ケイの読書日記

個人が書く書評

群ようこ 「妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子」 文藝春秋

2019-06-02 16:42:40 | 群ようこ
 群ようこと同じく、私も林芙美子の『放浪記』が大好きなので、平林たい子の名前は知っていた。芙美子もたい子も、戦前戦中の売れなかった時代、カフェで女給をして生活費を稼ぎ、ろくに働かない内縁の夫を養っていた。その頃から二人には交流があった。

 平林たい子は、一般的にはプロレタリア文学者という括りになっている。戦後、流行作家として、一躍時の人となったが、今ではすっかり作品を読む人も少なくなり、忘れられつつあるのではないか? 私も読んでいない。
 そういえば、平林たい子賞という文学賞があったような気がするが、今では聞かない。どうなったんだろう?

 一方、林芙美子は、たい子と同じように戦後流行作家となり、裕福な暮らしをしていたが、若くして亡くなった。でも、彼女には『放浪記』がある。何度も映画化され、舞台化された。才能の有無って本当に残酷だ。同じように小説が売れ、売れっ子作家となり、マスコミにも数多く露出していたのに、時の流れとともに一方は忘れ去られ、片方の代表作は不滅だ。

 平林たい子という人は、プロレタリア文学者というより、女性解放論者という方がピッタリくるかもしれない。ただ、この2つの看板、両方ともメッキです。
 戦前戦中は貧しかったし、政治的弾圧を受けて、反政府的な作品を書いてはいたが、少し原稿料が入ると、すぐ着物を買ったりする。戦後、売れ出し、お金がどんどん入ってくると、豪邸に住み貴族的な生活をする。貧しい人達を見下す。 あれ? 言ってる事・書いてる事とやってる事が違うよね。
 男女同権・女性解放を叫びながら、家では亭主に殴られても糾弾しない。マスコミ向けには、仲の良い理想の夫婦を演じている。
 つまり、普通の人なんだ。

 タイトルの『妖精と妖怪のあいだ』の妖精がどこから来たのか分からない。平林たい子とは真逆なイメージ。妖怪は分かる。元亭主が離婚後、『小説・妖怪を見た』という暴露本を出版しているのだ。
 元亭主も、色々尽くしてきて言い分はあるだろうが、流行作家となったたい子から、お金をどんどん引き出して、自分の趣味に近い政治活動に遣っている。(挙句の果てに、家政婦さんと親密になり子供まで出来てサヨナラ)
 それにしても当時の流行作家って、本当に儲かったんだね。湯水のようにお金を遣っている。今では考えられないよ。東野圭吾クラスだったら、そうかもしれないが。新聞社や出版社も、特派員として作家を海外に送っている。1ドル360円の時代に。財政が豊かだったんだ。みんな、本や雑誌や新聞を読んでたんだ。インターネットが無かった時代だものね。

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