■平和を天長節に考える
本日は天長節です、そこで本年の防衛安全保障上の転換点などを振り返り、我が国の展望を考える機会としたいと思います。
昭和という時代は太平洋戦争、大東亜戦争による我が国の転換点を迎えた時代であり、戦前戦中戦後という言葉で区切られる時代となりました、平成という時代はその延長ではある訳ですが併せて20世紀と21世紀に区切られる時代となり、日本の元号とは別に世界も東西冷戦時代と単極下多極化時代とに区切られる事となりました。
戦後の我が国防衛政策は専守防衛を第一とし、その上で軍事政策としての対外姿勢を必要とする際には唯一の同盟国アメリカの協力を受けるという、云わば日米同盟を出島とした防衛上の鎖国政策を採り、同時に軍事以外の分野では広く活動範囲を全地球規模と展開し、東西冷戦下の世界を二分した公序において自由主義を基調とする公序陣営に価値観を重ね、自由主義世界の西太平洋地域最大の一大生産拠点として時代を乗り越えました。
東西冷戦の終焉は一つの転機となり、併せて自由主義陣営最大の大国アメリカと社会主義陣営最大の大国ソ連が冷戦期にあっては、相互の大量配備された核武装による相互各種破壊体制を前提とし、兵器供給体系とその経済支援体系の根幹をになった為、双方が大国同士の軍事衝突が確証破壊に繋がるとの共有知識から、摩擦を必要としつつ破局の回避を共通の価値観として共有したため、大規模戦争を回避する枠組みが自然成立していたわけです。
冷戦後の世界は、兵器供給体系が大国の影響力を越え、特に冷戦期に最大の摩擦点となった欧州からの大量の余剰兵器が、冷戦後の軍縮により拡散する契機となり、併せて、冷戦期から今日までの開発と貧困からの脱却こそが国際公序とする展開がそのまま、資源価格高騰や無理な民主化推進と併せ地域格差が生じ、ここに民族感情や多文化共生の限界が摩擦点となる事で地域紛争が多発することとなり、今に至る。
また、喜ぶところではあるのですが先進国と途上国との貧困脱却を公序とする枠組が功を奏し、併せて、第二次世界大戦以前からの国際公序である自由貿易実現を期した一要素である金融自由化が、多国間国際分業や投機投資多元化へ繋がり、国際政治の枠組みを離れた世界政治というべき様々な主体が国際政治へ影響を及ぼす事となり、解決策の主導権が国家にありながらその国家の政策決定に至る政治過程の多様化が諸問題解決に遅滞的影響を及ぼすこととなっています。
我が国安全保障は、こうした転換点と共に、武力紛争の主体さえも多極化している中に際し、防衛政策を国家間紛争の武力紛争かによる本土着上陸への対処を主眼とした専守防衛政策を執り続けている為、防衛政策の政策上における諸問題と実際の我が国への脅威への対処への諸政策へ欠缺が生じてしまう事となりました。この欠缺が破局に至らない唯一の要素は、国家間紛争と多極化する脅威との線引きを単純に我が国領域の内外で線引きしている為に他なりません。
ただし、鎖国政策というべき分野は防衛政策上のものであり、前述の通り経済政策や文化交流などは地球規模での展開を進めている我が国は、その経済規模の大きさもあり世界政治に国際経済と国際金融に大きな影響を及ぼしています、これは同時に、国家以外の武力紛争主体からの攻撃目標となり得ることを示し、更に軍事分野では専守防衛を掲げつつ、防護対象たる邦人は全地球規模での活動を個々人の意志や属する企業や団体等の非国家主体に属し国際公序に基づく活動を進めるため、ここを如何に保護するかが課題となりました。
もし我が国が軍事以外のすべての分野において鎖国をする事が出来るならば、どれだけ邦人保護が容易となるのか、専守防衛の防衛線内に自国民全てが居住するならばどれだけ安全か。こう考える事は出来なくもないのですが、一国主義を全ての分野において進めるには、通信や情報に金融と文化に経済と交通、などの面で世界が狭くなりすぎました、安全保障関連法制として本年我が国防衛政策は大きく動きましたが、これは実態に合わせて変更したに過ぎず、島国日本からの空港港湾出国口に、この門を出る者は全ての希望を捨てよ、と書くことが出来ない現状に合わせたに過ぎません。
その上で、我が国防衛政策は、基本として第二次世界大戦後の軍事秩序を念頭に大日本帝国憲法が帝国議会において日本国憲法へ改正され、第二次世界大戦後の軍事秩序が東西冷戦の幕開けとともに自衛権行使主体の発足と自衛隊への発展、日米安全保障条約締結と共に修正し、その後の転換を行わず今日に至る為、弾道ミサイル技術の拡散が隣国から我が国に複数の国家がミサイルを置き、対処能力を求められる状況を想定していません。また、大量の米軍が駐屯する前提であるため、南西方面への着上陸侵攻も想定する必要がありませんでした。
憲法上、その憲法制定に影響を及ぼしたアメリカを唯一の例外として軍事同盟を結ぶ、即ち相互互恵関係での集団安全保障枠組を同盟条約として構築する選択肢を持たない我が国は、相互の同盟条約を結ぶ選択肢がない中での専守防衛政策を堅持するため、隣国複数が我が国への軍事圧力をかける場合には地域的二国標準主義というべき重装備を整備し独力で領域を防護する覚悟、併せて専守防衛政策故の不可避の問題点、開戦即本土決戦、という専守防衛の重大問題に向き合うこととなっています。
幸い2000年代に入り、国土戦を不可避とする憲法を持ちながら国土戦への法的枠組みが未整備であり、超法規での国土戦闘を展開するという可能性を、武力攻撃事態法を中心とした有事法制の整備により解決しましたのが小泉内閣時代です。憲法制定から半世紀以上を経て憲法上必要とされる専守防衛政策下の本土決戦へ備える法整備が超法規から法の支配に抑えられ戦時下での国民保護の枠組が構築できたわけなのですが、更に安全保障関連法制の本年の整備が、わが国民は国家により地域的枠組みにとらわれず守られ、国家は国民の安全に責任を持つ事が国外においても不変であると、ようやく確認されたといえるでしょう。
ただし、その上でもう一つ、我が国は上記の通り国家間以外の脅威が国民へ国外において及ぶ、非戦闘員であるわが国民は我が国が周辺国との武力紛争を進めない限り世界において経済活動や学術活動を行う範囲において、ジュネーヴ文民保護条約の範疇において保護されるとの枠組みが、文民保護条約等人道法が想定しないテロ活動やテロリストによる疑似国家、破綻国家を拠点とする国際テロ組織に対し防護措置と救出措置を採れることが確認され法整備されただけに過ぎず、その為の諸政策を構築する最中、冷戦時代型の従来型脅威が我が国の安全保障を脅かすこととなり、今に至ります。
前述したとおり、武力攻撃事態法は、平和憲法、が平和を具現化する手段として国土が戦場となるまでは戦闘に訴えない、という施策を採り、その為に国際法上特に強行規範として認められる国際公序の判断基準の一つ、国連憲章に認められた自衛権さえも制約を課し、開戦即本土決戦という現状を、再確認し本土決戦のための平和的な法整備を行ったに過ぎません。ただ、その枠組みに依拠する限りでは、我が国防衛が一旦破綻した場合に国家国民に及ぶ被害が極めて大きいものとなる危惧が高まり、国土が戦場となるまで危機を放置するのか、防衛力を以ての予防外交や抑止力への参画と武力紛争予防へ参画する選択肢を含むかを、曖昧ながら法整備しつつあるところが現在の我が国です。
一方、地域安定へ、我が国の依存度が高まり、海洋自由原則に基づく海上交通路保護等、我が国がその領域を越えて参画しなければならない分野が広まりましました、それは東日本大震災を契機とする原子力政策の見直しを契機とした海外からの資源輸入依存度の増大です。元々我が国原子力政策の起源は、第二次世界大戦へ発展した大東亜戦争が古典的地政学と資源確保を目的としたものであり、古典的地政学は海洋自由原則への転換へ収斂し、一方資源確保は今日の我が国食料自給率論争と似て、我が国内に資源を自給する手段を持とうとする施策の一つでした。
これは、結果的に平和を希求しつつ、その具現化策に必ずしも合致しない制約を維持し、且つ安全保障環境の変化に対応する施策を採り得ない基盤を固め過ぎた事にあります。現政権は破綻点に国民が曝される以前に解決策を模索しようとし、反対派は現状維持という破局まで、何もせん方がいい、という論点にて享受できる限りの現状を得たうえで破局が及んだ場合への解決策明示を先送りする施策を採り、平行線をたどっています。無論、主権者たる国民が選挙において、破局回避を図る与党と、旧与党で野党の解決策明示先送りと、選ぶこととなる訳ですが、少なくとも現時点、安全保障関連法制と、周辺国との防衛協力強化という次の課題にて、その転換点には差し掛かっているように考える次第です。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)