日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

呟きか愚痴か・・・

2010-04-18 11:20:36 | 徒然
Twitter人気である。
「今ではブログは時代遅れ、Twitterだ」というコトらしい。
確かに、有名人や政治家のTwitterには多くの人が集まり、「呟き」あっているようだ。
話題になる「呟き」は、即時性とその拡がりで多くの人を巻き込み、大きなうねりを作っているようだ。
「ようだ」と書くのは、その実感が無いからだ。

私自身は、Twitterをやってはいない。
当面はする気も無い。
何故なら、私の場合「呟き」ではなく「愚痴」になりそうだからだ。
「他人の愚痴」を相手にしてくれる人は、世間にそんなにいないだろう。
何よりも「他人の愚痴」を読んで、励ますというより何かのネタにされそうで・・・。
小心者の私は、とても不特定多数の人たちに「愚痴る」コトはできない。

もちろん、一つの「呟き」が社会を変えるかも知れない。
例えば「普天間の問題って、日本だけの問題?何故、沖縄だけではなく移設地として名前の挙がる地域の人たちが反対する理由を、アメリカ自身も考えなくっちゃ、問題解決にはならないんじゃない?」という「呟き」が、今問題になっている普天間基地を考え直すキッカケになるかも知れない。
一方では「沖縄県海域に平気で海軍を走らせる隣国の牽制のためにも、米軍は必要だろう」という「呟き」もあるだろう。
そんな、社会的提議を起こすような「呟き」や自分の考えや主張の「呟き」などもあれば、単なる「愚痴」もあるのではないだろうか?
というよりも、多くの「呟き」は「愚痴」なのでは?と、思うのだ。

その背景にあるコトは一体なんだろう?と、考えてしまう。
有名人の「呟き」に参加される方の中には、「有名人と繋がっている」という感覚があるのでは?
何より「人と繋がる」コトを求めていながら、直接人と会うコトへの不安が先にあるのでは?とも感じるのだ。
何故なら、「他者の思考は想定外」だからだ。
顔を見ることが無ければ、相手に対して気を使う必要は無い。
それに比べると、ネットの世界は現実の世界よりも遥かに「繋がり方」が緩やかで、自分にとって都合が良い場合が多い。
そのこと自体を否定する気は無いし、問題だと思わない。

「呟き」には、有名人や政治家の「本音」が垣間見れる楽しみ(?)もあるかも知れない。
それでも私は「それで・・・?」と、思ってしまうのだ。