北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】令和6年第1空挺団降下訓練始め【7】防衛大臣訓示と能登半島地震黙祷(2024-01-07)

2024-06-27 20:00:13 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■国際空挺訓練完了
 第1空挺団の行事という領域を超えて多国籍空挺部隊による国際空挺訓練展示ともいうべき展示は完了しました。

 空挺部隊、自衛隊は精鋭主義を通していますが、例えばオランダ軍などを見ますと陸軍には第11空中機動旅団と第43機械化歩兵旅団だけという、陸軍の半分が空挺部隊ということになっている。自衛隊も南西防衛を考えれば空挺部隊強化が必要だとおもう。

 空挺団の隊員さんも状況終了という事で大臣訓示へ向かう。しれっと84mm無反動砲カールグスタフを抱えている様子も。CH-47が改良型となり値段が三倍になったのは前述しましたが、カールグスタフも自衛隊のM2,M-3と比べM-5は7割高いという。

 状況終了、そして防衛大臣訓示に併せ各国駐日大使さんたちが並び、この年の元日に発生しました能登半島地震被災者へ黙とう。有事即応とは言いますが実行は難しく、しかし金沢の第14普通科連隊の即応は早く、流石は郷土連隊、と感心したものです。

 防衛大臣訓示、第1空挺団降下訓練始めというのはひと昔には空挺団だけの行事でしたが水陸機動団が参加し始めた頃から第二の富士総合火力演習というべき、大臣視察による国家的行事となり、アメリカ軍の参加で日米同盟の象徴的な行事となりましたが。

 自由主義圏の空挺部隊行事、オーストラリアとか包括防衛協力協定を結んだ諸国の参加で時代は変わったものだという認識がありましたが、いまではNATO各国も挙ってお正月はニホンのナラシノでクーテイコーカだ、という時代になった訳ですね。

 クリスマス休暇の後にはナラシノでクーテイコーカクンレンハジーメ、習志野訓練場は狭く、風で北に流れれば新京成線か空港アクセス線、南に流されれば総武線と京成本線の特急や快速に轢かれ東西に流されれば全部に轢かれる、高い練度の証明のような。

 防衛大臣のEC-225特別輸送ヘリコプターが到着しました。このヘリコプター、日仏貿易摩擦を背景にAS-332を3機導入したところから始まったのですが、輸送能力が大きく武装にも対応するためにもう少し配備してよかったのでは、と思う装備だ。

 EC-225,なにしろUH-1Jの二倍以上運ぶことができましてUH-60よりも機内容積が広い、重装備も運べる。UH-60はC-130輸送機で運べるのが強みでしたが、自衛隊はそれほどヘリコプターの輸送機での空輸を行わないのですから活用できていない、とも。

 UH-60JAとEC-225は取得費用で同程度、昨今例えばUH-60はロッキードマーティンが無人航空機母機に転用し、情報収集と徘徊式弾薬を運用する構想をFALA将来攻撃偵察機計画の後継に提案しているのですが、そろそろ自衛隊も本腰を決めてほしい。

 COVID-19の時代もひと段落しまして、装備品展示をサンミツとか考えずに撮影したいところですが、アンミツといいますかちょっと小腹が空いてきました頃合いですので、防衛大臣も帰ったしわたしたちもかえりましょうか、という日本的な発想で帰路に。

 第12偵察戦闘大隊の16式機動戦闘車と中央即応連隊の96式装輪装甲車、遠くない将来にこの96式装輪装甲車のパトリアAMVへの置き換えが始まるという。防御力の高い車両ですが取得費用も高い車両となる、日本製鋼はスカニアからエンジン140基を既に。

 16式機動戦闘車とそのファミリーで装備体系を構成したかった自衛隊ですが、一応偵察戦闘車と歩兵戦闘車、自衛隊装備に歩兵という名がつくのは初めてか、こうしたもので置き換えられる。こうした時代の変容を眺めつつ、上野経由での帰路に就きました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【G3X撮影速報】中部方面混成団創設17周年記念行事【2】琵琶湖畔は大津駐屯地の観閲行進開始(2024-04-27)

2024-06-22 20:10:04 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■大津駐屯地の観閲行進
 大津駐屯地祭は天候が何とか雨天とならずすすんでいるところ。

 第109教育大隊の本田大隊長、戦車乗りの方だったりするのですが。高校時代の友人が大卒で陸上自衛隊に志願入隊しました際、不思議なことがあったもので伊丹駐屯地祭での式典案内をしていてくれた方が教育大隊長だった、ということがありまして。

 自衛隊というのは狭い世界なので一つの縁が二つ三つと重なってゆきますと絹織物のように広がってゆくという、そういえばあの時の、という事柄が多いようです。わたしの仕事の世界はもっと狭いのですが、業界が狭いところなのである意味納得しつつ。

 しかし自衛隊といいますと陸海空自衛隊でかなりの人員規模がある、つまりひろい世界なものですから、しかし不思議なものだよねえ、と語り合ったことがありまして。ただ、これはいろいろなところでこういう事は多いようで、それは例えば路線バスにて。

 大きな駐屯地に向かう路線バスを利用していますと、わたしに声をかけられることは稀有、だけどない訳では無いのが凄い、私服ではあるのですが、おお俺だよ俺、と電話ならば即切るような会話の入り口で、教育隊で一緒だった、とか前の中隊で、とか。

 今しごと何やってるの、と聞かれて、狙撃手、と返るあたりシャバの会話じゃないよなあ、と傍耳に、別に聞き耳建てていた訳じゃない、そう思いつつ、前に遭った駐屯地が100㎞程先の地名が聞こえてきたので、ふうんそういうこともあるのかあ、と。

 観閲行進準備の号令とともに第3音楽隊の入場です。指揮官訓示と来賓あいさつに祝電疲労と感謝状贈呈、この行事が五月中旬に行われていた頃には熱中症で昏倒する方が少なからず出ていまして、しかし四月下旬だと大津の暑さはまだ暖かさの延長で。

 大津駐屯地観閲行進、中部方面混成団の観閲行進の始まりだ。撮影位置はこの、やや正面という。この角度から撮影できる場所は、大久保や伊丹と千僧や守山、あとは真駒内もこの角度から撮影が可能、富士と豊川にあとは大津、いや大津はここだ。

 中部方面隊がMIDDL EARMYという単語で紹介されるのが実のところ不満で、公式な訳語だ。これでは中規模な方面軍という意味になってしまわないか、ということ。CENTRAL ARMY、と英訳を改めてはどうなのかなあ、とおもうのですね。

 MIDDLE ARMYをCENTRAL ARMYに!、という市民運動でも初めて視ようか、と思うのは中部方面隊管区にくらす当方としての思い出もある、米軍だって中央軍はCentralCommand,そして例え小規模編成でも2個師団と2個旅団があるのだ。

 CENTRAL ARMY、陸上総隊創設で方面隊を整理するという話があるようですが、いっそのこと第1師団を中部方面隊に移管して伊丹駐屯地にCENTRAL ARMYを置き、第12旅団を東北方面隊に移管して仙台の総監部を東部方面隊に改めては、とも。

 教育大隊の観閲行進、今年は、父母の参加が若干少ない、のか、父母参加数が少なかったからなのか、スタンド席が設置されていなくて、これではわが子の晴れ姿を見るのに最前列以外は苦しいのではないかなあ、と危惧してしまうものなのですが。

 スタンド席の設置は大変だとは聞きます、なにしろ輸送から設置まで全部行ったうえで次の使用する部隊まで輸送しなければならない、けれどもスタンド席があると驚くほどに大勢の人が行事をしっかり見られるのですよね、父母席は重要だとおもう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【G3X撮影速報】練習艦隊江田島出航二〇二四【4】近海練習航海部隊・外洋練習航海部隊(2024-03-16)

2024-06-20 20:11:57 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■江田島出航
 練習艦隊は次々と出航してゆき瞬間のひとつひとつを貴重な情景として撮影し記録してゆくのです。

 海上自衛隊も将来的に艦内環境というものを欧米並み、いやアメリカ海軍艦艇の居住性の悪さは名高いので欧州並みというべきか、考えなければならないのかなあ、と練習艦かしま、1990年代設計の練習艦出航を眺めつつどうしても考えてしまうのです。

 あさぎり型護衛艦までは科員居住区が3段ベッドとなっていて、申し訳ないけれども暮らすのはちょっとなあ、と昔艦内を見せて頂いた際に思ったもので、むらさめ型、こんごう型から漸く2段ベッドと改善されてゆくのですが、これが1990年代のはなし。

 フランス海軍のミストラル級強襲揚陸艦はクルーズ船に範をとった設計であり、満載排水量に対して収容能力が少なすぎる、と2000年代初頭には批判されたものですが、しかし2020年代の長期航海増大を背景に考えますと、これは先見の明があったと思う。

 45型駆逐艦、イギリス艦を撮影した際にお教えいただいたのですが、下士官から二人部屋で三交代制なのでかなりの時間を一人で占有できるほか士官は基本的に個室でBARさえある艦内、イギリスは続く83型駆逐艦でさらに艦内容積を増やすという。

 むらさめ、とともに単縦陣を期待したのですが各艦が離隔を十分に取った関係で、むらさめ転舵前に津久茂瀬戸に向けて練習艦かしま転舵を先に取ってしまった、掃海母艦が大型だったからなのか、これだけの並びというのはちょっと寂しい印象があります。

 高台から撮影して正解でした、というのも俗にヲタ船といわれるチャーター船が練習艦かしま真横にぴったりついていて、沿岸から撮影している人、ここからも二人ほど見えるのですが、ちょっと邪魔だろうなあ。2012年に初めて撮影したときはこんなのは。

 広角でこの画角を示してみますと、如何にこの撮影でズームレンズに頼っているのか、望遠レンズの威力を、幹部候補生学校の建物と広角レンズで撮影したときの様々な情景の画角と比べてみますと、これはもう一目瞭然というところなのでしょうか。

 登舷礼として一列に卒業生が並ぶ中瀬戸内海と太平洋に向けて、しかし意外なほど組速力を出して進みます練習艦かしま。少しでも広角にしますとヲタ船が映りこんでしまいますから、船体全体を移すのではなく一部をトリミングしてみた構図となっていて。

 教官とOBと父母でしょうか、対岸の海岸からも例年の見送りが。ただ、COVID-19の数年間を挟んで、見送りの規模がかなり縮小してしまっているのですよね、2010年代はもう割れんばかりの旗幟と歓声がこの高台の撮影位置まで響いてきたほどでしたから。

 護衛艦と掃海母艦に護衛艦という不思議な取り合わせ、大きさ的に今後護衛艦もがみ型も近海練習航海や外洋練習航海に加わるのでしょうか、コンパクトな艦といわれていますが、排水量では護衛艦あさぎり型よりも大型、改良型はさらに大きくなる見込み。

 さわぎり、登舷礼を行っています。昭和から平成にかけての過渡期に量産された護衛艦はステルス性という点では前時代的ではありますが、2機のヘリコプターを収容可能な格納庫を採用したことで、ソマリア沖海賊対処やアラビア海海上阻止支援に活躍だ。

 うらが、むらさめ。掃海母艦と護衛艦ですと、大きさのバランスは不思議と取れているのですが、昔はこの位置にヘリコプター搭載護衛艦が居たことも多かった、護衛艦が平時の警戒監視任務で多忙を極めている事を実感してしまう情景といえるでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【G3X撮影速報】久居駐屯地創設72周年記念行事【3】第33普通科連隊の観閲行進(2024-04-07)

2024-06-15 20:02:47 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■普通科連隊の観閲行進
 式典から観閲行進への切り替わりは正にこの行事の動きが静から動へ。

 普通科連隊の徒歩観閲行進、国旗の日章旗と共に歩む普通科隊員のすがたは車両化が進んでいるとはいえ伝統的ともいえるこの情景は普通科部隊らしさを示しているようにさえ思えるものなのですが、この装備を見ますとなかなかかわらないなあ、とも。

 制服がこの数年間で新型に転換しているのは重要な変化でしょうか。2019年でしたか、相馬原駐屯地祭の時に、今年はやけに来賓の消防団の人が多いなあ、榛東村の消防団は鍛えているなあ、とおもっていたら、新制服だよ、といわれたのは今では懐かしい。

 89式小銃を手に観閲行進、このいわゆる“陸自迷彩”“迷彩2型”というものも今後新型が開発されるのでしょうか。小銃については20式小銃が制式化され水陸機動団などに入っているようですが、第8師団は配備開始でしたか、今後どう配備が進むのかも。

 89式小銃はAR-18のライセンス生産経験をもとに豊和工業が国産開発した小銃で、開発当初はいろいろいわれていましたが、評価が一転したのは2003年イラク派遣決定に際し、クウェートでの全派遣隊員1000発射撃訓練の際に不具合が奇跡的なほど少なかった。

 軽装甲機動車、こちらもイラク派遣に際し、間に合った装備、といわれたもの。ただ、排気ガス基準に対応しなくなったことで改良型を小松製作所が開発したところ、製造費が3500万円から5000万円に増加した事を財務当局が問題視し製造修了が決定して。

 イーグルⅣ軽装甲車かハーケイ軽装甲車を後継装備とする計画ですが、共に製造費は一億円を超えてしまいまして、いや、パトリアAMV装甲車が普通科部隊に配備されるために軽装甲機動車後継車両は必要な装備数が下方修正されるとは言うのですが。

 JLTV統合軽量戦術車両をアメリカ軍が採用した際に自重10.2tのどこが軽量なのか、と驚いたものですが、ベルギーが2020年に購入した際にJLTV322両が1億3500万ユーロとなっていて、値段もえらいことになってるなあ、と軽装甲車高騰に驚きました。

 軽装甲機動車、2020年代の視点からは防御力不足は確かに感じますし、懸架装置の限界から単純に増加装甲を装着できない事も理解しているのですが、この装備の最大の利点は安さであり、もう少し小松製作所から数を調達することは出来なかったものかなあ。

 重迫撃砲中隊の高機動車を転用した重迫牽引車、こちらは制式化というか部隊運用認可が1992年、小改良は行われているものの、汎用車両としての運用は兎も角として第一線での運用に装甲が無いことの厳しさがロシアウクライナ戦争で指摘され続けて。

 高機動車そのものは先日自衛隊の中古車両101両が支援物資としてウクライナへ到着しましたが、ある程度使い道はある模様、ただ、やはり装甲車の方が、最近は砲兵の滅茶苦茶な制圧射撃に加えて手榴弾を抱えた市販無人機が雲霞の如く襲う中、安全で。

 本部管理中隊の観閲行進、本部管理中隊は偵察に当たる情報小隊や工兵に当たる施設作業小隊と戦闘救急に当たる衛生小隊など様々な部隊が連隊を支援する、ここに装甲輸送小隊のような、装甲車を15両くらい装備する輸送支援部隊があればなあ、とも。

 フロントガラスに太陽光が反射した瞬間を偶然撮影しました。第一線部隊は与えられた装備の中で創意工夫を法律内で行う他ないのですが、その時、がいつ来るかは相手次第という現行憲法の専守防衛なのですから、それなりの重装備を揃える政治の責任は重い。

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【G3X撮影速報】小牧基地航空祭2024【4】C-130H輸送機は飛行展示経て編隊で続々着陸(2024-03-03)

2024-06-13 20:23:05 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■C-130H輸送機
 小牧と云えばこの緑色で子供が観てもエンジンがたくさんついている軍用機らしさの航空機が並んでいるという。

 C-130H輸送機が3機編隊でアプローチを、小牧基地では日常的にこうした訓練を実施していまして、基地周辺ではここまで密集編隊ではないけれども並んで飛行する輸送機の姿が日常風景となっているとのこと。それは戦闘機と輸送機の任務の違いを示すもの。

 戦闘機であれば空を中心とした訓練、日本海や太平洋での飛行訓練で、仕事は空中戦なのですから成り立つのですが、輸送機としての訓練では飛行は過程であり、任務は物資を搭載して始まり、送り届けることで完了するわけです。実任務に邦人救出も含む。

 滑走路上空をローパスするC-130H輸送機、訓練はどんな部隊でも重要であることは確かなのですが、しかしC-130H輸送機の場合は事情がことなりまして、明日アフリカや南太平洋や中東や東欧へ邦人救出の命令が発令されるかもしれない緊張感があるわけです。

 邦人救出、そう、思い返しますと2023年はアフリカのスーダンはじめ連続した実任務がありましたので、派遣される可能性というのは万一というような曖昧な発言ではなくもうすこし現実味を帯びた話となるのです。これを航空祭で広報しているかたちなのですね。

 航空祭の写真としましてはさて。C-130H輸送機を地上に写真の構図として配置して、そして上空をゆくC-130Hという構図をおさめましたから、これ、考えてみますと最初にC-1輸送機と編隊飛行を撮影してそしてC-2輸送機という構図もとったので全輸送機制覇だ。

 着陸態勢にはいりましたC-130H輸送機、不思議なもので今年の混雑は昨年ほどではない、昨年は久々の航空祭だからかかなりの混雑でしたが、考えてみると今年の小牧はブルーインパルスがこなかったわけですから、この影響も大きかったのかもしれない。

 群衆とC-130H,という構図で仕上げてみましたが、やっぱり邦人救出のような構図になっているなあ、と。撮ったときにそう意識したのか無意識なのかと問われると、この構図なにかのときにつかえるじゃあないか、という気があったのは確かではあるけれど。

 G3XカメラとEOS7Dカメラで正副の撮影体制をとっているのですが、ファインダーをのぞいて撮影する7Dに対してこちらはある程度カメラ任せ、若干角度がずれたりするのですが、こうしてみてみますと一応自然な構図になっているのを驚くものですね。

 旧迷彩と新迷彩、水色の迷彩はむかしイラク迷彩といわれたものでしたが、イラク空輸支援任務が完了しますと順次むかしながらの野戦迷彩、日本上空を低空飛行した際に敵に目立たない迷彩に戻されたものが、また最近、新迷彩として水色がふえつつ。

 日本本土上空での低空飛行による空輸よりも、南西諸島での空輸任務、特に敵に見つかる状況ではもはや輸送機は使えないために強襲ではなく事前集積などを考えた場合に、この旧迷彩よりも水色の迷彩の方が必要になった、ということなのでしょうか。

 C-2輸送機とC-130H輸送機の迷彩を統合しているようにも、また思えたりしたのはそろそろ撮影位置を輸送機の前で上空をゆく編隊とともに写真の構図に収める段階が終了しまして、着陸した輸送機の迫力ある構図を撮影するためです、が後ろふりむく。

 政府専用機と輸送機、C-1輸送機とボーイング777政府専用機、C-1輸送機の完全退役がいよいよ来年ですのでこの構図がみられるのも、というよりも千歳の政府専用機と入間の輸送機が並ぶ様子だけでも貴重といえるもの、振り返ってしっかり撮影です。

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【G3X撮影速報】令和6年第1空挺団降下訓練始め【6】多国籍空挺部隊出動(2024-01-07)

2024-06-08 20:20:56 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■チヌーク大挙登場
 チヌークことCH-47輸送ヘリコプターが続々と習志野訓練場に出動しますと展望台のまえを大きく旋回し着陸態勢へ。

 CH-47輸送ヘリコプターが続々と飛来しました、C-130J輸送機が空挺降下可能な経路を飛行しつつそのまま航過したため、強風で降りられないらしいという事は分かったのですが、しかし自衛隊は降下したのに各国空挺部隊は降りれないとは、と思った矢先で。

 自衛隊航空はUH-60JA多用途ヘリコプターの調達失敗によるUH-1JのUH-60JAでの置き換え中断、OH-6観測ヘリコプターのOH-1観測ヘリコプター調達失敗による観測ヘリコプターの形式消滅、続いてAH-1S対戦車ヘリコプターも同様の道を辿る。

 AH-1S対戦車ヘリコプターのAH-64D戦闘ヘリコプターへの置き換えはミサイル防衛予算を捻出するために年間1機程度の調達鹿予算が確保できず62機予定を13機で打ち止めとし、富士重工との間で係争となり調達失敗、CH-47は例外的に調達できまして。

 輸送ヘリコプターは第1ヘリコプター団の航空機で、アメリカの第101空中機動師団に次いで大規模な空輸能力を持つヘリコプター輸送部隊、川崎重工においてライセンス生産することで、旧型のCH-47D相当ですがCH-47Gの三分の一程度の費用で揃う。

 ゴジラvsビオランテではV-107輸送ヘリコプターの大編隊が丹沢山地の防衛線へ輸送する様子が象徴的に描かれていましたし、ガメラ大怪獣空中決戦ではこれがCH-47の大編隊に置き換わり、言い換えればこの輸送ヘリコプターは自衛隊の象徴的装備なのか。

 これだけの輸送ヘリコプターの数を揃えるのは簡単ではなく、川崎重工での生産に感謝したいところですが、政府がやはり新型のCH-47Gに切り替えるべきとの英断の結果、製造ラインを組みなおしたことで製造費が三倍、F-35より高くなったのは記憶に新しい。

 CH-47Gは製造費が三倍になった事で、やっぱり国産は税金の無駄、と憤る方がいるようですが実はボーイングがドイツ陸軍に納入したCH-47Gと費用面では同程度で別段高くない、結局無理に最新型としたことで、普通の値段になっただけ、という。

 各国空挺部隊の登場だ、そう、空挺降下する予定でした参加各国の空挺部隊が続々とヘリコプターから展開してきました訳です。そう、これを待っていた、なにしろ日本では89式小銃しか見られない、C7カービンやL-85にFA-MAS,全部見れるわけで。

 FNCみたいな小銃持ってるぞ、AR-18っぽいな、SIG-550みたいなストックだ、と声が上がるのですが、わたしは一言、あれハチキュウのエアガンじゃないかな、と。とたん、周りが、言ってはならない事を言いやがった、と非難の視線が全周からとどく。

 ああ、そういうことか、流石に多国籍空挺部隊の参加といっても全員日本に小銃を持ち込むのは旅客機で来日する場合の税関とか難しかったので、自衛隊が閉所訓練教材として導入していました東京マルイの89式小銃エアガンを全員に持ってもらったのかあ。

 イギリス空挺兵とオランダ空挺兵が揃って89式小銃のエアガン、第16空中機動旅団と第11空中機動旅団、みんななかよくハチキュウを携行するというのは、時代も変わったものだなあ、と感じます。しかしオランダのボディーアーマー、軽快そうで羨ましい。

 各国空挺部隊の戦闘加入により仮設敵は撤退を強いられ状況終了となった、という感じ。展示演習は図上演習と違い勝利まで明確に示されている。しかしこれまさに連合国軍という印象で、時代も変わったものなのだなあ、としみじみ思うのですね。

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【G3X撮影速報】中部方面混成団創設17周年記念行事【1】琵琶湖畔は大津駐屯地の記念行事開始(2024-04-27)

2024-06-01 20:14:00 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■大津駐屯地祭二〇二四
 大津駐屯地記念行事の様子を若干遅くはなりましたけれどもG3Xにて撮影しました写真にて紹介いたしましょう。

 第109教育大隊の自衛官候補生がややぎこちないが揃って整列するとともに、しっかりとした行進で第4陸曹教育隊の隊員たちが式典会場に入場しまして、そう、背景には東山の峰々が続くそのすぐむこうに京都の街並みが広がることに不思議を感じて。

 ここは大津駐屯地、陸上自衛隊中部方面隊の教育訓練における総本山というべき駐屯地が琵琶湖畔に広がり、そう、思えば白いマフラーの自衛官候補生たちは四月に入隊したばかりの、しかし四月下旬に自衛官候補生として初めての行事に臨んでいる訳で。

 中部方面混成団本部と第109教育大隊に第4陸曹教育隊が駐屯する大津駐屯地、西大津駅、いや今は大津京駅か、琵琶湖畔を走る湖西線の駅からは指呼の距離であるとともに、京都から京津線と石山坂本線を乗り継げば直ぐという位置に所在する駐屯地だ。

 指揮官入場、混成団とはいいますが、隊員教育と共に即応予備自衛官の教育訓練も担うことから、かつて第10師団隷下に在った第49普通科連隊、かつて第13旅団隷下であった第47普通科連隊を隷下に編入していまして、こうして式典には連隊旗二振り揃う。

 大津駐屯地祭、毎年、かつては五月中旬あたりに行われていまして、千僧駐屯地祭と大津駐屯地祭に大久保駐屯地祭という、京都市周辺の3駐屯地祭が行われますと、もうすぐ夏が来るのだなあ、と感じたものですが最近大津は四月下旬に駐屯地祭が行われ。

 駐屯地は琵琶湖畔に位置するのですが、それはこの敷地が元々は海軍大津航空隊の水上戦闘機強風の訓練基地であった歴史を経ていまして、しかし会場は琵琶湖が見えるところではなく東山の峰々を背景に、そう、ここからだと近江神宮の方角を向いて。

 部隊旗入場、大津駐屯地は航空隊跡地ということで案外と広い、そして会場も広いのですが一般開放される場所が限られていまして、撮影する場所は何処が良いのかということを考えると、ここだ、という王道の一角が実は無い難しい駐屯地でもある。

 桜並木の、この日は曇天でしたがかつて五月中旬に駐屯地祭が行われたころ、直射日光で友人がもう危険なほどの日焼けとなってしまいましたことがあるのですが、そのころから観閲行進は、桜並木が式典会場に沿って続き、ここから撮ることとしています。

 直射日光、自衛官候補生たちは四月に入隊して若干の訓練を経て四月末に行事というのは大変なのですけれど、しかし五月中旬に行事が行われていた頃は直射日光の熱中症で少なくない候補生が失神し倒れて搬送されていましたので、あれはあれで、と。

 第109教育大隊が部隊紹介に併せ中隊旗の敬礼動作を執り行う。今年は曇天で、少しあつさを感じるのだけれども熱すぎることはなかったので良かったなあ、と暑いよりも熱いというこの数年の春の高温を思い出しつつ、少し減った参加部隊をながめて。

 第2教育団、と中部方面混成団が呼ばれていた時代には、教育大隊は大津の第109教育大隊に加えて善通寺の第110教育大隊、もともと第2教育団本部は善通寺に在ったのが第2混成団創設に併せ大津に移駐した、昔はその2個大隊が式典に参加していた。

 自衛官にも働き方改革の時代が来たのだろうか、指揮官訓示のはじまりとともに式典参加部隊が減っている概況をこう思ったりしました。しかし年次行事を行わないわけにはいかない故に、こう、規模を縮小させるほかないのか、とも思ってしまうのですね。

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【G3X撮影速報】練習艦隊江田島出航二〇二四【3】近海練習航海部隊・外洋練習航海部隊(2024-03-16)

2024-05-30 20:01:12 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■堂々の艦隊出航
 高田港からこの高台までは兎に角毎年のようにこんなに上り坂きつかったかと思う苦労が有るのですが、近海練習航海部隊と外洋練習航海部隊が動き出すとともにこの撮影位置に陣取ってよかったと思う。

 かしま出航、続いて護衛艦さわぎり出航とつづいています。超望遠ズームレンズの特性というべきなのでしょうか、かしま、さわぎり、全長ではあまりかわらない大きさなのですがレンズの圧縮効果により護衛艦の方がかなり大きく見えていますね。

 さわぎり、かしま後方にはいりまして単縦陣を構成してゆきます、江田島基地の幹部候補生学校では、そうこの撮影位置からは4kmちかく離れているのですが、多くの見送りに並ぶ、教官と家族の方でしょうか、人垣がここからでも確認できるほどの賑わい。

 艦隊出航、この数年で艦隊出航におけるおおきな課題はヲタ船とよばれる好事家のチャーター船による航路妨害でしょうか、このために単縦陣でも急制動をかけることがありますので、さわぎり航行がちょっと離隔に留意している航跡がみえてしまうのです。

 幹部候補生学校を背景に、2隻の艦艇とともに。撮影位置を考える際に難しいのは単縦陣をうまく構図にいれることで、それは必ずしも標高の高い場所で撮影することは最適解ではないのかもしれませんが、低い撮影位置では、ヲタ船が紛れ込んでしまう。

 うらが出航、海軍兵学校校舎を背景に掃海母艦がゆっくりとうごきだします、海軍兵学校校舎ですので軍艦を模した校舎の設計となっていまして、実際に戦艦陸奥搭載の41cm艦砲が海を向いている様子がはっきりとみえまして、これが生きている歴史、と。

 海軍兵学校校舎、毎年といいますか毎日一般公開されている幹部候補生学校校舎なのですが残念ながらこの卒業式の一日は関係者のみの公開となっています、けれども。今年は此処撮影位置まで例年通り広島からではなく呉から江田島にわたり、ここに至る。

 呉からここ高田の撮影位置まで、路線バスにて江田島基地のまえをとおりましてそして出航準備を行う艦艇を車窓からみたのですが、陸上からみているのですよ、それでも、こんなに大きいのか、と舞鶴の岸壁でみるよりも存在感を大きく感じ不思議でした。

 うらが、さわぎり後方から続きます。圧縮効果とかいろいろ説明しましたが、うらが満載排水量は7200tありまして、あさぎり型護衛艦である護衛艦さわぎり満載排水量は5900tですので、実感するのはやはり掃海母艦は母艦というだけあっておおきいなあ。

 単縦陣、近海練習航海部隊3隻が並んだ様子です。ここに外洋練習航海部隊の1隻がくわわるのですが、ヘリコプター搭載護衛艦が練習艦隊旗艦を臨時でつとめていた年度の出航は、後ろにもう少し護衛艦型の参加艦艇が並び、なかなかに壮観だったもの。

 くらま、練習艦隊臨時旗艦に出航したときなどは、はつゆき型、あさぎり型と一昔の護衛隊群をおもわせる編成でした。いせ近海練習航海参加のときはもっと期待したのですが満載排水量19000tは江田内には大きすぎたのか呉基地で待機だったのは残念でした。

 むらさめ、動き出したのが見えました、こちらが外洋練習航海部隊を構成する一隻のみの護衛艦でして。しかし部隊を名乗るからには、ここにもう一隻、護衛艦でも訓練支援艦でもなんでもいいから加わってほしいなあと思うのは、わたしだけなのだろうか。

 江田内から広島湾にむけて、かしま、ややゆっくりとですが確実に進路を進めています。写真に仕上げるとながながとしていても、実はすばらしいと納得できる構図は一瞬でもあるので、カメラを構え続け、三脚持ってくるべきだったかと今更気づくのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
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【G3X撮影速報】横須賀軍港めぐり【5】軍港巡り遊覧船は吉倉桟橋逸見岸壁へて帰港(2024-01-06)

2024-05-23 20:20:49 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■軍港巡り遊覧船
 軍港めぐり遊覧船はいよいよ帰港へ。その乗船料金はほぼほぼ映画一本分という水準なのですが映画一本よりも迫力ある日常風景を眺めているわけですね。

 いかづち、たかなみ、おおなみ。遊覧船は吉倉桟橋にもどってきましたが、むらさめ型護衛艦、たかなみ型護衛艦という1990年代にまとまった数を建造できた護衛艦の目の前を進む。いま厳しい国際情勢に日本が対応できるのは、無理してこれらをそろえたゆえ。

 吉倉桟橋、橋のように突き出ているのが桟橋で陸地に接岸できるようになっているのが岸壁、横須賀サマーフェスタなどではこの吉倉桟橋と隣の逸見岸壁が開放されます。歩いてみると結構な距離がありまして、真夏の楽しい一日は後で日焼けとかすごいことに。

 むらさめ型が手前の107いかづち、110たかなみ、たかなみ型の一番艦で111おおなみ、は二番艦、ステルス設計とともに汎用護衛艦は220名必要だったものを思いきった自動化で165名まで省力化した、が1990年代の設計なので個室化などまでは踏み込んでいない。

 はるな型護衛艦の船体設計をそのまま応用して、むらさめ型、たかなみ型、あきづき型、あさひ型を設計しているのですが、次世代の汎用護衛艦は長期航海に備え乗員の個室化とかスターリンク衛星接続による個人インターネット環境などが必要になるよう思う。

 さわぎり、くまの。くまの、もがみ型護衛艦2番艦ですが小型護衛艦や旧式護衛艦だけではなく掃海艇の一部を置き換えることを考えるとかなり巨大であるし重武装です、ただ、これでも有事の際に九州沖縄近海が中国海軍のミサイル圏内に入るため軽武装という。

 日本は島国であり海洋立国であるために海上自衛隊が重要だ、という点は事実なのですが、陸上自衛隊よりも海上自衛隊のほうがという優劣論になりますと、戦艦は陸上砲台に勝てない、の原則のように今後は陸上配備型ミサイルの重要性もたかまるようにも。

 きりしま。かなり逆光になってしまいました、仕方ない話なのですが遊覧船の始発は1100時で、午後から横須賀は地形の関係で逆光になってしまいます、夏休みシーズンとか0900時ころに始発を運航してくれればなあ、と太陽を見上げ、思ってしまうものですね。

 イージス艦、海上自衛隊は8隻をそろえていまして艦隊防空とミサイル防衛に当てていますが、昨今はミサイル防衛に任務が偏重し艦隊防空の訓練が十分できないという難題も、しかし先日アメリカのイージス艦が宇宙空間でイランの弾道弾撃墜に成功してしまうと。

 ミサイル防衛は、銃弾を銃弾で落とすようなもの、と難易度の高さが1990年代に指摘されていましたが、丹念に根気強く日米ともに資金と人員を投じて技術開発しますと、不可能といわれた中距離弾道弾の宇宙空間での撃墜に世界で初めて成功したという訳で。

 こんごう型護衛艦一番艦こんごう竣工は1993年ですので艦齢31年、きりしま竣工から30年です。ミサイル防衛専用のイージスシステム搭載艦がミサイル護衛艦とは別枠で建造され、純粋にイージス艦の数は増えるようですけれども、ミサイル防衛はどうなるのか。

 むらさめ型など汎用護衛艦の後継艦にもイージスシステムを搭載してはというオールイージスドクトリンという話題が海上自衛隊幹部学校記事に乗せられたのは10年ほどまえでしたか、国産のレーダーシステムとあわせ、今後の建艦計画が大きな関心事だ。

 カラスが、艦首旗のマストにしっかりとたたずんでいる様子が。軍港巡り遊覧船はここで出発点に帰港したのですが、乗船前に噴水にいたカラスさんかなあ、とイージス艦に佇むカラスさんをながめつつ、ちょっとだけの航海からの帰港として陸にあがりました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【G3X撮影速報】久居駐屯地創設72周年記念行事【2】第33普通科連隊観閲行進準備(2024-04-07)

2024-05-18 20:00:07 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■観閲行進準備
 記念行事は訓示と祝辞に続いて祝電披露までが無事完了しまして観閲行進準備の号令がかかりました。

 観閲行進準備へ車両の移動がはじまります。式典会場のよくみえるところに車両が並ぶというのは、なにしろ装備品がそろっているのですから見応えがある、姫路とか今津とかあとは豊川とか富士とか、あああと駒門も戦車以外は並ぶ。

 駐屯地のモータープールにはもっとたくさんの車両がならんでいますから、ここに整列しているといいますか行事に参加している車両はごくごく一部の式典参加部隊の車両なのだけれども、ひとだけ並ぶのか装備が並ぶのかで、やっぱり迫力は違うよね。

 高機動車と軽装甲機動車と、十年前にはここに対戦車中隊の重MATこと79式対舟艇対戦車誘導弾を搭載した小型車もならんでいた、あと普通科中隊はもうすこし車両行進が多かった、自衛隊が縮小しているという印象をどうしても受けてしまうのですがさて。

 軽装甲機動車、中部方面隊ではここ第33普通科連隊から配備が開始され、最初は土足であがっていいものかとまようほどの新装備だったといい、当時はMINIMIはまだ配備前で64式小銃を据えていた最初のころ。あれからもう22年も経つことにちょっとおどろく。

 後継装備が丸紅輸入のスイス製イーグルⅣか三菱重工ライセンス生産のオーストラリア製ハーケイかが選定中ですが、結局のところ排気問題で小松と防衛省が対立したことで後継装備を国産できなかったわけで、正直に謝って軽装甲機動車を毎年200両買っては。

 小松の装甲車が誇るべき点は安さと中庸だが低くはない品質だとおもう。ハーケイにしても2億円、円安の影響はあるものの軽装甲機動車の2700万円とは文字通り桁が違う、排気規制に問題があるならば自衛隊が受領後にフィルター装着など独自改造を行えばよい。

 車体が小さすぎるという批判があるようだけれども、CH-47輸送ヘリコプターの機内に搭載できるのが強みで、この後継に大きな車両をいれてしまうと装甲のないパジェロと高機動車だけしか空中機動できない、年産200両買っても予算で問題ない装甲車は少ない。

 本部管理中隊の情報小隊に配備される偵察オートバイと後方には発煙装置3型、最近オーストラリア軍は電動自転車のモペット、105km/hまでとばせる車両をボクサーCRV偵察装甲車に搭載して偵察に使っている、普通科連隊の情報小隊にもこの種の戦闘車が必要だ。

 第10音楽隊の入場、式典があれば必ず参加する部隊が音楽隊、日曜日に休めるのは年間でどのくらいなのだろうとおもう。有事の際には司令部警備や捕虜取り扱いと諸外国では憲兵が行う任務をも任されるのだから、もう少し音楽隊は人数が居ていいのではないか。

 82式指揮通信車を先頭に観閲行進準備です。この車両の後継はやはりパトリアAMVになるのだろうか、さいだい16名を詰め込めるAMVならば強力な通信機材を搭載できて、ランセットドローンに発見されてもAMVの装甲防御ならばなんとなく生き残れそうな気が。

 三重県旗がまず行進の先陣、”み”の文字を連想させるわかりやすい県旗だ。ちなみにこのパジェロの愛称で知られるこの小型、諸外国というかフランス軍などはついに市販車をそのまま塗装して戦車部隊とかに配備している、いっそスバルとかに変えてはどうか。

 連隊旗とともに副連隊長が敬礼、もともとはこの車両も小型装甲車として1970年に高速道路網を駆使する四輪駆動装甲車として開発されたものの、その直後の石油危機で量産できなかったものを指揮通信車とした、232両が量産され部隊の本部車両として活躍します。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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