北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

京都平野神社 月夜に映える一分咲の夜桜

2007-03-31 21:24:29 | 写真

■平野の夜桜

 先日、北野天満宮・平野神社についての記事を掲載したが、平野の夜桜という記述を繰り返し使ったものの、よくよく記事をみかえせば肝心の夜桜の写真が無いということもあり、まだまだ満開には程遠いものの、一昨日、思い立ったら吉日ということで、夜景撮影へと展開した。

Img_7809  月の良い夜であった。夜桜見物といえば、二条城、清水寺などがあげられるが、友人と検討の末、入場料の不要な平野神社に行くということになった。考えてみれば入場料を支払って一分咲では悲しいという事もあろうし、一つ妥当な選択であったとえいよう。

Img_7788_2  平野神社の鳥居を先日とは逆の方向から撮影したもの。長時間露光にて撮影したものだが、常夜灯と水銀灯の淡い光が朱色の鳥居を浮き上がらせている。

Img_7759  平野神社という一目でわかる写真、昼間とは全く異なる情景。夜桜撮影に展開、とはいえ悲しいかな思いつき展開である為三脚の準備は無い、そういったときには兎に角発想にて勝負である。思いついたのはアタッシュケースの上にカメラを置き、セルフタイマーで撮影すること、そして真上にカメラを向けて置いて長時間露光での撮影である。

Img_7760  写真は、見方によっては、散った後で閑散とした屋台という情景に見えなくも無いが、一分咲のという状況である。一分咲であるため、見ての通り人通りは疎らである。なお、この通路を先に進むと西大路通である。

Img_7791  夜桜だけでは、ということで本殿に向かう。昼間とは異なった情景である。長時間露光であれば多少人影があっても、動いていれば写ることは無いが、光の加減によっては変な写り方をすることがある、しかし、今回は殆ど人がいない為思い思いの写真を撮影できた。

Img_7762  桜並木、平野神社の真骨頂というべき桜の回廊もまだ蕾である。隣の屋台や出店の喧騒な空間とは別次元のようである。蛇足ながら、この回廊は出入り自由であった。満開となれば、桜花が反射し荘厳な情景となる。

Img_7806  本殿に向かう途上にある満開の枝垂桜。多種多様な桜が境内一杯に並ぶ平野神社では、満開の桜もあれば蕾だけの桜もあり、開花時期が異なる桜により、より長い間、桜の花見を楽しむことが出来る、これも平野の夜桜が名高い所以の一つであろう。なお、茣蓙を広げての花見は、場所代一人当たり500円が必要である。阿漕な商売ともみえるが、コモンズの悲劇を防ぐ為には必要な措置なのだろう。

Img_7808  平野の夜桜、まだまだ開花と花見が楽しめるのはこれからである。写真にて掲載したのは平野神社の魅力のほんの一分も掲載できていないが、京都にはこうした桜花の名所が無数にあり、春を咲き誇っている、みなさんもお時間があれば春の京都をご覧に出掛けられてはいかがであろうか。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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陸海空自衛隊関連行事 四月期実施詳報

2007-03-30 22:48:42 | 北大路機関 広報

■自衛隊関連行事

 新年度に入り、自衛隊関連行事も活況である。公開される行事を把握できるだけでもざっと30、一般公開されない行事も仙台駐屯地など多くあり、桜の時期と重なり華やかな行事となろう。

Img_2012  四月期は、十五日に第一師団と第十二旅団の創設記念行事、二十二日には第六師団、第八師団創設記念行事が開催される。師団記念行事は、師団の装備する様々な装備品が一度に見ることが出来、観閲行進などの規模も比較的大きい。特に第十二旅団は山岳地帯を警備区として有することから空中機動旅団として名高く、更に師団改編を終えた第六師団記念行事も注目であろう。

Img_2820 航空祭や航空基地祭は予定されていないものの、高遊原分屯基地祭では所属する西部方面航空隊などの飛行展示が行われ、八戸駐屯地では対戦車ヘリコプター隊、師団飛行隊の飛行展示がおこなわれよう。更に第六師団司令部が置かれる神町駐屯地は飛行場と隣接している。このほか航空自衛隊の熊谷基地さくら祭では、飛行展示なども予定されているという。また、明日、3月31日には米海軍厚木基地において日米親善桜祭が予定されているという。

Img_2607  戦車部隊の駐屯地祭としては、駒門駐屯地祭がある。ここには第一戦車大隊が駐屯しており、機甲部隊の教育訓練部隊も駐屯している。更に大和駐屯地には第六戦車大隊が駐屯している。なお、普通科連隊の駐屯する駐屯地でも戦車や航空機が式典に参加するのは本ブログの記事を参照していただければ幸いである。また、昨年は航空機事故により陸上自衛隊行事では航空機参加が9月以降自粛となったが、新年度は再開、事故のない一年を祈りたい。

Img_9042_1  このほか、下志津駐屯地には高射学校があるため、87式自走高射機関砲などの珍しい装備が展示されるだろう。このほか、ある意味で注目の行事としては守山駐屯地創設記念行事で、装備品展示も行われるのではないか、とのこと。師団創設記念行事ではないので、観閲行進や訓練展示はないとおもわれるが、興味をそそられるものである。

 なお、自衛隊関連行事に展開される方は、電話確認などで実施の有無などを確認することをお薦めしたい。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

■四月一日:駒門駐屯地創立47周年記念行事(陸上自衛隊駒門駐屯地・静岡県御殿場市):0550-87-1212 ・・・第一戦車大隊、第一機甲教育隊、第一高射特科大隊などが駐屯

■四月一日:航空学生入隊行事(海上自衛隊小月航空基地・山口県下関市):0832-82-1180・・・小月教育航空隊、教育訓練用のT-5練習機などを配備

■四月七日:滝ヶ原駐屯地創立33周年記念行事(陸上自衛隊滝ヶ原駐屯地・静岡県御殿場市):0550-89-0711・・・普通科教導連隊、教育支援施設隊などが駐屯

■四月七日:守山駐屯地創設48周年記念行事・桜フェスティバル(陸上自衛隊守山駐屯地・愛知県名古屋市):052-791-2191 ・・・ 桜祭

■四月八日:宇都宮駐屯地創立57周年記念行事(陸上自衛隊宇都宮駐屯地・栃木県宇都宮市):028-653-1551・・・第12特科隊、第4施設群一部部隊、第6地対艦ミサイル連隊が駐屯

■四月八日:新町駐屯地創立56周年記念行事(陸上自衛隊新町駐屯地・群馬県高崎市):0274-42-1121・・・第12後方支援隊が駐屯

■四月八日:さくら祭(航空自衛隊熊谷基地・埼玉県熊谷市):048-532-3554 ・・・ 航空教育隊第二教育群、第四術科学校、第一移動通信隊の基地

■四月十五日:第一師団創立45周年記念行事・練馬駐屯地創立56周年記念行事(陸上自衛隊練馬駐屯地・東京都練馬区):03-3933-1161・・・首都圏を警備区とする第一師団司令部が置かれ、第一普通科連隊、第一偵察隊、第一通信大隊、第一化学防護隊、第一後方支援連隊が駐屯、師団行事である為隷下部隊も参加

■四月十五日:信太山駐屯地創立50周年記念行事(陸上自衛隊信太山駐屯地・大阪府和泉市):0725-41-0090 ・・・第37普通科連隊が駐屯

■四月十五日:第12旅団創立6周年記念行事・宇都宮駐屯地創立54周年記念行事(陸上自衛隊相馬原駐屯地・群馬県榛東村):0279-54-2011 ・・・ 関越地方、信州地方を警備区とする第12旅団司令部が置かれ、第48普通科連隊、第12ヘリコプター隊が駐屯、旅団行事である為隷下部隊も参加

■四月十五日:郡山駐屯地創立54周年記念行事(陸上自衛隊郡山駐屯地・福島県郡山市):024-951-0225・・・第六特科連隊、第六高射特科大隊が駐屯

■四月十五日:高良台分屯基地開庁記念行事(航空自衛隊高良台分屯基地・福岡県久留米市):0942-21-7400・・・第8高射隊のペトリオットミサイル部隊の分屯基地

■四月二十一日:湯布院駐屯地創立51周年記念行事(陸上自衛隊湯布院駐屯地・大分県由布市):0977-84-2111・・・西部方面特科隊が駐屯

■四月二十二日:第6師団創立45周年・神町駐屯地創立51周年記念行事(陸上自衛隊神町駐屯地・山形県東根市):0237-48-1151・・・東北地方南部を警備地区とする第六師団司令部が置かれ、第20普通科連隊、第6施設大隊、第6通信大隊、第6飛行隊、第6化学防護隊、第6後方支援連隊が駐屯、師団行事である為、隷下部隊が参加

■四月二十二日:第8師団創立45周年・駐屯地創立50周年記念行事(陸上自衛隊北熊本駐屯地・熊本県熊本市):096-343-3141・・・九州南部を警備地区とする第八師団司令部が置かれ、第42普通科連隊、第八特科連隊、第八偵察隊、第八通信大隊、第八化学防護隊、第八後方支援連隊、第八高射特科大隊が駐屯、師団行事である為、隷下部隊も参加

■四月二十二日:幹部候補生学校開校53周年記念行事(陸上自衛隊前川原駐屯地・福岡県久留米市):0942-43-5215 ・・・陸上自衛隊幹部候補生学校

■四月二十二日:久居駐屯地創立55周年記念行事(陸上自衛隊久居駐屯地・三重県久居市):059-255-3133・・・第33普通科連隊が駐屯

■四月二十二日:松山駐屯地創立52周年記念行事(陸上自衛隊松山駐屯地・愛媛県松山市):0899-75-0911・・・第14高射特科中隊が駐屯

■四月二十二日:板妻駐屯地創立45周年記念行事(陸上自衛隊板妻駐屯地・静岡県御殿場市):0550-89-1310・・・第34普通科連隊、第3陸曹教育隊などが駐屯

■四月二十二日:松本駐屯地創立57周年記念行事(陸上自衛隊松本駐屯地・長野県松本市):0263-26-2766・・・第13普通科連隊、第306施設隊などが駐屯

■四月二十二日:高田駐屯地創立57周年記念行事(陸上自衛隊高田駐屯地・新潟県上越市):025-523-5117・・・第2普通科連隊、第5施設群などが駐屯

■四月二十二日:八戸駐屯地創立51周年記念行事(陸上自衛隊八戸駐屯地・青森県八戸市):0178-28-3111・・・第4地対艦ミサイル連隊、第五高射特科群、第九対戦車隊、第九通信大隊、第九後方支援連隊、第九化学防護隊、第九飛行隊、第二対戦車ヘリコプター隊などが駐屯

■四月二十二日:第2施設団創立46周年・駐屯地創立46周年記念行事(陸上自衛隊船岡駐屯地・宮城県柴田町):0224-55-2301 ・・・第二施設団本部が置かれ、第10施設群、東北補給処船岡弾薬支処などが駐屯

■四月二十二日:白山分屯基地開庁記念行事(航空自衛隊白山分屯基地・三重県津市):059-269-3111・・・第14高射隊、ペトリオットミサイルの分屯基地

■四月二十八日:多賀城駐屯地創立53周年記念行事(陸上自衛隊多賀城駐屯地・宮城県多賀城市):022-365-2121・・・第22普通科連隊、第一教育連隊、東北方面補給処多賀城燃料支処などが駐屯

■四月二十八日:大村駐屯地創立50周年記念行事(陸上自衛隊大村駐屯地・長崎県大村市):0957-52-2131・・・第16普通科連隊、第4施設大隊などが駐屯

■四月二十九日:大和駐屯地創立51周年記念行事(陸上自衛隊大和駐屯地・宮城県大和市):022-345-2191・・・第六戦車大隊、第六偵察隊などが駐屯

■四月二十九日:弘前駐屯地創立39周年記念行事(陸上自衛隊弘前駐屯地・青森県弘前市):0172-87-2111・・・第39普通科連隊、第9偵察隊などが駐屯

■四月二十九日:下志津駐屯地創立52周年記念行事(陸上自衛隊下志津駐屯地・千葉県千葉市):043-422-0221・・・高射学校が置かれる

■四月二十九日:和歌山駐屯地創立45周年記念行事(陸上自衛隊和歌山駐屯地・和歌山県美浜町):0738-22-2501・・・第304水際障害中隊が駐屯

■四月二十九日:高遊原分屯地創立37周年・西部方面航空隊創隊47周年記念行事(陸上自衛隊高遊原分屯地・熊本県益城町):096-232-2101・・・西部方面航空隊、第八飛行隊などが駐屯

■北大路機関

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。

■北大路機関アクセス解析

 北大路機関へのアクセスは、解析開始から58855件。2007年3月1日~30日2340時までの間のアクセス数は19247、一日平均で641アクセスありました。たくさんのアクセスありがとうございます。

Statsimg070330_2341  最大アクセスは24日の1133アクセス、最低アクセスは8日の242アクセスでした。なお、執筆者の意思として、“心神”のT-X転用案は一種、ネタですので、余り本気にせずにおいて頂けると幸いです。検索からのアクセスでは、春日井駐屯地祭、信太山駐屯地祭、大津駐屯地祭などの情報を求めるものが多く、急遽、詳報の掲載を決定しました。今後とも、3師・10師管区内行事の情報充実に邁進してゆきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

北大路機関

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海上自衛隊福井港サマーフェスタ 06.7.22

2007-03-29 02:33:05 | 海上自衛隊 催事

■はるな しまかぜ 福井港入港

 2006年7月22日、福井県福井港において海上自衛隊主催の広報行事、福井港サマーフェスタが開催された。この催事は、抽選による護衛艦体験航海と護衛艦一般公開、近傍駐屯地の陸上自衛隊装備展示が行われた。

Img_4634  ヘリコプター護衛艦“はるな”飛行甲板と、後方のミサイル護衛艦“しまかぜ”、“はるな”は舞鶴の第三護衛隊群旗艦であるが、後方の“しまかぜ”は隷下の第63護衛隊に所属している。なお、2007年3月の護衛艦“あたご”就役に伴い、交代するかたちで“しまかぜ”は、佐世保第二護衛隊群第62護衛隊へ転属となっており、“はるな”“しまかぜ”の貴重な写真である。

Img_4547_1  護衛艦“はるな”は、1968年度計画艦で、三菱重工長崎造船所により建造された海上自衛隊初のヘリコプター搭載護衛艦である。また、1973年就役と、現在では海上自衛隊においてもっとも古い護衛艦としても知られている。

Img_4811_2  “はるな”は、基準排水量4950㌧、満載排水量6800㌧、全長153.0㍍、幅17.5㍍、喫水5.2㍍、主機蒸気タービン二機二軸、出力70000馬力、速力31ノットで、武装は5インチ単装砲二門、20㍉高性能機関砲二門、シースパロー短SAM8連装発射機一基、アスロックSUM8連装発射機一基、3連装短魚雷発射管2機、哨戒ヘリコプター3機で、乗員は370名である。

Img_4594  “はるな”飛行甲板に並ぶSH-60J哨戒ヘリコプター。艦載型陸上型併せて84機が配備されている。全長の三分の一を飛行甲板が占めているが、当初案では5インチ砲を一門として全長の半分を飛行甲板とし、二機同時の発着を可能とする案があったが、5インチ砲の重要性などとの折り合いから、現在の設計に妥結している。

Img_4651  大型の格納庫。大型ヘリコプター3機の搭載を想定して設計されており、HSS-2哨戒ヘリを搭載したことから数字の上ではMCH-101掃海輸送ヘリコプターの搭載も可能である。インド洋対テロ作戦支援任務など、海上自衛隊の任務範囲が拡大した中で、三機のヘリを運用する能力を有したDDHは大きなポテンシャルを有している。

Img_4629  SH-60J哨戒ヘリ二機が並んでいる。現在では最新型のSH-60Kに代替されている過渡期であるが、依然として数の上では海上自衛隊の主力艦載ヘリである。米海軍のSH-60Bに技術研究本部が苦心して開発した国産の対潜器材を搭載したもので、センサー類やデータリンク機能などが強化されている。更に能登半島沖工作船侵入事案の教訓から、30口径機銃、映像転送装置、防弾装備の追加装備が実施されている。

Img_4620  ミサイル護衛艦“しまかぜ”、“はたかぜ”型護衛艦の二番艦として1983年度計画艦で、1988年に就役した。基準排水量は4650㌧、満載排水量は5950㌧、全長150㍍、幅16.4㍍、喫水4.8㍍、主機はガスタービン四機でCOGAG方式二軸、出力72000馬力、速力30ノット、乗員は260名である。

Img_4734  武装は、スタンダードSAM発射機一基、ハープーン対艦ミサイル四連装発射機二基、5インチ単装砲二基、20㍉高性能機関砲二基、アスロックSUM8連装発射機一基、3連装短魚雷発射管二基である。イージス艦建造までの過渡的な艦であり、SAMシステムへ限定的な同時多目標処理能力の付与も検討されたが、実現には至らなかった。Mk13発射機を波浪から護るために設置された艦首のブルワークが特徴である。

Img_4566  陸上自衛隊の装備品展示。最も目立っていたのは兵庫県の青野原駐屯地より展開してきたホーク地対空ミサイルであろう。旧式といわれ久しいが、陸上自衛隊では三度にわたり抜本的な性能近代化改修を実施し、第一線で運用するに充分な性能を維持している。しかし、その費用も物凄く、ホークが無ければ陸上自衛隊の機械化装甲化は既に完了している、とその筋から聞いたこともある。

Img_4576_1  このホークミサイルは、第八高射特科群第302高射中隊のもので、十分に一度、コントローラを用いて、隊員が発射機の旋回を展示していた。想像するよりもかなり機敏に旋回する。これぞミサイル!という発射機に多くの人がカメラを向けていたが、高速道路などでこれに出くわすと物凄い威圧感、とは姫路城に行く途中家族団欒のなかで出くわした友人の言葉である。

Img_4816_1  近代化を重ねたホークであるが、やはり半世紀近くを経て限界に達し、新型の国産、03式中距離地対空誘導弾(通称中SAM)に代替が進んでいる。しかし、射程50km(30kmとするものから60kmとするものまである)のホークは、米海兵隊のマニュアルには限定的な戦術弾道弾迎撃能力を有するとあり、中SAMが配備完了するまでの間は、方面隊高射装備として重責を担うことになろう。

Img_4554  ホークミサイルの再装填などに用いる車輌。展示位置ではなく、端の方に置かれていた。装軌式であるのは野戦運用を想定した為であろうか。個人的には、戦車車体にホークを三連装で装備し、機動運用、なんて旧ソ連SAM方式の運用を期待してしまうが、基本的に野戦でも陣地運用が為される。

Img_4580  金沢駐屯地の第14普通科連隊第四中隊より展開した軽装甲機動車、車上の銃架にはMINIMI分隊軽機が搭載されている。性能よりも価格低減と広範配備に重点を置いた車輌で、陸上自衛隊のワークホースというべき車輌である。

 なお、第14普通科連隊は、先日発生した能登半島沖地震に伴う災害派遣任務に出動中である。

Img_4584  こちらは、福井県鯖江駐屯地(福井港から近傍)の第372施設中隊より派遣された救急車。装備品展示というよりは、移動救護所として不測の事態に備え展開しているようである、幸いにして救急車が活躍する事態は無かった。背景の倉庫の向こうに、“はるな”のマストがのぞいている。

Img_4541  舞鶴地方総監部より展開した業務車。恐らく護衛艦の入港手続きを港湾関係者と行い、また地方協力部との調整などを行うべく派遣されたと思われる。港湾関係者とのこうした地道なつながりが、例えば大規模災害といった有事の際の、自衛隊と自治体の連携に繋がるということはいうまでもない。

Img_4704  福井港サマーフェスタとは、全国の港で開催される体験航海と一般公開の行事である。観艦式や展示訓練のような華やかさは無いが、こうした行事は毎年多くの港で実施されている。皆さんがお住まいの街に近い港でも、行われているかもしれない。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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陸上自衛隊大津駐屯地祭2006.05.21

2007-03-28 12:40:12 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■第二教育団創設記念行事

 2006年5月21日、滋賀県大津市にある陸上自衛隊大津駐屯地において駐屯地記念行事がおこなわれた。大津駐屯地には中部方面隊の前期教育を一手に担う第二教育団本部が駐屯している。

Img_2280_1  京都駅集合、JR線を利用し、0815時に駅に到達した小生一行三名(更に現地合流一名、他一名)はそのままシャトルバスを利用し大津駐屯地に到着、駐屯地内を散策したが0845時には部隊整列前の集合がかかっており、0915時には待機位置への行進をみることができた。

Img_2214  0930時、音楽隊の入場より式典の為の部隊整列が始まる、その後0950時までには部隊が整列する。通常は各中隊から一個小隊程度を抽出し式典を行うが、前記教育中ということで隊員の家族の方が観覧にみえるということもあり、全共通教育中隊が整列する。

Img_2235  部隊整列後の1005時、第二教育団の隊員を巡閲する第二教育団長坂田善穂1佐。第二教育団は大津駐屯の第109教育大隊(三個中隊基幹)、善通寺駐屯の第110教育大隊(三個中隊基幹)と、大津駐屯の第四陸曹教育隊より成る。

Img_2238_1 第四陸曹教育隊の隊員。

 陸曹教育課程は前期教育や後期教育とは比べ物にならないほどの厳しさという。『陸曹はプロでなければならない』とは、とある陸曹教育隊幹部(部内選出)の言葉である。

Img_2257  1010時より教育団長の訓示、そして来賓の祝辞が行われた。入隊したときと比べて諸君は大きく成長した、とは祝辞の言葉であったが、前日の雨とは打って変わり快晴、熱中症や貧血で倒れる隊員が続出した。木陰で撮影した小生一行でも暑かった(観覧席で撮影していた友人は日焼けで大変なことに)のだから部隊集結から水を飲んでいない隊員は無理も無い。しかし、最後の祝辞を十数秒と簡潔に纏めた市長さんの臨機応変さには好感をもてた。

Img_2319_1_2  1035時、観閲行進に向けて部隊退場がはじまる。続いて団旗を先頭にいよいよ観閲行進の始まりである。64式小銃に66式鉄帽と装備は決して新しく無いが、威風堂々気迫充分の観閲行進、わが子の行進をみる家族の気持ちとはどのようなものであろうか。

Img_2297  1043時、徒歩行進にあわせた行進曲とともに観閲行進が開始されるが、車輌行進に移行するまで10分間、徒歩更新が続いた。実質二個大隊を構成する六個中隊と陸曹教育隊が行進するのだから、徒歩行進の規模としては伊丹駐屯地(方面総監部)、千僧駐屯地(第三師団司令部)、守山駐屯地(第十師団司令部)よりも大きく、恐らく中部方面隊最大規模の徒歩行進ではないかと思う。

Img_2313  徒歩行進に続き車輌行進である。先頭を行く軽装甲機動車が1052時、観閲台前を通過する。この軽装甲機動車は教育団のものではなく、信太山駐屯地の第37普通科連隊第一中隊と、久居駐屯地の第33普通科連隊第一中隊のもので、後続の高機動車も第37普通科連隊第一中隊のものであった。

Img_2342  観閲行進の最後を飾る第四陸曹教育隊の120㍉重迫撃砲RT、普通科部隊最強の火力を誇ると説明された。最大射程ではかつて特科連隊の直接支援火力に用いられていた105㍉榴弾砲を凌駕する。なお、この場合、高機動車は120㍉迫撃砲牽引車として備品扱いになるという。1052時、こうして観閲行進は終了した。

Img_2362_1 訓練展示に備え待機する車輌群、我々も撮影位置の陣地転換である。

 この車列をみると、82式指揮通信車、87式偵察警戒車、偵察用オートバイ、74式戦車、FH-70榴弾砲の順に整列している。

Img_2354_1  1100時、第一空挺団の隊員による空挺降下の展示が行われた。高空のUH-1J多用途ヘリより降下した隊員三名が観閲台の目の前に見事降下、湧き上がる拍手とともに1105時、第二教育団長に降下完了を報告した。

Img_2379_1  1115時、教育大隊の隊員が全速で走ってくる、自衛隊体操の展示である。ノリはラジオ体操なのだが、運動ではこちらの方が上である。中々の迫力であった。1123時、体操展示終了後、またまた全速力で戻っていった。

Img_2401_1  訓練展示(模擬戦)、1127時、泥飛沫を巻き上げつつ82式指揮通信車が会場に進入し状況開始である。仮設敵陣地を観測するべく同時に観測ヘリOH-6Dが会場上空に進入、その情報を基に1130時、伊丹駐屯地より展開した第三偵察隊の車輌が偵察を開始する。

Img_2465  偵察隊のオートバイ斥候や偵察警戒車の威力偵察に対して仮設敵陣地から激しい銃撃、機銃、小銃の空包による応酬が続く。しかし、これにより敵陣地の位置が判明した。

Img_2421_1  仮設敵陣地を制圧するべく、第33普通科連隊、第37普通科連隊より派遣された軽装甲機動車を利用し、第四陸曹教育隊の隊員が前進する。

 軽装甲機動車の機動力と防御力を最大限活かした攻撃である。

Img_2411_1  湖北の今津駐屯地より南下した第三戦車大隊の74式戦車も展開。

 強固な陣地を105㍉戦車砲の直接火力支援により粉砕するべく前進する。防御力と攻撃力、機動力を兼ね備えた戦車が仮設敵の火力を釘付けにする。

Img_2366_1_2  仮設敵は戦車砲の火力と軽装甲機動車からの機銃掃射により釘付けである、この瞬間に仮設敵の退路を塞ぐべく、大胆にも施設科部隊の支援を受け琵琶湖より上陸した一個小銃班は高機動車により急速展開する。

 琵琶湖からの上陸をみたのは今回が初めてであったかもしれない。

Img_2471_2  軽装甲機動車から普通科隊員が降車展開する。突撃の瞬間が迫り、攻撃準備射撃として120㍉重迫撃砲が射撃を行う(ただし、会場の制約から想定射撃に留まった)。放物線を描き射撃される迫撃砲は入り組んだ地皺を克服し、普通科部隊を支援する。

Img_2455  仮設敵陣地前に張られた有刺鉄線を発見、突撃の支障となる障害を除去するべく、爆薬を詰めたM-1破壊筒を携行した隊員が匍匐前進で前進する。

 通常、障害は敵の火線上に設置することが基本である為、文字通り障害除去は決死の作業である。施設作業車の支援が欲しいところだ。

Img_2430_1  障害除去作業を支援するべく、先ほど琵琶湖から上陸した増援部隊が射撃する。89式小銃の二脚を用いた射撃により仮設敵陣地を弾幕で覆い、機銃を沈黙させる。一度射撃すれば位置が暴露してしまう為、射撃の機会は慎重に選ばねばならない。

Img_2475  全般支援火力として、姫路駐屯地より展開した第三特科隊の155㍉榴弾砲FH-70が射撃を開始する。砲焔は残念ながら写らず!(しかし、友人の方には写っていたりする)。

 特科火砲と協同した攻撃準備射撃により我が突撃に対する障害を無力化、もしくは麻痺させ、状況を有利に導く。

Img_2406_1  近接航空支援を行うべく、明野駐屯地から飛来した対戦車ヘリAH-1Sが激しい機動飛行を行う。TOW対戦車ミサイルはヴェトナム戦争などで陣地に対する精密攻撃にも大きな威力を発揮することが証明されている。また、高い機動性は地上からの対空射撃や敵ヘリの攻撃に柔軟に対応する能力を与えている。

Img_2477  支援射撃の下、匍匐前進により肉薄した部隊は1144時、状況に決着をつけるべく銃剣突撃を敢行した。弾着を模した擬爆筒の煙が燻ぶる中、陸上自衛隊伝統の銃剣突撃により仮設敵は降参し、状況終了となった。

Img_2503  状況終了後、装備品展示を行うべくAH-1S、OH-6D、UH-1Jの順番にヘリコプターが着陸する。ヘリは明野駐屯地、八尾駐屯地から飛来したものだ。着陸後、整備ハッチを開くなどの展示も行われた。

Img_2397_1  大津駐屯地は、旧海軍の水上機飛行場であったとあり広く、かつて機体を降ろした琵琶湖へのスロープ部分も残っている。この部分を装備品展示の会場として開放しており、グラウンドには航空機展示会場として用いられていた。前日は雨天を危惧したが、幸いにして天候は回復、眩しい程の快晴の下での駐屯地祭であった。徒歩行進の迫力、そして琵琶湖の眺望を眺めつつの訓練展示は中々のものである。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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京都桜花開花状況 北野天満宮・平野神社

2007-03-27 22:14:12 | 写真

■サクラの季節

 春の風物詩というべき、サクラの開花がちらほらと見えるようになった。暖冬といわれる中でサクラ前線が波を打つ中、百聞は一見にしかずということで、開花状況を写真にて紹介したい。

Img_7332  開花状況について、一言で述べれば複雑怪奇というのが実情である。例えば仁和寺の御室桜についていえば周りが満開でも蕾の時期があったし、昨年の経験上、少し標高の高い清水寺の桜東山の桜と中心部に程近い二条城の開花状況では状況が異なっている。

 従って、本記事の示すところは全てでは無いが、参考までに見ていただければ幸いである。

■北野天満宮

 北野天満宮は、“北野天満宮 和魂漢才のこころと共に”として過去に掲載しているが、梅の名所として知られる神社である。

Img_7556 さて、この北野天満宮であるが、梅花の時期が終わりつつある中、まだ彩り鮮やかな花々を見ることが出来る。また、同時に入試合格、観学特別祈祷の甲号5000円、乙号4000円とある神社だが、そのお礼参りであろうか、笑顔の若者達が多く見られた。なお、この5000円4000円というのは国立私立という区分ではなく本殿に上がられるか否かということであるようだ。

Img_7310  前回撮影した際には私事ながらデジタル用広角レンズが修理中であった為、その表現力に限界があったが、今回は既に愛用の18㍉広角が使用できる状況であり、様々な写真が撮ることができる、ということで、友人と向かった北野天満宮であったが、椛や銀杏の時期とはここまで表情の違うものかという印象であった。

Img_7307 さてその北野天満宮の境内の状況は、といえば、写真の通りである。天候の問題もあってか青々とした空は厚い雲の覆われ、朱色の社のみが鮮やかな彩りである。また、そこの木々はといえば、写真の通りである。しかし、冒頭に挙げた写真のように梅花が咲くところもあり、待ち遠しい春を象徴する風景である。

Img_7555   北野天満宮に展開したのは3月22日であるが、25日には毎月縁日が行われるとあり、その準備も進められていた。縁日では、今出川通りからの参道に屋台がならび、裏手には多くの古道具や古着の市が並ぶ、1500時頃には店じまいの準備を始めてしまう為と、やや大物も売っていることから小生には縁が無いが、その盛況ぶりは中々のものである。

Img_7315_1 本殿の様子、前回参拝したときは大鏡しか気付かなかったが、よくよくみてみると多くの鏡が置かれていた。想像するに、参拝すると同時に自らの今の姿を映すという趣向のものであろうか。一本くらいあろうということで桜花を探し歩き回ったが、梅花の境内ということもあり中々見つけ出せず、初夏の新緑を撮影に参ろうと決め、次なる目的地に向かった。

■平野神社

 北野天満宮において撮影を終え、そのまま次なる目的地である平野神社に足を進めた、この二つの神社は極めて近傍にあり、徒歩でも五分とかからない。

Img_7566  この平野神社へも、“京都平野神社桜花祭の下調べ”として特集しているが、残念ながら開花には程遠く、またしても下調べとなっている。しかしながら、本記事の一枚目に上げた写真は、この隣の写真、鳥居の奥の方にみえる桜であり、部分的には咲いているという表現が適当である。

Img_7329  本殿に向かう道、先に挙げた写真の鳥居を潜り、見える風景である。即ち上に挙げた写真の鳥居の向こう側に見えた風景である。

 桜の平野神社といわれるだけあり、平野の夜桜は名物であり、本殿の南側に多くの桜が植えられている。この写真だけをみれば、相応に桜花が花開く時期であるようにもみえる。

Img_7334  本殿南側の風景を掲載する前に、本殿の写真を上げる。

 ここも学問の神様ということだが、やはりお礼参りは北野天満宮の方が多いようである。本殿のつくりはこの章の冒頭にリンクを上げたバックナンバーの記事を見ていただくとして、小生一行も参拝した。しかし、いつ見てもこの裏側に西大路通りがあるようには見えない静寂さである。

Img_7339  参拝を終えて後、名物の桜並木をみてみるが、状況は写真の通りである。“平野神社”という灯がなければ気付かないほど、まだまだ蕾である。しかし、此処が満開になれば、ライトアップと併せ薄い春色の桜が散る姿がそのまま照らされ、言葉では説明できないほどの美しさとなる。

Img_7338_1  本殿の南側では仮設店舗“遊楽”の店舗準備がすすんでいる。ここは花見の電話予約を行っているようだ。円山公園もそうであるが、こうした店舗に多くの花見客があつまる、かと思いきや、一番の桜並木は回廊状になっており、純粋に花見を楽しむことが出来るよう配慮も為されている。現在の開花状況は以上の写真の通りであるが、今後も開花は本ブログにおいて特集したい。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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神戸市内 三ノ宮界隈の古書籍街散策紀行

2007-03-26 21:47:39 | 写真

■神戸の充実した古書店街

 近海練習航海部隊の神戸港入港歓迎行事を撮影した後、所用を済ませた後に京都に戻り、京都タワー大展望台からの夜景撮影を行ったが、今回はその所用についての特集である。

Img_7547_1  神戸において近海練習航海部隊の撮影を艦隊が接岸した第四突堤のターミナル付近において行い、その後市街とポートアイランドを結ぶ神戸大橋を徒歩で渡りつつ撮影を行い、更に対岸の公園からも神戸大橋と自衛艦の写るアングルから撮影を行った。可能であれば神戸のランドマークというべきポートタワーと一枚に収まるアングルを考えたが、第四突堤とは距離がある為、空撮以外では満足に写りそうになく、致し方なく、そのまま神戸市役所へと向かうこととした。

Img_7588_1  さすがに徒歩では距離がある為、神戸空港と三ノ宮駅を結ぶポートライナーを利用し三ノ宮に戻ることを考えた。

 ポートライナーはかなりの本数があり、なによりも無人運行が為されている。運転台は開放されており名鉄7000形パノラマカーの前面展望車に匹敵する臨場感である。実は車窓から艦艇の撮影を考えたが、残念ながら三ノ宮方面への列車からは殆ど見えなかった。

Img_7609_1  こうして三ノ宮駅に到着して後、かなり大きな古書店があるとの事で友人が案内してくれた。少し歩いてその建物の中に入ると、小生は梅田のかっぱ横丁のようなものを連想していたが、さにあらず。

 さりとてBOOK OFFのような店舗でもなく相応に専門書などが充実しており、しかし、神田神保町の小宮山書店よりも大きいのではないかという規模の古書店であった(軍事関係書籍に関しては尼崎に大きいのがあるが)。

Img_7608_1  友人曰く、ここは他よりも整理されている点がお奨めとの事。法学関係が前まで充実していたが、安い価格設定により大半が買われていったということ。確かに全般的に、普通の価格のものと極めて安い価格設定のものがある。四冊ほど買った。

 その内一冊、文字通り掘り出し物であったのがノエル・ベーカーの“軍備競争”、しかも1963年の初版本が非常に安価であった。

Img_7449  やや荷物が出来たこともあり、時間的にも良い頃合であったため、三ノ宮駅ビルにおいて昼食とした。

 昼食と珈琲(友人は紅茶)を嗜みつつ近海練習航海部隊神戸港入港速報を本ブログに掲載した。

 出先でも記事の編集を行うことが出来るというノートパソコンの強みである。

Img_7716_1  神戸市役所に昼食後上がり、撮影した“つがる”型巡視船“せっつ”、名古屋市消防出初式で撮影した巡視船みずほと同じく神戸港の顔というべき巡視船である。総トン数3221㌧、満載排水量4037㌧で全長105㍍、出力15600馬力のディーゼル主機は最大速力23ノットを発揮し、巡航速力で航続距離は6000浬に達し、警備救難能力を強化するべくベル212ヘリを搭載している。この“せっつ”は就役時からヘリ画像受信装置を搭載しており、船橋の形状はやや異なっているという。

Img_7615_1  三ノ宮方面の様子。

 海と山に囲まれた神戸という印象を強く与える。ちなみに山の方が山手といわれている。

 ちなみに、前回夜景を撮影した際には残念ながら三ノ宮方面の窓に埃が付いてしまっており、長時間露光ではしっかりと写らなかったのが残念であった。こんかいは所用にて撮影できなかったのは既報の通り。

Img_7610_1  神戸市役所から更に艦艇や西宮方面を撮影したが、霞により神戸空港を発着する旅客機の撮影は出来なかった。その後、元町方面の高架下にも古書店街があるとのことであったが、時間の関係もあり、センタープラザに立ち寄り神戸を後にすることとしたが、その途上二軒ほど古書店があり、立ち寄った。“作戦要務令”など興味深いものがあったが必要性は低いので調達せず、日本国際問題研究所か戦略問題研究会の書籍を探したが見つからなかった。

Img_7617_1  センタープラザは、いわゆる“ヲタ”系ショップが多く、東京マルイ純正M16用マガジンが中古1000円であったり、1/144の航空機などが売られていたり、また西山洋書の神戸店が入っていたりする。ここでは、Su-27とF-14の1/144などを調達した。次回は元町に行こうと心に決め、神戸をあとにした。

HARUNA

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京都タワー大展望台の夜景撮影 古都一望

2007-03-25 13:57:18 | 写真

■高さ京都一!

 京都タワーはその建設に当たり、高層建築物を京都市内に建築することの是非について大きな議論となったが、京都タワーからの展望はその議論も一息つくほどのものがある。近海練習航海部隊神戸港入港歓迎行事を撮影してのち、すぐ京都に戻って欲しいとのメールがあり、所用を済ませ三ノ宮から電車に飛び乗った。

Img_7647_1  京都タワーに上って驚かされるのは、夜景と夜景の撮影に最適な条件が整っているということだ。

 ちなみに、今回撮影した写真は全て三脚を使用せず、撮影したものである。さて、この京都タワーであるが、展望台への入場料金が必要であり、隣に高い京都駅ビル展望台がある為、三階の書店や二階の百均、一階の土産物店を別としても、一番上まで上るかどうかを考えられている方もいるだろう予想から、今回はその様子を写真にて紹介したい。

 写真は、手前から京都駅と、東寺五重塔、ともに60㍍、54㍍の京都を代表する高層建築物である。

Img_7720  写真は東寺のアップ写真、過去に東寺五重塔と京都タワーとして比較記事を掲載したものだ。さて、何故京都タワーに?、と思われるかもしれないが話せば長くなる。一緒に神戸に展開し、所用あって京都に戻った京都を離れる友人が小生にプレゼントを渡し忘れたとのことで、その後、神戸在住の友人で所用あって京都に来ている(ややこしい)友人のN氏と一年ぶりに再会した。そこでN氏は開口一番に、アレに登ろう、と。京都近鉄百貨店PLATZの特集をした際や、京都駅クリスマスイルミネーションの際にも写った京都タワーであるが、ここからの夜景は初掲載である。

Img_7636_1  1964年12月に開業した京都タワーは高さ131㍍と、京都市内の建築物としては最も高く、世界遺産が多数並ぶ京都市内を一望できる展望台は人気であるが、更に内装や外装を一新する改装工事が進められているところである。一時はこの展望台も周囲に足場を組んでの作業が行われていたが、現在は足場周辺の改装に重点を置いたものとなっており、工事は進むものの展望台からの景観は視野を遮るもの無くみることができる。

Img_7625_1  手前に京都駅がみえる、京都市内南部と高槻市方面の眺望。妙心寺と一条天皇陵を散策した際に見た眺望と比べると標高では低くなるが、360°の眺望を楽しめる京都タワーは、770円(大人料金)を支払ってでも上る価値があるものといえるかもしれない。方向としては伏見稲荷大社の西方で写真をもう少し左側にまわせば、東福寺が望見できたかもしれないが、何分暗く、望遠レンズを以てしても探すことが出来なかったのは残念である(レンザティックコンパスをもっていくべきであった)。

Img_7633_1  写真は反対側、烏丸通を北に見たものである。左下の航空機格納庫のような建築物は平成の大修復すすむ東本願寺である。靄がかかっているため、見ることは出来ないが晴れていれば比叡山もみえるだろう。やったことはないが、京都大文字五山の送り火もここから一望できるだろう。さてさて、実は神戸港で練習艦隊夜間電飾を撮影し、ポートタワーから神戸の夜景を撮影しようと考えていたのだが、図らずして京都の夜景特集となった。

Img_7642_1  京都駅を上から望む。80㍍程の高低差があると記憶するが、中々の絶景である。

 京都タワー改装工事期間中は望遠鏡の無料サービスがおこなわれているが、京都駅ビルなどにいる人々の動作がどがかなり鮮明にみえるとのことだ。新幹線、在来線、近鉄線、地下鉄線が結ばれる京都の一大ターミナル駅であり、京都大阪間の通勤輸送の花形、繁華街と中心部を貫く阪急京都線や京阪線の大動脈に対し、旅客輸送の多くを担っている。

Img_7644_1  タワーに掲示された説明によれば、金閣寺仁和寺がみえるとのことだが、300㍉望遠では発見できず、無料サービスの望遠鏡にて陸標となる建物などから見つけようとしたが、見つからない。暗い、もしくは霞んでいたのかもしれないが、見えたという方はコメント欄にご一報いただければ幸いである。しかし、二条城はここかな?とか、西院駅はこの方角だ、という声も聞こえるので、見つかったということよりも、探す、という一連の流れの方が楽しめるのかもしれない。

Img_7724_1  見つけることよりも、見つける過程の方が楽しめるものだ、と悟ったようなことを書いたが、やはり見えないのはやはり悔しい。

 そこで、ライトアップされ、見つけやすいものを探す、それを陸標とすれば見つかるはずである。京都国立博物館が見つかったため、豊国神社を探したがみつからず、三十三間堂は建物の影となっているのだろうか、隣にあるにもかかわらずみつけることができなかった。昼間であれば平安神宮は見つけられるはずだ。

Img_7722  写真は清水寺の三重塔。

 そこから清水の舞台は望遠鏡で確認できたが小生の使う300㍉望遠では限界があり。清水寺は、紅葉の清水寺として昨年十二月に展開し、昨年四月には桜花の清水寺としてお伝えしている。しかし、夜間特別拝観が行われていない為夜間特別拝観の照明などはなく、先日まで東山花灯路が行われていた周辺や法観寺、円山公園、高台寺もライトアップが為されていない為確認できなかった。

Img_7646_1  一眼デジカメの長時間露光にて撮影したが、コンパクトデジカメでも夜景モードとセルフタイマーを用いれば充分撮影できるだろう。

 京都タワー、そこからの眺望は、京都駅から京都を観光しようとする前段として登るのも良いが、他方で京都を散策すればするほど、その面白さが増してゆくように思った次第である(Nさん、ありがとうございました)。

HARUNA

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近海練習航海部隊 神戸港入港と歓迎行事

2007-03-24 12:15:55 | 海上自衛隊 催事

■神戸港の自衛艦

 海上自衛隊の艦艇について、徴兵などで海軍に在籍したことのある方々に聞くと一様に艦が美しく保たれていることに驚く。更に観艦式や展示訓練などで撮影した写真を見せると、艦隊行動の規律にも驚く人が多い。

Img_7681  ポートアイランドと神戸市内を結ぶ神戸大橋とともに艦隊を望見する。神戸入港を印象付ける写真である。

 神戸港に自衛艦、阪神基地に護衛艦が入港することは珍しくないものの、神戸港というと興味深いものがある。同時に今回は名古屋港には寄港しないというし、四日市港は沖留めの可能性があり一般公開はされないということであった。東京港は遠くて無理である。他方、神戸には友人知人も多く、丁度良い機会ということで神戸港に展開することとした。

 一般公開の行われる土日と比較検討した結果、一番多くのメンバーが集まるということでとりあえず、入港と接岸作業、そして歓迎セレモニーの様子を撮影したほうが、多くの人が行き来する一般公開当日よりも良いのではないかということで妥結した。

Img_7490  近海練習航海において培うシーマンシップについて、お教えいただいたので、まず最初に。この言葉は船舶の運用や整備に関する技術を示す技術的な用語であって、精神的は含まれていないということで、ただし、船乗りとしての躾やマナーは含むだろう、ということである。小生も海軍航空隊の生き残りが親戚にいることから、海軍精神と無意識に混同していることがあるが、海上自衛隊内部でも少なからず間違って使われている場合があるとのこと。

Img_7581  歓迎行事の様子、練習艦二隻、護衛艦一隻とともに幹部候補生達が整列している。残念ながら神戸港はやや霞んでいる。

 恐らく徒歩とか、朝食とかを考えず展開するべきであった、0830時に三ノ宮へ到着すれば接岸作業を見学できるだろうという打算は見事はずれたのは昨日の記事にてお伝えした。しかし、歓迎行事を撮影することが出来たのは幸いである。

Img_7593_1  花束を贈られた幹部候補生達。式典会場へは一般立ち入りは制限されていたが、第四突堤は通常、旅客船が寄港する埠頭とあって、見送りなどをおこなうテラスや展望食堂(?)、旅客ターミナルがあり、一般の立ち入りは制限されていない。

 歓迎行事は、神戸市長(正確には望遠レンズでは判別できず)の祝辞や自衛隊協力会、海上自衛隊を励ます会の代表者による歓迎の挨拶などが執り行われた。

Img_7497  練習艦“しまゆき”と護衛艦“さわぎり”、練習艦のヘリ格納庫に実習用講堂が設けられているのが見えるだろうか。なお、広角レンズにて撮影した為、満載排水量では750㌧も大きい“さわぎり”(接岸している艦)が“しまゆき”(外側に係留されている艦)よりも小さく見える。共に艦尾にはシースパロー対空ミサイルを搭載しているが、再装填用のレールを設けている“さわぎり”と、おそらく台車を用いるのであろう“しまゆき”の対比が出来る。

Img_7483  式典と並行して、練習艦、護衛艦では夜間電飾の準備が進められている。二本煙突の“あさぎり”型と一本の“はつゆき”型の特色が端的に現れている。

 “あさぎり”型は重心の低減やダメージコントロールなどの面からこの設計が用いられたということだが、その分後部マスト部分は排気熱を多く受けることになり、故障の原因となったとも聞いたことがある。

Img_7628  式典終了後、幹部候補生が帰艦し、乗員は大急ぎで転落防止の網を張ってゆく、続いて式典に参加した子供たちを対象に艦艇の一般公開が行われた。

 子供たちは、やはり艦に上がるタラップは怖いようで、なかには抱っこで乗艦という姿もあった。父兄同伴で乗艦という方もいらしたが、小生と同じく一眼デジカメ二台、ううむ只者では無いと見た(笑)。写真は“かしま”の76㍉砲の前で記念撮影をする様子。

Img_7644  ポートターミナルでは二隻を前から撮影できないということで、小生一行三名のうち、一名が所用にて撤収した後、二名が対岸の公園へ、神戸大橋を渡った。艦艇の姿もさることながら、先ほどまで撮影していた位置の様子がわかる。夜間電飾の撮影にはここはやや遠すぎるかもしれないが、ポートターミナルは立地に限界がある、最適の場所は神戸大橋で長時間露光撮影をするのが一番なのだろうが、カメラが落ちそうでお奨めできない。

Img_7673  望遠レンズにて圧縮効果を狙った写真、三隻が辛うじて収まっている。この写真からは、先ほど艦尾からの写真を掲載した二隻が目の前から写っており、艦橋構造物の相違が良くわかる一枚である。なお、甲板の乗員は夜間電飾の準備を行っている。

 この他、自衛艦だけではなく、反対側の突堤には海上保安庁のヘリコプター搭載巡視船“せっつ”が接岸していた。

Img_7705  写真は市役所展望ロビーからの撮影、ここを訪れた人たちも、「ああ、軍艦がいるね」、と口にしていた、やはり珍しいらしい。さてさて、艦艇の一般公開は本日と明日、そして今夜は昨日に引き続き夜間電飾が行われるとの事である。もしよろしければ、皆さんも週末に神戸を訪れてみてはいかがだろうか。

HARUNA

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近海練習航海部隊神戸港入港歓迎行事速報

2007-03-23 13:31:10 | 海上自衛隊 催事

■練習艦隊神戸入港

 海上自衛隊近海練習航海部隊が本日早朝、神戸港に入港した。今回は神戸市からその様子を速報にてお伝えしたい。

Img_7470  近海練習航海部隊神戸に、その一報をC.ジョニー氏から伝えていただき、小生一行三名は阪急電車にて神戸港近傍の三宮に展開する計画を挙げた。流石に一般公開のない到着当日であるから、0830時頃に到達すれば接岸作業を見学できるだろうという公算であったが、幹部候補生の朝は早い(のはカンケイないね)、一行が神戸港に到着した時には既に接岸作業を終了していた。しかし、撮影条件が良好な旅客ターミナルからの撮影をすることができた。

Img_7547  今回は歓迎行事を行う関係もあり阪神基地ではなく神戸港に入港することとなったようだ。

 三隻は、“かしま”が単艦、ほか二隻が並んで係留されていた。歓迎行事の様子や、夜間電飾準備の様子を撮影することが出来たが、何分、三宮駅からの記事作成であり、まずは神戸港の現況を速報というかたちで掲載し、明日、撮影した様々な写真と共に、詳しい記事を掲載したい。

Img_7689  (1300時の速報に続き、ここから1715時に追記した部分)さて、ところかわって京都駅前のSTARBUCKSであるが、土日に展開を考えられている方も多いだろうことで、その立地についてお知らせしたい。非常に交通の便は良い、写真に神戸大橋が写っているが、二隻の係留と重なって見えるのがポートライナー、ポートターミナル駅である。つまり、降りてすぐ。ポートライナーへは、JR,阪急、阪神の三ノ宮駅から乗り換えることができる。本日はあと一時間ほどで夜間電飾も開始されるので、足を運ばれてみては如何だろうか。

HARUNA

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航空自衛隊50周年記念カラーのT-2・V107

2007-03-22 22:54:10 | 航空自衛隊 装備名鑑

■現役時代のT-2,退役進展するV-107

 本日多忙につき、時間を要する様々な詳報記事は後日とし、時代を遡り、写真資料整理の狭間から発見したフィルムスキャナー使用画像から、岐阜基地航空祭における航空自衛隊発足50周年カラーの機体を掲載したい。

00120026  救難飛行展示を行うV-107救難ヘリ。航空自衛隊の主力救難ヘリとして運用された本機も、現在では新潟救難隊や浜松救難隊において一部が運用されるのみとなっている。機体には50周年の特別塗装が施されている。

 本年は、防衛庁の防衛省昇格の初年にあたり、恐らく様々な行事においてこれを祝うカラーリングが為された装備を目にするのではないかと推測する。

00120018_1  青が眩しい50周年特別塗装の飛行開発実験団のT-2練習機、言わずと知れた国産初の超音速機であり、当時は無論現役であった。飛行開発実験団では練習機としての用途よりも、後部座席に観測器材を搭載し様々な飛行試験に供されることが多かったという。

HARUNA

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