北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】岐阜基地航空祭2024(2)F-2戦闘機機動飛行とKC-767空中給油輸送機(2024-11-17)

2025-02-02 20:00:54 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■F-2戦闘機機動飛行
 機動飛行と編隊飛行が航空祭の華です。

 F-2戦闘機の機動飛行が開始されました、F-2戦闘機は日米共同開発による国産というもので、航空自衛隊としてはもうすこしのぞんだ性能がほしかったらしい航空自衛隊からは、評価に一言着けたいという言葉を聞いたのですが。

 機動飛行、この撮影位置は滑走路南側、巡航で撮影できる位置なのですが、機動飛行となりますとこの南側会場よりもさらに南側に飛行して、こんな逆光となる事もあります、言い換えれば逆光の構図というのがこんな感じなのですね。

 順光の構図はこんなかんじ。南側会場で撮影するのは、この青空を背景に撮影したいためなのですね。航空祭で海上が順光なのか逆光なのかは事前に調べるか、現地でびっくりするか、もっともその環境というのは地図と航空祭パンフでわかるのですが。

 碧空、やっぱり戦闘機はこういう構図で決めたいものなのですよ、まあ、贅沢をいえば空撮やっている方の自慢話を聞いたり、空中作業車を動員しての撮影とかいう痛々しい話とかを聞くのですが、見上げる戦闘機はこういう構図が、良い。

 T-4練習機の着陸が始りました。航空祭、撮影で毎回気を付けているのは主人公は戦闘機や練習機と云った航空機ではなく、航空祭をやっているという会場の活況なのですよね、航空祭を愉しんでいるところを入れなければ日常写真と見分け附かない。

 川崎重工岐阜工場、まあ、この構図は、T-4練習機を製造しているのはこの川重岐阜工場なのですから構図としては面白いですし、岐阜基地の外柵配置からこの構図は航空祭でなければ撮影出来ないものですから、これも航空祭らしいといえるのか。

 航空祭会場とT-4練習機、T-4練習機は200機以上製造して、特に司令部勤務などでウイングマークをもっていながら年次飛行時間を確保するのに苦労している方々が飛行を行うために必要な航空機という位置づけが有る。

 T-4練習機、年間最低飛行時間をシミュレータで維持出来ればという声がるようですけれども、これが可能ならば射撃訓練、戦車や火砲なども可能となり訓練費用を大きく圧縮できる一方、それで必要な練度を実戦で発揮出来るのか、という視点にも収斂して。

 会場を背景に動き往くT-4練習機、この情景を眺めて写真を撮影していますと、そう、この  T-4練習機もそろそろ後継機を開発する時節で、アメリカはT-7練習機を推すのでしょうが、増槽を構造上装備できず、日米共同開発の可能性が示唆されている。

 F-2戦闘機の着陸、戦闘機の迫力というものを実感させるのはこの鋭利な機種と共に超音速で獲物を掻っ切る為の装備を満載するべく設計された意図が伝わるこの俊英の構図からでしょうか。やはり自分は戦闘機が好きなのだなあと思う。

 航空自衛隊でいろいろいわれるならば対艦攻撃能力があるのだし海上自衛隊に移管して冷戦時代のドイツ海軍のトーネード部隊の様な運用があってよかったのでは、と思った時代もあったのですけれども、陸自からナイキが空自に移管されたようにね。

 KC-767空中給油機とF-15戦闘機の給油展示が開始されます、この撮影に活用しているG3Xは2400mmまで伸ばせる、そのぶん画質には響くのですが、一眼レフと連携して撮影するにはこの望遠性能は重宝するのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【G3X撮影速報】今津駐屯地創設72周年記念行事(5)戦闘中隊観閲行進と訓練展示開始(2024-09-21)

2025-02-01 20:01:33 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■状況開始!
 今津駐屯地祭の特集はいよいよ観閲行進が終了します。

 2025年はいよいよ九州で明日から駐屯地祭が本格的に始まるのですけれども、さてさてどうなるのか、と思うのは中部方面隊が物凄い工法を重視しているという事が、全国を行脚する方々から聞くと共に、部隊の整理縮小が続いている為なのですね。

 今津駐屯地祭は、初めて行きましたのが2005年、第3戦車大隊と第10戦車大隊が戦車中隊を7個も並べていましたので各中隊から正体が参加していましたけれどもそれで既に7個小隊が観閲行進を行っていて、延々と戦車、という感じであったのです。

 第3偵察戦闘大隊、その新編に立ち会う事が出来ましたので親近感がある部隊なのですけれども、第3戦車大隊の廃止は郷愁と哀愁というものを強く感じたものですので、その後継という部隊を視るのは複雑な気がしないでもないのですね。

 訓練展示準備へ。観閲行進が一瞬だったなあと思うと共に、まあこれは前述したのですけれども、まずこの今津駐屯地祭、昨年度行った際には商店街のバス待ちが凄い事になっていて、これは高島市に一泊するべきだったかと思うほどの混雑だったのが。

 今年の今津駐屯地祭はシャトルバスが誰も並んでおらず、案内の隊員さんも苦笑いしていまして、みんな戦車居なくなっただけで冷たいよねー、とか話し合っていたものですけれど。遅参といわないまでも朝食食べてからいって間に合ったほどすいていた。

 訓練展示に向けて消防車による放水が行われます、それはヘリオぷたーがこの当たりに来ることを示していますから、砂塵が怖いなあと思うのですね。最近、写真が仕事のメインという方によくお話をきかせて頂いたのですが、ミラーレスが多くなった理由が。

 カメラは消耗品、カメラは家電、という話なのですね。北大路機関には備品ではありませんが、二眼カメラさえ置いてあるほど、カメラは相棒、という89式小銃並に大切に扱っていますので、消耗品という考えはありません。

 職業カメラマンの方の場合はミラーレスが多い背景に、買い替えているのではなく壊れている結果、一眼レフが入手できない為のミラーレスだという。しかし、ミラーレス、EOS-M5と前のEOS-M3ともども、性能的には及第点かそれ以下だったから。

 訓練展示準備が進む中で、ちょっと安心するのは自衛隊の広報さんは一眼レフを大事に使っている、広報室では電子乾燥機に保管しているほど、こう、考えると安心感というか、機材を大切にするカメラ使い、ということから、親近感と尊敬心が湧く。

 82式指揮通信車が仮設敵の装甲車として登場する、将来的には大柄だけれども頑丈なパトリアAMV装甲車に置換えられる事でしょう、ただ、かなり大柄だからここに載れるのかなあとおもったりする、この40年間で装輪装甲車は大きく重くなった、高くも。

 UH-1J多用途ヘリコプターから情報小隊のレンジャーが展開するべく近づいてきました、やはり水を撒いていたので、此処に降りるのですね。さあさあこの撮影位置からどのように映り込むのか、自分の計算した撮影角度の採点の時間が始まる。

 ヘリボーンとともに偵察戦闘大隊の訓練展示、かつての2個戦車大隊1個特科大隊、大勢の74式戦車と4個中隊もいたFH-70榴弾砲が全部用途廃止されまして、今津が寂しくなりましたが、それでも精一杯の駐屯地祭がいよいよはじまるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【G3X撮影速報】富士学校開校70周年富士駐屯地祭(7)訓練展示-90式戦車と16式機動戦闘車(2024-07-21)

2025-01-30 20:21:13 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■訓練展示
 戦車の有用性というものは実物を見るとよく分かるのですよね。島国には今の反撃能力のような装備が必要という声が有りますが離島攻撃があったとしていきなり敵国の首都をミサイル攻撃するのは難しい。

 戦車大隊は250名です。こうかきますといやいや460名だよという反論が来るのかもしれませんが、戦車中隊が2個まで痩せ細った第3戦車大隊の定員が250名でした、第3偵察戦闘大隊新編時に前日廃止の第3戦車大隊のかたに聞いたので間違いありません。

 普通科連隊の定員は1200名で、これも旧陸軍の歩兵連隊と比較しますとかなり人数が少なく、いや自衛隊創設当時の管区隊普通科連隊は普通科大隊も置かれていてもっと重厚ではあったのですけれども、連隊の数が多くなった今では1200名の定員となった。

 少子高齢化の時代、この1200名という数字ですがもう少し考えられないのかと思う、いや歩兵はアタマカズだよ、といわれるのかもしれませんが中身です。現代第一線火力の発展は装甲化されていない軽歩兵には生存が難しくなっているのですから、ねえ。

 塹壕陣地にこもればどうなるか、一昔ならば装甲車やへリボーンで迂回されるという反論でしたが、2023年以降はロシアウクライナ戦争開戦一年後からロシア軍が滑空爆弾を陣地攻撃に多用するようになりまして、この威力が昔の艦砲射撃なみの一発で。

 滑空爆弾というのはSu-30戦闘爆撃機などに精密誘導型の3tくらいの有翼爆弾を装着して100kmほど先から発射するもの。短距離地対空ミサイルの射程圏外で、精密誘導爆弾は本来付随被害を局限するために威力と落として目標を狙うのが常識でしたが。

 ロシアウクライナ戦争で使用される滑空爆弾は、陣地に命中させるために100km先から投射しても目標に到達するという意味で精密誘導、225kgの500ポンドJDAMとは威力が根本から異なり、塹壕陣地をまるごと吹き飛ばすという爆弾が、日常使用されている。

 地形防御だ、歩兵は歩くことで地形を味方に、という反論もあるのでしょうが、ロシアウクライナ戦争を見ますと、ロシア軍は装甲車不足で、もともと無かった自衛隊とことなりロシアの場合は散々撃破されて数が無いという理由ですが、歩いていて。

 攻撃発起点から徒歩機動10kmの先に敵前哨陣地がある、という想定でロシア軍は徒歩攻撃を加えていますが、前哨陣地到達の頃には、迫撃砲弾や擲弾と無人機攻撃で疲労困憊していて、しかも負傷してしまうと10kmを帰れず、味方に"処置"されるという状況で。

 装甲化するほかない、そしてできるだけ戦車をつけるべきだ、とまあこういう感想になるのですね。戦車大隊の定員は250名でしかない、すると普通科連隊を思い切り縮小して、その分戦車大隊を増やせば、少なくとも人数の面では帳尻があうのではないか。

 第1普通科大隊の定員は380名である、第1普通科大隊ってどこだよ、と反論があるかもしれませんが、習志野の空挺団、普通科群が2004年に廃止されて3個普通科大隊が編成されたものの一つ。考えてみるともう普通科大隊新編から20年も経っていることに驚く。

 普通科大隊と戦車大隊を合計すると630名という。この2個大隊を基幹に連隊を組めば、本部管理中隊の関係で700名規模にはなってしまうでしょうけれども、1200名の普通科連隊よりも装備密度を高く、有事の際の生存性をかなり高く出来る部隊とはならないか。

 24式装輪装甲戦闘車の調達費用が10式戦車の費用よりも高くなっている様子を見ますと、もう戦車300両体制という時代は過去の、少なくとも台湾海峡有事の蓋然性やロシアウクライナ戦争開戦後には過去の話となっているのだから、戦車増勢を、と思うのだ。

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【G3X撮影速報】カブールC550-CAVOUR日本初寄港(6)撮影場所は観音崎からヴェルニー公園へ(2024-08-22)

2025-01-26 20:23:57 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■横須賀基地へ
 カブールを撮影してアルピーノ撮影へ。

 イタリア海軍の航空母艦と共に現在はフランス海軍の原子力空母が太平洋方面へ展開を開始しているのですが、今後の日本の安全保障をマクロな視点から考えた場合、どうなるのだろうか、と考えるのですね、欧州が全通飛行甲板型艦艇を増やしている。

 全通飛行甲板型艦艇、注目すべきはF-35Bという選択肢、これも着艦支援装置などを搭載しますとその費用だけで嵩むものですし、強力なジェットを甲板へ吹き付けるF-35Bは生はんかな甲板の強度では対応できないという実情もあるのですけれども。

 F-35Bを運用出来るならば、もちろん長期案の運用を考えればアメリカ海軍尾ニミッツ級やジェラルドフォード級のようなメガキャリアーには対抗出来ないのですが、水上打撃の一環を航空機により担うのならば、F-35Bの運用能力という意味はおおきい。

 欧州、一方で、これはアメリカのテロとの戦いに支援を強化しすぎて、水上戦闘艦艇が従来型の戦闘よりも法執行に支店を置いた艦艇の比率が増えてしまいましたので、ロシアの軍事圧力はもちろん、中国にたいしてもこの種の艦艇の能力は限界があります。

 イタリア海軍、海軍艦艇の問題はもう一つ、造船応力というものがありまして、日本でも護衛艦を建造できる造船所はかなり集約されていて、横浜と玉野と長崎だけとなってしまいました、ただ、この状況も世界を観ればかなり恵まれた状況となっていてる。

 これは海上防衛を考えれば自衛隊の規模に由来するところも大きかったといえる。護衛艦の規模を維持したのは、造船所が有れば護衛艦を量産できるのですが、諸外国を見ると、一旦造船所を廃止してしまうと、また一から用地と工員を集めるのは難しい。

 造船能力は、イタリアのフィンカンティエリ社は高い技術を維持していますが、じっさいのところ、造船メーカーの具体的な名前は敢えて避けますが、銃身が偏って傾いた水上戦闘艦を納品しようとしたり、火器管制装置不備のまま納品した事例が欧州には。

 空母のスクリューシャフトが運転すると海水が漏れてくるという話をききますとかつての造船大国が今は、と嘆息しましたが、このほかにも起工式の時点で水上戦闘艦の設計が完了していないのに建造を始めるなど、艦を設計するには経験も必要という。

 日本の場合は、欧州の水上戦闘艦建造能力をみわたしますと、もちろん全欧よりは大きな、という事は云わないのですが、製造業を手放して流通や通信とサービス業の方に収斂、これが結果的にCO2削減の面で欧州が優位に立つ訳ですが、その結果が突き付けられ。

 アルピーノ、装備の面や弾薬定数と満載排水量を見ますと、かなり理想的な水上戦闘艦に思えてくるのですが、これを設計として仕上げられる事例が、世界的に見てかなり厳しい状況がある、逆に韓国やトルコなど新興国の頑張りの方が印象的ともいえて。

 観音崎で撮影を完了しますと、とりあえず横須賀へ転進しました。入港を撮影するには、といいますのも結局高台から撮影するのが一番だというのですけれども、曳船がとりついてしまいますから、それならばと観音崎で撮影したのですけれども。

 横須賀、観音崎からは京浜急行でもいけますが横須賀線の横須賀駅まで直通のバスも運行されています、ただ、本数が多いので、この日は良く確認していなかった故にけっこう待ち時間が多かった、只、それを含めてもこんな感じで撮影出来たのですよね。

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【G3X撮影速報】百里基地ラファール日仏共同訓練【7】C-2輸送機とA-400M輸送機の並び(2024-07-19)

2025-01-26 20:01:44 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■日仏共同訓練
 ラファール特集は漸く今回が最終回です。

 百里基地へA-400M輸送機が着陸して参ります、A-400M輸送機、これはC-130のような民間型が有りませんので、関西国際空港や中部国際空港で待っていても貨物型のC-130輸送機のように見る事はできません、軍用機ならば別だが。

 A-400M輸送機、大きさ輸送能力と航続距離からC-2輸送機とも良く比較される航空機なのですけれども、むかし、中部国際空港にトルコ空軍の機体が来日しているのを撮影して以来、というところでしょうか、もっとも首都圏ですと事情は違うようで。

 ラファール戦闘機が昨年、日仏共同訓練へ参加したさいに入間基地へとA-400M輸送機、着陸していまして、ただ、A-400M輸送機とラファール戦闘機を両方、入間基地で撮影しようとして結構ラファールが高い高度を飛行してがっかりした人もいるとか。

 入間基地でA-400M輸送機がやってくるということは発表されていても、ラファール戦闘機は所沢航空発祥館において日仏航空友好関連行事、日本が最初に導入したのはアンリファルマンだし、陸軍航空隊が導入したのもニューポール戦闘機がふくまれている。

 所沢航空発祥館、ここで行事があるという事で待っていた方は、新田原基地へ訓練展開していたラファールをしっかり、ある程度高度を低くしてくれたとかで撮影出来たようですが、A-400M輸送機もラファールも、というかたには、二兎追うものなんとやら。

 ラファール戦闘機、証拠写真にはなったのだろう?とは聞いてみたのですが、ラファールかといわれればラファールだあ、という手度の写真が撮影できたのみといい、600mm望遠をAPS-Cセンサーで撮影しても、ほぼほぼ点であったという、それはそれは。

 C-2輸送機とA-400M輸送機、百里基地ではここで並ぶという。けっこう熱かったので、ラファール撮影後に撤収しようかとも思ったのですが、まあ、折角多数のA-400M輸送機がならぶならばとってみようよ、と友人のお話しもありましたので踏ん張り。

 真夏、ほんとうに熱かったのですね、虫さえもすくないほど、ただ、アリが巣から灼熱で追い出されているようで、茨城空港はとにかく、アリが多い駐車場になっていた、という印象です。カメラバックにも自分にもアリがどんどん昇ってくるわけですからねえ。

 茨城空港、展望デッキは撮影を難しくするアクリルガラスがありまして、ここから撮影する技術さえ磨けば、すずしい空港ターミナルで給水と食事とをたのしみながら航空機の到着を待てたのかもしれませんが、この当たりは今後の練習次第なのかなあ。

 展望デッキ、難しいかもしれませんが若干下に隙間がありましたので、練習と云いますか撮影技術と云いますかうらわざといいますか、ここからカメラを出して、撮影をアクリルガラス越しに撮影するならば、何とかなるのかもしれないなあ、と思うのですね。

 A-400M輸送機、並んでいます。これ、たしかにこの百里基地がどこの空軍基地なのか分らなくなってくるような国際色豊かな印象でして、これを撮影出来たのは、熱中症すれすれではあったのだが、頑張って粘ったかいがったというのかもしれない。

 こうして、百里基地での撮影は完了しました、早朝に友人が駅前のビジネスホテルでピックアップして頂きまして感謝ですが、終盤、こちらが熱中症手前になってしまったこともあり、迷惑を掛けてしまったなあ、と反省する次第、ありがとうございました。

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【G3X撮影速報】入間基地航空祭二〇二四(2)空往くチヌーク-入間ヘリコプター空輸隊(2024-11-03)

2025-01-25 20:25:15 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■空往くチヌーク
 入間基地航空祭の話題です。

 入間基地航空祭、混雑しているという印象があり、それはじつはわたしが初めて撮影した入間基地航空祭2005がかなり混雑していた航空祭であった、という、いわば実体験と周りの風評が重なったものといえる。

 CH-47輸送ヘリコプターの飛行展示が始まりました、入間基地はC-1輸送機がどんどん削減されていますので、飛行展示の規模は小さくなっているのは残念なのだけれども、1機、これは前来たときと同じ。

 C-1輸送機、入間基地といえば長らくC-1輸送機の航空祭という印象があり、それはC-2輸送機が入り始めましても、それはほかの行事と隣接していたりでなかなか行くことが出来ない数年が挟まりまして。

 C-2輸送機の時代に入っているのだなあ、こう実感するとともに、もう一つ、入間基地航空祭が場所を慎重に選ぶことで、実はそれほど混雑していないのではないか、ということです。それは実体験から。

 駅からゲートまで、そしてゲートからエプロン地区まで、ここは混雑しますので、絶対ちかよっては行けない時間帯がある、しかし逆に言えばその導線を避けてしまえばそれほど混雑はしていないのですね。

 開門前、もう一つの混雑はこの開門前の時間帯なのですが、実際のところ、開門前といっても余り早い時間に行きますと、混雑を避けられても結局はあとからあとから並ぶために、人口密度は凄くなるといえる。

 混雑を避けるには、開門前から並ぶ必要は感じるのですが、しかし朝早すぎずとも混雑を回避できるようにおもうのは、結局、混雑を避けるために早く移動することで結局混雑に突入しているということなのかも。

 0700時くらいだと早すぎるが0800時ですとちょっと出遅れるかもしれない、このあたりで調整したいところなのですが、乗換駅とかで急ぎ足の人を見ると、どうしても急かされているような気がしまして。

 開門時間と、エプロン地区の入場時間がちょっと差がありますので、もう開門しているのか、と焦らずとも、案外そんな時間帯でもエプロン地区は端の方が余裕在ることもあるので、急ぎすぎというのもなあ。

 最前列、入間基地航空祭の面白いのは、最前列に拘らずとも飛行展示を見上げられるように工夫されているところなのですけれども、最前列の重要な利点には、目の前に人がいない故の混雑がないということか。

 最前列の利点、それはトラロープの固定しているドラム缶を背もたれがわりにできますし、椅子は持ち込み禁止でもあるのですが、置かれているドラム缶をテーブル代わりにしたりしますと、結構便利という。

 航空祭を愉しむというのは、数年後とまでは行かずとも後で成果の写真を愉しむという事が挙げられるのですが、当日目一杯満喫して、愉しかったなあ、という記憶を残すのも、大事だと思うのですよね。

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【G3X撮影速報】第10師団創設62周年記念行事(2)大久保第10混成団から守山第10師団へ(2024-10-13)

2025-01-23 20:23:27 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■第10師団祭
 年末年始の多忙から掲載が伸びてしまいましたが。

 第10師団長酒井秀典陸将の敬礼、酒井師団長は前の補職が中部方面隊幕僚長として上番されていまして、伊丹駐屯地司令を務められていました。ただ、師団長は2024年12月19日に退官され、今現在は垂水達雄陸将が第36代第10師団長として上番されています。

 金鯱師団、驚かれるかもしれませんが現在の師団人員規模は4500名規模と、5000名を切っています。それは方面隊に多数の部隊を移管し、即応部隊のみを手元に置き、重要であるのは司令部機能を維持し、有事の際に人員を戦闘加入させる方式への転換だ、と。

 しかし、自衛隊をそこそこの長い時間観てきましたみのうえからしますと、即応を考えるならば、即応機動連隊の様な、初動から戦闘加入できる戦闘団型の戦力パッケージ、自己完結型に転換しない以上、単に予算不足の方便にしか聞こえないように思うのだけれど。

 第10師団、しかしそのはじまりは、名古屋市の守山駐屯地ではなく、はじまりの地は京都となっていました。1958年、第10師団のもととなる第10混成団本部が大久保駐屯地において編成完結となりまして、それは管区隊と混成団という時代から始まっているのです。

 混成団、といいますと最近では聞きなれない方も多いようですが、陸上自衛隊は1万4000名規模のアメリカ歩兵師団型の管区隊を置き、この管区隊が防衛線に敵部隊を拘束している状況で投入する決戦兵力として、5900名規模の機械化混成団を置く方針を立てましたが。

 機械化混成団、60式装甲車などを潤沢に装備する部隊として構想したものの、それはニッポン、人命よりも平時の予算を絞って有事の事は有事に考える的な論理で機械化装備を揃えられず、結果、気合化旅団というべき軽装備の部隊だけが揃う残念な結果となりました。

 1959年6月3日、第10混成団が編成の地である京都の大久保駐屯地から名古屋の守山駐屯地に移駐しまして、同月21日には守山駐屯地開庁式が実現します。それは同時に第3管区隊から将来的に隊区を持つ師団編成を見越したものであったとも言われるのですけれど。

 伊勢湾台風、混成団は移駐後巨大災害に立ち向かう事となります、それは同年9月26日に東海地方を襲った伊勢湾台風で、伊勢湾台風災害派遣は1995年の阪神大震災が発災するまで、死者数5900名という戦後最大の巨大災害となり、部隊は手探りで災害派遣に臨んだ。

 方面管区制施行、混成団はしかし自衛隊の大きな改編と共に大きく育つ事となります、それはいまから65年前の1960年、防衛庁の方面管区制施行により中部方面隊が創隊されることとなりまして、第10混成団は管区隊の支援という位置から方面隊の隷下となります。

 1962年1月18日、そして自衛隊は混成団編成から全国へ基盤的防衛力として師団を置くこととなり、第10師団編成完結が実現しました。それは同時に全国に大型師団編成を採用していた管区隊が廃止される事を意味していましたが、独特の防衛力整備が完成している。

 戦略機動師団、この後の翁改編は2004年3月29日に行われた師団の戦略機動師団への改編となっていまして、師団定員は7000名から8700名に増強され、戦車や火砲とともに普通科連隊も即応予備自衛官基幹の編成ではあるのですが、4個連隊編成となりました。

 この時代の編成を見ますと、戦車大隊廃止や特科連隊の廃止改編により大幅に戦力が低下している第10師団というものは、もう少し考えて欲しいものだ、問うところなのですが、減ったものの司令部があるという事は将来の拡大改編もあり得るのか、こう思うのですね。

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【G7X撮影速報】舞鶴基地新護衛艦やはぎ&あがの(5)水上艦隊と連合艦隊(2022-09-07)

2025-01-19 20:25:48 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■連合艦隊を夢見て
 この暑い日日が懐かしいものですが。

 舞鶴基地軍港めぐりも基地を一めぐりしましていよいよ終盤となりました、最新鋭護衛艦が撮影出来たのですけれども、この2024年は前半と後半がいろいろあり過ぎまして、実のところ不思議ですが最新装備はこの日しか撮影出来なかったという。

 イージス艦、こんごう型護衛艦の後継艦は基準排水量で12000tとかなり大型化するといいますので、満載排水量では17000tほどになるかなりの大型艦となります、それは同時に護衛艦隊を構成する護衛艦もどんどん大型化してゆく次の一手と云えるでしょう。

 こんごう型に続く護衛艦と共に、しかし護衛艦隊は掃海隊群と統合され水上艦隊へと改編されると共に4個護衛隊群が3個水上隊群という分り難い名前に改編されるということですので、これはどうなるのかなあ、と。危惧するのは護衛官の整備かんかくです。

 ガスタービン艦は四年に一度の定期検査が有りドックに入渠します、ですから4個護衛隊群という現在の編成は1個護衛隊群がまるまる定期整備を受けられるというローテーションに見合っているのですが、護衛隊群だけによるローテーションはもう行わないのか。

 掃海隊群が水上艦隊に統合されるということで、FFM多機能護衛艦がそのまま水上艦隊の運用に一本化されるということですので、水上艦隊を構成する3個水上隊群が部隊内でローテーションを行うようになるのか、ともいえる事なのですけれど。

 実際のところ、第4護衛隊群が新編されたのは1974年で、オイルショック後、高度経済成長が終焉を迎えGNP成長率は戦後初めてマイナス成長となった中で編成できたという歴史があります、だからこそバブル崩壊後でも大蔵省はその規模を維持できたという。

 第四護衛隊群の編成は、日本経済が一番厳しい時代に実現したからこそ、大蔵省が護衛艦隊を減らせという怪文書をばら撒く事も無かった、これが水上艦隊として部隊数を減らした実績を造ってしまいますと、生来的に財務相と防衛省の間の対立要素を生まないか。

 新しい88艦隊、一番必要なのは4個護衛隊群を構成する8個護衛隊に全通飛行甲板型護衛艦を配備し、一つの機動部隊として運用できるようにした上で、必要に応じ掃海隊群のFFMを護衛艦隊護衛隊の護衛に、統合運用できるようにすればよいとおもうのです。

 FFMは拡大改良型のFFGとあわせて、何しろ24隻が配備されるのですから。3隻編成の護衛隊であれば8個護衛隊を編成できます、FFGとFFMで比率が代わりますが、4隻編成の護衛隊と掃海隊群の護衛隊とを組み合わせ7隻の編成とできる。

 連合艦隊にした方が良かったのではないか。同時に思うのは、護衛艦隊と掃海隊群を統合するということは、かつての常備艦隊と警備艦隊を統合して連合艦隊を編成した事と重なる部分が在るのですよね。もっとも上記案の場合は統合任務部隊のような扱いに。

 連合艦隊、有事のさいや大規模災害の際に掃海隊群と護衛艦隊を統合運用する必要が生じた際に陸上自衛隊が統合任務部隊を編成するように、海上自衛隊も平時運用以外に連合艦隊を臨時編成する、というような方式で対応できるようにも思う。

 連合艦隊、ただ、この名前を常設編成しますと、勿論左巻きなかたがたが文句を言う事が在るのかもしれませんが、横須賀に“連合艦隊司令部”という看板がかけられる事で、物凄い抑止力問い圧力を生むのではないかなあ、と思うのですよね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【G3X撮影速報】岐阜基地航空祭2024(1)曇天と青空と天候偵察と荒鷲たちの祭事(2024-11-17)

2025-01-19 20:05:16 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■荒鷲たちの祭事
 F-2戦闘機とT-4練習機と。

 M-5速報を掲載した上でなかなか次の話題を紹介できませんでした昨年の岐阜基地航空祭の話題を今から紹介しましょう。返す返すですが年末年始に色々と重なりましての多忙が有りまして、先方も当方も多忙が重なるとなかなか身動きが取れなくなるのですが。

 T-4練習機が続々と発進準備を行い離陸し、天候偵察を行いました後に今度はどんどんと着陸して参りますのは天候偵察を行いました後というものでして、実はこの日天候はそれ程よくはなく少々危惧していたところの仲の天候偵察の実施でした。

 天候偵察、要するに航空祭が出来るのかを確認するのが任務となっています、特に岐阜基地航空祭は戦闘機と輸送機と練習機が編隊飛行を行いますので、どの程度、距離や雲量で視界を確保出来るのかという事を実際に練習機を飛行させて確認するという事で。

 各務原市のマンションとT-4練習機、岐阜基地航空祭裸子風景という事でわたしは好きです。この風景に見慣れていたので、昔から沖縄の基地問題を聞きました際に、住宅街と基地が近いと聞きましても、ピンとこないのですよね、内地の基地はこんな感じ。

 岐阜基地を観ました上で普天間基地も嘉手納基地も那覇基地も巡りました、遠く感じるのですよね岐阜と比べると。飛行場以外のキャンプハンセンとかキャンプシュワブは住宅地に近いと言われると、千僧駐屯地や伊丹駐屯地を思い浮かべるのですし。

 F-15戦闘機とF-2戦闘機が天候偵察完了を受けて飛行展示や編隊飛行が可能という判断から、いよいよ飛行展示準備に滑走路エンド付近へ集結して参りました、この奥にフェンスが在って、そのフェンス付近も撮影名所となっているので私も何度も行きました。

 T-4練習機が離陸します、この撮影位置、滑走路南側会場というのは滑走路を間近に見れる割にはそれ程混雑していませんので、実は基地に入りましたというか、基地正門に並んだのは開門から相当後なのだけれども、普通に最前列を確保出来てしまうという。

 F-2戦闘機が離陸を開始します、この滑走路南側会場は例年解放されるのだけれども、何処まで奥の方へ開放されるのかは年度ことに違うので、離陸を真横から見れるまでちか寄れるのか、遠くの方から見るだけなのか、こういうのは行った時のお楽しみ。

 F-15戦闘機のハイレートクライム、つまり急角度で一気に上昇してゆきます。これ、航空祭とその予行以外では物凄い轟音が響くので苦情が来るとかで日常的には見る事が出来ないというものなのだけれども、これが航空祭この轟音こそが荒鷲たちの空の祭り。

 戦闘機の離陸はまたF-15戦闘機が離陸します。G3Xというコンパクトデジタルカメラは望遠が凄いのですが、センサーは1型でしかありませんのでAPS-Cセンサーを備えたEOS-7DmarkⅡを使って撮影しているのです、二つのカメラを連結して、ね。

 航空祭の編隊飛行、G3Xの操作はレリーズを併用しているのだけれども、シャッターは捜査できてもズームの操作はできませんので、そのあたりはちょっと一眼レフ程直感で撮影出来ないというものがあるのですよね、仕上がった写真は隔靴掻痒がかなりある。

 航空祭、二日前の予行までは見事な青空だったのだけれども、さて航空祭そのほんばんと云いますと、まあこんな感じでして、著と残念だなあ、と思いつつ、しかし航空祭は飛行展示が可能という天候である事は確認された、さあ航空祭の始まりです。

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【G3X撮影速報】今津駐屯地創設72周年記念行事(4)第3偵察戦闘大隊戦闘中隊観閲行進(2024-09-21)

2025-01-18 20:21:15 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■16MCV
 16MCVこと16式機動戦闘車が遂に登場しました。

 16式機動戦闘車の観閲行進、第3偵察戦闘大隊の戦闘中隊が登場です。105mm砲を備えて、ただ、一部には懐かしい粘着榴弾も採用していると聞くのですが、こうやって威風堂々と観閲行進に参加する様子は力強い。

 戦闘車両としての風格というものを感じさせるものですね。G3XとともにEOS7Dを二台構えつつ。機動戦闘車は元々、戦車定数600両時代に戦車の代替装備では無く偵察装備として開発されたといいますから。

 偵察戦闘大隊へ配備するというのはもともとの運用なのかもしれませんが、見た目は主砲を突き出していて迫力あるものの、車体は74式戦車よりも大柄である割には重量は74式戦車よりもかなり軽い。

 74式戦車の方が良かったのかと問われれば、主たる改造、夜間戦闘能力の強化などを行わないまま、しかも車体の機関部も老朽化を任せるままとなっていたものですから、厳しいことは否めないのですけれど。

 レオパルト1戦車の近代化に提案されているコッカリル105SP砲塔などへの換装というような改修策は必要となるが。もしくは装甲戦闘車の車体に105mm砲を載せたような軽戦車で代替しても良かったのかも。

 偵察戦闘大隊の観閲行進で、寂しいのは大隊隷下に戦闘中隊は1個中隊のみという。大隊隷下の中隊数に制限は無いのだから、昔の戦車大隊のように3個戦闘中隊を置いて大型編成という選択肢もあった。

 普通科連隊へ戦闘団編成時、連隊本部管理中隊情報小隊と偵察任務で連携するなどの拡大改編はあって好いと思う。戦車連隊の情報小隊は87式偵察警戒車を装備しているほど、装備面での自由度はたかい。

 偵察戦闘大隊は騎兵部隊の延長戸考えるならば、重要なのは戦闘における機動力というものの存在です。防衛線を構築して、そこで長々と戦闘を繰り広げれば、結果論として民生被害が凄いことになります。

 ロシアウクライナ戦争を見れば分かるとおり、一カ所の防衛線を固守することは、継続的な地域への砲迫攻撃を受けることとなりますので、人家も工場も文化財もインフラも道路もほぼ更地になってしまう。

 機甲部隊を筆頭とした機械化部隊は、動くことにより敵の攻撃を回避しつつ戦闘に置いて主導権を勝ち取る、近年は無人機の発達により改修などを行わねばその生存性は低くなっている現実はあるけれども。

 普通科部隊軽視というわけではないのですが、日本の場合は機甲部隊すなわち戦車という認識が増えすぎてしまったように思う、ドイツなどでは機甲部隊は装甲部隊と装甲擲弾兵部隊の総称となっているのだ。

 偵察戦闘大隊の16式機動戦闘車を見ていますと、もう少し、こうした装備を最大限機動力を発揮させ、言い換えれば日本有事の際には短期で終わらせる、もしくは抑止力で戦争を防ぐ基盤が欲しいと思う。

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