北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都発幕間旅情】関ヶ原合戦祭二〇二四,鉄砲隊前へ!関ヶ原鉄砲隊笹尾山山麓に進出

2024-09-16 07:00:48 | 日記
■九月の砲声
 九月十五日は西暦一六〇〇年に関ヶ原地峡において日本の歴史を左右する関ヶ原の戦いがくりひろげられた日にちです。

 関ヶ原合戦記念日ということで、岐阜県関ケ原町にいってまいりました。関ヶ原会戦といえば、1600年、徳川家康と石田三成が全面衝突し、のちに日本における覇権を確立する上での徳川家康にとり要諦となる戦いで、関ケ原町は古戦場のまちとして知られて。

 決戦、歴史を左右する決戦というものは日本史においても幾度かありまして、天王山の戦い、明智光秀と羽柴秀吉が本能寺の変ののちに山崎で激突した戦いもまさにその一つですし、幕末の鳥羽街道の戦い、ミッドウェー海戦やレイテ沖海戦もこれにあたります。

 古戦場で鉄砲隊の演武がおこなわれる、こういう話を聞きまして、古式銃は黒色火薬をつかいますからかなりの発砲炎がでるものですから、なかなか巡り会ってこなかった撮影の機会、この際に火縄銃の知識以上の経験とか体験に接したいと思うものですが。

 宇治駐屯地祭か関ヶ原祭りか、土曜日と日曜日そして敬老の日というこの三連休、発砲炎を撮影するにはどこかなあ、ということで考えますと、宇治駐屯地祭は観閲行進や訓練展示は無いということでしたので、じゃあ火縄銃にしよう、と、いうわけでは無いが。

 蒼龍会、ちょっと迷った、この日に清水寺にいきますと蒼龍がいるという。この二十年に始まった清水寺の新しいお祭りえす。かなり大きな蒼龍はお寺の守り神ということでして、ただ、龍ということで水と関係があるのかこの日は悪天候の予報もでていて。

 清水寺で蒼龍、艦娘の蒼龍さんなら、火縄銃は今度でいいか、となるのですけれども、その蒼龍ではない、正確には青竜祭ということでしたので、それならば、歴史を学ぶためにも関ヶ原の方にいって空包射撃の発砲炎を狙おうでは無いか、となりますよね。

 鉄砲隊の空砲射撃が行われる、空砲と書かれていましたので空包ではない、撃たないのではと懸念しましたが、それなら口砲射撃でばーんばーんと書くだろうし、空砲と空包を混同する方も多い、そういうことでまあ、会場となります笹尾山へ向かいました。

 笹尾山の山麓、ここはJR東海道本線関ヶ原駅から、25分はみておいたほうがいい、緩い上り坂を登った先にある。25分というと迷ってしまいそうだけれどもそこは古戦場の街、笹尾山までの経路があって、駅の隣に古戦場博物館というものさえあるのですから。

 石田三成最後の陣地、といわれていますのがこの笹尾山でして、城郭なんてものは当時も造営されなかったのだけれども、指揮所と一目してわかる馬防柵で囲んだ陣地が常設されていまして、ここでまっていると鉄砲隊がこちらに向かってくる様子が見えて。

 CP!CP!、こちらササオヤマFO,前方旧小学校付近に敵歩兵部隊確認、こちらに前進を確認、指示を請う!、という状況ではないのですが、鉄砲隊の皆さん、陣太鼓とともに一列に向かってきてくれまして、そしてこうして構えてくれている。緊張の一瞬だ。

 時代祭をひっとうに火縄銃には見慣れていますし、城郭や歴史博物館を見学しました際には火縄銃をみることはできるのですが、胡桃材を使用しているのでしょうか、磨き上げられた銃床と鉄の見た目だけでもわかる質感は、伝統文化の守り手という感じ。

 空包射撃をおこなう、このために準備していますが、大垣城鉄砲隊とか、島津のまるじゅうを描いた射手もいます、これはいい写真を撮れそうな陣容です、が、わたしは軍用銃撮影の機会は多くとも火縄銃の空包射撃は撮影が初めて、せっかくの機会、頑張ろう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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【京都幕間旅情】五山送り火二〇二四,熱い夏にも心地よい風がうっすらと吹いている送り火は夏の終わり

2024-08-21 20:24:31 | 日記
■大文字と夏の終わり
 送り火が灯されているのは護摩木が燃え尽きるまでの十分や十数分というまさにひととき。

 五山送り火は京都市のなかでも嵐山でも点火されるものですから撮影する際に嵐山、というのも考えたものなのです、大堰川に映る送り火というのも、三脚で長時間露光撮影した描写が美しいものですので、そうした情景も撮影してみたいようにも思う。

 十三参りの嵐山、あと渡月橋もいい場所なのですが、渡月橋の方はもう一つ目の前でたかれますので交通規制が厳しく、みることはできても立ち止まって撮影することはできない、まあ、これは定番であるのだから明石の二の舞を避けるにも規制は重要だ。

 多宝塔の十三参り、ここ、よくみえるのだろうけれども考えてみると大勢があつまって帰路の煩雑さを考えると、嵐電も混雑するだろうし山陰本線も混雑は当たり前で、阪急嵐山線もすごいぞ、自動車で行っても絶対駐車場なんてあいてないだろうし。

 嵐山は、しかしここからも撮影してみたいところなのだけれども、大文字を主題として考えるならば、もう少し近くから撮影したいものですよねえ、と撮影位置を考えると、やはり鴨川の堤防が定番なのでしょうけれども、このほかに高台と言いますと。

 金戒光明寺はどうだろうか、ここ、目の前が大文字で、カメラ、望遠の聞くカメラを使いますと点火の様子で人の動きが克明に見えるという。結構混雑すると言うことですけれども、ここが最後まで考えたのでした、万一の際には脚立を使えばいい。

 真如堂のあたり、金戒光明寺の北側の斜面がもうこれは本当によく見えるのですが、ただ、実際に行ってみますとこの斜度とかなりの混雑で脚立は使えないなあ、と思い返しました。送り火なのですから周りに迷惑はかけたくないものですからねえ。

 堤防、鴨川の堤防から撮影する、考えてみると定番はここなのだろうなあ、とおもうのですが、歩いてみますとやはり電線が多い、もちろん避けられるところはあるのですけれども、後は混雑しているのですよね、もみくちゃにはなりたくないなあ。

 京都御所が撮影場所となりましたのは、こういう理由とともに、建物を構図に納められるものですから、これも定番と言えば定番、何度も撮影している場所ですけれども、やはり定番の構図というものは撮影しておきたいところとなるのです。

 御所も相応に混雑するのだけれども、結局、堤防のように1メートル前にでてしまうと高低差で見える景色が変わると言うこともありませんし、もちろん前に出過ぎると木々で大文字が隠れてしまうのだけれども、けっこう広さがある、つまり平等だ。

 三脚は使わないことにしました、邪魔になりますからね。脚立も、ここは高低差がないので必要ありませんので、ああちょっと始まるまでいっぱいやっていくかあ、そして撮影が完了しましたならば、ちょっと焼き肉でも入れていこうかあ。

 送り火は夏の終わりなのですから、心地よい風がうっすらと吹いている、まあこれ、台風7号の影響だと言うことはわかっているのだけれども、首都圏の房総沖をゆく台風は関東では大変だろうけれども、こちらでは風はそよ風程度でとどまっていて。

 夏の終わり、ここから熱い日は残暑、というのか、いや暑いが熱いというのですから残熱というべきなのかもしれませんが、それでもこれ上熱くなることはないのだなあ、熱い日から暑い日へ、今年も五山送り火が無事完了したのですね。

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【京都幕間旅情】五山送り火二〇二四,先斗町はどうだろうか鴨川は定番で衣笠山はどうだろう船岡山はどうか

2024-08-21 20:00:12 | 日記
■京都御所から送り火
 送り火を眺めるにはどこがいいのだろう。今年は京都御所から見上げていますけれどもさてさて来年はともう考えてしまうのがこの夏の節目の祭事です。

 京都での送り火の楽しみは、KBSの中継で楽しむのが一番疲れません。KBS,韓国からも来ているのか、と東京の方は驚くかもしれませんが、京都放送です。そういえばあいば野での日米合同演習で海外メディアの方がBBCのクルーの多さに驚いていた。

 KBSは京都放送、BBCは琵琶湖放送、でもABCになるとアメリカのABCよりもプリキュアの知名度でABC放送といえばオーサカだ、と気づくのか騒いだりしないのですよね。CNNはないが、岐阜のケーブルテレビにCCNがある、ここは演習場には来ないのですが。

 銀閣寺道のあたりがよくみえる、と散策の際にふと見上げるのですが、大文字とともに目に入りますのは電線、目に電線が垂れ下がるというわけではなく視界を邪魔しているだけなのだけれども、こうするともう、歩いて、歩いて、探すだけ。

 先斗町はどうだろうか、川床を早めに探せば、というのは誰しも思うことなのですが、友人などはもう送り火の日に川床をおさえるのは断念して前日中りにスターライトスコープで川床からお酒をたしなみつつ夜空に浮かぶ大文字を眺め自動車ライトに目を。

 鴨川に送り火が浮かぶ様子を眺めるならば先斗町でなくとも、という声は、まあこれも室町時代にはすでに満員状態であったという記録がありますので、先斗町界隈からは離れなければなりません。下流にいけば人はいないが送り火も見えないので。

 川床はもちろんですが、鴨川は定番の大文字が見える位置です。しかしその文混雑もすごいのだ、むかし大変な目にあった記憶だけがあって苦手意識があるのだけれども、さて、いまはどうなのだろう。昔よりも背も高くなったしカメラの技術もあがった。

 京都市は送り火の時間帯に灯火管制をしてくれます。撮影するとなりますと、やはり街灯の光というのは邪魔になってしまいますからねえ。けれども人が多くなりますと、フラッシュたくかたが増えてきて、いやフラッシュ届かないよ、といってもどうしても。

 撮影位置、まず電線をきにしないためには高いところにいってしまうのがよい。電線よりも高い場所あら倍委のだ、すると百里基地でラファール撮影した際のように今度こそ空中作業車を借りるか、となると今度は建物と道路使用許可でたいへんになってしまい。

 船岡山はどうか、よく見えました。建勲神社は大文字を眺めた後で下山しますと左大文字もみえます、といいますか昨年、いろいろあってとあるマンションから眺める予定が合流できなくなりまして、建勲神社からながめることとなり、昨年の場所でもある。

 建勲神社から今年も、というのはちょっと考えたのですけれども、二番せんじになってしまってつまらないよなあと少しでも粋を考えたくなりまして。あとあそこは年々混雑していて、場所をかくほしていてもうつのまにか押されて撮影しにくい場所に。

 衣笠山はどうだろう、たぶんいいところだと思いますが、大文字から距離があるのと左大文字山は木立に隠れてしまいまして、いやここ、穴場だgとは思うのですが、ちょっと暗い時間帯ですので明るい時間に上っても下山が難しい印象があるのだ。

 左大文字山をあきらめてもたしかにみえている大文字を、ちょっと考えてみたのですが、眺望が一望できて収容できる面積を考えますと、先客がいたら非常に撮影が困難になるかもしれない、けれどもちょっと一度、衣笠山から見てみたい気持ちは、ある。

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【京都幕間旅情】五山送り火二〇二四,京都と二年連続台風7号の影響と失われた送り火の復活を夢想

2024-08-18 20:00:59 | 日記
■京都御所から
 大文字を見上げるというよりは遠望しつつ。

 五山送り火、如意ヶ嶽の大文字、松ヶ崎の妙法、船形万灯籠、左大文字山の左大文字、嵐山の鳥居形と五山の送り火が順番にともされます。如意ヶ嶽の標高は472mとなっているのですが、ここに一辺あたり80mで文字通り大きく大文字が描かれる。

 護摩木をたきあげるものですから、ともっている時間は10分前後で、しかし、妙法と船形と左大文字と鳥居形が順番に灯されてゆくものですから、気合いが入っている形はバイクなんかで一生懸命全部みようとするというかたもいるものです。

 船形万灯籠は西賀茂船山に灯されまして、これは横幅200mと、護衛艦ひゅうが型と同じくらいですので、まあ、舞鶴に行かずとも護衛艦の大きさをイメージするにはちょうどいいのかな、と思う次第で。ただ、西賀茂は若干遠いので、普段見上げることの方が。

 左大文字山は、まず左大文字山の標高が230mと低く、そしてここ、金閣寺拝観の際にみあげてみますと、ハイキング中のひとが火床に座ってランチしてたりするほど、気軽に上れると言うところ。ちなみにわたしは火床とVLSの上では飲食しないことにしている。

 曼荼羅山、ホビーショップとおもわれそうな響きですが鳥居形をたきあげるのは嵯峨鳥居という嵐山の奥座敷というべきところにありますところで、なんでも松明、護摩木ではなく松ヤニを含んだ松明を掲げるために、赤みがかかった火になるという。

 五山送り火、という名前が定着したのは比較的新しく、お盆の行事ということで、そのむかしには五山に限らず複数の山で送り火が行われていたと言いまして、左大文字は歴史書をみるとかなり新しく、一方、明治初期になくなった送り火もあるといい。

 い。ブラウン管に初めて映されたことで瞬間視聴率100%を獲得したことで有名な"い"の字は明治初期まで市原、叡山電鉄の鞍馬のあたりで灯された文字だと言うことですが、点火していた山が国有地となってしまい失われたという歴史があったりする。

 絵文字、おもしろいのは鈴が竹竿に吊された、これ遠景にはわかりにくそうな送り火もあったということで、西京区の松尾山に灯されていたのだといい、明治初期にやはりなくなったのだという。残っていれば、嵐山の送り火がにぎやかになっていたのか。

 一、の字が鳴滝にあったともいいまして、これもやはり嵐山がもうすこしにぎやかになればなあ、と思うところです。これ、文字としては単純ですので、復活したらなあ、と思うところなのですが、保存会がなくなると再開は難しいのは理解する。

 長刀を描いた送り火も嵯峨にあったといいますが、昨今、オーバーツーリズムが叫ばれるところですので、こうしたものが再開されたならば、なにしろ西賀茂のあたりと嵐山のあたりが送り火が増えるわけですから、眺めにくる方も分散するのでは、と。

 送り火、昨年の記事を見てみますと、台風7号の影響で、と既視感がある話題になっていて、そうです一年前の送り火も台風接近で新幹線が計画運休になっていたのを思い出します。すると、来年、台風がこなければ東京あたりから見に来る方が増えるのか。

 炎が揺らめく様子は、御所から如意ヶ嶽はそれなりには離れているのだけれども、しかしお盆で夏が終わるのだなあと言う実感が、少なくともこの瞬間だけは感慨深いものとなっていまして、そして、雨が降らなくてよかったなあ、と幸いを噛みしめるのだ。

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【京都幕間旅情】五山送り火二〇二四,護摩木が積まれた火床は如意ヶ嶽の大文字が点火し京都の夏は閉幕する

2024-08-17 20:00:48 | 日記
■如意ヶ嶽の大文字
 台風7号の関東接近により世の中がゆったりとお盆も過ごせない最中ではあるのだけれども。

 五山送り火、京都ではこのおくりびとともに夏が終わるという。終わるという。終わるという。さて。この暑さは何なんだという話題ですが、それはもう残暑のひとことで片づけると言いますか、昔はこのころには涼しくなったのだろうなあ。

 点火、2000時に護摩木へ如意ヶ嶽の大文字が点火するのですが、この瞬間というのが、緊張するのですね、もちろん点火する保存会の方々の緊張はもっとものすごいものなのでしょうけれども、この瞬間その瞬間をしっかり撮影しておきたい緊張も。

 保存会の方々が一斉に点火する様子、秒刻みで情景が変わってゆきまして、これ、知らない方が想像する送り火というのは、一晩中煌々と大文字を灯しているようにおもわれるそうですが、実際には十分前後というところ、短いようで長く長いようで。

 護摩木、銀閣寺のとなりがこの大文字の如意ヶ嶽のぶもととなっているのですけれど、14日から護摩木の奉納が行われまして、そしてこの16日の昼過ぎに護摩木の奉納が完了、ここから保存会の方々が大文字の火床へと運んでいって、そして積んでゆく。

 火床は延焼防止に、昔京都市と防火対策でもめたことがあり、なんでも防火対策は言いがかりで、如意ヶ嶽の山麓に民族学校をつくりたいとかで、ここはそういう文教地区ではないと反発した保存会に京都市が防火対策で文句を付けたという、そんなことも。

 送り火で延焼したこと、昭和の時代には聞かずもちろん平成時代にも見ていてそんなことはなかったのですけれど、この如意ヶ嶽は大文字の火でなければ自由に登山することもできて、いがいにしっかりしているところに保存会の方の努力が見えるといい。

 大文字に、こう、これも数秒というか十数秒というか、くらい京都御所から遠い大文字を見ているとカメラがなかなかピント合致せず、きがせいているところに撮影できた一枚と数秒をおいて次の一枚とのあいだに、しっかりと文字が形成されてゆく。

 お盆も送り火かあ、こう実感する情景に護摩木の燻す煙がしっかりと見えまして、煌々と、いやいまの街灯と比べれば光の規模では京都駅とかのほうが存在感があるんだけれども、今日は市内は灯火管制、はっきりと送り火が浮かび上がるのですね。

 御所を撮影位置としてよかった。まずまわりに夕餉をたのしむところも、始まるまで一献たしなむこともできるというのが大きいのですが、なにより御所の建物がほのかに輪郭を夜空に浮かべる先に送り火が見える、夏の終わりを、感じる。気温以外は。

 如意ヶ嶽、大文字をどこから眺めるかということは、一年間の課題と言いますか、散策する際に、ここはよく見えるなあ、という、いわば大文字を意識に入れて散策するのがひとつの秘訣といえますが、よく見えるといってもそこが穴場かというと。

 送り火穴場、という検索で北大路機関を探訪されるかたはおおいのですが、なにしろ千年単位で先人がよく見える場所を探しているのですから、これを抜け駆けして穴場と言うものを探すのは、いっそ大阪から見えないかとか考えた方が、といい。

 北大路機関の拠点、旧拠点は隣にマンションがたってしまいまして、身を乗り出しても半分しか見えなくなってしまい、何より増えた電線のおかげできれいにとればとるほど電線が移り込んでしまう、ここから北大路機関の大文字撮影の受難が始まった。

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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二四-後祭り宵々山,無事閉幕の祇園祭と八坂神社は本日七夕

2024-08-07 07:01:03 | 日記
■本日が七夕
 八坂神社は七月一杯が祇園祭ですから祇園祭が部位閉幕した本日七日が八坂神社では七夕で在ったりするのです。

 祇園祭の暑さから世界を考える、四畳半一間で世界を描くのが北大路機関の常とう手段なのですが、しかし、この気候変動対策、一定の経済的負担が不可避なのですが、途上国にはその負担にこたえられず、新進国の援助にしても焼け石に水の規模です。

 プロパテント政策とその発展形としてのサブスクリプト経済、問題は先進国と呼ばれる地域で消費される工業製品の多くが途上国で製造されていて、途上国で排出量が増大しているものの、結果的に先進国の購買層消費が排出を生んでいるのではないか、となる。

 しかし、GoogleやYahoo!やAmazonやXのような巨大企業を途上国がグローバル展開させて逆に製造業を先進国に差し戻して自国で使用する工業製品は自国で造らせるという保護政策の先祖返りのような施策なんてものも、市場主義経済にはありえない。

 自由貿易至上主義という現代では、それならばせめて価格転嫁して環境税を輸入品に上乗せし気候変動対策に用いるという、中国製EVへのEU課税のようなことを行うと非関税障壁と誤認され、まあそういう機能は持っているけれども、貿易戦争となる。

 パリ合意から離脱だ、と昔のトランプ大統領のような勇ましいことを言いましても気候変動は変わらないわけで、アメリカの田舎者が路上インタビューに語った、気候変動の影響は孫の世代に及ぶのだから孫たちが何とかするさ、では手遅れとなりかねなく。

 インフラ整備、気候変動対策で影響が大きいのは、増大する雨量と地域差の多くなる極端気候、そして気温上昇に伴うインフラの問題で、例えば国土平野部の半分近くが沈んだパキスタン大洪水を筆頭に、洪水対策のインフラが未整備の地域は問題が積む。

 洪水被害は日本でも、西日本豪雨や九州北部豪雨を思い浮かべるかもしれませんがそれよりも、北海道や東北地方で九州並みの豪雨、これが降るだけでそれまでの堤防など洪水対策インフラが全く能力不足になってしまう、すると洪水対策は必須となる。

 都市部の気温は遠くない将来に50度が見えてくるために地下街整備など、洪水対策と一
見矛盾するが、労働者を護ることができるインフラ投資が必要となる。先進国でも今あるインフラを強化しなければならないが、いままで端緒さえない途上国は更に。

 気候難民、という言葉は既に2010年代から存在しているのですけれども、これが加速しかねず、すると受け入れ論と締め出し論で、アメリカでは連邦政府の移民政策で負担が大きすぎ、連邦離脱テキサス独立論、1836年以前の状態に戻る論さえ出始めていて。

 日本の少子化対策ではないけれども、気候変動対策は打つ手を打っても効果が見えるまで時間がかかる、けれども、急な対策は効果が二十年後半世紀後に出るとしても、その対策で世代や社会や諸国間で分断が起これば対策が逆効果にさえなりかねず。

 打ち水で気温低下とか、明かりはこまめに消しましょう、冷蔵庫は素早く開け閉め、これくらいを世界規模で行ったくらいでは止められないのが気候変動対策で、気温40度となっては、冷房をやめて地球に貢献、なんて言えない、人口減の方に貢献する。

 しかし、何とかしないと半世紀後、祇園祭が1220年目を迎えるころには京都の気温がどうなっているか想像がつかない、火山の冬か核の冬でも来ない限りはこのまま熱くなり続ける訳でして。先ずは問題を共有すべくポピュリズム対策から、なのでしょうかね。

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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二四-後祭り宵々山,京都散歩は暑すぎてヤバい!祭事継承にも熱すぎてヤバい!

2024-07-31 20:22:29 | 日記
■暑すぎてヤバい!
 暑すぎてヤバい!というのは祭事を継続する上でも影響が及ぼすほどの一種これは文化の継承という視点でも問題となります。

 祇園祭が熱くなり続けるという状況から気候変動についての話題に無理やりこじつけ、コジツケというのは直接現場を取材に行けない話題での北大路機関の常とう手段で代名詞のようなものだ、こうして話題を展開してきたわけなのですけれども。

 温室効果ガス排出は、途上国がこれから先進国へと転換してゆく際にどうしても輩出しなければならず、ようやく資源外交以外の工業製品を輸出できるようになったばかりの途上国に、いままで散々温室効果ガス排出を伴う先進国が何か言えるのか、と。

 気候変動対策は、いや言えるんだ、と先進国が地球は一つなのだからという言い分で途上国にも気候変動対策のレジームに、多少手心を加えているという厚かましさを突き付けているという事を、まず先進国と呼ばれる諸国の主権者は理解しているのでしょうか。

 先進国の主権者と呼ばれるたちばには、わたしなんかも含まれているのですが、結果論ですが、先行して経済発展を行う際の温室効果ガス排出を、例えば途上国などは遡上して訴求したいような錯覚に陥るのではないか、いわゆる、立場が違えば論では。

 排出権、という、温室効果ガスをゼロには、できないという立場から限定的に地球環境に影響を与える権利を金銭で支払う制度を構築して、しかし途上国には、先進国の過去の排出を相殺する意味で、手心を加えた様な、そんな制度は構築しているようですが。

 産業革命からの積算排出総量となると、とても排出権取引では相殺できないという言い分が成り立つでしょうし、すると先進国も、過去の植民地時代に近代化に尽力したではないか、という、日本以外の国では当然持っている価値観の反論に繋がりかねない。

 帝国主義の過去との歴史を掘り返すようなことになりかねず、気候変動対策は一歩間違えば世界の二分化、それも自由主義と社会主義のような構造とは異なる、思想信条だけでは解決できない対立、気温上昇どうするかという、対立に繋がりかねません。

 温室効果ガス帝国主義、いや違うなあ、ウォーラーステインやアンソニーギデンズあたりであればもう少しいい表現を出すのか、温暖の衝突、サミュエルハンチントンでもこんな安普請な表現はないだろうか、それにしても新しい対立の萌芽といえますが。

 日本と欧州とアメリカで、全く違う認識が先進国間でも生まれるのではないか。先ず欧州、欧州では移民が増大していますが、多くは途上国から、そして正規の手続きで移民として定着した方々は、言い換えれば温室効果ガス排出に歴史的な影響は少ない。

 途上国から21世紀に移民した方々とその家族にも、先進国民として温室工がガス排出削減の努力に伴う経済的負担を負わなければならないのか、となる。実際には、それを知っていて移民したのだろう、と反論されるのでしょうが、分断の温床となりえる。

 アメリカなどは分かりやすいのです、ヨーロッパ系とアフリカ系とアジア系とヒスパニック系で既に分断が起きているのだから、もっとも白人と黒人と黄色人種という言葉をやめても、分断という現実は解消しないどころか何一つ変わらないのですけれどもね。

 気候変動対策に内燃自動車全廃を掲げていますが、中古の50万円の自動車並みの航続距離を持つ電気自動車は500万円を超える、電気自動車一つとって、貧乏人はバスに乗れ、という主張にもなってしまう訳ですから、気候変動対策は分断と不可分なのです。

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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二四-後祭り宵々山,気候変動と経済開発は先進国と新興国の難しい関係

2024-07-31 20:01:19 | 日記
■宵山に気候変動を感じる
 祇園祭は無事閉幕となりましたが写真紹介はもう少し続く。

 気候変動、2000年代に大学で専攻を決める過程で様々な最先端の学問に接する事が出来て、視野が広まったことを感謝しています、その中に環境経済学というものもありまして、そう、SDG’sなんて言葉が出る遥か前の話ではあるのですけれども。

 国際経済学では大家の先生に学ぶことができまして、多国間国際分業と対外直接投資の流れとともに安全保障を特に軍事の視点から研究する事が出来たのは幸いだったのですが、多国間国際分業は、グリーバルサプライチェーンという一種の常識となって。

 多国間国際分業の根底は日本のトヨティズム、トヨタ自動車の1980年代からの東南アジア全体にひろがる部品流通網を分析することにより将来の、つまり現代のサプライチェーンを予測し理解できる、という点は慧眼であったのですが、ここでひとつ。

 軍需産業が端的な視座を供してくれるのですが、多国間国際分業により各国に工業化の基幹部分が醸成されるようになりますと、どの国でも、せめて必需品は国産品で揃えたい、という指導者や主権者の意思が働くようになり工業化の端緒につながる。

 家電や自動車となると、性能が不安定で高くつく国産品と安価な高性能の外国車と比較しますと、舶来品へ消費者の消費行動は収斂してゆくのですけれど、防衛装備品など、自分のフトコロではない部分では多少寛容となりうる、こうした流れが形成されて。

 エンブラエルなんかが代表例でしょうか、初期のものは開発独裁の時代だからこそ空軍が、軍事力強化ではなく産業育成のためというか、低性能短寿命のものを買い取っていましたが、我慢する事40年でKC-390輸送機を開発できる程度にまで成長します。

 カーン戦闘機と強襲揚陸艦アナドルにつづいて6万t級航空母艦建造を構想しているトルコなどもその一例で、インドのアージュン戦車やテジャス戦闘機も同じで、インドネシアのハリマウ軽戦車然り、タイの中国製戦車に搭載したタイ製電池パック然り。

 工業化は、同時にこの基盤を基に民需産業でも国際競争力を兼ね備えるようになる、外国製よりも国産品で生活を満たしたい、それにこたえられる性能と価格帯を確保できるようになれば、と。逆に基幹部分のパテント料で先進国は稼ぐようになる。

 サブスクリプト制度により、日本はこの部分で遅れているんだ、サーバーに通信や物流などなどのサービスの定額制の収益から、先進国では一気に脱工業化が進んでいる、実際造船を見るとイギリスは空母さえまともに建造できず岸壁の女王にかしずく。

 ただ、ここで気候変動対策、という問題を突き付けることで、下手をすると新しい南北問題を醸成するようになっている。昨今はグローバルサウスという言葉で説明していますが、それは、途上国という言葉がグローバルサウスに転換しようとする最中ゆえ。

 気候変動対策の要諦は温室効果ガス排出対策が中軸です、温室効果ガス大気中からの回収技術なども進められていますが、先進国は太陽光パネルに高度密閉建築物と電気自動車や原子力発電など、様々な技術が開発され、そして普及している、しかし。

 グローバルサウスにはこれら恩恵がないばかりか、原子力発電などの核開発も核不拡散条約という国際公序により制限されている、なにより社会保障が今後の課題であり、今は先ず経済拡大を進めねばならず、その為には温室効果ガスの排出が必至という。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二四-後祭り宵々山,大船鉾とともに意外な冷涼さを愉しむ

2024-07-24 20:24:09 | 日記
■豪雨と稲妻と祭事
 なのです。すでのな。急に何をと思われるかもしれませんけれども本日行われました後祭り山鉾巡行の宵々山は豪雨と稲妻と祭事というかんじなのでした。

 祇園祭後祭りの宵々山は、涼しかった。午前中が湖北でお仕事があり、もうこれ駄目だよたおれちゃうよお、というような湿気の高温とともに歩き回っていましたので、これよりも地獄を覚悟して京都まで戻しましたところが迎えてくれたのは意外な冷涼さ。

 気候変動対策が漸く功を奏した、わけではない、滋賀県が豪雨だったのです。そうこの日、晴天のはずなのですが正午ごろに猛烈なゲリラ豪雨が湖北地方を襲いまして、なんてことだコーヒー一杯の合間で天候激変だ、と右往左往していますとこれは不思議で。

 富士学校祭、この前日の富士駐屯地祭では正午ごろから豪雨という予報が出ていたので、状況終了っ、と訓練展示が完了しますと、もう装備品展示よりは撮影機材を雨にぬらさない方が重要だ、と撤収、ただ、予報は幸いにして外れた様なのですけれども。

 ゲリラ豪雨は三十分ほどで対岸の伊吹山が見えるほどに天候回復しまして、ちょうど近くに米軍の大将さんが来ていたので、大将の威光は凄いな、映画のパットン大戦車軍団みたいだ、と感心していたものの、三十分の豪雨程度では地面は冷えることもなく。

 蒸し暑い、以上の表現が欲しいですよね、かえって温度が炙るような暑さになって、湿気が凄いと噴き出た汗がそのまま不快感を増やすだけという状況で、こればかりはどうにもならない。ただ、その帰路に湖西線で、近江旭までは晴れていたよう思う。

 堅田まで数駅というところで、濃霧と快晴の境界線みたいなものが湖西線の車窓にはっきりとみえまして、トンネルを超えるとそこは雪国だった、わけではないが、トンネルを超えた瞬間に航空消防車に放水されたような水が窓に叩きつけられた。

 豪雨だった、と書くのは簡単なのですが、此処にせん光と轟音が同時に来るような、そう前日に聞いた富士学校のFH-70榴弾砲の空包射撃さえクラッカーの音に聞こえるような、弾着いま、としか言いようのない落雷が、効力射のように降り注いできて。

 223系電車だったからいいものの、113系電車とかで油断して窓開けていたら凄いことになっているような。新快速用の乗り心地の良いステンレス車両がこの湖西線に潤沢に回ってきたことに感謝しつつ、ああ、これ宵山この雨ではむりだなあ。

 落雷には驚いた、いまはなき74式戦車の空包射撃のような迫力だったのだけれども、水冷クーラーというか、堅田駅に列車が到着すると、すう、っと涼しい空気が車内に流れ込んできまして、そうか、このくらい降ると蒸し暑さを克服できるのか、と。

 夕刻だったので豪雨がさました大地を太陽が再加熱することを防いでくれたというのも大きいのかなあ、冷房の吹き出し口がそのまま列車の乗降口を兼ねている感じ。ただ、いずれにせよこの雨では祇園祭など、あとの祭り。まあ、後祭なんだけれどもね。

 山科駅で、この日は驚きが多い日だった、今一度驚いたのは、滋賀県と京都府の境界線をちょっと超えただけで、山科駅は小雨になっていた、傘が要らないくらいの。実はこの日、一日中猛暑と聞いていたので、富士では手放さなかった傘を用意していなかった。

 山城国、もう不幸ではないわ、というくらいに近江国から山城国への律令制境界線を越えるとともに雨が上がり初めまして、なんとなく想像できると思いますが、京都駅では、雨あがる、なのですね。そして同時に空気も冷涼さを戻した。もう不幸ではないわ、とね。

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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二四-前祭り宵宵々山,初夏の季節と思わせぬ猛暑と気候変動

2024-07-24 20:00:43 | 日記
■鶏鉾の椿事
 暑かったですよこのところ何処に行くにも涼しいというのがゲリラ豪雨の直後かその最中くらいしかないのでは、ねえ。

 祭事と気候変動、祇園祭も直撃するのかなあ、と思っていたところ、ちょっと前祭山鉾巡行は多忙、まあ、饗庭野とか百里とか富士とか明野とか今津とか三宮とか、色々ありまして行けなかったのですけれども、気候変動の影響か老朽化の影響か、鶏鉾が。

 山鉾巡行にて四条河原町の手前で鶏鉾の車輪が割れてしまうという、破断というよりはひび割れでたてに割れただけですので、動かないけれども倒壊する懸念はないものの、椿事というにはちょっと大きな出来事がありました、経年劣化か温度の影響なのか。

 鶏鉾、四条通が歩道拡幅工事をしましたので、こまったのは山鉾のなかでも有数の大きさを誇る鶏鉾が立ち往生してしまったことで、昔の四条通ならば、ちょいとよことおりますよと、山鉾追い越しできたはずです、車は四条通は追い越し不可だったかな。

 椿事というには、と思いましたのは、山鉾は車輪が木でできていますので、舗装されたアスファルト道路の高温を真正面から受けてしまう、ということなのですよね。2000年代はなんとか、2010年代の気温でもまあ何とかなったのかもしれないけれども。

 車輪が高温のアスファルトに耐えられないということはあり得るのだろうか、いや、実は曳き手のほうが高温に耐えられないということを懸念していたのですけれども、そのまえに我慢できる人間と違い、山鉾の車輪がやられたのではないかなあ、と思った。

 経年劣化だろう、と結論を出すのは簡単なのでしょうけれども、タマゴが目玉焼きになる、という最近のアスファルトの気温上昇は、そもそもこの祇園祭を始めた頃に想定していたのか、という事になるのですね、いや、熱さが経年劣化を早めたとさえいえて。

 宵宵々山、今回の写真は宵山の前日のそのまた前の晩を探訪しまして、いやこれ、提灯が灯されて幻想的な情景を愉しめるのですが歩行者天国になる訳では無いので、それほどひとごみがない、という点が、さあ散策してみよう、と思い立った経緯なのです。

 宵山はいかないのか、とおもわれるでしょうが、昨年、おおおーばーつうりずむ、と嘆きたくなるほどに、というよりもどこかの花火大会の後の歩道橋のような混雑が四条通を覆っていて、圧力も凄いのだけれども、熱気も、摩擦熱なのか、凄かったゆえ。

 気候変動というのもなんですけれども、兎に角このごろは宵の口ではまだまだ気温が下がらず平気で温度計が三十五度とかかかれている、昼間は三十八度線も簡単に超えてしまう、北緯三十八度線よりも京都では気温三十八度線の方が、いまそこにある危機だ。

 烏丸通を渡りきるのに十五分かかった、変な話、航空祭のC-1輸送機コックピット一般公開に並んでいるような速度でさえ進まない、96式装輪装甲車体験試乗の列くらいゆっくりとしか進まない状況で烏丸通を渡るのだから、その先の長刀鉾なんてとても。

 暑さというよりも熱さ、と書いている今日この頃、このまま気候変動、特に太平洋高気圧の張り出しが長期化したり大陸高気圧による台風接近が阻まれる気候変動が恒常化してゆくと、そもそも、日本文化、その要諦が気候の面から脅かされかねないのでは。

 温室効果ガス、といっても、先進国が過去大量に排出した分、途上国が漸く温室効果ガスで駆動する機関の恩恵により人並みの生活が成り立つようになったところを、果たして先進国が取り上げてしまう権利があるのか、と考えると、暗澹となるのですね。

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