お盆休みに、高機能自閉症の方が書いた本を読んだ。
著者は、自分のことを「エイリアン」と呼んでいた。
もちろん「エイリアン」といっても、映画の「エイリアン」のようなグロテスクな生き物ではない。
地球生まれの、キュートでなかなかのユーモアのセンスのある女性だ。
そして読み進めるうちに、「自分もエイリアンかも?」と思ってしまった。
例えば、「なぜ、なぜ」と質問を繰り返すコト。
私も「なぜ?なぜ?」と、頭にはてなマークを一杯浮かべ子供時代を過ごし、今でもその習慣が残っている。
加えて、周囲と同調することが下手で、「何考えてるの?」と言われたり、自分の世界(もちろん、思考的自分の世界)で暴走することもしばしばだった。
その意味で、「空気の読めない変なヤツ」だったかも知れない。
他にも、子供の頃のある一瞬の記憶が、映像化され残っているということもある。
そんな記憶はあって当然だと思っていたら、どうも違うらしい・・・ということを、大人になってはじめて知った。
ただ、著者と大きく違うのは自閉症と判定される項目に、殆ど当てはまらないということだ(該当した項目は「他の人と違うコトに関心を示す」くらいだった)。
ということは、単に「空気の読めない変なヤツ」ということか?
この本を読んでみて感じたことは、「空気の読めない変なヤツ」は何とか社会人としてやっていけるけど、自閉系(と著者が呼んでいる)人たちは社会からなかなか受け入れられないということだ。
確かに、様々な意味でハンディがある人たちなのだが、このような人たちは決して社会との関わりを避けているのではない。
むしろ気持ちの部分では、積極的なのだ。
ところが、社会全体の受け入れ態勢が整っていないというのが、大きな理由でもある。
お盆休みにもう一冊読んだ本には「見た目や思考が違うといっても、体のつくりはみんな同じ」という言葉があった。
この言葉は、ダライラマ14世の本の一節にあった。
高機能自閉症という障害をもっている人も、一般的に私たちが思い浮かべる障害者も、「体のつくりは同じ」であることには変わりない。
ただ、脳や体の働きが人と違っていたり、上手に動かすことが出来ないために、障害者となっているだけなのではないか?という気がしたのである。
障害者と呼ばれる、ハンディを持った人たちが暮らしやすい社会は、健常者にとっても暮らしやすい社会だといわれている。
世間一般に健常者だといわれていても、本当のトコロはこころに病気を抱えている人は案外多い。
「空気の読めない変なヤツ」である私は、「地球出身のエイリアン(=発達障害者)たち」が暮らしやすい社会が、本当は必要なんじゃないか?と、考えてしまったのだ。
因みに、普通学級の6%の子供たちが何らかの発達障害をもっているらしい(文科省調べ)。
ということは、「地球生まれのエイリアン(=発達障害者)」は身近にたくさんいて、早急にもっとキチンと考えなくてはいけない問題でもあるはずなのだ。
著者は、自分のことを「エイリアン」と呼んでいた。
もちろん「エイリアン」といっても、映画の「エイリアン」のようなグロテスクな生き物ではない。
地球生まれの、キュートでなかなかのユーモアのセンスのある女性だ。
そして読み進めるうちに、「自分もエイリアンかも?」と思ってしまった。
例えば、「なぜ、なぜ」と質問を繰り返すコト。
私も「なぜ?なぜ?」と、頭にはてなマークを一杯浮かべ子供時代を過ごし、今でもその習慣が残っている。
加えて、周囲と同調することが下手で、「何考えてるの?」と言われたり、自分の世界(もちろん、思考的自分の世界)で暴走することもしばしばだった。
その意味で、「空気の読めない変なヤツ」だったかも知れない。
他にも、子供の頃のある一瞬の記憶が、映像化され残っているということもある。
そんな記憶はあって当然だと思っていたら、どうも違うらしい・・・ということを、大人になってはじめて知った。
ただ、著者と大きく違うのは自閉症と判定される項目に、殆ど当てはまらないということだ(該当した項目は「他の人と違うコトに関心を示す」くらいだった)。
ということは、単に「空気の読めない変なヤツ」ということか?
この本を読んでみて感じたことは、「空気の読めない変なヤツ」は何とか社会人としてやっていけるけど、自閉系(と著者が呼んでいる)人たちは社会からなかなか受け入れられないということだ。
確かに、様々な意味でハンディがある人たちなのだが、このような人たちは決して社会との関わりを避けているのではない。
むしろ気持ちの部分では、積極的なのだ。
ところが、社会全体の受け入れ態勢が整っていないというのが、大きな理由でもある。
お盆休みにもう一冊読んだ本には「見た目や思考が違うといっても、体のつくりはみんな同じ」という言葉があった。
この言葉は、ダライラマ14世の本の一節にあった。
高機能自閉症という障害をもっている人も、一般的に私たちが思い浮かべる障害者も、「体のつくりは同じ」であることには変わりない。
ただ、脳や体の働きが人と違っていたり、上手に動かすことが出来ないために、障害者となっているだけなのではないか?という気がしたのである。
障害者と呼ばれる、ハンディを持った人たちが暮らしやすい社会は、健常者にとっても暮らしやすい社会だといわれている。
世間一般に健常者だといわれていても、本当のトコロはこころに病気を抱えている人は案外多い。
「空気の読めない変なヤツ」である私は、「地球出身のエイリアン(=発達障害者)たち」が暮らしやすい社会が、本当は必要なんじゃないか?と、考えてしまったのだ。
因みに、普通学級の6%の子供たちが何らかの発達障害をもっているらしい(文科省調べ)。
ということは、「地球生まれのエイリアン(=発達障害者)」は身近にたくさんいて、早急にもっとキチンと考えなくてはいけない問題でもあるはずなのだ。