「阪急阪神ホテルズ」から始まった、食品虚偽表示事件。
収束の目途がたたないどころか、ホテルから百貨店へと広がってきている。
いずれ、身近なスーパーでも発覚するかも知れない。
スーパーで発覚した時、生活者の反応というのはどのようなものだろう?と、考えてしまう。
と言うのも、ホテルなどで提供されていたステーキ肉が、実は成形肉でしかも牛脂を使って「いかにもステーキ風」にしていた、と言うだけではなく値段も和牛ステーキ肉としてはややお値打ち感があるかな?と思いつつも、やはりそれなりの値段だったからだ。
多くに人にとって「価格」というのは、その商品を判断する時の一つの目安となるコトもまた、多い。
その「微妙」というか「絶妙」な価格設定が、生活者にとって「大きな裏切り行為」という印象をより強くしているような気がする。
一方、生活者として「価格設定」の基となる様々な事柄に対して、どれだけのコトを知っているのだろう?
養殖されているエビにしても、成形肉になる前の肉にしても、それ相当の労力も時間もかかっているはずだ。
目の前にある姿・形だけがその「モノ」ではない。
そこに関わる様々な人の手があり、初めて私達の目の前に「モノ」が登場する。
何故その様なコトを感じたのか?と言うと、朝日新聞WEBサイトに「島めぐり」という企画連載記事に、屋久島でオーダーメイドの靴を手作りで作っている方の記事があったからだ。
朝日新聞:屋久島<3>世界ににひとつ オートクチュールの靴
この記事や掲載されている写真を見て、「オートクチュールの靴を作る時間」と言うのは、工業製品化された靴とは違う時間の流れが必要で、そこには様々な「手」が加わって、初めて私達の目の前にその商品が現れる、と言うコトを感じたからだ。
工業製品化された商品にもそれなりの良さがあり、そこにかかる「手」がある。
そんな「手間」というコトを、想像するコトも一つの価値を知るコトなのではないだろうか?
虚偽表示というのは、やってはいけないコトだと思う。
百貨店やホテルなどに対する信用や信頼があって、その商品を購入している。
だが生活者側も、もう一歩踏み込んで目の前にある商品が商品棚に並ぶまでの過程を、想像する必要があるのかも知れない。