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「コロナ禍」と人の気持ち

2022-07-14 20:15:38 | アラカルト

朝日新聞のWebサイトに、「新型コロナ」に対する心理変化についての記事が掲載されていた。
朝日新聞: 「しょせん人間は…」コロナ禍の心理、阪大教授が調査し続けるわけ

掲載記事は有料会員向けなので、全文を読むことはできないが、J-Stageのサイトにこの記事の基となったデータが、公開されている。
J-Stage:コロナ禍における日本人の社会心理 (注意:PDFファイル)

PDFファイルなので、PCなどで読むには大変なところがあるのだが、この論文とは別に大阪大学のResouというコンテンツがあり、なかなか興味深い内容だった。
大阪大学 Resou:コロナ禍で”変容する私たち”心を動かす「状況の力」を紐解く心理学

J-Stageのデータも大阪大学のResouの記事も、今年のものではないので、心理的社会変化はあったとは思うのだが、それでも「日本人らしいな~」と感じる部分が多々ある。
例えば、Resouの中にある「自業自得と考える日本人」という部分。
「新型コロナ」の感染が流行し始めた頃から、「感染した人」に対して何等かの理由を見つけては「〇〇だから、自業自得」と、突き放すような社会的雰囲気があった。
それは自分にとって身近な人物だけではなく、テレビ等で活躍をするタレントさんたちにも向けられてきた。
例外的に言えば、コメディアンの志村けんさんのような方に対しては、「コロナ禍で経営が厳しくなった飲食店に、連日のように出かけていたからな~」というような、一種の同情のような社会的雰囲気もあった。
その基準となるのは、対象となっている人が社会的影響力があり、多くの人に親しまれてきたかの違いのような気がしている。
言い換えれば「自分に対して親近感がある、近しい関係」であれば、「自業自得」という言葉は使わないが、その関係が薄いあるいは無い相手の場合「自業自得」と思いやすいだけではなく、言葉として言ってしまうという傾向があるのだと思う。

「自業自得」というだけであればまだしも(これだけでも、随分問題だと思うのだが)、感染者に対して差別的な言葉や態度を示す、ということもあったはずだ。
「自分の周囲からの排除=感染への恐怖」だったとしても、極端な行動に出る人達も数多くいた。
それが「マスク警察」等と呼ばれた人たちだ。
「感染症は、どれだけリスク管理をしていたとしても、感染するときにはする」という考えが、日本の社会には浸透していないということなのだと思う。

理由として考えられるのは、国民性ということもあると思うのだが、それ以外にあるとすれば「政府から示されるデータ」と「メディアの不安を煽るような報道」だったのでは?という気がしている。
政府から示されるデータというのは「感染者(あるいは「陽性者」)数」しかない、という点が大きいような気がしている。
統計として重要視しなくてはならないのは、「数字を分析したデータ」だ。
例えば「感染者数に対して、重症者数、入院患者数、死亡者数」に加え、世代別の同じデータの公表が必要なはずなのだ。
そのような「判断基準」となるデータを示すことなく、この約2年半過ごしてきたことは、日本の社会や経済に大きなダメージを与えていると思う。
何故なら、「判断基準が示されない」ことで、国民の多くは「いつまでこんなコトが続くの」と、「コロナ禍疲れ」という状態になっているからだ。
ワクチン接種にしても「コロナに感染しない為」という理由だと思っている方が、身近に多いコトに驚くのだが、「ワクチンを接種する意味と目的」をもっと丁寧にすべきだったのでは?と感じるコトも多々ある。

結果として「陽性者となるコトが悪」のような社会的雰囲気が強くなり、何時まで経っても「新規陽性者」となった人たちが、肩身の狭い思いをし続けなくてはならないような一面があるのでは?
それが、逆に「ちょっと体調不良だけど、下手に病院に言って陽性者だとわかると、周囲に迷惑がかかるから風邪薬を飲んで、仕事をしておこう」という人を潜在的に生み出している、ということはないだろうか?

大阪大学大学院の三浦麻子教授のレポートを読みながら、そのようなコトを考えてしまうのだ。



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