸福でない人がいます。
 失敗しても幸福な人がいます。
 成功も失敗も、人を幸せにする手段」と

なるほど、私にとって“尺八”は、幸せを
得るための手段にすぎないのだ。
尺八が下手でも、吹けるだけで幸せを感じて
いる人もいる。上手くたって幸せと感じなけ
ればダメということか。

「踏み分ける麓(ふもと)の道は多けれど、
            同じ高嶺の月を見る」

私の好きな一句だ。私は「虚無僧一路」。尺八に
一路邁進だが、ゴールは高嶺の上に照る月。皆
やっていることは違うが、見ているものは同じ月。


明るい虚無僧 1

2008-04-28 09:39:34 | 虚無僧日記
はい、お馴染みの“明るい虚無僧”です。

「明るいナショナル」お馴染みの
『ナショナル』の名も消えるとか・・・」

ホラホラ、すぐマイナーな話になってしまう。
“明るい虚無僧”は、過去にこだわらず
前向き前向き。
「“前向きに”と、駐車場でも励まされ」
(第一生命の「さらりーまん川柳」入選作品から)

『前向きに駐車してください』と書いてあっても
バッグで後ろ向きに停める私である。後ろ向きに
停めると、塀の向こうの住宅に排気ガスが行くとか、
植木が枯れるとか、迷惑を及ぼすのだ。このように
気が付かずに、他人に迷惑かけていないか。心配り
するべし。

とにかく、人生『前向き』に、「昨日を悔やまず
明日を憂えず、今日一日、明るく生きよう」