北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】第14旅団創設6周年-善通寺駐屯地祭【7】訓練展示状況開始(2012-04-29)

2019-06-30 20:10:22 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■善通寺駐屯地祭模擬戦
 第14旅団記念行事は観閲行進が完了し訓練展示へ、併せて当方も撮影地を訓練展示の攻撃部隊正面へ陣地変換しました。

 訓練展示状況開始という事で第50連隊が前進開始しますと進路上に敵の仕掛けた地雷が/第14旅団は、第15普通科連隊、第50普通科連隊、第14特科隊、第14戦車中隊、第14偵察隊、第14高射特科中隊、第14施設隊、第14通信隊、第14特殊武器防護隊、第14後方支援隊、第14飛行隊、第14音楽隊、というものが2012年の編制となっている。

 第14戦車中隊と協同し攻撃を試みるも敵の敷設した地雷原の幅は意外な程に厚いと判明/第14旅団、改編当時の編制では旅団司令部以下、第15普通科連隊、第50普通科連隊、第14特科隊、第14戦車中隊、第14偵察隊、第14高射特科中隊、第14施設中隊、第14通信中隊、第14化学防護隊、第14後方支援隊、第14飛行隊、第14音楽隊という編成です。

 わが中隊長はOH-6D観測ヘリコプターによる航空偵察を以て陣地など敵情解明を命じる/第2混成団時代まで遡りますと、混成団本部、団本部中隊、第15普通科連隊、第2混成団戦車隊、第2混成団特科大隊、第2混成団施設隊、第2混成団後方支援中隊、第2混成団音楽隊、というものですので、混成団から旅団、実に立派に育ったというところでしょう。

 74式戦車は機動力を活かして防御側面の突破を計ると共にレンジャーの投入が決定する/軽装甲機動車と高機動車を装備する普通科連隊に、戦車中隊は74式戦車と96式装輪装甲車を、特科隊はFH-70榴弾砲を装備し高射特科中隊は81式短距離地対空誘導弾と93式近距離地対空誘導弾を、対空レーダ装置に対砲レーダ装置まで一通りの装備を有しています。

 第14特科隊のFH-70榴弾砲が展開を完了し把握した敵陣地への攻撃準備射撃が開始へ/普通科連隊は本部管理中隊に3個普通科中隊という編成で、本部管理中隊には重迫撃砲小隊が120mm重迫撃砲RTを装備、普通科中隊のうち一個は軽装甲機動車を装備している編成で、81mm迫撃砲と87式対戦車誘導弾も装備している旅団普通科連隊となっています。

 UH-1J多用途ヘリコプターが進出し内一機が重機関銃にてレンジャー展開を支援する/旅団普通科連隊という編成は、本部管理中隊に三個普通科中隊を加えた編成です。実員は650名程度で、実質師団普通科連隊の半分強程度の人員を有するのみで、かつての自衛隊草創期における混成団普通科連隊の隷下に配置された普通科大隊と同程度の人員規模という。

 12.7mm重機関銃を突出し発見した仮設敵の前哨陣地に対し空から猛烈な射撃を加える/普通科大隊ではなく普通科連隊となっているのは、本部管理中隊を有する事で通信や補給整備面で一つの独立作戦応力を有するという部分と共に、災害派遣などで隊区を有する為には連隊編成である必要が、と説明された事もあります、しかし人によっては違う回答も。

 仮設敵部隊は前哨陣地から激しくAR-18/AK-89小銃を撃ってヘリコプターを牽制するが/第3戦車大隊は、今津駐屯地に駐屯する精鋭戦車部隊で、連隊ではありませんが滋賀県を防衛警備隊区、としています。滋賀県において災害は発生した際には滋賀県知事は最寄りの京都府福知山駐屯地の第7普通科連隊ではなく、第3戦車大隊長へ災害派遣要請を出す。

 レンジャー隊員が空中機動により進入する事には仮設敵前哨陣地はほぼ制圧されている/普通科大隊であっても隊区を有する事が出来る事を示しているのですよね。普通科大隊では本部管理中隊を置けない、というのであれば普通科隊とする選択肢がある。偵察隊や特科隊と同じ隊編成です。もっとも、この場合は伝統の連隊旗が維持できなくなるのですが。

 UH-1Jはレンジャー展開へ一挙に前進するが同時にOH-6Dが敵主陣地発見の一方が入る/旅団という作戦単位が自衛隊へ再整備されたのは意外と新しく1999年に第13師団が第13旅団へ改編された際の新編です。それ以前には戦車団や特科団と空挺団が事実上の旅団と扱われていましたし、機械化混成団についても事実上の旅団でしたが呼称は旅団ではない。

 FH-70榴弾砲が効力射を開始し実際であれば30kmを隔てて行われる砲兵戦の始りをみた/旧陸軍には旅団という呼称が普通のように使われていまして、師団隷下に旅団を置いた事例もあれば群司令部直轄の独立混成旅団という作戦単位もありました。自衛隊も1962年の管区隊と混成団の師団改編の際に、可能性としては旅団単位があり得たかもしれなません。

 OH-6D観測ヘリコプターは情報収集から本来任務たる着弾観測任務へ移行し砲弾を導く/機械化混成団は、しかし実際には1962年の師団創設改編において管区隊の一部を割譲し併合する形で増強改編が行われ、管区隊は15000名規模から9000名規模へ縮小し甲師団へ、混成団は4000名と6000名規模の編制から7000名編成へ拡充させ乙師団へとなりました。

 発砲焔が眩しく刹那一瞬遅れて155mm榴弾砲の雷鳴のような稲妻のような響きが轟く/旅団普通科連隊という作戦単位が初めて導入されたのは正にこの時で、実は第13師団が旅団改編される数年間は識者の間でも編成概要が第13師団の3個普通科連隊編成が2個普通科連隊体制となり、連隊隷下の普通科中隊数が維持されるとか、大隊縮小等色々云われた。

 弾着今の号令と共にはじける疑爆筒と舞い上がる白煙を前にこの撮影位置失敗かもと思う/都道府県知事の観点からは、やはり地元に普通科連隊が置かれている事の方が災害派遣要請の際に即座に対応できる、という実情があるようです。普通科連隊が置かれていない奈良県や富山県と福井県では実際に、自衛隊駐屯地誘致運動が行われている程ですから、ね。

 UH-1J多用途ヘリコプターからレンジャーロープ降下による浸透が遂に開始されました/郷土部隊、という表現がありますが、地元の部隊というものはやはり大事にされるものです。本項冒頭に第2混成団から第14旅団となり、現在の即応機動旅団となった旅団までを立派に育った、と表現しましたが、逆に、地元に育てられた、といえるのかもしれません。

 レンジャーの展開を若干航空火力としては限界のある12.7mm重機関銃で掩護する僚機が/高知県の第50普通科連隊、この第14旅団隷下部隊に関するお話を聞きますと、郷土部隊という位置づけの重要さを、具体的には県民や行政に愛される部隊というものを考えさせられます。これは前述しましたが、第50普通科連隊は高知移駐前に行事が行われたほど。

 レンジャーは降着完了と共に徒歩の踏破力を最大限活かし錯綜地形を利用し前進してゆく/1200名規模の師団普通科連隊が配置されるならばそれに越した事ではないのでしょうが、高知県としては人員規模が小さくとも連隊旗を奉じて県内の防衛警備及び災害派遣に当る事が、特に南海トラフ巨大地震の脅威を突き付けられる最中では特に、重要なのでしょう。

 74式戦車が盛んに105mm戦車砲射撃で探りを入れつつ中隊本部へ障害処理の要請を行う/千葉県習志野の第1空挺団、ここには空挺普通科大隊が3個置かれています。もともとは空挺普通科群という編成でしたが、増強改編の際に三個大隊編成へ転換したのですね。空挺普通科大隊の編制は340名基幹で3個空挺普通科中隊と大隊本部を基幹としています。

 96式装輪装甲車が70式地雷原処理装置を搭載し敵の攻撃を受けにくい位置の処理へ進む/普通科大隊という編成はこのように、空挺団において再編成されているのですね。空挺団の増強改編は2004年に実施されていまして、空挺団は長年部隊待機態勢の関係上三単位編成へ転換を望んでいました。しかし、この普通科大隊、規模は旅団普通科連隊の半分ほど。

 障害処理支援射撃の要請が第14特科隊のFH-70へ出され特科部隊は即座に射撃を開始へ/習志野の普通科大隊を視ていますと、やはり旅団隷下に普通科大隊、という呼称は無理があるようには見えるのですが。特に習志野に空挺団全てが駐屯していますので成り立っていますが、普通科大隊だけで駐屯地を維持しようとすると業務隊と不均衡が生じかねない。

 地雷原は我が方へは障害ですが敵には防御陣地であり防御に向かう敵の攪乱へ特科が撃つ/大隊編成ですが、しかし、本特集で提示しました即応予備自衛官制度と併せて考えますと一つの選択肢となり得るのでしょうか。要するに、本部管理中隊と第一普通科大隊に第二普通科大隊という編成、第一普通科大隊が現役要員で第二普通科大隊を即応予備自衛官に。

 一際大きな爆破の展示と共に巻き上がる白煙の向こうを画像補正で透き通るように試した/即応予備自衛官部隊は訓練日数が年間30日と、同じ予備役部隊でもアメリカ陸軍州兵の年間訓練日数50日と比較しても少ないのですが、駐屯地を出て防衛出動や災害派遣に展開する場合は第一大隊のみとし、第二大隊は即時召集し留守部隊として管区内の事態に備える。

 74式戦車が障害処理完了を待ちつつ長大105mm戦車砲は躍動する車体と共に敵を睨む/日本本土決戦、という可能性は専守防衛政策を憲法上選択したのですから不可欠なのですが、実際は数千単位や万単位の犠牲者が生じる危機について、災害派遣のほうが現実として多く、この場合は機動運用するには不測の事態に備え、留守部隊を残す必要があります。

 障害処理完了示す地雷誘爆の大きな爆発の展示はその向こうに96式装輪装甲車が見える/統合機動防衛力として自衛隊全体が機動運用を行うという政策を進める以上、警備隊区から離れて出動する場合に、留守部隊をどう維持し統合機動防衛力と両立するのかは、実は非常に大きな課題となります。これは日本全体で、考えてゆくべき視点といえるでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【くらま】日本DDH物語 《第五八回》たちかぜ型ミサイル護衛艦に続く洋上防空システム

2019-06-29 20:02:55 | 先端軍事テクノロジー
■6000t型ミサイル護衛艦
 海上自衛隊の最重要任務であるシーレーン防衛、そのシーレーンを航空脅威から防護するシステムにミサイルか航空機が挙げられます、この中で1970年代には6000t型護衛艦が検討されたという。

 海上自衛隊のミサイル巡洋艦構想は、6000t程度、という構想が示されたのみ、具体的設計に着手したものではないため、その特性は不明です。ただ、推測ですがミサイル護衛艦あまつかせ、たちかぜ型ミサイル護衛艦を倍以上上回る事から、高出力のレーダーを搭載する、また航空自衛隊戦闘機への要撃管制という様な運用を考えていたのかもしれません。

 ミサイル巡洋艦構想の無期限延期はヘリコプター巡洋艦とともに海上自衛隊独自の巡洋艦隊を編成するという根幹を延期させることとなりました。しかし、たちかぜ型ミサイル護衛艦として、初のミサイル護衛艦あまつかぜ以降久々に艦隊防空艦の取得が開始されます。あまつかぜ、たちかぜ型最大の相違点はターターとターターDシステムというものでした。

 海上自衛隊は高価過ぎるターターを補うべく、1960年代には護衛艦あきづき型に艦砲による艦隊防空を担わせており、ヘリコプター搭載護衛艦はるな型も艦砲に5インチ砲を搭載した背景には、艦砲による防空能力への当時の高い信頼性が見て取れます。しかし、艦砲では目標情報の艦隊全体での共有が非常に難しく、アナログ的な手法であったわけですね。

 6000t型ミサイル巡洋艦は、建造された場合、恐らく前甲板と後部甲板にスタンダードミサイル単装発射装置ないし連装発射装置を搭載することとなったか、高出力の防空レーダーを搭載し艦隊データリンクシステムでの戦闘を包括化する中枢艦となったのでしょう。場合によっては、テリアシステム等二種類の防空システム搭載の可能性もあったでしょう。

 上部構造物は蒸気タービン推進方式を採用し、電装品についてはマック構造へ収める手堅い設計が採用されたのではないでしょうか。論拠として、アメリカ海軍ミサイル巡洋艦のターターシステム運用画挙げられます。複数のターターシステムを搭載する場合、前甲板には前方からの航空脅威へ、後部甲板のターターシステムは後方脅威へ備える配置を行う。

 現在のガスタービン艦と異なり蒸気タービン艦は吸排気系統が大きすぎず、上部構造物そのものが火器管制装置旋回を阻害する事もない為、前方や後方から飽和攻撃を受けた場合は、船体を目標方向へ蛇行させることで後部イルミネータを斜め前へ指向させビームライディングを展開する事が可能となります。ただ、ここに問題が無かった訳でもありません。

 ベルナップ級巡洋艦のような方式は、超長距離の目標索敵が可能となるのですが、海上自衛隊にはターターシステム搭載艦、アメリカ海軍のチャールズFアダムス級ミサイル駆逐艦のような量産された艦隊防空艦が普及しておらず、防空中枢艦を整備しただけでは連携する僚艦が存在しません。この一隻だけ有力であっても艦隊防空は成り立たないのですね。

 3000t級ミサイル護衛艦2隻を建造した場合と比較しての優位性ですが、大型艦へ搭載可能である多目的レーダーは、交戦距離の延伸を意味します。交戦距離の延伸は、同じターターシステムであっても会敵距離を延伸する事で飽和攻撃が自艦隊へ到達するまでの猶予時間を延伸することに直結し、要するに3000t級ミサイル護衛艦以上の回数で迎撃できます。

 同時迎撃を二回から三回に分け展開でき、その防空能力は3000t級ミサイル護衛艦2隻や3隻よりも遙かに高いものとなる事が期待できました。6000t型ミサイル護衛艦の建造中止は、しかし妥当性の方が高かったように思います。ターターDへの過渡期で評価が定まらない時期だったためです。また、相応に高価、各護衛隊群へ配備する事も難しかったでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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令和元年度六月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2019.06.29-06.30)

2019-06-28 20:09:10 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 G20サミットで厳戒態勢の中に未明いきなりの台風3号本州接近という最中ではありますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。今週末の行事紹介です。

 遠軽駐屯地創設記念行事、第2師団隷下の第25普通科連隊が駐屯しています。ロシアを対岸として道北を防衛警備管区とする第2師団、第25普通科連隊はオホーツク海側からの着上陸を創設以来一貫して警戒し続けている精鋭部隊の一つ。北海道の普通科連隊は一個中隊に96式装輪装甲車を配備し装甲化しているほか、中距離多目的誘導弾等も装備している。

 倶知安駐屯地祭、ニセコスキー場に近く、北部方面対舟艇対戦車隊と陸曹教育隊及び方面施設の第361施設中隊が駐屯しています。元々は第11師団隷下の第29普通科連隊が置かれていましたが、冷戦後の自衛隊縮小で連隊は廃止され、対戦車部隊を移駐しました。自衛隊で最も厳しい冬山でのレンジャーを練成する冬季遊撃戦課程の拠点も置かれています。

 苗穂分屯地祭、先週に駐屯地祭が行われました島松駐屯地の分屯地で北海道補給処苗穂支処が置かれています。札幌市内の分屯地祭です、歴史は古く島松駐屯地よりも先にこの苗穂に北海道地区補給廠が置かれたのは自衛隊創設前の警察予備隊時代、そしてJR、当時国鉄、その鉄道輸送拠点から、北海道地区補給廠創設当時には鉄道引込線も伸びていました。

 奥尻島分屯基地祭と襟裳分屯基地祭、航空自衛隊のレーダーサイト一般公開も執り行われます。奥尻島分屯基地には第29警戒隊が。襟裳分屯基地にはを運用する第36警戒隊が分屯しています。奥尻島分屯基地は自衛隊施設の一般公開の中では屈指の交通難所にあり、函館空港から小型旅客機、江差から東日本海フェリーが運行されていますが、行きにくい。

 さて撮影の話題を。AIS船舶位置情報、21世紀に入ったのだなあ、と実感する幾つかの事例の一つです。AIS,つまり船舶の現在位置を配信し、これは2001年同時多発テロ以降、テロ対策を主眼に開始された措置なのですが、AISを装備する船舶は出入港など、どこを航行しているかわかるようになりました。そして出入港に限ってですけれど自衛隊の艦船も例外ではありません。

 護衛艦入港などを撮影する際に、なにしろ予定時刻を入手できるのは入港情報が港湾などから開示されているか、広報での寄港など、どちらかといえば希有です、希有なのですから、あと十分待つのか、充分待つのか、と気が急いてくるわけでして、そんなときにAISから位置情報をみることができますと、いつごろ入港するのか、と大まかな見通しが立つ。

 AISはスマートフォンでも検索できますので、もちろん携帯電話圏外では厳しいのですが、艦船入港を撮影する場合、フェリー航路上でもなければ圏外ということは逆に珍しく、昔は無線を聞くか高台行くかというものが、船舶位置に関する最先端の情報をスマートフォンの普及により、手元に表示できる事に、AIS,考えてみれば、すごい時代になりましたね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

遠軽駐屯地創設記念行事…https://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/
苗穂分屯地創設記念行事…https://www.mod.go.jp/gsdf/nae/#
襟裳分屯基地開庁記念行事…https://www.mod.go.jp/asdf/nadf/
倶知安駐屯地創設記念行事…https://www.mod.go.jp/gsdf/nae/#
奥尻島分屯基地開庁記念行事…https://www.mod.go.jp/asdf/nadf/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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G20大阪サミット,日米安全保障条約は不平等-トランプ大統領発言と安保条約第五条の片務性

2019-06-27 20:18:48 | 国際・政治
■G20大阪サミット前の衝撃
 主要20か国の首脳が大阪に一堂に会するサミットの直前に衝撃的な報道がありました。この衝撃は古くて新しい。

 トランプ大統領が日米安全保障条約について、不平等条約である、と発言したことが複数のメディアにより報じられています。トランプ大統領は大統領選の時点から、日米安全保障条約の位置づけを不平等と発言しており、日本の核武装を認めるといった発言も含め、日本にも自助努力を求める発言を繰り返しており、今回改めて持論を発言したかたちです。

 日米安全保障条約解消も含めた発言が最近会ったとのブルームバーグ報道、これに対し、我が国では官房長官記者会見で取り扱われる事となり、アメリカ国務省も火消しに躍起となりました。そしてG20大阪サミットに向う機中においてトランプ大統領がアメリカ国内メディアFOXニュースのインタビューに応じる形で不平等だ、と改めて示した訳ですね。

 日米安全保障条約第五条には日本国土が攻撃された場合のアメリカの関与に関する条文が明確に示されています。ただ、その条文は日本の施政権下にある領域に対する攻撃がアメリカの安全保障に影響が及ぶと判断した場合に共通の危険に対処する、と明示されています。日本が攻撃された場合でもアメリカの国益に見合わない場合は参戦義務はありません。

 不平等条約なのか、こう考えますと条約五条に明示されている“日本の施政権下にある領域”という部分がアメリカの視点から考えた場合、例えば北海道や沖縄に敵が上陸した場合はアメリカ軍が参戦する可能性はあるが、日本に限定されている為、アラスカにロシア方面から脅威が上陸した場合やハワイに中国方面からの脅威が来た場合はどうなるか、と。

 アメリカが攻撃された場合には自衛隊に参戦義務はないばかりか、基本的に日米安全保障条約はアメリカ本土が攻撃された場合に日本が何らかの措置を取る事は想定していません。これが短絡的に考えた場合、つまりポピュリズム的視点も含んだ場合ですが、不平等条約、と映るのでしょう。少なくとも日本国内に限られる片務的条約、と表現されてきました。

 米韓相互防衛条約や米比相互防衛条約、アメリカは冷戦時代にこの北東アジア地域だけでも数多くの国々と同盟条約を締結しています。それではこれらも不平等条約なのでしょうか。実は、日米安全保障条約に対して、相互防衛条約という名称が示す通り、実は条約上、アメリカ本土が攻撃された場合、韓国軍やフィリピン軍は直接行動する事となっています。

 アメリカ本土に着上陸の可能性、実は可能性としては非常に低いのです、アメリカは大陸国家ではあっても防衛戦略は海洋国家の指針を基本としており、本土防衛は国籍不明機の接近に対しても例えば9.11同時多発テロにおいて緊急発進の戦闘機部隊が本土に殆ど配備されていなかったように、本土決戦は想定していません。ここにリスクの低さがある。

 日米安全保障条約、憲法上軍隊を持たない時代に締結され、その後は自衛隊を海外派遣しない、という時代に改訂されました。この為、日米安全保障条約を日米相互防衛条約としない限り、片務的、という批判はアメリカから続くのでしょうが、アメリカ本土に着上陸自体の可能性というものは現実的に考えられず、柔軟に転換できないか、とも思います。

 日米相互防衛条約、とする事は現在の憲法施政下では難しい可能性があります。ただ、在日米軍が日本にとり必要であるのは、やはりこれも憲法の問題があるのです。日本本土へ着上陸や攻撃という事態が発生した場合、どうしても本土防衛の為には攻撃を行う国の航空拠点や港湾を叩く必要がありますし、それ以前に地域が安定していなければなりません。

 在日米軍基地に米軍が展開している事は、例えば台湾海峡周辺において不測の事態が発生した場合や朝鮮半島情勢が緊迫化した場合、日本のシーレーン上において重大な事態が発生した場合に、自衛隊は本土が攻撃された状況のような積極的な抑止戦略を取る事が、能力的にできたとしても憲法上執る事が出来ません、少なくとも何か起こるまでは抑止さえ。

 アメリカは日本が攻撃された場合でも参戦義務はありません、しかし、アメリカの安全保障上に影響が及ぶ可能性が生じた場合はアメリカの国内法と憲法に基づき参戦する事が出来る。その状況下で日本が多くの米軍基地を引き受けているのは、地域安定に、アメリカが居る事で海洋自由原則喪失や軍事力による領域変更が起こり難いという認識に基づく。

 在日米軍基地についても、実のところ嘉手納基地や横浜ノースドックに横田基地といった施設は、戦略拠点であり日本本土に具体的な武力攻撃は第二次世界大戦終戦後に着手された事はありませんが、後方拠点として活用されている、これはエネルギーや食糧を自給できない日本にとり本土だけが防衛出来ていても国が成り立たない矛盾への対応策なのです。

 一方で、在日米軍基地は北東アジア地域と西太平洋地域は勿論、日本を経由しアメリカ本土から中東地域や中央アジア地域へアメリカの抑止力を展開させる重要な拠点となっています。在日米軍基地が無ければ在韓米軍は成り立ちませんし、西太平洋地域での不測の事態に対しほぼ対処能力を喪失する事となります、アメリカにとって不可欠の拠点でもある。

 五条には日本に対して、と片務的な内容が明示されていますが、同時に憲法および国内法の下で共通の危険に対処する、と明記されています。言い換えればアメリカが憲法に戦争放棄と軍事力の不保持を明記したらば空文化する内容であり、これは同時に日本国憲法の下で対処すると明示した上で、領域の片務性をアメリカの施政権が及ぶ領域、ともし得る。

 日米安全保障条約は不平等条約、という批判がありますが、これは条文をしっかりと読まない事により生じる誤解が背景にあります。しかし、日本の施政下にある領域、此処に対して攻撃が行われた場合に、参戦するかを国内法に基づき検討するのですから、確実に平等とは言い切れない事も確かです。しかし、憲法上制約の多い日本には必要なのですね。

 日本の施政下にある領域、という部分を、将来この問題が繰り返し提起されるならば、日本かアメリカの施政下に在る領域に対し攻撃が行われた場合に自国の憲法および国内法に基づき共通の危険に対処する、と改め現行憲法下でのアメリカに対する武力攻撃が行われた場合に共同対処する、こう改める事も必要ではないでしょうか、そうする事でアメリカ世論を構成する誤解は解く事が出来ましょう。

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【京都幕間旅情】八坂神社,京都の初夏に奉祝の令和元年と一一五〇年目の祇園祭のはじまり

2019-06-26 20:03:14 | 写真
■八坂さんは京の散歩小路
 晴れ間の青空が眩しく梅雨入りが間の空く頃合いには仕事に合間を見つけ散歩へと誘われるもの。

 八坂神社の神事として執り行われています祇園祭、神社の神門に鎮座します狛犬殿が四条通を見守りますが、祭事の願いは病魔が溢れた梅雨時と猛暑前の京都に八坂神社の御輿が巡幸し、無病息災を願う神事です。令和元年の祇園祭は1150年という節目の年ともいう。

 祇園祭の季節が今年もやってまいりました、そこで四条河原町から阪急に乗る予定を急遽京阪に乗る事としまして、更に四条通から京阪へ至る前に少しだけ寄り道をしてみました。祇園四条駅から八坂神社までは歩けば五分、いや観光客で混んでいたので十分ほど。

 高島屋が阪急河原町駅と共に四条界隈に古都のみならず商都としての気風を伝えていますが、八坂神社はこの高島屋からも、もう少し遠く寺町通からも望見する事が出来まして、丁度夕方の時刻が近づいて参りますと西陽に朱色の八坂さんはよく映えてみえるのです。

 楼門は明応年間の1497年のもの。京都らしいところに一つ寄りたい、との所望が四条界隈にてありますと、八坂神社へ、と運びまして、五山や御所や祇園が良いとしぶられた場合でも、祇園祭の八坂神社、と伝えますと、皆様サボリーマン発動ッと歩みを進められます。

 参拝の願いはそれほど、深く考えずとも願掛けではなく参拝、挨拶、という崇敬と散策の気分で。しかし、素戔嗚尊と櫛稲田姫命を祀る社殿です、今年は梅雨入りが遅いので、秋のお米に影響が出ない程度ならば、晴れの日が多い方がいいなあ、そんなことも考えつつ。

 平安遷都に先立つ八坂神社、その創建は斉明天皇治世下、656年に遡るとのこと。祇園社と呼ばれた時代が長く、興福寺の末寺であった時代から平安遷都の頃には比叡山延暦寺の末寺となりました。そして鴨川の西岸はこの頃、祇園社の神域として不介入権を有していた。

 本殿は承応年間の1654年に造営されたという。素戔嗚尊と櫛稲田姫命を祀る。祇園祭の始まりは貞観年間という、古富士噴火で甲斐の国が全滅し富士五湖が出来たり、千年前の東日本大震災で知られる貞観三陸地震で東北地方が壊滅した様な災害連続、そんな時代です。

 素戔嗚尊と櫛稲田姫命を祀る本殿、その隣の東御座には蛇毒気神という龍王の娘が祀られているのですが、八岐大蛇と重なるとも言われる。要するに原因不明の大災害が各地から報じられる都には疫病が蔓延、これは八岐大蛇を退治した素戔嗚尊に縋るしかない、と。

 足利義満、室町幕府最大の実力者である義満は弘和年間の1384年に神社を延暦寺から独立させています。幕府の直轄とした訳でもなく朝廷からの不介入圏を有しているとともに広大な神域を独占する神社を延暦寺から分離する事で対抗勢力の多極化を図った構図、です。

 祇園祭といいますと、京都を代表する神事ですあり祭事、もちろん道路使用許可などで京都市や京都府警の協力は受けているのですが、基本的に祇園会が行う行事です。そしてその源流を遡りますと、足利義満治世下に祇園祭が朝廷からも独立したという事なのですね。

 政令指定都市としての京都、祇園祭は丸々一ヶ月間を祭事に無病息災を願います。山鉾巡行と宵山が大きく報じられますし、KBSで中継されましたり、最近はBSデジタル放送で全国に中継される為に祇園祭の代名詞的な催事となっていますが、あくまで一ヶ月に及ぶ。

 山鉾巡行が終わりますと、四条通の真下を走る阪急特急からも祇園祭ヘッドマークは取り外され、まだ祇園祭は続いているのに今度は大阪の天神祭ヘッドマークに切り替えられるというほど。しかし、お祭りそのものは続く、もちろん京都は他の祭事も並行して、ね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【G7X撮影速報】美保基地航空祭2019,ブルーホエールC-2輸送機飛行隊完成(2019.06.02)

2019-06-25 20:04:16 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■ブルーホエールの将来
 美保基地C-2輸送機、前回までは望遠用コンパクト機種の写真を紹介しましたが、今回は最終報としましてG7Xにて撮影の美保基地航空祭写真を紹介しましょう。

 C-2輸送機、生産計画が縮小し、これがC-17やA-400Mであれば調達計画縮小の違約金が調達費用の五割近くに上るでしょう。この点無理を押し付けてばかりの国内防衛産業には、将来も維持が可能なのかの不安が残りますが、C-2輸送機の用途について考えてみました。

 美保基地航空祭ではC-2輸送機の機内が公開されていました。C-2輸送機は岐阜基地航空祭、開発し製造する川崎重工岐阜工場の隣と言うことで何度も一般公開はされていますし飛行展示も実施、小牧基地航空祭はじめ一般公開も多い。これからも展示機の花形となろう。

 C-2輸送機はそういった意味で見慣れた最新鋭機なのですが、報道公開を除けば機内一般公開は美保基地航空祭が当方に取りはじめての経験でした。そして美保基地航空祭そのものがそれほど混雑しておらず、並んだ時間は五分少々、混む前で良かった、とすぐに機内へ。

 川崎重工が貨物輸送機として国際市場へ民間型を提示していましたが、貨物最大重量37t、機動飛行をおこなわない条件での積載上限は41tという。エンジンはボーイング767と同型、この機種は商業展開の方式によっては、相応に民間需要はあったのかもしれません。

 民間型のC-2,最大の難点は日本製航空機の需要の低さでしょう。日本の工業製品は非常に優れている水準を維持できていますが、航空機では部品分野を出ることができません、実績の薄さというものが大きな問題で、殖産産業ではありませんが、やはり国の主導が要る。

 日本貨物航空や日本通運などが、経済産業省と連携し将来の航空貨物における技術革新を、というような構図が必要でした。具体的にはC-2輸送機の強みとして、戦術輸送機としての空中投下能力、そして自衛隊輸送機が重視する高速性能と短距離離着陸性能を活かす。

 日本通運が小包を軒先に物糧傘で、という乱暴な施策は、特に緩衝材の梱包に費用を要しますし、なにより危険ですので成り立ちません。しかし、地方空港や中小都市河川敷等に場外滑走路を造成し、ここに着陸するのではなく下ろすのならば、可能なのではないか。

 C-2輸送機、もちろん貨物の発送を行う状況での送る以外、着陸が必要になりますが、都市部や工業中枢と拠点空港などから地方への高速発送には新しい選択肢が生まれるのではないでしょうか、なにしろ、空中投下ならば着陸必要なし、一回の飛行で複数箇所へ運べる。

 航空貨物輸送という視点では、例えば貨物の形状から衝撃に強いものと相でないもの、嵩の割に重いものと軽いもの、従来は管理が煩雑でしたが、現在の情報処理技術であれば、荷主の責任とともに新しい保険制度も必要とした上で、以前ほど煩雑ではないでしょう。

 旅客輸送についても、C-2はボンバルディアDHCシリーズ並の滑走路長で発着可能です。もっとも、エンジンはボーイング767と同程度ですので、運行経費は767と同水準が必要となります。ただ、戦術輸送機ですので、人員の乗降は極めて短時間で可能、利点の一つ。

 貨客輸送機として、旅客機は丸い断面の上側に旅客が搭乗し、下半分は航空貨物コンテナが搭載されています、搭乗率の低い路線が採算をあわせているのは旅客輸送で赤字でも航空貨物輸送で稼いでいるためなのですね。C-2はここでイノベーションを興し得たやも。

 V-107輸送ヘリコプター、自衛隊ではCH-47輸送ヘリコプターに置き換えられましたが、自衛隊が導入する当時、政府はライセンス生産を川崎重工に契約させると同時に全日本ヘリコプター空輸、現在の全日空と日通とともに新しいヘリコプター空輸体制を考えている。

 V-107は陸海空で輸送ヘリコプターと掃海ヘリコプターに救難ヘリコプターとして活躍しましたが、併せて末端地域への物流と貨物輸送を担わせる、壮大な目的とともにライセンス生産体制を構築しました。新幹線と石油危機に阻まれましたが、ビジョンは強かった。

 C-2輸送機、完全与圧式で機内は天井まで4mありますので、例えば貨客混載のモジュールパレットを開発し、搭乗率に応じて旅客と貨物の比率を転換することができます。もちろん乗り心地は最悪でしょう、評判の悪い航空自衛隊の人員輸送がこの方式ですから、ね。

 旅客機として、勘違いしてモジュールパレットに旅客を固定したままフォークリフトで搭乗、というわけではなく、空港用バス、特に車体前面が開閉する搭乗用バスを用いれば、エンジン稼働中のC-2輸送機でも後部扉に安全に接続することは可能でしょう。短時間で。

 日本航空というよりも子会社のバニラエアなどの方式に近いですが、着陸から次の離陸まで30分、という運行も不可能ではありません。エンジンを停止せず、すべての作業が可能ですし、国内短距離輸送を繰り返すのであれば、フェリー航続距離10000kmは役立つ。

 地方航空路線の維持、フェリー航続距離10000kmの性能を持つC-2であれば、羽田を茨城空港と山形空港に青森空港と函館空港に丘珠空港経由で旭川空港行きという経路、伊丹を但馬空港と米子空港に北九州空港と熊本空港に奄美空港経由で那覇空港へ、が成り立つ。

 着陸一回や経由一回の所要時間が大きいために、短距離空港を経由することは従来、採算面で難しかったのですが、C-2輸送機の性能ならば可能です。ただ、取得費用の大きさは、エアバスA320やボーイング737MAX8が50億円前後であるのに対し規格外に高い。

 ボーイング737の三倍という取得費用、地方路線維持を採算性だけで考えるのか、政策として地方振興の観点を加味するのかで、この部分は違ってきます。例えばCー2を航空会社にリースする国策会社を日本通運のように最初は国が関与し創設、という方式はあり得る。

 地方空港は不採算ならば撤収、自治体から航空会社への補助金次第、という現在の方式では、路線利用者は拡大できません。便数が少なければ利便性を求める需要からは離れ、地域過疎化と空港赤字拡大にもつながる。しかし、例えば便数が多ければ、利便性は、と。

 課題は、多い。C-2輸送機リースを行う会社、エンジンはボーイング767ど当型ですので民間でも可能ですが、C-2そのものが高価ですので、国策会社という方式を提案しましたが、最低限20機をリース用にプールする必要が。また、エンジン稼働中の乗降は航空法の壁も。

 C-2輸送機だけではなく、存在しませんがC-130J-30の旅客機型など、いわばボーイング737やエアバスA320ではエンジン運転中は危険であり不可能である旅客乗降や貨物搭載を、後部貨物扉、この条件だと懐かしのボーイング727も含め新法を制定の必要が出てきます。

 貨物輸送機と貨客輸送機とは、同時に運用することは考えませんが、例えば貨物輸送機での空中投下は、現在の航空法では難しい。すると、物流への航空輸送を主眼とした新法制定が必要となります。結果、これらを主導する上で、強い政治力が不可欠となりましょう。

 ただ、C-2でのイノベーション、地方過疎化と少子高齢化という二つの課題を前に、自動化と地方路線維持、大きな処方箋を提示することができます。なにより、そうした難しい課題に対処できる性能を、国産の航空機が有している事例は、日本の他は多くありません。

 Cー2輸送機の評価として、外需頼りの民間型を提示するのではなく、まず国内で、日本の事情に合致した航空輸送を提示し、イノベーションにつなげることは、と。そもそもC-2はC-17にもC-130Jにも出来ない輸送を行うべく、血税で国産開発されたのですから、ね。

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沖縄慰霊の日-令和初の沖縄戦戦没者追悼式に想う,現代史に学び時事報道を知り議論する必要

2019-06-24 20:13:38 | 国際・政治
■その犠牲,忘れぬだけではなく
 3.11東日本大震災慰霊の日、報じられた数多の声に印象に残ったものは、震災を忘れないという以上に次の震災が起きないよう皆で考えてほしい、というものでした。

 沖縄慰霊の日、6月23日は1945年に沖縄戦における日本軍による組織的戦闘が終了した日です。帝国陸軍第32軍は沖縄本島に第24師団と第62師団を中心に海軍部隊と軍属に現地召集兵を加え11万6000名で防備を固めましたが、4月2日に上陸を開始したアメリカ軍は総数54万名という大規模な侵攻部隊であり、激戦二ヶ月と三週間、敗北しました。

 令和時代初めての沖縄慰霊の日、冒頭の3.11の話題を昨日沖縄慰霊式典中継を見た際に思い出した。沖縄は現在、中国からの沖縄県南部への地上侵攻という蓋然性の高まりと遥か南の南シナ海での中国海洋進出への最も近い地形という現状、そして在日米軍基地の移設に揺れています。今回は、沖縄戦という歴史、その終戦から74年目にあって、四半世紀と一年後の沖縄戦終結から100年に向けての視点を考えてみましょう。

 祈るだけの平和主義は将来に渡り永続するものなのか。沖縄と基地問題という問題を政治と住民はどう受け止めるのか。少なくとも、今後南西諸島の平和が破綻し、第一次沖縄戦慰霊の日と別の沖縄戦を将来慰霊する事だけは、避けねばなりません。そもそも、私たちはどの程度、沖縄戦を知っているのか、その要因はどこなのか、理解を共有できているか。

 現代史に学ぶ必要はあると思う。アイスバーグ作戦、連合軍による沖縄侵攻は日本本土侵攻への戦略拠点確保という意味がありました。当時は日本領台湾や占領下中国大陸沿岸部、鹿児島県島嶼部が沖縄本島と並ぶ選択肢として存在しました。沖縄と他の地域の違い、沖縄戦を慰霊する事と併せて、平和を祈念するのであれば、もう少し我々は現代史を学ばねばならないようにも、思います。

 米軍基地の問題、首里城からバスで20分程の位置に在る普天間飛行場、宜野湾市の中心部に広がる海兵隊飛行場を本島北部の名護市辺野古、キャンプシュワブ沿岸部に移設する工事は米軍飛行場を沿岸部埋立により移設するという事から沖縄県民世論の多数が反対し、その中を建設が進む。現実問題として建設は駐留規模削減に繋がる施策ではあるのですが。

 朝三暮四という単語ではありませんが、在沖海兵隊は今後戦闘部隊に集約されてゆきます、在沖海兵隊の主力は第3海兵師団と第31海兵遠征群です。アメリカ海兵師団は3個、この内唯一海外へ駐留しているのが第3海兵師団ですが、戦車大隊を持たず軽装甲偵察大隊も中隊編成という小型編成です。海兵遠征群はローテーション方式の即応部隊というもの。

 時事報道を知る必要も。2025年から第3海兵師団の主力は日米合意に基づきグアムへ移転を開始します。普天間飛行場移設が順調に進めば2027年にも移転を完了します。移転規模は戦闘部隊を中心に7000名規模となる。その上で北東アジア地域に地域安定のための抑止力を維持するには、第31海兵遠征群の即応性を強化する必要があり、海兵隊施設を沖縄本島北部に集約するという。

 海兵遠征群という運用は自衛隊には無いものですので馴染みが薄いですが、常設部隊は無く、海兵師団全てから練度の高い海兵大隊や海兵航空部隊を三カ月から六カ月の期間で抽出し、即応体制を執らせるというもの。沖縄本島北部には演習場があり、グアムと違い北東アジア地域へも近い。北部に集約、即ち空軍施設を含め嘉手納以南の施設は全面返還へ。

 嘉手納基地以南の米軍基地を全て返還させる、これは1990年代から政府自民党が慎重に交渉を進めていたもので、2005年の米軍再編日米合意において明確化されました。嘉手納基地は那覇空港から自動車で一時間、嘉手納以南返還は大きな意味が在ったのですね。ただ、普天間移設反対県民世論を観ていますと、嘉手納以南全面返還は求められている事なのか。

 普天間飛行場移設先は那覇空港拡張部分に移駐し、那覇空港の発着枠が不足するならば、貨物便や民間機が発着できる飛行場を名護市辺野古に沖縄空港として建設してはどうか、これは鳩山内閣時代から提案している選択肢です。嘉手納以南全面返還に固執しなければ普天間辺野古移転以外の選択肢はありそうでして、交渉の余地はないものなのかな、と。

 辺野古移設への厳しい県民世論を考えますと、勿論那覇空港へ海兵航空部隊を移駐させる事は相当な調整と返還予定施設の棚上げで混乱は大きいでしょうが、2025年の海兵隊一部グアム移駐開始により在沖米軍規模は縮小し嘉手納基地以南の米軍施設は全て返還、というよりも現状維持、普天間飛行場から米軍移転だけに注力する選択肢を考えてしまいます。

 ただし、時事報道だけでも、南西諸島の緊張はかなり厳しい印象も拭えません。特に沖縄への軍事圧力だけではなく、中国が進めている台湾海峡の緊張と南シナ海での緊張が、中国の国際公序への回帰という施策の変更か日本を含む国際社会のあらゆる努力が無ければ、その結果の緊張増大が日本の都道府県で最も及ぶのはもっとの南の沖縄県である、という現実もありまして。

 航空祭の最中に緊急発進が発令、京都から最寄りの戦闘機部隊、小松基地航空祭では数年に一度ありますが、那覇基地航空祭では頻度が明らかに多い。ロシア最寄の千歳基地で旅客機を撮影している際よりも那覇空港で旅客機を撮影している時の方が緊急発進が多い。弾道ミサイル接近の空襲警報を初めて経験したのも沖縄、中国公船の領海侵犯も日常化へ。

 沖縄は緊張状態にある、という印象なのですが、実は大昔に北海道でも似た印象を受けました。ただ、北海道は第2師団に第5師団と第7師団に第11師団が冷戦時代に抑止力で着上陸を防ぎました、沖縄は中国から圧力を受けてはいますが、ヴェトナムやフィリピンが環礁等を占領されたのに対し第9航空団と第18航空団、日米が沖縄の安定を維持している。

 沖縄慰霊の日、しかし第32軍が沖縄に創設されたのは1944年3月でそれ以前の日本軍拠点は1894年創設の台湾総督府陸軍局であり、1919年に創設された帝国陸軍台湾軍が台湾に拠点を置いていました、沖縄の基地負担軽減へは多国間防衛協力の強化や九州からの緊急展開部隊強化、様々な施策はありますが、沖縄の平和を永続させるためには、祈ると共に必要な施策を、官民ともに現実的に考える必要があるでしょう。

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【日曜特集】那覇基地航空祭-エアーフェスタ2011【6】ブルーインパルス(2011.12.11)

2019-06-23 20:13:20 | 航空自衛隊 装備名鑑
■ブルーインパルス飛行展示
 沖縄慰霊の日、本日は令和時代初の沖縄慰霊の日であり、1945年の6月23日、沖縄防衛を担う第32軍は沖縄本島配備部隊の壊滅と司令官の自決を以て組織抵抗を終了しました、あの災厄が二度と起こらぬ事を祈りつつ。

 那覇基地航空祭ブルーインパルス、航空祭と云えばブルーインパルスでしょう。那覇基地航空祭、しかし那覇空港は過密飛行場であり、民間機が多数お聞きしている様子が此処までの特集でもご覧いただけたでしょう。ボーイング747を間近に見れたのですが、ね。

 ブルーインパルス那覇基地航空祭飛行展示、実際、この飛行展示の調整は簡単ではなかったといいます。そこで考えたのは那覇基地が臨海部に在り、会場から海上が近い、という事でした。要するに他の航空祭のように滑走路上空を飛行しなければよい、ということ。

 航空祭でブルーインパルスが飛行展示を開始する時間帯という事でしたらば、この時間帯が一番混雑する時間帯となります。立錐の余地も、というところになるのでしょうが、この大混雑の様子を友人が喩えたのは“ザ-グレートウォール”,巨大な壁というものでした。

 ブルーインパルスが離陸するまで、一種儀式的なウォークインより開始され、編隊で離陸してゆく様子は、此処からブルーインパルスの飛行展示の始りを感じさせられます。この場面を最初から最後まで見るには、那覇基地が混雑していなくて幸いでした。最前列だ。

 百里基地航空祭のこの時間帯に最前列を確保出来ていまする、飛行展示終了と共に最寄りの石岡駅まで17kmの細い道路が全て渋滞でおおわれる為にシャトルバスの行列を経て石岡駅から電車に乗るまでの実に四時間半にわたる壮大な次の旅行の始まりを意味します。

 入間基地航空祭のこの時間帯に最前列を確保出来ていましたらば、航空祭が終了した後で基地を出て電車に乗るまで延々後ろに30万の観衆が並んでいますので、30万の行列の最前列は言い換えれば30万の行列の最後尾、つまり最寄駅から電車に乗るまで三時間半要する。

 那覇基地航空祭、若干ブルーインパルス編隊飛行は遠いですが、混雑していませんので最前列から離陸する様子と、着陸するまでをしっかりと観る事が出来ました。最前列ですと、周りの歓声が滑走路に透き通るように肌で感じつつ、飛行展示を見上げられる、好いです。

 浜松基地航空祭のこの時間帯に最前列を確保出来ていましたらば、15万の最前列に居ますが最寄駅は遠鉄線まで5kmを歩くか8km先の浜松駅までのシャトルバス行列最後尾に位置する事から、結局は駅で電車に乗るまでの二時間半の長い旅路の始りとなるのですね。

 千歳基地航空祭のこの時間帯に最前列を確保出来ていましたらば10万の最前列に位置する事は飛行展示終了と同時に広大な基地の一番離れたところに在る駐車場を出る行列へ向かうところから基地臨時駐車場を出るまで二時間の壮大な渋滞への移動の始りを意味します。

 那覇基地は混雑していませんでしたので、最前列を確保しつつ雨具と着換えを撮影位置に残してカメラだけを手に、タコライスをサルサソースいっぱいかけて、なにか地元食堂名物が商品化されたレモンティーを氷一杯と共に抱えて戻ってきても、充分撮影出来ました。

 築城基地航空祭のこの時間帯に最前列を確保出来ていましたらば、8万の最前列に位置する事になりますのは8万の築城駅へ向かう行列の最後尾を意味しますので日豊本線に数倍の臨時列車が増発されてもそれ以上の観衆が基地を出て駅に入るまで二時間半の旅が始まる。

 百里基地航空祭の場合はこれを回避する為に既にブルーインパルスが離陸準備を始める頃には石岡駅行シャトルバス乗り場に並んでしまいまして、そろそろ乗車かなという頃合いからブルーインパルスを見上げますと1600時頃には石岡駅を笑顔で出発する事が出来ます。

 那覇航空祭は目の前のブルーインパルスに集中して撮影する事が出来ました、重い荷物なんかは全部ホテルにおいてきてしまいましたから身軽そのもの、それよりも名物のソーキ蕎麦を帰路に頂こうと考えつつ、ちょっと曇天ですが気にせず撮影する事が出来たという。

 入間基地航空祭ではこれを回避するためには、さっさと午前中のC-1編隊展示終了の時点で一駅奥は飯能駅近くで特急レッドアローの特急券を予約して駅前から発車時刻まで5km先のブルーインパルスを駅前から撮影する事で大混雑と行列を避ける事が出きるでしょう。

 浜松基地航空祭ではこの大混雑を回避するためには浜松基地の午前中の飛行展示が完了する頃には滑走路の反対側に在る広報館の方へ移動してしまい、順光で撮影してしまいましたらばそのままシャトルバスには向かわず、路線バスで浜松駅へ向かう事で一時間で済む。

 那覇航空祭は帰路の事は余り心配せずに、しかしこの後に第二滑走路が建設されてしまいますと航空祭は更に会場から遠い海上で実施する為に、もっと長い望遠が必要になってしまうのだなあ、という事を考えつつ撮影しました。もう間もなく完成、なのでしょうかね。

 千歳基地航空祭ではこの大混雑を回避するにはパーク&ライド方式で千歳基地以外に自動車を停めてしまい、基地を眼下に収める南千歳駅前の土手から恵庭岳を借景に美しいブルーインパルス展示を撮影するならば、展示後には早速電車に乗車する事が出来るでしょう。

 築城基地航空祭でこの行列を回避するためには、築城基地は市街地が危険な程の人が滞留しないように基地の出場制限が長く、ブルーインパルスを基地の外側から撮影する事で築城駅まで20分ほどで移動し、駅の入場制限が本格化する前に、電車に乗る事が出来ます。

 しかし、那覇基地、この年度の航空祭は全く混雑していませんでした。だから、最前列でブルーインパルスを撮影しましても、順調に帰路につく事が出来たのですね。ゆいレール赤嶺駅まで、それ程時間が掛かりませんでした。ゆったりとブルーインパルスを楽しめた。

 2011年の飛行ですのでブルーインパルスは福岡県芦屋基地を拠点としていました、所属する第4航空団の拠点である松島基地は、同年3月11日の東日本大震災において大打撃を受けていたのですね。しかし、ブルーインパルスだけは当日、難を逃れました、僥倖にも。

 3月11日、ブルーインパルスはこの翌日に全面開通となる九州新幹線記念式典へ祝賀飛行を行うべく芦屋基地へ展開していました。松島基地は臨海部に在り、津波の直撃を受け、第21飛行隊のF-2Bは津波被害を受けています。ブルーインパルスが松島に居たら、と。

 T-4練習機が全て無事であり、しかも松島基地が基地在場隊員全員が無事であった事が幸いでした。第四航空団は訓練部隊であるのですが、例えば硬化シェルターか防爆シェルターが20機分あれば、これ一つの建設に14億円ほど掛かるのですが被災を避けられたかも。

 那覇基地は臨海部にあるのですが、幸い基地から丘陵地帯が広がっていますので、沖縄戦の不発弾さえ解決できるならば、この丘陵地帯に地下格納庫を建設する事で、津波被害は勿論、航空攻撃に対しても盤石な航空基地と出来るようにも思うのですが、どうだろうか。

 ブルーインパルスを撮影して後、そろそろ帰投航空機の離陸が本格化するのですが、航空祭そのものもそろそろ完了の時刻が近づいて参りました。地上展示航空機を撮影しつつ、移動を開始せねばならない時間帯ですね。F-15の地上展示は多く、次の撮影へ向かう。

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【土曜詳報】アメリカ空軍嘉手納基地(6)一時代築く三発機派生KC-10給油機(2011.12.12)

2019-06-22 20:03:59 | 在日米軍
■三発旅客機DC-10転用KC-10
 KC-10,双発機では太平洋越えられず四発機では採算性が厳しい路線へ三発旅客機というものがありました、その一つがマクダネルダグラスDC-10,その派生型機の写真と共に。

 嘉手納基地を見ていますと、戦闘機部隊の基地というよりも戦闘機を含む航空優勢確保のための巨大な戦略拠点という印象を受けました。ある種当然ですが戦闘機だけの基地では単なる前線拠点です。前線拠点は攻撃に曝される懸念がありますが、戦略拠点は違う。

 空中給油輸送機が頻繁に発着訓練を行い、アメリカ空軍の基地施設ではあるのですが海兵隊航空機が訓練展開していると共に様々な輸送機が発着と待機している、これは整備能力の高さと環太平洋地域の軍事航空輸送と補給体系の重要な拠点である事を同時に示します。

 前線基地ではなく地域全般防空への兵站拠点がある、という事はアメリカ軍が沖縄を戦場として戦う事を考慮していないことが分かります。ただ、この表現を行いますと、ならば日本防衛には不要な施設なので返還を、という誤った認識を流布してしまいそうでして。

 日本防衛を考えるならば沖縄で一大航空作戦を行う、という認識は単に第二次沖縄戦までは何もしない、という理解ともなります。これは軍事は戦争が無ければ無駄だ、という視点に対し戦争が起きれば費用対効果で良かったといえるのか、という反論に向合う必要が。

 前線基地は、戦闘機の行動半径が航空優勢の競合地域に接している事を示し、これは同時に一時的な航空優勢喪失を前に全線航空基地そのものが巡航ミサイルや戦術爆撃機による散発的な航空攻撃の損耗に曝される事を意味します。だからこそ前線基地なのですからね。

 前線航空基地に関するもう一つの重要な要素は全線というものは浮動的である、という事です。前線は気象前線の語源となった要素ですが気象における前線が浮動ではないように、航空優勢と補給や作戦能力の多寡により、前線航空基地を構成する前線は動き得るもの。

 個人的な視点として日本本土が戦場になった事で在日米軍基地が役立つ、という認識は既に抑止力、戦争を起こさせないという認識から反しているように思います。日米共にこの地域での不安定化は許さない、との姿勢を誇示する事で戦争が防がれる、これがあるべき。

 嘉手納基地が兵站拠点である限り、例えば前線基地は北方であればアメリカにとり三沢基地が、西方では韓国の烏山基地が、考えられるのでしょう。具体的には南方にはかつてクラーク基地があったのですが、現在は火山噴火の際に撤退しており、米軍部隊は居ません。

 戦略拠点であり兵站拠点、つまり、第一線を支える為に、ここで第一線への航空部隊の支援、整備支援でも増援の受け入れでも、また損耗を受けた部隊の再編制から破損した航空機の修理まで、受け入れる、という視点です。太平洋戦争におけるアメリカの真珠湾、と。

 F-15C戦闘機、アメリカ空軍がこの嘉手納基地第18航空団へ前方展開させているのがF-16CではなくF-15Cという部分から、この視点が表れているようにも思えます。このF-16Cは戦闘行動半径の観点から第一線の戦闘機、対してF-15Cの戦闘行動半径は広い。

 F-15Cを環太平洋地域で探しますと、西太平洋地域では嘉手納基地だけだ。航空自衛隊がF-15Jを採用している為に勘違いしやすいのですが、戦闘行動半径が1900kmに達し、F-15Cは航空優勢の競合地域の更に後方から運用する性能を有している事が分かります。

 F-15CがあるからこそKC-135やKC-10という空中給油機の支援が必要となりますが、F-16Cと比較し、必要な滑走路の長さも大きく、また一度に投射するミサイルの数も多い、F-15Cはそうした航空機なのですね。もっとも航空掩体があり、航空攻撃は想定している。

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令和元年度六月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2019.06.22-06.23)

2019-06-21 20:12:33 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 今年はほんとうに梅雨を逃げ切れるのではないかと思う今日この頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか、今週末の行事紹介です。

 北千歳駐屯地、第1特科団の司令部が置かれる日本最大の火砲とミサイルの駐屯地です。駐屯地には第7師団隷下の第71戦車連隊、そして北部方面隊直轄の第1高射特科団隷下の第1高射特科群第302高射中隊も駐屯、第7師団の東千歳駐屯地と並び重装備が数多く配備され、88式地対艦誘導弾にMLRSと203mm自走榴弾砲に90式戦車等の駐屯地です。土曜日に行われるのでご注意を。

 北千歳駐屯地祭では観閲行進に加え、地対艦ミサイルやMLRSの支援下に90式戦車が躍動する訓練展示が行われます、地対艦ミサイルの展示は模擬揚陸艦を相手とした戦闘など工夫が凝らされているほか、かつては90両が配備されましたが、さすがにMLRS等へ置き換えられ、数が減ってきました203mm自走榴弾砲の空包射撃は迫力の一言につきる。

 留萌駐屯地、第2師団隷下の第26普通科連隊が駐屯しています。連隊隷下には96式装輪装甲車中隊も維持され、北海道ならではの迫力の展示が期待できましょう。さて、留萌は日本海側にあり、やはり関心事となるのは鉄道の利便性です。JR北海道にて札幌と滝川から留萌に向かう留萌本線ですが昨年六月に2020年度を目処として廃止の方針を示しました。

 第26普通科連隊は師団普通科連隊、十年ほど前までは106mm無反動砲も残っていました、4個普通科中隊と重迫撃砲中隊をもつ重厚な編成ですが、第4中隊だけは旭川駐屯地に駐屯しており、これは平成の自衛隊縮小改編において旭川の第9普通科連隊を廃止した際に、師団司令部駐屯地に即応部隊を置くという必要性から分駐させる、北海道独特の運用です。

 丘珠駐屯地、北部方面航空隊と第11旅団隷下の第11飛行隊が駐屯するヘリコプター部隊駐屯地です。丘珠といいますと、札幌空港の名で親しまれる丘珠空港といった方がわかりやすいでしょうか。ただ、本日、立川駐屯地においてUH-1J多用途ヘリコプターの不時着事故が発生、UH-1Jは丘珠の主力装備であり、飛行展示は大幅な変更も予想されます。

 島松駐屯地、北部方面後方支援隊本部と北海道補給処本処の置かれる北海道における兵站支援の最大拠点です。新たに即応予備自衛官主体の補給大隊が創設されたほか、戦闘部隊としては第1高射特科群の第303高射中隊と第304高射中隊が駐屯しています。派手さはありませんが、ゆっくりと装備品を見ることができる、家族連れ向き行事といえましょう。

 さて撮影の話題というか先週に続きカメラの話題。G3X,コンパクト機種でありながら驚くべき高性能を発揮する1型センサー搭載カメラです。性能は凄いのですが、一つだけ留意点が。デジタルズームを併用した場合2400mmの高倍率ズームを発揮するのですが、ファインダーが無い、つまり肉眼で被写体を狙いのではなく、モニターで被写体を追う事になりまして、ある程度慣れ、練度が必要となります。

 2400mmズームであれば、1km先の群衆の人数とある程度表情も識別できるほどの性能が在るのですが、例えば航空機等を撮影する場合、長望遠が必要な場合は航空祭が最も多い当方、カメラのフォーカス機能は遠距離で距離感を掴めない為に、一瞬でも少しでもブレて画角外に航空機が出てしまいますと、フォーカス機能は初期状態に戻ってしまうのです。

 高倍率ズームで一旦フォーカスが初期状態に戻ってしまいますと、航空機が5km10km先で編隊を組んでいる様子が見えたとしても、カメラは被写体が数十m以内にいるのではないかと走査を始めますので、ズームを広角側に戻し、現在狙う被写体は数km先にある、とカメラに教えねば、ピントが合致しませんし被写体認識さえしません。ここは練度が要る。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭


・6月23日:留萌駐屯地駐屯地祭https://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/
・6月23日:丘珠駐屯地祭…https://www.mod.go.jp/gsdf/nae/
・6月23日:島松駐屯地…https://www.mod.go.jp/gsdf/nae/
・6月22日:北千歳駐屯地駐屯地祭…https://www.mod.go.jp/gsdf/nae/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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