日経新聞のWebサイトにある動画を見て「環境保護団体が、文化遺産を破壊するのは何故か?」という、疑問のようなモノを感じた。
日経新聞:トレビの泉が真っ黒に染められる
昨年だったと思うのだが、欧州の美術館で展示してある美術品に缶入りスープなどを投げつける、という事件があった。
これらの行動を起こしたのは、環境保護を謳う若者たちだった、と記憶している。
彼らの言い分は「文化遺産よりも環境保護、特にCO2 等による地球温暖化に注目すべきだ」という意思をあのようなカタチで訴えたかった、ということのようだった。
しかし、現実はどうだったのだろう?
海外での出来事だったこともあり、「対岸の火事」というか日本では事件が起きた時は、話題になってもその後は遠い記憶の彼方へ追いやられてしまった、という印象を持っている。
おそらく、事件が起きた欧州でも同じような感覚で見ていた人たちが、多かったのでは?という、気がしている。
何故なら、多くの人にとって「共感を得られる行動ではなかった」からだ。
ここ最近、ビジネスの世界では「ファンをつくる」ことの重要性が、言われるようになってきた(ように思われる)。
何故「ファンをつくる」ことが重要なのか?と言えば、ファンという支援者を得る事で、企業はより安定した活動をすることができるからだ。
拙ブログでも何度も書いてきている「インテマシー・ロック(イン)」がその一つだろう。
「親しみに鍵を掛ける」という意味になるのだが、その「親しみ」は決して一つではない。
特に消耗日用品や食品などは、世代を超えて「親しみ」を持たれることが、当たり前だ。
子どもの頃の思い出が、成人になってもどこかでそれを覚えており、新商品が出るとお試しで購入するのにいつの間にか「我が家の定番品」になっている、というような消費行動はまさに「インテマシー・ロック(イン)」と呼ばれる行動だろう。
もちろん「インテマシー・ロック(イン)」のように、長期的なファンだけではない。
人は「共感を得られる」ことで、「ファン」になる事がある。
今回の、過激な行動を起こし、社会的注目を浴び、共感を得ようと考える環境団体は、自分たちの主張や行動に対して「ファンを獲得しよう」という気持ちがあるのか?という、疑問があるのだ。
というのも、日経新聞のWeb動画を見ると分かるのだが、この抗議行動に対して相当なブーイングが起きている。
「ブーイングが起きる」ということは、決して共感を得られている行動ではない、ということだ。
昨年の美術館での環境団体の行動もまた、美術館の訪問者たちからは困惑や不快という表情は見て取れたが、共感を得られたとはとても思えなかった。
ビジネスと関係がない、と思われるかもしれないのだが、非営利団体であってもマーケティング発想は必要であり、その中でもPRをする目的には「ファンをつくる」という目的がある、ということの示している事件だと思う。