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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【7D特報】小松基地航空祭2018,日本最精鋭飛行教導群F-15Jの機動飛行(2018-09-17)

2019-09-30 20:11:01 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■飛行教導群F-15J華麗な飛行
 小松基地航空祭2018飛行展示の様子を今回は特に飛行教導群機動飛行に焦点を当てて紹介しましょう。

 大空に舞うF-15イーグルの威容、空中戦で未だ無敵の神話を残すアメリカ製戦闘機、この機動飛行を撮影する為に小松基地航空祭へ進出する、という方は多いのではないでしょうか。この日は予報が雨天か曇天となり、ヴェイパーを曳いた機動飛行が冴えわたります。

 機動飛行、実は俊敏鋭利な機動飛行は、順光の撮影環境を得られます小松基地航空祭会場よりも、小松空港展望台や小松空港駐車場付近の方、捻った瞬間の迷彩が施された機体上面を明瞭優美に撮影する事が可能です。言い換えれば、これが撮影位置を迷う理由の一つ。

 飛行教導群、航空自衛隊のアグレッサー部隊、つまり仮設敵部隊です。要するに全国の航空自衛隊戦闘機部隊へ実戦的訓練への敵役として空中戦闘の実指導を行う部隊で、部隊は、垂直尾翼にはコブラの紋章が描かれ、航空自衛隊最強部隊としてこの地に君臨しています。

 イーグルの独特の迷彩はアグレッサー部隊として一見して敵役である、空中でも即座に飛行教導群だ、という事が分かるように強調されているものでして、小松基地航空祭2018では飛行教導群の新しいアグレッサー塗装と特別塗装の機体が飛行展示へ初参加しました。

 戦闘機は近年、加久藤先頭から長距離ミサイル戦闘へ移管している為に従来型の格闘戦は不要となりつつある、として1960年代にスパロー空対空ミサイルが実用化された際に米空軍にて提唱されたのですが、ヴェトナム戦争においてこれは間違いである事を知らされる。

 ミサイル時代はスパローからAMRAAMと射程は180kmもの長距離を隔てて戦闘を展開する21世紀となりましたが、電子戦技術の日進月歩の進展とステルス機の時代により、基本的な戦闘機搭乗員の技術として絶対に不可欠、航空自衛隊は考えている、故に部隊がある。

 小松基地の新しいイーグル飛行隊として展開していますが、その背景には日本海に航空自衛隊最大規模の訓練空域が確保されており、航空戦闘を模擬するには良好な訓練環境が整っている点が飛行教導群の小松展開の背景にあります。ただ、小松基地展開は最近のこと。

 新田原基地、もともと飛行教導群は長く新田原基地へ展開していました。更に遡りますと、その前には築城基地にいたといいますか築城基地で創設されたのですがその後に移駐、新田原基地は宮崎県で築城基地は福岡県、要するに九州時代が長かった、という事ですね。

 T-2練習機、三菱重工を中心に日本が初めて国産開発しました超音速機を飛行教導群は創設当時の飛行教導隊にて運用していました。アクロバット飛行にも対応するT-2の飛行特性は、MiG-21戦闘機と共通性、日米共同訓練の際に言われており、これを反映したのでしょう。

 Su-27戦闘機、ロシア空軍がソ連空軍時代に開発した新世代の制空戦闘機は戦闘行動半径が大きく、その運用特性はF-15と共通する部分がある、こう考えられたのでしょう。航空自衛隊はT-2練習機に代わる飛行教導隊の新たな専用機に貴重なF-15戦闘機を捻出しました。

 F-15のアグレッサー迷彩を撮影する為に、当方も遠く新田原基地へ進出した事がありましたが、小松基地では航空自衛隊戦技競技会も実施され、また巡回教育訓練も実施されています。それでも毎年航空祭で、という訳にはいかず、小松移転は朗報といえたものですね。

 小松マジック、という表現がありまして、白山のくくり姫に愛されているが如く、小松基地航空祭は荒天予報でもなんとか航空祭当日の天候は雨天を回避できる、嬉しいものです。この日も本当に悪天候の予報でも、飛行展示の最中は好天に恵まれ好い写真が撮れました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
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【日曜特集】平成28年第1空挺団降下訓練始【04】空挺堡確立!攻撃へ(2016-01-10)

2019-09-29 20:02:40 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■降下強襲!舞い降りる落下傘
 空挺作戦の要諦は降下地点と攻撃を持続させる補給への橋頭保である空挺堡を確立し、次の攻撃に移る事に在ります。

 空挺団本部中隊偵察小隊と降下誘導小隊が高高度より自由降下により展開します。団本部の他、自由降下訓練課程を経て自由降下技術を有する隊員は多く、第1期自由降下課程訓練を開始した1969年以来、高高度から30km以上を滑空するこの装備を重視している。

 第1空挺団は2016年当時と2019年現在は同一編成で、その編成は団本部中隊偵察小隊、同降下誘導小隊、第1空挺普通科大隊、第2空挺普通科大隊、第3空挺普通科大隊、空挺特科大隊、空挺後方支援隊、空挺通信中隊、空挺施設中隊、空挺教育隊、となっています。

 降下誘導小隊による降下誘導の開始、無線機と鏡により展開する輸送機と連絡を実施します。鏡は太陽光を反射しますと10km以上先から確認できまして、視覚に依存する絶対に故障する懸念のない確実な方法が、最新無線機と併用し実施されているのが印象的ですね。

 C-1輸送機からの降下開始、このC-1輸送機は8tまでしか搭載出来ない、と言われていましたが、この更に前のC-46輸送機は2tまでしか空輸できず、更に火砲は分解した75mm榴弾砲しか搭載できませんでした。C-1は105mm榴弾砲も、小型トラックも搭載可能だ。

 KC-130空中給油輸送機からの空挺降下、用意用意用意!、降下降下降下!、号令と共に696ML/12落下傘がいち降下ッ!にい降下ッ!さん降下ッ!よん降下ッ!!、開くまでの緊張を背負い、降下します。ここ何度も飛来していますが、60名の空挺隊員が搭乗できます。

 89式小銃、MINIMI分隊機銃、01式軽対戦車誘導弾を手に降下完了した空挺隊員たちが第一線へ向かう、その後続はL-16/81mm迫撃砲を分解携行する迫撃砲小隊の隊員が。空挺中隊は空挺大隊隷下に3個あり、各空挺中隊には3個空挺小隊と迫撃砲小隊が置かれている。

 L-16/81mm迫撃砲は射程5.6km、砲座と砲架に砲身と照準器を四名が分解し、弾薬は各員が背嚢に携行し、弾薬定数の砲弾は更に続行し輸送している、という事でしょうか。空挺隊員はこうした徒歩搬送に対応するべく、自衛隊一と云われる体力練成を行う事で有名だ。

 89式小銃を手に先行する空挺班、MINIMIの射手は最後尾を護り、また迫撃砲小隊を掩護できる位置を確保しています。空挺部隊は降下地点を空挺堡として維持し、航続する増援や補給として維持せねばなりません、故に準備が整えばそこから広く確保へ展開してゆく。

 01式軽対戦車誘導弾は赤外線画像誘導式の対戦車誘導弾でタンデム弾頭により爆発反応装甲を有する戦車を撃破でき、また上部攻撃弾道を選定する事で第3世代戦車を高い確率で撃破可能、射程は1500mある。電池式で警戒態勢を長時間維持する際の難点は、あるが。

 空挺降下と共に降下完了した空挺隊員の前進が同時進行で進む、この日は風がほぼありませんでしたのが幸いです。降下不可能寸前の強風で決行しますと、降下したまま着地と共に落下傘毎隊員が引きずられてゆく、というような状況が、実際に過去には在りました。

 C-1輸送機には高機動車も1/2tトラックも搭載可能です。ただ、物量投下は気流の影響を受けた場合、狭い習志野訓練場を外れてしまうと、周りが住宅地となり、車輌が市街地へ降着するという、特に家屋などに車両が上から衝突する危険があるため、実施されません。

 第一線へ続々と到着する。横一列の文字通りの横隊という状況が、防衛線という線を彷彿とさせる様式となっているのが印象的だ。落下傘の派手な降下は規模を錯誤してしまいますが、C-1輸送機3機でようやく1個中隊を空挺降下させられる規模でしかないという。

 降下誘導小隊の降下誘導は続く。この降下訓練始めへ参加した輸送機はC-1輸送機2機とC-130H輸送機にKC-130空中給油輸送機の4機のみ。航空自衛隊はC-1輸送機の飛行隊2個とC-130H輸送機の飛行隊1個、C-1は大型のC-2へ更新中ですが、全体として少ない。

 C-130H輸送機による降下が継続します。輸送機は全体で40機程、40機あれば空挺団を輸送出来る、との考えは早計で、航空自衛隊は戦闘機部隊の作戦維持の為に空輸任務があります。有事の際に空挺団は必要だが戦闘機部隊は平和で仕事なし、とは考えられません。

 C-1輸送機3機とC-130H輸送機3機、という規模が昔の空挺団降下訓練始めでは一つの定数でした。しかし、ソマリア沖海賊対処任務や邦人輸送任務待機と沖縄防空任務等、C-130H輸送機は航空自衛隊実任務増大に併せ平時の必要数が増大、余り余裕がないもよう。

 島嶼部防衛を主眼としたこの空挺団降下訓練はじめでは、離島、つまり海の周辺へ降下する想定にて、降下する隊員の一部は救命胴衣を着用し降下しています。写真でも燈色の両脇に抱える装備品が救命胴衣に当る。そして千葉県では毎年海上降下訓練が行われている。

 L-16/81mm迫撃砲の展開が完了、89式小銃を手に迫撃砲の周囲を油断なく警戒する隊員と共に、背嚢に格納されていた迫撃砲弾なのでしょうか、砲弾コンテナが6発並べられているのが確認できます。また、剽悍が立てられており、射撃体勢に入っている事が分ります。

 KC-130空中給油輸送機からの空挺降下、海上降下訓練は島嶼部防衛以前に万一の際に海上へ降下する必要が生じた場合も想定するという。落下傘がまだ空に飛びだしていると同時に迫撃砲部隊の展開や第一線への空挺隊員の展開と空挺堡の確保が同時進行で進んでゆく。

 先兵小隊が敵残置斥候を捕える、OD作業服にM65鉄帽という如何にも仮設敵らしい仮設敵を捕らえた、残置斥候とは主力の後退に際して残置し、彼我勢力の展開推移などの報告を維持し、火力戦闘等を有利とさせるもの。潜伏斥候が居るという事は、我が行動に対し敵の反撃が近い。

 負傷者発生、我が方の第一線部隊が砲迫攻撃により損害を被り負傷者が発生したという想定、敵の攻撃が開始されたという事は先ほど制圧した残置斥候が我が空挺部隊の動向を侵攻軍主力へ報告した事を意味します、いよいよ空挺部隊、精鋭無比の戦いが始まるのか。

 空挺情報小隊が88式鉄帽に代え身軽なブッシュハットを装着し軽快に駆けてゆく、戦闘防弾チョッキさえ身に着けず、不安ではありますが、集約チョッキと思われる装具には先頭に必要な弾薬とガスマスク等一式を備えており、機動力を武器として情報収集へひた走る。

 敵BRDM-LAV軽装甲車が攻撃を加えてきた、BRDM装甲車は偵察部隊や砲兵観測部隊へ配備される軽装甲車であり、この出現は次の砲兵攻撃か自動車化狙撃連隊主力による攻撃の始まりを意味します、つまり斥候を抑えなければ次の状況は非常に不利になってしまう。

 01式軽対戦車誘導弾が連続して火を噴く、射程1500mの携帯対戦車ミサイルもBRDM-LAV程度ならば瞬時に制圧できよう。空包射撃ですが激しい火閃が輝き、一瞬カメラの操作に遅れた当方には白煙が写るのみ。BRDM-LAVばかり撮っていたのが裏目に。

 命中!、BRDM-LAVが吹き飛んだ、というようなTNTによる演出が為されます。BRDM-LAVの接近は、我が方も先兵小隊からさらに進出した路上斥候が発見した、BRDM-LAVの白煙と共に路上斥候が伏せている様子が見えるでしょうか、戦闘開始だ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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自衛隊観艦式2019:自衛隊記念日概要発表,参加艦艇46隻(外国艦11隻)-航空機40機が参加

2019-09-28 20:05:42 | 北大路機関 広報
■令和元年観艦式
 令和元年の奉祝する祝典は数多ありますが自衛隊記念日行事として令和元年は観艦式が挙行されます。

 自衛隊観艦式、10月14日に挙行されます。海上自衛隊は9月24日、その観艦式参加艦艇の概要を公表しました。参加艦艇46隻、航空機40機、とのことで外国艦艇11隻が参加しています。過去の規模と比較しますと海上自衛隊初の昭和32年観艦式が艦艇32隻と航空機49機。海上自衛隊創設50周年記念国際観艦式は11か国艦艇17隻を含む65隻です。

 かが、いずも。海上自衛隊観艦式と云えば昭和後半から平成にわたってヘリコプター搭載護衛艦しらね型の護衛艦しらね、くらま、が観閲艦を担い自衛隊を中心に大規模に執り行われてきました。しかし、2016年に護衛艦くらま除籍と共にヘリコプター搭載護衛艦は巡洋艦型から全通飛行甲板型護衛艦へ転換しており、文字通り令和時代の観艦式といえる。

 観閲部隊は先導艦たかなみ、安倍総理大臣を観閲官として乗艦するヘリコプター搭載護衛艦いずも、ミサイル護衛艦こんごう、ミサイル護衛艦ちょうかい、護衛艦あけぼの、という編成です。前回の2015年観艦式は、観閲艦くらま以下の随伴艦に掃海母艦等大型ですが護衛艦以外の艦艇が続き、今回の随伴艦はイージス艦中心に強力な護衛艦で固めています。

 観閲付属部隊は、輸送艦しもきた、護衛艦むらさめ、護衛艦いかづち、練習艦せとゆき、以上4隻を以て編成されています。興味深い事に、護衛隊群の編成と観閲部隊及び観閲付属部隊の編成は共通しています。練習艦が元護衛艦ですので、ヘリコプター搭載護衛艦1隻、ミサイル護衛艦2隻、汎用護衛艦及び練習艦で5隻、ここに輸送艦が加わる編成だ。

 受閲艦艇部隊は総理大臣の観閲を受ける部隊であり、旗艦以下、第1群の護衛艦部隊、受閲艦艇部隊第2群が護衛艦部隊、受閲艦艇部隊第3群に護衛艦部隊、受閲艦艇部隊第4群が補給艦、受閲艦艇部隊第5群で掃海艇部隊及び両用戦部隊、受閲艦艇部隊第6群の潜水艦部隊、受閲艦艇部隊第7群の哨戒部隊となっていまして、続いて外国艦艇が参加します。

 受閲艦艇部隊旗艦は最新鋭護衛艦あさひ型一番艦あさひ、受閲艦艇部隊第1群はヘリコプター搭載護衛艦かが、護衛艦はるさめ、護衛艦はるさめ、護衛艦ありあけ、以上四隻です。護衛隊群を構成する二つの護衛隊の内、ヘリコプター搭載護衛艦を中心とする編成そのものであり、満載排水量27000tの全通飛行甲板型護衛艦かが、が今回観艦式の象徴でしょう。

 受閲艦艇部隊第2群は、ミサイル護衛艦あたご、護衛艦ふゆづき、護衛艦ちくま、護衛艦やまゆき。イージス艦を中心に新鋭汎用護衛艦と古参小型護衛艦に最古参元護衛艦という。受閲艦艇部隊第3群は、ミサイル護衛艦はたかぜ、ミサイル護衛艦しまかぜ。イージスシステムに圧されるターターシステム艦の全てです。次の観艦式には練習艦隊転属でしょう。

 受閲艦艇部隊第4群は、補給艦ましゅう。単艦で群形成でありもう一隻欲しかった。受閲艦艇部隊第5群は、輸送艦くにさき掃海母艦うらが、掃海艦ひらど、掃海艇はつしま、掃海艇あいしま、掃海艇ゆげしま。掃海隊群主力による編成ですね。観閲付属部隊と併せ今回は輸送艦おおすみ型が2隻参加しています。LCACは輸送艇扱いですが記載ありません。

 受閲艦艇部隊第6群は、潜水艦しょうりゅう、潜水艦こくりゅう、潜水艦せとしお。潜水艦部隊です、護衛艦参加規模の変遷に対して潜水艦の参加規模は例年通りだ。受閲艦艇部隊第7群は、ミサイル艇はやぶさ、ミサイル艇おおたか、ミサイル艇くまたか、哨戒部隊です。自衛艦艇参加部隊は以上の通りとなっていますが今回は外国艦艇の参加規模が凄い。

 祝賀航行部隊として外国艦艇は、護衛艦てるづき先導のもと、海上保安庁巡視船いず、カナダ海軍艦1隻、中国海軍艦1隻、シンガポール海軍艦1隻、イギリス海軍艦1隻、アメリカ海軍艦1隻、インド海軍艦2隻、オーストラリア海軍艦4隻、です。オーストラリア軍はホバート級イージス駆逐艦やキャンベラ級強襲揚陸艦でも参加するのでしょうか、ね。

 外国艦艇にこの規模の艦艇が参加するのは海上自衛隊創設50周年国際観艦式、羽田沖で行われました停泊式観艦式以来の規模です。また自衛隊観艦式へは中国海軍艦艇が初めての参加となります。一方で今年四月の時点でP-1哨戒機への射撃動作等による日韓関係冷却化に伴い、韓国海軍について今回の観艦式は当初から招待を行っていないのは報道の通り。

 警戒部隊は発表されていませんが、観艦式では世界有数の海上交通路と水道を用いる為、その安全確保にも充分な部隊を展開させねばなりません。ここで、近年の観艦式常連となっていました潜水艦救難艦や試験艦あすか等の艦名がありません。訓練支援艦や特務艇等と共に観艦式へは警戒部隊として周辺航路の安全確保などに参加するのかもしれませんね。

 受閲航空部隊は、指揮官機P-1哨戒機1機、第1群SH-60J/K哨戒ヘリコプターー3機、第2群陸上自衛隊CH-47J/JA輸送ヘリコプター3機、第3群TC-90練習機3機、第4群C-130R輸送機1機、第5群US-2救難飛行艇2機、第6群P-3C哨戒機3機、第7群F-2戦闘機3機、第8群F-15戦闘機3機、第9群米軍P-8A哨戒機1機、第10群P-1哨戒機3機です。

 P-1哨戒機は指揮官機と併せ4機が参加しており、今回の観艦式では海上自衛隊機として最大勢力を構成します。しかし、哨戒ヘリコプター部隊は地方隊展示訓練並の規模まで縮小しており、そして今回は掃海輸送ヘリコプターの参加が一機もありません。一方、次の観艦式にはF-35A戦闘機の受閲飛行参加や艦上でのF-35B艦載参加を期待したいものですね。

 フリートウィークとしまして海上自衛隊は観艦式本番前の一週間を横須賀基地と横浜での艦艇一般公開や各種催事を実施するとのこと。自衛隊観艦式は東京五輪準備等、諸般の事情から昨年実施の予定が中止となり自衛隊観閲式を繰り上げ実施しました。実に4年ぶりという観艦式、フリートウィークも含め、横須賀や横須賀を散策してみては、と思います。

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令和元年度九月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2019.09.28-09.29)

2019-09-27 20:01:07 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 涼しい秋が列島を覆いつつ何故か自分だけが暑く感じる今日この頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか、今週末の行事紹介です。

 西部方面隊創設記念健軍駐屯地祭、九州沖縄を防衛警備管区とする西部方面隊の創設記念行事です。西部方面隊には10式戦車で完全充足した全国唯一の戦車部隊である西部方面戦車隊、16式機動戦闘車と96式装輪装甲車で完全充足した第8師団隷下の第42即応機動連隊、方面特科部隊にはMLRSに12式地対艦誘導弾、水陸機動団にはAAV-7が配備される。

 健軍駐屯地は熊本市内、熊本空港へ着陸する際に眼下に一望できます。駐屯地は阿蘇山を望見する雄大な立地にありますが、もっとも有名なのは自衛隊通りでの市街パレード、日本国内で実施される市街パレードとしては群を抜いて最大規模です。なお方面航空隊にはAH-64D戦闘ヘリコプターも配備されていますが、こちらは飛行再開が期待されますね。

 東北方面隊創設記念仙台駐屯地祭、東北地方全域を防衛警備管区とする方面隊の創設記念行事です。隷下には第6師団と第9師団が置かれ、第6師団は第22即応機動連隊が、第9師団には74式戦車など重厚装備が維持されています。東日本大震災の年までは、方面隊行事は広大な霞目飛行場にて執り行われていましたが、現在は苦竹の仙台駐屯地で実施です。

 東部方面混成団創設記念武山駐屯地祭、横須賀市に所在する駐屯地で旧第1教育団と少年工科学校が置かれており、第1教育団は第31普通科連隊と第48普通科連隊を隷下に置く東部方面混成団へ、少年工科学校は自衛隊工科学校へ改編されています。今年三月のまでは混成団隷下に戦車4個中隊を有する第1機甲教育隊も配置、普戦協同展示が夢位でした。

 第5旅団創設記念帯広駐屯地祭、道東地区を防衛警備管区として受け持つ第5旅団の創設記念行事です。第5戦車大隊には90式戦車3個中隊、特科隊は99式自走榴弾砲で充足しており普通科連隊には96式装輪装甲車中隊を有する北海道の総合近代化旅団です。帯広駐屯地にはAH-1S対戦車ヘリコプターを運用する第1対戦車ヘリコプター隊も駐屯している。

 第3施設団創設記念南恵庭駐屯地祭、札幌と千歳の中間に位置する駐屯地で、方面直轄部隊である第3施設団が北部方面施設隊から再編された第3施設団として置かれると共に第7師団隷下の第73戦車連隊が駐屯しています。第73戦車連隊は元即応予備自衛官部隊でしたが師団改編により方面混成団に配転される事無く現役要員で充足、90式戦車を運用する。

 八雲分屯基地、北海道二海郡八雲町緑町に位置するミサイルサイトで、第20高射隊と第23高射隊が展開しています、八雲飛行場が分屯基地内に在り、ここは1800mの舗装滑走路と同じ長さの閉口した誘導路を持つ代替飛行場、有事には千歳基地の補助基地として用いる、北海道の広大な立地に臨時飛行場、という訳ではなく函館本線八雲駅から数百mの立地だ。

 秋田分屯基地祭、秋田分屯基地航空祭としてしられるミニ航空祭です、分屯基地で航空祭を挙行するのは秋田くらいでしょう。分屯基地には秋田救難隊が配属され、U-125救難機とUH-60J救難ヘリコプターが配備されています。秋田市雄和椿川字山篭に所在、というよりも秋田空港と隣接しているとの説明が分り易いでしょう、2500m滑走路が在ります。

 山田分屯基地祭、三沢基地の分屯基地であり北部航空警戒管制団隷下の第37警戒隊が置かれるレーダーサイトです。J/FPS-2レーダーを運用する数少ない部隊で、日本電気製の電子走査式フェーズドアレイレーダーとして導入当時は長距離索敵能力が誇示されています。遠くない将来に新型のJ/FPS-7レーダーへ置き換えられるため、その点で注目でしょう。

 東北町分屯基地祭航空自衛隊第4補給処東北支処の置かれる青森県上北郡東北町字大沢の施設で、ミサイル弾薬などが備蓄されています。1994年に創設された比較的新しい弾薬庫で、音楽隊の演奏や歩哨犬訓練展示等が実施されるとのこと。今週末の分屯基地祭は北日本の代替飛行場に分屯基地航空祭とレーダーサイトに弾薬庫と、本当に多種多様ですね。

 艦艇広報について。練習艦やまゆき一般公開が広島県広島市宇品港の宇品外貿埠頭にて執り行われます。はつゆき型護衛艦の練習艦種別変更艦でして、あれだけの勢力を誇りました護衛艦はつゆき型も少なくなっています。会場は宇品港です、練習艦一隻の見学では満足しないぜ、という方はそのまま呉経由松山行フェリーで船旅、というのもよいでしょう。

 さて撮影の話題を。自衛隊関連行事、撮影とともに散策をおすすめしているのですが名所旧跡といわれましてもちょっと思い浮かばず困る、という肩も多いかもしれません、その通りでして時間は限られ、季節によってはどんどんと日の沈みと夜の帳が近くなりますからね。そこで、当方が観光の際に一つの指針としているのは、別表神社と城郭です。近くや経路に在れば。

 別表神社、神社本庁が格式に併せて示している神社であり、もちろん格式が全てではありませんが、往路復路の道中に別表神社がありましたらば参拝して間違いはないように思います。ただ、戦災や歴史の関係からそれほど大きくはない別表神社と言うものもありまして、このあたりは事前に調べてみますか、やはり、地元の方の情報に頼るほか在りません。

 地元の方のお話しというのは重要で自衛隊行事にあわせての観光ですが、地元の方の、例えば初詣にどこへお参りするのか、ということと。この界隈の大きなお祭りなんかについての情報は、お祭りと神社、とても参考になる情報に溢れています。自衛隊行事を通して自衛隊を知ろう、だけにとどまらず、日本そのものを知る旅、としてみたいものですね。


■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・第5旅団創設記念帯広駐屯地祭…https://www.mod.go.jp/gsdf/nae/5d/
・第3施設団創設記念南恵庭駐屯地祭…https://www.mod.go.jp/gsdf/nae/
・八雲分屯基地祭…https://www.mod.go.jp/asdf/
・山田分屯基地祭…https://www.mod.go.jp/asdf/
・東北町分屯基地祭…https://www.mod.go.jp/asdf/
・秋田分屯基地祭…https://www.mod.go.jp/asdf/akita/sp/index.html
・東北方面隊創設記念仙台駐屯地祭…https://www.mod.go.jp/gsdf/neae/neahq/
・東部方面混成団創設記念武山駐屯地祭…https://www.mod.go.jp/gsdf/eae/
・練習艦やまゆき宇品港一般公開…https://www.mod.go.jp/msdf/
・西部方面隊創設記念健軍駐屯地祭…https://www.mod.go.jp/gsdf/wae/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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伊勢湾台風から六〇年,3.11東日本大震災-阪神大震災と並ぶ戦後巨大災害と現代台風の巨大化

2019-09-26 20:08:46 | 防災・災害派遣
■次の伊勢湾台風規模被害へ
 本日は伊勢湾台風上陸から60年祈念の日です。追悼と共に次の伊勢湾台風規模の被害に備えつつ、重ねて犠牲者の冥福を祈りたい。

 伊勢湾台風60年、本日2019年9月26日は昭和最大の災害と云われる伊勢湾台風が日本に上陸しました1959年9月26日から60年目となる日です。伊勢湾台風、戦後日本自然災害の中でも1995年1月17日の兵庫県南部地震、阪神大震災までは最大の災害であり、伊勢湾岸の愛知県と三重県では県民二割が被災、第二次世界大戦以来の惨禍となりました。

 ヘリコプターによる航空救難が組織的に実施された世界初の事例である、伊勢湾台風はこうした視点からも転換点となりました、航空自衛隊は初のヘリコプター部隊準備隊を訓練中でしたが急遽投入されました。また艦艇部隊では草創期の海上自衛隊が横須賀地方隊より、実戦経験のある総監部幕僚長を指揮官とした海上救援部隊を荒天下に派遣しています。

 空母キアサージの被災者救助、アメリカ海軍は日本救援へ航空母艦を展開させます。3.11東日本大震災ではアメリカ海軍の空母ロナルドレーガンが対日救援作戦“トモダチ作戦”へ参加していますが、はるか前、伊勢湾台風に空母は展開していたのですね。阪神大震災でもアメリカは空母インディペンデンスを被災者宿泊艦へ打診しますが実現していません。

 3.11東日本大震災以降、我が国では南海トラフ巨大地震の連動発生再来への警戒が高まり、津波防災への意識は大きく前進したといえます。防災意識が前進したならば経済的行動に結びつけるのが次の段階、防災施設や避難訓練が定着するその次の段階へ進む事が出来ます。しかし、こうした中で巨大台風への警戒が忘れられているようには思えてなりません。

 929hpaという猛烈な勢力で上陸した伊勢湾台風。最大瞬間風速は伊良湖で55.3m、名古屋市内でも45.7mに達し、死者行方不明者実に5098名、負傷者は38921名に昇り、全壊家屋36135棟と流失家屋4704棟、更に半壊家屋は113052棟であり大規模半壊に相当する床上浸水も157858棟、伊勢湾を中心に船舶被害が13759隻。数字から示す台風はこの通り。

 伊勢湾台風、しかし数字以上に戦後復興の最中に三大都市圏の名古屋沿岸部が徹底的に破壊され、長期浸水により復興に時間を要すると共に今ほど防災インフラが発達していない中、次の災害に備えての停滞を余儀なくされ、日本国家への影響というマクロ的視点で見た場合でも、2011年東日本大震災に比肩する衝撃を与えた、と言って過言でないでしょう。

 想定外か、と問われれば一例の逸話に伊勢神宮の大木が挙げられ、伊勢湾に巨大台風が来ないからこそ大木が育つ、との伝承があったとも。しかし、当時気象庁は台風進路を正確に予報しており、25日には緊急記者会見を開き当時としては異例の注意喚起を行っています。その上で、台風の速度は早く急激に成長し勢力を保ったまま紀伊半島へと上陸します。

 高潮が被害を拡大させた、とは識者や研究者が多く指摘するところで、高度経済成長期の建設ラッシュに併せ拡大されていた沿岸部の貯木場が高潮で破壊されると共に良質で巨大な木曾檜を始め貯木場の材木が破城槌のように沿岸部の住宅を一帯で次々と押し潰し、暴風に耐えた頑丈な建築物を始め砕くと共に人々を襲った事が、当時の“想定外”でした。

 昭和の三大台風、としまして枕崎台風や室戸台風、死者が3000名以上に昇る巨大台風が上陸しました。いや、1947年のカスリーン台風は上陸さえしていませんが、首都圏では利根川を中心に1930名もの死者行方不明者という大災害となりました。もっとも、スーパー堤防建設やダム建設と防潮堤強化、その後の防災インフラ整備を進める契機となるのですが。

 巨大台風の被害を甘く見ていないでしょうか、例えば我が国太平洋岸には台風進路に向けて湾口を開く湾が幾つかあります、伊勢湾、東京湾、大阪湾、広島湾、松島湾。数多ありますが上記の湾口の奥には大都市があり、高潮が台風と共に押し寄せれば津波と同じ危険、いや津波以上に暴風で逃げ場のない沿岸部を襲います。その危険性が認識されているかと。

 我が国防災インフラは伊勢湾台風以降大きく整備されており、実際、昨年の台風21号では大阪を中心に大きな被害が生じましたが、高潮の潮位は第二室戸台風の最高値を超えており、昭和中期に同等の台風が襲来したならば、阪神大震災に匹敵する人的被害を及ぼした可能性もありました。沿岸の防災は頑強です、しかし、その頑強さは永遠なのでしょうか。

 伊勢湾台風と同程度の台風、実のところ昨今の台風には伊勢湾台風と同程度の台風が似た進路、第二室戸台風と同じ勢力で上陸、という台風の大型化を痛感します。これは防災機構の頑強さに慢心する事無く、現在想定されないような上陸時の中心気圧870hpa以下というような規格外巨大台風、昭和五四年台風20号が洋上で870hpaでしたが、有り得ないか。

 防潮堤と沿岸部の低地建築物強靭化が現在の防災の主軸です。しかし、例えば瞬間風速90mという巨大台風は南方では発生しており、こうしたものが高潮を伴い、防潮堤そのものを破壊した場合、また、24時間雨量が1000mmを越える豪雨が複合災害をもたらす可能性は無いのか、更に堤防が強靭化した分、一旦決壊したらば排水まで、長期浸水に直結します。

 広域避難、東京都の江戸川区などでは最大規模の規格外台風が上陸した想定の下、最悪の場合は区内全域が水没、垂直避難として高層建築物へ避難した場合も浸水が一ヶ月近くに及び孤立者が懸念する状況になる、との被害想定を行い、この懸念を回避する為に広域避難として全住民の区外、安全地域、在るかどうかは別として、その検討を進めています。

 防災行政として、しかし具現化するには非常な困難を必要とします。なにしろ台風は広域災害ですので、一つの市町村や区に被害は集中しません、すると首都圏だけで数百万、京阪神地区でも少なくとも二百万規模の人員を収容できる避難所、其処への緊急移動手段、防災備蓄、昨今は停電対策等が必要となります。避難中に計画運休の可能性も生じうる。

 民間防衛の領域の命題であり、国そのものが防災を念頭とした施策や法整備を変えねばならない程に昨今の台風、巨大台風の頻度は増大しているのではないか、率直な感想です。勿論、その可能性は低い為に許容し得るリスクである、と民意が判断するならばその選択肢もあり得るのかもしれません。ただ、過去の伊勢湾台風の犠牲者への追悼を、念じるだけで終えて良いのか、考えてしまうのです。次の伊勢湾台風規模の台風に備えるのではなく、次の伊勢湾台風規模の被害に備える施策が求められます。

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【京都発幕間旅情】清洲城,旧東海道-伊勢街道を結ぶ織田信長天下布武へ夢のはじまりを望む

2019-09-25 20:07:55 | 旅行記
■眼下望む清洲城址と名古屋城
 映画“清州会議”が先日放映され東京五輪賛美の退屈な大河ドラマが続く中の一つの清涼剤となりました今日この頃、本日は映画の舞台となった城址を紹介しましょう。

 清洲城、望楼型三重四階RC造模擬天守閣が名古屋手前を見守っています、此処は織田信長の清洲城、かの清洲会議の舞台となった史跡にありまして、更に旧東海道と伊勢街道が合流しつつ中山道にも隣接する緊要地形、交通の要衝として古くから重要視されてきました。

 清洲織田氏の居城として重要視された城郭は、東海道新幹線や東海道本線より京都を東下りの故事に浸る最中の間もなく名古屋という車内放送と共に望見する城郭です。いや、実は天守台は此処ではなく、東海道新幹線線路真下に位置するのですが、それはそれという。

 尾張遠江越前三国管領の室町幕府老中斯波義重が此処に城郭を造営したのは織田信長よりも遡る事応永年間の1405年、現在の東海道本線稲沢駅近くに下津城として拠点を造営し、支城として清洲城を造営したという歴史があります。その後尾張守護は織田家が担う事に。

 斯波義重の城郭から織田家の城郭への変遷は元々織田家が越前国劔神社の神官であり、斯波義重が参詣の際に聡明な神官の子に感銘を受け、近習として取立てた事に始ります。神官は織田常昌の名を賜ると共に尾張の所領を与え、応永年間の1409年に管領を退きました。

 下津城の稲沢は東海道本線清洲駅の隣接駅なのですが、この本拠地が文明年間の1476年、つまり応仁の乱最中に織田家内紛により焼失してしまい、結果清洲城だけが残りました。織田家は支城に名古屋市中区の古渡城や那古野城がありましたが、ここが拠点となります。

 守護代織田家、清洲城と幾つかの城郭を比較しますと旧東海道と伊勢街道に中山道が接する地形から、此処を本拠地とする事が都合よく、本城となります。そして弘治年間1555年に織田家内紛を鎮定した、かの織田信長が織田家当主として入城、居城としたのですね。

 織田信長は清洲城を十年間に渡り居城とし、その際に城郭も拡大させたという。桶狭間の戦いはここから騎馬にて出陣し、三河の盟主徳川家康との清洲同盟もここで結ばれました。織田信長は小牧城、岐阜城、そして安土城と天下取りへ邁進し、そして本能寺にて散る。

 天守閣に登る。名古屋城が高層ビルに囲まれる中、それ程距離がる訳ではありませんが清洲城周囲には有名な大和印刷を例外としまして高い建物は無く、その視程ははるか遠くを眺望できます。ただ、遠い高速道路の高架橋が小牧城等への視界を遮っていますけれども。

 名古屋城を望見する。名古屋城まで直線距離で8.5kmといい、もともと名古屋の語源が那古野、織田信長の那古野城であった、といいますのである意味では遷府は原点回帰であったのかもしれません。しかし同時に織田家の影響を薄める政治的な色彩もまたありました。

 名駅高層ビル群、リニア中央新幹線開業に向け大きく高層ビル群が広がります。徳川家康の遷府により広がった市域が400年を経て尚健在なのですが、しかし東南海地震津波警戒区域に名古屋市街地が入り清洲中心部が安全圏である点を踏まえると、何か、考える点も。

 東海道新幹線と東海道本線、本来の本丸跡地はこの真下に在るという。山陽新幹線の三原城と三原駅の関係に近いのでしょうね。しかし、この東西大動脈、世界最大の鉄道幹線が通る眼下の鉄道を俯瞰しますと、清州が東西交通の要衝だという事も自明に理解できます。

 豊和工業、業務用掃除機等で有名な企業は同時に我が国最大の銃器メーカーでもあり、新小銃となる仮称20式小銃や89式小銃、僅かに残る64式小銃と120mmRT重迫撃砲や81mm迫撃砲を生産します、鉄砲で名を馳せた織田信長清洲城城下町らしいといえますね。

 平成元年に復元された模造天守閣、戦後に再現された復興天守閣とは違い戦後復興の歴史的象徴としての意味合いは薄いですが、博物館や自治体と強度としての象徴は健在です。しかし、ここは中層建築物なのですが階段しか無く、荷物が多いと登るには留意が必要だ。

 清州会議という歴史の舞台となったのは天正年間は1582年、6月21日の本能寺の変からひと月と経ない7月16日、次代の後継を選定する為に武将たちが此処に集いまして、その様子をコミカルに描いたのが三谷監督作品「清州会議」です。織田信雄が城郭を継ぐ事に。

 清洲城は天正年間の1586年により倒壊します。織田信雄治世下に大きく拡張され、大天守に小天守と書院を備えました。更に復興の最中に豊臣秀吉との対立から転封となり豊臣秀次の居城、文禄年間の1595年には福島正則の居城となります。そして時代は次の対立へ。

 関ヶ原の戦い、この清州会議を上回る天下の転機には福島正則の巨大な清洲城が東軍の戦略拠点となります。勲功から福島正則は安芸一国を与えられ清洲城へは清洲藩が置かれ家康四男松平忠吉、その没後には九男徳川義直が入城します。しかし慶長年間に次の転機が。

 清洲越し、徳川家康による清洲から新府名古屋への遷府が令ぜられました。清洲城からは名古屋城御深井丸西北隅櫓等の移築が行われますが、慶長年間1613年に名古屋城造営と名古屋城城下町が完成しますと、清洲城は廃城となり、現代には本丸土塁の一部が残るのみ。

 平成元年、清洲町の町制百周年の記念事業として清洲城跡に隣接する立地へ望楼型三重四階RC造模擬天守閣が建築されました。また清洲城の資材を用いた名古屋城御深井丸西北隅櫓は幸い名古屋空襲等戦災にも生き延び今に至ります。模擬城郭ながら今に歴史を伝える。

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ドローン攻撃対策に防衛省本格化,サウジアラビア油田攻撃の衝撃と自衛隊無人機対策の現状

2019-09-24 20:19:13 | 先端軍事テクノロジー
■現代のエイラートショック
 サウジアラビア油田攻撃へイランが関与した、イギリスフランスドイツ首脳が共同声明にて発言し無人機攻撃の波紋が広まっています。

 防衛省はサウジアラビアでの無人機攻撃を受け、我が国に対し周辺国からの同様の攻撃が行われた場合を想定し、対策の方針を示しました。具体的には現在装備されている電子装備の強化や、無人機捕獲用無人航空機の研究等の施策が提示されています。現実問題としてサウジアラビアでの無人機攻撃は770km以遠、一説には1100km以遠から実施され、その技術は脅威といえます。

 ドローン攻撃、イランが支援するフーシ派による無人攻撃機による自爆攻撃は、市販のクワッドドローンのようなものではなくドローン制御技術を誘導装置として用い、小型航空機用エンジンを搭載する事で巡航ミサイル並の射程を備えた、簡易無人機というような性能を有する装備です。巡航ミサイルには輸出規制枠組が在りますが、盲点をついている。

 ドローン攻撃、日本にとっては脅威です。決して威力は大きくありませんが、沿岸部の原子力施設や国家石油備蓄施設に対する攻撃、被害は限られたものとなりましょうが原子炉の格納容器が無傷であったとしても、停止中の原子力施設であっても仮に攻撃が命中した場合、軍事的損害は皆無でも国内世論への影響や市場動揺、政治的損害は計り知れません。

 エイラートショック、これに似たパニックのような印象は感じます。1967年にイスラエル海軍の駆逐艦、イギリス製の艦隊駆逐艦が警戒任務中に遥かに小型のエジプト海軍ミサイル艇より発射されたソ連製対艦ミサイルにより撃沈された事で、対艦ミサイルへの過大評価が世界の海軍に衝撃を与えた事件です。対艦ミサイル対処と同じくこちらにも対策が。

 神出鬼没ではありますが、ドローンは万能ではありません、対艦ミサイルの百分の一程度というものですが、長距離ドローン本体にセンサーは無くGPSにより静止目標に命中する為、水上戦闘艦等移動目標には打つ手なしです。また、電子妨害に対しては脆弱性が高く、軍用電子戦装備を搭載した場合、費用がミサイル並に高騰する為、妨害が有用でしょう。

 E-767早期警戒管制機やE-2C早期警戒機、手のひらサイズで飛翔距離が数百m以内の無人機がビルの谷間を飛行する様子は流石に見えませんが、日本海を渡る規模の無人機で有ればどれだけ低空であっても探知可能です。なにしろドローンよりも遥かにレーダーに映り難いステルス機を探知する情報処理能力がある為、その探知能力の面では充分でしょう。

 サウジアラビアではミサイルコリドーというペトリオットミサイルの覆域圏外を飛翔し無人機が目標へ命中しました。この点、レーダーギャップという防空レーダーの設置されていない区域が防空上の盲点ですが、我が国では小笠原諸島の中部と南部、及び現在我が国施政権が及ばない島根県竹島や北海道千島列島を除けば、防空監視所が機能しています。

 早期警戒管制機であれば550km圏内の低空飛行飛翔体、1000km圏内の高高度飛行飛翔体への同時多数の警戒監視能力があり、また、無人機がバスケットボールよりも大型であれば、現在自衛隊が運用するミサイルならば検知可能で、ミサイルは弾道ミサイル迎撃用を除き、基本的に近接信管を有し、目標付近に接近した瞬間に作動し目標を無力化します。

 E-2C早期警戒機は実際に無人機対処任務へ投入されています。アメリカの話かイスラエルの話、と思われるかもしれませんが航空自衛隊の話です。2017年5月18日に中国からの無人偵察機が沖縄県にて領空侵犯した事例があり、航空自衛隊は2012年12月13日の中国機領空侵犯事件以来沖縄へE-2C早期警戒機部隊を展開させ、警戒監視任務に当っています。

 同時多数の無人機攻撃、スウォーム攻撃というAIにより自動完成された複数の無人機による攻撃が、早ければ2030年代半ばにも実用化される、との懸念があります。勿論、長距離を飛翔できる無人機とスウォーム攻撃に用いられる小型無人機を混同してはならないのですが、同時多数により迎撃が追い付かない飽和状態、という懸念がある事も、事実です。

 無人機対策を永らく痛感しているのは陸上自衛隊であり、その理由として市販無人機を敵対勢力が多用した場合、我が方の行動が暴露し情報優位を喪失する、との視点から対策が検討されてきました。一方、市販無人機は電子妨害へ脆弱性を有する事から、自衛隊では防衛用にスカイレンジャー70等の耐妨害性を有する高価な防衛用無人機を装備しています。

 ネットワーク電子戦システムNEWS、陸上自衛隊の無人航空機対策はこの装備に重点化されています。これは戦域内のあらゆる通信装備を標定し、我が方の通信電波を維持しつつ妨害するもので、広義にはGPS電波の妨害も含まれると考えられます。巡航ミサイルの様な慣性航法装置を搭載しないGPSに依存する無人機に対しては、致命的な威力を発揮する。

 防衛出動に際し、戦闘地域では彼我の戦力により戦闘と共に無線通信や情報収集とデータリンクという、電子の戦いが繰り広げられます。この中には無人機が取得した画像情報や、攻撃目標の標定なども行われます。ここで電子妨害を行うならば、一挙に敵無人機を広範囲にわたり制圧可能です。安価さが売りの市販無人機派生技術には、耐妨害能力はない。

 西部方面電子戦隊が来年度にも熊本の健軍駐屯地に創設され、有事の際には島嶼部へ展開し広範囲の通信や無人機の運用を妨害するものと考えられています。人員規模は80名で、同様の装備は北部方面隊直轄の東千歳駐屯地第1電子隊へも配備される。ただ、陸上からの電子妨害には大きな問題があり、この部分はサウジアラビア防衛でも指摘されています。

 電子妨害システムの陸上運用における問題点は、常時電子妨害を行った場合、携帯電話通信網や5G通信を含む移動通信網、テレビ電波や衛星放送からラジオ電波も妨害するほか、GPSを阻害するのですから自動車のカーナビや旅客機の航法にも影響が出ます。実際、サウジアラビアではこの問題が指摘され、広域GPS妨害の電子装備導入に踏切れていません。

 EA-18G電子攻撃機、アメリカ海軍が運用する電子攻撃機ですが、ドローン攻撃への一つの選択肢として、こうした広範囲の電子妨害を行い得る機種の導入も選択肢となるのかもしれません。広範囲の電子妨害を行えば民生被害が大きい、とは前述の通りですが、我が国の場合は幸い国境が洋上であり、日本海や太平洋に東シナ海であれば影響は局限される。

 EA-18G電子攻撃機の名をあえて挙げたのは、平成30年防衛大綱の検討段階で、その導入が真剣に検討された、という事情があります。イージスアショアやF-35Bに即応機動連隊やV-22可動翼機、数多くの優先事項からその導入が防衛大綱に盛り込まれるには至りませんでしたが、サウジアラビアでのドローン攻撃が、その優先度認識を一変させる可能性も。

 このように、低速で小型、長距離飛翔で安価、という複数の無人機の情報が混在し一種の混乱状況に在るのが現状といえます。ただ、日本にとっての無人機の脅威は今に始まったものでなく、優先度は最高度ではないものの対策は検討され続けてきました。極論ではRAMでも簡単に落とせる。過度に慌てる事なく、既存の装備を強化させ過去に検討された装備の冷静な検討が求められましょう。

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航空集団が必要だ!混迷の陸上自衛隊航空部隊再編案【3】高性能と航空機更新サイクル崩壊

2019-09-23 20:10:30 | 防衛・安全保障
■現状は事実上の破綻状態
 厳しい表現となりますが現状の陸上自衛隊航空は破たん状態にあります、観測ヘリコプターの消滅と後を追う対戦車ヘリコプターに進まない多用途ヘリコプター調達が根拠です。

 陸上自衛隊に航空集団が必要である。航空集団によるかつての重厚な方面航空隊の編成、方面ヘリコプター隊にUH-1H/J多用途ヘリコプター20機、対戦車ヘリコプター隊にAH-1S対戦車ヘリコプター16機とOH-6D観測ヘリコプター6機、実に42機ものヘリコプターを集中運用していました。この通り自衛隊では装甲車は不足しても航空機は多数ありました。

 師団飛行隊にはこれとは別にOH-6J/D観測ヘリコプターを運用しており、中央のヘリコプター団と九州沖縄に独立したV-107輸送ヘリコプターを配備しており、とくに中央の第1ヘリコプター団はV-107を40機集中配備、この空輸能力は大変なものでした。自衛隊航空はその後、バブル期など好景気の時期に、非常に野心的な後継機を選定してしまいます。

 OH-6観測ヘリコプターを専用の複合光学監視装置を備え空対空戦闘能力をも有する高性能OH-1観測ヘリコプターの国産開発に成功、OH-1を250機導入し、OH-6観測ヘリコプター180機を置き換える構想が示されます。OH-1がOH-6よりも多数の調達が構想された背景には対戦車ヘリコプターの補完任務が想定や軽対戦車ヘリコプター構想があったとも。

 UH-1H多用途ヘリコプター、陸上自衛隊はここにAH-1S対戦車ヘリコプターと同型エンジンを採用し、整備互換性と出力を強化したUH-1Jの開発に成功、1961年のHU-1B以来一貫してライセンス生産を手がける富士重工により量産が開始されます。しかし、やはり好景気下に、より高性能で航続距離の長いUH-60多用途ヘリコプターを選定しています。

 UH-60JA,一説には100機以上調達する計画だったという、アメリカシコルスキー社製で三菱重工にて航空自衛隊救難ヘリコプター等へライセンス生産された機体へ大きく転換する構想が示されました。AH-1S対戦車ヘリコプターは96機が富士重工によりライセンス生産され、もともとUH-1多用途ヘリコプターの機体構造を大きく応用した機種でありました。

 AH-1S,重要な航空打撃力に位置づけられましたが、その後継機にアメリカ陸軍などが採用し、遠距離打撃力を有するAH-64D戦闘ヘリコプターを62機導入する構想が示されます。AH-64Dを62機、UH-60JAを100機、OH-1を250機の話でしたが。OH-1は試作機含め38機で生産終了、UH-60JAは40機、AH-64Dは13機が調達されただけに過ぎません。

 結局のところ、航空機調達計画の失敗、その背景にはミサイル防衛事業という北朝鮮弾道ミサイル、新しい脅威への対応へ毎年一千数百億円から数千億円という規模の予算を現在の防衛予算枠内から捻出する必要が生じ、結果的に個々の装備調達数が激減、これが量産効果の悪化を招き、ユニットコストあたり上昇に転化、更なる調達数削減と悪循環を招く。

 高性能機種を選定した事により航空機導入計画が全般的に高額なものとなってしまい、これが航空機の旧型機を新型機へ置き換えるサイクルそのものを破綻させてしまった、そして悪い事に高性能機選定と共に財政再建の必要性が高まり、防衛予算は当面数年間という限定した期間で圧縮され、数年後の財政再建を待ち緊縮を続け、結果二十年続いている。

 安価な機種への置き換えという施策は採られるのですが、一旦発動した新型機調達を細々と続けた事で二機種の並行調達、UH-1JとUH-60JAのような事例が生じてしまい、結果的にただでさえ少ない航空機調達予算を複数の機種が撮り合う構図となり機種増大が兵站負担を増大させると共に年間の調達数を更に圧縮し、全体の調達数も減少し続けました。

 航空部隊の再編、早い時期に航空集団を創設するなどの施策を採るべきでしたが、定数割れのまま老朽化用途廃止機の後身が行われず、結果として自然減少が続いた事で、破綻となった、破綻が近いのではなく定数割れの破綻状態が突き付けられているのが現状です。教育体系を含め一端破綻しますと、一からの再構築は考えられるほど簡単ではありません。

 思い切って日本経済が十年単位で年率7%規模の経済成長を実現できるような景気の好転があるならば、防衛費を抜本的に増やすこともできるでしょう。つまり十年間でGDPが倍増するような施策でも有れば、思い切りのよい防衛予算も確保し得るのですが、なかなか少子高齢化が経済成長の足かせをなり、実現しません。無理な予算は特に財政破綻を招く。

 新防衛大綱では対戦車ヘリコプターの減勢を受け入れ、中央での集中運用という可能性、柔軟な運用を提示していました。ただ、その上で最低限、専用の攻撃ヘリコプターか戦闘ヘリコプターは必要であるよう考えるのですが、このほかについて上掲集中運用、方面隊への配置見直しが行われよう。故に航空集団、中央包括運用管理、と施策を提示しました。

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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【04】くらま,観閲式はじまる(2009.10.23)

2019-09-22 20:02:00 | 海上自衛隊 催事
■旗艦-護衛艦あしがら先頭に
 自衛隊観艦式はイージス艦あしがら先頭に陣形を組みいよいよ観閲式へと進みます。

 観艦式、受閲艦艇部隊として旗艦-護衛艦あしがら(DDG-178第2護衛隊群-第2護衛隊)が航行して参りました、受閲艦艇部隊第1群護衛艦はたかぜ(DDG-171第4護衛隊群-第4護衛隊)と護衛艦さわかぜ(DDG-170護衛艦隊直轄艦)等艦艇が続く、小規模でも観艦式です。

 旗艦-護衛艦あしがら(DDG-178第2護衛隊群-第2護衛隊)は護衛艦あたご型二番艦のイージス艦、第1群護衛艦はたかぜ(DDG-171第4護衛隊群-第4護衛隊)はデジタルターターシステム艦で護衛艦さわかぜ(DDG-170護衛艦隊直轄艦)は前型、最後の護衛艦隊旗艦を担う。

 ひゅうが、全通飛行甲板型の艦容が際立ちます、満載排水量19000tという海上自衛隊最大の護衛艦で、はるな後継艦です。そしてこの観艦式が執り行われている、まさにこの時に横浜では二番艦いせ、の建造が進められています。ひゅうが型はこの観艦式が初参加です。

 全通飛行甲板を有する護衛艦は航空機運用中枢艦であると共に指揮統制中枢艦として巨大な通信能力と指揮統制能力を有し、この二年後に発生した東日本大震災にも活躍している。なお、この二か月後、22DDHとして護衛艦いずも型の予算要求が出され、政府が了承へ。

 受閲艦艇部隊第2群護衛艦ひゅうが(DDH-181第1護衛隊群-第1護衛隊)と護衛艦さざなみ(DD-113第4護衛隊群-第8護衛隊)に続いて受閲艦艇部隊第3群護衛艦ゆうばり(DE-227護衛艦隊直轄-第15護衛隊)と護衛艦ゆうべつ(DE-228護衛艦隊直轄-第15護衛隊)が見えた。

 SH-60J/K哨戒ヘリコプターの編隊が上空を飛行しています、航空部隊は続く祝賀飛行にも備える。受閲艦艇部隊第4群潜水艦そうりゅう(SS-501第1潜水隊群-第5潜水隊)も見え始めました、観閲部隊は14ノット、受閲部隊11ノット、彼我かなりの速度で近づいてゆく。

 制形という陣形を整えた観艦式参加部隊は、観閲部隊が三浦半島から富士山へ向かい、観閲付属部隊も並行して航行します。観閲では受閲艦艇部隊が観閲部隊と観閲付属部隊の中間を富士山方向から三浦半島方向へ航行、観閲艦に敬礼を行う、これが観閲式なのですね。

 あしがら。妙高型重巡洋艦足柄を継ぐイージス艦で、2008年3月13日就役の最新鋭艦です。満載排水量10000tと基準排水量7700t、SPY-1Dレーダーによる650km圏内の目標を追い射程100kmのスタンダードSM-2ミサイルを21目標同時対処させ、艦隊防空を担う。

 観艦式当時あしがら艦長は山崎浩一1佐、あたご型護衛艦はこの後に弾道ミサイル防衛対応改修を受け射程1100kmのSM-3を積む。奥を往くのは観閲部隊先導艦として戦闘を進む護衛艦いなづま、艦長田中久行2佐は護衛艦やまぎり艦長経て一回り大きな艦の艦長に。

 イージス艦はSPY-1D多機能レーダーにより得た1100以上の目標情報を脅威順に標定し、21目標に同時対処する。C4Iデータリンクにより各艦の情報は共有され、イージス艦が増えれば増える程、クラウド化した情報処理能力が強みに。奥には警戒艦はつゆき型の姿が。

 受閲艦艇部隊第2群護衛艦ひゅうが(DDH-181第1護衛隊群-第1護衛隊)と護衛艦さざなみ(DD-113第4護衛隊群-第8護衛隊)の姿が。ひゅうが艦長は山田勝規1佐、大型艦を扱うエキスパートとして後の第1輸送隊司令に。護衛艦さざなみ艦長は溝江和彦2佐が務める。

 くらま、あしがら、いなづま。くらま艦長は柏原正俊1佐、柏原艦長はこの時の操艦技術から後々、練習艦隊かしま艦長となります。さざなみ艦長溝江和彦2佐はこの後に1佐昇進と共に観艦式で二隻前を進んでいるイージス艦あしがら艦長を命じられ、不思議な縁だ。

 受閲艦艇部隊第1群護衛艦はたかぜ(DDG-171第4護衛隊群-第4護衛隊)と護衛艦さわかぜ(DDG-170護衛艦隊直轄艦)、はたかぜ艦長は千代野正2佐、さわかぜ艦長は森﨑真司2佐、イージス艦配備前までは二隻のターターシステム艦が艦隊の前後を分けて防空に当った。

 はたかぜ、はたかぜ型1番艦で神風型駆逐艦旗風と米軍供与あさかぜ型護衛艦はたかぜ艦名を継ぐ。基準排水量4600tと満載排水量5900tです。ターターシステムによる艦隊防空を担い、射程38kmのスタンダードSM-1を搭載しています。イージス艦までの過渡期だ。

 こんごう、あしがら。金剛型戦艦金剛の名を継ぎ、ミサイル護衛艦として初めてイージス艦であり山岳名を冠した。こんごう艦長は鍋田智雄1佐、基準排水量7200tと満載排水量9500tで当初は6000t型ミサイル護衛艦として艦名も、ゆきかぜ型が検討されていたという。

 くらま、はたかぜ。1980年代の護衛艦隊を象徴する情景、はたかぜ型は当初4隻が建造予定でしたが、アメリカのイージスシステム日本供与の可能性が海上幕僚長の海軍作戦部長直談判という日本側の熱心な姿勢が通じ目途が就いた事で、こちらは2隻のみの建造へ。

 127mm単装砲Mk42,射程23kmでマウント重量は58tという強力な艦砲、しかし本艦の任務は防空で前方のSPS-52三次元レーダーと後方のOPS-11二次元レーダーを用い、得た脅威情報をMk.11ミサイル発射器から投射するスタンダードミサイルにより任務に活かす。

 さわかぜ、たちかぜ型護衛艦3番艦として建造されましたが、1番艦たちかぜ竣工が1976年であったのに対し、さわかぜ竣工は1983年と期間が空いています。この為、Mk.11発射器は40発の弾庫を有しますが対艦ミサイルの搭載も可能になるなど、部分改良があります。

 くらま、が海上自衛隊最後の蒸気タービン艦として除籍されたのはこの観艦式から後の2016年ですが、くらま竣工は1981年、対して護衛艦さわかぜ竣工は1983年ですので結果的に、さわかぜ、は海上自衛隊が最後に建造した蒸気タービン推進方式の艦となりました。

 護衛艦隊旗艦さわかぜ。峯風型駆逐艦2番艦澤風の名を継ぐ本艦は、あたご就役と共にミサイル護衛艦に余裕が生じ、あきづき、むらくも、たちかぜ、あさかぜ、に続く第五代護衛艦隊旗艦となりました。ただ、指揮官先頭の時代でもないとして、最後の旗艦になる。

 こんごう、さわかぜ、くらま。さわかぜ艦上では登舷礼として乗員が左舷側に整列しています。さわかぜ、受閲部隊と観閲部隊の距離は300ヤード、ゴルフで届く距離だったりします。受閲部隊と受閲付属部隊の距離は800ヤードといい、艦艇のエンジン音が聞こえる。

 ひゅうが。伊勢型戦艦日向の艦名を継承すると共に海上自衛隊護衛艦として初の旧国名、律令制度国名を冠した護衛艦です。計画当時は、護衛艦あかぎ、が有力候補になったといい、航空母艦赤城の艦名を継承する可能性はありました。護衛艦あかぎ、次を待ちたい。

 さざなみ。日本海海戦で活躍した雷型駆逐艦漣と特型で知られる吹雪型駆逐艦漣の名を継承する、たかなみ型護衛艦の4番艦です。むらさめ型は対潜対空装備がMk.41とMk.48VLSに分かれていたのをMk.41に統一し、艦砲を大型化、科員室も大部屋へ大型化したもの。

 ひゅうが。護衛艦は就役から一年程度完熟訓練を行う関係から、この観艦式への参加は就役からまだ半年と少し、という事もあり難しいのではないか、と考えていましたが、新世代を象徴する全通飛行甲板型護衛艦、配備間もない横須賀の護衛艦として参加が実現です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【G3X撮影速報】小松基地航空祭2019.白山ククリヒメに愛される令和元年祭(2019-09-16)

2019-09-21 20:11:02 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■精鋭!飛行教導群イーグル
 小松基地航空祭2019速報の後篇です、一週間とたたず次の台風が接近するとは天候の先は読めないものです。

 小松基地、飛行教導群と第6航空団の基地、ということですが、どうしても飛行教導隊、と言ってしまいます、飛行教導隊を始めてみましたのは新田原基地、相当遠い印象の基地です。当時は鷹取台という基地一望の小高い所から順光撮影し午後から基地へ入りました。

 第6航空団の小松基地、この基地は撮影環境が順光で素晴らしい。浜松基地や新田原基地と岐阜基地メイン会場は全くの逆光で、空は灰色機体は黒く、逆光には泣かされたものでした。しかし、午後から奥の小松空港でも順光の撮影環境となります、太陽は動くのです。

 小松空港、午後から順光になるので在れば、行くしか在りませんよね。とまあ個人的な感想ですが、小松空港は小松空港でおもしろい構図が撮影できます、最たるものは航空祭をやっている小松基地を撮影できる、という部分でしょうか。距離にして5km、移動開始だ。

 航空祭に最適の移動手段は何か、さっき考えたのですが今回はその壮大なテーマで臨みました。丁度大阪の友人がロードレーサーを担いで進出していまして、基地から空港まで5km、どちらが早いか競争、と。当然ロードレーサーに対して徒歩では決まっているようですが。

 空港連絡バス、実は当方には必勝の裏技がありました、基地から2.5kmのところに小松駅と小松空港を結ぶ連絡バスを市バスが運行しているのですね、これを利用するならば駐輪場までの遠さを勘案すれば、徒歩に勝機がある、というとことでしょうか。前に進もう。

 航空祭交通規制、ロードレーサーには軽車両故の交通規制があり、西側の丘陵を大きく迂回して進むことになったという、勝ったな、当方は苦境のメールを受信しつつバス停前に。そしてなにか張り紙が、うむ今日は臨時バス停へ、と。その前を通る30分に一本のバスが。

 基地から空港5kmの旅、要するに地図でバス停の位置だけを確認し、臨時バス停の間違い、数少ないバスを乗り遅れたのです。疲れた、背中にはサンニッパの巨大レンズ、肩には撮影機材一式、手にはストック代わりの一脚、被るボルサリーノ、地面に映る影は登山家だ。

 初秋といいたいところですが気温は晩夏、いや一昔の真夏か。大変でしたがNOSAKAさんという靴屋さんの前でミネラルウォーターを購入できました、パーティー用のポップコーンメーカーを出していて、おまけでキャラメルポップコーンを頂く、これ意外に美味しい。

 NOSAKA靴店、オーダーメイドの靴を一点一点創る、赤煉瓦がクラシックな興味深い靴屋さんです、靴はリーガル、と個人的に大昔からの変なこだわりがあるのですが、オーダーメイド、というのも洒落ていいかも。ポップコーンも塩味かバター醤油以外にもいいかも。

 小松空港到着、1305時、ブルーインパルスの飛行展示には何とか間に合いました、1115時にF15編隊飛行が完了し、そして地上展示航空機を撮影し徒歩で5km、いやバス停を経由したので6km強、よく歩いたものです。ロードレーサーの方が五分ほどはやかったという。

 空港展望デッキからの撮影、ブルーインパルスも撮影できましたが、なにより帰投フライトを撮影することの方が重要でした、帰投フライト、要するに帰るだけなのですが特別とそうのRF4偵察機やF4戦闘機が居ます、基地からでは逆に撮影が難しいのです、何故か。

 日本海追い込み漁、と俗に言われるのですが帰投フライトは航空祭終盤に行われます、基地の隊員さんたちは清掃や整備と警備があるので早めにオキャクサマに帰ってもらいたい、そこで安全ロープを使って徐々に会場の公開区画を狭めてゆくのですね、追い込み漁、と。

 空港から撮影していますと、こうした追い込み漁はありません。空港展望デッキは2000時閉鎖ですので、終電にさえ間に合えば長いこと撮影できます、キャンプ用チェア、総火演はじめ多くの場所で活躍する椅子を組み立てて、じっくり、ファントムを撮影できました。

 ファントム、小松基地はアニメの舞台として有名となりました、今年冬のアニメ、ガーリーエアフォースです。内容については、原作が並んでいましたので併せて購入してみまして、小松へ向かう特急車内でも11巻を読んだ、ライトSFとしておもしろい仕上がりです。

 ガーリーエアフォース聖地巡礼が目的なのか、と問われますと難しいところ、横田基地と小松基地がほぼ同時に航空祭と日米友好祭を執り行う中で小松に行きましたのはガーリーエアフォースの影響でしょうか、BDは全3巻各4話収録、まだ1巻しか買っていませんが。

 489系特急のボンネット車や菟橋神社参拝などを経て九谷焼を今年も探しつつ、楽しい航空祭を終了しました。高性能コンデジG3Xですが、サンニッパと28-300mmの二台体制で臨むと、G3Xは一台のみでして、案外使いにくいのだなあ、というのも今回の教訓です。

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