ケイの読書日記

個人が書く書評

川端康成 「伊豆の踊り子」

2021-01-22 13:54:26 | 川端康成
 ノーベル文学賞作家・川端康成の代表作「伊豆の踊り子」を、私、初めて読みました。ごめんね、皆さま。あきれないでください。「銀河鉄道の夜」のところでも書いたけど、有名すぎて、しかも映像化されている小説って、もうすでに読んでしまったような気がして、手に取る事は少ない。特にこの「伊豆の踊り子」は、昔から何度もアイドル映画としてリメイクされていたから、なおさらなのだ。(私の世代では、山口百恵の伊豆の踊り子が一番印象に残っている)
 でも、今回読んで、この作品がどうして、美少女アイドル登竜門みたいな扱いになっているのか、理解できた。だって本当に初々しいんだもの。伊豆の踊り子が。

 踊り子がいる旅芸人一座は、40代の女一人、若い女3人(踊り子を含む)、20代の若い男一人のすごくささやかな一座。この芸で食べていくという悲壮感はなく、他に収入があるんだろう、のんびり旅をしながら芸を披露して小銭を稼いでいる。
 だから彼らが泊るところは、当然安い木賃宿。でも明るい。若い男はどうも良家の出身らしいが、訳ありで旅芸人をしている。踊り子は彼の妹らしい。そういった興味深い事情は詳しく書かれておらず、学生と旅芸人一座のほんの数日の道中、学生と踊り子の間の淡い恋心が瑞々しい。

 踊り子は黒髪がたっぷり豊かなので、学生には16,7に見えていたが、まだまだほんのお子様。旅館のお湯につかっていた学生を見つけた踊り子は、自分が入浴している共同湯を飛び出して、素裸のまま「学生さん、学生さん」と手を振る。現代なら児童ポルノと言われかねない描写だが、学生さんはその女の子の若桐のようなすらりとした裸ん坊をながめて、心に清水を感じ、ことこと笑う。うん!学生さん、健全です。欲情しないでよかった!!

 幼い踊り子(小学校高学年?中学?)が一高(今の東大教養部)の学生さんを見つめる目は、さぞキラキラしているだろうね。旅芸人と言えば、大正時代ならなおさら見下されただろう。小説中にこんな箇所がある。一行が下田に行く途中、ところどころの村の入り口に立ち札があった。「物乞い、旅芸人、村に入るべからず」 ひどいね。しかし定住し農業を営むのが良しとされた時代、こんなものかとも思う。

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「伊豆の踊子」 (宵待草)
2024-12-14 23:41:29
「道がつづら折りになって、いよいよ、天城峠に近づいたと思うころ、雨足がすぎの密林を白く染めながら、すさまじい早さでふもとからわたしを追って来た。わたしは二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺がすりの着物にはかまをはき、学生かばんを肩にかけていた。ひとり伊豆の旅に出てから四日めのことだった。修善寺温泉に一夜泊まり、湯ヶ島温泉に二夜泊まり、そしてほお歯の高げたで天城を登って来たのだった。重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋にも見ほれながらも、わたしは一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。そのうちに大粒の雨がわたしを打ち始めた。折れ曲がった急な坂道を駆け登った。ようやく峠の北口の茶屋にたどりついてほっとすると同時に、わたしはその入り口で立ちすくんでしまった。あまりに期待がみごとに的中したからである。そこに旅芸人の一行が休んでいたのだ。」という川端康成の初期の代表作「伊豆の踊子」のあまりにも有名な書き出しの雨の描写。

その雨に追われるように、主人公の二十歳の高校生のわたしは、坂道を駆け登ります。
しかし、わたしは雨に追われたという理由だけで道を急いだのではなく、それは峠の上に、胸をときめかす"一つの期待"があったからなのです。

それは言うまでもなく、踊り子に会えるのではないかという、密かな思いなのです。
このあたりを川端康成は、雨足が峠の方へ移って行く事と、わたしの期待が同じように峠の方へと集中されていく事とが、まるで二重写しのように描いていて、彼の描く瑞々しくも清冽な小説の世界へと自然に吸い込まれていき、自然と心が洗われていくのを感じるのです。

こうして、峠の茶屋に着いたわたしは、そこに踊り子の姿を発見し、期待が見事に的中したことに内心驚くのです。
それは、我々読者にやがて清浄な恋の始まりを暗示しているのですが、茶屋においては特別な事は何も起きません。

そして、一足先に出発した踊り子の一行を追って、「雨足が細くなって、峰が明るんできた」のをしおに、わたしはその茶屋を去るのです。
この「峰が明るんできた」というところにも、わたしの心に何か明るいものがきざしたという事が暗示されているのだろうと思います。

このように、天城峠に降る雨は、この恋の"舞台装置"であり、その変化によって、わたしが茶屋に駆け込んだり、また茶屋を出発するという行為を演じますが、同時にこの背景は、"わたしの心理を象徴している"のだと思います。

わたしは、踊り子と会えるのではないかという、密かな期待で山道を急いで行きます。
そして、実際に峠の茶屋で会えた時、わたしはその入り口で「立ちすくんでしまった」り、言葉が「のどにひっかかって出なかった」り、また踊り子と間近かに向かい合うと「あわててたもとからたばこをとり出した」りするのです。

ここには、わたしのある特別な感情が働いていて、つまり、とまどいや、はじらいの感情で、すでにわたしの心の中では恋が始まっているのです------。

しかし、始まったばかりのこの恋、一つの美しい純粋な世界は、あくまでわたしの心の内にあるのです。
なぜなら、わたしを一途にさせる踊り子は、世間の人の目から見ると、「あんな者、どこで泊まるやらわかるものでございますか、だんな様」と言われるような、ある意味、いやしむべき存在なのです。

そして、わたしは茶屋のばあさんから「だんな様」と呼ばれ、雨に濡れたと知れるや炉ばたで特別待遇を受ける身分の者なのです。(当時の学生は特別、社会的地位が高かったのです)

そんな、わたしと踊り子とを結びつけるものは、わたしの心とそして、やがてそれに応える踊り子の心しかないのです。
だから、「踊り子たちがそばにいなくなると、かえってわたしの空想は解き放たれたように、いきいきと踊り始めた」というように、現実では叶えられそうもない「空想」の中でのみ、生き生きと広がる世界なのだと思います。

この「伊豆の踊子」という小説は、伊豆の美しい自然が描かれている事はもちろんですが、そこに登場する人物たちの美しい交情が、きめ細かに描写されていますが、だが、それだけではなく、この小説を根底から支えている、"ある種の美"が存在しているような気がします。

それは、この小説の中の「暗いトンネルにはいると、冷たいしずくがぽたぽた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた」という描写がありますが、ここで表現されているトンネルの先のほうの明るさというのは何かと考えた時に、もちろんそこには、美しい空想の世界が実現して欲しいという、わたしの願いが込められているのかも知れません。

しかし、トンネルを出たら、やがては天城七里の世界は終わるはずです。
とするならば、この明るさというものは、わたしの希望とは裏腹の、その美しい世界を打ち壊すだろう現実の世界の明るさなのかも知れません。

だから、下田の港での二人の別れは、すでにその発端に予兆されたものだったのです。
このように、美しいものが絶えず打ち壊されようとしている世界、それだからこそ、よけいに"美しい瞬間に輝いている世界"、これこそが「伊豆の踊子」の世界であり、我々読者をいつの世にも、限りなく、そして愛おしいほどのやりきれない、哀切の気持ちに誘うのだろうと思います。
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宵待草さんへ (kei)
2024-12-19 14:20:07
>宵待草 さんへ
>「伊豆の踊子」... への返信
コメントありがとうございます。あまりにも長文で圧倒されてしまいました。私もこのくらいの分量、書けると良いのですが。
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