■桂駐屯地祭2007
本日、京都市南区に所在する陸上自衛隊桂駐屯地において、駐屯地創設53周年記念行事が執り行われた。本日は、この行事の様子を速報としてお伝えしたい。
本日は早朝から小雨が飛び、時間と共に比叡山も霞む降雨と、あいにくの天候に見舞われた。始発バスとともにJR向町駅から桂駐屯地に到達したC.ジョニー氏と小生一行は、式典会場となっている人気の無いグラウンドを一周したが、案内の隊員さんに雨天会場の場所を教えてもらった。
桂駐屯地には1942年に建築された巨大な倉庫があり、旧建築基準法で建築された倉庫は現行建築基準法では実現できない規模の広さを誇っている。そもそも三菱重工京都発動機製作所が向上として建築したものであるので、遠く何処までも続く倉庫は一つの歴史的建造物といえる。
中部方面後方支援隊、関西補給処桂支処が所在する。中部方面後方支援隊は桂駐屯地に所在する本部付隊、第107全般支援大隊、第103不発弾処理隊、中部方面輸送隊、青野原に駐屯する第302後者直接支援中隊、大久保の第104施設直接支援大隊、伊丹の第302通信直接支援隊より成り、艦載補給処桂支処は総務部、補給部、整備部より成る。こうした部隊を駐屯させる桂は中部方面隊屈指の広さを誇り、このポプラ並木など、美しい景観など見所も多い。
訓示を行う第31代駐屯地司令兼ねて中部方面後方支援隊長の藤枝茂樹1佐。前任の岩城司令から引継ぎ、明るく溌剌と、地域とともに、を司令要望として中部方面隊の後方支援を所管しつつ、周辺自治体や警察・消防との協力関係構築に全力を傾注している。
式典開始と共に、会場へ多くの隊員が入場する。式典には迷彩戦闘服を着用した隊員の他、背広姿の防衛省職員も行進して式典に参加した。後方支援部隊ということもあり、式典に参加した隊員の小銃は全て64式、89式小銃へ急速に代替が進む中で近年では珍しい経験であった。
広い会場には音楽隊の演奏も事のほか良く響く。野外音楽演奏も、こうして屋内で実施されると一際透き通る印象がある。音楽を職業とする、文字通りプロの集団ならではの迫力だが、第三師団管区ということもあり、演奏される曲は行進曲などがトーン低めで、一般に知られている子供向けの曲などが演奏されていた。
中部方面隊管区内で発見される不発弾の処理を一手に引き受ける第103不発弾処理隊の展示。12.7㍉処理薬筒を用いるロケットレンチにより、不発弾の信管を一気に引き回し、爆弾から取り外す。信管さえ外してしまえば爆弾は誘爆でもしないかぎり発火しない為、安全性は確保される。一定期間の後、爆薬は深く海底に海没処分される。
倉庫の中での装備品展示。今津からは96式装輪装甲車が、伊丹からは87式偵察警戒車が参加、施設車輌、高射特科装備、野砲、偵察オートに軽装甲機動車が並び、あたかも装備品工場のような倉庫にならぶ各種装備、物凄い印象を与える。こうした行事の手法は、初めてであり、雨天ながら非常に目新しいものであった。
ところで、大久保駐屯地祭にて何気なく撮影した92式浮橋装置、C.ジョニー氏や途中から合流したけーと氏、久しぶりにお会いできましたH様、本日はお世話になりました。本日は、桂駐屯地祭のほかにも幾つか展開出来まして、そちらの方も日を改めて掲載したいと思います。
また、隊員の皆さん、本日は降雨の中、お疲れ様でした。お風邪など召されませぬよう。
HARUNA
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