北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

十二月末ダイヤ改正にてパノラマカー&全車特別車編成パノラマSuper廃止

2008-11-30 20:32:07 | コラム

■さよならパノラマカー 遂に来るその瞬間

 あと一カ月に迫った名鉄ダイヤ改正。これにより、名鉄は空港輸送と通勤輸送の両立を図るとともに、幾つかのシンボルが、車両として終着駅に到着する。

Img_3275  名鉄7000形パノラマカー、現在最後の四輌三編成が在籍し、旅客輸送というかたちでも営業運転を実施しているが、来月末のダイヤ改正により、その営業運転が終了する。1961年に営業運転を開始、その寿命は0系新幹線よりも長く、かつての3400形をも超える名鉄の象徴として君臨したが、その歴史は、遂に終着駅に到着することとなる。

Img_4232  1000形パノラマSuper全車特別車編成。内海や犬山に向かう観光特急として、名古屋と周辺都市を結ぶインタイシティとしてのビジネス特急として活躍した1000形であるが、1200形との一部特別車特急が名古屋本線以外にも運行に充当し、はや十年。特別車編成は、2000形空港特急に一本化され、残るすべての1000形全車特別車編成は、5000形通勤車に改修される。

Img_6164  国宝犬山城の城下町、名鉄が育て上げたといっても過言では無い観光集積地である犬山、その重要な交通手段として、犬山遊園駅から動物園駅を結んだモノレール線のMRM100形も、営業運転を終了、後継車両はなく、名鉄モノレール線は廃線となる。こうして、ひとつの時代が終わる、と考えると、なにやら胸を打つような気がする次第。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文および写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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0系新幹線 11月30日に定期列車として最終運転

2008-11-29 11:59:01 | コラム

■SHINKANSENを確立させた名車、明日が最後

 東京~大阪間590km、高度経済成長下の日本では、神戸までの東海道本線沿線、京浜・中京・阪神工業地帯に全国工業生産の実に七割が集中、東海道本線は国鉄20520kmの中で路線としては2.9%に過ぎないが全輸送重要の四分の一を担う超過密輸送路線であった。

Img_3106 新幹線前夜、五十年前の1958年に誕生、ビジネス特急として脚光を浴びた東海道高速特急、その日に行ってその日に帰れる事から“こだま”と称された特急がある。こだま1号が、0700東京発→1350大阪着、帰路は大阪1600発2250時着で日帰り可能、こだま2号は東京1600時発→2320神戸着、帰路は神戸を翌日0630時発→東京に1350時着というもの。日帰りできると行っても、大阪滞在二時間十分はあんまりだ。

Img_3090  そこで、過密状態の東海道本線を緩和するべく新しい幹線を整備、併せて高速運転を実現させる高い線路規格、車両限界を採用することで東京⇔大阪間の所要時間を抜本的に短縮することによって、約三時間という当時では考えられない短時間にて結ぶ、という計画が建てられた。

Img_3095 こうして、国鉄理事会は1956年、東海道増強調査会を、続く1957年に新しい幹線に関する調査会を発足、新幹線の必要性を認めた。東海道新幹線は1959年に建設が開始され、1964年に完成した。最高速度210km/h、表定速度170km/hという高速運転を行うべく安全性は特に重視され、高速運転により延伸した制動距離と安全を両立するべく、信号機は車内信号に、また、全線に渡り自動列車制御装置ATCが、そして東京駅総合指令所に列車集中制御システムCTCが、それぞれ整備されている。

Img_3105_2 高速運転を行うべく、車両は電車列車とされ、道路との交差は踏切を排してすべて立体交差、軌間は1435㍉を採用(東海道本線は1067㍉)、曲線半径も2500㍍以上(東海道本線は400㍍)とし、変電所は20km間隔で25ヵ所を整備、交流25000ボルト架線を採用、という優れた路線が整備された。

Img_3114  車両は、風洞実験により得られたデータを元に、大型かつ空気抵抗を考慮した流線型を採用。車体は軽量化を行うべく航空機などに用いられる軽合金を用いた張殻構造を採用。車体は全長25㍍、全幅3.5㍍というおおきな車両限界のもとで設計され、海側三列・山側二列の転換式クロスシートを採用した(後期型はリクライニングシートを採用)。

Img_3120  0系新幹線は、基本を踏襲しつつ様々な改良を加え、1986年まで生産が続き、実に3216輌という新幹線車両としては空前にしておそらく絶後の生産数を誇った。当然のように1965年に鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞。前年の1964年は小田急ロマンスカー3100系が、翌年の1966年は名鉄北アルプス8000系が受賞、両車とも既に歴史の車両であり、改めて0系の寿命の長さを感じさせる。

Img_3121  新幹線の登場は、世界的に見ても大きな意義を有する。航空機が著しい発展を示す当時において、高い信頼性と安全性、定時運行能力を兼ね備えた高速輸送機関として、鉄道は充分な役割を果たしうることを示したもので、事実、今日に至るまで新幹線は開業以来、営業運転における衝突事故や脱線事故により死者を出すことなく(飛び込み自殺やホーム事故を除く)、今日に至っていることは誇りとするべきだろう。

Img_3125  さてさて、いまや最高速度300km/h、東海道山陽道はもちろん、九州鹿児島から将来的には北海道にまで延伸する計画がある新幹線であるが、その中で文字通り最古参の車両である0系は、明日まで山陽新幹線こだま運行として短縮化された編成が最後の活躍を続けている。JR西日本HPによれば●こだま629号 新大阪(6:12発)→博多(10:41着)●こだま639号 新大阪(7:59発)→博多(13:09着)●こだま659号 岡山(14:51発)→博多(18:21着)●こだま620号 福山(6:09発)→新大阪(7:47着)●こだま638号 博多(9:19発)→岡山(12:53着)に0系が充当されるとのことだ。なお、混雑回避のために1503時岡山始発1838時博多着の臨時こだま697号が、16輌編成の500系にて運転されるとのこと。

Img_3130  0系新幹線は、平日でも撮影に乗車に、かなりの人気である。写真は、そうとは知らず新大阪駅にて、のぞみ号をまっていられる皆さんの前に到着した0系という図。鉄道愛好家の皆さんに釣られて、一緒になってカメラを急ぎ取出し撮影する老夫婦もいらした。車内は大きく変わっており、短縮編成化された車両は、最盛期の姿からやや離れているものの、人気は、最盛期と何ら変わらず、明日、最後の営業運転を行う。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文および写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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岐阜基地航空祭2007(岐阜基地開庁50周年記念航空祭) (7)

2008-11-28 17:11:59 | 航空自衛隊 装備名鑑

■岐阜基地航空祭2007

 ブルーインパルスの飛行展示終了とともに、岐阜基地航空祭の全プログラムは終了。気づけば航空祭詳報も今回で最終回、第七回である。今回は、岐阜から所属基地に帰投する機体の写真を紹介したい。

Img_7744  浜松基地に帰投する浜松救難隊のV-107救難ヘリコプター。岐阜基地航空祭では、救難展示のヘリコプターとして活躍していたが、今年のヘリコプターはUH-60Jが実施した。陸上自衛隊の輸送ヘリコプター、海上自衛隊の掃海ヘリコプター、そして航空自衛隊の救難ヘリコプターとして、三自衛隊共通ヘリという傑作機であるが、2007年、老朽化により、陸海ではすでに過去の機体、航空自衛隊でも浜松救難隊、新潟救難隊に数機を残すのみとなっている。

Img_7745  機体は川崎重工にてライセンス生産されたもので、川重の工場のある岐阜へは里帰りのような印象もある。全備重量9.7㌧、航続距離は1000km。二つのローターを有するタンデムローター方式を採用しており、この結果、キャビンの容積は25名の人員もしくはジープなどを輸送可能という、かなり大きなものとなっている。

Img_7702  UH-60J救難ヘリコプターが帰投する。大型輸送機に搭載することを前提として低く設計された汎用ヘリコプター、実はこうみえて全備重量10㌧と、V-107よりもやや重い。航続距離や速度の面でV-107よりも若干性能が勝っており、航空自衛隊と海上自衛隊では救難ヘリ、陸上自衛隊では輸送ヘリとして採用、機体設計を流用、海上自衛隊ではSH-60JやSH-60Kとして主力哨戒ヘリコプターの任にもついている。

Img_7708  ヘリが帰るなら人も帰る。当然である。そろそろ夕日が見える時間、航空祭の余韻を残しつつ帰途につく招待客の皆さん。エプロン地区の端には招待客向けの座席区画が用意されている。地上展示機の撤収に伴い、入場者も続々帰り始めている頃合いだ。たぶん、名鉄各務原線やJR高山線の各駅も、すごい混雑となっているのだろう。

Img_7751  新南門、正門、北地区会場を結ぶ有料シャトルバス、これに乗れば北まで長い距離を歩かなくてもいいのだが、誘導路沿いを歩くと思わぬものも撮れるのでよしとしたい。拾万人以上が詰めかける航空祭ということもあり、写っているバスは本の一部なのに、かなりの数が並んでいる。後方に見える大きな建物は、いまだ初飛行に至らない国産次期輸送機C-X用に建てられた新格納庫だ。

Img_7724  対戦車ヘリコプターと観測ヘリコプター、多用途ヘリコプター三機による異機種編隊飛行、これぞ個人的に岐阜基地航空祭名物、陸上自衛隊ヘリコプター部隊である。ヘリコプターとは、異機種編隊が当然のような運用が行われる航空機、揃って明野駐屯地まで編隊を組んで飛行してゆく堂々の帰投だ。

Img_7727  ヘリコプターは、航空管制の中でもホバリングにて移動することができる。明野駐屯地にて平日、カメラを並べていると、ヘリコプターが模擬対戦車攻撃で編隊にて寄ってきてくれる(としか思えないような)事もあり、ヘリコプターファンには嬉しい、固定翼機では不可能な突発的飛行展示(?)を披露してくれるのだ。

Img_7730  OH-1観測ヘリコプター。岐阜の川重にて誕生した国産機は、機動性に優れた機体ということで有名だが、それを示すように帰投フライトの際に、宙返りを含め盛んに機動飛行を展示してくれることで知られる。プログラムには記載されていない飛行ではあるが、終了間際、岐阜基地航空祭の隠れた名物、と個人的に考えている次第。

Img_7713  三沢基地に帰投するE-2C早期警戒機。航空雑誌に写真が掲載されていたが、三沢基地では翼を折りたたんで掩体運用されている。今日は日曜日ということで羽を伸ばして地上展示に参加していたこの機体は、もともと艦載機、小回りの利くE-2Cは離陸とともに会場にて見送る来場者に翼をびゅんびゅん振って応えていた。

Img_7717  航空自衛隊名物(?)、公道では中中見かけることが無い見た目がレトロな旧式ボンネットトラック。陸上自衛隊のトラックは演習場と駐屯地を繰り返し走り回り、呼ばれれば九州北海道と長駆走り回るのに対して、航空自衛隊の一部トラックは、部品運搬などで基地内のみ運用しているものもあり、寿命が長いトラックもある。そのうちの一台がこのトラックだ。

Img_7032  撤収作業に携わるトラックや隊員とすれ違いながら、一行は基地から駅へ。岐阜基地航空祭2007は、米軍機の参加がなくエプロン地区も改修中ではあったものの、快晴に恵まれブルーインパルスも参加、加えて50周年ということもあり、F-15J改が初めて参加、多機種大編隊もC-1FTBが参加するなど、見どころの多い航空祭であった。

 最後になりましたが、当日、現地にてご一緒しました皆様、ありがとうございました。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文および写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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岐阜基地航空祭2007(岐阜基地開庁50周年記念航空祭) (6)

2008-11-27 19:21:09 | 航空自衛隊 装備名鑑

■岐阜基地航空祭2007

 岐阜基地航空祭2007詳報、その第六回は、第4航空団第11飛行隊、つまり、ブルーインパルスによる展示飛行の様子を掲載したい。

Img_7613  岐阜基地航空祭2007のフィナーレを飾ったのは、松島基地より展開したブルーインパルスによる曲技飛行の展示である。曲技飛行のGに耐えるべく特別に機体の一部を補強したT-4練習機を駆使し、計算し尽くされた展示飛行プログラムを大胆かつ高度な操縦技術により見せつけるのが、ブルーインパルス。

Img_7469  ブルーインパルスは、かつて浜松基地にて当時の要撃機であったF-86Fを用いた戦技研究部隊が、無線のコールサインとして用いていたコールサインを起源としたアクロバットチーム、その存在は航空機ファンのみならず、一般にも深く浸透している、航空自衛隊の看板部隊だ。

Img_7564 1960年に発足以来、航空自衛隊の航空祭や自衛隊関連行事のみならず、東京オリンピック開会式を筆頭として、国家的行事にも参加したことで、その知名度を大きく高めた。オリンピック開会式中継にCGを使う国もあるようだが、ブルーの飛行展示は大観衆の前に、やり直しの利かない本番と本物。

Img_7522  F-86Fから始まり、国産超音速練習機T-2、そして1996年には現在のT-4練習機を飛行展示の心強い相棒として大空を飛んでいる。このブルーインパルスの飛行展示は、最初に四機がスモークを曳きつつ離陸し、続いて二機が空中にて合流、六機編隊での飛行展示を行う。

Img_7624  6機が合流しての飛行展示開始。ブルーインパルスのパイロット達は、お互いの性格や癖をつかみつつ、カバーし合って、技術力を向上させるチームワークを何よりも重視している。一瞬の錯誤が大事故に繋がる空が舞台だけに、高い技術力へ、出来ることは何でもしよう、というのがブルーインパルス。

Img_7594  六機編隊にてエプロン正面からスモークとともに飛来。シャッターをきるおとが周囲から次々と。ブルーインパルスの写真は、実は簡単ではない。カラースモークと飛行展示、その一瞬の交錯を迫力が滲み出るようなアングルとして如何にしてカメラに収めるか、というものもひとつの醍醐味。

Img_7598  編隊飛行、ブルーインパルスは、毎日原則として三回行われる訓練飛行に加えて、航空祭や行事参加に伴う移動スケジュールという網目の中を、文字通りアクロバティックに調整し、技術を維持している。飛行はもちろん、支える整備小隊も、この網目の中を縫うように確実な安全と最大の能力発揮へ日々が本番だ。

Img_7607  ブルーインパルスに求められる技量は、通常の航空機パイロットに求められるものすべてが求められ、加えて確実なアクロバットを行うための技術が求められ、自信満満で配属されたパイロットは、実際にその操縦技術をT-4の後席から目の当たりにすると、文字通り蒼い衝撃を受けるのだとか。

Img_7615  編隊で天空に向かい、頂点に達すると、一斉に降下を始める。滑走路南側まで頑張って歩いた成果というべきか、順光の大空が舞台だ。ブルーインパルスの背景、蒼い、碧い、青い、などなど様々な空の色彩を表現する言葉が浮かぶ。そこに、すっとT-4の機体から白いスモークが描かれてゆく。

Img_7617  ジェットにより、スモークはコンマ秒で、そのかたちを変える、そこを切り取ったのがこの一枚。ブルーインパルスは、何にしても絵になる。順光の写真はもちろんだが、それだけではない。逆光の太陽とスモークを真下から超広角で撮影した写真を見たことがあるが、あれは凄かった。

Img_7479  T-4練習機は、その流線型の形状から、ドルフィンというニックネームがある。様々な飛行展示を見上げると、確かに生きているような印象、操縦性の高い亜音速機ならではのもの、というべきか。様々な演目の名前があるのだが、思い浮かべる間もなく、撮影を続行、この瞬間スモークとともに頭上を航過。

Img_7482  そして一気に編隊を切りかえる。前日行われた小牧基地航空祭、この岐阜基地からほんの30kmほどしか離れていないのだが、雨天というざんねんな結果であった。しかし、小牧基地のエプロンからは、遠く、ブルーインパルスの予行の様子が望見できたそうだ。予行の成果を発揮している瞬間。

Img_7644  ちなみに、岐阜基地航空祭2007の撮影には、CANONの入門用デジタル一眼レフとして名高いEOS KissDigital Nに70~300㍉レンズと18~55㍉レンズを装着して撮影。決して充実した機材ではないが、基本的な撮影機材でも、撮影ポイントの工夫でこれだけの写真を撮影することができた。

Img_7651  今回の岐阜基地航空祭でブルーインパルスが展示したのは、第1区分というもの。前日の雨天により、予行に影響が出た、ということなのだろうか、飛行展示はすべて実施ができなかったのが難点だが、それでも、ブルーインパルスの完璧な飛行展示に、期せずして拍手があがっていた。

Img_7655  飛行展示を終了して、次々と着陸するT-4練習機。こうして、岐阜基地航空祭2007の飛行展示プログラムはすべて終了した。このブルーの着陸とともに航空祭も撤収作業に移行、地上展示に展開していた外来機も帰投の準備を開始した。外来機の帰投フライトなどについては、次回に掲載したい。

HARUNA

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岐阜基地航空祭2007(岐阜基地開庁50周年記念航空祭) (5)

2008-11-26 13:46:55 | 航空自衛隊 装備名鑑

■岐阜基地航空祭07

 岐阜基地航空祭2007年10月28日に行われたこの航空祭は岐阜基地開庁50周年。航空祭日和というべきか、天は10万3000名もの観客に応えるべく快晴の大空を供していた。

Img_7204  岐阜基地航空祭、一般開放されているエプロン地区は、多くの地上展示機や各種装備品が並べられており、コックピットの一般公開も行われ大盛況であった。しかしながら、滑走路の北側にあるエプロン地区は、残念ながら逆光になってしまうのだ、そういう理由からあえて遠い南側地区に到達した次第。

Img_7208  滑走路南側地区は、そこまで混雑してはいないものの、やはり最前列付近の混雑は岐阜基地航空祭の人気ぶりを示すほどの盛況だ。したがって、最前列に近寄れないため滑走路を離陸する様子はさすがに撮れないものの、それでもいい、空が青く写る順光なのだし、離陸した機体を撮ればいいのだ。

Img_7215  多機種大編隊に向けてC-1輸送機の離陸を筆頭に次々と飛行開発実験団の各種航空機が離陸してゆく。F-4EJ戦闘機も轟音とともに青空を背景に二機編隊で大空に向かってゆく。すでにオープニングフライトの離陸よりも多くの機体が空に舞い上がっているのだ、それだけに大編隊への期待も高まる。

Img_7229  F-15Jも離陸を終えてさらに基地の南側を進んでゆく。基地から一時離れて編隊を組んでゆく。こうして編隊を整え、岐阜基地上空に多機種大編隊の威容を示すのだ。こうした写真、最前列付近に進んでしまうと周囲の脚立が上空への視界を遮るので、一歩引いてみるのがポイントなのかもしれない。

Img_7254  F-4ファントム。航空自衛隊に採用された要撃機の中で、唯一、艦載機に起源を持つ機体ということで根強い人気がある(F-86もFJ-2フューリーや改良型のFJ-3,FJ-4等として艦載型があるが、もとは空軍用として開発された機体)。米海軍の空母航空団から最後のファントムが引退したのは1987年、もう二十年も前なのか、と思うが空自のEJ型は近代化改修で能力は第一線級だ。

Img_7274  C-1を先頭に編隊を組んで、岐阜基地上空に接近する多機種大編隊。これこそが岐阜基地航空祭の醍醐味である。異機種による大編隊飛行は、例えばRF-4とF-15、T-4の編隊を披露する百里基地航空祭やF-2と米空軍のF-16が編隊を組む三沢基地航空祭などなど多いものの、これほどの規模の多機種大編隊は、岐阜航空祭ならではのもの。

Img_7280  輸送機、練習機、要撃機、支援戦闘機。上空からは様々な機体からの多彩なエンジン音に交じり、キャノン、ニコンを始め様々なカメラから発するシャッター音が地上から応える。岐阜ならではのこの編隊が、絶好の航空祭日和の快晴に恵まれたのだ、シャッターを押すにも力が入ってしまうのは小生も同じ。

Img_7283  T-2練習機やその前にはT-33練習機もこの編隊に加わっていたという岐阜基地航空祭。T-2の細長い美しい機体がこの編隊から消えてしまったのは、やや寂しい気持ちにもなるが、空の勝利は技術にあり、消える機体もあれば、新しく生まれる機体もこれからあるわけで、その象徴が、多機種大編隊の顔ぶれなのかな、と考えたりもした。

Img_7293  編隊を次の隊形に移行するべく、各機が散開する。その際にF-15Jがアフターバーナーを焚いて機動飛行を展示する。アフターバーナーから迸る紅い光が、真昼にもかかわらずここからも確認できた。鋼鉄の猛禽は、写真では伝わらないほどの轟音を響かせ、次の編隊を組むべく、基地上空を去ってゆく。

Img_7313  C-1輸送機を先頭に、今度は傘型隊形で岐阜基地上空に進んでくる。この多機種大編隊による展示、C-1輸送機を二号機に見立て、サンダーバード、と表現する方もいるくらいだ。なるほど、いわれてみると、これにも納得。しかし、1号機と3号機は、どれになるのかな、と思ったりもする。

Img_7000  岐阜基地開庁50周年!、五機種12機の航空機が“50”の文字を模した編隊を組む。こう書くと簡単そうだが、それぞれの機体は、操縦特性も速度も異なるので、こうした編隊を組むには以外と高い技量が必要になる。この50型編隊(いま命名)を展示してのち、多機種編隊飛行は余韻を残しつつ終了した。

Img_7361  編隊を解くとともに機動飛行を展示するF-4ファントム。機動飛行も二機揃うと迫力は大きく増す。着陸するのだが、不通に着陸するのでは芸が無い、ということなのだろうか、着陸する機体の順番待ちをしつつ、その滑走路上空では、機体が機動飛行を繰り返し、乱舞しているのが嬉しい。

Img_7372  F-2が機動飛行の際に激しいヴェイパーを曳く。空気中の水蒸気が航空機の激しい運動により、瞬間的に雲となる、この情景は、航空祭でなければ見えないものだ。それにしても、順光で撮影するとF-2の海洋迷彩はよく空に溶け込み、ヴェイパーが強調される。ううむ、長いこと歩いてここまで来たのは正解だった、と個人的に満足。

Img_7391  C-1輸送機が機体後部のカーゴハッチを開いて展示する。C-1FTB,この機体はC-1初号機として製造された機体で、各種試験の母機に用いるために飛行開発実験団に配備されている。もともと、C-1には迷彩は施されず運用されていたが、現在は、このFTB以外、迷彩を施して運用されている。通常のC-1も岐阜には配備されているので、この一枚だけでも岐阜ならでは、といえるのかもしれない。

Img_7400  編隊を組んでいた機体が着陸する。ちょうど、滑走路を見渡せるところに空きがあったので、そこから撮影。望遠レンズで、隙間を縫うように撮影したので、思うようには撮れないのだけれども、それは仕方ない。滑走路の反対側から撮影する、というだけで、ここまで情景が変わってくるものなのか、と驚いた次第。

Img_7182  着陸する機体うぃお静かに迎えるのは、T-2練習機107号機、ラストフライトを飾った機体だ。保存展示区には展示されておらず、近くから撮影することはできなかったが、その分周りに人がいない写真を撮ることができた。T-2という多機種大編隊を構成していたOBが、地上から航空祭を見守っているわけだ。

Img_7405  F-15も着陸だ。滑走路南側から撮影すると、北側から撮影した時の、山に囲まれた基地、という印象は幾分和らぐ。背景にある建物は官舎ではない、基地と国道を挟んで向こうには、マンションもある。しかし、このマンション、基地を一望できる立地で、航空祭をみるには絶好の位置にあるのだなあ、とおもったりもする。

Img_7417  F-2も着陸、岐阜基地管制塔を背景にカラフルな試作機塗装を身に纏ったF-2Bだ。こうして管制塔や格納庫が並んでいると、基地!というイメージが強調されている一枚だ。F-2の背景には、先ほど撮影したF-15が誘導路を一般開放されているエプロン地区へ向かって行くのがよく見える。

Img_7422  F-2の着陸とともに、岐阜基地航空祭の真打というべき、多機種大編隊は幕を下ろし、続いて航空祭の華というべき、ブルーインパルスの飛行展示が開始される。このブルーインパルス飛行展示とともに、入場者は最盛期を迎え、模擬店区画にいる入場者の人たちも、エプロン地区へと移動する。そのブルーインパルス飛行展示については、次回掲載予定。

HARUNA

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岐阜基地航空祭2007(岐阜基地開庁50周年記念航空祭) (4)

2008-11-25 22:35:51 | 航空自衛隊 装備名鑑

■岐阜基地航空祭07

 岐阜基地の撮影ポイントは?、岐阜基地撮影地点のお薦めは?というキーワードの検索にての本ブログへのアクセスがここ数日激増しているが、正直、歩けばそれだけ多くのポイントがある、まずは散策!散策!!。

Img_7089  岐阜基地航空祭2007は、オープニングフライトに続き、今度は救難展示である。陸自の駐屯地祭であれば、“部隊整列・指揮官巡閲・訓示”・“観閲行進”・“訓練展示・模擬戦”・“装備品展示”のだいたい四回にわけて詳報掲載、となるのだが、航空祭は真面目に掲載してゆくと先が長い。だいたい、滑走路の南側に行く!って書いてからけっこう経つのだ。

Img_7100  救難展示は、これまで浜松救難隊のV-107救難ヘリコプターが実施していたのだが、2007年からはUH-60Jが実施した。いよいよV-107も除籍が近づいているのだ、と実感する(地上展示には参加)、洋上迷彩を意識したロービジ塗装のUH-60Jは、エプロン地区周辺を中心に機動飛行を展開した。

Img_7112  続いて救難隊員が落下傘降下。・・・、ちと遠すぎるのでは?と思われるかもしれないが、その通り、滑走路南側に向かう道中に遥かかなた救難展示を撮影したという状況なので、展示は1kmほど先で行われている次第。救難展示は、エプロン地区でみるのがいちばんよくみえるのだが、まあ、救難展示をやっている的な証拠写真はここからも撮影可能だ。

Img_7156  救難展示は、だいたいどこの航空祭でもみることができるし、と割り切って行動した次第。異機種編隊飛行、“異”という漢字が好きではないので当方は、多機種大編隊、と呼称しているのだが、これの離陸までになんとしても滑走路南側に行かなければならない。UH-60Jの背中をみつつ、移動を続ける。

Img_7082  U-125,これは救難展示の捜索機ではなく練習機。滑走路の北側から離陸を撮影した写真なので、このように機体の影を写すこととなり、どうしても機体が黒っぽく、更に空は逆光で白っぽくなってしまっている写真だ。航空雑誌に掲載される青空と美しい塗装の飛実団航空機、という写真は順光の写真だから、ね。

Img_6982  はやくつけはやくつけ!と心の中で数百回唱えた頃、ようやく、滑走路南側に到着。詳報を掲載してからすでに四回目だ。セイバーが待っていた。F-86Fは1955年から1982年まで航空自衛隊で、要撃機、そして支援戦闘機として運用された機体だ。セイバーは、正門からはいったところにある保存機展示区に置かれている、つまり、遂に滑走路の南側に到達したのだ。

Img_6967 シャトルバス使え!、といわれそうだが。まあ、徒歩で行くのも様々なものが見れて良い、と勝手に考えて、多機種大編隊の離陸が始まるまで、地上展示機を見る。C-46輸送機、第二次大戦の老兵で2㌧搭載の輸送機。C-1は8㌧搭載で、輸送力が足りない、航続距離が不足、といわれるが、そのまえは、このC-46だったわけで。ちなみに、いろいろ搭載量や操縦性や航続距離が言われていたF-1支援戦闘機&ASM-1対艦ミサイルの前は、前述のF-86Fに爆弾を搭載して支援戦闘機にしていたわけで。けっこう前進したのでは、と思ったり。

Img_6975 F-104.単座型複座型を合わせ230機が航空自衛隊に配備された機体。1959年に導入が決定した超音速戦闘機で、地上レーダーの情報を統括するバッジシステムとの連動が実現した最初の要撃機であり、航空自衛隊に全天候要撃能力を確立させた機体である。1986年3月19日にアラート任務から退いたが、その後も無人標的機などに改修され、航空自衛隊近代化の一翼を担った。

Img_6976  F-86D。セイバードックと呼ばれるこの機体は、機首部分にヒューズE-4レーダーFCSを搭載し、全天候迎撃能力を有する機体として導入された。J47エンジンにはアフターバーナーが備えられていたものの、レーダーとともに故障が多かったとされる。武装は70㍉ロケット弾24発で、ミサイルや機関砲は装備しておらず、対戦闘機の戦闘は考慮せず爆撃機迎撃専用の機体。小牧に3個飛行隊、千歳に1個飛行隊が編成、1958年から1968年まで在籍した。性能には限界があったものの、レーダーを搭載した機体の運用は、のちのF-104運用の基礎を築いたといういみで果たした役割は大きい。

Img_6972  T-6G練習機。ノースアメリカン社製で17096機が生産された傑作練習機。航空自衛隊にもG型149機を中心に167機が運用され、映画ファンには「太平洋の嵐」などに旧軍機役で出演したことでも知られている。1964年に国産のT-1練習機を後継機として練習機としての現役を退いたが、捜索救難機や連絡機として1970年まで現役にあった。なお、写真のように、保存機には直接触れてみることができる。このほかにも多数の保存機が余生を送っている。

Img_7195  保存機を撮影し、滑走路南側にある模擬店の屋台で補給をしていると、多機種大編隊の飛行が始まるようだ。カメラを滑走路に向ける、すると、先ほどとは打って変って、陽光に銀色の機体を輝かせ、蒼穹の大空に上昇してゆくC-1FTBの姿が見えた。輝く機体と轟音が吸い込まれるような青空、そう、順光の撮影位置に展開した写真だ。多機種大編隊の写真は次回掲載予定、お楽しみに。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文および写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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Weblog北大路機関 作成記事第1000号の新規記事

2008-11-24 21:51:17 | 北大路機関特別企画

■1000号

 本日で、Weblog北大路機関は最初の記事を掲載して以来1000番目の記事を掲載することができました。

Img_2908  自衛隊関連行事に関する写真が、自分の関心事、そして撮影した写真と重なるということから、様々な行事を掲載し、加えて手元にある資料と照らし合わせ詳報として順次掲載してきましたが撮影する行事と掲載できる詳報の数では前者の方が多く、いまだ掲載に至っていない記事も多数存在し、なんとかそれらの模様をお知らせしたいと検討中です。

Img_3015  充分な校閲も出来ないまま掲載しているものも多いですが、これからも御笑覧いただければ幸い。記事の更新は、タイマー投稿が出来ないため、携帯しているノートPCにて、時には行事が行われている会場やその近くから掲載している次第。ともあれ、今後も力の続く限り、掲載を続けてゆきますので皆さんよろしくお願いいたします。

北大路機関

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Weblog北大路機関第1号記事掲載以来第999号記事に到達

2008-11-23 21:46:58 | 北大路機関特別企画

■阪急十三駅で執筆以来

 2005年7月29日、神戸三宮での慰労会の帰路、乗り換えを待った阪急十三駅のホームでノートパソコンをPHS回線にて繋いで立ち上げたのが、このWeblog北大路機関。

Img_8965  2005年の富士総合火力演習に、初めて一眼デジカメを撮影に投入、それまでデジタル懐疑派のフィルム派にて、毎回膨大なフィルム代と現像料とともに限られた行事に参加していた次第。なんとなれ、一回の行事における写真関連の一連の費用で、場合によっては京都から東京までの往復費用が出てしまうわけで、これがデジタルではほぼ不要になった事から、数多くの行事に行くことができるようになった次第。

Img_6101_1  こんな写真を撮りたい!というような写真を求め続けて、できる限り様々なアングルを試したのだけれども、気づけば記事の総数が999に達していたわけで、月日の経つものは早いものだなあと思いつつ、加えて、もともとの北大路機関は、開店休業状態なのに、Weblogに関して、よく今まで継続できたものだ、と友人からもよく言われる次第。

Img_1155  そろそろ本格的なHP化しては、ともよく言われるのだが、これに関しては、そのおおもととなる時間がまったく無く、このWeblogを更新するだけが精一杯でリニューアル工事なんて出来ません、という東海道新幹線のような状況。他方で、第二北大路機関(通称:2北)を含め、多くの方に見ていただいているのは書き手としては望外の喜び、ありがとうございます。

Img_5620  さてさて、学部受験の際に廃業(?)した鉄、の部分ですが、気づけばブルートレインは20世紀の頃と比べ激減、100系新幹線が東京に行かなくなったと思ったら間もなく0系が無くなり、数年で300系が無くなるという状況、あわててジャーナルとファンの購読を再開した次第。

Img_0056  久しぶりに撮影に名鉄を探訪すれば、いつのまにやら5500形は絶滅、数年間でデジタルに一枚も収めることなくいくつもの車両が無くなっており、十年前の鉄道ファンで廃止開始が報じられた7000形パノラマカーも、気づけば7500形は全滅しているという状況、7700形も例外を除き三河線専用に、大急ぎで撮影を開始した次第。

Img_8254  そもそも、京都のように、古いものは古いままに、と伽藍が広がり近代都市の一角は、悠久の時の流れに任せているのは例外中の例外で、6300系までも廃車が始まっている。記録できるのは今だけなのだ、という状況。そんな中で、記録を兼て、Weblog北大路機関は2北とともに、これからも前に進んでいこうと考えています。よろしくお願いいたします。

北大路機関

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岐阜基地航空祭2007(岐阜基地開庁50周年記念航空祭) (3)

2008-11-22 14:21:57 | 航空自衛隊 装備名鑑

■岐阜基地航空祭07

 岐阜基地航空祭2007の詳報第三回は、オープニングフライトを終えて着陸が始まるところである。岐阜基地外周道路ぶらり旅(?)、今回は誘導路を行く機体を間近に撮影した写真を特集したい。

Img_7001_1  岐阜基地航空祭2007、そのオープニングフライトは離陸した機体の機動飛行、模擬対地攻撃を交えながら、さっそくF-15,F-4,F-2という、岐阜基地ならではの異機種編隊による飛行を見せたのち、T-7を加えた編隊の妙技も披露した。しかし、これはまだまだ前座。岐阜基地異機種大編隊として多くの航空愛好家を唸らせる展示はこれからなのだ。

Img_6968_1  オープニングフライトを見せつけてのち、離陸した編隊は順次着陸してゆく。しかし、ただ着陸したのでは芸が無い、ということなのだろうか。T-7が全速で先ほど編隊飛行していたF-2と並んで飛行している。F-2は低速運動性能なども重視して設計された航空機である、ゆっくり飛ぶのは得意だ。

Img_6969_1  そしていきなりエンジン出力を上げると、そのままF-2はT-7を追い抜いていった。と書いてみると勇ましいが、前回までの記載をご覧の方はご存じ、当方一行は、遥か滑走路の南側に向けて徒歩にて移動中である。順光の航空機写真を追い求めて。まだ着かないのかよ!と思われるかもしれないが、本当に遠いのだ。

Img_6999_1  滑走路沿いに移動しているので、着陸の模様もよくみえる。ちょうど着陸したF-4EJが減速のためにドラッグシュートを開いた瞬間だ。撮影した滑走路までの最前列は、混んでるんじゃないの?と思われるかもしれないが、それはエプロン地区での話。遥か外周道路沿い後方1kmの話である。

Img_7000_1  着陸したF-4EJの上空をF-15Jが航過する。この写真を見ると、山がちの基地、という印象がある。実際、ストラトスフォーのOVA(岐阜基地が出てくる作品は、これくらいしか思い浮かばない)などでも、山奥の基地という印象があったが、名古屋まで約30km、岐阜や犬山の市街地からもほど近い立地だったりする。

Img_6984_1  着陸したT-7練習機。誘導路沿いなので、こういった写真も撮影できる。T-7は、これまでのT-3練習機の後継として開発され、2004年3月26日に部隊使用承認を受けた初等練習機。防府北基地の第12飛行教育団より部隊配備が開始、最後までT-3を運用していた飛行開発実験団にもT-7が配備された次第。

Img_6990_1  T-4練習機が、着陸し、こちらの誘導路に向かってくる。誘導路沿いの外周道路を歩いていると見ることができる情景、このためだけに4km歩く価値がある!かも。T-4は212機が生産された川崎重工の国産練習機。1985年4月17日にここ川重岐阜工場にて試作初号機がロールアウト、2003年3月6日に完納式が行われた。エンジンも含め、純国産機として完成した機体だ。反対側に見える機体は保存展示機のF-104,そこが目指す撮影場所だ。

Img_7007_1  F-4がドラッグシュートを切り離す。傍らには、ドラッグシュートを回収するための隊員が車両で展開している。F-4は、1971年より要撃戦闘機として導入され、1971年7月25日に最初の二機が、ここ岐阜基地に空輸された。1973年8月1日から百里基地の第7航空団に配備された航空機である。

Img_7013_1  F-4EJはマクダネルダグラス社からの直輸入に続き三菱重工によりノックダウン生産、ライセンス生産が行われ130機、ノックダウン生産を合わせ140機が配備された。当初APQ-120レーダーを搭載していたが現在はルックダウン・シュートダウン性能を有するAPG-66レーダーを搭載する改修を受けている。

Img_7018_1 F-4EJの性能を列挙すると全長18.6㍍m、全幅11.76㍍、全高4.99㍍、主翼面積は49.24平方㍍。最大離陸重量は26.3㌧、搭載エンジンはJ-79-GE-17で、アフターバーナー使用時の推力は8.12㌧あり、このエンジンを二基搭載している。航続距離は4200kmである。

Img_7025_1   武装は、サイドワインダーなど短射程ミサイル、スパローなど中射程ミサイルを計8発、機首には20㍉多銃身機関砲M61を搭載、機関砲弾は638発である。F-4EJは、F-4EJ改へ改修され、1999年1月に最後の改修機である90機目の機体が航空自衛隊に納入された。F-4からパイロットが手を振っている。

Img_7033_1  F-15Jイーグルが誘導路をこちらに向かう。このF-15Jも最初の機体は1981年3月27日に沖縄の嘉手納基地から、ここ岐阜基地に空輸され、航空自衛隊に納入された機体で、岐阜において実用試験を実施、1984年3月新田原基地の第204飛行隊に配備、百里の第7航空団に移駐した。航空自衛隊はライセンス生産など213機を調達。

Img_7034_1  F-15は、全長19.5㍍、全幅13㍍、全高5.6㍍で主翼面積は56.7平方㍍、最大離陸重量は25.4㌧。エンジンは二基のP&W F100エンジンで推力は各10.615㌧、最大航続距離は5550km。レーダーは探知距離185kmのAPG-63を搭載し、AIM-7やAIM-120、AAM-4といった射程の長いミサイルの性能を最大限活かしたアウトレンジ戦闘を実施、強力なエンジンによる近接した空中戦も得意な航空機だ。

Img_7037_1  航空自衛隊では、三菱重工とともにこのF-15Jの近代化改修計画を推進中である。現在、飛行開発実験団において試験が実施されており、セントラルコンピュータの換装やエンジン、レーダーの近代化に加え前方赤外線捜索追尾装置の搭載も実施、21世紀の日本の防空にも重要な任務水準を維持するべく岐阜において試験中である。

Img_7045  F-2支援戦闘機は、1995年10月7日に初飛行を達成した、日米共同開発の支援戦闘機である。全長15.52㍍、全幅11.13㍍、全高4.93㍍。主翼面積は34.84平方㍍。推力13.43㌧のF-110-GE-129エンジンを一基搭載し、航続距離は4000km。武装搭載量はこの種の機体としては大きい8.085㌧に達する。

Img_7048  三菱電機製J/APG1レーダーはアクティヴフュードアレイ方式のレーダーでルックダウン・シュートダウン能力の保持はもちろん複数目標への対処能力も高い。搭載する電子機器は統合ミッションコンピュータにより管制、電子測定記録機能搭載レーダー警戒装置・機上電波妨害装置・機械的電子妨害装置を統合した統合電子戦システムを搭載、脅威に対する回避能力は高い。

Img_7051  慣性航法装置も国産リングレーザージャイロを内蔵する高性能なものが搭載されている。操縦性も高く、三つの独立したコンピュータにより制御されるデジタル式フライバイワイヤ制御システムを搭載。これは機体制御最適化・自動安定・旋回自動制御・強化機動応答性・非バンク旋回能力を備えたCCV制御機能を有している。大きな兵装搭載量、高度な電子的防御能力、高い空中機動性を兼ね備えた小柄な高性能機、これがF-2だ。

Img_7067  ようこそ岐阜基地へ、おかげさまで50周年!と書かれた車両。F-4のドラッグシュートを回収する任務をおえた車両。任務遂行に必要な車両の総数は、実は人員が三倍ほど大きい陸上自衛隊よりも、航空自衛隊のほうが多いということだが、この種の後方支援車両が無ければ、いかな高性能機といえども性能をすべて発揮することはできない、重要な存在だ。

Img_7068  着陸した機体は、誘導路を曲がり終え、そして一列にエプロン地区に向けて進んでゆく。一般公開されているエプロン地区前を通過し、これら機体は、そのさらに奥で整備を受ける。そして次の異機種大編隊飛行に備えるのだが、そこでは次なる飛行展示、救難展示の準備が進められていた。救難展示や大編隊の展示詳報は次回以降に掲載、お楽しみに。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文および写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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岐阜基地航空祭2007(岐阜基地開庁50周年記念航空祭) (2)

2008-11-21 22:22:58 | 航空自衛隊 装備名鑑

■岐阜基地航空祭07

 地上展示機を撮影しつつエプロン地区を散策していると、轟音とともに次々と航空機が離陸、岐阜基地航空祭07はオープニングフライトの時間を迎えた、飛行展示の開始である。

Img_6889_1  岐阜基地航空祭2007、いよいよオープニングフライトとして次々と航空機が離陸していった。推力の大きなエンジンは機体を垂直に近い形で大空に舞い上がらせてゆく。離陸した機体は轟音を基地に残し、その姿は見えなくなる。離陸を終えて大きく旋回した機体は、可児市上空で編隊を組み、岐阜基地上空に向かってくる。

Img_6892_1  F-15J,F-2、F-4の編隊。航空自衛隊の要撃任務や支援戦闘を司る、象徴的な航空機三機種であるが、この三機種による編隊がみれる航空祭というだけでも貴重である。ただ、撮影したのは、エプロン地区であるので、逆光。機体は影が目立っており、空も蒼く写らないのが難点。

Img_6899_1  エプロン地区は地上展示機を撮影するために足を運ぶのだが、空が蒼く写るためには、飛行展示を順光で撮れる滑走路の南側に行かなければならない。まず、朝一で地上展示を撮影して移動、という予定で当方一行は行動。しかし、考え様によっては、正門から入場しオープニングフライトから滑走路南側で撮影、ほかの基地でも見ることができるブルーインパルス飛行展示の時間を利用して地上展示を撮影、という方法もあるのかもしれない。

Img_6908_1  オープニングフライトで見事な編隊飛行を展示した航空機は、そのまま編隊を解くと、機種ごとに機動飛行の展示を行う。如何なる状況にも対応できる各種機材を搭載した長大な機体を入手しうる最高の出力重量比をもつエンジンにより高度な機動性を付与した大空の猛禽、F-15Jが乱舞する。

Img_6921_1  F-4も負けてはいない。余裕のある大きな機体は、近代化改修により、今なお現役水準に留まる性能を備える。200機以上が調達されたF-15、その以前に日本の防空を担っていたのが約140機のF-4である。F-4EJを改修したF-4EJ改が支援戦闘機や要撃機として運用されているが、岐阜基地の飛行開発実験団には原型のF-4EJも配備運用されている。

Img_6927_1  F-2支援戦闘機。ホワイトを基調とした機体が試作機である。ところでお気づきだろうか、空が蒼く写っている、順光写真だ。これは、滑走路の反対側までざっと4kmの基地外周道路を僅か十五分で小生全力疾走・・・、したわけでは絶対なく、エプロン地区から基地の北側(つまり外)を飛行している機体を撮影したものだ。

Img_6930_1 F-4が機動飛行と模擬対地攻撃を行う。もともとF-4はヴェトナム戦争において対地攻撃にも活躍した航空機、しかし、ミグ戦闘機の迎撃を受ければ、そもそも艦隊防空を行う艦載機として設計された機体なので、即座に重い爆弾を放り出して、空対空ミサイルで逆襲に移ることができる、マルチロールファイターだ。

Img_6938_1  F-4EJとして航空自衛隊が導入した機体ではあるが、F-15の導入により余剰となったため、ASM-1対艦ミサイルを搭載して支援戦闘機に、そして要撃任務にも対応できる。F-15,F-2ともに安全確認のために飛行停止となった際には、F-4EJ改が日本の防空を一手に担ったことは記憶に新しい。

Img_6948_1

 F-2支援戦闘機も機動飛行を実施。対艦ミサイル四発を搭載し、航空優勢の競合地域外にある基地から、日本に接近する洋上からの脅威に対処する支援戦闘機である。極めて高性能な航空機で、日米共同開発の機体ということで、日本独自の近代化改修を行えるなど、任務の柔軟性に対応できる機体なのだが、何故か生産中止になってしまった自衛隊のおしん。

Img_6956  T-2練習機の保存機。さてさて、いつまでもエプロンにいても、逆光写真しか撮れないということで、当方も滑走路の南側に向けて長駆徒歩にて移動を開始する。T-2は日本が初めて国産化が叶った超音速機。細身の機体はいろいろといわれるような欧州機のジュギュアよりも、航空自衛隊の運用していたF-104を思い起こさせる。

Img_6960  T-2練習機の保存展示機のとなりを、遥か滑走路の南側に向けて歩いてゆく。その昔、撮影ポイントを探して、岐阜基地一周(もちろん一般道なので15km)を徒歩で踏破した、それと比べれば滑走路南側は近いのだが、それでも撮影機材を担いで歩くにはやや距離がある。途中で休息を撮りたくなったりする次第。

Img_6956_1  上空をF-4がゆく。移動の道中、休息はとるが、写真も撮る。航空祭以外でも、離着陸を滑走路南側丘陵から撮影することができるが、着陸する機体を真下から見上げるだけなのに対して、航空祭では、普段なかなか見ることができない機体上部もみることができる。そしてF-4に続き、編隊が接近する気配。

Img_6959_1  T-7練習機を先頭にF-2支援戦闘機、F-15要撃機、という編隊が航過する。飛行開発実験団には初等練習機であるT-7練習機も配備されているのだが、初等練習機と戦闘機の編隊飛行というのは、これまた珍しい。岐阜基地ならではの飛行展示は多い、入間基地航空祭に次ぐ規模の入場者を集める岐阜航空祭、その背景には交通の利便性や立地以上に、この展示内容があるのだ。

Img_6961_1  編隊飛行に並ぶ三機種。T-7練習機と比べてF-2やF-15の機体の角度が気になる。これは、T-7が全力で飛行しているのに対して、F-2やF-15が機体を傾けて抵抗を増やし、出来るだけ速力を落として飛行しているため。それにしても、岐阜基地航空祭ならではの面白い取り合わせだ。

Img_6962_1  こうして、オープニングフライトの編隊飛行は終了した。機動飛行を交えながら、これから順次着陸してゆくことになるのだが、救難展示、そして多機種編隊飛行(異機種編隊飛行)へと航空祭は進んでゆく。そもそも、滑走路南側にはいつ着くのか、そこはどのような場所なのか、については次回以降お伝えしたい。お楽しみに。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文および写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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