北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

平成二十年度六月期 陸海空自衛隊主要行事 実施詳報 第一報

2008-05-31 20:20:26 | 北大路機関 広報

■自衛隊関連行事

 本日は諸般の事情で時間が充分ではなく、第一報として6月1日実施予定の主要行事のみを掲載したい。

Img_6968_1  私事ながら、五月下旬は本当に時間が無く、具体的に言うと地下鉄で一本の大久保駐屯地祭や奈良基地祭(烏丸線から近鉄乗り入れの急行奈良行きが出てる)に行けなかったほど。千僧駐屯地祭の写真整理も終わったばかりということで、CD-R発送とか、月曜日になりそう。ううむ、しかし、まあ、目処は多少ついたわけで、これからは第二段階ですよ、という内輪の状況。年末の最多忙期はどうなることやら・・・。

Img_5216  さて、六月一日。防府北基地では航空祭が行われるとのこと。T-7練習機の教育訓練部隊なのだが、同じ基地に陸上自衛隊の防府分屯地があって、第13旅団のヘリ部隊がいるということから毎年戦車試乗を行ってるらしい。また、九州や四国から海自の練習機など、珍しい機体が地上展示に加わるとのこと。

Img_0194_1  陸自駐屯地祭関連では、第9師団創立46周年・青森駐屯地創設57周年記念行事が行われる。師団は近年、短SAM-Cや軽装甲機動車などの新装備を受領し、急速に近代化を進めているとのこと。津軽・青函地区という、北海道島と本州島を結ぶ要衝を防衛する第9師団は、冷戦期において北部方面隊に準じてその装備近代化が優先されていたが、冷戦後は他の師団と比べても装備近代化では遅れがあったとされる、なお、2009年度に即応近代化師団に改編が計画されている。

Img_6910  機甲部隊関連行事としては、北海道の鹿追駐屯地祭が挙げられる。90式戦車を装備した戦車隊で、第5師団(旅団改編前)HPによれば、戦車大隊から戦車隊への改編に際して90式戦車20両を受領したとあった。広報ポスターによれば模擬戦や空挺降下なども行われるとの事。

Img_0863  普通科部隊関連でも、名寄駐屯地祭は注目だ。道北を防衛する第2師団は機械化師団といっても過言ではない強力な装備を有しており、最北の普通科部隊として知られる名寄の第3普通科連隊は四個中隊を96式装輪装甲車により充足させており、対戦車中隊、重迫撃砲中隊も有する強力な普通科連隊である。ただ、京都はじめ、本州からかなり距離があるのが難点。寝台特急『日本海』が函館まで延長運転してて、ゴロンとシートかレガートシートでもあれば良いんだけど・・・、新日本海フェリーは時間掛かるし・・。

Img_6457  航空機関連の行事としてはもうひとつ、九州の大村航空基地祭が挙げられる。ヘリコプターの体験搭乗も予定されているとのことで、海に面していることから交通船の試乗も行われるとの事。私事ながら、十年ほど前に、大村航空基地の隣でカステラの工場直売っぽいところで買い物した記憶が、シーホークの列機も撮ったんだけど、写真が出てこない・・・。

Img_4897  レーダーサイト関連。笠取山分屯基地祭については昨日既報であるが、バスが満員の場合は乗車できないこともあるとの事。リンク先にはバスの時刻表も掲載されているので、充分確認の上、時間に余裕をもってお出掛け下さい。なお、福島県の大滝根分屯基地でも開庁記念行事が行われ、飛行展示、救難展示、訓練展示が行われるとの事。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

  1. 六月一日(陸上自衛隊):名寄駐屯地創設55周年記念行事(北海道名寄市)・・・最北の普通科連隊として厳しい道北の気候と対岸からの圧力が育てた陸自有数の精鋭部隊、3普連が駐屯。96式装輪装甲車多数を運用。
  2. 六月一日(陸上自衛隊):鹿追駐屯地創立51周年記念行事(北海道鹿追町)・・・第5旅団隷下の第5戦車隊が駐屯。戦車隊とは、旅団改編とともに、74式戦車中心の戦車大隊から90式戦車を中心とした戦車隊に縮小改編した際の名称。
  3. 六月一日(陸上自衛隊):第9師団創設46周年記念行事・青森駐屯地祭(青森県青森市)・・・師団駐屯地祭。東北地方北部の防衛警備及び災害派遣を担当する第9師団の記念行事。記念式典、観閲行進、訓練展示、装備品展示などを予定。
  4. 六月一日(航空自衛隊):大滝根山分屯基地開庁記念行事(福島県川内村)・・・第27警戒群のレーダーサイト。装備品展示のほか、近接戦闘の訓練展示も予定。
  5. 六月一日(陸上自衛隊):第1教育団創立49周年記念行事・武山駐屯地祭(神奈川県横須賀市)・・・東部方面隊の新隊員教育を一手に引き受ける第1教育団の創立記念行事、なお武山駐屯地創立50周年記念行事は8月に予定。
  6. 六月一日(海上自衛隊):横須賀基地砕氷艦しらせ一般公開(神奈川県横須賀市)・・・いよいよ除籍が近付く“しらせ”一般公開。
  7. 六月一日(航空自衛隊):笠取山分屯基地開庁記念行事(三重県津市)・・・第1警戒群の運用するレーダーサイト。霧で有名だが、昨年は救難飛行の展示を実施できた程度の天候。バスが満席の場合はお乗りできないことがあります、とのこと。
  8. 六月一日(航空自衛隊):防府北基地航空祭(山口県防府市)・・・T-7練習機を運用する第12飛行教育団が展開する航空基地。陸上自衛隊第13飛行隊のヘリ部隊も駐屯している関係で戦車試乗なども例年行われる。
  9. 六月一日(海上自衛隊):大村航空基地・第22航空群創設記念行事(長崎県大村市)・・・SH-60kやSH-60Jを運用する第22航空群の創設記念行事。蛇足ながら基地の隣のカステラ屋、まだあるのかな・・・。

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関

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第1警戒群 笠取山分屯基地創設記念行事へのご案内

2008-05-30 21:24:59 | 航空自衛隊 装備名鑑

■笠取山分屯基地祭(開庁52周年記念行事)

 6月1日、つまり今週の日曜日といえば防府基地航空祭など様々な行事が行われるのだが自衛隊関連行事というWeblog北大路機関の“本来業務”に依拠して、展開写真紹介を通じて笠取山分屯基地祭の行事を紹介したい。

Img_4901  三重県の近鉄久居駅からバスにて移動する笠取山。ここには航空自衛隊のレーダーサイトが置かれている。このレーダーサイトは第1警戒群が運用しており、28個のレーダーサイトによる防空監視部隊のなかでも第1、とつく部隊なので注目されるのやも。航空自衛隊の部隊改編で、警戒群の幾つかは警戒隊に縮小改編されているが、警戒群の編成を維持している部隊も幾つかある。

Img_4873  航空自衛隊の基地ということで滑走路と管制塔に格納庫、というイメージをもたれる方も多いかもしれないが、レーダーサイトである笠取山分屯基地にはそういった設備はなく、他方、レドームや情報伝送用アンテナ、そして山間部の基地ならではの様々な装備が置かれており、広い基地を散策すると興味深いものも多くみることができる。

Img_4883  今回紹介している写真は二年前の開庁50周年記念行事における写真であるが、その際には近傍の白山分屯基地から装備品展示のためにペトリオットミサイルが展開していた。訓練展示として、ペトリオットミサイルの再装填展示などが行われており、毎日何度も行われている為、その都度別のアングルから撮影することも出来た。

Img_7204  今年の笠取山分屯基地祭では、広報の発表によればT-4練習機とAH-1S対戦車ヘリコプターによる日荒天時が予定されている。AH-1Sに関しては3回ほど飛行展示を行うとの事で期待したい、近傍の明野駐屯地から飛来すると思われる(T-4は、浜松基地からリモートで参加、もしかしたら岐阜の機体が来るのかも)。

Img_9092  笠取山分屯基地は、レーダーにより遠くまでを防空監視する為に山頂に設けられている。また、レドームや関連施設は有事の際の攻撃や電波干渉を想定して距離をおいて配置されているのだが、会場から歩いて行く事が出来る山頂はヘリポートになっている。その途上、防雪地下通路や巨大なパラボラアンテナなど、秘密基地っぽいものもみられる。なお、50周年の際にはこの山頂以外、携帯電話が繋がらなかった。厳しい環境なのだ(自販機も見当たらなかったような)。

Img_4932  飛行展示、変換ミスをすると非荒天時。荒天とはいかないが、この笠取山分屯基地は濃霧で有名だ。朝雲新聞社の『航空自衛隊の50年』をみると1958年7月15日の米軍からの移管行事でも、濃霧の中で行事が行われている様子が写されている。ただ、数ページの先には晴れた同日の様子が出ていて、天候が頻繁に替わる様子が見て取れる。

Img_4853  50周年祭の際には、式典会場へは、笠取山分屯基地から近鉄久居駅まで無料のシャトルバスが運行されている。久居駅→久居駐屯地(駐車場もある)→AUホテル→一本松→オークワ市営住宅口→栗葉小学校→湯の瀬入り口→笠取山分屯基地まで、一時間に一本の間隔で運行されていた。所要時間は久居駅から1時間25分、ただ、車内では航空自衛隊の広報ビデオなどが上映されており、けっこう面白い。

Img_4881  レーダーサイト、それは航空自衛隊の最前線にある任務地である。来場者は少なく、人口密度も低い。飛行展示などは天候に左右され、数としても決して多くは無いのだが興味深い点も幾つかある、お勧めの行事だ(情報として航空自衛隊公式HPなどもご参考にどうぞ、なお、あくまで今回の笠取山分屯基地祭に関する写真は50周年祭における写真から作成したものです)。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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中国四川省へ国際緊急人道支援任務 航空自衛隊C-130H輸送機派遣

2008-05-29 13:55:39 | 国際・政治

■中国へ航空自衛隊輸送機派遣を検討

 犠牲者が刻一刻と増加する中国四川省地震災害、家屋倒壊も多数に上った中国では、テントの不足が深刻化しており、中国側の自衛隊機による物資輸送の要請を受け、政府は航空自衛隊のC-130H輸送機の派遣を検討しているとの事(私事ながら超絶多忙な中で一筆)。

Img_8109  国際緊急援助隊派遣法に基づく派遣となるが、中国国内への自衛隊機派遣は、航空自衛隊の政府専用機を除けば初めてのこととなる。現在、派遣が検討中と報じられるC-130H輸送機(昨夜の時点ではチャーター機による輸送も検討されていた)は、自衛隊の保有するテントや毛布などの物資を搭載し、北京や成都に輸送するとされ、被災地への直接輸送任務には充てられない模様。

Img_4439  正直なところ、成都といえば第二次世界大戦中はB29の発進基地として用いられた場所であり、相応の反日感情があるのでは、と一瞬頭をよぎったのだが、レスキュー隊を中心とした国際緊急援助隊救助チームや医療関係者を中心とした国際緊急援助隊医療チームは現地で歓迎され、任務を遂行、または遂行中である。

Img_9535  今回、輸送する物資は、自衛隊が全国で備蓄中の天幕や毛布、これには民間のものも含まれるとされる。新聞報道では言及されていないようだが、一応天幕は需品器材として防衛装備にあたる。これは、ややもすれば武器輸出三原則に示された“防衛装備の共産圏供与”という内容になる。一応、そのまま供与は問題があるということから、外務省の国際協力機構(JICA)に送り、JICAが送るというかたちを採る。本来は、緊急援助物資はJICAが備蓄しているのだが、ミャンマーサイクロン被害に伴う供与により、在庫が品薄となっていたため自衛隊の装備品を物資として引き渡すこととなった。

Img_4330 中国側の支援要請の背景については色々とみることができる。輸送機そのものについてならば日本のC-130に対応するA12輸送機派生型が多数あり、イリューシンI?76も14機(更に34機の増強予定)があるわけで、稼働率が相当低いのか、それとも日本との信頼を醸成するという政治的意図があるのかは微妙なところだ。

Img_3054  政治的意図と記したのは、北京、成都までの輸送を要請しているということで、2005年のパキスタン地震における山間部への陸上自衛隊ヘリコプター派遣のような、被災地への直接支援は行わないと、現時点では報道されている。しかし、被災地への直接支援が目下緊急の課題であり、これは中国側の面子の問題があるのか、それとも派遣自体が目的なのかが分かれるところ(まあ、米軍のC-17が成都に派遣されている報道をみると前者の方が可能性は高い)。

Img_9471  今回の中国側の要請では、人的支援の要請は行われなかった。四川省の震災を教訓として、日米中(場合によっては六カ国協議参加国)の合同防災演習を今後実施の方向で検討し、補完的地域機構として、若しくは信頼醸成措置の一環として検討しては、と考えたりもする(防災演習が憲法上行使が禁止されている集団的自衛権行使にあたるかは微妙な問題ではあるが)。

Img_3048  四川省地震の被害は、犠牲者以外にも被災者や経済的損失を加えれば天文学的な被害額を残す、文字通り中華人民共和国建国以来の激甚災害という位置づけであるが、他方で、負傷者の搬送能力や耐震強度、災害派遣に関する技術の限界など人民解放軍の限界を示す結果ともなった。こうした中で、昨日の自衛隊派遣要請という異例の事態となった訳である。

HARUNA

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GOOD BYE USS KITTY HAWK CV-63 1998~2008

2008-05-28 12:43:39 | 防衛・安全保障

■空母キティーホーク、横須賀から最後の出港

 日本海海戦を記念する海軍記念日翌日にあたる今日、1998年から今日までの間、アメリカ海軍横須賀海軍施設に前方展開していた空母キティーホークが除籍のために日本を離れた。

Img_0987  空母『キティーホーク』は、横須賀に前方展開する航空母艦としては『ミッドウェー』『インディペンデンス』に続き三隻目にあたる。同艦はパールハーバーにおいて『インディペンデンス』より装備人員の移駐を受け、1998年8月11日に横須賀基地へ入港、以来、9.11同時多発テロに伴うアフガニスタン空爆、2003年のイラク戦争への参加を筆頭として北東アジア地域におけるアメリカ海軍の最大限のプレゼンスとして君臨し続けた。

Img_0988_1  1961年に就役した『キティーホーク』は、艦齢延長工事とともに近代化を重ね、世代とともに艦載機も一新。巨大な空母の船体は、F-4,A-6,A-7,A-8等からF-14、F/A-18、そして今日のF/A-18Eに至るまでの航空機の近代化にも対応し、想定される最大限の脅威に対しても対応する能力を保持し続けた。

Img_1066_1  満載排水量81123㌧、全長は323.6㍍にも達し、イージス艦や原子力潜水艦より成る空母機動部隊の作戦能力は中小国の空軍力や中堅国の海軍力を遥かに凌駕する規模を誇る(GEORGE WILSONの著書『SUPER CARRIER』によれば、アメリカ海軍の航空母艦はあまりもの人員と装備規模から、空母艦長には経営学修士号や経済学博士号をもつ海軍軍人が優先されるとのこと)。

Img_1131  国際政治の観点から国際経済、更には国際金融の観点などからも、アメリカや世界にとっては北東アジア地域の安定は重要な課題であり、これは冷戦中から今日、そして見通せる限りの将来にわたっても不変の命題である。航空母艦の前方展開が有する意味は、アメリカ海軍の航空母艦勢力が冷戦以後減少を辿っていることからもポテンシャルが高まっていることを示しており、同時に良好な日米関係の象徴ともいえる存在である。

HARUNA

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これも“ゆるキャラ”!? 航空自衛隊小松基地航空祭成功の影にハレテル君

2008-05-27 15:00:29 | 航空自衛隊 装備名鑑

■小松気象隊『ハレテル』くん

 本日、多忙につき、昨日の記事の関係。雨天と自衛隊関連行事という特集で、まあ、降ったり止んだりの一喜一憂、毒にも薬にもならない記事、そんな中の一行を補完する本日。

Img_1987  小松基地航空祭は、毎年なんやかやいわれて悪天候が危惧されていても、いざ航空祭を開始してみると、あんがいあっさりと天候が回復し始める、これは小松マジックということで航空愛好家の間ではそれなりに有名らしい。今回くらいは小松マジックも・・・、とおもわれた昨年も一昨年も、ブルーインパルス飛行展示まで予定通り実施。気象が短時間で激変する日本海側の小松基地は、来場者に嬉しい激変を供してくれるわけだ。

Img_1841_1  小松基地航空祭が天候に恵まれる背景には、巨大照る照る坊主の貢献!?!?的な記事を昨日掲載しているけれども、これは、よくみたら小松気象隊の“ハレテル”君という立派なキャラクターであることが判明した。つまり、小松基地発の“ゆるキャラ”だったのだ。こういったキャラクターでは『中の人大変だなぁ~』『中の人などいないッ!』というやり取りがあるが、“ハレテル”君については、中の人は本当にいないっぽい。

Img_2189  “ハレテル”君は、スカイブルーのスカーフを身につけ、爽やかな笑顔を振りまいている。案外、これは小松基地航空祭でストラップにして売り出せば、他の航空祭でも晴天を願う航空愛好家の間でも好評&必携になるのでは、と思ったりする。この“ハレテル”君について、2007年の航空祭で初めて小生気付いたのだけれども、他の年度の小松基地航空祭でも頑張ってるのだろうか、もしご存知の方がいらしたらご教授いただければ幸い。

HARUNA

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ありがとう Weblog北大路機関アクセス解析開始より45万アクセス突破

2008-05-26 18:35:48 | 北大路機関特別企画

■荒天時の自衛隊公式行事

 本日1700時の時点で458489アクセス、45万アクセス突破記念としてはやや遅れた印象だが、多忙ゆえ、ご容赦の程を。改めまして、多くのアクセス、本当にありがとうございます。さて、今回の特集は悪天候の際の自衛隊公式行事。

Img_7577  晴れ渡った空に描かれる純白の航跡、岐阜基地航空祭におけるブルーインパルス飛行展示。雲ひとつ無い大空に描かれるスモークは、晴天の航空祭ならではのもので、航空祭を天気が祝っているというべき天候だ。航空祭のみならず、海上自衛隊の展示訓練や陸上自衛隊の駐屯地祭、パレードなど、やはり式典は晴れが良い。一方で、降水量は世界でも上位に位置する日本、農業や工業用水には恵みの雨ではあるけれども、やはり式典上空だけは青空を期待したくなってしまう次第。

Img_2202_1  日曜日の大久保駐屯地祭、写真は50周年の行事の様子。別に当方は雨天予報で行かなかったのではなく、単に“本業”が忙しかったことで、楽しみにしていた奈良も大久保も行くことができなかったのだが、予定通りに実施されたとのこと。一方、先日の大津も含め雨天予報で断念された方も多いのではないか。

Img_0713  陸上自衛隊今津駐屯地祭。二個戦車大隊が駐屯する滋賀県湖北の駐屯地祭として定評がある。近年、速達性能やメーカーの新開発シフト、そして小生の場合いちばん大きいのだが現像料の関係でデジタル一眼レフカメラに移行している。他方で、これはフィルム式カメラよりも雨天の水滴に弱いという脆弱性を有している。これは、カメラ自体の電子部品が増加した点と、映像を映すCCD素子が水に弱いという構造的な点に起因する。

Img_0911  デジタル一眼レフを手に構えつつ、天気予報ではほぼ確実に雨天、というか、すぐ北の福井県には大雨洪水警報が出始めている中で焦燥感とともに撮影を続けていたが、天佑と神助というべきか、訓練展示の模擬戦終了まで雨滴が降らなかったことだが、その後、装備品展示のためにAH-1Sが駐屯地に着陸する頃にはこの通り。この写真は車両整備施設の縁で雨宿りしつつ撮影したもの。蛇足ながら、このとき並んで撮影していたのが、C.ジョニー氏、T氏、文明氏一行で、このとき初対面、雑談とかしていた。

Img_6359_1  写真は2007年の豊川駐屯地祭。台風接近下という状況。式典に向かうべく乗り換えた名鉄電車の車窓には雨が叩きつける。これほどの雨ならば、ということで電話にて確認してみると「晴天行事を予定しています」、と。なるほど、このくらいの雨だと晴天行事になるのも仕方ないか・・・、え?晴天?・・・、ホント?と。疑心暗鬼で展開してみると物凄い降水量ではあるのだが、本当に式典は予定通りと進められた。

Img_6376  チェストリグのようにカメラバックを胸に撒きつけて、ここに傘をさしてみると両手が空く。スタンド席では傘は後ろの人に迷惑になるので、一通り部隊集結や式典の様子を撮影した後、スタンド席を降り撮影を続行。確かに、靴とズボンの下は濡れてしまったが、カメラ機材は問題無かった。戦闘職種の部隊が駐屯しているということで、観閲行進から訓練展示まで全て実施、傘がさせれば、問題は無かったりすることも。

Img_6766  傘が使えないこともある。代表的な事例は富士総合火力演習。スタンド席最上段はともかくとして、特にゴザ席は後ろの人の視界を完全に塞いでしまうので合羽やポンチョ、もしくは気合で頑張るしかない。霊峰といわれるだけあり富士は天候が変わりやすいことでも有名、富士学校の人は、ああ、アノ雲が出てるってことは30分以内に・・・、と不穏な会話をしていたりする。カメラレインコートを被せるか、もしくはビニールで自衛手段を講じる。

Img_2796  物理的に傘がさせないことがある。2006年の東千歳駐屯地祭がそうだった。理由は突風。中止にならなかったのが不思議なくらいであるが、機甲部隊に雨天中止はないというような印象。豪雨を蹴散らしての精強な様子が撮影出来たが、カメラには・・・。実は小生のカメラもこの時は大丈夫だったのだが、一ヵ月半後に修理行きとなった。

Img_2851  雨天でも、雨天式典会場にて実施されることがある。2007年の桂駐屯地祭では、物凄い雨天ではあったものの、雨天会場として補給処ならではの巨大倉庫を利用した。中部方面後方支援隊が駐屯している駐屯地であるが、これは1942年に建築された倉庫。現在の建築基準法では建築できないほどの大きな建築物であり、気になっていたのだが、一度みてみたいという、つまり中に足を入れることが適った訳だ。

Img_3014  雨天会場で実施する事例は、日曜日の大宮駐屯地祭なんかもそうだったようだ。桂駐屯地祭は、広い会場のお陰で見学者もゆったりと珍しい倉庫での駐屯地祭を楽しめたが、大宮駐屯地祭の雨天会場は面積に限界もあったといいことで入場制限が行われたとのこと。2004年度の木更津駐屯地祭も式典は屋内会場(格納庫)で実施(祝賀飛行や機動飛行は実施)されている。

Img_3289  雨天から転じて、当日に晴天となっても、実は駐屯地祭を行う実施部隊は大変なのだ。グラウンドに水溜りがあると、式典には支障となるのだが、ここで驚いた話がある。隊員さんから聞かせてもらったのだが、グラウンドの水溜りは可能な限り、バケツとスポンジを駆使して水溜りを排除するとのこと。横一列になって水溜りを取り除くという発想には驚かされた次第。

Img_3644_2  晴天であっても、油断できない。気持ちの良い朝と共に式典を行っているのは2005年の守山駐屯地祭。第10師団創立記念行事であるが、この日は、記載したようにやや雲はあるものの晴天で、前に展開の今津駐屯地祭と比べれば駐屯地祭日和の天候であった。伊丹駐屯地祭(中部方面隊創立記念行事)の規模よりも、観閲行進に参加する車両が多彩であり、まだ第3師団に軽装甲機動車が1輌も導入されていなかったこともあり、期待は膨らむ。

Img_3759   しかしながら、観閲行進準備の号令が掛かる頃には雲が空を覆い、文字通り傘一色のスタンド席。高機動車、軽装甲機動車、各種ミサイルに低空レーダー、対砲レーダーなどの各種レーダー、特科火砲、対空対戦車ミサイルなどの各種ミサイル、そして施設器材、戦車などが雨天の中を行進する。

Img_3911  雨天の観閲行進なのだが、なんと訓練展示の模擬戦、状況開始の喇叭が響き渡る頃には天候は回復した。期せずして訓練展示会場となったグラウンドは雨に濡れた状況にあり、戦車や装甲車が走り回っても土煙や砂埃が立つことはなかった。雨天ということで、がっかりして帰路につく方もみえたが、場合によっては天候が回復することもあるのだ。

Img_4859  悪天候の影響をもろにうけるのは航空祭。2005年の岐阜基地航空祭はその典型のような事例。カメラに水が入ったという話も聞くが、天候が悪いと飛行展示は不可能となってしまう。T-1,T-2練習機最後の航空祭ということで、最後まで会場に踏みとどまるも、一部の救難展示や機動飛行が行われるだけに留まっていた。気持ちは会場の皆さん一緒で、風速を計る吹流しを見守っていた次第。

Img_1818  ただし、天候は変わりやすいのだけれども、逆も然りで、小松基地航空祭なんかは、毎年のように雨天の予報が出されているのだけれども、天候が回復し、最後には青空が顔をのぞかせるという機会がある。これだけは運次第なんだなあ、と思ったりする。なお、小松基地航空祭では巨大照る照る坊主が会場を見守っている。御利益というべきか、皆さんを見かけられたら手を合わせることをお薦めする。

Img_6954  天候不順が致命的な影響を及ぼすのは体験航海や展示訓練。この場合、安全を考えて中止される。場合によっては基地ではない港湾で実施される際に入港もしないことがある。また、実施当日が快晴でも展示訓練の場合は、2007年の呉地方隊展示訓練のように前日の予行が出来なかった場合、二日間のうち、第一日を予行にあてることで結果的に中止されるということもあり得る訳だ。

HARUNA

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福田総理大臣 クラスター爆弾規制(オスロプロセス)について前向き

2008-05-25 22:44:30 | 国際・政治

■クラスター爆弾禁止レジーム

 5月23日、公明党の浜四津代表代行が不発弾などの発生が多く人道上問題があるとされるクラスター爆弾について規制を要請し、福田総理は前向きな考えを示したと報道された。

Img_1862  クラスター爆弾は、多数の子弾を爆弾内部に収蔵し、目標周辺で散布、主に機甲部隊の上部や露出した人員などに有効な打撃を与える目的で装備されている。航空自衛隊もクラスター爆弾としてCBU-87を運用しており、有事の際の海岸堡無力化や大規模直接侵攻などに際しての近接航空支援、また明確に意思表示されていないが、ある種の策源地攻撃などに対しても制圧面積が従来の爆弾よりも大きいことから運用が期待される。

Img_1884  クラスター爆弾はその構造上、不発弾の発生が多いことから非人道兵器であるとされ(ハーグ陸戦条約に基づく視点からは、即死しない兵器は非人道的、ジュネーヴ文民保護条約の観点からは不発弾による文民への不随被害が抵触する可能性がある、非常にどうでもいいが、軍事目標に対してのみ行使される核兵器、例えば砂漠中の軍隊とか、潜水艦に対する核爆雷なんかは、即死する分人道的っていう議論も国際法の世界では過去にあった)、オスロプロセスとして規制への試みが続けられている。

Img_3684_1   ここで思い出されるのは、対人地雷全廃条約、いわゆるオタワプロセスである。この合意形成過程において、日本政府代表は、日本は専守防衛であり武器輸出三原則に基づき人員を殺傷する兵器の輸出を禁止している、他国国土への地雷敷設及び対人地雷の輸出を行う可能性は無く、他方、限られた人員により広大な海岸線を防衛する観点から対人地雷は不可欠な装備であるとして、反対した。これは各国間にも充分な説得力がある一方で、先進各国の足並みを揃える為にも日本の加盟は重要であり、議論は難航した。

Img_6858_1 結局のところ、日本は代替装備の調達などを条件として国内的合意を見たが、実態は、対人地雷の代替となる管制式地雷(指向性散弾地雷)の装備化は予算の問題から防衛庁(当時)が必要とする数量よりも遥か少ない規模に留まり、今日に至る。クラスター爆弾に関しても、BAT(移動目標に対して誘導可能)やJDAM(定点に対するGPS誘導)、若しくはマーベリックミサイルのような精密誘導爆弾により代替は不可能では無いが、対人地雷全廃の際の“事例”がある。

Img_9295  また、MLRSも主力ロケットであるM26は子弾散布式であるため規制対象となる。野戦特科火力の新防衛大綱画定に伴う削減への能力維持を期して導入された03式多目的155㍉弾は従来のM-107榴弾の長径45×短径30㍍の面制圧能力に対して100×100㍍(米軍が運用する同種のM482A1の参考値)の制圧が可能であるのだが、これも規制の対象となり得る。この場合、例えば航空打撃力の増強、もしくは従来火砲数の増強、新型のロケット弾開発などが必要となり得るが、どれも莫大な費用投下、若しくは非現実的な国土防衛の部分的放棄という選択肢を迫られる。

Img_0564  日本の防衛大綱は、冷戦終結後、様々な模索とともに周辺国の軍事力増強とは対照的に装備定数の削減を行ってきた。付け加えて、武器輸出三原則の拡大解釈により、基本的に人員を直接殺傷し得るものについては輸出を禁じてきた。また、憲法9条に基づく集団的自衛権行使の否認を盾に諸外国との軍事的交流の道を制限し、内向的な防衛力整備を行った訳であるが、こうした政策展開の国際的な事業評価や国益への反映について、数値的な報告を、自分は見た事が無い(存在するならばご教授いただければ幸い)。

Img_7425  いわば、対人地雷全廃に関するオタワプロセス、そして今回のクラスター爆弾規制に関するオスロプロセスでは、これを国内問題化し、代替装備も問題から国際協調と軍事安全保障の相関性まで、安全保障政策の在り方を見直す機会ともなり得るのだが、これを怠れば、それ以前に平和主義という看板を幾つか掲げることで、必要な議論を忌避してきた付を、将来的に強いられる結果になるのかもしれない。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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アメリカ海軍 空母ジョージワシントン火災と空母キティーホーク維持

2008-05-24 19:25:21 | 国際・政治

■航空母艦『ジョージワシントン』で5月22日、火災事故

 報道などによれば、8月に横須賀基地配備となる原子力航空母艦『ジョージワシントン』(1992年就役、満載排水量102000㌧)が、太平洋上において火災事故を起こしていたことが発表された。ジョージワシントンの火災事故は軽微なもので、原子炉区画などには影響無いとのこと。

Img_0992_1  事故は22日0750時(現地時間)頃、ノーフォーク海軍基地を4月に出港した同艦は、南米沖の太平洋を太平洋岸のサンディエゴ海軍基地に向けて航行中に艦尾の空調・冷凍区画から火災が発生、消火には数時間を要し、1名が火傷を負い、23名が消火作業中のヒートストレスにより手当てを受けたとのこと。事故発生時には、随伴するフリゲイトに対して洋上補給を実施していたが、被害は無いとのこと。『ジョージワシントン』は、真珠湾で日本に前方展開中の『キティーホーク』と交代式を行い、横須賀海軍施設に向かう予定。デビット・ダイクオフ艦長によれば、ダメージコントロールは有効に機能したとのこと。

Img_1056_1  米海軍の航空母艦には、飛行甲板、そしてその一層下に居住区を挟んで航空機格納庫と艦尾にエンジン整備区画など、その下層にも二層の居住区があり、その下の水線よりも下の区画には機関区間などを内蔵しており、その後部は電子機器などの修理や機関管理を行う作業場が配置されている(参考:世界の艦船536号)。火災は、後部の居住区に影響を与えたという報道があるので、報道を信じれば水線より上の区間で発生したと考えられる。ニミッツ級空母には、最大で2900㌧の弾薬搭載能力があり、航空燃料1320万?と原子炉2基を搭載している(参考:世界の艦船600号)が、報道写真などをみると一層上の航空機格納庫が煙に霞んでおり、消火活動を終了した消火要員が撤収している様子が写っている(ただし、報道によれば、今回の航海では3200名が乗り組んでいると報道、乗員は航空関係要員を含め5900~6000名とされるので、弾薬や航空燃料の搭載は、あくまで最大搭載量として参考までに掲載した)。他方、誘爆防止のスプリンクラーを作動させた形跡などは無いため、火災規模はそこまで大きくなかったということが見て取れる。

Img_0977_1  航空母艦で火災、しかも原子力推進方式ということで、日本のマスメディアでは横須賀配備途上の航海中ということも併せて否定的な報道が為されている。他方で、原子力航空母艦を含むアメリカ海軍航空母艦は第二次世界大戦の戦訓から消火作業の能力が重視されており、可燃物である航空燃料は艦底の貯蔵庫から飛行甲板までの導管が艦外に導設され、着艦失敗に伴う航空火災なども想定している米海軍航空母艦が火災で大きな損害を被ることは可能性として非常に低い点を留意しておきたい。

■空母キティーホーク 米本土配置後も現役に?

 ジョージワシントンと交代するかたちで、除籍されるとみられていた通常動力空母キティーホークに関する話題。

Img_1173  星条旗紙(米軍の機関紙)によれば、原子力空母『エンタープライズ』が炉心交換などで長期整備に入る2012年以降数年、アメリカ海軍の航空母艦勢力が現行の11隻から10隻に減少する可能性があり、米海軍全般の任務遂行能力維持の観点から問題があるとして、『キティーホーク』を維持した場合のコストについて、アメリカ下院の軍事委員会が調査を行うことに承認していたとのこと。

Img_1107  『キティーホーク』は1961年4月に就役しており、艦齢延長工事(SLEP)も限界に達しているとの指摘があるが、『エンタープライズ』も就役が1961年11月であることから、艦齢の延長は必ずしも不可能では無いともいえる(ただし、十数年に一度、数年間の炉心整備に伴い任務から外れる原子力空母と、一年程度の整備で現役に戻り稼動状態を続ける通常動力空母を同列に論じるには、一考の余地があるかもしれない)。なお、米海軍では、『キティーホーク』に関して予定通り除籍するとしている。

HARUNA

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京都 梅小路蒸気機関車館(UMEKOJI SL Museum)

2008-05-23 18:14:50 | 写真

■京都の鉄道博物館

 京都駅から北大路へ向かう205系統バスに乗車し数分、嵯峨野山陰線の高架がみえてくる頃、梅小路公園前というバス停、バス停を降りて順路を進むと、そこには梅小路蒸気機関車館が威風堂々の姿をみせる。

Img_1149  C61蒸気機関車『スチーム』号の背景には東海道本線新快速の223系が姫路に向かって京都駅を発車してゆく。時折聞こえる轟音は嵯峨野山陰線の列車である。ここ梅小路蒸気機関車館は、梅小路機関区をそのまま蒸気機関車とともに博物館としたもので、蒸気機関車を軸として成熟に向かった日本鉄道史の基礎固めまでの道のりを学ぶ絶好の博物館である。

Img_1163  今回、この梅小路蒸気機関車館に足を運んだのは、20日に発表されたJR東海の新幹線博物館建設決定の報に接してのもので、言い換えればちょうど空いた午後の二時間という時間を有効利用するには、久々に梅小路にでも行ってみよう、という単純な理由からである。

Img_1184  梅小路蒸気機関車館は、扇型車庫と転車台からなる機関車展示区、そして日本最古の木造駅舎として知られる旧二条駅の駅舎を移転したものからなり、実に18両もの蒸気機関車を展示する梅小路蒸気機関車館、ここは1972年から蒸気機関車館として公開されている。しかし、同時に隣には車両基地として山陰線の車両やディーゼル機関車などが待機しており、前述のように在来線の他、東海道新幹線の高架もみることができる。

Img_1114  京都駅から程近いこの梅小路蒸気機関車館に対して、2011年に名古屋にて開業予定の新幹線博物館“JR東海博物館”は、名古屋駅から、あおなみ線で結ばれる名古屋港金城埠頭に建設される予定で、総工費は55億円、36両の車両を展示する構想とのこと。

Img_1110  梅小路蒸気機関車館が蒸気機関車の動態保存を行っている、例えば“SL北びわこ”号や“SLやまぐち”号の機関車もここで整備が行われている。それならば、JR東海博物館も新幹線の動態保存を、と期待してしまうが、名古屋駅や新幹線路線からかなり距離があることで、実質的に不可能といえるかもしれない(個人的には最高営業運転速度300km/hを実現したJR西日本の500系が展示されるかが気になるところだが、無理かも)。

Img_1126  毎日、構内の路線を利用して運転しているSLスチーム号。乗車には400円の入場券の他に200円(子供150円)の乗車整理券を購入する必要があるが、1100時、1330時、1530時と三回に分けて運転されている(ただし、毎週月曜日の休館日(春期休暇期間・夏期休暇期間は別)は運転されない)。

Img_1155  梅小路に保存されている蒸気機関車は18両と述べたが、C57型1号、C56型160号、C61型2号、C62型2号、8620型機関車は動態保存されている。かつて、神戸の鷹取機関区では蒸気機関車の整備を行っていたが阪神大震災でこの機能を喪失した際に、ここで整備も受け持つこととなり、蒸気機関車の整備にあたる様子を間近みると、展示されているだけの機関車ではなく、生きている鉄道遺産、という印象だ。

Img_1154  梅小路蒸気機関車館の転車台と機関車。現在では動力分散方式の電車が新幹線や在来線で主流となっているが、機関車が牽引する蒸気機関車の時代では、機関車整備に都合の良いこういった方式が採用されるようになった。非常に目立つ独特の方式は上空からも一望でき、余談ながら戦時中、京都原爆投下計画が進められていた頃は、ここが爆撃目標とされる計画だった、とのこと。

Img_1160  ここへは、京都の観光名所からやや距離があるような印象もあるが(東寺からならば直線距離は近いのだが)、京都駅より西大路通りから北大路通りにむかう循環系統の205系統に乗車すれば、金閣寺、等持院、仁和寺、北野天満宮、平野神社、大徳寺に向かう途中に寄る事も出来よう。毎日、SLが運行されている場所としては大井川鉄道が挙げられるが、運賃などを考えると、こちらもポテンシャルは大きいやも。

Img_1228  写真のC58は、戦時中、戦後に427輌が製造され、寒冷地での運用を想定して密閉型運転室を採用、重量は100.2㌧、この1号車は1972年に北海道の北見で最終運転を行ったが207万3248kmを走破したという。こういった詳しい解説の銘板が各車に掲げられている。

Img_1251  この他、二条駅駅舎を移築した建物では、蒸気機関車の構造や歴史、安全管理方式、さらには体験装置に制服や整備器材などの展示が行われており、戦後直後から近年に至るまでの蒸気機関車の貴重な写真も多く展示されている。この日は、京都市内の幼稚園や保育園から多くの見学ツアーが組まれており、かなりの盛況であった。

Img_1245  整備中のC62型機関車、第二次世界大戦の終戦により余剰となったD52のボイラーとC59の足回りをあわせた車両で、国鉄最後の特急用蒸気機関車。最高速度は129km/hに達する。東海道本線、山陽本線で活躍し、古くは九州ブルートレインの牽引にも活躍した機関車として知られるが、この車両も整備中であり、なんと機関車としての車籍も健在である。このように、整備される車両とともに訪れるたび、異なった情景を楽しむことが出来る。

HARUNA

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京都 季節の移ろい 桜花の二条城&晩春の等持院

2008-05-22 12:52:15 | 写真

■京都特集

 桜花っていつのだ!?といわれるかもしれないが、間もなく梅雨、季節の移ろいと過ぎ去りし春の日々を感じられる季節まで、掲載の機会を待っていたわけだ(正直言うと忘れてた)。

Img_6406  今週末は、土曜日に航空自衛隊幹部候補生学校の置かれた奈良基地の開庁記念行事、そして日曜日に京都府の宇治市で行われる第4施設団の大久保駐屯地祭があるということで、新幹線で京都に、というひとも多いかもしれない(普段も多いが)、なんやらこじつけ(実際そうだが)にも聞こえなくも無いが、京都特集である。

Img_6370  京都市の真ん中にある二条城は、二ノ丸御殿が国宝に、そして多くの重要文化財を有し、特別名勝に指定されている文化財である。真ん中というだけあって、京都駅から地下鉄に乗り換えて、烏丸線から東西線に乗り継ぐか、もしくは京都駅から山陰線二条駅に進出し、地下鉄東西線へ、バスでは9系統バスなどで行くことができることもあり、京都観光の定番スポットとして知られている。

Img_6361  今回掲載しているのは今年4月19日まで行われた夜の特別公開で、桜が咲く季節には毎年こういった特別公開が行われている。鴬張りで有名な二ノ丸御殿や、本丸跡地にはこの時間帯はいることは出来ないものの、城郭を包む多くの桜花がライトアップされ、優美な夜桜と大政奉還という歴史舞台となった二条城の取り合わせは、ある種独特な雰囲気を醸しだしている。

Img_6390  この二条城は、徳川家康が京都に上洛した時の宿所として造営された経緯があり、また家康により造営された最後の城郭として知られる。こうして征夷大将軍となった徳川家康の江戸幕府、その歴史に、近代化と国際関係の変動により、大政奉還を徳川慶喜より発布した場所が、この二条城というのは、なにか特別な場所のような気がする。

Img_6431  当時の日本の国内情勢は、薩長同盟と朝廷により、尊皇攘夷という号令とともに事実上の討幕運動が進められており、大政奉還の機会を逸せば、日本は内戦に、そしてイギリスやフランスといった各国の介入を招けば、その後の日本史、そして長期的に見るならば世界史は不幸な方向に進んだことは疑いないだろう、文字通り、歴史の分岐点となった瞬間だ。

Img_6462  大政奉還と、教科書に載ると味気ないが、徳川慶喜は、幕臣や大名との苦しい議論の末、幕府よりも日本の将来に希望を残す決定を下した、その合意形成の場となったのが、ここ二条城なのだ。天守閣こそ、いまはないものの、櫓や大手門、御殿の優美さは、ほかのどの城郭にもひけをとらない。

Img_6485  そして等持院。二条城との関係は余り無いが、掲載しようと考えていて掲載できなかった写真。撮った日にちも実は四月で、晩春というほどではないのだが、とりあえず、写真の雰囲気が梅雨のような印象をあたえてくれるので、そんな感じの写真としてみれば、晩春に見えなくも無いのでは?と(スマン)。

Img_6478  この等持院は、足利尊氏の建立した寺院であり、江戸幕府初代の征夷大将軍が京都に築いたのが城郭として二条城、そして、室町幕府の初代征夷大将軍である足利尊氏が築いた等持院、というように本日の記事の構成はなっている(まあ、偶然ではあるのですけどね)。

Img_6533  もともと、等持院は等持寺として柳馬場にあったのだが、この等持寺が応仁の乱で焼失してしまったため、別院であったこの等持院に移された。ここには初代から15代までの室町幕府将軍の木造が安置されており、この木造が並ぶ霊光殿に足を運ぶと、居並ぶ歴史の人々が醸し出す空気を感じることが出来た。

Img_6520  庭園は夢窓国師によりひらかれたものと伝えられ、これからの梅雨の季節には、こういった庭園や伽藍をゆっくりと楽しみながら過ごしたいものだ。この等持院へは、山陰線の円町駅からバス乗り換え、もしくは京福電鉄等持院駅から徒歩3分で行くことができる。

HARUNA

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